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旅行・地域

2018年1月22日 (月)

東京周縁部を往く:板橋高島平

 この「東京周縁部を往く」というシリーズは、たまたま荒川や江戸川などの東京の北や東の端っこが、もともと私の知っている場所だったせいと、同時に私のサイクリングコースだったということの二つが重なってできたシリーズである。

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 なので、多摩川が「周縁部」に加わったのは少し後になる。荒川や江戸川で東京の東と北の端、多摩川が南の端なんだが、西がない。まあ多摩川も上流まで行けば西の端になるのかもしれないが、それは相当西に行かないと「東京周縁部」にはならない。

 一時期、東京を23区に限って取り上げ、杉並区・練馬区あたりを「周縁部」に加えようとしたんだが、そうなると多摩地区が東京に入らなくなるので、それはダメ。

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 ということで、なかなか西の周縁部に行き当らないまま、このシリーズも進んでしまった。まあ、たいした理由で始まったシリーズじゃないというのがバレてしまいますね。

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 そんないい加減な理由で始まったシリーズなので、しばらくは私自身がそのようなシリーズがあることを忘れていた。

 で、高島平へ行く途中に思い出したのが、このシリーズだったのであります。

 この高島平は江戸時代までは「徳丸ヶ原」と呼ばれ、幕府の鷹狩場や砲術訓練所があった、荒川の後背湿地だったんだけれども、明治に入ってその湿地は整備されて「赤塚田んぼ」とか「徳丸田んぼ」と呼ばれる稲作地帯となった場所である。

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 西台の駅前にある馬頭観音や、高島平駅を北に行くとある「徳丸ヶ原公園」に行くと、徳間ヶ原遺跡の碑なんかがあって、そうした土地の由来なんかが分かるようになっている。

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 が、現在はそんな「昔の湿地帯だった」なんていうことは、別に誰も意識しないで住んでいるっていう訳なんだけれども、たしかに赤塚城なんかがある多摩丘陵の東の端の崖の下っていう感じは、赤塚公園まで行くとよく分かるようになっている。また、三田線に乗っていても志村坂上から志村三丁目へ移動する際によくわかる。

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 で、昨日のカメラとレンズなんだが、デジタルレンジファインダー・カメラに35mmレンズなんだが、カメラの撮像素子がAPS-Cサイズなので、35mm換算で50mmになる。ということで、この間、三日間は50mmで撮影したことになります。どう違うのか? いずれ語ります。

EPSON R-D1s Leitz Canada Summicron 35mm f2 @Takashimadaira ©tsunoken

2018年1月20日 (土)

平日の大井埠頭はどうなっているのか

 大井埠頭は毎年5月に行われるツァーオブジャパンの最終東京ステージの主戦場となる場所である。

 日比谷シティ前をスタートした選手たちは、海岸通りを通って大井埠頭に入り、そこで周回コースをこなして、そのまま大井埠頭の東京税関前でフィニッシュを迎える。

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 ツアーオブジャパンもそうなんだけれども、実はこの大井埠頭は東京のサイクリストにとっても聖地のように重要な場所なんだ。

 つまり、ウィークデイにはこんなにトラックで渋滞しているような大井埠頭なんだが、週末にはこの道路にはほとんどトラックが姿を消して、実に幅広な自転車で走っても安全な道になってしまうのだ。

Dsc_00052 この大陸橋を越えて海岸通りから大井埠頭に入ってくる

 勿論、ツアーオブジャパンのレースコースと、ホビーレーサーの練習コースでは一部の重複部分を除いてほとんど異なったレイアウトのコースとなる。コースから完全に車を締め出して専用コースになっているツアーオブジャパンのコースと、単に週末で車の往来が少なくなっているだけの一般道である練習コースではコースが異なって当たり前である。

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 これはこの練習コースを見つけた人がすごいのか、いつの間にかそういうコース設定になってしまったのか、なんと一周約10km弱のコースで唯一信号を守らないと走れないのは一ヶ所だけで、あとは信号無視しても「走れる」コースを設定しているのである。っていうか、以前は皆、信号なんかは無視して走っていた。あ、これは内緒、内緒……。

 勿論、現在はドリフト族が出てきたりしたこともあって、交通規制が厳しくなっているので、ホビーレーサーの人たちも、皆、信号は守って走っていますよ。

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 しかしまあ、これだけの交通渋滞が週末にはすっかりなくなってしまい、東京のサイクリストにとっては天国のような幅広い練習コースができてしまうんだから、それだけ我が国の経済活動もメリハリがあるんだなあ。ウィークデイとウィークエンドの落差ってやつですね。

 休日出勤のブラック企業なんてどこにあるんだ……ってなもんですね。

 なあんて、お気軽なことを言っていいのか?

