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2018年7月

2018年7月31日 (火)

羽田神社の祭礼に行ってきわけなんだが……

 7月27日のブログでも書いた通り、27~29日の三日間は羽田神社の祭礼で、書いた通りの「波を上へ下へ、右へ左へ」揉まれるように担ぐ神輿で有名なんだけれども、いろいろこちらの時間の都合もあって、肝心の神輿の渡御を見る機会を逸してしまった。

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 ということで、一昨日だけ行ってきたんだが、そうはいっても肝心の神輿渡御の時間にはもう一方の別の予定もあったので、結局、渡御には立ち会えず、まあ、その中間の時間に祭りを見に行くって、なんて真の悪いことになったんでしょうね。

Dsc_00202

 ただし、祭りの間とはいえ、それぞれの神酒所に行って、神酒所ごとの創意工夫なんかも見て歩くことも面白いのだ。

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 で、この町会の神輿はまあ当然神輿としてあるんだが、まあ、山車としては比較的自由なので、こんな「子供が乗れる飛行機」方の山車なんかもあるんだなあ。

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 日本乗員組合とか航空労組なんかが入っているフェニックスビルの前にある町会にはこんな「子供も乗れる飛行機型の山車」なんかもあって、面白いんですね。さすがに「羽田」ってとこでしょうかね。

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 で、歩いていけば弁天橋で、そこには四日前のブログでは載せられなかった各町会の大漁旗とかなんかも、さすがに祭りの日には掲出されています。

 旧穴守稲荷の山門にも今日はちゃんと鈴が供えられています。

Dsc_00412

 という、中途半端なレポートの後には、我がマンションの毎年恒例の「屋上から浅草花火を見る会」なんてものをやりましたので、まあ、それでご勘弁を、ご勘弁を。

NIKON Df AF NIKKOR 35mm f1:2 D @Haneda ©tsunoken

2018年7月30日 (月)

問題だらけの女性たち

 別に女性たちが問題だらけなんじゃなくて、それに対する男どもの方に問題がたくさんあるっていう逆説なんだけれども、まあ、ここまであからさまに言われてしまうとなあ。という気分も少しはある。

Photo 『問題だらけの女性たち』(ジャッキー・フレミング著/松田青子訳/河出書房新社/2018年4月25日刊)

 ジャッキー・フレミング氏に俎上に載せられた男どもは以下の通り。

ダーウィン、ジャン=ジャック・ルソー、クーベルタン男爵、ラスキン、ピカソ、ショーペンハウアー、ジョージ・ロマネス、ハーヴァード大学の教授であったエドワード・クラーク博士、イマヌエル・カント、モーパッサン、フロイト、シャルコー教授、フレデリック・カーペンター・スキー、ヘンリー・モーズリー、などなど、私たちも知っている人もいるが、よく知らない人もいる。イギリス人のジャッキー・フレミングにしてみれば、みんな知ってて当たり前の人たちばっかりなんだろうけれども、我々日本人にはあまり馴染みのない人も多い。

 まあ、それはそれで仕方がない。で、一方で本書に登場する女性たちはこんな人たち。

ヴィクトリア女王に育てられたサラ・フォーブス・ボネッタ、ヴィクトリア女王自身、銃の名手アニー・オークレイ、馬術のナン・アスピンウォール、ヒルデガルド・フォン・ビンゲン、ジェイン・オースティン、アンナ・マリア・ファン・シュルマン、フィリス・ホイートリー、マリアンヌ・ノース、マリー・キュリー、メアリー・ポール、エミロー・デュ・シャトレ、数学者エミー・ネーター、ルイーズ・オーギュスティーヌ・グレーズ、マーガレット・バルクレイ、エリザ・グリアーなどなど、こちらも私たち日本人にとっては馴染みの少ない人たちばっかりだ。

 しかし、書かれていることを読んでいると、如何に女性が虐げられていたのかっていうのはよくわかるんだが、それをジョークにして語るっていうところが、やっぱりイギリス流なんだろうな。

 まず書き出しがこうだ。

『かつて世界には女性が存在していませんでした。
 だから歴史の授業で
 女性の偉人について習わないのです。
 男性は存在し、その多くが天才でした。

 その後、女性が
 少しだけ誕生するようになりました。
 でも、頭がとても小さかったので、
 刺繍とクロッケー以外のことは
 なんにもうまくできませんでした。』

 で終わりもこう。

『1840年の反奴隷制会議の初日は、
 3000マイルを旅してきた女性代表団の参加を
 許可するかどうかの議論に費やされました。
 参加は認められませんでしたが、傍聴人として
 カーテンの後ろに座ることだけは許可されました。

 この出来事がフェミニズムの第一波につながり、
 2000年にもわたる女性が特筆すべきことを
 何一つとして成し遂げていない時代に
 終わりをもたらしました。

 第一波の前にもたくさんの波がありましたが、
 それらの波はゴミ箱の中です。

 男性だけが
 意思決定できる進化レベルに達しました。
 男性は何を決定するか決定するほかなく、
 それから自ら投票しました。
 1875年には、法的に結婚できる年齢を
 12歳から13歳に引き上げました。

 女性は大人になっても乳歯が生えたままだったので
 (この特徴は蝶々と同じでした)、
 「社会の玉」に入れてもらえませんでした。
 どのリボンを買うか、それとも男性として生きるか、
 選択する自由はありました。

 ショーペンハウアーは簡潔に、
 女性は大人になっても子どものままだと述べました。
 「子どもと本物の人間である
 大人との中間段階ってとこだね、 やれやれ!」

 まあ、女性の進化なんて
 まだ途中みたいなもんですよね。

 ダーウィンによると、
 著名な男性と著名な女性のリストを比べてみれば、
 男性がすべてにおいて優れていることは
 明白だそうです。

 人数で比較するなんて、与えられた証拠と、
 自然に選択された女性より5オンス分多い
 客観性をもとに天才がたどり着いた結論としては、
 首を傾げざるを得ません。

 でもそれが正しいのでしょう。何しろダーウィンは
 大きなお猿さんだったのですから。』

 う~ん、あの進化論で有名なダーウィンですらこうだものねえ。「お猿さん」です。

 まあ、女性から見たら、すべての男なんてお猿さんなんだろうなあ。

 考えてみれば、人間の歴史なんて、結局は女性迫害の歴史なんだもんなあ。

 そんな歴史に対して正面切って反論しようとしても、それは徒労に終わるだけだし、そんな無意味な反抗をしても面白くない。

 じゃあ、そこはユーモアでもって対抗しようじゃないですか、ってところがこの本のキモなんだろうなあ。

 まあ、『何しろダーウィンは大きなお猿さんだったのですから。』

『問題だらけの女性たち』(ジャッキー・フレミング著/松田青子訳/河出書房新社/2018年4月25日刊)

2018年7月29日 (日)

さいたま市東大成町って、何があるんだっけ

 大宮と言えば氷川神社周辺とか、大宮駅周辺にはよく行くんだが、それ以外の大宮周辺部っていうのはあまり行っていない場所ではある。

 ということで、私の知り合いが住んでいるという「さいたま市北区東大成町」というところに行ってきた。前に一度書いた高崎線の「宮原」駅に近い場所である。

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 まあ、とりあえず大宮駅で電車を降りて、旧中山道へ出て、そこから北上する。まあ、この辺はよく来る場所なので、風景も「いつもよく見ている風景」なのであった。

 町は結構ゴチャゴチャしていて、いかにも「都会」っていう感じなんだけれども、でも、それがいつまでも続いて、歩くうちに別の町に入ってしまうのが東京の町だし、さいたま市でも浦和から大宮辺りまではそんなイメージもあるんだけれども、さすがに大宮を過ぎるとそうもいかなくなり、道は次第にビルがまばらになって、車の交通量も少しづつ少なくなってくる。

Epsn62772

 まあ、この東武野田線や宇都宮線のガードがあるあたりが、都会と田舎の境い目かな。このガードを過ぎると途端に道路の交通量も減ってくる。

 この辺が「街」の不思議なところで、別に大きな曲がり角があって、そこで車がみんな曲がってしまう、っていうわけではないのだが、いつしか交通量が減っていく。その分岐点がこの野田線、宇都宮線のガードなんですね。

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 ガードを過ぎてまだまだ歩いていくと、「おや? これは高輪の消防署?」なんてことを思わせる屋根の上に塔が建っている建物がある。

 で、近づいてみると別に消防署でも何でもなくて美容院の建物だった。まあ、目立とうと思って作ったんでしょうね。周囲には高い建物なんかはないので、確かに目立つことは目立つんだが、美容院がビルで目立ってどうするんだよ、ってな気もする。

 まあ、どうでもいいんだが……

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 と、ここまで旧中山道を歩いてきたんだが、こうした旧道にある昔の遺構なんてものが全然見当たらなかった。「何なんだ! この町は?」と思っていたら、それが先のガードを過ぎて少し宮原の方へ近寄ったところにやっと発見。

□中山道歴史散策コース□
 安政7年の道しるべ
     ここは東大成町1丁目です

 安政7年(1860)に建てられたこの石碑には「大山 御嶽山 よの 引又 かわ越道」と彫られ、中山道から西へ分かれる道の存在と行き先を示しています。
    ~
 大山は神奈川県伊勢原市の阿夫利神社、御嶽は東京都青梅市の御嶽山への信仰の道をしめしています。
 大山参りは、この辺りでは男子が15~20歳になると一人前と見なされ村の大人と共に参拝したそうです。
 与野・引又(志木市)・川越は当時の商業や交易の中心地として栄え、大成地区からも毎月の市日には長芋・麦・米を売りにでかけるなど近在から多くの人人が集まってにぎわいをみせました。

     さいたま市教育委員会
     生涯学習部文化財保護課』

 という説明文が添えられている。

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 まあ、それくらいしか遺構はなかったというのも残念ではあったんだが、もっとすごかったのはこのシーン。宮原にほど近い、旧中山道と国道17号線、新幹線ガードが交わるちょっと手前にあったこの店。

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 おいおい、「駐車場付きの焼き鳥屋とかスナック」って、いまでは相当の田舎に行かないとみられない風景だぞ。

 いいのか? そんなことをして?

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f1:5.6 @Omiya ©tsunoken

2018年7月28日 (土)

「デザインあ」展って……、何だ?

 きっかけは数日前に田端駅で見た看板だった。

「デザイン あ 展」って何だろう。何のことやら、まったく分からなかった。

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 ということでお台場は日本科学未来館へ行ってきた。

「デザインあ」というのは、実はNHK-Eテレの番組の名前で、世の中のいろいろのものを「デザイン」という観点から見直してみよう、という主旨の番組で、要はEテレらしい実験性に溢れた面白そうな番組なのであった。まあ、「視聴率をあまり考えなくてもいい」というEテレらしい実験性や前衛性が溢れていて、同時にそれが子どもたちが見ても興味を持てる内容であればいいという考え方の番組で、世の中のいろいろな「モノ、コト」を「デザイン」という観点から見てみるとどうなるかという番組。

 まあ、いろいろと概念をこねくり回してもよく分からないので、一度見てみましょう、てな番組なんですね。NHKらしい。

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 展示内容は、まず「観察のへや」というのがあって……

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 いろいろなものごとをデザインという観点から見直してみようというところから始まる。

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 次が「体感のへや」で、デザインを体感するっていうのはどういうことなのかを、展示を見ながら考えようという目的の部屋。

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 三つめが「概念のへや」で、これが一番よくわからないのだが、いろいろなモノゴトの概念を体感して見ようというのだが……

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 う~ん、正直言っておじさんにはよくわからないまま終わってしまった展示なのであった。

 要は、いろいろなことを考えてしまう大人にとってはよく分からないのだが、子どもたちみたいに純粋に楽しんじゃえば逆に面白い、というものなのだろうなあ。

 でも、分からない。まあ、理屈で理解しようとしても無理、っていうことなのかもしれないのは分かるんだが、でも理屈で理解しようと考えている大人には……、全然分からなくて当たり前なんですけれどもね。

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 まだ放送はやっているようなので、2~3度番組を見て、どんな概念なのかを確認してから、もう一度来てみよう。

「デザインあ」展 in Tokyoは10月18日まで日本科学未来館で開催中。

公式サイトはコチラ

2018年7月27日 (金)

羽田神社のお祭りが今日から開催ですよ!

