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2017年4月29日 (土)

『すべての教育は「洗脳」である』は典型的な「G人材のための、G人材による、G人材の人」の書なんだなあ

 う~ん、そりゃ『すべての教育は「洗脳」である』っていう論はよくわかるし、私もそう思う。しかし、それを久留米大学付設高校出身で東京大学文学部中退ののホリエモンが言ったって、全然説得力ないもんなあ。

 結局、堀江氏だって東大に入るまでは「普通に学校のお勉強を頑張っちゃった」クチでしょう。そんなひとが『すべての教育は「洗脳」である』って言ったって、あんただってそんな「洗脳」を受け入れていたんじゃないかよ、ってなもんですな。

Photo 『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論』(堀江貴文著/2017年3月20日紙版刊・2017年3月17日電子版刊)

 インターネットによって「国民国家」という概念はなくなったというのが堀江氏の見解だ。

『もう、「国民国家」というフィクションは力を持っていない。「国家」はなくなりつつある。早晩、僕らがイメージしていたような形の国家は消滅するだろう』

『もちろん、まだ「国」という枠組みは残っている。国家(税金による富の再分配)という機能は今後も残るだろう。だが、それを支える「国民」、そして国民国家という概念はもはやファンタジーにすぎない。というより、そもそも想像上の産物なのだから化けの皮がはがれたと言うべきか。
 今や「国民」を作るための洗脳装置は不要になった。これから人類は、「国」から解き放たれた、真に自由な「民」になるのだ』

『時代に合った良質なフィクションは、人々に「居場所」を提供してくれる。かつてはそれが、「国家」「企業」「学校」だったのかもしれない。人々は、自分がその共同体の一員だと信じることで、自分の居場所を実感し、アイデンティティを育むことができた。
 しかし、インターネットによって国家の壁が取り払われた現在、人々の居場所はもっと違うところにある』

『N幻想(国民国家幻想:引用者注)がなくなり、誰もが共有する「幸せの正解」がなくなった現在、人は国民ではない「民」の一人として、自分だけの幸せを探し、生き方を探し、働き方を探さなければならない。それは、画一的な「学校」で教えられるものではないというのが僕の意見だ』

『国民国家(N)という幻想が崩壊する。それは別に、世界中の人間がいきなり「地球人」として新しい枠組みの中で生きるようになる、という意味ではない。
 今後人々は、生まれた国や地域に関係なく、生き方、考え方、働き方の面において大きく二つの方向に分かれていくだろう。
 一つは、世界規模――〝グローバル〟を行動範囲とする「G人材」。
 そしてもう一つは、地元――〝ローカル〟に根づく「L人材」である』

「国民国家」という幻想はなくなりつつある、というのは事実だろう。しかし、一方で国民国家側からはそれへの大きな巻き返しもあるのも事実であり、まあ、しばらくはそんな国民国家側と「国民国家は幻想である」と主張する側のせめぎあいが行われるはずだ。「国民国家に代わる新たな社会体制」が整うまでは、そんなせめぎあいが続くだろうし、その時に備えての「G人材」と「L人材」という考え方の浸透という風に考えないと、今はっきり「G人材」「L人材」に分けて、「皆、G人材を目指そうよ」ってやってもうまくはいかないだろう。

『L人材が好むコンテンツを見れば、その嗜好性は明らかだ。『ONE PIECE』のメインキャラクターたちは、常に仲間のために死に物狂いで戦い、涙する。ジャニーズやAKB48、EXILEといったアイドル歌手が売りにしているのも、歌というよりはむしろグループメンバー間の絆や、ファンとの連帯感の方だ』

 とは言うものの、そんな「L人材」の生活を支えているのは実は「G人材」が生み出した富であるということはあまり知られていない。

『「大都市よりも、地方都市の方が快適だ」と言う人は多い。確かに地方は家賃が安く、駐車場代もかからない。少し車を飛ばせば、大型商業施設にたどり着ける。そこに行けばなんでも揃うし、遊ぶ手段にも事欠かない。
  ただ、こうした〝楽園〟の維持費となっているのは、その地方自体の税収ではなく、地方交付税交付金だ。つまり、大都市圏で働く高所得層の納めた税金が地方に回っているからこそ、地方の居心地の良さは守られているのである。
 そして今後、少子高齢化による税収の先細りは避けられない』

 というのは事実だが、じゃあ一体「L人材」はどうやって生きていけばいいんだろう。世の中には「G人材」と「L人材」に分かれていくと言いながら、しかし、それぞれの生き方について言及しないのは、ちょっと片落ちなのではないだろうか。

 勿論、堀江氏自身は典型的な「G人材」なんだからそのままを生きていけばいい。しかし、世の中には堀江氏と同房だった長野刑務所の受刑者たちみたいな、典型的な「L人材」がいる訳である。

『たとえば、僕もかつてはぶら下げていた「東大生ブランド」。いまだに「やっぱり大学に行くなら東大でしょうか」などと聞いてくる人がいるが、僕にはまったく理解できない。もちろん僕の答えは、「大学なんて全部無意味!」だ』

『僕が10代だった頃、「東大生ブランド」の価値はそれなりに高かった。つまり、コスパが良かったのだ。頭の固い両親も「東大に入るなら」と上京を許してくれたし、ヒッチハイクをしても「東大生なら信用できる」と車に乗せてもらえた。起業した時も、「現役東大生が起業!」とマスコミにもてはやされた。
 では、今はどうだろう? 「東大生」なんて、もはや珍しくもなんともない。珍しかったのは、大学進学率が1~2割しかなかったような時代、あるいは東大生が民間(特にベンチャー)に少なかった時代の話だ』

 というのはすべて事実ではあるにしても、でも、未だに世の中にはそんな「東大生ブランド」という神話が生きている部分もあるんだ。そんなブランドを信じている人たちに向かって「そんな神話は捨てろよ」って言ったって、「そんなバカな」と言われるだけがオチなのである。

 堀江氏がそんな「L人材」に向けて、それを脱出する方法を提示して初めて。というか、そもそも「L人材」が自分でそんな方法を見つけられるはずもないので、その人たちに堀江氏自らその方法論を提示して初めて、本書の結論が言えるのではないだろうか。

『その時にこそ、今までの思い込みが幻想であったことを痛感できるだろう。
 そして、「誰かに力を貸してもらわないと自分は変われない」という自己否定のブレーキが、単なる洗脳の結果だったことを実感するはずだ。
 学校、そして会社という幻想から自由になれた時、あなたの「脱洗脳」は完了する。洗脳が解けたあとの清々しい世界をもしもあなたが体感できたなら、著者としてそれに勝る喜びはない』

 とね。

『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論』(堀江貴文著/2017年3月20日紙版刊・2017年3月17日電子版刊)

2017年4月21日 (金)

『夫のちんぽが入らない』って、そんな

 昨日のブログ"TOKYO STADIUM : IT’s ALL THAT's LEFT OF ANCIENT WARRIROS DREAMS."「東京スタジアム:兵どもが夢の跡」のTwitter訳が「東京スタジアム: すべての厥古代 WARRIROS 夢の左側です。http://bit.ly/2pC3kU8 」だそうだ。ふふん、面白いな。

 で『夫のちんぽが入らない』問題なんだが……。

 もっと物理的な問題なのかと思ったら、そうではないようだ。でも、深刻。

Photo 『夫のちんぽが入らない』(こだま著/扶桑社/2017年2月8日紙版刊・2017年4月25日電子版刊)

