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映画・テレビ

2015年6月13日 (土)

『アイムホーム』って、結構面白い……けど、なんか原作版にはないウラがありそうだ

最近、テレビ朝日、木曜午後9時からのドラマ『アイムホーム』が面白くて見ています。

2 『アイムホーム』(原作:石坂啓/脚本:林宏司/演出:七高剛・岡村直己/制作:テレビ朝日/主演:木村拓哉・上戸彩)

 以前は、テレビドラマと言えば、NHKの大河ドラマくらいしか見なくて、劇映画も担当するようになってから、慌てていろいろなドラマを見て、男優や女優の演技をみるようになったのですが、再びアニメしか作らなくなってからは、またまた大河ドラマくらいしか見ない生活になっていました。

 会社を退職してからは、時間の余裕ができてきて、NHKの朝ドラを見るようになり、たまに民放のドラマを見るようになったんですが、そこで見られるのは、やはりNHKのドラマ制作にかける時間と予算の民放との差ですね。やはりNHKの方が民放よりはずっと時間もかけているし、予算もかけている。まあ、NHKなんかは朝ドラ主演女優に他番組への出演に対して「しばり」までかけちゃうからね。バブルの頃は民放もかなりな予算をかけてドラマを制作していたけれども、はじけてからこっちは制作予算はどんどん削られるわ、時間もかけられないわで、民放ドラマはジリ貧になっていったって訳。たまに当たる民放ドラマは、セリフにキャッチーなものがあってそれが当たった時ぐらい? まあ、「倍返しだ!」みたいなね。

 それに比べると、NHKの場合はスポンサー収入に頼っていない分、経済の影響もあまり受けずに、従って相対的に制作費は上がるということになった訳ですね。まあ、視聴料収入の問題はあるのだけれども、そんなもの、民放のスポンサー収入の下落に比べれば全然たいしたことない、って訳で。

 で、フジテレビがもうキムタクではドラマが作れないってことになって、今や地上波デジタルラテ欄のおかげだそうで、日の出の勢いのテレ朝がキムタク・ドラマを作ったってのが『アイムホーム』なんですね。

 放送局が変わったということで、これまでの「キムタク=独身のカッコイイ男」イメージじゃなくて、「そこそこ年齢相応のオヤジ」イメージになって登場したんだけれども、まあそれはそれでいいんじゃないのかな。

 で、このドラマ、テレビ用のオリジナルなのかと思ったら、原作があったんですね。知らなかった。

 原作は、石坂啓が『ビッグコミックオリジナル』に1997年から1998年までに掲載していたシリーズで、実はNHKで2004年に浅野妙子のシナリオでドラマシリーズ化もされていたんですね。DVD化もされているようなので、今度DVDを借りてNHK版も見てみようかしら。

 原作では、主人公・家路久の仕事は銀行員だったんだけれども、テレ朝版では証券会社の社員で、記憶喪失してしまう原因が、原作では正月に単身赴任先のマンションで火鉢で餅を焼いているうちに一酸化炭素中毒になってしまうのに対して、テレ朝版ではやはり単身赴任先ですが工場の爆発事故に巻き込まれてしまう、という風に変わっている。

 まあ、「銀行員」よりも「証券会社員」の方が、自ら起こした事件の当事者になってしまう可能性は強いし、「家で餅を焼いていた」じゃあ単なる不注意だけど、「工場の爆発事故に巻き込まれる」のなら、仕事中の事故遭遇と言えるわけで、その辺の変化が原作とテレ朝版では違ってくるはずですね。

 その他、細かい点で言えば、家路久の前妻・香との子、すばるが久と香の子ではなくて、香の連れ子だったとか、原作では久と現在の妻・恵と久(と子どもの良雄)は親と同居のマンション暮らしだが、テレ朝版では親からは独立してマンション暮らしをしている点などがあるが、まあ、それはあんまりドラマの展開上では大きな変化をもたらすことはないだろう。

