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旅行・地域

2017年5月23日 (火)

駒込・ご近所界隈

 この日は午後からマンションの管理組合総会があるので、あまり遠出はできなくて、ご近所のいつもの散歩コース「駒込周辺編」でございます。

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 駒込といっても文京区の駒込(本駒込)は下の一枚だけで、あとはみんな豊島区の駒込であります。

Dsc_00102 @Honkomagome Bunkyo

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 本郷通りをJR駒込駅前からそのまま旧古河庭園の方へ行くと坂を降りたところに、霜降橋交差点というのがある。昔、藍染川という川があって、そこに霜降橋という橋が架かっていたから着いた名前が霜降橋交差点というわけ。

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 藍染川は石神井川の支流で、不忍池にそそいでいた。現在の谷中よみせ通りやその先の「へび道」が藍染川が暗渠になった跡。

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 なので、当然、霜降橋の方まで降りてしまうと、その後は急な坂を上って駒込か巣鴨へあがっていくことになる。

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 まあ、ちょうどよい散歩コースではありますね。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Komagome Toshima ©tsunoken

2017年5月22日 (月)

三鷹、昨今

 三鷹と言えば、私としては「ああ、アキラスタジオね」ってことになるんだが……、それも既に今から30年も前の話だ。

 で、三鷹の駅から三鷹中央通りも、今や両側がマンションばっかりになってしまっており、30年前の様相とは大分異にしている。

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 でも、いまやなきアキラスタジオが二階に入っていた都民生協(いまは「コープみらい」って言うらしい)もまだ健在で、本来は二階も店舗らしかったらしいのだが、アキラスタジオの後にも店舗は復活せず、未だにどこかの事務所やスタジオが入っているらしい。今は「アトリエ コットンハウス Aya」というのが入っているらしいんだが、なんだかよく分からない。

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 まあ、その他唯一昔の面影があるのが禅林寺っていう、森鴎外や太宰治のお墓があるお寺と、その前にある床屋さんぐらいなものか。

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 で、三鷹中央通りの裏側にまわってみても、もう完全にこんな住宅街になってしまっていて、昔を偲ばせるものはない……、て思っていたら。

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 いやあ、どこか開発から取り残された一角があって、特にこの「ハルピン」っていう中華屋さん。30~40年ほど前に多かった中国の帰国子女が始めたお店で、餃子がおいしい店だったという記憶があるが、う~ん、いまでも残っていたか。

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 で、裏通りを三鷹駅の方まで来ると、アトラス三鷹レジデンスっていう新しいマンションがあるんだが、それについてはいずれまたお話をするとしよう。

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 ちょっと気にかかっていたマンションなんだ。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Renjaku Mitaka ©tsunoken

2017年5月20日 (土)

武蔵松山城のはずが……

 東松山市に城跡があるというので東上線のTJライナー(に使う電車)で行ってきた。

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 行ってきたんだが、そこは東松山市ではなくて、東松山の駅から市役所を通り過ぎて、真っ直ぐ歩いて行って、吉野川を渡った吉見町の方だった。

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 吉野川を渡る橋を越えると「吉見百穴 吉見町 武蔵松山城」という案内が出てくる。吉野川を天然の要害として、吉見百穴の前にある山の上が武蔵松山城祉であります。埼玉県によくある「川と山」を組み合わせた「平山城」ですね。

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 道路沿いに塩船観音というのがあって、そこから城へ登って行けるようだ。

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 が、お堂の裏に上がってみると、こんな感じで登山道なんかも整備されていないままである。ちょっと普通の靴では上がりづらいなということで、今回はお城の下までということにしておこう。