『私と彼は、セックスをすることができなかった。
 ちんぽが入らなかった。
「なんでだろう」
「なんで入らないんでしょう」
 私たちは困り果て、力なく笑った。もう笑うしかない。 「きょうは、もうやめておこう。次はちゃんとできるはずだから」
「すみません」
「謝らなくていいよ。俺も初めての人とするのは初めてだから」
 その言葉の意味するところをすぐには理解できなかった。 処女だと思われているのだ。初めての人。このうまくいかなさは、初めての人間特有のものだと思われたのだろう』

 でも、彼女は処女ではなかった。

『高校二年の夏休みに一度だけ経験があった。
 その行為は、ただ恥ずかしくて痛いだけで、決していいものではなかった。頭の中が真っ白で、何も考えられなかった。血が大量に出た。恥ずかしいうえに知らない人ベッドまで汚してしまい、どうしていいかわからなかった。一刻も早くこの場を立ち去りたい。終了するや否や制服を身に着け、擦り切れた股を両手で押さえ、その人の家をあとにした。
 童貞を捨てるとか処女を捨てるというけれど、私の経験は文字通り「捨てた」ものだった。いらないものだ。知らない人だから恥ずかしい思いをいつまでも引きずらなくていい。これでよかったのだと言い聞かせた。その男子高校生とは二度と会うことはなかった。
あのときの投げやりな気持ちはどうあれ、一年前は確かにちんぽが入ったのだ。一度きりだが、入っている』

『彼はこれまで付き合ってきた相手や風俗の人には問題なく入ったという。こんな現象は初めてだと言われ、ますますおそろしくなってしまった。「ふつうではない」と言われているような気がした』

 その後、彼と結婚してから後の事。

『すべてが終わったあと、汗まみれの「おじさん」が板をへし折るゴリラのように私をぎゅうと強く抱きしめて言った。
「君は大丈夫、全然大丈夫」
 入ってしまった。
 血は一滴も出なかった。
 私はまったく好意のない「おじさん」と、まったく問題なく事を終えてしまった』

 行きずりの男とは普通にセックスができるのだ。

『男の人と会い、しようと言われたら、した。精神が病んでゆくにつれ、「私はメールをくれた全員とちゃんとヤらなければいけない」という義務感のような、強迫観念のようなものに取り憑かれ、ひとつひとつ地道にこなしていくようになった。
 ずっとまともにセックスができなかったのに、学級が崩壊したことでセックスに依存するようになるなんて、どうかしていた。まともにできるようになったからといって、その行為を好きになったわけではなかった。しなければいけない、という思いに強く囚われていた。誰でもいいので「君は全然大丈夫」と言ってもらいたかった』

 それが愛する夫とだけはできないって、どういうことなんだろう。

 結果

『三十六歳にして、どうやら閉経した。
 二十代や三十代で月経がこなくなることを早発閉経というらしい。医師には、持病の自己免疫疾患が関係しているのではないかと言われた』

『信じたくないが三十八歳になってしまった。
 これは野生のゴリラの寿命に匹敵するらしい。
 私は持病をこじらせて手足が奇妙な角度にひん曲がり、夫はパニック障害で通院を続けている。お互いなかなかの人生だ』

 うーん、まあ夫婦の形っていろいろあるわけだし、その中には私なんかの思いも及ばない世界があったりするんだろうなあ。

 私みたいな素人が考えてもまったく理解ができない理由で「ちんぽが入らない」夫婦関係を送る人がいるのかもしれない。

『ちんぽが入らない人と交際して二十年が経つ。もうセックスをしなくていい。ちんぽが入るか入らないか、こだわらなくていい。子供を産もうとしなくていい。誰とも比べなくていい。張り合わなくていい。自分の好きなように生きていい。私たちには私たちの夫婦のかたちがある。少しずつだけれど、まだ迷うこともあるけれど、長いあいだ囚われていた考えから解放されるようになった』

 子供がいない夫婦っていうのは世の中にあまたいる。子供を作りたくて毎日励んでいても、全然できない夫婦もこれまた世の中にあまたいる。その中のごく少数の例として「夫のちんぽがはいらない」妻っていう人がいるのかもしれない。

 多分それは人間以外の哺乳動物には見られない現象なのかもしれない。肉体的な問題もあるかもしれないし、精神的なもんだなのかもしれない。

 いずれにせよ、私たちは「そんな夫婦も世の中にはいるんだ」ってことを承知していなければならない、っていうことなんだろうな。

『夫のちんぽが入らない』(こだま著/扶桑社/2017年2月8日紙版刊・2017年4月25日電子版刊)

2017年4月18日 (火)

『結婚と家族のこれから』

 う~ん、なんか単純なようでいて、実はなかなか入り組んで、難しい問題なのかもしれないなあ。

Photo 『結婚と家族のこれから 共働き社会の限界』(筒井淳也著/光文社新書/2016年6月20日紙版刊・2016年7月8日電子版刊)

『「男女がともに相手を好きになり、合意の上で親密な仲になる。関係がうまくいかなければ、別れる。好きな相手ができたら、女性でも積極的に男性に求愛する」
 このような関係のあり方は、いかにも現代的な恋愛や結婚のあり方です。
「男女ともに財産の所有権を持つ」
 これもいまでは当たり前のことでしょう。
 いきなりこのようなことを書いたのには、わけがあります。実は、これらは日本の古代社会の男女関係のあり方なのです』

『結論からいえば、家父長制的な家族、父系の直系家族は、日本では10世紀くらいから徐々に浸透していった制度なのです』

『「男性は外で働き、女性は家庭で家事や育児をする」
 これも、しばしば伝統的家族の特徴として考えられていて、いまとなっては古臭いと感じる結婚生活のあり方でしょう。いまや、共働き夫婦は当たり前です。このような古風な夫婦生活のあり方は、昔の映画のなかにしかないのでは、と考えたくなります。
 しかし、社会学者の間で「性別分業」といわれているこの夫婦のあり方は、極めて「モダン」なものなのです。つまり、私たちの社会が近代化するまであまり見られなかったものだ、ということです』

『少し乱暴に単純化していうと、日本における家族や結婚のかたちは、古代の男女平等に近いかたちから、中世と近世(江戸時代)と近代(第二次世界大戦の終戦まで)の非常に長い男性優位の時代を経て、再び男女平等に近づいている、ということができます』

 とはいうものの、現代の家庭の作り方と徹底して違うのは、ここである。

『男性も女性も同時に複数の相手と親しい仲になることがあって、「誰かと付き合っているときは他の人と付き合ってはならない」という強い規範はありませんでした。これを「対偶婚」といいます』

 つまり「家」という概念がなかった頃のお話である。男女は好き勝手に出会って、好き勝手に性生活を営むという生き方。

『「妻問婚」といわれる日本古代の結婚生活の方式も、このつながりで理解できます。妻問婚とは、昼間は自分の家にいる配偶者の男性が、夜に妻の住居を訪ねるという方式の結婚生活です』

 結局、女性は母になることによって「家」に繋がってしまい、その結果、女性は「家」と「家族」を抱えていかなくてはならないようになる。結果として、それは女性の男性に対する従属という形になってしまうのだ。