 いよいよ夏まつりのシーズンです……、っていっても三社祭だって神田祭だって夏祭りなんだけれども、新暦の「夏」っていうところにやる祭りが夏祭りだっていう考え方をしちゃえば、やっぱり夏祭りは羽田神社だなあ。

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 羽田神社は京浜急行大鳥居駅のそば、羽田と川崎を結ぶ大師橋のわきにある神社です。勿論、普通の氏神様なので、縁結びとか家内安全とかのご利益はあるんですけれども、まあ、場所がら航空安全の神様なんてのもやっているんですね。いやあ、神様もイソガシイね。

 で、この境内に富士塚もある羽田神社の祭礼が今日から、明日、明後日と行われるんですが、これがすごいの。

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 下の方に「渡御コース」は書いてあるんだけれども、問題はその際の神輿の担ぎ方なんですね。普通にワッショイワッショイ担ぐだけじゃなくて、まるで神輿が大海原で波に揺られているように右に左に、上に下に、大きく揺さぶられながら進んでいくんです。

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 まあ、これは見なけりゃ分からないっていう感じの面白さで、私は大鳥居にあるブックスフジの社長(っていうよりは親爺さんだな)に教えられて、一度見に来て面白くなり、その後も何度も来ているっていうわけ。

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 1988年の羽田闘争の時に学生の集合場所になった穴森稲荷は、基本的にはこのお祭りとは関係ないんだけれども、のちに説明するところもあって、お祭りには協力っていうか、境内に屋台なんかが出ます。

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 で、祭りの最終日(7月29日)の連合渡御のスタート地点がここ。羽田空港の敷地に鳥居だけが残された、実はこれは穴守稲荷なんですね。第二次世界大戦が終わった直後の1945年(昭和20年)9月21日、羽田空港を軍事基地として拡張するため米軍(GHQ)より、範囲内の住民ともども強制退去を迫られることになったのがこの穴守稲荷なんだけれども、住民としては意地で鳥居だけは残したんだよなあ。

 現在の穴守稲荷の場所は、住民が各自の土地を供出して出来た場所なんですね。

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 っていうことで、羽田神社のお祭りの日程は以下の通り。

⦿7月27日(金)
 午後7時 本社 神輿御霊入式
⦿7月28日(土)
 午前9時 例大祭式
 午前10時 御旅所清祓式
 各町内神輿 渡御
⦿7月29日(日)
 午前8時~午後0時30分
 本社 神輿 羽田全町渡御
 午後3時~午後6時
 弁天橋通り十四基町内神輿連合渡御

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 まあ、7月29日の午後3時からの、羽田空港敷地内にある穴守稲荷から、羽田の町内を練り歩く神輿が一番いいかな。もう、神輿がグワングワン揺れています。あまり前には進みません。それがいいんだよね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f1:5.6 @Haneda ©tsunoken

2018年7月26日 (木)

横浜山下埠頭にカジノが来るぞ

「カジノを含むIR・統合型リゾート施設の整備を推進する法案」が参院を通過し、日本にもカジノを中心とした娯楽施設ができる……、って言ってもなにを今更感が無きにしも非ずだなあ。だって日本は既にギャンブル大国。パチンコ・パチスロ、競馬、競輪、ボートレースにオートレース、更に宝くじって日本には既に博打の材料はいくらでもあるし、別にそれを考えればIR法の実施によってギャンブル依存症が増えるんじゃなくて、既に日本中にギャンブル依存症の患者はいくらでもいるわけで、まあ、結局はギャンブル依存症はあくまでも自己責任でしょ、っていうことになってしまうんだよなあ。

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 それよりも、今更ながらに気が付いたんだけれども、IR法が出来ても、東京のお台場カジノ構想ってのは既に挫折した後だったんだ。お台場はギャンブル嫌いでフジテレビ嫌いの舛添元都知事が候補地だったところをBMWに定期借地権つきで貸し出してしまっていて、まあ、要は売ったのと同じこと。で、今更お台場にカジノを持ってくるわけにはいかなくなってしまっている。

Dsc_00512 NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D

 で、今言われているのが沖縄と、誘致に失敗したオリンピック会場で現在は万博候補地となっている大阪夢洲なんだが、それ以上に有力なのが横浜の山下埠頭なんだそうだ。

 山下公園脇にある山下埠頭は現在も稼働中であるし、どこか別のところに現在の山下埠頭と同じ機能を持った埠頭を作るんだろう。

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 山下埠頭なら横浜の中心地とも近いし、歴史的に重要な山下公園や大桟橋、中華街、レンガ倉庫、さらには現在の遊戯施設であるみなとみらいなどの施設もそばにあるし、「カジノを含むIR・統合型リゾート」を作るのには適しているのかもしれない。まあ、基本的に横浜の観光地区にカジノを作ろうっていうんだから、まあ、あまり問題はないっていうところなんだろうなあ。

 交通の便も悪くはないし、埠頭なので大きな客船なんかも停泊できるようにしてしまえば、世界各国からお金持ちを集められるかもしれない。

 まあ、あとは東京の浅草や銀座辺りなどの観光客が行きたがるところとどうやって繋ぐかっていう、交通の便の具体的な課題だろうな。

「山下ふ頭マスタープラン」にはカジノは載っていないが、実はこのプランを一枚めくってみると、カジノ・プランが透き通って見えるそうだ。と言っても、このイラストをクリックしても、めくれませんのでご了承ください。

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 しかし、本当のところカジノホテルなんかに泊まらないで、ホテル・ニューグランドとか、氷川丸なんかも宿泊できるようにして、それらに泊まってギャンブル場に通うなんてのもお洒落かもしれないなあ、なんて考えたりしている。カジノホテルみたいな、田舎のお祭りのようなゴチャゴチャ賑やかなホテルに泊まるより、こんな街中のシックなホテルに泊まったほうがずっといい。まあ、ラスベガスみたいな砂漠の真ん中に作ったカジノじゃないので、普通にそれは可能だろうし、カジノと提携でもすれば、それも不可能じゃないだろう。

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 今から30数年ほど前だと思うんだが、モナコに出張に行った際に、それは当然ホテルの目の前が国営カジノだったので、スロットマシンでかなりのフランを散財した経験がある。まあ、もともと博才のない私は全財産をスッてしまう前にやめたんだが、まあ、ギャンブルなんてそんなもんさ。大半の人は、自分の博才に見合わせた範囲でギャンブルを楽しむだけで、ごく一部の人が依存症になってしまうんでしょ。

 それよりもギャンブルをやらせて外国人から大金を巻き上げちゃって、身ぐるみはいて、横浜港の藻屑として葬っちゃえばいいんだよね。

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 それもお洒落でしょ……、ってことはないか。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f1:5.6 @Yokohama ©tsunoken

ところで、今日でNiftyブログのFacebookへのクロスポスト機能が終わってしまうようです。まあ、普通にNiftyからはいってもらうか、Twitterから入ってくださいね。

2018年7月25日 (水)

春日部と粕壁の間には何がある?

 基本的に東武伊勢崎線の東側に旧日光街道が走っていて、その辺の関係は埼玉県内では変わらない。なので、ほとんど東武伊勢崎線の駅は東口が昔からの正面口で、昔からの町、つまり旧日光街道筋の町や宿場がある。

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 ここ、春日部も同じで、旧日光街道とその春日部宿も東武伊勢崎線の東口の先にある。

 ただし、実際の町の発展形としては、西口の方が多分昔は何にもないところだったので、自由に街づくりが出来たので、大きな町になってきている。

 当地を起源とする鎌倉時代の武家・春日部氏に因んで、現在の表記、春日部市となったらしいのだが、あれ? 待てよ、江戸時代の日光街道の宿場町は「粕壁」じゃなかったんじゃなかったっけ? 現在の地名も「春日部市粕壁」というのが駅前の旧粕壁宿あたりの地名として残っている。。

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「粕壁」が「春日部」になったのは、1944(昭和19)年、南埼玉郡粕壁町と同郡内牧村が合併して春日部町となり、1954(昭和29)年に春日部市となったというので、「春日部」という地名が正式に使われるようになったのは結構最近のことなのだった。

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 春日部の旧日光街道のすぐ裏には古利根川が流れていて、粕壁あるいは春日部が、日光街道の宿場町であると同時に、利根川を使った水運の町でもあったということがわかる。岩槻や大宮あたりの物資と、利根川の河口、銚子辺りの海産物や醤油などを、ここ粕壁(春日部)を中継点としてやりとりしていたんだろう。

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 春日部といえば大塚家具の親子喧嘩で有名ですね。喧嘩別れをしちゃったお父さんの「匠大塚」はその旧日光街道沿いにあります。一方、お嬢さんの「IDC大塚家具」は昔で言う「駅裏」、現在は多分こちらが正面口になるのかもしれない西口のほうにショールームがあった。この辺が、勝敗の分かれ道になったのではないだろうか……、ってのは私が勝手に考えていることなんだけれども。

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 で、東口には何故か銅像がたくさん並んでいて「ブロンズ通り」という名前がついている道がある。春日部とブロンズ、銅がどういう関係なのかは知らないのだが、とりあえずブロンズ通りってのがあって、ブロンズ通り祭りってのをやっていることは事実なのであります。

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 私としては、こちらの東口の方の、旧日光街道粕壁宿の町並みの方が好きですけれどもね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA-WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 @Kasukabe ©tsunoken

 しかしまあ、クソ暑いせいもあって重くて大きい一眼レフは持っていくのが嫌になり、レンジファインダー・デジタル(それがR-Dなんですけれどもね)に超広角レンズっていう取り回しばっかりになっているなあ。実は、APS-Cサイズの撮像素子を持っているエプソンR-D1sの場合、12mmレンズは35mmフルサイズ相当で18mm。で、最近まで12mmとか21mmとかの外部ファインダーでもって適当に撮影していたんだが、つい最近、18mm用の外部ファインダー(Zeiss Icon T* F18)を手に入れたってこともあるんですけれどもね。って、自慢したりして。

 うん、さすがにイメージ(映像)に合っているファインダーの方が使いやすいなあ……って、当たり前か。

2018年7月24日 (火)

横浜戸塚を歩く

 JR東海道線の戸塚駅には、前に一度ばかり行ったことがあった。

 行った先は明治学院大学の横浜キャンパスがある戸塚駅東口からかなり山を登った先である。

 しかし、やはり戸塚の町の中心は東海道があった場所だろうし、ってことで今回は戸塚駅西口の方。う~ん、ただし東口も西口もあまり変わりのない戸塚駅周辺なのでありました。

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 ってことで終わりにしちゃうわけにはいかないので、駅周辺を少しだけ歩いてみる。

 戸塚駅を出て旧東海道(国道1号線)を西進すると、まず最初に目に入ってくるのが道の北側にある八坂神社なんだが、しかし、この辺には東海道戸塚宿をイメージするような碑もないし、旧跡なんかもないんだなあ。

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 さらに進んで「大坂下」という、そこから先には大きな坂があるというところに至ると、「上方見附跡」という碑が見つかった。つまりそこから先は坂道なので、ここで宿場はおしまいってことですね。

 つまり「上方」ということはそれは京都側ということなので、要はここが戸塚宿の西側のはずれっていうことなんだろう。

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 で、その上方見附のちょっと手前にあるのが「冨塚八幡宮」である。

「平安時代、前九年の役平定のため源頼義・義家が奥州に下る途中、この地にて応神天皇と富属彦宮の御神託を受け、其の加護により戦功を立てる事が出来たのに感謝をして、延久四年(西暦一〇七二年)社殿を造り両祭神をお祀りしました。
 社殿後方の地は富属彦宮の古墳であり、これを冨塚と称した事により戸塚の地名が発祥したと伝えれれています。
 戸塚(冨塚)一族は昔このこの地に住み、当神社を氏神として崇讃しておりました。現在全国に散らばる戸塚姓冨塚姓の方々の守護神でもあります。」

 ううっん?

「現在残酷に散らばる戸塚姓冨塚姓の方々の守護神でもあります」って、要するに戸塚さんとか冨塚さんのルーツは、横浜の戸塚にあったのか……。って、なんか、NHKの番組「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!」みたいな話になってきちゃったなあ。

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 確かに、神社の裏山は冨塚緑地という名前の小さな森林公園になっていて、そこを上っていく途中には冨塚八幡宮の奥の院みたいな小さな祠がある。この奥の院が富属彦宮のお墓なのかなあ。

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 町には昔の宿場町だったような旧跡などはないが、まあ少しは遺構も残っているってことで、取れ高OKかな、っていうことで……。

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 上の写真は何となく古そうな家なので昔の旅籠の跡かななんて嘘を言ってはいけません。別に古そうに作ってあるだけの「今の」居酒屋です。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA-WIDE HELIAR 12mm f1:5.6 @Totsuka Yokohama ©tsunoken

2018年7月23日 (月)

KADOKAWA、直接取引を3300書店に拡大 「取次」介さず翌日配達も

 7月22日の日経電子版の記事がこれ。

KADOKAWA、直接取引を3300書店に拡大 「取次」介さず翌日配達も
2018/7/22付
 KADOKAWAは書籍を直接取引する書店数を1000店舗から3300店舗に増やす。届けるのは出版取次会社を経由するのが一般的だが注文から1~2週間かかる場合があった。注文から早ければ翌日に届けたり印刷会社を介さずに自社印刷する書籍を増やしたりして、アマゾンなどのネット書店に対抗する。』

Epsn59092KADOKAWAです。飯田橋にあります。

『書籍の2017年の国内市場は7152億円で、10年前に比べると21%減った。消費者の本離れやネット通販の普及で書店数も減る。KADOKAWAは消費者が求める本を実店舗に早く届けるため、出版取次会社を介さない直接取引店を増やすことにした。遅くても2日以内に届ける。
 同社は取引関係が深い書店チェーンとの間で、自社の書籍を注文するシステムを導入している。相互に在庫状況を把握でき、書店は1冊から書籍を注文できる。紀伊国屋書店や三省堂書店など導入店は1000を超えており、数年以内に3300店規模にする。これは国内の実店舗の書籍市場の約8割に相当するとみられる。
 出版取次会社は書籍を書店に届ける物流機能と、売れた書籍の代金を書店から回収する金融機能を持つ。金融機能は取次会社が担うが、物流機能はKADOKAWAが手がけることで消費者に素早く本を届ける。
 在庫数が限られる実店舗に比べ、ネット書店はいつでもほしい作品を購入できる。書籍は1日に約200の作品が発売され、消費者の目に留まりやすい売り場に置かれる書籍は少ない。書店にほしい書籍がない場合、取次経由で注文すると、書店に届くまで1~2週間ほどかかる場合があるほか、時期も確約できないこともあった。』

Epsn59613まあ、こういう大書店には関係のない話。というか、三省堂は既に実施済み。

 結局、書店から注文の入った書籍の物流はKADOKAWAが持つが、書店と出版社に対する金融機能はこれまで通り取次が持つという、あのKADOKAWAにしては珍しいくらいのおとなしい措置だ。普通だったらメディアコングロマリットを目指すKADOKAWAからしてみれば、流通から金融まで含めた自社の支配権を求めると考えるのが普通だと思うんだが、そこはおとなしく取次の機能の一部を認めているっていうのはなぜなんだろう。

Epsn59362むしろこうした「町の本屋さん」に一番関係がある話なんだ。ところで、この廣文館書店って、典型的な「三ちゃん本屋」なんだけれども、一時期、東京都書店組合の理事長をやっていた時期がある。そういうことをするから町の本屋さんの力が弱くなるんだよなあ。

 まあ、ひとつには取次の持つ機能の一部を認めて取次の出版社離れを避けたということ。もう一つは、書店の持つ金融機能の弱さを直接KADOKAWAが受け持つことなく、そこは取次にまかせることで、KADOKAWAの金融リスクを避けたということなのかもしれない。

