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2018年11月 7日 (水)

『なぜ倒産』を読んで、かえってホッとした

 起業というのはそれぞれの起業理由があってできるもの、同時に倒産っていうのもそれぞれの理由があっておこるもの、と考えていたんだが、実はそうではないらしい。

『成功はいくつかの要因の組み合わせですが、失敗は究極的には1つの判断ミスによるもの。例えるなら、成功とはブロックを地道に高く積み上げることであり、失敗とはブロックの山のどこか一カ所に異常な力が加わることで一気に崩れるイメージです。成功の要因と違って、失敗は原因を特定できる分、ダイレクトに役立つのです。』

 ということだそうなのだ。

 本書は23社の経営破綻について、3つのケースに分けて詳述している。

 一つは「急成長には落とし穴がある」、二つ目には「ビジネスモデルが陳腐化したときの分かれ道」、そして三つ目には「リスク管理の甘さはいつでも命取りになる」というものだそうだ。

Photo 『なぜ倒産 23社の破綻に学ぶ失敗の法則』(日経トップリーダー編集部/日経BP社/2018年7月16日刊)

 まず第一「急成長には落とし穴がある」

 遠藤商事・ホールディングス [飲食チェーン運営]
90秒で調理できる仕組みを考案し、ナポリ風本格ピザのチェーン店を80店超展開した。しかし、急成長に人材育成が追い付かず、収益力は伸び悩んだ。出店のための借り入れが膨らんだ結果、追加融資が難しくなり、資金繰りが滞った。

 グルメン [物流受託、食品卸売り、スーパー経営]
物流業務を一括受託する「3PL」で成長。食品卸売り、スーパーにも注力していた。トップに事業創造の力はあったが収支管理が甘く、実態は赤字続きだった。スーパー業界の再編に巻き込まれて大口顧客を失い、自力再建の道が途絶えた。

 みらい [植物工場の開発販売]
「未来の農業」と期待がかかる植物工場。この先頭を走っていた会社が破綻した。技術力に一定の評価はあったが、組織拡大で経営力の乏しさが露呈した格好に。工場のオペレーションもままならず、大赤字を出し、資金がショートした。

 ヒラカワコーポレーション [寝具・寝装品などの製造販売]
節電ブームを追い風に冷感寝具をヒットさせ、工場新設や本社移転などに投資した。その回収のために売り上げ維持を図り、利益の薄い商品に注力した。”2匹目のドジョウ”を狙った新商品も当たらず、資金繰りに行き詰った。

 エプコット [海外映画、ドラマDVDなどの制作・販売]
海外映画やドラマなどの版権を買い付け、DVDを制作して販売していた。韓流ブームに乗り、大手と競って高額で韓国ドラマの買い付けに動いた。ブームの終焉とともに業績不振に陥り、復活できなかった。

 長崎出版 [書籍出版]
ユニークな絵本がベストセラーになり、急成長した出版社。大ヒット作に頼る事業構造を変えようと、出版以外の事業に次々投資するも裏目に出る。幹部の離反から主力商品の出版権を失い、命運が尽きた。

 エルビー技術工業 [カーペット清掃用粘着テープなどの製造・販売]
カーペット清掃用粘着テープなどで一定の技術力があった。業績を拡大したものの、攻めの設備投資が裏目に出て資金繰り難に陥った。円安に伴う原材料代の高騰が追い打ちをかけ、挽回できなかった。

 二つ目は「ビジネスモデルが陳腐化したときの分かれ道」

 平和堂貿易 [宝飾品・腕時計の輸入販売]
100万円以上する光学宝飾品の輸入販売会社として、高い知名度を誇っていた。高額商品市場が縮む中でも、百貨店頼みの売り方を最後まで変えなかった。若手社員が相次いで退職、企業改革の力を失い、自己破産に至った。

 鈴萬工業 [配管材料、機械工具の卸]
静岡県で配管材料・機械工具卸の老舗として名を馳せた。県内に営業拠点を絞って大手食品、化学メーカーと信頼関係を築いた。リーマン・ショック後、受注単価の下落と内部の確執で再建が難しくなった。

 東京もち [切り餅などの製造]
切り餅を主軸にフルーツゼリーや和菓子の製造も手掛けていた。大手に対抗して年商の約1.5倍の大型投資で新工場を建てたが、「空振り」に終わった。後継者を不慮の事故で亡くし、事業継続への意欲をさがれたことも打撃となった。

 吉田 [服飾雑貨卸]
下町のベルト工場から、カタログギフト向けの服飾雑貨卸に進出して成長した。冠婚葬祭ギフトの需要が落ち込む市場の変化に対応できず、業績が低迷。独自規格の商品販売で挽回を狙ったが、不渡りを出し事業継続を断念した。

 アートスポーツ [スポーツ用品店運営]
ピーク時は売上高が65億円を超えた創業50年のスポーツ用品店運営会社。テニスや自転車のブームが去り、売り上げが低迷するようになると、ランニングブームを狙った出店の負債が重荷となり、資金がショートした。

 テラマチ [機械部品の製造]
国内屈指の機械保有台数を誇った部品メーカーが破綻した。一貫生産で培った技術力には定評があり、「はやぶさ2」の搭載装置の開発にも関わった。だが、小ロット化などの変化に対応できず、起死回生を狙った中国事業でも失敗した。

 大山豆腐 [豆腐・納豆などの製造]
自動車整備から豆腐製造に参入した創業者の前社長。豆腐、納豆、油揚げ、さらには豆腐レストランまで事業を拡大した。それぞれの事業への思い入れが強く、領域を絞り込めず、赤字を積み重ねた。

 キッズコーポレーション [イベントの企画制作、運営]
大手広告代理店などからイベントの企画制作、運営を受注していた。2005年の「愛・地球博」で日本館を手掛けるなど、実績があった。リーマン・ショックや東日本大震災で受注が減る中、対応が後手に回った。

 装いの道 [着物教室の運営、呉服・和装用品の販売]
着物教室としてトップクラスの知名度を誇り、50年以上の実績があった。教室の講師や生徒、卒業生を増やしつつ、教材や呉服などを売る手法で伸びた。呉服市場の縮小やライバルの台頭が進む中、有効な対抗策を打ち出せなかった。

 ジュネビビアン [女性向けフォーマルドレスの製造・販売]
結婚式やパーティーなどで女性が着るフォーマルドレスの専業メーカーだった。名の通った百貨店の大半に販路を持ち、デザイン力で定評があった。式典のカジュアル化に伴うドレスの需要減と百貨店の衰退で、ニッチ戦略が崩れた。

 そして三つ目が「リスク管理の甘さはいつでも命取りになる」

 ホンマ・マシナリー [大型工作機械の製造]
造船、鉄道、原子力発電向けの大型工作機械メーカー。大型機械に執着して、景気の波や天災などに大きく翻弄され続けた。再生ファンドの支援を得たものの、新興国の債権回収に失敗した。

 美巧 [財布など袋物の製造販売]
香港やベトナムの工場で委託製造したブランドものの財布や袋物を輸入して販売。売り上げが伸び悩む中、融資を受け続けるために粉飾決算に手を染める。本社売却・従業員削減などのリストラや粉飾の事実公表も奏功しなかった。

 イイダ [精密板金、機械組み立て]
複写機大手の1次下請けとしてユニット組み立てなどを受注し、成長を続けた。ところが、発注元の海外シフトや生産体制見直しで受注が激減。次の柱を育てられず、資金繰りが続かなくなった。

 アルベリ [和洋菓子の製造・販売]
90年以上の歴史を持つ老舗の菓子メーカー。赤字続きの会社を継いだ娘婿社長は、試行錯誤の末にOEMの受注を拡大した。しかし、大口の需要に対応しきれず売り上げが激減。新規開拓するも追いつかず、力尽きた。

 プレスコ [化粧品の製造・販売]
化粧品のOEMを手掛けていた。容器やラベル印刷、品質管理など一括で製造を請け負い、大手メーカーから生産を受注するなど、一定の信用力があった。しかし、生産や営業現場の混乱が起き、業績が急落した。

 ユタカ電機製作所 [電源装置の製造]
創業70周年を迎えた電源装置メーカーが、突如、民事再生法の適用を申し立てた。創業者の手を離れた後、親会社は2度変わり、あるベンチャー企業の傘下に入る。だが、このベンチャーが事業を停止。その余波で、老舗企業は破綻した。

 うむむ、こうして見るとまさしく死屍累々。

 創業時はイケイケどんどんでやれるし、最初の頃はその勢いだけでもやっていけるんだろうけれども、跡継ぎの代になると創業者の意識は当然持てないわけで、そうなると創業者はあまり気にしなかった、「金融、財務」などをかなり意識しなければならなくなる。

