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2017年6月21日 (水)

『峠』を再び読んでみる

 先々週から先週まで、ほぼ一週間入院したので、その間に読んだちょっと長い小説のお話などをしてみる。

 読んだ小説とは、『峠』であります。

『峠』と言えば、故司馬遼太郎氏の長編時代小説で、毎日新聞夕刊に1966年から1968年まで連載されていた作品である。

 1966年から1968年ということは、私が15歳から17歳ということで、まあ、大体この辺から少年は「時代小説」に憧れ、その後、吉川英治の『宮本武蔵』やら山岡宗八『織田信長』あたりの読み進み、NHKの大河ドラマあたりにはまるというのが、オヤジの時代小説ファンの王道だったりするわけで、まあ、私もその通りで、未だにNHK大河『おんな城主 直虎』あたりを「本当はそうじゃないんだよなあ」なんて思いながら、毎週見ているという具合。

 で、5月の越後牛の角突きニ連荘のついでに再度訪れた郷土の英雄河井継之助資料館なんかに行ったりしたわけなのであるが、今回、再度故司馬遼太郎氏の『峠』を読んでみたら、なんか昔読んだときとの印象の違いに驚いているような状況なんだなあ。

Photo_2 『峠(上中下)合本版』(司馬遼太郎著/新潮社/2015年6月15日刊)

 まあ司馬遼太郎版『峠』と言えば、「小千谷談判」が一番の読ませどころで、小説のメインになるところのはずなんだが、「記憶にあるイメージ」とは大違いで、実は上中下全三巻の三巻目、 5章目目になってやっと「小千谷談判」が出てくるのである。なんか、「記憶にあるイメージ」ではもっと小説の中心になって出てきたように思うのであるが、小説全23章中の19番目に出てきていたとは、なんともはや記憶というものは如何にいい加減なものなのかという思いでありました。

 まあ、小説というものは史実と異なるわけで、それは当然なのであることは、それは読む前から分かっていることであるのだ。が、まあ考えてみれば「小千谷談判」は河井継之助としてみれば、最早晩年に属する年代にあった事象であり、それなら小説の最後の方に位置するところであるのは当然なんだが、その事実の大きさからするともっと小説の前の方に出てきた印象が残っているんですね。

 それ以外にも、小説『峠』には事実と反するところはいろいろあるようで、Wikipediaによれば……

『冒頭で河井の人物像が語られる冬の峠越え
創作:三国峠越え。
史実:碓氷峠越え。

河井と福澤諭吉との関係
創作:思想面で共鳴する親密な関係があった。
史実:実際に2人が会った記録はない。

河井が持っていた越後長岡藩の将来像
創作:一藩で武装中立国にする構想を持っていた。
史実:その言動から、尊王でも佐幕でもない中立の一藩にしようとしていたであろうことは想像に難くないが、それを裏付ける史料はない』

 などなどがあるようで、それらは小説として面白い表現になるようにした結果であり、まあ創作とはそういうもんだと言ってしまえばその通り。

 まあ、三国峠越えなのか碓氷峠越えなのかはあまり本題とは関係ないが、福澤諭吉との関係論でいえば、ふたりが実際に会った記録はないというのは正しいようで、福澤諭吉の開民論と河井継之助の言う徳川幕府改正論とは大いに異なるものの筈なのである。福澤諭吉にしてみれば、別に徳川幕府を守ろうなどという考えかたはなくて、むしろ、大政奉還をした以上は徳川方は政治の表舞台からは退くべきであり、一方、天皇を抱いた薩長軍も別に革命のための部隊ではなくて、やはり旧体制の遺物でしかないと考えていたはずである。むしろ、福澤の考え方は「共和制国家」を作ることが一番の目標であり、そのためには天皇の存在もあくまでも共和政政体を作るための臨時措置的なものでしかなくて、いずれは天皇制自体も否定せられるべきものとして考えられていた。一方、河井継之助の考え方はそこまで将来を見こしていたわけではなくて、国の代表としての天皇の存在と、政治の代表としての徳川幕府という二元論が未だ存在しており、大政奉還とは徳川幕府が政治の代表の立場をおりるだけで、その後は「誰か」が政治の代表になればいいという考え方で、その中で「長岡藩が如何にして長岡藩として独立を保てるだろうか」という道を追求していたにすぎない。

 つまり河井継之助としては「国の政体がどうか」ということは眼中になくて、「長岡藩が(それが「藩」なのか「(連邦制のなかの)国」なのかは別として、自分が生まれ育った「長岡」を如何にして生き延びさせるのか」ということだけが目標だったのだろう。それが会津を中心とする「旧守派=奥羽列藩同盟」に長岡が当初は参加しなかった理由なのではないだろうか。勿論「一藩で武装中立国にする」というのは、ある種、ファンタジーをともなったとはいえ「非武装中立」という考え方のなかった時代における「現実論」ではあったのだろう(まあ、現代でも「非武装中立はファンタジー」という考え方もある)。しかし、だからといって、それが永遠の戦略ではなかったに違いない。

 つまり、河井継之助とは、あくまでも時代に即した有能な官僚であり、如何にして目前の問題を解決するのかが、彼にとっての一番のテーマであり、その後にどんな国・藩・小国家を作るのかということはテーマではなかったのではないだろうか。

 今、故司馬遼太郎氏の『峠』を読み返してみると、そこに見える河井継之助像は、世の中の先を見こした政治家というよりは、目前の問題をいかにして解決し、短期的に問題解決を図る有能な官僚の姿なのである。

 つまり、そんな河井継之助にしてみれば、小千谷談判なんてものは、数多くある政治取引のひとつでしかないわけで、その結果も、実は見えていたってことなのかもしれない。

『峠(上中下)合本版』(司馬遼太郎著/新潮社/2015年6月15日刊)

(新潮文庫版)(電子版『峠』上中下別売り版もあります)

2017年6月15日 (木)

小説『シンギュラリティ』は『シンギュラリティとは何か』に答える小説じゃなかった、そこが残念!

「シンギュラリティとは何なのか?」について真摯に答えたSF小説……、ではないのだ。

 その辺がちょっと残念!

Photo 『シンギュラリティ』(チーム2045:西村世太郎・里見裕二・鎌田隆寛・山内靖子・堀江悟史・森井友美/幻冬舎/2017年3月21日刊)

 著者の「チーム2045」とは、『2016年、Ster(情報システムの企画、構築、運用などの業務を請け負う企業)である新日鉄住金ソリューションズ株式会社の若手有志で結成。メンバーの本務は営業、システムエンジニア、総務と、部署や職種をまたいだ後世になっており、業務外活動の一環として日本初のプロジェクト型小説制作に挑戦した』というもの。チーム名は勿論人工知能が人間の能力を上回る「シンギュラリティ」が2045年に来ると予測されていることにちなんで命名、というのもよくわかる。

 しかし、残念なのが同時にそうした「素人さんが書いた小説であるからこそ、もしかして真摯に『シンギュラリティってなんなのか。シンギュラリティを迎えた私たちの世界はどうなるのか』に答えてくれるのかもしれない」という期待を、読む方としては勝手に抱いてしまうのだが、残念ながらそれには応えてくれないんだなあ。

 う~ん、プロの作家が勝手にシンギュラリティ以降の世界を書くのは自由だけれども、それはあくまでも作家的感性で書いているだけであり、真摯にシンギュラリティと向き合って書かれたものではないだろう。なので、逆に「小説の素人さん」であり、なおかつ「AIについてのプロ」である「チーム2045」に勝手に期待したんだが、それは意味はないってことなんだなあ。

 そこはちょっと残念。

 シンギュラリティとは何なのか?

