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旅行・地域

2017年7月23日 (日)

プロぺ通り、ファルマン通り、飛行機新道って所沢はスゴい!

 所沢という街はあまり行ったことがなかった。

 埼玉県と言えば、中山道や奥羽街道(日光街道)がある県東部や川越あたりまでは、街道で宿場町はあるし、お城はあるしでよく行くのだが、所沢あたりはあまり歴史的な文物もないし、史跡もないというので、かなり無視していたんだけれども、行ってみて、改めてビックリした。

 何せ、所沢駅前から「プロぺ通り」でしょ。

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 で、ちょっと行くと「ファルマン通り」があって……

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「ビートルズも聴ける酒場 ひょっとこ」の前を曲がると「飛行機新道」だ。

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 あ、「ファルマン通り」というのは「1911年(明治44年)4月1日に日本初の航空機専用飛行場が埼玉県入間郡所沢町に完成、同月5日に徳川好敏大尉が操縦するフランス製複葉機アンリ・ファルマン機が高度10m、飛行距離800m、飛行滞空時間1分20秒の試験飛行を行なった」という故事にちなんだ名前。

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 で、その三つの道をたどっていくと所沢航空記念公園があって、公園内や博物館には昔からのいろいろな飛行機が展示されているという訳。つまり、所沢市っていうのは飛行機の町なんだなあ。立川だけじゃなかったんだ。

 えっ? そんなの知ってたって? そうか、私が無知だったんだってことですね。

 ちなみにアンリ・ファルマン機で飛んだ徳川好敏大尉というのは、清水徳川家第8代当主で、フランスのファルマン飛行機学校で飛行術を学び、最後は飛行機で陸軍中将になった人。結構、明治以降も徳川さんて、いろいろ活躍していたのね。

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 で、所沢駅と反対側にある所沢航空公園駅の前には、全日空のYS11が飾ってあります。神通川の河川敷にある富山空港から羽田まで、昔よく乗った飛行機であります。結構、冬は揺れるんだこれが。

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EPSON RD1s LEITZ Elmarit 28mm f2.8 @Tokorozawa ©tsunoken

2017年7月22日 (土)

大暑残照

「大暑」というのはちょうど今頃。立秋までの時期で、暑中見舞いを出すのはこのころなのだそうだ。

 まあ、暑中見舞いなんて出さなくなってしまった私たちには、あまり関係ない季節の呼び方なんだけれども、でも、「大暑」という通り、大した暑さであることだけは昔から変わりはない。

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 まあ、暑かろうが寒かろうが、天気さえよければ写真を撮りに外に出ていろいろなところを歩いているのだが、まさしく「犬も歩けば棒に当たる」といった具合に、いろいろなことに出くわしたりもする。

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 で、いろいろ歩き回ったんだけれども、何にも出くわさなかった記録が今日のブログである。

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 ただただ、歩き回っただけで、大汗をかきつつ、何にも出くわさなかったのは、実は幸いなのである。

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 上西小百合の事件も、稲田朋美の事件も、松居一代の事件も、毎日毎日テレビで報道しているけれども、正直、それらはどうだってよい事件に過ぎない。別に、それらの事件の存在を知らなくても、私たちの生活に困るわけでも何でもないのだ。そういえば昔、豊田真由子っていう変なおばさんがいたなあ、ってな具合であります。

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 つまり(何が「つまり」だ?)、東京をただただ歩き回って、ただただ何にも出くわさなかったという 、それが実は事件だったりするんである。

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 まあ、そんな日もあるさ。

NIKON Df AF Nikkor 28mm f2.8 & AF Nikkor 20mm f2 D @Several Place in Tokyo ©tsunoken

2017年7月18日 (火)

三軒茶屋ってどの三軒?

 国道246号線・玉川通り(大山街道)と世田谷通り(旧大山通り)の追分にあるのが三軒茶屋なわけだが、当然、現在もその三軒の茶屋が残っているはずもない……、って思ったら、実は一つだけ残っていたのである。

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 それが玉川通りと茶沢通りの交差点そばにある「田中屋陶苑」という陶器店。お茶屋さんではないが、茶器は売っている店である。

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 あと二軒の内の一軒は、このちょうど追分のところにあった信楽(石橋楼→茶寮イシバシと名を変えて営業)だったが昭和20年に閉店。

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 追分の裏側にできている「エコー仲見世」という商店街あたりに何かモニュメントでもないかと探したんだが、まったくなし。まあ、そんなもんでしょう。

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 もう一つ、玉川通り沿いにあった角屋は明治時代に閉店して、三軒茶屋の裏道になる商店街の入り口あたりがその場所だったらしいが、こちらも、何の痕跡もない。

