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2019年3月

2019年3月31日 (日)

『死ぬこと以外かすり傷』元気な編集者がいるもんだ

 いやあ、元気な編集者が現れたもんだ。
 こういう編集者ばっかりになれば、出版業界ももうちょっと明るい未来が開けているってもんだ。ただし、そのためには「出版業界」が「メディア業界」にならなければいけないんだけれども、その意味が分かる編集者がどれだけいるんだろう。
2『死ぬこと以外かすり傷』(箕輪厚介著/マガジンハウス/2018年8月28日)
 実はこのことが基本なんだ。
『すると今度は、僕は編集者というよりもプロデューサーに近いかもしれないと考え、「月5万円であなたの商品をプロデュースします」とツイッターに書き込んだ。一件でも来たらいいと思っていたけれど、何十件もの問い合わせが来た。全部は受けられないから単価を上げていった。今では1時間 50 万円になっている。ついには埼玉に住んでいたときと比べて月収は 20 倍近く上がった。』
『都合のいいことに会社員はノーリスクでギャンブルができる。会社の金と人とインフラを使い、ビッグプロジェクトにフルスイングできる。たとえ失敗しても自分の財産は1円も奪われない。サラリーマンもまたエキサイティングで最強な仕事なのだ。』
『なぜ僕が幻冬舎を辞めないのか。会社組織は人材と資金とインフラを抱えている。東京都心の一等地に構えるビルで、デスクや会議室をタダで使える。パソコンやコピー代、タクシー代、バイク便代、切手代も会社が出してくれる。外で著者と打ち合わせするときには、飲み代だって領収書を切れる。新刊を出せば営業部が全国の書店を回ってくれる。デザイン部と広告を作り新聞広告を打つことができる。これだって何百万もかかる。もしフリーランスだったら、これらの費用を自らのリスクで背負わなければならない。
 会社員であるメリットはほかにもある。僕が本を作ったあと、書店に一斉に本が並ぶ。幻冬舎が築き上げてきた実績と信頼があるからできることだ。
 さらにサラリーマンはノーリスクのギャンブルができる。成功するか分からないビジネスに会社の金を張れる。新しく出す本。ましてやネット企業との提携など当たるか外れるかやってみないと分からない。』
『多くの人は「スピード相場」というものの洗脳にかかっている。
 本は6か月。デザインは1週間。会議は1時間。長い間そうやってきたという理由だけで踏襲されている「スピード相場」だ。
 僕は本は3か月で作り、デザインも2日くらいでお願いし、会議は立ち話にする。  メールの時候の挨拶なんか、なんの意味もない。年賀状も同様だ。しかし、暇な人間は思考停止したまま慣習を踏襲する。本当に忙しくすれば、無駄なことはどんどん切り捨てざるを得なくなる。本質的な仕事だけが残っていく。次第に生産性が上がっていく。』
「編集者=プロデューサー」論というものは私も考えていたことがある。
 ただし、それは小説などではあまりないことであり、多くは新書などの「編集者が企画する本」というジャンルでのことだ。
 勿論、小説などの創作ジャンルでは少し違う様相を見せていて、その代わり『百万回生きたねこ』みたいに、1977年に初版が出た本が、既に100刷以上、200万部を超える大ベストセラーになっている本もあって、それはそれで編集者冥利・著者冥利に富んだ作品なんかもあるが、ほとんどの本はそんな重版もかからずに、初版だけで終わってしまう本はあまりにも多い。
 そんなわけで、私は新書を好んで読んでおり、このブログで紹介する本も新書が多い、というのも編集者がかかわる部分が多いというのがその理由なのだ。
 たまたま、プロデューサー的に本にかかわってきた箕輪氏であり、まだまだ若いということで、プロデューサー的な編集論になっているのだが、勿論、そうした本ばかりじゃないということにもいずれ気が付くだろう。
 そんなときの箕輪氏の考え方の変化が期待できる。
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NIKON Df NIKKOR 24mm f2.8 @Rikugien ©tsunoken

3 『死ぬこと以外かすり傷』(箕輪厚介著/マガジンハウス/2018年8月28日)

