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2018年5月

2018年5月31日 (木)

東海道鶴見間宿・生麦事件

 突然の「街道ばなし」なのですが、別にこのブログは「旧街道ブログ」(っていう趣味の人がいるようです)じゃないので、「なんか突然始まったなあ」位に考えてください。

 別に、昨日の日光街道草加宿とのつながりは全くありません。街道ばなしは続きません。単なる「ネタ」です。

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 JRと京浜急行の鶴見駅で降りると、その駅前を走っているのが旧東海道。町のいたるところに「旧東海道」の案内板や説明板、碑などが立っている。

 江戸からきて鶴見川を渡ると川崎市から横浜市に入って鶴見の町に至るんだが、鶴見は川崎宿と神奈川宿の「間宿(あいのしゅく)」と呼ばれ、タテマエ上は宿泊施設なんかは作ってはいけない場所だったらしい。

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 当然、宿場と言えば飯盛り女なんだがそれも禁止されていたのだが……、ってなもんで結構盛んにやっていたのが鶴見間宿だったとのこと。

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 で、鶴見と言えば生麦事件でしょう、ってことになるんだけれども、以前、サイクリングを盛んにやっていた頃にはしょっちゅう通っていた国道15号線の生麦周辺だったんだが、実は実際の生麦事件の場所ってのは知らなかった。

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 京浜急行の鶴見から二つ目、生麦駅で降りると駅のそばにあるのが「生麦事件参考館」という資料館。個人で集めた生麦事件の資料が展示されているらしい。

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 で、生麦事件の現場っていうのが、そこからちょっと先、国道15号線の対岸の方にある。

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 キリンビールの横浜工場のそばにひっそりとあるのが、生麦事件の現場。

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 しかしまあ、生麦事件ってさも幕末の大変そうな事件のように言われているけれども、要は島津久光の行列に、イギリス商人4人が紛れ込んでしまい、それを薩摩の田舎侍が斬捨て御免にしっちゃったっていうだけの事件。問題は、その事後処理が素早くできなかったために薩英戦争にまで発展してしまい、結果、薩摩藩は莫大な賠償金をイギリスに支払ったという、まあ現代の危機管理にも通じる話だった。

 まあ、問題が起きたら、すぐさまその原因を捜して対処する、大問題になる前にとにかく早め早めに処理をするていうのが必要なようで……。

 まあ、どこかの大学の問題みたいですね。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Tsurumi Namamugi Yokohama ©tsunoken

 

2018年5月30日 (水)

写真は嘘をつく……っていうお話

「そうか! 草加があったんだ!」って、超クーダラナイ語呂合わせで話を始めようと思ったんだが、あまりにもクダラなすぎて話が持ちそうにもないのでやめた。

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 で、今日は「写真は嘘をつく」というお話をしたいと考える。

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 まあ、だいたい「写真=真を写す」という言葉がそもそもの間違いの始まりなのだ。「写真」は真を写すものではなくて、目の前にある事象をそのまま写し取り、それを他の場所にいる人々に見せるっていうだけのものにすぎない。

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 遠く離れた場所でその「写真」を見る人は、当然、その写真とともに、写真に添えられた「解説(キャプション)」も一緒に読むことになる。

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 当然、読者はそのキャプションに引っ張られて「写真」を見ることになる。そうなると、その写真付きレポートで重要になるのは、実際にはそのキャプションのほうになってしまって、「写真」はそのキャプションを再確認するためのエビデンスにすぎないということになってしまう。

 以前、荒木経惟氏がデート付きのカメラで『写真時代』などで作品を発表していた頃、実はその日付をかなり変えて撮影し、まさしく「偽写真」を作っていたということがある。それも、ひとつの「写真は嘘をつく」という一例。

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 沢田教一氏の「安全への逃避」とか、フィン・コン・ウト氏の「戦争の恐怖」などといったピューリッツァー賞写真なんかは十分写真が物語っているじゃないか、と言う人もいる。

 しかし、彼らの写真もそうしたタイトルがついているからこその「写真の意味」であって、それらのタイトルがついていなければ、同じような「写真としての意味合い」を持てたかどうかは難しいだろう。

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 その対極にあるのが「写真がつく嘘」なのであって、そうした「真実だと思ったら、実は嘘でした」的な写真はいくらでもある。

 ということで、上の写真にもちゃんと嘘が仕込んであります。

 さあ、どれでしょう?

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Soka ©tsunoken

2018年5月29日 (火)

『ロシアカメラがむせぶ夜は』

 なんとなく勢いで買ってしまったロシア(ソ連)カメラなんだが、だもんで本書を買っていろいろお勉強をしようと思ったんだが、残念ながらFED 2は載っていて、結構いい評価をしているんだが、その後継機であるFED 3については全く触れていない。

 う~ん、残念!

Photo_2 『ロシアカメラがむせぶ夜は チョートクの赤色カメラ中毒者の作り方』(田中長徳著/グリーンアロー出版社/1999年12月刊)

 FED 2とFED 3の違いは以下の通り。

『FED-2 - 戦後型FEDの外観を一新した機種で、ファインダーは視度補正機構付の一眼式となりフラッシュシンクロも付き、フィルム交換時には底板とともに裏蓋が外れるようになった。距離計の基線長も長くなったが、後期生産分は生産高効率化によりFED-3のファインダーブロックを流用したため再び短くなった。シャッター速度は1/25-1/500秒または1/30-1/500秒。』

 というのがFED 2。

 FED 3は

『FED-3 - FED-2に低速シャッターが追加されている機種である。生産の簡便化を図るために段差を無くすなど何回も外観が変更され、基線長の長さもFED-2よりかなり短くなっている。シャッター速度は1-1/500秒。』

 更に

『FED_3 Type-bは、Type-aの軍艦部デザインが変更され、フィルム巻上げレバーが備わった。Type-aではフィルムの巻き上げをZORKI-1のようにダ イアルで行っており、軍艦部にも段差が付いた古風なデザインとなっていたが、Type-bからは軍艦部の凸凹も無くなり、より近代的でスマートな外観となっている。反面、ロシアカメラとしての怪しい雰囲気は薄まっていると言える。』

 私が買ったのはこのFED 3 Type-bで、Type-aのようなバルナック型ライカとはだいぶデザインが違うし、(多分)使い勝手も異なるんだろう。Type-aと比べると何となくM型ライカに近いデザインになっているので、それはそれで面白いと思って買ったんだが、肝心のこの本ではまったく触れられていなかったのは残念!

 長徳氏が推しているのはFED 2 Type-aの方で、「アンダーパーフォレーション・エフェクト」という、まあ言ってみれば微妙な設計上のミスなんだけれども、それ自体を楽しんでいるということも、Type-bではできないのであります。

 そんなこんなでやっぱり長徳氏が勧めるType-aの方を買えばよかったのかな、値段もあまり変わりなかったし、なんてことも考えているんだが、じゃあすぐにType-aを買うのかと言えば、う~ん、ちょっと待てよ、Type-aを買ったらType-bより古いわけだから、シャッター幕のピンホールなんて問題も更にありそうだ。

 ということなので、とりあえずこのFED 3 Type-bのシャッター幕問題を片づけてから、次はどうしようか考えるべきなんだろう。というか、やっぱりロシアカメラは「古い!」わけだから、実用品として考えると、サービスショップがある現行品の方が安心して使えるわけで、ということに思いをはせる私にはクラシックカメラを愛でる資格はないってことなんだろう。

 私にとっては、やはり「カメラは実用品」なんであります。まあ、クラシックカメラを愛でるような余裕よりは、現在のところ(そのすべてがデジタルではないものの)毎日のブログにUPできるようなカメラの方が安心して使えるってもんですね。

 ということなので、相変わらずデジタルはニコンDfとEPSON R-D1s(これだって最早クラッシックカメラの仲間入り?)、アナログはニコン New FM2とF4、そしてライカM6という組み合わせに、時たまオリンパス・ペンFやOM10という、やっぱり露出計付きのカメラということになってしまう。まあ、ローライコードというクラシックカメラもあるけど、一回しか使ったことはない。