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 まあ、街ってのはそうやって入れ替わってくるものだと言ってしまえばその通りなんだけれども、三軒茶屋でなくなっちゃった話をもう一つ。

 三軒茶屋の交差点そばに甲文堂っていう本屋さんがあった。東京都書店組合の重鎮でもあった世田谷の老舗書店だったんだが、自分の店のすぐそばに文教堂書店というチェーン店が出店してしまったために店舗経営をあきらめ、外商と学校関係だけの納入という具合に経営方針を変えてしまった。まあ、それでもやっていけるほどに、それまで手広く経営を行っていたということなんだけれども、当時は文教堂書店も日の出の勢いで、結構、周囲の昔からの書店との間で軋轢を伴いながらの出店攻勢ではあった。

 が、店舗経営をあきらめてしまった社長の息子の代になってやはり店舗経営をしたくなったのだろう、上の写真の商店街の中に新店舗を開いて経営を始めたんですね。で、最近行ってみたら、結局、そちらの店舗も閉店してしまい、玉川通りに面したビルの裏側で、以前と同じように甲文堂文具店として外商と学校関係の納入という商売に戻ったようだ。

 お店の栄枯盛衰って言っちゃえばその通りなんだけれども、まあ、そうやって「町の本屋さん」はなくなっていくわけですね。

 で、問題はそんなことやりながら出店した文教堂書店も退店しちゃったっていうこと。つまり、三軒茶屋には今や新刊書店がなくなってしまったってことなんだなあ。

 こりゃあ、ちょっとマズいか? ってKindleでばっかり本を読んでいる奴が言うことでもないか。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Sankenchaya Setagaya ©tsunoken

 

2017年7月17日 (月)

蛇崩・伊勢脇通り・中目黒

 東横線中目黒駅を降りて、駅前の巨大な中目黒ゲートタウンというビルの脇から伸びている目黒銀座は芝居を観に何回か来たことがある。

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 基本的にはちょっと古い感じの昔からの商店街っていう感じの商店街なんだけれども、たまに目新しい店があったり、ギャラリーがあったり、演劇の小劇場があったりして、結構。文化的要素の高い街としてなかなか好感度の持てる商店街である。

 その目黒銀座の正しい名前が「蛇崩・伊勢脇通り」という名前だとは、何度も通っていたくせに知らなかった。通りのちょっと奥にある天祖神社が伊勢神宮祭神、天照大神を祭っていることから、境内を俗に「お伊勢の森」といったところからきている。で、「お伊勢の森」の脇だから「伊勢脇通り」。でも、もう一つの「蛇崩」というちょっとおどろおどろしい名前の意味が分からない。

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 で、その目黒銀座も数百メートルほどで突き当りに出てしまい、右へ曲がると東横線のガードをくぐる。

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 で、くぐった先も「蛇崩・伊勢脇通り」という名前は続いている。途中、「蛇崩川支流緑道」なんてのがあったりして……、え?

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 道はついに「蛇崩下橋」なんて橋を渡るんだが、川は無くて暗渠になっている。

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 つまり「蛇崩川」という名前の川が昔あって、「大水で崖が崩れた際にそこから大蛇が出てきた」とか、「蛇崩川は、かつては谷も深く大変な暴れ川で、蛇行して流れる水の勢いで川の両岸が浸食され、土砂崩れが多く見られ、その凄まじい様相に『蛇崩』の文字を当てたのではないか」などなど、その「蛇崩」というおどろおどろしい名前の由来は諸説あるらしいのだが、要は品川用水の分流で目黒川に注いだのが蛇崩川という川の名前らしい。

 だとしたら、そんなにおどろおどろしい名前にしなくてもよかったのになあ。

 というところで、泉麻人氏の『東京いい道、しぶい道』の「Ⅲ 城南エリア 目黒銀座の奥の細道…蛇崩・伊勢脇通り」を征服。

『東京いい道、しぶい道』(泉麻人著/中公新書ラクレ/2017年4月10日刊)

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Kami MeguroMeguro ©tsunoken

2017年7月16日 (日)

「中原街道」って、本当は「街道」じゃないのにね

「中原街道」というのは「街道」という名前はついているのだが、別に徳川家康が作った日本橋を起点とする五街道とは何の関係もない。

 たしかに、「中原街道」という名前が付けられたのは徳川家康の時代なのだが、実はそれ以前からあった武蔵国と相模国を結ぶメインの通りだったというだけのことなんだ。東海道ができた当初は東海道の裏街道的な位置づけがされていたようだが、別に、それ以降は東海道の裏街道でもなく、まあ、武蔵国と相模国を結ぶもう一つのメインストリートというくくりの道だったようなのである。

