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旅行・地域

2017年6月23日 (金)

成田街道八幡宿の藪知らず

 水戸街道は葛飾の新宿で成田街道(佐倉街道)が道別れして、市川宿、八幡宿、船橋宿という具合に宿場が続いている。ただし、短い街道なので、宿場町といっても宿場跡などといったものは残されていないようだ。

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 ここ八幡宿(市川市本八幡)も同じで、当然、国道14号線(千葉街道)は旧成田街道ではないはずで、でも、じゃあ昔の街道や宿場はどこにあるといってもよくわからない。多分、現在一番街商店街となっている部分がそうじゃないかと思うんだが、なんの説明版もない。

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 唯一あるのが、ここ「不知八幡森(しらずやわたのもり:通称・八幡の藪知らず)」だけである。

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 ここ「八幡の藪知らず」に関しては

『江戸時代に書かれた地誌や紀行文の多くが、八幡では「藪知らず」のことを載せています。そして「この藪余り大きからず。高からず。然れども鬱蒼としてその中見え透かず。」とか、「藪の間口漸く十間(約一八メートル)ばかり、奥行きも十間に過ぎまじ、中凹みの竹藪にして、細竹・漆の樹・松・杉・柏・栗の木などさまざまの雑樹生じ……」などと書かれたりしていますが、一様にこの藪知らずは入ってはならない所、一度入ったら出てこれない所、入れば必ず祟りがあると恐れられていた所として記載され、「諸国に聞こえて名高き所なり」と言われて全国的に知られていました』

 という市川市教育委員会の説明版がある。

 そんなに大きな藪ではないのだけれども、何か、いろいろないわくがあるようだ。

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 国道を挟んで反対側には葛飾八幡宮があり、もともとはこの八幡宮を勧請した場所であるというのも入ってはいけない理由のひとつらしい。

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 この八幡様。なかなか立派な八幡様で、参道の途中には京成電鉄の踏切なんかもある。

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 境内には富士塚や厳島神社なんかもある立派な神社なんである。

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 元々は平安時代に創建された下総国総鎮守の八幡様で、結構、由緒の正しい、古社なのであります。

NIKON Df Af Nikkor 35mm f2 D @Moto Yawata Ichikawa ©tsunoken

 

2017年6月20日 (火)

神田カルチェラタン

 1968年に「神田カルチェラタン闘争」というのがあった。

 まあ、「カルチェラタン」という呼び名は、マスコミがフランスの学生運動でパリ大学があるパリ・ラテン区(カルチェラタン)を解放区にして戦ったのをなぞらえて呼んだだけで、別にそれを実行した学生本人たちは普通に「神田解放区」と呼んでいましたがね。

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 と言っても、神田のお茶の水駅前と駿河台下にバリケードを作って、お茶の水の通りを一時的な解放区としてデモをやったっていうだけで、実はすぐさま機動隊によって解体されちゃったんだけれどもね。

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 結局、この解放区闘争自体の大きな目標はなく、普段はクルマが走っているお茶の水の通りを一時止めて、解放区にしちゃったら気持ちいいだろうっていう、いかにもブント(共産同・社学同)らしい、無展望闘争のひとつだったのだ。

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 ちょうどお茶の水通りを挟んで東側が中大、西側が明治大ということで、両校を根城にしていたブントが「やっちゃおうぜ」的なノリでもってやったら、結構評判が良かったのだった。で、その後の東大安田講堂戦の時はお茶の水から本郷通りを解放区にして東大まで繋げちゃおうってやったんだけれども、この時はうまくいかなかった。 距離が長すぎたんですね。

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 当時は、お茶の水通りの両側は今ほど楽器屋さんばっかりじゃなくって、結構、喫茶店が多くあって、その多くの店では解放区があっても営業を続けていて、逃げ込んできた学生を匿ってくれたりしていた。っていうのが伝説的に語られているんだけれども、実際にはシャッターを閉めちゃった店の方が多かったような記憶がある。