 つまり、それだけ書店が持つ金融部分の弱さをKADOKAWAが丸々受けてしまってはさすがのKADOKAWAもリスクを避けることはできなくなってしまう、ってことなんでしょうね。DOKAWAとしては書店が持つ顧客との直接の関連性には目をつけて、それだけはいただこうということなんだろう。ただし、お金が入ってこないリスクは避けたいということなんですね。

 実際にはKADOKAWAとしてはAmazonや楽天などのネット書店のメリットはそのまま継続するわけで、別にKADAKAWAは今後書店とだけ付き合いますっていうわけではない。つまり、書店が持つ書籍選びの機能についてはそのまま使いつつ、自らの企業にとっての「おいしいとこ取り」だけを狙ったっていうわけだ。

 したがって、今回の措置でもって書店が本来持つべき選書機能についてはますます厳しくなって、多分、いずれは書店に対する新刊配本についても厳しく望んでくるってことなんだろう。まあ、今でもいわゆる「町の本屋さん」には、ほとんど新刊配本なんてものはなくなってしまっていますけれどもね。

 まあ、いずれにせよ、書店にとっては今後とも自らの存立基盤が脅かされるっていう状況は変わりはないわけで、厳しい状況におかれているっていうことには変わりはない、ってことなんだろう。書店側もこれからは日書連なんかの団体頼みの活動ではなくて、企業個別の自らの業態を含めた改革というか革命が必要なんじゃないだろうか。いろいろな「文化的存立事由」でもっていろいろと保護されていた書店業界も、それこそ本格的な改善が必要になったということなんだろう。

Dsc_00012どうも最近はラドリオじゃなくて、このタンゴ喫茶「ミロンガ」に行くことが多い。なんでかな~という話はいずれまた。

『角川歴彦「メディアの興亡」三部作【全3冊 合本版】『クラウド時代と〈クール革命〉』『グーグル、アップルに負けない著作権法』『躍進するコンテンツ、淘汰されるメディア』(角川 歴彦 著/KADOKAWA/2017年7月7日電子版刊)

2018年7月22日 (日)

そもそもSKIPシティって、何なのよ?

「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2018」っていう記事を書いたんだけれども、そもそもその「SKIPシティ」って何なのよ? ってことに答えないと意味がないか。

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『SKIPシティ(すきっぷシティ)は、埼玉県川口市にある映像制作を目的とした施設。NHK川口ラジオ放送所跡地の産官学連携による再開発事業として、2003年2月1日にオープンした。SKIPは Saitama Kawaguchi Intelligent Park の略。』(Wikipedia)

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『SKIPシティが置かれている場所には、日本放送協会(略称:NHK)ラジオ第一放送を送信するNHK川口ラジオ放送所が置かれていた。二本の鉄塔からなる施設であり、近隣の川口市立上青木小学校の校歌にも歌われている。NHK放送センターでは、老朽化したアンテナ施設の移転を計画した。現在、埼玉県久喜市にあるNHK菖蒲久喜ラジオ放送所である。NHK放送センターでは、老朽化した施設用地の売却も検討したが、広大な土地のため売却先が見つからず、NHKワールド・ラジオ日本を送信する暫定送信所として再活用することにした。一部の区画は、国家事業として推進されてきた、放送衛星の運用が放送局主体の運用に変ったため、通信・放送機構の地上管制局として運用することになった。
 折りしも、埼玉県及び埼玉県議会で、川口ラジオ放送所の跡地利用に関する検討が行われ、再開発計画として映像産業拠点を設置することが決まった。
 事業主体として、埼玉県・NHKが出資する特定目的会社を設立し、提案を募ったところ、学校法人早稲田大学・NTTコミュニケーションズの案を了承し、現在の施設建設に入った。』(同Wikipedia)

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 ということなので、SKIPシティのメインはNHKの番組アーカイブ。いろいろな昔の番組のアーカイブが置かれていて、それを見たり調べたりすることが出来る。まあ、その辺がNHKが「国営放送」という言われ方をしている理由でもあるんだけれども、しかし、それは必要なことなので、多分、民放じゃああまり出来かねることを、やっぱりNHKならできるんだろうな、ってところでしょうね。

 その他、「彩の国ビジュアルプラザ」では、映像制作スタジオなんかもあって、地元の子供たちが自分でテレビ番組の制作体験なんかもできるような施設もある。

 私の大学のゼミの大先輩が、いつの間にかここの講師になって子供たちにカメラの扱いなんかを教えていたんだが、そんな素人でもいいんだろうか。まあ、シネカメラよりはビデオカメラの方が素人でも扱えちゃうんだから、それでもいいのかな。

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 で、そのSKIPシティが年に一度の大きなイベントとして開催しているのが『SKIPシティ国際Dシネマ映画祭』ってわけ。

 まあ、今更Dシネマでもないだろうにってのが、私なんかの考え方なんだけれども、でも「D」がつかない映画祭を西川口のこんな街はずれでやる意味は分からないし、やっても誰も来ないだろうし、映画祭の本来持っている商業的目的からはまったく外れた映画祭なんですね。なので、意地でも「Dシネマ」っていう言葉を、今後とも使っていくんだろうな。

「映像産業の拠点」っていう意味では、残念ながら逆に映像制作拠点自体が今やどこでも作れてしまうので、地域的なメリットもたいしてないこの地ではちょっと無理? ってなことではある。

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 最寄り駅はJR京浜東北線の西川口か、埼玉高速鉄道の鳩ケ谷駅なんだけれども、そのどちらの駅からも定期バスは出ていなくて、イベント開催時だけ臨時バスが出ている状況。あとは、車で行くか、両駅からタクシーで行くか、徒歩で行くかですね。

 まあ、映画を見てから西川口駅前の飲み屋なんかで映画論を戦わせるってのもあるんだけれども……、周りを見回してもそんな奴は一人としていないんですよね。

 その辺は、東映東京撮影所がある大泉学園と大いに違うところ。大泉学園は大部屋俳優や現場スタッフの溜まり場になっていて、そんな連中の上部スタッフなんかへの不満を聞きながら酒を飲む愉しみってのがあったんですね。東映東撮もけっこうブラックですからね。なんせ、東映だし。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f1:4 @Kawaguchi ©tsunoken

2018年7月21日 (土)

Dシネマ映画祭って、何だ?

「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2018」という催しが7月13日から22日まで開催中だ。

 という前に「Dシネマ」って何だっていうのを解説したほうがいいのかな。

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 Dシネマというのはデジタルシネマのこと。

『デジタルシネマ(英語: Digital cinema)とは、銀塩フィルムの映画カメラの代わりに、デジタル記録方式のビデオカメラを撮影に使って録画・録音し、さらに映像編集から配給・上映・映写機に至るまでの一連のプロセスに、デジタルデータを使用する映画である。
 コンピュータの発達と共に、映画製作の過程でも、編集作業や特殊効果をコンピュータグラフィックスなど「デジタル技術」を利用するようになり、光学的に撮影した映像フィルムをデジタル・データに変換して、デジタル処理による動画の加工後、再び銀塩フィルムに戻す「キネコ」の作業が不可欠となっている。それならば、いっそ撮影と上映もデジタル化する事で、相互変換の工程を省き、時間とコスト、その他アナログが抱えるあらゆる制約を払拭してしまおうと言うのが、デジタルシネマの基本構想である。』(Wipkipedia)

 というのが基本的な説明なんだが、Dシネマの考え方を一番最初に本格的に劇映画に導入したのがジョージ・ルーカスで、2002年に『スターウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』で撮影からその後のポストプロダクション、上映まで含めてデジタルで行ったのである。

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 いまや劇映画では当たり前の技術になってしまった感のあるデジタルシネマなんだけれども、その発展を支えてきたのが、実はドキュメンタリーの世界なのだ。

 基本的に撮影するフィート数がやたら多いドキュメンタリストは、しかし一方であまり制作予算が多くないという問題を抱えている。それを一気に解決したのがデジタルシネマで、とにかく銀塩フォルムに比べて圧倒的にフィルム(テープ)代が安いし、ましてやラボ費用もかからない、おまけに映画が完成してしまえば、撮影フィルムはいらなくなるので、画像を消しちゃえば、更にまた次の撮影にも使えるっていう便利さがあり、その辺からドキュメンタリーの世界では、いまや銀塩フィルムはまず見られなくなり、ほとんどがデジタルシネマで作られている。

「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」というのは2004年に始められたデジタルシネマだけの映画祭である。

 次世代映像産業の発展と集積、映像クリエーターの発掘と育成を目指し、2003年2月にSKIPシティが創設されたされた。その事業目的に沿って2004年3月に第1回の映画祭が開催され、第2回以降は毎年7月に開催されている。本映画祭では、デジタルで撮影・編集され、デジタルで上映可能な作品を国内外より広く公募し、長編部門(国際コンペティション)・短編部門(国内コンペティション)においてノミネート作品を上映している。出品される作品はすべてデジタルシネマであり、4Kデジタルシネマプロジェクターによる上映を行う。

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 ということで、昨日はクリス・マルケルのドキュメンタリー『A.K. ドキュメント黒澤明 A.K.』(1985)というのを見てきた。映画は『15周年特別企画 「名匠たちの軌跡」』という企画上映のひとつで、なんと「ラ・ジュテ」のクリス・マルケル(!)が黒澤明の『乱』のメイキングを作っていたのだった。

 1921年に生まれて2012年に亡くなっていたクリス・マルケルですよ。60過ぎてデジタルシネマにも早いところ目をつけて採用したってのもすごいが、まあ、やはりドキュメンタリストがいち早くデジタルシネマに目をつけたっていうことの証左にもなるというのかな。是枝裕和が同じく「名匠たちの軌跡」という部門に『映画が時代を写す時―侯孝賢とエドワード・ヤン』というテレビマンユニオン時代に作っていた作品を出品している。

 是枝作品は当然テレビのために作った作品なんだろうし、クリス・マルケルも多分、フランスのテレビ向けの作品なんだろうな。

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 まあ、結局デジタルシネマによってこんな風にテレビと映画の垣根がなくなってきているわけで、多分、日大なんかの芸術学部でも、実際に制作実習ではそんな感じでデジタルシネマが中心なんだろうな。

 それと同時に、映画製作の高かったハードルも一挙に低くなって、制作予算も昔に比べると圧倒的にお安くなってきているので、今や誰でも映画を作れるようになった。

 まあ、それは製作される映画が玉石混交になってしまった、というネガティブな結果も導いてしまっているが、同時に、誰でも映画製作に挑戦できるというポジティブな傾向もあるのだ。

 基本的には「いいこと」なんですね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f1:4 @Kawaguchi ©tsunoken

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「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2018」はまだ開催中なので、ご興味のある方はコチラを見て、川口市の外れまで行ってきてください。

 JR京浜東北線西川口駅か、埼玉高速鉄道鳩ケ谷駅が最寄り駅なんだけれども、とっても遠いです。

2018年7月20日 (金)

豊島園はなんで練馬園じゃないのかって話

 何故か、東京23区で一番気温が高いと言われている練馬区まで行った。それも、豊島園に行くのに何故か西武池袋線を中村橋で降りて行ったのであります。

 まあ、それなりに理由はあるんだけれどもね。

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 中村橋で降りて中杉通りをそのまま行くと目白通りに出るので、そのまま歩いていると石神井川に出る。

 で、石神井川を歩いていくと豊島園の裏側に出るんですね。

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 で、その裏側のすぐそばに「尾崎遺跡」というのがある。

『春日小学校の建設にあたり、昭和54年~55年に発掘調査が行われ、旧石器(約3万年前ごろ)から江戸時代までの遺跡が発見されました。この遺跡からは、底がとがった縄文時代の土器や、「仲」と書かれた平安時代の土器など、練馬の昔を知るための貴重な資料が得られています。中には火おこしをするのに使った「平安時代の火きり臼」など大変珍しいものもあります。』(練馬区資料より)

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「旧石器時代から江戸時代まで」ってすごいなあ。たしかに、前に石神井川があって旧石器時代なんかは村を作りやすかったってのは分かるんだが、それが江戸時代まで残っていたってのがすごい。ただし、遺跡自体は春日小学校の敷地内にあるので、普段は入れません。

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 で、そこからちょっと行くと春日神社なんかもあって、「おっ、いよいよだなあ。もっと遺跡があるのかなあ」なんて期待していると、豊島園の正門前に出てしまうんですね。

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 豊島園の名前は何となく豊島区にあるのかな、なんて思ってしまいがちなんだが全然そうじゃない。豊島園は豊島区とか北区豊島所在ではなく、練馬区向山三丁目に所在しているし、豊島園が開園した当時の地名は、東京府北豊島郡上練馬村であった。地名の豊島とは何の関係もない。

 じゃあなんで豊島園なのかといえば、室町時代に築城された練馬城の城址を中心に造園されたのが豊島園で、園名は同城を築城し治めた豊島氏に由来しているというもの。でも、ご存知の通り豊島氏は太田道灌に負けて、練馬城は放棄、石神井城に籠ってしまったんですね。で、練馬城は早いところなくなってしまった。

 なんで、そんな「敗軍の将」にちなんだ名前にしたのかは分からない。縁起でもないのにねえ。

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 まあ、そんな感じで偉ぶらないところが練馬区らしいってところなんでしょうか?

 練馬区役所は十分偉ぶってますけれどもね、

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Koyama ©tsunoken

2018年7月19日 (木)

東京周縁部を往く・東京湾10号埋立地

「東京湾10号埋立地」って何だ?

