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2019年4月

2019年4月30日 (火)

新宿角筈十二社

 今日のタイトルを読めない人にお教えします。『しんじゅく つのはず じゅうにそう』と読みます。えっ? そんなの知ってた? う~ん、それは失礼しました。

 角筈っていうのは現在の新宿区西新宿4丁目あたり。つまり、新宿中央公園を含んでその裏の方の街で、新宿中央公園の裏の甲州街道と青梅街道を結ぶ道が十二社通りと呼ばれています。角筈も十二社も現在は使われていない地名で、下の写真「角筈地域センター」という名称には戸惑う人がいるかもしれませんね。

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 その新宿中央公園が、昔は淀橋浄水場だったっていうことは、ご存知の方も多いと思います。十二社通りあたりから都庁がある場所あたりまでの広大な敷地が淀橋浄水場だった。
 ということなので、こんな「旧淀橋浄水場六角堂」という、淀橋浄水場の見晴らし台なんて言うのが残っている。昔は、ここから富士山なんかも見えたらしい。まあ、今はそんなことを望んでも無理ですけれどもね。

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 実は、新宿中央公園には写真ファン、カメラファンなら必ず行かなければならない場所があるんです。

「写真工業発祥の地」という碑があります。
 現在のコニカミノルタ、その昔の小西六、その前身の「六桜社」が日本で最初に印画紙なんかを造った場所があったんですね。

 六桜社がこの地に出来たのが1902年のことらしい。ということは1898年(明治31年)から1965年(昭和40年)というのが淀橋浄水場の歴史なのだから、それとはダブるわけで、つまり最初の頃の淀橋浄水場は最後の時ほどには広くはなかったということなのかもしれない。

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 で、十二社通りを渡ると突然ちょっとばかり急な坂になって窪地登場。なにせ玉川上水やら石神井川やらが集まっている場所なので、まあ、池があってもおかしくはない場所ではある。そう、その池を干上がらせた場所がこの坂道の底、つまり池の底なんですね。

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 で、そこから再び十二社通りに戻ってくると「永谷リヴェール新宿」というマンションがあるんだが、その1階にあったのが「十二社温泉」という天然温泉だったのだ。

 十二社温泉自体は2009年に廃業してしまったんだが、マンションは温泉があった時からあったわけなので、その後の温泉の跡がどうなっているのかが気になる。
 現在のような掘削技術があった時代ではなかったので、掘削の深さは数百メートルほどだったらしい。その位の深さだと出てくるのは「黒湯」という、かなり色が黒いお湯。麻布十番温泉(2008年廃業)や蒲田温泉(営業中)と同じような黒いお湯である。
 現在の東京の温泉は大体千数百メートルほど掘っているので、普通の透明なお湯なんだけれども、昔の東京の温泉は皆「黒湯」だった。

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 ところでこのマンションを運営している永谷商事っていう会社なんだけれども、「お江戸上野広小路亭」「お江戸日本橋亭」「お江戸両国亭」などの落語・講談・浪曲・新内・義太夫などの公演の場である演芸場を運営していることでも有名っていう、ちょっと面白い会社なんですね。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Nishi Shinjuku ©tsunoken

2019年4月29日 (月)

両国の銭洗い弁天様

 ある日、Google Mapを見ていたらよく知っている両国近辺に「銭洗い弁天」があるのを知って、行って見た。

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 両国駅前では「両国にぎわい祭」という催しものをやっていて、出店がいろいろ出ているのは凄いんだが、その出店で提供されるちゃんこ料理なんかを、道端の歩道とか歩道のそばにおかれた簡易椅子に座って食べている人を見ていると、なんか難民キャンプにでも来ているような気持になるのは何故だろう。
「お祭り」というイベントの開催なんだから、もうちょっと食べる場所なんかもテーブル出すとかして、何とかしたほうがいいのではないだろうか、なんてどうでも良いことを気にしている。
 いやいやいや、今日、両国に来た理由は「銭洗い弁天」で「両国にぎわい祭」じゃないでしょ、ってなもんでなるべく余計なことには気を遣わずにやり過ごすわけなのであります。

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 で、両国から一の橋通りを南に行って、竪川(たてかわ)を渡ったすぐ左にあります。江島杉山神社。

『当社は江ノ島弁財天(江島神社)の御分霊と、同社を篤く崇敬した杉山和一検校(鍼の施術法である管鍼術を創始し、世界初の視覚障害者教育施設といわれる「杉山流鍼治導引稽古所」を開所した)を祀った神社である。』

 というのが、その後由緒。なるほど、江ノ島の弁天様の分社なんだな、というのが分かるんだが、今日の目的はそちらじゃない。

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 江ノ島神社の分社であることは分かったんだが、江ノ島神社には銭洗い弁天はいない。

 銭洗い弁天と言えば、鎌倉の銭洗弁財天宇賀福神社という、いわゆる鎌倉の銭洗い弁天なんですね。それがなぜ両国に? という謎々。

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 しかしまあ、考えてみればどちらも弁天様だし、「弁天つながり」で「銭洗い弁天」があるのかもしれない。

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「銭洗い弁天」と「杉山和一検校」との関係は良く分からないのだが、まあ、江ノ島神社の方がメインであるのだから、まあ、杉山和一はどうでもいいのかな。

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 江島杉山神社も「両国にぎわい祭」のスタンプラリーのコースに入っているので、結構な人出だった。
 普段は、殆ど人がいるのをみたこともない神社だったんだけれどもね。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Chitose Sumida ©tsunoken

2019年4月28日 (日)

日本橋浜町・金座通り

 銀座通りが何故「銀座」と呼ばれているのかは皆さんご存知の通り、「銀貨」を作っていた場所だから。
 でも、銀は大阪で豊臣秀吉が多く流通させていた貨幣で、徳川家康は「金貨」を基本に流通させていたはずだ。ならば銀座に相当する「金座」があってもよさそうなものなのだが、そんな地名は東京にはない。

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 唯一あるのが、ここ「金座通り」という名前の道。
 日本橋浜町公園の脇、東京テレビセンターあたりから、久松警察署を経て人形町交差点辺りまでの道の名前が「金座通り」なのであります。

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 とは言うものの、この金座通りで「金貨=小判」を鋳造していたという記録はない。金貨の鋳造所は現在の日本銀行本店のある場所、現在の日本橋本石町にあったらしい。

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 じゃあ、何故、浜町辺りが「金座通り」を名乗ってるのか?
 どうも、あまり歴史的な理由はなくて、周辺に金座を名乗っている場所がないので付けちゃった、っていうのがその理由らしい。

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 まあ、多少の理由付けとしては、この辺りに金座で作った金貨(小判)を一時的に保管しておく倉庫があったので、じゃあそんなら「金座通り」でいいんじゃね? ってことになったらしい。

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 まあ、道の名前のつけ方なんて、それぞれの行政単位で勝手につけているので、どんな名前にしようが、どこからかクレームでもつかない限り勝手なんだが、同じ中央区で日本橋本石町が「中央区金座」を名乗らなかったのにはなにか意味があったんだろうか。

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 どこかに「忖度」したのかなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Nihonbashi Hamacho ©tsunoken

2019年4月27日 (土)

連休初日は『気分はもう戦争』って、気分なのかなあ

 世間じゃ今日から10連休なんだそうだが、1年365連休の私には何の関係もないことではあります。
 おまけに昨日は天気も悪く、10連休とのことで早めに医者通いということで、新ネタはないので、今日は「ヒマネタ」です。って言っても、私のブログは毎日がヒマネタなんですけれどもね。

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 ということで、久々の大友克洋氏の新作漫画だっ!

 まさしく38年ぶりの続編ってわけなんだが、一冊まるまる『気分は戦争』じゃなくて、冒頭18ページのみ。
 これじゃあ単行本化するまで何年かかるんだろう。

Rimg00012_1『気分はもう戦争3(だったかも知れない)』(矢作俊彦・大友克洋著/漫画アクション No.9 2019年4月16日刊)

 三人の主人公、「ハチマキ」「めがね」「ボウイ」は健在。ただし、当然38歳づつ年を取っているわけで……で、その結果どうなるのか……、はまだまだ分かりません。

「198X年X月X日、突然勃発した中ソ戦争は、ある日これまた突然停戦。」という状況の中でアシスタントを矢作氏に取られれてしまった大友氏はどうなるのだろう。で、ハチマキたちは次の戦争を求めてアフリカに旅立つんだが……。というのが、前回までの「あらすじ」……

 で

「ハチマキ」が今回登場する場所は「20XX年 沖縄自治県宮古列島伊良部島 伊良部大橋」、同様「めがね」は「旧中国東北地方 豆満江下流域旧北朝鮮国境」、「ボウイ」はとりあえず「20XX年 東京羽田空港」。時代はアメリカの世界支配は遠い過去「今や・・・パクスシーナの時代」なのだ。まあ「20XX年」だったらそういうこともあるかもしれないなあ。う~ん、でも「パクスシーナ」でなんで「戦争が?」
 はてさて彼ら3人がどこで再開して、どんなストーリーが展開するのかは、矢作氏と大友氏しか知りません。だって、いまのところ冒頭18ページしかないんだもん。

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 旧「気分はもう戦争」の扉は、ローバト・キャパの超有名写真「崩れ落ちる兵士」、新「気分はもう戦争」の扉はスマホで自撮りする兵隊っていう具合で、まあ、それなりに時代を表してはいますね。

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 矢作氏って前回の旧「気分はもう戦争」の時には、結構自分だけで突っ走ってしまう人で、大友氏もかなり苦労した思い出もあったということを聞いたことがあるんだが、今回それがどうなっているのかは分からない。
 まあ、なんせ18ページじゃこの先を予想もできないし、大友氏にどんな展開になるのかを聞きに行くわけにもいかないし、取り敢えずは、次の掲載を待つのみですね。

 ……いつなんだろう……。

4_2 『気分はもう戦争3(だったかも知れない)』(矢作俊彦・大友克洋著/漫画アクション No.9 2019年4月16日刊)Amazonでのご注文はコチラから

2_6  『気分はもう戦争』(矢作俊彦・大友克洋著/アクションコミックス 双葉社/1982年1月24日刊)Amazonでのご注文はコチラから

 あ、東大構内のスピットファイアは、今日のブログとは何の関係もありません。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Hongo ©tsunoken

 

2019年4月26日 (金)

