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2019年3月20日 (水)

江戸の範囲

「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」というのは有名な川柳なんだが、じゃあ本郷三丁目の交差点からちょっと行った東大本郷キャンパス、つまり加賀前田藩上屋敷は江戸じゃなかったのか? なんて疑問もわいてくるんだが……

Epsn00223

 まあ、考えてみれば加賀前田藩というのは確かに大藩ではあるが、所詮は外様。

 松平とか普代の大大名の上屋敷は江戸におくが、外様は江戸府中からは外にいなさい、というのが徳川幕府の考え方なんだろう。実際には本郷三丁目辺りは江戸府中と同じ位の江戸城への近さなので、実はそれなりに前田藩には気を使っている、っていうことなのかも知れない。

Epsn00072_1

 じゃあ本当の江戸の範囲ってどこまでなんだろう、と気になって調べてみたら文政元年(1818年)に徳川幕府が作った「江戸朱引図」というのがあった。朱色の線が江戸の範囲で、黒い線が江戸町奉行の管轄範囲、ということなので黒線から外は奉行の手も伸びない田舎ということになり、ここでは外す。

Photo_1

 1818年というから明治元年の50年前っていうわけで、江戸時代としては末期に近い時代。つまり、江戸という街はほぼ完成しているっていうところなんだろう。

 この朱引図によれば、江戸の東端はほぼ富岡八幡宮から両国を通って南千住辺りで隅田川に至る線。北側が吉原、道灌山、飛鳥山あたり。西が高田馬場、渋谷、目黒不動といったところ。つまり、現在、山手線が走っている範囲に東側に隅田川以東の下町を加えた範囲、ということになる。

Epsn00512_1

「かねやすまでは 江戸のうち」というコピーができたのが1730年享保の大火事の後なので、それから80年ほどで、江戸は凄い勢いで拡張してきたことがわかる。

Epsn00412_1

 まあ、その拡張のスピードは衰えることなく、現在まで続いているんだなあ。

 ということを昨日発表された2019年公示地価を見ながら考えている。

EPSON R-D1s LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 / LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Hongo & Kanda ©tsunoken

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