 問題は、西田敏行演ずる、家路久が所属する証券会社第十三営業部長の小机幸男なんだなあ。

 原作では別に普通の中間管理職でしかないんだけれども、テレ朝版ではなんか妙な動きばかりしている男なのです。

 つまり、家路久を観察していたり、その結果をいちいち誰かに連絡したりしている。要は、小机の上にもっとワルの大物がいて、小机に指示したりしている人間がいるようなのですが、それは多分ドラマの最終話まで出てこないラスボスなんだよなあ。で、家路久の当面の敵は小机のはずなんだけれども、小机はそんなそぶりは全く見せないで、むしろ久の体のことだけを心配しているようなそぶりばかり見せるわけです。

 ドラマには、原作にない勅使河原洋介(渡辺いっけい)という、元々営業部門執行役員だったが、現在は九州の営業本部長に左遷されている男がいて、この男が家路久の過去の仕事の内実を知っていて、それを隠そうとしているという様子がうかがえます。

 もしかすると、勅使河原の策略で家路を消そうとして、工場の事故を演出したってこともあるのかも知れないし、久が本当のことを思い出したら逮捕されてしまうかもしれないという小机の心配も、実はこの勅使河原が仕組んだ仕事の関係で久は逮捕されるんだろうけれども、実は、その秘密を握っているのが久自身だったら、記憶を取り戻した時に、一気に勅使河原の悪事がばれてしまう、ってこともあるかもしれない。

 原作のラストは、火事を起こしてしまった自分の住むマンションに戻ってきた久が妻の恵、息子の良雄と再会し、久「目がさめたら、帰ろうと思っていた」、恵「家…失くなっちゃいましたね……」、久「ここだよ。君たちだ…ここに――帰りたかった……」、恵「おかえりなさい。」という、多分これは久、恵、良雄の死後の会話なんだと思うんですけれども、その原作とは全く異なったラストシーンが、テレ朝版ではあるかもしれません。これは楽しみですねえ。

 記憶を取り戻した久が、過去の悪事を思い出し、自ら逮捕されることを選ぶのか、あるいは勅使河原一派の本当の悪事を告発して終わるのか、全然先が読めないドラマ展開なのであります。

 それにしても、年齢相応のキムタクって、やっぱりカッコいいなあ。

『アイ’ムホーム』オリジナル版の電子版です。

『アイムホーム』テレ朝放送記念出版版です。

2014年7月11日 (金)

『敗北のない競技』というのは一種の考え方

『サイクルロードレースは残酷な競技だ。200人が走り、ひとりだけが勝つ。
 99.5%の確率で負ける競技――。
 僕はそれが嫌だった。0.5%に入りたかった。それが8年前の僕だ。

 しかし、今は違う。僕は8年かけて理解した。
 3週間かけて3000km以上を共に走ったプロトンの全員が勝者だということを。

 敗北のない競技(レース)。
 それがロードレースだった』

 自伝の中で結論的に述べられる本書の大きなテーマ。

Photo『敗北のない競技 僕の見たサイクルロードレース』(土井雪広著/東京書籍/2014年4月18日刊)

 土井雪広は現在開催中のツール・ド・フランスには残念ながら選ばれていないが、ヴェルタ・ア・エスパーニャには2011年、2012年と2年連続で完走。三大ツールと呼ばれている、ツール・ド・フランス、ジロ・ディ・イタリア、ヴェルタ・ア・エスパーニャの一つでも出ていればそれこそ国に帰れば尊敬の念で見られるレースに2年連続で完走したのである。

 1995年にジロ、1996年にツールに出場した今中大介(両方とも14ステージでリタイヤ)の時代から比較すると、新城幸也、別部史之という二人の選手が当然のようにツールに出場、完走したり、二人して敢闘賞を取ったり、今や新城なんかは今年で5回目のツール出場を果たし、多分、今年はどこかでステージ優勝を狙うだろうなという、最早ツールの顔になってしまったり、なんていう今の時代はまさに今中の時代からすると、隔世の感ありというところなのだが。しかし、それはあくまでも「イマナカ」「ベップ」「アラシロ」「ドイ」という個人名で呼ばれるだけであり「日本人選手」という一括りの中で呼ばれるわけではない。「イタリア選手」「フランス選手」「ドイツ選手」「スペイン選手」「オランダ選手」などは当然いて当たり前という感じで見られているのに比較して、「日本人選手」という括りはなく、あくまでもそれは「個人の頑張り」でしかないわけだ。