『シンギュラリティ(技術的特異点)とは?
 シンギュラリティ(テクノロジカル・シンギュラリティ=技術的特異点)とは、人工知能が人類よりも賢くなり、技術進歩を担い、人工知能がより賢い人工知能を生み出すサイクルを生み出す点のことだ』

 つまり、現在蓄積されているコンピュータ(AI)への知識の量が、今後、ディープラーニングなどにより急激に加速して蓄積され、その知識の量が2045年に人間全体の知識の量を凌駕するというもの。それは多分、現在進められているAI化、IoT化とクラウドコンピューティングの技術が、コンピュータ自身のディープラーニングによって幾何級数的に知識を伸ばし、いずれは人間の持つ知識や考え方の総量以上になり、その時に「人間vs.コンピュータ」の関係論はどうなっていくんだろうかということへの考え方なんだが、それが人によって大いに違うっていうところが面白いところで、「コンピュータが支配する人間社会」を想定する悲観論から、「いやいや人間とコンピュータは相変わらず良い関係論を保って進んでいくんだ」という楽観論まで議論百出で、我々シロートには「これはどうなっちゃうの?」的な興味は尽きないってところなんだなあ。

 おまけにそれが2045年には実現しちゃうって言うんだから、1951年生まれの私だって94歳で、まだ生きている可能性がある(まあ、その前に心筋梗塞で死んじゃうかもしれないけれども)っていうところが、興味の的なんだ。その時、世界はどうなっているのか?

 ところが、小説のラストは……

『「松阪君、君ならわかるだろう。シンギュラリティは人類を滅ぼすんだよ」
 安藤奈津子の口調がいきなり変わった。
「もしかして、僕が連絡を取っていたのは……」
「男だと思い込んでいたでしょう。あなたは単純だから騙しやすかったわ。まあ、それはいい。理屈はもうわかっているでしょう。理屈はもうわかっているでしょう、私たちがシンギュラリティを阻止しようとする理由は」
「そのことについては、ずっと考え続けている。今はあんたたちが間違っているとはっきり言える」
「ほう? せっかくだから、その考えとやらを聞いてあげましょうか」
「確かに人類の歴史は争いの歴史だ。でも、本当に少しづつだけど、そして行きつ戻りつするけど、平和に向かっているじゃないか。それは人類全体が精神的に成長しているからだ。近いうちに人工知能が人間を超えるとして、僕たちより高次な存在が、戦いを仕掛けてくるだろうか。そんなコストの高い選択をするだろうか」
「人類全滅を選ぶ可能性は?」
「ないとは言えないだろう。でも、たとえば自分たちより知能が劣るからといって、僕たちは猿を殺戮しようと考えるだろうか。むしろ、絶滅しそうだったら救おうとするんじゃないか。あんたたちは暗い未来を描きすぎる」』

 で、結局、松阪は安藤の持つ武器のボールペンを体当たりで無効化させて、最後は犬のケンシロウが安藤奈津子の右腕に咬みついて、体勢を崩した安藤の右腕を松阪が絞り上げ、床に落ちたボールペンを奪って、最後のアクションはおしまい。

 って何? これじゃあ「シンギュラリティ小説」じゃなくて、単なる「アクション小説」じゃないか!

「おわりに」で

『「シンギュラリティ」は〝プロジェクト型小説″としての第一弾です。シンギュラリティを人類発展の前向きなステップとして迎えられるように、結衣たちは少しずつ大きな流れに巻き込まれていくことでしょう。結衣たちの活躍によって、多くの方に「シンギュラリティ=技術的特異点」について興味を持っていただき、私たちが携わっているITという技術が幸せな未来のためにはどうあるべきなのか、そんなことを考えていくきっかけになってくれることを願っています』

 というのだが、肝心の「シンギュラリティがどういうものであるか」という、素人読者の素朴な疑問にも答えてくれないと、なかなかシンギュラリティについて興味をもっていただくのは難しいのじゃないだろうか。

 というのは、やっぱり「素人の発想」なのかなあ。

『シンギュラリティ』(チーム2045:西村世太郎・里見裕二・鎌田隆寛・山内靖子・堀江悟史・森井友美/幻冬舎/2017年3月21日刊)

2017年6月 7日 (水)

『プロ野球・二軍の謎』

『メジャーでは毎年、1球団あたり60~70人の新人が入団してきます。仮に30球団で60人ずつ採用したとすると1800人に上ります。大ざっぱに言えば、この大量採用の選手たちにとにかく試合をさせて、結果を残したものをメジャーに引き上げるという選別方式です。
 これに対して日本は育成選手を含めても1球団10人入ってくるかどうか。今季(2016年シーズン)、我がオリックスは大量12人の入団となりましたが、12球団トータルでは、せいぜい毎年100人前後といったところでしょう』

 まあ、このスケールの違いが日米でのマイナーリーグ(二軍・三軍)のあり方の違いになるし、育成方法の大きな違いになるんだろう。

Photo『プロ野球・二軍の謎』(田口壮著/幻冬舎新書/2017年3月30日刊)

 ポイントは日本の二軍制度とアメリカのマイナーリーグ制度との大きな違いなんである。。

『日本ではたとえ二軍でも、球団と契約を結んでいれば「プロ」として認識されています。また、シーズン中に誰かが突然やってきて、クビを宣告されるというようなことはありません。シーズンも終了間際になったあたりで、「来年の契約は結ばない方向だ」という告知をされることはあっても、シーズン真っ只中のある日突然「ハイ、きみはクビね」と言われ、その日のうちに荷物を持って出ていかなければならない、などという事態にはならないのです』

『とにかく1年は「プロ野球選手」を名乗ることを許され、支配下選手なら最低でも年俸440万円(育成選手は240万円)が保障され、じっくり育ててもらえる日本の二軍選手は恵まれている、と思わずにはいられないのです』

 育成選手の240万円という最低年俸でも、日本ではそれ以下の年収で暮らしている若者は多いわけだし、二軍選手の最低年俸440万円だったら普通のサラリーマンの年収とそれほど変わりはない。まあ、勿論「体が資本」のスポーツ選手なんだから基本的な年間支出(特に食費)は、サラリーマンと同じってわけにはいかないのだろうが、それでも「生活できない」って金額じゃない。それがアメリカのマイナーリーグでは様子が違うようだ。

『日本のプロ野球における二軍は、選手を育てる場所であると同時に、一軍が勝つための人材を派遣する場所、もしくは一軍選手の調整のための場所といった役割があります。日本の二軍は、すべては一軍の勝利のために存在しているのです』

『日本では12球団すべてが一・二軍ともに同じ親会社の経営下に置かれていますが、アメリカの場合、メジャー、3A、2A、と系列が一緒でも、チームはそれぞれが別経営で成り立っています。つまり、たとえばセントルイス・カージナルスとメンフィス・レッドバーズはカージナルスのメジャーとマイナー(3A)ではありますが、企業としては別なのです』

 つまり、メジャー、3A、2Aなどはそれぞれ別のリーグに属していて、それぞれで各独立して経営されているってことは、当然、それぞれのレベルでもってビジネスをしているってわけ。ということは、それぞれのチーム事情がそれぞれの経営に影を落としているわけで、それはそれぞれのチームごとに選手に支払われる給料なんかも違うわけだ。

『メジャーが一軍だとすれば、二軍にあたる「3A」、三軍にあたる「2A」、さらにその下に「アドバンスドA」「クラスA」「ショートシーズンA」(この3つを合わせて「1A」)、「ルーキー・アドバンスド」「ルーキーリーグ」(この2つを合わせて「ルーキーリーグ」)と7つもの下部クラスが存在するのです。
 一応、マイナーが7つのクラスに分けられているとはいえ、メジャーから見れば、やや年齢層が高い3Aも含め、いずれも似たような下積み生活です』