Amazonでのご注文はコチラ(Kindle版)かコチラ(紙版)から

2019年3月30日 (土)

久々の都写美は「写真の起源」

 これまで石原慎太郎氏が都知事をやっていた頃は、「石原都政唯一の善政」といっていた、東京都写真美術館に久々に行ってきた。小池都政になってこの言葉は使えなくなってしまったんだが、じゃあ、果たして小池都政時代の「善政」って何なのだろう。

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 写真というものは、カメラとフィルムという工業製品がすべての元になっている関係から、我々は写真の歴史というと、ライカやカール・ツァイスのドイツ、コダックのアメリカ、ニコンやキャノンの日本などの産業面から考える習慣がついてしまっている。
 しかし、写真の歴史をダゲレオタイプの時代まで遡ってみれば、そこにはイギリス人のトーマス・ウェッジウッドや、ニセフォール・ニエプスというフランス人の存在を無視することはできないわけで、そういう意味では「写真の起源 英国」というタイトルは間違ってはいない。

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そうした「写真先進国」が、しかし、「写真機」になってしまうとあまりその存在がクローズアップされてこなくなるのは何故なんだろう。勿論、イギリスやフランスでもカメラを作ってはいたんだが、現代にいたるまでの評価を得ているカメラは残念ながらないのである。

Dsc_00052『「自然の鉛筆」を持つニコラス・ヘネマン』1846年 ©William Henry Fox Talbot

 社会の発展を重工業の方に偏って成し遂げようとしたイギリスという国のことは了解している。しかし、必ずしも重工業偏重ではなかったフランスでライカ・コピーのフォカなどを除けばカメラの「銘機」というものがなかったのは不思議なことなのである。

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 まあ、「写真の歴史」をその芸術面(う~ん、いやな言葉だなあ)から見るのか、あるいは写真機工業(この方がしっくりする)の方面から見るのかの違いなんだけれども、やはり「写真は芸術ではない」と考える私としては、やっぱり「写真の歴史は、写真工業の歴史だ」と見る方が正しいと思えてくるのだ。

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 結局、イギリスの最初期の写真っていうものは、残念ながら「写真の歴史」的には注目するものはあるのだが、残念ながら表現的には見るべきものはないという事実がそれを物語っている。
 まあ、露出時間が数十秒もかかるような写真の時代に、「時間芸術」であり「瞬間芸術」である、現代写真のような表現を求めること自体に無理があるというものなのか。
 しかし、相変わらずの「写真撮影禁止」っていう東京都写真美術館の方針はどうにかならないものか。別に接写をしているわけでもないのに。

東京都写真美術館「写真の起源 英国」は5月6日まで、公式サイトはコチラ

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Yebisu ©tsunoken 

2019年3月29日 (金)

「意味のない写真」の意味について考える

「意味のない写真」ってどんな写真なんだろうか、ということを考えながら、日々「意味のない写真」を撮っているtsunokenです。

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 実は一昨日の写真家・写真機家:田中長徳氏のnoteにこんな記述があった。

3_1©Chotoku Tanaka

コンポラ写真とは一体何だったのか?
カメラ本来の形 横位置
写真表現のテクニック否定
日常の何気ない被写体
誇張や強調をしない
標準または広角レンズの多用
撮影者の心境を現した被写体との距離感
==========この項目は大阪芸大で写真を教えた 10年間の1番最初の授業の時に私がよれよれのメモ用紙の裏にボールペンで走り書きをしたものである。コンポラ写真が何であったかと言うことを時々評論家等が思いつきで口にするがそれを真面目に分析した人はまだいないと思う。15年位前にどこかの大学の女性の研究者がコンポラ写真について調べていると言うのでたまたま出掛けた岡山でその女性にいくつか答えたことがあるがなしのつぶてであったからやっぱりわかりにくいのであろう。
日本でちゃんとコンポラ写真を取り上げたのはカメラ毎日であって1969年でトップに据えられていたのは石元先生であった。他に牛膓さんもいたな。牛膓さんが一貫して不幸だったのは駆け出しの写真評論家が牛膓さんの発見を自分の手柄にしていたことだ。』
 という記事。

