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カメラ・写真

2018年2月13日 (火)

大貫カメラ店・横浜野毛

 横浜は桜木町で降りて、野毛の商店街にある大貫カメラ店へ行った。

 別に、大貫カメラ店の存在を前から知っていたわけではないが、東京のカメラ店漁りも少し飽きてきたので、じゃあ近県でないだろうかなんて訳である。高崎の駅裏にある中古カメラ店は知っていたんだが、どうもそこは閉店してしまったようなので、東京以外で……ってことで、とりあえず横浜へ、ってなわけですね。

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 JR横浜線(京浜東北線)の桜木町駅を降りて、京浜急行の黄金町駅方向へ行く野毛大通りを行くと、黄金町へ着くちょっと手前の左側に店はある。

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 横浜野毛にはちょくちょく来ていたんだが、意外や意外、なんでこの店に気が付かなかったんだろう、ていうくらい気が付いていなかった。

 どうも、野毛、黄金町っていうと伊勢佐木町の裏街で飲み屋街だった伊勢佐木町の、もうちょっとディープな赤線・青線街の野毛・黄金町っていうイメージだったんだろうか、どうしても野毛にカメラ店があるとは思えなかったっていう、横浜人間じゃない人間の哀しさってなもんですね。

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 まあ、特に何を探そうという明確な目的はなかったんだけれども、できたらVOIGHTLANDERの12mmか15mmレンズがあるかなってなもんで物見遊山って感じで行ってきたというのが真相。

 要は現在EPSON R-D1sで使っている一番ワイドなVOIGHTLANDER COLOR-SCOPAR 21mmが、EPSON R-D1sのAPS-Cサイズの撮像素子では30~35mm相当の画像サイズになってしまうので本来の21mm級レンズとして使うには12mmか15mmが欲しいっ、そうすると35mm相当で18mmから23mm級のレンズとして使えるってことですね。なんだ、それって趣味のレンズってこと? そうです。

 まあ、昨日はそのためのマーケット調査みたいなもんで、基本的に「どれくらいのお値段で売っているんだろう」っていうのが分かればいいってところ。実用上のレンズの広角化ってことで言ってしまえば、ニコンDf用にAF NIKKOR 20mm f2.8 D ってのを持っているんで、まあ実用上は何の問題もないんです。実際には。

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 取り敢えず、この大貫カメラ店にはVOIGHTLANDER 12mm、15mmレンズがちゃんと置いてあるのを確認したんで、いずれ予算的に合う状況になったらまた来よう、なんて考えたのでした。

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 とまあ、基本的にはあまり生産的な活動ではなかったんだけれども……、そうか、もともと私の活動なんて生産的労働ではなかったんだよな。という以上に、私自身の存在が世界にとってなんの生産性もない存在なんだ。単に消費するのみ……。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SCOPAR 21mm f4 @Noge Yokohama ©tsunoken

2018年1月21日 (日)

「35mmカメラにとって50mmレンズって、どういう意味のレンズなのか」ということの考察

「35mmカメラにとって50mmレンズって、どういう意味のレンズなのか」と言ったって、別に特別なことを書くつもりはない。っていうか、今更私みたいな素人カメラマンがゴタクを並べたって意味はないっていうこと。

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 実は一昨日久しぶりに、というか今年初めてアナログカメラを引っ張り出して撮影した。

 カメラはライカM6、レンズはコニカMヘキサノン50mm f2だった。そういえば50mmで撮影したのも久しぶりだなあ、ということで、昨日、銀座のラボまでフィルムを現像に出したついでに、銀座から鉄砲洲あたりまでをデジイチ+50mmで撮影して回った。

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 一昨日のカメラは35mmフルサイズのカメラ(当然)。なので、同じ35mmフルサイズのデジイチでってわけだったんだが、どうにもレンジファインダーのカメラと一眼レフでは、ファインダーの「見た目」がやはり違う。