 企業経営っていうものは、結局は「お金」の問題で、それをどうやって回していくんだっていうことでしょう。

 まあ、難しい問題だって言えばそうなんだけれども、でも、どこかで創業時の意識を変えなければならないっていうことなんだろうなあ。

 私は経営者じゃなくてよかったって思う瞬間が、この本を読むとある

 まあ、私はこんな創業会社の跡継ぎじゃなかったんで(っていうより、フツーのサラリーマンじゃんかよ!)よかったってことなんですかね。

『なぜ倒産 23社の破綻に学ぶ失敗の法則』(日経トップリーダー編集部/日経BP社/2018年7月16日刊)

2018年10月28日 (日)

『本所おけら長屋』は「読む落語」だ

 ここのところずっと「本所」というところにこだわって書いてきたブログなんだが、そのきっかけになったのが、この小説なのであります。

 本所と言えば隅田川の川向う、江戸の下町、つまり日本橋とか浅草に比べると少し格下の地域、言わば「場末」とも呼ばれた地域である。そんな場所にある長屋なので、当然、住民は貧乏人ばかり。つまり「おけら」長屋なんですな。

 そんなところには当然人情のある大家さんがいて、貧乏な職人がいて、そして何故かこれまた貧乏な浪人がいるっていうわけで、まさしく落語の世界なのであります。

 いやあ「長屋の花見」じゃないけれども、こうした貧乏長屋のお話っていうのは落語の世界なんだけれども、じゃあ、そんな貧乏話を江戸の町民が面白がって聴いたわけではないだろうから、多分、こうした長屋の貧乏話って結局は明治以降に出来た話なんだろうなあ。

Photo 『本所おけら長屋』(畠山健二著/PHP文庫/2017年7月19日刊)

 登場人物は……

万造、米屋奉公人。松吉とつるんでは酒を呑み、長屋に騒動、難事、珍事を持ち込む長屋の災厄の元凶!?

松吉、酒屋奉公人。万造とともにおけら長屋の「万松」とよばれる。落語の熊さん八っつぁんの役どころか。

八五郎、左官職人。お里の夫。万造、松吉の持ち込む騒動をまぜっかえすことも多いが、情に厚い正義感の持ち主。

お里、八五郎の妻。

お糸、八五郎、お里の娘。

長屋の大家、徳兵衛さん。万造、松吉、八五郎たちに振り回されつつも、どこか楽しげな様子(!?)の分別ある年長者。

 などのお馴染み「貧乏長屋」の住人の一人に、何故か浪人のお武家様がいる。

島田鉄斎、信州諸川藩剣術指南役。訳あって浪々の身となり、長屋の住人となる。

 その他の登場人物はお話によっていろいろなんだが、準レギュラーとしてとうじょうするのは……

金太、八百屋。どこか頓珍漢で、抜けているところもあるが、長屋の皆に愛される。まあ、与太郎ですな。

辰次、魚屋。

お染、乙な後家女。

 といったお馴染みの貧乏長屋の面々なんだが、基本的に万造、松吉が大体の騒動の持ち込み役。それを島田鉄斎先生の才覚と、刀の腕で解決し、徳兵衛さんが最後まとめるというのが、お話のパターン。

 で、その「おけら長屋」のあるのが、本所亀沢町。今の両国国技館の裏側辺りから大横川あたりまでの川向うの町なのである。

Photo 本所亀沢町の場所

 著者の畠山健二氏は本所吾妻橋の出身。元々、演芸作家をやっていた経験から落語の台本を書いたこともあるそうで、2008年4月、浅草公会堂で35年ぶりに復活した「デン助劇場」で脚本・演出を担当したっていうから、こりゃ本格的だ。本作では、古典落語の世界観を小説にしたてようと考えたそうだ。

 さらに面白いのは「ライバルは鬼平犯科帳」っていう点。

『 畠山 長屋の住人が集う居酒屋。あれは鬼平の「五鉄」(鬼平によく登場する軍鶏鍋屋)の向かい側にあるという設定なんです。おけら長屋の万造や松吉が長谷川平蔵や密偵たちとすれ違ってるかもしれない。そう思いながら書いています。どちらも浅草から本所深川あたりでよく事件が起こるから、あり得ないことじゃないでしょう。

 ――万松の本当のライバルは鬼平だったとは。そういえば、火盗改めや女掏摸、盗賊のお頭も出てきますよね。短編の連作という構成も鬼平を意識したんですか?
 畠山 短編の連作にしたのは、一冊の本を寄席形式で読ませたかったからです。一話目に前座っぽいくだらない話があって、途中でちょっと泣かせて、笑わせる。大トリの前に軽めの笑いを入れる。人情者が好きな人でも、馬鹿馬鹿しい話が好きな人でも、みんなが楽しめるようにバランスを考えて構成しています。面白いのは読む人によって好きな話が違うことです。キャラクターの好き嫌いも分かれますが、話のタイプでも好みがわかれるんです。』

 うーん、面白いなあ。落語の世界をそのまんま小説にしちゃったんだもんな、面白くないわけはない。で、逆に、こういう面白い話を新作落語にする噺家か落語作家はいないものだろうか。

 それも楽しみだなあ。

『本所おけら長屋』(畠山健二著/PHP文庫/2017年7月19日刊) Amazon限定で『本所おけら長屋』文庫10巻セットというのがあります。

2018年10月 9日 (火)

『劣化するオッサン社会の処方箋』はもう無意味なんじゃないかとも思う

 まあ、タイトルを見るだけで『劣化するオッサン社会』だもんなあ、まさしくタイトルを読んで、ほとんど内容が分かっちゃうっていう本の典型ですね。

 そうい意味では「いい本」のひとつではあるのだけれども、じゃあどれほど「オッサン社会」の実像に迫っているのかというのが本書のテーマでもある。

Photo 『劣化するオッサン社会の処方箋 なぜ一流は三流に牛耳られるのか』(山口周著/光文社新書/2018年9月30日刊)

『本書で用いる「オッサン」という用語は、単に年代と性別という人口動態的な要素で規定される人々の一群ではなく、 ある種の行動様式・思考様式を持った「特定の人物像」として定義される、 ということです。しかして、その「特定の人物像」とは次のようなものです。
 1:古い価値観に凝り固まり、新しい価値観を拒否する
 2:過去の成功体験に執着し、既得権益を手放さない。
 3:階層序列の意識が高く、目上の人に媚び、目下の者を軽く見る。
 4:よそ者や異質なものに不寛容で、排他的。』

 という前提条件を見るまでもなく、まさしくこれからの社会で排除されるべき思想がつまり「オッサンの思想」っていうことなんですね。

 では、現代における「オッサン」ってどんな人たちなのか。

『現在六十代の人は1970年代に、現在五十代の人は1980年代に社会人となり、それぞれの二十代・三十代をバブルの上昇景気がとどまるところを知らないと思われた 80 年代、つまり「大きなモノガタリ」が、長い坂の上にまだ存在していると思われていた「最後の時期」に過ごしています。  昭和の高度経済成長を支えた一流のリーダーたちが、二十代・三十代を戦後の復興と高度経済成長のなかで過ごしたのに対して、現在の「劣化したオッサン」たちは、同じ年代をバブル景気の社会システム幻想、つまり「会社や社会が示すシステムに乗っかってさえいれば、豊かで幸福な人生が送れる」という幻想 のなかで過ごしてきたのです。これは人格形成に決定的な影響を与えたと思います。』

『2018年時点で五十代・六十代となっているオッサンたちは、 70 年代に絶滅した「教養世代」と、 90 年代以降に勃興した「実学世代」のはざまに発生した「知的真空の時代」に若手時代を過ごしてしまった、 という点です。
 教養世代というのも奇妙な言葉ですが。平たくいえば「教養の習得に価値を置く世代」ということになるのでしょうか。』

『「教養世代」に対置される「実学世代」というのは、「実学の習得に価値を置く世代」ということになります。平たくいえば経営学や会計などの「手っ取り早く年収を上げるための学問」を重視する世代」ということになります。』

『明治維新という第一次ガラガラポン革命から、太平洋戦争という第二次ガラガラポン革命のあいだに 80 年という期間があり、組織や社会のリーダーの「総取っ替え」が行われたということには、それなりの必然性があったと考えられます。
 では、 太平洋戦争の終戦から 80 年後はいつになるのかというと、それは2025年ということになります。
 つまり、いま私たちが生きている社会は、太平洋戦争終戦時の第二次ガラガラポン革命に続く、第三次ガラガラポン革命の前夜を迎えつつある可能性がある、ということです。』