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「報道写真」とか「動物写真」とか、つい最近では「桜の写真」とか、いろいろなテーマを持った写真というのはある。
 報道写真は何か世界で起こっていることを、皆に知らせたいと考えている人たちが撮った写真だろうし、動物写真は世の中にいる動物の姿を撮影し、やはりそれも「皆に知らせたい」と考えている写真だろう。今や世界に「猫写真家」として知られている岩合光昭氏なんかはその典型であろう。
 しかし、「桜の写真」にどんなテーマ性があるというのだろうか。

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 単に「桜がきれい」だと感じたからそれを撮影するのは勝手なんだが、なんでそれをいちいち人に見せる必要があるんだろう。っていうか、なんかウザいんですね、ここ最近のFacebookが。
 まあ、別にFacebookなんかにアップする写真は化学フィルムを使っているわけでもないし、紙焼きを作るわけでもないので、別にそれが「資源の無駄遣いだっ!」なんていうつもりもないんだが、わざわざ高価な一眼レフを使って、自分では「立派なテーマがある写真表現だ」なんて考えて撮影しているんだろう。で、自分が撮影した「テーマのある写真」を人に見せなきゃなんて考えてSNSに載せるんだが、別に桜の写真なんて見たくない当方にとっては「ああ、また桜の写真かよ」ってなもんで、ウンザリするんですね。

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 絵画の場合はいずれにせよ人が介在して、ある景色から対象を選び取って画面化するので、そこには嫌でも描いた人の「精神」っていうものが介在する。したがって、絵画には「意味のない絵画」っていうのは存在しないと思うんだが、写真は単に「機械的に対象物をコピーしている」だけの存在であり、その場合、写真家が映像に介在する部分というのは、実はほとんどないと言ってもいいだろう。あとは、写真家がどんな対象物を被写体として選んで、どんな方法でその「コピー」を発表するかという問題だけなのだ。
 だとしたならば、そんな「コピー」に意味性なんてものがなくなってしまった方に、実は「写真の純粋性」があると言えるのではないだろうか。
 なので、私は日々の街頭スナップ写真では、「如何にして意味性を持たせないか」という点に執着して撮影をしているっていうわけなのです。
 なんか、おかしいかな。
EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Ginza ©tsunoken

2019年3月28日 (木)

江戸の真ん中:浜離宮恩賜庭園・旧芝離宮恩賜庭園

 いい天気に誘われて、浜離宮恩賜庭園と旧芝離宮恩賜庭園に行ってきた。

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 なぜ、浜離宮と芝離宮なのか。
 という理由は簡単。昨年暮れに買った「都内9庭園共通パスポート」で、これまで行ったことのないのがこの二つの庭園だった、っていうだけ。

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 それ以外の六義園は当然として、旧古河庭園、向島百花園、旧岩崎邸庭園、清澄庭園、小石川後楽園、殿ヶ谷戸庭園は既に行っているし、残されたのがこの二つの庭園だったのだ。

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 しかしまあ、徳川将軍も罪なことをやっていたんだなあ。
 浜離宮恩賜庭園は六義園の三倍くらいの広大な敷地である。その中に池、といっても海の水を引き込んでいるので海水の池なんだけれども、そこが鴨を寄せるための池、つまり鴨場なんだなあ。で、そこに寄せた鴨を「鴨狩」でとって食っちゃったんですね。あゝ、可哀想。

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 今なら、さながら野鳥保護の観点から、「徳川将軍、ヒドイッ!」なんて責められたかもしれませんね。
 そこへいくと、旧芝離宮恩賜庭園の方はもうちょっとこじんまりしていて、浜離宮恩賜庭園の六分の一程度の広さ。ただし、現在の大きさは東海道線なんかに敷地をとられたりして、昔の半分くらいになってしまっているらしい。