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 レンジファインダーのカメラだとファインダーの「見た目」では撮影される周辺の部分まで見えるわけで、その辺が写真に写る範囲(厳密にいうと「写る範囲よりホンの少し小さい範囲」)が丁度見える一眼レフとの大きな違いだ。

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 前にも一度書いたが、普段広角レンズばっかりで撮影をしていると、50mmという本来は「標準」のレンズが、なんとなく望遠系のレンズみたいな感覚になって、ちょっと調子が狂う。

 ところがレンジファインダーだと50mmレンズを付けていても当然ファインダーの視野は広角レンズのまんまなので、あまり「望遠系のレンズ」という感覚はない。当然、写る範囲はファインダー通りではないのだけれども、でもファインダーを覗いた感覚はかなり違うのだ。

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 今度、一昨日と同じ場所をデジイチで撮影してみようかな。撮れる写真はほとんど同じなんだろうけれども、撮影している時の感覚はかなり異なるのではないだろうか。

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 あっ、そういえばレンジファインダー・デジタル1(エプソンRD1-s)ってカメラも持ってたなあ。それだとどうなんだろうか。まあ、こちらはフルサイズじゃないんで、これまたちょっと感覚的には異なるんだろうけれども。

NIKON Df AF-S Nikkor 50mm f1.8 G @Ginza & Minato ©tsunoken

2018年1月10日 (水)

「盗撮は1893年に存在していた…」って言うんだけど

「盗撮は1893年に存在していた…19歳のノルウェー青年が隠し撮りした当時の生々しい写真」っていう記事が、普段は動物なんかのほのぼの写真が掲載されている「らばQ」というサイトの1月6日号に掲載されていたので、読んでみたんだが。

『現代はカメラの小型化が進み、隠し撮りも簡単になっていますが、なんと1890年代のノルウェーに隠し撮りを趣味とする青年がいました。
 その人物は数学者として知られるカール・ストーマー氏。彼が19歳の頃、服の中に隠したカメラで、こっそり盗撮をしていたそうです。
 ストーマー氏がロイヤルフレデリック大学(現オスロ大学)に在学中の1893年に手に入れたカメラ“CP Stirn Concealed Vest”。
これをベストの下に入れ、ボタンホールからレンズを出していました。ズボンのポケットに開けた穴からヒモを引っ張ってシャッターを押していたとのことです』

 という記事。

 シュテルン・コンシールドというカメラは『152mmの円盤形のカメラで直径140mmの円形ガラス乾板に直径41mmの画像を6枚撮影できます。ベストの下に隠してボタンホールから右側に見えるレンズを覗かせ撮影するそうです』というカメラでこんな形をしている。

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 円形状のカメラで、左に見えるのが対物レンズ、右の方に少しだけ見える鎖を引っ張ってシャッターと乾板を回転させるのだろう。

 では『“最初のパパラッチ”によって撮影された、19世紀の人々をご覧ください』というのをいくつか見てみよう。

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 うーん、これってパパラッチって言うほどの写真なんだろうか。

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 って言うか、上の二枚の同じ女性って、完全にカメラを意識しているもんなあ。

 確かにカメラはパパラッチ用のカメラを使っているが、実際に撮った写真は決して隠し撮りじゃなくて、堂々と撮っている。っていうか、なんでそんなカメラで撮ったのかがよく分からない。

 まあ、ウル・ライカが出る27年も前の話しなので、別にライカで充分じゃないってツッコミは無理なんだが。まあ、あんな小さなカメラで結構よく写っているのにはむしろ感心、感心。

「らばQ」のサイトURLは http://labaq.com/

2018年1月 6日 (土)

人は何故ライカを愛でるんだろう?

