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2018年8月

2018年8月22日 (水)

駄カメラ写真展って、何だ?

「駄カメラ」って何だ? 

 あまり聞き覚えのない言葉だなあ。私のようなヘボで腰抜けのカメラマンのことなのかなあ。あ、それは「駄カメラ」じゃなくて「駄写真」か。

 ということで、「駄カメラ写真展」っていうものが開催中ということなので、日本橋小伝馬町のギャラリーまで見に行った。

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 実は「駄カメラ写真協会」っていうのがあるそうで、そこのサイトに掲げられている文章を、まず紹介。

『駄カメラ写真協会とは
 任意団体「駄カメラ写真協会(DA CAMERA PHOTO ASSOCIATION)」は、駄菓子のように懐かしく、気軽に買える廉価なフィルムカメラを「駄カメラ」と呼び、敬意と愛を込めて使うことによって銀塩写真の維持普及に貢献し、会員のみならず銀塩写真愛好者相互の親睦を深めるための活動を行うことを目的として、「いい大人が本気で遊ぶ」をモットーに2018年4月1日に発足しました。
 毎年、「駄カメラ写真協会展」、「駄カメラ写真公募展」、路上の宴会等々を主宰し、「いかに面白いことをやって、みんなで大笑いするか」に全力をあげています。』

 要は、3,000円以下で買えるカメラ(当然、銀塩カメラになります)でもって写真を撮ろうっていう協会で、会長が「ぶらり途中下車の旅」でお馴染み、俳優の石井正則氏、最高顧問が赤城耕一氏、名誉会長が田中長徳氏っていう、まあ、お遊びなのか、マトモなのかが良く分からない協会なのです。まあ、赤城耕一氏が絡んでいるっていうことなので、7月6日のブログで書いた「NIKON F 展」の流れの一党なのかもしれない。

2駄カメラ写真協会のサイトはコチラ

 3,000円以下で買えるカメラといっても、最初に売り出した時のお値段が3,000円っていうことではなくて、とりあえず「私が3,000円以下で手に入れたたカメラ」っていうこと。上のサイト写真みたいなね。

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 でも、写真の表現っていうのは、カメラの値段じゃなくて、撮った人のセンスの問題なのだ、っていうこともよくわかる写真展ではある。問題は「とりあえず『撮る』、で撮った写真を堂々と『人に見せる』」っていうこと。上手い下手は関係ない!

 そうなんだよな。自分で撮った写真を人に見せないで自分だけのために秘蔵しておくなんてのはもったいない。写真っていうのは人に見せてなんぼのもんじゃいってところなので、堂々と人に見せて恥ずかしい思いをするっていうことが大事なんだよな。

 だからといって田中長徳氏みたいに「撮影したカメラはソ連製の35ミリレンジファインダカメラキエフです。レンズがついて5000円位ですから本体はまず3000円位と言ってよろしい。」っていうのはちょっとズルみたいな気がするっていうのはなぜだろう。だってキエフってソ連製のコンタックスなんですよ、コンタックス。超高級カメラ(のコピー)なんですよ、っていう気分が少しある。長徳氏はウィーンで買ったので邦貨3000円かもしれないが、今、日本で買えば10,000以上はします。まあ、でもそれで撮った写真が超高級か超駄作かどうかは関係ないんだからいいのか。

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 メイン会場のRoonee 247 fine artsでは駄カメラ協会のグループ展をやっていて、そのそばのアイアイエーギャラリーでは、同じ駄カメラ公募展を同時開催している。

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 まあ、「駄カメラ」ではあるけれども「駄写真」ではないというところがポイントなんだなあ。それぞれ傑作ぞろいです(見方によっては)。

駄カメラ写真展は8月26日まで開催中。案内はコチラ

 こんな本も出ています、

『駄カメラ大百科』(石井正則著/徳間書店/2018年7月21日刊)

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 @Kodenmacho ©tsunoken

2018年8月21日 (火)

三河島を12mmで撮る……って、何の意味があるのかな?

 昔、JR常磐線の三河島駅で通勤電車と貨物列車が衝突・脱線し、多くの犠牲者を出した「三河島事故」というのがあった。

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『三河島事故は、1962年(昭和37年)5月3日21時37分頃、東京都荒川区の日本国有鉄道(国鉄)常磐線三河島駅構内で発生した列車脱線多重衝突事故である。
 常磐線三河島駅構内で、貨物線から進行方向右側の下り本線に進入しようとした田端操車場発水戸行の下り貨物列車が、出発信号機の停止信号を行き過ぎて安全側線に進入し脱線。先頭の機関車とタンク車が下り本線上に飛び出した。
 その直後に、三河島駅を4分遅れで出発し下り本線を進行してきた上野発取手行きの下り電車が下り本線を塞いでいたタンク車に衝突。先頭車と2両目の車両が脱線し、上り本線上に飛び出した。
 さらに約7分後、その現場に上野行きの上り電車が進入し、線路上に降りて移動中だった乗客多数をはねた上、上り本線上に停止していた下り先頭車と衝突した。これにより上り電車の先頭車と2両目の前部が原形を留めず粉砕された。上り電車は先頭車が原形を留めず粉砕され、2両目は築堤下に転落して線路脇の倉庫に突っ込み、3両目も築堤下に転落、4両目(モハ72635)が脱線した。
 この結果、死者160人、負傷者296人を出す大惨事となった。』

 というのが事故の概要。その結果、ATSの採用や列車無線などの整備が進められることのきっかけにもなった事故である。

 私の友人の父上も、この事故で亡くなったそうだ。

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 そんな事故の原因となった田端操車場から三河島で本線に合流する貨物線である。

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 で、別に三河島事故の現場を見るために、わざわざフィルムライカに12mmのフォクトレンダー・ウルトラワイド・ヘリアーを装着していったわけではない。

 常磐線の三河島から南千住の間には線路と、線路下の狭い道があって、その狭さが12mmレンズに好都合かなと考えただけのことなのであります。

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 なので、そこで三河島事故のことを持ち出したのはちょっと不謹慎かもしれない。

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 しかし、フルサイズ(ってフィルムカメラなので当たり前の話だが)のフィルム面(つまりデジタルカメラの撮像素子だったらフルサイズ)で12mmレンズっていうと画角は112度。人の目の画角が120度なので、ほとんど私たちが目にしている風景そのままが、フィルム上に撮影できてしまうっていうことになる。

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 いつもつけているEPSON R-D1sはAPS-Cサイズの撮影素子なので、画角は90度、フルサイズだとほぼ18mmレンズと同じくらい。それでも結構写せる範囲は広いんだけれども、やっぱり120度っていうのは凄いですね。要は、自分の「見た目」がそのままフィルムに定着するわけなのでファインダーはいらないってことになる。でも、12mmの外付けファインダーを覗かないと撮れない私は「単なるヘタレ」(?)。

 勿論、人間の目は目から入った情報を、脳で適度に修正しながら映像として認識させているので、たとえばアオリで撮影した際にカメラだと出てくる画像の歪みなんかは、人間の目は一切歪みなしで認識させてくれるのだ。つまり、本当は人間の目だって、情報を入力した瞬間は、カメラのレンズと同じ歪みを確認しているはずなんだけれども、そこから先は修正された画像として、私自身が認識している画像になるっていうわけだ。つまり、人間の目は、実は本当にはそう見えていない画像を、人間に見せているっていうわけ。

 その後も、ライカで12mmという組み合わせの撮影はやっており、そのフィルム現像が上がってきた(私は自分では現像はやらない)ので、近々、また同じ趣旨のレポートは上げます。

 まあ、お楽しみにはしないで待っていてください。

LEICA M6 VOIGHLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 KODAK 400 TX @Mikawashima, Mninami Senju ©tsunoken

2018年8月20日 (月)

『挑戦するフォトグラファー』で知る、もう一つの真実

 本書『挑戦するフォトグラファー』を刊行している未知谷という出版社は、基本的に哲学などの人文書や東ヨーロッパを中心とした文学や詩集など、かなり地味な本ばっかり出している出版社だ。

 その未知谷で唯一の異色のジャンルが「自転車競技の世界」というジャンルなんだが、なんで自転車なんだろう。誰か自転車マニアの人でもいるのだろうか。

Photo 『挑戦するフォトグラファー 30年間の取材で見た自転車レース』(砂田弓弦著/未知谷/2018年7月7日刊)