 当然、走っている選手個人は「自分は日本人だから」という意識なんかはなくて、単にプロトンの中の一人として走っているだけだから、別に関係ないのだけれども、しかし、それは当然、彼らを受け入れるヨーロッパのチーム側としては「日本人を受け入れる」という意識ではなくて、「ドイ」を、あるいは「アラシロ」を受け入れているだけである。あくまでも個人の頑張りだけに頼ったヨーロッパ・チーム入りでしかなく、日本が国としてサイクルロードレース選手をヨーロッパに送り出しているわけではない。

 確かに、日本にはいまだにサイクリングをスポーツとして見る文化は育っていないようなわけで……

『年越しは、いつも山形の実家だ。中高時代の友達と鍋を囲むのが楽しみだったが、地元では誰もロードレースのことを知らないから、かえって気楽だった。
「土井ちょは、まだ競輪やってるの?」ある友達が言った』

 という程度の理解でしかない。

 まあ、ギャンブル・レースである競輪というものがある以上、それとは一線を画したスポーツとしてのロードレースがあるんだということは、正直、なかなか理解できないことではあるのだろう。トラックレースであっても中野浩一という競輪選手が世界選手権スプリントで1977年から10年間優勝し続けて、ヨーロッパに行けば中野浩一はヒーローなんだけれども、日本では単なるハゲのオジサン扱いってのも、日本自転車競技連盟とか会長の橋本聖子氏たちの広報不足というか、広報下手っていうのにも問題がありそうだ。

 でも、土井選手にしてみれば、そんな日本の環境からは飛び出してヨーロッパの「普通の自転車選手」になってしまったわけであるから、逆に日本の自転車環境からは関係なく、むしろヨーロッパ基準の自転車環境になったわけだ。

 それがドーピング問題。

『誤解を恐れずに言ってしまえば、ドーピングという手段があることは、プロトンでは一種の常識にすらなっている。僕は「これは100%ドーピングだ」という現場に出くわしたことはないけれど、日本でも人気の超有名選手も含めて、噂は無数に聞いた。さっきの注射野郎も含めて、そのほとんどは捕まっていない(ドーピングが発覚し、処分されることを僕たちは「捕まる」という)。陽性反応が出たっていう話すら聞いていない』

 皆、やっていることは知っているが、やっていることは皆で知らんぷりしようね、っていうのがドーピング。どこまでが大丈夫で、どこからがNGなのかは、それこそ時代によって変化する。だから、プロトンの中ではドーピングは当たり前。見つかっちゃったら、それは不運だったんでしょう、というのがドーピングなのだ。だから『ラフライド』を書いちゃったポール・キメイジは嫌われるんだろうな。

 では、何故自転車選手の間でこれだけドーピング問題が発生するのか?

『要するに、やらないと勝てない環境があるから、やる。それだけだ』

 というのが一番簡潔にして、一番深奥に触れた理由だろう。それだけヨーロッパの自転車レースは厳しいというわけだ。それに比較してドーピング問題が全く起きない日本の自転車レース界というのは、それだけ「ぬるま湯」的で「お友だち」感覚なんだろうな。つまり「勝つ」ということに対するモチベーションの違いがあるんだろう。

 ヨーロッパの三大ツールやクラシック・レースで勝てれば、その後の生活安定に関して実に大きなアドバンテージが保障されたのも同じである。しかし、例えば全日本選手権で優勝しても、別になんの生活保障もない。であったら、なんとしてでもヨーロッパのツールやクラッシクで勝ちたい選手が手段を選ばなくても、それは当たり前なのかもしれない。

 そんな、グランツールの世界を知ってしまった土井氏にとっては現在のチーム右京での活動は、いわば「余生」みたいなものなのかもしれない。齢三十にして余生というのも、まあ、スポーツ選手ではあることなのかも知れない。まあ、自転車選手としてはちょっと早いけれどもね。