 最後に長徳氏オススメのロシアカメラ購入方法をご指南。

『「五万円でこれだけ買えるチョートクスキーの買い物指南」といこう。
 三五ミリカメラの代用品、つまりライカの代用をさせてしまおう、というロシアカメラの開業当時の精神に立ち戻って、さて何を買うべきかを考えるのなら、私はライカマウントのフェド2型を真っ先に推薦する。というのは、この偽ライカで私はウィーンでの偽ライカサンポを成功裏に終了したからである。フェドは私のようなコレクターくずれになると、戦前のフェドの初期型に、ライカなどよりも遥かに多額のお金を支払って恬然としているのであるが、これは慢性不況構造にある、日本国民のとるべき態度であるとは思えない。戦前のフェドは、その距離計の連動システムが戦後のそれと異なるので、調整が面倒である。そこでフェド2がお勧めで、このモデルは二〇万台以上が存在するから、値段もびっくりするほどではない。なによりも「付録」として付いて来る、インダスタール五〇ミリf二・八のレンズはこれをライカに付けても恥ずかしくない描写をする。
 コンタックスコピーであるキエフも買って損はないカメラであるが、何しろ、本家のコンタックスのシャッターの故障しやすい、という特徴も染色体に受け継いでいるから、程度の良いモノを探そう。ついてに忠告しておくと、これらのカメラはその値段の上限をまあ、二万円と見積もって起き、まる二年使えたら、それでもう元がとれたと、満足する種類のカメラであるということだ。間違ってもカメラ修理工房で、シャッターの精度を上げようとか、そういう色気は出さないほうがよい。高労賃の日本では、これはまったく見合わないことになる。
 六×六判カメラなら、キエフ6Cがよい。最近ではその数は減っているが、右手巻き上げで左手でシャッターを切る、これはソユーズ計画でも使用されたスペースカメラだ。同型機で最新型のキエフ60TTLも安いし結構使えるカメラだ。』

 う~ん、やっぱりFED 2なのかなあ。

20180521_1808532 私が買ったシャッター幕にピンホールのあるFED 3です。結構、雰囲気はいいんだけれどもなあ。

 確かに、『偽ライカ同盟入門』でも触れられていたのはFED 2だったしなあ。

 

『ロシアカメラがむせぶ夜は チョートクの赤色カメラ中毒者の作り方』(田中長徳著/グリーンアロー出版社/1999年12月刊)

『偽ライカ同盟入門』(田中長徳著/原書房/2005年4月1日刊)

2018年5月28日 (月)

JPS展に思うところ

 5月19日から東京都写真美術館でJPS展が行われていることを一週間忘れてしまっていたので、昨日、慌てて見に行った。

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 JPS展というのは公益社団法人日本写真家協会(Japan Professional Photographers Society)が主催する公募展で、毎年一回結果を発表する機会を東京都写真美術館(5/19-6/3)、名古屋市民ギャラリー(6/19-6/24)、京都市美術館別館(7/10-7/15)でもっている。

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 ただし、どうもこの「公募展」っていうのは、私の感覚には合わないようで、要は何を基準に作品を選んでいるのかがよく分からないっていうことなんだなあ。

「アサヒカメラ」や「日本カメラ」なんかのフォトコンテストにも応募したことがあるけれども、これまた何を基準にして選んでいるのかが分からない。まあ、選者の写真家の感性にふれた写真が選ばれているんだろうなあ、なんて考えて選者の人が撮った写真を見て、それと同じような写真を応募したことがあるんだが、当然、そんな下心は選者のひとにはバレてしまうので、選ばれることはない。

 ということで、写真雑誌のコンテストで掲載になったことは当然ないし、なので今でもどんな写真が選ばれるのかも分からないままだ。

 公募展っていうのも、その延長線上にあるもので、公募展の入賞作の展示会に行っても、なにを基準にしてそれらの作品が選ばれたのかが、私にはまったく分からない。

 これが個人の(プロ、アマ問わず)作品展だと、その一連の出品作を見ていれば、何となくその写真家の求めているテーマっていうのが理解できて、納得できる作品展になったりするんだが、いろいろな写真家がそれぞれ独自のテーマで撮っている写真を連続して見せられても、それらが意味するものは何なのかが全く分からないのだ。

 なので、一時期盛んに応募していた写真雑誌のフォトコンテストにはまったく興味がなくなってしまった。同時に、JPS展などの公募展にもあまり足を運ばなくなってしまったのだった。で、公募展で現在でも見に行くのは、このJPS展くらいのものになってしまった。

 その代わり、私の写真を発表するメディアは、この「tsunokenのブログ」と、年一回のK談社社友会の作品展になってしまっていて、まあ、ブログでの発表で少なからず留飲を下げているっていうようなわけです。

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 心ある人がJPS展に応募することは別に何とも思わないので、とりあえず毎年見には行っているんだが、正直、それだけ。

 応募総数1,841名/6,104点、入賞269名/491点という入賞者の皆さんには「良かったね」と言って差し上げたいが、実はこの公募展で面白かったのは審査員たちが出品したポートフォリオで、それらはさすがにその写真家たちが普段からどんな写真を撮っているのかがわかっているので、作品のテーマなどもわかって面白かったのであります。

 まあ、結局写真って写真だけじゃあ何もわからなくて、結局、その写真にどんなキャプションがつけられているかでもって、写真の意味も大きく変わってしまうのだ。

Jps

 まあ、そうは言っても「上手な写真」がどういうものなのかを知るためには、公募展発表会に行くのも悪くはない。ただし、だからといって「何故、その写真が選ばれたのか」は分かりませんがね。

 JPS展に関する東京都写真美術館のサイトはコチラ

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 普段、広角は20mmばっかり使ってるので、久しぶりに28mmを使って撮影すると、「なんかあまり広角っぽくないなあ」ってな気分になります。

NIKON Df AF NIKKOR 28mm f2.8 D @Yebisu Shibuya ©tsunoken

 

2018年5月27日 (日)

これじゃあ「高等教育の無償化」ではない

 日経新聞5月26日の記事『大学無償化、資産あれば対象外 政府方針』という記事が気になった。

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 記事は以下の通り。

『政府は大学などの高等教育の無償化について制度の骨格案を固めた。住民税を払わない低所得世帯は無料にし、その後、年収380万円未満程度の世帯まで段階的に授業料と生活費を援助する。所得が少なくても一定以上の資産がある人は対象から外す。成績が著しく悪い場合は支援を止める。財務情報の公開など一定の基準を満たした大学を無償化の対象にする。
 新たな制度は2019年10月に予定する消費税増税で得られる税収の一部を使い、20年度から始まる。高等教育は大学や高等専門学校(高専)、短大、専門学校をさす。昨年の衆院選で安倍晋三首相が無償化を公約に掲げた。
 住民税非課税世帯の授業料と生活費を無料にする大枠は昨年末に決まり、文部科学省を中心に具体的な制度設計を進めてきた。骨格案は6月にまとめる経済財政運営の基本方針(骨太の方針)に盛り込み、年内にも詳細な制度案をつくる。
 夫婦子2人でそのうち1人が大学生の世帯の場合、年収380万円未満程度まで段階的に授業料と生活費を支援する。年収300万円未満の世帯では住民税非課税世帯の3分の2の額、年収300万円から年収380万円未満の世帯では3分の1の額を支援する案を軸に検討する。年収要件は実際は課税所得の額をもとに決める。
 生活費の支給基準には娯楽費や趣味の費用は含めない。大学の受験料は2校分まで補助する。
 マイナンバーを使い、支援対象者は所得だけでなく資産も把握する仕組みを整える。多額の資産を持ちながら支援を受ける世帯があると、中高所得者の理解が得られないためだ。基準は現行の非課税世帯向け給付型奨学金で19年度から導入する「2人親の世帯で資産2000万円以下」との目安を参考に検討する。
 国費で支援するため、学生の学習状況は毎年、確認する。1年間に必要な単位数の6~7割以下、成績が下位4分の1などの場合は大学から警告を出し、連続で警告を受けると支給を打ち切る。
 定員割れなど教育の質が悪化している大学の延命措置にならないよう財務・経営情報の開示や一定数の外部人材の理事への登用など複数の基準を満たした大学に限る。』

 う~ん、これのどこが「大学無償化」なんだろうか。『住民税を払わない低所得世帯は無料にし、その後、年収380万円未満程度の世帯まで段階的に授業料と生活費を援助する。所得が少なくても一定以上の資産がある人は対象から外す。』って言うだけじゃあ、別に「大学無償化」でもなんでもないですよね。

 どうせ「無償化」って言うのならば、それこそ親の年収なんかに関係なく、とにかく大学に通うのに「授業料その他は一切免除」じゃなければならないはずなんだけれども、「生活費までは」という意見も出そうなので、まあ少なくとも「授業料」だけはすべて免除じゃないと、それは本当の「大学無償化」とは言わない。

 そんな無償化を実現している国があるのかと言えば、フランス、ドイツ、フィンランド、スウェーデン、デンマークなどがそうだし、それ以外にも「ほとんど払わなくてもいい国」としてはエストニア、オーストリア、ギリシア、スロバキア、スロベニア、チェコ、トルコ、ノルウェー、ポーランドなどがある。

