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旅行・地域

2018年9月20日 (木)

雑司が谷を歩く

 22日から雑司が谷地域文化創造館で講談社社友会作品展が開催されるので、ならばということで、久々に雑司が谷辺りを歩いてみた。

 といっても、お約束の鬼子母神には行きません。あしからず。

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 勿論、雑司が谷と言えば雑司ヶ谷霊園なわけですが、それを越えて行くと道は下り坂になって、まさしく「雑司が谷」つまり谷底になるわけです。つまり、雑司ヶ谷霊園は雑司が谷じゃなくて、雑司が谷の上の丘にあったわけなんですね。

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 で、下がっていった先は雑司が谷弦巻通りという商店街になっているんだけれども、その「弦巻」というのは、昔あった川、つまり「弦巻川」の名前。豊島区と文京区の区境を流れていて護国寺の前で流れを変えて、現在の音羽通りのところを流れて神田川に注いでいた川だったそうだ。

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 現在は暗渠になっていて、その跡がクネクネ曲がった弦巻通りとなっているわけです。

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 その弦巻通り商店街の中ほどにあるのが上と下の写真の「雑二ストアー」という名前の、昔風のマーケット。まさしく「雑司が谷二丁目にあるストアー」ですね。上の写真が弦巻通りの方から見た入り口で、下が反対側。

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 今はほとんどの店が閉まっていて、八百屋さんが一軒あるくらいの、さびれたマーケットなんだけれども、その寂れ具合がいいんですね。ここは、絶対行ってみるべき場所なんですが、まあ場所がわかりにくいというのが唯一の難点。旅猫雑貨店というのが入り口の脇にありますが……、あっ、そうか。旅猫雑貨店自体が分からないか。

 まあ、今にも再開発の対象になってしまいそうな雑司が谷弦巻通りです。見るなら今のうちってわけで、弦巻通りを彷徨っていれば、そのうち辿り着けるでしょう。

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 いまだに営業している銭湯があったり、「この先、行き止まり。」なんて看板がうれしい、雑司が谷近辺なのでした。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Zoshigaya ©tsunoken

2018年9月19日 (水)

東京周縁部を往く・橋本相模原

 JR横浜線と相模線、京王相模原線が乗り入れているのが、神奈川県相模原市の橋本駅である。

 以前、まだサラリーマンをやっていた時期に、月に一度くらいの頻度で、日本におけるCGアニメーションの先駆けであるJCGLを運営していた金子満氏が教授をしていた関係で、八王子から横浜線で二駅先にある東京工科大学へ講義を聞きに行っていた時期があって、たまにその帰りに面白いから橋本で京王線や相模線に乗り換えたりしていたものだ。別に行くあてはなかったんだけれどもね。

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 K談社にとっては金子満氏はJCGLという金食い虫をしょわせた大悪人ということになっているんだけれども、当時はまだ時期尚早の「コンピュータ・グラフィック」に目をつけて、それをアニメーション作りに応用しようという発想は、現在になってみればごく当たり前のことなのだった。まあ、ちょっと早過ぎたってことだけでね。

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 それはいいとして、この辺りの神奈川県や東京都の多摩地方の典型なんだけれども、トンネルをくぐると大きなビルがある街があって駅がある、で、そこを過ぎるとまたまたトンネルがあって、それを過ぎると、こんな山の中にっていうほどの大きなビルがあって街があって駅がある、という典型的な街が橋本駅なのだ。

 でも、今日触れるのはそんな橋本駅北口の方じゃなくて、京王相模原線の橋本駅がある南口の方なのであります。賑やかな北口方面じゃなくて、静かな南口方面。

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 南口を出ると目の前にあるのが神奈川県立相原高等学校という、昔は農業高校として出発した学校。農業高校だったってこともあるし、都心の学校じゃないのでかなりキャンパスは広い高校だ。

 で、ここから先が重要なんだけれども、相模原市がJR東海の計画図を見て、ここ橋本にリニア中央新幹線の駅を作るよう要請したのだった。当然、ほとんどの部分が地下鉄のリニア新幹線なので、ここ橋本も地下駅になるのだが、その地下駅の候補地として相原高校の敷地を提供するって言っちゃったわけなんですね。

