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2017年3月23日 (木)

『こんな街に「家」を買ってはいけない』って、今更言われてもなあって気分?

 いまさら『こんな街に「家」を買ってはいけない』なんて言われても、買っちまったものはしょうがないじゃないですか。買っちまったものは……。

「〇〇ニュータウン」なんてものが、実はまやかしのニュータウンであり、実際のところ住んでいればやがてはオールドタウンになって、住民は停滞化し、新陳代謝はしない、誰も住みたくない街になるってのは分かっていた。実際に年をとってきて住むのに便利なのは、実は「都心のマンション」なのだ。

Photo 『こんな街に「家」を買ってはいけない』(牧野知弘著/角川新書/2016年11月10日刊)

『全国のニュータウンは計画地区数で、2009カ所、面積にして18・9万ヘクタールにも及んでいます。
 大阪府の面積が約19万ヘクタールですから、その規模の大きさが想像できます。全国の市街化区域の13%がニュータウンというのが現状です。
 さらに驚くべきことに、事業が終了したニュータウンは1828カ所、つまり今でも計画段階のニュータウンが181カ所も存在しています』

『多くのニュータウンは、現在では築40年以上を経過しており、住民の高齢化も激しく、もはやニュータウンではなく、「オールドタウン」となっていることが窺えます。
 ニュータウンは開発時期に同じような年齢層の住民が一斉に入居する結果、住民の高齢化が一気に進むという特徴があります』

『公営住宅は低廉な家賃が売り物で、分譲住宅には手が届かない人たちがとりあえずはここに住み、やがて子供の成長ともあいまって、分譲住宅を購入し、転出していく。そのあとに、再び、若い世帯が入居する。こんな人口循環を前提に供給されてきました。
 ところが、多くの住民は固定化し、また若い世代がどんどんその数を減少させていく中で、公営団地の住民は毎年歳を重ね、住民の高齢化の問題が起こってきました』

『首都圏は国内でも圧倒的に人口が集積しているエリア。高齢化率が同じ30%だとしても、その実数は大変な数になります。そして、その数値を生み出すもととなるのが、首都圏郊外の住宅地なのです。
 いわば首都圏郊外の住宅地は、高齢化社会の縮図として、実数で圧倒的に多くなる高齢者が抱える多くの問題を解決していかなければならなくなります。
 ニュータウンからオールドタウンへ。郊外住宅地の高齢化は待ったなしの状況です』

 というっことで、共働きの若い世代はタワーマンションなんかに居住するようになるんだけれども、それにも問題があるんだなあ。例えば、いま超高層マンションが林立している川崎市の武蔵小杉あたりなんだが。

『ニュータウンは都市郊外部に「面的」に拡大していきましたが、今は超高層マンションのように「立体的に」伸びるニュータウンになっているのです。
 そしてこれらの街は増加し続ける住民の数だけにその発展を依拠しています』

『私はこの街の人気は一過性のものと見ています。ニュータウンと同様に時代の経過とともに取り残されるマンションが増えていくような気がしています。その際厄介なのは、建物は土地と違って激しく劣化するもの、ということです』

『人間の住む土地というのは実は長い歴史の上に成り立っているものです。つまり、多くの災害や戦禍などが繰り返される中で人はもっとも安心安全な土地を探し求め、その結果としてたどり着いたのが、現在でも高い知名度のある土地です。
 一時的な人気だけで、未来にわたって価値が高まるような土地は存在しないのです』

『「江戸っ子も三代」とはよく言ったものです。三代が暮らすようになると、地域内の行事も次世代へと受け継がれるようになり、それぞれの家での歴史が積み上がっていきます。その集合体としての地域の文化、風俗が生まれてくるのです。
 不動産の価値も、実は、そこまでの見極めをしないと、本当の価値とは言えないものなのかもしれません。一時的に人気が出て、大勢の人が「買いたい」「借りたい」と言って、集まってくると、不動産価格は上昇しますが、これが永続するかは、まさに、この価値が次世代に正しく受け継がれていくかにかかっているのです』

 結局、親の世代が住んだ街に、子供世代が同様に住み、街の行事や文化をそのまた次の世代に伝えていくようないならないと、街は滅びてしまうということなんだろう。ニュータウンやタワーマンションのデベロッパーにはそんな発想はなくて、単に「売り逃げ」ているだけだもんなあ。そこへ行くと都心のマンションなら、もともとその土地に歴史があり、文化があり、街の行事なんかもある。そんなところなら、若い世代が帰ってきても、再び街に溶け込んで生きていくことができる。

『これまではどこが値上がりするか、といった「財産」として住宅を考え、選択することが自宅を選ぶ際における主流の考え方でしたが、今後の家の買い方は、「消費」としての効用をいかに高めるかということで選択する時代になると言えるでしょう』

『つまり、都心部までの交通利便性や、住み心地の良さ、生活周辺サービスの充実、保育所、学校などの教育施設の内容、映画館や美術館などの娯楽・文化施設、すべてが「便利」で、効率的という要素から選ばれていくのです』

『こうして考えてくると、2000年代になって急速に「都心居住」が進んだことは必然だったとも言えます。男女雇用機会均等法の改正で、女性の深夜就業が認められるようになり、より利便性の高い住宅が求められるようになったからです』

『利用価値の高い都心部の住宅の人気が顕著になるということは、人々が知らぬうちに住宅という存在を「利便性重視」=「消費」という概念で選択するようになったということです』

『住宅は利用価値に根差した消耗品として、買い替えていく存在になる、こうした考え方が今後住宅を購入していくにあたっての賢い知恵なのです』

 まあ、買い替えていくというのも難しいだろうから、「借り換えていく」という生き方もあるんだろう。

『とりあえずは今の生活を続けるのに支障のない範囲で割り切って、たとえば家族の利便性を重視して、都会のマンションを借りる。ある程度生活も安定し、子供が卒業したあとに、夫婦そろって暮らせるような家を買う。最近は結婚生活が長く続かない人もいます。一人ぼっちになっていれば、「一人住まい」にふさわしい家を買う。いろいろな選択肢を、置かれた状況に応じて使い分ける、つまり所有権から「解放」された人生を過ごしてみることも、今後の生活スタイルとして定着してくるかもしれません。
「家なんてもたなくてもいいじゃん。いくらでもあるのだから」
 こんな考えか方がひょっとすると25年後の日本では常識になっているかもしれません』

 う~ん、なかなかいい考え方だなあ。

『こんな街に「家」を買ってはいけない』(牧野知弘著/角川新書/2016年11月10日刊)

2017年3月20日 (月)

『キリスト教神学で読みとく共産主義』

 いやあ、佐藤優氏の本でこんなに引用が多い本は初めて見た。

「キリスト教神学的アプローチで、廣松渉「エンゲルス論」を読み直す」っていう腰巻からすれば、それは引用が多くなるっていうのは分からないでもないけれども、廣松渉がブント(共産主義者同盟)の思想的バックボーンであり、佐藤氏が在学した同志社大学などの関西の大学ではブントが主流であり、関東の革命的共産主義者同盟革マル派及び中核派、革労協(社青同解放派)などとも一線を画した左翼運動と考えると、そんなに廣松渉や関西ブントの思想を「キリスト教神学で読みとく共産主義」っていうほどには持ち上げなくてもいいんじゃないの? ってな気分にもなるんだけれどもなあ。