 そのすべてがヨーロッパであることは、さすがに歴史の最新地域であるヨーロッパなんだけれども、ゲルマン系の国ばかりではなくてフランスなんかも入っているし、旧ソ連から離反した元共産圏の国とか、西ヨーロッパでも最貧国と言われているトルコやギリシアなんかも入っているんだから、多分、「国の財政」っていうだけではない、国としてのフィロソフィーの問題があるんじゃないか。

 まあ、アメリカやイギリス、勿論、日本が入っていないのもそれなりの理由がありそうだ。

 北欧のゲルマン三国などが福祉国家であることはよく知られている。しかし、同時にそれらの国々の税法についてはあまり知られていないのではないだろうか。例えば、スウェーデンやノルウェーの付加価値税(日本の消費税に相当<実態は少し違う>に相当)は25%、フィンランドは24%という感じだ。

 勿論、国によって国家公務員に対する考え方が違うので一概には言えないのだが、少なくとも「小さな政府」を目指しているアメリカやイギリス、日本と、そうではない「高福祉高負担」の北欧三国という関係はあるようには見える。ところが実態はそうではなく、アメリカやイギリス、日本だって、じゃあ「小さな政府」が実現できているのかと言えば、実態としては全然ダメなんですね。未だに無駄な公務員の数は全く減っていない、けれども目指しているのは「小さな政府」なので、政策的には「余計な税金は取りません」という姿勢だけは見せとかないと次の選挙に負けるんで、そう言っているだけってのが実態。まあ、国家公務員の方々だって、「本当はもっと高福祉になればできる政策はいっぱいあるんだが」でも、現政権が「低負担」でもって選挙の票を取ろうと思っているからには、それを口に出すわけにはいかない、ってところなんでしょう。

 いいじゃないか、税金をいっぱい取れば。消費税だってもっともっと上げればいい。所得税だって上げればいいし、法人税もその結果タックスヘイブンに逃れる企業があってもいいから上げちゃえばいい。相続税だってなんだって、どんどん増税して、その代わり教育に関しては幼稚園(保育園)から大学(大学院)まですべて無償にすればいいのだ。

 教育費を無償にした場合、何がメリットで何がデメリットになるのか?

 メリットとしてまず第一番に上げたいのは、それでもって世代間の継続性というか、まあ言っちゃうと「貧困の連鎖」がなくなるってことですね。「東大生の親の年収は1,000万円以上」なんていうことはなくなって、誰でも一生懸命勉強すれば一流の大学に入れて、それなりの企業に勤務できて、それなりの収入を得ることができる、っていう人生の青写真を描くことができる。まあ勿論、そんな人生の青写真なんてまさしく「絵に描いた餅」なんで、その通りに行くかどうかは誰もわからない。けれども、とりあえずそんなことがあるかもしれないという「夢」をみることだけでもできるんだ。まったく、夢見ることもなく過ぎ去っていく青春を送っている多くの子供たちの存在を考えるのであれば、それだけでもやってみる価値はあるかもしれないのだ。「大学の完全無償化」

 ということなので、大学無償化のデメリットはありません。唯一あるとすれば、「大増税」です。まあ、でも国民みんなで増税分を分け合うんだからいいじゃないですか。

 大学の質が問題だっていうのであれば、じゃあ、全部国立大学にしちゃって、ダメな大学はどんどん潰せばいいのであります。これもヨーロッパの多くの国の大学や高等教育機関は国立しかないという前例があるんだから、「前例主義」の大日本国国家公務員の皆様にも理解はできるのではないでしょうか。

 もうね、下手な助成金を拠出する私立大学なんてものは全部潰して、国立だけにすればいっそのことスッキリする。で、大学は学問をするだけのところにして、くだらないクラブ活動は、やりたい人が勝手にやるだけで、別に大学はそんなものは助成しない。

 スポーツはどうするだって? そんなものはクラブチームに任せておけばいい。下手に「大学スポーツ」なんてものを大事にしている日本や、アメリカ、イギリスみたいな後進国だけが、ラインバッカーの違法タックルなんてものが話題になったりしているんですね。

 ってのが、某〇〇大学のアメフトチームのラフィング・ザ・パサーと、そのごの危機管理のマズさを見ながら考えたこと。

 そうやって文科省完全管理下の大学にしちゃえば、文科省のお役人ももうちょっとプライド持ってお仕事をできるようになるんじゃないかしら。まあ、必要以上に張り切っちゃう人もかなり出そうですけれどもね。

2018年5月26日 (土)

Df修理完了、なので新宿散歩カメラ

 5月12日に壊してしまったカメラの修理が上がったんで新宿ニコンサービスで受け取り、そのまま新宿、大久保方面へ散歩カメラ。

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 いつもの「別にテーマを定めない撮影行」なのだが、初めから「散歩カメラ」というときと、別にそういわないときで、どこか写真が異なるのか?

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 う~ん、どこが違うって、別にどこも違わない。ごく普通の広角スナップでしかないし、なんとなく女の人が写っているっていうだけのことなんだよなあ。

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 ところが別にテーマを定めないで撮影をしていても、撮ってきた写真をセレクトして並べてみると、なんかそこにテーマがあるように見えてくることがあるから不思議なのだ。

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 なので、後付けのように、いかにもテーマがあって撮っているようなキャプションをつけてみたりする時がある。

 なんか「スゲーだろう」って感じでしょうか? まあ、実は私の大半の写真はそんなもんですけどね。

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 でも、結局は所詮散歩カメラは散歩カメラ。テーマなんかありゃあしないのだ。

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 まあ、もっともそれらの一連の写真に何か意味があるように見えてしまうことは、別に禁止しようとは思わない。

 それは見る人の勝手なので、別に写真がどのように見られるかを写真家自身が規制する必要はないし、するべきではない。

 なので、これらの写真に何か意味があるように見えるのも、それは見たあなたの勝手なのです。

 ……って、本当に意味があるのかよ。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Shinjuku & Okubo ©tsunoken

2018年5月25日 (金)

After NAB Show Tokyo 2018

 秋葉原のUDXで昨日一昨日の二日間、After NAB Show Tokyo 2018 が開催された。

 NABってなんだ? National Association of Broadcastersの略で、全米放送事業者協会のこと。日本では民放連っていうのがあるけれども、アメリカではNHKにあたる公共放送がないので、アメリカの公共放送PBSもNABの会員だ。

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 そのNABの年次総会が毎年4月に開催され、それにあわせてその放送機器展が開催されているというわけ。で、そのNAB Showのあとに日本でやるからAfter NAB Showというわけ。

 日本では毎年秋にInter BEE(International Broadcast Equipment Exhibition)が行われているが、こちらは機器メーカー側の開催なので、それに対して放送事業者側が開催するのがNAB Showというのである。

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 ただまあ、NABはあくまでもアメリカの団体なので、日本でそんなに大きなイベントではない。時期的に4月・5月の時期だと日本では新年度になったばかりで、こうした展示会は開催・出展が難しい、って理由からだいたいメーカーの新製品展示会は秋にやることが多い。アメリカは9月が新年度なので、やはり日本とは半年の違いがあるんだなあ。

 で、大掛かりなInter BEEは秋で、春は小規模ながらAfter NAB Showでお茶を濁すってわけ。

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 で、私が見に行ったポイントはBlackmagic Design社のBlackmagic Pocket Cinema Camera 4Kなのでありました。

 Blackmagic Design社はブース出展していなくて、別会場のセッションだけだったので、実物はあまり見ていないのだが、要はキャノンのEOSみたいな使い勝手で、なおかつライブビューだけにしちゃったみたいな形のムービーカメラである。

 下の写真二葉を参照。

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 この大きさで4K DCIの60pや、HDの120pに対応。ProResは4:2:2、RAWは4:4:4のハイクオリティな画像で収録できる。

 レンズはマイクロフォーサーズを使用なのでレンズ資産はいくらでも可能だし、お値段も手ごろだ。専用ズームレンズなんてのもいらない。

 更にこの製品の魅力はそのお値段。税抜き147,800円っていう値段は私でも手が出る値段だ。その金額で大劇場での上映にも耐える4K映像が撮影できるって凄いでしょ。

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 私がサラリーマンを辞める頃にいよいよ一般化し始めたデジタルシネマなんだが、それでも当時はまだまだカメラの値段は高くて、テレビ局や大手のプロダクションじゃないと自分で持つのは難しかった。当時はプロダクションレベルではせいぜい1Kのカメラだったからな。

 まあ、1Kでもやり方によっては劇場映画の画質に近いところまで持っていけるとういうのは、私も劇場版『ああっ 女神さまっ』を作った時のCG画像のテストで分かってはいたし、既に当時からそんな1Kカメラで撮影していたドキュメンタリー映画なんかもあったんだが、普通ではやっぱり1Kじゃ大劇場の画面ではちょっと厳しかったなあ。

 それが4Kで15万円以下ですよ、15万円。普通に個人でも買える値段じゃん!

