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2018年8月

2018年8月31日 (金)

意外なところにあった「断腸亭」

 これまた一昨日のブログと同じ、私がちゃんと本を読んでいなかったために勝手な思い込みをして、結局事実を知らないままに過ぎてしまったっていう例なんですね。

 今日は<永井荷風「断腸亭日乗」>です。

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「断腸亭日乗」って言えば、何となく「永井荷風が玉ノ井や浅草なんかに行って、そこの娼婦たちとの駆け引きや、人間関係なんかを綴った日記文学」っていう風に思い込んでいた。なので、その場所の関係から永井荷風が市川に住んでから、京成線や東武線でその辺りに出かけていた話だと思っていたんだが、実はそうではなくて、荷風が自分の寓居を「断腸亭」と名付けたのは、1916(大正5)年に慶應義塾の教授を辞して「もういいや、僕、籠っちゃうもんね」って感じで住まいを求めたのが、新宿区余丁町。

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 都営大江戸線若松河田駅で降りて抜弁天を左折して靖国通りへ下りていく途中の左側にありました。

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 まあ、なんだかよくわからないクリニックとか、なんだかの学校みたいなのが入っているAICビルディングってのがあって、その前に新宿区が作った碑がありました。

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「そうか、永井荷風はこんな山の手から下町に出かけて、女を買ったり、町風情をからかったりしながら、(多分)慶應義塾の教授という名誉ある職を辞している自分の(主体的には)不遇をかこっていたんだな。」

 というのが私の結論であり、なんだ永井荷風は本当に下町を愛していたんじゃないんじゃないか、という疑問も生じたんであります。

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 我々の時代の作家と明治・大正期の作家というのは、全然出自が異なる。いまでは誰でも作家になれる時代だが、当時はそうではなくて、やはりそれなりに「有閑階級」の子息でないと小説家になんてなれるわけではなかった。

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 それはね、太宰治だってかなり余裕がある家の出なので、あんなに放埓な生活が出来て、なおかつそれを作品にまでできる余裕があったってことでしょうか。

 なんだ、明治・大正・昭和前期って、所詮そういう「身分制社会」の尻尾をまだまだ引きずっていた社会なんだな。

 ってのが結論。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Yochomachi ©tsunoken

『断腸亭日乗』(永井荷風著/岩波文庫/1987年7月16日刊)青空文庫版も出ています。

2018年8月30日 (木)

キヨスク雑誌消滅の危機 売上高9割減で卸が撤退

『キヨスク雑誌消滅の危機 売上高9割減で卸が撤退』という記事が日経新聞8月29日(電子版)に掲載されていたので、それを紹介する。

Photo 東京駅ホームの売店

『JR駅構内の店舗「キヨスク」などへの雑誌の卸売りについて、これまで一手に担ってきた公益財団法人「鉄道弘済会」が10月にも同事業から撤退する。販売がピーク時の10分の1となり採算が悪化したのが主因だ。出版取次大手のトーハンが業務を引き継ぐことが決まり、東北から東海地方にかけての約1000店舗から雑誌が消える事態はひとまず回避された。ただ今後も販売低迷が続けばキヨスクから雑誌が消える可能性も残り、部数減に苦しむ出版業界へのさらなる打撃となりかねない。

 トーハンは現在も鉄道弘済会から物流など一部業務を受託している。11月にも駅ナカの店舗に届ける雑誌の選定から在庫管理、売れ残りの返品や請求・支払いに関するシステム開発といった業務を鉄道弘済会から全て引き継ぐ。

 対象となるのは、JR東日本系が東北や関東を中心に運営するキヨスクやコンビニ型の「ニューデイズ」など790店舗と、JR東海の駅ナカ店「ベルマート」など170店舗を含む約960店舗向けの卸事業。
 鉄道弘済会は収益事業として雑誌卸のほか不動産事業などを手掛けており、それらの収益を高齢者施設などの社会福祉事業に使っている。雑誌卸事業の売上高は1993年のピークには874億円あったが、直近では10分の1に縮小していたという。かろうじて黒字を維持しているものの、販売縮小が続けば数年以内に赤字に転落する見通しだ。
「店舗が改装するたびに本の棚が縮小され端に追いやられていった」。ある取次関係者はこう打ち明ける。駅ナカで売れる雑誌のうち週刊誌と漫画誌が9割近くを占めるが、スマートフォンの普及もあって電車内で雑誌を読む人が減った。キヨスクの店舗数がピーク時に比べて半分近くに減り、コンビニ型への転換が進んだのも、主力商品だった雑誌の販売減が大きい。
店舗網縮小がさらなる雑誌などの販売減につながる。そんな負のサイクルから抜け出せず、ついには卸の担い手が撤退を決めるまで追い込まれた。鉄道弘済会は雑誌の販売をやめても店舗の売り上げへの影響は小さいと判断したもようだ。
 出版科学研究所によると、17年の紙の出版物(書籍と雑誌の合計)の推定販売金額は前年比7%減の1兆3701億円。鉄道弘済会が手を引く駅ナカ書店の販売規模は全体の1%にも満たない。 ただ出版や取次から見れば大きな意味を持つ。一部週刊誌は駅ナカ店舗での売上高比率が3割に達し、重要な販路の一つになっているという。トーハンや出版社側には「多くの利用者が通る駅ナカで露出が減れば、ますます本が売れなくなってしまう」(取次関係者)との危機感があった。』

 まあ、紙の雑誌の売れ行きがどんどん下降していく状況は今更ではないが、例えば週刊誌などは売り上げの3割程度が駅構内の売店での売り上げということになると、鉄道弘済会が雑誌の卸から撤退となっても「はいそうですか」とはいかないという事情から、トーハンが引継ぐということになったのだろう。

 一方、日販も関東最大手の私鉄、東武鉄道のエキナカ書店「東武ブックス」を傘下に入れているなどというのも、トーハンのキヨスクへの卸を引き受けるのと同じような理由によるものだろう。

 だいたい、今どき電車の中で週刊誌や新聞を読んでいる人なんてほとんど見ない。まあ、みんなスマホで何か読んでいるか、ゲームをやっているか、っていう感じだもんなあ。朝の時間だと多分一番多いのがスマホで新聞の電子版かSNSだろうなあ。

 出版社の側も、もうそろそろ紙の週刊誌をどうするかを検討する時期なのかもしれない。現在、かろうじて黒字を出している週刊誌も、いずれは赤字になってしまい、それを回復することは不可能になるのだろう。

 出版社も現在のような業態をいつまで続けるつもりなんだろう。日本に数多くある出版社のなかでデジタルシフトが済んでいる出版社は、まだまだ大手の中の一部の出版社だけだ。多くの出版社は基本的に書籍の出版が主なので、いまだに紙の出版だけでも企画次第ではまだまだ生き続けることが出来ると考えているんだろう。あとは、多少会社を大きくした後に大手出版社の傘下に入って生き延びるということなんかも考えているのかもしれない。

 私が出版社での仕事を始めた数十年前は「出版業全体は豆腐屋業界と同じ売り上げ」なんて言われて、出版業界が基本的に脆弱な業界であることは、あらかじめ承知をしていたんだが、そのまま大きな業界にならずに、もうすぐ消滅するかもしれないという危機が今やってきているんだ、という実感がだんだんしてきた。

 問題はデジタルシフトをどれだけ実現しているかということが、そんな状況の中で生き残る出版社か消え去る出版社かの境目になるのだろう。勿論、書籍出版というのはごく少額の資本でも可能なので、なくなるということはないのだろうけれども、でも、それはあくまでも「意志の出版」であって、ビジネス的な展開をする出版ではない。

 そうした「意志の出版」者と、デジタル化を進めた結果として生き残ったビジネス的展開をする出版社というところだけが生き残るということになるのかもしれない。

 記事は「活字離れ」というのをキーワードとしているが、そうじゃなくて「紙離れ」なんだなあ。そんなことは日経新聞なら分かっている話なんだろうになあ。

 

2018年8月29日 (水)

「黒人塚」のある神社

 向島近辺を歩こうと思って、東武伊勢崎線の鐘ヶ淵で降りる。ここから玉ノ井(現・東向島)、曳舟方面まで歩くわけだ。

『東京では、歴史的に江戸時代の御府内(江戸の市域)で、高台の地域を「山の手」と呼び、低地にある町を「下町」と呼称されたという。東京における下町の代表的な地域は日本橋、京橋、神田、下谷、浅草、本所、深川であるが、「山の手」のイメージで語られがちな旧小石川区や旧牛込区、旧芝区にも下町地域は存在する。』(Wikipedia)

 つまり浅草から大川(隅田川)を隔てた向島、本所あたりも下町ということなんだが、でも、遊郭のあった玉ノ井なんかは「下町」っていうよりは「場末」っていう感覚なんだけれどもね。玉ノ井って言えば現在の東向島、そこが「下町」なのかって言えば、やっぱり「場末」感の方が強いなあ。

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 隅田川沿いの墨堤通りを歩いていると、右側(隅田川側)に長大な長さの団地がある。都営白髭東アパートという、実はその長さが1km以上ある防災隔壁なのである。向島方面からの火事をここで食い止めるっていうのが目的なんだが、それは要するに第二次世界大戦のアメリカ軍による焼夷弾の空襲で、東京のこの地域が一番やられて街が全滅したことが切っ掛けなのである。

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 で、その防火壁団地を過ぎたところにあるのが白髭橋なのだが、当然のことながらその白髭橋の交差点を過ぎたところにあるのが、白髭神社なんであります。

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 白髭神社っていうのは、墨田区の旧寺島町にあたる「東向島・墨田・堤通・京島・八広・押上」地区の氏神様。実はこの白髭神社を氏神様としてあがめていた地域が、もともとの向島区。現在の向島一丁目から五丁目という隅田川で浅草と対面している地域は、もともとは本所区だった。で、別の牛島神社っていうのが氏神様なんですね……、っていうちょっとなんだか分からない複雑な関係があるようだ。

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 で、その白髭神社の境内に入ってみるといろいろな碑が建っているんだけれども、そこで一番目につく(目についた?)のが最初の写真と一番上の写真の「黒人塚」っていうものなのだ。

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「えっ? 『黒人塚(こくじんづか)』ってなんだ?」ってなったので、とりあえずWikipediaで調べてみた。

『境内で一番の古碑で、寛政十二年(1800)の建碑。右面に『天やこの人を生み 天やこの人亡る この人阡人の玄 崑崙一人に選る倚る(原漢文)』、左面に『うつせみのうつつにしばしすみた川 渡りそはつるゆめのうきはし』と刻まれています。本名を北島玄二といい、玄の字が黒に通じることから黒人と号した。』(Wikipedia)

 つまり、これは「黒人塚(こくじんづか)」ではなくて、「浜辺黒人(はまべのくろひと)」という狂歌名にちなんだ、「黒人塚(くろひとづか)」なんだって。

 それ以上は「なし」。

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 ということで、オソマツサマでした。おあとがよろしいようで……。

 これまた「白髭神社と向島」「牛島神社と本所」っていう複雑な理由がありそうだなあ。

 ってまあ、よくもこれだけしかないネタで一本ブログを書けました。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f1:4 @Mukojima ©tsunoken

2018年8月28日 (火)

『武蔵野』を歩く

 国木田独歩によれば、武蔵野というのはずいぶん広いエリアを示しているのだな。

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『武蔵野は先づ雑司谷から起つて線を引いて見ると、それから板橋の中仙道の西側を通って川越近傍まで達し、君の一編に示された入間郡を包んで円く甲武線の立川駅に来る。此範囲の間に所沢、田無などいふ駅がどんなに趣味が多いか…殊に夏の緑の深いころは。さて立川からは多摩川を限界として上丸辺まで下る。八王子は決して武蔵野には入れられない。そして丸子から下目黒に返る。此範囲の間に布田、登戸、二子などのどんなに趣味が多いか。以上は西半面。
 東の半面は亀井戸辺より小松川へかけ木下川から堀切を包んで千住近傍へ到つて止まる。この範囲は異論があれば取除いてもよい。しかし一種の趣味があつて武蔵野に相違ないことは前に申したとほりである。』

