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旅行・地域

2017年8月18日 (金)

都立足立高校って…何よ?

 東京都立足立高校ってなんだ? って言われても、「私の出身校です」としか言いようのない、ごく普通の地味な高校である。と言えるようになったのも、実はあの悪名高い「学校群制度」のおかげなのだ。

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 学校群制度とは何かといえば、要は都立普通科高校を単独じゃなくて2~3校の「学校群」としてまとめ、入学希望者は「学校」を選ぶんじゃなくて「学校群」を選ぶという、入学希望者の「学校選択の自由」を奪った、1967年から1982年まで行われた都立高校の入学希望者選抜方法だったというわけ。まあ、その最初の犠牲者っていうか、被害者っていうか、要は対象受験生だったのでした、1951年(昭和26年)生まれの私たちの年代が。

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 私が属していた第5学区というのは、元東京市立第二中学であった上野高校、東京府立第一高等女学校であった白鷗高校が堂々たるナンバースクールで、その次に位置するのが東京府立第八中学校であった江北高校というのがあった。

 これが学校群というものになって、上野高校と白鷗高校が第52群になって勿論第5学区のナンバーワン。次に位置したのが京橋、日本橋、紅葉川という第1学区との共同学校群があって、江北高校と足立高校という第53群があった。この第53群というのが曲者で、江北高校はまあいいとして、それと一緒の学校群になった足立高校というのが、元々は女子実業学校という、まあ普通科としては下から数えたほうが早いくらいの偏差値の学校で、「上野・白鷗」群とは異なり、確実に「江北の偏差値を下げるために」作られたような学校群なのであった。

 まあ、学校群制度の目的のひとつは、この「偏差値を下げ(標準化する)」て受験競争の過熱化を抑えるってことだったのだから、それもわかる。

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 でも、入るほうはたまんないよ。自分は江北高校に入るつもりだったのに、入試の成績順位が奇数番の人は江北高校に入って、偶数番の人間はいやでも足立高校なんだもんなあ。勿論、もうちょっと頑張って第52群に入れるような成績をあげていればいいのであったが、みんながみんなそういうわけにはいかないじゃないですか。一方、足立高校の教師たちは「自分の学校の偏差値が上がる」といって勝手に大喜びしたわけなんですね。

 ということで、行きたくもなかった足立高校に振り分けられた人間としては、私は面白くない。ってなもんで、高校に進学してからは全く勉強に身が入らず、入学試験では一桁台の順位だった私も、入学してからの実力試験では三桁台に急降下。「何やってんだ!」とまあ、教師からは叱られたものの、「そんなのあんたには関係ないでしょ」って居直る生徒となってしまったのでありました。

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 足立高校の先輩としては北野武氏なんかもいたのだが、あの人はもっと偏差値が低い時代の足立高校生だったわけだし。でもまあ、それでも明治大学に入ったんだから、足立高校では勉強ができたほうだったんだろうな、という程度の高校だったんだ。

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 まあ、だから高校生運動なんてものに走っちゃったんだとは言わないけれども、この間、久しぶりに足立高校を見に行ったついでに東武伊勢崎線の梅島駅の近所に「昔あった」宇宙センターっていうパチンコ屋さんの二階にある「シルビア」っていう喫茶店がまだあったのには感激!

 この喫茶店が、昔高校生運動時代にいろいろな「謀議」やら「悪事」を巡らした店だったんだ。

 いやあ、今でも残っていたんだなあ。今どき希少種ですよ、こんな喫茶店。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f:2 D @Chuo Honcho Adachi ©tsunoken

2017年8月17日 (木)

東京メトロ千代田線北綾瀬駅

 東京メトロ千代田線は北千住から先に行って、綾瀬駅から先がJR常磐線になるのだが、では綾瀬駅の次の駅をご存知だろうか。

 えっ? 亀有だろうって? 違いますね。それはJR常磐線の話。そうじゃなくて東京メトロ千代田線のままの路線があるんですね。

 北綾瀬っていう駅があるんですよ。それが東京メトロ千代田線北綾瀬支線っていう路線にね。

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 綾瀬駅の「0番線ホーム」から3両編成の電車が綾瀬駅から綾瀬車両基地に向かって走り、環七との立体交差のちょっと手前にあるんです、「北綾瀬駅」が。

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 元々、東京メトロとしては千代田線の綾瀬車両基地を作る際に、周辺住民からの要請があったら作ろうとしていたらしく、1969年の千代田線開業から10年後の1979年12月20日に「千代田線北綾瀬支線」が開業し、北綾瀬駅も開業したってわけ。