 これから土井選手が、どんな余生を見せてくれるのか、どんな言葉を後から来る若い選手の残していくのか、それも楽しみの一つではある。

『僕はプロトンという共同体にいたのだ。
 そこでは選手たちが、複雑に繋がり合っている。雨も、風も、雪も、全員に分け隔てなく降り注ぐ。ひとりが転べば、大勢が巻き込まれる。全員で密集して走れば、だいぶ楽になる。時にはチームの垣根を越えて飲み物や食べ物を融通し合うこともあるし、ブエルタの最終日は200人で騒ぐお祭りみたいなものだった』

 結局、人間は人と人との関係の中でしか生きられないものである以上、自分をどんな人間関係の中に置くのかを考えることが、その人の一生を決める要素になるのではないだろうか。それは、三大ツールに出るチームに自転車選手として入る方法もあるだろうし、日本の出版社に入る方法もあるだろうし、公務員になるという方法もある。

 結局、その自分が選んだ生き方の中で「何を掴むか」ということが大事なんだろうな。

 う~ん、ちょっと支離滅裂?

 

『敗北のない競技 僕の見たサイクルロードレース』(土井雪広著/東京書籍/2014年4月18日刊)Kindle版は出ていない。

2013年11月15日 (金)

Inter BEEこぼれ話

 昨日はデジタル・シネカメラの小型化についての感想を書いたが、やはりそのきっかけはREDであった訳だ。

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 パナビジョン社のパナフレックスなんていう大型のシネ(フィルム)カメラを見慣れてきた経験からすると、この小ささは驚異的であった。まあ、でもズームレンズをつけちゃうとそこそこの大きさにはなってしまうがね。

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 それは昨日書いたBlackmagicでも同じで、CANONのEFシネマレンズのズームをつけると、こんな感じになる。とはいえ小さいけどね。

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 CANONのEOS-Cデジタル・シネカメラに単体レンズをつけるとこんな感じ。やっぱり小さいね。まるでスチール一眼レフみたいだ。それはBlackmagicでもREDでも同じなわけで、やっぱりカメラの基本はレンズであり、レンズの基本はガラスのかたまりであり、それはデジタルでもアナログでも同じなのだ、ということを再認識させられた訳である。

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 フィルム・カメラの時代でも比較的小型だったARRIFLEXもデジタルになると更に小型化して、こんなに小さくなってしまった。って実は嘘で、これはARRIFLEXのALEXA Mというカメラで本当はカメラの受光部分と本体を切り離してしまったものなのである。まあ、それもデジタルならではのことではあるけれどもね。

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 アジア最大の円形レールっていうのがすごい。なんかオタク精神全開って感じである。

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 オタク精神って言えばJVCブースである。

 音響関係の部分では大半がミキシング・テーブルなんかの展示なのだが、JVCブースではWOOD CONEのスピーカーが展示されていた。10月19日のオーディオ・ホームシアター展のレポートでも書いたのだが、こうした木製コーンのスピーカーというのがあって、凄い柔らかい音がしてなんか耳に優しいのである。このJVCのスピーカーのデモではアコースティック・ジャズが流れていて、さすがにいい音を出していたなあ。しかし、ここはInter BEEという放送関係の製作プロフェッショナル向けの展示会な訳で、そこにはなんか相応しくないような展示ではある。

 まあ、それはそれでもいいけどね。

Inter BEE 2013は幕張メッセで今日まで。

公式サイトはコチラ

Nikon D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @Makuhari Messe (c)tsunoken

2013年11月14日 (木)

Inter BEE 2013 ニューカマーの存在感

 2013年秋の展示会イベントの棹尾を飾るのはInter BEE(国際放送機器展) 2013である。

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 なあーんて書くと、今年は東京モーターショーがあるでしょ、なんて突っ込みが入りそうであるが、モーターショーも行くとは思うけれども、しかしプロフェッショナル相手の展示会ではないので、これは措いておく。

 なので、Inter BEEが私にとっては今年最後の展示会イベントなのである。

 
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 で、Inter BEEと言えば何といってもSONYブースが一番の目玉だし、存在感が大きいのである。というのも、当然世界のテレビ界で一番プロフェッショナル・ユースが多いのがSONY製品だからである。