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 私たちがイメージする「武蔵野」とは基本的に東京西部の都下あたり、吉祥寺から西、小金井あたりを示しているような気がしていたのだが、国木田独歩の『武蔵野』を読んでみると、それ以上の随分広い地域を武蔵野と命名しているのだ。

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 ということで、西武池袋線の小手指辺りに出かけた。

『武蔵野のおもかげは今わずかに入間郡に残れり」と自分は文政年間にできた地図で見たことがある。そしてその地図に入間郡「小手指原久米川は古戦場なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦うこと一日がうちに三十余たび日暮れは平家三里退きて久米川に陣を取る明れば源氏久米川の陣へ押寄せると載せたるはこのあたりなるべし」と書きこんであるのを読んだことがある。自分は武蔵野の跡のわずかに残っている処とは定めてこの古戦場あたりではあるまいかと思って、一度行ってみるつもりでいてまだ行かないが実際は今もやはりそのとおりであろうかと危ぶんでいる。ともかく、画や歌でばかり想像している武蔵野をその俤ばかりでも見たいものとは自分ばかりの願いではあるまい。』

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 行った先は小手指ヶ原古戦場跡である。

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 周囲は延々と広大な畑が広がっていて、その先には雑木林があって、そうした風景を本当は「武蔵野」と呼ぶらしい。。

 神田上水や玉川上水の周辺の林や広がりをイメージしていた私にとっては、国木田独歩の言うところの「武蔵野」というのは私の想像を裏切って、もっともっと広がりを持った場所なのであった。

 渋谷に住んでいた国木田独歩は、昔なら随分離れていただろうこれらの地域に、毎日のように出かけていたのだろうか。あるいは、自宅で想像していた武蔵野のイメージをひたすら広げて随筆を書いていたのだろうか。

 自分で勝手にイメージしていた「国木田独歩の武蔵野」感と、実際に「国木田独歩自身が書いている武蔵野」感の違いに驚いている。まあ、やっぱり気になったら、その本に直接当たらなければならないっていうことなのだろう。

 当たり前の話……。

 武蔵野と古戦場というつながりをイメージしていなかった私にとっては、それはまさしく「目から鱗」ではありました。

『武蔵野』(国木田独歩著/新潮文庫/1949年5月24日刊)青空文庫版もあり。

EPSON R-D1s LEICA SUMMICRON 35mm f2 @Tokorozawa ©tsunoken

2018年8月27日 (月)

アメフトXリーグ・秋季公式戦開幕! なんだが……

 社会人のアメリカンフットボール公式戦Xリーグが、早くも開幕した。

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 ここ、習志野市の第一カッターフィールドでは、ホームチームのオービックシーガルズとBULLSフットボールクラブの対戦が行われ、90-3でBULLSが敗れるということに相成ったのだが、まあ、初戦なんてそんなものか。

 その他の試合では、アサヒビールシルバースターズ対電通キャタピラーズ(20-8)、富士ゼロックスミネルヴァAFC対東京ガスクリエイターズ(6-43)、パナソニックインパルス対エレコム神戸ファイニーズ(21-14)、富士通フロンティアーズ対IBM BigBlue(41-8)、ノジマ相模原ライズ対LIXIL DEERS(24-7)、アサヒ飲料クラブチャレンジャーズ対サイドワインダーズ(41-0)、アズワンブラックイーグルズ対名古屋サイクロンズ(13-23)、オール三菱ライオンズ対明治安田生命Penta Oceanパイレーツ(8/27試合予定)などの9試合が第1節として開催されたのだが、結局、多くのゲームが大差でのゲームとなった。

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 オービック対BULLSもまあ、そんな試合のひとつで、オービックのキックオフで始まった試合も、結局BULLS最初のシリーズがパントで終わってしまい、そのパントがオービックのパントリターンタッチダウンという大技になって飛び出して、最初から試合はオービックペースで始まってしまう。ゲーム始まって数分も経っていない。

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 その後も、ゲームは完璧にオービックペースでもって進み、第一クォーター終了後に既に34-0という具合。

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 とにかくラインの強さが圧倒的で、パントなんて普通はキックする前に相手選手がパンターを襲うなんてことはないはずなのに、こんな感じでパンターを抑えてしまうのだ。

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 せめてもの一矢ということで、第3クォーター9分39秒、BULLS敵陣30ヤードほどのところからのフィールドゴールを決めて3点獲得。これがBULLSの唯一の得点となった。

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 結果、試合を終わってみると90-3という大差だったんだが、後半はオービックも選手を一枚落としてきたこともあって、100点ゲームを予想したんだけれども、そうはならなかった。しかし、オービックの二枚目のクォーターバックって、数年前に日本一になった菅原なんですよ。

 う~ん、実業団のトップクラス、まあセミプロといってもいいチームと、お父さんたちの「日曜フットボールチーム」との実力差っていってしまえばその通りなんだけれども、それが同じリーグで試合をやっているってのは、なんかすごいなあ。都市対抗野球のチームと河川敷の日曜軟式野球チームが試合をしているのと同じ、って言っちゃあ言い過ぎか。

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 ともあれ、9月12日には東京ドームで東京ガスと試合を予定しているBULLSなんだが、大丈夫か?

 東京ドームなら家から歩いて行ける場所なんで、そのつもりなんだが、だったら試合に勝って祝勝会ができるような勝負をやってほしいもんだが……、高望みかなあ。

NIKON Df SIGMA DG 150-500mm f1:5-6.3 APO HSM @Narashino ©tsunoken

2018年8月26日 (日)

Sittin' in the morning sun

〽Sittin' in the morning sun
I'll be sittin' when the evening comes
Watching the ships roll in
Then I watch them roll away again, yeah

 オーティス・レディング(Otis Redding)の"Dock of tha Bay"の出だしの歌詞なんだが、いつも横須賀に行くとその歌詞が頭の中を駆け巡ってくる。

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 でも、考えてみればオーティス・レディングの"Dock of ths Bay"は、別に軍港ではないし、普通のサンフランシスコの港町っていうだけなんですね。おまけに、ここJR横須賀駅あたりから見える軍港は、本格的なアメリカ海軍ではなく海上自衛隊横須賀基地なんですね。

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 本当なら〽守るも攻めるも黒鉄の という「軍艦マーチ」が聞こえてこなければいけないんだろうけれども、でも「軍艦マーチ」だとパチンコ屋さんみたいだし、なんか雰囲気じゃないんですね。えっ? 今やパチンコ屋も「軍艦マーチ」は流さないって? へー、そうなんだ。

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 しかし、12mmの超広角レンズっていうものの効果っていうのはすごいもんですね。

 ポイントは被写体までの「引き」と「周辺画像」との比較なんだろうか、空を入れた撮影画像のダイナミックさというのは、見ていてもなんとも言えない。

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 うーん、横須賀でこのレンズのテスト撮影をしたのは大正解かも知れない。「海と空」という二大ダイナミック・テーマを双方とも一緒に入れられる港というのは、なかなか被写体としては超広角レンズ向きの素材なのかもしれない。

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 勿論、横須賀の街も撮影しているので、それについてはいずれまたUPします。

 まあ、街中だとあまり広角効果は出てこないかもしれないけれどもね。

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〽Sittin' on the dock of the bay
Wastin' time

LEICA M6 VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 @Yokosuka ©tsunoken

2018年8月25日 (土)

On a Summerday Afternoon

 台風の影響の雨も午前中に上がったので、午後からは近所を散歩。タイトルは「ある夏の日の午後」っていうだけで、別に意味はないです。まあ、明日のブログにつながる部分もあるのかな。

 しかし、風は強いし、暑さは暑しってわけで、あまり遠出はできずに千石から春日、神保町という白山通りコースを歩いたのであります。しかし、暑いなあ!

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 水道橋駅から先に行けば、3月31日に閉店した「いもや」が、「とんかついもや」の方は「イマカツ」という、別の名前のとんかつ屋に早くも暖簾替え。

 まあ、場所は悪くはないので、普通に食べられるものを提供できていれば、まあ、普通に営業はできるでしょう。

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 なあんてのんびりしたことを言っているんだが、その一方、本来の「天ぷらいもや」の方は、まだ店が閉まったままだ。

 まあ、こっちは自分の不動産で自分の店舗、ってことなのかも知れないな。「とんかつ」の方は借りていた店舗だったので、退店してしまえば、場所がいいので次の店がすぐに入るんだが、自己店舗だと、不動産自体の買い手がつかないとなかなか店を仕舞うことができないっていう例なんだな。

 まあ、でも悪い場所ではないので、あとは売値と買い手の問題ですな……、なんて関係ない身としては、何でも言えちゃうんですね。

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 ということで神保町まで来たので、三省堂で写真集(タイトルは内緒)を買って、いつものタンゴ喫茶「ミロンガ」へ。何故か、ここのところラドリオじゃなくてミロンガが多いなあ。

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 まあ、まだまだ夏休み中のお茶の水界隈なんで、学生たちの姿も少ないし、なんとなくのんびりした雰囲気が漂っているし、人通りも少ない。

 昔の「神田カルチェラタン」の殺伐とした雰囲気も好きだけど、こんなのんびりした街の雰囲気も好きだなあ。

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 ということで、別に意味のない夏の日の午後なんでありました。

 まさしく"On a Summerday Afternoon"ってことですね。まあ、"Dock of the Bay"の陸上版みたいなもんです。えっ? "Dock of the Bay"って何だ? ああ、それは明日のブログのココロだぁ!

EPSON R-D1s KONICA M-HEXANON 50mm f2 @Jinbocho ©tsunoken

 POLAR LOOPが動かなくなってしまった。使い始めて何年も経っていないのに動かなくなってしまうっていうのは、こうしたデジタルデバイスの脆弱性のひとつなんだと思うんだけれども、なんかなあ、寿命が短すぎる。

 取り敢えず新しいPOLAR LOOPをAmazonに発注したんだけれども、それまではiPhoneのヘルスケア・アプリでもって代替だ。実はこちらのほうがデータが甘く出て、POLAR LOOPだと9,000歩くらいの歩数データの時に、iPhoneだと10,000歩に達してしまう。

 う~ん、なんかありがたいのやら何なのやら。

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2018年8月24日 (金)

東京周縁部を往く・三郷はこれからの街?

