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旅行・地域

2018年7月17日 (火)

オールドレンズで呑川逍遥

 呑川については7月4日のブログ『世田谷奥沢の馬頭観音と新奥沢駅跡』で、大岡山の東京工業大学の前で暗渠から地上に出て、川となって東京湾に注いでいることを若干書いたんだが、まあ、その下流の地点がここJR蒲田駅から京浜急行蒲田駅までを流れているので、そこをブラブラした。

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 何ヵ所かにこうした「呑川緑道」なんて説明板はあるのだが、どうみてもどドブ川でしかない呑川の川岸のどこに緑道なんてものがあるのかが良く分からない。

 川岸に桜の木か何かを植えているので、それで緑道って言っているのかもしれないが、我々がイメージする「緑道」つまり「緑の並木道」っていうイメージからはちょっとかけ離れた普通のコンクリートの道が続くだけなんである。護岸もすべてコンクリート造りだし、その辺はいかにも大田区の川なんだけれども、まあ、あまり「緑道」っていうイメージからは遠いなあ。

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 地元には「呑川の会」なんていうのがあって、呑川をもっときれいな川にしようとか、いろいろ提案・実施をしているらしいんだが、う~ん、道まだ遠しってところでしょうか。

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 今ではドブ川みたいな呑川も昔は清流だったんだろう。現在蒲田小学校がある場所には菖蒲園があったらしくて、小学校の校庭に端っこにこんな菖蒲田がある。実は現在のJR蒲田駅はこの菖蒲園にくるお客さんたちのために作った駅らしいのだ。

 梅屋敷とか菖蒲園とか、結構、風流な場所だったんですね、昔の蒲田って。

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 で、京浜急行の高架線の下まで来るとあとの呑川は国道15号線、産業道路と交差して、環状八号線と並行しながら走って羽田空港のそばで東京湾に注いでいるわけです。

 勿論、ここまできちゃうと「緑道」なんてものはなくなってしまうんですがね。もう、沿線住民も居直っちゃってるのかな?

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 って、ここでUターンしてJR蒲田駅へ。

 呑川を清流に戻したいという沿線住民たちの気持ちはよくわかるんだが、実際にはまだまだ時間がかかりそうな雰囲気ですね。

 蒲田駅そばのウエダカメラにはまだ「Lord \6,800」が飾ってあります。う~ん、前から気になっていたカメラなんだよなあ。どうしよう……って、全然「逍遥」じゃないじゃんかよ。何のために蒲田まで行ったんだ?

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 昨日に引き続きマニュアルフォーカスの今日は24mmで撮影。昨日の50mmよりもっと短いレンズなので、ほとんどオートフォーカスみたいな感覚で撮影できる。ということは、広角系のオートフォーカスレンズって、あまり意味はないってこと?

NIKON Df Ai NIKKOR 24mm f1:2.8 @Kamata ©tsunoken

2018年7月14日 (土)

東大峠 ©tsunoken

「東大峠」って言ったって、別にそんな名前の峠があるわけではないし、私が勝手につけただけの名前だ。

 場所は本郷通りと言問通りが交差する本郷弥生の交差点の東大がある方とは反対側の交差点の南と北の両方にある。つまり言問通りを挟んだ形になっていて、まるで一対の飾り物みたいな感じだ。

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 以前は木を植えてあったような気もしないではないのだが、それを抜いた後に再び木を植えずに、緑地帯の真ん中に石段が置かれていて、その高さが20センチ位の高さがあるんだけれども、言問通りの両側に同じような感じで置かれていて、何かのモニュメントなんかとも思ったのだが、別に説明板なんかはないし、「何のための石段なんだろう」というわけなので、勝手に私はこれは「峠道」に違いないと決めつけて、場所が場所なので「東大峠」と命名したわけだ。

 多分、世界で一番高低差の少ない峠道だろう。

 ここを通るときは、よく「峠越え(笑)」をして越えていくのである。

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 っていうだけで、別に他にネタはないし、いろいろネット上を調べてみたんだけれども、この本郷弥生の交差点に触れた記事はあるんだけれども、この一対の石畳の坂道(!)に触れた文章にはついには出会わなかった。

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 つまり、この「東大峠」というのは、私だけの命名であり、他の誰もいないので、以後皆さんこの峠について話を触れる場合には「©tsunoken」をつけてください。な~あんてね。別に著作権を主張するような写真じゃないしね。

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 う~む、ブログネタも夏枯れ気味だなあ。

 私の脳ミソも沸騰気味なんだろうか?