Photo 『キリスト教神学で読みとく共産主義』(佐藤優著/光文社新書/2017年2月20日紙版刊・2017年2月17日電子版刊)

『ソ連型社会主義(共産主義)は、マルクスとエンゲルスの理論をロシアの現実に創造的に適用することによって実現したというのは建前にすぎず、実際には、ロシア正教の異端思想と、民衆の受動性を徹底的に利用して、レーニン、トロツキー、スターリンらのボリシェビキ(ロシア社会民主労働党の左派)が権力を奪取した帝国の再編に過ぎないという見方もある』

 というのはその通り。

『廣松が、ソ連型社会主義の崩壊を目の当たりにし、マルクス主義の理念そのものが歴史の屑篭に投げ捨てられてしまうことを懸念して新左翼的運動を再編しようとしても、それが現実に影響を与える力をもたないことは客観的には明白であった。しかし、客観的には負けが明らかな情況であっても、それにあえて参与するというのが廣松型政治の美学だったのである』

『廣松は、ソ連型マルクス・レーニン主義については、かなり早い時期から「ロシア・マルクス主義」であると規定し、批判的姿勢を鮮明にしていたが、『ドイツ・イデオロギー』以降のマルクスの言説については、廣松流の弁証法を巧みに駆使して、「マルクスが言っていることは、正しい」ということの護教に専心する。特に『資本論』の読解において、その傾向が顕著に表れている』

『廣松が、ソ連型社会主義の崩壊を目の当たりにし、マルクス主義の理念そのものが歴史の屑篭に投げ捨てられてしまうことを懸念して新左翼的運動を再編しようとしても、それが現実に影響を与える力をもたないことは客観的には明白であった。しかし、客観的には負けが明らかな情況であっても、それにあえて参与するというのが廣松型政治の美学だったのである』

『廣松にとっての左翼運動とは、結果を追求する政治運動ではなく、「虎は死して皮を残す」という類の正義運動だったのかもしれない』

『彼らのインターナショナリズムは、世界の側から地域を睥睨ないし鳥瞰するコスモポリタニズムとちがって、あくまで彼らの出身地を基点として、そこから国、世界へと放射状に拡大するインターナショナリズムだったということである』

 この辺が、日本の左翼運動の限界だったんじゃないだろうか。結局、国際共産主義運動としては、もともと国境なんてものは意識しないで行われなければならないもののはずである。元々、「国家」というものを否定する活動が共産主義なんだから、その活動は「ナショナル」を基にした「インターナショナリズム」ではなくて、元々「ナショナル」を否定した「コスモポリタニズム」でなければならなかったんじゃないだろうか。その証左がエルネスト・チェ・ゲバラの解放戦争主義である。彼は、別にキューバじゃなくてもよかったのだ。たまたま出会ったのがフィデル・カストロだったのでキューバ革命に付き合ったのである。

 まあ、元々政治家ではなくて革命家であるゲバラは、建国はカストロに任せて自分はボリビアに行って、殺されちゃったんですね。

 結局、こういうことなんですよね。

『ソ連型共産主義は、本質において国家社会主義(state-socialism)だった。「私有財産にとらわれた粗野な共産主義」とは、中東欧で現実に存在する社会主義、スターリニズムに対する異議申し立てとして行われたジョルジ・ルカーチ、エルンスト・ブロッホ、カレル・コシークなどの人間主義的マルクス主義にその影を落としている』

 国家社会主義って言っちゃえばそれはナチスのナチズムそのものじゃないですか。まあ、確かに「壁崩壊」以前のソ連ははっきり言ってナチ以上のナチズム政治だったんだろうな。そんな報告や、小説なんかも数多くある。

『廣松にとってエンゲルスは死者だ。しかし、廣松は死者エンゲルスとの対話に成功し、共産主義観について合意に達した。私にとって廣松渉は死者だ。それにもかかわらず、死者廣松渉との対話に私は成功したと思っている。真摯な対話の結果、疎外論と物象化論の違いについて、私たちは共通の認識を持つことができたと思う。しかし、私は物象化論に与することはできなかった。私が持つキリスト教的なバックグラウンド(あるいは偏見)が、本質において仏教的(あるいは京都学派的)な物象化論に対して忌避反応を示すのである。それは、廣松が持つ仏教的なバックグラウンドが、本質にお対して忌避反応を示すのに似ている』

 基本的なことを言ってしまえば……

『マルクス主義が理解する革命とは、政権奪取にとどまらず既成のシステムの全面的転換を伴うものである。従って、革命家でありながら、現下体制を維持する中核にいることは、常に内的緊張を伴う。廣松はこの緊張をあえて引き受けた。この点にも廣松の特異性がある』

 っていうことでしょう。

 まあ、東洋や日本、欧米にしたって「革命」という形の政変ができる時期、できる地域等々があるんだろう。

 当然、革命というのは、民衆革命だろうが、クーデタという形をとるものであろうが、それなりに社会的な熟成と危機感がなければならないはずだ。

 つまり『廣松渉の「エンゲルス論」』だけじゃ、日本の革命状況は見えないってことですね。

 まあ、日本で明治維新以来の革命は、まあここ50年は起きないでしょう。

『キリスト教神学で読みとく共産主義』(佐藤優著/光文社新書/2017年2月20日紙版刊・2017年2月17日電子版刊)

2017年3月15日 (水)

『むかしの味』関帝廟通り・蓬莱閣

 以前、会社のOB会で横浜探索に行った際、打ち上げを行った中華街関帝廟通りの蓬莱閣という店を選んだのは、池波正太郎氏がご推薦の店だからということだった。

 じゃあ、どの本に書いてあるのだろうと調べてみたら、この『むかしの味』という本だった。

Photo 『むかしの味』(池波正太郎著/新潮文庫/1988年11月10日紙版刊)

 例によって目次から内容紹介。

ポークソテーとカレーライス――日本橋〔たいめいけん〕
鮨――銀座〔新富寿し〕
〔まつや〕の蕎麦
粟ぜんざい――神田〔竹むら〕
ポークカツレツとハヤシライス――銀座〔煉瓦亭〕
仕出し料理――品川〔若出雲〕
どんどん焼
クリーム・ソーダとアイス・コーヒー――銀座〔清月堂ライクス〕
京都〔松鮨〕
京都〔イノダ〕と〔開新堂〕
鰻――浅草〔前川〕
信州蕎麦――上田市〔刀屋〕
中華料理――松本市〔竹乃家〕
チキンライスとミート・コロッケなど――銀座〔資生堂パーラー〕
横浜の酒場〔スペリオ〕と〔パリ〕
おでんとあぶり餅など――京都〔蛸長〕〔かざりや〕他
ビーフカツレツとかやく御飯――大阪〔ABC〕〔大黒〕他
焼売、餃子、中華蕎麦など――横浜〔清風楼〕〔蓬莱閣〕他
パルメ・ステーキとチキン・チャプスイなど――京都〔フルヤ〕
ホットケーキとフルーツ――神田〔万惣〕
饂飩と日本風中華――京都〔初音〕と〔盛京亭〕
牛乳、卵、野菜、パンなど――フランスの田舎のホテル