カギは四十代以下の世代の運動 ということになります。実際に明治維新の際にも、太平洋戦争終戦後においても、社会システムの再構築にリーダーシップを発揮したのは主に四十代以下の中堅・若手でした。
 社会で実権を握っている権力者に圧力をかけるとき、そのやり方には大きく「オピニオン」と「エグジット」の二つがあります。
 オピニオンというのは、おかしいと思うことについてはおかしいと意見をするということであり、エグジットというのは、権力者の影響下から脱出する、ということです。』

劣化したオッサンのもとで納得できない理不尽な仕事を押し付けられている立場にある人であれば、まずオピニオンとエグジットという武器を意識してほしい。

 というのはまさしくその通りなんだけれども、実はオピニオンを通そうっていうのは、現実の日本社会では難しい。結局、既得権益が強い日本の社会では、まだまだ「若い者」の発言力は低く、そんな若い者の言うことに耳を傾けようというオッサンたちはほとんどいないっていうわけだ。なので、現実の若者としてはそういう社会にたいしてなしうることは、そんな社会からエグジットするっていうことなんだと思うんだけれども、もっと直截的にいってしまうと「エグジット」なんてカッコイイ言い方ではなくて、単純に「ドロップアウト」することではないのかな。

 今の日本が「劣化するオッサン社会」であるとするならば、そんな劣化する社会を変えようなんて無駄なことは考えずに、むしろ積極的にそんな社会からはドロップアウトして、自ら新しい社会を作り出すことを考えたほうが早いんではないだろうか。

昨今の「劣化したオッサン」による各種の傍若無人な振る舞いはまさに、終焉しようとしている権力システムがあげている断末魔の叫びだととらえることもできるでしょう。
 だからこそ、中堅・若手の世代は知的に武装し、劣化する権力に対してオピニオンを主張し、エグジットすることによって「同じ穴のムジナ」から抜け出ることが必要なのです。』

 ところがそのテーマに差し掛かった時に大きな問題があるというのだ。

『それは若年層のなかで「本を読まない人」があまりにも多いという事実です。
 質の高い結晶性知能を構築することは一朝一夕にはできません。青年期から中長期的に良質なインプットを継続することが必要なのですが。良質か悪質かを云々する以前に、そもそも「本をまったく読まない」という人がとても多い。各種の統計で若干の違いはあるのですが、概ね4割か5割の二十代・三十代が、一月に一冊も本を読んでいません。
 このように知的に怠惰な習慣がそのまま何十年も続けば、次の世代には現在の「劣化したオッサン」以上に劣化した「ゾンビオッサン」が社会に大量に供給されるということになります。』

 勿論、本を読むということだけが唯一の教養ではないことは重々承知はしている。本を読むこと以上に、自ら経験することの方が、本人にとっては大きな経験であり、その結果「教養」というものに結び付くことにもつながることはおおいにあることであろう。しかし、それを助ける意味でも、やはり読書というものは、我々の自らの経験の不足する部分を補って余りあるものである。読書そのものは、実際の経験に比べると、それは「自らの経験」などとは言えないほどの小さな知識でしかない。しかし、実際の自らの経験というものが得難いと同時に、その経験自体が自らの人生においてあまりにも大きな経験となってしまい、その結果、自らのその後の人生においてまさしくネガティブな経験となってしまう危険性はある。だとしたら、「本を読む」という小さな経験でもって、とりあえず文献上の問題だけなのだけれども、それでも「疑似体験」として「本を読む」というのは、実は効率的な「経験を得る方法」でもあるのだ。

『学生時代に学び、就活ゴール以降、学びは終了というモデル、つまり「学ぶ」と「働く」がシーケンシャルに連結される人生モデルがこれまで一般的だった日本ですが、今後は「学ぶ」と「働く」がパラレルに動く人生モデルが主流になっていくでしょう。』

『年をとっただけで「老いる」ということはありません。つまり「オッサン」というのは、好奇心を失い、謙虚さも失い、驚きながら学び続けるという姿勢を失ってしまった人たちのことを言うのです。
 本書では「劣化するオッサン社会の処方箋」をつらつら述べてきましたが、最もシンプルかつ重要な処方箋は、私たちの一人ひとりが、謙虚な気持ちで新しいモノゴトを積極的ン学び続ける、ということになると思います。』

 というのがそれぞれ本書の結論なんだけれども、その結論自体には別に特別のことではないと感じるのだけれども、例えば経団連所属の企業なんかにいたりしたら、実に感じ入ることごとなのかもしれない。

 もし、経団連がそんなに時代に後ろ向きの企業ばっかりなのだとしたら、最早そんな経営者集団は日本にいらないというか、そんな後ろ向きの「規制大好きオッサン」の集団はとにかく早めにご退場いただきたいと考えるんだが、どうだろうか。

 っていうかオピニオンなんかして階級闘争になったって、最後は権力を持っている「劣化したオッサン」力をもっている社会にいるんだから、最後は屈服させられて終わり、っていうならやっぱりドロップアウトしっちゃったほうがいいのかもしれませんね。

 ただし、ドロップアウトした後はすべて自己責任ですから、ドロップアウトした結果、自分が失敗したって、今の日本政府に生活保障なんかを求めてはいけないんですね。

 もう、「日本政府」を信頼する時代は終わったってことなんですね。

 革命が必要な時かもしれないが、その前にはまず「今の日本を終わらせる」ってことでしょう。

※文中、太字で表した部分は、原著でマーカーが入っていた部分です。

『劣化するオッサン社会の処方箋 なぜ一流は三流に牛耳られるのか』(山口周著/光文社新書/2018年9月30日刊)

2018年10月 6日 (土)

『転職の思考法』って、最早、特別なことじゃない

 実は私の子どもたちのうち、男二人は大学を出て新入社員で入った会社を両方とも20代で転職してしまっている。まあ、まさしく今や「転職社会」なんだなあ。

『現代は2人に1人が転職する時代に突入しました。また新卒の学生ですら、 60%近くがセカンドキャリアを意識して就活をします。つまり「終身雇用」はすでに崩壊しているわけです。
 にもかかわらず、多くの企業はスキルアップの機会を社員に十分提供していません。総合職で採用され、配属はランダムで決まる。そのうえでジョブローテーションばかりさせ、結果的に、転職市場で勝負できない人々を大量に生んでしまっている。しかも、その事実を 40 代後半まで本人にきちんと伝えない。その構造を、賢い人ほど直感的にわかっています。だから転職を真剣に考えているわけです。』

 そういう時代に変わってきたんだなあという感慨と共に、実はそんな生き方が実は戦前では当たり前、「大卒で新規採用されて、そのまま一生その会社で仕事をし続けて、定年まで勤めあげる」という生き方自体が、実は戦後の高度成長期に出来た生き方でしかなく、それはたかだか最近の70年程度の行き方の典型でしかなかったということを改めて認識させられたのである。

Photoこのまま今の会社にいていいのかと一度でも思ったら読む 転職の思考法』(北野唯衣我著/ダイヤモンド社/2018年6月20日刊)

 基本的なことを言ってしまえば、本書でいの一番に言っている……

『STEP 1 自分の「マーケットバリュー」を測る』

 ということ、これは私にも理解できる。

『給料は、君が『 自分』 という商品を会社に売り、 会社がそれを買うから発生している。あくまで売り込んでいるのは君なんだ。君はたまたま今の会社を選んだだけで、会社は君をたまたま買っている。つまり、雇用とはひとつの『取引』なんだよ。マーケットバリューを理解するには、まず自分を商品として考えることだ』

 つまり、「会社員であるあなたの存在」は、会社にとっては投資対象だっていうことなのである。投資金額は給料分、その目的は基本的には「給料分は稼げよ」ということだし、実は「給料分」だけじゃなくて、本当は管理部門など「お金を稼がない部署」の人たちの給料とか、会社の将来に向けての資産形成とか、そういった部分も含めて稼げよ、っていうのが現業部門の従業員に課せられた使命ではあるのだ。「仕事に対する報酬」ではなくて、「投資に対する一部の収益還元」だと考えると、サラリーマンの仕事にもそれなりの面白さというものを発見できるのだ。

 つまりそれは「会社」というものと「自分」というものを相対化してみる考え方だし、そういう考え方をしてみると、「会社」っていうものが、そんなに自分にとっては大きな存在ではなくなってくるし、逆に、そんな組織だったらいつでも辞めることができる、っていう判断も自分の方に出てくる。