 JR武蔵野線っていうのは、もともと貨物線として建設・運用されていた路線である。

 ところが首都圏の都市化が進み沿線に住民が増えてきたので旅客を運ぶようになってきて、1973年に府中本町と新松戸の間で旅客電車を走らせ始めたのが、現在の武蔵野線の始まりなのだ。三郷駅もそれと同時に開業しているので、既に45年も過ぎている訳なので、駅前もそれなりに発展しているはず……、って言っていいんだよな。

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 ということで、JR武蔵野線三郷駅前からサンロードという商店街を歩きだす。

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 んだが……、すぐに「もはや郊外」っていう感じで、稲穂が頭(こうべ)を垂れているんですね、要は田舎っていうことなんだけれども、確かにここは「田舎」なんであります。

 別に、田舎じゃマズいっていうこともないわけだし、田舎は田舎でいいんですよね。

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 ってなことを考えながら、田舎道を歩いていくと……

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 出てきました、三郷市役所です。

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 いいなあ、こういう田舎の市役所って、街の一番ど真ん中じゃなくて、こんな街はずれにあるっていう謙虚さは。

 普通、昔からある町の市役所(区役所・県庁)って基本的に街の一番中心地に、やたら背の高いビルを作って自ら治めている市を睥睨するように建っているのが普通だ。

 だいたいが江戸時代の支配者が住んでいた城の敷地をそのまま県庁や市役所の敷地として作っちゃったのが間違いの始まりなんだけれども、そこに入ってきたのが薩長の田舎侍なもんだから、昔の(特に薩長の)侍発想でもって、そのまま県庁や市役所を支配してしまった。まあ、昔からのお役人発想でもって、なんかそんなところで「自分たちは偉いんだ」的な考え方が見事に外に出てしまった結果なんだなあ。

 う~ん、まあ、その辺が田舎の役人根性ってもんで、近中世の侍でもないのに、その辺の発想からいまだに抜け出ていない、「お前ら何百年前に生きてるんだよ」的な、大昔の役人根性をいまだに捨てられない連中なんだなあ。

 それが、敢えて三郷市の郊外に市役所を作るなんて、「三郷市偉い!」って言おうとしたんですがね。

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 もうちょっと歩くとつくばエキスプレスの三郷中央駅があるんですね。市役所のそばに。

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 えっ? ってことは、JR武蔵野線の三郷駅じゃなくて、つくばエキスプレスの三郷中央駅の方が、将来的には三郷市の中心になるっていう都市計画を、三郷市は持っているっていうことなのかなあ。だから「中央」駅なのか。

 なんだ、元々町というか村というか、の真ん中がなかった三郷には、本来の「町の中心」ってものがなかった。なので、これから作る町の中心は、「やっぱり東京の都心へ行く電車の駅」があって「町の自治の基本である」市役所がある場所だよなあ、ってな思惑があっての市役所の場所選定だったのか。

 まあ、三郷市役所を見たところ、とにかくヒマ、ヒマ、ヒマ。でも市役所職員はちゃんといるんだから、皆、ヒマをこいているわけです。そんな市役所が将来的には町の中心になるのか。

 ちょっと、気分が暗くなってきた。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 @Misato ©tsunoken

2018年8月23日 (木)

新杉田はなんで「新」杉田?

 京浜東北線(根岸線)でもって横浜から先に少し行くと、山手を過ぎると進行方向右側が山の上で、一戸建てのお屋敷町があって、左側が港湾施設があってそれに付帯する工場地帯があって、そこで仕事をする人たちの街、というような配置の街になっている。

 それがなくなるのが磯子駅からで、そこからは上で言ったような右側と左側の関係論は薄くなってきて、そこから先の京浜東北線(根岸線)は、両側とも住宅地っていうか、マンションばっかりっていうか、ってな駅になっていくんですね。

 で、新杉田駅まで行くと、駅周辺やら周囲を見渡しても、小高い丘とかというのはなくて、周囲は平らであります。

 しかし、この新杉田駅前ってどうにかならないもんかねえ。エキナカにはいろいろな店舗も出ていて、私がお付き合いしていた本屋さんもあるんだけれども、駅の外に出ちゃうと……何にもないんです。八景島方面へ行くシーサイドラインの始発駅なんだけれども、そんなターミナル駅的な華やかさなんてのもないしなあ。

 なんかあっさりしただけの駅前風景だなあ、駅前商店街もないしなあ。

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 というここで新杉田駅前から歩いていくと……

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 なんか見たことのある(ような気がする)商店街があって……

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 その先が京浜急行の杉田駅だったのであります。

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 ふ~ん、そうか。京浜急行の駅として、既に「杉田駅」があったので、後発のJR(駅名決定時は国鉄)としては『「新」杉田』にせざるを得なかったのかな……、なんてことを考えるんだが、よく待てよ、先行する別の駅名があった場合には、そちらの駅名を変えさせてしまい、自分のところの命名を優先してきたJR(国鉄)なんであるので、JR新杉田駅を「杉田駅」にして、京浜急行の「杉田駅」を別の「○×駅」にさせちゃえばいいのに、それをしなかったのは何故? 的な疑問は残ります。

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 まあ、実はもう一つあって、それこそ京浜東北線じゃなくて本来の東北本線の二本松の隣に、無人駅の杉田駅ってのがあるそうだ。「うぉ~そうか! JR東日本は無人駅にも愛情を注いでいるんだ」なんて、鉄道オタクを泣かせそうな話じゃありませんけど……。実はまあ、単純に「先例があるじゃんかよ」的な、先輩ごり押し風な風景が見えますけれどもね。

 まあ、昔はそういう体質の会社だったからね(今でも?)。

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 まあ、それはいいんだけれども、京浜東北線(根岸線)も山手まではなんとなく「横浜」っぽいんだけれども、ここまで来ちゃうと横浜じゃないよな。まあ、実際には「横浜市磯子区」なんだけれども、まあ、やっぱりさ、横浜っていうと、「港」があって、「盛り場」があって、ということはいろいろ「見えない場所(見ちゃいけない場所)」ってのがあって……、っていう感じなんですね。我々、「浜っ子」じゃない人間が勝手にイメージしている横浜のイメージだとね。

 その辺の「うさんくささ」とか「あやしさ」がないのも横浜市だっていうところを、本当の横浜市民は言いたいところなんだろう。まあ、実際にはそれが当たり前なんだけれどもね。

 でもまあ、この辺り(杉田)は、ミナトヨコハマじゃないし、「神奈川県横浜市」と言っても、私たちがイメージする「ヨコハマ」じゃないということはよくわかりました。

 しかし、根岸線のJR路線番号が「JR」ってのも、オジサンの関心(下半身)には響きますね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 @Isogo Yokohama ©tsunoken

2018年8月22日 (水)

駄カメラ写真展って、何だ?

「駄カメラ」って何だ? 

 あまり聞き覚えのない言葉だなあ。私のようなヘボで腰抜けのカメラマンのことなのかなあ。あ、それは「駄カメラ」じゃなくて「駄写真」か。

 ということで、「駄カメラ写真展」っていうものが開催中ということなので、日本橋小伝馬町のギャラリーまで見に行った。

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 実は「駄カメラ写真協会」っていうのがあるそうで、そこのサイトに掲げられている文章を、まず紹介。

『駄カメラ写真協会とは
 任意団体「駄カメラ写真協会(DA CAMERA PHOTO ASSOCIATION)」は、駄菓子のように懐かしく、気軽に買える廉価なフィルムカメラを「駄カメラ」と呼び、敬意と愛を込めて使うことによって銀塩写真の維持普及に貢献し、会員のみならず銀塩写真愛好者相互の親睦を深めるための活動を行うことを目的として、「いい大人が本気で遊ぶ」をモットーに2018年4月1日に発足しました。
 毎年、「駄カメラ写真協会展」、「駄カメラ写真公募展」、路上の宴会等々を主宰し、「いかに面白いことをやって、みんなで大笑いするか」に全力をあげています。』

 要は、3,000円以下で買えるカメラ(当然、銀塩カメラになります)でもって写真を撮ろうっていう協会で、会長が「ぶらり途中下車の旅」でお馴染み、俳優の石井正則氏、最高顧問が赤城耕一氏、名誉会長が田中長徳氏っていう、まあ、お遊びなのか、マトモなのかが良く分からない協会なのです。まあ、赤城耕一氏が絡んでいるっていうことなので、7月6日のブログで書いた「NIKON F 展」の流れの一党なのかもしれない。

2駄カメラ写真協会のサイトはコチラ

 3,000円以下で買えるカメラといっても、最初に売り出した時のお値段が3,000円っていうことではなくて、とりあえず「私が3,000円以下で手に入れたたカメラ」っていうこと。上のサイト写真みたいなね。

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 でも、写真の表現っていうのは、カメラの値段じゃなくて、撮った人のセンスの問題なのだ、っていうこともよくわかる写真展ではある。問題は「とりあえず『撮る』、で撮った写真を堂々と『人に見せる』」っていうこと。上手い下手は関係ない!

 そうなんだよな。自分で撮った写真を人に見せないで自分だけのために秘蔵しておくなんてのはもったいない。写真っていうのは人に見せてなんぼのもんじゃいってところなので、堂々と人に見せて恥ずかしい思いをするっていうことが大事なんだよな。

 だからといって田中長徳氏みたいに「撮影したカメラはソ連製の35ミリレンジファインダカメラキエフです。レンズがついて5000円位ですから本体はまず3000円位と言ってよろしい。」っていうのはちょっとズルみたいな気がするっていうのはなぜだろう。だってキエフってソ連製のコンタックスなんですよ、コンタックス。超高級カメラ(のコピー)なんですよ、っていう気分が少しある。長徳氏はウィーンで買ったので邦貨3000円かもしれないが、今、日本で買えば10,000以上はします。まあ、でもそれで撮った写真が超高級か超駄作かどうかは関係ないんだからいいのか。

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 メイン会場のRoonee 247 fine artsでは駄カメラ協会のグループ展をやっていて、そのそばのアイアイエーギャラリーでは、同じ駄カメラ公募展を同時開催している。

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 まあ、「駄カメラ」ではあるけれども「駄写真」ではないというところがポイントなんだなあ。それぞれ傑作ぞろいです(見方によっては)。

駄カメラ写真展は8月26日まで開催中。案内はコチラ

 こんな本も出ています、

『駄カメラ大百科』(石井正則著/徳間書店/2018年7月21日刊)

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 @Kodenmacho ©tsunoken

2018年8月21日 (火)

三河島を12mmで撮る……って、何の意味があるのかな?

 昔、JR常磐線の三河島駅で通勤電車と貨物列車が衝突・脱線し、多くの犠牲者を出した「三河島事故」というのがあった。

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『三河島事故は、1962年(昭和37年)5月3日21時37分頃、東京都荒川区の日本国有鉄道(国鉄)常磐線三河島駅構内で発生した列車脱線多重衝突事故である。
 常磐線三河島駅構内で、貨物線から進行方向右側の下り本線に進入しようとした田端操車場発水戸行の下り貨物列車が、出発信号機の停止信号を行き過ぎて安全側線に進入し脱線。先頭の機関車とタンク車が下り本線上に飛び出した。
 その直後に、三河島駅を4分遅れで出発し下り本線を進行してきた上野発取手行きの下り電車が下り本線を塞いでいたタンク車に衝突。先頭車と2両目の車両が脱線し、上り本線上に飛び出した。
 さらに約7分後、その現場に上野行きの上り電車が進入し、線路上に降りて移動中だった乗客多数をはねた上、上り本線上に停止していた下り先頭車と衝突した。これにより上り電車の先頭車と2両目の前部が原形を留めず粉砕された。上り電車は先頭車が原形を留めず粉砕され、2両目は築堤下に転落して線路脇の倉庫に突っ込み、3両目も築堤下に転落、4両目(モハ72635)が脱線した。
 この結果、死者160人、負傷者296人を出す大惨事となった。』

 というのが事故の概要。その結果、ATSの採用や列車無線などの整備が進められることのきっかけにもなった事故である。

 私の友人の父上も、この事故で亡くなったそうだ。

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 そんな事故の原因となった田端操車場から三河島で本線に合流する貨物線である。

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 で、別に三河島事故の現場を見るために、わざわざフィルムライカに12mmのフォクトレンダー・ウルトラワイド・ヘリアーを装着していったわけではない。

 常磐線の三河島から南千住の間には線路と、線路下の狭い道があって、その狭さが12mmレンズに好都合かなと考えただけのことなのであります。

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 なので、そこで三河島事故のことを持ち出したのはちょっと不謹慎かもしれない。

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 しかし、フルサイズ(ってフィルムカメラなので当たり前の話だが)のフィルム面(つまりデジタルカメラの撮像素子だったらフルサイズ)で12mmレンズっていうと画角は112度。人の目の画角が120度なので、ほとんど私たちが目にしている風景そのままが、フィルム上に撮影できてしまうっていうことになる。

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 いつもつけているEPSON R-D1sはAPS-Cサイズの撮影素子なので、画角は90度、フルサイズだとほぼ18mmレンズと同じくらい。それでも結構写せる範囲は広いんだけれども、やっぱり120度っていうのは凄いですね。要は、自分の「見た目」がそのままフィルムに定着するわけなのでファインダーはいらないってことになる。でも、12mmの外付けファインダーを覗かないと撮れない私は「単なるヘタレ」(?)。

