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旅行・地域

2018年8月21日 (火)

三河島を12mmで撮る……って、何の意味があるのかな?

 昔、JR常磐線の三河島駅で通勤電車と貨物列車が衝突・脱線し、多くの犠牲者を出した「三河島事故」というのがあった。

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『三河島事故は、1962年(昭和37年)5月3日21時37分頃、東京都荒川区の日本国有鉄道(国鉄)常磐線三河島駅構内で発生した列車脱線多重衝突事故である。
 常磐線三河島駅構内で、貨物線から進行方向右側の下り本線に進入しようとした田端操車場発水戸行の下り貨物列車が、出発信号機の停止信号を行き過ぎて安全側線に進入し脱線。先頭の機関車とタンク車が下り本線上に飛び出した。
 その直後に、三河島駅を4分遅れで出発し下り本線を進行してきた上野発取手行きの下り電車が下り本線を塞いでいたタンク車に衝突。先頭車と2両目の車両が脱線し、上り本線上に飛び出した。
 さらに約7分後、その現場に上野行きの上り電車が進入し、線路上に降りて移動中だった乗客多数をはねた上、上り本線上に停止していた下り先頭車と衝突した。これにより上り電車の先頭車と2両目の前部が原形を留めず粉砕された。上り電車は先頭車が原形を留めず粉砕され、2両目は築堤下に転落して線路脇の倉庫に突っ込み、3両目も築堤下に転落、4両目(モハ72635)が脱線した。
 この結果、死者160人、負傷者296人を出す大惨事となった。』

 というのが事故の概要。その結果、ATSの採用や列車無線などの整備が進められることのきっかけにもなった事故である。

 私の友人の父上も、この事故で亡くなったそうだ。

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 そんな事故の原因となった田端操車場から三河島で本線に合流する貨物線である。

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 で、別に三河島事故の現場を見るために、わざわざフィルムライカに12mmのフォクトレンダー・ウルトラワイド・ヘリアーを装着していったわけではない。

 常磐線の三河島から南千住の間には線路と、線路下の狭い道があって、その狭さが12mmレンズに好都合かなと考えただけのことなのであります。

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 なので、そこで三河島事故のことを持ち出したのはちょっと不謹慎かもしれない。

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 しかし、フルサイズ(ってフィルムカメラなので当たり前の話だが)のフィルム面(つまりデジタルカメラの撮像素子だったらフルサイズ)で12mmレンズっていうと画角は112度。人の目の画角が120度なので、ほとんど私たちが目にしている風景そのままが、フィルム上に撮影できてしまうっていうことになる。

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 いつもつけているEPSON R-D1sはAPS-Cサイズの撮影素子なので、画角は90度、フルサイズだとほぼ18mmレンズと同じくらい。それでも結構写せる範囲は広いんだけれども、やっぱり120度っていうのは凄いですね。要は、自分の「見た目」がそのままフィルムに定着するわけなのでファインダーはいらないってことになる。でも、12mmの外付けファインダーを覗かないと撮れない私は「単なるヘタレ」(?)。

 勿論、人間の目は目から入った情報を、脳で適度に修正しながら映像として認識させているので、たとえばアオリで撮影した際にカメラだと出てくる画像の歪みなんかは、人間の目は一切歪みなしで認識させてくれるのだ。つまり、本当は人間の目だって、情報を入力した瞬間は、カメラのレンズと同じ歪みを確認しているはずなんだけれども、そこから先は修正された画像として、私自身が認識している画像になるっていうわけだ。つまり、人間の目は、実は本当にはそう見えていない画像を、人間に見せているっていうわけ。

 その後も、ライカで12mmという組み合わせの撮影はやっており、そのフィルム現像が上がってきた(私は自分では現像はやらない)ので、近々、また同じ趣旨のレポートは上げます。

 まあ、お楽しみにはしないで待っていてください。

LEICA M6 VOIGHLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 KODAK 400 TX @Mikawashima, Mninami Senju ©tsunoken