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NIKON Df SIGMA DG 150-500mm f5-6.3 APO HSM @Oi Wharf ©tsunoken

2018年1月19日 (金)

大宮宮原という街

 高崎線に乗って大宮の次の駅が宮原である。

 特別なものは何もない地味な住宅地。ごく普通のベッドタウンを想像してもらえばそれで充分「その通り!」ってな普通の町である。まあ、大宮のベッドタウンってことは東京のベッドタウンでもあるわけで、周辺に住まう人々にとって湘南新宿ラインや上野東京ラインなんかの存在はありがたいものだろう。

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 東口駅前もこんな感じで、まあ埼玉県によくある駅前風景だ。

 で、そういうところに何をしに来たのかと言うと、まあ、今回は別に何もしに来たわけではないのだけれども、今から30年近く前にはちょっとした用事があって来たんだ。

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 この辺りにあった喫茶店(まあ昔のチェーン店なのでColoradoか珈琲館だと思うんだが)で、当時のヒット漫画『3X3 EYES』の原作者である高田裕三氏との打ち合わせのためにやってきたのだ。

 今から30年近く前のこと、講談社がキングレコード、バンダイビジュアルとその『3X3 EYES』のアニメビデオ・シリーズを共同制作することになり、そのための原作者との打ち合わせのために大宮の次の宮原という駅に初めて降りたのだった。

 高田氏がこの宮原のどのあたりに住んでいて、どのあたりに仕事場を持っていたのかは知らないが、高田氏ご指定の喫茶店がそこにあった、というわけ。

 今は薬局になっているみたいだ。まあ、当時はビルじゃなかったけれどもね。

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 宮原は今でもベッドタウンのまんまだけれども、当時からそんな感じの街で、今ほどにはマンションなんかは建っていなかった。駅を降りるとすぐに住宅地が広がっている感じの街であったし、今でもそんな街である。

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 実はその時はじめて宮原まで行ったのだが、その後は一度も行ったことがなかったので、なんか久しぶりに懐かしくなって行ってみたんだが……。

 結局、昔とたいして変わらなくて、多少はマンションが増えたかなという感じと、その頃は駅の西口はほとんど人が住んでいないようなところだったんだけれども、現在はそうではなくてかなり住宅ができている、っていう感じかな。

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 まあ、街の印象としては、30年経ってもあまり変わっていない雰囲気だった、ってことでしょうか?

 高田氏は、今でも宮原に住んでいるのかしら。

FUJIFILM X10 @Miyahara Omiya ©tsunoken

2018年1月17日 (水)

何となく藤沢まで来てしまった

 何となく藤沢あたりまで来てしまうのは、今のJR東日本のひとつの政策なんだろなあ。って、何のことを言ってるのかって? 「上野東京ライン」ですよ。上野東京ライン。

 要は無駄な遠乗りをさせてしまう……っていう。まあ、結局ブログネタになったんだから、結果オーライってか?

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 別に当初は藤沢あたりまで行く気はなかったんですけどね、何となく上野駅で上野東京ラインに乗ったら、ついつい藤沢なんですよ。

 別に、初めから藤沢までなんて行く気はなかったんですけどね。

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 何となく「まあ、取り敢えず横浜方面へ行ってみようかな」なんて気分で上野駅で熱海行きに乗り換えた時に、熱海じゃちょっと行きすぎか、じゃあ小田原まで行ってみようかな、なんて考えていたんだが、社内の案内を聞いていると小田原まで行くとなるとちょっと到着時刻が少し遅いなあ、じゃあ藤沢で……、てな感じで、何にも事前の予習もなしに藤沢まで行ってしまった。

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 以前、サイクリングをよくやっていた頃は、権太坂を越えて遊行寺坂を下りると境川と交差する橋に出るので、そこを取り敢えずの折り返し点としていたことを思い出した。

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 自転車で来ていた頃は、大体北口のみで復路に変更なんで、今回は南口へ。といっても、こちらも江ノ電の乗り換え口がある方なんで、自転車で来なくなってからは南口の方が来ることは多いかな。

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 まあ、昔の宿場町だった北口の方が、本来は藤沢駅の表側になるんだろうけれども、南口の「駅前繁華街のすぐ裏は住宅街」っていう「普通の街ぶり」も面白い。

FUJIFILM X10 @Fujisawa ©tsunoken

 なぜセピアカラーになっているのかは、別に理由はありません。単なる気分。

2018年1月16日 (火)

