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カメラ・写真

2018年5月13日 (日)

『内藤正敏 異界出現』

 内藤正敏の写真展『内藤正敏 異界出現』が、東京都者品美術館で昨日から始まった。

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 内藤正敏と言えば「婆バクハツ!」の青森恐山のイタコの婆さんたちや、「遠野物語」などのモノクロ写真の一群を思い浮かべるんだけれども、同じモノクロでも「新宿」などの都市の下積みの人たちを撮影した写真群なんかもあったんだな。

2018051232 ©Masatoshi Naito

 とはいうものの、私たちにとって内藤正敏といえば、先の「婆バクハツ!」や「遠野物語」以外には、「日本の即身仏」「出羽三山」などの、東北地方に題をとった作品が多いという印象があって、その辺が、逆に私なんかの三流写真家(写真家と名乗るのもおこがましい)にとって、<そうか、写真の原点は東北にあるのか>なんて短略して考えて、自ら遠野祭りなんかを撮りに行ったり、河童淵なんかを撮りに行ったりするんだな(したんだな)。

 でも、結局私が撮った遠野地方の写真なんて、所詮旅行者のスナップに過ぎず、やはりどうせ撮影するなら長期的にその場所に滞在して、人々と触れ合わなければ、本当の写真は撮れないんだ。

 結局、私なんかが撮影に行く場所といったら、結局は誰か有名な写真家が行って撮影した場所ばっかりなんだというのが底の浅さ。それは高名な作家が撮った写真の再確認をしているだけ。

 まあ、その辺が私がマトモな写真家じゃなくて、単なる定年退職者の手すさびにすぎない写真マニアでしかないってことの証左なんだろうけれども。遠野にしても、秋田ぼんでんにしても、山古志牛の角突きにしても……だ。

Photo_3 ©Msatoshi Naito

 本写真展で展示されている写真は、すでに写真集などで見てきて知っている写真ばかりである。でも、それでもオリジナルプリントを見に行こうというのは、なぜなんだろう。

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「写真=作品」論には立たない私なんだが、とはいうものの、どこかでそんな立場を認めてしまう考え方もあるんだろうか。

 あるいは、写真集でみた作品を一度オリジナルプリントでみることでもって、写真集掲載の写真の確認をしようというのだろうか。

「内藤正敏 異界出現」は7月16日まで東京都写真美術館にて開催中。

公式サイトはコチラ

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Ebisu ©tsunoken

『日本の写真家 38 内藤正敏』(内藤正敏著/岩波書店/1998年2月25日刊)

2018年5月 9日 (水)

「FUJIFILM Imaging Plaza」丸の内にオープン

 ゴールデンウィーク初日の4月28日(土)、馬場先門にある明治生命館に隣接して建てられている明治安田生命本社ビル「MY PLAZA」の3階に富士フイルムのショールーム「FUJIFILM Imaging Plaza」がオープンした。

 富士フイルムホールディングスといえば、六本木ミッドタウンの本社にフジフイルムスクエアがあるし、銀座1丁目にはクリエイト銀座がある。それらとこの新しいショールームとどう違うのか。気になったので見に行った。

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 まあ、六本木のフジフイルムスクエアは「写真の富士フイルム」以外の化粧品なんかのPRもやっていて、精密化学メーカーとしての富士フイルムをアピールする場なので、こちらの丸の内では「写真・カメラ」メーカーとしての富士フイルムをアピールしようというのか、基本的に展示しているのはカメラ関係だけである。

 ただし、聞いてみたところ、フィルム現像などのサービスは行っていないそうで、そちらは銀座のクリエイト銀座でということで、この辺、次第にアナログ・フィルムの世界から遠ざかっていく富士フイルムの象徴が、この富士フィルム・イメージングプラザなのかなとも思える。

 ギャラリー「FUJIFILM Imaging Plaza Gallery」もあるんだが、クリエイト銀座のような一般向けの貸しギャラリーではなくて、基本的に富士フイルム側で作った企画展だけなのは六本木と同じ。

 まあ、その二点で丸の内と銀座の棲み分けをしているのかもしれない。

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 オープン記念展は『写真・X・そして私』という写真展で、様々な写真家がフジフイルムXシリーズ/GFXシリーズで撮った作品を展示している。