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 で、昔の中大ブントの巣窟と呼ばれた中大学生寮がここ。

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 地下一階が生協の売店になっていて、私も一時期(と言っても、中大闘争や60年代闘争の後なんですけれどもね)アルバイトをしていた時代がある。

 昔の中大白門の前にあったんだけれども、今や白門自体がなくなってしまっていて、この建物が1968年闘争の名残だなんて知っている人はいない。相変わらずトヨタの寮になっています。まあ、ここに住んでるトヨタの人も、そんな曰くのあった建物だったなんて知らないでしょうね。

 まあこうした1968年の遺構なんかもいずれはなくなってしまうんだろうな。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Ochanomizu Chiyoda ©tsunoken

2017年6月18日 (日)

戸越公園というか肥後熊本細川屋敷

 昨日のブログで東急大井町線の戸越公園駅に出てしまったということを書いたので、そこは当然「戸越公園」って何なのか、どんなところなのかが気になるわけですよね。

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 表門の脇に「戸越公園の沿革」というのが掲示されている。

『本公園は寛文2年(1662)、肥後熊本藩の分家熊本新田藩主細川利重が下屋敷として拝領、寛文6年に本家の所有となり、寛文11年までに数寄屋造りの御殿や庭園からなる戸越屋敷として整備された屋敷地の一部にあたります。文化3年(1806)、石見浜田藩松平周防守の屋敷となり、さらには伊予松山藩松隠岐守の手に渡りました。明治の改革により何人かの手を経て、明治23年(1890)三井家の所有となりました』

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 肥後熊本藩の藩邸と言えば、上屋敷 (千代田区丸の内):現在の丸の内オアゾ、中屋敷(港区高輪):旧高松宮邸・東宮御所(史跡・大石良雄外十六人忠烈の跡)、下屋敷 (中央区日本橋浜町):浜町公園、 (文京区目白台):肥後細川庭園、和敬塾、永青文庫などが有名だが(しかし、一体肥後熊本細川屋敷っていくつあるんだか)、ここ戸越にも下屋敷があったんだ。

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 ただし、ここ戸越屋敷は藩邸といっても「公邸」というよりは、半ば私邸みたいな感じで、鷹狩やキジ刈り、茶会などを行う別荘風の造りだったそうだ。

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 とはいっても、池を中心とした回遊式の庭園で、築山なんかもあるし、基本的には大名屋敷としての基本は備えている。

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 どの部分に屋敷が建っていたのかは分からないが、多分、現在都立大崎高校なんかがある場所が屋敷が建っていて、この公園になっている場所が庭園だったのではないかと思われる。

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 一番上の藥医門もそうだし、この冠木門など、普通下屋敷などで作られている長屋門とは異なった簡素な門が、昔から作られていたそうで、まあ、その辺からも、公邸としての下屋敷とはちょっと性格の異なる屋敷だったことが理解できる。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f2 D @Togoshi Shinagawa ©tsunoken

2017年6月17日 (土)

東京いい道 西大井 のんき通り……でも、Lost

 入院により失われた体力を回復しないと、ということで5月26日のブログ『東京いい道、しぶい道』で通ったことのない道「新幹線から見えるコアな道…西大井 のんき通り」を目指してみた。

 まあ、「歩いた距離 約700m」だからコンディション調整にはいいかな。

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 JR京浜東北線の大井町駅から「光学通り」を経てニコンの大井工場へ出て、そのままJR横須賀線(湘南新宿ライン)西大井駅までの道は何度も通っているんだが、そこから先、戸越方面へ至る道は今回初めて通る。

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 ところがどこかで道を曲がり間違えてしまったようで、「のんき通り」じゃなくて「三間通り」という道を、いつの間にか通っている。