東アジア文化都市2019 池袋

 池袋西口に行って見たら、ウエストゲートパークに工事囲いが出来ていた。
 近寄ってみると『東アジア文化都市 2019豊島』の文字と「トキワ壮で漫画を描く(多分)手塚治虫氏」の絵が描いてある。

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 近寄ってみると

『マンガ・アニメの発信拠点として豊島区の魅力を世界にアピールします
豊島区は「マンガ・アニメ」の発信拠点として注目を集めています。さらに区内で盛んに行われている「舞台芸術」、「祭事・芸能」とともに魅力的な新規事業・日中韓交流事業を立ち上げます。交流の視点を盛り込み、区民としての中韓を方々を含めた多文化共生を推進させていきます。』

 の文字が。

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 実は「東アジア文化都市」というイベントは、2014年横浜、2015年新潟、2016年奈良、2017年京都、2018年金沢という順番で開催され、2019が豊島(2020年が北九州)というわけなのだ。勿論、「東アジア」というのを旗印にしているだけに、今回は中国は西安、韓国は仁川広域市との同時開催で、それぞれの国の文化イベントを有機的につないで、各国との交流を図りつつ、同時に日本から中韓へ、中韓から日本への文化的・人的交流を図ろうというイベントなのである。

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 しかし、まあ、何故日本の文化っていうと「マンガ」とか「アニメーション」なんだろうか。

 マンガやアニメーションって、おおもとはハリウッドの映画なんですね。元々は一コマ漫画みたいな「戯画」がマンガの元だったんだけれども、それにハリウッドの映画の手法、カット割りやシーンづくりなどのやり方を導入したのが、日本のストーリー漫画や劇画なんですね。当然、アニメーションはディズニーだし、マンガやアニメって実は日本のオリジナルじゃなくて、そのおおもとはハリウッドなのである。

 勿論、それを日本的に発展させてきて、「日本のマンガ」「日本のアニメ」(「アニメーション」じゃない)が出来上がってきたのは事実だし、近年、世界的に認められてきているのは「日本マンガ」「日本アニメ」であるのは事実。まあ、そういう意味ではいまや「マンガ」「アニメ」っていうのは、日本独特の表現形式ではあるんだが、まあ、そんなバックボーンがあることを無視して「マンガ、アニメは日本の表現形式」だなんて言いきってしまうのは「いかがなものか」という気もしないではない。

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 そんな部分に行政がそれとなく近づいてきてなんか結果だけかっさらっていこう、っていうのが見え見えなんでね、なんか違和感がないでもないのですねえ。

 とは言うものの、なんか無視しちゃいけないかなという気もしたので、ちょこっとばかり紹介しておきます。

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東アジア文化都市 2019の公式サイトはコチラ

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Ikebukuro ©tsunoken

2019年4月25日 (木)

「昨日は平成最後の縁日」ってか?

『「平成最後の」という巻頭句をつければ何でも意味ありげになってしまう、というひそみに倣っただけなので、別に意味はありません。
 しかし、なんでもかんでも「平成最後の」という巻頭句をつけるという風潮はいかがなものか……、なんて言って自分で使ってれば世話ないか。』 なんて4月1日に書いたんだが、結局、今日も同じようなことを書いています。

 巣鴨のとげぬき地蔵(高岩寺)な毎月「4」の付く日、つまり4日、14日、24日が縁日なので、ちょうど昨日がその縁日。つまり「平成最後の縁日」だったのであります。なんて言って、その舌の根も乾かないうちに5月4日には「令和最初の縁日だ」なんてこれまた大騒ぎしてたりしてね。

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 しかし、生憎の雨とあって人出も少ないだろうと出かけてみれば、いやいや、「おばあちゃんの原宿」にくるおばあちゃん達の元気なこと、別に普段の天気の良い日の縁日と同じような人出ではありました。

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 しかし、激しくは降らないとはいえ、シトシトと降り続く雨……

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 高岩寺の近くの食べ物関係の屋台はまだ屋根がついているからいいんだけれども、庚申塚に近くなるとこんな古着屋や古道具の店(本来の縁日の出店はこちらが中心だったらしい)は、ちょっとこの雨には閉口しているようだ。

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 まあ、その雨も午後には上がってきて、なんとか「平成最後の縁日」は無事終了しました。

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 ということで、平成最後の街角インタビューに答える昭和生まれのおばあちゃんです。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Sugamo ©tsunoken

2019年4月24日 (水)

「埼玉都民」の行く末は……

 タイトルを読んで「どうせ埼玉や川口のことをdisってるんだろう」と気を悪くされた方、とくにブログの内容自体がそういうものではないけれども、書き手にそんな意識があるのは事実です。なので、そんな風に思った方はブログを読むのはやめて結構です。これを読んでも、東京へ行くための通行手形は出ませんので。

 って書いている時点でdisってるのか。

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 JR川口駅前のキューポラの像です。

 勿論、今は川口市のどこを探してもキューポラなんかはありません。『キューポラのある街』なんて、今や吉永小百合と浜田光夫の昔の映画の世界だけなのですね。その代わり、現在の川口は『タワーマンションのある街』なのです。

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 ただし、同じタワーマンション群と言っても、武蔵小杉みたいに川崎市が川崎市小杉区の総合開発プロジェクトとして、NECの広大な工場跡地に計画的に街を造ったような背景はなく、それぞれのデベロッパーが、それぞれの鋳物工場の跡地(まあ、それがキューポラのある工場なんですけどね)に勝手にマンションを作っちゃったっていう、武蔵小杉みたいな計画都市的なイメージはありません。また、駅の周辺にまとまってタワーマンションがあるというわけではありません。

 まあ、計画都市的なイメージがいいのか悪いのかは(私は好きじゃないけど)、ちょっと別の議題ですけれどもね。

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 ということなので、川口駅の周辺に少しは集中してはいますが、それ以外はポツン、ポツンと建っているのが、川口のタワーマンションの特徴。

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 で、その川口のタワーマンションの先駆けとなってできたのが、荒川放水路のそばにあるエルザタワーというタワーマンション。下の写真、左がエルザタワー55で1998年竣工(650戸)、右がエルザタワー32で2002年竣工(389戸)。しかしまあ、一つの建物に650戸とか389戸って、例えば管理組合の運営なんてどうなっちゃうんだろう。だって、合わせて約1,000戸、住人は1,500~2,000人!

 私などは経験上、マンションの住民は50戸くらいが限度だと考えている。50戸くらいまではどんな人が自分と同じマンションに暮らしているのかが分かるんだが、100戸を超しちゃうともうだめですね。どんな人が住んでいるのかが分からなくなっちゃうと、管理組合なんて運営できなくなっちゃいます。ところが、鉄筋コンクリート造りのマンションだって耐用年数がある訳で、当然、新築して40年ぐらい過ぎた頃になると「建て替え」っていう問題が出てくる。そんな時に、100戸以上のマンションだと建て替え決議なんてものはまず通りません。建て替えが出来なくなっちゃったマンションはどんどん劣化していくだけだし、多分、スラム化するしかなくなってしまう。
 そうなると早いとこマンションを売っ払って引っ越しちゃうという選択肢があるんだが、そうやってどんどんマンションから人がいなくなっちゃうと、ますますスラム化して、建物としての価値はゼロに近づいてきてしまうんですね。

 おまけに日本は少子化している状態だ。多分、そんなマンションに住んでいる人、つまり買った人たちの子供たちが、そんなに古い親のマンションを引き継ぐなんてことはあんまり考えられないので、更に、更にマンションの住民はいなくなっちゃいます。

 マンションライフっていうのは嫌いじゃないし、現に今住んでいるところもマンションなんだが、今後も住み替えることがあったとしても、多分50~100戸までの大きさのマンションでしょう。

 それにしても、このエルザタワーって32の方はまだいいとして、55の方はまだ埼玉高速鉄道(東京メトロ南北線と直通)の川口元郷駅ができる3年前に出来たので、入居から3年間は川口駅までバスで通わなくてはならなかったわけで、さぞかし不便だったでしょうねえ。

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 ところが、このマンションが出来た頃に、京浜東北線で東京駅方面へは便利だってことで、私の友人の会社の同僚がこのマンション(エルザタワー55の方)を買ったのはいいけど、実は同じ会社の上司が、その同僚よりも下の階を買って、なんか関係がギクシャクしちゃったって話を聞いたことがある。まあ、マンションって単純に上の階の方が下の階よりは購入値段は高くなるので・・・・、まあ、そんなことなんでしょうね。上司としてはメンツを潰されたっていうか。おお、可哀想に。

 まあ、でもそんな階層格差っていうのがあるのがタワーマンションの特徴でもあるそうで……。

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 川口駅からエルザタワーの方へ行く途中にこんな「凱旋橋跡」っていうのがある。
 実はこれ、日露戦争の戦勝祝いで軍隊が川口に凱旋した時に渡った橋の名残なんだけれども、つまり、これこそ川口が鋳物の街だっていうことの証明なんですね。「鋳物=製鉄=武器」ってなもんですね。
 まさしく「キューポラのある川口」の象徴ですね。

 そうなんだ。結局、川口は『キューポラのある街』だったんだ。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Kawaguchi ©tsunoken

2019年4月23日 (火)

海水浴発祥 宮の前海岸跡

 京浜急行の京急富岡駅で降りて坂を少し降りると国道16号線に出る。
 まあ、この辺の国道16号線は横浜の辺りや東京都内の国道16号線とは違って、まあ、普通の道というか両側2車線の道なんですね。トラックがブンブン走っている国道、というイメージの道ではありません。

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 その国道16号線を少し歩くと「宮の前」という交差点に至るので、そこを右に折れて行くと富岡八幡宮の社殿に至る階段の下に出ます。
 結構、立派な神社なんだが、もともと源頼朝が創建した神社らしい。鎌倉の鶴岡八幡宮にも次ぐ八幡神社、つまり「戦の神様」なので、ここ横浜金沢富岡の地でも、頼朝は何かの戦勝祈念のために造った神社なのだろう。

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 で、今回のテーマはそんな富岡八幡宮じゃなくて、その参道の手前にある碑なんですね。

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 って言っても、この地域の埋め立て記念碑じゃなくて……

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 その脇にひっそり建っている……

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「海水浴発祥 宮の前海岸跡」という碑なんです。

『横浜・富岡のこの付近はかつて白砂青松のすばらしい海水浴場だった。江戸末期に横浜が開港して外国人が住むようになると、海水浴に適した場所を求めてこの付近に外国人が逗留するようになった。ヘボン式ローマ字で有名なヘボン博士もこの地を訪れ、この地が東京湾で一番海水浴に適していると推奨したので、一躍脚光を浴びることになった。』(サイト「発祥の地コレクション」より)