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 それじゃあ、私もBlackmagic Pocket Cinema Camera 4Kを使ってドキュメンタリーでも撮って、ポレポレ東中野あたりで公開しちゃおうかな……、なんて気分になったりするんですねえ。

 本当は、ドキュメンタリーを作るのに大事なことは、機材的な問題じゃなくて、私自身が「どうしても撮っておきたい」という題材にぶつかるかどうか、ってことなんだってことはわかってはいるんですけれどもね。でも、なんか機材の問題がなくなっちゃうと、ドキュメンタリーくらいなら撮れそうになっちゃう気がするってところが、学生の頃に16mmでドキュメンタリーを作っていた頃と変わらない浅はかさなんだなあ。

 いやあ、まったく進歩していない。

EPSON R-D1s LEITZ ELMARIT 28mm f2.8 @Akihabara ©tsunoken

2018年5月24日 (木)

祖師ヶ谷大蔵ウルトラマン商店街、なのだっ

 小田急線の成城学園前の一つ手前の駅、祖師ヶ谷大蔵駅前に展開しているのが「ウルトラマン商店街」なんだが……。

 そもそも「ウルトラマン商店街」ってなんだ?

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「ウルトラマン商店街」のサイトがあるので、そこから引用。

『「そもそも、ウルトラマン商店街って?」
2005年4月、東京都世田谷区、小田急線祖師ヶ谷大蔵駅を囲む3商店街
祖師谷みなみ商店街振興組合 (駅改札左の南口商店街)
祖師谷商店街振興組合 (駅改札右の北口商店街)
祖師谷昇進会商店街振興組合 (祖師谷商店街を進んだ先の商店街)
が一緒になり、ウルトラマン商店街が生まれました!
すなわち「ウルトラマン商店街」とは3商店街の総称なのです。 』

 ふ~ん、じゃあそれでどうなの?

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『「ウルトラマン商店街の見所は? 」
駅前にウルトラマン像が立っています!駅前の案内板にも注目!
ウルトラマンゲート3カ所に飛んでおります。
西通り保健センターの前に「ゾフィー」
北通り塚戸十字路に「ウルトラマン」
南の耕雲寺の近くに「ウルトラマンジャック」(帰ってきたウルトラマン)
その他にも街のいろんな場所にウルトラヒーローがいますので、是非探してみて下さい!』

 ふ~ん。で、それで何かあるの?

 って思っちゃいけない。

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 まあ、要はウルトラマンの像が立っている(だけの)普通の商店街なのであります。あくまでも普通の商店街。そこに、円谷プロダクションが八幡山っていう祖師ヶ谷大蔵と千歳台の端っこに会社を作った関係で、「ウルトラマン」……、で、ウルトラマン商店街なのか?

 商店街としてのウルトラマンに負けないプライドってないのか?………………、ああ、ないのね。

 でも、そのウルトラマンがいまだにキャラクター収入を稼いでいて、なおかつ子どもたちに親しまれているっていうのは、まさしくキャラクターの強さなんでしょうね。

 木梨憲武氏の実家の自転車屋さんも火曜日はお休みのようで……。

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 っていうか、馬頭観音はウルトラマンなんかよりずっと昔からあるモニュメントなんだけれども、だれも見向きもしないのはなぜなんだろう。

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 ってことで、駅前にもウルトラマンです。

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 何の「ヒネリ」もありません。スミマセン。

EPSON R-D1s LEICA SUMMICRON 35mm f2 @Soshigaya Okura ©tsunoken

2018年5月23日 (水)

神保町で生き方までは見つからない

 都営地下鉄神保町駅で見かけた看板「本が見つかる神保町。生き方見つかるサライ。」っていうんだけれども。

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『知識も経験も豊かなシニア世代にとって、人生に必要なのはホンモノと正統のみ。旅、美味、芸術、文化、道具など、あらゆる分野でホンモノと正統を取り上げ、人生(LIFE)を豊かに、暮らし(life)を愉しくする月刊誌です。』

 っていうのが神保町にある小学館の雑誌『サライ』の宣伝文句。う~ん、そんな雑誌一冊で「人生(LIFE)を豊かに、暮らし(life)を愉しく」することなんてできるんだろうか。

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 そんな簡単に「人生を豊かに、暮らしを愉しく」なんてできるわけないですよね。だって、生き方は人それぞれだし、雑誌の特集レベルで何かが充実して、自分の生活の糧になり、その後の生き方にまで影響を及ぼすなんて、「お前はそんな単純な(薄っぺらな)人生を送っているのかよ」って言われちゃいそうですよね。

 勿論、雑誌の特集記事がいろいろとためになるということは事実だけれども、ねえ、それで人生が決まるか?

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 まあ、あくまでも「単なる雑誌の宣伝文句」なんでいちいち目くじら立てるな、というのはよくわかります。

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 でもまあ、単純に「本が見つかる神保町。生き方見つかるサライ。」って言われちゃうと、「おいおい、ちょっと違うでしょ」って言いたくなる自分がある。

 つまり、雑誌の特集くらいで自分の生き方が見つかるなんて言っちゃうと、それはなんて薄っぺらな人生なんだ、ってことになっちゃいます。

だって「知識も経験も豊かなシニア世代」なんでしょ。だったら自分でちゃんと「生き方」を判断すればいいじゃん。そんな雑誌なんかに頼らなくて……。

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 っていうより、「自分の生き方」なんて、そんな簡単に見つかるものなのかしら。私なんかこの歳になっても、自分の生き方なんて見つけられずに、毎日ウロウロ、チョロチョロしてるもんなあ。」っていうのが実態なんだから、もう何をかいわんやですね。

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 そんな風に、迷って、困って、目的も定まらずフラフラし続けるのが、私たちの毎日なのではないだろうか。

 普通は「生き方なんて見つからない」んだと思うんですがね。

 神保町に行ったってね。

「本が見つかる神保町。でも、生き方は自分で見つける人生だっ……、多分」

 ってのが、まあ、当たり前の言い方なんだろうな。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA-WIDE HELIAR 12mm f5.6 / COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Jimbocho ©tsunoken

2018年5月22日 (火)

東京周縁部を往く・篠崎街道から鹿骨街道へ

 都営地下鉄新宿線の篠崎駅で降りて、街に出る。

「はじめて降りる駅」のはずだったんだが、なんかちょっと違う気分もあるのは、何故だろうか?

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 とはいうものの、ここはもうひとつ先の駅は本八幡という千葉県市川市の駅で、篠崎駅のすぐそばには江戸川が走っていて、まさに「東京周縁部!」、本当の周縁部。

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 さすがに周縁部だけあって、まだまだ空き地っていうか、こんなコンテナを利用した倉庫が多いこと。有料駐車場なんかもたくさんあって、まだまだこの近辺は住宅地としての開発が進みそうな感じがする。「これから」を期待させる町っていう感じなのかな。

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 篠崎駅のそばを走る篠崎街道から、途中で鹿骨街道にはいるんだが、あれっ? なんか既視感があるなあ。途中、篠崎公園というところに差し掛かった時、いやあまさに以前来たことがあることに気が付いた。

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 鹿骨街道脇の公園なので、当然、鹿のオブジェなんかがあるわけですね。

 そう、2015年12月26日のブログ「東京周縁部を往く・江戸川区鹿骨」で取材(「えー、『取材』じゃなくて、単なる『散歩カメラでしょ』という人もいるが、まあ、どちらでもよろしい)にきたことがあったんですね。いやあ、失念しておりました。

 ただし、鹿骨じゃなくて篠崎駅周辺を歩いたのは今回が初めて。とはいうものの、篠崎公園の周辺の住所は「鹿骨」なんですけれどもね。

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 篠崎と言えば清水克衛さんというひとが経営している「読書のすすめ」という「変な本屋さん」があることで有名。篠崎街道から鹿骨街道に曲がったちょっと先にあります。