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f:1:4 @Hongo ©tsunoken

2018年7月12日 (木)

暑い日は武蔵野日陰散歩

 災害に見舞われた中国地方の方々には申し訳ないが、暑い日々が続いている東京である。あまりの暑さに出かけるのも億劫になりがちだが、こうした暑い日は逆に外に積極的に出かけて汗を精一杯かいちゃったほうが気持ちがいい。

 とはいうものの、やはり日向は避けたいということもあるので、今日は玉川上水沿線の日蔭道を歩いて武蔵野散歩と洒落てみようじゃないか、ってなところです。

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 玉川上水は羽村市に取水口を設けて、新宿御苑脇の四谷大木戸まで、全長43kmの開渠水路のこと。江戸市中に入った上水は地中を木樋などの管でつなげてところどころに井戸でもって地上に上げることによって水道の役目を果たしていた。玉川上水は西東京市と武蔵野市の境目辺りで千川上水を分流し、千川上水は六義園や小石川後楽園などへも流れていた、まあ、江戸の一大水道事業だったわけですね。

 なので、本来であれば武蔵関で青梅街道から分かれる五日市街道に沿って流れる玉川上水なので、その辺から歩いてもいいのだが、それでは長すぎるし、おまけに五日市街道沿いの交通量の多い道を歩くことになるので、今回は西武多摩湖線の一橋学園駅で降りて、西武国分寺線の鷹の台までの玉川上水左岸を歩く。

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 一橋学園駅は旧高等商業学校の予科があった場所で、昔は小平学園駅と一橋大学駅があった。結局、それぞれの駅が近すぎたために一橋学園という名前の駅になったんだが、つまりこれは「一橋大学のための駅」っていうことではなくて、「小平学園」と「一橋大学」が一緒になった駅なので、それを合わせた駅名ってことなのだ。

 この「小平学園」っていうのは、西武鉄道がこの地に学校を誘致して学園都市として開発しようとしたところからこの名前をつけたらしいんだが、結局、小平学園には学校は来ず、お隣の一橋大学駅の方に大学が来てしまったっていうことらしい。まあ、一橋大学が来たんだからいいか、ってところですね。

 地名にはいまだに「学園」っていう名前がついているのは、まあ、大泉学園と同じ。

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 この辺りの玉川上水の脇道は、川から見て右岸が途中まで五日市街道、左岸が遊歩道になっていて、さすがにウィークデイの五日市街道はトラックなどの往来も多く、歩くのは木陰になる左岸の方である。

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 実は右岸の五日市街道は、私が上石神井に住んでいた頃の自転車トレーニングコースで、上石神井から武蔵関の先で五日市街道に入り拝島まで行き、拝島から先はそのまま武蔵五日市まで行くか、北上して青梅方面へ行くかというコースを走っていた。

 まあ、武蔵五日市とか青梅の先は上り坂になるので、あまりその先へは行かず、その辺で一休みした後はスゴスゴ帰って来たわけです。

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 一橋学園から数キロ行けば津田塾大学があって小平中央公園に至ります。

 この小平中央公園って築山なんかがあって、「えっ? この築山ってもしかしたら本丸跡? もしかしたらここは昔の城?」という期待を抱かせるのだったが、残念ながら城跡ではなくて、まったく新しく作った公園らしい。

 う~ん、ちょっと残念!