 私にとって、私が属している会社っていうのは、単純に言って「私の(映画)スポンサー企業」だったというふうに考えていたし、今でもそんなふうに考えている。まあ、私の企画に投資して講談社は儲かったでしょ、ってな感じでしょうか。勿論、大きな資本を必要とする劇場映画などの場合は、講談社だけではなくて他の会社の出資も仰がなければならない。しかし、その時にメインスポンサーとして出資をする講談社がいるっていうことで、ほかの出資者にも安心感をあたえることが出来たし、その結果、作品も大きな(?)収益を上げることが出来た(はずだ)。

 その結果として、私が会社から受けた給料は、言ってみれば会社からの収益配分だし、会社がそれだけの給料を私に払ってもいい対象だったわけなのである。いやいやいや、むしろ少ない位だったでしょ。この段階では「私と会社は対等」だったわけで、もしかするとその時期が私にとって一番いい状態で所ごとが出来た時期だったのかもしれない。

 実は「会社から給料をもらう」っていうのは、それくらい緊張感のある関係なんですけれどもね。

『組織にいると、給与は当たり前のようにもらえるものと勘違いする。そして大きな会社にいる人間ほど、実力以上の給与をもらっていることが多い。その中の多くの人間は、会社が潰れそうになったり、不満があると、すぐに社長や上の人間のせいにする。だがな、勘違いするんじゃない。君が乗っている船は、そもそも社長や先代がゼロから作った船なんだ。 他の誰かが作った船に後から乗り込んでおきながら、 文句を言うのは筋違い なんだよ。』

 まあ、本当ならそんなに会社に対して面白くないことがあるんだったら会社を辞めればいいんだけれども、そんなことを言う人ほど辞めないってことなのかもしれない。もともと、転職に対しては鷹揚な出版業界にいたせいかもしれないが、あまりそんな感じで「会社が面白くないから」辞めるっていう人に出会ったことはなかったのは、もしかしたら幸いだったのだろうかなあ。

 まあ、結局こういうことなんだろうなあ。

『「最終的に転職するような優秀なやつは、在籍しているときは、必死になって会社という『みこし』を担いでいるわけでしょ。辞めるまではさ、一生懸命、会社を担いでくれる人材なのよ。でね、反対に、一生この会社にしがみつくぞ、みたいなやつはさ、おみこし担いでいるふりして、ぶら下がっているわけよ。人事部が大事にしなきゃいけないのは、ぶら下がっているやつじゃなくて、もしかすると3年後にいなくなるかもしれないけど、今必死に担いでるやつなんだよ。ほんとに担いでくれるやつだったら数年勤めてくれたら御の字じゃないの?そういうふうに人事部も考え方を変えないと』

 要は、「会社と個人の緊張関係」なんだろう。

 そんな緊張関係のない組織では、働いている人間はどんどん「ぬるく」なるだけだろうし、そんなぬるい仕事意識の中では、たんに「昔からのやり方を続けて行けばいい」っていう守旧派が跋扈するようになって、でも、そういう組織ほど途中で組織を抜け出す人間を出さなくさせるだろうし……っていう、もはや会社組織としては「死んでいる」存在になってしまうのだ。

 勿論、そんな感じの会社になってしまったら、もうとにかく早めにその会社を辞めるのかってことだけだ。

 まあ、そういう会社ばかりじゃないとは思うんだけれども、でも、今はどんどん会社を変えちゃうのね。

 それは悪いことではないけれども、私のような「高度成長期のサラリーマン」からすると、「せっかく入った会社を簡単に辞めちゃうのね」って気分なんだけれども、その位「簡単に辞めちゃう社会」だからこそ活性化していく部分も多いんだろう。

 要は「会社に選ばれてサラリーマンになる」時代から「会社を選んでサラリーマンになる」時代への変遷と言えるのかもしれない。まあ、経団連の就活ルールもなくなっちゃうわけだし、どんどん自由化して、サラリーマンの給与も上がって行けば、なおよろしい。

  『このまま今の会社にいていいのかと一度でも思ったら読む 転職の思考法』(北野唯衣我著/ダイヤモンド社/2018年6月20日刊)

2018年10月 2日 (火)

『ロバード・キャパ』伝なんだが、なんかちょっと

『学習漫画NEXT』っていうくらいだから、そのオリジナルともいうべき『学習漫画 世界の伝記シリーズ』があるわけだ。

『学習漫画 世界の伝記』には野口英世、ナイチンゲール、徳川家康、一休さん、福沢諭吉、シュバイツァー、キリストなど、如何にも「世界の偉人」という人が並んでいるんだが、『NEXT』になると、オードリー・ヘップバーン、松下幸之助に始まって、安藤百福、ハワード・カーター、エリザベス・ブラックウェル、小林一三などなどがあってちょとなあ、という感じ。で、ローバート・キャパがあるって感じで、この手の「オリジナル版 vs. 続編」という関係に、このシリーズも倣っているんだなあ。

 まあ、それはやむを得ないことではあるのだけれども。この手の「学習漫画」っていうのは、そのもので学習するというよりは、学習する興味を持たせるのが本来の目的であるのだから、必ずしも書いてあることが真実である必要はない。とは言うものの事実でないことは書いてはいけないはずなので、その観点から読んでいくと……。

Photo 『ロバート・キャパ』(漫画:永山愛子・シナリオ:蛭海隆志・監修・解説:長倉洋海/集英社 学習漫画 世界の伝記NEXT/2012年7月10日刊)

 これまでに日本で刊行されてきたキャパ関連本を下本にしているんだが、それらの本にはキャパがこれまで使ってきたカメラ機材は詳しく載っていなので、多分その点で長倉洋海氏の監修がきいているのかな。

 キャパが初めて手にしたカメラがガールフレンドが持っていたコダックブローニー2aだったというのは知らなかった。これはこの本を読んでみての収穫。

 次がレオン・トロツキーを撮影したライカⅠ型というのは知っていた。中判や大判カメラの持ち込みを禁止していたトロツキーに対し、小型でロール・フィルムを使うライカをポケットに隠して持ち込み、見事トロツリーの撮影に成功したキャパは、いよいよフォトグラファーとしての生活を始めるのだが、ユダヤ人という出自のために次第にドイツでの生活は危うくなり、パリへと生活の場を移すことになり、パリでエンドレ・フリードマンというハンガリー名前を捨ててロバート・キャパというアメリカ風の名前を名乗ることになり、ゲルダ・タローと知り合った。このころ使っていたカメラはプラウベル・マキナⅡ。まあ、平和な時の撮影なので写真乾板を使うカメラであっても問題はなく、多分、当時はまだまだフィルムの粒状性なども良くなく、35mmロール・フィルムよりは写真乾板の方がメディア用には向いていたのかもしれない。

 その後、スペイン戦争に赴くことになったキャパとタローが使っていたのが、キャパがライカ、タローがローライフレックスというのは有名な話。キャパの名前を戦争写真家として天下に知らしめることとなった「敵弾に崩れ落ちる義勇兵」の写真も、ライカではなくてローライフレックスで撮影したものをトリミングしてライカのアスペクト比にしたごまかしじゃないかというのが沢木耕太郎氏らの言い分なんだけれども、、別にそれはどうでもよい、いずれにせよ「Capa & Taro」というのが当時のクレジットだったので、どちらのカメラでどちらが撮ったのか、なんてことは大きな問題ではないのだ。

 スペインでタローを失ったキャパは、スペイン戦争で知り合ったアーネスト・ヘミングウェイと知り合い、ますます「世界でもっとも偉大な戦場カメラマン」としての評価を博するようになる。しかし、それは本当にキャパが目指したものなのだろうか。結局、自らを有名な存在にするために「戦争」というものを利用したにすぎないのではなかったのか。という気にもなるし、そういうことを言う人もいるのだが、まあ、「最前線で写真を撮る」という行為が、相当の覚悟がないとできない行為である以上、それをしも必要であり更に充分な行為であるということもできるわけで、その行為自体を我々がどうのこうの言うわけにはいかないだろう。

 所詮、我々は「命を懸ける撮影行為」というものとはかけ離れたところにいる限りは、「戦争カメラマン」や「戦場カメラマン」のことをどうのこうの言うことはできないのである。「そこに戦場がある限り、カメラマンはそこに行って写真を撮る」のである。それを誰も止めることはできないし、止めるべきではない。