『マイナーの選手たちの多くは、野球をすることで得られる賃金だけではとうてい食べていけず、アルバイトをしたり、なんらかのスポンサーを見つけて援助をもらい、メジャーリーガーになる日を夢見てプレーしているのです。中には奥さんや彼女が働くことで、食べさせてもらっている選手もいます』

 勿論、メジャーにいても結構厳しい条件がある。

『メジャーリーガーが下部リーグに落とされる要因のひとつに、日本にはない仕組みがあり、それが先に紹介した「option」というものです。
「option」を直訳すると「選択権」という広い意味になりますが、野球用語としては、「球団側が選手をマイナーに落とす権利」という意味で使っています。「球団がオプションを行使し、誰々を3Aに送った」というように使うわけです』

『ただし、球団側がこのオプションを制限なく使えるわけではありません。この権利を行使できるのは3回までということになっています。確か、累積20日間で「マイナー落ち1回」とカウントされるのですが、1シーズンの間であれば、球団は何度でも選手をマイナーに送ることができます』

『もし3シーズン、メジャーとマイナーを行ったり来たりして3回のオプションを使い切っているにもかかわらず、それ以降もマイナー待遇となる場合、球団はその選手をウエーバーにかけなくてはならない、つまりいったん保有権を手放して、ほかの球団に獲得意思があるかどうか確認しなくてはなりません』

『ひとりの選手に対してのオプションの行使は、どのチームの所属かにかかわらず、1シーズンは1回とカウントされていきます』

 ということで、メジャーリーガーはチーム移籍は当たり前であり、田口氏も1992年に日本のオリックス・ブルーウェーブに入団したが、2002年にFA宣言をし、セントルイス・カージナルス、2007年フィラデルフィア・フィリーズ、2009年シカゴ・カブスと転籍をし2010年に再びオリックス、2012年にオリックスを退団しプロ生活から引退。しかし、2015年に再びオリックスで二軍監督になって現在に至る。

 という経歴を見ると面白いなあ。アメリカ時代は他のメジャー選手たちと同様、短い期間でいろいろなチームを渡り歩いているのは、上記のメジャー&マイナー選手たちと同じなんだが、何故か日本では生涯同じチームっていう、如何にも日本的就業慣行の中で所属チームを決めている。

 ってことは、まあ、やっぱり日本人は日本では日本の慣行の中で、アメリカ人はアメリカ的慣行の中で仕事をするってことなんでしょうかな。ってことは、日本の二軍選手がメジャーとか3Aのトライアウトを受けて、アメリカで野球をやるってことはありそうもないことなのかなあ。

 だとすると、そこがちょっと残念!

 って、反応するところが違いますね!

『プロ野球・二軍の謎』(田口壮著/幻冬舎新書/2017年3月30日刊)

2017年5月28日 (日)

『アマゾンジャパン「日販バックオーダー発注」停止の真意』

 出版界唯一の専門紙『新文化』5月25日版のトップ記事が『アマゾンジャパン「日販バックオーダー発注」停止の真意』というもの。

 リードにはこう書く。

『さきごろ、アマゾンジャパンが6月末日で、日販バックオーダー発注(日販非在庫商品を出版社から取り寄せる発注のこと)を取りやめると発表した。カートが落ち(在庫が切れ)て売り上げが減少することが懸念される出版社は、アマゾンジャパンとの直接取引を迫られており困惑気味である。日販はすぐに、大変遺憾であるとの見解を発表した』

 日経新聞5月2日付のこの記事に対応した内容なんだが。

201705272252392

 一体、どういうことなのか、解説しよう。

Photo_2

 記事はアマゾンジャパンの村井良二バイスプレジデントと、同社メディア事業本部・事業企画本部の種茂正彦本部長への聞き書きによって構成されている。

種茂 日販には毎週、この銘柄であれば安定した売上げがありますという数十万タイトルのリストを提供し、それに合わせた品揃えを要望してきました。しかし、日販と定めた引当率の目標からは10ポイント以上の開きがあります。売上上位数社の出版社を中心に、スタンダード発注(日販在庫商品を仕入れる発注のこと)の引当率改善とバックオーダー発注のリードタイム短縮にご尽力いただき、一定の効果がありました。いまも感謝しています。売上上位出版社の引当率は高水準です。
 しかし、一方で、中小規模の出版社のスタンダード発注の引当率は改善されず、当社の注文がどんどんバックオーダー発注にまわってしまう。結果、中小規模出版社の売上げの4割が、現在バックオーダー発注からの仕入れに依存してしまっています。つまり、スタンダード発注しても、中小規模出版社の商品はバックオーダー発注でしか仕入れることができない状態です。売上上位出版社であってもロングテール商品は、スタンダード発注をしても、VANステータス11番台(「在庫あり」、その他、22番「重版中」、33番「品切・重版未定」など)であっても、バックオーダー発注にまわされてしまう。
 売上上位出版社の取組みによって全体の引当率は改善されていますが、個別銘柄単位ではスタンダード発注で入荷されない状況です。
     ~
 3月下旬に日販が棚卸をされましたが、そこですぐに引当てられる在庫を一時的に絞ったのではないかと思います。結果、4月2日の週から引当率が急激に下がり、バックオーダー発注の注文が増えました。当然入荷が遅れ、欠品率が上がりました。
     ~
 長い連休や棚卸時にも一定水準の在庫を持ってほしい。売上が毀損したのは当社だけではなく出版社も同じです。スタンダード発注で引当てられないからバックーダー発注に力を入れて「納期を早くしましょう」という態勢になっていますが、当社は日販に在庫をきちんと持ってもらうことを希望してきました。
     ~
 取次各社が在庫情報を機動的に交わしながら在庫をかかえていくのは、難しいことかもしれません。それは当社にとっても困難なことですが、e託販売サービス(直接取引サービスの名称)は2008年から継続しており、ネットやパソコンが苦手な方にも使いやすい受発注業務や、在庫情報更新の環境を提供しております。
     ~
 売上上位50社のうち30社がなんらかの直接取引を開始しています。全国4000社あるといわれる出版社のうち、2000社以上はe託販売サービスの口座をもっています。
     ~
 方法は①取次会社の在庫を増やす、②直接取引の2択だと思います。日頃、出版社はどれくらいの注文がバックオーダー発注に回ってしまっているのかご存じないと思います。そこは客観的な数字を説明会で示していきます。皆さん驚かれています。
     ~
 今回の件が報道された後、SNSで『よくぞ言ってくれた』という書店員さんの書込みも見つけました。取寄せ注文については、書店現場もフラストレーションを抱えているようです。業界全体にバックオーダー問題があるのではないでしょうか。出版流通の新しいあり方を考えるタイミングだと思います』

 種茂氏の発言はおおむねこんなところ。

 要は、現在書店店頭で書籍を注文すると、書店員から「いつ頃入ってくるかは分からないので、入ったところで電話でお伝えします」という返事が返ってくる。実はこれは書店だけで通用するルールで、本来は小売店の店頭で受けた注文に対して、いつ頃その注文品が入荷するのかがはっきりしない商品に関しては受注しないというのが、書店業界以外のデフォルトだ。

 今回のアマゾンジャパンの考え方は、そんな他の業界ではありえない「出版業界の常識」に正面から挑戦する考え方であり、まあ、それだけ強気の発言ができるという、アマゾンジャパンの力の強さの現れであるとも言えるのだろう。

 5月25日のブログでも書いたように、日本の書籍・雑誌の取次という存在は、実は最早撃滅寸前のところまで追い込まれてきており、とにかく早いところ体質改善を行わない限り、崩壊するのも時間の問題となっているのだ。

 日販がアマゾンジャパンに対して「大変遺憾である」という返答をかえしたそうだが、最早そんなことを言っている場合じゃないことを、実は日販自身が感じているはずである。

 どんな形で、日本の出版流通制度が変わっていくのか、かなり要注意ではあります。

2017年5月27日 (土)

『アップル帝国の正体』は見えた。しかし……

 本書が発刊されたのは2013年のことである。

 アップルのカリスマ的指導者にして経営者であったスティーブ・ジョブズが亡くなって既に2年が過ぎて、それでもいまだにアップルは勝ち続けているのだろうか?