 住所としては江東区有明。つまり東京ビッグサイトなんかがある場所のことなんだが、もうその先はゲートブリッジや東京オリンピックで話題の海の森公園がある島があるだけで、もうここは「東京周縁部」なんですね。

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 東京ビッグサイトはアニメ関連のイベントなんかで、幕張メッセなどと同じく昔はよく来た場所。現在も大きなイベントはビッグサイトか幕張メッセでやることが多いのでよく来ます。

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 ただし、盛夏の季節には行かない。海を渡る風は時には涼しいんだけれども、基本的にものすごく暑くて、多分、東京で一番夏が暑い場所が、この有明じゃないかと思うほどだ。

 まあ、東京ビッグサイトの盛夏は「オタク」な人たちに任せましょう。

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 じゃあ、なんで行ったのか? って言えば、ちょっと前にも書いたけれども、「暑い時はかえって汗をいっぱいかいてしまえ」ってところでしょうか。

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 フジテレビもなんでこんな暑くて寂しい場所に移ったんだろう。

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 まあ、お台場カジノ構想なんてのもあったし、当時はまだF1のテレビ放送をやっていたフジテレビとしては、お台場F1ってのにも魅力を感じたのでしょうね。

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 で、結局その両方とも「取りやめ」になってフジテレビの人たちはどうしているのか。

 ある人は「いやあ、やっぱり会社帰りに仲間とフラッと一杯ってわけにもいかずに、今日は新橋で宴会だ、ってな具合に予定を組まないと飲みに行かないなあ」というのは、クリエイティブな人たちのビヘイビュアとしてはちょっと残念だし、「映画なんかはお台場のシネコンがいつも空いているので、いつでも見に行けるのは便利」って、要はウィークデイにはいかにお台場の人出が少ないかってことの証左だもんなあ。

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 やっぱりマスコミってのはたくさんの人がゴチャゴチャいる場所にいてこその存在感なわけで、こんな東京周縁部に来ちゃうと、なんとなく浮世離れしちゃって、その結果としての視聴率低迷ってわけなのかしら(?)。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f1:2.8 D @Ariake ©tsunoken

2018年7月18日 (水)

ドナルド・キーン写真展が暑い

 いやあ、思わず「暑い」と書き間違えてしまった。正しくは「ドナルド・キーン写真展が熱い」ですね。

 といっても、勿論ドナルド・キーン氏がフォトグラファーであるわけはなく(まあ、広い世の中にはそんな名前の写真家がいてもおかしくはないが)、正しくは『ドナルド・キーンのまなざし 宮澤正明写真展ー』というタイトルなのだ。

 つまり宮澤正明氏によるドナルド・キーン氏の写真展が、旧古川庭園にある大谷美術館で開催中であるってことなのでした。

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 ドナルド・キーン氏と言えば、コロンビア大学名誉教授で日本及び日本文学の研究家であり、東京都名誉都民、北区名誉区民、新潟県柏崎市名誉市民、勲等は勲二等、2008年に文化勲章受章まで受賞、日本を愛するあまり日本国籍まで取得してしまったという日本フリークな人として有名な人だ。

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 そのドナルド・キーン氏が写真家の宮澤正明氏と知り合ったエピソードも、いかにも日本フリークなドナルド・キーン氏らしい。

『写真家・宮澤正明氏との出会いは、伊勢神宮にはじまる。2013年「第六十二回神宮式年遷宮」の写真集上梓の際に、コメントを依頼されたのが最初である。私は、日本に留学できた1953年に、終戦後初めて執り行われた「遷御の儀」に立ち会う機会を得て、今回2013年は実に4度目の列席であった。20年に一度の「遷御の儀」に4回も立ち会えたことは、誠に幸運と言うべきであろう。その遷宮行事を8年間にわたり撮影していたのが、写真家の宮澤正明氏だった。
 4たび遷宮に列席し、様々な風景や場面を脳裏に刻んできた。お能に譬えてもいいような、無駄や虚飾のない儀式の数々、そして、日本建築の原型とも言うべき建物群、それは、自分の記憶の中でしか再現できない、美しい場面である。しかし時には、前の席の人の動きに気をとられたり、間違って別の方向を見たりして、見逃してしまった光景もあるはずだ。そうした一瞬の美を見落とさずに、特別に美しいものを教えてくれるのが写真家の芸術である。この写真を撮影した宮澤正明氏も、そんな写真家の一人だ。普通の人は、そういう目を持っていない。
 宮澤氏が撮った写真の数々を眺めていくと、彼がいかに辛抱強く、いかに工夫を重ねて、一瞬の機会を捉えたかが、よくわかる。もちろん、遷宮の行事を8年にもわたって撮り続け、その人柄に信頼がよせられたからこそ、一般人には踏み込むことのできない領域まで、宮澤氏のカメラは入ることができたのだろう。
 宮澤氏と出会ってから、これも何かのご縁であろうか、私は幾度となく彼のカメラの前に立つことになった。旧古川庭園を見下ろす私の書斎で、お墓を構えた無量寺の桜の下で、馴染みの霜降銀座商店街で、さらには、新潟柏崎や英国の旅の道中でも、宮澤氏は私にカメラを向け、私は微笑みで返した。いや、ときには難しい顔もしたであろう。
 彼とのフォトセッションは、自分が被写体であることを自覚する間もなく、カメラという装置の介在を忘れ、宮澤正明とドナルド・キーンという存在同士が対峙する時間だった。それはまるで沈黙の対話のようでもあった。そんな時を重ねて、宮澤氏のアトリエにはおそらく幾万もの鬼怒鳴門(ドナルド・キーン)の喜怒哀楽が、保存されているに違いない。
 このたび私の写真展を、とてもなじみの深い旧古河庭園にある大谷美術館でやっていただくことになったようだ。果たして私の写真を観に来ていただく方がどのくらいいるのか私にはわからないが、少なくとも築100年となるジョサイア・コンドルの名建築だけでも観る価値はあると思う。
 この2年間、私の写真を撮っていただいた宮澤氏に感謝すると共に、写真展の成功を祈る気持ちでいっぱいである。私は先日96歳になった。これからも撮ってもらう機会があればお願いしようと考えている。

ドナルド・キーン
    2018年6月吉日』

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 実は、この写真展を見るまではドナルド・キーン氏が北区の住民であり、旧古河庭園のそばに書斎があったり、霜降銀座商店街なんてところまでを知っているなんて……、知らなかった。

 ということなので、別にドナルド・キーン氏が自分で撮った写真展じゃなくて、ドナルド・キーンしが写っている写真展である……、ってことをご承知の上旧古河庭園へ。

 写真展だけの入場は無料です。

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『<旧古川邸+庭園> 100周年記念 ドナルド・キーンのまなざし 宮澤正明写真展ー』は8月5日まで 旧古川邸・大谷美術館一階フロアにて開催中。

北区の公式サイトはコチラ

2018年7月17日 (火)

オールドレンズで呑川逍遥

 呑川については7月4日のブログ『世田谷奥沢の馬頭観音と新奥沢駅跡』で、大岡山の東京工業大学の前で暗渠から地上に出て、川となって東京湾に注いでいることを若干書いたんだが、まあ、その下流の地点がここJR蒲田駅から京浜急行蒲田駅までを流れているので、そこをブラブラした。

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 何ヵ所かにこうした「呑川緑道」なんて説明板はあるのだが、どうみてもどドブ川でしかない呑川の川岸のどこに緑道なんてものがあるのかが良く分からない。

 川岸に桜の木か何かを植えているので、それで緑道って言っているのかもしれないが、我々がイメージする「緑道」つまり「緑の並木道」っていうイメージからはちょっとかけ離れた普通のコンクリートの道が続くだけなんである。護岸もすべてコンクリート造りだし、その辺はいかにも大田区の川なんだけれども、まあ、あまり「緑道」っていうイメージからは遠いなあ。

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 地元には「呑川の会」なんていうのがあって、呑川をもっときれいな川にしようとか、いろいろ提案・実施をしているらしいんだが、う~ん、道まだ遠しってところでしょうか。

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 今ではドブ川みたいな呑川も昔は清流だったんだろう。現在蒲田小学校がある場所には菖蒲園があったらしくて、小学校の校庭に端っこにこんな菖蒲田がある。実は現在のJR蒲田駅はこの菖蒲園にくるお客さんたちのために作った駅らしいのだ。

 梅屋敷とか菖蒲園とか、結構、風流な場所だったんですね、昔の蒲田って。

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 で、京浜急行の高架線の下まで来るとあとの呑川は国道15号線、産業道路と交差して、環状八号線と並行しながら走って羽田空港のそばで東京湾に注いでいるわけです。

 勿論、ここまできちゃうと「緑道」なんてものはなくなってしまうんですがね。もう、沿線住民も居直っちゃってるのかな?

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 って、ここでUターンしてJR蒲田駅へ。

 呑川を清流に戻したいという沿線住民たちの気持ちはよくわかるんだが、実際にはまだまだ時間がかかりそうな雰囲気ですね。

 蒲田駅そばのウエダカメラにはまだ「Lord \6,800」が飾ってあります。う~ん、前から気になっていたカメラなんだよなあ。どうしよう……って、全然「逍遥」じゃないじゃんかよ。何のために蒲田まで行ったんだ?

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 昨日に引き続きマニュアルフォーカスの今日は24mmで撮影。昨日の50mmよりもっと短いレンズなので、ほとんどオートフォーカスみたいな感覚で撮影できる。ということは、広角系のオートフォーカスレンズって、あまり意味はないってこと?

NIKON Df Ai NIKKOR 24mm f1:2.8 @Kamata ©tsunoken

2018年7月16日 (月)

旧レンズで、お暑うございます。

 毎日毎日、お暑うございます……、なあんてことを言ってしまっては広島や岡山の人には申し訳ないが、でも、そんなことを言っても、東京も暑いです。

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 で、暑い夏はどうやって過ごすのか? ってまあ、逆に一杯汗をかいてしまうってのが一つの方法でもあるんですね。本当「汗かいて、生きよう」ってなもんです。

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 で、ついでにデジタル一眼に旧レンズをつけて撮影行をするんです(なんでそれが暑い時の処方なにかがわからない)。

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 今回、ニコンDfに装着しているのは「Ai NIKKOR 50mm f1:1.4」という、アナログ・ニコンの時代の標準レンズっていうか、まあ、行ってみればニコンの基本レンズっていうわけですね。私は以前、同じNIKKORの「50mm f1:1.2」っていう、この「f1:1.4」に比較すると二回りぐらい大きいレンズを持っていたことがあるが、実は図体が大きいだけで別に写りは「f1:1.4」と変わりがないので、「まあ、いらねえな」ってな感じで売ってしまった。

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 で、久々のアナログ・ニコンなんだが、使ってみる感じは別にデジタルニコンとはあまり変わらない……、っていうかこの日は快晴なので基本的に絞りはf11かf16、だったら実はほとんどすべての画面に合焦できちゃうんですね。

 でも、面白いのは「機械はバカ」だから、オートフォーカスのレンズを装着していると、たとえ絞りをf16とか、それ以上にしてもちゃんと「ジッ」なんてレンズが鳴ってフォーカスを合わせようとしたり、撮影しよという対象があまり光の変化がない被写体だったりするとフォーカスが合わなくて撮影できなかったりするんですね。

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 ホントばかですね。別に、理論上合焦しなくても何の問題もなく写っちゃうんですけれどもね。

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 ってなことを証明しようとしてこんな撮影をしたわけではありません。でも、なんとなく暑くて、午前中はお盆で墓参りした後でちょっと疲れているし、あまりヤル気はない……、てなことでこんな写真になりました。

 デジタル一眼なのでマニュアル・フォーカスのレンズを装着してもフォーカス・エイドが働いているんだけれども、実際の撮影に当たってはそんなもの気にしないで、適当なピントで撮ってます。まあ、それでもこれくらいは写るってことで……、だからってどうなのよ。

 それで、テーマは何なのか? う~ん…………。

NIKON Df Ai NIKKOR 50mm f1:1.4 @Nishigahara Kita ©tsunoken

2018年7月15日 (日)

小津安二郎のライカ

 えー、ポイントは「小津安二郎監督作品 特設コーナー」じゃなくて、その右側に配置された小津安二郎の写真なんですね。

 多分、これは本番撮影じゃなくてロケハンの風景なんだと思うけれども……。

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 映画監督なので、当然フィルムの画角を見るためのディレクターズビューファインダー(というのが正式名称、「スコープ」とも言います)を右手に構えて覗いているんですが、問題は同時に左手に持っているスチールカメラなんです。勿論、この時代のモダンボーイですから、持っているカメラはライカ。形式はⅢCかⅢf、レンズはフード付き沈胴ズミクロン 50mm。ライカと映画には重要なつながりがあって、もともと、ムービーカメラを作っていたライカ。そのライカが映画カメラの露出を測るために映画の一コマ(実際には二コマなんだが)だけを撮影して、露出が適正かどうかを見るためのカメラを作ったんだけれど、それがそのままスチールカメラとして使えるのを発見した、というのがライカカメラの始まりだったのである。なので、ツァイスイコン・コンタックスでもいいけど、でも、映画屋はライカ。

 勿論、ライカ判カメラっていうのは普通の35mm判映画のフィルムをそのまま使うことによって始まったフィルムサイズなので、映画監督がライカを持っていると、「う~ん、やっぱり映画の端尺をライカに入れて撮っているのかな、なんて考えたりする愉しみがあったりするんである。それはコンタックスも同じなんだが……。

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 小津安二郎とスチールカメラの関係に関してはなかなか面白い本を見つけたので、今日はそれを紹介。

 本は映画史研究者の登重樹氏の『望郷の小津安二郎』(皓星社)。「第1部 小津安二郎の若き日々』の『第2章 青年』の中に「カメラとの出会い」という項があって、あまりページ数は多くはないが、なるほどという記述が見て取れる。

『小津自身の証言によれば、彼がはじめてカメラをいじったのは中学生時代の通称べス単、つまりアメリカのコダック社が一九一二(大正元)年に発売した、正式名称はVest Pocket KODAKという小型カメラだった。』

 ただし、このカメラは当時中学生の小津に買えるわけもなく、親友の持ち物を借りたものだったようだ。

『『カメラ毎日』昭和二十九(一九五四)年六月号誌上での小津の発言によれば、彼はその後ブロニーを経て、ライカのA型を手に入れたのが昭和五(一九三〇)年か六(一九三一)年頃で、海軍の遠洋航海の撮影でドイツ行くことになったカメラマンの茂原英雄に頼んで買ってきてもらっている。当時の価格は三百円。すでに監督に昇進していたとはいえ小津のその頃の月給は百十円だったので、決して安い買い物ではなかった。』