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 同じような「車両基地などを作ったついでに駅も作っちゃいました」的な駅は、山陽新幹線の博多南線の博多南駅や上越新幹線のガーラ湯沢駅なんてのもある。ガーラ湯沢駅は車両基地じゃないけれども、上野-越後湯沢間を走っている「たにがわ」の上下入換用の支線だった。

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 ということで、「アダチク」って名前の「聞こえ」は悪いけれども、隣はもう埼玉県の割には都心に出るのも近く、電車も東武スカイツリーラインは東京メトロ日比谷線(1961年開業)と、JR常磐線は東京メトロ千代田線(1969年開業)と最初から相互乗り入れをしているので、銀座や大手町なんかに極近。更につくばエキスプレスも加わって、北千住は巨大ターミナル化してるし、物価も安いってなもんで、今でも人口流入の大きい区なのであります。

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 この足立区に昔からある都立高校が足立高校と江北高校、足立工業高校、荒川商業高校の4校だったんだが、今では全部で9校あるっていうだけで、そんな足立区の人口増加の様子が分かろうかってところである。

 ということで、明日のブログはこの江北高校と足立高校をめぐる悲喜こもごもってなるはずなんだけれども、どうなるか。使用写真を選んだだけで、まだ書いていないので全く分かりません。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f:2 D @Ayase Adachi ©tsunoken

 

 

 

2017年8月16日 (水)

8月15日、喧騒より離れて

 ここのところ毎年8月15日には靖国神社まで、いろいろ見物に行っていた。

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 しかしなあ、もはや「俄か右翼の日の丸行進」とか、「単なるミリオタのコスプレショー」や「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」あたりの見え透いたパフォーマンスにも飽きたし、午後になってダレてきた右翼と警察の小競り合いなんてのにも面白さを感じなくなってしまったので、今年は靖国神社へは行かなかった。

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 ということで、今年は少し離れて皇居は二重橋前とか……

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 いつもの銀座界隈とか、あの築地周辺なんかをブラブラ。

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 う~ん、しかし見事に焼けてますなあ。というのと同時に、その火事現場のすぐそばでは普通に営業をやっている逞しさには関心させられます。

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 それこそ「東京」という感じなのでしょうか。

RICHO GRD3 GR Lens 6.0mm f:1.9 @Imperial Palace, Ginza, Tsukiji ©tsunoken

2017年8月15日 (火)

「秋津温泉」じゃないってば

 1962年の松竹映画『秋津温泉』は主演の岡田茉莉子自身のプロデュース作品であった。松竹作品主演100本記念作品として企画されたのは、松竹の主演100本の岡田茉莉子に対するご褒美だったんだろうな。まあ、それだけまだ日本映画が余裕があった時代だったわけだ。

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「エロス+虐殺」とか「煉獄エロイカ」なんかのATG作品で吉田喜重を知った私としては、ATGで再公開された本作を見て、実に意外な吉田喜重作品を見たという感触とともに、若き岡田茉莉子の美しさに感動した思い出がある。

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 実は当時「松竹ヌーベルバーグ三羽烏」の一人と呼ばれた吉田喜重は、基本的にオリジナル脚本の作品しか作らないと言われており、藤原審爾の小説が原作である「秋津温泉」を吉田喜重の手で映画化するというのは、当時の松竹としては「無理筋」だったわけで、まあ「岡田茉莉子主演100作記念映画として岡田茉莉子自身がセルフ・プロデュース」というのを「売り」に、吉田を説得しようというのが松竹側の「読み」だったんだろう。

 その「読み」が見事に当たったまではよかったんだが、ついでに看板女優を監督に娶られてしまい、おまけに松竹を退社してしまったというのは、ちょっと計算外だったかもしれない。

 西武池袋線の秋津駅で下車をして少し歩くと「秋津神社」なんてのがあって、なんとなく雰囲気があっていい感じ。いいですねえ、「古い町」って感じ(?)

