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2019年6月19日 (水)

佃島から豊洲へ:大川端を往く

 梅雨の晴れ間という貴重な日。大川端を歩こうという気になった。
 大川端というのは隅田川の下流のこと。本当は佃島の西側を通る流れが本当の隅田川でその他は「朝潮運河」「晴海運河」なんて名前が付いていたりするんだけれども、佃島から先はもう運河がいっぱいなので、それらを含めて「大川端」と一緒くたにして呼んでしまうのです。

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 使うカメラはいつもの散歩スナップに使っている EPSON R-D1s + VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6……、にしようかと思ったんだが、佃島在住の写真(機)家、田中長徳氏から「12mmというのは、フルサイズの35mmの18mm見当だから、長年慣れている画角で、私の場合、このレンズは街角の勝負レンズだ。ただし街頭撮影の幇間芸があまりまともに現れると、格好悪いので、最近では12mmでの撮影はなるべく自粛。」(@「EPSON R-D1 WORLD」by 日本カメラ社)なんていう言葉を頂戴しそうになったので、それはやめてニコンにした。
 まあ、私のカメラの腕前なんて「幇間芸」なんてもにも足下も及ばないですけれどもね。

 以前、佃神社の境内で田中氏には遭遇したことがあるので、ここは要注意、注意。

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 佃島じゃない、中央区佃あたりには結構闌れた長屋なんかがあってなかなか写欲をそそる町なのではあります。

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 少し行くと朝潮運河というところに入り、「海水館の碑」なんてのがあります。
 海水館って何だ?

『海水館は明治38年に坪井半蔵によって建設された割烹旅館です。当時の月島は東京湾を臨む風光明眉な地であったといわれ、当地に宮城県仙台市の建物を移築して旅館兼下宿を開業しました(建坪130坪、2階建て、24部屋)。閑静な地であったため、明治末期から多くの文学者に執筆場所として利用されました。
 島崎藤村は明治40年から海水館において、自伝小説『春』を執筆し、新聞に連載しました。小山内薫は海水館に止宿し、明治44年から『大川端』を執筆しています。
 詩人の吉井勇は大正2年から止宿して歌集『毒うつぎ』の創作にはげみ、三木露風は明治45年と大正2年に止宿して、詩集『白き手の猟人』をまとめています。なお、海水館は大正12年の関東大震災で全焼しましたが、その時の石畳みが今も坪井宅に残っています。
 海水館は明治から大正年間にかけて著名な文学者が作品を執筆した場所として貴重な史跡といえます。』

 という昔は文士旅館として有名な旅館だったらしい。神楽坂の和可菜みたいなものだったんだろうか。
 和可菜は昔、トシちゃん主演(笑)の『課長 島耕作』のシナリオ作りで脚本家の故・野沢尚氏と監督の根岸吉太郎氏をカンヅメにしたことがある。

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 晴海運河に架かる春海橋と並行して走っているのが、越中島駅と豊洲石炭埠頭を繋いでいた旧国鉄の晴海橋梁(って、なんだがややこしいな)。今は廃線=廃橋となってしまい、一時期遊歩道として使おうという案も出たんだが、改修にお金がかかるってんで、そのままになってしまっているらしい。ちょっともったいない?

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 で、春海橋を渡るとそこは豊洲です。中央区月島から江東区豊洲へ。

 豊洲は出光丸や数多くの重工業製品を作ってきた、石川島播磨重工業の本拠地。
 そのドックヤードの跡地に出来たのがアーバンドックららぽーと豊洲です。

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 豊洲には、もう一つ私が気になるスポットがあるし、写真にも撮ったんだが、ある理由からここには載せない。

 暑かったんだけれども、川面を流れる風が気持ち良い散歩コースだったな。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Tsukuda, Tsukishima, Harumi & Toyosu ©tsunoken

2019年6月18日 (火)

江戸川区ハザードマップ「ここにいてはダメです」

『日経 xTECH 2019年6月7日付』の記事がなかなか刺激的で面白い。

 取り上げているのは江戸川区が発表した水害ハザードマップなんだけれども、その表紙に『想定最大規模の巨大台風や大雨で、荒川と江戸川が氾濫したら……高潮が発生したら……どうする?』として『区内に浸水の恐れがある場合は、「ここにいてはダメです」と明記』している。
 つまり「ここ」とは江戸川区のこと。