 勿論、人間の目は目から入った情報を、脳で適度に修正しながら映像として認識させているので、たとえばアオリで撮影した際にカメラだと出てくる画像の歪みなんかは、人間の目は一切歪みなしで認識させてくれるのだ。つまり、本当は人間の目だって、情報を入力した瞬間は、カメラのレンズと同じ歪みを確認しているはずなんだけれども、そこから先は修正された画像として、私自身が認識している画像になるっていうわけだ。つまり、人間の目は、実は本当にはそう見えていない画像を、人間に見せているっていうわけ。

 その後も、ライカで12mmという組み合わせの撮影はやっており、そのフィルム現像が上がってきた(私は自分では現像はやらない)ので、近々、また同じ趣旨のレポートは上げます。

 まあ、お楽しみにはしないで待っていてください。

LEICA M6 VOIGHLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 KODAK 400 TX @Mikawashima, Mninami Senju ©tsunoken

2018年8月20日 (月)

『挑戦するフォトグラファー』で知る、もう一つの真実

 本書『挑戦するフォトグラファー』を刊行している未知谷という出版社は、基本的に哲学などの人文書や東ヨーロッパを中心とした文学や詩集など、かなり地味な本ばっかり出している出版社だ。

 その未知谷で唯一の異色のジャンルが「自転車競技の世界」というジャンルなんだが、なんで自転車なんだろう。誰か自転車マニアの人でもいるのだろうか。

Photo 『挑戦するフォトグラファー 30年間の取材で見た自転車レース』(砂田弓弦著/未知谷/2018年7月7日刊)

 その未知谷の自転車ジャンルなんだが、これまで出版されているのは全部で23点。で、実は私はそのうち19点を持っている。きっかけは砂田弓弦氏の写真集『GIRO(ジロ)』と『フォト! フォト! フォト!』の2冊である。今回の『挑戦するフォトグラファー』もそうした自転車ロードレース写真集なのかと思ったら、そうではなくて、大学を卒業する寸前にイタリアに渡って自転車レースに参加しようとした頃から、自転車レーサーを諦めて写真家となり、やがてオートバイに乗って写真を撮れる資格を持った唯一の日本人として、オートバイのサドルから見てきたヨーロッパの自転車レースの世界を見てきた経験の集大成なのであった。

『自転車レースは現在、世界中で急速に広まっているが、本場は昔から発祥の地ヨーロッパで、今もそれは変わっていない。コースとなるヨーロッパの道はヨーロッパにしかないからだ。底辺はものすごく広く、たとえばイタリアでは七歳からロードレースを走ることができる。それに女性や中年のレースなどもあるし、なかには「パン職人選手権」、「スキー教師選手権」、「警察官選手権」など百花繚乱。週末の朝など、僕が仕事の拠点を置いているミラノ近郊はサイクリストの楽園と化し、近くの道路だけでも一時間に軽く一〇〇〇人を超えるサイクリストが行き交う。
 昨年、日本の若い女の子数人と話をしたとき、自転車レースもツール・ド・フランスも、見たことも聞いたこともないと言われて慄然となった。ヨーロッパにいれば、冬を除いてテレビの中継がほぼ毎日のようにあるし、スポーツニュースでも取り上げられる。大きなレースではテレビのニュースや一般紙でも報道されるので、自転車レースに全く興味がないひとでも、そういうスポーツがあることぐらいはみんな知っている。また、
「最近自転車に乗る人が日本でも増えて来ましたよね」と、日本の方からよく言われる。ただ、ヨーロッパの状況を見ていると、とても同意できない。日本の週末のサイクリストの数が、ヨーロッパの平日の数の足元にすら及ばないのだ。』

 と書く砂田氏ではあるのだが、それはそうだろう。元々、自転車レース、それもロードレースはヨーロッパ発祥というだけではなく、「一般の道路を使ったスポーツ」ということで言えば、せいぜいマラソンしかないような国で、自転車レースが盛んになるわけではないのだ。

 おまけにそれがもととなって(と私は考えている)、今、世界で通用する日本人の自転車レーサーっていえば、別府史之と新城幸也の二人だけだし、これまでヨーロッパに挑戦してきた日本人レーサーだって二ケタを超えたとは言っても三ケタには到底届かない状態だ。

 それでも毎週末にサイクリングロードや一般道を含んで、ロードレーサーで走っている人の数も以前に比べるとだいぶ増えてきたし、時たま行われるホビーレーサーたちの大会やヒルクライムレースなんかも次第に多くはなってきている。というか、こんなヘタレの私でもそのうちのいくつかのレースには出たことがあるのだ。勿論、高校生や大学生が出走するレースや、実業団、プロ(セミプロも含む)などのライセンスをもった選手でないと出られないようなレースには出たことはない。「出版人選手権」なんてのも、この日本ではないしね。

 そんなわけで、我々日本人が自転車レースを見る方法としては、実際にレースが行われる場所に行くか、あとはJ Sportsなどで深夜放送されるテレビ中継を見るしかない。それでも、現在ジロ・デ・イタリア、ツール・ド・フランス、ヴェルタ・ア・エスパーニャなどの三大ツールや、ヨーロッパで行われるクラシック・レースなんかは見られるようになったのはCATVさまさまではあるのだが。それでも、プロ野球みたいな「たかだか日本選手権」を毎日数チャンネルで見られるような状態や、「たかだか高校生の日本選手権」である甲子園の野球を毎日毎日一日中放送している状態からすると、その関係は彼我の状態でもあるのだ。

 まあ、自転車レースっていうのが日本ではそれくらい、ラクロスやローラーホッケー、なんかよりも更に更にマイナースポーツだっていうことなんだなあ。

 で、日本で自転車レースが普通のニュース番組なんかで取り上げられるのは、有名な選手がドーピングでひっかっかた時だけ。なんか、まるでその選手が悪の権化みたいな感じで取り上げられるのだが、実はそれもやむを得ないことなんだというのが、砂田氏の本書にも書かれている。

『今、僕の周りにはパンターニといっしょだった多くの人が自転車界に残っている。アシストだった連中、たとえばヴェーロはRCSで僕たちフォトグラファー相手のレギュレーターをやっているし、ポデンツァーナはノヴォ・ノルディスクの監督、キエーザはイスラエルの監督だ。メルカトーネウーノで第二エースだったガルゼッリはテレビの解説でレース会場にいるし、カレーラでいっしょに走っていたボンテンピはRCSでオートバイに乗っている。監督だったマルティネッリはアスタナにいるし、もう一人の監督ジャンネッリはRCSで働いている。共通しているのは、みんな当時のことをあまり喋らないということだ。パンターニが死んだとき、この中の一人に、
「マルコが活躍している時に持ち上げるだけ持ち上げて、そのあとはドーピングで総攻撃。そんな彼が可哀想で、いたたまれなくて行ってないんだ」
 はっきり言おう。あの頃は皆がやっていた。レースのスピードは異常に高く、アタックに次ぐアタックの繰り返しを見れば一目瞭然だった。もちろんあ、やっていなかった選手もいたかもしれないが、それはごく少数だったと思う。けれど、そうした状況は誰にも止められなかったし、それが当たり前の時代だった。今になってあの頃のことを持ち出して批判することは、誰にもできないと思う。』

 とね。

 この状況は同じ未知谷から出ているポール・キメイジが書いた『ラフ・ライド ―アベレージレーサーのツール・ド・フランス』にも出ている。つまり、ドーピングが「やってはいけないこと」であることは誰でも知っているし、自転車レーサーの間では当然なのだ。しかし、ある種の状況の中でそれをなくすことはできないし、それが必然の場合だってあるのだ。

 自転車レースとドーピングっていうのは、ある種の「やむを得ない関係」にあると言える。勿論、それは決してやってはいけないことなんだけれども、その競技の過酷さと裏腹の関係にあることでもある。それを知るのも、やはり自転車レースの歴史を知らなければならない。

 というのが、実は未知谷の各種の自転車本を読むとよくわかる仕組みになっている。ドーピングというのは、ヨーロッパの自転車レースの歴史とは切って切れないものであるし、言ってみればそれをも含めてヨーロッパの自転車レースの世界なのだ、と……。

 ということなので、興味を持った方にはキメイジの本も読むことをおススメする。いろいろと「蒙を啓いて」くれますよ。

『挑戦するフォトグラファー 30年間の取材で見た自転車レース』(砂田弓弦著/未知谷/2018年7月7日刊)

『ラフ・ライド アベレージレーサーのツール・ド・フランス』(ポール・キメイジ著/大坪眞子訳/未知谷/1999年6月10日刊)

2018年8月19日 (日)

横浜はもともと山がちの街

 現在、横浜というとみなとみらいや赤レンガ倉庫、大さん橋とか山下公園なんかを思い描いてしまい「平らな街」という感じなんだが、実は今あげた場所は昔はみんな昔は海の底。そんな平地は横浜じゃなかったという一席であります。

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 それを証明するために……、っていうほど大袈裟じゃないんだけれども、とりあえず東横線に乗って、最近は箱根駅伝でも存在感を知すようになった神奈川大学の最寄り駅、白楽で下車します。

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 既に白楽駅から大通りに出るまでの六角橋商店街自体が下り坂にある道なんだけれども、そのまま坂道を下っていくと横浜上麻生道路という大通りに出ます。

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 その道をそのまままっすぐ下りていくとJRの東神奈川駅の方へいくんだけれども、私はそちらへ行かず手前で右折して再び山を上がっていき、反町駅方面へ行くのです。そう、結構アップダウンがあるのが、横浜の「港付近以外の場所の」普通なのです。

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 右折するとそこが現在の東海道、国道1号線になって、東横線反町駅前にでるのですが、そのちょっと先に横浜駅西口方面へ坂を下りていく道と、そのまま上がって三ツ沢公園方面から戸塚方面へ行く道に分かれます。

 当然ここは左折して横浜駅方面へ行きます。

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 反町駅前から少し行って左折すると、道は下り坂になって一度下がるんだが、その道と立体交差する狭い道があって、実はそこが昔の東海道なんですね。

 なので、そこにはいろいろな昔の名残のものなんかも多くあって、この神奈川台の関門跡なんかもそのひとつ。

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 で、その神奈川台の関門の斜め前にあるのが、江戸時代からあったという神奈川宿の旅籠のひとつ、坂本龍馬の妻「おりょう」が勤めていた田中屋」なんだけれども、その田中屋の門前に説明板があります。

 で、その説明板の最初に掲げられているのが歌川広重「東海道五拾三次」の「神奈川宿」の図。

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 実はこの絵の中に田中屋も描かれているんだけれども、それ以上に重要なのは、実はそこの描かれている東海道は海辺の崖の上にある道で、その海側に田中屋があるってことなんですね。で、その下はすぐ海。

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 横浜駅があるような場所も、みなとみらいも、赤レンガ倉庫や大さん橋なんかも、このころの地図で言えば海の沖の沖のずっと沖の方。

 横浜は峻厳な海辺の山道だったってことがわかります。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 @Yokohama ©tsunoken

2018年8月18日 (土)

東京周縁部を往く・小岩と新小岩は全然別の場所

 葛飾方面へはこの「東京周縁部を往く」シリーズで何度も来ていたはずだったんだけれども、新小岩には何度も来ていたのに、お隣の小岩には一度も来ていなかったことがわかったので、昨日、初めて行った。

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 新小岩駅に比べると小岩駅は少し規模が小さくて、広い方の南口駅前もあまり広くなくてサンロードとフラワーロード、昭和通りという三つの商店街が駅前から三方に広がっている。

 とりあえず一番古くからありそうな「昭和通り商店街」を行ってみる。

 が、まあ昭和通り商店街もそれほど長くなくてすぐに交差点に来てしまい、なんとなく商店街も終わりの方に来てしまう。

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 だいたい、「小岩駅」「新小岩駅」ってなんか近そうだけれども、実は間に中川が通っていて、そんなに近い駅ではない。

 先にあったのは、その名の通り小岩駅で、明治32年(1899年)の開業。所在地は江戸川区南小岩。一方の新小岩駅はずっと後の昭和3年(1928年)の開業で、所在地も葛飾区新小岩なんだけれども、この「新小岩」という地名は、新小岩駅が出来たので昭和40年に住居表示が新小岩、東小岩、西小岩という名前になったらしい。要は、もともと小岩という地名じゃなくて、小松菜という野菜の名前のもととなった「小松」という地名だったものが、駅が開業したので小岩という地名になったという、どうも逆転した状況のようなのだ。

 江戸川区辺りから反対運動が起きても不思議じゃない状況なんだけれども、別にそんなことはなかったんだろうか。

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 つまり、ずっと先に開業した小岩駅周辺は既に開発されつくしていて、もうそれ以上には発展しそうもない状態になったので、小岩駅の先にあった新小岩通信所のそばに新小岩駅を作って、新たな町づくりを始めたので、小岩駅前に比べると大きな造りの駅前広場が出来たり、商店街も出来たのだろう。

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 で、駅の北側に出てみると、南口以上にごちゃごちゃとしていて、なんかだんだん期待が増えてくるのである。

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 古い店やら、狭い路地がいろいろあって、いかにも昔の駅前っていう感じなのだった。

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 で、もうちょっと先まで行くと、そこは柴又街道。つまり京成小岩駅がすぐそばにあったのである。

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 なるほどね、京成とJRの小岩駅がもともとの小岩の町で、新小岩と小岩は、実は何の関係もない町だったんだ。

 納得!