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 現在の中原街道と旧中原街道の追分道が武蔵小杉の一番大きなパルム商店街の出口のところにある。左が旧中原街道、右が現在の中原街道、でそのまま中原街道を右折すると戸越銀座商店街になる。

 旧中原街道はここから1km足らずの長さしかないが、何となく昔の街並みのイメージが残されている道ではあります。

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 この追分道のそばにあるのが「平塚橋の碑」。玉川上水から引かれた品川用水というのがあって、品川宿の方まで流れていたようだ。現在は暗渠になっていて下水道などに使われているらしく、記念碑があるだけだ。

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 中原街道を少し下ると(えっえー、西に行くんだから上るのかなあ)旗の台の駅の方へ別れる追分がまた現れる。別に表示もなにもないのだが、ここも旧中原街道なんだろうか。

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 同じような追分道がやはり何ヵ所か中原街道にはあるんだが、それらが旧中原街道なのか、あるいはごく普通の分かれ道なのかはよくわからない。

 ただ、現代になって作られた分かれ道だったら、普通は十字路の交差点になっているはずなので、何らかの形で昔の追分道だったんだろうなあ。

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 ということで洗足池に出るのであります。

 昔の落語の小咄でこの「洗足池」と上野の「千束」と間違えて四苦八苦するタクシーの運転手っていうネタがあったのだが、誰の噺だったのかも覚えていない。私が小学生くらいの頃だったのでよく覚えていないのだが、考えてみればこの「洗足池」がある場所も現在は「大田区南千束・北千束」なので、どちらの「せんぞく」なのかを間違えるというのは、まあ、本物のタクシーの運転手さんだったら間違えないよね。

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NIKON Df AF Nikkor 35mm f2 D @Nakahara-kaido Ave. Shinhagawa Ota ©tsunoken

 

2017年7月14日 (金)

豊田真由子事務所は店じまい?

「この、ハゲーーー!」ですっかりお馴染みになった埼玉四区選出の豊田真由子衆議院議員なのでありますが、その後、病院に雲隠れしちゃって消息は明らかではない。

 で、新座市にあるとよた真由子事務所に行ってみたら、なんかビル工事をしているみたい。というか、どうも事務所を店じまいしようとしているのかなあ。

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 以前はこんな感じで自身のカラーである「ピンク」を基調にしたデザインの事務所だったんですがねえ。

Photo_3©Google

 事務所は東武東上線の志木駅南口を出て500mm位の至近距離にあり、周辺は昔農家だったらしき広い敷地の屋敷や、マンション、一戸建てなどの「住宅地+畑」という場所に建っている。

 まあ、埼玉四区っていう選挙区自体が朝霞市、志木市、和光市、新座市っていう、まさしく典型的な「埼玉都民」が住んでいる場所で、あんまり住民の「埼玉県民だという自己意識がいかにも低そう」な地域ではあります。

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 豊田さん自身も、「桜陰中高→東大法学部」ってところまではよかったんだけれども、その後が厚労省っていうちょっとマイナーな役所に入ってしまい、本来ならその上昇志向に従って財務省とか外務省なんかの花形役所に入りたかったのが、それが叶わず、代わりに代議士になったんだだろうなあという経歴を見ると、如何にも秘書を顎で使う上から目線の人だったんだろうなあ、という、その後の「この、ハゲーーー!」に至る道程がなんか理解できるわけなんですね。

 選挙区も本来なら東京都にしたかったのかもしれない。それがダ・埼玉県っていう「都落ち」感覚もあったのかもしれない。

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 志木駅っていうのは南口を出れば立教大学新座キャンパス(及び立教新座高校・中学)、北口を出れば慶応大学志木キャンパス(慶応志木高校)があり、ある意味では文教地区であるし、落ち着いた街ではある。バースデーカードの日にちを間違えたくらいのことで文句を言う選挙民もいないようなおとなしい街なのだが、まあ許せなかったんでしょうねえ「上から目線」の人にしてみれば。

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 しかし、それにしても都議選の応援演説で「防衛省・自衛隊、防衛相、自民党としてもお願いしたい」なんて問題発言をした責任もとろうとしない稲田朋美防衛相といい、病院に雲隠れしたままのこの豊田代議士といい、なんかナメられてるんじゃないの、東武東上線沿線選挙民って。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f2 D @Niiza ©tsunoken

2017年7月10日 (月)

