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旅行・地域

2017年3月22日 (水)

落合・おとめ山公園

 昨日に引き続き目白ネタです。

 目白通りの昨日書いた方と反対側に行くと「おとめ山公園」という、なんともフェミニンな名前の公園がある。

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 昨日のブログの一番下の写真にある通り、この地域一帯は江戸時代まで尾張徳川家の持ち物で、この公園も徳川家の狩猟地だった。

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 そのため一般人は立ち入り禁止。なので「御留山または御禁止山」と書いて「おとめ山」と呼んだそうで、別に「おとめ」=「乙女」という名前ではなかった。

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 神田川へ下りる落合崖線に位置するこの公園。

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 谷戸地形にある公園なので、いろいろなところで地下水が湧いている。

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 で「上の池」とか「下の池」とか、いろいろなところに池が配置されている公園なのだ。

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 周囲は最近こそ低層マンションが建っているが、以前は大きな敷地のお屋敷町だったようで、この公園を借景とした日当たりのよさそうな家が並んでいる。

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 なかなか住み心地のよさそうな街ですね。

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NIKON Df AF NIKKOR 35mm f1:2.0 D @Ochiai Shinjuku ©tsunoken

2017年3月21日 (火)

目白がおしゃれタウンなワケ

 いつもはクルマで通り過ぎてしまう目白の街を歩いてみた。

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 歩いてみるとかなりおしゃれな街なんだなあということが分かる。特に、目白通りの目白駅がある方とは反対側(豊島区側)がおしゃれ。

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 まずパティスリー(洋菓子屋さん)が多くみられる。「パティスリーが多い→女性が集まる→街が華やぐ→必然的におしゃれになる」っていう公式なのかしら。

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 学習院大学や日本女子大学がそばにあるからなのか。

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 あるいは豊島区側の目白通りの裏の方には、徳川ビレッジという外国人専用の超高級賃貸住宅があるからなのか。

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 どこかヨーロッパの街を歩いているような気分にさせてしまう。

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NIKON Df AF NIKKOR 35mm f1:2.0 D @Mejiro Toshima ©tsunoken

2017年3月19日 (日)

市ヶ谷・四谷・千駄ヶ谷

 昨日はブログの更新を忘れてしまった。あいスマン……、って程には期待されてはいないか。

 で、今日のテーマは「地名と地形の関係」

 地名と地形というのはかなり密接な関係があって、「谷」がついている土地は、基本的に谷底であるという。で、東京の都心でも「市ヶ谷」「四谷」「千駄ヶ谷」というJR線に近い関係の所に谷底地形があるんですね。

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 ということで市ヶ谷駅を出て靖国通りを北西の方に進むと市ヶ谷本村町、防衛省の前まで来ると、道路を進んでいるとあまり谷底を感じないのだが……

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 防衛省の中を覗くとほらここが谷底だというのがわかる。

 そういえば市ヶ谷駅だって大日本印刷からはかなり急な坂を下りて、外堀を渡ると九段の方へ向かって坂を上る感じになる。やっぱり市ヶ谷は谷底なんですね。

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 じゃあお隣の四谷はどうなんだ谷底じゃないじゃないか、と思うけれども四ッ谷駅があるのは実は千代田区麹町で、実際の昔の四谷は今の四谷三丁目のあたり。

 で、そこに行くとほら曙橋の下を靖国通りが走っているでしょ。

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 曙橋を過ぎると緩やかだけれども、交差点の先が上り坂になっています。

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 千駄ヶ谷は千駄ヶ谷駅あたりが渋谷区千駄ヶ谷の中心部分。ってことで千駄ヶ谷駅と国立競技場の間の高台を渡す橋の下に外苑西通りが走っています。

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 なんとなく武蔵野台地の上にあると思っていた都心部なんだけれども、台地と言っても丘の部分と谷底の部分があるってことですね。

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 なんてことを考えながら、鳩森稲荷神社へ向かっていく坂道を上ります。

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NIKON Df AF NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Ichigaya & Yotsuya Shinjuku, Sendagaya Shibuya ©tsunoken

2017年3月17日 (金)

東京周縁部を往く・二子新地・大山街道

 東急田園都市線の駅名は「二子新地」なので、てっきり多摩川対岸の二子玉川が元々の二子なかと思ったら、世田谷区には二子という地名はなく、二子新地駅のある場所が川崎市高津区二子ということだった。

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 いまは二子橋という橋が二子玉川と二子新地を結んでいるが、江戸時代までは橋はなく「二子の渡し」という渡し船が出ていた。ここ二子神社の傍がその渡船場だったらしい。

 この二子神社も現在は宮司はおらず、お隣の溝口(みぞのくち)神社の宮司が兼ねているそうだ。

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 この二子と溝口は大山参りで有名な大山街道に面しており、渡船場があるということは、ここが二子宿という宿場町だったということが理解できる。お隣の溝口もやはり大山参りの人たちが泊まった宿場だったらしい。