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 江戸川区の江戸川に近い区域に住んでいる人は「千葉方面の浸水の外へ」「茨城方面の浸水の外へ」、荒川に近い区域に住んでいる人は「埼玉方面の浸水の外へ」「東京西部方面の浸水の外へ」「神奈川方面の浸水の外へ」という具合に、いずれも「江戸川区は『ここにいてはダメです』」として、「より安全な区外へ その他の河川氾濫や土地災害の危険のないところ」へ「各自で避難先を確保」することを勧め、「まずは、区外の親戚・知人宅や宿泊施設・勤め先など各自で避難先を確保してください。」という指示を出しているのだ。

 一体、何故江戸川区はそんなハザードマップを作成したのか。ハザードマップを監修した東京大学大学院情報学環の片田敏孝特任教授は言う。

「実は、『ここにいてはダメです』という言葉は当初、ハザードマップに書いていませんでした。この言葉を加えた理由は、水害リスクを包み隠さず公表しなければ、早期の広域避難が実現できないと考えたからです。災害時に『役所が明確な避難指示を出さないから逃げない』という人は、目前に危機が迫った瞬間に役所のせいにして死ぬことに後悔はないのでしょうか。行政に依存する住民の意識を変えなければなりません。台風が来る数日前には一人ひとりが自主的な避難をしなければ助からない。近年の水害はそれほど広域化、激甚化しているのです」
「江戸川区は、荒川や江戸川など大河川の最下流域に位置し、東京湾に面しています。陸域は低く区の7割は満潮時の水面より低い『海抜ゼロメートル地帯』となる。こうした環境は江戸川区を含む江東5区でも同じで、洪水や高潮による水害でほとんどの地域が水没します。江東5区の人口の9割以上、250万人が浸水被害にあうのです。浸水は長いところでは2週間以上続きます。電気が使えない状況で数十万人が孤立する可能性がある。ですから、水害が発生する数日前から段階的に自主避難を促し、区域に残る人口をできる限り減らす。それが重要なのです」
「『ここにいてはダメです』という言葉が議論を起こしたのだとしたら、ひとまずは成功でしょう。やっと一歩が踏み出せた。多くの住民がリスクを理解して、早期の自主避難を意識することが、マス・エバキュエーション(広域避難)のスタート地点となるのです」

 とは言うものの、江戸川区と隣にある江東5区(江戸川、足立、葛飾、墨田、江東)はどこも似たり寄ったりで、区域にはいわゆる「ゼロメートル地帯」という場所を抱えている。まあ、だからこその「〇〇方面の浸水の外へ」という「但し書き」が必要になるんだろうけれども、でもねえ、そんなところに知り合いでもいればいいのだけれども、そうでない人は、家の近所の避難所として準備がある場所を常に意識していなければならないということなんだろうな。

 片田特任教授に言わせると、そうしたマス・エバキュエーションのお手本はキューバにあるそうだ。

『「広域避難を最もスムーズに実行している事例は、キューバにあります。05年のハリケーン『カトリーナ』では米国で1800人以上が亡くなりましたが、キューバでの死者はゼロ人でした。社会インフラが脆弱なキューバはどのように人的被害を抑えたのか。現地を調査した結果、官民の信頼関係が広域避難に欠かせないことが分かりました」
「キューバは政府が災害リスクを国民に説明し、軍隊が出動して避難誘導しています。国営バスを使用して数百万人規模で避難するのです。避難には医師も加わり、ペットを飼う人のために獣医まで同行しました。ですから、国民も政府に協力して自主的な避難を進めます。キューバの政治体制が社会主義であるという側面が広域避難に影響しているともいえますが、これからの日本の災害対策にも住民と行政の信頼関係が欠かせないのです。」

 まあ、自助の国・アメリカではかえってそのためにガソリンスタンドにガソリンが空っぽになってしまったというような問題が起きたりしていたそうで、そういう意味では社会主義の国の方がやりやすいのかもしれない。まあ、住民と行政の信頼関係があるキューバだからできたことなのかも知れないなあ。同じ社会主義国でも中国じゃそんなにうまくはいかないかもしれない。