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 お城の前には説明版がある。

『この城跡は、戦国期における山城の姿がほとんどそのままに残されている貴重な文化財である。
 市野川に突き出た部分から本城(本丸)、中城(二の丸)、春日丸、三の丸よ南西から北東に向かって一線上に並び、その両側に多くの曲輪や平場をもっている。この主曲輪群の東方にも第二次的な施設があったが、太平洋戦争後の土地開発で全く原形を失ってしまった。
 城史は、古代にさかのぼるとも言われるが、一般的には鎌倉時代期の新田義貞陣営説、応永年間初期の上田左衛門尉説、応永二十三年(1416年)ごろの上田上野介説などがある。しかしながら、城郭としての体裁を整えたのは、太田氏が、江戸、川越、岩槻の各城を築いた時期に近いものと思われる。
 この城が天下に知られたのは、今から四、五百年前の天文年間から永禄年間のことで、城をめぐっての上杉、武田、北条の合戦は有名である。のち豊臣勢に攻められ、天正十八年(1590年)落城した。歴代の城主上田氏の滅亡後は、松平家広一万石の居城となったが、松平家が慶長六年(1601年)浜松に転封されたのを最後に廃城となった。

 平成十年三月  吉見町・埼玉県』

 よし、今度はちゃんと城に登れる靴を履いてこよう。

 で、実は東上線の東松山の駅を降りた時になんか既視感を感じたんだなあ。前に来たことがあるぞ……。

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 で、帰りに駅前の商店街の方へ行ってみたら、ああ、そうか、何年か前にオリンパスペンFTを買いに来た大正堂写真店があるところだったんだ。

 ショウウィンドウを覗いたら、またまた欲しくなっちゃうカメラがあるなあ。

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 う~ん、マズい、マズい。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Higashi-matsuyama ©tsunoken

2017年5月19日 (金)

東京周縁部を往く・町田旧街道

 町田市を東京周縁部って言っちゃうと、何か文句が出てしまいそうだけれども、実はここもちゃんと東京都なんですね。西の方で多摩市とも繋がっていて飛び地でもありません。まあ、小田急線で来ると途中が神奈川県なので、そんな錯覚もおきてくるんだけれどもね。

 で、この町田市っていうのは実はかなり重要な場所だったのだ。

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 小田急町田駅の駅前には「絹乃道 此方 はちお〃じ 此方 よこはま」という碑とともに説明版がある。

『絹の道

 黒船到来により永い鎖国が開かれ 安政六年(1859)に横浜が開港されると 日本から欧米諸国への輸出品の花形になった”生糸”は 主産地である長野・山梨や八王子から 町田を通って横浜へ運搬されました。
 新編風土記稿に”神奈川道”と記された原町田中央通りは東西文化の交流を果たした中国の長安から地中海に至る古代シルク・ロードのように日本のシルク・ロードになりました。
 そして原町田は 商業地形成の原点となった「二・六の市」を主軸として 生糸をはじめ諸物資の集散地となり 繁栄の基礎が築かれ今日に至りました。
 この碑は歴史と伝統を受け継ぐ 原町田商人の証として 原町田誕生四百年を記念し 一番街商店会が建立しました。

 昭和五十六年十二月吉日』

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 ということで、小田急町田駅前に展開する現在の町田一番街商店街が「二・六の市」の中心として、旧町田街道の中の重要な町となったのだ。

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 旧町田街道は、南に1.5kmほど行くと、三塚というところで現在の町田街道に合流する。

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 合流地点の裏側(JR横浜線を挟んで反対側)には町田天満宮がある。結構、大きな神社で、多分、昔はこのあたりが町田の中心だったんだろうね。

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 小田急線の踏切を挟んで反対側にでると、そこは栄通りと名を変えて……

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 3kmあたり北上すると、今度は滝の沢で現在の町田街道と合流。

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 まあ、たかだか4~5kmの「旧町田街道」なんだけれども、東京都でありながら、東京からは離れている場所は、ちょっとした旅気分が楽しめる街ではある。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f2 D @Machida ©tsunoken

2017年5月17日 (水)

高崎線籠原駅……う~ん、地味な駅。という以外に……

 高崎線籠原駅って、熊谷からひとつだけ先の駅で、篭原以北は15両編成に対応できていない駅があるため、多くの15両編成の高崎線は、ここ籠原駅で前5両を切り離さなければならない、という結構重要な駅ではあるんだけれども……、なんか地味な駅だなあ。

