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2019年1月12日 (土)

浦和が埼玉県庁所在地なわけ…っていうか,、もともと浦和だったんだ

 久しぶりに浦和に行ってきた。

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 普段は浦和っていうと大体西口に出るんだが、っていうか京浜東北線とか高崎線の駅を降りると基本的に国道17号線(旧中山道)側が旧市街なので、駅の東口・西口は問わず、いつもはそちら側に出る。

 で、昨日は初めて東口に出てみたんだが、やっぱり何もない。何もないままに浦和美園まで行っちゃうのも嫌なので、早々に西口、つまり旧中山道側に出なおした。

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 ポイントは「何故、埼玉県庁は大宮じゃなくて浦和にあるんだろうか?」っていう疑問なんだ。

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 まあ、別にどちらにあったほうがいいとか、どちらにあるべきかなんてことはどうでも良くて、何となく大宮の方が埼玉県の交通の要衝だし、武蔵国一宮の大宮氷川神社もあるし、埼玉県の県庁所在地は大宮にあってもいいんじゃないかなんて考えていたんだが……

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 まあ、埼玉県自体の成立を考えてみると、大宮にある必要がないことが分かる。

『浦和県、岩槻県、忍県が統合してできた旧埼玉県(現在の埼玉県の東側3分の1)の設置当初、県庁が埼玉郡岩槻町(現:さいたま市岩槻区)に置かれる予定であったため、その郡名から埼玉県と名付けられた。しかし、岩槻には県庁に適した建物が無く、県庁業務は足立郡浦和宿(現:さいたま市浦和区)の旧浦和県庁舎で行われた。一方、現在の埼玉県の西側3分の2に当たる地域は入間県となり、その後、群馬県と合併して熊谷県となるも僅か3年で熊谷県は解消され、旧入間県地域は旧埼玉県と合併して現在の埼玉県が誕生した。その際に、埼玉県の名称のまま県庁所在地も浦和宿となったため、岩槻町が実質的な県庁として機能することはなかった。1890年(明治23年)9月25日には、勅令により正式に北足立郡浦和町が県庁所在地となった。』(Wikipedia)

 まあ、たまたま浦和に場所があったんでそこに県庁が行っちゃったっていうだけのことだったんだ。平成の大合併の時になって旧大宮市がちょっと慌てたっていうこと。

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 まあ、もっとも浦和市、大宮市、与野市、(後に岩槻市)が合併して「さいたま市」が出来た時も、そのまま浦和区に県庁所在地があったっていいよ。大宮としてはいずれ「さいたま新都心」に県庁が移ってくるっていうことを読み込み済みなのかもしれない。

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「埼玉サッカー発祥の地」って言ったって、ここさいたま市役所・浦和区役所の場所がもともと埼玉師範学校(現・埼玉大学)だったていうだけのことでしょう。まあ、だからと言ってそれがまんま浦和レッズにつながるわけではないし、う~ん、なんとなく中心が見えない埼玉県っていう感じなんだなあ。

 人口が130万人を超えたからって、なにがめでたいのかはよくわからないなあ。まあ、住民税は増えますがね。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Uwara ©tsunoken

 

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