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f1:4 @Koiwa ©tsunoken

2018年8月17日 (金)

大塚阿波踊りは8月25日開催です

 本場、徳島市の「阿波踊り」はなんか大変なことになっていますね。

 実行委員会と振興協会の間のいろいろなやりとりや、阿波踊り大会自体の赤字問題とかあるようですが、まあ、もともと阿波踊りなんて地元の人たちが勝手にやっていたものを、「これは観光の目玉になる」なんて考えた人がいて、その結果大きなイベントになり観客動員数も多くなったんだけれども、そうなると今度はイベントそのものがペイするかどうかなんてことを考える人がいて、で、ペイできないとなると「じゃあ、縮小しましょう」なんてことを言い出す輩なんかもいたりして、もう、しっちゃかめっちゃかですわぁ、ってところなんでしょうか。

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 そこへいくと、東京の大塚の泡踊り、じゃなかった阿波踊りや高円寺の阿波踊りは予定通り8月25日と26日にやります。

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 阿波踊りがそうなのかは知らないが、もともと盆踊りっていうのは村の男女の夜這いの場だったんですね。

 隣村のAちゃんを好きになったB夫は盆踊りの晩にAちゃんをうまい具合に誘い出し、神社の境内で出会った二人はいつのまにか踊りの輪から抜け出して、神社の裏辺りで○○○、ってな具合だったんですね。

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 阿波踊りなんかも、見てみると女性の方は笠をかぶって内またでおしとやか風に(あくまでも「風」に)踊っているんだが、男衆の踊りはもろに下半身狙いっていう感じの踊りですもんね。「ひょっとこ」のお面なんて性器そのものだし。

 まあ、徳島の阿波踊りも基本的には盆踊りなんだから、男女の秘め事につながる要素は持っていたんだろう。所詮、「ナンパ」なんですよね「ナンパ」。それがビジネスになっちゃったんだから、周りのみんなの見方が変わっちゃって、どんどん「性的」な要素は薄められてきてしまい、ごく普通の「観光祭り」になっちゃったんだなあ。

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 もうさ、「お祭り」で人を呼ぶなんてことはやめて、昔の鎮守の神様のお祭りの時代に戻って、ちゃんと神社の裏辺りにはちゃんと暗がりがあって、男と女が○○○できるようにしてあげてですね、本当に昔風の「風紀の悪い盆踊り」(って、戦後のある時期は言われていたそうだ)に戻しちゃえばいいんじゃない?

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「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら、踊らにゃそんそん」っていう阿波踊りのお囃子のとおり、盆踊りは「見る人」のためじゃなくて、「参加する人」のためのイベントなのだ。

 もうそこの、「祭りの原点」に戻しちゃえばいいじゃない? なまじ、ビジネス的に展開するようなイベントにしないで、地元の人たちで楽しめばいいのだ!

 お金を稼ぐのは、別にイベントじゃなくてもいいじゃない。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Sugamo ©tsunoken

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2018年8月16日 (木)

大磯を歩く

 JR東海道線に乗っていると、平塚までは駅のそばになると大きなマンションなんかが林立していて、それなりの大きな街だという印象があるんだが、平塚を出て花木川を渡り大磯側に入ると途端に周りの風景は「田舎」になってくる。

 大磯の駅もこんな木造の、いわゆる「田舎の駅」なのであります。東海道線で多分唯一の木造駅舎ではないだろうか。

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 その辺に大磯が普通の神奈川県の町ではなくて、別荘地として他の場所とは異なった町の造りになって発展してきた理由がありそうだ。

 とにかく「旧○○邸」がやたら多いのが大磯だ。有名なのは旧吉田茂邸なのですが、吉田茂が大磯に住んだのは首相を引退してからで、それまでは外相公邸などの都内の住居に住んでいた。

 その旧吉田茂邸ももともとは三井別邸だったところらしく、現在は大磯町郷土資料館となっている。

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 駅前も如何にも「田舎の駅前」というたたずまいを見せていて、感じが良い。こんな、まさに「昭和」を感じさせる喫茶店なんて、東京でもなかなか探せませんよ。

 いやあ、いいなあ。「田舎田舎」していて。

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 で、駅前にあるのが旧吉田茂邸じゃなくて、エリサベス・サンダース・ホーム。

 戦後、日本に進駐してきた米兵と日本人の女性の間に生まれた貧しい「混血児」(「ハーフ」のことを昔はこう呼んだ)や孤児たちを集めて、教育の機会を与えたり、大人になっても生きていけるようにいろいろと面倒を見た、ボランティア的な活動をしていた団体だ。

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 今でもエリザベス・サンダース・ホームが残っているとは知らなかったが、あったんですね。

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 現在は併設してエリザベス・サンダース・ホーム出身者のために設立された聖ステパノ学園小学校・中学校の方の活動がメインになっているようで、エリザベス・サンダース・ホームとしては昔の潜伏キリシタンについての資料を集めた沢田美紀記念館の運営の方が中心になっているようだ。

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 まあ、いずれにせよ、それこそ「旧○○邸」ばっかりの、結構「田舎」の大磯。今度はもうちょっといい季節にじっくり深訪してみたくなったな。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f1:2.8 @Oiso ©tsunoken

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2018年8月15日 (水)

浅草にゃあ行くけど、浅草寺には行かないよ

「さて、今日はどこへ行こうかな」なんて感じで家を出ると、そのままのイイ加減な感じで明治通りまで出てしまう。

 今や、池江璃花子で超有名になった淑徳巣鴨高校・中学の前のバス停は「掘割」と言って、昔の千川上水があった場所なんだけれども、王子駅前経由の西新井駅行き、新田二丁目行き、浅草雷門行き、浅草寿町行、とげぬき地蔵前行きの5路線が走っていて、とりあえず来たバスに乗って、何となく終点まで行っちゃおう、てなイイ加減な行き先決定方式には極めて都合の良い停留所であります。

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 最初は久々に西新井大師にでも行ってみようかな、なんてことを考えていたのに、たまたま来た浅草寿町行きに乗ってしまったので、西浅草三丁目のバス停で降りる。

 なぜ、終点じゃなくてそのちょっと手前なのか?

 まあ、浅草も浅草寺は人出が多くなりすぎて、なおかつレンタル浴衣を着た外国人ってのもちょっと食傷気味だし、あまり暑い日には行く気になれない。

 で、そのちょっと手前の待乳山聖天に行くのであります。

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 待乳山聖天は今では少々地味なお寺になってしまっているが、元々は浅草で一番大きなお寺だった。

『この寺は隅田川べりの小高い丘(待乳山)にあるが、この丘は595年(推古天皇3年)9月に出現して龍が守護したと伝えられ、浅草寺の山号(金龍山)の由来となったと伝えられる。601年(推古天皇9年)この地方が旱魃に見舞われたとき、歓喜天と十一面観音が安置されたと伝えられる。待乳山は、かつては周囲が見渡せる山であり、江戸時代には文人墨客がこの地を訪れている。』(Wikipedia)

 ってね。

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 で、この待乳山聖天の脇、聖天町で生まれたのが、大作家・故池波正太郎氏である。

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 で、その待乳山聖天のほんのちょっと先、山谷堀の今戸橋を越えたところにあるのが、その池波正太郎氏の作品『剣客商売』第13巻『波紋』の中の『敵』の出だしに出てくる慶養寺、我が家の菩提寺であります。

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東京のお盆は7月にやってしまうので、今はお寺も閑散としています。

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 面白いのは先ほどの待乳山聖天なんだが、裏の駐車場に回るとこんな感じの、エレベーターっていうかモノレールというか、飛鳥山のモノレールの小ぶりなやつが走っていて、まあ、お年寄りには優しい待乳山聖天さまっていうところなんでしょうね。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Asakusa ©tsunoken

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2018年8月14日 (火)

「おぐ」なのか、「おく」なのか

「尾久」と書いて「おく」と読む人と「おぐ」と読む人がいる。

 地名としては「おぐ」なんだけれども、JRの駅名としては「おく」ということで、「おく」と読んだ人、あなたは「JR派」ですね、「おぐ」と読んだ人、あなたは「地元派」ですね……、と簡単にはいかないそうだ。

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 そもそも尾久駅は荒川区尾久にではなく、北区昭和町に位置している。駅の所在地でないにもかかわらず「尾久」が駅名として付けられたのは、開業当時の尾久町が温泉を中心とした東京郊外の遊興地および三業地として栄えており、その最寄り駅として「尾久」の名前をつけたらしい。

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 尾久駅のそばに説明板があった。

『「おぐ」か「おく」か
 尾久という地名は「おぐ」と読むのに、JR尾久駅はなぜ「おく」と読むのでしょうか。これについては、おもに二つの説があります。一つは、戦前に駅を造ったとき、鉄道省が「おぐ」をこの地域のなまりだと思い「おく」にしたという説です。これは荒川区側で唱える人が多い説です。
 もう一つは、北区側で唱えられているもので、地元の人々が、尾久という駅名に反対したためだという説です。駅の設置以前に、貝塚操車場(のちの尾久操車場)があり、最初、駅名も貝塚駅になるはずだったそうです。しかし、駅名が、隣の町名である「尾久」になったのです。しかし、地元の人は納得しませんでした。そして、妥協の産物として、駅名を「おぐ」とせずに「おく」としたというものです。
 ちなみに、都バスの停留所名は、なぜか「おぐえきまえ」です。』

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 尾久駅はJR高崎線と宇都宮線の駅なんだが、まあ、マイナーな駅であることには間違いなく、一日の乗降客数も京葉線の越中島、京浜東北線の上中里に次いで下から三番目の数しかない。昨年は一日平均で一万人以下乗降客しかいません。

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 実にマイナーな駅でしかないんだが、昔、尾久三業地があったころはそれなりに乗降客も多かったのかもしれない。

 昔、私は3歳頃まで、生前の父親の関係で、上中里の公務員住宅に住んでいたんだが、3歳という年齢のこともあったんだろうけれど、尾久駅や尾久という町のことは全く知らなかった。

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 上野まで一駅という至近距離にあるにもかかわらず、意外なくらいに住宅地として開発されておらず、最近になってやっとマンション建設などが多くなってきたのは、この地域の至便性に不動産業界も気が付いてきた、ってことなのかも知れない。

 まあ、何せ「都電」がありますもんね、都電が。いやあ、以前「都電で通勤」っていうのにあこがれた頃があったなあ。

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 何となく、東京の近代化に遅れて来てしまった荒川区、北区の代表みたいな地域には、それはそれで面白い街だと感じていたので、あまり近代化されてしまうとちょっと残念、という気がしないでもないのだが。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f1:4 @Ogu Arakawa, Showa Kita ©tsunoken

2018年8月13日 (月)

「新宿の目」はどうなっちゃうんだろう

 変なタイトルだなあ。一体「新宿の目」って何だ?……ですよね。

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「新宿の目」というのは、新宿西口の地下通路のスバルビル地下の通路に面した場所にある大きな彫刻のこと。

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 こんな「目」みたいな恰好をしたオブジェなんだが、やっぱり「目」だったんだ。

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 製作した彫刻家の宮下芳子さんの言葉がある。

『新宿の目
宮下芳子

 怪物的バイタリティを持つ新宿新都心が、現代日本の若さ、たくましさの象徴として世界に鳴りひびいている。 それは大きな大きな空問――その偉大な空間の整形を私は恐れも知らずに引き受けた。
底知れない力にみなぎっている怪物を、如何に表現したらいいのだろう……、
そうだ!!
時の流れ、思想の動き、現代のあらゆるものを見つめる“目”二十一世紀に伝える歴史の“目”…もしかすると 遠く宇宙を見っめる“目”かも知れない。このような多次元の“目”こそ新都心のかなめ「スバルビル」には最 適、と思った。
出き上った大きな十米近い目玉の前に立ち、自信たっぷりにウィンクできるだろうか?

