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2018年6月15日 (金)

戸越には「文庫の森」ってのもあったのだ

 東急大井町線で戸越公園まで行って「文庫の森」まで行ってきた。

 まあ、なんとなく「文庫」って言葉にひかれて興味を持ったんだけれども、実はこの「文庫の森」、一年前に書いた『戸越公園というか肥後熊本細川屋敷』と同じ、明治になって三井家が所有していた、「戸越公園」の一部だったんだ。

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 要は、朝起きた時の思いつきでもって、その日の取材先を決めて、なおかつ行った先では行き当たりばったりで撮影をしている、っていうことの悪い癖がでてしまった、っていうわけなんですね。

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 上の戸越公園の記事の一部か、あるいは次の日の記事としてこの「文庫の森」のことを書けばよかったのに、なんてまあ無駄なことをやってしまったんだろう。まあ、何をおいても基本的には予備取材をキチンとやって、今日の取材先の周辺には何があるのかを確かめてから、撮影行を始めればいいのにね。

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 この戸越公園は、江戸時代に熊本藩主。細川家の下屋敷があったところだったんだけれども、その後、所有者が松江藩や出羽上山藩などを経て、明治維新後は久松伯爵、吉井幸蔵伯爵、彫刻家の堀田瑞詳などの所有を経て、1890年に三井家に移り、1932年に三井家から当時の荏原町に庭園部分が寄付されて東京市立戸越公園となった。

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 で、この「文庫の森」も、東京、京都、大阪、松阪の各地に散在していた三井家史料を収集、整理するとともに、「三井家史」の編纂を目的に作られたものなのだが、その後、国文学研究資料館として使われるようになったという、戸越公園一帯の一部だったんだ。

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 まあ、要は東京の東や北の方にやたら所有地が多くて、その大半を東京市などに寄付しまくってきた三菱の岩崎家みたいな存在が、東京の南の方、荏原地域の三井家ってわけなのか。

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 昔は第一書庫と第二書庫があったらしいのだが、現在残っているのは第二書庫の方だけ。でも、当時は珍しい鉄筋コンクリート製の建物は、関東大震災や第二次世界大戦の空襲にも耐えた頑丈な建物だったそうだ。

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 あれっ? でも、東京の北の方、目白にある日本女子大も三井家の土地だったんだよなあ。う~ん、一体。当時の財閥って、どれだけの財産を持っていたんだろう。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Togoshi Shinagawa ©tsunoken

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