品川インターシティでフリーマーケット

 品川駅港南口駅前にある品川インターシティは、基本的にはオフィスビルの集合体である。

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 でも、その地階から1階・2階はオフィスで働く人たちのためのコンビネンスストアとか飲食店とかが入っている。

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 で、誰か頭のいい人が考えたんだろうなあ。日曜日は基本的にオフィス部分は休み、でも飲食店はやっているので、その前の通路部分にはエアコンが動いている。

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 じゃあ、その通路部分でフリーマーケットを開いちゃえば、夏でも暑くない環境で開催できる。ってなもんですね。

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 で、何やら日曜日の品川インターシティで何やらうごめく人たちがいるなあ、と思っていたらフリーマーケットを開催していたのだった。

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 品川駅港南口の駅前広場ではよくイベントなんかを開催しているが、品川インターシティでフリーマーケットを開催しているのは初めて見た。

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 しかし、この場所だとエアコン代なんかも含まれてしまい、出店料はちょっと高そう。出店者の皆さん、ちゃんとペイしてるのかな……、なんて想像しつつも、別に出店内容には興味がないのでありました。

 う~ん、これなら巣鴨のお地蔵さんの縁日の方が選択肢は多いかな。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Shinagawa Intercity Minato ©tsunoken

 

2017年7月 7日 (金)

昔は甲州街道は小仏峠を通った

 国道20号線の高尾駅前を過ぎて道が左へカーブするあたりで、道はJR中央線と交差する。

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 そのJRとの立体交差を過ぎるとじきに「西浅川」という交差点に出る。ここをまっすぐ行くと京王線の高尾山口駅前を過ぎて大垂水峠に入り、右折すると小仏峠に至る。

 小仏峠は昔は甲斐と武蔵を結ぶ甲州街道の要所として小仏関所が置かれていた。

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 その小仏関所が1616年(元和2年)に駒木野に移されて、現在も京王バスの駒木野停留所の前に関所跡が残されている。

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『小仏関所は、戦国時代には小仏峠に設けられ富士見関ともよばれた。武田・今川・織田などの周辺の有力氏が滅ぶと麓に一度移され、その後、北条市の滅亡により、徳川幕府の甲州道中の重要な関所として現在地に移されるとともに整備された』(八王子市教育委員会)

 という説明版がある。

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 関所の面積などはそれほど大きなものではなかったようなのだが、関所と一緒に「甲州街道駒木野宿」という宿場もあったようで、まあ、たぶんそれは「明け六つから暮れ六つまで」という関所の開所時間に合わせて、それに間に合わなかった人のための小さな宿場のようであったのだろう。

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 小仏峠は勾配が急で車道化が困難であったため、1888年(明治21年)に当時の国道16号(現在の国道20号)は大垂水峠を経由するルートへ変更された。

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 ということで、この小仏峠へ至る道も、この小仏関所跡を過ぎて裏高尾を過ぎて小仏峠まで行くと、既に道も舗装されていないハイカーたちが通る道になってしまっている。

 中央高速の小仏トンネルは、この小仏峠の下を走っているわけですね。まあ、昔の甲州街道がどうなっていたのかを知るいい機会かもしれないけれどもね。

NIKON D7000 AF-S Nikkor 18-105mm f3.5-5.6 G @Komagino Hachioji ©tsunoen

 

2017年7月 6日 (木)

「犬も歩けば棒に当たる」的発見…でも横浜なら珍しくもないのか

 ツール・ド・フランス第4ステージではラストスプリントでのマーク・カヴェンディッシュへの走路妨害でペーター・サガンが失格となってしまった。これまでゴールスプリントでの競い合いには比較的緩やかだったツールだったんだが、最近は厳しくなったんだろうか。いずれにせよ、今年のツールは二人のスーパースターをこれで失ってしまった。

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 ということとは関係なく、九州地方は停滞する梅雨前線による大雨で大変なことになっているが、こちら東京・横浜地方は台風一過の好天気、っていうか暑い(!)