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 で、この小平中央公園のすぐ脇が鷹の台の駅。

 1時間から1時間半くらいの行程なので、誰でも気楽に歩ける散歩コースです。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f1:4 @Kodaira ©tsunoken

2018年7月11日 (水)

JPXよりは兜神社だし、小網神社の銭洗いだよなあ

 一昨日はK談社のOB会である社友会の「名所散策と飲酒座談会」があって、その『東京証券取引所見学&兜町界隈街歩き』っていう催しがあってそれに参加したんだが……。

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 主催者の方には申し訳ないけれども、正直言ってこの企画自体には興味が全くわかなかったんですね。何故か? って、この辺はしょっちゅう歩いて回っている場所なんですよね。

 まあ、いろいろあって、そんなもんで、今回も参加したんだけれども、でもねえ、兜町でしょ。

 JPXの中には入れたっててのはいいんだけれどもねえ。実はそのことで何かがわかることっていったら何もないんですね。

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 まあ、以前はこうした「(昔の)場立ち」があって、じゃあ、場立ちを見ていれば株の動きがわかるのかっていうと、……本当は全然そうじゃなくて、結局は相場の動きがわかるのは証券会社の表示なんですね。そう、場立ちを見ても雰囲気だけで別に意味はない、ってことなんですね。

 なので、今こそまさに、JPXで、つまりは「現在は単なるコンピュータの掲示画面」を見るだけなんだけれども、何がこれが面白いの? ってなもんですね。家のコンピュータでも同じ情報を得ることが普通に出来ちゃう時代に、まあ、対メディア向けの画面造りのためのことをやって意味があるのかな、ってな問題もあるんだろうけれども、まあ、その位の意味しかないんだろうな、こんなディスプレイは。

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 ってなもんで、面白いのは「疑似証券取引ゲーム」ができるブースがあるんですね。

 でもねえ、「ゲーム」は「ゲーム」なんですよね。自分のお金を使っているわけではない。

 株取引は実際に自分でお金を賭けてやんないと意味はないわけだと私は思う。先に「賭けて」という言葉を使った通り、まあ株取引は「ギャンブル」なんですね。えー、JPXは「株は賭けじゃない」って言っていますけれども、私ははっきり言います。

「株は賭け(ギャンブル)です」

 でも、ギャンブルには絶対勝てる方式があるんですね。それはなにか……

「賭けるのは本命だけ」

 なんですよ。そう「一発逆転」なんてものを狙っちゃいけないってのがギャンブルの基本。

「あんまり儲からないんじゃないかよ」

 ってご意見もあるでしょうが、でも1万円だけを賭けて、1円儲けたあなたと1000万円をかけたAさんとでは、当たった場合の実入りでいれば、1000倍の違いがあるってことですよね。

 まあ、単なるそういうことだけ。

 なので、私としてはそういうほうじゃなくて、小網神社で銭洗いをしたり……

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 JPXの受付で(なんと本来売っているのは自動販売機)もって「兜神社」のお守りを買ったんだけれども、どうなんだろうか。

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 まあ、儲けるのも、損をするのも、本人の器量だといってしまえばその通り。

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 所詮、「結果」なんですよね「結果」

 バカみたい。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f1:5.6 @Chuo ©tsunoken

2018年7月 9日 (月)

休日の兜町から築地へ

 平日はビジネスマンでごった返しているであろう街を休日の閑散とした雰囲気を味わいながら歩くのは悪くはない。

 とは言うものの、丸の内辺りはショッピング街にもなってしまっていて、休日は休日としての街歩きをしている人が多くて、「休日の閑散とした雰囲気」を味わうというわけにはいかない。で、昨日は茅場町から兜町、築地周辺を歩いてみた。

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 兜町周辺は本当に閑散としていて、ウィークデイの人出の限りなんかは想像できないほどだ。山王日枝神社なんかもあるんだが、まったく人影は見えなくて、ただただ宮司さんなんかが暇を持て余している。

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 実はこの東京証券取引所の前から築地方面へ行く道は「平成通り」っていうんだが、当然この道は平成以前からあったわけで、何故、道の名前だけが平成なのかが良く分からない。

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 途中、八丁堀辺りにはnichido contemporary artというのがあって、日動画廊の現代美術専門の画廊らしい。「ほ~、こんなものが……」っていうのは、なかなか普段は気が付かないもので、さすがに休日の閑散として街歩きならではある。