「人は何故ライカを愛でるんだろう?」なんて言っても、愛でているのはごく一部のカメラマニア、それもライカマニアか単なるお金持ちだけだってことぐらいは知っているんですけれどもね。

 つまり、「人は何故ライカを愛でるんだろう?」じゃなくて、単なる「私は何故ライカを愛でるんだろう?」ってだけのこと。「ライカなんて知らないよ」っていうカメラマニアは一杯います。

 なので下の写真のような銀座東急プラザの裏にあるライカカメラ銀座(製品ショールームと作品展ショールームもあります。結構、落ち着ける場所ですよ。別にライカを持っていなくても)なんてのも、知っている人は少ないことぐらいは、知っています。

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 こちらが現在私が使用しているライカM6。

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 以前は、ライカM3、ライカM5、ブラックのライカM6の三台のライカを持って、使いまわしていたんですけれどもね。

 結局、私の一眼レフ遍歴がデジタル一眼に気をとられて、いつの間にかライカはすべて手放してしまったんです。まあ、売ったり買ったりするのがカメラマニアの一種の習い性なんですね。買ったり、買ったりだったら、それは単なるお金持ちっていうだけなんで。そう、このライカM6は以前持っていたブラック・ライカM6とは別の個体。

 つまり、まあ私が「単なるお金持ち」でないことは、これで証明できたわけなのですが、だとすると身の程もわきまえない「単なるライカ馬鹿」ってことなんでしょうか。

 何をやっているんだか。別に田中長徳氏の本に感化されたわけではないんだけれどもなあ。

 下の写真が現在のライカシステムで使っているレンズ。

 右上からフォクトレンダー・カラー・スコパー21mm f4、ライツ・エルマリート28mm f2.8、コニカM-ヘキサノン 50mm f2、ライカ・ズミクロン35mm f2というレンズ群。これも以前から持っていたレンズは28mmと35mmだけ。

 まあ、こっちも売ったり買ったり、いろいろありました。

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 結局、ニコンNew FM2から始まった私のカメラ遍歴は、ニコンF4まで行ってから、何故かライカに寄り道して、その後、デジイチに修正。しかし、ふたたびアナログ写真に戻ってくるとライカ熱再燃っていう感じなんでしょうか。

 私のニコン一眼レフ遍歴は、New FM2→F4→D50→D70→D7000→Dfでまあ完成(今のところ)。

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 大体、現在メインで使っているニコンDfは、ほとんど「絞り優先モード」で撮影している。ということは現在もライカが作っている唯一のアナログカメラ、ライカM7と(オートフォーカス以外は)同じ使い勝手ということになる。だとしたら、Dfの図体の大きさに比べてコンパクトなライカの良さよってことになってしまうんですなあ。

 結局、コンパクトだからライカがいいのか? っていう話になると、それじゃあコンパクト・デジタルで充分じゃないか、っていう話になってしまう。

「いやあ、コンデジじゃあ、押し出しが弱いから」ってところで、私がヘボ・カメラマンだっていう馬脚をあらわしているっていう訳で、腕のダメなところを(それらしい「見てくれ」の)機材でカバーっていうことがばれてしまいました。

 まあ、そんな感じでたまにライカで撮った画像を(偉そうに)ブログでも発表していきますので、我慢してお付き合いの程、よろしくお願いいたします。

 まあ、Dfで撮ってもM6で撮っても、結局は同じなんですけれどもね。撮ってるヘボ写真は。

 

2017年12月25日 (月)

田中長徳氏の連載が始まった

 しばらくカメラ雑誌を読んでいなかった。

 と、思ったらいつの間にかカメラ雑誌ってマイナー雑誌になっていたんですね。私の家のそばにある文教堂に行ったのだが、『日本カメラ』は置いてなかったのであります。

 女子カメラ系の雑誌は増えているので、カメラ雑誌(写真雑誌)そのものは増えているんだが、昔からのカメラ雑誌は読者を失っていたんだなあ。まあ、「インスタ映え」するような写真をどうやって撮るかみたいな特集には需要はあるだろうが、カメラのメカニズムなんかにはいまのカメラ人種はあまり興味なんかないんだろう。