 つまり、この場所は昔は富岡漁港や海水浴場があった海岸だったってことなんですね。

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 でも、ここ「旧海岸通り」を歩いても、海は全然見えないし、まあ、それだけ海岸の埋め立てが進んでしまっているんだなあ、ということを感じさせるだけです。
「直木三十五宅跡」とか「孫文先生上陸の地」なんていう碑もまたあるんだけれども、それは今回の目的じゃないので、無視。

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 正面の山が富岡八幡宮のある丘の遠景です。
 まあ、こうして見ると、如何にも海のそばの崖の上の山なんだなあ、というのが良く分かります。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Tomioka Kanazawa Yokohama ©tsunoken

2019年4月22日 (月)

『しょぼい起業で生きていく』

「えらいてんちょう」って何者?
『えらいてんちょう/投資家・コンサルタント
本名・矢内東紀(やうちはるき)。1990年東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。2015年、初の実店舗としてリサイクルショップを開店。その後、知人が廃業させる予定だった学習塾を受け継いだり、小さなバーをオープンさせたりするなどし、事業を拡大。バーが人気を呼び、「しょぼい起業」をしたい若者たちのためにフランチャイズ化。加盟店は全国に7店舗。現在は、投資家・コンサルタントとしても活動し、しょぼい店舗の開業・運営を1年で10件以上手がける。名前の由来はリサイクルショップ開店時、「私はえらいんだ」と言いたくて名乗ったという。略称「えらてん」。』というのがそのプロフィールらしい。

2_3 『しょぼい起業で生きていく』(えらいてんちょう著/イーストプレス/2019年1月11日電子版刊・2018年12月25日紙版刊)

 しかし、「えらいてんちょう」自身によるプロフィールはちょっと違う。
『えらいてんちょう
1990年東京生まれ。朝起きるのが苦手だったため、はじめから就職活動をせず、なんの経験も計画もないまま、しょぼく起業。慶応義塾大学経済学部卒業。2015年 10 月、初の実店舗としてリサイクルショップを開店。その後、知人が廃業させる予定だった学習塾を受け継いだり、居抜き物件を借りて、小さなバーをオープンさせたりするなどし、事業を拡大。その後、バーが人気を呼び、「しょぼい起業」をしたい若者たちのためにフランチャイズ化。加盟店は全国に7店舗。現在は、投資家、コンサルタントとしても活動し、しょぼい店舗の開業・運営を1年で 10 件以上手がける。』
 というもの。
 う~ん、まあ、両方とも似たようなものだが、特に両方とも共通しているのが「2015年に起業するまで」のこと。
 本文にはその間の状況に若干触れている。
『最初は、知人づてにテープ起こしや簡単なライティング作業などを請け負い、便利屋的な仕事をしていました。
 そのうち、リアル店舗であるリサイクルショップを始め、次に学習塾、そしてちょっと変わったバーを出店するにいたりました。
 現在は、商売繁盛で手が回らなくなり、リサイクルショップや学習塾は事業譲渡し、私はアドバイザーという位置におります。現在は、私が立ち上げたバーのフランチャイザー兼会長としての活動に加え、「しょぼい起業」という概念を提唱し、事業のプロデュースやコンサルタント、その他あいまいに 儲かるもの、儲からないもの、などを手広くやっております。』
 というもの。
「しょぼい起業」というなら、まさしくこの慶應大学を卒業してから、「しょぼい起業」をするまでの数年間のことなのだろう。
『知人づてにテープ起こしや簡単なライティング作業などを請け負い、便利屋的な仕事』こそが、まさしく「しょぼい起業」の原点なのだ。でも、これって普通のアルバイトだよね。ただし、普通にサラリーマンになるわけではなく、「慶応大学まで出てバイトか?」ってところが、まあ、今風なんだろうなあ。
『私、えらいてんちょうが経営しているしょぼい会社も、オイルマネーで大儲け計画→出版社下請け→不動産投資→リサイクルショップ・バー・塾・語学教室経営とめちゃくちゃな変遷をしておりますが、すべて 流れに身を任せた必然的結果 でした。リサイクルショップがそれなりに当たって、さらにバーが当たったことでようやく多少安定しましたが、これもまったく想定外だったのは先ほど書いたとおりです。
 とくに「これで起業しよう!」という強い意志がある方も、ない方も、こんな感じで流れに身を任せますと、ときどき金脈に当たることがありますので、無意味に事業計画ばっか立ててないで、 とにかくやっちゃいましょう。遠大な計画よりも、初期費用が少ない「いま、これができそう」を積み重ねていくほうがリスクは少ないです。』
 『学校生活がつらい、アルバイトも何をやってもうまくいかない、就職活動がうまくいかなかった、就職してはみたけれど全然仕事ができない。そんな人はいっぱいいるのですが、そこで「あぁ、私はもうダメだ、脱落者だ、生きていく価値がない」と「誰かが決めた価値観やルール」に縛られて、人生を放り投げてしまうのはあまりにももったいない、と私は思います。そんな人に私が「あなたに見えている道だけが道ではないよ、違う方向からでも山に登れるんだよ」 と提示したのが「しょぼい起業」の概念です。』
『しょぼくたって、人は生きていけます。何も悲観することはありません。よく生きづらい社会だと言われますが、うまく使えば、社会はあなたに牙を向いてくることはありません。生きていくための固定費を減らしましょう。自分のできるアルバイトをしましょう。それも無理なら親に頼りましょう。どうしてものときは生活保護があなたを救ってくれます。』
 まあ、一種の「居直り」なんだろうけれども、そういう存在を許してくれる社会っていうのもある。
 そういう意味では多様な生き方に対して鷹揚な社会になってきたんだ、っていう感覚と同時に、しかし、そんな風な考え方の変化に対応できない人たちもまだまだ沢山いるっていうことなんだなあ。もったいないなあ。

3_2 『しょぼい起業で行きていく』(えらいてんちょう著/イーストプレス/2019年1月11日・2018年12月25日紙版刊)Amazonでのご注文、Kindle版はコチラへ、紙版はコチラ

 

2019年4月21日 (日)

久々の千住宿

 日光街道の最初の宿場、千住宿に行くのは本当は千住大橋で舟を降りた松尾芭蕉にちなみ、千住大橋から行くのが正しいのだろう。
 でも、大体は隅田川の対岸である南千住でJR常磐線を降りて千住大橋を越えるか、同じJR常磐線の北千住まで行って、旧日光街道を一回、千住大橋方面へ戻ってから、そこで向き直って千住宿を歩き始めるというのが多かった。
 京成本線の千住大橋駅で降りて、千住宿の江戸方面の入り口から入るのは初めてであった。

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 千住大橋を渡って千住宿に行く場合は、普通に歩いていて千住の青果市場前から「千住宿奥の細道」の碑の前を通って、そのまま旧千住宿に入れるのだが、京成本線千住大橋駅は千住大橋の北側、現在の国道4号線の上にあるので、千住宿ヘは途中の脇から入る形になる。
 国道4号線方面から進んでいくと大きな鳥居が見えるんだが、何という名の神社なのかが全く分からない。お稲荷様だということは分かったんだが、神社の中に由緒書きでもないかと思って探してみたんだが、何もない。
 後から調べてみたんだが、「ヤッチャバ(青果市場)の守り神」だそうで、この辺り、千住河原町の鎮守様「千住河原町稲荷神社」という名前の神社らしい。なんだそれじゃあ神社の名前が分かったことにはならないなあ。単なる地名だもんなあ。
 しかし、それなりに大きな神社ではある。

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  境内には七福神の福禄寿がいます。千住七福神というのがあって、調べてみると全部千住の旧日光街道沿いにあるらしい。

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 ところで、この辺り、千住宿の南側、千住青果市場に近い辺りは「掃部宿(かもんしゅく)」といって、千住宿の初期はこちらの方が千住宿の中心部分だったそうだ。

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 たしかに考えてみれば、江戸へ青果を運び入れるための市場が千住宿の始まりなので、なるほどこの掃部宿が最初の頃は中心で、現在、本陣跡があるJR北千住駅そばは、そこより少し北に移動したわけだ。 

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  ここがJR北千住駅から西へ伸びる大通りを北へ交差する宿場通り商店街で、この写真に見えるアーケードを左に折れると、本陣跡がある。

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 現在は、こちらの方が宿場の中心っていう感じですね。 

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kita Senju ©tsunoken

 

2019年4月20日 (土)

東京周縁部を往く:調布は映画の街

 京王線調布駅は地下化して駅前はガラッと変わってしまい、今や、石原プロモーションも実質的になくなってしまったんだが、今でも映画の街ではあるんだなあ。
 なにしろ、映画の撮影所が二か所(東宝の成城も近いので入れれば三か所)、現像所が東京現像所と東映ラボテックの二か所が調布駅の周辺にあります。

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 調布駅を降りて新宿駅から出て左側、多摩川がある方に歩いていくと、調布駅からさほど離れていない場所にあるのが角川大映撮影所です。スタジオ前に「大魔神」ですよ「大魔神」、カッコいいなあ。あ、これは「角川大映」になる前の「大映」時代ですね。

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 で、もうひとつ大映撮影所といえば、「ガメラ」なんですね。
 この「ガメラ」。永田雅一氏が率いていた最初の大映映画がスタートなんだけれども、その後、大映が徳間グループ傘下に入った時のバージョンと、角川傘下に入ってからのバージョンがあるんですね。
 東宝の「ゴジラ」シリーズも長生きだけれども、それの「後追い」でできた「ガメラ」も結構長生きしているんですね。

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 で、その角川大映撮影所の前を通り過ぎて次の信号を左折すると、桜堤通りに至り、15分ほど歩くと……。 

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 日活調布撮影所があります。
 実は、大映撮影所って、元々は日活多摩川撮影所だったんだけれども、現在の調布撮影所に移転した後に、大映に売却したそうなんですね。 