『しかし、「家」の成立から近代初期まで続く「家族」は、個人をそれを通じて保護するというよりは、どちらかといえば女性を男性に従属させ、子どもを作るという営みをそこに縛り付けるための仕組みに近かったようです。そしてその代わりに、男性は家族を守る責任を負うことになります』

 それがやっと解放される時がきたというのであろうか。

『「産む性」としての女性が抱えている様々な問題は、もはや家族、特にジェンダー家族によって解決される必要がない、ということになります。子どもを生み、育てる女性が頼るのは、特定の男性、つまり夫ではなく、社会全体でもよい、という主張です』

 まあ、フランスや北欧なんかの女性政策なんかの例ですね。結果としてそれが少子化を防ぐことになったという。

 しかし、これは『取り敢えず「性」の問題と、「心」の問題を別においている論」であるのかもしれない。

 で、その視点を加えると。

『近代化にともなって、人々はある特定の恋愛のかたちを理想として考えるようになりました。それは、「一人の人と恋に落ちて、その人と結婚し、一生添い遂げる」という生き方です。このような恋愛のかたちを「ロマンティック・ラブ」といいます』

『「好きな人と付き合って、結婚して、醒めたら別れる」というのは日本の古代社会でも見られた恋愛のかたちですが、現代社会でも、個々人が自分の経済基盤を確保していれば、短い付き合いを繰り返すことは可能です。ここで、これからの恋愛では、こういったアド・ホックな付き合いが増えるのだろうか、という問いが出てきます。この問いに答えを直接出すことは難しいのですが、同棲や離婚・再婚が増加していることは、ロマンティック・ラブの終焉の傍証になっているかもしれません』

 実はこの引用、本書冒頭の(問題提起)部分と、結論を勝手に結びつけただけなんだけれども、なんか簡単にリンクしちゃう。ってことは、もしかするとこの当初の設問は、実は簡単に結論が出てしまう問題であって、ということはそうそう簡単には解決しない問題なのかもしれない。

『リベラリズムとは、生存や承認など、基本的な人権については政府が率先して保障し、また経済の領域でも不公正な取引を排除することを目指す立場です。そのかわりに、第三章でも触れたように、私的な領域、つまり友人関係や恋愛関係、そして家族関係については消極的にしか介入しない、という立場でもあります。つまり、公的な領域と私的な領域に線引きをし、公的領域では公正さを保障するが、私的領域は個々人の自由に任せる、ということです』

 ということは、ある種「私的領域」に属する「男女の関係論」に、政治が踏み込めない領域があって、それがある以上は政府は最終的な男女関係については決定権はもてないってことなんですね。

 フランスや北欧って、どうやってその辺の問題を解決してるんだろう。

 うん、次に読む本のタイトルが見えてきたぞ。

『結婚と家族のこれから 共働き社会の限界』(筒井淳也著/光文社新書/2016年6月20日紙版刊・2016年7月8日電子版刊)

2017年4月16日 (日)

『テレビじゃ言えない』って言ったってなあ

 ビートたけし氏が『テレビじゃ言えない』なんて言ってはいけないのだ。

 今や「テレビ(お笑い)界の帝王」として君臨しているビートたけし氏なんだから、もちょっとテレビの世界に風穴を穿つことを実行すべきなんだけれどもね。勿論、テレビにおける編成権はテレビ局が持っていて、単なる「一出演者」がどうにかできることではないのは知っている。でも、何とかビートたけし氏にはそこに風穴を開けて欲しいのだ。

Photo 『テレビじゃ言えない』(ビートたけし著/小学館eBooks/2017年2月6日紙版刊・2017年2月7日電子版刊)

 ということなので、大半の部分は無視して『第1章●テレビじゃ言えない「危ないニッポン」 ニッポンは「一億総活躍社会」どころか 「一億総自主規制社会」だ』についてのみ触れます。

『何が「一億総活躍社会」だ。オイラはそもそも、この頃のニッポンは「一億総自主規制社会」だと思ってる。最近は、別に犯罪行為をやったわけでもないタレントがスキャンダルで叩かれて、世間から「一発退場」になってしまう。『ゲスの極み乙女。』のボーカルと不倫騒動を起こしたベッキーも、それまで「超」がつく人気者だったのにテレビから一瞬にして姿を消してしまった』

『結局、こういう「右にならえ」の一斉外しという対応は、企業側が「コンプライアンス」だの「モラル」だのいくら言い訳したって、つまるところは「トラブル回避のための自主規制」でしかない。要はCMスポンサーに降りられたり、「何でアイツを使ってるんだ」と世間から袋叩きに遭うのがイヤなだけなんだから。それって、クラスでのイジメを見て見ぬフリしてる気弱な中学生と変わらない考え方だ。タレントを早々に降ろして「リスク回避できた」みたいに胸を張るのは、何か違和感があるんだよな』

 っていうのはテレビの世界にも蔓延している「事なかれ主義」ってもんでしょ。別に一般社会が訳の分からん「コンプライアンス」なんて言葉を持ち出して「事なかれ主義」に陥るのは仕方のないことなんだけれども、マスメディアがそこに陥ってはいけないんでしょう。そこの原因は何なのかに切り込んで話して欲しかったな。せっかく『テレビじゃ言えない』なんだから。

『まァ、オイラに言わせりゃ、「何を言ってやがるんだか」って感じだよ。テレビなんて、昔から「事実を曲げてばかり」なんだから。オイラが何か危ないことを言おうとすると、いつもすぐにカットされちまう』

『その一件はともかく「真実を報じるのがテレビ」なんて認識は間違いで、「真実をオブラートに包んでしまうのがテレビ」ってのが本当のところなんだよな』

 う~ん、今はもっと壊滅的な状況なんじゃないだろうか。

『テレビがいかに規制だらけで不自由かってことは話したけど、一方で「ネットは規制がなく自由で素晴らしい」って論調も間違ってる。そもそもテレビががんじがらめの自主規制を強めたのはネットの影響が大きいだろう』

 まあ、「炎上」を恐れるってやつですかね。

『昔はバカなヤツが自分のバカさを拡散する方法なんてなくて、「近所にヤバいヤツがいるから近づくな」程度で済んだ。だけど、今や誰もがスマホから自分のバカさをワンタッチでアピールできる。だからやることがエスカレートするし、迷惑をかけられる対象も広がっちまう』

『「ネットで調べれば何でもわかる」と考えるヤツは、 「そこに書かれていないもっと深い世界」に思いが至らない』

『IT起業家は、いわば現代の戦国大名だよな。「流行のスマホを手に入れたぜ」「最新のアプリをダウンロードしたよ」なんて喜んでるヤツラは、そういう「儲かる仕組み」を作ってるヤツラに、いいようにカネを巻き上げられてるってことに気がついてないんだよ』

 18歳選挙権についてこう話しているのは、なかなか好感が持てる。

『最近の若い人たちは、オイラの若い頃と比べて「素直すぎる」って気がしちゃう』

『もしかしたら、18歳選挙権ってのも権力にとってものすごく利用しやすい好都合なものかもしれない。深く考えず、雰囲気だけでブームに踊らされるってのは、よくよく考えりゃ怖いってことに気がついたほうがいい』