旧海岸通りを往く……の、だが

 JR田町駅の芝浦口(三田とは逆の方向)が現在凄い変貌を遂げつつある。

 いち早く移転をしてきた愛育病院をキーとした「くらしの拠点ゾーン」と、田町ステーションタワーなどのオフィスビルやホテルをキーとした「新たな都市の拠点ゾーン」の二つのゾーンに分かれて、今ちょうど開発中なのだ。

 芝浦口のペデストリアン・デッキが作られている最中なのだが、うむむ、そうかだからなのかという感じ。

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 この開発の名称は「TGMM芝浦プロジェクト」という。つまり東京ガス(TG)、三井不動産(M)、三菱地所(M)のプロジェクトというわけ。

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 田町の芝浦口といえば、以前は森永や三菱自動車の本社があったり、慶応大学があったりする三田口の華やかさに比べると、かなり地味で、いろいろなオフィスなんかはあったりするんだけど、あまり有名企業のオフィスはないし、むしろ工場や倉庫なんかが目立った場所だった。唯一目立っていたのが東京工業大学の付属高校くらいなものだった。

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 もともと、埋め立て地だったこの場所には、いろいろな運河が走っていて、その運河をみることが楽しみみたいな場所ではあったのだ。まあ、昔は運河沿いにジュリアナ東京なんて「ディスコ」があったりしたもんな。まあ、それ以外は何もない場所ではあった。

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 それが、今は工場はないし倉庫も別のもっと地代の安いところに移ってしまって、なんかちょっと寂しい場所にもなっていたんだが、そこに再開発の手が入ってということなんだろう。

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 っていうか、2020年の品川新駅の開業に先んじて、そこにつながる街としての田町を作っておこうということなんだろう。品川駅の港南口もそのようにしてできた街ではある。そこも、もともとは工場と倉庫しかなかった街ではあった。

 まあ、品川駅(リニア新幹線の品川駅も含めて)を中心にした、港区の山手線の海側って、そうかまだまだ再開発の余地があったんだなあ。

「旧海岸通りを往く」なんて言って、昔を懐かしんだブログを書こうとしたんだけれども、それどころじゃない、まだまだ変貌を遂げつつある東京を再確認しただけなのであった。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f2 D @Shibaura ©tsunoken

 

2018年1月15日 (月)

立石再訪

 一昨日のブログで「京成押上線っていうのは、考えてみたら乗ったことがなかった。乗り入れている都営浅草線は乗っているんだが、押上から青砥の間ってなんか用事がなくて今まで乗ってことがなかったことに気が付いた」なあんてことを書いたのだが、書いた後でどうにも腑に落ちないことがあって、立石を再訪した……、って言いたいんだけど、今度は青砥で降りて立石まで歩いたのだった。

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 どこが腑に落ちなかったのかといえば、実は立石の駅で降りて、葛飾区役所に行く途中でタカラトミーの本社の裏側にブチ当たったことなのだ。どうも周辺に見覚えもある。

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 タカラトミーはタカラと合併する前はトミーという名前の玩具メーカーで、実は講談社とも(つまり私とも)いろいろ因縁のある会社なのである。

 当時、バンダイなんかがキャラクター商法でもって当たりをとっていたんだが、それをよく思っていないトミーは(と言うよりは富山元社長は)キャラクター玩具には興味を示さなかった。その結果、おもちゃメーカーとしてはかなり地盤沈下していた。それを気にかけてトミーとしては初めてキャラクター玩具を手掛けることになり、『スターウォーズ』がヒットしたのを受けて、電通、講談社と手を組んでエドワード・エルマー・スミスの『レンズマン』のアニメ化を考えたんだ。まあ『スターウォーズ』の原型は『レンズマン』だからね。で、1984年夏に劇場アニメ『SF新世紀 レンズマン』を制作し、その後、秋から朝日放送をキーステーションとして『GALACTIC PATROL レンズマン』というテレビアニメ・シリーズを制作・放送したんだが、(これは私の考え方なんだが)結局、一番肝心の講談社側にキャラクター商法の何たるかが(ルーカス・フィルムとは違って)分かっておらず、それは完全な失敗に終わったプロジェクトであった。

 で、そのプロジェクトのテレビアニメ・シリーズの講談社側のプロデューサーが誰あろう、私だったんだ。当然、「視聴率は上がらない、キャラクター商品は売れない」という二重苦にあえいだ番組は2クールで見事終了ということに相成った。

 テレビ番組は毎週土曜日放送だったので、月曜日の午前11時には視聴率が出てくる。それを受けて(ったって、視聴率がよくなるわけではない)制作現場との今後の展開打ち合わせ、そして火曜日の朝9時か10時頃から毎週トミー本社での「言い訳大会」(ったって、商品が売れるわけではない)をやっていたってわけ。つまり、私は毎週毎週朝早くからトミー本社に通っていたってわけです。