『小津は従軍中におよそ四千枚の写真を撮影し、仕事の参考にしようという魂胆で、帰還後にそれをスクラップブックに整理していたらしい。』

『『長屋紳士録』から『彼岸花』まで撮影助手として小津組についた川又昂が、『晩春』のクランク・インのとき、撮影中の作品の全カットを名刺判の写真に引き伸ばして保存することを小津から命じられた、というエピソードは、小津が写真に対して強い指向(嗜好)を持っていたことを物語る。』

『たとえば、丸之内のオフィス街を捉えた外景ショット、幾何学的な建物の列、煙突、茶の間に置かれた薬缶、書院の壷、並べられた樽など、比較的初期の頃から晩年に至るまで、小津のそうしたこだわりを示す絵画的、静止画的ショットを数多く見出すことが出来る。それらの絵画的ショット、静止画的ショットの中には、誰かの見た目ショットとは明らかに異なるとしか受け取られないようなアングルから撮られたショットもしばしば現れている。つまりそのショットは、あたかも前後のショットとはまるで無関係に、人称性を欠いた静物画のごとく空の光景だけがそこに浮かんでいる感じ、といった印象を見る者に与えることがある。そうしたショットが頻出するのも、もともと絵画の構図設計に並外れた素質を持ち中学生時代にカメラと出会った小津が、その後も一貫してカメラを愛好し続け、晩年に至るにつれて絵画や静止画への接近をどんどん強めていった、という観点からの再検証が必要と思われる。厚田雄春によれば、小津はロケハンにライカを持参し、気に入ったところをフィルムに収めていた。小津映画独特の静止画的ショットはライカで撮った写真を銀幕に拡大再現する行為だったともいえるのである。』

 小津安二郎は明治36年に東京は深川に生まれ、小学校は深川の小学校に通ったんだが、1913(大正2)年、三重県松阪市に移転、1916(大正5)年、宇治山田の中学校(旧制)に入学し、そこが小津の「映像生活」の始まりだったようだ。

 当時、三重県辺りでカメラを持っていたというのは、相当なお金持ちでなおかつ新しもの好きの好事家ということになるのだろう。その後は、カメラ名は分からないがブロニー判カメラを経てライカA型という変遷らしい。ベスト判(4×6.5cm)→ブローニー判(6×6、6×9cmなど)→ライカ判(35mm)というフィルム・フォーマットの変遷も面白いが、やっぱり行き着くところが35mmムービーフィルム・フォーマットっていうところが、如何にも映画屋さんっていう感じで面白い。逆に言ってしまえば、多分それはフィルムの粒子の性能向上とも関係するのであろう。しかし、そうだったらまったく映画のフィルムフォーマットと同じハーフサイズにまで行ってほしかったなあ、って当時はそんなカメラはなかったか。

 同時に、小津の頑固なまでのカメラアングルへのこだわりというものが、スチールカメラにおける絵画的表現と関連付けられて語っているのも面白い。

 確かに小津は撮影時に全ショット自らカメラを覗いて画角を確認してからリハーサル→本番という形で映画の撮影を行っていたらしい。普通こんなことをする監督は撮影部から嫌がられて、下手をすると「そんなに俺たちを信用できないんだったら、自分で撮影までやればいいじゃねえかよ」ってな感じで、カメラマンからサボタージュを受けてしまうだろう。しかし、それをされなかったのは、小津が松竹蒲田撮影所に入所した時の最初に配属されたのが撮影部だったということも影響しているのかもしれない。まあ、職人肌の撮影部の連中にとっては、「ああ、ちょっと面倒くさい、先輩監督だなあ」なんてところだったのでしょうね。

 同じタイプのフィルムを使うっていうことだけじゃなくても、映画(ムービーフィルム)と写真(スチールフォト)との関連性というものは考えられなければならないはずなんだが、どうも我が国の映画評論家でそうした技術的立場っていうか、趣味嗜好がある評論家はいない。日本の評論家って、結局、映画を見るのが好きなだけの映画フリークか映画史研究家という文科系人間ばっかりで、「写真家出身の映画評論家」といったような異色の人っていないんだなあ。したがって、映画というテクノロジーの塊のような映像表現ジャンルでありながら、そうした技術部分から切り込める評論家ってほとんどいない。

 デジタルシネマが当たり前になっている時代に、そうした技術分野でもって映画を語れる評論家がいないっていうのも、ちょっと問題なんじゃないか?

 って、「小津安二郎のライカ」っていうテーマからはちょっと離れちゃったけれども……。

『望郷の小津安二郎』(登重樹著/皓星社/2017年8月20日刊)

2018年7月14日 (土)

東大峠 ©tsunoken

「東大峠」って言ったって、別にそんな名前の峠があるわけではないし、私が勝手につけただけの名前だ。

 場所は本郷通りと言問通りが交差する本郷弥生の交差点の東大がある方とは反対側の交差点の南と北の両方にある。つまり言問通りを挟んだ形になっていて、まるで一対の飾り物みたいな感じだ。

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 以前は木を植えてあったような気もしないではないのだが、それを抜いた後に再び木を植えずに、緑地帯の真ん中に石段が置かれていて、その高さが20センチ位の高さがあるんだけれども、言問通りの両側に同じような感じで置かれていて、何かのモニュメントなんかとも思ったのだが、別に説明板なんかはないし、「何のための石段なんだろう」というわけなので、勝手に私はこれは「峠道」に違いないと決めつけて、場所が場所なので「東大峠」と命名したわけだ。

 多分、世界で一番高低差の少ない峠道だろう。

 ここを通るときは、よく「峠越え(笑)」をして越えていくのである。

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 っていうだけで、別に他にネタはないし、いろいろネット上を調べてみたんだけれども、この本郷弥生の交差点に触れた記事はあるんだけれども、この一対の石畳の坂道(!)に触れた文章にはついには出会わなかった。

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 つまり、この「東大峠」というのは、私だけの命名であり、他の誰もいないので、以後皆さんこの峠について話を触れる場合には「©tsunoken」をつけてください。な~あんてね。別に著作権を主張するような写真じゃないしね。

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 う~む、ブログネタも夏枯れ気味だなあ。

 私の脳ミソも沸騰気味なんだろうか?

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f:1:4 @Hongo ©tsunoken

2018年7月13日 (金)

宮原照夫氏、逝く

 私のサラリーマン時代の上司でもあった宮原照夫氏が亡くなった。

 享年80歳。

 宮原氏は高卒で講談社に入社し、『少年倶楽部』編集部に配属、1959年に『週刊少年マガジン』創刊スタッフとして参加。ちばてつや氏の担当編集者として「ちかいの魔球」「紫電改のタカ」「ハリスの旋風」などを連載、梶原一騎氏の担当として「巨人の星」「あしたのジョー」などを連載し、その後、『週刊少年マガジン』の編集長となった。

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 1980年に『週刊ヤングマガジン』を立ち上げ、大友克洋氏の「AKIRA」連載のきっかけを作り、その後、マルチメディア事業局長となって、私の上司となったわけです。立場的には「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」などのアニメ制作のエクゼクティブ・プロデューサーなどを務めたなどがあるが、私の直接の上司ではなかったけれども、まあ、いろいろ話はさせてもらった。

 いかにも長野県出身者らしい生真面目さがあり、「へぇ~、こんな真面目な人がマンガ雑誌なんかの編集をやっているんだ!」と思ったりして、まあ、東京モノのイイ加減な私とは必ずしも息があったわけではないが、映像制作の先達として私を遇してもらって、いろいろ「映像ビジネス」の話をした記憶がある。

 講談社を辞めた後は子会社の株式会社コミックス代表取締役、相談役などを歴任し、2004年に退社し、その後は悠々自適の生活を送っていたらしい。

 引退してからは自転車に凝ってみたりして、結構元気に暮らしていたらしいのだが、それ以上のことは知らなかった。

 80歳っていう年齢は、まだまだ十分元気に生きていてもよさそうなものだけれども、まあ、寿命っていうものなんだろうなあ。

 春に亡くなった由利耕一氏とともにコミックス「AKIRA」にかかわった人たちが順々にいなくなってしまう。そうか、もうアニメーション映画「AKIRA」を作ってからすでに30余年は過ぎているのだ。まあ、そんな感じで亡くなっていくんだろうな。次は〇〇さん、次は〇〇さん……ってい感じで、順々に亡くなっていくんだろう。

 まあ、それも人生……、俺はどの辺の順番でいなくなるんだろう。

 合掌

『実録! 少年マガジン編集奮闘記』(宮原照夫著/講談社/2005年刊)

2018年7月12日 (木)

暑い日は武蔵野日陰散歩

 災害に見舞われた中国地方の方々には申し訳ないが、暑い日々が続いている東京である。あまりの暑さに出かけるのも億劫になりがちだが、こうした暑い日は逆に外に積極的に出かけて汗を精一杯かいちゃったほうが気持ちがいい。

 とはいうものの、やはり日向は避けたいということもあるので、今日は玉川上水沿線の日蔭道を歩いて武蔵野散歩と洒落てみようじゃないか、ってなところです。

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 玉川上水は羽村市に取水口を設けて、新宿御苑脇の四谷大木戸まで、全長43kmの開渠水路のこと。江戸市中に入った上水は地中を木樋などの管でつなげてところどころに井戸でもって地上に上げることによって水道の役目を果たしていた。玉川上水は西東京市と武蔵野市の境目辺りで千川上水を分流し、千川上水は六義園や小石川後楽園などへも流れていた、まあ、江戸の一大水道事業だったわけですね。

 なので、本来であれば武蔵関で青梅街道から分かれる五日市街道に沿って流れる玉川上水なので、その辺から歩いてもいいのだが、それでは長すぎるし、おまけに五日市街道沿いの交通量の多い道を歩くことになるので、今回は西武多摩湖線の一橋学園駅で降りて、西武国分寺線の鷹の台までの玉川上水左岸を歩く。

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 一橋学園駅は旧高等商業学校の予科があった場所で、昔は小平学園駅と一橋大学駅があった。結局、それぞれの駅が近すぎたために一橋学園という名前の駅になったんだが、つまりこれは「一橋大学のための駅」っていうことではなくて、「小平学園」と「一橋大学」が一緒になった駅なので、それを合わせた駅名ってことなのだ。

 この「小平学園」っていうのは、西武鉄道がこの地に学校を誘致して学園都市として開発しようとしたところからこの名前をつけたらしいんだが、結局、小平学園には学校は来ず、お隣の一橋大学駅の方に大学が来てしまったっていうことらしい。まあ、一橋大学が来たんだからいいか、ってところですね。

 地名にはいまだに「学園」っていう名前がついているのは、まあ、大泉学園と同じ。

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 この辺りの玉川上水の脇道は、川から見て右岸が途中まで五日市街道、左岸が遊歩道になっていて、さすがにウィークデイの五日市街道はトラックなどの往来も多く、歩くのは木陰になる左岸の方である。

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 実は右岸の五日市街道は、私が上石神井に住んでいた頃の自転車トレーニングコースで、上石神井から武蔵関の先で五日市街道に入り拝島まで行き、拝島から先はそのまま武蔵五日市まで行くか、北上して青梅方面へ行くかというコースを走っていた。

 まあ、武蔵五日市とか青梅の先は上り坂になるので、あまりその先へは行かず、その辺で一休みした後はスゴスゴ帰って来たわけです。

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 一橋学園から数キロ行けば津田塾大学があって小平中央公園に至ります。

 この小平中央公園って築山なんかがあって、「えっ? この築山ってもしかしたら本丸跡? もしかしたらここは昔の城?」という期待を抱かせるのだったが、残念ながら城跡ではなくて、まったく新しく作った公園らしい。

 う~ん、ちょっと残念!

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 で、この小平中央公園のすぐ脇が鷹の台の駅。

 1時間から1時間半くらいの行程なので、誰でも気楽に歩ける散歩コースです。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f1:4 @Kodaira ©tsunoken

2018年7月11日 (水)

JPXよりは兜神社だし、小網神社の銭洗いだよなあ

 一昨日はK談社のOB会である社友会の「名所散策と飲酒座談会」があって、その『東京証券取引所見学&兜町界隈街歩き』っていう催しがあってそれに参加したんだが……。

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 主催者の方には申し訳ないけれども、正直言ってこの企画自体には興味が全くわかなかったんですね。何故か? って、この辺はしょっちゅう歩いて回っている場所なんですよね。

 まあ、いろいろあって、そんなもんで、今回も参加したんだけれども、でもねえ、兜町でしょ。

 JPXの中には入れたっててのはいいんだけれどもねえ。実はそのことで何かがわかることっていったら何もないんですね。

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 まあ、以前はこうした「(昔の)場立ち」があって、じゃあ、場立ちを見ていれば株の動きがわかるのかっていうと、……本当は全然そうじゃなくて、結局は相場の動きがわかるのは証券会社の表示なんですね。そう、場立ちを見ても雰囲気だけで別に意味はない、ってことなんですね。

 なので、今こそまさに、JPXで、つまりは「現在は単なるコンピュータの掲示画面」を見るだけなんだけれども、何がこれが面白いの? ってなもんですね。家のコンピュータでも同じ情報を得ることが普通に出来ちゃう時代に、まあ、対メディア向けの画面造りのためのことをやって意味があるのかな、ってな問題もあるんだろうけれども、まあ、その位の意味しかないんだろうな、こんなディスプレイは。

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 ってなもんで、面白いのは「疑似証券取引ゲーム」ができるブースがあるんですね。

 でもねえ、「ゲーム」は「ゲーム」なんですよね。自分のお金を使っているわけではない。

 株取引は実際に自分でお金を賭けてやんないと意味はないわけだと私は思う。先に「賭けて」という言葉を使った通り、まあ株取引は「ギャンブル」なんですね。えー、JPXは「株は賭けじゃない」って言っていますけれども、私ははっきり言います。

「株は賭け(ギャンブル)です」

 でも、ギャンブルには絶対勝てる方式があるんですね。それはなにか……

「賭けるのは本命だけ」

 なんですよ。そう「一発逆転」なんてものを狙っちゃいけないってのがギャンブルの基本。

「あんまり儲からないんじゃないかよ」

 ってご意見もあるでしょうが、でも1万円だけを賭けて、1円儲けたあなたと1000万円をかけたAさんとでは、当たった場合の実入りでいれば、1000倍の違いがあるってことですよね。

 まあ、単なるそういうことだけ。

 なので、私としてはそういうほうじゃなくて、小網神社で銭洗いをしたり……

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 JPXの受付で(なんと本来売っているのは自動販売機)もって「兜神社」のお守りを買ったんだけれども、どうなんだろうか。

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 まあ、儲けるのも、損をするのも、本人の器量だといってしまえばその通り。

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 所詮、「結果」なんですよね「結果」

 バカみたい。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f1:5.6 @Chuo ©tsunoken

2018年7月10日 (火)

ラクロス、レギュラーシーズン開始!