3_8江戸川区水害ハザードマップはコチラ

2019年6月17日 (月)

白金4丁目、「あなた三光町?」

 昨日話した「恵比寿3丁目から白金高輪に出る」道なんだが、どうも「三光通り」という名前の通りらしい。この道の中ほどに「三光坂下」という交差点があるので、そのような名前が付いたんだろうが、まあ、通称でしょうね。
 その「三光坂」の上に何があるのかは知っているんだが、私は「坂を上がるのは嫌」という性分なので、実際には目黒駅の方から行ったので、行った通りに書きます。

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 目黒駅を出て目黒通りを南下すると、庭園美術館や自然教育園なんかの前を通って「えっ? あの白金台に? 極安売りのドン・キホーテが?」って言われたメガドンキの前を通り過ぎて、少し下り坂になったところの角を左折すると……

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 目指す三光坂上に至ります。

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 三光坂上の標の目の前が、広尾に大学がある聖心女子大学の付属小学校・中学校・高校の聖心女子学院があるんだが、気位の高い聖心女子学院の生徒たちは、「むしろ大学の方が聖心女子学院の附属じゃないか」ってな考え方をしているようだ。

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 聖心女子学院には、聖心女子学院初等科・中等科・高等科(東京都港区白金)、札幌聖心女子学院中学校・高等学校(北海道札幌市中央区)、不二聖心女子学院中学校・高等学校(静岡県裾野市)、小林(「おばやし」と読みます)聖心女子学院小学校・中学校・高等学校(兵庫県宝塚市)、聖心インターナショナルスクール(東京都渋谷区広尾)、聖心女子専門学校(東京都港区白金)、聖心女子大学(東京渋谷区広尾)という学校があって、中でも白金にある聖心女子学院と、兵庫県宝塚市にある小林聖心女子学院が、聖心グループ(って言う方が正しいのかどうかは知らない)の中でも伝統があるらしい。

 なので気位の高い両聖心女子学院のOBたちは、聖心女子大学に進学しても、「貴方、三光町? 小林?」と確認しつつ、当然ながら「三光町派」「小林派」に分かれていろいろ対峙しているようなのだ。まあ、だからといってそれが対立とか抗争なんてことにはならないのが「お嬢さん学校」らしいところですがね。

 聖心女子大学には当然外部高校出身者も沢山いるわけなのだが、いずれこの「三光町派」「小林派」に属することになるそうだ。
 いやあ、女の子たちも結構生きていくのは大変な世の中なんですねえ。

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 で、面白いのは学校の外壁沿いにグルッと回って、正門の裏側に来ると「蜀江坂」という結構急な坂があって、その坂を下まで降りると聖心女子学院の通用門があるってことなんですね。

 実は、聖心女子大学にも同じようなキャンパスの構造があって、正門は日赤病院と並んだ丘の上なんだが、坂の下の広尾商店街から上がっていく通用門があって、渋谷から日赤病院行のバスで通学する人はラクチンなんだが、東京メトロ日比谷線広尾駅を利用する学生は、毎日毎日、広尾商店街から通用門を抜けて、毎日毎日エッチラオッチラ急な坂を上って行かなければならないのであります。

 聖心女子学院の経営者って、こういう坂道地形が好きなんだろうか。

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 まあ、白金台や目黒から聖心女子学院に通っている生徒さんは全然気にしないだろうけれども、白金高輪方面から通っている人たちにとっては、毎日の三光坂上りがつらいだろうな。

 体は鍛えられますけれどもね。

EPSON R-D1s VOIGHTLAMDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Shirogane ©tsunoken

2019年6月16日 (日)

白金・下町、長屋商店街

 外苑西通りを天現寺橋から南に行って恵比寿3丁目の交差点を左に折れると、そこから北里大学の前を通り、白金高輪にでる道を通ることになる。

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 実は、この道が面白いのは、住所的には「白金」なんだけれども、いわゆる「シロカネーゼ」がいる白金台とは全く様相が異なる、下町風の佇まいを見せているところなのである。それも昭和(大正?)の下町風なんですね。