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 但し、参勤交代で使うような街道ではなかったので本陣・脇本陣とかの設えはなく、旅籠などの旅館だけだったようだ。ただ、「二子三業」というのが以前はあったようなので、旅籠なんかにも飯盛り女なんかもいたんだろうなあ。

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 さすがに古くからあった町らしく、上下の写真のような蔵造りの家なんかが散見できる。

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 府中街道との交差点を過ぎると、もうすぐ溝の口の駅の方にやってくる。

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 で、そのちょっと手前にあるのが「溝口・二子宿の問屋跡」という説明版が、現在は駐車場になっている場所に立っている。

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 この大山街道にはこうした説明版が数多くあり、街道歩きも楽しめます。川崎市も結構昔から発達した場所なんで、こうした史跡などを保護することに懸命なんだなあ。

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NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Futako, Mizonokuchi Tkatsu Kawasaki ©tsunoken

2017年3月14日 (火)

東京周縁部を往く・江戸川臨海球技場

 葛西臨海公園って言えば東京では知らない人はいないっていうくらい有名な臨海公園ですね。水族館や2020年東京オリンピックのカヌー・スラローム会場として予定されている場所であります。

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 荒川サイクリングロードを河口側に向かって走っていくと、少し手前の葛西橋で荒川放水路を渡って最終ゴールが葛西臨海公園。もうちょっと元気があれば旧江戸川サイクリングコースを遡上するコースの始点になる場所です。

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 でも、その葛西臨海公園から湾岸通りを越える橋を渡った先にある「江戸川区臨海球技場」を知っている人は少ないでしょう。

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 江戸川区臨海球技場はなかなか広い球技場で……

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 軟式野球場が4面……

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 サッカー他の多目的球技場や、フットサル・コートなんかもある立派な球技場なんだが、問題は観客席がないってことなんだ。

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 息子のラクロスの大会がよく開かれていたんだけれども、観客席がないんで、なかなかいい撮影スポットを見つけられなかったという思い出が多き球技場だったんだなあ。

 まあ、要はそれだけラクロスっていう競技がマイナースポーツだったっていうことなんだけれどもね。

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 で、この江戸川臨海球技場って、実は東京都下水道局葛西水再処理センターの処理施設の上部の覆いの上に作られた球技場だったんですね。

 だからいちいち上に登らなければいけなかったんだ。 ってのは実は最初から知っていたんだけれども、まあ、そんなマイナーな競技場しか使えないラクロスっていう競技のマイナー性ってものを思い知らされた瞬間ではありました。

NIKON Df AF NIKKOR 35mm 1:2 D @Kasai Edogawa ©tsunoken

2017年3月11日 (土)

言問通り・春さんぽ

 昨日は本郷税務署で確定申告を済ませてそのまま、言問通りを東進した。

 東大脇から弥生式土器で有名な弥生坂を下りる。

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 坂を下りきると不忍通りを過ぎて、台東区に入るとまた坂を上る。つまり、この辺りでは不忍通りは谷底なのだ。3月2日のブログ「谷中レトロカメラ店はどこだ」で書いた「へび道」というのが、今は暗渠になっているのだが、昔は「藍染川」という川で現在の不忍通りと並行して走って、不忍池に注いでいたのだ。

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 で、その坂を上っていくと途中に曹洞宗玉林寺というお寺がある。

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 で、その境内に第五十八代横綱「千代の富士貢(秋元貢)」の銅像が建っている。

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 なんでも1989年9月28日に千代の富士が国民栄誉賞を授与されたのを記念して、ここ玉林寺の住職が建立したそうだ。玉林寺は秋元家の菩提寺らしい。まあ、ここの住職が千代の富士の一番のファンだったってこと。

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 もうちょっと行くと、上野桜木に出て、こんなレトロな喫茶店があったり。

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 昔、谷中にあった旧吉田屋酒店を移築して作った台東区立下町風俗資料館の付属展示場(本館は不忍池畔)なんかがある。

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 この上野桜木から南へ行けば、寛永寺を経て上野公園だし、北へ行けば、谷中墓地を経由して日暮里に出る。

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 春の暖かい日には、こんな散歩コースも面白いのでは? 距離は4~5km位なので、さほど疲れません。

NIKON Df AF NIKKOR 50mm f1.8 G @Yayoi Bunkyo, Ynaka & Ueno Sakuragi Taito ©tsunoken

2017年3月10日 (金)

ヨコハマ残照

 なんとなく行き先を決めずにSUICAで電車に乗ると、何故か横浜に来てしまう。

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 家族の一人が昨年から横浜に住んでいるっていうのもあるんだが、

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 それ以前から、横浜はまあ好きな街ではあったのだ。

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 がしかし、カメラを向けるのは別に横浜じゃなくてもいいような風景ばっかりだ。

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 まあ、基本的に私の写真って、ある場所を特定できるような「証拠写真」みたいな物はないんですけれどもね。

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 それでもまあ、結構横浜らしい写真だと自分では思っていたりして。

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 まあ、どのへんで撮っているのかはバレてますよね。

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NIKON Df AF NIKKOR 35mm f2 D @Yokohama ©tsunoken

2017年3月 8日 (水)

「国領」とは何か?