 という具合。まあ、池波氏の食味エッセイは、読んでいる私がまるでそれを食べているような気分になる。う~ん、上手いなあ(旨いなあ)。

 で、蓬莱閣なんだが

『清風楼は中華街の表通りの南へ一筋入った通りにあるが、ちかごろ私が行きはじめた蓬莱閣も、すぐ近くにある。
 店主の王宗俊さんが、この店を始めたのは昭和三十三年だそうな。
 王さんの父君は早く亡くなっている。
「外国人であるために、就職が大変にむずかしく、それで、おもいきって店を出した……」
 のだそうな。
 王さんは、酒場〔パリ〕のママの息子さんとは県立・希望ケ丘高校ラグビー部の、先輩後輩の間柄である。
 ところで、開店して、はじめはコックを雇っていたが、なかなかうまくゆかぬ。居つかないのだ。
 そこで、王さん自身が調理場へ入ることになったわけだが、山東省に生まれた母上に教えられた餃子は、この店の売りものになった。
 王さんにいわせると、餃子は、何といっても蒸し餃子と水餃子に、
「トドメをさす」
 ということだ。
 蓬莱閣の餃子には、ニンニクが入っていない。そのかわり、ニラをつかって独自の味を出す』

『醬牛肉(ジャンニュウロウ)と称する牛肉の冷製に、味つけしたキュウリをそえた一皿など、実にしゃれているし、酸辣湯(サンラータン)もいい』

『このごろの私は、中華街へ行くと表通りの店よりも、山下町の裏通りを歩くことが多い。
 ウイークデーの夕暮れなど、表通りのにぎわいが噓のように、落ちついた町の姿がある。
 いまは消え果てた、東京の下町の匂いが、そこにはただよっているような想いさえする』

 う~ん、いいなあ。また行きたくなったなあ。

 蓬莱閣では「餃子セット」(1人前1,600円/2人から)というのがあって、醬牛肉、酸辣湯、水餃子、蒸し餃子、焼き餃子の全部が食べられるそうである。なお、タレには醤油は使わず、酢とラー油だけで食べるのが正しい食べ方なのだそうだ。

 現在は二代目と三代目が厨房で働いて、三代目の弟が接客を担当しているようだ。

『王さんは、炒め物が得意だ。
 だから、この店の炒飯は旨い』

 って、本当に炒飯まで食べてしまいそうになるなあ。

 う~ん、低糖質ダイエットはどうなっちゃうんだろう。

 ところで、ここで池波氏が紹介しているお店って、ほとんどが昔の場所でしっかり開いている。さすがに「老舗」ってそういうものなのですね。

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『むかしの味』(池波正太郎著/新潮文庫/1988年11月10日紙版刊)

2017年3月12日 (日)

『アメリカ帝国の終焉』

 2015年にオバマ大統領が「アメリカは世界の警察ではない」と言ったとき、「ああ、もはやパックス・アメリカーナは終わってしまうんだな」と感じたものだったが、トランプ政権になって「アメリカ・ファースト」と言ったとき、これで完全に「アメリカの世紀は終わったんだ」ということを思い知らされた。

Photo 『アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界』(新藤榮一著/講談社現代新書/2017年3月1日刊)

『かつて巨大な版図を広げたローマ帝国と同じように、米国もまた版図を広げ、多様な人種を内に抱え込んで終わりの時を刻んでいる。帝国の過剰拡張の帰結だ。それが、アングロサクソン中心の白人優位社会の終わりと、拡大する貧富の格差と重なり合って、伝統的なアメリカ社会を「解体」させはじめている』

『一八世紀後半にはじまる産業革命下のグローバル化を、第一のグローバル化と呼ぶなら、一九世紀末の工業革命下のグローバル化は、第二のグローバル化と呼ぶことができる』

『その第二のグローバル化のなかで、既存の国際秩序であるパクス・ブリタニカ、大英帝国による平和が衰退し、終焉を見せた。そしてそれに代わる新しい国際秩序、パクス・アメリカーナが台頭しはじめていた』

『それから一〇〇年後のいま、二〇世紀末にはじまる情報革命下のグローバル化を、第三のグローバル化と呼ぶなら、その第三のグローバル化のなかで、パクス・アメリカーナが衰退している。大米帝国の世紀に代わって、「アジア力の世紀」、パクス・アシアーナが到来しはじめている』

『日本で、中国経済の〝減速〟が叫ばれているにもかかわらず、中国、インドなどのBRICS諸国や、インドネシアを含めた新興国の経済成長は、着実な上昇線を描きつづけている(実際、二〇一六年四~六月期、中国のGDP成長率は、六・七パーセント増となった)』

『IMF報告によれば、中国、インド、ブラジル、ロシアのいわゆるBRICSに、トルコ、メキシコ、インドネシアを加えた新興G7のGDPは、三七兆八〇〇〇億ドル。米、日などの先進G7のGDP、三四兆五〇〇〇億ドルを凌駕した。世界経済における「南北逆転」である』

『資本主義にはいくつものかたちがある。いま、米欧日などの先進国型とは違う、もう一つの資本主義が、ニューヨークやロンドン、東京から「ジャンプして」、「新しい空間的定位」を求めて、北京やニューデリー、ジャカルタに至る新興アジアで勃興し、成長しつづけているのである』

『かつて一九九〇年代、バブルの渦中で日本円の国際化が喧伝された時のように、いま中国人民元の国際化が、かつての日本とは、圧倒的に規模と次元を異にしたかたちで具体像を結びはじめている。「世界の工場」が「世界の市場」へ変貌し、さらには「世界の銀行」への変容を見せはじめている。それが、二〇世紀パクス・アメリカーナから、二一世紀パクス・アシアーナへの転換と、軌を一にしている』

『いまAIIBは、EU諸国やBRICS開発銀行(本部・上海、総裁・インド人)と協力し、ADB(アジア開発銀行)との協調融資を進めて、途上国支援とアジアインフラ強化に向けて動きはじめた。それら一連の動きは私たちに、アジアが平和と繁栄を享受していくには、単にRCEPのような自由通商貿易圏をつくるだけではなく、それを超えて、域内所得格差を縮め、インフラ整備強化への投資を進めていくことが不可欠である現実を示唆している』

『一国中心の成長第一主義モデルから、多国間の地域協力的で持続可能な発展モデルへの転換といってよい。その転換のなかで、「分断されたアジア」が「一つのアジア」へと変容していく』