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 街歩きの終り頃になると築地に出るんだが、そこにはご存知電通ビルがある。が、すでに電通本社は汐留に移ってしまっており、この電通ビルには電通テックなどの電通の子会社が入っていたようだが、それらも既に退去してしまい、もうすぐ解体して新しいビルに衣替えするらしい。

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 私が現役サラリーマン時代は「築地に行く」と言えば、それは「電通に行く」ってなもんで、メディアで仕事をしている立場としては、それはそれは大きな存在だったんだ。

 電通がブラックだのなんだのって話があるんだけれども、別に昔から電通の人やマスコミの人間の働きかたが違っていたわけではない。ではなんで、昔は心を病む人とか、自殺しちゃう人なんかが出てなかったのか? まあ、これは想像するに、要は結構みんな「手を抜くべきところは手を抜いていた」んでしょうね。

 一見「モーレツ」なようでいるんだが、実はそうでもない。それが本当の電通マンの姿だったんだ。まあ、自殺しちゃった電通レディの人は、ものすごく真面目な人だったんでしょうね。「手の抜き方」を知らないっていうか、「手を抜くのが嫌い」だったのか、いずれにせよ「そんな姿を人に見せるわけにはいかない」って感じで頑張っちゃったんじゃないでしょうか。

 でも、私が知っている電通マンが普通の電通マンじゃなかったらごめんなさいなんだが、「なんでぇ、『電通鬼十則』ったって、こんなもん?」って感じで『電通裏十則』ってのがあったんですね。

『電通鬼十則
1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。』

『電通裏十則
1)仕事は自ら創るな。みんなでつぶされる。
2)仕事は先手先手と働きかけていくな。疲れるだけだ。
3)大きな仕事と取り組むな。大きな仕事は己に責任ばかりふりかかる。
4)難しい仕事を狙うな。これを成し遂げようとしても誰も助けてくれない。
5)取り組んだらすぐ放せ。馬鹿にされても放せ、火傷をする前に…。
6)周囲を引きずり回すな。引きずっている間に、いつの間にか皆の鼻つまみ者になる。
7)計画を持つな。長期の計画を持つと、怒りと苛立ちと、そして空しい失望と倦怠が生まれる。
8)自信を持つな。自信を持つから君の仕事は煙たがられ嫌がられ、そしてついには誰からも相手にされなくなる。
9)頭は常に全回転。八方に気を配って、一分の真実も語ってはならぬ。ゴマスリとはそのようなものだ。
10)摩擦を恐れよ。摩擦はトラブルの母、減点の肥料だ。でないと君は築地のドンキホーテになる。』

 ってね。まあ、この『裏十則』が電通マンの本当の姿なんですよ。少なくとも私の知っている限りは。じゃなきゃ、みんな擦り切れちゃうよ。

 その電通ビルももうなくなるのか。これは一つの感慨だな。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f1:5.6 @Kayabacho Shintomicho Hachobori & Tsukiji Chuo ©tsunoken

2018年7月 5日 (木)

『品川台場土取場跡』というのは、もうなくなっていた

 京浜急行の北品川駅の前にあるのが、芸能人を数多く輩出していることで有名な品川女学院。その品川女学院の脇の道を上がっていくとあるはずなんだけれどもなあ。

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 品川女学院の脇の道というのが、この「御殿山通り」という道。読んで字のごとし、品川女学院から御殿山方面へ上がっていく坂道があり、そのまま品川女学院の脇を通り過ぎると、東海道新幹線、横須賀線、東海道線、山手線、京浜東北線という東京の大動脈とでも言うべき路線の跨線橋があるのだけれども、実はそこまで行ってしまうと、行き過ぎ。

 で、そこから戻ってきて品川女学院の本校舎と裏手の校舎の間の道と御殿山通りとの交差点辺りにあるはずなんだけれどもなあ。「品川台場土取場跡」っていうのが、Google マップでは……。

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 下の写真の辺りがそこ。しかし、周辺を見回しても、碑だとか説明板だとかっていうものも何もない。う~ん、これじゃあGoogleマップが正しいのか間違っているのかが検証できないじゃないか。まあ、別に検証なんてしなくてもいいけど。

