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旅行・地域

2018年10月18日 (木)

日本橋浜町・東京テレビセンター

 首都高速を走っていて箱崎ジャンクションを過ぎて、首都高向島線と京葉道路へ繋がる深川線の分岐点の横にあるのが東京テレビセンター浜町スタジオである。

 東京テレビセンターは、日本で最初のテレビ放送のためのポストプロダクション・スタジオとして1953年に出来たスタジオである。

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 大学生の頃、日本テレビで報道番組のボーヤ(学生アルバイトをこう呼んでいました)や編集助手のアルバイトをしていた関係で、ドキュメンタリー番組の編集なんかで、随分、徹夜仕事をさせたいただいたスタジオでもある。当時は、ポスプロ専用の外部スタジオなんてものがなかった頃なので、私はてっきりこの東京テレビセンターも日本テレビの子会社なのかなと思っていたんだが、そうではなくて独立のスタジオだと知ったのは、その後、随分あとのことであった。

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 その「随分あと」というのが、大学を卒業してK談社に入り、10年ほど過ぎた頃に始めたアニメーション制作の仕事についてきた頃だった。その頃、東京テレビセンターの古参の社員の人とお話をしたことがあったのが、上記のことを知った切っ掛け。

 日テレ時代は編集の仕事で徹夜することが多かった東京テレビセンターだったんだけれども、アニメ時代は基本的に音響関係のアフレコやポスプロでほとんど使っていたのであります。う~ん、そういう意味では、私のテレセン(「東京テレビセンター」をそうやって呼んでいました)時代も、結構長かったんだなあ。

 っていうか、「アフレコは東京テレビセンターです」って、現場の制作進行から言われた時、プロデューサーたる私が「ああ、テレセンね」って答えた時に、制作進行から奇妙な顔をされたのを、今、思い出した。

『創業時の東京テレビセンターは進駐軍との交流施設であった「中央クラブ」の施設を利用して開業、同じ建物の中には料亭宴会場結婚式場からなる「水光苑」があった、そのため老年層には水光苑として親しまれた。』(Wikipedia)というのは、今日、初めて知ったんだが、そういえばテレセンでなんかの作品の「小打ち上げ」をやったことがあったなあ。それこそ、水光苑だったのかしら。

 もう、思い出は忘却の彼方へ……。

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 で、テレセンの隣にあるのが、中央区浜町公園なんだが、この公園の隣にあるのが「浜町明治座」なんですね。出し物によってはオバサンたちがたくさん屯していたのを思い出した。

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 いやあ、浜町明治座といい、人形町といい、要はこのあたりは典型的な『江戸の下町』なんですね。周りは、今でも繊維問屋なんかが多いし、東野圭吾の『容疑者Xの献身』の舞台でもありますしね。

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 ただし、「テレセンの隣にあるのが、中央区浜町公園」というのは歴史の順番を間違えていて、もともと、熊本細川家の江戸下屋敷(って、いったいいくつあるんだ)のひとつがここ浜町公園であり、その脇に小さいけれど作っちゃいました的な存在がテレセンなんですね。

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 熊本細川家の屋敷跡です。だもんで、当然のことながら加藤清正公が神様として祀られているわけですね。

 まあ、結局、徳川幕府っていうのは豊臣政権を基本的に受け継ぐっていう(建前だけは)精神で作られた時代だったっていうことがわかる。

 まあ、「権謀術数」っていうのは、徳川時代からの発想なのかな。まあ、徳川家が藤原家の子孫であるっていうのも、結構、こじつけらしいしね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Hamacho ©tsunoken

2018年10月16日 (火)

大宮駅西口へ行ってみれば……

 10月3日に丸の内のフジフイルムサービスセンターに出したX10の修理が上がったので受け取りに行った。予定では二週間ぐらいということだったので、それよりは多少は早かったってところでしょうか。まあ、いくつか持っているコンデジのひとつなんで別にどうでもよかったんだけれども、多少早く出来上がったっていうのはうれしい。

 で、前回は大手町から浦安まで出かけたんだけれども、一昨日は大宮まで行った。

 大宮は旧中山道がある東口には何度も行っているんだが、西口方面というのはあまり行ったことがなかったのでね。

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 高崎線っていうのは基本的に旧中山道の西側をずっと走っているんで、高崎線に乗った時には、基本的に東口で降りて旧中山道周辺の昔の町を探索するっていうのが基本なんだけれども、西口の「新開地」もどうなっているんだろうか、っていう興味ですね。