『経済的政治的に〝膨張する〟昨今の中国には、中国固有の〝軍産複合体〟が生まれはじめていると見ることができる。中国人民解放軍と資源エネルギー産業との〝利益複合体〟形成の動きだ。疑いもなくそれが、南シナ海における中国の〝膨張主義〟的行動を生み出している。
 しかし、資源エネルギーインフラ開発を、中国が周辺諸国とともに進めるなら、潜在的な〝軍産複合体〟の胎動を、内側から削ぐことができる』

『そしてその共同開発が、日本や韓国、ASEAN諸国の軍備拡大の動きを抑え、軍縮と緊張緩和への道を拓くことを、可能にしていく。いわばアジア不戦共同体への道である』

『日本が、一国繁栄主義を捨て、アジアとともにアジアのなかで生きていく。それは私たちが、明治以来の、日本主導の「脱亜入欧」路線を、アジア共生の「脱欧入亜」路線へと、外交転換を図ることを意味している。トランプ新政権の〝取引外交〟に応えて日本が、軍備強化や核武装を進める道では、もちろんない。東アジアの軍縮と軍備管理を進める道だ』

 しかし、日本がアメリカを捨てて中国に寄り添うということば、さすがにアメリカも黙ってはいないだろう。そうなると、いかにしてアメリカと中国のバランスをとった外交を進めるかという、かなり難しい立場をとることになるのだろう。

 まあ、明治以前の日本はそうやって世界とのバランスをとって生きてきたわけなので、別に難しいことではないはずだ。ただ、明治になってどこか自己中心的になってしまい、アメリカによってコテンパンにされてしまったこの70年もの間、日本はアメリカに頼っている生き方をしてきたわけで、その間に自らのアイデンティティを捨ててきた。日本の政治家は単にアメリカとの距離感だけを考えていればよかった時代が長すぎたんだなあ。

 ここは日本もアメリカがトランプというトンでもない大統領が現れたのと同じく、一回ガラガラポンしてアメリカや中国にコンプレックスを持っていない政治家が立つしかないんのではないだろうか。しかし、それは自民党の既成勢力の中にはいないだろう。自民党はあまりにもアメリカにすり寄りすぎている。

 となると、小泉孝太郎あたりが首相になるまで待たなければいけないのだろうか。

 安倍晋三氏の賞味期限もなんかもう風前の灯火になってしまっているし、石破氏がつなぎになって、次の小池氏が首相になった時なんだろうか、あるいは小池新党の誰かがそんな役割を果たしてくれるんだろうか。

 いずれにせよ、いずれ日本もアメリカから真の独立を果さなければならない時代がもうすぐやってくるわけで、そんな時代に対応できる政治家が現れなければ、まさしく「日本沈没」だぁ。

『アメリカ帝国の終焉 勃興するアジアと多極化世界』(新藤榮一著/講談社現代新書/2017年3月1日刊)

2017年3月 9日 (木)

『面白い生き方をしたかったので仕方なくマンガを1000冊読んで考えた』

 まあ、以前なら「生き方を教えてくれる」って言ったら、大体が小説だったんだが、今やそれがマンガに代わってしまったっていうことなんだろうな。

 確かに、今やマンガ作家の方が小説家よりは(まあ数万人分の一みたいな確率で当たればですがね)稼げる時代にはなっている。いまや小説家で小説だけで食っていける作家はあまりいない。大学の教授などを副業(どっちが?)としてやっている人の方が多いんじゃないか。

 それに比べてマンガ家の方がまだマンガだけで食っている人が多いんじゃないだろうか。でも、そんなマンガ家だから目指す人は多い。マンガ家を目指す人が数万人、その中で漫画雑誌の新人賞などに当選するのが数百人、そこからレギュラーで連載をできるのが数十人、でそこから単行本でベストセラーを出せるのが数人っていう世界なんですね。

 それでもマンガ家を目指す人は多い。まあ、「夢を見る」っていうことは悪いことじゃない。その夢に向かって若い人たちは突き進むんだ。けど、だからと言ってアニメ学校に行ってもマンガ家にはなれないんだなあ。ポイントは自分の才能と努力だけ、って世界だからね。

 ただ、まあその夢も人生のどこかであきらめなければならなくなる時が来る、ってもんで、そこから先の人生が、実は大事なんだよなあ。で、そんな切磋琢磨されたマンガだからこそ人生に与えられるよううな事柄が書いてあるってことなんだけれども……、

1000 『面白い生き方をしたかったので仕方なくマンガを1000冊読んで考えた→そしたら人生観変わった』(堀江貴文著/KADOKAWA/2016年12月31日刊)

 本書の構成はこんな感じ。

PROLOUE 「遊びが仕事になる時代」にマンガが必要なワケ

CHAPTER 1 「仕事はセンス」と教えてくれるマンガ

CHAPTER 2 想像力は観察力だ。

CHAPTER 3 人は情報を食べて生きている

CHAPTER 4 鉄文という生き方

CHAPTER 5 栄光なき天才たちが社会を動かす。

CHAPTER 6 著者で読むマンガ

CHAPTER 7 〝読書家″に負けない知識がつく、実用マンガ

CAHPTER 8 いろんな「if」

CHAPTER 9 忘れられないトラウマ・マンガ

CLOSSTALK 堀江貴文×佐渡島庸平 マンガは新しい「遊び」をつくる

 それにしても、こうしたホリエモンの発言にはちょっと嫉妬を覚えるんだなあ。

『そもそも今の仕事の大半は、一昔前は遊びだった。たとえば今や世界最大とも言えるほどに巨大産業になったIT産業がそうだ。
 私が生まれて初めてパソコンを手にしたのは中学生の頃だ。1985年、茨城県つくば市で科学万博が開催された年だった。中学の合格祝いとして、親から買ってもらったのが日立のMSXパソコン「H2」だった』

『そうして私は、パソコンをグレードアップしながら当時の標準言語「BASIC」はもちろん、様々なマシン語を覚え、より高度なプログラミングをマスターしてゆく。
 私の遊びはその後、時価総額何兆円というIT企業の価値を支えるプログラマーの仕事になり、彼らの生み出した様々なサービスは私たちの生活をより豊かにしている』

『カタカタとキーボードを叩いてプログラミングをしていた、MSXパソコン越しに未来を見ていた視線のまま、私は大人になって、IT企業を起業して、今も同じ目線で未来を見ている。あの頃に得た様々なインスピレーションは、今もIT産業のこれからを知る上で大切な知識になっている』

 私は1951年生まれなので、中学生の時代には「パーソナルコンピュータ」なんてものはなかった。算盤や計算尺や紙と鉛筆でもって数学計算を行っていた時代なのだ。大学に行っている間に、コンピュータというものが出てき始めて、先を読んだ学生がコンピュータの講座を取り始めて、多分この頃はFORTRANとかCOBOLなんてプログラミング言語で皆「コンピュータって何なんだ?」ってな調子でコンピュータを学んでいた時代だ。

 社会人になって10年ぐらいした頃になって、オフィスコンピュータの時代になって、私も労働組合の事務局におかれたIBMのオフコンをさわり始めたんだが、まだその頃は自分自身「コンピュータって何なのか」を理解してはいなかったのではないだろうか。

