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旅行・地域

2017年11月22日 (水)

退院1日目は、ご近所徘徊から

 退院して1日目は、医師の「たくさん歩きなさい」という言葉にノせられたわけではないが、自宅から巣鴨地蔵通りを通って、明治通り掘割まで歩いた。まあ、入院以前に歩いていた距離と比べると、「ホンのお散歩」程度ですけれどもね。

 快晴の一日でありました。

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 こういう日差しの強い日に「絞り優先モード」(私のデフォルト撮影モード)で撮っていると、メインの被写体を「明るい方」に選ぶか「暗い方」に選ぶかで、大いに写真の効果が変わってくる。

 基本的には「ハイコントラスト」の効果の写真になるわけで、「明るい方」を選べば暗い部分はベタッとした「黒」になるし、「暗い方」を選べば、明るい部分は「白トビ」した雰囲気の写真になるわけです。

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 実は(私も含めて)モノクロ写真好きの連中は、結構このハイコントラストの写真が好きで、「森山大道風だっ!」なんて、アホなことを考えながら写真を撮っていたりする。

 カメラもカメラで、今私が使っている「大ニコン様がマニア用に作った」ニコンDfだと、メニューの中に「ピクチャーコントロール」というのがあって、勿論、その選択肢には「モノクローム」があるし、モノクロームを選ぶと「輪郭協調」「コントラスト」なんかを好きなようにコントロールできるようになっているんですね。

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 で、みんな最初は「モノクローム」を選んで、「輪郭協調」を少し強め、「コントラスト」をメチャメチャ上げて「森山大道調」を装って面白がったりしているんですね。

 ニコンカレッジの講師に褒められたことがあって、つまりそれは皆、浅草の写真をカラーで撮っていたんだけれども、私だけモノクロで撮影、でもそんなにコントラストは強調している写真じゃなかったってことなんだ。で、褒められた理由が「普通モノクロモードで撮っている人はコントラストをやたら強めにしている人が多いのですが、tsunokenさんはそうじゃないところが、いいです」ってもんだからねえ。

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 いやいや、これは冷や汗もの……、実はこの時の撮影実習(2年位前)の直前まで、私の写真は「森山大道風」だったのだ。写真講座を受けるにあたって、設定をノーマルに戻したばっかりのことなのでありました。

 なあんてことを思い出した、今日の巣鴨地蔵通りではありました。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Jizotori Sugamo ©tsunoken

2017年10月29日 (日)

踏切地蔵尊・下北沢

 今、大変貌しつつある下北沢である。

 まあ、ゴチャゴチャしている町は別に嫌いじゃないんだけれども、でも、あまり下北沢(「シモキタ」って言うのかな?)は、何故かあまり好きになれなくて来ていない。

「芝居好き」の街だからなのかなあ。と映画は好きだけれども、芝居はそんなに好きじゃないtsunokenは申しております。

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 前に下北沢について書いたのは、この新しい形の本屋「本屋 B&B」ができた時のはずだから、2012年のオープンの時以来、この町には来ていなかったのかなあ。もう、5年も来ていない……、なんてこともあるんだ。

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 で、今日のネタはそんなに最近の下北沢じゃなくて、もっともっと、ずっと昔からあったモノ…って言っていいのかな。

 南口商店街をずっと下がっていって、南のはずれ、北澤庚申堂がある交差点を右折して、坂をどんどん上がっていって、昔、小田急線の踏切があったところにそれは建っています。

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 ってことで、もうバレバレですね。そう、踏切地蔵尊というのがその場所にあるのだ。

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 下北沢駅は京王井の頭線との乗換駅でもあり、小田急線としてもかなり重要な駅なのだろう。まあ、だからあえて「再開発」という困難な方法を用いても駅を、更に駅前の街を、作り変える必要があったのだろう。

 ってことは、まだ小田急線が地下化していなかった頃のこの踏切は、かなりの「開かずの踏切」状態だったんだろうな。で、踏切事故が頻発した→事故にあった人の魂を慰め、同時に踏切事故が無くなるように→との願いから、この地元の篤志家たちがお地蔵さんを作った、という流れのようだ。

 踏切がなくなった今も、花やお酒を手向けられている、まあ、考えようによっては、哀しいお地蔵さんでもあります。

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 現在は地下化工事もかなり進んで来年には工事完了予定なんだが、工事が終わってもお地蔵さんは残るんだろうな。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f1:2.8 D @Shimokitazawa ©tsunoken

 

2017年10月27日 (金)

世田谷区赤堤って、どんなところ?