 で、駅(立石かなあ、青砥かなあ)から何となく商店街を過ぎて、富山さんのご自宅があって、その隣にあるのがトミー(現タカラトミー)本社なんですね。

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 で、再び行ってみたら、青砥駅じゃなくて京成立石駅からの道程で、その通りの展開になったってわけ。

 ということを思い出したら、そういえば立石駅通り商店街や立石仲見世ってのも、何となく思い出してきた。なので「押上から青砥の間ってなんか用事がなくて今まで乗ってことがなかったことに気が付いた」ってのは訂正いたします。

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 いやあ、行ってたんだなあ、それもしょっちゅう。まあ、人間てのは嫌なことは忘れよう忘れようとする生き物なので、この件もその件なんでしょうかねえ。

 なんて勝手なことをほざいている。トミーさん、ごめんなさい。

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 いま、葛飾は『キャプテン翼』です。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Tateishi ©tsunoken

2018年1月14日 (日)

関口カテドラル教会

 文京区関口の椿山荘の前にあるのが、カトリック関口教会。日本のカトリック教会をまとめる、仏教風に言ってしまえば、総本山みたいなものだ。その上には、ローマ法王庁が直接つながっている。

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 その「本堂」にあたるのがこの聖堂で、正式名称は「東京カテドラル関口教会 聖マリア大聖堂」という。丹下健三氏(っていうか、この時期の大建築ってみんな丹下健三設計なんだよな)の設計により1964年に造られた聖堂なんだが、それまでのキリスト教建築とはまったく一線を画した形状で、当時の世間を沸かせたものだ。

 とは言っても、決して奇をてらったものではなく、上空から見れば十字架の形が見えるという、キリスト教の教会様式はキチンと踏まえた建物なのである。

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 ところがその日本のキリスト教の殿堂で1967年に、皆が皆「あれっ?」って思う出来事があった。

 戦後の第73・74・75・78・79代の外務大臣で、第45・48・49・50・51代の総理大臣を務めた人の葬式が行われたのである。その後、日本武道館で国葬として執り行われたことは有名なんだが、その前に、カトリックのお葬式が行われたのである。

 何しろ「1952年(昭和27年)11月の明仁親王の立太子礼に臨んだ際にも、昭和天皇に自ら「臣茂」と称した」人である。なんせ、戦中から戦後すぐの時代に政治家だった人である。もう当然、神道かせいぜい仏教徒だと思っていたんだが、実はクリスチャンだったというのは知らなかった。

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 ところが、そこにはもっと変なことがあって、その葬式を取材しに来たカメラマンの中に変な人が紛れ込んでいたのである。まあ、これって上に書いた以上の『皆が皆「あれっ?」って思う出来事』なんですねえ。今にして思えば……。

 まあ、当時のスタンダードなニュース取材カメラであるニコンFを下げていたのは分かるんだが、それに装着していたのはニッコール21ミリってどうよ。まあ、ニュース取材のカメラは基本的ニコンFしかない時代だから、それはいいんだけれども、普通だったら装着するレンズは35ミリか50ミリに準望遠レンズっていうのが屋内撮影の基本でしょ。それを21ミリだけつけて、そんな警戒充分なはずの元総理大臣のお葬式にもぐり込んだのは、当時、日本大学藝術学部写真学科に在籍していた後の写真機家にしてライカの神様、田中長徳氏、その人であった。

 まあ、ニッコール21ミリを装着していたのがライカM2じゃなかったのはご愛嬌だけどね。

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 うーん、IDカードなんてない時代だから、まあ表向きニコンFをぶら下げてれば基本OKってな警備の状況だったんだろう。今なら、すぐにとっ捕まって、取り敢えず青バスに収容だもんなあ。で、警察に連行されてお説教って感じでしょうか、別に悪いことをしていたわけではないからね。

 1967年という結構物騒な時代背景を思い出しているんだが、その程度の警備状況で大丈夫だったんだ。結構、牧歌的だったんですね。

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NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Sekiguchi ©tsunoken

2018年1月13日 (土)

立石バーガーは立石にはない

 京成立石っていう駅で生まれて初めて降りた。

 って、あれ? なんで下町になったら突然モノクロになっちゃうんだろう?
 ということは、まあ、どうでもよろしい。話を続けよう。

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 考えてみたら京成本線はしょっちゅう乗ってはいるんだが、京成押上線っていうのは、考えてみたら乗ったことがなかった。乗り入れている都営浅草線は乗っているんだが、押上から青砥の間ってなんか用事がなくて今まで乗ってことがなかったことに気が付いた。