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 大宮駅も同じく、駅前は大々的な開発を行っているので、駅前広場やその周辺にもイベント会場にもなるようなスペースがあって、人でもすごく多いのだが……、それをすぎちゃうと途端に「何にもない町」になってしまうんですね。

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 本当に、もう何もない町。「商店街」なんてものはなくて、とりあえず人が住んでいそうな一戸建てやマンションなんかはあるんだけれども、それらの家に住んでいる人たちはどこで日々の買い物をしているんだろうか、ってな感じなんです。

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 もう、とにかく何にもない町。大宮駅とさいたま新都心駅の間の、高崎線の西側の基本的な風景なのかな、これは。

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 で、とりあえず大宮駅かさいたま新都心へ戻るべくバス停なんかがあればと思って探したら、ありました。「大宮駅東口行き」の東武バスなんだが……。

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「えっ? えっ? えー。ウィークデイは一日一本もなし、土日祝日が15時7分発一本のみ。って、えっ? えっ? えー?」ってなもんですね。

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 すごいなあ、こんなの。相当の田舎に行くと三時間に一本とかのバスダイヤなんかはよく見るんだけれども、「平日なし、週末のみ一日一本」ってすごいなあ。こんなの見たことないや。

 そのバスに乗って大宮駅東口方面まで行けば、そこはかなり渋滞している「都市の町」なんですね。

 う~ん、これが「都市の裏側」ってやつなのか!

EPSON R-D1s VOIGTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Omiya ©tsunoken

2018年10月14日 (日)

潜伏! 板橋宿

「潜伏! 板橋宿」なんて言っても、別に何かの密命があって板橋宿にいったわけではない、のは当たり前。別によくあるテレビ番組のタイトルでもありません。

 普通、いつもの散歩コースである板橋宿に行ったんだけれども、実は別の目的があったっていうことだけです。

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 家から歩いてJR巣鴨駅前まで行って、そこからとげぬき地蔵通りを抜けて、大正大学を右に見ながら、そのまま掘割交差点で明治通りを板橋方面へ超えて、JR板橋駅前を通って国道17号線を斜めに抜けて板橋宿を通り、環七を越えて、そのまま進んで都営三田線の本蓮沼駅というのが、基本的な旧中山道板橋宿なんですね。

 つまりはそれが私の散歩道か……、と言われてしまえばその通りなんですけれどもね。

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 結構、古い建物なんて言うのがあったりして、いかにもっていう感じの建物もあるんだけれども、それは当然、板橋宿とはなんの関係もありません。

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 んでもって、板橋本町附近になると、「ここから板橋宿上宿」っていう看板になっちゃうんですね。

 要は、ここからちょっと環七方面に行くところにある「縁切り榎」ってのが北の端であって、逆に、JR板橋駅のそばにあるところが板橋宿を形成する平尾宿の先にある「近藤勇墓所」ってのが南の端っていうのが、いわゆる板橋宿だってっていうことなんですね。

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 と言っても、それはいつもの私の散歩コース。

 そこに何の密命があるというのだ!

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 って、別に密命でも何でもなくて、要は板橋方面から行くと、王子新道との交差点の手前の右手にあるのが「いたばし観光ガイドセンター」なんですね。

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 んで、ここで『いたばし観光ガイドマップ』ってのを、来週水曜日に行う予定のK談社社友会行事「 赤塚散策」で参加者にお配りする予定で、参加者の人数分いただいてきたっていうのが、昨日私が自らに指名した仕事ってわけです。

 まあ、定年退職者の日常って言えばそのものなんだけれどもね。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f2.8 @Itabashi ©tsunoken

2018年10月11日 (木)

まだまだ変わっていく街・渋谷

 渋谷にまたまた新しいビル「渋谷ストリーム」がオープンした。

 元々、東急東横線の渋谷駅ホームがあった場所の、青山通り(国道246号線)から代官山方面だけを使ってできたビルで、35階建てなんだが、一階から3階までが商業施設、4階がオィスエントランスロビー、5階がホテルロビー、6階が会議室、10階から14階が渋谷ストリームエクセルホテル東急のフロア、で15階から35階までが、なんとグーグルの専用エリアなのです。