 昔、アニメのある音響監督(女性)と話をしていて、彼女が世田谷区の赤堤出身だということを自慢していたことがあった。

 赤堤と言えば、世田谷区の豪徳寺の隣町だし、結構「お嬢様」だったんだなあ。で、その「お嬢様」がなんでよりによってアニメの音響監督に? って、話がなったんだけれども、その先は覚えていない(ことにする)。

 で、考えてみれば豪徳寺あたりは世田谷城ネタで何度も行ったんだけれども、赤堤って行ったことがないなあ、ということで京王線下高井戸から歩いてみた。

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 日大文理学部(というよりも私にとってはアメフト日大フェニックスなんだけれども)の学生さんとは反対方向に降りて、世田谷線沿いに歩く。

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「公園通り」なんていう表示を見ると、「うん、さすがにお嬢様の街」ってな雰囲気なんだけれども……。

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 行っても行っても普通の商店街……

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 普通の住宅街が延々と続くんですなあ。

 別に「お嬢様」の街でもなんでもないじゃん!

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 なんて勝手に憤慨しながら歩いていたら、目の前に「赤松公園」が! すわっ! 「赤松城址公園」か? と、これまた勝手に盛り上がっていたんですがね。 

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「赤堤と松原の中間」なんで「赤松」公園なんだと……、えっ? えっ? えっ? なんと安易な世田谷区ぅ。

 まあ、世の中の大半は、こんな変哲もない「普通の町」だってことは知ってはいるんですがね。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f1:2.8 D @Akatsutsumi Setagaya ©tsunoken

2017年10月26日 (木)

昭和通り

 昭和通りというのは、上野駅の駅前で中央通りと分かれて、新橋交差点でアンダーパスから出て中央通りと合流する(行政的には三ノ輪の大関横丁からと、ちょっと長い)銀座中央通りの混雑を避けるためのバイパスとして作られた道である。

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 なので、銀座通り(中央通り)みたいな派手な商店とか、日本橋の三越、上野広小路の松坂屋などの大きな商業施設は少なく、オフィスビルやそんなオフィスのショールームなんかが並んでいる、ちょっと見には「地味」な通りである。

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 私は結構この「地味さ加減」が好きでよく歩いているんだけれども、あまり写真には撮らないなあ。

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 でも、この江戸橋沿いなんかは、日本橋と違って日本経済を裏から支えている金融業や商業の会社が多く、それなりの存在感があるビルが多い。

 更に、この江戸橋界隈の首都高速の曲線なんて、いくら見ていても飽きないんですね。う~ん、セクシ~。

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 ショールームも中央通りのようなユーザー向けではなくて、業者向けの展示や、ビジネスユースの展示物が多くみられる。これまた中央通りの派手な飾りつけじゃなくて、なかなかセクスィーな感じでいいんですね。

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 この昭和通りは関東大震災の復興事業として計画され、1928年(昭和3年)に完成した。だから「昭和通り」なんだな。と思ったのだが、じゃあ明治通りは明治時代に計画されてとか、できたとかあるのか、と思ったらそうではないらしい。

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 明治通りも関東大震災の復興事業として計画され、完成も昭和なんだが、まあ、多分近くに明治神宮があったから明治通りになった、っていうんでしょうね。

 まあ、別に道の名前なんてなんでもいいんだから「寶田恵比寿通り」でもよかったんですけれどもね。おお、これでブログにオチがついた。

 ああ、寶田恵比寿じゃ明治神宮ほど有名じゃないからダメか。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f1:2 D @Nihonbashi ©tsunoken

2017年10月25日 (水)

鴨川大山千枚田

 9月の初めに千葉県展の日本画部門を見に行った時、そこに展示されていた棚田の田植え風景の絵を見て初めて、ここ千葉県にある棚田のことを知った。それが「鴨川大山千枚田」なのであります。

「東京から一番近い棚田の里」というのが売り文句らしい。

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 しかし、棚田そのものは山がちのこの国では別に特に珍しいわけではなく、私がよく闘牛を見に行く、長岡の山古志村にも棚田は多く、山古志の名物は「棚田、錦鯉、牛の角突き」なんである。ただし、そこは東京からは遠い。

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 で、千葉県の鴨川なんだけれども…

『起伏が多く、平たんな土地が少ない南房総の山間部では、山の斜面を開墾し、地形を巧みに利用して、棚田が盛んに造成されました。県内最高峰の愛宕山(標高408m)から北西約2kmに位置する「鴨川大山千枚田」は、標高90~150mの斜面に大小様々な水田が、東西約600mの範囲に連なっています。その規模と景観はともに、市内に残る棚田の中でも最もよく保存されています』