『アップルは、もうあのジョブズがいたころのアップルではないのではないか──。  それは、その取材で会う人会う人から痛感させられた普遍的な「共通項」だった』

『ジョブズのいなくなったアップルは、断トツ抜きん出た存在から徐々に、しかし確実に、「普通に良い」企業へと変貌しつつある。
 少しでもコストの安い商品が勝つことが常識だったIT・家電産業において、アップル製品が、高価でも若者が飛びつくような魅力を生みだせた理由は、流行に左右されることのない圧倒的に美しいデザインと、ガラスや金属などが醸す上質な素材感だった。
 そのデザインを実現させるために、アップルはアジアの国々に散らばるメーカーを丹念に調べ上げることを厭わなかった。時にはベンチャー企業や、地方の零細企業まで探し出し、妥協なきハードウェアを作り上げることへの執念を見せつけた。手を組んだメーカーの技術や生産能力、コスト構造も完全に調べ尽くして、コスト管理を徹底した』

 つまりそれは「いまやアップルは普通の企業になった」ということなのだろう。

「今、アップルには、自分のキャリアに箔をつけるために履歴書に『アップル』と書きたいような人がたくさん集まってきているんです」

 というような証言が現地アメリカでも言われているのである。

Photo 『アップル帝国の正体』(後藤直義・森川潤著/文藝春秋社/2013年7月20日刊)

 本書の構成は以下の通り。

プロローグ アップル帝国と日本の交叉点
第1章 アップルの「ものづくり」支配
第2章 家電量販店がひざまずくアップル
第3章 iPodは日本の音楽を殺したのか?
第4章 iPhone「依存症」携帯キャリアの桎梏
第5章 アップルが生んだ家電の共食い
第6章 アップル神話は永遠なのか
エピローグ アップルは日本を映し出す鏡

 アップルが特別な存在だったのはいつ頃のことだったのだろう?

 1976年にスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックのふたりのスティーブによって生まれたアップル・コンピュータ。1985年にジョブズが追放されて1997年に復帰するまでは、マイクロソフトとは異なるOSを提供する、まさしくコンピュータ・メーカーだった。それも、自社工場でそれを製造することを第一義とした。

 それが変わったのが2001年のiPodであり、2007年のiPhoneであり、そしてまさしく正しい意味でのハンドヘルド・コンピュータであるiPadの登場だろう。

 つまりそれ以降のアップルは

『そして、巨大な自社工場を自前で抱えてこそ一流のメーカーなのだ、という固定概念を大胆にも捨てた。本社(だけ)は米国にありながら、世界中から部品を取り寄せて、それをコストの安い中国の巨大な工場群で組み立てた』

 というビジネスモデルを持った企業に変貌したのである。当然、日本の企業だって世界を相手にしなければ戦えない。戦えない以上は、そこにアップルという巨大なエコシステムを持った企業があれば、それとは付き合わざるを得ない。付き合う以上は、そんなグローバル・システムの中での戦いを余儀なくさせられる。そんな戦いを余儀なくされれば、当然そこには優勝劣敗のカンニバリズムが待ち構えているのであって、そこで自らが生き延びる方法を否でも模索し続けなければならなくなるのだ。そこで自ら新しい結論を見出せなければ、その企業は歴史から消えざるを得ないという資本主義の論理が待っているだけだ。

 問題は結構単純なんだ。グローバリズムっていうのは、ごく単純な資本の論理であるにすぎない。

 アップルもiPad、iPhone、iPodを生み出す前は「ちょっとイカしたコンピュータを作る会社」として、一部のマニア受けするメーカーでしかなかった。当時、OSはマイクロソフトがWindowsを提供し始めて、Mac OSも優勝劣敗の中でもがき苦しんでいたのである。現在の(いや「ちょっと前の」か)独り勝ち状態では決してなかった。つまりそんなグローバル経済戦争の中でアップルももがいていたのである。そのアップルがその後、一人勝ち状態になり、それまでお手本としていたソニーなどの日本メーカーを逆に飲み込んでしまってきたのもご存知の通りである。

『アップルの真の強みは、本来は、数字やデータなどの計算式では測ることのできない、市場が想定できないイノベーションの力にあったはずだ。しかし現実には、13年夏にも発表される新製品の投入を待たずして、こうした策が発表されたことが何よりも神通力の喪失を裏付けているのではないだろうか。 「アップルはもはや普通の会社になってしまった」  業界ではこうした声が当たり前のように語られるようになった』

 そのアップルにしてもジョブズ亡き後はこんな様子である。じゃあ、それに対抗して日本のメーカーが再興するのだろうか。

『この帝国(アップル:引用者注)を取材しながら、その支配力の根源にあると感じたものがある。
 それは次々と登場する新しい製造技術からソフトウェアの新潮流まで、貪欲に吸収しつづけることで、世界中をカバーする素晴らしい情報ネットワークを築いていることだ。  これは一つの「インテリジェンス(知性)」と言ってもいいかもしれない。
 その欠落こそが、日本の家電メーカーがめまぐるしく移りゆく家電・IT産業やビジネスのルールチェンジについていけず、凋落の道を辿っている理由ではないか』

 まあ、結局は日本のメーカーはいち早くアップル化現象を経験してきて、その結果を自らの再興に生かすことができないでいる。である以上は、いまや中国や韓国のメーカーに勝つ方法は既にない、ってことになるんだろうか?

『アップル帝国の正体』(後藤直義・森川潤著/文藝春秋社/2013年7月20日刊)

2017年5月26日 (金)

東京いい道、しぶい道

 ああそうか、泉麻人氏って「街歩きブームの先駆者」だったのか、知らなかった。といっても、もともと下落合っていう微妙な場所で生まれ育った泉氏ならではの視点がいろいろ見つけられて面白い。

Photo_2 『東京いい道、しぶい道』(泉麻人著/中公新書ラクレ/2017年4月10日刊)

 取り敢えず、どんな「いい道、しぶい道」があるのか、更にその中で私が辿ったことがある道はどれだけあるのか、目次から拾ってみよう(赤・太字で書いてあるのが、私が辿ったことがある道)。

Ⅰ 城北エリア
1 怪人オブジェの古道…尾久本町通り(前編) 2 尾久三業の仄かな面影…尾久本町通り(後編) 3 鬼子母神裏のクネクネ川道…雑司ヶ谷 弦巻通り 4 お化け煙突が見えた商店街…千住 いろは通り 5 ライオン看板の見える参詣道…西新井 関原通り 6 二又交番脇の裏街道…トキワ荘通り・千川通り 7 23区最北の銀ぶら…志茂銀座 8 キデンキの迷宮へ…柳原千草通り 9 巣鴨に江戸橋あり…江戸橋通り 10 昔のブクロ、ここにあり…池袋トキワ通り

