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2019年3月16日 (土)

大田区馬込文士村

 都営浅草線の終点、西馬込で降りて若干環七方面へ戻る形で歩いていると、こんな看板が。

「馬込文士村商店会」

 う~ん、でも周囲を見渡しても、それほど商店が立て込んでいるわけでもないし、あまり「商店会・商店街」っていう雰囲気はない。

Epsn00042

 ただし、街を歩いてみると路上にお地蔵様のように建っている「夢告観音」やら……

Epsn00082

 湯殿神社なんていうのにぶつかったりするので、この辺り、かなり歴史は古い町なんだなあ、ということが分かる。

 とは言うものの、ここが「文士村」であるという証拠が何もないんだなあ。

Epsn00142

 大田区のこの辺りは山がちの地形で、坂道が多い。実は、北区の田端にも「田端文士村」っていうのがあって、田端駅前には「田端文士村記念館」というのがある。

 大田区と北区という、一見なんのつながりもないんだけれど、大田区は大森辺りを走る京浜東北線・東海道線を境に東は海岸線、西は崖の上の街であり、北区は言うまでもない日暮里崖線の上にある町が田端文士村だ。

 結局、功成り名遂げた作家が日当たりのよい丘の上の街を好んだっていうだけの話で、彼らが田端文士村や馬込文士村に住んだのは有名な作家になってからのお話。下積み時代にどんなところに住んでいたのかは、本当は彼らの文学を語る際にはこちらの方が重要になるのにもかかわらず、あまり語られることはない。

 そういえば、世田谷区にも作家・文士は多く住んでいたのだが、世田谷文士村っていう言い方はしない。ああそうか、世田谷は作家・文士が多すぎて、別に「文士村」なんてわざわざ言わなくてもいいっていうことなんだな。

 なあんてことを考えながら歩いていると「臼田坂」という坂のてっぺんに出てくる。そこからまっすぐに降りていくと大森と蒲田の間に降りてくるんだが、その坂の途中に石坂洋次郎邸跡、川端康成邸跡があって……

Epsn00372

 坂の一番下まで来ると子母沢寛邸跡があるんだが、残念ながらみんな「邸跡」の碑ばっかりで、屋敷そのものが残っているわけではない。

Epsn00472

 そんなことは当たり前だろうとお思いになるとは思いますが、しかし、文学で功成り名遂げた昔の作家が、下積み時代にどんな家に住んでいたのかなんて、気になりませんかねえ。

 まあ、「邸跡」ばっかりで、「邸」そのものが残っていないのは田端も一緒ですけれどもね。

 これは「観光」にはならんな。

EPSON R-D1s VOIGTLANDER URTLA WIDE-HLIAR 12mm f5.6 @Magome ©tsunoken

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