 ただし、18歳に選挙権を与えるのだって、それでも18歳を少年法で守るっていう矛盾には若者は気付くべきなんだよな。

『「18歳に選挙権」なら、10代を少年法で守る必要はない。 若者は大人たちの「ガキ扱い」に怒るのがスジだ』

『政治家や権力がなぜ若い世代に選挙権を広げたかというと、それは単に「都合が良かった」からだ。別に「10代に政治への興味を持ってもらうため」でも「若者の声を政治に反映させるため」でもない。そう主張してたとしても、単なる建前だよ。実際は、「知識がなくて浅はかだから、選挙権をやっておけばこっちの思うとおりに操れる」ぐらいに思われているだけ。都合のいい票田と見なされたんだよ』

 タモリについて述べている部分が面白い。

『ちょっと前までやって人気だった『ヨルタモリ』(フジテレビ系)とか、すでにNHKの看板になっている『ブラタモリ』なんてのは、あの人のやりたいことを全部やってる気がするね。「遊び」の部分というか、歳を取った余裕がすごくいい方向に出てる』

『最近じゃ、いろんな人がタモリのことを論じているようだけど、一言で言えば、この人っていうのは「白米のようなタレント」なんだよな。オカズが毎日どんなものに変わっても、結局は欲しくなる「変わらなさ」を持ってるってことでさ』

『だけどタモリってのは、元々は「オカズ」的なタレントでね。あの人が世に出た頃の「4か国語麻雀」とか寺山修司の物真似とか、『今夜は最高!』でやってたこととか、まさに異色の雰囲気でさ』

 ふ~ん、してみるとビートたけしはどんなタレントなんだろう。タモリの場合は「日本食における白米」の立場、つまり「お米(主食)があってオカズがある」って関係なんだけれども、やはりビートたけしの場合は「肉(主食)があって野菜(オカズ)がある」っていう、欧米食的な意味での主食なんだろうなあ。

 そしていまでもその主食の場にいるってことなんだろう。

 しかし、それも疲れますね。そろそろ、本人もオカズになりたいって考えているのかもしれないなあ。

『テレビじゃ言えない』(ビートたけし著/小学館eBooks/2017年2月6日紙版刊・2017年2月7日電子版刊)

2017年4月13日 (木)

『都政大改革』

 まあ、自ら「チーム小池」を名乗り、知事選挙の際は選挙対策本部責任者を務め、現在は東京都知事政務担当特別秘書ならびに小池百合子政経塾「希望の塾」事務局長をやっている人の「小池都政宣伝パンフ」みたいな本なので、それなりのスタンスで読まないと、足をすくわれることになるだろう。

 まあ、それでもまだ知事になって1年もたっていない割には、随分といろいろな形でメディアにも取り上げられ、高評価の出ている小池知事であることは認めよう。

 で、その小池知事がこれまでどんなことをやってきたのかを書いてあるんだが……。

Photo 『都政大改革 小池百合子知事&「チーム小池」の戦い』(野田数著/扶桑社新書/2017年1月1日紙版刊・2017年1月25日電子版刊)

 ここでは都知事選について書いた『第1章 小池百合子氏、組織なき都知事選に勝つ』、都議会について野田氏の見解を述べた『第2章 私が体験した都議会の実態』は無視して、『第3章 小池百合子都知事、東京大改革のロードマップ』についてのみ書く。

『都議会定例会に先立ち、小池知事は9月1日、「東京大改革推進体制の整備」のために、都や関連団体の政策や予算、仕事のやり方、組織のあり方などを抜本的に見直す「都政改革本部」を始動させた。  自らが本部長となり、「都民ファーストの都政の実現に向けた改革を推進するため、『都政改革本部』を設置します」とその設立趣旨を説明した』

『都政改革を進めていく視点は、「都民ファースト」「情報公開」「税金の有効活用(ワイズ・スペンディング)」だ』

『改革本部は、これら三つの視点を踏まえて、当面は「自律改革」「情報公開」「オリンピック・パラリンピック」の三つの課題に取り組んでいくことになる。』

『まず、「自律改革」だが、これは都政改革本部の重要な柱である。役所にありがちな、できない理由を挙げるより、どうしたらできるのかということを考えていける組織に生まれ変わる必要がある。外から改革を強いられるのではなく、自らが改革していこうということだ』

『なにごとも制度改革、技術革新に加え、意識改革の3点セットが必要ということである』

『次に「情報公開」である。情報公開は、「都民ファースト」の行政を確立するためのインフラだ。
 行政の硬直化を抑止するには、あらゆる情報を原則公開することが有効である。だが、都庁の政策形成過程、決定理由などについて、残念ながら十分に公開されていないという声をしばしば聞く。例えば、開示請求しても、黒塗りが多くて、まるで〝海苔弁当〟ようなものが出てくる。また、審議会の一部も非公開となっている。
「都民ファースト」を徹底しようとするならば、役所が何をしているのかということを外に対して説明していかなければならないだろう。そうしないと都民からリクエストも来ない。あるいは、苦情も前向きな形でいただけない』

『これに関しては、「情報公開調査チーム」を設置し、次の5点について調査検討していく。  
① 各種会議体の情報公開のあり方……審議会の議事録の公開方法の見直しなど。
② 広報のあり方……ホームページ、スマートフォンの一層の活用を、「分かりやすさ」、「使いやすさ(情報のアクセスなど)」の視点を踏まえて行う。  
③ 公益通報制度の改良……現行(庁内または外郭団体への通報)体制の見直しと外部弁護士事務所などへの通報の検討。職員の目安箱、都民、受注事業者などから通報を受ける手段を整備。  
④ 情報公開制度の見直し……情報公開制度全般について、現状評価、及び制度と運用の改善。  

『そして、三つ目が「オリンピック・パラリンピック」である。
 まず何よりも、2020年の東京大会は成功させなければならない。都民、国民に愛され、支持される大会にしていかなければならない』

『見えないところで何かが決まるのではなく、オリンピック・パラリンピック予算、準備体制、工程表、その妥当性、これについては第三者の目も借りて検証していきたい。また、東京都の負担、国と組織委員会、さらには各地方自治体との関係は一体どうなるのか、これも明確にしていかなければならない』

『○ アスリートにとってのレガシー……アスリートが施設・設備の主役であり、彼らがオリンピック・パラリンピック最大のコンテンツである。彼らにとってオリンピック・パラリンピックは何なのか、をきちんと見直していきたい。  
○ 将来の都民にとってのレガシー……2020年以降の都民にとって、オリンピック・パラリンピックを開催した結果、何が良かったと思えるかなどをもっと明確にしていく。
○ 世界都市東京の未来の姿……グローバル競争の中で生き抜いていかなければいけない大都市東京の未来の姿を示す。各局全体が、消防や福祉の分野も含めて、オリンピック・パラリンピックを機にどのように東京を変えていくのかということを考える』

『全体ガバナンスの問題については、組織委員会はその設立にあたって東京都が97・5%出資しているいわゆる外郭団体だが、そのわりには組織委員会に対する管理監督がきちんとされてきたかというと、かなり疑問がある。
 組織委員会は小池知事の関与を嫌がったのか、出資金の都への返還を申し入れてきたが、いずれにせよ「成功させるため」という観点に立って、今の組織委員会のあり方が、このままでいいのかどうかを見ていかなければならない』

 基本的に東京都の職員はかなり優秀な人が多く、中には国家公務員総合職(キャリア)を捨ててまで都庁の職員になる人もいるらしい。まあ、東京都の莫大な予算を動かせるとなれば、それはそれで魅力があるんだろうが、しかし、そうした優秀な人たちほど「情報公開」と「自律改革」とは逆の方向に行きやすくなるものだ。要は、「自分のやっていることが一般の人に理解できるはずがない」って考えることでね。