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 日活は現在は映画の製作・配給からは退いてしまっており、映画の世界との接点はこの調布撮影所だけなんだけれども、結局、「当たり・外れ」の博打みたいな映画製作から離れて、装置産業である撮影所業になったことで、企業としては生き延びることになったんですね。
 で、その日活撮影所の最後の「仇花」となったのが、「日活ロマンポルノ」でありまして、まあ、お約束のセックス・シーンが何回かあれば、内容・表現は問わないという会社の方針で作られた多くの作品から、俊英監督が何人も出てきたのであります。
 私が製作担当をした、田原のトシちゃん主演の『課長 島耕作』(プッ・(笑))も、ここ日活調布撮影所がメインの撮影スタジオでありました。まあ、根岸吉太郎が監督だったからね。
「監督は日活の方が、それまで使っていたスタッフなのでやりやすい」「プロデューサー的にも、東宝撮影所よりは日活の方が安い」ってなもんで、配給や共同製作が東宝なんだけれども、日活撮影所で撮影を行ったんであります。

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 しかし、その映画を制作している時期には、殆ど調布の布田あたりからクルマで撮影所に通っていたので、意外に調布駅からも近かったことは新発見だった。 

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  で、その日活調布撮影所から撮影所の反対側の土手を上がると多摩川です。対岸は、神奈川県川崎市麻生区。読売ランドがあります。
『課長 島耕作』を作っている頃には、撮影所よりも多摩川土手の方には家がなかったように思うんだが、今は、かなり多くの家が建っているのであります。
「岸辺のアルバム」にはならないのかなあ。
 ちょっと、心配だ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Chofu ©tsunoken

2019年4月19日 (金)

都会のローカル線:鶴見線浜川崎はJFEの町

 今日は、JR鶴見駅から出ている鶴見線です。
 鶴見駅の次の駅、国道15号線と交差しているところにある国道駅は以前このブログでも取り上げたことはあるんだが、その時は鶴見駅から歩いて行ったので、肝心の鶴見線には乗ったことがなかった。

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 鶴見線は鶴見駅から終点の扇町まで間に8駅だけ、全長7kmの短い路線である。鶴見から3番目の弁天橋駅から先の駅前にはほとんどの駅で工場の入り口があって、そこで働いている人たちが鶴見線の乗客のほとんどなので、駅も鶴見駅を除けばすべて無人駅、っていう徹底ぶりなのである。
 鶴見-国道-鶴見小野―弁天橋-浅野-安善-武蔵白石-浜川崎-昭和-扇町というのが本線全駅。武蔵白石から大川までと、浅野駅から新芝浦、浜芝浦へ行く支線が出ている。面白いのは浅野駅から出ている路線で、終点の浜芝浦の改札口はなんと東芝工場の入り口。つまり、東芝の関係者でないと駅から出られないという、変な駅なのである。
 なので、この変な駅に行きたかったんだけれども、それに乗るには浅野駅でかなり待たなければいけないようなのであきらめて、本線だけの浜川崎行に乗った。

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  勿論、浜川崎の駅も無人駅。簡易型のSUICA改札機があるだけなので、無賃乗車をしちゃおうと思えばできちゃうっていうようなわけですね。鶴見線の浜川崎の駅をでて道を渡ると、南武線の浜川崎駅がある。勿論、こちらも無人駅だ。

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  浜川崎駅を出るとかなり広い貨車駅がある。
 つまり、この貨車路線が鶴見線や南武線のもともとの姿だったんですね。

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  浜川崎駅から少し歩くとJFEスチールの工場がある。

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  JFEというのは川崎製鉄と日本鋼管の合弁会社なので、つまりここは日本鋼管の街だったっていうことなのだ。

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 だいたい、住所自体が「鋼管通り〇丁目」だし、「鋼管通商栄会」だし……「こうかんクリニック」なんですね。 

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 まさしく、日本鋼管が作った街だし、日本鋼管に勤めている人たちの街だし、日本鋼管と共にある街なんだなあ。

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 企業城下町という言葉は聞いたことはあるし、まさしくその企業城下町=トヨタ市のそばに住んでいたことはあるんだが、こんな見事な企業城下町は、実は見たことがなかった。
 すごいなあ、これが日本経済の底力っていうものなのかなあ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Kawasaki ©tsunoken

 

2019年4月18日 (木)

ある晴れた日の一日

 何か暖かい日になって、秋田県でも桜前線がやってきたようで、以前、横手のぼんでんを取材に行ったときに泊まった秋田ビューホテルから来るメルマガも、千秋公園の桜の話題で一杯だ。

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 でまあ、もう桜は終わってしまった東京なんだが、外出に適した季節ってなもんで、勝鬨までやってきた。何で勝鬨なんだっていうと、何で勝鬨なのかは分からないという答えが、私の中から返って来た。

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  そりゃそうだ。べつに何を取材しに勝鬨まで行ったのかは、私自身も分からない。というか、別に何を撮影しに勝鬨まで行ったのかというのも、実は「何にもない」のでありました。

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 要は「いつものそぞろ歩きin東京」ってなもんであります。

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 しかし、この時期の東京の姿っていうのもいいですね。
 街に出ると、まだリクルートスーツを着た新人の女性社員さんたちが多くて、心の中で「頑張ってね!」って言いたくなってしまうのです。
 一方、新人の男性社員はなんでリクルートスーツじゃないんだろう。「バカかこいつら」的な反応をしてしまう私がいて、ちょっとそれには自分自身でも辟易してしまいます。

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 でもまあ、それが「普通の」「何もない日の」「日常」ってなもんです。なにか「ネタ」がないと写真撮影をしちゃいけないのか? とにかく、街をブラブラ歩いて、そこで目についたものを撮影して、なんか意味ありげなキャプションをつけるっていうのが、私の「写真生活」なんですね。

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 まあ、そんな「何もない日の、普通の一日の写真」ってのが、今日の写真です。
 そんな日もあるさ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Harumi & Tomioka ©tsunoken

 

2019年4月17日 (水)

『時間がなくても有名ギャラリーで写真展を開催する方法』

 そりゃあ自分で写真を撮っていれば、撮った写真を他人に、特に不特定多数の人たちに見せたくなるのは道理である。
 まあ、なかには内気な人がいて、自分で撮った写真を自分(かあるいは身内だけで)だけでそっととっておく人もいるのだろうが、普通の人間なら「写真を撮る」でも、「絵を描く」でも、「文章を書く」でも、何らかの表現行為をする人であれば、自分の「作品」を人に見せたくなるのは、ごく普通のことではある。
 私にとって最初に「人見せるための表現行為」は19歳の時に『キネマ旬報』誌に投稿した映画評だった。自分の文章が載った『キネ旬』を書店店頭で手にした時は、周囲にいる人皆が私のことを注目しているんじゃないかとドキドキしたものだ。実際にはそんなことはまったくなくて、周囲の人は私の存在なんかにはまったく気が付かないのだが、なんか、それこそが「自意識」ってものなのかなあ、と後々考えるようになった。
 とにかく、何らかの表現を「作品」として作っている人間は、それを「不特定多数に向かって提示」したくてしょうがないはずなんだ。

2_4『時間がなくても有名ギャラリーで写真展を開催する方法』(永井孝尚著/日本写真企画/2018年11月30日刊)

 写真を撮って、それに適当な文章を添えてひとつの記事に仕立て上げるというのは、実は私がサラリーマンを終える数年前に始めた企画である。書店未来研究会という、K談社が中心になって出来ている組織があって、その事務局を担当していた私は、会員書店を取材し、それを書店未来研究会のサイトに毎週掲載するという企画を通して、それこそ毎週毎週書店訪問をし、店長や店員から取材をして、記事にしていた。
 実は、10年前から始めたこの「tsunokenのブログ」「tsunokenのブログ2」は、この書店未来研究会のサイトに載せていた私の記事の延長線上にあるものだった。 それまで、写真誌などの作品応募には出品していたものの、一度も採用されなかった私としては「こんな媒体があったんだ!」というのは、大いなる発見であり、喜びでもあった。
 というような具合なので、本書の著者、永井氏の言うことにはいちいち納得なのだ。
 しかし、「100円のコーラを1000円で売る方法」(KADOKAWA)の異色の一冊ではある。知らなかったなあ、こんな趣味があったなんて。

