深川:国威宣揚塔のある風景
江戸深川って言えば江戸下町の代表格なんだけれども、じゃあ下町のどこからどこまでが「深川」なんだっていうと、実はあまり認識されてはいない。
イメージとしては清澄庭園の北、小名木川あたりから東は木場、南は越中島の手前位までが「深川」なんだが、現実の行政区域としての「江東区深川」っていうのは結構狭い場所なんだ。
地域的には北が清澄庭園の南、運河の橋を渡った先から、西は清澄庭園と清澄公園の境の道、東は富岡八幡宮の脇を走っている道。南は首都高9号線という、これまた昔は運河があった場所、という地域に深川一丁目と二丁目がある。
深川二中なんていう区立の中学校があるんだけれども、所在地は江東区冬木。そんな名前の「深川なんとやら」が周囲にたくさんあるのが「深川」なんだ。う~ん、自分が住んでいる町には「深川」の名前をつけるのは嫌がっている割には、めぼしい建物には「深川」をつけたがるというアンビバレンツ。
深川祭りが行われる門前仲町は、実を言うと深川じゃないんですね、現在は。地名としては門前仲町だからまあいいんだろうけれども、元々は、この門前仲町が深川の中心地だったんです。
火付盗賊改・長谷川平蔵が主役のご存知「鬼平犯科帳」も主な舞台は、この現在の門前仲町あたりを深川としてとらえている。
清澄庭園・清澄公園あたりは当然清澄。深川不動のあたりは門前仲町、富岡八幡宮のあたりは富岡と、まあ、それぞれ自分の都合のいい名前を町名としてつけているんだが、う~ん、なんかそうなると「深川」という昔からあった町の名前を消してでも新しい名前をつける意味って何かあるんだろうか
まあ、町の名前なんかはそれぞれそこに住んでいる人たちが自分の都合のいいように名前をつけるんだし、それで問題はないんだけれども、私たちがイメージしている「大深川」と、それとは別に実際の町の名前としての「小深川」があるっていうことを知っておくことが、その町を訪れる際の事前知識としては必要だってことなのであります。
まあ、それは別に深川だけじゃない。
で、その深川に今でもいくつか残っているのが「国威宣揚塔」なんであります。
まあ、戦前の日本ではこんな国旗掲揚塔を作って、毎日朝にここに日本国旗を掲揚して国民意識を植え付けようっていう算段だったんだろうけれども、その位に戦前の日本では日本国民の国民意識っていうのは低かったんだろうか。
明治維新からまだ数十年という頃では、まだまだ庶民の意識としては「国民」っていうよりは「(藩の)領民」という意識の方が強かったのかもしれない。で、そんな日本国民に対して国民意識を根付かせるために、こんな「(日の丸という)国旗を掲揚する国威宣揚塔」なんてものを作ったんだろうな。
まあ、こんなものは米軍が東京を空襲するときのいい目標になるだけだけどね。
EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Fukgawa Monzennakacho Koto ©tsunoken
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