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 こちらは中央に池を配した典型的な池泉回遊式庭園という、大名庭園のスタイル。鴨場はありません。
 昔の半分くらいの広さだったということは、昔は六義園と同じくらいの広さがあったということになる。
 つまり、将軍家の別邸だった浜離宮と、大名庭園であった芝離宮、六義園の規模の違いっていうのが、それぞれの立場の違いからくるものなのだろう。
 まあ、その辺も徳川将軍マウンティングってやつなんだろうな。バカですね、人間って。

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 しかし、これで9庭園を全部制覇したんだけれども、いやでも毎日その門前を通らなければならない六義園とその他っていう感じで、まあ、来年からは六義園の通年パスだけでいいね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Shiodome & Hamamatsucho ©tsunoken

 

2019年3月27日 (水)

江戸のはずれ:霜降商店街・染井銀座商店街

 本郷通りを駒込駅から北上して旧古河庭園へ至る途中に、大きな谷底がある。その谷底にあるのが「霜降橋交差点」、昔は都電の停留所があった。
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「霜降橋」という名前がついているとおり、昔はここに谷田川という川が流れていたそうである。石神井川の分流といわれてきたんだが、実はそうじゃなくて、現在の国道16号線、中山道沿いにある東京中央卸売市場豊島市場と染井霊園あたりが源流の川だったらしい。
 川はそのまま現在の駒込駅の東側を流れて行って、谷根千の方へ行くと現在のよみせ通りからへび道へとつながって、不忍池へ注いでいたらしい。谷根千の辺りでは「藍染川」と呼ばれていて、その昔、周囲に藍染をしている家が多かったそうだ。
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 霜降橋交差点の脇には「霜降商店街」という、昔からの商店街があるのだけれども、そこから染井霊園の方へ進むと「染井銀座商店街」と名前を変えて、長く続くいわゆる「下町の商店街」が連なっている。
 それでなくとも、駒込駅の周辺は「駒込さつき商店街」「駒込東口商店街」「アザレア通り」「田端商店街」という沢山の商店街があって、いかにも「坂の下の下町」っていう感じの街並みなのだ。
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 最近は田端銀座とか霜降商店街辺りは、店を閉めて民家になってしまっている家もあったりして、だんだん、寂しくなってしまっているのは、まあしょうがないのだろう。
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 で、その染井銀座商店街のスーパーマーケットで買ってきたのが、下の写真のお酒、この時期限定販売の「染井櫻」なのであります。
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 残念ながら東京のお酒ではないですが、染井の人たちの企画で生まれた鳥取県の大谷酒造が作ってお酒なのである。味は爽快・辛口、お花見にはバッチリのおさけです。
 ただし、Amazonや楽天では買えません。買うなら以下の店へ直行! 売り切りじまいです。
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 読めないかな、読めなかったら「染井櫻」でググってください。
RICHO GRD Ⅱ GR LENS 6mm f1.9 @Nishigahara ©tsunoken

2019年3月26日 (火)

歴博に行ってきた

 千葉県佐倉市の佐倉城址にある国立歴史民俗博物館(歴博)へ行ってきた。


『このたび、国立歴史民俗博物館(以下、歴博:千葉県佐倉市)では、総合展示第1展示室「先史・古代」を 1983年の開館以来はじめて展示を 大きく見直し、2019年3月19日(火)にリニューアルオープンする運びとなりました。』いうアナウンスを目にしたからなのだった。


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 佐倉城と歴博は以前、そのそれぞれについてこのブログで紹介したこともあり、久しぶりの京成佐倉駅ではあった。


 しかし、前に来たのは何年前だったかも既に覚えていないのだが……、なんかあまり変わっていないですね。京成佐倉はまだ多少の変化は見せてはいるんだけれども、JR佐倉駅になってしまうと、もう最果てって感じだなあ。


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 歴博の第1展示室は「先史・古代」にかかわるもので、時代的には先史時代・縄文時代・弥生時代あたり。まあ、私にとっては日本史の中で一番興味がある部分。正直、弥生時代以降はあまり興味がないのです。