『私はプロフェッショナル・サンデー・フォトグラファーに求められる心得として、次の7つを提唱している。

<7つの心得>
第1の心得
写真は 趣味ではなく、ライフワーク・自己表現の手段として考えている
職業的写真家は、否が応でも写真と向き合う日々を過ごしている。一方でプロフェッショナル・サンデー・フォトグラファーは、日々写真に向き合わなくても食っていける。ここが写真を単なる趣味として考えているか、ライフワーク・自己表現手段として考えているのかの分かれ目になる。
第2の心得
数十年という人生の中で、自分だけのテーマを追い続け、撮り続ける
あなたは自分自身の写真テーマを持っているだろうか? それはあなたしか撮れないテーマだろうか? 作品とは個性でありあなたの分身だ。自分だけのテーマを持つことが必要なのだ。
第3の心得
最高の作品を作る道具として機材にはこだわるが、機材には溺れない
最高の作品を作るためには、そのための最高の写真機材が必要だ。しかし写真機材はあくまでも最高の作品を作るための道具であり、手段だ。目的ではない。必要以上に機材にこだわらないバランス感覚も必要だ。
第4の心得
写真技術とは、撮影技術だけではないことを知り、
「偶然の産物」の写真を「必然の産物」に変える
よい写真を、偶然の産物として撮るのがアマチュア。必然の産物として撮れるのがプロフェッショナル・サンデー・フォトグラファーだ。撮影時に全力を挙げればよいのではない。勝負は撮影前の準備段階から始まり、撮影後も続いている。ここで重要なのが、「仮説検証写真術」を中心としたソフト技術だ。
第5の心得
自分の作品に一番厳しい批評家は自分。
作品セレクションが撮影以上に大切と知っている
「あなた」という人間は、あなたの写真作品を通して評価される。その覚悟が求められる。だからこそ自分の作品の最も厳しい批評家は、自分自身であるべきだ。そのためには、撮影後の作品セレクションは、撮影以上に大切である。
第6の心得
作品発表の場を自分で創る
厳しい他人の評価にさらしてこそ、作品は進化していく。あなたがその写真を撮る時、どこでその写真を発表するか、具体的にイメージしているだろうか?
第7の心得
そして何よりも、写真を楽しむ
あなたにとって、写真は楽しみだろうか? 修行だろうか? あるいは義務だろうか? 『論語』に「あることを知っている者、それを好きな者も、楽しんでいる者には及ばない」という言葉がある。プロフェッショナル・サンデー・フォトグラファーは、自分の人生の大切な時間を使って、写真活動をしている。写真も楽しむべきだ。』
 まあ、問題は「第6の心得 作品発表の場を自分で創る」だな。
 永井氏によればその作品発表の場は【ホームページ】【インスタグラム】【写真コンテスト】【写真展(合同展)】【写真展(個展)】【写真集出版】とある。一番ラクチンなのが、この私のブログみたいな【ホームページ】なんだが、「オリジナルプリントと比べると画質も低い」とあるように、例えばこのNIFTYのココログというブログでは、写真一枚の容量が1MB以下という制限がある。なので、当然オリジナルの写真はリサイズしており、また閲覧が楽なように50KB位の大きさでUPしている。当然、画質はオリジナルに比べるとかなり低い。「写真を見せる」っていうことに関してはちょっと残念だが、まあ、もしオリジナルを見たい方がいたら、その旨、ご連絡いただければオリジナルをお届けできるので、それほど問題はないってことでしょうか。
【インスタグラム】はやったことはないが、基本この方法は写真だけを載せるようなスタイルなので、私の表現形式とはかなり異なる。
【写真コンテスト】には何度か応募したことはあるが、一度も選ばれたことはないのが残念。
【写真展(合同展)】は、まあ今年に一回だけやっている会社のOB会が毎年9月に開催している社友会作品展ぐらいかな。どこかの写真クラブにでも入っていれば、その会の合同展はあるかもしれないが、その前に「どこかの写真クラブ」ってのが、なんかカメラ好きのオヤジが群れている感じで気に入らないので、これはなし。
【写真展(個展)】は方法が二つあって、一つは個人でギャラリーにお金を払ってある時期借り切るっていう方法と、もう一つはニコンサロンなどの写真メーカーが主宰するギャラリーに応募するという方法。まあ、前者は一番確実なんだけれども、当然、お金は沢山かかる。後者はかなり敷居が高いのが難点だ。永井氏は「ぜひあなたも個展にチャレンジして欲しい。」というんだが、まあ、難しいでしょうね。
【写真集出版】は一番難しい方法だ。これも自費出版なら可能だが、お金はかなりかかるし、もともとたいした部数の出ない写真集なんかは出版社のお金で出版するなんてことはまず難しいだろう。
 ということで、私は基本的に毎日更新するブログでの写真発表でやっているっていうこと。
 まあ、当面はこれが一番ラクな方法なんですね。
 ってことで、当面、お付き合いのほど……。

3_3『時間がなくても有名ギャラリーで写真展を開催する方法』(永井孝尚著/日本写真企画/2018年11月30日刊)

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2019年4月16日 (火)

今話題(のはずの)の深谷市に行ってきた

 一万円札が渋沢栄一になってさぞかし生誕地の深谷市は大賑わいだろう、なんてことを考えて、東京駅を模して造ったというJR高崎線深谷駅に降り立つ。
 実は「東京駅を模した」というよりは、東京駅を造った煉瓦が深谷で作られた煉瓦だったというので、それならということで深谷駅が改装する時に「東京駅風に」造ったということなのだそうだけれども。

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 で渋沢栄一さんの銅像の前で渋沢栄一生誕の家かなにかに行けるようなバスを探したんだが、見事にないんだなあこれが。
 バスはだいたい熊谷方面へ行く定期バスか、定期観光バスっぽいのが寄居の方に行くのがあるだけで、渋沢栄一関係に行くにはタクシーしかない。そのタクシーが渋沢栄一生家だけじゃなくて、関連施設なんかも行くみたいでそれは余計だし、何よりも1万数千円するっていうだけで、もうそれはオミット。
 以前、国道17号線をクルマで走っていて、渋沢栄一生誕の家があるおおよその場所については知っていたので、いずれにせよ駅のそばじゃないことは分かっていたし、実は深谷駅じゃなくて、次の岡部駅の方が近いっていうのも知っていたので、まあ、実は深谷に行ったっていっても、渋沢栄一の生家に行くことが目的じゃなくて、要は、渋沢栄一効果でどれほど深谷市が盛り上がっているのか、という興味だけで行ってきたってのが実際のところ。

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 で、まあ取り敢えず深谷城址まで行ってきた。
 深谷城は室町時代の中期に深谷上杉房憲が古河公方の侵攻に備えて築城したらしいのだが、こんな平城でどれほどの砦としての効果があったのかは分からない。

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 深谷から西を見れば秩父の山々が見え、一方、東を見れば赤城山が見えるという、山々を遠望しつつ、地形的には荒川と利根川にはさまれた沖積平野にあるのが深谷である。

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 地形的にいっても戦のための砦としての機能があまりなかったのが深谷城だったんだろう。
「深谷城跡」の説明板にも「現在は、深谷上杉氏の祈願社であった富士浅間神社(智形神社)の社殿を巡る池と水路に、往時の姿をとどめるのみである。」と書かれているんだけれども、その神社の水路っていうのが、なんというか幅1メートル位の狭い水路で、とてもじゃないが城の「堀」としては使えないものである。

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 むしろ城外にあるこんな唐沢川なんかの方が天然の要害としての堀として使っていた感じなんだなあ。
 それにしても、なんか長閑な田舎の村っていう感じの町ではありますなあ。

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 まあ、通りを歩けばこんな感じの手作りのポスターがいろいろなお店に貼ってあって、町としては盛り上げようっていうことなのだろうけれども、実際に盛り上がるのは、一万円札が出来た時なんだろうか。

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 しかしまあ、よくこんなド田舎の駅に当時の国鉄高崎線急行電車を停めちゃったもんだなあ、荒船清十郎っていう代議士(当時は運輸大臣)は。まあ、上越新幹線の浦佐駅で有名な田中角栄といい荒船清十郎といい、要は「昭和の利益誘導型の政治家」っていうのが当たり前だったんですね。「安倍・麻生道路の忖度」なんて小さい小さい(って安倍さんは思っているだろうなあ)。
EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Fukaya ©tsunoken

2019年4月15日 (月)

統一地方選、第2弾がスタートしたわけなのだが

 六義園も桜は終わり、テーマも「大名庭園でつつじを楽しむ」に変わったんだが、いよいよ統一地方選も第2弾になり都内の区議会議員選挙戦が始まった。

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 『統一地方選後半戦の東京都区部では、11区長選と20区議選が14日に告示され、21日に投票が行われる。都の区は都民にとって行政サービスを受ける最も身近な「基礎的自治体」だが、区長選と区議選への関心は低く投票率は低迷している。専門家は「少子高齢化が進むなか、税金の使い方が重要になる。区民はもっと区政に関心を持つべきだ」と指摘している。』
 という記事が「日経電子版」4月12日版に出ていた。

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『 2015年の区長選・区議選は、12年に当時の石原慎太郎知事が任期途中で辞任した影響で、都知事選の日程が初めて外れた。その結果、11区長選の平均投票率は44.11%、21区議選の平均投票率は42.81%。11年に比べ区長選は0.4ポイント減で過去2番目の低さ、区議選は0.42ポイント減で過去最低だった。
 21区議選の中で港区は36.02%と最も低かった。国政選挙の投票には行くという港区の女性会社員(25)は「地方選は関心がないので、投票には行かない。港区役所が何をしているのかも知らない」と話す。
 新宿区の男性会社員(36)は「区議選に投票に行っても、どんなメリットがあるのかわからない」。目黒区の女性(26)は「候補が多い地方選は公約を調べるだけで疲れる。政策で自分の実生活がどう変わるのかイメージできない」と語る。
 なぜ区長選や区議選の投票率は低くなるのか。山梨学院大の江藤俊昭教授(地域政治論)は「東京都区部はインフラが整備されて生活しやすいため、ほかの地域と比べても議会や行政への関心が低くなる傾向がある」と指摘。「ただ都区部もこれから高齢化や人口減少の波がやってくる。税金の使い方が一段と重要になり、区民は区政に無関心でいるべきではない」と話している。』(4月12日「日経電子版」より)

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 写真は上から豊島区、千代田区、文京区のそれぞれの選挙ポスター掲示板なのだが、取り敢えず選挙戦初日ということで、各陣営の人たちがポスター掲示をしている最中だった。
 しかし、面白いのは各陣営の後援会なんかでもボス面した人がいて、それらの人たちが大声を上げて貼る場所や貼り方なんかを指示しているのであります。最初はケンカでもしているのかと思ったんだけれどもね。まあ、そんな「選挙好き」の人たちがいるんだなあ。

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  まあいずれにせよ、自分たちの一番身の回りのことを決める市議や区議選である。確かに、国会議員選挙みたいに争点がはっきりしているわけではないし、地方自治というのは国が定めた法律や条例に縛られて、市や区が何をやっているのかわかりにくいという難点はあるのだが、そうは言っても基礎自治体である以上は、自分たちの一番身近な「代議士」を決める選挙である。さらに、区議から都議、国会議員へと上り詰める人も多いわけで、そうならば、今のうちにダメな奴にはダメ出しをしておかなければならない。

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 皆さん。区長・区議選の投票日は4月21日です。 
 4月21日は投票に行こう。そして、健やかに令和元年を迎えましょう。
 って、なんかエラそうなことを言ってしまって、ごめんなさい。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Komagome Kanda & Yurakucho ©tsunoken

 

2019年4月14日 (日)

国道1号線を歩いてみれば……

 最近は東京メトロ南北線で武蔵小山まで行って、そこから西小山方面へ行くか、あるいは戸越銀座方面へいくかするとして、戸越銀座方面へ行く場合に国道1号線を越えるっていうパターンなんだけれども、その国道一号線を歩くことはあまりないのだった。
 地下鉄で西馬込まで行って、周辺とか池上本門寺へ行くというコースは歩いたことがあるし、中原街道は歩いたことがあるけれども、あまり国道一号線はね、っていう感じで、まあ、あまり歩いていて楽しい道ではないのですよ。国道一号線は。
 何にもないし。

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 国道一号線っていうんだけれども、別に昔の東海道とは何の関係もない道です。昔の東海道と並行して走っている道は現在の国道15号線。そちらが第一京浜国道で、何故か国道一号線が第二京浜国道っていう、なんか捻じ曲がった関係があるんですね、この国道に関して言えば。

