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2018年6月16日 (土)

東京周縁部を往く・成増飛行場滑走路

 練馬区に光が丘団地ができて入居が開始したのは1983年のことだった。

Dsc_00022

 広大なアパート群で、出来た当初は「こんなに同じような建物ばっかりで、酔っぱらって夜中に家に帰って来た時に、自分が住んでいる建物がどこにあるのかわかなくなってしまうのでは?」なんて心配(?)もしたんだけれども、まあ、高島平団地だって松原団地だって同じようなものなんだから、まあ、それは杞憂ってもので、皆家を間違わないで帰れたらしい。

Dsc_00102

 で、この光が丘団地と隣にある光が丘公園って、もともとは飛行場だったっていうのは、今やあまり知られていない。

 下の写真にある団地の中心街のまっすぐなプロムナードが、実は「帝国陸軍成増飛行場」の滑走路だったんである。

Dsc_00192

 そもそものきっかけは太平洋戦争中のドーリットル中佐を隊長とする、米空母発のB25による東京府東京市、神奈川県川崎市、横須賀市、愛知県名古屋市、三重県四日市市、兵庫県神戸市を対象とした、それこそ「特攻的な空襲」があった。それに慌てた日本政府は首都空襲に対抗するための基地として成増飛行場を整備し、首都を爆撃するB29への特攻作戦を始めた。

 下の写真は、戦後米軍に接収されて「グラントハイツ」となり米空軍の家族たちが住む、居住区となった。私は「グランドハイツ」だと思っていたが、第18代アメリカ大統領のグラント将軍にちなんで命名されたらしく、「グラントハイツ」が正しい名前だと知ったのはつい最近のこと。

Photo

 写真の真ん中にある広くて真っすぐな土地が、もともと成増飛行場の滑走路だったところ。上の方は光が丘公園になっているのでいまや滑走路の跡形もないが、下の方がプロムナードになっている。

Dsc_00202

 1973年にグラントハイツがアメリカから返還になり、当時の東竜太郎都知事はすべてを居住区とする構想だったが、その後の美濃部都政になり北半分を公園とするように変更。その結果、居住人口は当初70,000人を想定していたんだが、実際にはその半分になってしまったらしい。

 団地ができて既に35年。町を歩くと高齢者の姿が目立っている。賃貸住宅の方は少しづつ入れ替えもあるようだが、出来て当初からの高齢化した居住者対策が現在の喫緊の課題のようだ。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Hikarigaoka Nerima ©tsunoken

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