 早くもラクロス秋季リーグ戦がスタートした……、と言っても実は既に6月の終わりにはスタートして、だいたい10月ごろにはレギュラーシーズンが終了し、ポストシーズンが始まって、12月にすべてのスケジュールが終了というのが例年の流れ。

 ちょっと秋季リーグ戦というと早いような気がするが、逆に全日本選手権からの逆算するスケジュールからするの、このスタートの早さというのも、まあ、仕方がないのかな。

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 私が応援しているのが、この東社会人リーグのチャンピオンリーグ2部のデサフィーオというチームなんだが、この「東社会人リーグのチャンピオンリーグ2部」って名前は立派なんだけれども、所属チームはというと「アドバンス・ハングロース」「ラガマフィンズ」「東京ラクロスクラブ」とデサフィーオの4チームだけ。

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 で、その4チームが2試合ずつ行って全体の優劣を決めて、ポストシーズンゲームに入る。面白いのはポストシーズンの結果次第では2部でも全日本選手権に出られる(あくまでも「理論的には」ですけれどもね)ということ。

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 どうせそうなら、ここは東京六大学野球や東都大学野球みたいな、各チーム先に2勝したほうに勝ち点が付くという方法にすれば、試合数も増えて選手的には面白いんじゃないかとも思うんだけれども、どうなんだろうか。

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 ともあれ、とりあえず既に秋季リーグのシーズンは既に開始して、私が推しているデサフィーオも、6月30日、初戦の対ラガマフィンズ戦は15対6で圧勝、しかし、7月7日の対東京ラクロスクラブ戦は5対6で惜敗という微妙な状況。

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 まあ、所詮は社会人ラクロスなんて、大人の日曜日の早朝野球みたいなもんで、多分、参加している人たちの楽しみと言えば、試合が終わった後の「反省会」と称する宴会で、いろいろゲームの内容をネタに飲酒をするってなもんでしょ。

 そんな意味では、若干とも悲壮感を漂わせていた学生ラクロスの時代とは我々の受け取め方も異なるってわけで、まあ、それもいいのかなあ。

 まあ、親としては別にあまり応援しなくてもよくなったので、ラクですけれどもね。

NIKON Df AF NIKKOR 80-200mm f1:2.8 ED @Edogawa ©tsunoken

2018年7月 9日 (月)

休日の兜町から築地へ

 平日はビジネスマンでごった返しているであろう街を休日の閑散とした雰囲気を味わいながら歩くのは悪くはない。

 とは言うものの、丸の内辺りはショッピング街にもなってしまっていて、休日は休日としての街歩きをしている人が多くて、「休日の閑散とした雰囲気」を味わうというわけにはいかない。で、昨日は茅場町から兜町、築地周辺を歩いてみた。

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 兜町周辺は本当に閑散としていて、ウィークデイの人出の限りなんかは想像できないほどだ。山王日枝神社なんかもあるんだが、まったく人影は見えなくて、ただただ宮司さんなんかが暇を持て余している。

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 実はこの東京証券取引所の前から築地方面へ行く道は「平成通り」っていうんだが、当然この道は平成以前からあったわけで、何故、道の名前だけが平成なのかが良く分からない。

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 途中、八丁堀辺りにはnichido contemporary artというのがあって、日動画廊の現代美術専門の画廊らしい。「ほ~、こんなものが……」っていうのは、なかなか普段は気が付かないもので、さすがに休日の閑散として街歩きならではある。

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 街歩きの終り頃になると築地に出るんだが、そこにはご存知電通ビルがある。が、すでに電通本社は汐留に移ってしまっており、この電通ビルには電通テックなどの電通の子会社が入っていたようだが、それらも既に退去してしまい、もうすぐ解体して新しいビルに衣替えするらしい。

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 私が現役サラリーマン時代は「築地に行く」と言えば、それは「電通に行く」ってなもんで、メディアで仕事をしている立場としては、それはそれは大きな存在だったんだ。

 電通がブラックだのなんだのって話があるんだけれども、別に昔から電通の人やマスコミの人間の働きかたが違っていたわけではない。ではなんで、昔は心を病む人とか、自殺しちゃう人なんかが出てなかったのか? まあ、これは想像するに、要は結構みんな「手を抜くべきところは手を抜いていた」んでしょうね。

 一見「モーレツ」なようでいるんだが、実はそうでもない。それが本当の電通マンの姿だったんだ。まあ、自殺しちゃった電通レディの人は、ものすごく真面目な人だったんでしょうね。「手の抜き方」を知らないっていうか、「手を抜くのが嫌い」だったのか、いずれにせよ「そんな姿を人に見せるわけにはいかない」って感じで頑張っちゃったんじゃないでしょうか。

 でも、私が知っている電通マンが普通の電通マンじゃなかったらごめんなさいなんだが、「なんでぇ、『電通鬼十則』ったって、こんなもん?」って感じで『電通裏十則』ってのがあったんですね。

『電通鬼十則
1. 仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
3. 大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
4. 難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
5. 取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
7. 計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
8. 自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
9. 頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
10. 摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。』

『電通裏十則
1)仕事は自ら創るな。みんなでつぶされる。
2)仕事は先手先手と働きかけていくな。疲れるだけだ。
3)大きな仕事と取り組むな。大きな仕事は己に責任ばかりふりかかる。
4)難しい仕事を狙うな。これを成し遂げようとしても誰も助けてくれない。
5)取り組んだらすぐ放せ。馬鹿にされても放せ、火傷をする前に…。
6)周囲を引きずり回すな。引きずっている間に、いつの間にか皆の鼻つまみ者になる。
7)計画を持つな。長期の計画を持つと、怒りと苛立ちと、そして空しい失望と倦怠が生まれる。
8)自信を持つな。自信を持つから君の仕事は煙たがられ嫌がられ、そしてついには誰からも相手にされなくなる。
9)頭は常に全回転。八方に気を配って、一分の真実も語ってはならぬ。ゴマスリとはそのようなものだ。
10)摩擦を恐れよ。摩擦はトラブルの母、減点の肥料だ。でないと君は築地のドンキホーテになる。』

 ってね。まあ、この『裏十則』が電通マンの本当の姿なんですよ。少なくとも私の知っている限りは。じゃなきゃ、みんな擦り切れちゃうよ。

 その電通ビルももうなくなるのか。これは一つの感慨だな。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f1:5.6 @Kayabacho Shintomicho Hachobori & Tsukiji Chuo ©tsunoken

2018年7月 8日 (日)

『ツァイス紀行』の「ニューヨーク体験」……いいなあ、こういうの

『実は、今回のニューヨークの撮影は、話題の新カメラ「ツァイスイコン」による写真集というのが当初の計画であった。テストのカメラが間に合わないという事情で、ツァイスZMレンズでの撮影ということになった。ただし、ツァイスイコンは前回のフォトエキスポに展示品(実働品)があったし、2004年のエプソンR-D1の立ち上げの時には、私は無理を言って、その試作品を借り出している。今回、テスト機が借りられなかったのは、大胆な予想をすればそこには「大幅な手直し」があるのかも知れない。一番、分かりやすい生産者側の手直しというのはカメラの名前がかわることである。つまりツァイスイコンではなく「コンタックス〇型」として登場することだ。』

 というのは残念ながら当たっていなくて、まあ、田中氏にはその(コシナ製)ツァイスイコンの「大胆な手直し」の理由は分かっていて、そこは「大人の事情」で文章にはしなかったんだろう。

 まあ、そういう理由で「Carl Zeiss ZM Lens X Zeiss Icon」じゃなくて「Carl Zeiss ZM Lens X Leica」ということになったんだろうな。ちょっと残念な……、でも「写真はカメラで撮るんじゃない。レンズで撮るんだ」という、日々私が言っていることを、田中氏が実践しているっていうわけ。

Photo 『ツァイス紀行 Carl Zeiss ZM Lens X Leica in New York』(田中長徳著/枻文庫/2006年1月30日刊)

 ということで本書のまず最初に「ニューヨーク行のカメラとレンズたち」という紹介がある。

 カメラはライカM3、ライカM3オリーブ、ライカMD、ライカM2、コシナ・ベッサR3A、レンズはカールツァイスビオゴン28mmF2.8、カールツァイスビオゴン25mmF2.8、カールツァイスビオゴン21mmF2.8、カールツァイスビオゴン35mmF2.8、田中光学・タナー50mmF2、ニッコール135mmF3.5(ライカスクリューマウント)というラインナップ。要は、レンジファインダーカメラっていうのは広角用のカメラだってことですね。

Photo ©Chotoku Tanaka

 ただし、ニューヨークで購入した中古レンズなんかもあるし、本を読み進めるとエプソンR-D1で撮影に行くシーンなんかがあるのだが、もしかしたらそれはコシナ・ベッサR3Aの間違いかななんていう風にも思えてしまう。エプソンR-D1だと撮像素子がAPS-Cなので同じレンズを使っていても画角が変わってしまうので、ちょっとした注意が必要だ。写真家が撮影旅行の途中でそんな自ら間違いを犯すような機材選択を行うのだろうか。勿論、35mmカメラと6X6(あるいは6X7や6X9)などフォーマットの異なるカメラを同時に扱うということはあるだろう。ただし、それは明確にフォーマットが異なるということが前提になっているカメラの使い分けであるので、35mmとそれに近いフォーマットだとちょっと勘違いをしかねないという気がするのだが、どうなんだろうか。まあ、単なるシロートの余計なお世話であるのかもしれない。

 結局、コシナはカールツァイスのカメラとか、コシナ・ベッサも現在は製造していない。その裏側にどんな事情があるのかは私なんかの素人の知るところではないが、フォクトレンダーやカールツァイスのレンズは今でも製造しているんだから、別にカールツァイスとの会社同士の関係は別に悪くはなってはいないのだろう。だったらコシナ・ベッサも引き続き作ってくれればいいのに……、っていうのはウソで、本当はエプソンR-D1の後継機で、35mmフルサイズのレンジファインダー・デジタル(つまりR-Dですね)を出してくれればいいのにね、ってことなんだけれども……。

 本書は2005年4月12日から4月27日まで、カールツァイスの(ワイド)レンズでもってニューヨークを切り取るという企画でニューヨークを訪れた撮影行をまとめたものである。面白いのは「Manhattan Diary」というタイトルで4月12日から18日まで毎日つづられている日記が、何故か4月19日から26日までが欠落して4月27日になる全部で9つと、もう一つは、田中氏が1982年から1年間、そして1989年、1997年、2005年に訪れたニューヨークの思い出と、今回の訪NYなどをともに語るエッセイの部分に分かれていること。それが適当な配分で一冊の本の中に配分されているのだ。

 つまり、読む側としては、まずマンハッタン・ダイアリーでもって、文章と文章の間に掲載されている写真を見るわけだが、その次には通常のエッセイを読みながら、もう一度、同じ写真を見ることになる。

 えっ? そういう読み方はしない? う~ん、そうなのかなあ。しかし、私にとっては、やはり本を読むときの興味の持ち方からすると、まずダイアリーでもって、だいたいどんなニューヨーク行だったのかをつかんで、そののちにじっくりエッセイを読もうという気になるのだ。で、結果として写真を二度見るということになるのだ。いやあ、これはじっくり写真を見るのには結構使える方法なのだなあ。なんかこういう「分割した本の構成」というものを「写真集+エッセイ集」ではとっていただけると、読者としては「二度楽しめる」ってなもんで、コストパフォーマンスが上がりそうだなあ。

 しかし、数回、短期間滞在したというだけの私の乏しいニューヨーク体験では、じゃあ、本書を読んでニューヨークの実像(ったってそれはそれで私の体験ということでしかない)と、田中氏の見てきたニューヨークというものの、違う点と同じ点を見比べるなんてことはできはしない。更に、私の体験では、田中氏のようにWTCのツインタワーがあった頃と、なくなってしまったちょっと前と、7つもののWTCビルを再建建築中の現在などを比較することはできない。

 ただ、深夜仕事を終え、タクシーで帰宅する途中でWTCビルへのイスラム教徒の特攻を知り、その映像を見た時のショックだけは残っている。太平洋戦争中に生まれていた人たちにとっては当たり前のような風景であるかも知れなかった、「自らの国・都市が戦場になる恐ろしさ」というものを、私がいるのは別にニューヨークからはるか離れた東京なんだが、何故か戦慄を感じながら、そのニュースを見ていた。イスラムの人たちにとっては当たり前の「自分の町がよその国から攻撃を受けて戦場になる」体験を、生まれて初めて体験するニューヨーカーのショックぶりというものが、何故か共有できたような気がしたのだった。

 そんなニューヨーク体験をヴァーチャルで持てるかもしれないというのが、ニューヨークの(撮影者がだれであれ)写真集ではある。様々な写真家が出しているニューヨーク写真だが、そのなかの十分存在感のある一冊にはなっているのかなあ。

 というか、まあ、私はツインタワー亡き後のニューヨークは行ってないんだったなあ。久しぶりにニューヨーク行ってのもいいなあ。っていう、ニューヨークとかパリとかロンドンとかミュンヘンとかの「都会の写真」は私にとっては、まさしく「旅情を誘う写真」なんだなあ。

 まあ、モノクロでなかったのがちょっと残念なんだけれどもね。

『ツァイス紀行 Carl Zeiss ZM Lens X Leica in New York』(田中長徳著/枻文庫/2006年1月30日刊)

 

☆現在は新刊は手に入らないので、古本で買うか、枻文庫のサイトから電子版(PC、iPhone、Android それぞれあり。Kindle版はなし)で。

2018年7月 7日 (土)

今年も『ツール・ド・フランス(=寝不足)』の季節が始まった!