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 で、なんでいまさら『日本カメラ』なんだって言えば、田中長徳氏の連載記事『TODAY TOKYO 1964-2020』が2018年1月号から始まったのだ。

 第1回の今号は「練馬区旭丘」、西武池袋線江古田駅前、つまり日大藝術学部があった駅の周辺のどこかである。で、今回のサブタイトルは「日大闘争で 我々は日大の校歌を歌いながら デモンストレーションをした」。というサブタイトルで、1966年の駅前写真と、同じ場所(多分)の2017年の写真が掲載されている。

『日大から江古田駅までの道は本当に細い。学生で溢れかえっていた。集会をする場所もないのである。仕方なく駅のすぐそばの浅間神社で集会をした。そこに行くまでに歌ったのはインターナショナルではなかった。なんと日大の校歌を歌いながらデモンストレーションをしたのであった』

 という文面を見るとなんかすごい牧歌的な風景を想像するんだが、既にそのころ高校生だった私たちは、インターどころかワルシャワ労働歌だって歌っていたんだ。つまり、日大藝術学部の学生さんたちの政治オンチぶりがよく出ている一文であると捉えておくべきだろう。まあ、そこで政治オンチだろうがなんだろうが、その後の人生には一切関係ないんですけれどもね。

 写真に関する記事は『1966年のショットはこうして見ていると通行人に味わいがある。2017年のショットは人物が路上から完全に消えている。つまらない時代になったものである』で終わっている。

 まあ、撮影した時間によっては人通りもいろいろ変わるのであるから、それも仕方ないだろう。江古田駅前はいまでも夕方頃になると結構人手も多い場所なんですけれどもね。

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 連載開始を記念してか、「口絵 Photographs」で田中長徳氏の「WEIN 1973・2016」が掲載されている。

『1973年5月から1980年11月までオーストリアのウィーンに住んでいた。正確に7年と半年であった。約3000日に足りない日数だ。家人が小学校高学年の頃にヨーロッパに留学したいと思って、結婚相手を拉致して向こうに行こうという犯行の動機があったそうだ。だから被害者は私1人で充分だ。
 家人はあちらの音楽大学を卒業したが、私は町歩きが面白いのでついつい足掛け8年の長逗留になってしまった。その記憶をたどって最近出かけて撮影した写真と40数年前の写真を合わせてみた』

 というのがその「口絵ノート」

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 なぎら健壱氏の連載も始まったし、面白そうなので『日本カメラ』定期購読しようかしら。『銘機礼賛』以来、十数年ぶりだなあ。

2017年12月18日 (月)

実はユージン・スミスは、あまり好きなフォトグラファーではない

 東京都写真美術館で「アジェのインスピレーション」と同時に開催されているのが、『生誕100年 ユージン・スミス写真展』である。

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 ユージン・スミスっていうと水俣病の取材で日本では一挙に有名になった写真家なんだけれども、水俣病に出会うまでのユージン・スミスって、特別何か優れたところのある写真家だったんだろうか、っていう疑問がある。

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W. Eugene Smith, Hitachi, Japan, 1962. Photograph by Kozo Amano.

 まあ、知っているのはこんな何台もカメラを持って取材行をしている姿位のもので、それはまあプロが使えるズームレンズがない時代だったので、やむなく何台もの焦点距離のレンズをつけたカメラを複数台同時に持って取材にあたるというのが当時では当然だったという位のもの。まあ、この写真のユージン・スミスみたいに9台も持っている極端な人はあまりいないが、ベトナム戦争当時は、135mmか200mmを装着したニコンFと、50mmとメガネ付き35mmのライカM3という3台持ちが普通だったわけで、ユージン・スミスの9台持ちってのは、単にそれが少し大げさになったってなもんでしょ。

