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2018年6月22日 (金)

水郷佐原は何で持つ?

 先週水曜日(6月13日)には、とりあえず潮来へ行こうとうことで家を出たんだが、潮来駅前からあやめ祭りに行く人たちのあまりの人出になんか気を削がれてしまい、元々、潮来のついでに予定していた佐原へ行った。

 う~ん、あんなにゾロゾロ一杯人が歩いていて、それであやめを見て何か面白いんだろうか? ってまあ、六義園の前に住んでいて言うことではないか。でも、私たちは六義園が人出でいっぱいになるときなんかは行かないもんね。やっぱり庭園ってのは、ひっそりしているときに行くもんですね。なんで、みんなそんなに人出で混んでいるときにわざわざ人ごみの中に行って、ゾロゾロ行列を組んで、たいして見られない花を見にいくんだろう。少しずらせば、あまり人出がない時のあやめなんかもゆっくり見られるのにね。

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 で、佐原であります。

 佐原はもう何度も来ている。「水郷の町」って言っても、べつに佐原の町の中に水路が巡らされているわけではない。小野川という小さな川が一本流れているだけである。が、同時にその川が町の歴史を形作っていったというのもある。

 町は川の両側に沿って発展してきている。

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 JR成田線の佐原の駅から少し歩くと小野川のたもとに出るわけなんだけれども、そこまで行くとやっぱりこの町は水路の発展とともに栄えてきた町なんだっていうことがわかる。そういう意味では「水郷」なんだろう。

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 佐原という町は香取神社とともにある町で、現在は香取市に入っているが、元々は佐原市として香取市とは別の町だった。ただし、成田や香取神社から利根川に出るための町として重要拠点だったし、銚子の手前の町として、佐原は利根川水運にとってはかなり重要な拠点だったと思われる。

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 その佐原に日本地図作成で有名な伊能忠敬が婿入りしてやってきたのは宝暦12年(1762年)、忠敬18歳の時だった。伊能家の家督を継いだ忠敬は名主として土地改良工事などで力を尽くし、寛政6年(1794年)50歳で隠居すると、翌年江戸に行き、測量技術などを学んだそうだ。

 いやあ、伊能忠敬といえば日本地図で有名なんだけれども、その仕事自体が完璧に「余生」の中で行われたっていうところがすごい。

Img0472

 伊能忠敬が日本地図作成の旅、それは蝦夷地の地図作成という名目で始められたんだけれども、その旅に出発したのは寛政12年(1800年)55歳の時だった。

 伊能忠敬の日本地図が完成したのは忠敬死去の1818年まで18年に及ぶ。

Img0612

 いやまあ、「人間五十年」と言われた時代、確かに50歳で隠居するのは分かるんだが、この伊能忠敬といい、徳川慶喜といい、なんか隠居してからの活躍が目立つってのも、なんともはや凄まじいものがあるなあ。

 のんびりブログなんて書いている場合じゃないぞ……、ってなもんか。

 っていうか、さすがにフルサイズ35mm(って、当たり前か)にウルトラ ワイド ヘリアー 12mmレンズはやりすぎだったなあ。

LEICA M6 VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 KODAK 400 TX @Sawara Katori ©tsunoken

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