 それを如何に風穴を開けて、「情報公開が大事なんだ」っていうことを身をもって知ってもらうことが、小池都政がうまくいくかどうかの試金石なのであろう。少なくとも、豊洲移転問題に関しては、その道半ばという感じだろうか。うまくいっている部分もあり、「まだだなあ」という部分もあり。

 オリンピック・パラリンピックに関しては、豊洲移転問題より更に後退しているんではないだろうか。

 まあ、まだ都知事になって1年も経っていない小池氏には、まだまだこれからですね。とだけは言っておこう。

『都政大改革 小池百合子知事&「チーム小池」の戦い』(野田数著/扶桑社新書/2017年1月1日紙版刊・2017年1月25日電子版刊)

2017年4月10日 (月)

『正社員消滅』はもしかしたら「いいこと」かもしれない

『いまや正社員ほど、ワークライフバランスの満足度が低い──そんな調査も出てきている。正社員、派遣社員、契約社員、アルバイトの四雇用形態で、現在のワークライフバランスをたずねたところ、正社員は「良い」が一八%で四形態のなかで最も低く、派遣社員は四一%、契約社員とアルバイトはともに三四%だった』

 おお、じゃあやっぱりフリーターの方が生活が充実してるんだ。う~ん、まだまだバブル期の生き方が認められてるんだな。と思ったらそうではないようだ。

Photo 『正社員消滅』(竹信三恵子著/朝日新書/2017年3月30日紙版刊・2017年3月31日電子版刊)

『標準的な「フツーの働き方」にすぎなかった正社員が、社会に出ようとする若者にとって、どんどん「レアもの化」していった。そんな変化の中で、二〇〇五年ごろから、非正社員についてのマスメディアの描き方も変わった。「不自由だが安定したアリ」としての正社員に対して「自由に生きたいキリギリスたちの働き方」と、明るく受け止められていた非正社員像が、「貧困の温床としての劣悪な働き方」に変化していったのだ』

 まあ、結局、労働組合に所属しているわけでもない非正社員たちの待遇・処遇がどんどん下げられて行ってしまっても、それに対抗する手段のない非正社員たちにはどうすることもできないもんなあ。

 一方、正社員の方だっていろいろあるようだ。

『極端な長時間労働や、家庭生活の障害になるような転勤や配置換えも「正社員だから」と正当化される。「正社員だから」ときわめて高度な貢献を求められるのに、待遇はそれに見合ったものではない「名ばかり正社員」である。正社員は無期雇用と引き換えに、会社から強い拘束を受けるのが当然だという認識が、会社側だけでなく働く人たちのあいだにも広がったことが、名ばかり正社員の蔓延の背景にある』

 なるほど「名ばかり正社員」ね。

『イケア・ジャパンでは二〇一四年九月から、フルタイム社員と短時間社員でも仕事が同じなら待遇を均等にする人事制度が導入され、話題を呼んでいた。本国スウェーデンはもちろん、それ以外の他の先進国では、フルタイムかパートか、期限の定めがない無期契約か短期契約か、直接雇用か間接雇用かにかかわらず、果たしている職務が同等なら待遇は同等という均等待遇が原則となっている』

 基本的に「同一労働同一賃金」の考え方がしっかり根付いている北欧諸国に対して、そんな考え方のないその他の国では、基本的に企業経営者の考える「最大の収益を求める」という考え方が企業経営の基本である。だとしたら、その「最大の収益を求める」経営者の考え方からすれば、正社員であろうが非正社員であろうが、彼らに支払う給与を如何に下げるかというのは、言ってみれば最大の目標なのだ。別に、正社員の立場を守るために非正社員の給与を下げるんだっていうわけではなく、ただただ、人件費を削れば企業収益が上がるっていうだけなんだもんね。

 なので、正社員といっても、実際にやっていること、やらされていることは非正社員と同じこと。なので、そんな正社員の給料を上げる必要なんかないじゃないか。というのが経営者の論理。

 じゃあ、それに対抗する働く側の姿勢ってどんなものだろう。

 竹信氏は言う。

『①「正社員の身分を守る」という発想から抜け出そう。
②自分の法律顧問を持とう。
③働き手のネットワークをつくろう。
④情報を収集しよう。
⑤辞めない権利を生かそう。
⑥ライフスタイルを点検する。
⑦企業や政府からの「働き方改革」に振り回されるのでなく、働き手の目線からの改革を提唱していこう。』

 って言うんだけれども、なんか大人しいんですね。まあ、どこかのいい大学を出て、1976年、朝日新聞社に入社。シンガポール特派員、学芸部次長、編集委員兼論説委員などを経て2011年から和光大学現代人間学部教授っていう、いかにも絵に描いたようなエリート街道を突っ走ってきた人だけはある。

 新聞記者人生の中でいくらでもフリーで生き生き働く人は見てきたと思うんだが、何故、そんなに「勤め人」として生きることに拘るんだろうか。私も竹信氏と同じような正社員として生きてきたんだけれども、たまたま出版社にいたせいか、多くのフリーで生き生きと働く人を見てきた。そんな目からすると、別に正社員はなくても大丈夫なんだ、と思えてきてしまうのだ。

 私は決してエリートではないが、大学を出て出版社の正社員を37年間続けてきて、見事定年っていう、まあ、これまた幸せな人生を送ってきた人間がいうことではないが、しかし、これからの時代はそんな生き方や、「正規でも非正規でも」社員という生き方を捨てる生き方じゃなければ、幸せになれない時代なんじゃないだろうか、という気がするのだ。

<一流の大学で一般教養と若干の専門知識を学び→一流企業の正社員になり→定年まで勤めあげる>という人生のあり方から、これからは<大学でもどこでもいいからプログラミングなどの専門知識とスキルを学び→数年企業に勤務した後 or 初めから→独立して個人事業主(フリー)として生きる>という人生のあり方に変わっていくのではないだろうか。で、そんなことができない人間が<勤め人><社畜>として生きていくのだ。というか生きていくしかないってことでしょうね。

「えっ? 国民みんながそんな生き方をしちゃったら、日本の産業はどうなっちゃうの? 日本の企業はどうなっちゃうの?」なんてこと言われても、そんなことは知るもんかってなもんですね。だって、日本の企業の行き方そのものが日本の企業の行き方そのものが(社畜をどんどん増やしちゃって、その結果として)「国民皆フリー化」のきっかけになってるんだから、それは仕方のないことでしょう

 よしんばそれで日本という国がダメになっても、そんな一人で生きていけるスキルを持った人なら、世界中で生きていける。別に、日本の個人や企業だけが仕事の相手でなければならないということはないんだから、世界中どこでも生きていけるっていう、素晴らしい未来が開けているんではないでしょうかね。

『正社員消滅』(竹信三恵子著/朝日新書/2017年3月30日紙版刊・2017年3月31日電子版刊)

2017年4月 5日 (水)

『グローバリズム以後』

 2016年1月12日の一般教書演説でオバマ大統領が「(第三に、)世界の警察官としてではなく、どのように世界をリードし、アメリカの安全を守っていくか?」と発したとき、我々はアメリカ帝国の終焉がやってきたことを思い知らされたわけであるが、その後、トランプ氏がアメリカ大統領になって、完全に帝国の終焉を確認したのである。