 すげーな、グーグル。っていうか、そんなに大きくしちゃっていいのか? ってな気分にもなります。 まあ、人の会社だから潰れたって関係ないや……、ですがね。

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 代官山方面から歩いてみると、まず最初は東急東横線の代官山からJR山手線を越えた先の高架部分で、それはそのまま「ウナギの寝床」状態のビル「渋谷ブリッジ」になっています。

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 渋谷ブリッジにはこんな感じの、昔の東横線(でも、車体は新しいなあ)の思い出……的なレリーフ(?)なんかもあったりして……

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 並木橋から先の渋谷川もなんとなくきれいになったような感じが(あくまでも「感じが」)します。

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 実は、この東横線跡地なんだけれども、ずっと渋谷駅の方まで、こんな感じの高架線の礎石が残してあるんですね。それもすべて残してあり、そのすべてにナンバーを振ってあるんですね。

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 で、そのモニュメントは渋谷ストリームの2階まで伸びていて、渋谷ストリームのフロアには線路が埋め込まれています。まだ工事中の元々の東横線渋谷駅があった東急東横店東館まで伸びているんで、多分それは昔の東急東横線の駅端まで伸びているんじゃないでしょうか。

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 これは2027年開業予定の元東急東横店東館、予定されているビル名は「渋谷スクランブルスクエア」まで待たなければね。あと9年。う~ん、それまで生きているだろうか?

 ということで、まず初期の工事を終えた渋谷駅は、次の埼京線渋谷駅の移設に向けて動いています。これまで恵比寿よりに完全に一駅分ズレていた渋谷駅の山手線と埼京線なんだが、もうホームの基礎もできていて、もう近い時期に埼京線と山手線の乗り換えも楽になるでしょう。

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 まあ、私は「渋谷駅の乗り換え」ってのは、ほとんど関係ないんだけれどもね。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Shibuya ©tsunoken

2018年10月10日 (水)

茅ケ崎サザン通り商店街

 今日は完全に地域の宣伝です。JR茅ヶ崎駅南口の商店街です。

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 っていうか、茅ヶ崎駅前のメインストリートはやっぱり雄三通りなんですね。勿論、加山雄三さんです。そりゃあそうだよな。やっぱり一番偉大なのは加山雄三氏なのであります。

 でもさ、今やサザンオールスターズと桑田佳祐だって偉大ですよね。というか最近はいろんな街を歩いてなんか「街歩きの達人」みたいになってしまった加山雄三氏よりは、いまだ「茅ケ崎命」みたいに茅ケ崎にこだわっている桑田佳祐氏だって、茅ケ崎にとっては大事な人だと思うんですよね。

 ってことで、昨日は敢えて「雄三通り」を通らずにどこかに「桑田佳祐通り」とか「サザンオールスターズ通り」がないものかと思って、茅ヶ崎駅南口前を彷徨ったんですね。

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 そしたら見つけたんですよね「サザン通り商店街」って看板を。

 これが、単なる「茅ヶ崎駅南口」だから「サザン」なのか、「サザンオールスターズ」の「サザン」なのかが気になるところです。

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 で、いろいろ周囲を見回したんだが、それらしきものはない。

 って、そしたら見つけたんですね、「茅ケ崎名菓 茶山(さざん)」の看板を掲げているお菓子屋さん(これが第一段階)。

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 その前にあったのが、なんとなんと「茅ケ崎サザン神社」なんです(ジャンジャーン!)。

 ええっ! 今やサザンオールスターズと桑田佳祐は神様なのか! と思いました。加山雄三だって神様にはなっていないのに!

 実は、まあそうじゃなくて、茅ケ崎サザン商店街の事務所があったところに神社(風)の飾りつけをして、神社風に茅ケ崎サザン商店街はサザンオールスターズを崇めていますってことなんでしょう。

 う~ん、なんかバチが当たりそう。大丈夫かな?