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 ところが、今年はそのSONYブースの隣でSONY以上に大きなスペースを取っていて存在感を示していたのがBlackmagicである。

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 Blackmagicって何? という人は上の写真を見てください。こんなに小さな4Kシネカメラを作っているメーカーなのだ。

 REDやCANON EOSなど今やシネカメラはどんどん小さくなって、シネマ・クルーも少ない人数で組むことが可能になってきているのだが、その勢いを進めているのが、こうした小さなシネカメラを作っているメーカーなのである。

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 さらに、GoProなんていうアクション・カメラも結構な存在感で出展していて、もはや映像の世界でもプロ・ユースとアマチュア・ユースの垣根を乗り越えた製品がどんどん出てきている。

 もはや、テレビや映画を作るのはプロだけという「技術の時代」は終わってしまい、もっぱら映像センスの問題になってきているのである。ネットでの「送り手」と「受け手」の時代は既にかなり前に終わってしまっているわけであるが、YOU TUBEなどでテレビ映像の世界もすべての人が「映像の送り手」になれる時代になっているのである。

 多分、これからテレビは4Kや8Kの時代になってくる。となれば、そうした4K、8K映像はそのまま映画の大スクリーンでも上映できるわけで、映画もテレビと同じくプロフェッショナルとアマチュアの違いがなくなってくるだろう。

 映画学校なんかも、いままでのようなプロフェッショナル養成のための学校ではなくなって、一般ユーザーでも入学してセンスを磨くような時代になってくるはずだ。映画スタッフも今までのような技術屋集団ではなくなって、いかにして映像センスを磨くかが重要な要素になってくるだろう。

 しかし、そんな時代になってもシナリオを書く技術・センスは必要だし、演出センス、演技センスも今以上に重要になってくるだろう。

 今までのように、芝居なんて素人でもできる、撮影は素人にはできない、なんて威張っていた撮影現場の技術屋さんたちは、どんどん淘汰されて、作り手に優しい映画製作現場になってくるのだ。

 う~む、面白い時代になってきた。

Inter BEE 2013は幕張メッセで11月15日まで開催中。

公式サイトはコチラ

 Inter BEEこぼれ話は、明日書くつもり。

Nikon D7000 AF-S Nikkor 18-105mm @Makuhari Messe (c)tsunoken

2013年11月 7日 (木)

半沢直樹‐ディレクターズカット版発売で「倍返しだっ!」

 あの超ヒットTVドラマシリーズとなった『半沢直樹』のディレクターズカット版DVD BOXとBlu-ray BOXが12月26日に発売になる。

 現在、Amazonで予約受付中。両方とも25%OFFでDVD BOX \12,950、Blu-ray BOX \22,680。

 テレビ放送ではカットされていた、半沢直樹が出向を言い渡された後のシーンが収録されているそうだ。

 お正月は、再び「倍返しだっ!」

2012年11月15日 (木)

Inter BEE 2012 の会場から

 Inter BEEというのは日本風に言えば「国際放送機器展」、アメリカでやっている本家本元 International Broadcast Equipment Exhibition の日本版というわけである。放送に関わる映像と音と通信のプロフェッショナル器材の総合展示会であるが、このうち「通信」は最近の放送のデジタル化の流れの中でいやがおうにも存在感を増した「放送と通信の融合」というものを背景に様々なソリューションの提供ということで、出展するメーカーが特にソフトウェア関連で増えている。

 プロ用機器だけなので、来場者はそうした制作現場の担当者や学生ばかりであり、こうした展示会としては地味である。毎年開催していて、私自身としては個人的な興味で映像部門、仕事的な意味で音響部門をウォッチしているわけなのだが。

2012_11_14_070_2会場全景

「日本版」と言っても、SONYは世界の放送機器のトップメーカーであるから、SONYが開発した、あるいは開発している機材が世界中の放送機器のトレンドになるのである。したがって、SONYの経営危機なんてものはこの世界には関係ない。サムスンやLGなんかは「民生用の汎用製品の生産技術では日本に勝っている」が、プロ用の先端技術ではSONYに圧倒的なアドバンテージがあるのでほとんど関係ないし、パナソニックもプロ用器材ではマイナーな存在なので、この赤字状態からかちょっと前から出展していない。