『対象とする時代は、3万7千年前に日本列島に人類が出現してから、7世紀末~8世紀初頭に古代国家「日本」が成立して、10世紀に中世の姿を見せ始めるまでの約3万6千年間です。 これまでの展示にはなかった旧石器時代のコーナーを新設するとともに、時代区分にとらわれない6つの大テーマ(最終氷期に生きた人々、多様な縄文列島、水田稲作のはじまり、倭の登場、倭の前方後円墳と東アジア、古代国家と列島世界)と、2つの副室テーマ(沖ノ島、正倉院文書)からなります。 歴博の先端的研究が明らかにした先史時代の新しい年代観にもとづき、約3500年さかのぼった土器の出現、約500年さかのぼった水田稲作のはじまり、開館時には明らかにされていなかった調査成果をふまえた新しい歴史展示です。』


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 ということで、縄文時代の人たちの生活のありさまなんかが、等身大の人形でもって復元されていたりする。


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 だいたい、お母さんと女の子の関係論で再現されていたりするのは、当時から男は外に出て狩猟や畑仕事をやっていて、女性が家で家事を行うという役割分担ができていたっていうことが、当時すでにあったということなのかなあ。


 縄文時代の村の姿のジオラマなんかもあって、楽しい。


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 帰りにはミュージアムショップで「遮光器土偶」のレプリカを購入。


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 可愛いでしょ。


歴博の公式サイトはコチラ


NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Sakura ©tsunoken

2019年3月25日 (月)

砂町銀座

 例のブログ変更の続きです。

 どうも、以前のブログとはシステムが違うようで、以前のブログでは大きなサイズの写真(基本的にフルサイズのニコンDfで4928pixel X 3280pixel、APS-CサイズのEPSON R-D1sで3008pixel X 2000pixel)でも「640pixel X 426pixel」にリサイズすれば、そのままブログページにはフルサイズで掲載されていたのだが、変更以後のここ数日のブログでは、以下の通りnifty側で勝手にクロップして変なトリミングをされた画像になってしまう。

 こんな感じにね。

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640pixel X 426pixel

 元々、ココログの画像は1MB以下でUPするというniftyルールに従って、640pixelにリサイズしていて、ココログ側でブログページでもフルサイズで掲載されるようにリサイズしてくれていたのだが、どうも新しくなってしまってからはそんなことはやってくれなくなって、ココログ側で勝手にクロップしてしまう。

 勿論、写真をクリックすればオリジナルの写真は見られるのであるが、ブログページでの表現が勝手に変えられてしまうのは、どうにも納得できない。

 ということなので、ブログページでもフルサイズで掲載されるように、写真をさらに小さく「320pixel X 213pixel」までリサイズして掲載することにした。その画像が以下の通りです。上の写真と比較してください。

 まあ、どっちでもいいか。

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320pixel X 213pixel

 なんか納得できないけれども、まあ、それがココログ側の考え方なので仕方がない。まあniftyの考え方では、あまり「写真ブログ」的なものは考えていなくて、テキスト主体のブログを前提に考えているのかも知れない。

 だとすると、もうちょっと写真よりのブログに乗り換えることを検討した方がいいのかなあ、なんて思いも生まれてくる。

 取り敢えずの措置としては、オリジナルサイズでの写真が欲しい方は、コメント欄に希望を書いていただければ、別にお届けします。まあ、そんな人はいないか。

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 ということで、上の写真のようなもので、江東区の砂町銀座商店街まで行った来たんだが、まあ、「下町」(?)を代表する商店街の一つなんだろうな。

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 我が家から砂町銀座まで行くには、地下鉄南北線・東西線経由で南砂町、あるいは都営三田線・新宿線経由で南大島で降りて、あとは歩きっていう具合で、まあ地下鉄駅からバスに乗ってもいいんだけれども、乗らなければ10,000歩/1日コースなんですね。

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 まあ、1日10,000歩コースってだけの商店街なんだけれども、でも、たまに覗きたくなる「いかにも下町風の商店街」なんですね。

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 十条商店街とか、武蔵小山商店街とか、東京の下町にはいろいろな商店街があって、そのそれぞれが精一杯生きている感じがあって、それがいい感じとなって私の方に跳ね返ってくる。