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 で、私が勝手に名付けたのが「長屋商店街」。
 今や東京でも珍しくなっている「長屋」形式のお店がいくつも並んでいるっていうことなんですね。長屋形式の商店って、昭和か下手をすると大正時代の名残なのかなあ。もしかすると、工場なんかがなかった場所なんで、震災や戦災を免れたのかもしれない。


「えっ? 白金ってそんな下町だったの?」なんて疑問もわくんだけれども、よく考えてみれば、ここは「白金」、「白金台」ではありません。

 白金からずっと下に降りてきて、渋谷からずっと続く古川のほとりまできたのが古川橋のある「白金」。
 つまり、麻布の仙台坂上にあった仙台藩邸から下に降りてきたのが麻布十番というような「山の手⇔下町」関係論が成り立つのが、まあ、この近辺でもあるんですねえ。

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 ただし、白金台はそうした武家屋敷があった場所ではないらしく、っていうか武家屋敷は麻布までで終わってしまったらしく、まあ、後の江戸周辺というか東京周縁部っていうのは、そうした地方の藩の大名の別荘や、江戸下町の商家の別荘なんかがあった場所らしい。

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「白金」という地名も、「応永年間に白金地区を開墾した柳下上総介」に因んだもので、その柳下上総介が扱っていたのが「白金=プラチナ」だったってのが、地名になったということらしい。

 とはいうものの、慶応3年(1867年)には、東京で最初の屠殺場ができたという場所だったらしいので、まあ、いずれにせよ白金も白金台も武士の世界からは「我、感心にあらず」ってな場所だったんでしょうね。

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 まあ、山があれば麓がある。山の上があれば、山の下がある。
 で、その上が「山の手」になって、下の方が「下町」になる、っていう構図が、別に武家と町人っていう関係だけではないというところが新発見だったかな。

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 そうか、町人同士でも「山の手」派と「下町」派があるんだな。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Shirokane ©tsunoken

2019年6月15日 (土)

「てっぱく」に行った

 大宮にある「鉄道博物館」通称「てっぱく」に初めて行ってきた。

 もともと、以前に駒込に住んでいた頃には二人の男の子が小さかったこともあり、神田万世橋にあった交通博物館にはちょくちょく行っていた。一時期、駒込を離れて上石神井に住んでいた頃に、2007年10月14日の鉄道の日(旧暦明治5年9月12日:新橋ー横浜間を初めて汽車が営業運転を始めた日)をもって、万世橋から大宮に移り、名前も「交通全般」ではなくて、なにしろJR東日本が運営するんだから「鉄道」でしょ、ってなもんで「鉄道博物館」ってなってからは、実は一度も行ったことはなかった。

 北に行く新幹線や在来線に乗るたびに脇を通るんだから、一度は見に行かなきゃな、なんて考えていたんだが、なんせ「埼玉県」の「大宮」でしょ、ってのがあまり行く気にさせなかったんだなあ。

 なんせ「埼玉県の大宮」だもんなあ。

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 大宮から「てっぱく」に行くには、別に大宮駅から歩いて行ってもたいした距離ではないんだけれども、そこはひと駅だけだけど「ニューシャトル」ってのに乗らなきゃなあ(実は、以前、一回だけ終点の内宿まで乗ったことがあります)。

 で、ふつう「ニューシャトル」っていうネーミングなんだから「ゆりかもめ」「日暮里舎人ライナー」「横浜シーサイドライン」なんかの「無人操縦電車」をイメージしますよね、それらの電車と同じゴムタイヤの『自動案内軌条式旅客輸送システム(じどうあんないきじょうしきりょきゃくゆそうシステム、AGT : Automated Guideway Transit)とは、小型軽量車両が自動運転により専用軌道上の案内軌条に従ってゴムタイヤで走行する中量軌道輸送システムの一種である。』であるはずなんだけれども、実は自動運転じゃなくて「運転手さん」がいるんですね。

 まあ、その分横浜みたいな「突如、逆走!」みたいな事故は起きないんだろうけれども、「新交通システム」でもって、運転手さんがいるっていうのが、今や「不思議」っていうか……。