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 まあ、崇めることは悪いことではないけれども、まあ贔屓の引き倒しにはらなないようにね。

 茅ケ崎サザン商店街のラップ風CMソングはコチラから。

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 (加山)雄三通りから行けば真っすぐに茅ケ崎海岸なんだけれども、サザン商店街経由だとちょっと遠回りになります。

 でも、結局は茅ケ崎海岸に出ておしまい、ってことなんですね。

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 まあ、そりゃあ向かった先は海だからね。

EPSON R-D1s COIGHTLANDER 12mm f5.6 @Chigasaki ©tsunoken

2018年10月 8日 (月)

築地が移転したからって、誰が困るんだろうか

 築地卸売市場が一昨日閉場して、豊洲への移転が始まった。豊洲市場は10月11日から営業を始めるらしい。

 しかし、築地の魚河岸と青果市場がなくなるからって、別にそれでもってこと改めて築地の場外に行くっていうのはなんなんだろう。

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 築地市場自体の歴史は80年ほど。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災がきっかけ。

 関東大震災でもって壊されてしまった日本橋魚河岸と京橋青果市場の移転先として指名されたのが、現在の築地なのであった。

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 汐留からの鉄道が敷かれ、現在の築地卸売市場がオープンしたのが1935年(昭和10年)のことだった。現在、築地市場を上から見ると魚河岸の隣に扇型になった建物が見えるのだが、それが汐留方面からの引き込み線ホームの名残りなのだ。

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 つまり、築地の魚河岸だって別に昔からの魚河岸だったわけではなくて、日本橋からの移転先だった。で、その場所の耐用年数が終わってしまったのだから、それは当然、次の場所を求めて移転していくっていうのは、街が発展していく過程にある限りはやむを得ないことなのである。

 築地市場が豊洲に移るっていったって、築地場外市場まで豊洲に行くわけではない。一部は豊洲移転という店もあるようだが、東京都と築地市場としてはそんな意味で「築地魚河岸」っていう新たな商業ビルが出来ている。

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 築地場外に来る人だって、別に場内まで入る人は(今は入れます)ほとんどいないわけで、大半の観光客は場外市場だけでなんとなく「築地に行った」なんて、訳の分からない感想を言ってしまったりしているんですね。「別に市場直結だから特別安いわけでもないし、客が値切ってもここは市場じゃないので対応してくれないし」って、そんなの市場(マーケット)じゃないじゃん、って言っても、ようは築地場外っていうのは普通の魚屋さんでしかないんですね。そんなところがまけるわけないじゃん。

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 ということなので、別に築地市場がなくなって、豊洲に移ったからって言っても我々の生活には何の変化もないのに、なんか、みんな「今日で築地市場おしまい」なんてニュースを見てから、「私たちの市場がなくなってしまう!」なんて言って、皆で築地に行くんだなあ。それも場外にね。

 あんたら、それまでどれだけ築地に愛情を注いでいたんだよ! 訳も分からんくせに! って言いたくなるわけですね。

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 私にとっては築地の移転なんかよりは、三原橋の解体の方が気になる。晴海通りが平たんになるのはいいんだけれども、その結果なくなってしまった、シネパトスっていう映画館の方が気になるんですね。成人映画も日活とかの大手じゃないところの作品ばっかり選んで上映していたり、けっこう独立系の映画を見ることが多かった映画館なのでありました。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Tsukiji & Ginza ©tsunoken

2018年10月 7日 (日)

東京周縁部を往く・柴又街道は柴又だけを通っているわけじゃない

 葛飾区の柴又周辺を歩くと目につくのが「柴又街道」という道標。

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 ただし、これは当然のことながらこの地域だけの俗称。正しくは「都道307号線王子金町江戸川線」の葛飾区内の呼び名というわけだ。

 都営新宿線の篠崎駅近辺から発して、JR小岩駅、京成小岩駅、北総線新柴又駅を経て、当然のことながら京成金町戦の柴又駅前を通って水戸街道を渡りJR金町駅まで行く部分が柴又街道。この先も都道は繋がっていて足立区を通て北区王子まで続いているらしいんだが、そこまでは知らない。私が知っているのは柴又街道までだ。

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 ところがこの柴又街道って京成高砂駅で降りると、延々駅前商店街を通ってやっと京成金町戦の踏切を渡って柴又街道に出ると、もうそこが柴又駅、柴又帝釈天の真ん前なんであります。

 イメージとしては、京成高砂辺りのそばから柴又街道に出られるのかと思ったら、そうではなくて北総線の新柴又駅だったんですね。

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 まあ、柴又に出ても帝釈天については、西新井大師との関係で、面倒くさいのであまり語る気はないので、これだけでおしまい。