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 地下駅なんで、別に地上に高校があったっていいじゃないか、地下鉄の駅がある高校ってのも面白いじゃないか、っていうのは素人考えのようで、そうにも行かずに……、っていうよりも相模原市の思惑としては、現在はちょっと寂れた感じの橋本駅南口を、リニア中央新幹線新駅でもって地上を大々的に再開発しちゃおうという計画のようなのだ。

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 まあ、イメージとしては東海道新幹線の新横浜駅なんだろう。

 新横浜駅周辺も、昔、駅が出来たばっかりの頃は、とんでもない田舎の駅だったんだけれども、今やビルが目立つ大きな街になっているものなあ。

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 ほとんどの場所が地下を通るリニア新幹線にはあまり興味はないが、品川駅や名古屋駅は既存の駅のそばに新駅を作る予定のようだが、、それ以外は結構トンでもないところに駅を作るらしい。

 それはそれで、駅のおかげで新しい街ができて、そこがどんな風になっていくのかは面白そうだな。まあ、北陸新幹線の安中榛名駅みたいにだけはならないでほしいけれどもね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Hashimoto Sagami ©tsunoken

2018年9月18日 (火)

Bois de Boulogne a Tokyo

"Bois de Boulogne a Tokyo" なんて言ったって、東京に「ブーローニュの森」なんてあるわけではないし、面積だってブーローニュの森の七分の一しかない。

 実は東京都目黒区にある「林試の森公園」なのであります。

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 もともと、林野庁の林業試験場(つまり「林試」ですね)だった場所が、1978年につくば市に移転となり東京都に払い下げられ、1989年6月1日に「都立林試の森公園」として一般に開放されたのである。

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 なので、この森に生えている木々はすべて外から持ってきた株ばかりなのだ。つまり、自然に生えていた木は(多分)一本もないはずである。

 その辺は、もともとは自然の森だったところを公園として開発した本家「ブーローニュの森」とは違うところなんですね。

 でも、この鬱蒼とした木々、いかにも自然の森を錯覚させる森林風景っていうものが、我々を和ませるのである。っていうか、実際に我々自身がそんな「超自然」な風景というものを知らずに生きてきているってことなんだろう。

 実際に森を歩いていると、一つ一つの木々にその名前を示している票がついている。で、それを見てみると、当然、日本古来の品種ではなくて、海外から輸入してきて植えた木々であることがわかるし、当然、自然の森であればそんなにバラエティにとんだ品種があるはずも無く、当然そこが「自然の森」ではないことは分かり切ったことではあるし、そんな昔からの自然が東京にある訳がないことは、分かり切っているんだけれども、でも、そんな「作られた自然」の中にいても、外の席から隔絶された感のある森の中にいる安心感というものが、何故かあるんですね。

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 まあ、その位、東京生まれの私という存在は、実は自然環境などというものとは程遠いところにあって、人が作った「偽自然環境」をあたかも自然環境であると錯覚して生きてきた、ってことなんでしょうね。

 まあ、いわゆる「自然人」ではないわけですね。昭和26年生まれの東京人って言えば、そりゃ当然なんだけれどね。始めっから「自然」なんてものとは縁遠い生活を送って来たわけです。

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 しかし、そんな林試の森公園とご本家 Bois de Boulogne との共通点として、面白いことに「競馬場」ってのあがあるんですね。

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 ブーローニュの森といえば、ロンシャン競馬場とローランギャロス競馬場という、二つの競馬場で有名なんだけれども、林試の森公園にも目黒競馬場というのがあったのだった。

 今は目黒通りのバス停とその脇にある碑だけでしか確認できないけれども、裏の町にはちゃんと昔の走路の周りの周回路の跡らしき道なんかもあって、「都心に近い森と競馬場」という不思議な取り合わせがあるのであります。

 目黒競馬場は第1回日本ダービーを開催した由緒ある競馬場で、府中に移るまでは日本の中心的な競馬場だったらしい。

 まあ、 Bois de Boulogne との共通点はその程度のもので、林試の森公園で麻薬や違法ドラッグの取引があってなんて話は聞いたこともないし、夜な夜な男娼が歩いていてスケベな親父をたぶらかしているなんて話も聞いたことはない。ましてや人肉事件なんてのもないしなあ。

 まあ、東京の方がそれだけ安全だってことなんでしょうかね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR SKOPAR 21mm f4 @Meguro ©tsunoken