2018年8月19日 (日)

横浜はもともと山がちの街

 現在、横浜というとみなとみらいや赤レンガ倉庫、大さん橋とか山下公園なんかを思い描いてしまい「平らな街」という感じなんだが、実は今あげた場所は昔はみんな昔は海の底。そんな平地は横浜じゃなかったという一席であります。

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 それを証明するために……、っていうほど大袈裟じゃないんだけれども、とりあえず東横線に乗って、最近は箱根駅伝でも存在感を知すようになった神奈川大学の最寄り駅、白楽で下車します。

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 既に白楽駅から大通りに出るまでの六角橋商店街自体が下り坂にある道なんだけれども、そのまま坂道を下っていくと横浜上麻生道路という大通りに出ます。

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 その道をそのまままっすぐ下りていくとJRの東神奈川駅の方へいくんだけれども、私はそちらへ行かず手前で右折して再び山を上がっていき、反町駅方面へ行くのです。そう、結構アップダウンがあるのが、横浜の「港付近以外の場所の」普通なのです。

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 右折するとそこが現在の東海道、国道1号線になって、東横線反町駅前にでるのですが、そのちょっと先に横浜駅西口方面へ坂を下りていく道と、そのまま上がって三ツ沢公園方面から戸塚方面へ行く道に分かれます。

 当然ここは左折して横浜駅方面へ行きます。

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 反町駅前から少し行って左折すると、道は下り坂になって一度下がるんだが、その道と立体交差する狭い道があって、実はそこが昔の東海道なんですね。

 なので、そこにはいろいろな昔の名残のものなんかも多くあって、この神奈川台の関門跡なんかもそのひとつ。

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 で、その神奈川台の関門の斜め前にあるのが、江戸時代からあったという神奈川宿の旅籠のひとつ、坂本龍馬の妻「おりょう」が勤めていた田中屋」なんだけれども、その田中屋の門前に説明板があります。

 で、その説明板の最初に掲げられているのが歌川広重「東海道五拾三次」の「神奈川宿」の図。

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 実はこの絵の中に田中屋も描かれているんだけれども、それ以上に重要なのは、実はそこの描かれている東海道は海辺の崖の上にある道で、その海側に田中屋があるってことなんですね。で、その下はすぐ海。

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 横浜駅があるような場所も、みなとみらいも、赤レンガ倉庫や大さん橋なんかも、このころの地図で言えば海の沖の沖のずっと沖の方。

 横浜は峻厳な海辺の山道だったってことがわかります。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 @Yokohama ©tsunoken

2018年8月18日 (土)

東京周縁部を往く・小岩と新小岩は全然別の場所

 葛飾方面へはこの「東京周縁部を往く」シリーズで何度も来ていたはずだったんだけれども、新小岩には何度も来ていたのに、お隣の小岩には一度も来ていなかったことがわかったので、昨日、初めて行った。

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 新小岩駅に比べると小岩駅は少し規模が小さくて、広い方の南口駅前もあまり広くなくてサンロードとフラワーロード、昭和通りという三つの商店街が駅前から三方に広がっている。

 とりあえず一番古くからありそうな「昭和通り商店街」を行ってみる。

 が、まあ昭和通り商店街もそれほど長くなくてすぐに交差点に来てしまい、なんとなく商店街も終わりの方に来てしまう。

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 だいたい、「小岩駅」「新小岩駅」ってなんか近そうだけれども、実は間に中川が通っていて、そんなに近い駅ではない。

 先にあったのは、その名の通り小岩駅で、明治32年(1899年)の開業。所在地は江戸川区南小岩。一方の新小岩駅はずっと後の昭和3年(1928年)の開業で、所在地も葛飾区新小岩なんだけれども、この「新小岩」という地名は、新小岩駅が出来たので昭和40年に住居表示が新小岩、東小岩、西小岩という名前になったらしい。要は、もともと小岩という地名じゃなくて、小松菜という野菜の名前のもととなった「小松」という地名だったものが、駅が開業したので小岩という地名になったという、どうも逆転した状況のようなのだ。