 その未知谷の自転車ジャンルなんだが、これまで出版されているのは全部で23点。で、実は私はそのうち19点を持っている。きっかけは砂田弓弦氏の写真集『GIRO(ジロ)』と『フォト! フォト! フォト!』の2冊である。今回の『挑戦するフォトグラファー』もそうした自転車ロードレース写真集なのかと思ったら、そうではなくて、大学を卒業する寸前にイタリアに渡って自転車レースに参加しようとした頃から、自転車レーサーを諦めて写真家となり、やがてオートバイに乗って写真を撮れる資格を持った唯一の日本人として、オートバイのサドルから見てきたヨーロッパの自転車レースの世界を見てきた経験の集大成なのであった。

『自転車レースは現在、世界中で急速に広まっているが、本場は昔から発祥の地ヨーロッパで、今もそれは変わっていない。コースとなるヨーロッパの道はヨーロッパにしかないからだ。底辺はものすごく広く、たとえばイタリアでは七歳からロードレースを走ることができる。それに女性や中年のレースなどもあるし、なかには「パン職人選手権」、「スキー教師選手権」、「警察官選手権」など百花繚乱。週末の朝など、僕が仕事の拠点を置いているミラノ近郊はサイクリストの楽園と化し、近くの道路だけでも一時間に軽く一〇〇〇人を超えるサイクリストが行き交う。
 昨年、日本の若い女の子数人と話をしたとき、自転車レースもツール・ド・フランスも、見たことも聞いたこともないと言われて慄然となった。ヨーロッパにいれば、冬を除いてテレビの中継がほぼ毎日のようにあるし、スポーツニュースでも取り上げられる。大きなレースではテレビのニュースや一般紙でも報道されるので、自転車レースに全く興味がないひとでも、そういうスポーツがあることぐらいはみんな知っている。また、
「最近自転車に乗る人が日本でも増えて来ましたよね」と、日本の方からよく言われる。ただ、ヨーロッパの状況を見ていると、とても同意できない。日本の週末のサイクリストの数が、ヨーロッパの平日の数の足元にすら及ばないのだ。』

 と書く砂田氏ではあるのだが、それはそうだろう。元々、自転車レース、それもロードレースはヨーロッパ発祥というだけではなく、「一般の道路を使ったスポーツ」ということで言えば、せいぜいマラソンしかないような国で、自転車レースが盛んになるわけではないのだ。

 おまけにそれがもととなって(と私は考えている)、今、世界で通用する日本人の自転車レーサーっていえば、別府史之と新城幸也の二人だけだし、これまでヨーロッパに挑戦してきた日本人レーサーだって二ケタを超えたとは言っても三ケタには到底届かない状態だ。

 それでも毎週末にサイクリングロードや一般道を含んで、ロードレーサーで走っている人の数も以前に比べるとだいぶ増えてきたし、時たま行われるホビーレーサーたちの大会やヒルクライムレースなんかも次第に多くはなってきている。というか、こんなヘタレの私でもそのうちのいくつかのレースには出たことがあるのだ。勿論、高校生や大学生が出走するレースや、実業団、プロ(セミプロも含む)などのライセンスをもった選手でないと出られないようなレースには出たことはない。「出版人選手権」なんてのも、この日本ではないしね。

 そんなわけで、我々日本人が自転車レースを見る方法としては、実際にレースが行われる場所に行くか、あとはJ Sportsなどで深夜放送されるテレビ中継を見るしかない。それでも、現在ジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランス、ヴェルタ・ア・エスパーニャなどの三大ツールや、ヨーロッパで行われるクラシック・レースなんかは見られるようになったのはCATVさまさまではあるのだが。それでも、プロ野球みたいな「たかだか日本選手権」を毎日数チャンネルで見られるような状態や、「たかだか高校生の日本選手権」である甲子園の野球を毎日毎日一日中放送している状態からすると、その関係は彼我の状態でもあるのだ。

 まあ、自転車レースっていうのが日本ではそれくらい、ラクロスやローラーホッケー、なんかよりも更に更にマイナースポーツだっていうことなんだなあ。

 で、日本で自転車レースが普通のニュース番組なんかで取り上げられるのは、有名な選手がドーピングでひっかっかた時だけ。なんか、まるでその選手が悪の権化みたいな感じで取り上げられるのだが、実はそれもやむを得ないことなんだというのが、砂田氏の本書にも書かれている。

『今、僕の周りにはパンターニといっしょだった多くの人が自転車界に残っている。アシストだった連中、たとえばヴェーロはRCSで僕たちフォトグラファー相手のレギュレーターをやっているし、ポデンツァーナはノヴォ・ノルディスクの監督、キエーザはイスラエルの監督だ。メルカトーネウーノで第二エースだったガルゼッリはテレビの解説でレース会場にいるし、カレーラでいっしょに走っていたボンテンピはRCSでオートバイに乗っている。監督だったマルティネッリはアスタナにいるし、もう一人の監督ジャンネッリはRCSで働いている。共通しているのは、みんな当時のことをあまり喋らないということだ。パンターニが死んだとき、この中の一人に、
「マルコが活躍している時に持ち上げるだけ持ち上げて、そのあとはドーピングで総攻撃。そんな彼が可哀想で、いたたまれなくて行ってないんだ」
 はっきり言おう。あの頃は皆がやっていた。レースのスピードは異常に高く、アタックに次ぐアタックの繰り返しを見れば一目瞭然だった。もちろんあ、やっていなかった選手もいたかもしれないが、それはごく少数だったと思う。けれど、そうした状況は誰にも止められなかったし、それが当たり前の時代だった。今になってあの頃のことを持ち出して批判することは、誰にもできないと思う。』

 とね。

 この状況は同じ未知谷から出ているポール・キメイジが書いた『ラフ・ライド ―アベレージレーサーのツール・ド・フランス』にも出ている。つまり、ドーピングが「やってはいけないこと」であることは誰でも知っているし、自転車レーサーの間では当然なのだ。しかし、ある種の状況の中でそれをなくすことはできないし、それが必然の場合だってあるのだ。

 自転車レースとドーピングっていうのは、ある種の「やむを得ない関係」にあると言える。勿論、それは決してやってはいけないことなんだけれども、その競技の過酷さと裏腹の関係にあることでもある。それを知るのも、やはり自転車レースの歴史を知らなければならない。

 というのが、実は未知谷の各種の自転車本を読むとよくわかる仕組みになっている。ドーピングというのは、ヨーロッパの自転車レースの歴史とは切って切れないものであるし、言ってみればそれをも含めてヨーロッパの自転車レースの世界なのだ、と……。

 ということなので、興味を持った方にはキメイジの本も読むことをおススメする。いろいろと「蒙を啓いて」くれますよ。

『挑戦するフォトグラファー 30年間の取材で見た自転車レース』(砂田弓弦著/未知谷/2018年7月7日刊)

『ラフ・ライド アベレージレーサーのツール・ド・フランス』(ポール・キメイジ著/大坪眞子訳/未知谷/1999年6月10日刊)

2018年8月19日 (日)

横浜はもともと山がちの街

 現在、横浜というとみなとみらいや赤レンガ倉庫、大さん橋とか山下公園なんかを思い描いてしまい「平らな街」という感じなんだが、実は今あげた場所は昔はみんな昔は海の底。そんな平地は横浜じゃなかったという一席であります。

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 それを証明するために……、っていうほど大袈裟じゃないんだけれども、とりあえず東横線に乗って、最近は箱根駅伝でも存在感を知すようになった神奈川大学の最寄り駅、白楽で下車します。

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 既に白楽駅から大通りに出るまでの六角橋商店街自体が下り坂にある道なんだけれども、そのまま坂道を下っていくと横浜上麻生道路という大通りに出ます。

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 その道をそのまままっすぐ下りていくとJRの東神奈川駅の方へいくんだけれども、私はそちらへ行かず手前で右折して再び山を上がっていき、反町駅方面へ行くのです。そう、結構アップダウンがあるのが、横浜の「港付近以外の場所の」普通なのです。

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 右折するとそこが現在の東海道、国道1号線になって、東横線反町駅前にでるのですが、そのちょっと先に横浜駅西口方面へ坂を下りていく道と、そのまま上がって三ツ沢公園方面から戸塚方面へ行く道に分かれます。