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 昔、舛田利雄の日活映画で「夜霧の第二国道」っていう、フランク永井のヒット曲をベースにした映画があったんだけれども、実は別にその映画の舞台が第二京浜国道である必要は全くなかったのだ。何となく、「京浜国道」という名前から「横浜」が近いっていうイメージなので、「横浜=外国=密輸入」っていう関連で作品の舞台になっただけなのであった。

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  なあんてことを考えて、今日の写真ブログのキャプションどうしようかな、なんてことを考えていたら、なんと「三間通り」の標識が。あれっ、ここは西大井から来たことがあるなあ。

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 前は京浜東北線の大井町で降りて、「光学通り」というニコンの工場があるところに行く道を通って西大井駅に至り、そこを過ぎて歩いていると三間通りに行ったという記憶がある。 

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 おおっ! 「蛇窪大明神」を祀ってある上神明天祖神社があるのですね。大井町から来た時に見た神社だ。 

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  なあるほどなあ、いろいろ、あちこち、都内を写真を撮りながら歩いているんだけれども、なんともなしに歩いている道が、こうやって繋がっているんだなあ。

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 こうなると、ますます、都内はクルマで動いちゃダメってことになるなあ。
 その辺は、いろいろ、考えさせる問題でもある。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Gotanda Nakanobu & Oi ©tsunoken

2019年4月13日 (土)

東京周縁部を往く:中央防波堤外側埋立処分場

 「東京湾中央防波堤外側処分場」とは、ゴルフ場やキャンプ場がある若洲から東京ゲートブリッジを渡った先にある人工島である。
 東京ゲートブリッジを新木場方面から大井埠頭方面へ渡って右側が、2020東京オリンンピックでボートレース場の場所を福島県と争った「海の森水上競技場」の予定地である。実は、この海の森水上競技場の臨海新都心側が「中央防波堤内側」で、反対側が「中央防波堤外側」なのだ。

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 夢の島(東京湾埋立14号地)、若洲(15号地)などと同じように、東京都民が出す「ごみ」を集積して作った人工島である。勿論、「ごみ」といっても昔みたいにそのまま捨てているわけではない。何らかの処理をして、有機的な廃棄物が出ないようにして埋めているのである。

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  で、中央防波堤内側埋立地は既に完全に埋まってしまっており、現在は中央防波堤の外側のAからEブロックまである地域の、中央防波堤外側処分場(その1)の全部と(その2)の大半、AブロックとBブロックの殆どは既にほとんど埋まってしまっている。

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(その1)地区は完全に埋立を終了して、現在がコンテナヤードになっている。(その2)地区はまだ埋立は完全に終わっているわけではないが、一部はコンテナ置き場になっていて、一番上の写真に遠望できるような「東京都のイチョウマーク」や「見晴らし広場」なんかがあるようなのだが、一般の人間は入ることが出来ない。

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  中央防波堤内側・外側の予定図を見てみると、あと何十年かでこの両処分場も一杯になってしまいそうだ。

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 まあ、それまで生きているわけではない私としてはあまり気にはならないのだが、少し気になる。その後はどうするんだろう。

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 その時はその時で、更に海側に埋立地を延ばせばいいのか。 

NIKON Df AF NIKKOR 35mm f2 D @The Out of Central Breakwater Landfill, Koto ©tsunoken

 

2019年4月12日 (金)

「つつじ祭り」はちょっと早いかな

 4月7日に巣鴨などで「桜まつり」が開催されたのだけれども、実はそれとダブる感じで、根津神社の「つつじ祭り」が4月6日から始まっていたんですね。

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 まあ、それは毎年のことなんだけれども、いつも感じるのは「桜まつりから早いうちに、皆が花のお祭りを忘れないうちにやっちゃおう」ってな感じで、根津神社では「つつじ祭り」を始めちゃうのではないだろうか、と考えているんだが、どうなんだろう。

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  だって、「桜まつり」に関してはソメイヨシノの開花っていうのは、その年の天候などに左右されて、かなり前後するんだけれども、ツツジはかなり安定していて、大体5月の初めころに最盛期を迎えて、その後かなり続くということになっているんだ。
 なので、既に「つつじ祭り」が開始している昨日行ってみたんだが、やっぱりというか、当然、まだまだツツジの開花には早くて、早咲きの数株が開花しているだけだった。

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 基本的に「花の写真」というものには興味がない私としては、「なんで、根津神社はそんなにつつじ祭りを早くに始めたいんだろう」という疑問を毎年感じるだけで、それ以上、つつじ祭りに付き合う気持ちはないっていうだけのことだけだ。
「花の写真」が大好きな人たちにとっても、ちょっと早すぎるんじゃないでしょうかね。 

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 ということで、後はツツジが本当に沢山開花した時に来ればいいや、ってなもんで根津神社は後にして、本駒込へと帰って行ったのだった。

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 まあ、だからといって特別なんの思い入れもないのは当たり前、要は、日本医大付属病院から家へ帰って来ただけなのでね。 

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 でも、そのほうが面白い写真が撮れるっていう不思議。
 まあ、写真っていうのは、計画していた考え方が常に裏切られるっていうのが、面白いところなんだけれどもね。

RICHO GR DIGITAL Ⅲ @Senndagi & Hon Komagome ©tsunoken 

2019年4月11日 (木)

田町駅東口の変貌

 浜松町とか田町っていうと、実はほとんどが西口で、特に田町駅の東口の方にまで興味が行くのは、まあ、ちょっとした理由があった時だけだった。
 まあ、特に田町駅東口なんていったら、駅の脇に東京工業大学の付属高校があって、駅のそばにタワービルディングがあって、その中に博報堂本社が一時期あったんですね。まあ、アニメーション映画「AKIRA」のいろいろな後処理なんかがあって、何度か足を運んだことがある。
 その当時の田町駅東口は、西口に比べてもうどうしようもないほどの「田舎の駅」だった。要は「都会の真ん中であるのだけれども、働いている人たちは、田舎から出てきた肉体労働者たちの街」っていうイメージだったんですよね。
 それがだいぶ様相が変わったのは最近のことではないだろうか。
 駅前には大きなオフィスビルが出来て、ちょっと先には愛育病院が麻布から移ってきた。

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 でも、基本的に、この地域「港区海岸」は、名前の通りの海岸地域だし、海岸っていうことは、同時に運河の街でもあるんですね。 

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 まあ、それがどうってことはないのだけれども、でもその周囲はあんまり土地柄っていうものを考慮した開発とは思えないんだなあ。

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 基本的には他の湾岸地域と同じようなタワーマンション開発であり、同時に、港区としてはそうした動きに対応するように小学校なんかを作っているようなんだが、でも、この子たちが港区の公立中学校などに行くのかなあ。なんか、みんな私立に行っちゃうような気が……。

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 まあ、街の雰囲気としては、まあ、昔とあまり変わっていない、ある意味での「東京周縁部」ではあるのだが……、そこに住んでいる人たちはそれを求めようとしていないというか……。

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 でもさ、港区だって言ったって、湾岸は所詮「場末」だったんですよ。

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 う~ん、「芝浦食堂 東京都港湾労働者第三宿泊所」なんていう建物が、なんか「遺構」みたいに思えてきた。。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER UTRLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kaigan Minato ©tsunoken

 

2019年4月10日 (水)

東京周縁部を往く:葛西・浦安・妙見島

 江戸川区東葛西と千葉県浦安市を結ぶ浦安橋という橋がある。地下鉄東西線からも、葛西駅から浦安駅へ至る旧江戸川を渡るときに進行方向左側に見える橋だ。
 その浦安橋の途中から上陸することが出来る島が妙見島。もともと、旧江戸川の中州だったところを護岸工事を行って島として固定化した、東京23区(所属は江戸川区)で唯一の自然島である。お台場みたいな人工島ではない。しかし、自然島ではあるけれども、見た目はほとんど人工島。というかあの有名な人工島、軍艦島の趣きすらある島である。

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  勿論、本当の軍艦島じゃないので、こんなところに炭鉱がある訳じゃない。ただし、軍艦島という異名の通り、島の中はほとんどが工場とか資材置き場になっている。ウィークデイにはそんなこともないのだろうが、休日に来てみるとほとんど道を歩く人はいない。

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 とは言うものの、島の奥のほうまで行くと、島の名を冠した「妙見神社」がある。ただし、由緒書きなどは何もないので、この神社がいつどうできたのかは全く分からない。とは言うものの、中洲の頃にはそんな神社もあるはずも無く、護岸工事をして「島」として定着してからのことなんだろう。
 中州が島として定着したのは15世紀頃のようだが、工場などが出来始めたのは明治に入ってからのことなので、妙見神社が出来たのも、多分明治の頃のことなのだろう。

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  工場ばかりなのかと思って歩いていると、「ニューポート江戸川 ニューポート・マリーナクラブ」というヤマハ系列のハーバーがあって、そこにはマリーナレストラントリムなんていう、ちょっとこの周囲の雰囲気にはそぐわないお洒落なレストランがあったりする。

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 ニューポート・マリーナの隣には建設会社の独身寮のようなアパートがある。工場ばっかりだと思っていた妙見島にこんな住宅があるとは思わなかった。しかし、ここに住んでいる人たちって、結局は橋を渡って浦安方面にでも行かないと、食事やら買い物はできないわけで、それはそれで暮らしにくいだろうなあ。まあ、独身じゃなかったら住めませんね。

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 で、もっとビックリしたのがこれ。いやあ、こんなところにラブホテルがあるなんて、予想もしなかった。

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  いったい、誰が来るんだろう。

ESPON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Kasai ©tsunoken

2019年4月 9日 (火)

六本木在日米軍基地っていうのが、今でもあるんだよ

 地下鉄六本木駅を降りて六本木ミッドタウン西の交差点を南へ行くと国立新美術館や国立政策研究大学院大学なんかがある。昔はこの交差点は竜土町交差点といって、六本木の通がいく、まあ裏六本木というか裏麻布というような、隠れた飲食街があった場所だ。私がよく通っていたバーなんかもこの辺に幾つかあった。
 現在は国立新美術館なんかがあるんだが、その昔は、基本的には米軍施設があったりして、あまり普通の人たちは行く場所ではなかった。なので、この辺はまあ「裏六本木」なんて言われていたりしたんですね。
 でも、その「裏六本木」に昔から、というか日本がアメリカに敗戦した後からずっとあって、今でも変わっていない場所がある。
 それが「六本木在日米軍基地」なのである。
「えっ? あの、六本木に米軍基地があるの?」と若い人たちは思うかもしれないけれども、ちゃんとGoogle Mapにも「六本木在日米軍基地」で掲載されています。