 その後は速かった。取り敢えず、私もMacintoshのPCを買って、会社(自腹です)と家でコンピュータって何なんじゃいということから始めたんですね。それが199何年か。まあ、Windows 95よりは数年前、Windows3.5よりも2~3年前じゃないでしょうか。

 まあ、ホリエモンたちは初めの頃からパソコンっていうものがあって、それをオモチャみたいにして遊んでいた世代なんですね。なので、『そもそも今の仕事の大半は、一昔前は遊びだった。たとえば今や世界最大とも言えるほどに巨大産業になったIT産業がそうだ』っていう言い方ができるんだよね。

 まあ、そこに私たち世代は嫉妬するんだけれども、それは意味はないですね。

 最初に上げた「本書の構成」は別にこの本だけの特徴ではない。いろいろなジャンルの小説やら漫画やらを紹介する際の普通のジャンル分けだ。

 ということは、この何の変哲もないジャンル分けが、これからは当たり前のジャンル分けになっていく、つまり、小説のジャンル分けが成り立たなくなって、基本それはマンガのジャンル分けになっていくってことなのかなあ。

 う~ん、ここにも小説の衰退が見えてくるなあ。

『面白い生き方をしたかったので仕方なくマンガを1000冊読んで考えた→そしたら人生観変わった』(堀江貴文著/KADOKAWA/2016年12月31日刊)

2017年3月 7日 (火)

ユニクロ潜入一年

 本書は『週刊文春』2016年12月8日号・12月15日号に掲載された横田氏のルポを緊急出版したものだ。この辺がいかにも電子書籍ならではの方法で面白い。

Photo『ユニクロ帝国の光と影』著者の渾身ルポ ユニクロ潜入一年』(横田増生著/文春e-Books/2017年1月20日刊)

『ユニクロは私の著書を名誉毀損として二億二千万円の損害賠償を求める 裁判を起こした。私は勝訴したが、柳井社長はその後インタビューで 「悪口を言っているのは僕と会ったことがない人がほとんど。 うちの会社で働いてもらって、どういう企業なのかを ぜひ体験してもらいたい」と語った。ならば実際に 働きながら取材しよう。以後八百時間を超える労働から 浮かび上がったのは、サービス残業と人手不足の実態だ』

『裁判が終わると、私はユニクロ側に、まずは裁判中に出入り禁止となっていた決算発表に参加させてもらえるよう交渉を始めた。同社が二〇一五年四月に開く中間決算会見に参加することで話がまとまったように思えた。しかし、決算会場へ向かう途中、私の携帯電話が鳴った。ユニクロの広報部長の古川啓滋氏はこう告げた。
「柳井から、横田さんの決算会見への参加をお断りするようにとの伝言をあずかっています」
 理由は、記者会見当日に発売となった週刊文春に私が書いた記事「ユニクロ請負工場 カンボジアでも 〝ブラック〟告発」だった』

 ということで横田氏は『国内のデフレ経済やグローバル化に、日本を代表する経営者といわれる柳井社長は、どのように向き合っていくのか。私は定点観測したい』ということで、ユニクロに潜入取材を試みるのだった。

 幸い50歳という高齢にもかかわらずアルバイトとして採用されて、2015年10月から働き始めるのだが、そんな高齢者でも採用しなければならないほど、ユニクロの人事は払底しているということなんだろう。

『私がユニクロで働き始めてから一年以上がたった。労働時間は八百時間を超えた。最初は千葉市内の大型店、次は豊洲の標準店、そしてこの十月から新宿のビックロで働いている』

『『ユニクロ帝国』の出版当時の二〇一一年、同社内の月間上限の労働時間は二百四十時間未満と決まっていた。現在では、繁忙期は二百二十時間で、閑散期は百九十五時間にまで減っている。店長であっても、週に二日は休みが取れているようだ。以前は出ていなかった残業手当も、現在では店長にも支払われている、と現役のユニクロ社員は証言する』

『私は働いた三店舗すべてで、サービス残業が行われていることを確認している。一度、退勤したことにして、働いている店長や社員、準社員がいるのだ』

『ユニクロ潜入記者12月3日解雇されました』

 2016年12月1日発売号、『週刊文春』に「ユニクロ潜入一年」を掲載して初めて出勤する。

『男性は「本部人事部の▲▲」と名乗った。後で確かめると、本部の人事部長だった。後ろからもう一人、三十代とおぼしき男性が入ってくる。彼も人事部所属だと言う。
 部長は、壁の時計を見ながら、こう切り出した。
「本来なら、十四時出社と伺っていたんですが、今は(午後一時)五十五分ですね。(その分)給与に反映させていただきますので」 と言う』

『第七十五条の十四項には、「諭旨退職・懲戒解雇」とあり、「故意または重大な過失により当社に重大な損害を与え、または当社の信用を著しく傷つけた時」とあり、第十六条には「解雇事由」と書いてあった』

『私は、契約期間である二〇一七年三月末日まで辞めるつもりはないと告げた上で聞いた。
「懲戒解雇ですか?」
「懲戒解雇ではありません。解雇通知です」
 どうやら諭旨解雇のようだ』

 まあ、そりゃそうだよなあ。

『週刊文春』とどういう話が進んだのかは知らないけれども、2017年3月末日の契約期間が終わってからルポを発表してもよかったんだろうけれども、そうじゃなくて2016年12月1日発売の号に掲載してしまった以上は、ユニクロには身元がばれて、解雇通知がでることはやむを得ないことなんだろう。まあ、ユニクロサイドでは「懲戒解雇」にしたかったんだろうけれども、それをやっちゃうと問題が更に大きくなってしまうので諭旨解雇という若干アマアマの処分にしたんだろうな。

 ユニクロがブラック企業だってことは皆知っている。ワタミだってそうだ。

 しかし、そんなブラック企業だってわかっていても、そこに勤るしかならない人たちがいるってことが問題なんじゃないだろうか。要は、他の「ホワイト企業(?)}には勤められない人たちだ。

 まあ、そんなホワイト企業(?)だって、違法残業だとかなんかはありますからね。私がいたK談社だって、編集職は基本残業制限なしの「裁量労働制」ってのがあって、基本的な「編集部手当」っていうのがいわば一律の残業代であって、残業の時間と関係なく付く手当なんですね。まあ、K談社の編集者の生活態度なんかを見ていると、それが一番適正なのかなとは感じてはいました。

 自分が勤めている会社がブラックかホワイトなのかを判断するのは、そこに勤めている個人でしかない。社会から「ブラック企業」だと思われている企業に勤務していても、勤めている本人はまったくブラックだとは思っていないケースもある。

 基本的に、出版社なんかは完全にブラック企業に属する企業なんだけれども、そこに勤務する従業員は「何かをクリエイトする」仕事に十分満足しているから、自分が「ブラック企業」にいるってことを感じていないんですね。

 まあ、自分が所属する企業が「ブラック」なのか「ホワイト」なのかを決めるのは、その個人の判断なんじゃないでしょうかね。

『ユニクロ帝国の光と影』著者の渾身ルポ ユニクロ潜入一年』(横田増生著/文春e-Books/2017年1月20日刊)