Photo 『グローバリズム以後 アメリカ帝国の失墜と日本の運命』(エマニュエル・トッド著/朝日新書/2016年10月30日紙版刊・2016年10月31日電子版刊)

『1998年と2016年の間に私たちは、グローバリゼーションが国を乗り越えるという思想的な夢が絶頂に上り詰め、そして墜落していくのを経験したのです。それは、一つの国(ナショナル)というよりむしろ帝国(インペリアル)となった米国に主導されながら進んでいきました』

『2016年、米国は疲れています。停滞に、そして長く続く賃金の中央値の低下にも疲弊しています。自分の社会の中の不平等が拡大して破壊的な影響をもたらしつつあることを自覚しています。雇用される人たちにとっては、2008年の景気後退から米国は本当には回復していないのです』

 一方、ヨーロッパはどうなったかと言えば……

『2016年、欧州は危機に陥っています。他のパートナーたちよりも経済的に強いドイツはEUの主導権を握っています。しかし、自身は、数十年にわたるとても低い出生率の結果、人口という点で歴史上前例がない深刻な危機にさいなまれています』

『同じように人口の問題に直面しながら、高齢化と人口減少を受け入れている日本とは逆に、ドイツは、自分とは文化的にかなり違う国々からの大量の移民に門戸を開くという選択をしました』

『西欧は、経済と同じくらい政治、イデオロギーでも消耗しています。理想化された資本主義と民主主義を世界に広めるというグローバル化の夢、フランシス・フクヤマが言うところの「歴史の終わり」は、今日はるかに遠いように思われます。中東は、民主化どころか国家の解体の中にいます。中国は、開放どころかおびただしい腐敗が吹き出しています』

 ロシアやアジアはどうなんだ?

『2016年、ロシアは今、その帝国としての地位を失ったとしても、国としてほぼ回復しています。その政治システムは、石油価格の下落にもかかわらず、みごとに安定しています。その軍事機構は、核戦力についても通常戦力についても再び組織化されました。ロシアは、そのナショナルな空間にクリミアを再統合し、米国を恐れることなくシリアに介入しました。死亡率はまだ高いけれども、下がっています』

『日本は、安定していますが、老いつつあります。そして、安定しているけれども疲れている米国、安定しているが縮んだロシア、解体しつつある欧州、次第に不安定になっていく中国が形作る新しい世界の中で、自分の道を見つけなければなりません』

 というのが2016年から2017年にかけての世界展望だろう。本書は1998年から2016年にかけて朝日新聞によるエマニュエル・トッドへのインタビューから構成されているのだが、まあ、なかなか2017年の現在を言い当てているなあという感じはする。

 で、エマニュエル・トッドは日本に対してこんな提案をするのだ。

『日本に「核武装」を勧めたい』

 う~ん、なんてことを言うんだろう。

 まあ、最早「世界の警察官」ではなくなったアメリカと日米軍事同盟を保っていくというのは、実は現実的ではないというのだろう。

『核兵器は偏在こそが怖い。広島、長崎の悲劇は米国だけが核を持っていたからで、米ソ冷戦期には使われなかった』

『イランも日本も脅威に見舞われている地域の大国であり、核武装していない点でも同じだ。一定の条件の下で日本やイランが核を持てば世界はより安定する』

 それは確かにそうなんだろうけれども、なかなかそうはいかないんだよなあ。

『北朝鮮より大きな構造的難題は米国と中国という二つの不安定な巨大システム。著書『帝国以後』でも説明したが、米国は巨額の財政赤字を抱えて衰退しつつあるため、軍事力ですぐ戦争に訴えがちだ。それが日本の唯一の同盟国なのです』

「日米軍事同盟の維持」と「集団的自衛権」をアメリカと組んでいる以上は、これからは却って日本がアメリカによって戦争に巻き込まれる可能性が高まるってことなんだろう。

 とは言うものの、「唯一の被爆国」という、いささか被害妄想の「思い込み」をしている日本人の核アレルギーはいまだに払しょくされていない(あれだけ原発を持っているのにね)ので、なかなか核兵器保持に対しては、まだまだ国民の抵抗はありそうだ。

 しかし、世界情勢とりわけアメリカと中国との関係論においてはこうなる。

『なるほど日本が現在のイデオロギーの下で核兵器を持つのは時期尚早でしょう。中国や米国との間で大きな問題が起きてくる。だが、日本が紛争に巻き込まれないため、また米国の攻撃性から逃れるために核を持つのなら、中国の対応はいささか異なってくる』

 ここは難しい判断だなあ。政治力のバランスという考え方で言えば、当然、中国、北朝鮮が核武装をしている以上、日本だって(現実的には確実に潜在的核保有国になっている以上は)核武装をすべきなんだってのは理解できるんだけれどもね。

『核を保有する大国が地域に二つもあれば、地域のすべての国に「核戦争は馬鹿らしい」と思わせられる』

 まあ、結局アジアの繁栄と安全のためには日中韓三国(+印)がいかに(核武装をするとかしないとかは別にして)協調体制を取っていくのかがテーマなんだろう。勿論、三国間の歴史認識は全く異なるし、経済体制・政治体制もまったく異なる。しかし、基本的に国境を挟んだ隣国とは、「基本的に緊張感を持った友好態勢」を持つことがヨーロッパでは当たり前だし、日本もそんな「世界の常識」を持って隣国と接していくべきなんだろうな。

 無限定の(ズブズブの)友好関係なんてものはないんだから。

『グローバリズム以後 アメリカ帝国の失墜と日本の運命』(エマニュエル・トッド著/朝日新書/2016年10月30日紙版刊・2016年10月31日電子版刊)

2017年4月 2日 (日)

『会社が消えた日』

『松下電器産業、日立製作所、東芝、ソニー、シャープ、三洋電機、富士通、NEC、三菱電機、パイオニア、日本ビクター。日本には「大手」と呼ばれるだけで11社の電機メーカーがあった。民生、重電、情報・通信と軸足を置く分野は分かれるが、テレビ、携帯電話、パソコン、白物家電といった事業の多くはオーバーラップし、市場で激しく競い合っている』

 しかし、輸出がどんどん成長していた時代ならまだしも、テクノロジーはすぐに陳腐化し、そんな陳腐化した製品はコモディティとして安く作れる韓国や、中国に輸出競争力では負けてしまう。

 2009年にパナソニックに吸収されてしまった三洋電機は2011年には上場廃止となってしまい、三洋電機という会社は完全に消えてしまった。

 しかし、その後に何があるというのだろうか。

『三洋電機がたどった軌跡と重なるのが現在のシャープであり、その後ろにパナソニックとソニーがいるようにも見える。通信や電力といったインフラに重点を移したNECや日立、東芝も、もはや日本経済の成長ドライバーにはなり得ないだろう』

 つまり最早ダウンサイジングの真っ最中の日本なのである。

『安倍政権はアベノミクスの第3の矢「成長戦略」で日本経済のダウンサイジングを止めようとしているが、これといった妙手は見当たらない。そもそも成長とは唯一のプロフィットセンターである民間企業が自ら考え、実行した結果として実現するのが筋であり、政策で生み出せる人為的な成長にはおのずと限界がある』