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 とにかくベストセラーなんかは置いてなくて、店主の清水さんが気に言った本だけを並べている本屋さん。そんな清水さんの選書が面白くて来店する客多し。まあ、大儲けはできないけど、それなりに楽しくやっていけるからいいんじゃないっていうのが清水さんの考え方で、普通の「駅前本屋」とはちょっと違う品ぞろえが面白い本屋さんです。まあ、場所は駅前じゃないけど。

 普通に取次から送られてくる本を並べているだけの本屋さんに飽きた方は、ちょっと覗いてみると面白いですよ。

 って、なんか以前サラリーマン時代に書いていたウェブ・レポートみたいになってしまったな。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 @Shinozaki & Shishibone ©tsunoken

2018年5月21日 (月)

西伊豆の世は更けて

 どこが「西伊豆」なんだっていう写真のようだが、ちゃんと西伊豆なんですね。

 例えば、この「てつざえもん」の自動販売機って実に西伊豆じゃありません? あ、勿論「てつざえもん」って言ったって、「鉄っちゃん」のことではないですよ。

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韮山反射炉PRキャラクター

「てつざえもん」
 てつざえもんは江川坦庵公が日本のからくり人形と西洋の機械技術を融合して作り出した、からくりロボット。坦庵公が存命の時には工業実験の助手をしていた。坦庵公が亡くなるときに、日本の近代化にかける熱い思いが乗り移り、魂が宿った。
 坦庵公の死後は、人々に坦庵公の日本の近代化にかける思いを伝えた。また、韮山反射炉の保存に東奔西走した。

特徴 からくりロボット
年齢 遠の16歳(実際は約160歳)
性別 
性格 熱家、理論家(ひとたび韮山反射炉の話をしだすと止まらない)
特技 、絵、剣術(坦庵公直伝の特技がいっぱい)

作者 手県盛岡市橋晃さん』

 というのが「てつざえもん」の正体。修善寺は韮山反射炉の公式キャラクターなんですね。なんで作者が伊豆の人じゃなくて盛岡の人なのかはわかりません。

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 そうしてみると、ほうら何となく「西伊豆」っぽく見えてくるから不思議ですね。

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 レトロな赤い郵便ポストも、なんか「西伊豆」っぽい。

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 学生時代の友人たちと年に2回行っている温泉旅行なんだが、今回の行き先が西伊豆は松崎町雲見温泉の「太郎」という民宿。釣り客やモーターバイク・ツーリングの人たちが多い宿のようだ。

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 う~ん、まだ「西伊豆らしくない!」という方。

 これならどうだい? 「天城越え」で有名な「天城隧道(天城トンネル旧道)」だっ。

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 私は翌日マンション管理組合の総会と懇親会があるので早めに帰ってしまったんだが、他の連中は下田で観光。

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 でも、5月は18・19・20日って「黒船祭り」でもって町は超混雑。みんなどうしたのかしら。

LEICA M6 LEITZ ELMARIT 28mm f2.8 FUJIFILM SUPERIA PREMIUM 400 @Nirayama Amagi Matsuzaki & Shimoda ©tsunoken

2018年5月20日 (日)

『アニメプロデューサーになろう』って? え?

『本書は「製作もわかる制作プロデューサー」育成のために』書かれた本であるそうだ。

 えっ? 「製作」と「制作」ってどう違うの? というのがそもそもの問題。だって、本来の映画製作の大本であるアメリカでは「プロデューサー」はプロデューサーでしかなく、その間に「製作」と「制作」なんて言い分け方なんてものはないのだ。っていうか「製作」と「制作」を分ける考え方が実は日本だけの考え方で、かなり特殊な考え方なんだということを知っておく必要があるだろう。

Photo 『アニメプロデューサーになろう! アニメ「製作」の仕組み』(福原慶匡著/星海社新書/2018年3月23日刊)

『アニメのプロデューサーといっても「製作」のプロデューサーと「制作」のプロデューサーでは、役割が違います。本書で私が増やしたいと考えているのは、両方のスキルを持ったプロデューサーです。
「製作」はアニメを「商品」としいて見る立場、「制作」はアニメを「作品」として見る立場です。「製作」は企画立案や制作費集め、配給、興行など(制作を含めた)の全工程をあらわすものであり、「制作」は作品を創造する実作業です。
 スタッフクレジットで言うと、「企画」が社長や役員のような方、「エクゼクティブプロデューサー」が「企画」に準ずる役職の方、このあたりの人がアニメセクションのトップか会社のトップの人であり、プロジェクトにハンコを押す人になります。そしてプロデューサーとクレジットされている人が実際に当該の作品において製作委員会会議にも出席し担当する人となります。』

『一方、制作側のプロデューサーは予算、スケジュール、スタッフの管理を行います。制作と呼ばれるセクションのトップが「アニメーションプロデューサー」と呼ばれます。』

 うーん、なんでこういう使い分けになるんだろう? って、勿論、私も製作委員会側の製作プロデユーサーの経験はあるんだが、じゃあ、製作プロデューサーはクリエイティブを理解しなくてもいいのかと言ってしまえば、少なくとも私はそうではなかった。勿論、クリエイティブは制作プロデューサーにまかせて、自分はビジネスのことだけを考えているというスタイルの製作プロデューサーもいる、っていうか製作委員会方式で作っている映画の場合の製作プロデューサーの場合、そうしたプロデューサーの方が多いっていうか、実は大半の製作プロデューサーなんてそんな「ビジネスマン」でしかない。当然、そういう人たちは制作予算の問題にまで入り込んで解決しようとはしないし、制作予算は制作発注契約書でもって決められているので、それ以上のことには言及しないという形で現場から逃げてしまう人たちが多い。それはそれで「仕事の分担」という意味では間違ってはいない。

 でも、そういう人たちが「プロデューサー」を名乗っていいのかという疑問がある。結局、「製作委員会方式」という日本独特の映画ビジネスのスタイルがそうさせているんだろう。単なる「製作委員会代表」あるいは「代表補佐」でしかない、クリエイティブなんかとは、それまでまったく関係がなかった人が、ある日突然プロデューサーになってクリエイター面をするという不思議な光景を私はよく見てきた。まあ、多分「プロデューサー」を名乗ったほうが対外的にメンツが立つってもんで、そうしてきているんだろうけれども、そろそろ日本でもプロデューサーはプロデューサーとしてクリエイティブにかかわるような状況にしていかなければならないのではないだろうか。勿論、「出資者側の担当者」もそれなりの肩書をつけなければいけないというのは分かるが、だからと言って「プロデューサー」って呼ばなくてもいいだろう。

『アメリカでは、映画の新人脚本家はいろいろな映画スタジオに脚本を送ります。それを製作プロデューサーの下でインターンに就いていたりするリーダー(Reader)と呼ばれる若い人たちが下読みをして「こんな脚本でした」というレポートをあげて、プロデューサーが気になったものがあれば読んでみて「面白いじゃん」となれば「映画化しよう」となっていきます。でも、日本のアニメ、映画、ドラマ界にはこういう仕組みがない。
 日本では、いわば、脚本を見る製作プロデューサーの役割を、出版業界のマンガ家と小説家、編集者が担っているかのような構造になっています。アニメプロデューサーに脚本をガンガン送る脚本家はあまりいない(し、送ったところで採用される見込みはきわめて薄い)代わりに、出版社に持ち込みをするマンガ家や、小説新人賞やウェブ小説サイトに投稿する作家は無数にいます。マンガにしても小説にしても、映像と比べると低コストで作品を発表できます。出版社がリスクを負って作品を世に出し、そこで市場原理にさらされて勝った作品を原作にしてアニメ化する、という構造になっています。これならそれなりに売れる(見込みが立つ)のは当然です。』

『ハリウッドでは文字で書かれた脚本から「これはこういうふうにするとおもしろいだろう」とイマジネーションしないといけない部分が大きいから、製作プロデューサーもクリエイティブセンスや経験が必要になります。』

 ではなぜ、日本では「製作委員会方式」というリスク分散(と同時に「責任分散」)方式の製作方法が取られ、ハリウッドでは一切そうした責任分散方式の方法をとらないのか。製作委員会方式という「責任のありかがよく分からない」やり方をやめれば、日本のプロデューサーももっとプロフェッショナルなプロデューサーになれるのになあ、と現役時代考えていた。