 という通り、別に「大山千枚田」に含まれていない部分も、すべては棚田や棚田を改良した畑や果樹林などになっている。

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『平成9年に所有者、鴨川市民、市外在住者などによって「大山千枚田保存会」が結成され、この棚田の保存と活用への取り組みがスタートしました。平成11年には、農林水産省の「日本の棚田百選」に認定されています。(中略)指定名勝の範囲内では375枚の水田が耕作されていますが、今後はさらに、その範囲内にとどまらず、大山千枚田周辺の棚田と里山・集落を有機的な関連性をもつ文化的景観としてとらえ、それらを一体として保存活用するため、総合的な取り組みをすすめています』

 ということ、一番上の写真や下の棚田は、そんな375枚の田んぼのうちのいくつかなのであった。

 なお、山古志は「日本の棚田百選」には選ばれてはいません。

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 すぐそばには大山不動尊っていうのがあって、「高蔵山の中腹にある大山寺は、神亀元年(724年)に良弁僧正が開山したと伝えられています。「成田山新勝寺」「雨降山大山寺」と共に「関東三大不動」とされています」 っていうんだけど、そんなの聞いてないぞ。

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 ただし、大山千枚田の棚田を見てみると、畦にライトがついていて、ある時期には夜になるとそれに灯がともるようになっているそうだ。

 う~ん、別にいいんだけれども……、それってどうなの?

NIKON Df AF Nikkor 35mm f1:2 D / 20mm f1:2.8 D @Hiratsuka Kamogawa ©tsunoken

 

2017年10月22日 (日)

JAZZ DEPARTMENT STOREって、何?

 昨日のブログの最後の写真を見て気付いたことありませんか?

 そう、駅のバナーに貼られた「JAZZデパート」っていう広告。まあ、池袋を起点にして動き回っている人にとってはどうということもなく、見落としてしまったかもしれませんけれども、何か変ですよね? 「Jazz Department Store」って、何を売ってるの?

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 ジャズのレコード? ってことじゃ当たり前すぎるし、そんなものはデパートのCD売り場に行けばいいんですもんね。

 じゃあ、「ジャズみたいな百貨店」ってことですかね? で、「ジャズみたいな百貨店」って何だろう? まあ、ジャズっていうのはクラシックやブルース、ロックなんかをなんでも融合(フュージョン)していって発展してきた音楽ジャンルなので、まあそんな「ジャズみたいになんでも扱って、その本体がなんだかわからなくなってしまっている百貨店」っていう意味なのか。

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 と、いろいろ考えたんだけれども、端的に言ってしまえば「デパートでジャズのライブやります」っていうことだったんですね。まあ、少しは「私たちはジャズみたいな百貨店を目指します」っていう、デパートの意気込みなんかを少しはあらわしているのかもしれない。うん、期待するのはそっちの方かな。

 ライブっていうことで言えば、10月23日には日野皓正クインテットの無料ライブをやったり、毎週末にはコンボや大学のビッグバンドジャズなんかの演奏もあったりするようだ。

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 が、しかし、「〽問題は今日の雨」ですね。

 屋上のライブ会場もこの雨ではあまりお客さんもきそうもありません。

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 基本的にライブハウスなんかで演奏されることの多いジャズなので、あまりオープンエアのところで聞いたことはない。っていうか、私自身はまったく経験がない。ジャズってのはジャズ喫茶なんかで聴くもんだ、って考えていましたからね。まあ、ニューポート・ジャズフェスティバルなんかに行けば、オープンエアでやってるけど、天候の安定しない日本では基本的にはジャズは家の中で聴くもの、っていうイメージが強いもんなあ。

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 はてさて、この「Jazz Deoartment Store」ってコンセプト的(意気込み的)には何となく理解はできないではないけれども、うまくいっているのかどうなのか。デパートのビジネスに強くない私には何とも判断できないが……、どうなんでしょうかねえ。

RICHO GRD @Ikebukuro ©tsunoken

2017年10月21日 (土)

秋の日の…ヴィオロンの…ため息の…

 撮影をしながらほっつき歩いている時に、突然、頭の中で聞こえた詩があった。

「秋の日の…ヴィオロンの…ため息の…」

 有名な、ポール・マリー・ヴェルレーヌの詩である。勿論、別にフランスの詩に詳しいわけではない、きわめて散文的な私が覚えているのは、上に書いた部分だけである。

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 雨の一日だった。「雨の日の…雨の日の…なんてことを口ずさんでいるうちに、「秋の日の…」となったに違いない。

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Les sanglots longs
Des violons
 De l'automne