 というのが事実なんだなあ。

Photo 『会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから』(大西康之著/日経BP社/2014年5月20日紙版刊・2014年7月11日電子版刊)

 きっかけは2004年10月23日の中越大地震だった。

『2004年10月23日土曜日、午後4時56分。新潟県中越地方を最大震度7の巨大地震が襲った。次の年、三洋電機は早期退職を募集し、半導体部門で420人の社員が会社を去った。だが、それは「終わりの始まり」に過ぎなかった』

 三洋電機は新潟県小千谷市に新潟三洋電子という半導体部門の製造子会社を作っていた。

『新潟三洋の被災が業績崩落のきっかけを作ったのは確かだが、現実には被災前に三洋電機の経営は事実上、破たんしていた。一言でいえば放漫経営である』

『強気の投資のほとんどは空振りに終わる。半導体や大型液晶パネルは在庫の山を作り、生産ラインの稼働率は低空飛行を続けた。パンパンに膨れ上がった風船に突き刺さった1本の針。それが新潟三洋の被災だった』

 その結果……

『2006年、追い詰められた三洋電機は資本増強のための第三者割当増資を実施し、米ゴールドマン・サックスグループ、大和証券SMBCグループ、三井住友銀行の金融3社から3000億円の出資を受けた。経営の主導権を握った金融3社は敏、敏雅、野中を三洋電機から追い出し、電機大手最後の同族経営は幕切れとなった』

 で、当然、その金融3社はハゲタカだったわけで……

『金融3社は三洋電機の有力事業を次々と売却し、残った本体をパナソニックに売った。パナソニックは「サンヨー」ブランドを廃止した。ピーク時に世界に10万人いた三洋電機の社員は散り散りになり、パナソニックの中に残ったのは9000人強。パナソニックの完全子会社になった三洋電機は残務処理のため法人格としてはまだ存続しているが、残務処理が終わればそれも消滅するものと見られる』

『2014年2月18日、パナソニックは三洋電機を対象にした早期退職の募集を始めた。250人が対象だった。間接部門に900人いる三洋電機社員を約3割減らす。大阪府守口市の旧三洋電機本社ビル1号館は守口市に売却することが決まった。ピーク時、売上高2兆5000億円だった三洋電機という巨大企業の痕跡がこの世から消えようとしている』

 西松屋というベビー服のチェーン店がある。

『ここにはパナソニック、ソニー、シャープ、NEC、富士通、ルネサスエレクトロニクスなど、電機大手から転職した技術者が62人もいた。ベビー用品の会社で電機のエンジニアが何をしているのか。彼らの話を聞くと、そこには、これから日本が向かう産業構造変化の実像があった』

 西松屋だけではない。

『仙台に本社を置く日用品メーカー、アイリスオーヤマが大阪・心斎橋で9階建てのビルを買った。2014年の春からここで三洋電機を含む約30人の元電機メーカー社員が働く。アイリスオーヤマの「R&Dセンター」だ。
 LED照明で家電事業に進出したアイリスは電機大手を辞めた技術者を続々と採用している。仙台の会社が大阪に開発センターを設けたのは、三洋電機、シャープ、パナソニックの関西電機3社から大量の技術者があふれ出すことを見越しているからだ』

『アイリスが作るのはLED照明、加湿器、扇風機、電子レンジ、高圧洗浄機といった軽家電である。三洋電機やシャープから来た技術者に電源など肝の部分を設計させ、全国8カ所の自社工場や中国の受託工場を使って格安の製品を作る。これを従来の日用品の商売で太いパイプを持つホームセンターなどで売りさばく』

 まあ、結局「技術屋」さんは、別に大手の家電会社でなくとも活躍できる場所があるってことなんだなあ。勿論、プライドを捨てればという条件は付くけれども、人間どこかで生きていかなければならない以上、プライドを捨てればどんな会社でも自分の技術や能力は生かせるってことなんだ。

 まあ、プライドでメシを食っていけるわけでもないのだから、こうした発想の転換はいいことなのかもしれない。

『会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから』(大西康之著/日経BP社/2014年5月20日紙版刊・2014年7月11日電子版刊)

2017年3月29日 (水)

『イケてる大人 イケてない大人』

 勿論、私だって「イケてる大人」になりたいわけで、そうすれば若い女性から「好き!💛」なんて言われちゃったりしてね(まあ、そんな出会いすらないか)。

 ということなので、どういう「大人」が「イケてる大人」なんだろうかと興味津々になって読んだわけです。

Photo 『イケてる大人 イケてない大人 シニア市場から「新大人市場」へ』(博報堂 新しい大人研究所著/光文社新書/2017年3月17日電子版刊・2017年3月20日紙版刊)

 どういう大人が「イケてる大人」なんだろうか。

『現在の大人男性がイケてる大人だと思うキャラクターとしては、『課長島耕作』の島耕作、『ゴルゴ13』のデューク東郷、『ルパン三世』のルパン三世、『北斗の拳』のケンシロウといったところが挙がってくる』

『これに対し20代の若者が挙げるイケてる大人キャラとしては、『ONE PIECE』のモンキー・D・ルフィ、『SLAM DUNK』の桜木花道、『クレヨンしんちゃん』の野原ひろしといったところが人気だ。20代女子ではさらに、『SLAM DUNK』の安西光義が挙がってきた』

『経済が右肩上がりの頃に青春を過ごした大人世代は、上昇志向で成功に向けてひた走る能力と強さを持った男がイケてると考える。一方、デフレに悩む低成長の時代が日常である若者世代は、仲間とのつながりを大切にする、自由で思いやりとハートの温かさを持った男がイケてると考える』

 まあ、それだけ「イケてる大人」像ってのも変化してきているってことなんだな。

『本書において「イケてる大人」とは「40代後半~60代の男性で、若い世代の男女及び、同世代女性から交流を持ちたいと思われるカッコいい魅力的な人」と規定している』

 まず、『職場のイケてる交流術』ではどうなんだろう。

①威厳はあるが、ちょっと怖そうな上司よりも、にこにこしていて、話しやすそうな上司の方がイケてる

 ということだそうだ。まあ、私なんかの世代になっちゃうと「広義の団塊の世代」なんで、もはや団塊の世代にような威厳やイケイケどんどんな発想はないんで、って言うか、もともとがそんなに威厳なんかないもんなあ。

 次には『食事・酒の場でのイケてる交流術』ではどうなんだろう。

①自分の足と舌でみつけた店「俺ログ」がイケてる
③味覚にオープンな大人、もてなされ上手な大人がイケてる
④イケてる大人は、若者女性にもジェントルマン
⑤イケてる大人のお勘定――〝全ておごり〟より〝8割払う〟がイケてる!
⑥イケてる大人は気付かれずに支払いを済ます

 ほう、〝全ておごり″より〝8割払う″がイケてるってのは知らなかったなあ。

 次は『カラオケでのイケてる交流術』だぞ。

①場を盛り上げるアクションは、イケてる大人のたしなみ
②全力で楽しんでいる姿がイケてる!