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 どうも最初の曲がり角で直進しなければいけないところを、左折してしまったのが原因のようだ。このまままっすぐ行ってしまうと第二京浜国道(国道1号線)に出てしまいそうになって、慌てて軌道修正したのだが、最早Lostしてしまった「のんき通り」にはたどり着けない。

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 まあ、それでも「いい道、しぶい道」であることには変わりはないので、面倒なのでそのまま行くことにする。

 と、突然現れたのが東急大井町線のガード……

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 ってことは、反対側から戸越公園駅へ出てしまった。

 まあ、戸越公園駅に出るのは正解なんだけれども、ルートが全然違うんですね。

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 う~ん、かなり何度も調べたつもりなんだけれども、なかなか道の最初の曲がり角が分からないと、ちゃんとしたルートは辿れないってことか。

 う~む、なかなか奥が深いな泉麻人『東京いい道、しぶい道』。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Nishi Oi Togoshi Shinagawa ©tsunoken

2017年6月 9日 (金)

「下鎌田の富士塚」はかわいい富士山

 都営地下鉄新宿線も江戸川区辺りにくると、昔は畑や田圃ばっかりだったんだろうということを示す、ゆるくくねった昔の道と、直線的な新しくひかれた道が交差していて、昼間はあまり人通りも少ない、なんか寂しい街みたいな感じがあるのだが、意外や意外、結構住んでいる人は多かったりして。

 で、その瑞江駅で下車して南下すると「下鎌田の富士塚」というのがある。

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「下鎌田」というのは、この地域の旧称。で、その下鎌田にある豊田神社の社に目指す富士塚はある。

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 と言っても、高さはたかだか3メートルほどのかわいい富士塚なんだ。

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 で、この富士塚は大正五年にできたそうで、普通富士塚というと江戸時代の富士講が元になって作られたのが多いと考えていたので、富士塚としては随分新しい。

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 で「富士登山七十五度大願成就」って、本物の富士山かなあ、あるいはこの富士塚のことなのかなあ。本物ならスゴイですけどね。

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 豊田神社の神殿の脇に小さな富士塚が見える。

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 神社の裏は公園になっているが、多分、昔は鎮守の森があったんだろう。

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NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Mizue Edogawa ©tsunoken

2017年6月 8日 (木)

佃小島・雑景

 時々。無性に佃島周辺……っていうか、佃島に行きたくなる。

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 なんなんだろう? そこには周辺の石川島や月島、対岸の明石町なんかに見られるタワーマンションなんかが一軒もなく、せいぜい一番高い建物が築地小橋脇にある日の出湯というか大栄マンション5階建てなんである。

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 あとは今時東京のど真ん中になぜかポツンと置かれてしまったような……、木造平屋建て、新しい家でせいぜい3階建て、普通は2階建ての家々が並んでいる。

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 その2階建てだってできた当初は「モダーン」な建物だったんだろう。

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 佃島で一番似合うのはやっぱり佃煮やさんか……

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 こんないかにも「職人さんの家」っていう風情の家々だ。

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 昔は隅田川も永代橋で河口になり、その沖に佃島や石川島があったんだよな。

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 なんか、私にも昔の東京風情を懐かしむ心なんてものが残っていたのか知らん。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f2 D @Tsukudajima Chuo ©tsunken

 

2017年6月 6日 (火)

東京周縁部を往く・江戸川、旧江戸川分岐点

 東京メトロ東西線の妙典駅を下りて北口に出ると、すぐにこの「寺町通り」に出る。昔は「成田道」といって、成田山へ行く街道だったそうだ。

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 さすがに寺町通りらしく大きくて古いお寺がたくさん並んでいる。

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 で、寺町通り(成田道)が行徳街道とぶつかる場所にあるのが、この神明神社であります。

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 で、その神明神社の境内にあるのが「行徳町道路元標」。

 なんで神社の境内に道路元標があるんだと言えば、この近所に行徳町の町役場があったからなのだそうだ。今はどこを見渡してもそんな説明版なんかもない。神社の隣に市川市の建物らしきものがあるので、多分、そこが旧行徳町役場だったのかもしれない。