 いやあ、サッカーのワールドカップ・ロシア大会なんだけれども、日本はベスト16で終わったわけだけれども、よかったよかった。

 なあんて書くと袋叩きにあってしまいそうだけれども、自転車ファンにとっては、まあ、そんなところなんですね。

 なんでって? 昨日のチームプレゼンテーションに始まって、いよいよ今晩から7月29日まで、途中16日と23日の休息日を挟んで21日間、世界最大のスポーツ『ツール・ド・フランス』が始まるんですよう。

 いつもの年はもうちょっと早めに始まるんだけれども、やはりそこはサッカー・ワールドカップに遠慮して、少し時期を遅らせています。謙虚でしょう! え、違うでしょ! 単にテレビの視聴率の関係でしょ! って。まあ、それもありますね。

 もう、今晩から寝不足の三週間になるわけで、そんな意味ではサッカーの方が早く終わってくれて、よかったよかったってなわけなんですね。ご苦労さん西野監督。

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 ということで、昨日のチームプレゼンテーションをJ SPORTSでご覧になった人はご存知の通りなんだけれども、参加はワールドチーム18、プロフェッショナルコンチネンタルチーム4チームという、全22チームというスタイル。ワールドチームはUCI(国際自転車連盟)が認定するワールドチームからの選抜だし、プロコンはワールドチームからワンランク下なんだけれども、基本的に主催国チームを尊重して選ばれるフランスのチームだ。

 以前はワールド18、プロコン3の21チームだったんだが、何年か前から22チームの編成になった。

 その見返りっていうわけではないのだろうけれども、各チームの参加選手が昨年までの1チーム9名から1チーム8名に減らされることになった。

 9人から8人にメンバーを減らされて何が変わるんだろう、なんて我々素人は考えるんだけれども、トップチームとして見れば、かなり作戦に変更を要求されるらしい。スプリンター、クロノマン、クライマー、パンチャー、ルーラーというそれぞれの選手の脚質をどうやって組み合わせるかっていうときに「ああ、もう一人枠があれば」ってな感じらしいのだ。

 まあ、その辺も含めて、各チームの作戦を読むのもツール序盤の楽しみ方だろう。今年はプロローグはなしで、第一ステージからマスドスタートのロードレースになるのもわかりやすくていい。

 出場するのはワールドチームは以下の通り。

AG2R La Mondiale (アジェドゥゼル・ラ・モンディアル)
Astana (アスタナ)
Bahrain-Merida (バーレーン・メリダ)
BMC Racing (ビー・エム・シー・レーシング)
Bora-Hansgrohe (ボラ・ハンスグローエ)
Groupama-FDJ (グルパマ・エフデジュー)
Lotto-Soudal (ロット・ソーダル)
Mitchelton-Scott (ミシェルトン・スコット)
Movistar (モビスター)
Quick-Step Floors (クイックステップ・フロアーズ)
Dimenshon Date (ディメンション・データ)
EF Education First-Drapacu (イーエフ・エデュケーション・ファースト・ドラパック)
Katusha-Alpecin (カチューシャ・アルペシン)
Lotto NL Jumbo (ロット・エヌエル・ユンボ)
Sky (スカイ)
Sunweb (サンウェブ)
Trek Segafredo (トレック・セガフレード)
UAE Emirates (ユーエーイー・エミレーツ)

 これに挑戦するプロコンチームは以下の通り。

Cofidis (コフィディス)
Direct Energie (デイレクト・エネルジー)
Fortuneo-Samsic (フォルトゥネオ・サシック)
Wanty-Group Gobert (ワンティ・グループ・ゴベール)

 まあ、さすがにツール・ド・フランスだけあって、結構豪華なチームが揃っている。ただし、私たち日本人にとってはちょっと残念なのが、日本人選手のエントリーがないことだ。

 トレックはエントリーしているんだけれども、別府史之の出場はなし。バーレーン・メリダも新城幸也はツァー・オブ・ジャパンの怪我が完全に治っていないということで出場は見合わせ。

 ということなので、J SPORTSの中継でも、どこに別府がいるのかな、どこに新城が映っているんだ! なんてテレビ画面を探す必要はないのであります。まあ、そういう意味では、誰が勝ってもいい、みたいな気分で見ていれば、途中で寝ちゃっても、まあ別に損した気にもならないか、ってな。ツール・ド・フランスなのであります。

 今年は。

 日本とフランスの時差は7時間なので、基本的に日本時間の夕方スタート、深夜フィニッシュというスケジュールで行われるレース。、まあ、サッカー・ワールドカップほどじゃないけれども、夜更かしにはなります。おまけにそれが三週間続くんだからね。

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 とりあえず、今日の第一ステージは午後5時35分から、完全生中継で行われるようだが、第二ステージからは午後9時頃から、前半ハイライト、後半生中継といういつものスタイルで中継をします。

 いやあ、今日から毎年恒例、寝不足の7月の始まりだ!

Photo ©tsunoken

2018年7月 6日 (金)

『NIKON F 展』が昨日から始まったんだが……

 昨日(7月5日)から、目黒区祐天寺のギャラリー「Paper Pool」で、共同写真展「Ex. F vol.2」というのが始まったというので見に行ったんだが……。なんか、ギャラリーが見つからなかったんだよね。

 東横線の祐天寺駅前と言えば、私にとって大きな存在はこの「王様書房」なんですね。

「何が王様なのか?」と言えば、実は店主という社長というか、まあ親爺さんが「王様」みたいな人なんですね。お客さんに対してはそうじゃないと思うんだけれども、我々出版社の人間に対してはまさしく「王様」みたいな対応をするっていう、まあ、ある意味で、実に正しい人なんです。

 ちょっと前までは東京都の書店組合の重鎮だった。見た目は飄々とした人物なんだけれども、交渉者としてはなかなかの人ではありました。

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 で、その王様書房の前を過ぎてほんの数分行くと左側に1階が店舗になっているマンションがあるんだけれども、見えてる部分の奥の方、駐車場のサインがある場所の手前が「ギリギリカフェ」というイタリアレストランが入っているビルの2階にあるのがPaper Pool。

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 実はこのPaper Pool 「 gallery, darkroom and Cafe Bar 」っていうだけあって、まあ「darkroom」に関しては営業時間はあまり関係ないんだろうけれども、「gallery」と「Cafe Bar」は、まあね、店員が来ないと開けないってもんで、基本的に「木曜日:18:00~22:30/金曜日:18:00~22:30/土曜日:15:00~22:30/日曜日:12:00~18:00」っていうパターンで営業を行っているらしい。

 つまり、私は写真展初日に行ったんだけれども、普段のビヘイビュアとして初日の午後に見に行こうとしたら、とんでもない、まだまだ開店までには時間があった、ってことなのでした。

 なので、下の二枚の写真は私が撮ったんじゃなくて、Paper Pool サイトから持ってきた写真。まあ、上の写真がそのPaper Pool の内部なんだけれども、こんな感じでウィスキーなんかの舐めながら自分の写真を見るっていう格好の、まあ、他人よりは、写真を撮った自分自身が自己満足できる酒場なんだな。

 まあ、それは当然、自分で(ここの暗室で)モノクロ・ネガから感光紙にプリントして、出来上がったプリントを(この店に自分で飾って)見ながら、スコッチかバーボンを舐めるっていう流れで楽しむのが、ここの店で一番上質な楽しみ方なんだろう。

 いまやアナログ・モノクロフィルムで撮影しても、プリントはデジタルっていうのが普通になってしまっている。なんて言っている私も、作品をプリントして発表する場合は、すべてデジタルだもんなあ。それを「露光」しても、まだどうなっているかは分からない「印画紙」を、現像液に浸しているうちに見えてくる画像。それを見ながらちょうどよいタイミングで定着させ、水洗いして仕上げるのがアナログプリントだ。

 う~ん、そうやって写真と格闘すると、終わった後はちょいと一杯やりたくなるんだろう。

 で、バー・タイムなんですね。わかるわかる。

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 ここに出品している皆さんがみんな、ここの暗室で焼き付け(プリント)を行ったのかは知らないけれども、作品出品しているのは以下の人たち。

『Ex. F vol.2』

◎前期(7月5日~15日)
赤山シュウ/伊藤一宏/大村竜也/荻野学/伽賀隆吾/加藤輝和/小林幹幸/近藤仁/土屋利昭/檜林洋介/柊サナカ/マエダトシヤス/松下大介/Chikashige Yukiya/Douchi Kuniyuki/Kiwako Uchino

◎後期(7月10日~29日)
相磯征正/青山史子/赤城耕一/足立和愛/一色卓丸/内村コースケ/大村祐里子/大沼秀麗/河田力也/真かずい/寺西朋美/森山敬互/森悦克/山内均/与呉鋭機/Akihito Tasiro

 赤城耕一氏が入ってるってことは、要はこれは赤城耕一一党の集まりだってことなのか。う~む、それはそれで楽しそうだな。

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 作品展のタイトルは『Ex. F vol.2』。つまり、ニコンのF、F2、F3で撮った写真だけの作品展ってこと。つまり、私の場合はアナログニコンとしてはF4とNew FM2しか所有していないので、出品資格はないってことですね。ニコンF、F2、F3ってことは、要はオートフォーカスが導入される前のフラッグシップ・ニコンっていうこと。う~ん、でもニコンF3にはF3AFっていうオートフォーカス機構を持った発展形のカメラとAFレンズがあったんだけれどもなあ、それは無視ですかね。

 営業時間は分かったので、今度もう一度行ってみよう。

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 祐天寺の駅から学芸大学方面へ進むと、こんな「五本木庚申塔群」なんて遺構もあるんだ刈れども……、それは別の機会に……。

2018年7月 5日 (木)

『品川台場土取場跡』というのは、もうなくなっていた

 京浜急行の北品川駅の前にあるのが、芸能人を数多く輩出していることで有名な品川女学院。その品川女学院の脇の道を上がっていくとあるはずなんだけれどもなあ。

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 品川女学院の脇の道というのが、この「御殿山通り」という道。読んで字のごとし、品川女学院から御殿山方面へ上がっていく坂道があり、そのまま品川女学院の脇を通り過ぎると、東海道新幹線、横須賀線、東海道線、山手線、京浜東北線という東京の大動脈とでも言うべき路線の跨線橋があるのだけれども、実はそこまで行ってしまうと、行き過ぎ。

 で、そこから戻ってきて品川女学院の本校舎と裏手の校舎の間の道と御殿山通りとの交差点辺りにあるはずなんだけれどもなあ。「品川台場土取場跡」っていうのが、Google マップでは……。

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 下の写真の辺りがそこ。しかし、周辺を見回しても、碑だとか説明板だとかっていうものも何もない。う~ん、これじゃあGoogleマップが正しいのか間違っているのかが検証できないじゃないか。まあ、別に検証なんてしなくてもいいけど。

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 御殿山の説明板にはこうある。

『御殿山は、長禄年間に太田道灌の館があったと伝えられています。また、江戸初期に将軍の狩猟の休憩所や諸大名の参勤送迎のために御殿が建てられたところからこの名が付けられたと言われています。また、将軍家光・小堀遠州・沢庵和尚が茶の湯に興じた風雅の地でもあり、寛文前頃から吉野桜が植えられ、江戸百景の一つに数えられるほどの花見の名所となり、享保6年には狼藉を禁ずる制札が立てられるほど花見客でにぎわったそうですが、嘉永6年の品川砲台(台場)構築と明治期の東海道本線敷設により一部が掘削され昔の面影は失われました。江戸末期には英国公使館が建てられ、文久2年、高杉晋作らの長州藩士攘夷派による焼討ち事件の舞台ともなりました。明治期には西郷従道、その後戦前までは益田孝らの政財界人の邸宅もありました。』

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 確かに、この大きさの山ならば東京湾のお台場を作るくらいはできそうだが、結局、当初第八台場まで築造する予定だったんだが、結局、御殿山のふもとに第四の台場を作って全部で七つ、海の上には六つ作っておしまいになってしまった。

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 まあ、結局は品川女学院の脇だけじゃなくて、御殿山全体がお台場のために土砂を採取したのであって、海に近い、品川女学院あたりで船に積み込んで東京湾に運び出したってことなんだろうなあ。

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 で、実はここ数日はニコンDfに28mmや35mmのレンズで撮影をしている。これまで通常は20mmがデフォルトだったんだが、やはり一眼レフだったらきっちりとしたフレーミングもできるし、本来的にはあまり「超広角レンズ」向きではないのかな。

 ということなので、21mmより短い超広角レンズはレンジファインダーカメラて適当なフレーミングで撮影して、28mm以上の「普通のレンズ」は一眼レフっていう使い分けをしたほうがよさそうだ。

NIKON Df AF NIKKOR 35mm f2 D @Goten-yama Shinagawa ©tsunoken

2018年7月 4日 (水)

世田谷奥沢の馬頭観音と新奥沢駅跡

 暑い日は外を出歩きもっと暑くなっちゃおう、ってなもんで午前中に千駄木で用をすましたのちは、そのまま東京メトロ南北線に乗って大岡山まで。

 大岡山と言えば当然東京工業大学の話をしなければならないわけだが、残念ながら今のところその持ち合わせがないので、東工大はスルーして、中原街道まで出てきたわけです。

 大岡山駅前には東工大と逆の方向に、如何にも地域にそぐわない感じの下町風の商店街があって、それはそれで面白そうなのだが、それは別の機会に譲って、今日は東工大の前を進んで中原街道へでて、洗足池方面とは逆に川崎方面へ進むと、自由通りの最後に出るので、そこを北進して奥沢駅方面へ向かいます。