 キャパは1939年に渡米して、アメリカを拠点に活動をし始める。弟のコーネル・キャパが写真家になったのも、ここニューヨークでのことだった。

 このころから使い始めたのがコンタックスⅡ。ライカに対抗してカール・ツァイスが出した小型カメラである。まあ、結局は小型カメラ戦争ではライカが勝つんだけれども、しかし、コンタックスのレンジファインダーカメラは、第二次世界大戦後もソ連に工場と研究所が接収されてキエフというカメラ・シリーズを生み出すことになったのはちょっとした皮肉である。ライカは世界中に「偽ライカ」を作り出すことになったが、それらが本物のライカを凌駕することはなかったのに比べて、「偽コンタックス」は本物を凌駕するカメラも出てきたことで、ライカとは別の時代を画するカメラであったのではないだろうか。

 そんな「偽コンタックス」の代表選手がニコンSだと思うんだがどうだろうか。

 キャパは第二次世界大戦のノルマンディー上陸作戦に同行して、あの有名な「ちょっとピンぼけ」写真で、再び世界中に有名な存在になるのだけれども、それがライフ社の暗室係の失敗だったっていうのも有名な話。これはコンタックスⅡで撮影した写真らしい。

 それはさておき、第二次世界大戦後、1954年に毎日新聞の招待で敗戦国日本を訪れ全国を撮影して回るんだけれども、残念ながらその部分の漫画の描写が間違っているんだなあ。

 訪日したキャパにはニコンがニコンSとニッコールレンズを提供したんだが、漫画では、この日本行きも、その後のインドシナ行きもすべてコンタックスで撮影したように描かれている。

 ニコン本社にはこの時のキャパが使っていたニッコール5cmレンズ付きのニコンSが保存されており、時にはそのインドシナの土がついている個体もニコン博物館では公開もされている。

 というか、そのニコンSがもとになってニコンS2、S3、SPとなって、ニコンFとニッコールレンズという、その後の世界の報道カメラのデフォルトとなったニコンの歴史があるのだから、少なくともこの部分だけはキチンと事実を踏まえた取材をしてほしかった、というのは別にニコンファンとしての言い分ではなくて、やはりそれこそ「学習漫画」としての基本なんじゃないかとも思えるんだけれども、どうなんだろうか。別にニッコールレンズとロバート・ダグラス・ダンカン、朝鮮戦争の逸話を持ち出すわけではないけれども、なんか、この辺だけが「いい加減」な表現になっているのが気になるわけですね。

 基本的にはキャパの『ちょっとピンぼけ』に則って、それに沢木耕太郎氏の本などをベースにして正確を期しているというのは分かるんだけれども、その部分だけが残念だ。

 それも日本の伝記本でね。

『ロバート・キャパ』(漫画:永山愛子・シナリオ:蛭海隆志・監修・解説:長倉洋海/集英社 学習漫画 世界の伝記NEXT/2012年7月10日刊)

2018年8月20日 (月)

『挑戦するフォトグラファー』で知る、もう一つの真実

 本書『挑戦するフォトグラファー』を刊行している未知谷という出版社は、基本的に哲学などの人文書や東ヨーロッパを中心とした文学や詩集など、かなり地味な本ばっかり出している出版社だ。

 その未知谷で唯一の異色のジャンルが「自転車競技の世界」というジャンルなんだが、なんで自転車なんだろう。誰か自転車マニアの人でもいるのだろうか。

Photo 『挑戦するフォトグラファー 30年間の取材で見た自転車レース』(砂田弓弦著/未知谷/2018年7月7日刊)

 その未知谷の自転車ジャンルなんだが、これまで出版されているのは全部で23点。で、実は私はそのうち19点を持っている。きっかけは砂田弓弦氏の写真集『GIRO(ジロ)』と『フォト! フォト! フォト!』の2冊である。今回の『挑戦するフォトグラファー』もそうした自転車ロードレース写真集なのかと思ったら、そうではなくて、大学を卒業する寸前にイタリアに渡って自転車レースに参加しようとした頃から、自転車レーサーを諦めて写真家となり、やがてオートバイに乗って写真を撮れる資格を持った唯一の日本人として、オートバイのサドルから見てきたヨーロッパの自転車レースの世界を見てきた経験の集大成なのであった。

『自転車レースは現在、世界中で急速に広まっているが、本場は昔から発祥の地ヨーロッパで、今もそれは変わっていない。コースとなるヨーロッパの道はヨーロッパにしかないからだ。底辺はものすごく広く、たとえばイタリアでは七歳からロードレースを走ることができる。それに女性や中年のレースなどもあるし、なかには「パン職人選手権」、「スキー教師選手権」、「警察官選手権」など百花繚乱。週末の朝など、僕が仕事の拠点を置いているミラノ近郊はサイクリストの楽園と化し、近くの道路だけでも一時間に軽く一〇〇〇人を超えるサイクリストが行き交う。
 昨年、日本の若い女の子数人と話をしたとき、自転車レースもツール・ド・フランスも、見たことも聞いたこともないと言われて慄然となった。ヨーロッパにいれば、冬を除いてテレビの中継がほぼ毎日のようにあるし、スポーツニュースでも取り上げられる。大きなレースではテレビのニュースや一般紙でも報道されるので、自転車レースに全く興味がないひとでも、そういうスポーツがあることぐらいはみんな知っている。また、
「最近自転車に乗る人が日本でも増えて来ましたよね」と、日本の方からよく言われる。ただ、ヨーロッパの状況を見ていると、とても同意できない。日本の週末のサイクリストの数が、ヨーロッパの平日の数の足元にすら及ばないのだ。』

 と書く砂田氏ではあるのだが、それはそうだろう。元々、自転車レース、それもロードレースはヨーロッパ発祥というだけではなく、「一般の道路を使ったスポーツ」ということで言えば、せいぜいマラソンしかないような国で、自転車レースが盛んになるわけではないのだ。

 おまけにそれがもととなって(と私は考えている)、今、世界で通用する日本人の自転車レーサーっていえば、別府史之と新城幸也の二人だけだし、これまでヨーロッパに挑戦してきた日本人レーサーだって二ケタを超えたとは言っても三ケタには到底届かない状態だ。

 それでも毎週末にサイクリングロードや一般道を含んで、ロードレーサーで走っている人の数も以前に比べるとだいぶ増えてきたし、時たま行われるホビーレーサーたちの大会やヒルクライムレースなんかも次第に多くはなってきている。というか、こんなヘタレの私でもそのうちのいくつかのレースには出たことがあるのだ。勿論、高校生や大学生が出走するレースや、実業団、プロ(セミプロも含む)などのライセンスをもった選手でないと出られないようなレースには出たことはない。「出版人選手権」なんてのも、この日本ではないしね。

 そんなわけで、我々日本人が自転車レースを見る方法としては、実際にレースが行われる場所に行くか、あとはJ Sportsなどで深夜放送されるテレビ中継を見るしかない。それでも、現在ジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランス、ヴェルタ・ア・エスパーニャなどの三大ツールや、ヨーロッパで行われるクラシック・レースなんかは見られるようになったのはCATVさまさまではあるのだが。それでも、プロ野球みたいな「たかだか日本選手権」を毎日数チャンネルで見られるような状態や、「たかだか高校生の日本選手権」である甲子園の野球を毎日毎日一日中放送している状態からすると、その関係は彼我の状態でもあるのだ。

 まあ、自転車レースっていうのが日本ではそれくらい、ラクロスやローラーホッケー、なんかよりも更に更にマイナースポーツだっていうことなんだなあ。

 で、日本で自転車レースが普通のニュース番組なんかで取り上げられるのは、有名な選手がドーピングでひっかっかた時だけ。なんか、まるでその選手が悪の権化みたいな感じで取り上げられるのだが、実はそれもやむを得ないことなんだというのが、砂田氏の本書にも書かれている。

『今、僕の周りにはパンターニといっしょだった多くの人が自転車界に残っている。アシストだった連中、たとえばヴェーロはRCSで僕たちフォトグラファー相手のレギュレーターをやっているし、ポデンツァーナはノヴォ・ノルディスクの監督、キエーザはイスラエルの監督だ。メルカトーネウーノで第二エースだったガルゼッリはテレビの解説でレース会場にいるし、カレーラでいっしょに走っていたボンテンピはRCSでオートバイに乗っている。監督だったマルティネッリはアスタナにいるし、もう一人の監督ジャンネッリはRCSで働いている。共通しているのは、みんな当時のことをあまり喋らないということだ。パンターニが死んだとき、この中の一人に、
「マルコが活躍している時に持ち上げるだけ持ち上げて、そのあとはドーピングで総攻撃。そんな彼が可哀想で、いたたまれなくて行ってないんだ」
 はっきり言おう。あの頃は皆がやっていた。レースのスピードは異常に高く、アタックに次ぐアタックの繰り返しを見れば一目瞭然だった。もちろんあ、やっていなかった選手もいたかもしれないが、それはごく少数だったと思う。けれど、そうした状況は誰にも止められなかったし、それが当たり前の時代だった。今になってあの頃のことを持ち出して批判することは、誰にもできないと思う。』

