フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« 1日10,000歩あるく | トップページ | 西伊豆の世は更けて »

2018年5月20日 (日)

『アニメプロデューサーになろう』って? え?

『本書は「製作もわかる制作プロデューサー」育成のために』書かれた本であるそうだ。

 えっ? 「製作」と「制作」ってどう違うの? というのがそもそもの問題。だって、本来の映画製作の大本であるアメリカでは「プロデューサー」はプロデューサーでしかなく、その間に「製作」と「制作」なんて言い分け方なんてものはないのだ。っていうか「製作」と「制作」を分ける考え方が実は日本だけの考え方で、かなり特殊な考え方なんだということを知っておく必要があるだろう。

Photo 『アニメプロデューサーになろう! アニメ「製作」の仕組み』(福原慶匡著/星海社新書/2018年3月23日刊)

『アニメのプロデューサーといっても「製作」のプロデューサーと「制作」のプロデューサーでは、役割が違います。本書で私が増やしたいと考えているのは、両方のスキルを持ったプロデューサーです。
「製作」はアニメを「商品」としいて見る立場、「制作」はアニメを「作品」として見る立場です。「製作」は企画立案や制作費集め、配給、興行など(制作を含めた)の全工程をあらわすものであり、「制作」は作品を創造する実作業です。
 スタッフクレジットで言うと、「企画」が社長や役員のような方、「エクゼクティブプロデューサー」が「企画」に準ずる役職の方、このあたりの人がアニメセクションのトップか会社のトップの人であり、プロジェクトにハンコを押す人になります。そしてプロデューサーとクレジットされている人が実際に当該の作品において製作委員会会議にも出席し担当する人となります。』

『一方、制作側のプロデューサーは予算、スケジュール、スタッフの管理を行います。制作と呼ばれるセクションのトップが「アニメーションプロデューサー」と呼ばれます。』

 うーん、なんでこういう使い分けになるんだろう? って、勿論、私も製作委員会側の製作プロデユーサーの経験はあるんだが、じゃあ、製作プロデューサーはクリエイティブを理解しなくてもいいのかと言ってしまえば、少なくとも私はそうではなかった。勿論、クリエイティブは制作プロデューサーにまかせて、自分はビジネスのことだけを考えているというスタイルの製作プロデューサーもいる、っていうか製作委員会方式で作っている映画の場合の製作プロデューサーの場合、そうしたプロデューサーの方が多いっていうか、実は大半の製作プロデューサーなんてそんな「ビジネスマン」でしかない。当然、そういう人たちは制作予算の問題にまで入り込んで解決しようとはしないし、制作予算は制作発注契約書でもって決められているので、それ以上のことには言及しないという形で現場から逃げてしまう人たちが多い。それはそれで「仕事の分担」という意味では間違ってはいない。

 でも、そういう人たちが「プロデューサー」を名乗っていいのかという疑問がある。結局、「製作委員会方式」という日本独特の映画ビジネスのスタイルがそうさせているんだろう。単なる「製作委員会代表」あるいは「代表補佐」でしかない、クリエイティブなんかとは、それまでまったく関係がなかった人が、ある日突然プロデューサーになってクリエイター面をするという不思議な光景を私はよく見てきた。まあ、多分「プロデューサー」を名乗ったほうが対外的にメンツが立つってもんで、そうしてきているんだろうけれども、そろそろ日本でもプロデューサーはプロデューサーとしてクリエイティブにかかわるような状況にしていかなければならないのではないだろうか。勿論、「出資者側の担当者」もそれなりの肩書をつけなければいけないというのは分かるが、だからと言って「プロデューサー」って呼ばなくてもいいだろう。