2018年9月16日 (日)

気分を変えて忍城へ

 ちょっと手近な東京都内の公園巡りにも飽きたので、埼玉県は行田市まで行ってきた。

 行田市には冬に行われる自転車レースの行田クリテリウムの取材で何回か行っており、忍城やさきたま古墳群なんかにも、そのついでに行ってはいるんだが、いつもクルマで行っていたので、今回は初めて電車で行ってきた。

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 電車で行田市に行くには高崎線の行田駅で降りるのと、高崎線を熊谷で降りて秩父線に乗り換え、三つ先の行田市駅で降りる方法のふたつある。しかし、高崎線の駅は行田市のとっぱずれの荒川のほとりにあって行田市の中心部にはバスで行かなければならない。したがって、町の中心にあるお城や古墳群に行くには秩父線で行く方法をおすすめします。

 当然ながら、忍城やさきたま古墳は行田市の中心部分にあるのだ。その場所から「行田市」ってのが出来たわけですからね。

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 小説や映画の『のぼうの城』で有名な忍城は、行田市駅から歩いてすぐの、行田市役所のすぐ裏にある。

 まあ、東京で言えば皇居のすぐそばの宮内庁辺りに(それでも遠い)東京都庁があるようなものかしら。市役所に立つと、すぐ裏に忍城の三層櫓が見えるんですね。う~ん、お役人根性っていうか。やっぱり自分たちは市民(平民)の上に睥睨する立場なんだって思っているんでしょうかね。

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『忍城は 文明十年(一四七八)頃 成田顕泰により築城された「守り易く攻めにくい」難攻不落の名城であったと伝えられている。
 天正十八年(一五九〇)豊臣秀吉の関東平定の中で戦われた石田三成による忍城水攻めにも耐えこの城は水に浮くのかと 恐れられ「忍の浮城」とも称されたという。』  というのが、行田市による『忍城の由来』。

 この辺は『のぼうの城』でも、皆さんよくご存じの話。

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 一番下の写真でも確認できるけれども、忍城を中心とした行田市およびその周辺の位置関係がわかりやすい。

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 車で行くと、意外と周辺のものには気がつかずに終わってしまうことがあるのだが、さすがに歩きだと、いろいろ周辺にあるものを気づかせてくれたりする。

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 忍城と国道を挟んだ先には東照宮があって、徳川幕府の中でも重要な城だったということがわかる。

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「埼玉(さいたま)」の言葉の起源となったのも、「さきたま古墳」かららしい。

 とすると、大昔、行田市は埼玉というか武蔵の国の中心部分だったのかしら。

 う~ん、しかし今どき「切符を買わなければならない」秩父鉄道ってすごいな。ICカードが使えない、なんて文句を言っちゃいけない。むしろ、「ICカードなんぼのもんじゃい」ってなところですな。いやいや、昨年の秋田旅行の時以来です。でも、ここって東京のすぐそばの埼玉県なんだけれどもなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Gyoda ©tsunoken

2018年9月15日 (土)

池袋、根津山

 いやあ、はっはっはっはぁ。またまた「公園つながり」なんです。

 池袋駅を昨日とは逆に東口に出ると、駅前から護国寺方面へ伸びているのが池袋グリーン大通りっていう道。

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 何が「グリーン」なのかって言えば、何なんでしょうねぇ。よくわからないのですが、せめて「もしかして」って思わせるのが、南池袋公園なんですね。とりあえず「緑」はあるし。

 池袋東口を出て護国寺方面へ向かうと最初にある大きな交差点が東口五差路。それをそのまま少しだけ進むと、次の信号を右折するとあるのが南池袋公園。

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 で、この南池袋公園の場所が「根津山」という山の一部だったらしいのだ。

 山のてっぺんは、現在の豊島岡女子学園があるあたりだったらしいんだけれども、まあ、その敷地に入って写真撮影はできないので、とりあえず南池袋公園でお茶を濁しておきましょう。

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「根津山」とは何か?