 というのが、冒頭に掲げた部分の原語。この「Les sanglots longs」というのは「ため息」というよりは「死ぬ間際の喘ぎ」のようなものらしい。とすると、上田敏による詩的な翻訳は、それでいいのか? ということになる。

 ただし、それを自分で解決できるほどのフランス語の素養のない私としては、まあ、そのまま上田敏訳を読むわけである。

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 ところが、この有名な詩が第二次世界大戦を決した連合軍のノルマンジー上陸作戦の暗号として使われたらしいのだ。

『1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦の際、フランス各地のレジスタンスに工作命令を出すための暗号として、「秋の歌」の冒頭が使われ、英国放送協会(BBC)のフランス語放送で流された。
 秋の日の ヴィオロンの ためいきの
 身にしみて ひたぶるに うら悲し
            (上田敏訳による)
実際には前半の「秋の日の…」と後半の「身にしみて…」の二つに分けて放送され、「秋の日の…」が近いうちに連合軍の大規模な上陸作戦があることを、「身にしみて…」が48時間以内に上陸作戦が行われることを意味していた。
「秋の日の...」は6月1日、2日、3日に流され、「身にしみて...」は6月5日午後9時15分から数回にわたって放送された』(Wikipedia)

 なあんてことを聞くと、途端にこの詩が散文的に聞こえてくるから不思議だ。

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 誰でも学校で習うポール・ヴェルレーヌの詩「Chanson d'automn」であるが、そんな使われ方をしていたなんて、きわめて散文的な印象を持つか、あるいはさすがにフランスは違うなあ、と思うのか。

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 どちらにせよ、さすがに学校で習ったことが突然思い出されてしまうっていうのも、教育の力なんだなあ。

RICHO GRD @Ikebukuro & Shinjuku ©tsunoken

2017年10月20日 (金)

旧・新橋ステイション

「〽汽笛一声新橋を~」でお馴染みの鉄道唱歌だが、そこで歌われている「新橋駅」が現在の新橋駅ではないことはご存知の通り。

 大正3年(1914年)に東京駅ができて横浜へ向かう東海道線の始発駅は東京駅となり、旧新橋駅は廃止、貨物専用の汐留駅となった。新橋駅は電車の烏森駅がそのまま名前を受け継ぎ新・新橋駅となる。

 その後、昭和61年(1986年)になって汐留駅も使用しなくなり、正式に廃止となって、広大な汐留貨物駅は都市再開発の対象となって現在に至っているのはご存知の通り。江戸の中心部に近い汐留地区は江戸時代の遺構の大々的な発掘現場となった。赤穂浪士の引き上げで有名な仙台藩芝口上屋敷(浜屋敷)もここにあった。

 で、その発掘作業も終わり、平成15年(2003年)に、旧駅舎やプラットフォームの一部が再現されて旧新橋停車場として、再び我々の前にお目見えしたのはご存知の通り。

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 とは言うものの、旧駅舎は完全な昔の駅舎の再現ではなくて、あくまでも「イメージ」だし、プラットフォームも昔に比べれば大分短いようだ。

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 プラットフォーム脇には旧東海道線のレールの一部が再現されていて、「ゼロマイルポスト」も作られている。現在の東京駅にあるような「ゼロキロポスト」じゃなくて「マイルポスト」というのが、いかにもイギリスの鉄道をお手本にした日本の鉄道っていう雰囲気ですね。

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 中は鉄道歴史展示室になっていて、常設展示と企画展示がある。

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 企画展示は大宮の鉄道博物館から持ってきたものや、汐留界隈の郷土史などが随時展示されている。

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 C62のミニチュアが展示されています。よくある貨物専用のD51(デゴイチ)じゃなくて、特急列車用のC62(シロクニ)ってところがいいですね。

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 旧新橋停車場鉄道歴史展示室は無料で入れます。建物の中にはライオン・ビアホールがあります。鉄道展示物を見て、それをネタにビールで盛り上がるってのも、いいかもしれない。

NIKON Df AF Nikkor f1:2.8 D @Shimbashi ©tsunoken

2017年10月19日 (木)

矢口の渡しのそばに新田神社というのがあるんだが

 東急多摩川線の矢口渡の次の駅が武蔵新田駅である。

 私はこれを「むさししんでん」と読んで、どこかこの辺に新しく田んぼを開拓した人がいて、それにちなんでできた地名だと思っていた。が、そうではなく、新田義貞の子新田義興にちなんだ「新田神社(にったじんじゃ)」というのが駅のそばにあり、それ故に「武蔵新田(むさしにった)」という駅名になったのである。