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 御殿山の説明板にはこうある。

『御殿山は、長禄年間に太田道灌の館があったと伝えられています。また、江戸初期に将軍の狩猟の休憩所や諸大名の参勤送迎のために御殿が建てられたところからこの名が付けられたと言われています。また、将軍家光・小堀遠州・沢庵和尚が茶の湯に興じた風雅の地でもあり、寛文前頃から吉野桜が植えられ、江戸百景の一つに数えられるほどの花見の名所となり、享保6年には狼藉を禁ずる制札が立てられるほど花見客でにぎわったそうですが、嘉永6年の品川砲台(台場)構築と明治期の東海道本線敷設により一部が掘削され昔の面影は失われました。江戸末期には英国公使館が建てられ、文久2年、高杉晋作らの長州藩士攘夷派による焼討ち事件の舞台ともなりました。明治期には西郷従道、その後戦前までは益田孝らの政財界人の邸宅もありました。』

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 確かに、この大きさの山ならば東京湾のお台場を作るくらいはできそうだが、結局、当初第八台場まで築造する予定だったんだが、結局、御殿山のふもとに第四の台場を作って全部で七つ、海の上には六つ作っておしまいになってしまった。

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 まあ、結局は品川女学院の脇だけじゃなくて、御殿山全体がお台場のために土砂を採取したのであって、海に近い、品川女学院あたりで船に積み込んで東京湾に運び出したってことなんだろうなあ。

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 で、実はここ数日はニコンDfに28mmや35mmのレンズで撮影をしている。これまで通常は20mmがデフォルトだったんだが、やはり一眼レフだったらきっちりとしたフレーミングもできるし、本来的にはあまり「超広角レンズ」向きではないのかな。

 ということなので、21mmより短い超広角レンズはレンジファインダーカメラて適当なフレーミングで撮影して、28mm以上の「普通のレンズ」は一眼レフっていう使い分けをしたほうがよさそうだ。

NIKON Df AF NIKKOR 35mm f2 D @Goten-yama Shinagawa ©tsunoken

2018年7月 4日 (水)

世田谷奥沢の馬頭観音と新奥沢駅跡

 暑い日は外を出歩きもっと暑くなっちゃおう、ってなもんで午前中に千駄木で用をすましたのちは、そのまま東京メトロ南北線に乗って大岡山まで。

 大岡山と言えば当然東京工業大学の話をしなければならないわけだが、残念ながら今のところその持ち合わせがないので、東工大はスルーして、中原街道まで出てきたわけです。

 大岡山駅前には東工大と逆の方向に、如何にも地域にそぐわない感じの下町風の商店街があって、それはそれで面白そうなのだが、それは別の機会に譲って、今日は東工大の前を進んで中原街道へでて、洗足池方面とは逆に川崎方面へ進むと、自由通りの最後に出るので、そこを北進して奥沢駅方面へ向かいます。

 自由通りと中原街道の交差点付近には、それまで暗渠の下を走ってきた呑川が、東工大を過ぎたあたりで再び地上に出て、そのまま蒲田方面へ進むわけです。昔はここまででも結構広い川だったらしい呑川なんだけれども、現在はそれほど広い川ではなくて、蒲田駅あたりからかなり広い川になる。

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 で、自由通りを深沢駅方面へ「登る」。まあ、この辺は多摩丘陵の一番外れの部分で、様々な崖線があって、要はそこを上ったり下りたりする道がとても多い。

 で、その上り下りの多い地形から、この地域が古くから住宅地として発展してきた、という背景もあるのだ。つまり、土地の低い場所は池や公園にして、住まいは高台の上に置くという考え方ですね。このあたり「高台と低地の境目」を走っている、東急の目黒線や池上線周辺などの沿線を歩いてみると、その「境い目」ってのがなんとなく見えてくるってのも面白い。

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 で、自由通りを奥沢方面へ進んでいくと最初に出くわすのが、東玉川にある馬頭観音なのである。

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 馬頭観音自体は別に「馬」とは関係ない観音様のひとつなんだけれども、まあ、なまじ「馬頭」なんて名前がついちゃったんで、結局「馬の神様」みたいになってしまったんですね。