2012_11_14_017_2ソニーはシネアルタを中心とした4Kシステムの展示が中心

 したがって、SONYのブースが会場の中心的な位置を占め、ブースも巨大である。

 SONYはデジタルシネマであるCINEALTAブランドの展開として4K映像(走査線が4000本)のスーパー35mmフォーマットのカメラ「F35」「PMW=F3」を中心とした映像シズテムを提案し、同時に今年開発した8K映像のカメラ「F65」の提案をしているので、多分来年のInter BEEではこちらの8K映像が中心になるのだろう。4Kでも十分なのに8Kまで行ってしまえば、最早銀塩フィルムの解像度を超えてしまうのであり、あとは監督・キャメラマンのこだわりで銀塩フィルムを使うのみという世界に入ってしまう。しかし、銀塩フィルムみたいなしっとり感のある映像もいまやビデオで可能になっているので、今後ますます銀塩派は立場がなくなってくるだろう。

 うむむ、プロ機器の凄さを見た気になる。 

2012_11_14_026_2XDCAMのコーナー

 私が気になったのはこちら、XDCAMの器材の小ささだ。プロ用ビデオカメラ(当然HD撮影ができる)としては本当に小さくて、一番小さい「XDCAMメモリーカムコーダー PMW-100」なんかはレンズ込みで1.8kgという主さであり、おまけに希望小売価格が税抜きで390,000円というお値段であり、「これなら買える!」と思わず考えてしまった。

 ただし、それはカメラだけ買えば済むって言うもんじゃなくて、システム全部そろえなければ意味がないわけなので、そうなると何百万円の世界になってしまい、当然購入しても意味はないのである。やっぱり民生用のハイスペック機NEX-VG30まで待とうかな(あるいはNEX-VG20の売れ残り品を狙うとか)。
2012_11_14_061_2SSLはお得意の各種コンソール

 こうしたコンソールを見ても、私はスタジオマンじゃないので最早あまり興味はわかない。以前は仕事上の興味はあったのですがね。

2012_11_14_046_2立教大学現代心理学部映像身体学科のブース

 東京工科大学を始め各大学の映像関連学部や学科もブースを展示。これは学生向けというよりは映像業界向けのリクルート用なのだろうか。

 Inter BEEは幕張メッセで11月16日まで開催中。

 事前登録はコチラまで→ https://regist.jesa.or.jp/interbee-regist/index.php?lang=0

Nikon D7000 AF-S Nikkor 10-24mm @Makuhari (c)tsunoken

2011年8月21日 (日)

『犬の記憶』か人の記憶か

 犬の記憶は「光と影」だけなんだそうだが、それは人間だって同じ。基本的には、人の記憶も所詮「光と影」だけ、それ以外に何の記憶があると言うのだろうか。

『犬の記憶 森山大道 写真への旅』(NHKエンタープライズ/2010年8月13日刊)

 本の方の『犬の記憶』『続・犬の記憶』は既に読んでいるし持ってもいる。しかし、テレビでこれが放送されたのは知っていたが、見ていなかった。というか、見れなかった。そのまま、忘れてしまうのかと思っていたら、東京都写真美術館のショップで売っているの見つけ買ってきたのだった。

 映像は、基本的には森山大道が多くの写真をものしている新宿近辺の写真とその撮影風景がベースになって構成されている。そこを「偉大なる悪所」と言ったり、「都会のシミ」と言ったり、寺山修司との思い出の詰まった場所であり、そして森山が写真のことを言っている「光と時間の化石」でる場所であり、1969年10月21日の国際反戦デーにおける騒乱事件の新宿である。そう、1960年代の新宿とは、そんな、騒擾と、混乱と、放埓と、秩序と、表現とが混沌と入り混じっていた、おかしな街ではあったのだ。都心ではありながら、まだ新都心ではないし、都会と田舎の出会う町であり、東京と地方都市や東京以外の大都市が出会う町であったのだ。そんな新宿だからこそ、カオスの如く様々なものが入り混じって、それぞれに自らの存在を主張できた部分があったと言うべきなのだろう。それこそ、そこでは何も旅に出なくても「自分探し」の方法論がいくらでもあったし、何も「写真よさようなら」なんてことさら言上げする必要もなかったのではないだろうか。