 こちらもどうぞ。

2017年3月 4日 (土)

『フィリピンパブ嬢の社会学』

『法務省入国管理局の調べによると、2015年6月現在、中・長期で日本に滞在しているフィリピン人は22万4048人だという。在留するすべての外国人数が217万2892人だから、フィリピン人は1割以上になるということだ。そのうち在留資格を持つフィリピン人は11万8132人に上る。その75%が女性である』

 で、その女性の多くがフィリピンパブで働くホステスであり、そのホステスの大半が偽装結婚で日本に入国しているというんだから、まあ、大変なことになっているんだなあ。

Photo 『フィリピンパブ嬢の社会学』(中島弘象著/新潮新書/2017年2月24日刊)

『僕はその頃、大学院生で、修士論文にフィリピンホステスのことを取り上げようと考えていた。大学院の女性指導教官は、国際政治学が専門で、ジェンダーや多文化共生の観点から、在日フィリピン人女性の生活についての研究、および支援を行っている』

『僕は教官に、名古屋にはフィリピンパブが集中していること、ホステスの多くが偽装結婚で来日していること、背景にはおそらく暴力団が絡んでいることなどを話したら、
「フィリピンパブについての学術調査は、これまで見たことがありません。面白い研究になるかもしれませんね」
 ということでOKが出た』

 ところがOKを出していながら、いざ、中島氏がそのホステスと付き合うようになると、こうなっちゃうんだなあ。

『何回か通ううち、僕はミカと付き合うことになった。
 指導教官にそのことを告げたら、顔色が変わった。 「そんな危ないこと、すぐやめなさい! そんなことを研究対象にはできません。その女性とは早く別れなさい。あなたのお母さんに顔向けできません!」』

 男と女の関係なんだから、その中で研究対象になっている女性を好きになり、付き合うようになることは仕方がないんじゃないだろうか。まあ、その指導教官はそんなことまでは考えていなかったんだろうな。つまり、その指導教官自身も経験不足っていうか、予測可能性不足。

 まあ、ここにも外国人に対する偏見と、水商売の女性に対する蔑みと憐れみがあるんだなあ。

 それでもミカと付き合うようになってしばらくしてから……

『2012年1月下旬、ミカを大学に連れて行った。午後3時頃、学食で大学院の同級生にミカを会わせた』

 で

『指導教官にもミカを会わせた。
 授業が終わった後、「一度彼女に会ってください」と頼みこんだ。場所はやはり学食、一緒のランチ。教官はミカと、フィリピンの家族の話や、学校の話をしている。遠慮しているのか、ミカの仕事についてはちっとも聞かない。僕は先生に、仕事やマネージャーとの関係について訊いて欲しいといった。
 先生は「仕事はどんなことをするの?」と質問した。すると、ミカは日本に来た経緯や、偽装結婚するまでの話、仕事のノルマやペナルティーなどについて話した』

『「あんな小さな体の子が、偽装結婚とかマネージャーとの契約とか、たくさん問題を抱えて……。それをちゃんと乗り越えてるなんて、信じられない」
 先生もミカの人柄に好感を持ったようだった』

 偽装結婚をして、実際にはフィリピンパブからは20万~40万円のギャラが出ていながら、その大半をマネージャーにピンハネされて自身には6万円位しか手にできないんだけれども、その半分をフィリピンに送金して、それでフィリピンに残された家族は多少は贅沢な生活ができるっていう、日比の物価格差っていうか生活格差が、問題の大半なんだ。

 っていうことだから、フィリピンパブで働いているホステスの研究をしている中島氏自身が……

『僕の頭の中には「フィリピンホステスはかわいそうな人」というイメージができあがっていた。しかしミカは「偽装結婚・出稼ぎホステス」という身分の中で生き生きと暮らしている。そんな姿に惹かれた』

 という風に書くくらいに、なんか見下しているという感じがあるんだよなあ。

 まあ、これが外国人で日本で就労する人に対する、蔑みと憐れみの原因なんだけれども、実は

『フィリピンでは国民の1割が海外に出稼ぎに出ている。そして彼らから送られてくる外貨送金がフィリピンの消費を生み出し、経済を支えているのだ。ミカの家族のように、送金だけで生活しているというのは、一家族の問題ではない。国全体の問題なのだ。それは分かっている。分かってはいても、受け入れることは難しい』

 問題はこちらの方で、やはりフィリピンの経済離陸が未だ始まっていないということなんだろうなあ。周囲の中国やシンガポール、マレーシア、タイ、ベトナムに比べても経済的に発展していないっていうのは、経済首脳の問題なのか、あるいは300ほどに分かれている島国だという問題なので、経済インフラが統一して行われないという問題なのかはわからない。

 でも、こうした問題が解決されても、やはりフィリピンから日本へ出稼ぎに来る関係はあまり変わらないだろう。それはやはりアジアの中で一番最初に経済離陸を果たした日本へのあこがれがあるだろうし、今後、日本が移民受け入れの方向に進むだろうという考えもあるかもしれない。

 まあ、私なんかは日本もどんどん移民を受け入れて、日本自身が「多民族国家」になってほしいと思っているんですがね。

 自分の隣にいる人が外国人って楽しいじゃないですか。テロ組織の人じゃないだければだけれどもね。

 フィリピン人なんて最高ですよ。女の子は可愛いしね。

『フィリピンパブ嬢の社会学』(中島弘象著/新潮新書/2017年2月24日刊)

2017年3月 1日 (水)

『谷中レトロカメラ店の謎日和 フィルム、時を止める魔法』

『谷中レトロカメラ店の謎日和』の第2弾です。面白そうな小説を見つけたんで、出るたびに追いかけて行こうかと考えているんだけれども、宝島社ってそんなにデジタル化に後ろ向きの会社なのかなあ。そんなことしているとツブレちゃうよ。

Photo 『谷中レトロカメラ店の謎日和 フィルム、時を止める魔法』(柊サナカ著/宝島社文庫/2016年10月20日刊)

 ということで、今回も章ごとに登場するカメラとレンズその他の周辺機器をご紹介。

第一章 カメラ売りの野良少女

 一度、今宮写真機店を辞めようと決めた来夏だったんだが、結局、帰ってきてしまった。店を休んでから三か月が過ぎてしまい今宮とはどんな男性か考えてきたんだが、何も決めることはできずに、再び店に戻ってきた来夏。

 登場するカメラ及びレンズは、ニコンF2にニッコール50ミリ、ニコマートにニッコールオート24ミリ、ニコンFが二台、ニコンF2チタン、ニコンS3にワイドレンズという「戦場カメラマン」仕様。戦場カメラマンというと普通は男性をイメージするんだけれども、実はこのカメラとレンスを売りに来た女の子のお母さんが戦場カメラマンだったっていうオチ。