 その解決方法としてひとつ考えられるのが、ハリウッドで使われている「ネガティブピックアップ契約」なんだ。

「ネガティブピックアップ」というのは、映画の脚本に銀行が投資する方法なのである。プロデューサーがある脚本を探し当てて(あるいは脚本家に書かせて/脚本家が持ち込んで)、それをもとに映画を作ることを決めると、まず。メジャースタジオにその企画を売り込んで、メジャースタジオと「ネガティブピックアップ契約」を締結する。この、「ネガティブピックアップ契約」とは完成したフィルムの原版(ネガ)をメジャースタジオに収める代わりに、メジャースタジオは原版が納められると同時に、映画の製作費をプロデューサーに支払うという契約だ。ここまでは、まあ創造の通りの話なのだが、それから先が違う。プロデューサーはそのメジャースタジオと締結した「ネガティブピックアップ契約」を担保にして、銀行から融資を受け映画を製作するのだ。この辺が日本と大いに異なる点で、銀行は別に不動産を担保にしなくても、「映画が完成すればメジャースタジオが製作費を支払う」という契約書だけでもって、映画の製作費を融資するのである。

 この場合、当然銀行側でも脚本を読む力が必要になるわけで、そのための人間を雇ったり、臨時で頼んだりするのである。まあ、土地代なんて二束三文である代わりに、映画の脚本は莫大な富の源泉でもあるという、まさしくハリウッドらしい銀行の営業スタイルであったりするわけである。

 そういうことが日本でも可能であれば、「リスク分散と同時に責任分散」方式の変な「製作委員会」なんてものは無くなっていき、もっともっと日本映画が面白くなるんだけれどもなあ。

 もっともっとクリエイティブなものに対する投資を行っていかないで「クール・ジャパン」なんておこがましいことは言ってはいけないのだ。製作委員会のどこがクリエイティブなんだろうか、クールなんだろうか。

 てんで、問題になりませんな。

『アニメプロデューサーになろう! アニメ「製作」の仕組み』(福原慶匡著/星海社新書/2018年3月23日刊)

2018年5月19日 (土)

1日10,000歩あるく

 別に心臓手術のリハビリっていうわけではなく、以前よりずっと「1日10,000歩あるく」というのを、サラリーマンをリタイヤしたときから実行している。

 サラリーマン時代は家と会社の往復で5,000歩くらいはあるいていた。それにプラスして仕事の関係で出かければトータル10,000歩くらいにはなったので、それほど気にはしていなかったんだが、やめちゃうとなんとなく用がないと出かけなくなったりするので、意識的に歩くようにしている。

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 以降、最初はFitbitを使って、最近はPOLARを使って、とにかく「1日10,000歩をあるく」ようにしている。

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 Fitbitに比べてPOLARの方が厳しい数字が出て、Fitbitだと10,000歩で「ブルブルブル……」と振動で「10,000歩達成!」を知らせてくれるんだが、POLARだと途中で表示を呼びだせば「現在何歩あるいたか」がわかる反面、Fitbitだと11,500歩くらい歩かないとPOLARでは10,000歩の表示が出ない。

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 まあ、どちらを信じるのかといえば、それは宗教みたいなもので、「貴方ハドチラヲ信ジマスカ」ってなもので、一時期はFirbitとPOLARを両方つけて比較していた頃もあるんだが、それも面倒くさいので、基本的に厳しい数字が出るPOLARだけを、現在は使っている。

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 最近は「10,000歩はあるきすぎ、8,000歩で十分」というような言われ方もされているんだが、それはそれとして、とりあえず「1日10,000歩」って決めちゃったんで、今のところ「1日10,000歩あるく」という目標は変えていない。

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 ってなことをブツクサ言いながら、旧白山通りから東大農学部前に出て、東大本郷キャンパスまで至り、帰りは本郷通りを上富士交差点まで帰ってくるとほぼ10,000歩。

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 ということで、お付き合いご苦労様です。

 で、ただただ10,000歩あるくだけじゃ面白くないので、カメラを持ってあるいているっていうわけ。たまにアナログカメラも使うけど、基本的にデジタルカメラなんで経費はゼロ、ってすごい発明だな。

 まさに定年退職者の友ですね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA-WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Mukougaoka Hongo ©tsunoken

2018年5月18日 (金)

前橋シャッター通りはますます……

 前橋市っていうのは言うまでもなく群馬県の県庁所在地だ。

 昔、前橋藩っていうのがあってその藩庁所在地が当然前橋だった。一方、高崎藩っていうのもあって、その藩庁所在地はやっぱり高崎だったわけなんですね。当たり前の話。

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 その前橋市が群馬県の県庁所在地になったのはこんな歴史がある。

『1871年10月、旧前橋藩(前橋県)と旧高崎藩(高崎県)などが一緒になって“第1次群馬県”が誕生し、最初の県庁は旧高崎城下に開庁した。その7か月後には旧前橋城下に移転。さらに1876年、周囲の県と合併して、再び高崎に仮県庁が置かれたのが、“第2次群馬県”である。
 それで一件落着かと思いきや、その後5年間にわたり両市の間で誘致合戦が起こり、1881 年、ついに政府の太政官布告により県庁所在地が高崎から前橋に改定された。』

 この辺は皆さんよくご存じの群馬県令・楫取素彦の二枚舌でもって高崎から前橋に県庁所在地が移ってしまい、いまだに楫取素彦は高崎市民から恨まれているというお話。

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 しかしまあ、言われてみなくても高崎と前橋の経済の差ってよくわかるんですね。それを代表するのは、今や日本全国的に有名になってしまった前橋市のシャッター通り、シャッター・アーケード。

 水曜日っていう、地方都市では商業施設の休業日に前橋に行ったということも理由のひとつなんだが、いやあ、見事な闌れっぷりっていうか、人通りの少なさっていうか、ほとんど歩いていないっていうか。まあでも、商店の休業日っていう発想が、今や時代遅れっていうか、もうそんなことやっている商店街なんて日本中歩いてもほとんどない……、っていうか。

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 中山道の宿場と日光御成街道の分かれ道があった高崎市は昔からの交通の要衝で、現在もJR北陸新幹線、上越新幹線、高崎線、信越線、上越線、吾妻線、両毛線の乗換駅であり、車についても関越自動車道と上信越自動車道など主要幹線が走っている高崎市に比較して、新前橋駅から先が単線になってしまう両毛線だけが唯一の外部とのつながりになってしまう前橋市って、なんか「県庁所在地がこんなでいいの?」という疑問すら湧いてきてしまうのです。

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 当然、前橋市側も手をこまねいているわけではなくて、国道50号線からアーケード街「中央通り」に入るわきには眼鏡のJINS創業者の田中仁氏がスポンサーになって運営している「前橋まちなか研究室」なんてのがあって、いろいろイベントなどを仕掛けてはいるんだが……。

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 どうも前橋市民の保守性っていうか、とにかく新しいものに対する姿勢っていうのが、ちょっと残念という感じがして、なんか後ろ向きなんですね。

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 いつまでも萩原朔太郎じゃないと思うんだけどなあ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA-WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Maebashi ©tsunoken

2018年5月17日 (木)

横浜関内なぜかサウダージ

「サウダージ」というポルトガル語は、「悲しみ、郷愁、憧憬、思慕、切なさ」などの意味合いを持つ複雑な言葉だ。なんとなく、日本の演歌の世界の心と似ているのであるけれども、でも、やっぱりそれとはちょっと違う。演歌ほどには湿っぽくなくて、ちょっとサラッとした感覚がある。

 サンバやボサノバの歌詞と楽曲にある「なんとなくの気分」がサウダージなんだ。

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 アントニオ・カルロス・ジョビンとかジョアン・ジルベルトなんかのボサノバの巨人が作ってきたのが、この「サウダージ」の世界なんだが。でも、そんなことを言ったって誰もわからない。つまり、そんな「ボサノバの雰囲気」が「サウダージ」なのであります。

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 でも、その「サウダージ」をジャズに、それもフリージャズの世界に持ち込んでしまったのが、ガトー・バルビエリなんですね。ガトーはアルゼンチンの出身なんだけれども、ニューヨークに出てきてドン・チェリー、アルバート・アイラーやファラオ・サンダースなんかのフリージャズのアーチストと共演しつつ、その影響を大きく受けてきたんだ。でも、その後、ラテンに回帰し、「ラテン・ジャズ」というジャンルをフライングダッチマン・レーベルで確立した。

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 そのガトーがラテン・ジャズの結果行き着いたのが、カルロス・サンタナの「ヨーロッパ」なんだった。日本では「哀愁のヨーロッパ」なんていう、演歌みたいなタイトルがついているが、このサンタナの名曲である「ヨーロッパ」をガトー・バルビエリとカルロス・サンタナが共演しているのがコレ

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 もうこれって「サウダージ」そのものなんですね。単なる「悲しみ、郷愁、憧憬、思慕、切なさ」というだけではない「何か」を感じさせる音楽。

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 横浜、関内という港町に特に「哀愁」を感じるものではないのだが、歩いていて突然アタマの中に響いた音が、この「ヨーロッパ」だった。何故だろう?