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 ユージン・スミスが水俣病と出会うまでの写真家生活の大半は戦争写真家だったわけで、それはつまりアメリカという「戦勝国からの視点」に立ったルポルタージュだったってことなんだ。勿論、それは「ライフ」というアメリカの雑誌に掲載するための写真を撮っていたからということなんで、考えてみれば当たり前ということなんだけれども、その「ライフ」のフォトエッセイというスタイル自身が、私には問題があるように思えてしまう。

 つまり、フォトエッセイというスタイル自身が、読者に対して写真家個人の思い入れのようなものがあるように見せていながら、実はそれは戦争を遂行するアメリカ国家の立場を体現しているのである。フォトグラファーのエッセイというようなスタイルをとってはいるが、実はそれは戦勝国のプロパガンダだったっていうわけ。まあ、フォトグラファーという個人の立場でもって国家の意思をオブラートに包んでしまうわけだ。

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 そうした写真をずっと何の疑問もなしに撮ってきたカメラマンが、何故、突然、水俣病に出会うや否や平気で「反公害派」になれてしまうんだろうか。

 その辺がよく分からないのだ。

 下の本を読んでもね。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Yebisu Garden Place ©tsunoken

『ユージン・スミス―水俣に捧げた写真家の1100日』(山口由美著/小学館/2013年4月1日刊)

2017年12月11日 (月)

アジェをそんなに勝手に解釈していいものなのだろうか

 東京都写真美術館で同時開催されている写真展の一つが「アジェのインスピレーション 引きつがれる精神」というもので、当然、アジェの作品群が展示されているんだが、同時にベレニス・アボット、ウォーカー・エヴァンス、リー・フリードランダー、森山大道、荒木経惟、深瀬昌久、清野賀子の作品群も展示されている。なんか、それがイマイチ私には理解できないんだなあ。

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 アジェはもともと純粋な写真家ではなかった。というか、アジェの生きていた19世紀末から20世紀初頭の時期は「純粋に写真を芸術として鑑賞する」という時代ではなく、あくまでも絵画のための参考資料でしかなかった。

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『モンパルナスには多くの芸術家が住んでいた。アジェはアパートのドアに手書きの「芸術家の資料(documents pour artistes)」という看板を掲げ,芸術家に写真を売る生活をはじめる。画家に成ろうとしていたとき,多くの芸術家が作品の資料となる写真を求めていることを知ったためだ。ともあれ,アジェは生活のために写真をはじめた』(Wikipedia)

 という時代ではあったのだ。

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 勿論、アジェの写真にリアリズムを超える「モノ」を見つけて評価したシュールレアリスト、マン・レイによる紹介というものはあったのだが、しかし、その写真の撮影意図はあくまでも「絵画のための参考資料」でしかなかったはずだ。

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 アジェの写真集も、撮影当時に発表されたものは以下の通り。

『アジェは41歳のときから30年間に約8000枚の写真を残した。アジェは自分の気持ちのおもむくまま写真を撮ったのではない。パリ市歴史図書館などの購入者がおり,テーマを決めて計画的に撮影している。アジェ自身が作成したアルバムは次の7つがある。
1.パリの生活と仕事 146枚 1898年 ~ 1900年
2.パリの乗り物 57枚 1910年
3.パリの屋内:芸術的,絵画的そして中産階級の 54枚 1910年
4.パリの仕事,店そしてショーウィンドウ 59枚 1912年
5.古きパリの看板,そして古い店 58枚 1913年
6.パリを囲む城壁跡 56枚 1913年
7.パリの旧軍用地帯の住人の様子とその典型 62枚 1913年~1914年』

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「街の写真」というのは、誰もが通る写真の基本である。しかし、ウジェーヌ・アジェの写真と、ウォーカー・エヴァンスなどの幾分かでもジャーナリスティックな写真との共通性というものが、私には見えない。まあ、もしあるとすれば、リー・フリードランダーや森山大道のような「コンポラ写真的な」(森山大道をコンポラ写真のジャンルに入れるのは抵抗がある人がいるとは思うが)写真がある程度なのかもしれない。