 とね。

 この状況は同じ未知谷から出ているポール・キメイジが書いた『ラフ・ライド ―アベレージレーサーのツール・ド・フランス』にも出ている。つまり、ドーピングが「やってはいけないこと」であることは誰でも知っているし、自転車レーサーの間では当然なのだ。しかし、ある種の状況の中でそれをなくすことはできないし、それが必然の場合だってあるのだ。

 自転車レースとドーピングっていうのは、ある種の「やむを得ない関係」にあると言える。勿論、それは決してやってはいけないことなんだけれども、その競技の過酷さと裏腹の関係にあることでもある。それを知るのも、やはり自転車レースの歴史を知らなければならない。

 というのが、実は未知谷の各種の自転車本を読むとよくわかる仕組みになっている。ドーピングというのは、ヨーロッパの自転車レースの歴史とは切って切れないものであるし、言ってみればそれをも含めてヨーロッパの自転車レースの世界なのだ、と……。

 ということなので、興味を持った方にはキメイジの本も読むことをおススメする。いろいろと「蒙を啓いて」くれますよ。

『挑戦するフォトグラファー 30年間の取材で見た自転車レース』(砂田弓弦著/未知谷/2018年7月7日刊)

『ラフ・ライド アベレージレーサーのツール・ド・フランス』(ポール・キメイジ著/大坪眞子訳/未知谷/1999年6月10日刊)

2018年7月30日 (月)

問題だらけの女性たち

 別に女性たちが問題だらけなんじゃなくて、それに対する男どもの方に問題がたくさんあるっていう逆説なんだけれども、まあ、ここまであからさまに言われてしまうとなあ。という気分も少しはある。

Photo 『問題だらけの女性たち』(ジャッキー・フレミング著/松田青子訳/河出書房新社/2018年4月25日刊)

 ジャッキー・フレミング氏に俎上に載せられた男どもは以下の通り。

ダーウィン、ジャン=ジャック・ルソー、クーベルタン男爵、ラスキン、ピカソ、ショーペンハウアー、ジョージ・ロマネス、ハーヴァード大学の教授であったエドワード・クラーク博士、イマヌエル・カント、モーパッサン、フロイト、シャルコー教授、フレデリック・カーペンター・スキー、ヘンリー・モーズリー、などなど、私たちも知っている人もいるが、よく知らない人もいる。イギリス人のジャッキー・フレミングにしてみれば、みんな知ってて当たり前の人たちばっかりなんだろうけれども、我々日本人にはあまり馴染みのない人も多い。

 まあ、それはそれで仕方がない。で、一方で本書に登場する女性たちはこんな人たち。

ヴィクトリア女王に育てられたサラ・フォーブス・ボネッタ、ヴィクトリア女王自身、銃の名手アニー・オークレイ、馬術のナン・アスピンウォール、ヒルデガルド・フォン・ビンゲン、ジェイン・オースティン、アンナ・マリア・ファン・シュルマン、フィリス・ホイートリー、マリアンヌ・ノース、マリー・キュリー、メアリー・ポール、エミロー・デュ・シャトレ、数学者エミー・ネーター、ルイーズ・オーギュスティーヌ・グレーズ、マーガレット・バルクレイ、エリザ・グリアーなどなど、こちらも私たち日本人にとっては馴染みの少ない人たちばっかりだ。

 しかし、書かれていることを読んでいると、如何に女性が虐げられていたのかっていうのはよくわかるんだが、それをジョークにして語るっていうところが、やっぱりイギリス流なんだろうな。

 まず書き出しがこうだ。

『かつて世界には女性が存在していませんでした。
 だから歴史の授業で
 女性の偉人について習わないのです。
 男性は存在し、その多くが天才でした。

 その後、女性が
 少しだけ誕生するようになりました。
 でも、頭がとても小さかったので、
 刺繍とクロッケー以外のことは
 なんにもうまくできませんでした。』

 で終わりもこう。

『1840年の反奴隷制会議の初日は、
 3000マイルを旅してきた女性代表団の参加を
 許可するかどうかの議論に費やされました。
 参加は認められませんでしたが、傍聴人として
 カーテンの後ろに座ることだけは許可されました。

 この出来事がフェミニズムの第一波につながり、
 2000年にもわたる女性が特筆すべきことを
 何一つとして成し遂げていない時代に
 終わりをもたらしました。

 第一波の前にもたくさんの波がありましたが、
 それらの波はゴミ箱の中です。

 男性だけが
 意思決定できる進化レベルに達しました。
 男性は何を決定するか決定するほかなく、
 それから自ら投票しました。
 1875年には、法的に結婚できる年齢を
 12歳から13歳に引き上げました。

 女性は大人になっても乳歯が生えたままだったので
 (この特徴は蝶々と同じでした)、
 「社会の玉」に入れてもらえませんでした。
 どのリボンを買うか、それとも男性として生きるか、
 選択する自由はありました。

 ショーペンハウアーは簡潔に、
 女性は大人になっても子どものままだと述べました。
 「子どもと本物の人間である
 大人との中間段階ってとこだね、 やれやれ!」

 まあ、女性の進化なんて
 まだ途中みたいなもんですよね。

 ダーウィンによると、
 著名な男性と著名な女性のリストを比べてみれば、
 男性がすべてにおいて優れていることは
 明白だそうです。

 人数で比較するなんて、与えられた証拠と、
 自然に選択された女性より5オンス分多い
 客観性をもとに天才がたどり着いた結論としては、
 首を傾げざるを得ません。

 でもそれが正しいのでしょう。何しろダーウィンは
 大きなお猿さんだったのですから。』

 う~ん、あの進化論で有名なダーウィンですらこうだものねえ。「お猿さん」です。

 まあ、女性から見たら、すべての男なんてお猿さんなんだろうなあ。

 考えてみれば、人間の歴史なんて、結局は女性迫害の歴史なんだもんなあ。

 そんな歴史に対して正面切って反論しようとしても、それは徒労に終わるだけだし、そんな無意味な反抗をしても面白くない。

 じゃあ、そこはユーモアでもって対抗しようじゃないですか、ってところがこの本のキモなんだろうなあ。

 まあ、『何しろダーウィンは大きなお猿さんだったのですから。』

『問題だらけの女性たち』(ジャッキー・フレミング著/松田青子訳/河出書房新社/2018年4月25日刊)

2018年7月23日 (月)

KADOKAWA、直接取引を3300書店に拡大 「取次」介さず翌日配達も

 7月22日の日経電子版の記事がこれ。

KADOKAWA、直接取引を3300書店に拡大 「取次」介さず翌日配達も
2018/7/22付
 KADOKAWAは書籍を直接取引する書店数を1000店舗から3300店舗に増やす。届けるのは出版取次会社を経由するのが一般的だが注文から1~2週間かかる場合があった。注文から早ければ翌日に届けたり印刷会社を介さずに自社印刷する書籍を増やしたりして、アマゾンなどのネット書店に対抗する。』

Epsn59092KADOKAWAです。飯田橋にあります。

『書籍の2017年の国内市場は7152億円で、10年前に比べると21%減った。消費者の本離れやネット通販の普及で書店数も減る。KADOKAWAは消費者が求める本を実店舗に早く届けるため、出版取次会社を介さない直接取引店を増やすことにした。遅くても2日以内に届ける。
 同社は取引関係が深い書店チェーンとの間で、自社の書籍を注文するシステムを導入している。相互に在庫状況を把握でき、書店は1冊から書籍を注文できる。紀伊国屋書店や三省堂書店など導入店は1000を超えており、数年以内に3300店規模にする。これは国内の実店舗の書籍市場の約8割に相当するとみられる。
 出版取次会社は書籍を書店に届ける物流機能と、売れた書籍の代金を書店から回収する金融機能を持つ。金融機能は取次会社が担うが、物流機能はKADOKAWAが手がけることで消費者に素早く本を届ける。
 在庫数が限られる実店舗に比べ、ネット書店はいつでもほしい作品を購入できる。書籍は1日に約200の作品が発売され、消費者の目に留まりやすい売り場に置かれる書籍は少ない。書店にほしい書籍がない場合、取次経由で注文すると、書店に届くまで1~2週間ほどかかる場合があるほか、時期も確約できないこともあった。』