 江戸川区辺りから反対運動が起きても不思議じゃない状況なんだけれども、別にそんなことはなかったんだろうか。

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 つまり、ずっと先に開業した小岩駅周辺は既に開発されつくしていて、もうそれ以上には発展しそうもない状態になったので、小岩駅の先にあった新小岩通信所のそばに新小岩駅を作って、新たな町づくりを始めたので、小岩駅前に比べると大きな造りの駅前広場が出来たり、商店街も出来たのだろう。

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 で、駅の北側に出てみると、南口以上にごちゃごちゃとしていて、なんかだんだん期待が増えてくるのである。

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 古い店やら、狭い路地がいろいろあって、いかにも昔の駅前っていう感じなのだった。

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 で、もうちょっと先まで行くと、そこは柴又街道。つまり京成小岩駅がすぐそばにあったのである。

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 なるほどね、京成とJRの小岩駅がもともとの小岩の町で、新小岩と小岩は、実は何の関係もない町だったんだ。

 納得!

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f1:4 @Koiwa ©tsunoken

2018年8月17日 (金)

大塚阿波踊りは8月25日開催です

 本場、徳島市の「阿波踊り」はなんか大変なことになっていますね。

 実行委員会と振興協会の間のいろいろなやりとりや、阿波踊り大会自体の赤字問題とかあるようですが、まあ、もともと阿波踊りなんて地元の人たちが勝手にやっていたものを、「これは観光の目玉になる」なんて考えた人がいて、その結果大きなイベントになり観客動員数も多くなったんだけれども、そうなると今度はイベントそのものがペイするかどうかなんてことを考える人がいて、で、ペイできないとなると「じゃあ、縮小しましょう」なんてことを言い出す輩なんかもいたりして、もう、しっちゃかめっちゃかですわぁ、ってところなんでしょうか。

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 そこへいくと、東京の大塚の泡踊り、じゃなかった阿波踊りや高円寺の阿波踊りは予定通り8月25日と26日にやります。

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 阿波踊りがそうなのかは知らないが、もともと盆踊りっていうのは村の男女の夜這いの場だったんですね。

 隣村のAちゃんを好きになったB夫は盆踊りの晩にAちゃんをうまい具合に誘い出し、神社の境内で出会った二人はいつのまにか踊りの輪から抜け出して、神社の裏辺りで○○○、ってな具合だったんですね。

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 阿波踊りなんかも、見てみると女性の方は笠をかぶって内またでおしとやか風に(あくまでも「風」に)踊っているんだが、男衆の踊りはもろに下半身狙いっていう感じの踊りですもんね。「ひょっとこ」のお面なんて性器そのものだし。

 まあ、徳島の阿波踊りも基本的には盆踊りなんだから、男女の秘め事につながる要素は持っていたんだろう。所詮、「ナンパ」なんですよね「ナンパ」。それがビジネスになっちゃったんだから、周りのみんなの見方が変わっちゃって、どんどん「性的」な要素は薄められてきてしまい、ごく普通の「観光祭り」になっちゃったんだなあ。

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 もうさ、「お祭り」で人を呼ぶなんてことはやめて、昔の鎮守の神様のお祭りの時代に戻って、ちゃんと神社の裏辺りにはちゃんと暗がりがあって、男と女が○○○できるようにしてあげてですね、本当に昔風の「風紀の悪い盆踊り」(って、戦後のある時期は言われていたそうだ)に戻しちゃえばいいんじゃない?

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「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら、踊らにゃそんそん」っていう阿波踊りのお囃子のとおり、盆踊りは「見る人」のためじゃなくて、「参加する人」のためのイベントなのだ。

 もうそこの、「祭りの原点」に戻しちゃえばいいじゃない? なまじ、ビジネス的に展開するようなイベントにしないで、地元の人たちで楽しめばいいのだ!