2 ©Herbie Yamaguchi

 ハービー山口氏は相変わらず、いつもの「なにげないモノクロ写真」を展示している。

『私にとって富士フイルムのカメラというと「フジペット」というカメラを思い出す。1957年に写真ファン層を拡げようと「初心者や女性でも気軽に写真撮影を楽しめる」というコンセプトで発売されたカメラだ。熱心な写真愛好家であった私の父は当時7歳だった私と、2歳年上の兄に写真の楽しさを伝えようとこの「フジペット」を買ってくれた。当時の販売価格は1950円であった。私は兄との共有カメラである「フジペット」を夢中で構えファインダーを覗いた。そこには仲良く寄り添う40代だった両親が、東京大田区の自宅の庭で、秋の日差しを浴びてにこやかに笑っている姿があった。今思えばそれが私の写真家活動の始まりであった。富士フイルムの名前は当時のネオパンのフィルムや、中学や高校の写真部の暗室にあった引き伸ばし機「フジB」など、写真家を目指す私の身近に常に存在していた。あれから61年が経った今、私の手元には[X-Pro 2]と[X-H 1]がある。画像の美しさは私が述べるまでもない。さらにシャッターダイヤルや絞りの操作性。静かで包み込む心地良いシャッター音、これは写真を撮ることを熟知した人のコンセプトが隅々に活かされていて、大きな魅力になっている。』

 いいなあ、こういう写真を撮りたいなあ。

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 MY PLAZAには東京都がやっている「TOKYO創業ステーション」というのがあって、中小企業のスタートアップについでのいろいろな相談に乗ってくれるようだ。

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 丸の内近辺にお越しの際は、脚休めにどうぞ。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Marunouchi ©tsunoken

2018年5月 8日 (火)

FED 3がやってきた ヤア!ヤア!ヤア! トホホ

 別に「FED 3」がやってきたからって、ビートルズがやって来たっていうほどモノではないのだが。家人のある商品をAmazonでポチッとやったついでに「FED 3」もポチッとやってしまったのが、最初のAmazonのアナウンスでは5月3日~10日に届くというはずだったのが、思わず5月3日に届いてしまってビックリ! ってなことなんで、思わず「ヤア!ヤア!ヤア!」なんですね。別に意味はないけど。

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 FEDというのはコピーライカのソビエト連邦製カメラで、オリジナルFEDからFED 2のいろいろなバージョンがあり、FED 3になってもこれまたいろいろのバージョンがあり、っていう具合で如何にも偽ライカっていう感じのカメラである。

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 田中長徳氏の『ロシアカメラがむせぶ夜』をポチッってやったら、AmazonからやたらFED 2が「おすすめ」で来るんだが無視していたら、今度はFED 3が来たんで、思わずポチッしてしまったというわけ。

 FED 2まではフィルムの巻き上げがバルナック・ライカと同じ巻き上げ式だったんだが、FED 3になってレバー巻き上げになったという違いがあり、私のところに来たFED 3はどうもFED Type-bというもののようで、標準レンズが52mmという変な焦点距離のレンズが付いている。製造年度は1963年から1972年なので、ライカM 3の変化を見てあわててFEDもそれをまねをしたっていうところなのかもしれない。

 裏ブタはニコンFと同じように完全にボディーから外れるタイプなので、フィルムは装填しやすい。

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 で、製品同梱で来たフジカラー100/24枚撮りを装填して巣鴨は地蔵通りへテスト撮影。

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 一応、50mmの標準レンズに合わせているファインダーを覗くんだけれども、慣れないせいかピントの合わせ方がちょっと難しい。基本的に無限大にフォーカスリングを合わせてしまえば遠くの被写体にはピントが合うんだが、近景などには「慣れ」が必要かもしれない。

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 実はもっと大きな問題がフィルムを現像してみてわかってきた。

 参考までに上の3枚の写真を見てもらうとわかる通り、「光線漏れ」があるんですね。これは当然新しいカメラではありえない問題で、要はシャッター幕にピンホールがあるんですね。それも一か所や二か所じゃない。