『「馬頭」という名称から、民間信仰では馬の守護仏としても祀られる。
 近世以降は国内の流通が活発化し、馬が移動や荷運びの手段として使われることが多くなった。これに伴い馬が急死した路傍や芝先(馬捨場)などに馬頭観音が多く祀られ、動物への供養塔としての意味合いが強くなっていった。特に、このような例は中馬街道などで見られる。』(Wikipedia)

 ほら、こんなところで「中原街道」が。現在はお屋敷町のひとつに数えられている奥沢だけれども、まあ、昔は結構「田舎」だったんですね。

 で、田舎と言えば、それとは関係なく、下の写真ってなんだかわかりますか? 4台駐車しているクルマの右側にある碑なんですけれどもね。まあ、分かんないか。

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 実は「新奥沢駅跡」っていう碑なんですよ。

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 東急目黒線の前身の東急目蒲線の前身の目黒蒲田電鉄っていう会社があって、そこが新深沢線という路線を作って、「雪が谷(現在の雪が谷大塚)-諏訪分-新奥沢」っていう超ローカルな電車を走らせたらしい。

 結局、諏訪分駅を利用する田園調布学園の生徒ぐらいしか利用者がいない電車で、じきに東京急行に吸収されてしまい、新深沢線は廃止、目黒蒲田電鉄は多摩川園(現・多摩川)駅経由の東急目蒲線になったっていうわけ。まあ、実はそんな単純に「新深沢線」が「目蒲線」になってていうわけじゃない、経緯があるんだけれども、それはまたいずれ。

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「山の手」と思っていた世田谷区深沢近辺なんだけれども、いやいや、さすがに「町に歴史あり」なんですね。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f2.8 D @Higashi Tamagawa & Okusawa ©tsunoken

2018年7月 3日 (火)

「松原団地」がいつの間にか「獨協大学前」に

 東武伊勢崎線の松原団地駅は1962年に開業した、東武伊勢崎線としては一番新しい駅ではないだろうか。その松原団地駅が昨年名称変更をして「獨協大学前(草加松原)」となった。

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 松原というのは国指定の名勝地『おくのほそ道の風景に旧日光街道の松並木「草加松原」』の松原ということで有名なんだが、だからといって松原団地駅が名称変更になったという話は聞いたことがなかった。

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 草加市に「松原団地」ができたのは1962年のことで、獨協大学がこの地に開学したのが1964年だから、団地の建設よりは遅い。ということで一足早く団地名が駅名になってしまったっていうわけ。

 それが老朽化のために建て替えの話が出たのが2003年のこと。2005年から再開発に着手し、その後、分譲したりデベロッパーに販売した場所を除き、大半はコンフォール松原というUR賃貸住宅となったのである。

 で、もはや「団地の町」ではないし、草加市や東武鉄道としても「団地の町」よりは「学園都市」として街を売り込んだほうがよかろうということで、獨協大学駅に名称変更、更に国指定の名勝地である松並木も入れちまえってことで、括弧つきで「草加松原」を入れたのであります。ま、ちょっと欲張り?

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 駅のそばのマンション群の一角には「草加松原団地三町稲荷神社」というのがひっそりと建っている。特に神社の由来書などはないのだが、神社わきの石碑に「土地寄贈」として「日本住宅公団」「飛島土木」の名前が記されている。そうか日本住宅公団が企画して飛島建設(「飛島土木」というは飛島建設の旧称)が造った団地なんだな、というのがわかる。

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 この小さな神社も、多分、以前は田んぼの真ん中にある小さな祠だったんだろう。それを残しておくのが如何にも日本ですね。