 お金を稼ぐのは、別にイベントじゃなくてもいいじゃない。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Sugamo ©tsunoken

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2018年8月16日 (木)

大磯を歩く

 JR東海道線に乗っていると、平塚までは駅のそばになると大きなマンションなんかが林立していて、それなりの大きな街だという印象があるんだが、平塚を出て花木川を渡り大磯側に入ると途端に周りの風景は「田舎」になってくる。

 大磯の駅もこんな木造の、いわゆる「田舎の駅」なのであります。東海道線で多分唯一の木造駅舎ではないだろうか。

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 その辺に大磯が普通の神奈川県の町ではなくて、別荘地として他の場所とは異なった町の造りになって発展してきた理由がありそうだ。

 とにかく「旧○○邸」がやたら多いのが大磯だ。有名なのは旧吉田茂邸なのですが、吉田茂が大磯に住んだのは首相を引退してからで、それまでは外相公邸などの都内の住居に住んでいた。

 その旧吉田茂邸ももともとは三井別邸だったところらしく、現在は大磯町郷土資料館となっている。

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 駅前も如何にも「田舎の駅前」というたたずまいを見せていて、感じが良い。こんな、まさに「昭和」を感じさせる喫茶店なんて、東京でもなかなか探せませんよ。

 いやあ、いいなあ。「田舎田舎」していて。

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 で、駅前にあるのが旧吉田茂邸じゃなくて、エリサベス・サンダース・ホーム。

 戦後、日本に進駐してきた米兵と日本人の女性の間に生まれた貧しい「混血児」(「ハーフ」のことを昔はこう呼んだ)や孤児たちを集めて、教育の機会を与えたり、大人になっても生きていけるようにいろいろと面倒を見た、ボランティア的な活動をしていた団体だ。

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 今でもエリザベス・サンダース・ホームが残っているとは知らなかったが、あったんですね。

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 現在は併設してエリザベス・サンダース・ホーム出身者のために設立された聖ステパノ学園小学校・中学校の方の活動がメインになっているようで、エリザベス・サンダース・ホームとしては昔の潜伏キリシタンについての資料を集めた沢田美紀記念館の運営の方が中心になっているようだ。

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 まあ、いずれにせよ、それこそ「旧○○邸」ばっかりの、結構「田舎」の大磯。今度はもうちょっといい季節にじっくり深訪してみたくなったな。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Oiso ©tsunoken

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2018年8月15日 (水)

浅草にゃあ行くけど、浅草寺には行かないよ

「さて、今日はどこへ行こうかな」なんて感じで家を出ると、そのままのイイ加減な感じで明治通りまで出てしまう。

 今や、池江璃花子で超有名になった淑徳巣鴨高校・中学の前のバス停は「掘割」と言って、昔の千川上水があった場所なんだけれども、王子駅前経由の西新井駅行き、新田二丁目行き、浅草雷門行き、浅草寿町行、とげぬき地蔵前行きの5路線が走っていて、とりあえず来たバスに乗って、何となく終点まで行っちゃおう、てなイイ加減な行き先決定方式には極めて都合の良い停留所であります。

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 最初は久々に西新井大師にでも行ってみようかな、なんてことを考えていたのに、たまたま来た浅草寿町行きに乗ってしまったので、西浅草三丁目のバス停で降りる。

 なぜ、終点じゃなくてそのちょっと手前なのか?

 まあ、浅草も浅草寺は人出が多くなりすぎて、なおかつレンタル浴衣を着た外国人ってのもちょっと食傷気味だし、あまり暑い日には行く気になれない。

 で、そのちょっと手前の待乳山聖天に行くのであります。

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 待乳山聖天は今では少々地味なお寺になってしまっているが、元々は浅草で一番大きなお寺だった。

『この寺は隅田川べりの小高い丘(待乳山)にあるが、この丘は595年(推古天皇3年)9月に出現して龍が守護したと伝えられ、浅草寺の山号(金龍山)の由来となったと伝えられる。601年(推古天皇9年)この地方が旱魃に見舞われたとき、歓喜天と十一面観音が安置されたと伝えられる。待乳山は、かつては周囲が見渡せる山であり、江戸時代には文人墨客がこの地を訪れている。』(Wikipedia)