Ⅱ 城東エリア
11 神鹿としめ飾りの里…鹿骨街道 12 影向の松と相撲寺…篠崎街道 13 水神前から浅間前…亀戸中央通り・水神通り 14 四ツ木の灸とハチミツ…渋江商店街 15 スカイツリーの裏町へ…十間橋通り・橘橋通り 16 谷根千境角蛇行散歩…へび道・よみせ通り

Ⅲ 城南エリア
17 シナノキ並ぶ銀座の間道…並木通り 18 高野聖と火の見やぐら…三田聖坂・二本榎通り 19 新幹線から見えるコアな道…西大井 のんき通り 20 黒い温泉街道…蒲田本町通り 21 文士も歩いた馬込の尾根道…仲通り・馬込三本松通り 22 龍子の屋敷から池上梅園へ…池上道(旧池上街道) 23 大森の海苔ノリ街道…三原通り・するがや通り 24 水止舞見物記…するがや通り・羽田道 25 目黒銀座の奥の細道…蛇崩・伊勢脇通り

Ⅳ 城西エリア
26 幻のオリンピックの面影…野沢通り 27 渋谷区の鳥頭地帯…幡ヶ谷 六号通り・不動通り 28 南中野のクネクネ街道…川島通り・玉石垣の道 29 阿佐ヶ谷からバスに乗って…旧早稲田通り(前編) 30 豊島氏の山と練馬アメダス…旧早稲田通り(後編) 31 ウルトラの道を往く(1)…旧東宝ビルド通り・祖師谷通り 32 ウルトラの道を往く(2)…祖師谷通り・千歳通り 33 世田谷線ゆるカフェ参道…松陰神社通り 34 西部のお屋敷町歩き…荻窪 荻外荘通り

Ⅴ 多摩エリア
35 新緑の三鷹ケヤキ道…人見街道(前編) 36 野川べりの水車小屋…人見街道(後編) 37 多摩の隠れ里・小野路へ…鎌倉街道・小野路宿通り(前編) 38 多摩の隠れ里・小野路へ…鎌倉街道・小野路宿通り(後編) 39 ヘー、こんな街道があるのだ…鈴木街道

 全部で39の道が紹介されているわけであるが、その内私が歩いたことのある道が21ある。これが多いのか少ないのかは分からない。が、こうしてみるとさすがに城北エリアや城東エリアは多いのに比べて、城南エリアが少なく、城西エリアはまあまあ、多摩エリアは広すぎて……、というところだろうか。

 城北・城東なんかは元々の「私のエリア」だったのに、まだ歩いたことのない道があるってことはちょっとショックだった。「雑司ヶ谷 弦巻通り」「志茂銀座」「柳原千草通り」「池袋トキワ通り」に「渋江商店街」か。今からでも遅くはない、すぐに歩いてみよう……、ったって、今日からは学生時代の悪友との福島行きだし、帰ってきてすぐはツアー・オブ・ジャパンの最終、東京ステージがある日なんで(人によっては日本ダービーなんでしょうが)行きたくても行けない。となると余計に行きたくなるってもんなんだが、まあこれは仕方がない。順次歩いてみようと思います。

 まあ、でも結構いろいろ歩いているでしょ。まだ未踏の道では、「新幹線から見えるコアな道…西大井 のんき通り」とか、「多摩の隠れ里・小野路へ…鎌倉街道・小野路宿通り」なんかも今すぐにでも歩いてみたい道ではあるなあ。

 まだまだ、東京にもいろいろ歩いてみたい道があるってことを教えてもらった。

 うん、いい本だ。

『東京いい道、しぶい道』(泉麻人著/中公新書ラクレ/2017年4月10日刊)

2017年5月25日 (木)

『フリマアプリで新刊も販売 メルカリ、トーハンと組む』って、そんなに記事にするほどのものかな?

 一昨日の日経新聞のタイトルが『フリマアプリで新刊も販売 メルカリ、トーハンと組む』というものなんだが、「まあそこまで来てるんだよなあ」という印象と、もう一方で「そんなの当たり前じゃん。いままでよくもまあ『取次制度』が生きていたもんだよなあ」という印象がないまぜになった感じだ。

Photo

 まあ記事自体はそんな大したものではない。

『新刊の書籍をフリマアプリで購入できるようになる。メルカリ(東京・港)は漫画など新刊書籍販売で出版取次大手のトーハンと組み、今夏にも提供を始める。フリマアプリは通常、中古品を売買するが、利用者にとっては好きな作家の本なら新刊で、試しに読みたい本は安い中古でといった具合に購入時の選択肢が増えそうだ。
 メルカリの子会社ソウゾウ(東京・港)が5月に始めた、書籍やCDなどに特化したフリマアプリ「メルカリ カウル」で新刊本を取り扱う。通常は個人間で中古本などを取引するが、加えてアプリ運営会社が新刊を販売する。
 購入された新刊本の配送は、トーハンが外部の宅配業者に委託し、同社の物流拠点から利用者の自宅などに配送するルートを検討している。在庫がない場合は出版社から取り寄せる』

 その結果

『アマゾンジャパン(東京・目黒)などのネット通販が台頭するなか、取次大手も従来の書店を経由するルート以外での販路拡大を模索している』

 ということであり、それへの対応策っていうことなんだが。

『出版市場は1990年代をピークに減少を続けており、トーハンの2016年3月期の売上高は5年前に比べて1割ほど落ち込んだ。ネットで書籍を注文し、店頭で受け取る通販サイトを拡充するなど、支援策を積極的に実施してきたが書店の減少に歯止めはかからない。書籍の流通量を確保するため、新たな取引先を開拓する必要性に迫られていた。
 メルカリは主力アプリで国内4500万件のダウンロードがあり、ユーザーに姉妹版の利用も促していく。利用者数が多いだけでなく、10代や20代といった若者のアプリの利用も多い。書籍販売で手を組めば、普段書店を訪れない人も含め幅広い層と接点を持てるとみられる』

 というとところなんだが、じゃあ今後どうやって書店は生き抜ければいいのか、っていうと。

『出版業界では「出版社―取次―書店」という既存の流通構造が大きく変わろうとしている。ネット通販大手のアマゾンは取次会社や書店を通さず、出版社から本を仕入れ、消費者に販売する直接取引を推進している。
 アマゾンの倉庫に書籍を集めることで注文を受けてすぐに届けられるようにする。同社は6月末に取次大手の日本出版販売(日販)の一部取引を打ち切る方針を示している。ネットを通じて新刊の書籍を売る企業が増えると、既存の書店や取次業界に影響が出そうだ』

 う~ん、これじゃあ全然解決策にはなっていないじゃないか。

 ポイントは『出版業界では「出版社―取次―書店」という既存の流通構造が大きく変わろうとしている』っていうこと。

 実は日本における「出版社→取次→書店→読者」っていう書籍や雑誌の販売ルートって、なんだか昔からある確固たる流通ルートだと思っている人が多いんだが、実はそうじゃなくて、戦前の言論統制の結果生まれた一時しのぎでできた制度が戦後まで生き延びていたっていうだけのことなのである。

『日本出版配給が創立される以前、出版取次は四大雑誌取次(東京堂・東海堂・北隆館・大東館)の他、書籍取次や中小取次も合わせ全国に200社以上が存在していた。
 1940年(昭和15年)、日本政府は情報局指導の下、日本出版文化協会(文協)及び洋紙共販株式会社を創立して出版物の統制を行うようになった。次いで1941年(昭和16年)5月5日、全国の出版物取次業者240社あまりを強制的に統合した一元的配給会社として「日本出版配給株式会社」が設立された。資本金は1000万円。商工省及び情報局の指導監督、日本出版文化協会の配給指導の下、「日本文化の建設、国防国家の確立」をモットーに、出版社(文協会員)が発行する全書籍雑誌の一元的配給を担った』(Wikipedeiaより)というのが実際のところ。東京堂は現在神保町にある東京堂書店がその前身だ。