偉大なる場を与えてくださったスバルビルに感謝いたしております。』

 ね、やっぱり「目」でしょ。

 ところがこの「目」がなくなってしまいそうなのだ。

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 スバルビルというのはその名の通り富士重工(現・スバル)が本社ビルとして建てたのを、2010年に小田急に売却して、購入した小田急もしばらくは昔の名前のまま「スバルビル」として貸しビルを運営していたんだが、新宿駅西口再開発のために取り壊されることになってしまったっていうわけ。

 小田急としては「しばらくの間は、壊すのは地上部分だけなので新宿の目は残ります」って言うんだけれども、じゃあ「しばらくの間」ってのがいつまでなのかはアナウンスしていない。

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「パブリック・アート」という観点から、この「新宿の目」撤去に対しては反対意見なんかもあるし、その一方、「物事にははじめがあれば、おわりもある」という考え方もある。勿論、製作者の宮下さんは「パブリック・アートとして残せ」っていう立場なんだけれども、所詮「スバルビル」という建築物についてきた彫刻なので、それはビルと生命を共にしても良いという考え方もある。

 とはいうものの、新宿以外の場所に「新宿の目」もないだろうし、スバルビルの後に作るビルのデザイナーがどういう考え方をするのかは分からない。

 小田急はもともとのスバルビルのオーナーじゃないし、スバルビルに「新宿の目」をしつらえた理由もわかってはいない。まあ、ビルを壊すんだから、付帯するオブジェも壊せばいいくらいに考えていたんだろうが、ここへきて、いろいろな意見が出てきて「ああ、困った、困った。」ってところなんでしょうね。

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 パブリック・アートって何じゃいな? ってな立場の私からしてみれば、まあ、どっちでもいいんですけれどもね。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Nishi Shinjuku ©tsunoken

2018年8月12日 (日)

王78系統バスの旅

 以前、東京駅から等々力渓谷の方まで走っている東急バスに乗ったことがある。多分、それが東京23区を走る路線バスの最長路線ではないかなと思っていたら、実はもっと長い路線があったんですね。

 それが今日ご紹介する(「別に紹介せんでもいい、よけいなことはするな」という言葉がどこからか聞こえてきますが)王子駅から新宿駅西口まで走っている「王78系統」という都バスの路線なのでありました。

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 東急バスの東京駅-等々力線は全長15km、停留所は44ヵ所。一方、都バス王子駅前-新宿駅西口駅前線は全長18km、停留所は48ヵ所と、なるほどこちらのほうが長いことがわかる。

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 ただし、こちらは長いだけで、あまり途中に面白いスポットなんかはないのです。

 せいぜい、この東北・上越・北陸新幹線との交差する場所とか、石神井川を渡る場所くらいなものかなあ。

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 なにせ、王子駅前を出ると北本通を北上し、神谷の交差点を左折すると、あとはひたすら環七を走って高円寺陸橋まで行き、そこを左折すると青梅街道を新宿まで行くだけ、っていうかなり、経路としては単純、道なりとしては地味な路線なんだなあ。途中、別に見るものはなし。

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 一方、東京駅-等々力線は、東京駅を出るとまず東京国際フォーラム、日比谷を通って内幸町の官庁街、虎ノ門ヒルズ、東京タワー、慶應義塾大学、清正公前、目黒大鳥神社、元競馬場前なんてところを通って、最後の行き先は等々力渓谷ですからね。結構、バスに乗ったままでも見どころ満載。

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 他方、王子駅前-新宿駅西口駅前線は地味。ただし、環七をずっと走るのでそれなりに、放射状に広がる重要な電車路線や街道なんかとは交差する。

 電車路線では、先ほど書いた東北・北陸・上越新幹線、京浜東北線、湘南新宿ライン、上野東京ライン(う~ん、この辺ちょっと水増し?)、埼京線、東武東上線、西武池袋線、西武新宿線などが地上で交差しており、その他地下鉄と交差する部分もたくさんある。もうたくさん(毛沢東? 無理?)ある。

 主な道路では、北本通(日光御成道)、旧中山道(板橋本町)、中山道(国道17号線)、川越街道、要町通り、千川通り、新青梅街道、早稲田通り、大久保通り、そして青梅街道という具合。

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 誰でも知っている名所を通るのが好きなのか、あるいは電車道や街道の「つくり」なんかに興味があるのか……、ってところがどちらの路線が面白いと感じるのかの分かれ道。

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 なんてことを考えていると、バスはやがて新宿駅西口前の終点についてしまいます。

 全体の所要時間は1時間15分ほど。平均速度は18km/h。そんなもんかな。実は都バスの平均速度って自転車の平均速度なんですね。

 まあ、都バスの始発駅から終点まで乗るような暇人はあまりいないだろうけれども。たまには面白いかもしれない。不要不急の御用のない方は……、ぜひ行ってください。

 こんな暑い日には、一服の清涼(1時間ちょい)ではあります(降りた後、暑いけどね)。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 ©tsunoken

2018年8月11日 (土)

「蒲田西口リニューアル」したらしいんだが

 一昨日、蒲田駅前に行った際にみかけた「祝 蒲田駅西口広場リニューアル完成」という横断幕。

「おおっ、蒲田駅前がリニューアルしたのか!」

 なんて思ったのだが、蒲田駅には最近もちょくちょく行っていたのだが、そんな工事をやっていた覚えなないしなあ。

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 そう、「蒲田駅西口商店街」がリニューアルしたわけではなくて、「蒲田駅西口広場」がリニューアルしたのを、「蒲田駅西口駅前」がリニューアルしたのかと勘違いしてしまったのである。

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 う~む、確かに前にに比べると駅前広場自体はなんだか新しくなっているようだ。そういえば、一番最近行った時にはその蒲田駅西口駅前広場でなんかのイベントをやっていて、駅前広場が新しくなったっていうのはよくわからなかった。

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 ただし、駅前広場の基本的構造は変わっていないので、リニューアルには気づかなかったって言うだけの話。

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 とくに駅前商店街の入り口とか、駅前広場の銅像なんかは変わっていないので、今までとどう違うんだろうという気がしてきた。

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 大田区のサイトを見ると確かに「こうやって変わります」的なアナウンスはあるんだが、「う~ん、まあ、どう違うんだろう」的なイメージもあるんですね。

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 まあ、商店街には悪いけれども、それほど変わったというイメージのない「リニューアル」ではあります。っていうことは、それを理由に蒲田駅西口商店街を訪れるお客さんが増えるとも思えないし、「ちょっと、自己満足的な」リニューアルなのかもしれないな。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Kamata ©tsunoken

2018年8月10日 (金)

久々の「85mmで街角スナップ」なんだけれども

 久々に「85mmで街角スナップ」ってのをやってみたんだが、最初は浅草か上野でやろうとしていたのに、結局、田端から京浜東北線に乗り換えた時に、「まあ、いいか。大井町から蒲田まで歩いてみようかな」なんて方針変換。

 こんな方針変換が出来ちゃうのもSUICAのいいところ(悪いところ?)で、電車に乗ってから行き先変更を平気でしちゃうんですね。

 朝に考えていた「今日は、ここで、こんなテーマで撮ろう」なんて方針は、如何にも簡単に変更です。浅草の仲見世で「85mmで街角スナップ」のつもりが、なんで大井町になっちゃうんだ? って聞かれてもわからない。

 まあ、気分ですね。

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 ってことで、大井町からは池上通りを行きます。池上通りは品川区大井を北から南へ貫いている通り。

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 で、池上通りを大井町から大森駅まで下がっていくと、あるんですね。前にもレポートした「大森貝塚遺跡庭園」です。

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 んで、そこから更に大森駅のほうまで行くと、もうひとつ「大森貝塚もあります。大森のNTTデータのあるビルのわきです。京浜東北線や東海道線から見るとこちらの方が良く見えるかもしれない。

 品川区が「大森貝塚庭園」、大田区が「大森貝塚」ってことで、いつかは両区が争ったこともあったそうですが、まあ、実は両方ともすぐそばなので、要は同じ貝塚の両方の端ってことなんでしょう。

 貝塚が出来た頃は、品川区とか大田区とかなんていう分類はなかった頃なので、貝塚を作った本人たちは、別に「ここがどこか」なんてことは考えずに、要は「貝が取れた場所に貝塚(と、後に)なるものを作ったってことだけでしょう。

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 大森駅前の「山王小路飲食店街」ってのも、ちょっと気をそそられる盛り場ではありますね。大田区山王というのはお屋敷なんかも多い住宅街なんですけれども、大森駅前はちょっと下町風っていうか、今でもこんなところ残っていたのっていうくらい、昭和というか戦後っていうか、なんかそんな感じの飲み屋街なのです。池上通りと大森駅の間のごく短い飲食街なんだけれども、一度タ深訪してみたいな。

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 で、大森駅から先の池上通りは、如何にも下町風の商店街が続くんですけれども、それも環七まで。

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 呑川を渡る橋までいくと右側には池上本門寺の山が見えてきて、東急池上線の池上駅にでます。

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 しかし、なんで「85mm」である必要があるんだろう?