 なるほどね。そりゃ、カラオケに行ったら十分自分自身も楽しまなきゃね。

 Facebookのマナーもあるぞ。

①写真中心で文字の少ない投稿はイケてるが、文字ばかりの長文投稿はイケてない
②趣味等一貫したテーマの投稿はイケてるが、評論めいた投稿はイケてない
③女性よりも男性、男性よりも家族と一緒の写真投稿がイケてる
④全部「いいね!」をする人はイケてないが、選んで「いいね!」をする人はイケてる

 なるほどね。まあ、私にとってのTwitterやFacebookは単なるブログの宣伝媒体ってことでしかないので、こういった問題はない。

 しかしまあ、別に自分でなりたくなってなった「大人」っていうよりは「年寄り」なんだけれども、そんな年になっても女性、特に若い女性の目を気にするっていうのは、男としての哀しい習性(サガ)なんですね。でも、そこで女性の存在を無視するようになってしまっては、最早、人生は終わったと同じだし、まあ、やっぱり若い女性に、別に恋愛の対象にならなくても、せめて「素敵なおじさま」くらいには思ってもらいたいじゃないですか。別に、セックスはしなくてもいいから(っていうか、もうできないってのが正直なんですけれどもね)、せめて腕でも組んでくれるっていうか、ハグでもしていただければ最高です。

 最後に、本書では『日本が社会の活力を維持し、海外からも注目される国であるための提言として受け止めていただけたら』と考える七つの提言が載っているので、それを採録する。

1.誰に対しても気遣う、励ます
2.人前でいつも元気、明るい
3.丁寧に話す、礼節がある
4.挑戦し続ける、勉強し続ける
5.「家族と仲良く」に努力する
6.責任を持って知恵を伝える
7.見た目によく気を配る

 なんだこれ、ごく普通に大人として守るべきことなんですよね。

 特別なことじゃない。ということをわざわざ書くっていうのは、そんなことすらできないオヤジがいっぱいいるってことなんですかねえ。

 そっちの方が「残念!」

『イケてる大人 イケてない大人 シニア市場から「新大人市場」へ』(博報堂 新しい大人研究所著/光文社新書/2017年3月17日電子版刊・2017年3月20日紙版刊)

2017年3月26日 (日)

『日本会議の研究』を読んだら、益々わけがわからなくなった

 森友学園と籠池泰典理事長を巡るゴタゴタの中で突然登場してきた菅野完なる人物。

 その人が気になって、菅野氏が書いて、対象とされた日本会議から出版差し止めを請求されたという本書。日本会議というものの存在は安倍政権のバックボーンにある右翼組織であるという認識はあったんだけれども、その安倍政権のバックボーンにある右翼がそんなに怒るほどのものが書いてあったのか? というのが最初の購入動機。で、菅野氏ってどういう人なのか? ってのが二番目の購入動機。

 で、どうだったのか?

 籠池氏は日本会議の関西支部の重鎮らしい。ってことは安倍政権のバックボーンではあるんだようなあ。

Photo 『日本会議の研究』(菅野完著/扶桑社新書/2016年6月25日刊・2017年1月10日改訂)

 まえがきで

『彼らの主張内容は、「右翼であり保守だ」と自認する私の目から見ても奇異そのものであり、「保守」や「右翼」の基本的素養に欠けるものと思わざるをえないものばかりであった』

 と菅野氏は書く。まあ、いろいろなセクトに分派している左翼と同様、右翼陣営だっていろいろなセクトには分派しているんだろうな、ということは理解しているつもりだ。

 で、菅野氏の本書のどこが日本会議の勘所に触ってしまったんだろうか。

 日本会議は6ヵ所に間違いがあるとして東京地裁に出版差し止め訴訟を起こしたんだが、結局、1ヵ所だけの間違いということになった。でもまあ、これまで猥褻事犯でもって出版差し止めはあったんだが、そうではなくて「言論」に対する判例で出版差し止めってあまり判例はないんじゃないだろうか。

 そんな意味では、まさしく安倍政権による「言論統制」の始まりかなという気もする。

 で、その1ヵ所の間違いって何だろう。

『「『理想世界』100万部運動」の達成で、安東の権威は揺るぎないものとなった。学生時代には、「民族派の全学連」と評された全国学協を立ち上げ、社会人となってからは、「生長の家」青年会を拡大させ、教団の屋台骨とした。もう誰も彼の権威に逆らえない』

 という生長の家機関誌の売上げ拡張計画があり、その結果、売り上げに協力するあまり、サラ金から借金までして機関誌を買った会員がいるってことのようだ。

『当時、消費者金融の取り立ては社会問題化していたほど苛烈を極めていた。●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●安東は、「谷口雅春尊師のお教えを、日本の青年に広めるのだ。そのためには諸君らの『光の弾丸』が必要だ」と演説し、周囲はそれに心酔し、熱狂が集団を支配していた』

 この●の36文字は何なんだろう。

「結果、自殺者も出たという。しかし、そんなことは安東には馬耳東風であった。」という36文字のようだ。

 えっ? 何でこの程度の記述が? まあ、生長の家の機関誌拡張運動で、拡張ができなくて(当たり前じゃん)結果として、売れなかった会員は自腹で、なおかつサラ金からお金を借りて大量部数を買った人がいたってことなんでしょう。で、それで自殺しっちゃった人もいるんだ。

 まあ、これは宗教団体じゃなくても、企業でも散見できることですね。まあ、日本の企業は一種の宗教みたいなもんですから。そう、「家族主義」ってのは、完全に宗教だよね。

 ということで、日本は右翼・保守勢力に抑えられているんですね。もはやリベラルの出る幕はないってことなんだなあ。

 というよりも菅野氏が言う「右翼であり保守だ」というのと、日本会議が目指すものは『「皇室中心」「改憲」「靖国参拝」「愛国教育」「自衛隊海外派遣」といったものでしかなく、「日本会議が目指すもの」に示された内容の思想性や政治性に目新さは一切ない』というものとがどう違うのかというのが、私のような「リベラル・バカ」には分からないんですね。

 まあ、「改憲」「靖国参拝」「自衛隊海外派遣」と言ったあたりが、右翼辺りでも党派が違うと考え方が異なるのかもしれない。

 基本的に私は高校生の時からマルクスの「ドイツ・イデオロギー」とか「経済学・哲学草稿」なんかを読んできた人間なんだからマルクス主義者なんだろうなあ。ただし、マルクス主義者=共産主義者ってわけはなくて、マルクス主義者だって生涯資本家だったエンゲルスっていう人もいたんだよね。私も別に日本資本主義に反対しているわけでもなく、普通に資本主義的に生きているわけだし。

 まあ、高校の時からマルクスの本を読んできて、大学のマルクス経済学の授業では、その余りにも程度の低い授業にガッカリした立場で、しかし、新左翼運動の経験を高校生の時に体験した人間としては、ハッキリ言って「右翼はワカラン」。

 まあ、ただし大学のゼミではマルサスだったんだけれどもね。

 これまで持っていた「右翼は世界を知っていない」「ネトウヨは周辺の事しか考えない、周辺のもっと大きい世界のことは考えない」「『愛国者』って、他の国の事を考えない『アホ』ばっかりじゃん」って見方はちょっと変えなければいけないのかもしれない。

 うーん、でも菅野氏は基本的には日本会議には批判的な人ではないように読めるんだよなあ、本書を読んでみるとそれほど批判的な感じはしない。要は、現今の安倍政権と日本会議が繋がっていることが面白くないようだ。

 要は「生長の家」あるいは「日本会議」からパージされちゃった恨みで書いたのかなあ。

 その辺は分からない。

『日本会議の研究』(菅野完著/扶桑社新書/2016年6月25日刊・2017年1月10日改訂)

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