『アメリカでは、映画の新人脚本家はいろいろな映画スタジオに脚本を送ります。それを製作プロデューサーの下でインターンに就いていたりするリーダー(Reader)と呼ばれる若い人たちが下読みをして「こんな脚本でした」というレポートをあげて、プロデューサーが気になったものがあれば読んでみて「面白いじゃん」となれば「映画化しよう」となっていきます。でも、日本のアニメ、映画、ドラマ界にはこういう仕組みがない。
 日本では、いわば、脚本を見る製作プロデューサーの役割を、出版業界のマンガ家と小説家、編集者が担っているかのような構造になっています。アニメプロデューサーに脚本をガンガン送る脚本家はあまりいない(し、送ったところで採用される見込みはきわめて薄い)代わりに、出版社に持ち込みをするマンガ家や、小説新人賞やウェブ小説サイトに投稿する作家は無数にいます。マンガにしても小説にしても、映像と比べると低コストで作品を発表できます。出版社がリスクを負って作品を世に出し、そこで市場原理にさらされて勝った作品を原作にしてアニメ化する、という構造になっています。これならそれなりに売れる(見込みが立つ)のは当然です。』

『ハリウッドでは文字で書かれた脚本から「これはこういうふうにするとおもしろいだろう」とイマジネーションしないといけない部分が大きいから、製作プロデューサーもクリエイティブセンスや経験が必要になります。』

 ではなぜ、日本では「製作委員会方式」というリスク分散(と同時に「責任分散」)方式の製作方法が取られ、ハリウッドでは一切そうした責任分散方式の方法をとらないのか。製作委員会方式という「責任のありかがよく分からない」やり方をやめれば、日本のプロデューサーももっとプロフェッショナルなプロデューサーになれるのになあ、と現役時代考えていた。

 その解決方法としてひとつ考えられるのが、ハリウッドで使われている「ネガティブピックアップ契約」なんだ。

「ネガティブピックアップ」というのは、映画の脚本に銀行が投資する方法なのである。プロデューサーがある脚本を探し当てて(あるいは脚本家に書かせて/脚本家が持ち込んで)、それをもとに映画を作ることを決めると、まず。メジャースタジオにその企画を売り込んで、メジャースタジオと「ネガティブピックアップ契約」を締結する。この、「ネガティブピックアップ契約」とは完成したフィルムの原版(ネガ)をメジャースタジオに収める代わりに、メジャースタジオは原版が納められると同時に、映画の製作費をプロデューサーに支払うという契約だ。ここまでは、まあ創造の通りの話なのだが、それから先が違う。プロデューサーはそのメジャースタジオと締結した「ネガティブピックアップ契約」を担保にして、銀行から融資を受け映画を製作するのだ。この辺が日本と大いに異なる点で、銀行は別に不動産を担保にしなくても、「映画が完成すればメジャースタジオが製作費を支払う」という契約書だけでもって、映画の製作費を融資するのである。

 この場合、当然銀行側でも脚本を読む力が必要になるわけで、そのための人間を雇ったり、臨時で頼んだりするのである。まあ、土地代なんて二束三文である代わりに、映画の脚本は莫大な富の源泉でもあるという、まさしくハリウッドらしい銀行の営業スタイルであったりするわけである。

 そういうことが日本でも可能であれば、「リスク分散と同時に責任分散」方式の変な「製作委員会」なんてものは無くなっていき、もっともっと日本映画が面白くなるんだけれどもなあ。

 もっともっとクリエイティブなものに対する投資を行っていかないで「クール・ジャパン」なんておこがましいことは言ってはいけないのだ。製作委員会のどこがクリエイティブなんだろうか、クールなんだろうか。

 てんで、問題になりませんな。

『アニメプロデューサーになろう! アニメ「製作」の仕組み』(福原慶匡著/星海社新書/2018年3月23日刊)

« 1日10,000歩あるく | トップページ | 西伊豆の世は更けて »

」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549500/66714360

この記事へのトラックバック一覧です: 『アニメプロデューサーになろう』って? え?:

« 1日10,000歩あるく | トップページ | 西伊豆の世は更けて »

2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?