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2019年3月30日 (土)

久々の都写美は「写真の起源」

 これまで石原慎太郎氏が都知事をやっていた頃は、「石原都政唯一の善政」といっていた、東京都写真美術館に久々に行ってきた。小池都政になってこの言葉は使えなくなってしまったんだが、じゃあ、果たして小池都政時代の「善政」って何なのだろう。

Dsc_00072

 写真というものは、カメラとフィルムという工業製品がすべての元になっている関係から、我々は写真の歴史というと、ライカやカール・ツァイスのドイツ、コダックのアメリカ、ニコンやキャノンの日本などの産業面から考える習慣がついてしまっている。
 しかし、写真の歴史をダゲレオタイプの時代まで遡ってみれば、そこにはイギリス人のトーマス・ウェッジウッドや、ニセフォール・ニエプスというフランス人の存在を無視することはできないわけで、そういう意味では「写真の起源 英国」というタイトルは間違ってはいない。

Dsc_00152

そうした「写真先進国」が、しかし、「写真機」になってしまうとあまりその存在がクローズアップされてこなくなるのは何故なんだろう。勿論、イギリスやフランスでもカメラを作ってはいたんだが、現代にいたるまでの評価を得ているカメラは残念ながらないのである。

Dsc_00052『「自然の鉛筆」を持つニコラス・ヘネマン』1846年 ©William Henry Fox Talbot

 社会の発展を重工業の方に偏って成し遂げようとしたイギリスという国のことは了解している。しかし、必ずしも重工業偏重ではなかったフランスでライカ・コピーのフォカなどを除けばカメラの「銘機」というものがなかったのは不思議なことなのである。

Dsc_00192

 まあ、「写真の歴史」をその芸術面(う~ん、いやな言葉だなあ)から見るのか、あるいは写真機工業(この方がしっくりする)の方面から見るのかの違いなんだけれども、やはり「写真は芸術ではない」と考える私としては、やっぱり「写真の歴史は、写真工業の歴史だ」と見る方が正しいと思えてくるのだ。

Greatbritain13

 結局、イギリスの最初期の写真っていうものは、残念ながら「写真の歴史」的には注目するものはあるのだが、残念ながら表現的には見るべきものはないという事実がそれを物語っている。
 まあ、露出時間が数十秒もかかるような写真の時代に、「時間芸術」であり「瞬間芸術」である、現代写真のような表現を求めること自体に無理があるというものなのか。
 しかし、相変わらずの「写真撮影禁止」っていう東京都写真美術館の方針はどうにかならないものか。別に接写をしているわけでもないのに。

東京都写真美術館「写真の起源 英国」は5月6日まで、公式サイトはコチラ

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Yebisu ©tsunoken 

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