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 熊谷駅と籠原駅の間には熊谷貨物ターミナル駅という貨物専用の駅があるんで、やっぱりそれなりに重要な駅なはずなんだけれども、でも、駅の存在自体が地味。

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 う~ん、駅前もなんか昭和30年代を思い出させる駅前通りだなあ。

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 更に、籠原駅の階段脇(というか、誰も入れない裏側)にはひっそりと篭原駅の説明版が、これまた地味に建てられているんだが、多分、これじゃあ読まれない?

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 なので、代読しましょう。

『篭原駅開設七十周年記念<高崎線は日本最初の私鉄として日本鉄道株式会社により明治十六年七月二十八日上野熊谷間が開通し即日熊谷駅が営業開始当時は上野熊谷駅間は一日二往復の運転であった。翌年明治十七年五月一日高崎まで延長になり同年六月二十五日熊谷高崎間の開通式が熊谷にて挙行され畏くも明治天皇には日本最初の私鉄開通式に熊谷駅御着親しくもその模様を天覧された。その后明治三十九年私鉄から省線へと改められ官営となった。当時日本最初の私鉄高崎線を選定された理由には安政年日本開港以来横浜港に於て生糸の一手貿易が行われた為め特に武州(北埼玉)上州(群馬)の養蚕地帯の生糸繭の生産が大きく生糸の安全迅速な輸送急務の為であった。当駅は明治四十二年十月開場であるが明治三十八年当地大正寺住職岡田契意氏中心になり近郷有志森田金次郎清水新七石丸春奄北爪茂重郎権田愛三栗原畄三郎氏等に図り大正寺に於て会合協議を重ね地元民の絶大な協力を得現在地に開場となりました。惟うに計画は交通の便殖産工業発達増進を図るにありたるも先住地元民の賢明なる百年の計を勘案されました事は今日の地域発展の礎となりました。吾々子孫住民は忘れる事なく先代の遺業に心をあらたに敬意を表したいものです。 沿革を誌し開設七十周年を記念す。
    昭和五十四年十月吉日 篭原駅開場七十周年記念事業 実行委員会』

 う~ん、これを読んでも高崎線の開業経緯はわかるんだけれども、肝心の籠原駅の開業経緯が分からない。おまけに、昭和54年に書かれた文章の割には、見事に句読点がなくて、判読するのにちょっと手間がかかる。

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 まあ、一軒だけ残されている蔵造りの家くらいが、なんとなく時代を感じさせる程度で……。

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NIKON Df AF Nikkor 28mm f2.8 @Kagohara Sta. Kumagaya ©tsunoken

2017年5月16日 (火)

YEBISUのSNOBBISMが妙に好き

 恵比寿という街……、とうより恵比寿ガーデンプレイスっていう人工の町のスノビズムが妙に好きで困っているんだ。

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 恵比寿ガーデンプレイスっていうのは、1994年に、もともと恵比寿にあった(というかヱビスビールの工場があったので名付けられた恵比寿という街)サッポロビール(ヱビスビール)の工場と本社跡に、オフィスビル、デパート、レストランや集合住宅、美術館などを総合開発して、新しい街「恵比寿ガーデンプレイス」として売り出したのがスタート。

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 まあ、当時はそうした街そのものを総合開発するモデルケースはなかったので、皆が注視するなかでのスタートだったんだけれども。

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 まあ、結局は渋谷区、目黒区という立地の良さや比較的外国人の(欧米人の)住人が多い場所だったということもあって、なんか結構スノッブな街になっていったのだった。

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 まあ、私はここに東京都写真美術館があるということで、比較的来ることが多いんだが。

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 まあ、なんとなくその「生活感の無さ」みたいなのが好きなんだなあ。

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 生活感がないっていうことは、住んでいる人たちがよっぽど生活感がない人たちなのか、あるいはあまり住んでいる人がいないのか……