 当然ここは左折して横浜駅方面へ行きます。

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 反町駅前から少し行って左折すると、道は下り坂になって一度下がるんだが、その道と立体交差する狭い道があって、実はそこが昔の東海道なんですね。

 なので、そこにはいろいろな昔の名残のものなんかも多くあって、この神奈川台の関門跡なんかもそのひとつ。

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 で、その神奈川台の関門の斜め前にあるのが、江戸時代からあったという神奈川宿の旅籠のひとつ、坂本龍馬の妻「おりょう」が勤めていた田中屋」なんだけれども、その田中屋の門前に説明板があります。

 で、その説明板の最初に掲げられているのが歌川広重「東海道五拾三次」の「神奈川宿」の図。

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 実はこの絵の中に田中屋も描かれているんだけれども、それ以上に重要なのは、実はそこの描かれている東海道は海辺の崖の上にある道で、その海側に田中屋があるってことなんですね。で、その下はすぐ海。

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 横浜駅があるような場所も、みなとみらいも、赤レンガ倉庫や大さん橋なんかも、このころの地図で言えば海の沖の沖のずっと沖の方。

 横浜は峻厳な海辺の山道だったってことがわかります。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 @Yokohama ©tsunoken

2018年8月18日 (土)

東京周縁部を往く・小岩と新小岩は全然別の場所

 葛飾方面へはこの「東京周縁部を往く」シリーズで何度も来ていたはずだったんだけれども、新小岩には何度も来ていたのに、お隣の小岩には一度も来ていなかったことがわかったので、昨日、初めて行った。

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 新小岩駅に比べると小岩駅は少し規模が小さくて、広い方の南口駅前もあまり広くなくてサンロードとフラワーロード、昭和通りという三つの商店街が駅前から三方に広がっている。

 とりあえず一番古くからありそうな「昭和通り商店街」を行ってみる。

 が、まあ昭和通り商店街もそれほど長くなくてすぐに交差点に来てしまい、なんとなく商店街も終わりの方に来てしまう。

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 だいたい、「小岩駅」「新小岩駅」ってなんか近そうだけれども、実は間に中川が通っていて、そんなに近い駅ではない。

 先にあったのは、その名の通り小岩駅で、明治32年(1899年)の開業。所在地は江戸川区南小岩。一方の新小岩駅はずっと後の昭和3年(1928年)の開業で、所在地も葛飾区新小岩なんだけれども、この「新小岩」という地名は、新小岩駅が出来たので昭和40年に住居表示が新小岩、東小岩、西小岩という名前になったらしい。要は、もともと小岩という地名じゃなくて、小松菜という野菜の名前のもととなった「小松」という地名だったものが、駅が開業したので小岩という地名になったという、どうも逆転した状況のようなのだ。

 江戸川区辺りから反対運動が起きても不思議じゃない状況なんだけれども、別にそんなことはなかったんだろうか。

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 つまり、ずっと先に開業した小岩駅周辺は既に開発されつくしていて、もうそれ以上には発展しそうもない状態になったので、小岩駅の先にあった新小岩通信所のそばに新小岩駅を作って、新たな町づくりを始めたので、小岩駅前に比べると大きな造りの駅前広場が出来たり、商店街も出来たのだろう。

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 で、駅の北側に出てみると、南口以上にごちゃごちゃとしていて、なんかだんだん期待が増えてくるのである。

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 古い店やら、狭い路地がいろいろあって、いかにも昔の駅前っていう感じなのだった。

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 で、もうちょっと先まで行くと、そこは柴又街道。つまり京成小岩駅がすぐそばにあったのである。

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 なるほどね、京成とJRの小岩駅がもともとの小岩の町で、新小岩と小岩は、実は何の関係もない町だったんだ。

 納得!

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f1:4 @Koiwa ©tsunoken

2018年8月17日 (金)

大塚阿波踊りは8月25日開催です

 本場、徳島市の「阿波踊り」はなんか大変なことになっていますね。

 実行委員会と振興協会の間のいろいろなやりとりや、阿波踊り大会自体の赤字問題とかあるようですが、まあ、もともと阿波踊りなんて地元の人たちが勝手にやっていたものを、「これは観光の目玉になる」なんて考えた人がいて、その結果大きなイベントになり観客動員数も多くなったんだけれども、そうなると今度はイベントそのものがペイするかどうかなんてことを考える人がいて、で、ペイできないとなると「じゃあ、縮小しましょう」なんてことを言い出す輩なんかもいたりして、もう、しっちゃかめっちゃかですわぁ、ってところなんでしょうか。

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 そこへいくと、東京の大塚の泡踊り、じゃなかった阿波踊りや高円寺の阿波踊りは予定通り8月25日と26日にやります。

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 阿波踊りがそうなのかは知らないが、もともと盆踊りっていうのは村の男女の夜這いの場だったんですね。

 隣村のAちゃんを好きになったB夫は盆踊りの晩にAちゃんをうまい具合に誘い出し、神社の境内で出会った二人はいつのまにか踊りの輪から抜け出して、神社の裏辺りで○○○、ってな具合だったんですね。

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 阿波踊りなんかも、見てみると女性の方は笠をかぶって内またでおしとやか風に(あくまでも「風」に)踊っているんだが、男衆の踊りはもろに下半身狙いっていう感じの踊りですもんね。「ひょっとこ」のお面なんて性器そのものだし。

 まあ、徳島の阿波踊りも基本的には盆踊りなんだから、男女の秘め事につながる要素は持っていたんだろう。所詮、「ナンパ」なんですよね「ナンパ」。それがビジネスになっちゃったんだから、周りのみんなの見方が変わっちゃって、どんどん「性的」な要素は薄められてきてしまい、ごく普通の「観光祭り」になっちゃったんだなあ。

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 もうさ、「お祭り」で人を呼ぶなんてことはやめて、昔の鎮守の神様のお祭りの時代に戻って、ちゃんと神社の裏辺りにはちゃんと暗がりがあって、男と女が○○○できるようにしてあげてですね、本当に昔風の「風紀の悪い盆踊り」(って、戦後のある時期は言われていたそうだ)に戻しちゃえばいいんじゃない?

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「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら、踊らにゃそんそん」っていう阿波踊りのお囃子のとおり、盆踊りは「見る人」のためじゃなくて、「参加する人」のためのイベントなのだ。

 もうそこの、「祭りの原点」に戻しちゃえばいいじゃない? なまじ、ビジネス的に展開するようなイベントにしないで、地元の人たちで楽しめばいいのだ!

 お金を稼ぐのは、別にイベントじゃなくてもいいじゃない。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Sugamo ©tsunoken

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2018年8月16日 (木)

大磯を歩く

 JR東海道線に乗っていると、平塚までは駅のそばになると大きなマンションなんかが林立していて、それなりの大きな街だという印象があるんだが、平塚を出て花木川を渡り大磯側に入ると途端に周りの風景は「田舎」になってくる。

 大磯の駅もこんな木造の、いわゆる「田舎の駅」なのであります。東海道線で多分唯一の木造駅舎ではないだろうか。

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 その辺に大磯が普通の神奈川県の町ではなくて、別荘地として他の場所とは異なった町の造りになって発展してきた理由がありそうだ。

 とにかく「旧○○邸」がやたら多いのが大磯だ。有名なのは旧吉田茂邸なのですが、吉田茂が大磯に住んだのは首相を引退してからで、それまでは外相公邸などの都内の住居に住んでいた。

 その旧吉田茂邸ももともとは三井別邸だったところらしく、現在は大磯町郷土資料館となっている。

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 駅前も如何にも「田舎の駅前」というたたずまいを見せていて、感じが良い。こんな、まさに「昭和」を感じさせる喫茶店なんて、東京でもなかなか探せませんよ。

 いやあ、いいなあ。「田舎田舎」していて。

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 で、駅前にあるのが旧吉田茂邸じゃなくて、エリサベス・サンダース・ホーム。

 戦後、日本に進駐してきた米兵と日本人の女性の間に生まれた貧しい「混血児」(「ハーフ」のことを昔はこう呼んだ)や孤児たちを集めて、教育の機会を与えたり、大人になっても生きていけるようにいろいろと面倒を見た、ボランティア的な活動をしていた団体だ。