 オールドカメラマニアなら喜んで「穴ふさぎ」をするところでしょうが、残念ながらあまりオールドカメラマニアでない私には「ちょっとねぇ」ってところ。しかし、この光線漏れの問題を除けば、あとは私のカメラに関する慣れの問題。まあ、浅草の早田カメラあたりに持ち込めば直してくれるだろうが、ここは私自身の作業、というかオールドカメラを手にした者ならば、自分自身で「穴ふさぎ」作業をするべきなんだろう。

 まあ、そういうのが好きな人がいることは知ってはいますがね。まさか、私がそれを行うとも知らずに、オールドカメラを手に入れてしまったということなんですね。

 これは精進せねば。

RICHO GRD III & FED3 INDUSTAR-61 52mm f2.8 @Sugamo ©tsunoken

 一緒にポチッした田中長徳氏の『ロシアカメラがむせぶ夜は』はゴールデンウィーク明けの5月7日に届いた。う~ん、カメラより先に来て、すこしお勉強をしようと思っていたんだがなあ。

『ロシアカメラがむせぶ夜は チョートクの赤色カメラ中毒者の作り方』(田中長徳著/グリーンアロー出版社/1999年12月刊)

2018年4月28日 (土)

『針穴のパリ』針穴写真機でとらえたパリの写真展

 神田明神脇のギャラリーgallery bauhausで4月25日から田所美恵子写真展「PARIS -Another Point of View- 針穴のパリ」が始まった。

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 針穴写真で撮影したパリの姿である。

「針穴写真」って言えば、昔の朝、雨戸の節穴を通して見た、内側のすりガラスに写った天地左右が逆になった外の風景のことを思い出す。まあ、今のサッシの窓になってしまってからは、そんなものは見なくなってしまったが、私の子供の頃の思い出としては、かなりしっかりとした思い出として残っている。

 長じてそれが「針穴写真」というものだったということは理解できたし、小学生の頃にそんなものを作った記憶はある。

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 そんな「針穴写真」が今、デジタルカメラの時代に、トイカメラ・ブームを経てリバイバルしているという話は聞いたが、それを自らの表現手段として取り入れている写真家がいるんだ、ってことには多少の驚きを感じる。

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 基本的に「長時間露出」が必要な針穴写真である。つまりそこには「町を写していても、動く被写体は写らない」という条件が重なる。「動くもの」つまり「人間」は淡い画像となって、存在感の薄さが、更に引き立つ。更に、写しているものにすべてフォーカスが合うので、基本的にソフトフォーカスなんだが全周にフォーカスがあるパンフォーカスである、という特徴がある。

 なので、すべての写真は基本的に静的な写真ばかりである。静かなパリ。

 我々が「パリの写真」という形で親しんできた写真の形式とは全く異なる「パリの写真」が、そこにはある。

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 普通のパリ写真とは異なった写真的経験を持つ写真展ではある。

 一度、見ておく価値はある。まあ、でも一度だけかな……。基本的には「ネタ一発」みたいなところもあるし、他の人がやっても「ああ、それは田所美恵子さんの真似でしょ」って言われちゃうもんなあ。何を撮っても……。

田所美恵子写真展「Paris Another Point of View 針穴のパリ」は6月16日までGallery Bauhausにて開催中。公式サイトはコチラ

20180425_1823 『針穴のパリ 田所美恵子写真集Photographie au Stenope par Mieko Tadokoro』(田所美恵子著/河出書房新社/2006年3月20日刊)

『針穴のパリ 田所美恵子写真集Photographie au Stenope par Mieko Tadokoro』(田所美恵子著/河出書房新社/2006年3月20日刊)

2018年4月22日 (日)

さよならネオパン100ACROSS:銀座編

『「さよならネオパン100 ACROSS」って言ったって別にたいしたことじゃなくて、たまたま家にネオパン100が数本残っていたので、いい機会だから撮影をしておこうというだけのこと。』の続き。今日は「いつもの銀座」編。

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 横浜のみなとみらいや赤レンガ倉庫のほうではない西区役所辺りと違って、「銀座は人が多い!」って当たり前のことを言っています。

 問題はそうじゃなくて使っているレンズのこと。横浜の方は28mmエルマリートで撮影しているんだけれども、こちらは50mmヘキサノンで撮っているっていうこと。なんで銀座の方が人が多いし、街も広い。ならここは広角レンズでしょ、っていうところなんだけれども、何故か銀座に行ってしまうと標準レンズか準望遠レンズで撮ってしまうんだなあ。