「横浜たそがれ」とか「ブルーライト・ヨコハマ」なんかにも通底するものがそこにはあると思うんだが。

 あ、「伊勢佐木町ブルース」にはないなあ。

EPSON R-D1s KONIKA M-HEXANON 50mm f2 & LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Kannai Yokohama ©tsunoken

2018年5月16日 (水)

東京周縁部を往く・登戸の渡し

 以前、サイクリングをよくやっていた頃に、多摩川の河口側から遡行した場合、登戸の茶店で一休みというのが恒例だった。登戸で休んだ後はそのまま河を遡行するか、多摩川水道橋を渡って狛江市から帰るか、という選択肢がある。

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 先日、ニコンの新宿サービスセンターにニコンDfを修理に出した後、小田急線で登戸まで行ったのは、これまで自転車で登戸まで行ってはいたんだが、電車で行ったことはなかったので、一度行ってみようという考えからだった。まあ、軽い考えではあったんだが。

 ところが行ってみたら、以前行っていた茶店に行く道が工事中で通れなくなっている。まあ、茶店までは行けるんだが、そこから先は行けないので、あまり茶店を利用する人もいなくなってしまっているのかもしれない。

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 で、土手の上をウロウロしていたら、「登戸の渡し」の碑を発見。

 何故か、ここからモノクロになってしまった。何故だろう?

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 昔、登戸は「津久井道」という道の宿場があったところらしい。

 津久井道というのは、世田谷の三軒茶屋から町田までを通っている道で、幕府などが認めた街道ではないが、それなりに重要な道だったんだろう。

 町田というのは八王子から横浜まで絹織物を運ぶ街道筋だったんだが、津久井道はその途中の町田から江戸へ、その絹織物を運ぶ道でもあったようだ。実はもうひとつ道としての意味としては、登戸の先にある生田緑地が、大昔は桝形城という城があってその城から武蔵国へ至る道でもあったんだろう。

 で、この登戸の渡しがあった場所は「石屋河岸」と呼ばれていて、その「石屋」が今でもJR南武線の踏切わきにある吉澤石材店らしいのである。『永正元年(1504年)9月には、山内上杉氏討伐のため北条早雲(伊勢宗瑞)と今川氏親が入り、(桝形城から)立河原の戦いへ向かう』(Wikipedia)という記述があるんだから、ええっ? 創業500年?

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 生田緑地へと向かう津久井道沿いには北向き地蔵や馬頭観音像なんかもあって、いかにも古い道だったということが証明されるようだ。

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 ふたたびカラーに戻って多摩川サイクリングロードです。

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 ウィークデイに多摩サイをサイクリングなんて、まあ、リタイヤ爺だけですけれどもね。

EPSON R-D1s LEITZ SUMMICRON 35mm f2 @Noborito Kawasaki ©tsunoken (EPSON R-D1sはAPS-Cサイズのイメージセンサーを使用しているので、35mmレンズの場合、35mmフルサイズのフィルム換算すると約53mmになる)

 

2018年5月15日 (火)

『10年後の仕事図鑑』の示すこと

 本書を目にして最初に想起したのは、2003年に村上龍氏が書いた『13歳のハローワーク』だった。ただし、同書は現在ある514の仕事について「〇〇が好き」という観点から紹介し、かなり具体的にそれらの仕事に就くための能力や経験などを語り、その時点での「将来の仕事」としてIT、環境ビジネス、バイオ産業、などを紹介している点で、まさしく「13歳の子供たち」に向かって「職業についての考え方」を語ったものだった。

 勿論、本書はそんな子供たちに向けた本ではないのだから、もうちょっと辛辣に「これからなくなる職業(あるいは減る職業)」と「生まれる職業(あるいは伸びる職業)」について語ったものなのだけれども、基本的に言ってしまうと、実はそれは具体的に「これっ」と言えるわけではないし、言っても意味はない、ということも同時に語っている。

 要は、人間は社会の変化に対して、特に現在の変化に対してどういう心構えでいればいいのかということを語っているのだ。

10 『10年後の仕事図鑑』(落合陽一・堀江貴文著/SBクリテイティブ/2018年4月13日紙版刊・2018年5月1日電子版刊)

 まず本書の基本スタンスを書くと……

『「AIが仕事を奪う」という事実に対し、否定的な反応を示すか肯定的な反応を示すか。しかし、はっきりいうが、「AIによる職の代替=不幸」のロジックを持つ人間は、自分の価値をAIと同じレベルに下落させてしまっている点で、ダサい。
 仕事を奪われ「価値を失うこと」を恐れる前に、なぜAIを使いこなし「価値を生み出す」視座を持てないのだろうか。
「価値を失う」ことに目がいくタイプの人間は、常に「使われる側」として搾取される状態にいることに気づかなければならない。AIが古い社会システムを刷新していけば、今、世の中の人が思っているような”会社”のありようは失われていく。
 時代に合わせ、常に変化し続けられることが、これからの時代を生き抜く必須条件になる。』

 つまり、今話題のAIと人間の「労働」に関するものなのだが、だいたいそうした主題の設定自体が間違っているのだ。昔、産業革命の時には「機械が人間の労働機会を奪う」といって、ラッダイト運動なんかが起こったわけなのだが、現在それと同じことが、一般サラリーマンとAIとの間で起こっているわけだ。

 でも、そんな設定は簡単なこと。

『「人間対機械」の役割の最適化は簡単だ。検討する材料になるのは「コスト」でしかない。つまり、機械が行ったほうがコストが安いのであれば機会に任せればいいのだ。もちろん、手技による付加価値のようなものは保証されるはずだ。』

 で、その結果面白いのは、AIによって仕事が奪われる最初の人間として「経営者」をあげていることだ。

『僕が考える、経営者の仕事は2つ。「組織にビジョンを語ること」と「組織を管理すること」だ。ビジョンを語り、人間をモチベートすることは「今のところ」AIにはできない。そのため、ビジョンを語れる経営者は代替不可能である。しかし、管理することならAIにもできる。むしろ、これは人間よりもはるかにAIが得意とする領域だ。これはクラウド型の会社管理ツールに顕著に現れている。
 トヨタのように「自律分散型」で個々が最適化された働き方ができている組織なら、ビジョンを語る以外に経営者の仕事はない。管理しかできない経営者に高い給料を支払う必要はなく、寸分の狂いもなく的確な管理を行うAIが1台あればよい。その点、トヨタは選択と集中では語れないスケールの大きな経営を行っている。
 次になくなるとしたら、定型的な仕事のため低コストで、かつ携わっている人が多い仕事だ。具体例として、一般事務全般が挙げられる。どの会社においても必要不可欠な仕事ではあるが、特殊な能力がなくてもできる仕事ではあるため、採用コストも、給料の水準も高いとはいえない。こういったものはクラウド化されやすいのだ。
 ただし、日本には、事務仕事をする人材が多くいるため、全体でみれば「事務職」に支払われるコストは大きい。総合的にみてコスト高であるから、先ほどの経営者と同様に、AIに代替される職業の代表格となる。もしくはAIとともに働くことが一般的になるはずだ。』

 基本的に「定型化」した労働はAIとかいう以前に、「あいまい」なところを持つ人間が担当するよりは、「原則に忠実」な機械がやったほうが効率がよいってこと。これが、もう少し発展した形でAIにしても、これを「効率的な機械」であると捉えれば、同じくAIがやったほうが効率的に運ぶ仕事もかなり多く見えてくるってことなんだろう。

 特にAIの基本は人間が教え込んだ学習内容にプラスして、その後の機械学習でもって「解」に至る道を自らさがすのであるが、その結果はせいぜい「最適解」に至るだけであって、もともと「解」のない命題に対しては、答えを出せないのである。ところが、そんな「解」のない命題に対して、どこからか似たような命題を探し出してきて「解」を出してしまうのが人間の素晴らしさなのである。勿論、その「解」が正しい「解」なのか、間違った「解」なのかは、すぐには分からない。長い時間を重ねて、結果として正しいか間違っていたのかがわかるだけなのである。でも、そんな「解」を出せる人間って、やっぱり素晴らしい生き物だ。

 つまり、「AI社会」って言っても、別に怖がることはないし、むしろ生産的な仕事はどんどんAIやマシンに任せてしまって、人間はもっとクリエイティブな仕事をしましょうってことなんだな。あ、そうか非生産的な仕事でもいいんだ、このブログみたいにね。