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 で、その神明神社を更に東進すると出てきました、江戸川放水路と旧江戸川を分ける篠崎水門、正式には江戸川水閘門と言います。

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 旧江戸川はここで江戸川放水路と別れて葛西臨海公園の脇に出て東京湾に放流。

 つまり、そこが江戸川サイクリングロードの起点。

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 江戸川サイクリングロードは、葛西臨海公園から出発して、篠崎で江戸川と合流し、柴又、水元と遡行して行って、最後は関宿町で利根川と合流するのであります。

 しかし、いままではただ単に通り過ぎるだけの場所だったんだが、こうやってゆっくり歩いて通るってのも悪くないなあ。

NIKON Df AF Nokkor 20mm f2.8 D @Gyotoku Ichikawa ©tsunoken

2017年6月 3日 (土)

「記念館ビジネス」っていうのは、どうなんだろう

 地域の名士の遺業を記念館として残すっていうのは、その地域の人にとっては大事なことだろうが、別によそ者としては比較的どうでもよいように思える。まあ、旅行でその近所まで行ったんだから、ついでに見て行くかってな感じで、5月7日のブログ『河合継之助と山本五十六』も、「見に行って、書いた」んだけれどもね。

 で、今度の福島温泉行きでも、行きは二本松の高村智恵子記念館、帰りは猪苗代の野口英世記念館に立ち寄ったというわけ。

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 まあ、高村智恵子、あるいは野口英世という個人に興味があれば、わざわざそこまで行って記念館を見に行くというのは、立派な旅行の動機にはなる。

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 が、まあ我々のように旅行の動機は「温泉」だったり「牛の角突き」だったりすると、別にそれは旅行の動機にはならなくて、ついでの時間つぶしみたいなものになったりする。

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 それぞれの記念館の主宰者は、高村智恵子記念館は二本松市、野口英世記念館は公益財団法人野口英世記念会。

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 まあ、主宰者側としては地域の名士だし、その偉業を称えるために、記念として遺品などを残しておこうと考える。これはビジネスではなく、文化事業なんだ、というのはよくわかる。

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 が、まあ周辺の人たちにとっては、そんな記念館のおかげで観光客が来てくれれば、お土産なんかも売れて、それはそれ立派なビジネスだ。

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 これが小樽の石原裕次郎記念館あたりになっちゃうと、石原プロモーションの子会社、石原インターナショナルが観光目的で始めたビジネスなので、目的ははっきりしている。その代わり、ビジネスが立ち行かなくなってしまえば、簡単に閉館を決めちゃったけどね。

 ううむ、この辺の「記念館は観光ビジネスなのか、文化事業なのか」は実に悩ましいところですね。ただし、基本的に言ってしまえば、「観光ビジネス」目的で記念館を運営している団体はない、ってところなんだろうなあ。だってどう考えたって、ペイしてないもん。

NIKON Df AF Nikkor 24-85mm f2.8-4 D @Nihonmatsu & Inawashiro Fukushima ©tsunoken

2017年6月 2日 (金)

浄土平湿原

 先週の金土、5月26・27日は学生時代の悪友H坂氏が毎度企画する会で福島の高湯温泉まで旅行に行った。

 旅館はいつもの「日本秘湯を守る会」の旅館「吾妻屋」です。UQ-Wimaxは相変わらず入らないけど、何と! WiFiが入る旅館だったのだ! なので、別に当日にブログをUPしてもよかったんだけど、まあ酔っぱらっちゃったんで、もうOUT!