Epsn59613まあ、こういう大書店には関係のない話。というか、三省堂は既に実施済み。

 結局、書店から注文の入った書籍の物流はKADOKAWAが持つが、書店と出版社に対する金融機能はこれまで通り取次が持つという、あのKADOKAWAにしては珍しいくらいのおとなしい措置だ。普通だったらメディアコングロマリットを目指すKADOKAWAからしてみれば、流通から金融まで含めた自社の支配権を求めると考えるのが普通だと思うんだが、そこはおとなしく取次の機能の一部を認めているっていうのはなぜなんだろう。

Epsn59362むしろこうした「町の本屋さん」に一番関係がある話なんだ。ところで、この廣文館書店って、典型的な「三ちゃん本屋」なんだけれども、一時期、東京都書店組合の理事長をやっていた時期がある。そういうことをするから町の本屋さんの力が弱くなるんだよなあ。

 まあ、ひとつには取次の持つ機能の一部を認めて取次の出版社離れを避けたということ。もう一つは、書店の持つ金融機能の弱さを直接KADOKAWAが受け持つことなく、そこは取次にまかせることで、KADOKAWAの金融リスクを避けたということなのかもしれない。

 つまり、それだけ書店が持つ金融部分の弱さをKADOKAWAが丸々受けてしまってはさすがのKADOKAWAもリスクを避けることはできなくなってしまう、ってことなんでしょうね。DOKAWAとしては書店が持つ顧客との直接の関連性には目をつけて、それだけはいただこうということなんだろう。ただし、お金が入ってこないリスクは避けたいということなんですね。

 実際にはKADOKAWAとしてはAmazonや楽天などのネット書店のメリットはそのまま継続するわけで、別にKADAKAWAは今後書店とだけ付き合いますっていうわけではない。つまり、書店が持つ書籍選びの機能についてはそのまま使いつつ、自らの企業にとっての「おいしいとこ取り」だけを狙ったっていうわけだ。

 したがって、今回の措置でもって書店が本来持つべき選書機能についてはますます厳しくなって、多分、いずれは書店に対する新刊配本についても厳しく望んでくるってことなんだろう。まあ、今でもいわゆる「町の本屋さん」には、ほとんど新刊配本なんてものはなくなってしまっていますけれどもね。

 まあ、いずれにせよ、書店にとっては今後とも自らの存立基盤が脅かされるっていう状況は変わりはないわけで、厳しい状況におかれているっていうことには変わりはない、ってことなんだろう。書店側もこれからは日書連なんかの団体頼みの活動ではなくて、企業個別の自らの業態を含めた改革というか革命が必要なんじゃないだろうか。いろいろな「文化的存立事由」でもっていろいろと保護されていた書店業界も、それこそ本格的な改善が必要になったということなんだろう。

Dsc_00012どうも最近はラドリオじゃなくて、このタンゴ喫茶「ミロンガ」に行くことが多い。なんでかな~という話はいずれまた。

『角川歴彦「メディアの興亡」三部作【全3冊 合本版】『クラウド時代と〈クール革命〉』『グーグル、アップルに負けない著作権法』『躍進するコンテンツ、淘汰されるメディア』(角川 歴彦 著/KADOKAWA/2017年7月7日電子版刊)

2018年6月21日 (木)

『学歴フィルター』なんかぶっ飛ばせ!

「学歴フィルター」っていうと、どこか「悪いこと」のように言われているんだが、そんなに悪いことなのかなあというのが私の考え方で、問題は「リクナビ」や「マイナビ」なんかで「誰でもエントリーできる」っていうのが一種の「幻想」を学生たちに持たせてしまい、その結果「裏切られた」なんていう思い違いの批判が出てしまっている、というのがその問題の真相のように思えるんだ。

 何しろ、私たちが就活(なんて言葉もなかった時代だ)をしていた頃なんて「指定校制度」なんてのがあって、初めから「その会社を受けることができるかどうか」が大学によって分けられていた時代だったのだ。そんな立場から見ると「まさしく就活は幻想」、学歴フィルターがあるのは企業側からの「安全弁」であり、そのことに学生が気づかされるのがちょっと遅くなってしまっただけ、ってな具合に思えるんだがなあ。

Photo_2 『学歴フィルター』(福島直樹著/小学館eBooks/2018年6月6日電子版刊)

 ところで「学歴フィルター」ってどんな具合に使われているんだろう。

『・上位大学……入試選抜度、偏差値の高い大学。東大、京大、そのほかの旧帝大、一橋、東工大、及び国公立大、早慶上智、ICU、東京理科大、GMARCH(学習院、青学、立教、中央、法政)、関関同立(関西、関西学院、同志社、立命館)など。

・中堅大学……入試選抜度、偏差値が中位レベルの大学。日東駒専(日大、東洋、駒澤、専修)、産近甲龍(京都産業、近畿、甲南、龍谷)、大東亜帝国(大東文化、東海、亜細亜、帝京、国士舘)など。

・低選抜大学……入試選抜度が低く、偏差値が 40 前後、あるいはそれ以下の大学。時折メディアで話題になる、定員割れで受験生すべてが合格する大学、つまりボーダーフリー(Fランク大学)もここに位置する。』

 なるほど、じゃあ、そんな学歴フィルターってどんな企業が使っているんだろうと思ってみると、意外と予想通りではない。

『大手総合商社や大手マスコミ、大手金融、大手メーカーなどの人気企業の事務系総合職は、熱意のある就活生が集中しハイレベルな競争が繰り広げられている。そんな状況もあり、中堅、低選抜大学の学生の中には最初から諦めて避ける人も少なくない。反対に、中小企業では受けに来る上位大学の学生が極端に少ない。
 その点、大手企業の子会社には上位大学から低選抜大学まで満遍なく学生が受けに来る。上位大学の学生は大手企業の冠に惹かれ、中堅大学、低選抜大学の学生も、あくまで子会社であり大手企業本体ではないので気後れしないからだ。このように幅広く学生が集まる企業において、学歴重視で採用しようとすれば、大手企業以上に学歴フィルターを使う動機が強く生じるのだ。』

 うーん、そうか。結局、学歴フィルターってのは上位企業だろうが下位企業だろうが、関係なくそれぞれの企業で使っている考え方なんだな。

『いまやセミナーや会社説明会はインターネットで申し込む時代だ。企業がインターネット上で学歴フィルターを使うとき、具体的に何をどう操作しているのだろうか。
 人気企業は学生を募集するにあたって、「リクナビ」、「マイナビ」、「キャリタス」など複数の就職ナビを使うことが多い。それぞれの管理画面で応募してきた学生の情報を管理するのは面倒であり、漏れやダブりなどのリスクもある。
 そのため複数の就職ナビを1か所で管理できるソフトウェアがいくつかの企業から提供されている。仮にこれを「Sシステム」と呼ぼう。
 この「Sシステム」を使って学歴フィルターが操作される。

・会社説明会の受け付けにおいて、上位大学60名、中堅大学30名、低選抜大学10名(合計100名)といった具合に、あらかじめ受け付け可能数(枠)を設定する。さらに細かく、東大20名、一橋15名、早稲田50名、慶應50名というように大学ごとに設定することも可能だ。
・就職ナビ自体に「Sシステム」の一部機能を持つものもあり、会社説明会の告知画面を大学や大学群ごとに変えることもできる。告知画面に「早稲田大学の皆さんへ」というような特別感を演出した表現やコンテンツを入れ、好感度を上げて人気企業ランキングで投票してもらおうとする企業もある。
・上位大学→中堅大学→低選抜大学という順番で、時期をずらしてセミナーの案内メールを送る。申し込みは先着順のため、自然とセミナー参加者は上位大学の学生が多くなる。学歴フィルターを使用しなくとも、一般的にセミナーは上位大学の学生が多く参加する(その点、確かに上位大学の学生には熱意がある)。それでも企業が学歴フィルターを使う理由は、万が一、中堅、低選抜大学からの申し込みが多かった場合に備えているものと思われる。中堅、低選抜大学の学生で枠が埋まり、結果的に上位大学の参加者が減る事態を人事は何としても避けたいのだ。
・上位大学生にのみリクルーター面談の案内メールを送り、メールに記載されている申し込み画面のURLにアクセスしてもらい、予約してもらう。』

 っていう、結構、面倒な作業を企業側も行っているんだなあ。まあ、それだけ企業側も「学歴フィルターを使っている」という形でネットで炎上することを避けようってのだろう。実際には学歴フィルターを使いまくっているんだが、それがばれて炎上し企業イメージを損なうことを嫌うんだろう。まあ、企業イメージっていうのは、対象が就活生だけではなくて、一般社会におけるその企業のイメージにつながってくるので、それなりに慎重にならざるを得ない。