 まあ、写真なんて何物をも語らない芸術表現であるから、それをどう解釈しようが、それはあくまでも「観察者」の特権でしかないが、なんかちょっと違うなあ、とは私は思い続けるのであった。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Yebisu Garden Place ©tsunoken

『Paris 1857-1927 Eugene Atget』(Eugene Atget/TASCHEN)

2017年11月24日 (金)

tsunokenのリハビリ日記:逆光

 昨晩から降っていた雨も上がった午後、やっと出かけられるってなもんで、千石交差点から新目白通りを南下して、春日まで出かける。

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 秋の日も午後2時くらいになると結構傾きを増して、かなりな部分が逆光での撮影になる。勿論、それはそれを「意図すれば」という条件付きなんですけれどもね。

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 逆光になると、その影の部分はほとんど映像として形をなさなくなってきて、「写真」としての情報を持たない映像になってしまう。

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 しかし、この「写真としての情報を持たない映像」こそは、私がそれにフォトジェニーを感じてしまう映像でもあるのだ。

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 ロバート・キャパのようなジャーナリズム・フォトの観点からしたら、この「情報を持たない映像」というものには、何の価値もない。ならば、アンリ・カルチエ=ブレッソンだったらどうなんだろうって考えてみる。とすると、やはりブレッソンの時代には、私のようなあえて情報の少なさを求めて逆光で撮る、というような写真はなかったようだ。

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 それは多分彼らの時代には「あえて逆光で撮る」という発想がなかったんだろう。つまり、写真というものは「その画面に映し出された事実」が大事なんであって、何にも写されていないような写真には価値がなかった時代なのである。

 また、彼らの、まあ「アナログ・フォトの時代」のレンズの描写能力や、フィルムの再現能力では「逆光」を愉しむ余裕のようなものがなかったのかもしれない。その結果、順光撮影や逆光でも、太陽(光源)との位置関係では逆光なんだけれども、それにライトやレフ版を当てて、逆光の逆光という撮り方をするんだ。

 それはそれで撮影テクニックとしてはよく分かっているんだが、私は「逆光で黒くツブれた写真」が好きなんですねえ。要は、デジタル・カメラの高性能レンズのおかげで撮れるようになった、全然撮れない光、っていうのが実は好きなんです。

 なかなか、フォトジェニーでしょ。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f2 D @Hon Komagome, Sengoku ©tsunoken

 

2017年11月23日 (木)

tsunokenのリハビリ日記:ギャラリーバウハウスに「WEIN CT70」を見にいく

 手術からのリハビリテーションとして毎日歩いている。「1日1万歩」には、まだまだもどらないが、まあ、少しづつ近づいていけばいいか。ということなので、しばらくは「tsunokenのリハビリ日記」として書くことにする。

 ということで、神田明神そばのギャラリーバウハウスでお馴染みの田中長徳写真展が「WEIN CT70」と題して、昨日から始まったので見に行った。今回の展示会は長丁場で来年の2月17日までの開催だ。

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 写真展タイトルにはあまり意味はなくて、WEINというのは田中氏が長年在住していた、ある意味での「第二の故郷」みたいな場所である。

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「CT70」というのも、これまた大した意味はなく「チョウトク・タナカ 70歳」というだけの意味。まあ、その位「写真展のタイトル」なんてものには意味がないということなのかもしれない。

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 ウィーンに住んでいた1973年頃のデスペレートな(気持ちで撮った)街の写真と、2016年に何回目かの訪問で撮影した、ある意味での「観光客の写真」が、そこには並んでいる。