 マンション群の外れには「松原団地記念公園」というのもある。

『この公園名の由来となった「松原団地」は、1961(昭和36)年12月から1964年(昭和39)年にかけて、当時の日本住宅公団が建設した団地で、かつての広大な水田地帯に、敷地面積54ヘクタール、324棟5926戸が建設されました。1962(昭和37)年12月から入居が開始され、建設当時は「東洋一のマンモス団地」と呼ばれ、正式名称は、草加松原にちなみ「草加松原団地」とされました。
 入居開始から40余年がたち、建物の老朽化や住宅需要の多様化に対応して居住水準の向上を図るため、独立行政法人都市再生機構と市が協力し、安全・快適な住宅市街地整備を進める中で、同機構では、2005(平成17)年5月から建替事業に着手しました。団地名についても、「草加松原団地」から「コンフォール松原」に変わりました。
 市では、この建替に合わせてこの公園を整備し、かつての松原団地を記念して公園名を「松原団地記念公園」と命名しました。』

 というのが、この公園の説明書き。

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 で、松原団地(じゃなくて「コンフォール松原」か)の向かいにある川(名前は分からない。東京と埼玉の間を流れる毛長川や綾瀬川の支流)の向こうが獨協大学です。ちゃんとあります。

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 確かに、駅から降りてくる人を見ていると、若い人の大半は獨協大学の学生のようだし、まあ、「獨協大学前」の方が今ではしっくりくるかなあ。

 昔、東武線沿線に住んでいた身としては、やっぱり「松原団地」の方が通じやすいんですけれどもね。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Soka ©tsunoken

2018年7月 1日 (日)

東京周縁部を往く・狛江市野川緑地公園

 狛江市については2015年10月25日に「狛江古墳群を往く、はずだったんだけれどもなあ」で一度書いたことがある。基本的には国分寺崖線に沿って流れていた野川が多摩川へ注ぐのが世田谷辺りで調布市、狛江市というのがその沿線のはずだったんだけれども、今は野川は狛江市を流れてはいない。それは何故か? というのが本日のテーマ。

 別に、狛江市だけがなんで都下なのに電話局番(03)なんだ、っていう話ではありません。たまたま、世田谷の電話局(当時はNTTじゃなくて「電電公社」の時代ですからね)の管轄の問題だけで、たまたま狛江市が「世田谷のついでに(03)になっちゃった、っていうだけなんですね。

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 それはいいとして……

 小田急線狛江駅を降りて市役所方面へ進むと道のわきにあるのが「駄倉橋跡」という碑と狛江市の説明板。つまり、この辺りには六郷用水というのが流れていて、そこにかかっていた橋が駄倉橋というわけ。うん、やっぱりこの辺を川が流れていたんだな。

 駄倉橋跡のすぐそばのマンションの一角に「駄倉塚古墳」というのがあるんだが、今回は古墳巡りではないので、とりあえずオミット。というか入れないので、無視。

 で、狛江市役所まで行って、その脇を通っていくと、その先から始まっているのが「野川緑道公園」なんですね。、

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 ほら、あったでしょう。野川の痕跡が。

 実は、野川というのは昔は調布市から狛江市を通って世田谷の方へ流れていて、その後、多摩川に注いでいたのである。六郷用水というのは、この野川から分かれた川で、この一帯、野川以外にも野川の支流のような感じで多くの川が流れていたらしい。

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 野川は昔は「大川」と呼ばれていて、夏などは子供たちの水遊び場になっていたらしい。ただし、その後の治水問題や川の汚染問題などで川が整理されることになってしまい、旧野川は廃止され、現在も流れている野川を新たに掘削して、そちらに川を流すようにしたのだ

 で、その痕跡として狛江市に野川緑道公園を整備したのである。現在の野川も沿線に遊歩道などが整備されて、周辺の人々の散歩道として、あるいはサイクリングロードとして利用者が多いが、まあ、その原点というか何というか、ってな感じの道なんですね、野川緑道公園は。撮影したのはウィークデイのお昼ごろなのであまり人はあるいていないが、週末などになると、かなりの人が歩くんだろうな。

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 途中に100mごとに里程標(100mで里程標っていうのかどうかは分からないが)が置いてあったり、こんな昔の野川にかかっていた橋の名残なんかが残されていたりしている。

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 里程標もそろそろ2,000m位かなというところに小足立八幡神社というのがある。昔はこの辺りは小足立村と呼ばれていたそうで、その村社がこの八幡様だったそうだ。