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 まあ、その街には街にあったレンズっていうものがあって、なんとなく「ある街に行った時にはあるサイズの決まったレンズを使ってしまう」っていう傾向があるんですね。

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 銀座に行って撮影するっていうのは、基本的に「ヒューマンウォッチング」をしたい、という気持ちがあって、そのために50mmか85mmレンズを使ってしまうんだ。

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 ということで、銀座で撮影するということになると、まず「人」を見てしまうんですね。それだけ気になる人が多いのが銀座っていうことになるんだ。でも、それは渋谷や新宿に行っても同じことだと思うんだけれども、何故か銀座だけは別、っていう意識がある。何故だかは分からない。

 まあ、銀座が明治以来の「日本の盛り場」「ハレの場所」っていうことがあるのかもしれない。ニューヨークで言えば 5th Ave. だし、パリなら Les Champ E'lysees でしょ。で、東京は Ginza ってわけで。

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 ということで、今回は銀座を50mmで撮影したスナップ写真っていうこと。

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 で、たまたま家に残っていたネオパン100ということなので、それで「さよなら」撮影ということになったんですが、別にネオパン100だけが常用モノクロフィルムじゃなかったし富士フィルムだったらISO400のネオパン400 PRESTも常用フィルムであったことも事実。

 つまり、ネオパン100SSで始めた写真生活だったんだけれども、その後はコダックトライXやネオパン400などのISO400のフィルムが常用になったので、実は私の目の感覚はISO400の方がどちらかというとデフォルトになっていて、ISO400の方が周囲の明るさと絞り・シャッタースピードの感覚としてはすっきりする。それこそ露出計を使わないで撮影する場合にはISO400の感覚でいけばほぼ露出計を使わなくてもモノクロなら撮影ができるくらいには、「感度慣れ」(っていう言葉があるのかどうかはわからないが)しているっていうことなんだ。

 なので、私にとってはネオパン400PRESTが出荷ストップしてからはトライXを使うのが当たり前になっていたので、別に困らないのであります。フィルムを出しているのだからコダックのラボならトライXの現像はずっとやってくれるのだろうし、まあ、その昔は自家現像なんかもやっていたこともあったので、それほど困らないということもある。

 ということなので「さよならネオパン100ACROSS」だけれども、でもふつうに「よろしくトライX」なのであります。ネオパン100ACROSSの滑らかさもいいけれども、トライXの荒々しさも写真としては買えないものではない……、といっても別にブログに上げるためにリサイズしてしまったら何の関係もないけれどもね。

 ということで、最後のネオパン100ACROSSの撮影は銀座なのでした。

LEICA M6 KONICA M-HEXANON 50mm f2 @Ginza ©tsunoken

2018年4月21日 (土)

さよならネオパン100ACROS:横浜西区編

「さよならネオパン100 ACROSS」って言ったって別にたいしたことじゃなくて、たまたま家にネオパン100が数本残っていたので、いい機会だから撮影をしておこうというだけのこと。

 じゃあ、なんで横浜それも西区ってわざわざ行くんだ?

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 横浜市西区っていうと、横浜駅を中心にした区域で、三ツ沢から野毛山、みなとみらいあたりまでを含む横浜市の中心部分なのだ。現在ではみなとみらい辺りが中心なのかなとも思えるんだが、さにあらず。

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 横浜市西区役所は、相鉄線の西横浜駅と京浜急行の戸部駅の間にある、つまりかなり地味な場所である。「西横浜」とか「戸部」って初めて聞く人は多いでしょ。

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 人によって「横浜」という名前から受けるイメージは異なる。

 みなとみらいのそれこそ未来的な街並みをイメージする人もいれば、中華街の雑多なイメージ、野毛山の上(野毛山動物園や高級住宅地)と野毛山の下の黄金町(元青線地帯)の距離や差異をイメージする人、伊勢佐木町から関内へかけての賑やかなイメージ、一方で青葉区や緑区あたりの実は裏側に「金妻」的なドロドロしたものを秘めた閑静な住宅地をイメージする人などなど、人それぞれに「横浜」のイメージは異なるんだけれども、さらに「横浜市西区」って言っても、それこそ「イメージできない」っていう人から、それぞれのイメージの中で勝手に作り上げた「横浜」のイメージを当てはめて、それで事足りてしまう人もいる。