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 今でもエリザベス・サンダース・ホームが残っているとは知らなかったが、あったんですね。

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 現在は併設してエリザベス・サンダース・ホーム出身者のために設立された聖ステパノ学園小学校・中学校の方の活動がメインになっているようで、エリザベス・サンダース・ホームとしては昔の潜伏キリシタンについての資料を集めた沢田美紀記念館の運営の方が中心になっているようだ。

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 まあ、いずれにせよ、それこそ「旧○○邸」ばっかりの、結構「田舎」の大磯。今度はもうちょっといい季節にじっくり深訪してみたくなったな。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Oiso ©tsunoken

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2018年8月15日 (水)

浅草にゃあ行くけど、浅草寺には行かないよ

「さて、今日はどこへ行こうかな」なんて感じで家を出ると、そのままのイイ加減な感じで明治通りまで出てしまう。

 今や、池江璃花子で超有名になった淑徳巣鴨高校・中学の前のバス停は「掘割」と言って、昔の千川上水があった場所なんだけれども、王子駅前経由の西新井駅行き、新田二丁目行き、浅草雷門行き、浅草寿町行、とげぬき地蔵前行きの5路線が走っていて、とりあえず来たバスに乗って、何となく終点まで行っちゃおう、てなイイ加減な行き先決定方式には極めて都合の良い停留所であります。

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 最初は久々に西新井大師にでも行ってみようかな、なんてことを考えていたのに、たまたま来た浅草寿町行きに乗ってしまったので、西浅草三丁目のバス停で降りる。

 なぜ、終点じゃなくてそのちょっと手前なのか?

 まあ、浅草も浅草寺は人出が多くなりすぎて、なおかつレンタル浴衣を着た外国人ってのもちょっと食傷気味だし、あまり暑い日には行く気になれない。

 で、そのちょっと手前の待乳山聖天に行くのであります。

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 待乳山聖天は今では少々地味なお寺になってしまっているが、元々は浅草で一番大きなお寺だった。

『この寺は隅田川べりの小高い丘(待乳山)にあるが、この丘は595年(推古天皇3年)9月に出現して龍が守護したと伝えられ、浅草寺の山号(金龍山)の由来となったと伝えられる。601年(推古天皇9年)この地方が旱魃に見舞われたとき、歓喜天と十一面観音が安置されたと伝えられる。待乳山は、かつては周囲が見渡せる山であり、江戸時代には文人墨客がこの地を訪れている。』(Wikipedia)

 ってね。

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 で、この待乳山聖天の脇、聖天町で生まれたのが、大作家・故池波正太郎氏である。

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 で、その待乳山聖天のほんのちょっと先、山谷堀の今戸橋を越えたところにあるのが、その池波正太郎氏の作品『剣客商売』第13巻『波紋』の中の『敵』の出だしに出てくる慶養寺、我が家の菩提寺であります。

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東京のお盆は7月にやってしまうので、今はお寺も閑散としています。

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 面白いのは先ほどの待乳山聖天なんだが、裏の駐車場に回るとこんな感じの、エレベーターっていうかモノレールというか、飛鳥山のモノレールの小ぶりなやつが走っていて、まあ、お年寄りには優しい待乳山聖天さまっていうところなんでしょうね。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Asakusa ©tsunoken

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2018年8月14日 (火)

「おぐ」なのか、「おく」なのか

「尾久」と書いて「おく」と読む人と「おぐ」と読む人がいる。

 地名としては「おぐ」なんだけれども、JRの駅名としては「おく」ということで、「おく」と読んだ人、あなたは「JR派」ですね、「おぐ」と読んだ人、あなたは「地元派」ですね……、と簡単にはいかないそうだ。

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 そもそも尾久駅は荒川区尾久にではなく、北区昭和町に位置している。駅の所在地でないにもかかわらず「尾久」が駅名として付けられたのは、開業当時の尾久町が温泉を中心とした東京郊外の遊興地および三業地として栄えており、その最寄り駅として「尾久」の名前をつけたらしい。

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 尾久駅のそばに説明板があった。

『「おぐ」か「おく」か
 尾久という地名は「おぐ」と読むのに、JR尾久駅はなぜ「おく」と読むのでしょうか。これについては、おもに二つの説があります。一つは、戦前に駅を造ったとき、鉄道省が「おぐ」をこの地域のなまりだと思い「おく」にしたという説です。これは荒川区側で唱える人が多い説です。
 もう一つは、北区側で唱えられているもので、地元の人々が、尾久という駅名に反対したためだという説です。駅の設置以前に、貝塚操車場(のちの尾久操車場)があり、最初、駅名も貝塚駅になるはずだったそうです。しかし、駅名が、隣の町名である「尾久」になったのです。しかし、地元の人は納得しませんでした。そして、妥協の産物として、駅名を「おぐ」とせずに「おく」としたというものです。
 ちなみに、都バスの停留所名は、なぜか「おぐえきまえ」です。』

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 尾久駅はJR高崎線と宇都宮線の駅なんだが、まあ、マイナーな駅であることには間違いなく、一日の乗降客数も京葉線の越中島、京浜東北線の上中里に次いで下から三番目の数しかない。昨年は一日平均で一万人以下乗降客しかいません。

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 実にマイナーな駅でしかないんだが、昔、尾久三業地があったころはそれなりに乗降客も多かったのかもしれない。

 昔、私は3歳頃まで、生前の父親の関係で、上中里の公務員住宅に住んでいたんだが、3歳という年齢のこともあったんだろうけれど、尾久駅や尾久という町のことは全く知らなかった。

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 上野まで一駅という至近距離にあるにもかかわらず、意外なくらいに住宅地として開発されておらず、最近になってやっとマンション建設などが多くなってきたのは、この地域の至便性に不動産業界も気が付いてきた、ってことなのかも知れない。

 まあ、何せ「都電」がありますもんね、都電が。いやあ、以前「都電で通勤」っていうのにあこがれた頃があったなあ。

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 何となく、東京の近代化に遅れて来てしまった荒川区、北区の代表みたいな地域には、それはそれで面白い街だと感じていたので、あまり近代化されてしまうとちょっと残念、という気がしないでもないのだが。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f1:4 @Ogu Arakawa, Showa Kita ©tsunoken

2018年8月13日 (月)

「新宿の目」はどうなっちゃうんだろう

 変なタイトルだなあ。一体「新宿の目」って何だ?……ですよね。

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「新宿の目」というのは、新宿西口の地下通路のスバルビル地下の通路に面した場所にある大きな彫刻のこと。

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 こんな「目」みたいな恰好をしたオブジェなんだが、やっぱり「目」だったんだ。

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 製作した彫刻家の宮下芳子さんの言葉がある。

『新宿の目
宮下芳子

 怪物的バイタリティを持つ新宿新都心が、現代日本の若さ、たくましさの象徴として世界に鳴りひびいている。 それは大きな大きな空問――その偉大な空間の整形を私は恐れも知らずに引き受けた。
底知れない力にみなぎっている怪物を、如何に表現したらいいのだろう……、
そうだ!!
時の流れ、思想の動き、現代のあらゆるものを見つめる“目”二十一世紀に伝える歴史の“目”…もしかすると 遠く宇宙を見っめる“目”かも知れない。このような多次元の“目”こそ新都心のかなめ「スバルビル」には最 適、と思った。
出き上った大きな十米近い目玉の前に立ち、自信たっぷりにウィンクできるだろうか?