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 で、そんな中、暑い横浜を横浜駅からみなとみらい、山下公園へと歩いていつものカフェで喉を潤そうかとしたんだが、改装中で入れない。う~ん、こりゃ困ったということで、とりあえず中華街方面へ歩いたんですね。

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 ところが中華街は食事をする店ばっかりで、軽くお茶をしようなんて店はないんだなあ、ってのは元々知ってはいたんだが、じゃあ、なぜ中華街に向かったのかが謎。

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 で、中華街をでて横浜公園へ渡る信号があるんだけれども、そのすぐわきに気になるお店が。

 なんかアメリカンスタイルのダイニングバーみたいなのがあって、店を覗くと何やら古いアメリカンングッズやらレコードやらジュークボックスなんかがあるじゃないですか。

 おまけに真昼間っからやっているんですね。店の雰囲気は完全に「夜」なんですけどね。

 って、ことでそりゃ気になるもん、入りました。真昼間っから。だって、開いてるんだもん。

 お店の名前は「フラッシュバック カフェ」。う~ん、本当に1970年代頃のアメリカにフラッシュバックしたみたいなお店なんですね。

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 店の中には1970年代のアメリカン・ロックのゴールド・ディスクが20枚以上飾ってある。

 店でかかっているレコード(DVD)もイーグルスとかそんなのばっかり。まあ、オーナーの趣味で集めたアメリカングッズ。たくさんあるゴールド・デイスクもオーナーがアメリカで修業中に知り合いの音楽関係者から内緒で買った本物だそうです。なんでも「全部売ればポルシェが何台か買える」くらいの金額だそうです。そりゃあ、スゴい!

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 う~ん、こりゃあ面白い店を知ったなあ。

 っていうか、そんな店って横浜じゃ普通にあるの?

EPSON RD1s VOIGTLANDER COLOR-SCOPAR 21mm f4 @Kannai Yokohama ©tsunoken

2017年7月 4日 (火)

東武伊勢崎線赤羽延伸計画

 ツール・ド・フランスが始まって毎日寝不足のtsunokenです。

 前にも書いたことがあるような気もするんだけれども、5月10日のブログ「東武亀戸線は昔は東武本線だった」に引き続き、再び東武線ネタです。

 今回は東武伊勢崎線には赤羽延伸計画があったって話。

 その残滓が東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)西新井駅から出ている盲腸のような(要は「いらない」っていう意味)、東武大師線なのであります。

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 東武大師線は西新井駅から大師前(西新井大師前)までの900mほどのごく短い線。まあ、乗客は西新井大師周辺に住んでいる人と、西新井大師への参詣客のみ……、っていうか西新井大師周辺に住んでいる人も、場所によっては西新井駅へ直接行ってしまうっていうくらいの短い路線。乗客が沢山乗るのは西新井大師の初詣の時くらいなもん。

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 二両連結の一編成だけで、運転手さんは一駅動かすと運転台を往復するという面倒くささ。改札口も西新井駅のみにあって、大師前駅にはありません。

 たぶん、駅員さんもいないんだろうなあ。

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 そもそもなんでこんな盲腸みたいな「いらない」路線ができたのか?

『第二次世界大戦前には西新井駅 - 東上本線上板橋駅間を結ぶ西板線の計画があった。ほぼ現在の環七通りに沿って途中に大師前、鹿浜、神谷、板橋上宿(いずれも仮称)の各駅が計画され、このうち1922年(大正11年)11月に西新井 - 大師前 - 鹿浜間のみの工事施工申請をし用地買収や設計にとりかかった。
 だが、申請と免許の間に起きた関東大震災による既存路線の被災復旧を優先したことや、当時建設中だった荒川の堤防などの護岸整備が完成しておらず架橋の設計ができないことや、荒川と隅田川(旧荒川)を跨ぐ橋梁の建設費用の問題や、予定地の町関係者からの経路変更要求への対応画策などでもたついているうちに大正末期から昭和初期にかけて路線予定地が急速に市街地化し、「建設費が高額となり、採算の見込みがない」との理由で鹿浜 - 上板橋間の起業を廃止した。後に大師前 - 鹿浜間も同様の理由で起業廃止を申請、免許を取り消された』(Wikipedia)

 という次第。

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 まあ、やっぱり東武鉄道としては、もともと別の会社の路線であった東上線と、本線である伊勢崎線・日光線を繋げようという意思はあった。意思はあったけど、上記のような理由でできなくなってしまううちに、「まあ、繋がなくてもいいや」ってなことになってしまったんですね。

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 まあ、ご都合主義って言っちゃあご都合主義なんだが、普通の会社の経営方針なんてそんなもんでしょ。

 勿論、西新井から上板橋まで繋がって、おまけにその途中かなにかに京浜東北線(当時は東北線か)の赤羽駅が来れば、その利便性はものすごく上昇するだろうし、東武鉄道としても、周辺の地価も上がって大儲けってな図式もあったんだろうけれども、まあ、時代が許さなかったって言う不幸なんだろうなあ。

 会社の経営なんてものは、そんな予測できない状況にしょっちゅう囲まれているわけで、その一つのお話、っていうところでしょうかね。

EPSON R-D1s LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Nishiarai Adachi ©tsunoken

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