「〈幕間〉 来夏と不機嫌な来客 一」に登場するのは、ニコンミュージアムで売っている「ニコンようかん」と、ライカがまだ大事に持っているライカⅢf。

第二章 鏡に消えたライカM3オリーブ

 カメラは二眼レフのヤルー、そして章題の通りのライカM3オリーブ。西ドイツ軍用の仕様だ。その他、『そのライカの中でも、レアなものはやっぱりすごい値段が付くんです。例えば、スェーデン軍仕様のⅢgで、三つの王冠の刻印がついたスリークラウンとか、ドイツ空軍仕様のグレー塗装のⅢcとか、あともっとすごいのになると、キリ番というものもあります』という、今宮のまさしくオタク説明があります。

 その他、ダゲレオタイプとか、二眼レフのヤルーのミニチュア・キーホルダーとか、「〈幕間〉 来夏と不機嫌な来客 二」ではLマウントのライカ・レンズ、エルマー35ミリやズマロンが登場。

第三章 三月十四日、遺された光

 トリエルマー、ノクチルックスなどのレンズの話から、プラウベルマキナ67なんて中判カメラのお話から、蔵全部がカメラコレクションになっているカメラオタク爺さんの話。

第四章 その客は三度現れる

 基本的に現れるカメラはコンタックスⅡaのみ。あとはプラモデルカメラ。

第五章 わたしはスパイ

 タイトルはアメリカで昔流行ったテレビドラマ「I Spy」からのもじりなんだろうが、スパイカメラとして有名なミノックスとかラトビア産のリガミノックス、ジッポライター型のエコー8、フォトスナイパーというカメラアタッチメントとカメラはゼニット。シグマ200-500ミリ、f2.8という大口径超望遠レンズ。

「〈幕間〉 来夏と不機嫌な来客 五」ではやっぱりライカ・レンズのズミルックスとかズマリットMが登場。

第六章 君の笑顔を撮りたくて

 ベッサⅡ、リコーフレックス、ラジオとカメラが一体化したラメラ、テレカ、リンホフ・マスターテヒニカ、レンズのローデンシュトック・シロナーなんてまあ、今宮のカメラオタクぶりが発揮されるんだが、結局、悩みを解決してくれたのはキャノンEOS1-Vとサンニッパ(300mm、f2.8)というレンズ。

「〈幕間〉 来夏と不機嫌な来客」ではペンタックスLXとレンズはペンタックスFA31mm。

第七章 ゆっくりと歯車は動き出す

 ツァイスイコンとレンズはT*21mm、ローライ35S、ライカM3、ミランダ、そして世界で最初に誕生したデジカメ、カシオQV-10。

第八章 ハンザキャノンと彼女の涙

 この章に至り描かれる視点がそれまでの来夏から今宮に移る。まあ、それがこの章の秘密なんだけれどもね。この小説の中で今宮が「来ちゃん」って言えば、当然それは来夏のことだと読者は思ってしまうんだが……。そこがこの章の秘密。

 そして写真館をしている十野先輩の代打ちで小学五年生の紙灯篭作りを撮影することになった学生時代の今宮。その紙灯篭作りで撮影した小学五年生の狭山ちゃんが実は……、ってお話。

 カメラは章題とおりのハンザキャノン、ライカM3のキーホルダー、そして来夏の愛機、ライカⅢf。

 結局、今宮と来夏の関係はこの二冊目でもさほど進展しないまま、終わってしまった。まあ、二人が結婚でもしたら、このシリーズも終わってしまうので、しばらくはこのままの関係が続くんだろう。

『谷中レトロカメラ店の謎日和 フィルム、時を止める魔法』(柊サナカ著/宝島社文庫/2016年10月20日刊)

2017年2月27日 (月)

日本3.0

『日本3.0』って何じゃいな? って思ったんだが……

『日本の近代は、1868年の明治改元から始まり、その第1ステージは、1945年の敗戦によって幕を閉じました。その後、敗戦から立ち直った日本は、奇跡の経済成長を遂げ、輝かしい「近代の第2ステージ」を創り上げました。しかし、その時代にも終わりが近づいています。戦後モデルのガラガラポンがあらゆる領域に迫っているのです。
 2020年前後から始まる「日本近代の第3ステージ」、通称「日本3・0」は、これまでとはまったく異なる思想、システム、人を必要とします』

 ってことだったのね。

Photo 『日本3.0 2020年の人生戦略』(佐々木紀彦著/幻冬舎/2017年1月刊)

 ポイントは2020年という年だそうだ。

『ひとつ目は、東京五輪です』

『2つ目は、安倍政権、アベノミクスの終わりです』

『金融緩和はもはや燃料切れ。アベノミクスの「第3の矢」である規制改革もうまく進んでいません。このままでは、金融緩和、財政出動というカンフル剤が切れた後、日本経済は一気に勢いを失うでしょう。つまり、政府主導でGDP拡大を目指した「戦後型日本経済」もフィナーレを迎えるのです』

『3つ目の節目は、東京の人口減少です』

『2015年時点の東京で、もっとも人口が多いのは団塊ジュニアを中心とする40~44歳の世代です。この世代だけで119万人います。ただし、当然ながら、この世代も老いていき、2030年には、団塊ジュニアを中心とする50~64歳の数は約330万人に達する見込みです。すなわち、東京が50代中心の都市になるのです』

『そして4つ目の節目は、団塊世代の引退です』

『戦後日本の象徴であった「団塊世代」が、日本の主役から完全に引退するのです。いわば、2020年の東京五輪は、団塊世代の卒業式になるのです』

 つまり2020年に日本は大変化を起こすので、それに備えよっていうことなんだなあ。ということで、その頃に「壮年」となる現在の30代の人に訴えかけるという本なんだ。

『これから「日本3・0」を牽引する魁となるのは1976年生まれのナナロク世代です』

『ちょうど40歳を迎えたばかりの〝大人1年目〟のこの世代は、ネットネイティブ、ケータイネイティブの魁であり、起業家も多数輩出しています。
 女性総合職が一気に増えた年代でもあり、ワーキングマザーが当たり前。子育てに忙しい人も多く、新時代の教育システムに対する問題意識もとても高いはずです。企業や官庁やNPOでも現場の主力となりつつあるこの世代が、きっと多くの組織で風穴を開けてくれるでしょう。
 ナナロク世代に続く30代後半の世代は、最後の青春を満喫すべく、暴れまくらなければなりません』

『20代以下の人たちは、完全なネットネイティブであるからこそ、上の世代にはない発想でどんどん世の中を切り開いていってほしい』

『30代以下の世代が絶対にやってはいけないこと。それは親の言うことを聞くことです。親は「日本2・0」という日本の歴史の中でも稀有な時代を生きてきた人たちです。親の価値観に基づいたアドバイスを聞くのは、利より害が大きいのです』

 しかしまあ、それはそれでよいのだけれども、問題はそれまでに女性が働きやすい社会を如何に作り出すかということなんじゃないだろうか。『女性総合職が一気に増えた年代でもあり、ワーキングマザーが当たり前』とは言うものの、まだまだ女性管理職は少ないし、待機児童の問題は山積みだ。少なくとも「待機児童ゼロ」という状況ができないと、働く女性は少ないままだし、働く女性が少ないと日本経済は相変わらず下向きのままだろうし、そんな状況では女性管理職が増えるなんてことも「絵に描いた餅」にしかならないのである。