『明治末頃、中西の森一帯を実業家で有名な根津嘉一郎(東武鉄道、富国徴兵保険会社経営)が買収してついた呼び名。森の中には小さな丘があり、北側には水窪川が東へと流れていた。昭和12(1937)年9月[池袋-護国寺]間の新設道路開通で森は分断。二年後には市電が開通した。森の南は道を隔てて本立寺の墓地に面していた。現在“根津山の小さな丘”があった辺りには豊島岡女子学園がある。』(「コミュニケーション・サポート」Webサイトより)

「中西の森」とは、現在の東池袋一帯の地域の呼び名であり、水窪川はその東池袋から大塚方面へ流れていた川であり、現在は暗渠になっている。

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 江戸時代には旗本三千石中西公の拝領地であったために「中西の森」と呼ばれ、明治時代に東武鉄道の始祖、明治の財閥の一人、根津嘉一郎が土地を買収すると「根津山」と呼ばれるようになった。そんな名前の土地だったところも、市電が走る大通りとなって「山」もなくなってしまっている。

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 せめてものその「名残り」というのが南池袋公園の緑なんだろうけれども、つい最近、新しい名物ができたのでご紹介。

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 南池袋公園の西にお寺がいくつかあるんだけれども、その中の一つ、マンションのようなお寺「仙行寺」の一階になる「池袋大仏」なのであります。

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 檜製の立派な大仏様は今年の夏に出来たばっかり。お隣には仙行寺が経営するシアターグリーンという劇場があるので、場所はすぐにわかります。

 えっ? あっ? だから「グリーン大通り」なのか? ……、てなわけはないよな。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Higashi Ikebukuro ©tsunoken

2018年9月14日 (金)

池袋ウェストゲートパーク

 日比谷公園からの公園つながりではありません。が、池袋ウエストゲートパークっていうのは石田衣良氏の小説シリーズタイトルなんだけれども、当然それは池袋西口公園のことなんですね。『東京の池袋西口公園近くの果物屋の息子・真島 誠(マコト)は、“池袋のトラブルシューター”とも呼ばれ、依頼されて難事件を次々と解決し、住民の幸福と池袋の秩序を維持を目指す。 舞台となるのは主に池袋で、登場人物は主役脇役を問わず、多くがいわゆる「負け組」や「サイレント・マイノリティ」に分類されるような、周縁的な存在である。』(Wikipediaより)というお話。

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「池袋西口公園」というのは公園というよりは広場と呼んだほうがいいような場所で、公園を形作る「緑」は公園の一部分に植えられている木だけで、芝生とか花壇などの「緑」はないのだ。

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 実はこの地、元々は東京府豊島師範学校があったところで、明治42年に開校。明治44年には附属小学校が開校し、その後、昭和18年に東京第二師範学校と改称、しかし、昭和20年に空襲により全焼し、昭和22年には本校が小金井に移転、昭和24年には東京学芸大学に発展し附属小学校は附属豊島小学校と改称し、昭和29年には豊島小学校も小金井に移転したのちは、池袋の闇市の中心部となって、大きなマーケットを形成していた。

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 新宿や渋谷などと並び称される大きな闇市だったんだが、豊島区や地元商工関係者は、豊島師範学校跡地周辺の開発整備とイメージ一新を企図。その計画の一環として、1985年、附近にホテルメトロポリタンが完成した。1990年には東京芸術劇場もオープン。これに合わせて公園は、劇場の前庭公園として再整備された。2002年9月には、音楽の演奏会などで利用可能な野外ステージも併設され、現在のような池袋西口公園となった。

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 私自身は闇市時代の池袋というのは知らないが、闇市が廃止されて後もこの場所は曰く言い難い雰囲気で、剣呑な街ではあった。

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 西口のバス停ができて、ホテルメトロポリタンや東京芸術劇場が出来て周辺の雰囲気は一変し、その後は、そんな戦後の闇市からの雰囲気を残す町は、池袋においては北口辺りの一角を残すだけになった。

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 その池袋北口も今やチャイニーズタウンになってしまい、往時の面影を残すようなものは見当たらなくなってしまっている。

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 まあ、ある人たちにとっては住みにくい場所になったのだろうし、また、別の人たちには住みやすい場所になったわけで、どちらがいいのかと言えば、多くの人たちが住みやすい場所が増えたほうがいいのだろうから、自ずと結論は見えているだろう。

 街に残る「妖しい場所」っていうのも、魅力のひとつではあるんですけれどもね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WUDE HELIAR 12mm f5.6 @Ikebukuro ©tsunoken