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 柳瀬川河畔には「上安松地蔵尊」なんてのもあったりして、田舎臭ふんぷん、なんかもうすぐ秋津温泉の町に近づいていく感じがするんですね。

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 で、出ったー。これぞ秋津おんせーん……、なわけないですね。

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 パチンコ屋さんと並列してある「スーパー銭湯 湯の森」なのでした。

 秋津温泉は岡山県の奥津温泉がモデル。岡山県から島根県へ抜ける山あいの地にある鄙びた温泉町らしい。原作者の藤原審爾は何度かこの奥津温泉をたずね、小説「秋津温泉」を書いたそうだ。

 えー、西武池袋線秋津駅とは何の関係もないお話でした。

『秋津温泉』(原作:藤原審爾/監督・脚本:吉田喜重/共同プロデューサー・主演:岡田茉莉子/1962年松竹作品)

NIKON Df AF Nikkor 35mm f:2 D @Akits Higashi Murayama ©tsunoken

2017年8月14日 (月)

大泉学園はなぜ「国立」になれなかったのか

 練馬区の大泉学園町と国立市の共通項は?

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『練馬区大泉学園町 ... 1924年から168万平方メートルもの開発が始められた。大泉村 (東京府)北部に大規模な学園都市の開発を図り、碁盤目状に土地整備がなされた』

『国立学園都市 ... 甲州街道沿いを除き雑木林であった同地を学園都市構想に基づき大学を誘致し開発』(両方ともWikipedeiaから)

 実はこれ、両方とも同じ会社が開発したのであります。その会社とは「箱根土地株式会社」という、1919年に堤康次郎が起こした会社。つまり、のちの「コクド(旧国土計画)」、つまり西武グループの開発会社で、現在はプリンスホテルに吸収されている。

 箱根土地は大泉学園や国立学園都市の他にも、目白文化村や渋谷区の百軒店、小平市の小平学園町なんかの開発も手掛けた、当時の一大デベロッパーだったわけなのだ。

 その箱根土地が同じような時期に手掛けたのが大泉学園と国立だったというわけ。

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 1920年(大正8年)に設立された東京商科大学は、1923年(大正12年)の関東大震災で甚大な損害を受け、石神井に仮校舎を作ったのが1924年、1927年には全学的に石神井仮校舎で授業を始めた。まあ、この時期はまだ練馬に東京商科大学が来る可能性はあったわけだ。

 その一方、1925年に国立(及び小平)への移転が決まり、1931年に移転終了。1949年には一橋大学へと校名を変更して現在に至るというのが、大学の歴史。

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 つまりこの1920年から1930年の間に堤康次郎がいろいろ暗躍して、一橋大学の練馬あるいは国立への移転工作をいろいろやったっていうわけ。まあ、現在の加計学園問題なんか比較にならないくらいの、政界工作やら根回しなんかがあったんだろう。何しろ「政商」堤康次郎ですからね。それにしても「両天秤」はないよなあ。どっちに行くにしろ、儲かるのは箱根土地だもんなあ。

 で、結局、大学は国立へ移転となり、大泉学園には大学どころか、何の教育施設も来なかったっていうわけ。

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 まあ、現在は高校まではできて、取り敢えず「何となく学園都市」っぽくはなっているけれども、でも、やっぱり「大学がない学園」ってねえ。別に普通の街と変わらないじゃない。近所の和光市に「税務大学校」なんてのがあるけれども、これは普通の学生が入れる学校じゃないから、除外。

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 まあ、結局「大泉学園町」なんて名前だけが残ってしまったというわけ。今ではもう大泉学園に移転しようとか、新設しようなんて大学は、当然、現在の練馬区の土地代や残っている未開発地のことを考えたら無理筋になってしまったっていうお話。

 よっぽど土地代をお安くしてくれれば、お金はないけど都内に戻りたがっている某中央大学あたりがノッてくるかもしれないけどね。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f:2.8 D @Kunitachi ©tsunoken

2017年8月12日 (土)

ウラ国分寺って、何処?

 殿ヶ谷戸庭園とか武蔵国分寺跡とかの地歴的興味もあるし、付き合っていたアニメーション制作会社があったなどの理由で、国分寺駅の南口方面にはかなりの頻度で通っていたんだが、そういえば北口方面には一度も行ったことはなかった。

 結構、剣呑な飲み屋街なんかもあるなんてことも聞いていたんだが、なぜか行ったことがなかったんだなあ。

 何故だろう?