 その跳ね返りを受けたくて、しばしばこうした商店街を訪れるんだけれども、でもねえ、ウチのカミさんならそこで買い物をして帰るんだろう。しかし、私のような非生産的労働者(?)としては、こうした商店街に行っても、結局、消費行動には繋がらないんだよなあ。

 ホント、バカみたい。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA-WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Kita Suna ©tsunoken

2019年3月24日 (日)

東京周縁部を往く:赤羽台師団坂・防空壕跡

 赤羽駅を降りて、埼京線や新幹線の脇のかなりきつい上り坂を上がっていくと、「師団坂」という説明板がある。

 この坂自体は赤羽崖線の一部で、武蔵野丘陵が荒川(新河岸川)と出会って河岸段丘となっている部分の急な坂道なんだが、まあ、要はそんな「師団本部」なんていうものを山の上に作りたがった理由が、単に薩長の田舎侍が徳川から政権を奪っただけっていう、明治政権の発想なんですね。つまり、東京北部の田圃あたりを眺めて自分の天下を確認したかった田舎侍の発想という気がする。

 もう、そんな時代ではなかったんだけれどもねえ。当時、目を向けるべきは海外でしょう。

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『この坂は、旧陸軍の近衛師団と第一師団に所属した二つの工兵大隊に向かう坂道でした。明治20年(1887)8月から9月にかけてこれらの大隊が現在の丸ノ内2丁目から赤羽台4丁目内に移ってきたので、坂はつくられました。
 現在、兵営の間にあった練兵場は住宅地となり、第一師団工兵大隊兵営跡は学校法人星美学園の敷地となっています。』というのが北区教育委員会の説明。

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 坂のてっぺんに上がると右側には星美学園があります。

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 で、星美学園を背にして道を歩いていくと、旧国立王子病院、現在の東京北医療センターがあります。

 この東京北医療センターの脇とか裏が「赤羽台さくら並木公園」になっていて、公園から下に降りたところが桜並木道になっている。

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 ところが、その公園の中にあるんですねえ、「防空壕跡」が。

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 防空壕跡ということで、今でもその穴を埋めずに残してあります。でも、この防空壕って一般市民が逃げ込むための壕じゃなくて、少なくともその場所からして、旧陸軍の人たちが逃げ込んだ防空壕だったはずだ。

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 軍人がそんなところに逃げ込んじゃ意味ないでしょう。

 っていうか、やっぱり完全に米軍に制空権を握られてしまった日本軍としては、結局、防空壕に逃げ込むしかなかったのかなあ。

 まあ、哀しい戦争の残滓がここにもあったっていうことなんでしょうけれども。なんか、なんで軍人が防空壕に逃げ込むんだろうっていう部分がね、何というか。敗けるのも当然っていうか。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Akabanedai ©tsunoken


2019年3月23日 (土)

『ライカMLレンズ・ベストセレクション』

 結局、カメラというのは単なる「暗箱=カメラ・オブスキューラ」に過ぎないんであって、問題はどんなレンズを使うのかということなのである。

 ということで、私のライカ(M6)で使っているレンズは、実はライカ製は2本しかなくて、他は全部別のメーカーなんですね。う~ん、なんかやたらカメラやレンズの売り買いってするもんじゃないなあ。

Ml『ライカMLレンズ・ベストセレクション』(澤村徹著/玄光社/2019年4月13日刊)

 じゃあ、私の「ライカ(用)レンズ」はどうなのかといえば……

Epsn00503 KONICA M-HEXANON 50mm f2

Epsn00172 LEITZ SUMMICRON 35mm f2

Epsn00532 LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8

Epsn00672 VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4

Epsn00062_1 VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6

 以上の5本。いやいやいや、前はLEICA SUMMILUX 50mm f1.4も持っていたのだが、M3やM6と一緒に売っちゃったもんなあ。ちょっと惜しいことをしたなあ。

 このうちいわゆる「クセ玉」と呼ばれているのはフォクトレンダーの2本。周辺光量の落ち方が特に多いことで知られているレンズではある。しかし、だからどうだって言うんだよ。「周辺光量の落ち」自体を「レンズの味」ととらえればどうってことはないのであります。