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 現在、その六本木在日米軍基地のメインオフィスは星条旗新聞(Stars and Stripes)社というアメリカ国防省が発行する新聞社のオフィスがある。「Stars and Stripes」は国防省からは独立した編集権を確立しているらしいが、やっぱりアメリカの国防省が発行する新聞なんで、「The New York Times」や「The Whashington Post」なんかとは、まったく路線の違う記事にはなったりするわけです。まあ、日本のスポーツ新聞にのっているオピニオン記事みたいなものかな。当然、政治的には「大本営発表」です。

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 んでその星条旗新聞オフィスビルの裏にこんな感じで米軍の大型ヘリコプターが降りてきたりするわけなんですね。すんげえ爆音。
 それが、六本木在日米軍基地の証拠。表向きは星条旗新聞社だとか、赤坂プレスセンターとかになっているわけですけれども、要は米軍基地なんですね。今でも……。
 そんな象徴が下二枚の写真。

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 日本人が入っちゃいけない場所が、それこそ東京のど真ん中にあるということ。

 そのヘリは、横田とかの米空軍基地から降りたアメリカの政府要人とか、米軍のお偉いさんたちが首都中心にある六本木まで日本の民間航空機が通っちゃいけない「横田エリア」をヘリで飛んできて、最短時間で首都中央まで来てお仕事をするために飛んでいるわけです。来月、来日するトランプ大統領もこのルートだろうな。
 もう堂々たるもんですね。さすが戦勝国。
 東京都や港区が返還を求めても、何吹く風のアメリカ軍なんですね。
 なんっつったって、以前は六本木在日米軍基地の目の前が、現在の六本木ミッドタウン、旧防衛省だったんだから、何をかいわんや。

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 まあ「戦争に敗けるってことはこういうことなんだ」っていうことを、日本人に心からしみこませるためにはこういう「遺跡」を残していく必要はあるんだろうけれども、どうも最近の日本人は「日本は敗戦で多くの物をアメリカに取られてしまった」ということに意識が向かわなくなっている、っていうか「日本がアメリカに敗けた」っていうことすらを知らなくなってしまった日本人が多くなってきてしまったんじゃないだろうか。
 もうちょっと、現代史をちゃんと見ましょうね。
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2019年4月 8日 (月)

青物横丁はなぜ青物横丁なのかというお話

 京浜急行の駅に「青物横丁」という駅がある。
 当然そこは、北品川から鮫洲辺りまで続く、東海道品川宿の一部なんだけれども、なぜここだけが「青物横丁」と呼ばれているのか。

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  いろいろ資料を調べてみると……
『「青物横丁」は、江戸時代にこの地に農民が野菜(青物)を持ち寄って市場を開いたことに由来します。
江戸時代、東海道五十三次の一番宿として旅人に親しまれていた品川宿。品川は、大井・大森・蒲田と共に、半農半漁で栄えてきた村落で、収穫された野菜は農民が自分で持ち寄って取引していました。
それが市場として発展し、「青物横丁」と呼ばれるようになりました。』
 とあるんだが、それこそ「市場跡の碑」のようなものがあってもおかしくはないはずなんだけれども、そんなものはない。

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 駅周辺の旧東海道は「青物横丁商店街」という名称なんだが、「青物横丁」と名づけられたものはそれしかない。

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 したがって、「青物横丁」を歩いている人も、そこは「青物横丁」ではなくて「旧東海道」なんだという認識しかない。

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 なんかせっかく「青物横丁」という名前の商店街があって、駅名にも「青物横丁」という名前がついているんだから、品川区教育委員会辺りが調べて「青物横丁跡」という碑でも作ってくれればいいのにね。

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 文京区には本駒込1丁目に「駒込土物店跡」という場所があって、碑も建っている。
 そこだって、元々は近隣の農家が自分のところの作物を持ってきて、一休みした場所なんだけれども、その一休みをした場所で作物の売り買いをしたことが、駒込のヤッチャバとして後の駒込市場になったのである。

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 東海道というロケーションの良さもあるし、訪れる人も多い場所なので、それこそその市場がどこにあったのかを調べてほしいもんだんなあ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HLIAR 12mm f5.6 @Minami Shinagawa & Kita Shinagawa ©tsunoken

2019年4月 7日 (日)

文京区:坂のある風景

 東京の地形は、基本的に多摩丘陵の大地と、沖積平野の二つから出来ている。多摩丘陵の東のはずれにあるのが、東京の山の手地区であり、そこに流れている川が深い谷を形作っているのが特徴で、その低地に下町が形作られている。そのうち、下町地区は次第に沖積平野の方にまで伸びてきて、江戸の下町は広大な地域になってきた。

 そんなわけで、東京の街、特に山の手地区を象徴するのが「急峻な坂道」なのである。
 東京23区で一番坂が多いのが港区で118ヵ所、二番目が文京区で117ヵ所という数字があるんだが、それはあくまでも「名前がついている坂」の話。
 ということで、これからは東京にある「名前のない坂」を紹介していこうと考える。
 ま、それを知ったからって、何の意味もないですけれどもね。

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 で、今日紹介するのは不忍通りと音羽通りの交差点、護国寺前を少し目白方面へ進んで左側にある名もなき坂道。昔の青柳町から目白台へ上がっていく坂道なのであります。

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 本当に狭い坂道で、当然、クルマは一方通行。というか、クルマで上がっていく人もほとんどいない坂道なのである。一番上の写真にある階段道は、その坂道の途中までショートカットして上がる階段。

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 その、狭い狭い道を上がった先にあるのがお稲荷様。すぐ隣が筑波大学附属視覚特別支援学校。
 別名「腰掛稲荷」と呼ばれているお稲荷様なのであります。何故、「腰掛稲荷」なのかといえば……。
『三代将軍徳川家光公鷹狩りの折この地にご休息され、切株に腰を掛けられ、傍の小祠を拝して立ち去られた。後年、里人集まり、この伝来を世に伝えんと近隣住民力を合せて社殿を建立し、鳥居を築き、腰掛稲荷と称し、さらに篤く崇敬した。』というのが、その由緒。

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 それで、その腰掛稲荷の宮司が実は元講談社の社員だったっていう話。
 早稲田大学を出て『週刊現代』なんかの編集者をやっていたんだが、定年で退職してから國學院大學へ入学して神職の資格を取って、実家の家業であった腰掛稲荷の宮司になったっていう人。
 実はその時初めて知ったんだが、神社の神職になるためには國學院大學か皇學館大學の神職過程を卒業しないとだめだっていうこと。なので、神主さんは日本中どこの神社に行っても國學院大學か皇學館大学の同窓生がいるので、その関係で、日本中どこに行っても神社に泊まればタダで宿泊できるということだった。なるほどなあ。

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 あ、上の話とは何の関係もないのだが、昨日、RICHO GR用の皮ケースが届いたので、今日の写真はその皮ケースでもって持ち出した、これまでは接写で本の表紙を撮るぐらいしか使い道がなかったRICHO GR DIGITAL Ⅲを、この日は街の撮影に使ってみた。

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 まあ、相変わらずシャッターボタンを押してから、実際にシャッタが下りるまでのタイムラグが気にはなるけれども、使えないわけではない。たまには街撮りでも使ってみようかな。
RICHO GR DIGITAL Ⅲ GRLENS 6.0mm(35mm換算 28mm) f1.9 @Mejirodai ©tsunoken

 

 

2019年4月 6日 (土)

横浜・ガソリンスタンド発祥の地

 昨日行ったのは横浜駅東口前にある「日本ガソリンスタンド発祥の地」。
 場所は簡単。横浜駅東口を出て、駅前にある崎陽軒本店の前を通り過ぎてヨコハマプラザホテル(現在は閉業)の前にあるのだ。

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「日本ガソリンスタンド発祥の地」という碑があって……
「日本ガソリンスタンド
  発祥の地
     エッソスタンダート株式会社 取締役社長 八城政基氏記
   昭和49年9月19日
    横浜米油株式会社
      社主 熊澤定吉建之」という標記が読める。

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 じゃあ、本当にここが「日本ガソリンスタンド発祥の地」なのかといえば、どうもそうではないらしい。
『記念碑は、日本ではじめてのガソリンスタンドがあった場所、という意味での「日本ガソリンスタンド発祥の地」というわけではないようだ。しかし、「輸入した灯油をいったん溜めて、そこから販売する」という、現在のガソリンスタンド業務のようなことをしていた横浜油槽所があった一画であったと考えられる。』という記述が、ある人のサイトにあった。

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 まあ現在言うところのいわゆる「ガソリンスタンド」というものではなくて、「輸入灯油販売所」だったらしいんですね。

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 とは言うものの、やはり日本開国の地、横浜らしい遺構じゃないだろうか。昔は自動車なんてなかった日本なんだから、明かりや船のエンジンのための灯油販売っていうのが、まあ「最初のガソリンスタンド」っていうことなんでしょうね。

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  でもまあ、色々なもので「日本最初の……」ってのがある横浜である。日本で最初のガソリンスタンドが横浜にある、ってのもなんかそれらしくイメージされてしまうってのも、まあ、不思議じゃないなあ。

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『「日本ガソリンスタンド発祥の地」っていう碑が横浜にあるよ』ってな情報に安易に飛びついた私も私だが、まあ、別のそれがあってもおかしくはない場所なので、それはそれでいいか……、ってなものですかね。
EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Yokohama ©tsunoken

 

2019年4月 5日 (金)

六義園じゃなくて、大和郷幼稚園に行った

 なんとかブログも旧に復して、以前のように「640pixel x 426pixel」の画像をそのまま掲載できるようになったようなので、前と同じ画質で載せていきます。
 4月2日はK談社のOB会のレクリェーション部会の花見があって、旧古河庭園、六義園っていうコースということで、私のホームエリアなので、私が案内人ということになってしまった。

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 しかしまあね、定番の花見コースを回ったって、それは出版社のOB会の花見じゃないでしょう、ってことで今回は特別に「大和郷」というものに焦点を絞った花見コースを設定したのでした。