 更に言ってしまうと……

『日本の教育は「日本2・0」時代から脱皮できていない。初等・中等教育は復活してきているが、大学は世界から完全に置いていかれている。大学教育、とくに教養教育の復活なくして、「日本3・0」時代に合った人づくりはできない。今の日本に必要なのは、ハーバード、スタンフォードなど世界最先端の教育と日本古来の教育の融合だ』

 という問題もある。そのためには大学の改革も必要だが、もう一つ言ってしまうと、大学に学ぶためのお金の問題もある。今やっと、高校無償化という問題が語られている状況ではあるのだが、それもあるが同時に「大学無償化」というテーマも重要だ。今やっと、給付型奨学金が語られている日本の教育事情は遅るぎるのではないか。もはや日本もヨーロッパ型の大学までのすべての教育の無償化というテーマで語られるべきなのではないだろうか。でないと教育格差イコール収入格差イコール生活格差の問題解決は図られない。

 以上、女性活用の問題と、教育無償化の問題が今後の安倍政権の大きな課題なのだが、当然そこには既成勢力の反対があるわけで、それを如何に打倒して問題を解決するべきなんだが、どうもね安倍晋三氏がそこまで踏み込めるだろうかと考えると、ちょっと無理だろうな。

 安倍氏は基本的には「保守」というよりは「反リベラル」っていうだけの伝統主義者でしかないし、そのバックボーンも単なる「ネトウヨ」レベルだもんなあ。取り敢えず経済主義的に漸進的な政策を取ろうとはしているが、基本的にその政策はすべて瓦解している。肝心のアベノミクスもその「第三の矢」では完全に失速している。その理由は既成勢力への妥協ですからね。

 と言って、小泉進次郎氏がリーダーになるのはもうちょっと先になるだろうし、ここは小池百合子氏あたりに期待するしかないのかなあ。

 それもちょっと残念ではあるけれども。

『日本3.0 2020年の人生戦略』(佐々木紀彦著/幻冬舎/2017年1月刊)

2017年2月22日 (水)

『谷中レトロカメラ店の謎日和』

 面白いのが、あるウェブサイトのインタビューで柊サナカ氏がこう答えていること。

『独身時代が長かったもので、休みの日フラフラしていると「まーあそこの娘さんまた徘徊してるわ」と不審がられていました。でもカメラを提げていると「まーあそこの娘さんカメラを提げて徘徊してるわ」と若干近所目線が和らぐ。カメラ散歩たのしい』

 う~ん、まるで徘徊老人と間違えられると困るので、「私は街撮りカメラマンです」ってな顔をしてデジカメ持って街を徘徊している私みたいだなあ。まあ、カメラというアイテムを提げているのとそうじゃないのとで、人の見方は違うんだなあという話。

Photo 『谷中レトロカメラ店の謎日和』(柊サナカ著/宝島社文庫/2015年9月18日刊)

 しかし、こんな面白いミステリーがあったなんて知らなかった。

『谷中レトロカメラ店の謎日和』は既に昨年の10月に第2弾『フィルム、時を止める魔法』が出ていて、そこでも毎回別のカメラが登場して、小さな謎を解いていくというお話が続けられているようだ。まあ、ミステリーとしては、小さなミステリーばっかりなんだけれども、それが「谷中レトロカメラ店」というこれまた小さな店と相まって面白い。

 取り敢えず今回は最初のに出版されたものから、出てくるお話ごとに登場するカメラをご紹介。

第一章 開かずの箱の暗号

 主人公の女性、山之内来夏(やまのうち・らいか)って普通そんな名前を子供に付けるかっていうくらいの、わざとらしい名前なんだが、まあそれはよい。カメラの買い取りをやっている今宮写真機店の三代目店長、今宮龍一を待つ来夏のもとにあるのは、亡くなった山之内善治郎が残したカメラたち。

 登場するカメラはライカM3、ライカⅢf、コダックシグネット35、コンタックスⅡa、ビトーB、ニコンF、イコンタ・ユニバーサルシックス、ローライフレックスなどなど……。カメラは11台、レンズ9本。うーん。私のカメラは13台だから私の勝ちか。ただし、私の方はその内4台がデジカメだし、フィルムカメラの内、かなり頻繁に使っているのはライカM3とニコンF4の2台だけってのは問題かな。

 問題は4桁のダイヤル錠がついた開かずの箱。今宮の推理で開かずの箱から出てきたのはドリウ2-16というピストルカメラだった。まあ、これもアニアしか知らないカメラではあります。

第二章 暗い部屋で少年はひとり

 今宮写真機店でアルバイトをすることになった来夏。

 登場するカメラは、ピクニー、フォクトレンダーベッサⅡ、トロピカル・リリー、アルパ10D、そして少年の暗い部屋=ピンホールカメラ。

第三章 小さなカメラを持った猫

 来夏が来るようになってから今宮写真機店には変化が起きた。つまりトイカメラを置くようになったのだ。ただし、こうしたトイカメラもすべてフィルムを使うもの。それが今宮のぎギリギリのこだわりではあった。トイデジは置かない。

 登場するカメラはハリネズミカメラと名前が登場しない一眼レフのカメラ。何だろう? ニコンFあたりかなあ。

第四章 タイムカプセルを開くと

 今宮写真機店の一角はギャラリーになっていて、ミニ写真展を開きたいアマチュアクラブなどが借りたりしている。

 出てくるカメラはリコーオートハーフ、ポラロイドSX-70、ニコンF、ハッセルブラッド1000F、コンタフレックス、とまあオタク。

第五章 紫のカエル強盗団

 出てくるカメラはニコンF、イコンタ・ユニバーサルシックス。

第六章 恋する双子のステレオカメラ

 出てくるカメラはステレオグラフィック、ローライドスコープなどのステレオカメラとゼンザブロニカS2。

第七章 あなたを忘れるその日まで

 最終章に至って来夏と山之内善治郎の関係が分かってくる。てっきり親子だと思っていたのに、「えっ?」ってなるのが実はこの本最大のミステリーだったなんて。

 当然、登場するカメラは来夏が今宮に買取をお願いしたカメラたち。ライカⅢf、ライカM3、コンタックスⅡaなどなど。

 結局、来夏が買い戻すことになったカメラ、ライカⅢfについているレンズはエルマーの沈胴レンズ。ってことはエルマー50mm、f3.5だろう。

 結局、来夏は今宮写真機店を辞めるんだろうか、どうなんだろうか。気になるなあ。ってことは『谷中レトロカメラの謎日和 フィルム。時を止める魔法』を読めばいいんだ。

 ということで、早速、三省堂で買ってきて読み始めている。内容紹介はいずれ。

 ところで、柊サナカ氏のTwitterが面白い。最近はプライベルマキナーとピンホールカメラにはまっているようです。

『谷中レトロカメラ店の謎日和』(柊サナカ著/宝島社文庫/2015年9月18日刊)

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