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 で、大宮駅から次の駅が鉄道博物館です。

 まあ、入場がSUICAで出来るっていうのは、さすがにJR東日本が運営する博物館ではありますなあ。

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 とは言うものの、別に昔の列車・汽車・電車に興味のない私にとっては、実は一番興味があるのが「鉄道ジオラマ」なんですね。

 ということで、「JR鉄博新都心駅」前まで行きます。

 JR東日本あたり、本当にこんな名前の駅を作っちゃいそうで怖いな。

 埼玉県では「大宮」が都心なのか「浦和」が都心なのか、今でも決着はついていないようですが、すくなくとも、交通の要衝としては大宮だし、その結果、商業的にも大宮の方が埼玉県の中心ですよね。

 しかも、いずれは県庁もさいたま新都心の方に来ちゃうんでしょ。まあ、浦和の地盤沈下は免れないな。

 いずれ、大宮駅が「JR鉄博新都心駅」になっちゃうのかなあ。それはそれで面白いなあ。

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 私自身、多少、「乗り鉄」な部分は自分でも認めているところなんだけれども、それは「電車(汽車)に乗っている時間が楽しい」っていうだけであって、乗っている電車(汽車)が何々型の何号車かなんてことには興味はない。ということは、何となく眺めているだけで楽しいというジオラマあたりが「軽い・鉄オタ」には合っているのかもしれない。

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 当然、JR東日本なので新幹線は北陸新幹線「かがやき」や東北新幹線「はやぶさ」「こまち」だし、在来線特急は「成田エクスプレス」とか「あずさ」なんですね。

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 どんなに待っていても、東海道新幹線「のぞみ」「ひかり」「こだま」は来ません。その辺が旧国鉄が運営していた「交通博物館」と、JR東日本の「鉄道博物館」の違い。

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 なんたって、この「団子っ鼻」の新幹線も、東海道新幹線0系じゃなくて、上越新幹線200系ですもんね。

 しかし、何で旧国鉄だと「交通博物館」だったのが、JR東日本日本になっちゃうと「鉄道(だけの)博物館」になっちゃうのかが、よく分からないなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Omiya ©tsunoen

2019年6月14日 (金)

伊勢は一年中、お正月?

 先月、伊勢参りに行って気が付いたことがある。

 一日目に外宮を詣で、二日目に内宮を詣でっていうスケジュールだったんだけれども。

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 内宮よりも外宮の方が目立ったかな、という印象のある「正月でもないのに注連飾り」を玄関の上に飾っている家が多いってことなのだ。

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 なんなんだろう、これは? と思って調べてみたんだが……。

『旅の途中で宿を乞うた武塔神(むたふ(むとう)のかみ、むとうしん)を裕福な弟の巨旦将来は断り、貧しい兄の蘇民将来は粗末ながらもてなした。後に再訪した武塔神は、蘇民の娘に茅の輪を付けさせ、蘇民の娘を除いて、(一般的・通俗的な説では弟の将来の一族を、)皆殺しにして滅ぼした。武塔神はみずから速須佐雄能神(スサノオ)と正体を名乗り、以後、茅の輪を付けていれば疫病を避けることができると教えたとする。以来、蘇民家は駅業を免れ代々栄えた。』(Wikipedia)という伝説があるそうだ。

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 以来、伊勢の人々は「我が家は蘇民将来の子孫である」という意味の「蘇民将来子孫家門」という護符を家の目立つ場所に飾ったらしいんだということは分かったんだけれども、何故、それを一年中門前に飾っているのかはよく分からない。

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 本来、正月の注連飾りは松の内が終わることには外し、左義長(どんど焼き)に持って行ったり、神社に納めるっていうのが普通ですよね。

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 もともと、注連飾りっていうのは「神域と現生を隔てて不浄なものが入らないようにする結界」だったんですよね。家々はお正月に年神様をお迎えするために、年神様を迎えるのに相応しい神聖な場所ですよ、と神様に示すために飾ったんですね。

 つまり、何かの理由で自分の姉の天照大神が祀られている伊勢神宮に行った際に、自分のことを助けてくれた蘇民将来を思い、にっくき裕福な弟の巨旦将来の子孫を根絶やしにしちゃったんだけれども、それを恐れて「いえいえ、わたくしの家は蘇民将来の子孫ですよ」って言うために、一年中注連飾りを出しているっていうらしいのだ。

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 もともと「荒神」と呼ばれた須佐之男命である。後に英雄とはなったものの、未だに伊勢の人々から恐れられている存在なのであります。
 う~ん、結構、執念深い須佐之男命ではあるんですね。

 っていう私の解釈は……、本当か?