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「観光客の写真」というのは別に揶揄したわけでも何でもない。そこに住んでいる人たちが撮った写真じゃないっていうだけで、それ以上の意味はない。でも、その撮影の過程には天と地の違いがある。いつも見慣れた風景も、そこに住んでいる人が「いつも見慣れた風景」と、在住者でないものが「(たまたま、そこにいる間に)慣れ親しんだ風景」では異なるという、ことなのだ。

 その異なっているようで同じ写真、同じようで異なっている写真を見比べてみようじゃないか、というのが本写真展の主旨なのである。

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「田中長徳写真展 WEIN CT70」は2017年11月22日から2018年2月17日まで開催中。
12月9日、1月20日には田中長徳氏によるギャラリートークがあります。
ギャラリーバウハウスの公式サイトはコチラ

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Kanda ©tsunoken

2017年10月28日 (土)

KONICA M-HEXANON レンズ・テストと業務連絡

 新たに仕入れたレンズ「KONICA M-HEXANON 50mm/f2」テスト撮影を10月20日の日本橋「寶田恵比寿神社祭り(べったら市)」にて行った。

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 なぜ、Mヘキサノンなのかと言えば、実は結構オッチョコチョイな話があって、ライカM6が欲しくなってM3を手放したときに、なんとなくM3と一緒にズミルックス50mm/f1.4も一緒に手放してしまったのですね。まあ、その頃はライカは35mmまででいい、それ以上の焦点距離は一眼レフに任せておけばよい、と考えていたんです。

 しかし、実際に再びライカを手にしたときに、なんか35mmまでだと物足りないっていう気がしました。で、中古カメラ屋さんにでかけてズミクロン50mm/f2を探しました。ズミルックスだとちょっと大きすぎてカメラとのバランスが良くないっていう気がして、更にf1.4なんて絞りはまず使いません。で、ズミクロン。

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 数年前まではズミクロンもズミルックスも、10万円も出せば結構いい状態のものが手に入ったんだけれども、実はカメラをデジタル化してから、次はレンズだってなもんで、レンズの高級化を始めたんですね、ライツ社は。で、ズミルックスの現行品やズミクロンの現行品は50万~100万円もするものがある。ああ、それだったら以前手放したズミルックスを手元に置いておけば良かったなあ、なんて考えたのも後の祭り。

 で、やむなく手に入れたのがコニカ M ヘキサノン 50mm/f2だというわけなんです。このM ヘキサノン、ズミクロン50mm/f2と同じくらいの大きさだし、レンズの明るさもf2あれば十分、ということでレンズテストに夕刻の寶田恵比寿祭りに出かけたというわけ。

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 まあ、これでVOIGTLANDER COLOR-SCOPAR 21mm/f4、LEITZ ELMARIT-M 28mm/f2.8、LEITZ CANADA SUMMICRON 35mm/f2、KONICA M-HEXANON 50mm/f2と、ライカ用標準~広角系フル・ラインナップになったので、ライカ用はもうOKであります。

 まあ、M3と併用していた時には気になっていたファインダー視野枠の小ささ(M3は50mmが最大、M&は28mmが最大)なんだけれども、まあ、慣れれば問題ないだろう。っていうか、やっぱりM6は基本的に35mmがメインになりそうな機材なので、50mmは臨時用ということでそんなに気にしても意味はない、ということですね。

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 で、最後に業務連絡です。

 今日から再び入院して、手術を受けることになりました。まあ、しばらくはブログも途絶え気味になるかもしれないけれども、PCは持って入院するつもりだし、実は多少は書き溜めていた分もあるので、即「ブログ中断」にはなりません。まあ、少し短かったり、写真があまり入っていなかったりの変化はあるでしょう。

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 毎日、私のブログを楽しみにしている読者の皆さんにはちょっとばかり「中途半端なお別れ」になりますが、また、退院してからの復活をお楽しみにしてください。

 それでは…

LEICA M6 KONICA M-HEXANON 50mm/f2 @Nihonbashi ©tsunoken

 

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