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『正平13年(1358年)10月10日、江戸氏の案内で多摩川の矢口の渡から舟に乗り出すと、舟が中流にさしかかる頃、江戸・竹沢らにいいふくめられていた渡し守は、櫓を川中に落とし、これを拾うと見せかけて川に飛び込み、あらかじめ穴を開けておいた舟底の栓を抜き逃げました。舟はだんだんと沈みかけ、ときの声とともに、川の両岸より江戸・竹沢らの伏兵に矢を射かけられ、あざむかれたことを察し、義興公は自ら腹を掻き切り、家臣らは互いに刺しちがえたり、泳いで向こう岸の敵陣に切り込み、主従14名は、矢口の渡で壮烈なる最後を遂げられました』

 という矢口の渡しにちなんだ昔話があるそうだ。

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 昨日の東八幡神社にある「矢口の渡し跡」には大田区が作った碑文がある。

『大田区文化財   矢口の渡し跡
 新田義興が, 矢口の渡しで 延文3年(1358)討死したといわれるころの渡し場は, 現在の新田神社付近であったと思われ, 多摩川は, 今より東へ大きく 迂回していたと考えられる。
 江戸時代に, 平賀源内により 戯作「神霊矢口渡」がつくられ, 歌舞伎に上演されるに至り, この渡しは有名になった。  渡し場は, 流路の変遷と共に, その位置をいくたびか変え, この付近になったのは, 江戸中期からであると考えられる。
 この渡しは, 区内最後の渡船場として 昭和24年(1949)まで存続した。
   昭和50年3月19日指定   大田区教育委員会』

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 つまり、元々の矢口の渡しはこの新田神社のそばにあったらしく、江戸中期になっていまの東八幡神社の場所に移ったらしい。

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 まあ東八幡神社も新田神社もそんなに離れていないので、当然、川の流れの変化とともに場所を移動するってこともあるだろう。

 それより何より面白いのは、この新田神社が「破魔矢」発祥の地らしいのである。

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『平賀源内の矢守
宝暦年間(1751年〜1764年)の末頃、『宝暦末より矢口新田社に参詣多し、社地に矢を売始、詣人求めて守りとす』との記述が見られ、義興の矢と称して門前の茶店で売られたものをヒントに、平賀源内が新たに魔除けとして考案したという。御塚の外には決して生えないという不思議な篠竹を用いて五色の紙で矢をつくり、新田家の旗印を付けた「矢守」は正月の名物となったという。参拝客は2本の矢を買って1本は神殿に供え、もう1本を持ち帰って魔除けにした。これは新田家伝来の「水破兵破」の二筋の矢に由来している。後にこの矢守が全国に拡がり「破魔矢」の元祖となったという』

 うーん、「土用のウナギ」といい、破魔矢といい、平賀源内さん、いろいろなところに顔を出す人だなあ。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f1:2 D @Yaguchi Ota ©tsunoken

2017年10月18日 (水)

「渡し」つながりではないけれど……

 昨日の「小堀の渡し」からのつながりではないけれども、今日は大田区にある「矢口の渡し」なのであります。う~ん、たまたまね。

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 蒲田駅から東急多摩川線に乗って最初の駅が「矢口渡」駅。「矢口渡」と書いて「矢口の渡し」と読みます。

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 矢口渡駅を出ると矢口渡商店街があり、それを南の方へ行くと……

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 途中、「放光地蔵尊」なんかを見ながら多摩川の土手に出る。

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 この放光地蔵は、第二次世界大戦の米軍の空襲で焼け野原になり、多くの死傷者を出したありさまを見て、この家に住む鈴木三郎氏という篤志家が、多くの人の死を悼んで昭和32年9月21日に建立したそうだ。

 確かに、ここ大田区は戦前より軍需工場やその下請け工場が林立していた地域なので、空襲の際にはいの一番に狙われたところなのだろう。

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 多摩川の土手に出るとすぐ右に東八幡神社という神社があり、その社頭に「矢口の渡し跡」の碑が建っている。

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 ちなみに地名の「矢口」というのは、江戸時代以前は京都が街道の起点だったので、古代は奥州街道が通っていた当地で、日本武尊が東征時に矢合わせ(開戦の合図として、敵陣に矢を打ち込むこと)を行ったという伝承に由来するそうだ。ということは、日本武尊と東北の蝦夷との戦いが、ここ多摩川であったということなのだろうか。

 で、今は東八幡神社のところに矢口の渡し跡があるんだが、どうも時代の変遷とともに場所がいろいろ移っていたそうだ。その話はまた明日。

 なお、江戸川にかかる「矢切の渡し」の「矢切」は、もっと後の戦国時代に命名されたらしい。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f1:2 D @Yaguchi Ota ©tsunoken

 

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