偉大なる場を与えてくださったスバルビルに感謝いたしております。』

 ね、やっぱり「目」でしょ。

 ところがこの「目」がなくなってしまいそうなのだ。

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 スバルビルというのはその名の通り富士重工(現・スバル)が本社ビルとして建てたのを、2010年に小田急に売却して、購入した小田急もしばらくは昔の名前のまま「スバルビル」として貸しビルを運営していたんだが、新宿駅西口再開発のために取り壊されることになってしまったっていうわけ。

 小田急としては「しばらくの間は、壊すのは地上部分だけなので新宿の目は残ります」って言うんだけれども、じゃあ「しばらくの間」ってのがいつまでなのかはアナウンスしていない。

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「パブリック・アート」という観点から、この「新宿の目」撤去に対しては反対意見なんかもあるし、その一方、「物事にははじめがあれば、おわりもある」という考え方もある。勿論、製作者の宮下さんは「パブリック・アートとして残せ」っていう立場なんだけれども、所詮「スバルビル」という建築物についてきた彫刻なので、それはビルと生命を共にしても良いという考え方もある。

 とはいうものの、新宿以外の場所に「新宿の目」もないだろうし、スバルビルの後に作るビルのデザイナーがどういう考え方をするのかは分からない。

 小田急はもともとのスバルビルのオーナーじゃないし、スバルビルに「新宿の目」をしつらえた理由もわかってはいない。まあ、ビルを壊すんだから、付帯するオブジェも壊せばいいくらいに考えていたんだろうが、ここへきて、いろいろな意見が出てきて「ああ、困った、困った。」ってところなんでしょうね。

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 パブリック・アートって何じゃいな? ってな立場の私からしてみれば、まあ、どっちでもいいんですけれどもね。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Nishi Shinjuku ©tsunoken

2018年8月12日 (日)

王78系統バスの旅

 以前、東京駅から等々力渓谷の方まで走っている東急バスに乗ったことがある。多分、それが東京23区を走る路線バスの最長路線ではないかなと思っていたら、実はもっと長い路線があったんですね。

 それが今日ご紹介する(「別に紹介せんでもいい、よけいなことはするな」という言葉がどこからか聞こえてきますが)王子駅から新宿駅西口まで走っている「王78系統」という都バスの路線なのでありました。

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 東急バスの東京駅-等々力線は全長15km、停留所は44ヵ所。一方、都バス王子駅前-新宿駅西口駅前線は全長18km、停留所は48ヵ所と、なるほどこちらのほうが長いことがわかる。

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 ただし、こちらは長いだけで、あまり途中に面白いスポットなんかはないのです。

 せいぜい、この東北・上越・北陸新幹線との交差する場所とか、石神井川を渡る場所くらいなものかなあ。

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 なにせ、王子駅前を出ると北本通を北上し、神谷の交差点を左折すると、あとはひたすら環七を走って高円寺陸橋まで行き、そこを左折すると青梅街道を新宿まで行くだけ、っていうかなり、経路としては単純、道なりとしては地味な路線なんだなあ。途中、別に見るものはなし。

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 一方、東京駅-等々力線は、東京駅を出るとまず東京国際フォーラム、日比谷を通って内幸町の官庁街、虎ノ門ヒルズ、東京タワー、慶應義塾大学、清正公前、目黒大鳥神社、元競馬場前なんてところを通って、最後の行き先は等々力渓谷ですからね。結構、バスに乗ったままでも見どころ満載。

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 他方、王子駅前-新宿駅西口駅前線は地味。ただし、環七をずっと走るのでそれなりに、放射状に広がる重要な電車路線や街道なんかとは交差する。

 電車路線では、先ほど書いた東北・北陸・上越新幹線、京浜東北線、湘南新宿ライン、上野東京ライン(う~ん、この辺ちょっと水増し?)、埼京線、東武東上線、西武池袋線、西武新宿線などが地上で交差しており、その他地下鉄と交差する部分もたくさんある。もうたくさん(毛沢東? 無理?)ある。

 主な道路では、北本通(日光御成道)、旧中山道(板橋本町)、中山道(国道17号線)、川越街道、要町通り、千川通り、新青梅街道、早稲田通り、大久保通り、そして青梅街道という具合。

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 誰でも知っている名所を通るのが好きなのか、あるいは電車道や街道の「つくり」なんかに興味があるのか……、ってところがどちらの路線が面白いと感じるのかの分かれ道。

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 なんてことを考えていると、バスはやがて新宿駅西口前の終点についてしまいます。

 全体の所要時間は1時間15分ほど。平均速度は18km/h。そんなもんかな。実は都バスの平均速度って自転車の平均速度なんですね。

 まあ、都バスの始発駅から終点まで乗るような暇人はあまりいないだろうけれども。たまには面白いかもしれない。不要不急の御用のない方は……、ぜひ行ってください。

 こんな暑い日には、一服の清涼(1時間ちょい)ではあります(降りた後、暑いけどね)。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 ©tsunoken

2018年8月11日 (土)

「蒲田西口リニューアル」したらしいんだが

 一昨日、蒲田駅前に行った際にみかけた「祝 蒲田駅西口広場リニューアル完成」という横断幕。

「おおっ、蒲田駅前がリニューアルしたのか!」

 なんて思ったのだが、蒲田駅には最近もちょくちょく行っていたのだが、そんな工事をやっていた覚えなないしなあ。

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 そう、「蒲田駅西口商店街」がリニューアルしたわけではなくて、「蒲田駅西口広場」がリニューアルしたのを、「蒲田駅西口駅前」がリニューアルしたのかと勘違いしてしまったのである。

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 う~む、確かに前にに比べると駅前広場自体はなんだか新しくなっているようだ。そういえば、一番最近行った時にはその蒲田駅西口駅前広場でなんかのイベントをやっていて、駅前広場が新しくなったっていうのはよくわからなかった。

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 ただし、駅前広場の基本的構造は変わっていないので、リニューアルには気づかなかったって言うだけの話。

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 とくに駅前商店街の入り口とか、駅前広場の銅像なんかは変わっていないので、今までとどう違うんだろうという気がしてきた。

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 大田区のサイトを見ると確かに「こうやって変わります」的なアナウンスはあるんだが、「う~ん、まあ、どう違うんだろう」的なイメージもあるんですね。

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 まあ、商店街には悪いけれども、それほど変わったというイメージのない「リニューアル」ではあります。っていうことは、それを理由に蒲田駅西口商店街を訪れるお客さんが増えるとも思えないし、「ちょっと、自己満足的な」リニューアルなのかもしれないな。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Kamata ©tsunoken

2018年8月10日 (金)

久々の「85mmで街角スナップ」なんだけれども

 久々に「85mmで街角スナップ」ってのをやってみたんだが、最初は浅草か上野でやろうとしていたのに、結局、田端から京浜東北線に乗り換えた時に、「まあ、いいか。大井町から蒲田まで歩いてみようかな」なんて方針変換。

 こんな方針変換が出来ちゃうのもSUICAのいいところ(悪いところ?)で、電車に乗ってから行き先変更を平気でしちゃうんですね。

 朝に考えていた「今日は、ここで、こんなテーマで撮ろう」なんて方針は、如何にも簡単に変更です。浅草の仲見世で「85mmで街角スナップ」のつもりが、なんで大井町になっちゃうんだ? って聞かれてもわからない。

 まあ、気分ですね。

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 ってことで、大井町からは池上通りを行きます。池上通りは品川区大井を北から南へ貫いている通り。

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 で、池上通りを大井町から大森駅まで下がっていくと、あるんですね。前にもレポートした「大森貝塚遺跡庭園」です。

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 んで、そこから更に大森駅のほうまで行くと、もうひとつ「大森貝塚もあります。大森のNTTデータのあるビルのわきです。京浜東北線や東海道線から見るとこちらの方が良く見えるかもしれない。

 品川区が「大森貝塚庭園」、大田区が「大森貝塚」ってことで、いつかは両区が争ったこともあったそうですが、まあ、実は両方ともすぐそばなので、要は同じ貝塚の両方の端ってことなんでしょう。

 貝塚が出来た頃は、品川区とか大田区とかなんていう分類はなかった頃なので、貝塚を作った本人たちは、別に「ここがどこか」なんてことは考えずに、要は「貝が取れた場所に貝塚(と、後に)なるものを作ったってことだけでしょう。

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 大森駅前の「山王小路飲食店街」ってのも、ちょっと気をそそられる盛り場ではありますね。大田区山王というのはお屋敷なんかも多い住宅街なんですけれども、大森駅前はちょっと下町風っていうか、今でもこんなところ残っていたのっていうくらい、昭和というか戦後っていうか、なんかそんな感じの飲み屋街なのです。池上通りと大森駅の間のごく短い飲食街なんだけれども、一度タ深訪してみたいな。

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 で、大森駅から先の池上通りは、如何にも下町風の商店街が続くんですけれども、それも環七まで。

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 呑川を渡る橋までいくと右側には池上本門寺の山が見えてきて、東急池上線の池上駅にでます。

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 しかし、なんで「85mm」である必要があるんだろう?