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Ise ©tsunoken

 

2019年6月13日 (木)

「幸福洗脳」って、なんか怪しいネーミングだなあ

 先日、駒込駅周辺を歩いていた時にみつけた電柱看板がこれ。

「幸福洗脳」ってわけがわからんキャッチフレーズに、何か怪しげなマーク。う~ん、なにかの新興宗教団体かもね、ってことで「怖いもの見たさ」でもって看板の下の方に書いてある住所「南青山1-16-1」まで行ってきた。

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 港区南青山1丁目16番1号っていうのは、青山一丁目交差点で東西に分かれる外苑東通りの真ん中あたり、乃木神社の近くまで行ったところの、青山墓地に近い方の裏通りであります。

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 周囲は完全な住宅街。外側の通りには都営アパートなんかがあるんだけれども、裏の方はマンションや一戸建てなどの住宅ばっかりだ。

 なんか、怪しい新興宗教団体あたりが潜んでいるような雰囲気だ。

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 そんなマンションの一角に半地下や一階が店舗になっていて上が住居っていうマンションがある。

 ここが港区南青山1-16-1。まさしく「幸福洗脳」の本部? あるいは本拠地なのだった。って言っても、別に宗教団体じゃなくてブティック風のお店なのでした。なんか「幸福洗脳」ってロゴが印刷されているTシャツを売っているみたいだ。

 実は、この「幸福洗脳」のお店って、あの「武勇伝・武勇伝」でお馴染みの漫才コンビ、オリエンタルラジオの中田敦彦氏が経営している店だったのだ。

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 なんで、中田氏はこんなお店を始めたのか。

『まず前提として、一般的なTシャツのロゴで大切なのは、 “意味の分からなさ”。お笑いでも「気を付けて~って言っているやつのTシャツに“DANGEROUS”って書いてあった」なんてネタがあるように、意味が分かるといじられてしまうんですよ。「シュプリーム」も、その言葉が“最高”を意味していることを知らない人も多い。いじられないで、デザインとして文字がさりげなくTシャツに入っているのが正攻法。ただ、僕は今まで現行のルールの真逆を狙い、最短距離で突き抜けてきた。「武勇伝」も、漫才が主流だった中でリズムネタを前面に押し出してM-1の準決勝まで進み、「Perfect Human」も、周りの芸人が漫才やコントしかしない中で、歌ってみようと思いヒットした。Tシャツに関しても同じで、“日常に溶け込む意味の分からない英語”がロゴとして主流なら、僕は“日常に支障をきたす意味の分かる漢字”でいこうと思ったんです。』

 なるほど、それが「幸福洗脳」っていうネーミングの意味(?)ってわけなんだ。

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 ふう~ん、で、今後の展開は?

『もっと多くの人を巻き込んでビジネスを拡大させていきたいですね。アパレルだけでなく、あらゆるコンテンツに「幸福洗脳」印を付けて、適正価格で販売していくつもりです。いずれは「幸福洗脳」がライフスタイルに根付き、「無印良品」の隣に「幸福洗脳」の店舗があるかもしれません(笑)。みんなの力で行けるところまでいかせてください、と思っています。』(以上、引用はファッション誌WWDの公式サイトより)

 う~ん、なるほどなあ。

 まあ、面白い展開なんだけれども、今後も見続けていられるんだろうか? 取り敢えずは近々のところでは注目して見ますがね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Komagome & Minami Aoyama ©tsunoken

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「幸福洗脳」の公式サイトはコチラ

2019年6月12日 (水)

『0円で会社を買って、死ぬまで年収1000万円』って、そんなおいしい話が?

『サラリーマンは300万円で小さな会社を買いなさい』なんて言われてその気になったと思ったら、『0円で会社を買って、死ぬまで年収1000万円』だと?

 う~ん、日本経済は最早そこまで進んで(進み過ぎて)しまっているのか。

 そんな「美味しい話」があるのか?