 しかし、そんな新宿は消滅する。

 西口に都庁が出来て、東口の新宿区役所も改装をして、「住みやすい町、新宿」を目指す運動が始まってしまった。いやむしろ、新宿は「住みにくい町」だからこそ、その存在感があったわけなのだし、「新宿に行って何かをやって」その後は家に帰るという生活をおこなえたのである。その結果、写真作家が何をやったのかといえば、「自分探し」である。その「自分探し」で写真作家が何処へ向かったといえば、北の方、岩手県の遠野地方、青森県の三沢、五所川原っていうのは分かりすぎて面白くないくらいだ。

 しかし、写真作家・森山大道が本来「自分探し」で行くのならば、大阪とか山陰なのではないかと思うのだが如何。

 とはいうものの、森山大道は今でも普通に新宿を撮影し続けているわけだ。そこが安心できるところでもあるわけだけれども、同時に、結局この人は、世界中の町に「新宿」を求めて写真を撮り続けるだけなのだろう、とも思ってしまう。今日発売になった『アサヒカメラ』でもやはり東京の写真を掲載している森山は、もはや「新宿を撮る」のでなく「新宿で撮る」ことに執着していると書く。

 それが、サン・パウロでもブエノス・アイレスであろうが、パリであろうが、多分、森山大道に見えているものは「新宿」でしかないのだろうな。

 それが、路上写真家というものだ。

2011年2月17日 (木)

『臨死!! 江古田ちゃん』テレビ版を見た・・・裸になればいいんじゃないのだ

 日本テレビの深夜に放送している『臨死!! 江古田ちゃん』(原作:瀧波ユカリ原作/脚本:松原秀/出演:鳥居みゆき 他)を初めて見た。

Main

(c)瀧波ユカリ/講談社 (c)臨死!!江古田ちゃん製作委員会

 原作は4コマ漫画である。それをドラマ化してあるのだと思ったら、何のことはない4コマ漫画をそのままコント風に演じているのだ。まあ、主演が鳥居みゆきだからそうなるのだろうけれども、まあそれが一番ストレスがたまらない作り方でもあるのだろう、原作者にも脚本家にも。

 自分の部屋に居るときはいつも「裸」で過ごしている江古田ちゃんなので、テレビ化は不可能と言われたのだが、まあ深夜ならオッケーというところなのだろうか、鳥居はちゃんと「裸」です。もっとも、肝心なところはスーパーで隠したり、何故かシーツがかかっていたりして、そりゃテレビは仕方ないところだろうが。

 しかし、そういう風で描くと実はなんということもない、当然自分の部屋を出たときは着衣なわけで、そんな着衣の江古田ちゃんの姿は普通のコント集というか、余り面白くないコント集になってしまうのだな。やはり江古田ちゃんは「裸」が売りの漫画だったのだ。

 鳥居みゆきはそんな江古田ちゃんを好演している。というか、特別美人でもないし、セクシーというわけでもない。ただ、経済的理由だけで「裸」でいるというだけの存在なのだが、そんな「不思議ちゃん」キャラクターを普通に演じていられるというのも、鳥居みゆきの存在感なのだろうが、って別にこれは褒めているわけでもない、まあ普通じゃない? って言ってるだけなのだ。それとも「素」なのか?

 う~ん、この「ヌルさ」はなんなのだろう。深夜だからいいなじゃない? ということなのだろうか。

 まあ、鳥居みゆきの裸を見たい人にとってはいいのかもしれないが(でも、そんなに「オイシイ」裸ではありませんぜ。全然エッチじゃないし)、それだけのことですね。「脱いで一皮剥けた」なんて言い方が昔の映画ではよく言われたが、いまや別にそんなこともないのだ。ただ裸になっただけ。テレビ番組みてオナニーしろって言うほどじゃないけれども、せめてカウパー氏腺液位は出なけりゃね。

 それとも若い人(男)はこれでも十分なのだろうか。

 で、原作はコチラ↓

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自転車フォトグラファー 砂田弓弦

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