NIKON Df AF NIKKOR 85mm f1:1.8 @Oi & Ikegami ©tsunoken

2018年8月 9日 (木)

ある日の銀座

 別にどうってこともない日には銀座に出ることが多い。あるいは、行き先を決めないで出かけたときなんかもそういうことが多い。

 ってことは、やはり銀座が一番行きやすい下町だってことなんだろうなあ。

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 浅草もいいんだが、どうもあの仲見世の混みようって言ったら、それが好きな人にとってはいいんだが、あそこまで混んじゃうと、どうも「好きにして」って感じになってしまう。

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 銀座のいいところは中古カメラ屋さんがまだ生き残っているってことでしょうかね。それをウィンドウショッピングする愉しみっていうのがある。浅草にも中古カメラ屋さんはあるんだけれども、早田カメラだけだからね。

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 おおっ、「プリンスR380」じゃないか! ニッサンR380Ⅱじゃなくて、日産に吸収合併される前のプリンス時代の最後のレーサーであり、日本最初のプロトタイプ・レーシングカーであります。憧れだったなあ! 生沢徹。

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 なあんてことを想いながら歩いている……

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 GINZA SIXの裏にあるニコンプラザに行って、写真をみてくる。噂の「フルサイズ、ミラーレス」の情報はまだここまでは来ていないようだ。

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 なあんてことを考えながら歩いていると、やがて新橋についてしまう。

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 多分、銀座という街はあまりにも土地代が高い街なので、そこでもって「地代:売上」なんかを比べてしまうと、とんでもない赤字になってしまう。なので、今や銀座は「小売店舗」の形をとってはいても、実は売り上げを気にしなくてもいい「ショールーム」的な展開をしている店が多くなってしまっている。であるからして、逆に店の飾りつけや商品展開なんかもかなり早いペースで入れ替えが多くなる。ということは、いつ行っても何か新しいものに会えるってなもんで、飽きが来ない街なんだなあ……。秋はいやでも来るけど。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 @Ginza ©tsunoken

2018年8月 8日 (水)

我孫子って、どうよ

「我孫子に行ってきた」って言っても、別にどうってことはない。

 松戸や柏、取手には行ってきて、ブログにも書いたことがあるんだが、よく考えてみると我孫子には行ったことがなかったっていうだけの話。「我孫子」と書いて「がそんし」じゃなくて「あびこ」って読むことを知ったのは、いつ頃のことだったのかしら。多分、東京メトロ千代田線ができて、常磐線に乗り入れをするようになった頃だったんじゃないだろうか。

 まあ、その程度の意識と、「手賀沼があるところでしょ」くらいの知識しかなかった我孫子市ではあります。

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 我孫子駅前には、駅を出てすぐに「我孫子市ゆかりの文化人」という写真入りの碑が設置されているんだが、武者小路実篤とか白樺派には興味がない私にとってはどうでもよい碑なんです。でも、ここ我孫子が鎌倉に似た雰囲気だっていうのはよくわからないなあ。

 鎌倉に似たコンパクトシティだっていうのは分からないではないが、でも駅からちょっと歩いた先にあるのは海じゃなくて利根川ゆかりの湖でしょ。

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 っていうことで、我孫子駅の旧市街にでる南口を出るとものの10分もしないうちに坂を下りて、手賀沼湖畔に出る。

 手賀沼を渡ってくる風が、こんな暑い日でも結構心地よかったりする。ちょっと木陰で一休み。

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 我孫子市の人口は約13万人。ヨーロッパに行ってしまえばちょっとした大都市である。それでいて駅からすぐそばにはこんな自然があり、その湖畔は公園として整備されているっていうのは、なかなかコンパクトシティとしての資格十分な感じがする。

 手賀沼公園もかなり整備されていて、ミニSLなんかも走っていたりして、子供たちを安心して遊ばせることが出来る。

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 で、その手賀沼湖畔からちょっと丘を上がるとあるんですね、根戸古墳公園です。こうした丘の上にあって湖が眺められるとっておきの場所っていうことで、このあたり古墳が多く見つけられており、城跡なんかもいくつか見つかっているようだ。

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 まあ、公園で遊んでいる子供たちにとっては、古墳なんていっても別に気にならなくて、単に公園の真ん中にある小高い場所っていうくらいのものなんだろう。

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 駅前も繁華街っていうほどではないし、公園や湖などの自然も近い、っていうことで、ベッドタウンとしての資格十分な町ではある。

 駅の北口の先には、最近は箱根駅伝の常連となりつつある中央学院大学なんかもあります。

 じゃあ、お前はここに住みたいか? って言われたら……、やっぱりお断りします。私は東京の雑然としたところが好きなもんで。

EPSON RD1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 @Abiko ©tsunoken

2018年8月 7日 (火)

羽田神社祭礼モノクロ編

 7月31日に羽田神社のお祭りを「お間抜けレポート」をしたんだが、その時にデジカメと同時にライカにモノクロフィルムを入れて持って行った。そのフィルムの現像が上がって来たので、とりあえずUP。

 写真が本来は持っているはずの情報性ゼロ、なおかつ芸術性もゼロ(それはいつも通り)、ほとんど撮った順、という撮影者としての戦略性もゼロで載せます。

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 まあ、とにかくさあ、暑くてモノを考えるのも面倒くさいんですよ。

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 ほとんど意味のない写真の羅列に、何か意味があるように思わせるのは、基本的にはキャプションの戦略性なんだけれども、その「戦略」を考えるのも面倒くさい。

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 本当に「とうもろこし」と「アイスキャンディ」なんですよね。欲しいのは。

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 先に「撮影者としての戦略性」って言ったんだけれども、それは撮影者がその写真の羅列に何か意味があるかのように見せるための、言ってみれば「勝手な言い草」のこと。

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 それをキャプション抜きで示したのが「組写真」っていうもので、それは全くキャプションも解説もなしでも、写真だけで「意味」を見た人に伝えることのできる、写真家としての力量なんですね。

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 そんな力量もテクニックもない私のようなヘボカメラマンは、結局、組写真にやたらいろいろな解説やらキャプションやらをつけて、いかにも私がそれらの写真に対して意味付与ができるような写真「家」であるように振舞っているんですね。

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 まあ、立派な写真家は、特別キャプションや解説をつけなくても、「写真自らがモノを語っている写真」を提示するんですね。

 それが「写真家=フォトグラファー」ってやつで、私みたいなヘボカメラマンには一生かかってもなれない存在なんですね。私は学生の頃の映画評論時代から、基本的に「文章の人間」なんだなあ。

「映像の人」ではないですね。

 まあ、そりゃそうだったんだろうな。

LEICA M6 LEITZ ELMARIT 28mm f1:2.8 KODAK 400TX @Haneda ©tsunoken

2018年8月 6日 (月)

一昨日は朝霞、昨日は佃

 ということで、一昨日は朝霞の「市民祭り」に行ってきたので、昨日は佃島のつまり本当の神事としてのお祭り「住吉祭」を見てきた。

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 でも、本当は一昨日の朝7時に行かなければ、実は一番面白いところが見られなかったんですよね。

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 実は佃住吉神社のお祭りで一番面白いのは、神輿を船に乗せて隅田川を渡るところなんです。

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 昔はこれが船じゃなくて、神輿の担ぎ手が裸になって隅田川を神輿を担いだまま渡ったらしい。今でもその写真が残っている。

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 今は川も汚くなってしまっている関係なのか、船で渡るわけなんです。

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 で佃島(って今は島じゃなくなってしまっている)の周辺を最初は左回り、次に右回りに回って、最後は住吉神社に戻って奉納をします。

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 今年は3年に一度の本祭なので、いつもは飾るだけで出さない本神輿も渡御を行います。

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 まあ、祭りを見に行ったのか、あるいは単に汗をかきに行っただけなのか、よくわからないですが、まあ、とりあえずは祭りを見に行ってきたってわけ。

 今週末は深川の富岡八幡宮のお祭りです。「水かけ祭り」と呼ばれて、あまりの暑さに神輿を担いでいる若衆たちに一斉に水をかけるので有名なお祭りですね。江戸三大祭りのひとつ、あとの二つは浅草三社祭と神田明神夏祭り。

 まあ、昨年末に変な事件が起きた富岡八幡宮ですが、祭りは関係ない。ってなもんで、今年も盛大にやるようですよ。

 やっぱり行こうかな。って、私は祭りが好きなんだろうか?

 まあ、昔子供の頃には高校生でも中学生でも、大人が担ぐ神輿を担げば一緒に酒を飲めるってのが目的で神輿を担いだ、という思い出があるだけなんですけれどもね。今は、もう年なんで自分では担がずに、子ども神輿のお世話だけなのが、ちょっと悔しい。

NIKON Df AF NIKKOR 50mm f1:1.8 G @Tsukuda ©tsunoken

2018年8月 5日 (日)

朝霞市の夏祭り「彩夏祭」に行ってきたぞ

「朝霞市民祭り 彩夏祭」に行ってきた。

 う~ん、アツくてサイコー!(ヤケ)

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「彩夏祭 2018」は今日まで開催。公式サイトはコチラ

 彩夏祭は「市民祭り」という呼び名の通り、朝霞市のどこかの神社の夏祭りではない。

『朝霞市民まつり「彩夏祭」の始まりは、1984年(昭和59年)でした。都市化と情報化が進み、便利な世の中になる一方で、地域への愛着や連帯感、人と人との繋がりが薄れて行くことに危機感を抱いた市民の手によって始められました。開催当初は、盆踊りと打上げ花火をメインとしたオーソドックスなお祭りで、規模も小さなものでした。それから回を重ねるごとに大きくなり、今では、約65万人もの方が来場する大きなお祭りになり、朝霞を語る上で欠かせない夏の風物詩となりました。』

 と、公式サイトにもある通り、もともとは朝霞市民の手作りの祭りだったものが、次第に大規模なものになったらしい。

『「彩夏祭」という愛称は、1995年(平成7年)第12回朝霞市民まつりの時に、朝霞市民の公募により選ばれました。「夏の彩り豊かな祭り」というイメージと、「彩の国、埼玉」から「彩夏祭」と愛称が決まりました。』

 祭りの主会場は、朝霞市役所から陸上競技場や野球場をつなぐ道路。元キャンプ・ドレイクのノース・キャンプがあった周辺なんて言っても、今や誰もわかんないだろうなあ。

 彩夏祭のメインの出し物は「関八州よさこいフェスタ」というもので、関東地方のいろいろな場所からエントリーしてきた「よさこい踊り」のグループがその演技を競うというもの。主会場でコンテストを行っています。まあ、「関八州」とはいっても、そのほとんどは埼玉県のようですけれどもね。

 で、このお祭りに協力しているのが地元の陸上自衛隊朝霞駐屯地。よさこいフェスタ・パレードの先導を全面的に請け負っている。勿論、隊員募集のブースなんかもあるんだが、そちらの状況はどうなんだろう。

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 勿論、朝霞市の大企業と言えばホンダです。こんな二輪レーサーの展示や、一般バイクの展示、子供たち用にミニバイクの試走なんかもできる場所を提供しています。

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 なんで、そんな市民祭りを見に行ったのかと言えば、実は朝霞市は社会人アメリカンフットボールXリーグ所属のBULLS FOOTBALL CLUBの本拠地であり、このお祭りにもいろいろ手伝いなんかもしているし、チアリーダーの演技披露なんかもやっている。

 8月5日(日)のBULLS CHEERLEADERSの出演予定は以下の通り。

★1回目★ パレード出演
 時間:13:30~13:50
 会場:朝霞の森前演舞場
 (朝霞演舞場MAP 3番)

★2回目★ ステージ出演
 時間:15:23~15:33
 会場:超熱いぜ!! 関八州劇場
 (朝霞演舞場MAP 5番)

★3回目★ ステージ出演
 時間:17:00~17:10
 会場:北朝霞ステージ

 朝霞演舞場MAPは以下の通り。北朝霞ステージは会場にて配布するMAPに載っています。

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 お祭りのシンボルキャラクター「彩夏ちゃん」です。

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 いろいろ愛想を振りまいているんだが……中の人、暑そうだなあ。

 暑い夏はもっと一杯汗をかいて、暑さを吹っ飛ばそう!(もう、完全にヤケ!)

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Asaka ©tsunoken

2018年8月 4日 (土)

御殿山が御殿山のわけ

 昨日から突然Facebookへのクロスポストが出来なくなってしまった。7月の26日からFacebookへのクロスポストが出来なくなるというniftyのアナウンスはあったんだけれども、その後も普通にクロスポストが出来ていたんで安心していたんだが、ついにダメになったんですね。Facebook経由でこのブログを読んでいた人たちはどうなっちゃうんだろう。Facebookでこのブログの存在を見つけて、その後は直接ログインしてくれるようになっていればいんだけれども、まあ、それは仕方がないことなんだろうな。

 という私側の事情はさておき……、ここから本題。

 品川区の御殿山に行っても、なぜそこが「御殿山」なのかを説明しているものはない。

 なんで「御殿山」なんだ?