 ってね。

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 で、この待乳山聖天の脇、聖天町で生まれたのが、大作家・故池波正太郎氏である。

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 で、その待乳山聖天のほんのちょっと先、山谷堀の今戸橋を越えたところにあるのが、その池波正太郎氏の作品『剣客商売』第13巻『波紋』の中の『敵』の出だしに出てくる慶養寺、我が家の菩提寺であります。

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東京のお盆は7月にやってしまうので、今はお寺も閑散としています。

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 面白いのは先ほどの待乳山聖天なんだが、裏の駐車場に回るとこんな感じの、エレベーターっていうかモノレールというか、飛鳥山のモノレールの小ぶりなやつが走っていて、まあ、お年寄りには優しい待乳山聖天さまっていうところなんでしょうね。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Asakusa ©tsunoken

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2018年8月14日 (火)

「おぐ」なのか、「おく」なのか

「尾久」と書いて「おく」と読む人と「おぐ」と読む人がいる。

 地名としては「おぐ」なんだけれども、JRの駅名としては「おく」ということで、「おく」と読んだ人、あなたは「JR派」ですね、「おぐ」と読んだ人、あなたは「地元派」ですね……、と簡単にはいかないそうだ。

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 そもそも尾久駅は荒川区尾久にではなく、北区昭和町に位置している。駅の所在地でないにもかかわらず「尾久」が駅名として付けられたのは、開業当時の尾久町が温泉を中心とした東京郊外の遊興地および三業地として栄えており、その最寄り駅として「尾久」の名前をつけたらしい。

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 尾久駅のそばに説明板があった。

『「おぐ」か「おく」か
 尾久という地名は「おぐ」と読むのに、JR尾久駅はなぜ「おく」と読むのでしょうか。これについては、おもに二つの説があります。一つは、戦前に駅を造ったとき、鉄道省が「おぐ」をこの地域のなまりだと思い「おく」にしたという説です。これは荒川区側で唱える人が多い説です。
 もう一つは、北区側で唱えられているもので、地元の人々が、尾久という駅名に反対したためだという説です。駅の設置以前に、貝塚操車場(のちの尾久操車場)があり、最初、駅名も貝塚駅になるはずだったそうです。しかし、駅名が、隣の町名である「尾久」になったのです。しかし、地元の人は納得しませんでした。そして、妥協の産物として、駅名を「おぐ」とせずに「おく」としたというものです。
 ちなみに、都バスの停留所名は、なぜか「おぐえきまえ」です。』

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 尾久駅はJR高崎線と宇都宮線の駅なんだが、まあ、マイナーな駅であることには間違いなく、一日の乗降客数も京葉線の越中島、京浜東北線の上中里に次いで下から三番目の数しかない。昨年は一日平均で一万人以下乗降客しかいません。

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 実にマイナーな駅でしかないんだが、昔、尾久三業地があったころはそれなりに乗降客も多かったのかもしれない。

 昔、私は3歳頃まで、生前の父親の関係で、上中里の公務員住宅に住んでいたんだが、3歳という年齢のこともあったんだろうけれど、尾久駅や尾久という町のことは全く知らなかった。

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 上野まで一駅という至近距離にあるにもかかわらず、意外なくらいに住宅地として開発されておらず、最近になってやっとマンション建設などが多くなってきたのは、この地域の至便性に不動産業界も気が付いてきた、ってことなのかも知れない。

 まあ、何せ「都電」がありますもんね、都電が。いやあ、以前「都電で通勤」っていうのにあこがれた頃があったなあ。

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 何となく、東京の近代化に遅れて来てしまった荒川区、北区の代表みたいな地域には、それはそれで面白い街だと感じていたので、あまり近代化されてしまうとちょっと残念、という気がしないでもないのだが。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f1:4 @Ogu Arakawa, Showa Kita ©tsunoken

