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« 世田谷奥沢の馬頭観音と新奥沢駅跡 | トップページ | 『NIKON F 展』が昨日から始まったんだが…… »

2018年7月 5日 (木)

『品川台場土取場跡』というのは、もうなくなっていた

 京浜急行の北品川駅の前にあるのが、芸能人を数多く輩出していることで有名な品川女学院。その品川女学院の脇の道を上がっていくとあるはずなんだけれどもなあ。

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 品川女学院の脇の道というのが、この「御殿山通り」という道。読んで字のごとし、品川女学院から御殿山方面へ上がっていく坂道があり、そのまま品川女学院の脇を通り過ぎると、東海道新幹線、横須賀線、東海道線、山手線、京浜東北線という東京の大動脈とでも言うべき路線の跨線橋があるのだけれども、実はそこまで行ってしまうと、行き過ぎ。

 で、そこから戻ってきて品川女学院の本校舎と裏手の校舎の間の道と御殿山通りとの交差点辺りにあるはずなんだけれどもなあ。「品川台場土取場跡」っていうのが、Google マップでは……。

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 下の写真の辺りがそこ。しかし、周辺を見回しても、碑だとか説明板だとかっていうものも何もない。う~ん、これじゃあGoogleマップが正しいのか間違っているのかが検証できないじゃないか。まあ、別に検証なんてしなくてもいいけど。

Dsc_00542

 御殿山の説明板にはこうある。

『御殿山は、長禄年間に太田道灌の館があったと伝えられています。また、江戸初期に将軍の狩猟の休憩所や諸大名の参勤送迎のために御殿が建てられたところからこの名が付けられたと言われています。また、将軍家光・小堀遠州・沢庵和尚が茶の湯に興じた風雅の地でもあり、寛文前頃から吉野桜が植えられ、江戸百景の一つに数えられるほどの花見の名所となり、享保6年には狼藉を禁ずる制札が立てられるほど花見客でにぎわったそうですが、嘉永6年の品川砲台(台場)構築と明治期の東海道本線敷設により一部が掘削され昔の面影は失われました。江戸末期には英国公使館が建てられ、文久2年、高杉晋作らの長州藩士攘夷派による焼討ち事件の舞台ともなりました。明治期には西郷従道、その後戦前までは益田孝らの政財界人の邸宅もありました。』

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 確かに、この大きさの山ならば東京湾のお台場を作るくらいはできそうだが、結局、当初第八台場まで築造する予定だったんだが、結局、御殿山のふもとに第四の台場を作って全部で七つ、海の上には六つ作っておしまいになってしまった。

Dsc_00342

 まあ、結局は品川女学院の脇だけじゃなくて、御殿山全体がお台場のために土砂を採取したのであって、海に近い、品川女学院あたりで船に積み込んで東京湾に運び出したってことなんだろうなあ。

Dsc_00762

 で、実はここ数日はニコンDfに28mmや35mmのレンズで撮影をしている。これまで通常は20mmがデフォルトだったんだが、やはり一眼レフだったらきっちりとしたフレーミングもできるし、本来的にはあまり「超広角レンズ」向きではないのかな。

 ということなので、21mmより短い超広角レンズはレンジファインダーカメラて適当なフレーミングで撮影して、28mm以上の「普通のレンズ」は一眼レフっていう使い分けをしたほうがよさそうだ。

NIKON Df AF NIKKOR 35mm f2 D @Goten-yama Shinagawa ©tsunoken

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