 京王線に「国領」という駅がある。調布市国領町にあるからなのだが、では国領とは何か?

 国領というのは奈良時代から平安時代にかけての朝廷の直轄地の呼び名である。つまり、現在の調布市あたりが朝廷の直轄地だったってこと。

 府中とか国分寺とか、昔の武蔵国の中心は現在よりはだいぶ西の方にあったんだなあ。

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 駅は国領二丁目・三丁目あたりなのだが、布田に近い国領一丁目には国領神社というのがある。

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 神社の境内には御神木として「千年藤」が植わっていて「千年乃藤のお宮」というのが別名である。

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 この藤の木は「ちょうふ八景」(調布八景)の一つに数えられているとか。

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 この国領神社のそばの旧甲州街道沿いに調布不動尊常性寺という、境内に不動堂や馬頭観音などがある大きなお寺があるのだが、国領神社は本来はこのお寺の管轄下にあったそうだ。

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 それが明治政府の紳仏分離政策でもって、それぞれが独立することになったとか。

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NIKON Df AF NIKKOR 35mm f2 D @Chofu ©tsunoken

2017年3月 6日 (月)

オリ・パラ・フラッグツアーから神田・お玉が池

 オリンピック・パラリンピック・フラッグツアーが現在文京区に来て、文京シビックセンターで3月10日まで公開中。

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 と、そんなこととはまったく関係なく……

 昨日の傳馬町牢屋敷跡から水天宮通りを北へ少し行くと岩本町になる。この辺りに江戸の頃まで「お玉が池」という、不忍池よりも大きな池があったそうだ。

 当初は桜の名所だったところから「桜ヶ池」と呼ばれていたのだが、その池畔に建っていた茶屋に「お玉」という看板娘がいたそうなのだが、あるとき「人柄も品形もおなじさまなる男二人」が彼女に心を通わせ、悩んだお玉は池に身を投じてしまい、彼女の亡骸が池の畔に葬られたところから「お玉が池」と呼ばれるようになったそうだ。

 今はビルとビルの狭間に「お玉が池児童遊園」という空き地があるだけである。

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 すぐそばのマンションの狭間には「繁栄お玉稲大明神」が祀られている。

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 それにしても、このお玉が池界隈にはいろいろなものがあるなあ。あの坂本龍馬が入門した千葉周作道場なんかも岩本町の交差点のそばにあったようだ。

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 江戸の文人や学者が多く暮らしていたようで、その一人である伊東玄朴ら蘭方医たちが尽力して安政五年(1858年)に設立したのが「お玉が池種痘所」である。

 このお玉が池種痘所が今の東大医学部の出発点なのだそうだ。

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 周辺には「お玉湯」なんてお風呂屋さんもあります。

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NIKON Df AF NIKKOR 35mm f2 D @Iwamotocho Chiyoda ©tsunoken

2017年3月 5日 (日)

傳馬町牢屋敷・跡

 地下鉄日比谷線小伝馬町駅のエレベーター出口の脇が十思公園なんだが、実はそこが傳馬町牢屋敷跡なのだった。

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 公園脇の十思スクエアという中央区の複合施設の前に、平成24年に中央区が発掘調査をした際に出てきた牢屋敷の塀などに使われた石垣の石が並べられている。

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 実はこの十思公園だけではなく、十思スクエア(旧十思小学校)、大安楽寺、身延別院、村雲別院などの周辺の建物も傳馬町牢屋敷だったそうだ。でも、現在の東京拘置所や府中刑務所の規模に比べると、規模はまったく小さい。まあ、100万人前後だった江戸の人口を考えてみればこんな規模でも十分だったのかもしれない。

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 牢舎は揚座敷(旗本の士)、揚屋(士分僧侶)、大牢(平民)、百姓牢(百姓)、女牢(女性)と身分ごとに分かれていたようだ。まあ、それは身分制社会だったから仕方がないんだな。「犯罪者は皆同格」ってわけにはいかず、犯罪者であっても身分は分かれていたんだな。

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 で、十思公園の前にある大安楽寺の境内の延命地蔵の場所が「御椓場死刑場」という刑場だったそうだ。現在は「延命地蔵」が建てられている場所がそこだったらしい。

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 公園内には安政の大獄で刑死した吉田松陰を祈念して「松陰先生終焉の地」という碑が建てられている。

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 まあ、会津藩の末裔としてはざまあみやがれではあるが、しかし、その後の日本のことを考えると、ちょっと残念な死ではある。

 合掌

NIKON Df AF NIKKOR 35mm f2 D @Kodenmacho Chuo ©tsunoken

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