NIKON Df AF NIKKOR 85mm f1:1.8 @Oi & Ikegami ©tsunoken

2018年8月 9日 (木)

ある日の銀座

 別にどうってこともない日には銀座に出ることが多い。あるいは、行き先を決めないで出かけたときなんかもそういうことが多い。

 ってことは、やはり銀座が一番行きやすい下町だってことなんだろうなあ。

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 浅草もいいんだが、どうもあの仲見世の混みようって言ったら、それが好きな人にとってはいいんだが、あそこまで混んじゃうと、どうも「好きにして」って感じになってしまう。

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 銀座のいいところは中古カメラ屋さんがまだ生き残っているってことでしょうかね。それをウィンドウショッピングする愉しみっていうのがある。浅草にも中古カメラ屋さんはあるんだけれども、早田カメラだけだからね。

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 おおっ、「プリンスR380」じゃないか! ニッサンR380Ⅱじゃなくて、日産に吸収合併される前のプリンス時代の最後のレーサーであり、日本最初のプロトタイプ・レーシングカーであります。憧れだったなあ! 生沢徹。

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 なあんてことを想いながら歩いている……

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 GINZA SIXの裏にあるニコンプラザに行って、写真をみてくる。噂の「フルサイズ、ミラーレス」の情報はまだここまでは来ていないようだ。

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 なあんてことを考えながら歩いていると、やがて新橋についてしまう。

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 多分、銀座という街はあまりにも土地代が高い街なので、そこでもって「地代:売上」なんかを比べてしまうと、とんでもない赤字になってしまう。なので、今や銀座は「小売店舗」の形をとってはいても、実は売り上げを気にしなくてもいい「ショールーム」的な展開をしている店が多くなってしまっている。であるからして、逆に店の飾りつけや商品展開なんかもかなり早いペースで入れ替えが多くなる。ということは、いつ行っても何か新しいものに会えるってなもんで、飽きが来ない街なんだなあ……。秋はいやでも来るけど。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 @Ginza ©tsunoken

2018年8月 8日 (水)

我孫子って、どうよ

「我孫子に行ってきた」って言っても、別にどうってことはない。

 松戸や柏、取手には行ってきて、ブログにも書いたことがあるんだが、よく考えてみると我孫子には行ったことがなかったっていうだけの話。「我孫子」と書いて「がそんし」じゃなくて「あびこ」って読むことを知ったのは、いつ頃のことだったのかしら。多分、東京メトロ千代田線ができて、常磐線に乗り入れをするようになった頃だったんじゃないだろうか。

 まあ、その程度の意識と、「手賀沼があるところでしょ」くらいの知識しかなかった我孫子市ではあります。

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 我孫子駅前には、駅を出てすぐに「我孫子市ゆかりの文化人」という写真入りの碑が設置されているんだが、武者小路実篤とか白樺派には興味がない私にとってはどうでもよい碑なんです。でも、ここ我孫子が鎌倉に似た雰囲気だっていうのはよくわからないなあ。

 鎌倉に似たコンパクトシティだっていうのは分からないではないが、でも駅からちょっと歩いた先にあるのは海じゃなくて利根川ゆかりの湖でしょ。

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 っていうことで、我孫子駅の旧市街にでる南口を出るとものの10分もしないうちに坂を下りて、手賀沼湖畔に出る。

 手賀沼を渡ってくる風が、こんな暑い日でも結構心地よかったりする。ちょっと木陰で一休み。

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 我孫子市の人口は約13万人。ヨーロッパに行ってしまえばちょっとした大都市である。それでいて駅からすぐそばにはこんな自然があり、その湖畔は公園として整備されているっていうのは、なかなかコンパクトシティとしての資格十分な感じがする。

 手賀沼公園もかなり整備されていて、ミニSLなんかも走っていたりして、子供たちを安心して遊ばせることが出来る。

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 で、その手賀沼湖畔からちょっと丘を上がるとあるんですね、根戸古墳公園です。こうした丘の上にあって湖が眺められるとっておきの場所っていうことで、このあたり古墳が多く見つけられており、城跡なんかもいくつか見つかっているようだ。

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 まあ、公園で遊んでいる子供たちにとっては、古墳なんていっても別に気にならなくて、単に公園の真ん中にある小高い場所っていうくらいのものなんだろう。

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 駅前も繁華街っていうほどではないし、公園や湖などの自然も近い、っていうことで、ベッドタウンとしての資格十分な町ではある。

 駅の北口の先には、最近は箱根駅伝の常連となりつつある中央学院大学なんかもあります。

 じゃあ、お前はここに住みたいか? って言われたら……、やっぱりお断りします。私は東京の雑然としたところが好きなもんで。

EPSON RD1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 @Abiko ©tsunoken

2018年8月 7日 (火)

羽田神社祭礼モノクロ編

 7月31日に羽田神社のお祭りを「お間抜けレポート」をしたんだが、その時にデジカメと同時にライカにモノクロフィルムを入れて持って行った。そのフィルムの現像が上がって来たので、とりあえずUP。

 写真が本来は持っているはずの情報性ゼロ、なおかつ芸術性もゼロ(それはいつも通り)、ほとんど撮った順、という撮影者としての戦略性もゼロで載せます。

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 まあ、とにかくさあ、暑くてモノを考えるのも面倒くさいんですよ。

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 ほとんど意味のない写真の羅列に、何か意味があるように思わせるのは、基本的にはキャプションの戦略性なんだけれども、その「戦略」を考えるのも面倒くさい。

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 本当に「とうもろこし」と「アイスキャンディ」なんですよね。欲しいのは。

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 先に「撮影者としての戦略性」って言ったんだけれども、それは撮影者がその写真の羅列に何か意味があるかのように見せるための、言ってみれば「勝手な言い草」のこと。

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 それをキャプション抜きで示したのが「組写真」っていうもので、それは全くキャプションも解説もなしでも、写真だけで「意味」を見た人に伝えることのできる、写真家としての力量なんですね。

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 そんな力量もテクニックもない私のようなヘボカメラマンは、結局、組写真にやたらいろいろな解説やらキャプションやらをつけて、いかにも私がそれらの写真に対して意味付与ができるような写真「家」であるように振舞っているんですね。

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 まあ、立派な写真家は、特別キャプションや解説をつけなくても、「写真自らがモノを語っている写真」を提示するんですね。

 それが「写真家=フォトグラファー」ってやつで、私みたいなヘボカメラマンには一生かかってもなれない存在なんですね。私は学生の頃の映画評論時代から、基本的に「文章の人間」なんだなあ。

「映像の人」ではないですね。

 まあ、そりゃそうだったんだろうな。

LEICA M6 LEITZ ELMARIT 28mm f1:2.8 KODAK 400TX @Haneda ©tsunoken

2018年8月 6日 (月)

一昨日は朝霞、昨日は佃

 ということで、一昨日は朝霞の「市民祭り」に行ってきたので、昨日は佃島のつまり本当の神事としてのお祭り「住吉祭」を見てきた。

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 でも、本当は一昨日の朝7時に行かなければ、実は一番面白いところが見られなかったんですよね。

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 実は佃住吉神社のお祭りで一番面白いのは、神輿を船に乗せて隅田川を渡るところなんです。

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 昔はこれが船じゃなくて、神輿の担ぎ手が裸になって隅田川を神輿を担いだまま渡ったらしい。今でもその写真が残っている。

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 今は川も汚くなってしまっている関係なのか、船で渡るわけなんです。

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 で佃島(って今は島じゃなくなってしまっている)の周辺を最初は左回り、次に右回りに回って、最後は住吉神社に戻って奉納をします。

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 今年は3年に一度の本祭なので、いつもは飾るだけで出さない本神輿も渡御を行います。

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 まあ、祭りを見に行ったのか、あるいは単に汗をかきに行っただけなのか、よくわからないですが、まあ、とりあえずは祭りを見に行ってきたってわけ。

 今週末は深川の富岡八幡宮のお祭りです。「水かけ祭り」と呼ばれて、あまりの暑さに神輿を担いでいる若衆たちに一斉に水をかけるので有名なお祭りですね。江戸三大祭りのひとつ、あとの二つは浅草三社祭と神田明神夏祭り。

 まあ、昨年末に変な事件が起きた富岡八幡宮ですが、祭りは関係ない。ってなもんで、今年も盛大にやるようですよ。

 やっぱり行こうかな。って、私は祭りが好きなんだろうか?