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 ということで、現在「大和郷」の象徴的存在である「大和郷幼稚園」へ行ったのだった。
 ところで、「大和郷」ってなんだ?
「大和郷」というのは、三菱三代目の岩崎久弥が日本で最初の分譲地として造った住宅街のことで、同時にそれの自治組織である大和郷会のことでもある。
 岩崎久弥は大正10年(1921年)に、初代岩崎弥之助が手に入れた本郷・駒込・染井あたりの広大な土地の一部、六義園周辺の土地を住宅地として分譲した。渋沢栄一・秀雄親子が田園都市株式会社を作って田園調布を分譲したのに二年先駆けてのことであった。
 当初は三菱の重役や政治家たちが購入・居住した、今でいうならば「セレブの街」だったようだ。で、そこの自治組織が「大和村」というものだったが、内務省から「行政区域でもないのに『村』はけしからん」といわれたので「大和郷」という字をあてたらしい。初代の大和郷会名誉郷長が若槻禮次郎だというのも、如何にも当時の大和郷をイメージさせるものではある。
 当初、大和郷は「公益社団法人大和郷会」という名称で、その法人が文京区では町内会の役割も負っていたということで、これまた珍しい「法人が町内会の役割も持っている」という存在でありました。

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 その公益社団法人大和郷会が持っていたのが、これまた珍しい大和郷幼稚園だったのである。大和郷幼稚園の設立は、大和郷に住む人たちの子弟を通わせるために昭和4年(1929年)に設立された。
 四谷にある雙葉幼稚園に行く前の一年間、美智子皇后(当時は正田美智子)が通ったことでも有名である。
 現在は2008年の公益法人制度改革の関係で、一般社団法人大和郷会と学校法人大和郷幼稚園にタテマエ上では分かれてしまったが、実質的にはいまでも一般社団法人大和郷会の理事が学校法人大和郷幼稚園の理事を兼ねているということで、昔からの関係は変わっていない。つまり、法人化された町会が幼稚園を持っているという、全国的にも多分ここにしかない形の幼稚園経営なのである。

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 当日は副理事長の伊東久信氏の説明でいろいろ話を伺ったのだが、私も知らないことが沢山出て来て面白かった。

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 問題は、「大和郷会」の子弟を通わせるための幼稚園だったのだけれども、現在、大和郷会の会員の子弟は、全幼稚園生の1割程度だということだそうだ。現在は、別に大和郷会の子弟にはこだわっていなくて、電車、バス等で通える人は受け入れているのだが、やっぱり問題は文京区本駒込っていう場所の土地代の高さとか、いろいろな問題があるんだろうなあ。

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 大和郷会の会員自体も減ってきて、あとは如何にして大和郷会エリアにあるマンションの住民を取り込むかとか、新規に大和郷に移住してくる人たちを会員にするための施策とかやっているようだが、いろいろあって、結構難しいらしい。
 まあ、その辺の問題は別として、普通の「お花見会」ではなかったことでは、参加した皆さん、面白かったでしょうか。
 EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 & NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Nihigahara & Hon Komagome ©tsunoken

 

2019年4月 4日 (木)

「甦ったブランド GR。」

 これまで「1日1ブログ」を標榜してきたにも関わらず、昨日はお休みをしてしまった。何故、お休みをしたのかはいずれ書きます。

 4年ぶりにモデルチェンジしたRICHO GRⅢの特集が出ていたので、普段買わない「モノマガジン」を買ってしまった。「モノ」にこだわりがない私としてはあまり買うことのない雑誌なのだが……。

Richo-gr『モノマガジン 2019年4月16日号 No.824』(株式会社ワールドフォトプレス)

 初代フィルム・コンパクトカメラGR1が出たのが1996年10月のこと。その後、GRシリーズはGR10、GR1s(1998年)、28mmから21mmに換装したGR21、GR1vと変化してきたのが、2005年にデジタル化したGR DIGITAL、GR DIGITAL Ⅱ、GR DOGITAL Ⅲ、GR DIGITAL Ⅳと進化してきた。2013年になってAPS-Cサイズの撮像素子になってからはGRとDIGITAL表記がなくなって、2015年にGR Ⅱとなって、今回GR Ⅲとなったわけだ。

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 その間、リコーは一貫してコンパクトカメラだけに自らのカメラメーカーとしての生きる道を見つけてきて、昔はコンパクトカメラから一眼レフまで作っていたのだが、カメラがデジタル化してからは、自らのブランドとしてはコンパクトカメラのみで、一眼レフはPENTAXを買い取って、そのブランドで作っている。
『1936年2月6日に、理化学研究所で開発された「理研陽画感光紙」の製造及び販売の目的で理化学興業から独立して「理研感光紙株式会社」として設立された。創業者は市村清である。翌年3月に社名を「理研光学工業株式会社」に改めた。戦後、理研コンツェルンの解体を経て(理研グループ参照)、1963年に現社名となった。』(Wikipedia)とあるので、なるほど元々リコーはカメラメーカーっていうよりは、感光紙のメーカーだったわけで、ニコンやキャノン、オリンパスなどとは異なった生き方をしてきたカメラメーカーではあったということが分かる。

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 「GRの生き字引写真家(前編)チョートクの『スナップ写真(キャンディッド・フォトグラフィー)概論』『GRの生き字引写真家(後編)チョートクとGRの蜜月関係』という2本のエッセイが掲載されているのが気に入って買ったんだが、なるほど田中長徳氏とリコーの関係はそうなっていたのか。

Dsc_00062 私のGRD Ⅲ

 キャンディッド・フォトグラフィーとかスナップ写真の基本といわれているものがある。
1.被写体に近づこう
2.人々の顔を撮影しよう(背後から撮影しないこと)
3.ストーリーを語ることに焦点を当てよう
4.撮影許可を求めないこと
5.広角で撮影すること
6.ホームレスの人やストリートパフォーマーの写真は撮影しないこと
7.角度を付けることを試みること
8.偉大な写真家の仕事を学ぶこと
 というものなんだが、まあ、そんな撮影の時にはこんなコンパクトカメラというのは一番適しているということなのだろう。
 リコーGRD用の皮ケースがもうすぐ来るので、私も久々にGRDでスナップ写真を撮りに行こうかな。
 いずれにせよ、田中長徳氏の二つのエッセイだけでも読む価値がある。

2_2 『モノマガジン 2019年4月16日号 No.824』(株式会社ワールドフォトプレス)

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2019年4月 2日 (火)

「令和」かあ

 結局「令和」っていう年号になるのか。まあ、「安晋」よりはマシってところだろうか。
 あ、安晋は単なる私の悪い冗談だったんだけれどもね。
 それにしても、中国の古典じゃなくて、日本の古典に原典を求める辺りは国家主義者の安倍晋三氏らしいってところかもしれない。
 ただし、「于時初春令月氣淑風和梅披鏡前之粉」って、結局は漢文なんですね。たしかに、万葉集は日本の古典だけれども、歌の前文は漢文ってところがちょっと惜しい。

Photo_3 ©Nikkei Shinbun

 しかし、結局、ほぼ一日中テレビの前に釘付けになってしまい、バカ騒ぎに付き合う羽目となったのは、まあ、私が暇だったからなのでしょうか。

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 午前中は外出したんだけれども、4月1日は新入社員の入社式なんかもあったらしく、特別街は普段と変わらない様子ではありました。まあ、テレビだけがバカ騒ぎを数日前から繰り返し、昨日もその延長線上で大騒ぎしていただけってことなんだけれども、結局、11時以降はそれに付き合っちゃったなあ。
 午後からは、雨が降るなんて天気予報に騙されて、結局外出できず。

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 あとは4月2日の社友会の準備で一日終わってしまった。
 まあ、新年度早々、超ウスいブログですいません。なにも書くことはありませなんだ。

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 取り敢えず写真だけでも見てください。
EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Otowa Otsuka & Hon Komagome ©tsunoken

 

2019年4月 1日 (月)

今日は「平成最後のエイプリルフール」ってか?

「平成最後の」という巻頭句をつければ何でも意味ありげになってしまう、というひそみに倣っただけなので、別に意味はありません。
 しかし、なんでもかんでも「平成最後の」という巻頭句をつけるという風潮はいかがなものか……、なんて言って自分で使ってれば世話ないか。

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 でもねえ、今日の11時30分から発表される新元号が「安晋」なんて言葉になったとしたら、それこそエイプリルフールどころの話ではない。話ではないが、いかにもそんな「忖度」をするような輩がいるような昨今ではあります。まあ、いないと思うけれども、どうせいても首相に上げる段階で落とされちゃうよね、そんな案。
 なんか言ったりして、実は安倍首相自身がそれを本当は望んでいたりして……(ウフフ)。
 一昨日のテレビでもそんな予想をするタレントがいたりしてねえ。まあ、そうなりゃそうなったで面白いことになるとは思うけれどもねえ。

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 それはさておき、春なので桜というのは如何にも日本人らしくて、なんか腹が立ってきてしまうのだが、でも、やっぱり「桜写真」を撮りに行ってしまうんですね。バカみたい。

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 で、いつもはモノクロ写真しか撮らないはずのエプソンでもってカラー写真を撮っちゃうんですねえ。これまた、バカみたい。

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 で、桜写真なら上野でしょう、ということで生まれて初めてお花見時期の上野公園へ出かけてみたんですね。いやあ、考えてみれば東京に生まれて61年、上野の桜を見に行ったのは初めてだったんです。不思議だなあ。
 行って見ればいや凄いのなんのって、上野公園の「さくら通り」は浅草観音様の仲見世状態。もう歩きたくても歩けない、流れに乗ってゆっくり歩くしかない。かと言ってのんびり桜なんかを見ていると後ろからどつかれてしまいかねず、なんか写真も撮りづらいなあ。ホント、バカですね。
 で、まあお約束のお酒を呑み過ぎて倒れてしまい、心臓マッサージなんかを受けている人がいれば、「火事と喧嘩は江戸の華」とばかり、酔っぱらって喧嘩をする輩なんかがいて、まあ、上野も騒々しいことで……。

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 ってなことで、早々に上野は後にして我が家の前の六義園へ行ってきました。年間パスを持っているので、最近は毎日、家から駒込駅の行き帰りは正門⇔染井門というコースを歩いています。ライトアップの時期だけは染井門を普段の日も開けています。でも、みんな駒込駅前にある染井門から入ろうとするので、染井門前は延々長蛇の列。正門から入れば、枝垂れ桜もすぐそばだし、行列にもなっていません。
 で、年に一回だけの「桜写真」をお楽しみください。
 普段は花の写真は撮らないんだけどもね。

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 では、心して11時30分を待ちましょう。
EPSON Rd1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Komagome & Ueno ©tsunoken

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