 当然そんな言論統制組織は戦後に解体されて、そこから大阪屋(1949年(昭和24年)9月6日設立)、日本出版販売(1949年(昭和24年)9月10日設立)、トーハン(1949年(昭和24年)9月19日設立)、日教販(1949年(昭和24年)9月20日設立)、中央社(1949年(昭和24年)10月7日設立)、栗田出版販売などが分離独立し、それに太洋社などを加えた七大取次の時代が大分続いていたのだが、次第にトーハンと日販の寡占体制になって行き、唯一特異な分野を扱っている日教販だけが別で、あとはほぼトーハンと日販に糾合されてしまっている、というのが日本の出版販売業界の現状なのである。

 まあ、言ってみれば、元々は日本中で勝手にいろいろな会社が雑誌や書籍の取次業をやっていたのが、戦前の言論統制の頃に日本で一社だけの独占業種になってしまい、その結果が戦後の日本においても、多少形を変えて生き残ってしまった、というのがちょっと前までの日本の出版販売業であり、実はこんな歪な業界は日本の出版業界だけの特殊性だったのである。

 講談社も何度か「取次制度」「書店制度」の殻を破ろうとしていろいろと試行錯誤をしてきた経験があるが、その都度、取次(取協)や書店(日書連)の反対に会って頓挫してきた。

 基本的に「取次業」なんてものがある国はない。要は力のある書店が一括で書籍を仕入れて自分のところの支店をベースに販売しているというのが普通の(国の)書店であり、地方の小さな書店だけが、卸売業者を通じで本を仕入れているというのが普通の(国の)出版販売業界なのである。

 そこに1998年にアマゾンジャパンが参入してきて、当初はトーハンから、次に大阪屋から書籍を仕入れるようになって、それが最近は直接出版社から書籍を仕入れるようになるところまで実力をつけてきた、っていうのが現状なのである。

 つまり「取次」っていう特殊会社が出版流通を牛耳っていたという、これまでの形の方が実は世界標準でいうとおかしいのであり、むしろアマゾンジャパンのおかげで「出版流通が当たり前の姿、本来あったデフォルトの世界になってきた」といってもおかしくない。それを『出版業界では「出版社―取次―書店」という既存の流通構造が大きく変わろうとしている』という言い方で表するってことは、あたかも『これまでの「出版社―取次―書店」という既存の流通機構』が正しい姿であり、アマゾンジャパンの存在は、そんな「正しい書籍の流通機構を壊している」という見方をしているんだろう。

 というかそんな『「出版社―取次―書店」という既存の流通機構』の中でぬくぬくと育ってきた日本の出版社や書店を守りたいがための記事か? とも受け止められてしまう。

 日経新聞がなんでそんな既存の出版社や書店を守らなければいけない立場なんだろう。むしろ、そんな「しがらみ」のない新しい社会の中で出版物を流通させるべくじゃないか、という立場から記事にすべきじゃないかとも思うんだが。

 如何?

2017年5月18日 (木)

やっと出てきた、真っ当な『琉球独立宣言』

 う~ん、いよいよ本命「琉球独立宣言」って感じですかね。

 実は、こうしたナショナリズムをベースにした考え方をしないと、解決するべきものも解決しないのかもしれないのだ。

Photo 『琉球独立宣言 実現可能な五つの方法』(松島泰勝著/講談社文庫/2015年9月15日紙版刊・2015年10月1日電子版刊)

 1970年頃の学生運動華やかなりしころの「沖縄問題」への左翼各派の主張って「沖縄奪還」とか「沖縄解放」という言い方で、そこには「沖縄を日本から独立させよ」という主張はなかったように思う。まあ、勿論、新左翼だって結局は日本国内の政党なわけで、その日本の政党が「沖縄独立論」を言うはずもないし、当然、その下部組織でもある各新左翼政党の沖縄支部(ってのがあったのかどうかはあやしいのだが)がそんな主張をするわけはなかったんだろう。でも、そんな新左翼の活動と共にしていながら、私の心の奥底では「いやあ、真の沖縄解放は『沖縄独立』でしょう」と考えて、太田竜、平岡正明、竹中労らのいわゆる「新左翼三バカトリオ」らの主張した「アイヌ独立」や「琉球独立」が正しいと考えていたんだが、そんな考え方は「ナショナリズムである」ということで、新左翼各党派からは退けられていたんだなあ。

 しかし、ナショナリズムをベースにしないインターナショナリズムっていうのは、コスモポリタニズム以外にはあり得ないだろうし、コスモポリタニズムではナショナリズムを相克することはできない。結局、インターナショナリズムというのはナショナリズムをベースにせざるを得ないわけで、その一番悪い例がソヴィエト連邦だっていうことなんだろう。結局はナショナリズムを相克できるインターナショナリズムもあり得ないということになってしまう。

 もし、ナショナリズムを相克するインターナショナリズムというのは、多少暴力的ながらもグローバリズムしかないのだろうし、インターナショナリズムに基づいた社会主義が実現せずに、むしろ結果としてグローバル資本主義が勝ち残っている現状を見るにつけ、結局はインターナショナリズムはグローバリズムには勝てなかったという現実しか見えないのである。

 であるならば、ここは堂々とナショナリズムをベースにして「琉球独立宣言」なのである。むしろ、その先にこそ国際的な平和主義の世界・時代がやってくるかもしれないのだ。

『つまり、「琉球」は、かつて国であったことを想起させる言葉なのです。琉球文化圏とは奄美諸島、沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島などの歴史や文化を共有する文化圏です。この場合「琉球」は奄美諸島も含みます。しかし、1609年の島津藩の琉球侵略以後、奄美諸島は琉球国から切り離されて島津藩の直轄領になりました。1609年以後の時期において、本文中で使用される「琉球」は沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島を指しています』

『歴史的事実として過去に琉球国が日本に属しない、つまり領土ではない時期が長期にわたって存在していました。日本の統治時代は1879年から1945年まで、1972年から現在までの109年程度でしかありません。14世紀はじめに北山国、中山国、南山国という3つの国ができ、1429年に琉球国が統一されました。600年近く、琉球は日本国とは異なる国として存在していたのです。1609年に島津藩に侵略をうけ、それ以降、経済的に搾取されますが、王国体制は変容をとげながらも発展し、内政権、外交権を行使していました。「日本に属していた」のではありません』

『19世紀半ば、琉球は独立した王国であり、日本とアジア大陸との貿易に力を入れていた。1854年7月11日にマシュー・ペリー米提督が琉球との条約に署名した。他の欧州諸国も同じような貿易協定を結んだが、それは琉球の北方にある日本からの脅威を高める結果になった。1874年の終わりから、明治の日本帝国は琉球をより深く併合(incorporate)させ始めた。1875年に日本は琉球に駐屯部隊をおいた。1879年に日本政府は琉球を併合し(annexed)、琉球王国を廃絶させ、日本列島のなかの南の辺境として位置付けた』

『統治者の承認とは関係なく、琉球の国としての存在は歴史的事実であり、少なくともアメリカ、フランス、オランダ、中国は認めています。そのほか、かつて琉球国と外交関係を有し、貿易をした国々、韓国、北朝鮮、ベトナム、タイ、フィリピン、インドネシア、マレーシアなども琉球国の存在を認知するでしょう』