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 帝釈天の裏に行けばそこは江戸川河川敷。川の向こうは千葉県で矢切の渡しなんかもこの近くから出ているわけです。

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 江戸川河川敷は河口からサイクリングロードが出来ていて、最後は利根川との分岐点がある関宿まで続いています。

 つまり、ここ矢切の渡しは柴又公園になっていて、トイレもあるしちょうどよいサイクリストの休憩所でもあるのだ。

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 以前は旧江戸川河口からその関宿まで往復100km以上あるサイクリングをやっていたもんだが、今でもそんなことが出来るだろうか。

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 う~ん、ちょっと再挑戦してみたくなったなあ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Shibamata Katsushika  ©tsunoken

2018年10月 5日 (金)

横浜点景・余景・雑景

 一度、ヨコハマに写真撮影に行って、ヨコハマで食事をして、ホテルニューグランドに宿泊して、バーでスコッチを一杯やって、部屋から氷川丸を見ながら今度はスコッチじゃなくてバーボンのオンザロックを一杯遣りながら、ブログを書きたいと考えているんだが……、未だに実現していない。

「横浜からなら1時間もあれば家に帰ってきてしまうじゃない」っていうプラグマチックな妻がいるおかげで、あまり夢のような時間が過ごせないのであります。

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 まあ、横浜といってもみなとみらい辺りはいかにも「新しい横浜」だし、桜木町から関内・中華街あたりなんかは明治以降の「ミナト・ヨコハマ」の象徴のような街だ。本当はその辺りが好きなんだけれども。

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 けれども、横浜駅のそばには、こんな「ヨコハマらしくない」横浜がたくさんある。

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 まあ、昔からある横浜風景なんだけれども、それは今の横浜風景からはオミットされている町並み・風景なんだなあ。

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 この辺りに住んでいる人たちにとっては、こちらが「普通の横浜」だし、みなとみらいや関内は「別の横浜」であるはずなんだけれども、他所から横浜に来る人たちにとっては、こちらが「昔の変な横浜」なんだなあ。

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 でも、結局横浜にも住んでいる人は沢山いるわけだし、そんな人たちがいるからこそ横浜という街が成り立っているわけなんですね。

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 まあ、いってみれば「ハレ」の部分の横浜と「ケ」の部分の横浜っていうのがあって、横浜に住んでいる人たちにとってみれば「ケ」の部分が本来の横浜であるにすぎない。

 たまたま、近親者が横浜市民になった関係で、そんな「ケ」の部分の横浜に親しむようになったのだが、実はまだまだ私もそんな「横浜どっぷり」の生活をしている訳ではない。所詮、私にとって横浜は駒込から電車に乗って行く「他所の場所」でしかないわけで、そう考えると、水俣に住んで水俣を撮影し続けてきたユージン・スミス氏の方法論、「自分でそこに住んで撮影をする」っていう方法論が、なんかやっぱりすごい現場意識のもとにあるんだなあ、という気がしてきた。

 う~ん、何の関係もない話でスミマセン。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Yokohama ©tsunoken

2018年10月 4日 (木)

立石駅前取り壊しはまだやっていなかった

 う~ん、京成立石の駅前のゴチャゴチャした商店街というか、「センベロ飲み屋街」が再開発の対象になっているのは知っていたんだが、つい最近、ある場所が更地になったという情報を聞いて、「それは見ておかなければ」という感じで京成立石まで行ってきた。

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 ただ、行ってみると、以前と変わっていないし、「立石駅前商店街」も「立石仲見世」も以前のまま残っている。

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「なんだガセか」と思ってみたんだけれども、まあこの地域の再開発計画があるのは、以前のブログでも書いたとおりなので、今後はしばらくは定点観測の必要はあるなとの認識を新たにしたような感じではあります。

 まあ、「昔の町をそのまま残せ!」っていうほどの過激な「旧守派」ではないけれども、しかし、昔のものがなくなってしまうのもちょっと寂しいという、「懐守派」程度の私なので、まあ、せめてなくなる瞬間だけでも捉えて置こうってわけなんですけれどもね。

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 とはいうものの、昔の町を残せっていう気持ち(要は「懐古」っていうだけでしょ)は分からないではないけれども、そうやって昔の町を壊して、その上に新しい町を作ってきたのが江戸の歴史なんだから、その歴史観から考えれば、昔の町が使い物にならなくなってしまったら、「それを壊して新しい町を作る」っていうのが、江戸=東京に住む人間としての正しい判断であるはずである。