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 ということで、先日初めて国分寺駅北口を出たわけですね。

 そしたら何かもう駅前は整地されちゃって、「駅ビル+タワーマンション」の一大工事の真っ最中なのでありました。

 なんか聞いていたのとずいぶん違うなあ、なんて考えながら、取り敢えず駅前の道を北へ向かって歩行を始めたわけですね。

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 まあ、でもたいして賑やかでもないし、ましてや「剣呑」なんてことも全くない普通の商店街が続いているのでありました。

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 どこまで歩いても同じような中途半端な商店街が続くので、ちょうど八幡様があったのでそこで方向転換。

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 西武多摩湖線の脇の道へ出たわけですね。この辺りの地名は「恋ヶ窪」。

『JR西国分寺駅北東付近は、中世に旧鎌倉街道沿いの宿場であったと言われているが、その様子は明らかではない。
 恋ヶ窪には、鎌倉御家人の中心人物として波瀾の生涯を送った秩父の武将畠山重忠とこの宿場町の遊女夙妻大夫の悲恋にまつわる一葉松(傾城の松)の伝承がある。京都聖護院の門跡の道興准后がこの地に立ち寄った際に、この悲恋を「廻国雑記」の中で次の様な和歌に残したといわれている。
「朽ちはてぬ 名のみ残れる 恋がくほ 今はた問ふも 契ならすや」』

 という由来があるそうだ。

 というか、さすがに武蔵国分寺があった場所だけあって、つまり昔はこの辺が武蔵国の中心部だということなんだろう、国分寺周辺にはいろいろな場所に遺跡が沢山残されているようだ。

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 剣呑な飲み屋街の名残は、この西武多摩湖線の国分寺駅あたりに少しだけあるものの、もはや遺跡すらもない。

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 それから比べると900年位前の遺跡が残っているなんて、やっぱり武蔵国分寺って凄いな。さすがに「古い土地」ってことなんですね。

EPSON RD1s LEITZ Elmarit 28mm f:2.8 @Kokubunji ©tsunoken

2017年8月 9日 (水)

ココハ、ドコダロウ

 田中長徳氏の視神経の第三信号系ではないが、私が目指しているスナップ写真っていうのは、撮影してる場所を特定できない、「何となく」写真なんだが、写っているものが気にかかる、っていうものなんだが。どうだろうか?

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 これら一連の写真は、先日、新宿ニコンにDfの修理を出した帰りに撮った写真なんだが。

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 普段の新宿とは、通った道が少し違う。

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 さあ、果たしてここはどこなんでしょうか?

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 なーんて言っても、下二葉を見ちゃえばわかる人にはよくわかる。

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 ほらあの裏手の……。

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 まあ、その辺がまだまだ修業が足りず、ってとこなんでしょうね。

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EPSON RD1s LEITZ Elmarit 28mm f:2.8 @????? ©tsunoken

2017年8月 4日 (金)

東京大学オープンキャンパス?!?!

 本郷通りを東大に向かって歩いていく。

 普段なら、この時期の大学って、休み中にも実験などがある理系の学生か院生あたりが登校して、あとは散歩をする町の人たちがいるっていう程度で閑散としているものなんだけれども、何故か東大の前にやたら白シャツの高校生の姿がいっぱい。おお! なんだろうこれは? と、近づいてみれば……なんと! 「とうきょうだいがく おーぷんきゃんぱす」って、ええ? 東京大学オープンキャンパス? 東大でもそんなことやってるの? ってなビックリですねえ。

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「この、ハゲー!」で「桜蔭→東大」一直線の評判をかなり下げてくれた豊田真由子さんのおかげか、いい加減な答弁ばかりを繰り返している東大OBの官僚の姿を連日テレビで見すぎたせいか、あるいは世界大学ランキングで34位、アジアでもシンガポール国立大学、北京大学、精華大学、南洋理工大学、香港大学、香港科学技術大学に次ぐ第7位になっちゃったせいか、そうか東大もいまや受験生が来なくなってしまったのね。

 で、オープンキャンパスってわけ?

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 う~ん、まあ五月祭の賑わいにはかなわないが、いろいろな出店がきていて、それなりに人出はある。ああ、そうか五月祭はサークル関係の出店が多いけれども、こちらはサークル関係っていえば東大新聞社くらいで、あとは食べ物屋さん関連か。

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 基本的には、案内所でもらった「キャンパスガイド」を見ながら、東大本郷キャンパスをいろいろ見て歩いたり、各学部で主催する公開講座を覗いたりするんだけれども、あと無難なのは、こんな感じで構内を解説付きで案内してくれる催しくらいか。

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 まあ、見に来てる高校生たちは、いかにも田舎の高校生みたいで、みんな女の子は制服を着て、男の子も白シャツ黒ズボンっていう定番ファッションの真面目そうな(?)子たちばかりだ。ああ、あとはその子たちのお母さんたちね。