Photo_12 『0円で会社を買って、死ぬまで年収1000万円 個人でできる「事業買収」入門』(奥村聡著/光文社新書/2019年4月26日電子版刊・2019年4月30日紙版刊)

『最近、中小企業の後継者不足の問題がより注目されてきました。「大廃業時代」と呼ばれ、この先127万社が廃業を迎える、という予想も発表されています。
 たしかに中小企業の後継者不足の問題は大きな社会課題です。ただし、ピンチはチャンス。その気になれば誰でも会社を引き取って、社長になれる時代なのかもしれません。
 だから、社長になってみませんか?』

 っていうのは理解できるんだが、でも『0円で会社を買って』なんてことが可能なんだろうか?

 まず『第2章「ダイヤの原石」を探してみよう』から『会社を買う鉄則』というのを見てみよう。

●会社を買う鉄則 ① 借金は大きくてもいい、資産は小さいほうがいい
●会社を買う鉄則 ② 今よりも未来の「稼ぐ力」に注目せよ
●会社を買う鉄則 ③ 「技術」と「設備」には警戒すべし
●会社を買う鉄則 ④ 既得権益ごと買ってしまえ
●会社を買う鉄則 ⑤ 地の利を活かした戦いをする
●面倒くさそうな人間からは逃げる
●結局は「好きになれること」が正解
 個人的には、好きなことをするのではなく、「好きになれること」をやるべきだと思っています。わずかな言葉の差ですが、ニュアンスの差は小さくありません。

って、それはあまりにも当たり前すぎるっていう感じなんですね。

 結局、数百万円ぐらいのお金で買える127万社の会社って、そのほとんどが中小企業というかもっと小さな零細業などに近い存在なんではないだろうか。ということになると、まさしく『第6章 オーナー社長を口説き落とそう』ってことになって、実はそれが一番難しいところなのである。

『会社を売却しようが、先代にとってはいつまでも「自分の会社」です。頭ではあなたのものになったとわかっていても、感覚は急に変わりません。いつまでも自分が社長のように振る舞われる恐れがあります。』

 ってなことになってしまっては、「会社を買う」意味がなくなってしまうだろう。

 だとしたら、そんなボロ会社を買うよりは自分で起業したほうが早いかもしれない。クルマだって新車を買えば自分好みの味付けのクルマに仕上げることはできるが、中古を買えばそれなりに前オーナーのクセが残っていたりするものだ。ましてや前のオーナーがゼロから起業した会社だったら尚更だろう。結局、前オーナーが「何故、その会社を手放さなければならなくなったのか」というストーリーをじっくり検討することが必要なようだ。
 その結果、いやそれでも自分が手に入れることに意味があると考えるならば、全力を挙げてその会社を獲得するだけのことである。

 結局、「モチベーション」なんだよなあ。

 『0円で会社を買って、死ぬまで年収1000万円 個人でできる「事業買収」入門』(奥村聡著/光文社新書/2019年4月26日電子版刊・2019年4月30日紙版刊)

2019年6月11日 (火)

日本経緯度原点

 昨日のPV(ページビュー=ブログの閲覧数=まあ、テレビの視聴率とか雑誌の刊行数みたいなもんですかね)が突然1000を超えた。
 まあ、ここ数日3桁PVだったので、もしかしたらという予感はあったんだけれども、なるほどなあ。
 5月にブログを壊してしまい、URLを変えて2カ月程たったんだ。最初は初めてブログを始めた10年前みたいな、自分でセルフチェックしたものを含めて1日20PV位から再スタートして、ここ数日で何となく前のブログ読者が帰ってきてくれているのかなあ、なんて予感があったんだけれども、取り敢えずは再びブログをスタートしてよかったなあ、という感じになっているtsunokenではあります。

 で、今日のブログのスタート!