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 まあ、ガーデンプレイス以外の恵比寿の街は、それなりに生活感もあって、それはそれで好きなんですけれどもね。

 スノッブな街だなあ。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Yebisu Shibuya ©tsunoken

2017年5月14日 (日)

横浜の続き・山手だけどドルフィンには行かない

 横浜山手に行くためには、車で行くのでない限りはJR横浜線の山手駅か根岸駅で降りて、坂道をエッチラコッチラ登っていくしかないのであります。

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 まあ、その辺に山の上の人たちの「私たち下界の人たちと違うのよ」ってな、一種の「矜持」が働いてるのかな。だから、別に不便でも困らないっていうか。

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 で、山手駅から坂道を上がって、一番上がったところにあるのが横浜聖光学院で、この学校沿いに歩いていくと、旧横浜競馬場跡に至り、「山手のドルフィン」の前を通って、根岸駅へ下りていくんだが、今日はそっちへ行かない。

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 尾根沿いにずっと歩いていくと、NTTの横浜倶楽部なんてのがある。何なんでしょうかね。

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 もうちょっと行くと、今度は「YC & AC通り」なんてのがあります。「YC & AC」って何だ? 「横浜カントリー&アスレチッククラブ(英: Yokohama Country & Athletic Club, YC & AC)は、神奈川県横浜市中区にある会員制のスポーツクラブ」で、もともとは日本人は入れないクラブだったそうだ。

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 う~ん、そうか横浜のセレブは元々外国人であり、そんな外国人と普通に付き合っていた日本人ってことなのか。

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 江戸の山の手と言えば、基本的に武家屋敷であり武家がセレブの基本なんだけれども、横浜とはそこが違うところなんだなあ。まあ、京都に行けばそのこセレブはお公家さんで、侍なんて用心棒みたいなもんだしなあ。

 いろいろなところで、その地区のセレブってのも違うようで。

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 ってなこと言っている間に山の上の端っこにある横浜国立大学付属小学校の前にでてしまう。

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 そこから「ふぞく坂」という急坂を下りると、元の山手駅前に再び出てしまいます。

NIKON Df Af Nikkor 50mm f1.8G @Yamate Yokohama ©tsunoen

 

 

2017年5月13日 (土)

東白楽から反町・横浜まで

 以前、神奈川大学がどの辺にあるのか知りたくて、東横線の白楽から山沿いに歩いて東白楽まで歩いたことがある。

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 じゃあ、その東白楽から先はどうなっているのか? というのがテーマで歩いてみたのだが……

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 実はホンの少し歩いただけで次の反町駅についてしまった。

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 というか、東白楽からJRの東神奈川までが思ったよりも近く、更に東神奈川のホンのちょっと先が反町だったっていうわけ。

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 東横線の反町駅は山がちのところにあるのだが、一方、JRの方の反町は昔の海沿い、旧東海道あたりまで反町なんだなあ。もうすぐ行くと青木橋で、そこを真っ直ぐ行っても、左に曲がってもすぐに横浜駅。

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 まあ、さすがに私鉄の駅は駅間が短いんだなあ、と改めて認識させられたのでした。

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 広いと思っていた横浜だったんだが、意外と狭いところなんだ。

 というのは横浜駅周辺だけの話なんだけれどもね。

NKON Df AF Nikkor 35mm f2 D @Tanmachi Yokohama ©tsunoken

2017年5月10日 (水)

東武亀戸線は昔は東武線の本線だった

 ということで、今日は以前の通りの「虫瞰図」的写真です。おまけにモノクロです。

 いや、単に私がモノクロ写真が好きなだけですけれどもね。でも、モノクロ写真って「色彩」っていう情報が一つ無なくなっているだけで、カラー写真とはまったく別の写真になっていると思いませんか?

 で、本日のテーマ「東武亀戸線は昔は支線じゃなかった、本線だった」です。

 東武スカイツリーラインの曳舟駅と、JR総武線の亀戸駅を結んでいる東武亀戸線は、現在は全長たかだか4kmの東武線の支線なんだが、実は東武線の本線だった時代がある、っていう話は知っていましたか?