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 横浜市というと元々の神奈川だった場所である山がちの場所と、東海道より東南の海に近い低い場所と二つの典型がある。

 本来は山がちな場所というのが昔の横浜市の典型なんだけれども、横浜をあまり知らない人にとっては、横浜というのは海のそばの街というイメージなのだ。

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 で、横浜市西区や中区というのが、それらの双方の場所を同じ区内に抱えているという意味では横浜を代表する街なのかもしれないな、というのが本日のテーマ。

 なので、誰も知らない横浜であり、誰でもがどこかで見たことがある風景としての横浜、それでいて実はどこの普通の町と変わらない横浜の風景というものを探していくと、横浜市西区の戸部、平沼橋、西横浜というあたりがその典型。

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 まあ、誰が見ても「ここは横浜!」っていうのを避ける私の写真というテーマに従って横浜を撮るとこういう場所を選ぶ、っていうことなんですね。

LEICA M6 LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Yokohama ©tsunoken

2018年4月19日 (木)

絵画のような写真画像が撮れた

 ある晩の恵比寿ガーデンプレイス38階からの夜景である。

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 撮影はRICHO GRDⅢで640pixelで撮影して、そのままブログにUP。

 通常は3MBか4MB位の大きさ(横3000pixel~5000pixel)で撮影して、ブログにUPする際に430KBか110KB(横1280pixel~640pixel)にリサイズして載せることが多い。

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 通常の撮影方法とは異なるため、どんな画像ができるのかを想像しながら撮影したのだが、見事な「絵画的な写真画像」になっていることに感心、感心。

 適当に手ブレを起こしているために写真画像としては画質の低下が見られて、あたかもSF映画のストーリーボードのような手描きの絵のようなイメージになっている。

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 そうか、予め情報量を抑えておいて撮影することによって、かえって手描きのような「情報量が規制された画像」みたいなイメージになるんだなあ。これは面白い現象だ。

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 撮影はRICHO GRDⅢで行ったんだが、別にRICHO GRDではなくても撮影時に情報量を減らして撮影することは可能なので、別のカメラでも使える技ではある。

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 しかし、通常のサイズで撮影してブログ用にリサイズしただけじゃあこんな画像にはならないし、不思議だなあ。

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 まあ、多分現在のデジタルカメラでは設定をオートにしてしまうと、カメラの方で勝手に失敗作を撮らないような設定にしてしまうので、こんな画像にはならないのだろう。つまり、デジタルカメラではあっても、設定は基本的にマニュアルでもって撮影するってことが、面白みを持った写真になったりするんだ。勿論、それはあくまでも「なったりする」という程度のことで、それがうまくいくかどうかはその時次第だし、そんなマニュアル撮影の結果がどうなるのかは、撮影時にはまったく予想ができないんですけれどもね。

 まあ、この辺はアナログカメラもデジタルカメラも、基本は変わらないってことですね。

RICHO GRDⅢ @Yebisu ©tsunoken

2018年4月 8日 (日)

富士フィルム、モノクロフィルムの生産中止

 富士フィルムホールディングスの中核的子会社、富士フイルムイメージングシステムズ株式会社の社告。

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『黒白フィルムおよび黒白印画紙 販売終了のご案内
                          2018年4月6日
                         富士フイルムイメージングシステムズ株式会社
 日ごろより富士フイルム製品をご愛用賜り、誠にありがとうございます。
 富士フイルムイメージングシステムズ株式会社(社長:西村 亨)は、長年ご愛用いただきました黒白フィルムおよび黒白印画紙につきまして、生産効率の向上や経費節減など懸命なコスト吸収につとめてきましたが、需要の継続的な減少により安定的な供給が困難となりましたので、販売を終了させていただきます。
 誠に勝手ではございますが、事情をご賢察の上、ご容赦賜りますようお願い申し上げます。
 今後とも、富士フイルム製品に変わらぬご愛顧を賜りますよう、お願い申し上げます。』