2018年9月13日 (木)

Central Park? Jardin du Luxembourg? いえいえ、日比谷公園です

 んなこと言わなくても、この写真がセントラルパークやリュクサンブール公園はなくて、日比谷公園だってことはすぐにわかりますね。

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 一昨日のブログで『本当のスナップていうのは、アンリ=カルチエ・ブレッソンがやっていたような、「パリに住んで、パリの写真を撮り続ける」っていう、それこそ「スナップ写真の王道」なんでありますね。』なあんてことを書いてしまったものだから、それじゃあってことで我が東京の中心にある日比谷公園までスナップ写真を撮りに出かけたわけです。

 家から地下鉄で15分くらい。

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 まあ、いつもの日比谷公園なんだけれども、前日までと比べて多少は気温も低くて過ごしやすいのが救いか。関係ないけど、モノクロで撮影していてもそれほど違和感のない写真になっている。

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 しかし、セントラルパーク341ha、リュクサンブール公園23haに比べて日比谷公園16haっていかにも狭い公園なんだなあ。皇居全体を含んでも130ha位だもんなあ。Luxsembourgなんて「Jardan=庭園」ですよ。「Parc=公園」じゃないもんね。

 まあ、私がアンリ=カルチエ・ブレッソンになれないのは、その写真の才能じゃなくて、生まれ育った町の背景だってことにしておこう。やっぱりパリと東京じゃ違うんですね。

 公園の大きさに責任を転嫁します。何しろParisにはBois de Boulogneなんて85haの公園なんかもあるんだからね。

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 まあ、皇居全体を国民に開放してくれれば、セントラルパークに匹敵する公園にもなるんだろうけれども、共和制にでもなるか、あるいは天皇家が京都に移転でもしていただかないと、無理でしょうね。

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 しかし、どこか気分を変えて日比谷公園に来てみれば、それなりに気分も変わるわけで、なんかいつもと違う雰囲気でもってモノを見ることが出来る。

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 まさしく、「アンリ=カルチエ・ブレッソン効果」ですね。いつもの町に、いつもの雰囲気で出かかて行ってスナップ写真を撮るんです。

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 まあ、その結果撮れた写真がヘボ写真だということは認めています。

 これはどうしようもないのかなあ?

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Hibiya Park ©tsunoken

2018年9月12日 (水)

横浜そぞろ歩き

 最近は横浜に行ってもあまり横浜駅や桜木町などでは下車しない。

 昨日も横浜の一つ手前、東神奈川で京浜東北線を降りると、一度は山側に出て、途中でJRのガードをくぐって国道15号線方面へ出る。滝の川というそこまでは暗渠になっていた川があって、その脇を歩く格好になる。

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 そこは横浜市神奈川区神奈川本町というところ。つまり、昔はこの辺りが神奈川宿の中心地。つまり今の横浜駅よりは東神奈川の方が昔の横浜の中心地だったのである。

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 そんなことを思って歩いていると国道15号線脇の道にある「神奈川町本陣跡と青木町本陣跡」という碑に出くわす。

 滝の川にかかる滝の橋という橋の両側に神奈川町本陣と青木町本陣というのがあったそうだ。

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 そういえば、その滝の川をほんの少し遡るとこんな松並木があって、そこが昔の東海道だったことがわかる。

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 つまり神奈川町本陣あたりから山のほうへ登って行ったところが昔の東海道であり、坂を上って行ったところが神奈川台町。歌川広重の浮世絵で有名な割烹「田中屋」が描かれている景勝地だったことがわかる。

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 今回はそちらの方には行かず、そこからもう少し国道15号線を行くと高島町の辺りに出て、そこが日産本社や横浜そごうがあって、横浜駅がすぐそばである。

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 そのまま高島町に至ると、そこは横浜市西区みなとみらい地区である。

「今の横浜」

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Yokohama ©tsunoken

2018年9月 6日 (木)

東京点描

「台風一過」であります。

 東京は「暑い」「風が強い」一日ではありました。まさしく「台風一過」のお天気なんですね。当然、一昨日は嵐で動けなかった分、昨日は一昨日に出来なかった用事のために出かけなければらなかったんですね。

 まあ、それが嵐の次の日の日常。

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 幸い、東京はそれほどの被害もなく、さすがに徳川家康が幕府を置いた場所だ、なんてことも思ったんだけれども、別に家康は江戸に来たくて来たわけじゃなくて、豊臣秀吉から追われるように江戸に来たんですよね。ってことは、秀吉は400年後の時代までを見通してはいなかったんだろうな、一昨日の大阪の惨状を見るとね、なんてことをも、別に言いたいわけじゃない。

 まあ、徳川家康「結果オーライ」ってことなんだろう。

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 しかしまあ、暑いです。特に昨日、一昨日、涼しかった分、とにかく暑い!