 自由通りと中原街道の交差点付近には、それまで暗渠の下を走ってきた呑川が、東工大を過ぎたあたりで再び地上に出て、そのまま蒲田方面へ進むわけです。昔はここまででも結構広い川だったらしい呑川なんだけれども、現在はそれほど広い川ではなくて、蒲田駅あたりからかなり広い川になる。

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 で、自由通りを深沢駅方面へ「登る」。まあ、この辺は多摩丘陵の一番外れの部分で、様々な崖線があって、要はそこを上ったり下りたりする道がとても多い。

 で、その上り下りの多い地形から、この地域が古くから住宅地として発展してきた、という背景もあるのだ。つまり、土地の低い場所は池や公園にして、住まいは高台の上に置くという考え方ですね。このあたり「高台と低地の境目」を走っている、東急の目黒線や池上線周辺などの沿線を歩いてみると、その「境い目」ってのがなんとなく見えてくるってのも面白い。

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 で、自由通りを奥沢方面へ進んでいくと最初に出くわすのが、東玉川にある馬頭観音なのである。

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 馬頭観音自体は別に「馬」とは関係ない観音様のひとつなんだけれども、まあ、なまじ「馬頭」なんて名前がついちゃったんで、結局「馬の神様」みたいになってしまったんですね。

『「馬頭」という名称から、民間信仰では馬の守護仏としても祀られる。
 近世以降は国内の流通が活発化し、馬が移動や荷運びの手段として使われることが多くなった。これに伴い馬が急死した路傍や芝先(馬捨場)などに馬頭観音が多く祀られ、動物への供養塔としての意味合いが強くなっていった。特に、このような例は中馬街道などで見られる。』(Wikipedia)

 ほら、こんなところで「中原街道」が。現在はお屋敷町のひとつに数えられている奥沢だけれども、まあ、昔は結構「田舎」だったんですね。

 で、田舎と言えば、それとは関係なく、下の写真ってなんだかわかりますか? 4台駐車しているクルマの右側にある碑なんですけれどもね。まあ、分かんないか。

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 実は「新奥沢駅跡」っていう碑なんですよ。

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 東急目黒線の前身の東急目蒲線の前身の目黒蒲田電鉄っていう会社があって、そこが新深沢線という路線を作って、「雪が谷(現在の雪が谷大塚)-諏訪分-新奥沢」っていう超ローカルな電車を走らせたらしい。

 結局、諏訪分駅を利用する田園調布学園の生徒ぐらいしか利用者がいない電車で、じきに東京急行に吸収されてしまい、新深沢線は廃止、目黒蒲田電鉄は多摩川園(現・多摩川)駅経由の東急目蒲線になったっていうわけ。まあ、実はそんな単純に「新深沢線」が「目蒲線」になってていうわけじゃない、経緯があるんだけれども、それはまたいずれ。

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「山の手」と思っていた世田谷区深沢近辺なんだけれども、いやいや、さすがに「町に歴史あり」なんですね。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f2.8 D @Higashi Tamagawa & Okusawa ©tsunoken

2018年7月 3日 (火)

「松原団地」がいつの間にか「獨協大学前」に

 東武伊勢崎線の松原団地駅は1962年に開業した、東武伊勢崎線としては一番新しい駅ではないだろうか。その松原団地駅が昨年名称変更をして「獨協大学前(草加松原)」となった。

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 松原というのは国指定の名勝地『おくのほそ道の風景に旧日光街道の松並木「草加松原」』の松原ということで有名なんだが、だからといって松原団地駅が名称変更になったという話は聞いたことがなかった。

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 草加市に「松原団地」ができたのは1962年のことで、獨協大学がこの地に開学したのが1964年だから、団地の建設よりは遅い。ということで一足早く団地名が駅名になってしまったっていうわけ。

 それが老朽化のために建て替えの話が出たのが2003年のこと。2005年から再開発に着手し、その後、分譲したりデベロッパーに販売した場所を除き、大半はコンフォール松原というUR賃貸住宅となったのである。

 で、もはや「団地の町」ではないし、草加市や東武鉄道としても「団地の町」よりは「学園都市」として街を売り込んだほうがよかろうということで、獨協大学駅に名称変更、更に国指定の名勝地である松並木も入れちまえってことで、括弧つきで「草加松原」を入れたのであります。ま、ちょっと欲張り?

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 駅のそばのマンション群の一角には「草加松原団地三町稲荷神社」というのがひっそりと建っている。特に神社の由来書などはないのだが、神社わきの石碑に「土地寄贈」として「日本住宅公団」「飛島土木」の名前が記されている。そうか日本住宅公団が企画して飛島建設(「飛島土木」というは飛島建設の旧称)が造った団地なんだな、というのがわかる。

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 この小さな神社も、多分、以前は田んぼの真ん中にある小さな祠だったんだろう。それを残しておくのが如何にも日本ですね。

 マンション群の外れには「松原団地記念公園」というのもある。

『この公園名の由来となった「松原団地」は、1961(昭和36)年12月から1964年(昭和39)年にかけて、当時の日本住宅公団が建設した団地で、かつての広大な水田地帯に、敷地面積54ヘクタール、324棟5926戸が建設されました。1962(昭和37)年12月から入居が開始され、建設当時は「東洋一のマンモス団地」と呼ばれ、正式名称は、草加松原にちなみ「草加松原団地」とされました。
 入居開始から40余年がたち、建物の老朽化や住宅需要の多様化に対応して居住水準の向上を図るため、独立行政法人都市再生機構と市が協力し、安全・快適な住宅市街地整備を進める中で、同機構では、2005(平成17)年5月から建替事業に着手しました。団地名についても、「草加松原団地」から「コンフォール松原」に変わりました。
 市では、この建替に合わせてこの公園を整備し、かつての松原団地を記念して公園名を「松原団地記念公園」と命名しました。』

 というのが、この公園の説明書き。

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 で、松原団地(じゃなくて「コンフォール松原」か)の向かいにある川(名前は分からない。東京と埼玉の間を流れる毛長川や綾瀬川の支流)の向こうが獨協大学です。ちゃんとあります。

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 確かに、駅から降りてくる人を見ていると、若い人の大半は獨協大学の学生のようだし、まあ、「獨協大学前」の方が今ではしっくりくるかなあ。

 昔、東武線沿線に住んでいた身としては、やっぱり「松原団地」の方が通じやすいんですけれどもね。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Soka ©tsunoken

2018年7月 2日 (月)

そもそも……、なんだってんだよ

 私が写真を始めたのは、小学校5年生の頃だったと思う。通っていた小学校に「写真クラブ」というのができた時に、興味を持ったのが切っ掛けだったのではないだろうか。

 多分、新たに赴任してきた教師がたまたま写真マニアで、自分で現像焼き付けなんかをやっていた人だったのではないだろうか。まあ、当時はモノクロ写真を自分で現像をする人は多くて、別に珍しいことではなかった。

 勿論、その写真クラブも自分で撮影してきたフィルムを、自分で現像して、自分で焼き付けて……、てな具合にすべて自分でやるっていう、当時としては当たり前の存在であったわけである。写真は撮ればそのまま画像になっちゃって、加工もできるし、そのままネットで送ることもできるっていう時代ではなかったんですね。まさしく「写真の黎明期」に立ち会っていたようなものです。勿論、既に「写真術」が完成されてから既に100年以上たっているんですけれどもね。

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「写真クラブ」に入ったと言っても、私自身がそれまでカメラに触ったことはほとんどなかったと言ってよいだろう。多分、叔父のカメラを少しばかりいじったことがある程度だったんではないだろうか。

 なので、写真クラブに入るためにカメラを買ったわけであるのだが、当然、大人が使うようなカメラを買ってもらうわけにはいかなく、しょっちゅう出入りしていた模型屋さんの店頭にあったカメラ、つまりほとんど今でいう「トイカメラ」みたいなものであるけれども、見た目はいかにもライカ風の、でも絞りは「大」と「小」、シャッタースピードは「普通のシャッタースピード」と「バルブ」しかないような、完璧な「オモチャ」のカメラではあった。

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 友人に八百屋の娘がいて、その子が多分親父のカメラを持ち出したんだろうけれども、生意気にも一眼レフのペトリV6なんかを撮影に持ってきたのには、結構嫉妬を覚えたものだった。

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 それでも当時既にフジフイルムの技術力はすごかったんだろう、そんなカメラであっても光の方向などをキチンと設計すれば、結構、ちゃんと写ったのである。当時は、ネオパンSSが出て、いよいよ写真フィルムもISO100が標準になった頃だった。現在のデジタルカメラのラティテュードは相当なものがあって、ほとんどリバーサルフィルムと変わらないほどにはなっているが、当時、既にモノクロ・ネガフィルムでは現在のデジタルカメラと同等以上のラティテュードを獲得していたのである。

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 そんなオモチャみたいなカメラで私は何を撮影していたのかと言えば、それがマトモな風景写真ばっかりじゃなくて、むしろ血道をあげていたのは「特撮」なのであった。

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 例えば、二重露光でもって、本来は見えないはずのものをいかにも撮影しました的な映像を作ろうとしたり、窓ガラスにUFOなんかのイラストを貼り付けて、それをバックの風景と一緒に撮って、「UFO写真の撮影に成功!」なんて大嘘をついていたりしていた。

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 その後、中学後半や高校生になってからは映画にのめり込み始めるんだが、そのきっかけっていうのがクロード・ルルーシュの『男と女』という映画のプログラムにルルーシュの自画像が載っていたんだが、要はそれはルルーシュが自らカメフレックスを手持ちでかかえて映画を撮影している場面なのだった。「うわっ。映画監督って自分でカメラを構えたりするんだ。カッコイイ。」っていうものなんだが、それは後日分かったんだけれども、そのスチールは、あくまでもリハーサルのときにカメラアングルを確認するためにやっていただけで、実は本番撮影はちゃんとカメラオペレーターが撮影していたのであります。当たり前だよね。監督が自分で撮影までやっちゃったら、撮影現場全体を見ることができなくなってしまう。

 で、結局、私にとっては「写真はモノクロ」というのが原点だったし、映画を見始めたのもハリウッドじゃなくてヌーベルバーグやシネマヴェリテだったので、これまたモノクロ映画が多かった、っていのもあるんだろう。

 ということなので……。何故か、モノクロ写真って落ち着けるんですね。

 って、なんだそんなことを言いたくて、延々と駄法螺を吹いていたっていうわけですね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 ©tsunoken

2018年7月 1日 (日)

東京周縁部を往く・狛江市野川緑地公園

 狛江市については2015年10月25日に「狛江古墳群を往く、はずだったんだけれどもなあ」で一度書いたことがある。基本的には国分寺崖線に沿って流れていた野川が多摩川へ注ぐのが世田谷辺りで調布市、狛江市というのがその沿線のはずだったんだけれども、今は野川は狛江市を流れてはいない。それは何故か? というのが本日のテーマ。

 別に、狛江市だけがなんで都下なのに電話局番(03)なんだ、っていう話ではありません。たまたま、世田谷の電話局(当時はNTTじゃなくて「電電公社」の時代ですからね)の管轄の問題だけで、たまたま狛江市が「世田谷のついでに(03)になっちゃった、っていうだけなんですね。

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 それはいいとして……

 小田急線狛江駅を降りて市役所方面へ進むと道のわきにあるのが「駄倉橋跡」という碑と狛江市の説明板。つまり、この辺りには六郷用水というのが流れていて、そこにかかっていた橋が駄倉橋というわけ。うん、やっぱりこの辺を川が流れていたんだな。

 駄倉橋跡のすぐそばのマンションの一角に「駄倉塚古墳」というのがあるんだが、今回は古墳巡りではないので、とりあえずオミット。というか入れないので、無視。

 で、狛江市役所まで行って、その脇を通っていくと、その先から始まっているのが「野川緑道公園」なんですね。、

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 ほら、あったでしょう。野川の痕跡が。

 実は、野川というのは昔は調布市から狛江市を通って世田谷の方へ流れていて、その後、多摩川に注いでいたのである。六郷用水というのは、この野川から分かれた川で、この一帯、野川以外にも野川の支流のような感じで多くの川が流れていたらしい。

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 野川は昔は「大川」と呼ばれていて、夏などは子供たちの水遊び場になっていたらしい。ただし、その後の治水問題や川の汚染問題などで川が整理されることになってしまい、旧野川は廃止され、現在も流れている野川を新たに掘削して、そちらに川を流すようにしたのだ

 で、その痕跡として狛江市に野川緑道公園を整備したのである。現在の野川も沿線に遊歩道などが整備されて、周辺の人々の散歩道として、あるいはサイクリングロードとして利用者が多いが、まあ、その原点というか何というか、ってな感じの道なんですね、野川緑道公園は。撮影したのはウィークデイのお昼ごろなのであまり人はあるいていないが、週末などになると、かなりの人が歩くんだろうな。

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 途中に100mごとに里程標(100mで里程標っていうのかどうかは分からないが)が置いてあったり、こんな昔の野川にかかっていた橋の名残なんかが残されていたりしている。

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 里程標もそろそろ2,000m位かなというところに小足立八幡神社というのがある。昔はこの辺りは小足立村と呼ばれていたそうで、その村社がこの八幡様だったそうだ。

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 で、小足立八幡神社からほどなく野川緑道公園は、対岸に神代団地を構える小金橋のたもとに出てくると、野川緑道公園は終了。つまり、ここから先は昔の野川と合流(?)するっていうことなのである。橋の手前の方が新たに掘削された現在の野川で、橋の向こう側が昔からの野川、っていうことなんだろうな。

 野川緑道公園の下を暗渠で旧野川が流れているのか、あるいは完全に埋め立ててしまったのかは分からなかったが、いずれにせよ、昔の川の痕跡だけは見つかったので、とりあえず取れ高OKかな。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Komae ©tsunoken

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