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2018年6月12日 (火)

駿府城と静岡市

 何年振りかで静岡へ行った。

 町自体の造りとか雰囲気は、昔私がよく行っていた頃からはあまり変わっていないのだが、その町を構成する店のあり方なんかは随分変わっている。というレポートの前に、とりあえず静岡という街についてのご紹介。

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 静岡駿府城と言えば徳川家康が将軍職を二代将軍秀忠に譲ってからは、ここ駿府城に住んで「大御所政治」を行った場所として知られるが、元々は今川氏の館があったところ。勿論、今川氏が治めていた頃はまだ天守などはなく、今川館と呼ばれていた。

 もともと若い頃に今川に人質として囚われていた家康なんだが、長じて再びそこに住むということは、それだけ今川捕虜時代をそれほど嫌ではなかったということなんだろうか。天守や二重の堀ができたのは家康がこの城を手に入れてからのことであった。

 ところが徳川歴代将軍は別に駿府には興味がなかったようで、徳川の(元)将軍が再び駿府に入ったのは、十五代慶喜が明治二年に大政奉還をやって自ら政治の表舞台から身を退いて、「長い長い余生」に入ってからのことであった。

 薩長の芋侍が始めた藩閥政治は、まだまだたかだか150年だが、徳川幕府の時代は300年も続いたんだぞ、というのが静岡市民と江戸町民の誇りか(?)。その最後の名残が静岡駅前にある。

 下の写真の「料亭 浮月楼」が、徳川慶喜が駿府に蟄居していたときの屋敷で、現在は慶喜が住んでいた頃に比べると随分狭くなっているが、料亭の座敷やレストラン、バーなど、今でも静岡の高級社交場として存在しているのはサスが。

 その後、慶喜は静岡からも追われ、東京の巣鴨や小日向に移り住んだのは有名な話。

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 で、静岡一番の商店街と言えば「呉服町」であります。

『呉服町は江戸時代の交通の大動脈「東海道」に面しており、多くの人が行き交う「賑わいの場」、「交流の場」でありました。東海道は、七間町を通り札の辻で高札を見てから呉服町四丁目に入り、六丁目まで進んだ後、伝馬町方向へと曲がるコースがとられていましたが、最初は、七間町ではなく、本通りを通って呉服町一丁目へと入るコースがとられていたようです。その時代から、呉服町は東海道沿いの駿府の中心商店街だったのです。』(静岡市の説明板より)

 いまから10年ほど前までは、この呉服町商店街が日本でも有数の人出を誇る商店街だったんだが……。というお話の続きは明日のココロだぁっ!

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 しかしまあ、お役人の考え方って昔から全然変わっていないんだなあ、という証拠。

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 別に駿府城の中に県庁を作らなくてもいいでしょ。

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 まあ、外堀と内堀の間で、天守閣なんかがあった場所ではないというところが唯一の救いなんだが、結局権力者なんてものはバカなもんで、結局。昔の権威にすがっちゃうんだなあ。

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 あ、上の写真は別に意味はありません。静岡雙葉学園の御堂です。実は、この学校も内堀と外堀の間にあるっていう意味では、東京は四谷雙葉学園と同じなんですね。さすがに姉妹校。って、何を言ってるんだろうね。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Shizuoka ©tsunoken

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