 つまり、今年の10月をもって現在富士フィルムから発売されている唯一のモノクロフィルム「ネオパン100 ACROSS」の販売を中止、更にモノクロ用印画紙フジブロWPを今年の10月から2020年3月にかけて販売を中止するということ。つまり、これで富士フィルムはモノクロフィルムからは完全撤退。残すフィルムはカラーリバーサルとカラーネガのみとなる。

 富士フィルムのモノクロフィルムといえば、ネオパンSSが一番最初に使ったフィルムだった。私が写真を始めた小学生高学年の頃、当時手に入るフィルムといえばこの富士ネオパンSS位のもので、コダックなどはちょっと高根の花だったように記憶している。勿論、カラーフィルムなんかもなかなか手に入らない時代でもあったのだ。

 その後、後発だったネオパン400 PRESTやネオパン1600 SuperPRESTの方が先に販売中止となり、今や富士のモノクロフィルムはISO100のネオパン100 ACROSSだけになったしまったので、いずれかはACROSSも販売中止になるとは思っていたんだが、実際に販売中止が発表になってみると、ちょっと寂しいかな。

 まあ、現在はコダックのトライXやT-MAX、アグファ、イルフォード、ローライなどのモノクロフィルムはまだ手に入るし、しばらくはコダックが作り続けるようなので、特に困ったことにはならない。とはいうものの、やっぱりネオパンSSで写真を撮り始めた自分としては、その後を引き継いだネオパン100 ACROSSがなくなってしまうというのは、ちょっと残念。

 そうやって物事がどんどんデジタル化していって、アナログなものはどんどんアナクロになっていくというのも世の中の趨勢なんだから、これは残念がってみても始まらない。デジタルカメラの時代(っていうか、富士フィルム自体が今やアナログカメラは出していないもんなあ)になったからと言って、多分アナログフィルムはなくならないだろうし、モノクロフィルムもなくならないだろう。つまり、そこには「表現」というものが横たわっている以上、絶対どこかの誰かがアナログなものを残すはずなんだ。

 ということなので、残念がっていないで、とりあえず富士フィルムホールディングスの本社までモノクロ写真(デジタルだけど)を撮りに行って来たら、「時代を語る林忠彦の仕事」という特別展が開催中だった。

『作家・太宰治や坂口安吾の肖像写真で知られる写真家・林忠彦は、戦後間もない銀座から再出発し、カストリ雑誌ブームの時流に乗って、一躍、人気写真家となりました。第二次世界大戦から高度経済成長へ、そしてバブル景気へと移り変わる激動の昭和時代、世相をとらえたスナップから文化人のポートレート、日本文化の真髄を追い求めた風景写真まで、林はありとあらゆるものをフィルムに写し込んでいきました。復興していく日本のエネルギーを原動力に、凄まじい勢いですべてを撮り尽くした林の仕事ぶりは、まさに「昭和が生んだ怪物」と呼ぶにふさわしいものです』

 というのがその惹句で、その公式サイトはコチラ

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Photo©林忠彦

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EPSON R-D1s LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Roppongi Azabu ©tsunoken

2018年3月15日 (木)

「『光画』と新興写真」展

『「光画」と新興写真』という名前の写真展が東京都写真美術館で開催中だ。

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「光画」とは何か?

「『光画』とは1932年から1933年までわずか2年足らずしか発行されなかった写真同人雑誌です。主宰者である野島康三、同人であった木村伊兵衛、中山岩太を中心に関西(浪華写真倶楽部、芦屋カメラクラブなど)のアマチュア写真家をも巻き込み、新興写真を牽引しました。評論家の伊奈信男が創刊号に掲載した「写真に帰れ」は、日本近代写真史を代表する論文として知られています。
 また1930年には雑誌「フォトタイムス」の編集主幹であった木村専一を中心に「新興写真研究会」が結成され。堀野正雄、渡辺義雄などが参加しています。わずか3号ですがこの研究会の雑誌も発行されました。今回はこの二つの雑誌に掲載された写真を中心に、新興写真に影響を与えた海外写真家の作品とその後の写真表現を展観いたします』(写真展パンフレットより)

 というもの。

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 要は、それまで絵画の代わりにすぎなかった写真表現というものを、そこから離れてカメラやレンズによる機械性を生かし、写真でしかできない表現をめさした動向が、この時期にあったということ。