 今のところ、私自身はこのレンズのラインアップで満足しているっていうか、勿論、スーパーアンギュロン21mmなんかは欲しいけれども、別にレンズオタクではない私としては、いまのところこれでOK。

 あと問題は、カメラがM6だっていうことかな。いまのところデジタル・レンジファインダー機はエプソンR-D1sなので、できればこれをライカM10辺りにグレードアップしたいと考えている。エプソンは撮像素子がAPS-Cサイズであるので、レンズ特性が若干落ちてしまうっていうのと、有効基線長の問題がある。エプソンはちょっと有効基線長が短いのでピントを合わせるのが難しいのだ。でもまあ、実は一番の理由は「見栄」だったりしてね。まあ、その辺はライカのブランド戦略に乗っかっちゃっているんですけれどもね。

 それもあって、最近はエプソンではフォクトレンダーの12mmなんて、かなりワイドなレンズを使っている。このレンズでフルサイズ換算で18mm、21mmレンズでフルサイズ換算32mmなので、レンジファインダーカメラとしてはこの辺が限界。勿論、補助ファインダーを使って撮影している。28mmまではカメラのファインダーを使えるんだけれども、それだとフルサイズ換算42mmだもんなあ。それ以上は一眼レフ(ニコン)の世界だ。

 昔は「ライカ一台、家一軒」なんて言われていたこともあったのに比べれば、ライカも随分安くはなったけれども、デジタルになってしまってからのライカはなんかブランド商品化してしまっている。

 いやいや、いつかは手に入れるぞ……、と決意表明して、今日のブログはオシマイ。

2019年3月22日 (金)

六義園の桜はどうなっているんだ

『「ココログ」全面リニューアル」っていうのが3月19日にあって、19日の夜位から使えるようになるっていう話だったので、19日のよるになってからいろいろ書きこもうとしていたんだけれども、なんかうまくいかなくて、それで四苦八苦しているうちに、過去のブログを全部消してしまったというのが、実はブログを移動した原因。

 まあ、そんなに焦らずにもうちょっと待ってから書き込めばよかったんだけれども、普通のMSワードと同じような感じで書き込めた以前のブログページとはだいぶ違う新しいブログページに戸惑ってしまった。

 まあ、以前ブログを始めた頃と同じような気持ちで、またまた順々に読者を増やしていけばいいや。

 ということで、新たなブログのURLは「http:tsunoken.cocolog-nifty.com/blog/tsunoken/」です。ヨロシクね。

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 ってことで靖国神社の桜が開花したってんで、東京は開花宣言が出たんだが、問題の六義園の桜はどうなんだ。

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 4月2日にK談社社友会の花見を六義園でやるので、六義園前在住者としては気になって毎日見ている。

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 すると、昨日は「しだれ桜 咲き始め」という案内が門に貼ってあったので、早速見に行ったというわけなのでした。

 実は六義園の枝垂れ桜は、もうなんか寿命が近いらしくて、年々花が咲く量も減ってきている状態なのだ。桜の木は実は3本の株からなっていて、それが絡むような感じで1本の木のように見えるらしい。なので、少しずつ株を変えて行って再び桜の花が大量に咲くような手入れを今後行うらしいのだが、それがいつ頃から始まって、いつ頃までかかるのかは、まだ分からない。

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 まあ、取り敢えず今年の花見にはギリギリ間に合いそうなので、ヨカッタ、ヨカッタ。

RICHO GRD


2019年3月21日 (木)

西川口チャイナタウンっていうよりは、エスニックタウン

 なんか、以前のブログ・ページに比べると使いづらいブログだなあ、なんて考えながら書いています。HTMLを分かっていないと書けないぞ、このブログって感じなんだなあ。

 それはいいとして……、「西川口チャイナタウンが熱い!」なんてことを聞いたので、早速、西川口まで行ってきた。勿論、行ってきたのはSKIPシティや川口オートレース場なんかがある東口ではなくて、駅裏にあたる西口です。