 じゃあ、本当に学歴フィルターっていうのはそんなに厳密に使われているんだろうか、っていうとそうではないみたいだ。

『学歴フィルターや学歴差別を乗り越えることは可能だ。実際、私は今まで多数のそのような中堅大学、低選抜大学の就活生を見てきた。上位大学ほどの比率ではないにせよ、事実として中堅大学、低選抜大学から人気企業に内定しているのだ。』

『学歴フィルターで排除され、会社説明会(セミナー)に参加できない場合はどうすればいいのだろうか。簡単である。行けばいいのだ。
「行く? どこにですか?」
 学生はそう疑問に感じるかもしれない。行き先はもちろんセミナー会場だ。たとえWEBの申し込み画面で「満席」と表示されていようと、アポなしで行くのである。人事に怒られるのではないか、などと心配する必要はない。きちんと対応すれば怒られない。
「申し訳ございません。予約はないのですが御社への思いが強く、なんとしても参加させていただきたいと考えて来てしまいました。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。立ち見で結構ですので参加させていただけるよう、ご検討くださいませ」』

 なるほどなあ、企業だって別に大学みたいに「自分の学校の教育レベルについていける人間を学生として採る」んじゃなくて、要は「ヤル気」と「状況に応じた態度がとれる常識人」であれば問題はないわけで、その人がその企業にどれだけ貢献できるかは、いずれにせよ入社してから数年経たなければ分からないのだ。だとしたら、面白そうだからこんな奴でも採ってみようかってな気分にもなろうってもんだ。

 まあ、要は大学入試でも合格してしまったらそこでおしまいなのではなくて、大学でどんな勉強・研究をするのかが大事なのである。それと同じ、というかそれ以上に企業に就職するっていうことは、それこそ「職に就く」ことが大事なのではなくて、その会社で「何をするのか」ということが大事なのだ。

「学歴フィルターがある」の「ない」のってことより大事なのは、「貴方がその企業に入って何をしようとしているのか」ということなんだなあ。つまり、それが明確にあるのであれば、それを企業側に伝えることでもって「学歴フィルター」なんてものは簡単に突破できるんだっていうことを、大学生には知ってもらいたいもんだ。

 たかだか「学歴フィルター」なんてもにのにぶち当たって、それでもって人生を諦めてしまうっていうだけで、貴方は負け犬の人生を送ることになるのだ。

『学歴フィルター』(福島直樹著/小学館eBooks/2018年6月6日電子版刊)

2018年5月29日 (火)

『ロシアカメラがむせぶ夜は』

 なんとなく勢いで買ってしまったロシア(ソ連)カメラなんだが、だもんで本書を買っていろいろお勉強をしようと思ったんだが、残念ながらFED 2は載っていて、結構いい評価をしているんだが、その後継機であるFED 3については全く触れていない。

 う~ん、残念!

Photo_2 『ロシアカメラがむせぶ夜は チョートクの赤色カメラ中毒者の作り方』(田中長徳著/グリーンアロー出版社/1999年12月刊)

 FED 2とFED 3の違いは以下の通り。

『FED-2 - 戦後型FEDの外観を一新した機種で、ファインダーは視度補正機構付の一眼式となりフラッシュシンクロも付き、フィルム交換時には底板とともに裏蓋が外れるようになった。距離計の基線長も長くなったが、後期生産分は生産高効率化によりFED-3のファインダーブロックを流用したため再び短くなった。シャッター速度は1/25-1/500秒または1/30-1/500秒。』

 というのがFED 2。

 FED 3は

『FED-3 - FED-2に低速シャッターが追加されている機種である。生産の簡便化を図るために段差を無くすなど何回も外観が変更され、基線長の長さもFED-2よりかなり短くなっている。シャッター速度は1-1/500秒。』

 更に

『FED_3 Type-bは、Type-aの軍艦部デザインが変更され、フィルム巻上げレバーが備わった。Type-aではフィルムの巻き上げをZORKI-1のようにダ イアルで行っており、軍艦部にも段差が付いた古風なデザインとなっていたが、Type-bからは軍艦部の凸凹も無くなり、より近代的でスマートな外観となっている。反面、ロシアカメラとしての怪しい雰囲気は薄まっていると言える。』

 私が買ったのはこのFED 3 Type-bで、Type-aのようなバルナック型ライカとはだいぶデザインが違うし、(多分)使い勝手も異なるんだろう。Type-aと比べると何となくM型ライカに近いデザインになっているので、それはそれで面白いと思って買ったんだが、肝心のこの本ではまったく触れられていなかったのは残念!

 長徳氏が推しているのはFED 2 Type-aの方で、「アンダーパーフォレーション・エフェクト」という、まあ言ってみれば微妙な設計上のミスなんだけれども、それ自体を楽しんでいるということも、Type-bではできないのであります。

 そんなこんなでやっぱり長徳氏が勧めるType-aの方を買えばよかったのかな、値段もあまり変わりなかったし、なんてことも考えているんだが、じゃあすぐにType-aを買うのかと言えば、う~ん、ちょっと待てよ、Type-aを買ったらType-bより古いわけだから、シャッター幕のピンホールなんて問題も更にありそうだ。

 ということなので、とりあえずこのFED 3 Type-bのシャッター幕問題を片づけてから、次はどうしようか考えるべきなんだろう。というか、やっぱりロシアカメラは「古い!」わけだから、実用品として考えると、サービスショップがある現行品の方が安心して使えるわけで、ということに思いをはせる私にはクラシックカメラを愛でる資格はないってことなんだろう。

 私にとっては、やはり「カメラは実用品」なんであります。まあ、クラシックカメラを愛でるような余裕よりは、現在のところ(そのすべてがデジタルではないものの)毎日のブログにUPできるようなカメラの方が安心して使えるってもんですね。

 ということなので、相変わらずデジタルはニコンDfとEPSON R-D1s(これだって最早クラッシックカメラの仲間入り?)、アナログはニコン New FM2とF4、そしてライカM6という組み合わせに、時たまオリンパス・ペンFやOM10という、やっぱり露出計付きのカメラということになってしまう。まあ、ローライコードというクラシックカメラもあるけど、一回しか使ったことはない。

 最後に長徳氏オススメのロシアカメラ購入方法をご指南。

『「五万円でこれだけ買えるチョートクスキーの買い物指南」といこう。
 三五ミリカメラの代用品、つまりライカの代用をさせてしまおう、というロシアカメラの開業当時の精神に立ち戻って、さて何を買うべきかを考えるのなら、私はライカマウントのフェド2型を真っ先に推薦する。というのは、この偽ライカで私はウィーンでの偽ライカサンポを成功裏に終了したからである。フェドは私のようなコレクターくずれになると、戦前のフェドの初期型に、ライカなどよりも遥かに多額のお金を支払って恬然としているのであるが、これは慢性不況構造にある、日本国民のとるべき態度であるとは思えない。戦前のフェドは、その距離計の連動システムが戦後のそれと異なるので、調整が面倒である。そこでフェド2がお勧めで、このモデルは二〇万台以上が存在するから、値段もびっくりするほどではない。なによりも「付録」として付いて来る、インダスタール五〇ミリf二・八のレンズはこれをライカに付けても恥ずかしくない描写をする。
 コンタックスコピーであるキエフも買って損はないカメラであるが、何しろ、本家のコンタックスのシャッターの故障しやすい、という特徴も染色体に受け継いでいるから、程度の良いモノを探そう。ついてに忠告しておくと、これらのカメラはその値段の上限をまあ、二万円と見積もって起き、まる二年使えたら、それでもう元がとれたと、満足する種類のカメラであるということだ。間違ってもカメラ修理工房で、シャッターの精度を上げようとか、そういう色気は出さないほうがよい。高労賃の日本では、これはまったく見合わないことになる。
 六×六判カメラなら、キエフ6Cがよい。最近ではその数は減っているが、右手巻き上げで左手でシャッターを切る、これはソユーズ計画でも使用されたスペースカメラだ。同型機で最新型のキエフ60TTLも安いし結構使えるカメラだ。』

 う~ん、やっぱりFED 2なのかなあ。

20180521_1808532 私が買ったシャッター幕にピンホールのあるFED 3です。結構、雰囲気はいいんだけれどもなあ。

 確かに、『偽ライカ同盟入門』でも触れられていたのはFED 2だったしなあ。

 

『ロシアカメラがむせぶ夜は チョートクの赤色カメラ中毒者の作り方』(田中長徳著/グリーンアロー出版社/1999年12月刊)

『偽ライカ同盟入門』(田中長徳著/原書房/2005年4月1日刊)

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