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 押上線って都営浅草線に乗り入れしている路線なんで、京成電鉄の中では比較的新しい路線なんだろうけれども、結構駅前は充実している。

 で、「京成立石」なんだけれども、何故「京成」と言う名前がいちいちついているんだろう。JRとか、他の私鉄路線なんかがあって、そこにも「立石」っていう名前の駅がある場合に、こうした路線名をつけるっていうのはあるんだが……。

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 とまあ、それはいいとして、なんで立石なのかって言えば、立石にあるっていう「立石バーガー」ってのに興味を持ったからなのである。「立石バーガー」ってのは、他の場所のバーガーとどう違うのか? ってのにも興味はあるしね。

 ところが立石には立石バーガーはない! Google Mapを見ると、どうも京成本線沿いの方のようなのだ。

 で、コロンブス靴クリームの工場の前なんかを通り過ぎて……

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 ほとんど堀切菖蒲園のそばまで来たところでやっと見つけた。

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「モッチー・ピザ」っていうお店が立石バーガーの店。う~ん、これでは「立石バーガー」じゃなくて、「堀切バーガー」だよね。

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NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Tateishi & Horikiri ©tsunoken

2018年1月12日 (金)

神楽坂が東京のモンマルトルって?

 神楽坂へ出かける。
 なんでも「東京のモンマルトル」らしいのだ、神楽坂は。

 パリには行ったことがあるのだが、ホンの短時日の滞在だったのでシャンゼリゼを歩くのが精一杯で、モンマルトルまでは行ったことがない。なので、神楽坂がモンマルトルだって言われてもピンとこないのだ。

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 神楽坂の案内が書いてあるサイトを見る。

『神楽坂をさんぽ。神楽坂の石畳は、パリのモンマルトルに似ています。
街のいたる所に自転車が止まっていて、それもまた、パリさを感じます。
坂を上っていくと毘沙門天善国寺に到着。モンマルトルの丘の上にあるサクレ・クール寺院のようです。
阿吽一対の狛虎像が、ノートルダム寺院のガーゴイル像を彷彿させる風貌であることには、本当に驚きました。
日本とパリはつながっていたんではないでしょうか、、、』

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 うむむ、毘沙門天がサクレ・クール寺院なんだって? まあ、坂道を上がったところにある寺院ってことは確かだが、でもモンマルトルみたいなケーブルカーはないしなあ。そんなに大きな坂じゃないもんなあ。

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 裏通りの方へ廻ってみると「見番通り」なんて、いかにも昔の神楽坂を思わせる地名なんかが残っているところは、モンマルトルみたいな「古い町」だっていうことは分かる。

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 まあ、近所にアンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)や、水道橋まで行けばアテネ・フランセなんかもあるから、まあ、フランス人(パリ人?)にとっては「比較的馴染みやすい坂の街」ってところなんでしょうね。

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 ただし、坂の麓にピガールみたいな盛り場がないのが残念!

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Kagurazaka ©tsunoken

2018年1月 9日 (火)

浅草ホッピー通り雑景

 浅草の伝法院通りの出口あたりから花屋敷へ向かう一筋の道を、いまは「ホッピー通り」と呼ぶらしい。

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 以前は「飲み屋横丁」とか「煮込み通り」と呼ばれていた。私は「飲み屋横丁」の方は知っていたが、「煮込み通り」っていうのは知らなかった。

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 まあ、「飲み屋横丁」なんで、真昼間っから行って、初めは「とりあえずビール」ってなもんで、普通みんなビールを注文するのだが、当然ビールより安いホッピー(昔は「ホッピービール、ホッピービアー」って言ったんだけどなあ)の方をはじめっから注文する人が多かったので、いつしか「ホッピー通り」という呼ばれ方になったらしい。

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 基本的にはこんな感じの店先まで張り出してきた場所でお酒を飲んでいる人たちがいるんだが、まあ、今みたいな寒い季節にはビニールの幌が下りている。

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 季節がよくなってきたらこの幌は外されるんだけれども、夏になると今度は暑いので、エアコンを効かせるために、またまた幌がおろされる。

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 まあ、浅草には昼からお酒が飲める場所はいくらでもあるんだが、ここホッピー通りはそんな中でも一番有名な場所ではあります。

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 できれば「飲み屋横丁」という名前を復活させて欲しいんだけどね。「ホッピー」という名前に、若干、商業臭さが残るんだよなあ。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Asakusa Taito ©tsunoken

 

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