 4日前の東京アメリカンクラブに行ったときに見つけたのがこの「日本経緯度原点」であります。

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 場所は麻布狸穴の駐日ロシア連邦大使館の脇を進んで東京アメリカンクラブの門をさらに過ぎて、以前は周防氏のバーニングとかジャニーズとかがブイブイ言わせる前に日本の芸能界・テレビ界を支配していたドン、渡辺晋氏の渡辺プロダクションの本社があった場所で、現在はクラシック系の音楽スタジオとして知られるサウンドシティとか、ラジオ日本(旧ラジオ関東)があるビルの前。

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 なんとなく駐日アフガニスタン大使館の中かな? なんて思える場所にあるんですね。

 というかそれは話が逆で、元々東京天文台の一部だった場所に日本経緯度原点を作ったんだが、その後、東京天文台は三鷹に移転し、土地は国交省のものになったんだけれども、その一部を駐日アフガニスタン大使館に売ったわけです。

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 で、「日本経緯度原点」って何だ? って言ってしまっては、あまりにも私の無知さをさらけ出してしまう。要は「日本の中心」の場所を決めて、日本の地図をすべてここからスタートさせるっていう「ポイント」なんですね。

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 これが、その「ポイント」。

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 ただし、そのポイントも関東大震災や、東日本大震災などの大きな地殻変動によって少しずつ移動しているようなのだ。

『2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震により、東日本を中心に大きな地殻変動が発生し、日本経緯度原点そのものも移動した。これを受けて行われた再測量の反映として、同年10月21日に測量法施行令が改正され、原点数値のうち経度が0.0110秒だけ東寄りに改められた。緯度については改正されていない。これは、原点が真東に(90°)、277 mm移動したことを意味する。』

 そうか、東日本大震災でもって日本列島の位置は「28cmも」移動したってことなんですね。まあ、その上に住んでいるとまったく気が付きませんけれどもね。

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 昔「AKIRA」の音楽で芸能山城組の録音をサウンドシティでやった時には、確か、駐日アフガニスタン大使館なんてなかったもんなあ。

 いやあ、昭和は遠くなりにけりですねえ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Higashi Azabu ©tsunoken

2019年6月10日 (月)

京成お花茶屋・曳舟川親水公園

 京成本線お花茶屋駅ってなんとも「お花畑」な駅名なんだけれども、「お花茶屋」っていうのは駅がある場所の地名なんだから仕方がない。

 じゃあ、なんで「お花茶屋」なのかっていえば、「江戸時代、江戸幕府八代将軍の徳川吉宗が鷹狩りに興じていた際に、腹痛を起こした。その時、名をお花という茶屋の娘の看病により快気したとの言い伝えがある。この出来事により、現在の地名を賜ったとされている。」(Wikipedia)というよくある話。

 太田道灌の「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」みたいな典雅な話だなあ。っていうくらい、この地は田舎だったっていうことなんですね。いやあ、これまた「お花畑」な逸話ですなあ。

 で、この地は田舎だったっていうもう一つのお話。

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 昔、この地には曳舟川という川があった。

『江戸期の後期から明治の初めごろにかけて行われた曳舟は、一種の水上交通機関ではあったが、舟を曳く動力が陸からの人力であるため、馬とか籠などの陸上交通機関の要素も含まれたものであり、当時曳舟は異色の交通機関として人気があり、江戸市中から下総、水戸方面へ行く、多くの旅人に利用されている。』

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『他の都市河川と同様に、1964年東京オリンピックが開催された昭和39年ころまでは、小魚などの生物が生息している川であったが、高度成長期に入ると生活雑排水やメッキ工場からの排水が流れ込み瀕死の状態となっていた。
 排水規制等によって、水質は改善されたものの、葛西用水の一部区間の公園化や葛西用水からの取水ができなくなったことにより、現在の曳舟川は支流も含めて埋め立てられ、水路は存在しない。』

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『葛飾区の区間は、人工的な水の流れをつくり、曳舟川親水公園となり、自然の川を再現した区間や、シャワーを備えた親子向けのプールになった区間もある。』(以上、引用はすべてWikipediaより)

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 まあ、現在はまだ夏前なので子ども向けのプール部分には水が入っていないが、もうすぐ営業を開始するんだろう。

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 まあ、考えてみれば「お花茶屋」っていう地名が「お花畑」なんだから、まあ、町の印象も「お花畑」的になるのはしょうがないのかなあ。周辺にはお花畑なんてものはないんですけれどもね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Ohana Chaya & Shiratori ©tsunoken

Photo_13歌川広重画『名所江戸百景「四ツ木通用水引ふね」』

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