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2018年6月11日 (月)

デビッド・ダグラス・ダンカン逝く

「ライフ」誌のカメラマンとして知られ、第二次世界大戦の降伏文書調印のミズーリ号艦上で署名の写真で有名な、朝鮮戦争やベトナム戦争の戦争写真で知られるデビッド・ダグラス・ダンカンが、南フランスの病院で逝去した。享年は102歳だったそうだ。

Rimg00032 『Photo Nomad デビッド・ダグラス・ダンカン写真集』(デビッド・ダグラス・ダンカン著/求龍堂/2003年12月6日刊)

 デビッド・ダグラス・ダンカンと言えば、日本のニコンを世界のニコンにした大立役者として知られている。

『ライフの報道カメラマンであった三木淳が、1950年のある日、敗戦後の日本を紹介するためにライフから派遣されてきたデイビット・ダンカン(David Douglas Duncan)とコーヒーを飲んでいた。三木は戯れに自分のライカ3Cに、友人が持っていたニッコール85mmF2をつけてダンカンを写した。ダンカンは「Oh Japanese Sonnar?」と笑っていたが、その時はそれほど関心を示さなかった。ところが翌日、引き伸ばして彼に見せると、ダンカンはびっくりした。これがあの時のニッコールかと信じられない風であった。

 三木はダンカンを連れて大井の日本光学をたずねた。出迎えた長岡正男社長は、投影検査室へ彼らを案内して、数本のニッコールレンズでチャートを投影して、解像度、収差などを確認させた。その優秀な値を目の当たりにして、ダンカンはびっくり、さらに自分のライツのレンズも試したが、ニッコールの数値がそれを上回ったのには信じられないという風情であった。彼はその場で数本のニッコールを買い求めた。

 そんなことがあってすぐ、1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発する。東京のタイム・ライフ支社は大忙しになった。カメラマン達は、朝鮮戦線で撮った写真を東京へ持ち帰り、三木達がそれを引き伸ばして、電送でニューヨークの本社に送る。1日の時差があるから、当日のニューヨークタイムス朝刊の1面を飾るのである。もちろんライフのクレジットを付けて。

 タイム・ライフ本社から問い合わせがきた。このレンズはいつものレンズとは違って大変シャープだ。一体何を使っているのだと。ダンカンは日本のニッコールだと返信した。ニューヨークタイムスが12月10日号でそれを大々的に報じて、ニッコールは一躍世界の舞台に躍り出た。ニコン神話の始まりである。この時ダンカンはライカ3Cにニッコールを付けて撮ったのだが、彼に続くカメラマン達は争ってニコンSとニッコールを買い求め、さらに評判を確固たるものにしていく。

 それまでは「安かろう、悪かろう」と言われたMade in Japanだったが、これを契機にそのイメージはがらっと変貌し、世界に冠たるMade in Japanとして羽ばたくのである。物作り日本の原点がここにある。』(「クラシックカメラ銘々伝」より)

Photo

 ニコンは当然のことながらダンカンへの謝辞を含めて以下のような弔辞をサイトにUPした。

デビッド・ダグラス・ダンカン氏のご逝去の報に接して
2018年6月8日
この度の訃報に接し、痛惜の念に堪えません。
ダンカン氏は1916年生まれ。アメリカの報道写真の第一人者であり、従軍写真家として太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争などを撮影、その作品はニューヨーク・タイムズ紙、ライフ誌などに発表されました。 またピカソの肖像写真の撮影でも知られています。
1950年、ライフ誌の写真家として来日した折、NIKKORレンズの高い性能を見いだし、ニコンが世界に認められるきっかけを生み出した、ニコンにとっての大恩人です。
その後も報道写真家として活躍するダンカン氏とニコンは、長きに亘って絆を深めてまいりました。ここにあらためて、享年102歳のダンカン氏が世界のジャーナリズムに与えた多大な貢献を称えるとともに、互いに一世紀以上を生き抜いてきた盟友として、心からのご冥福をお祈りいたします。』

Photo_2

 まあ、我々のような素人カメラマンからすれば、「戦争フォトグラファー=デビッド・ダグラス・ダンカン」は余りにも偉大な存在で何も言うことはできないが、その一方では、「なあに、生まれた時代が良かっただけなのではないか。第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争という、まさしくフォトグラフィックな対象に恵まれた時期に生を受けたからこそなんだ」という思いもある。

 いやいや今でもアジアや中東では戦火は絶えない、戦争カメラマンになる方法はいくらでもある、というけれども別に戦争カメラマンを本人が目指すということもないだろう。むしろ、気が付いたら戦争カメラマンになっていたというのが実際のところ。今でも、戦争の姿を求めて赴いているフォトグラファーは、たしかに多くいるんだろうかれども、そんな有様を日常的に見ていると、もしかすると戦争自体が日常的な姿に見えてしまうようになるのかもしれない。まあ、そうなってしまうと戦争ジャンキーなんだが、そこに至る少し前で自分を抑えている人たちが、いわゆる「戦争カメラマン」なのだろうなあ。

 1930年代の若い頃、(今では)大型の乾板カメラを構えるダンカンの姿に始まって、1940年代に戦争カメラマンとしての生活をスタートしてからのライカやローライフレックスを構えたスタイルから、最後はライカのコンデジX2を構えているダンカンという、なんかコンパクトカメラの歴史そのものみたいな写真集ではある。

 最後は愛犬トールの写真、「もう一度、グッドバイ。トール。君のポートレイトは今でもお気に入りだ。」

『Photo Nomad デビッド・ダグラス・ダンカン写真集』(デビッド・ダグラス・ダンカン著/求龍堂/2003年12月6日刊)

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