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 暑いけど、東京の人たちは普通に活動しています。「まあ、暑いのは嫌だけど、豪雨で動けないよりいいよね」ってところなんでしょうか。

 まあ、普通に活動しています。

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 いまだに台風の影響で原状復帰していない大阪や関西方面とは大違いの東京なんだけれども……

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 まあ、普通に活動できるってことだけでも、東京に住んでいる人はラッキーってところだろう。

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 生涯の仕事が終わって、故郷に帰っちゃった人たちは大丈夫なのかしらん。

 まあ、私は(ウチのカミさんも含めて)東京以外に帰る場所がない人間なんで、まあ、そんな感じで台風が襲う地方都市の姿を見ながら、いろいろ大丈夫かなあ、なんて他人事みたいに考えているだけですけれどもね。

 ホント、他人事だもんなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Ginza, Ikebukuro & Gokokuji ©tsunoken

2018年9月 5日 (水)

「横須賀の昨今」を12mm超広角レンズ・フルサイズで撮る

 横須賀ドブ板通りが昔みたいに米兵向けのバーばかりでなくなっているのは既にご存知の通り。

 今は、なんとなくアメリカっぽい雰囲気の店がある町ということで、日本人の観光客がたくさん来る町になっている。

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 スカジャン(横須賀ジャンパー)を売る店も少なくなってしまって、普通の服を売る店も多くなっているんだが、でも、横須賀ドブ板通りにそんな店があると、何となく他の町にある洋服屋さんとは違うものが置いてあるような気分がして、何故かそこで買ってしまうようだ。

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 あとはいかにも「アメリカン」なハンバーガー屋さんが多い。普通のハンバーガーショップにあるようなハンバーグじゃなくて、超特大っていうか、どうやったって食べられないような、何枚もハンバーグとバンズを重ねた、無茶なハンバーガーなんかを、ボブ・サップやドナルド・トランプを入れ込んだポスターでもって売っている。

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 面白いなあ、ボブ・サップと大統領が同じ扱いでハンバーガーショップの宣伝に使われているんだ。その辺は、まだまだアメリカの民主主義は大丈夫っていう感じはしないではない。変な「忖度」はしないんですね。日本で安倍首相と出川哲朗を同列に扱うような店舗宣伝を展開しちゃったら、途端にネトウヨさんあたりから炎上されてしまう日本の民主主義の状況をみていると、なんだかんだ言っても、まだまだアメリカの民主主義の方が正常に見えてしまう日本人の私っていうのは、変なのかなあ、じゃないですよね。

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 そしてヨコスカと言えばジャズってわけで、京浜急行の横須賀中央駅からドブ板通りまでの道筋にはこんな感じのジャズメンらしき人たちの銅像が道端のベンチに置かれています。二人座れるはずのベンチの片っ方を銅像のジャズミュージシャンが占めちゃっているんで、本当なら迷惑なはずなんだけれども、それに文句を言わないのが横須賀市民ってもんです。

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 このおじさんもベンチに物を置いていろいろと苦労して荷物を作り直しているんだけれども、別に隣の銅像さんには、まあ邪魔だけれどもしょうがないなあってな感じです。

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 ということで、さすがに斜めの構造を入れて撮影すると、さすがに12mmっていう超広角効果は出るんだけれども、真正面から撮るとあまり特別な効果は出てこない、っていうのが同じくらいの焦点距離でも魚眼レンズと広角レンズの違いなんですね。

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 35mmフルサイズで12mmを使っても、アングルの使い方次第では、普通の広角レンズの「広い奴」位の感覚で使えるっていうのが分かった。

 これは結構使えるレンズだなあ。

LEICA M6 VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Yokosuka ©tsunoken

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