『明、清との朝貢冊封関係という外交的、経済的な対外関係を通じて、他のアジア諸国も琉球国を独立国として認め、外交文書を取り交わしました。中国との朝貢冊封関係への参入は、他のアジアの国々との外交と貿易を可能にしたのです。現在も残る『歴代宝案』という琉球国の膨大な外交文書を読めば、琉球が国であったことは明確です。明や清などの中国政府も、琉球を「外藩」として、朝鮮国、安南国(ベトナム)と同列の独自な国として認めていました。日本も遣隋使や遣唐使の時代、足利義満の時代は中国に朝貢しており、外藩の一つでした』

 ならば、そこは堂々と「琉球国」宣言を行うべきだろうし、本書の著者、松島泰勝氏らが発起人として設立しら琉球民族独立総合研究学会は、その設立趣意書に言う。

『琉球は日本から独立し、全ての軍事基地を撤去し、新しい琉球が世界中の国々や地域、民族と友好関係を築き、琉球民族が長年望んでいた平和と希望の島を自らの手でつくりあげる必要がある。・・・。琉球の独立が可能か否かを逡巡するのではなく、琉球の独立を前提とし、琉球の独立に関する研究、討論を行う。独立を実現するためには何が必要なのか、世界の植民地における独立の過程、独立前後の経済政策および政治・行政・国際関係の在り方、琉球民族に関する概念規定とアイデンティティ、琉球諸語の復興と言 語権の回復、アート、教育、ジェンダー、福祉、環境、マイノリティ差別、格差問題、在琉植民者の問題等、琉球独立に関する多角的および総合的な研究、討論を行い、それらを通して人材の育成を行う。 ・・・。学会の研究成果を踏まえて、国連の各種委員会、国際会議に参加し、琉球独立のための世界的な運動等も展開する』

 まあ、「政治活動」とは異なる部分から発した沖縄(琉球)独立運動というのは、多分、これが初めてではないだろうか。

『今、琉球は、「日本との一体化、格差是正」から「アジアとの連携強化」に軸足を移そうとしています。世界的に成長するアジアとの経済関係を深めたほうが、琉球が将来、経済自立できる可能性が広がることは明らかです。1970年代まで琉球よりも「経済レベルが低い」と思われた台湾や中国のほうが、はるかに力強く経済成長するようになりました』

 那覇空港という好立地のハブ空港をベースにした琉球経済圏というものを確立した方が、東南アジアにとっても、更に言ってしまうと日本にとっても、今後の発展に向けて良い歩みかもしれないのだ。

 まあ、問題は「米軍基地利権」のうまい汁を吸ってきた人たちが、これからどうするかっていうことだけで、それはたいした問題じゃないかもしれないのだ。

 だって、もともと沖縄(琉球)は日本じゃなかったんだから。

『琉球独立宣言 実現可能な五つの方法』(松島泰勝著/講談社文庫/2015年9月15日紙版刊・2015年10月1日電子版刊)

2017年5月12日 (金)

佐藤愛子『九十歳。何がめでたい』って、別にめでたくないのは知っていますが

 考えてみたら佐藤愛子氏の作品はほとんど読んだことがなかった。

 勿論、佐藤氏が小説家の佐藤紅緑の娘で、お兄さんがサトウハチローだってことぐらいは知っているし、雑誌か何かでエッセイ位は読んだことがある。読んだけれども、なんか文句ばっかり言っているバアさんだなあ、何か保守的という印象しかなくて、その小説までは読んだことがない。直木賞受賞の出世作『戦いすんで日が暮れて』すら読んだことはなく、本書が最初で(おそらく最後の)佐藤愛子氏の本ということになる。

Photo 『九十歳。何がめでたい』(佐藤愛子著/小学館/2016年8月6日紙版刊・2016年8月19日電子版刊)

 私はまだ90歳になるまでは多少の時間はあるのだが、多分、別に90歳になったって別にめでたいこともないだろうし、単に死期が迫ってきているっていう位のことでしかない……、と勝手に思ってるんだが……。

『二十五歳で小説なるものを書き始めてから今年で六十七年になります。私の最後の長編小説「晩鐘」を書き上げたのは八十八歳の春でその時はもう頭も身体もスッカラカンになっていて、もうこれで何もかもおしまいという気持でした。今まで何十年も頑張ってきたのだから、この後はのんびりと老後を過せばいいと友人からもいわれ、自分もそう思っていました。
 ところがです。愈々「のんびり」の生活に入ってみると、これがどうも、なんだか気が抜けて楽しくないのです。仕事をしていた時は朝、眼が醒めるとすぐにその日にするべき仕事、会うべき人のことなどが頭に浮かび、
「さあ、やるぞ! 進軍!」
 といった気分でパッと飛び起きたものでした。しかし「のんびり」の毎日では、起きても別にすることもなし……という感じで、いつまでもベッドでモソモソしている。つまり気力が籠らないのです』

 う~ん、まあ、定年後の生活なんて、そんなもんです。

『そんなこんなで隔週ならば、という条件で書くことになったのですが、タイトルの「九十歳。何がめでたい」はその時、閃めいたものです。ヤケクソが籠っています。
 そうしてこの隔週連載が始まって何週間か過ぎたある日、気がついたら、錆びついた私の脳細胞は(若い頃のようにはいかないにしても)いくらか動き始め、私は老人性ウツ病から抜け出ていたのでした』

『人間は「のんびりしよう」なんて考えてはダメだということが、九十歳を過ぎてよくわかりました』

 まあ、「余生」なんですね。90歳になってはじめてやってきた余生。普通の人なら60歳とか65歳になってやってくる余生が、佐藤氏の場合は作家という定年のない職業を手掛けてしまったために、そんな年齢ではやってこずに90歳になって初めて「余生」というものに出会ってしまったというわけなんだ。

 佐藤氏は自ら書く。

『私は新聞の「人生相談」の愛讀者である。僅かな字数の中に時代とそこに生きる人々の人生が垣間見え、また回答者の回答にもその人の人となり、価値観、生きて来た軌跡のようなものがそこはかとなく窺われて興味深い』

 基本的にこの人は新聞情報がまず第一の情報源なんだなあ、と思っていたら……

『三月二十三日、テレビ朝日で「橋下×羽鳥の新番組始めます!」を見た。橋下徹といえば何年前になるか、テレビのバラエティ番組で軽いノリでふざけていた黄色いサングラスの若手弁護士だったのが、突然大阪府知事になり大阪市長になり、大阪の行政のドロ沼を引っ搔き廻していいたいことをいい、したいことをして日本中の注目の的になって何年か、そのうち政治というものに失望したのか、飽きたのか、そのへんの事情は私なんぞにわかるわけがないが、この度再転身して民間人に戻り、弁護士業を再開するのかテレビタレントになるのか、一擧一動が人の目を惹く人物である』

 とか……

『ヴァイオリニストの高嶋ちさ子さんが、息子さんの「ニンテンドー3DS」を真っ二つに折って壊した。平日のゲームは禁止という決りを九歳の息子さんが破ったからだという。  その顚末を高嶋さんが新聞のコラムに書いたところ、忽ちネット上で大炎上した』

 といった具合に、新聞から情報源がテレビに移動してきたみたいだ。う~ん、ますますダメな情報源(メディア)に近づいていくなあ。

『当節は人が顔を合せると「この頃のテレビはつまらないねえ」といい合うのが挨拶代りになっているが、それはどうやら制作にたずさわる人たち(構成作家? プロデューサー? ディレクター?)の「視聴者は他愛のないことを喜ぶ」という思い込みのためだろうと私は考える。
 例えば「中国の脅威への心構え」とか「マスメディアへの注文」とか「アメリカ大統領選への感想」少し砕けて「トランプというおっさんをどう思うか」でもいい。ヘソピアスやバスタオルの洗濯回数よりは中身が濃いと思うのだが、この国の大衆はそういうことに関心がない愚民である、と思いこんでいるかのようだ。失礼じゃないか』