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 そうやって時代ごとに相貌を変えてきて現在の東京があるんだからね。「武蔵→江戸→東京」という具合に時代を変遷してきたバックには、相当程度の「SCRAP & BUILD」「CRUSH & BUILD」があったに違いない。「江戸→東京」という街自体が全面的な改造があったからこそできたものなのだ。

「武蔵→江戸」でもすごい大改造なんだが、同時に「江戸→東京」でも、やっぱり大改造があったのだった。

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 ってことで、その辺を言うにはちょうどいい場所に来てしまった。その遺跡は、まさしく環七の下に埋もれてしまった葛西城址が象徴しているのだ。

 環七を通るトラックの数は多いけれども、でも、その中の何台が、「今、自分が走っている場所の下がお城だった」なんてことを意識しているんだろう。まあ、それはほとんどの車のドライバーは意識なんてしていないはず。

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 まあ、街の発展なんて、そんなことの繰り返しだろう。改造されて十年もたてば、誰もそれ以前の町のありさまなんてものには興味を示さなくなってしまい、そこに新たな町の歴史が築かれるのだ。まさしく、その歴史は「死屍累々」の歴史。

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 そんな「死屍累々」の上に我々が住んでいる町があるのだ。

VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Tateishi, Aoto, Kameari ©tsunoken

2018年10月 3日 (水)

丸の内から浦安へ

 昨日はフジフイルムのコンデジ、X-10を修理に出すために丸の内の FUJIFILM Imaging Plaza まで行った。

 これまではフジフイルムのカメラの修理は六本木の東京ミッドタウンにあるフジフイルムまで行っていたんだけれども、丸の内にサービスセンターが出来たので、以前に比べると随分便利にはなったものだ……、いやいや、私にとっては、ってことですけれどもね。

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 富士フイルム・イメージング・プラザには当然、発表されたばっかりのGFX50Rが展示されていて、ちょっとだけいじってみたんだけれども、カメラの大きさからはさすがに中判カメラっていうイメージだし、その雰囲気は中判レンジファインダーカメラのフジフイルムGF670と似ていていい感じなんだけれども、はてさて、デジタルカメラになってしまって「中判」の意味がどこまであるんだろうという気にもなるし、逆に「ライカ判」とか「4×5判」「ハーフサイズ」なんてものも、デジタルになって意味がなくなってしまっている状況の中で、敢えて「中判デジタル」を出す意味がどこになるんだろう、なんてことを考えてしまったのである。

 ハッセルブラッドなんかも中判デジタルカメラを出しているんだけれども、こちらも「6X6」判をそのままデジタル化しただけで、「撮像素子を6X6にした」っていうだけで、別に「中判映像戦略」ってのは見えないんですね。フジフイルムの中判ミラーレス(レンジファインダーじゃないのが、ちょっと残念)にも、同じくやっぱり「デジタル中判映像戦略」は見えませんね。

 勿論、持った感覚はフジの中判レンジファインダーの感覚そのものだし、いいんだけれども、お値段がデジタルライカと変わらなかったりするのであってはねえ、ちょっとすぐには飛びつけないかな。その前に、ライカM10でしょ、なんて考えたりしながら富士フイルム・イメージング・プラザを後にしたのでありました。まあ、正直GF670ほどには心をそそられるカメラではないなあ。

 はて、では丸の内の次はどこに行こうかな、ってなもんで考えた。大手町は地下鉄が三田線、千代田線、東西線、丸ノ内線、半蔵門線が走っていて、ちょっと歩けば有楽町線やJR東京駅ってなわけで、日本中どこでも行けちゃうんですねえ。

 う~ん、最良の「選択肢」。あるいは「最悪の選択肢」。

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 っていうことなので、あまり皆さんの顰蹙を買わないように……、ってわけではないけれども、近場の東西線浦安駅まで行ってきました。

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 と言っても、歩いたのは駅周辺ばっかりで、あまり遠くには行っていません。

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 それでもこんなフォトジェニーな女性が歩いていたり……

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 相変わらず、「浦安名物 焼蛤」のお店は健在です。

 で、焼蛤を買って、今夜のおかずかなって感じです。

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 ということで、「浦安ブラブラ」でした。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Marunouchi & Urayasu ©tsunoken

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