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 今、我々が写真と呼んでいるものは、もともと何だったのか。『「写真」とは、「真=姿」を「写」したものであり、フォトグラフィ以外でも、水墨画や浮世絵や他の絵図でも肖像画は「写真」だった』という解説がある通り、フォトグラフィ=写真ではないのである。

「photo=光」「graphy=書かれ(描かれた)もの」の合成語としての「photography」は、本来的には「写真」ではなくて「光画」だったということになる。

 ところが我が国でも人が描いた絵をもって「写真」と呼び、その絵の派生的なものとして「光画」を写真と呼んでいるのである。

 もともと、写真の発明場所としてのヨーロッパであってもことは同じであり、やはり写真は絵画の一部であり、絵画より一つ下の存在であったようだ。それが写真のピクトリアリズムになっていって、リアリズムからは離れた存在となっていた時期があった。

 それを写真は写真表現の方に引き寄せていったのが「光画」という考えだったのである。

「『光画』と新興写真 モダニズムの日本」展は、東京都写真美術館で5月6日まで開催中。

公式サイトはコチラ

『光画傑作集』(野島康三・中山岩太・木村伊兵衛・伊奈信男 ほか著/国書刊行会/2005年11月30日刊)

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER ULTRA-WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Yebisu ©tsunoken

2018年3月 2日 (金)

CP+ 2018 開幕

 昨日から開催されている「CP+ カメラと写真映像のワールドプレミアショー」に行ってきた。

 行ってきたんだけれども、何か段々存在感がなくなってくるカメラショーなのであった。

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 もともとはドイツのケルンで二年に一回開催されている「フォトキナ」に対抗しようと、1960年に「日本カメラショー」として始まったのがCP+の前身なのだった。当然、ライカやハッセルブラッドが中心のフォトキナに対抗して、「いやいやこれからのカメラはニコンやキャノンの日本製カメラなんですよ」という主張をしようというのがその主旨で、スタートした当時はそのカメラショーが新製品のお披露目の場であった。

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 ただ、現在はカメラメーカーとしてはそんなタイミングを待って発表なんて悠長なことをしている暇はないし、また「日本カメラショー」自体がその主催団体が分裂してしまったりして、なんかCP+が新製品を発表したり、何か自社カメラにまつわる何かを発表する場所ではなく、とりあえず存在を主張する場所になってしまっているのではないか。

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 一方、参加するメーカーは増えてきているようで、昔はブース出展していなかった、コシナやエプソンなんかが、もう既にかなりな時間が過ぎてはいるが、新たに参加するようになってきている。つまり、お客さん向けのイベントじゃなくて、業界イベントみたいな感じになってきてるんでしょうか。

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 ということで、上と下の2枚の写真は、コシナ フォクトレンダー ウルトラ ワイド ヘリアー12mm とエプソンR-D1sでもって、両社に敬意を表して撮影。その他はニコンDfにズームレンズっていう組み合わせで撮影した。

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 もともとはセイコーの子会社だった諏訪精工舎を前身に持つセイコーエプソンは、カメラ・メーカーじゃなくて、パソコンやプリンターを作っていたんだけれども、たまたま同じ長野県のコシナがフォクトレンダー・ブランドのベッサというレンジファインダー・カメラを作ったんで、それを使って趣味性の高いR-D1(「一番最初のレンジファインダー・デジタル」という意味)というカメラを作ってカメラメーカーに参入したっていうわけ。まあ、ほとんどお遊びで作ったカメラらしいので、その後の新製品が出ないのがちょっと残念ではあるが。

 出れば「プアマンズ・ライカ」といった位置でもって、結構ユニークなカメラになると思うんだがなあ。まあ、新製品が出ない理由は、あまり儲からないジャンルだというものなのかも知れない。ちょっと残念。

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 とは言うものの、エプソンやキャノンが写真画質のプリンターを進歩させてくれたおかげで、自分が写した写真を単にネットに上げるだけじゃなくて、プリントして、「作品」として楽しもうという傾向が最近出てきているようで、それはそれでいいことなのかもしれない。

CP+は横浜みなとみらいパシフィコ横浜他で3月4日まで開催中

公式サイトはコチラ

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f2.8-4 D & EPSON R-D1s VOIGHTLANDER ULTRA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Minato Mirai Yokohama ©tsunoken

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