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 1904年(明治37年)東武線の亀戸ー曳舟間が開通すると、総武鉄道(現・JR東日本総武本線)亀戸 - 両国橋(現・両国)間への直通運転を開始し、同日開業した両国橋駅に乗り入れた。これにより、東武鉄道の吾妻橋 - 曳舟間は廃止され、亀戸 - 曳舟間が本線格の扱いとなった、ということなのだ。

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 その後、乗り入れていた総武鉄道の国有化を機に、ターミナルを吾妻橋駅に戻すことになり、1908年(明治41年)3月に吾妻橋 - 曳舟間が貨物線として再開。1910年(明治43年)3月に吾妻橋駅を浅草駅と改称して、同区間の旅客営業を再開すると、亀戸 - 曳舟間は支線となったのだった。

 いろいろな歴史があるんですね。

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 歴史と言えば、私の両親とも実家がこの曳舟・押上あたりにあって、今から50年以上も前の事、東武鉄道から突然私の家に手紙が来て、なんでもこの東武亀戸線の敷地の一部に私の知らない実家の一部が重なっていて、それを処理したいという主旨の手紙だったので、何らかの処理をした覚えがある。う~ん、そんなことばっかり調べて処理する部署が大東武鉄道にはあるんだな、ということを感慨深げに覚えた記憶がある。

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 ちょうど曳舟から小村井(おむらい)駅の辺りまでは、東武線と周囲のゴチャゴチャした民家がすぐに軒を並べている状態で、まあ、そんな感じの家のひとつだったんだろう。

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 小村井から亀戸寄りの東あずま駅、亀戸水神駅あたりは広い丸八通りが脇を走っていて、線路の周囲も広くなっている。

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 で、亀戸水神を降りればすぐにあるのが、亀戸水神宮である。亀戸天神ではない。多分、この周辺のお百姓さんたちが、中川の水害を防ぐために奉った神社なんだろう。天神様とはまったく由来の異なる庶民的な信仰を集めた神様なのだ。

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 亀戸水神を過ぎれば、すぐに亀戸駅に着く。昔はここから総武線に乗り入れていたんだな。

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NIKON Df AF Nikkor 28mm f2.8 D @Kyojima Sumida, Kameido Koto ©tsnoken

2017年5月 9日 (火)

東京鳥瞰図的ビュー

 ちょっと前、5月のある日、外に出かけた私は何気なく山手線に乗って浜松町まで出かけた。まあ、SUICAになってからというもの、電車に乗ってから行き先を決める、っていうやりかたが増えていかんなあ。

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 まあ、浜松町周辺、芝大門増上寺あたりとか、あるいは羽田空港あたりまで行って、適当なブログネタを探そうか、なんて浅はかな考えで行ったんだけれども、さすがに浅はかだったようで、浜松町で突然の土砂降りの雨。

 傘も持ってないし、シャツは半袖で寒いし、なあ。

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 で、そういえば浜松町の国際貿易センタービルの展望台って上がったことがないなあ、ってなもんで早速方針変更。

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 う~ん、こうやって高い場所から見る東京ってのも、普段はあまり目にはしていない風景だ。

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 っていうか、普段はこうした「鳥瞰図」的な風景よりは、地べたから見上げた「虫瞰図」的な画像ばっかり撮影しているもんなあ。

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 たまには、こうして上から見下ろしてみるっていうのも悪くはない。

 だからと言って、それで「世界が我が物になる」なんて気分には絶対にならないけれどもね。と言うよりも、そんな程度で世界を支配した気分になる人物ってもしいたとすれば、よっぽどのおっちょこちょいでしかないんだろうけれどもね。

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 ねえ、虫よ。君にはどんな風に世界が見えているのかなあ。

 教えて欲しい。

NIKON DF AF Nikkor 50mm f1.8 G @Hamamatsuchou Minato ©tsunoken

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