2018年8月13日 (月)

「新宿の目」はどうなっちゃうんだろう

 変なタイトルだなあ。一体「新宿の目」って何だ?……ですよね。

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「新宿の目」というのは、新宿西口の地下通路のスバルビル地下の通路に面した場所にある大きな彫刻のこと。

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 こんな「目」みたいな恰好をしたオブジェなんだが、やっぱり「目」だったんだ。

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 製作した彫刻家の宮下芳子さんの言葉がある。

『新宿の目
宮下芳子

 怪物的バイタリティを持つ新宿新都心が、現代日本の若さ、たくましさの象徴として世界に鳴りひびいている。 それは大きな大きな空問――その偉大な空間の整形を私は恐れも知らずに引き受けた。
底知れない力にみなぎっている怪物を、如何に表現したらいいのだろう……、
そうだ!!
時の流れ、思想の動き、現代のあらゆるものを見つめる“目”二十一世紀に伝える歴史の“目”…もしかすると 遠く宇宙を見っめる“目”かも知れない。このような多次元の“目”こそ新都心のかなめ「スバルビル」には最 適、と思った。
出き上った大きな十米近い目玉の前に立ち、自信たっぷりにウィンクできるだろうか?

偉大なる場を与えてくださったスバルビルに感謝いたしております。』

 ね、やっぱり「目」でしょ。

 ところがこの「目」がなくなってしまいそうなのだ。

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 スバルビルというのはその名の通り富士重工(現・スバル)が本社ビルとして建てたのを、2010年に小田急に売却して、購入した小田急もしばらくは昔の名前のまま「スバルビル」として貸しビルを運営していたんだが、新宿駅西口再開発のために取り壊されることになってしまったっていうわけ。

 小田急としては「しばらくの間は、壊すのは地上部分だけなので新宿の目は残ります」って言うんだけれども、じゃあ「しばらくの間」ってのがいつまでなのかはアナウンスしていない。

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「パブリック・アート」という観点から、この「新宿の目」撤去に対しては反対意見なんかもあるし、その一方、「物事にははじめがあれば、おわりもある」という考え方もある。勿論、製作者の宮下さんは「パブリック・アートとして残せ」っていう立場なんだけれども、所詮「スバルビル」という建築物についてきた彫刻なので、それはビルと生命を共にしても良いという考え方もある。

 とはいうものの、新宿以外の場所に「新宿の目」もないだろうし、スバルビルの後に作るビルのデザイナーがどういう考え方をするのかは分からない。

 小田急はもともとのスバルビルのオーナーじゃないし、スバルビルに「新宿の目」をしつらえた理由もわかってはいない。まあ、ビルを壊すんだから、付帯するオブジェも壊せばいいくらいに考えていたんだろうが、ここへきて、いろいろな意見が出てきて「ああ、困った、困った。」ってところなんでしょうね。

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 パブリック・アートって何じゃいな? ってな立場の私からしてみれば、まあ、どっちでもいいんですけれどもね。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Nishi Shinjuku ©tsunoken

2018年8月12日 (日)

王78系統バスの旅

 以前、東京駅から等々力渓谷の方まで走っている東急バスに乗ったことがある。多分、それが東京23区を走る路線バスの最長路線ではないかなと思っていたら、実はもっと長い路線があったんですね。

 それが今日ご紹介する(「別に紹介せんでもいい、よけいなことはするな」という言葉がどこからか聞こえてきますが)王子駅から新宿駅西口まで走っている「王78系統」という都バスの路線なのでありました。

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 東急バスの東京駅-等々力線は全長15km、停留所は44ヵ所。一方、都バス王子駅前-新宿駅西口駅前線は全長18km、停留所は48ヵ所と、なるほどこちらのほうが長いことがわかる。

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 ただし、こちらは長いだけで、あまり途中に面白いスポットなんかはないのです。