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 まあ、そうやって一生懸命大学を研究して、受験勉強をして、でも、「答えのある問題を解く」受験勉強では東大生の力量は大したもんだけれども、いざ、東大に入ってごく普通に勉強しただけで、卒業して社会に出たりすると、まあみんな「普通の大卒生」になってしまうんですなあ。我が家の東大OBやら、以前勤めていた我が社の東大OBを見ても、まあ、別に東大じゃなくてもいいじゃん。早慶MARCHで充分、充分ってなもんですね。

 どうせ東大に行くんだから、如何にも東大生らしい頭の良さを発揮してほしいし、東大OBらしい「らしさ」を発揮してほしい……、って望むのは高望みってやつか。そうか。そうだよな。

 まあ、東京大学でも、東洋大学でも、東海大学でも……、大学に違いはあるんだけれども、大学OBに違いはない、ってのは中途半端なMARCH出身の私だからいえるのかな?

EPSON RD1s LEITZ Elmarit 28mm f:2.8 @University of Tokyo ©tsunoken

2017年8月 2日 (水)

新宿御苑・裏通り

 四谷三丁目のアローカメラまでちょっとした所用で行ってきたので、その帰り、新宿まで歩いてみた。

 ルートはいつもの通り、新宿通りの裏、(昔は新宿公会堂という名前の建物で、よく革マル派あたりの集会が行われた場所である)四谷区民ホールから新宿御苑前をずっと行って、都立新宿高校前に至る、裏通りだ。

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 まあ、特に何があるという訳ではない、マンションがあって、その一階が小洒落たレストランになっていて、それを眺めながら進んでいくという具合の道だ。当然、裏通りなので人通りは少ない。

 その人通りのなさが気に入っているのかもしれない。

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 月曜日なので新宿御苑は休園日だ。なので、当然、ますます人通りは少なくなる。

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 大都会の裏側にこんなに寂しい通りがあるのかという思いは、しかし、新宿一丁目に至って裏切られる。

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 表通りの喧騒がそのまま裏通りまで続いて来るのだった。

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 やはりここは新宿だったんだ。あの喧騒の新宿だったんだ。うるさく、汚い新宿だったんだ。

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 というところまで来てしまうと、そのごく短い旅は終わり。途端に現実に戻されて、やがて新宿の喧騒にみずから紛れ込んでしまうのでありました。

 ただ、それだけ。

 それが内藤新宿の実際さ。

EPSON RD1s LEITZ Elmarit 28mm f:2.8 @Shinjuku Shinjuku ©tsunoken

2017年8月 1日 (火)

ラビリンス ラビリントス

「ラビリンス ラビリントス」というのは、眉村卓原作の幻想文学「迷宮物語」を原作として作られたオムニバス・アニメ『Manie-Manie 迷宮物語』の中の、りんたろう氏の作品のタイトルである。

 考えてみればこの『迷宮物語』の中の『工事中止命令』という作品が、大友克洋氏が初めてアニメーションの監督を務めた作品で、言ってみれば『AKIRA』に先行するアニメーション作品として、もう少し評価されてもいいのになあ、とも思うのだが。

 今日の話は、それとは全く関係ない。関係あるのは「迷路=ラビリンス ラビリントス」(ラビリントスはラビリンスのギリシア語的表現)っていうだけで……。

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 豊島区の駒込駅から染井霊園に向かって走る「染井通り」と、本郷通り(日光御成街道)の駒込駅から霜降り橋まで降りていく坂(「妙義坂」という通りの間の、住所でいうと豊島区駒込三丁目と呼ばれる坂の町が、実に迷路みたいなんだなあ。というお話。

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 東西に走る道はすべてこんな坂道で、染井通りに向かって上がっていく坂で、まあ、そんな高低差があるところも迷路をより迷路的にさせている理由にもなっている。

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 染井通りから東の中山道へ向かっていく辺りは、かなり区画整理ができている住宅地なんだが、染井通りから坂を下りてくると、途端にそんな区画整理も何もなくて、とにかく曲がった道、道、道なんである。たぶん、区画整理なんかがされる前に住宅が建っちゃったんだろうなあ。

 まあ、それはそれで魅力がある街にはなっている。そう、街の魅力はまさにこの「迷路性」にありってのが私の考え方なのだ。

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 さらに、道自体が狭くて車が通れない道が多い。

 で、こんな道に迷い込んだ場合には、とにかく坂を上がるしかない。坂を上がれば染井通りに出て、そこから染井霊園、中山道、駒込駅、巣鴨駅のどれかに出られます。

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 一度、散歩がてらこんな迷路に迷い込んでみるのも、面白かもしれない。

EPSON RD1s LEITZ Elmarit 28mm f:2.8 @Komagome Toshima ©tsunoken

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