 まあ、昔子供の頃には高校生でも中学生でも、大人が担ぐ神輿を担げば一緒に酒を飲めるってのが目的で神輿を担いだ、という思い出があるだけなんですけれどもね。今は、もう年なんで自分では担がずに、子ども神輿のお世話だけなのが、ちょっと悔しい。

NIKON Df AF NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Tsukuda ©tsunoken

2018年8月 5日 (日)

朝霞市の夏祭り「彩夏祭」に行ってきたぞ

「朝霞市民祭り 彩夏祭」に行ってきた。

 う~ん、アツくてサイコー!(ヤケ)

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「彩夏祭 2018」は今日まで開催。公式サイトはコチラ

 彩夏祭は「市民祭り」という呼び名の通り、朝霞市のどこかの神社の夏祭りではない。

『朝霞市民まつり「彩夏祭」の始まりは、1984年(昭和59年)でした。都市化と情報化が進み、便利な世の中になる一方で、地域への愛着や連帯感、人と人との繋がりが薄れて行くことに危機感を抱いた市民の手によって始められました。開催当初は、盆踊りと打上げ花火をメインとしたオーソドックスなお祭りで、規模も小さなものでした。それから回を重ねるごとに大きくなり、今では、約65万人もの方が来場する大きなお祭りになり、朝霞を語る上で欠かせない夏の風物詩となりました。』

 と、公式サイトにもある通り、もともとは朝霞市民の手作りの祭りだったものが、次第に大規模なものになったらしい。

『「彩夏祭」という愛称は、1995年(平成7年)第12回朝霞市民まつりの時に、朝霞市民の公募により選ばれました。「夏の彩り豊かな祭り」というイメージと、「彩の国、埼玉」から「彩夏祭」と愛称が決まりました。』

 祭りの主会場は、朝霞市役所から陸上競技場や野球場をつなぐ道路。元キャンプ・ドレイクのノース・キャンプがあった周辺なんて言っても、今や誰もわかんないだろうなあ。

 彩夏祭のメインの出し物は「関八州よさこいフェスタ」というもので、関東地方のいろいろな場所からエントリーしてきた「よさこい踊り」のグループがその演技を競うというもの。主会場でコンテストを行っています。まあ、「関八州」とはいっても、そのほとんどは埼玉県のようですけれどもね。

 で、このお祭りに協力しているのが地元の陸上自衛隊朝霞駐屯地。よさこいフェスタ・パレードの先導を全面的に請け負っている。勿論、隊員募集のブースなんかもあるんだが、そちらの状況はどうなんだろう。

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 勿論、朝霞市の大企業と言えばホンダです。こんな二輪レーサーの展示や、一般バイクの展示、子供たち用にミニバイクの試走なんかもできる場所を提供しています。

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 なんで、そんな市民祭りを見に行ったのかと言えば、実は朝霞市は社会人アメリカンフットボールXリーグ所属のBULLS FOOTBALL CLUBの本拠地であり、このお祭りにもいろいろ手伝いなんかもしているし、チアリーダーの演技披露なんかもやっている。

 8月5日(日)のBULLS CHEERLEADERSの出演予定は以下の通り。

★1回目★ パレード出演
 時間:13:30~13:50
 会場:朝霞の森前演舞場
 (朝霞演舞場MAP 3番)

★2回目★ ステージ出演
 時間:15:23~15:33
 会場:超熱いぜ!! 関八州劇場
 (朝霞演舞場MAP 5番)

★3回目★ ステージ出演
 時間:17:00~17:10
 会場:北朝霞ステージ

 朝霞演舞場MAPは以下の通り。北朝霞ステージは会場にて配布するMAPに載っています。

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 お祭りのシンボルキャラクター「彩夏ちゃん」です。

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 いろいろ愛想を振りまいているんだが……中の人、暑そうだなあ。

 暑い夏はもっと一杯汗をかいて、暑さを吹っ飛ばそう!(もう、完全にヤケ!)

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Asaka ©tsunoken

2018年8月 4日 (土)

御殿山が御殿山のわけ

 昨日から突然Facebookへのクロスポストが出来なくなってしまった。7月の26日からFacebookへのクロスポストが出来なくなるというniftyのアナウンスはあったんだけれども、その後も普通にクロスポストが出来ていたんで安心していたんだが、ついにダメになったんですね。Facebook経由でこのブログを読んでいた人たちはどうなっちゃうんだろう。Facebookでこのブログの存在を見つけて、その後は直接ログインしてくれるようになっていればいんだけれども、まあ、それは仕方がないことなんだろうな。

 という私側の事情はさておき……、ここから本題。

 品川区の御殿山に行っても、なぜそこが「御殿山」なのかを説明しているものはない。

 なんで「御殿山」なんだ?

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 Wikipediaによれば……

『新編武蔵国風土記稿によれば、太田道灌が江戸城に入る前の長禄年間(1457年 - 1460年)に城を構えて居住していたが(御殿山城)、夢のお告げがあったため江戸城に入り、御殿山城には宇多川和泉守長清を配したという(『道灌日記』からの引用)。当時は眼下に、浅草湊と並んで栄えた品川湊を見下ろす高台であった。』

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『徳川家康が江戸城に入ってからは、御殿山城は「品川御殿」と呼ばれ、歴代将軍鷹狩の休息所として、また幕府重臣を招いての茶会の場として利用されていたほか、桜の名所として有名であった。しかし元禄15年(1702年)2月11日四ッ谷太宗寺付近の出火で青山から麻布御殿へ至り、品川宿でようやく鎮火、御殿は焼失し8月14日に廃された。』

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『寛文年間(1661年 - 1673年)から桜が移植され、文政7年(1824年)の『宿差出明細帳写』(品川町史)によると、御殿山の面積は11,500坪(38,016平方メートル)、600本に及ぶ桜の名所として整備された。』

 とあるんだが、『太田道灌が江戸城に入る前の長禄年間(1457年 - 1460年)に城を構えて居住していたが(御殿山城)、夢のお告げがあったため江戸城に入り、御殿山城には宇多川和泉守長清を配した』という書き方からすると、太田道灌が城を構えた時期以前から「御殿山」があったように思える。

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 しかし、どうもそうではないようなことが品川歴史観の資料にはあった。

『このあたりが、より一層の華やぎを見せたのは江戸時代のこと。寛永13年(1636)に品川宿を見おろす丘陵地に、品川御殿と呼ばれる将軍の館が建てられたことによります。この品川御殿は将軍の鷹狩りの際の休憩所とされていますが、江戸の入り口に位置し、その見晴らしの良さから防衛の拠点としても機能していたと考えられています。

 特に足繁く通っていたのは三代将軍徳川家光。鷹狩りだけでなく、茶会なども開催していました。茶道の世界でも有名な「御殿山大茶会」は長府藩主毛利秀元が、この地で主催した茶会のこと。そう、御殿山という名前は“将軍の品川御殿のある山”に由来するのではないかと言われているのです。』

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 要するに江戸時代になって徳川将軍の「品川御殿」が建てられたのが「御殿山」の起源だったというのであるのならば、太田道灌の「御殿山城」というのは、後年つけられた呼び名だったんだろう。

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 江戸には「太田道灌」という人と、「徳川家光」という偉人がいて、基本的には太田道灌が作った遺構が多いのであるが、でも、結局それを利用しつつ、都市として完成させたのが徳川氏だったってことなのかも知れない。

NIKON Df AF NIKKOR 35mm f1:2 D @Gotenyama Shinagawa ©tsunoken

2018年8月 3日 (金)

巣鴨とげぬき地蔵通りの異変

 いやあ、毎日毎日暑いですね。

 こう暑いと「おばあちゃんの原宿=巣鴨地蔵通り商店街」も人影はまばらで、歩いている人も少ないです。そりゃまあね、こんな商店街を歩いていて熱中症になったらたまらないですもんね。「本当の原宿=竹下通り」とは歩いている人の年齢が違います。

 とは言うものの、別にお年寄りの通行人が少ないだけじゃなくて、若い人も少ないです。でも、上のようなタイトルにしちゃったんでお年寄りにフォーカスした記事になってしまいました。

 んなもん、タイトルかえりゃあいいじゃん。というのも面倒くさいんで(なんせ暑いから)、そのままのタイトルでいかせていただきます。

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 いつもならお年寄りでいっぱいの高岩寺=とげぬき地蔵も人影は見えませんね。

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 境内にもほとんど人影は見えないし、屋台出店の人たちもみなさんヒマそうにしています。

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 いつもなら順番待ちのお客さんが行列をなしているときわ食堂の前にも全然人はいませんが、お店は普通にやっています。う~ん、ビールが旨そうだなぁ。

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 あまりの暑さに開店休業状態の商店街ですが、「もう、いいや!」ってなもんで、臨時休業にしちゃっているお店もあります。

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 う~ん、こう誰も歩いていないとカメラを持って歩いていても、何も撮るものがなくて困っちゃいます。って、別に一人で勝手に困っているだけですけれどもね。

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 ということで、「何も撮るものがなくて困っちゃう」巣鴨地蔵通りからのレポートでした。

 あれっ? いつもの「四の日」っていうのがお地蔵様の縁日で、屋台や出店もたくさん出て、人出もすごい日が月に3日あるんだけれども、明日は4日、八月の最初の縁日だ。

 明日は、マンションの「屋上花火鑑賞会 第二部 戸田橋花火」なんだけれども、昼間は関係ないので、明日も出直して地蔵通りに来てみましょう。

 どうかな?