「失礼じゃないか」と佐藤氏が怒っても、それは仕方のないことで、実際テレビの視聴者なんてそういう「クダラナイ」ことが大好きで、せっかく何かタメになるようなことをテレビで語っても、最早、皆そんなものには聞く耳持たないで、無視、無視。面白がるのはネットに上げて皆で炎上できるようなネタなんですね。

 最早、テレビの二次情報しか流通していないネットの世界では、何かものの役に立つような情報はほとんど流れてこずに、まあ、クダらないどうでもいいような話しか流れてこないのだ。

まさしく『ウェブはバカと暇人のもの』『今ウェブは退化中ですが、何か?』『ウェブを炎上させるイタい人たち』『ネットのバカ』という中川淳一郎氏が書く世界の情報の元は、みんなテレビなんですね。

 つまりテレビから情報を得ようとしないで、テレビは単なるニュース媒体としてのみ付き合えばいいということなんだけれども……、まあお年寄りにとって一番の情報収集の元が「テレビ」になってしまうんですね。

 あの佐藤愛子氏をもそうであったか、なんて別に慨嘆はしていませんがね。

 あまりいいことではありません。

「テレビはあくまでも二次情報」「ということは、基本的に『なくてもいい情報』」ということを肝に銘じておくことですね。

『九十歳。何がめでたい』(佐藤愛子著/小学館/2016年8月6日紙版刊・2016年8月19日電子版刊)

2017年5月 3日 (水)

『不動産投資の始め方』

『ごく普通の会社員が不動産投資に踏み出している。年金減額など将来不安が背景にあるが、不本意な人事異動や降格をきっかけに勤め先への収入依存リスクを肌身に感じ、副業感覚で始める人も多い』

 というのは実際だろう。確かに「会社に依存して生きる」ということができなくなっている社会である以上は、会社からの給与以外の収入の途を作っておかないと、それこそ「いざ」というときの自分の道の選択に困るということになってしまう。

 企業の方も「従業員に対する生活保障」としての給与が保証できなくなった以上は、従業員に対する「副業禁止」なんて偉そうなことも言えなくなって、「おおいに自分で稼いでください。ただし自己責任でね」という方向に変わってきている。

Photo 『不動産投資の始め方』(週刊東洋経済eビジネス新書 No.197/2016年10月22日本誌刊/2017年3月6日電子版刊)

 んじゃあ、早速、私も不動産投資を……って考えても、どんな形での不動産投資が一番サラリーマンでも可能であり、ラクできるのかというのが大きな問題なんだなあ。

 実は私もサラリーマンの副業としては不動産投資っていうのは一番向いているんじゃないかとは考えている。株式投資やFXなんかをやってみたら、そりゃいつか紙くずになってしまうんじゃないかという不安につきまとわれながら、毎日の市況に注目していなければならない。それがデイトレードなんかになってしまっては、日がな一日パソコンに張り付いて、1円上がった、1円下がったでもって細かい売り買いをしなければならず、それでは完全にサラリーマンの副業とは言えなくなってしまう。

 そこへいくと不動産投資は

『不動産の実物投資は、ほかの投資対象と比べると高利回りなのが特徴だ。預金や国債は言うまでもなく、同じく不動産に投資するJ-REIT(不動産投資信託)と比較しても利回りは高い。しかも物件価格・賃料の値動きが穏やかなので、インカムゲインを主体に長期で資産形成していく手段として秀でていることも、会社員の関心を引く一因だ』

『株価の動きで儲けが大きく変わる株式と異なり、家賃収益は非常に安定している。東京都心なら家賃はこの20年でおそらく1割も下がっていない。入居があるかぎり価格下落局面でもインカムゲインを得られる。塩漬けという概念があまりない。
 しかも高利回りだ。以前よりもだいぶ下がったが、それでも不動産と同程度以上の利回りが安定して取れる国内の金融商品は少ない。価格も平成バブルの崩壊後は株と比べ乱高下が基本的にない。急な上昇がない代わりに急な下落もないので、安定投資をするイメージだ。
 何よりも不動産は現物があるというのが大きいと思う。株のように紙クズになることはない 』

 などなど、いいことだらけ……、だと思ったら大間違い。やはり不動産投資にもやっていい不動産投資と、やってはいけない不動産投資があるのだ。

 問題は「表面利回り」と「実質利回り」というやつ。

「表面利回り」は年間の家賃収入の総額を物件価格で割り戻した数字。「実質利回り」は年間の家賃収入から諸経費(管理費や固定資産税など)を差し引いたものを、物件価格に購入時の諸経費(登録免許税など)を足したもので割った数字。つまり「表面利回り」というのは、いかにもそれが収益であるように見えるけれども、実際にサラリーマン大家さんが手取りで受け取るのは、「実質利回り」の方。で、この実質利回りの諸経費の中に「銀行ローンの返済金」が入ってくると、これが結構「手取り押し下げ要因」になるってことなんだなあ。

『一棟所有のメリットは、1回の投資で複数戸を所有できることだ。管理費・修繕積立金制度がなく自分でコントロールが可能なこともある。
 何より一棟所有がよいのは土地の持ち分が大きいことだ』

『区分のメリットは、立地・環境がいい物件が多い点』

 なので、こんな形で始めるのもいいのかもしれない。

『慎重な人は、区分の現金買いから始めるのがいい。500万円くらいで利回り10%の物件を買い、1年ぐらい様子を見る』

 ただまあ、それは「表面利回り」に騙されないで、キチンと「実質利回り」でもってプラスが出る方法が見つかれば別に怖いことではない。

 だからと言って……

『一棟丸ごとへの投資に比べると少ない手元資金で始められる、区分マンション投資。中でも新築ワンルームの区分投資は、不動産業者のセミナーやこうした勧誘電話を通じて知った不動産業者を通じて行うケースが多い』

 そんな新築ワンルームマンションの多くは……

『理由は高い販売価格にある。特に電話勧誘で売るタイプの業者は、自分たちが得る利益分を価格に多く上乗せしているためかなり割高なのだ。
 中古物件を主に扱う別の業者の営業員に聞くと「彼ら販売会社の利益として400万円は上乗せされている」と明かされた。割高な分、ローン借入額と月々の返済額も多くなり、キャッシュフローが圧迫されてしまうのだ』

 ということなので、以上をまとめると……

〇区分マンション投資をできれば自己資金だけで始める
〇できればワンルームマンションではなくて、2~3LDKのマンションが良い
〇場所は、山手線管内のできれば駅のそば

 実は以上の条件は、私が不動産投資をした際の条件なのだ。

 たまたまそれまで住んでいたマンションを、ある事情で移らなければならなくなり、じゃあそこを売るよりは貸して副業を始めるのがいいんじゃないかという考え方からだったんだが、実にそれは当たりましたね。

 山手線管内の駅そばというのは、やはり入居者が決まりやすい条件だし、3LDKというのもなかなか入居者が見つからないで大変という部分がある反面、家賃の滞納とか、比較的長期の賃貸となるというメリットもある。

 まあ、取り敢えず借金して始めちゃうと大変なんで、はじめは小さいかもしれないけれども、自己資金で初めてみる、ってことですかね。一人息子と一人娘の結婚なんて例があったら、是非ともご検討を。

『不動産投資の始め方』(週刊東洋経済eビジネス新書 No.197/2016年10月22日本誌刊/2017年3月6日電子版刊)

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