 以前、西川口といえばセックス・サービスをやるキャバレーやソープランド、売春目的のラブホテルなんかが沢山あった街。同じ「キューポラのある街」だった川口駅が、一足早く住宅街になったのに引き継いで、西川口も街の浄化に乗り出し、違法なキャバレーなんかは順次閉店していった。

 その閉店した違法キャバレーなんかの後に続々入って開店して行ったのが、中国人が経営する飲食店だったというのだ。

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 したがって、横浜や神戸なんかのチャイナタウンとは違って、一つの街全体が中華飲食店というわけではない。

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 確かに、街全体が右を向いても左を見ても中華料理店ということではなくて、「なんか中華屋さんが多い街だなあ」という感じ。

 ちょうど池袋北口のチャイナタウンと同じような感じの街ではある。

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 したがって、中華料理店の隣にあるのがインド・レストランだったりして、チャイナタウンというよりは、エスニックタウンという感じだ。

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 街を歩いていても、確かに多く聞こえるのは中国語なんだが、その一方、ヒジャブ(ベール)を被った女性やら、中国以外のアジア人らしき人や、韓国料理の店なんかも結構目立つんである。

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 まあ、多くのアジア人が日本に来て生活しているっていうのは、いいことであるし、出来ればこんな感じで同じ国の人たちが寄り集まって生活するよりは、もっと広くいろいろな街へ偏在する方が望ましいんだけれども、まあ、最初は言葉の通じる人同士で寄り集まって生活するんだろうなあ。

 日本もそんな意味では、まだまだ発展途上国なのかも知れない。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Nishi Kawaguchi ©tsunoken

2019年3月20日 (水)

江戸の範囲

「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」というのは有名な川柳なんだが、じゃあ本郷三丁目の交差点からちょっと行った東大本郷キャンパス、つまり加賀前田藩上屋敷は江戸じゃなかったのか? なんて疑問もわいてくるんだが……

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 まあ、考えてみれば加賀前田藩というのは確かに大藩ではあるが、所詮は外様。

 松平とか普代の大大名の上屋敷は江戸におくが、外様は江戸府中からは外にいなさい、というのが徳川幕府の考え方なんだろう。実際には本郷三丁目辺りは江戸府中と同じ位の江戸城への近さなので、実はそれなりに前田藩には気を使っている、っていうことなのかも知れない。

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 じゃあ本当の江戸の範囲ってどこまでなんだろう、と気になって調べてみたら文政元年(1818年)に徳川幕府が作った「江戸朱引図」というのがあった。朱色の線が江戸の範囲で、黒い線が江戸町奉行の管轄範囲、ということなので黒線から外は奉行の手も伸びない田舎ということになり、ここでは外す。

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 1818年というから明治元年の50年前っていうわけで、江戸時代としては末期に近い時代。つまり、江戸という街はほぼ完成しているっていうところなんだろう。

 この朱引図によれば、江戸の東端はほぼ富岡八幡宮から両国を通って南千住辺りで隅田川に至る線。北側が吉原、道灌山、飛鳥山あたり。西が高田馬場、渋谷、目黒不動といったところ。つまり、現在、山手線が走っている範囲に東側に隅田川以東の下町を加えた範囲、ということになる。

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「かねやすまでは 江戸のうち」というコピーができたのが1730年享保の大火事の後なので、それから80年ほどで、江戸は凄い勢いで拡張してきたことがわかる。

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 まあ、その拡張のスピードは衰えることなく、現在まで続いているんだなあ。

 ということを昨日発表された2019年公示地価を見ながら考えている。

EPSON R-D1s LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm f2 / LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Hongo & Kanda ©tsunoken

ブログが壊れちまった

なんか、NIFTYがブログページを改造したのはいいのだが、いろいろいじっているうちに壊してしまった。

というわけで、あらたに新規ブログを立ち上げることになった。まあ、取り敢えず再度ゼロからのスタートということになります。

http://tsunoken.cocolog-nifty.com/tsunoken/

が新しいブログのURLです。

宜しくね。

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