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 @Sugamo ©tsunoken

2018年8月 2日 (木)

「国会周辺で肝試し」に行ってきたわけなんだが?

 日経新聞の毎年夏の恒例の企画なのかどうかは知らないが、7月31日の電子版記事に面白いのを見つけたので、その通りに回ってみた。

『国会周辺で肝試し(写真でみる永田町)

   肝試しの真夏がやってきました。記者もちょうちんを提げて、国会周辺のちょっと怖いスポットを巡りました。

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 永田町で「幽霊が出る」といえば首相公邸です。首相が宿泊したり、要人を招いて晩さん会を開いたりしています。
 1932年の五・一五事件では犬養毅首相が、36年の二・二六事件では岡田啓介首相の義弟が射殺された場所でもあります。5年前には野党議員が「公邸には幽霊が出るとの噂があるが事実か」との質問主意書を出しました。政府は「承知していない」とする答弁を閣議決定しましたが「ドアノブをガチガチと回す音がする」「部屋の隅に2本の足を見かけた」といった目撃談もあります。

Dsc_00462(清水谷公園)

 辺りは暗闇に包まれ、池の水音だけが響いています。ここは紀尾井坂の清水谷公園です。今から140年前、この地で大久保利通が暗殺されました。大久保をしのぶ石碑を薄明かりが照らしています。

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 清水谷公園っていえば、昔の高校生運動時代の集会場としてよく使っていた場所なんだが、まあ、別に当時は大久保利通なんて興味がなかったので、そんな意味がある公園だなんてことは知らなかった。ましてや「大久保公哀悼碑」なんてものがあることなどは知る由もないっていうか。普通に「清水谷にある公園だろ」くらいにしか考えていなかった。

Dsc_00892(日比谷公会堂)

 日比谷公園の中にある日比谷公会堂は、修復工事のため閉鎖中です。1960年、社会党の浅沼稲次郎委員長が公会堂で演説しているさなか、学ラン姿の少年に刺し殺されました。がらんとした建物の奥には、赤い明かりがともっていました。

Dsc_00192(日枝神社)

 最後は首相官邸の裏にある日枝神社にお参りです。幸せな最期を迎えた政治家は、それほど多くはないのかもしれません。月並みですが、記者も平和と豊かさを祈りました。(溝呂木拓也)』

(斜体で書いてある部分は日経電子版7月31日版より。その他の部分と写真はtsunoken)

 まあ、それぞれミステリースポットって言えばそうなんだろうけれども、やっぱり永田町、赤坂のミステリースポットと言えばここでしょう。プルデンシャルタワーです。

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 ここは昔、ホテルニュージャパンっていうホテルがあった場所なんだけれども、藤山愛一郎という外務大臣をやったことのある政治家が持っていたホテルだったんだ。それが藤山コンツェルンがうまくいかなくなって横井秀樹率いる東洋郵船が手に入れたんだが、この横井秀樹ってのがとんでもない食わせ者で、いわゆる政商のひとり。安全対策にまったく気を遣わずに1982年2月8日に火事になってしまい、34人の犠牲者をだして、なおかつ平然としていたのである。

 ホテルニュージャパンは、もともと政治をめぐる有象無象が跋扈していたホテルで、そうした連中の「恨み」や「嫉み」「辛み」ってのが重なって重なって、今でもいろいろ「出る」っていう噂があるビルなのだ。現在はなかなか中に入ることのできないオフィスビルになってしまったので、日経新聞が会社のご威光でもって内部の「出る」ところを撮ってほしかったな。

NIKON Df AF NIKKOR 24-50mm f13.3-4.5 @Nagatacho, Asakaka, Hibiya ©tsunoken

2018年8月 1日 (水)

武蔵小杉が大変なことになっているそうだ

 横浜、川崎方面では「武蔵小杉」は「ムサコ」と呼ばれているそうだ。えっ? 「ムサコ」っていたら「武蔵小山」じゃないの? っていうツッコミはさておき、今日の話題は武蔵小杉なのである。

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 武蔵小杉と言えば東急東横線が南北を走り、JR南武線が東西を走る感じで、街を二分している。タワーマンションが林立しているのはこのうちの東横線の東側、南武線の南側がメインで、住所としては川崎市中原区丸子になる。もともとこの辺はNECの工場があったところで、工場が撤退した後にタワーマンションがやたら出来てきたのは、多分、川崎市の人口増対策があったんだろう。工場が撤退した後の固定資産税と住民税対策なんかがあったんだろうな。

 その結果、川崎市の住民は2017年に150万人を超えて、政令指定都市の中では最も面積が小さいが、人口は都道府県庁所在地以外の市の中では最大という栄誉に輝いたのである。

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 勿論、そうした新しい街としての武蔵小杉もあるんだが、一方で昔からの武蔵小杉という部分もある。そこが東横線の西側になる川崎市小杉という部分。

 タワーマンションどころか、規模の小さなマンションやら、昔からの商店街なんかはすべてこちら側にある。ちょうど、東横線を挟んで「新市街」と「旧市街」に二分されているのが武蔵小杉の街の造りではある。

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 旧市街側の象徴的な存在が法政二校と、監督が選手にちくわを無理やり買わせていたことで有名な法政大学アメリカンフットボール部トマホークス(旧称:現在は「オレンジ」)の合宿所なんかがあって、アメフト選手たちが町の清掃なんかをやっていたりした。

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 ところが人口の急増のおかげて、東急東横線、JR南武線、横須賀線という3線利用という一見便利なようでいて、実は大変な問題になっているそうだ。

 確かに、武蔵小杉駅からは渋谷、新宿、品川、東京などはそれぞれ30分くらいで着いてしまうくらいに近いのであるが……、それは電車に乗ってからの話で、実は乗るまでが大変なのだ。

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 マンションの高層階から下まで何分くらいかかるのかわからないが、下まで降りてしまえば5分もあれば駅についてしまう。が、問題はそこからで、駅についてもホームは乗客でいっぱいでなかなか中に入れず、それを考えると電車に乗るまでの時間を30分くらい見ておかなければならないそうだ。

 問題は特に横須賀線にあって、もともとは横須賀線に武蔵小杉という駅はなかったものを、南武線のホームを端っこまで歩いてなおその先まで行くっていう、東京メトロの赤坂見附と永田町もかくやというくらいに離れているのだが、「ひとつの駅」なんですね。

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 JRとしてはそのための対策として2023年までに横須賀線のホームを増設して、もうちょっと乗客の処理を早める策を講じるようだが、そんなもんで対策になるのだろうか。

 むしろ対策としては、横須賀線の武蔵小杉駅をやめちゃって、別の名前の駅にしちゃえばいいんじゃないだろうか、というのは素人考えなんだろうか。でも、そうすればすべてが武蔵小杉駅に集中するっていうイメージはなくなるんじゃないだろうか……、ていうのはそれこそ素人考えなのかなあ。

 まあ、実はそれ以上にタワーマンションの住民と地域の自治会の意識の乖離とか、保育園問題などもあるんだが、とりあえず通勤問題から取り上げました。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Musashikosugi ©tsunoken

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