 せいぜい、この東北・上越・北陸新幹線との交差する場所とか、石神井川を渡る場所くらいなものかなあ。

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 なにせ、王子駅前を出ると北本通を北上し、神谷の交差点を左折すると、あとはひたすら環七を走って高円寺陸橋まで行き、そこを左折すると青梅街道を新宿まで行くだけ、っていうかなり、経路としては単純、道なりとしては地味な路線なんだなあ。途中、別に見るものはなし。

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 一方、東京駅-等々力線は、東京駅を出るとまず東京国際フォーラム、日比谷を通って内幸町の官庁街、虎ノ門ヒルズ、東京タワー、慶應義塾大学、清正公前、目黒大鳥神社、元競馬場前なんてところを通って、最後の行き先は等々力渓谷ですからね。結構、バスに乗ったままでも見どころ満載。

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 他方、王子駅前-新宿駅西口駅前線は地味。ただし、環七をずっと走るのでそれなりに、放射状に広がる重要な電車路線や街道なんかとは交差する。

 電車路線では、先ほど書いた東北・北陸・上越新幹線、京浜東北線、湘南新宿ライン、上野東京ライン(う~ん、この辺ちょっと水増し?)、埼京線、東武東上線、西武池袋線、西武新宿線などが地上で交差しており、その他地下鉄と交差する部分もたくさんある。もうたくさん(毛沢東? 無理?)ある。

 主な道路では、北本通(日光御成道)、旧中山道(板橋本町)、中山道(国道17号線)、川越街道、要町通り、千川通り、新青梅街道、早稲田通り、大久保通り、そして青梅街道という具合。

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 誰でも知っている名所を通るのが好きなのか、あるいは電車道や街道の「つくり」なんかに興味があるのか……、ってところがどちらの路線が面白いと感じるのかの分かれ道。

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 なんてことを考えていると、バスはやがて新宿駅西口前の終点についてしまいます。

 全体の所要時間は1時間15分ほど。平均速度は18km/h。そんなもんかな。実は都バスの平均速度って自転車の平均速度なんですね。

 まあ、都バスの始発駅から終点まで乗るような暇人はあまりいないだろうけれども。たまには面白いかもしれない。不要不急の御用のない方は……、ぜひ行ってください。

 こんな暑い日には、一服の清涼(1時間ちょい)ではあります(降りた後、暑いけどね)。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 ©tsunoken

2018年8月11日 (土)

「蒲田西口リニューアル」したらしいんだが

 一昨日、蒲田駅前に行った際にみかけた「祝 蒲田駅西口広場リニューアル完成」という横断幕。

「おおっ、蒲田駅前がリニューアルしたのか!」

 なんて思ったのだが、蒲田駅には最近もちょくちょく行っていたのだが、そんな工事をやっていた覚えなないしなあ。

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 そう、「蒲田駅西口商店街」がリニューアルしたわけではなくて、「蒲田駅西口広場」がリニューアルしたのを、「蒲田駅西口駅前」がリニューアルしたのかと勘違いしてしまったのである。

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 う~む、確かに前にに比べると駅前広場自体はなんだか新しくなっているようだ。そういえば、一番最近行った時にはその蒲田駅西口駅前広場でなんかのイベントをやっていて、駅前広場が新しくなったっていうのはよくわからなかった。

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 ただし、駅前広場の基本的構造は変わっていないので、リニューアルには気づかなかったって言うだけの話。

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 とくに駅前商店街の入り口とか、駅前広場の銅像なんかは変わっていないので、今までとどう違うんだろうという気がしてきた。

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 大田区のサイトを見ると確かに「こうやって変わります」的なアナウンスはあるんだが、「う~ん、まあ、どう違うんだろう」的なイメージもあるんですね。

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 まあ、商店街には悪いけれども、それほど変わったというイメージのない「リニューアル」ではあります。っていうことは、それを理由に蒲田駅西口商店街を訪れるお客さんが増えるとも思えないし、「ちょっと、自己満足的な」リニューアルなのかもしれないな。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Kamata ©tsunoken

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