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 で、予定では猪苗代から磐梯吾妻スカイラインを通って、山越えで高湯温泉まで行くつもりだったんだけれども、当日は生憎の雨。まあ、これじゃあ高原道路はガスっててダメだろうと、福島市から下から上がっていくルートに変更。

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 で、翌日いよいよ磐梯吾妻スカイラインに乗り出した。雨は上がったんだけれども、ガスってて視界はせいぜい10メートルっていう位のところで、注意深く進むしかない。

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 ところが車が浄土平レストハウスに着いたとたん、ウソのように霧が晴れたんですね。

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「こりゃあ、誰か日頃の行いの良い人間がこの中にいるのかな(ウソウソ)」なんて考えながら、浄土平湿原の散歩を楽しんでいると……

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 途端に山はガスに覆われてしまいました……、とさ。

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 まあ「山の天気は変わりやすい」っていうけど、その通りでしたね。

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 こりゃあ、早いとこ猪苗代に退散、退散!

NIKON Df AF Nikkor 24-85mm f2.8-4 D @Takayu Spa & Jododaira Fukushima ©tsunoken

2017年6月 1日 (木)

東映動画…あ、いや違った! 東映アニメーション

 今から30数年前に大泉学園へ引っ越してきた。名古屋から東京の映像製作部門へ異動になってきたわけなのだが、東映東京撮影所のあった大泉ってところが、どこか映像製作部門に異動になったということと因縁があったのだろうか。

 ただし、当時の大泉学園の駅前って、よしず張りの居酒屋なんかが沢山あって、東映の大部屋俳優なんかが監督の悪口を言いながら酒を飲んでクダをまくっていうパターンが多くて、まあ、それなりに面白かったんだけれども、今から考えるとちょっと「剣呑」なところはあったような気がする。

 で、結局、講談社がとった政策ってのは「アニメーションを自主製作する」っていう方向だから、んじゃあそれは東映動画(現・東映アニメーション)と組んでか? と言えばさにあらず。

 東映動画とのお付き合いができたのは「3×3 EYES」のOVAシリーズの製作だったので、私が東京に戻ってきてからは7年後のことになる。

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 で、久しぶりに東映アニメーションのスタジオを訪ねたら、今や工事中。

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 今年の夏の竣工を目指して追い込みの真っ最中ってわけなんですね。

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 それまで、マッドハウスとかスタジオぴえろ、スタジオ・ディーン、東京ムービー新社(その後、キョクイチ東京ムービー→トムスエンタテインメント)などといった、非東映系というか虫プロ系っていうか、そんなスタジオとアニメーションの製作をやっていた私は、初めて東映式のアニメーション制作というものを体験させてもらった。

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 そこでそれまでの虫プロ系のスタジオと東映動画の制作に関する考え方が、まったく異なることを教えてもらったのである。

 虫プロ系のアニメスタジオの制作には、アニメーション全体を見る監督とは別に、音響関係だけを司る「音響監督」というスタッフが存在するんだが、東映の方法ではそうしたスタッフは存在せずに、監督が映像から音響まですべてを司るという違いだったのだ。

 まあ、考えてみればそれが当たり前なんだけれども、虫プロ系では、最初に「鉄腕アトム」を作った時から作画が遅れに遅れて、監督が音響作業に携われないという問題がおきた。で、やむなく声優のキャスティングから音楽制作、アフレコ、音効作業、ダビングに至るすべての音響作業を司る音響監督なる職業が生まれたのだった。

 私としては、虫プロ系のアニメスタジオを仕事をした方が先行していたので、なんとなく「音響監督」がいるのが当たり前という感覚でいたのであるが、東映動画と仕事をしてみて、初めて「本来の監督の仕事」ってものに触れたっていうわけ。

 そりゃあそうだよね。本来、監督っていうのは映像全般(つまり映像から音響まですべて)に責任を持つ立場なんだ。それを「映像」に責任をもつ「監督」と、「音響」に責任を持つ「音響監督」っているってのは、やっぱりおかしいってことに、東映動画と仕事をしてみて、初めて気が付いた、っていうことですね。

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EPSON RD-1 VOIGTLANDER COLOR-SCOPAR 21mm f4 @Oizumi Nerima ©tsunoken

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