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 で、小足立八幡神社からほどなく野川緑道公園は、対岸に神代団地を構える小金橋のたもとに出てくると、野川緑道公園は終了。つまり、ここから先は昔の野川と合流(?)するっていうことなのである。橋の手前の方が新たに掘削された現在の野川で、橋の向こう側が昔からの野川、っていうことなんだろうな。

 野川緑道公園の下を暗渠で旧野川が流れているのか、あるいは完全に埋め立ててしまったのかは分からなかったが、いずれにせよ、昔の川の痕跡だけは見つかったので、とりあえず取れ高OKかな。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Komae ©tsunoken

2018年6月28日 (木)

今日は上神明神社……だけじゃない

 もともと「神明神社」っていうのはひとつだったそうで、なぜそれが「上」と「下」に分かれたのかはよく分かってはいないらしい。

『創建に関しては明らかになっていないが、言い伝えによると鎌倉時代の文永八年(1271年)に北条重時の五男・時千代が、仏門に入り法圓上人となり、大森(現在の大田区)に厳正寺を開き、その家臣が蛇窪(現在の当地付近)に住み着いた。後の元亨2年(1333年)に厳正寺の僧侶が池の竜神へ雨乞いの祈願したところ、慈雨が降ってきたのでそれに感激した時千代の旧臣らが当地にも神社を勧進し祀ったというのが始まりであるという。
 その後、蛇窪村(江戸時代の当地の地名)が上蛇窪村と下蛇窪村に分かれた正保年間(1644年から1647年)に、天祖神社が上神明天祖神社と近隣の下神明天祖神社とに分かれたとされているのが有力な説であるが、その時期などに関しても確実な記録がない。』 (Wikipediaより)

 まあ、それぞれ「村社」を名乗っているのだから、村が分かれれば神社も分かれるっていうことなのかなあ、この辺は、神道には詳しくないので、私には分からない。

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 上の写真の提灯にも書かれている、そもそものこの地の名前「蛇窪」にもあるとおり、この神社は「白蛇神社」としても知られているんだが、その伝説はよくある通りの、村民をいじめていた白蛇が実は〇〇の生まれ変わりで……、って話で。

 で、ここの白蛇は見ると蛇というより竜のように見える。どこで「白竜」が「白蛇」になったんだろう。

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 で、三間通りを旗の台方面へ向かってさらに進み、国道一号線(第二京浜)を超えたところにあるのが、なんと「品川区立 源氏前小学校」なのであります。

 区立なのになんという典雅な名前? いやあ、源氏だから「典雅」というより「荒ぶる」でしょう、という声も聞こえそうだが、まあ、中世の話だ、大目に見ておきましょう。

 で、なんで「源氏前」なんだというと、昔、源頼義、義家父子がこの辺りに砦を作ったり、神社(天祖神社ではない)を作ったりしたという故事にちなんで、この地の人たちは、ここをそう呼んでいるらしい。多分、前九年の役で東北地方を舞台に戦いが起こった時のベースキャンプとしてこの地が選ばれたのだろう。多摩川の周辺にはそうした源氏の逸話が残っている場所が多い。

 まあ、中世は関東が蝦夷地への最前線だったんで、江戸や栃木などにはそうした地名がいくつも残っているんだな。

 正式な地名ではないものを学校の名前にしちゃうっていうのも、かなりな愛着があったんでしょうね「源氏前」って。ただし「源氏名」ではありません。

「源氏前」を、なんとなく「源氏名」と読み違えてしまった私が如何に「俗」だってことですね。う~ん、ちょっと恥ずかしいか。

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 近所には「源氏書房」なんていう古本屋さんや……

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 源氏前公園なんていう児童公園なんかもあります。

 まあ、この地域の人たちが如何に「源」という名に親しんでいたのかがよくわかります。ただし「平」に対する敵愾心はどうなのか……。どうなんだろうか? NHK大河ドラマ「平清盛」なんて、この地域の人たちは、多分見ないで無視していたんでしょうね。そうじゃなくっちゃあ……。そうじゃなくっちゃあ。

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 横須賀線が走る「上蛇窪架道橋」の名前の理由もわかりました。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Yotsuba Shinagawa ©tsunoken

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