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 Wikipediaによれば……

『新編武蔵国風土記稿によれば、太田道灌が江戸城に入る前の長禄年間(1457年 - 1460年)に城を構えて居住していたが(御殿山城)、夢のお告げがあったため江戸城に入り、御殿山城には宇多川和泉守長清を配したという(『道灌日記』からの引用)。当時は眼下に、浅草湊と並んで栄えた品川湊を見下ろす高台であった。』

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『徳川家康が江戸城に入ってからは、御殿山城は「品川御殿」と呼ばれ、歴代将軍鷹狩の休息所として、また幕府重臣を招いての茶会の場として利用されていたほか、桜の名所として有名であった。しかし元禄15年(1702年)2月11日四ッ谷太宗寺付近の出火で青山から麻布御殿へ至り、品川宿でようやく鎮火、御殿は焼失し8月14日に廃された。』

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『寛文年間(1661年 - 1673年)から桜が移植され、文政7年(1824年)の『宿差出明細帳写』(品川町史)によると、御殿山の面積は11,500坪(38,016平方メートル)、600本に及ぶ桜の名所として整備された。』

 とあるんだが、『太田道灌が江戸城に入る前の長禄年間(1457年 - 1460年)に城を構えて居住していたが(御殿山城)、夢のお告げがあったため江戸城に入り、御殿山城には宇多川和泉守長清を配した』という書き方からすると、太田道灌が城を構えた時期以前から「御殿山」があったように思える。

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 しかし、どうもそうではないようなことが品川歴史観の資料にはあった。

『このあたりが、より一層の華やぎを見せたのは江戸時代のこと。寛永13年(1636)に品川宿を見おろす丘陵地に、品川御殿と呼ばれる将軍の館が建てられたことによります。この品川御殿は将軍の鷹狩りの際の休憩所とされていますが、江戸の入り口に位置し、その見晴らしの良さから防衛の拠点としても機能していたと考えられています。

 特に足繁く通っていたのは三代将軍徳川家光。鷹狩りだけでなく、茶会なども開催していました。茶道の世界でも有名な「御殿山大茶会」は長府藩主毛利秀元が、この地で主催した茶会のこと。そう、御殿山という名前は“将軍の品川御殿のある山”に由来するのではないかと言われているのです。』

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 要するに江戸時代になって徳川将軍の「品川御殿」が建てられたのが「御殿山」の起源だったというのであるのならば、太田道灌の「御殿山城」というのは、後年つけられた呼び名だったんだろう。

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 江戸には「太田道灌」という人と、「徳川家光」という偉人がいて、基本的には太田道灌が作った遺構が多いのであるが、でも、結局それを利用しつつ、都市として完成させたのが徳川氏だったってことなのかも知れない。

NIKON Df AF NIKKOR 35mm f1:2 D @Gotenyama Shinagawa ©tsunoken

2018年8月 3日 (金)

巣鴨とげぬき地蔵通りの異変

 いやあ、毎日毎日暑いですね。

 こう暑いと「おばあちゃんの原宿=巣鴨地蔵通り商店街」も人影はまばらで、歩いている人も少ないです。そりゃまあね、こんな商店街を歩いていて熱中症になったらたまらないですもんね。「本当の原宿=竹下通り」とは歩いている人の年齢が違います。

 とは言うものの、別にお年寄りの通行人が少ないだけじゃなくて、若い人も少ないです。でも、上のようなタイトルにしちゃったんでお年寄りにフォーカスした記事になってしまいました。

 んなもん、タイトルかえりゃあいいじゃん。というのも面倒くさいんで(なんせ暑いから)、そのままのタイトルでいかせていただきます。

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 いつもならお年寄りでいっぱいの高岩寺=とげぬき地蔵も人影は見えませんね。

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 境内にもほとんど人影は見えないし、屋台出店の人たちもみなさんヒマそうにしています。

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 いつもなら順番待ちのお客さんが行列をなしているときわ食堂の前にも全然人はいませんが、お店は普通にやっています。う~ん、ビールが旨そうだなぁ。

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 あまりの暑さに開店休業状態の商店街ですが、「もう、いいや!」ってなもんで、臨時休業にしちゃっているお店もあります。

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 う~ん、こう誰も歩いていないとカメラを持って歩いていても、何も撮るものがなくて困っちゃいます。って、別に一人で勝手に困っているだけですけれどもね。

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 ということで、「何も撮るものがなくて困っちゃう」巣鴨地蔵通りからのレポートでした。

 あれっ? いつもの「四の日」っていうのがお地蔵様の縁日で、屋台や出店もたくさん出て、人出もすごい日が月に3日あるんだけれども、明日は4日、八月の最初の縁日だ。

 明日は、マンションの「屋上花火鑑賞会 第二部 戸田橋花火」なんだけれども、昼間は関係ないので、明日も出直して地蔵通りに来てみましょう。

 どうかな?

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 @Sugamo ©tsunoken

2018年8月 2日 (木)

「国会周辺で肝試し」に行ってきたわけなんだが?

 日経新聞の毎年夏の恒例の企画なのかどうかは知らないが、7月31日の電子版記事に面白いのを見つけたので、その通りに回ってみた。

『国会周辺で肝試し(写真でみる永田町)

   肝試しの真夏がやってきました。記者もちょうちんを提げて、国会周辺のちょっと怖いスポットを巡りました。

Dsc_00702(首相官邸)

 永田町で「幽霊が出る」といえば首相公邸です。首相が宿泊したり、要人を招いて晩さん会を開いたりしています。
 1932年の五・一五事件では犬養毅首相が、36年の二・二六事件では岡田啓介首相の義弟が射殺された場所でもあります。5年前には野党議員が「公邸には幽霊が出るとの噂があるが事実か」との質問主意書を出しました。政府は「承知していない」とする答弁を閣議決定しましたが「ドアノブをガチガチと回す音がする」「部屋の隅に2本の足を見かけた」といった目撃談もあります。

Dsc_00462(清水谷公園)

 辺りは暗闇に包まれ、池の水音だけが響いています。ここは紀尾井坂の清水谷公園です。今から140年前、この地で大久保利通が暗殺されました。大久保をしのぶ石碑を薄明かりが照らしています。

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 清水谷公園っていえば、昔の高校生運動時代の集会場としてよく使っていた場所なんだが、まあ、別に当時は大久保利通なんて興味がなかったので、そんな意味がある公園だなんてことは知らなかった。ましてや「大久保公哀悼碑」なんてものがあることなどは知る由もないっていうか。普通に「清水谷にある公園だろ」くらいにしか考えていなかった。

Dsc_00892(日比谷公会堂)

 日比谷公園の中にある日比谷公会堂は、修復工事のため閉鎖中です。1960年、社会党の浅沼稲次郎委員長が公会堂で演説しているさなか、学ラン姿の少年に刺し殺されました。がらんとした建物の奥には、赤い明かりがともっていました。

Dsc_00192(日枝神社)

 最後は首相官邸の裏にある日枝神社にお参りです。幸せな最期を迎えた政治家は、それほど多くはないのかもしれません。月並みですが、記者も平和と豊かさを祈りました。(溝呂木拓也)』

(斜体で書いてある部分は日経電子版7月31日版より。その他の部分と写真はtsunoken)

 まあ、それぞれミステリースポットって言えばそうなんだろうけれども、やっぱり永田町、赤坂のミステリースポットと言えばここでしょう。プルデンシャルタワーです。

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 ここは昔、ホテルニュージャパンっていうホテルがあった場所なんだけれども、藤山愛一郎という外務大臣をやったことのある政治家が持っていたホテルだったんだ。それが藤山コンツェルンがうまくいかなくなって横井秀樹率いる東洋郵船が手に入れたんだが、この横井秀樹ってのがとんでもない食わせ者で、いわゆる政商のひとり。安全対策にまったく気を遣わずに1982年2月8日に火事になってしまい、34人の犠牲者をだして、なおかつ平然としていたのである。

 ホテルニュージャパンは、もともと政治をめぐる有象無象が跋扈していたホテルで、そうした連中の「恨み」や「嫉み」「辛み」ってのが重なって重なって、今でもいろいろ「出る」っていう噂があるビルなのだ。現在はなかなか中に入ることのできないオフィスビルになってしまったので、日経新聞が会社のご威光でもって内部の「出る」ところを撮ってほしかったな。

NIKON Df AF NIKKOR 24-50mm f13.3-4.5 @Nagatacho, Asakaka, Hibiya ©tsunoken

2018年8月 1日 (水)

武蔵小杉が大変なことになっているそうだ

 横浜、川崎方面では「武蔵小杉」は「ムサコ」と呼ばれているそうだ。えっ? 「ムサコ」っていたら「武蔵小山」じゃないの? っていうツッコミはさておき、今日の話題は武蔵小杉なのである。

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 武蔵小杉と言えば東急東横線が南北を走り、JR南武線が東西を走る感じで、街を二分している。タワーマンションが林立しているのはこのうちの東横線の東側、南武線の南側がメインで、住所としては川崎市中原区丸子になる。もともとこの辺はNECの工場があったところで、工場が撤退した後にタワーマンションがやたら出来てきたのは、多分、川崎市の人口増対策があったんだろう。工場が撤退した後の固定資産税と住民税対策なんかがあったんだろうな。

 その結果、川崎市の住民は2017年に150万人を超えて、政令指定都市の中では最も面積が小さいが、人口は都道府県庁所在地以外の市の中では最大という栄誉に輝いたのである。

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 勿論、そうした新しい街としての武蔵小杉もあるんだが、一方で昔からの武蔵小杉という部分もある。そこが東横線の西側になる川崎市小杉という部分。

 タワーマンションどころか、規模の小さなマンションやら、昔からの商店街なんかはすべてこちら側にある。ちょうど、東横線を挟んで「新市街」と「旧市街」に二分されているのが武蔵小杉の街の造りではある。

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 旧市街側の象徴的な存在が法政二校と、監督が選手にちくわを無理やり買わせていたことで有名な法政大学アメリカンフットボール部トマホークス(旧称:現在は「オレンジ」)の合宿所なんかがあって、アメフト選手たちが町の清掃なんかをやっていたりした。

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 ところが人口の急増のおかげて、東急東横線、JR南武線、横須賀線という3線利用という一見便利なようでいて、実は大変な問題になっているそうだ。

 確かに、武蔵小杉駅からは渋谷、新宿、品川、東京などはそれぞれ30分くらいで着いてしまうくらいに近いのであるが……、それは電車に乗ってからの話で、実は乗るまでが大変なのだ。

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 マンションの高層階から下まで何分くらいかかるのかわからないが、下まで降りてしまえば5分もあれば駅についてしまう。が、問題はそこからで、駅についてもホームは乗客でいっぱいでなかなか中に入れず、それを考えると電車に乗るまでの時間を30分くらい見ておかなければならないそうだ。

 問題は特に横須賀線にあって、もともとは横須賀線に武蔵小杉という駅はなかったものを、南武線のホームを端っこまで歩いてなおその先まで行くっていう、東京メトロの赤坂見附と永田町もかくやというくらいに離れているのだが、「ひとつの駅」なんですね。

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 JRとしてはそのための対策として2023年までに横須賀線のホームを増設して、もうちょっと乗客の処理を早める策を講じるようだが、そんなもんで対策になるのだろうか。

 むしろ対策としては、横須賀線の武蔵小杉駅をやめちゃって、別の名前の駅にしちゃえばいいんじゃないだろうか、というのは素人考えなんだろうか。でも、そうすればすべてが武蔵小杉駅に集中するっていうイメージはなくなるんじゃないだろうか……、ていうのはそれこそ素人考えなのかなあ。

 まあ、実はそれ以上にタワーマンションの住民と地域の自治会の意識の乖離とか、保育園問題などもあるんだが、とりあえず通勤問題から取り上げました。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Musashikosugi ©tsunoken

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