 それじゃあ、そんなクリエイティブな生活って何なんだろう。

『SNS上でアウトプットすることは非常によい訓練になる上に、より知識を深めることができる。最近では、SNSやネット記事を見て情報収集するだけの「情報メタボ」が非常に多い。得た情報をSNS上でアウトプットし、多くの人の意見を取り入れることで、より多角的な視座を手に入れることができる。「インプット」と「アウトプット」、両方のバランスがとれているとき、人は格段に成長できるのだ。』

 っていうこと。

 つまり、様々な方法で社会的に発信できるようになった現代。この機会を逃す手はないわけで、それこそ様々な方法でアウトプットをして、時には「炎上」もしてみて、それを自分の良い経験として取り込めば、それこそその体験は自分の身になりこそすれ、毒にはならないはずだ。まあ、仮に毒になったとしても、その経験自体は後になってみればよい経験として、貴方の中に残るはずだ。

 ってなことなので、まあAI、AIって騒がず、恐れず、むしろAIを利用して、その結果余った自分の時間を、自らのアウトプットをする時間として使いましょう。

 ラッダイト運動が結果としてまったく後向きで世の中の役に立っていなかったという状況を見る通り、AIなどのテクノロジーの進展に対して後ろ向きになってしまっても何の役にも立たないってこと。

 むしろ、その結果出来てしまった自分自身のための時間をどう過ごすのか、それが重要なテーマなのだ。

『10年後の仕事図鑑』(落合陽一・堀江貴文著/SBクリテイティブ/2018年4月13日紙版刊・2018年5月1日電子版刊)

2018年5月14日 (月)

ここは「青砥?」それとも「青戸?」

 どうもここ最近は立石方面にばかり行ってしまって、他の葛飾には行っていないなあ、ってことで今日はお隣の青砥に行ってきた。

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 青砥っていうのは葛飾の中心部で、もともと青砥藤綱という鎌倉時代後期の侍が支配していた場所だったところから「青砥」の地名が付いたらしい。現在の青戸七丁目の環七通り沿いにある葛西城址が青砥藤綱の邸宅とされる。葛西城址の中心部は環七通りが貫いており、わずかに残された部分が環七の両側に御殿山公園と葛西城址公園となっているのだが、肝心の屋敷の中心部は環七で潰されており、実態は分かってはいないようだ。

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 ところがこの「青砥」なんだが、京成線の駅とか、多くの事物には「青砥」の名前が使われているんだが、区役所とか公的な部分ではすべ住所表記の「青戸」という表記がされている。

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 しかしまあ、青砥藤綱の話が事実ならば、やはり「青砥」の方が正しい表記となるわけで、住所表記は簡易にさせるためという理由のために、かえって土地の名前に関する歴史的な意味合いが分からなくなってしまうという、表記方法のミソをつけてしまったということになる。

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 まあ、別に地名にどんな表記方法をしようが部外者である私には関係のないことなのだが、地元の人たちはどんな思いをしているのだろう。

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 現在、葛飾区役所はこの青砥と立石の中間辺りにあるんだけれども、立石駅前の再開発が済んでしまうと、立石駅前が葛飾区役所になってしまうし、青砥の人たちにとってみれば、ちょっと不便にもなってしまうなあ。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER UTRLA WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Aoto Katsushika ©tsunoken

2018年5月13日 (日)

『内藤正敏 異界出現』

 内藤正敏の写真展『内藤正敏 異界出現』が、東京都者品美術館で昨日から始まった。

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 内藤正敏と言えば「婆バクハツ!」の青森恐山のイタコの婆さんたちや、「遠野物語」などのモノクロ写真の一群を思い浮かべるんだけれども、同じモノクロでも「新宿」などの都市の下積みの人たちを撮影した写真群なんかもあったんだな。

2018051232 ©Masatoshi Naito

 とはいうものの、私たちにとって内藤正敏といえば、先の「婆バクハツ!」や「遠野物語」以外には、「日本の即身仏」「出羽三山」などの、東北地方に題をとった作品が多いという印象があって、その辺が、逆に私なんかの三流写真家(写真家と名乗るのもおこがましい)にとって、<そうか、写真の原点は東北にあるのか>なんて短略して考えて、自ら遠野祭りなんかを撮りに行ったり、河童淵なんかを撮りに行ったりするんだな(したんだな)。

 でも、結局私が撮った遠野地方の写真なんて、所詮旅行者のスナップに過ぎず、やはりどうせ撮影するなら長期的にその場所に滞在して、人々と触れ合わなければ、本当の写真は撮れないんだ。

 結局、私なんかが撮影に行く場所といったら、結局は誰か有名な写真家が行って撮影した場所ばっかりなんだというのが底の浅さ。それは高名な作家が撮った写真の再確認をしているだけ。

 まあ、その辺が私がマトモな写真家じゃなくて、単なる定年退職者の手すさびにすぎない写真マニアでしかないってことの証左なんだろうけれども。遠野にしても、秋田ぼんでんにしても、山古志牛の角突きにしても……だ。

Photo_3 ©Msatoshi Naito

 本写真展で展示されている写真は、すでに写真集などで見てきて知っている写真ばかりである。でも、それでもオリジナルプリントを見に行こうというのは、なぜなんだろう。

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「写真=作品」論には立たない私なんだが、とはいうものの、どこかでそんな立場を認めてしまう考え方もあるんだろうか。

 あるいは、写真集でみた作品を一度オリジナルプリントでみることでもって、写真集掲載の写真の確認をしようというのだろうか。

「内藤正敏 異界出現」は7月16日まで東京都写真美術館にて開催中。

公式サイトはコチラ

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Ebisu ©tsunoken

『日本の写真家 38 内藤正敏』(内藤正敏著/岩波書店/1998年2月25日刊)

2018年5月12日 (土)

大塚坂下通り

 不忍通りと春日通りの交差点、大塚三丁目(大塚仲町)から不忍通りを護国寺方面へ富士見坂を少し降りたところにある右折で始まり、池袋のサンシャイン60の裏の方へと続く道が「大塚坂下通り」である。

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 大塚駅から大塚仲町を経て茗荷谷駅前、後楽園へと向かう春日通りが尾根道なのに比べ、そこから坂を下りた場所になるので大塚坂下町というのがその辺りの旧称で、そこを走る道なので大塚坂下通り。

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 どこにもあるような裏通りの商店街で、別に何も特筆するところのない道のようなんだが、場所としては護国寺があって、そこに隣接して皇族の墓地である豊島岡墓地があるせいか、第二次世界大戦の空襲にも合わずに昔のままの家なんかがかなり残っている町である。

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 出桁造りの町家なんかが今でも残っているような古さを感じさせる町で、昔は党首の赤尾敏の家があった関係で、日本愛国党の本部なんかもあった。

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 まあ、町自体からそんな古さを感じさせるものはないんだが、なんとなく都市の発展から取り残されたイメージのある町でもある。同時に「木造住宅密集地域」という指定がされて、耐火性や耐震性などの問題から、いずれ相当数の家屋が建て替えられることになるのだろう。

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 道をまっすぐに行くと都電の向原と東池袋の間の踏切があって、その先が元造幣局東京支局だったんだが、現在は高層ビルを建設中で、そこが東京国際大学の東京キャンパスになるらしい。

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 古い町もこうして新陳代謝をしていくんだろう。

EPSON R-D1s LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 @Otsuka Bunkyo ©tsunoken

2018年5月11日 (金)

立石駅前再開発計画というのがある

 今年になって何度か行っている京成押上線の立石駅なんだが、駅前の再開発事業というのがあるそうだ。

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 立石駅前といえば奥戸街道側にある3本のアーケード街が面白くて何度か通ったんだが、それこそ「昭和」を感じさせる小さな商店や飲み屋さんが並んでいる立石仲見世通り商店街というのがあって、「千円でベロベロになるまで酔える」という意味での「せんべろ」飲み屋街なんていう呼び方をされている、昼間っから呑める飲み屋さんが多い町である。

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 この立石仲見世通り商店街が、他のどこの駅前にもある再開発計画のために、もうすぐなくなってしまうというのだ。

 再開発の事業主体は立石仲見世通り商店街の地権者たちが作った「立石北口地区市街地再開発準備組合」で、事業協力者が旭化成不動産レジデンスという形で進んでいる。2017年に葛飾区で都市計画決定し、18年に再開発組合設立認可し権利変換計画が認可、19年に工事着工し22年に竣工というスケジュールで進んでいるそうだ。

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「権利変換」なんていうとマンションの建て替えを思い出すが、そうか、一度各地権者の持っている土地の権利を旭化成不動産レジデンスに売って、工事が竣工後に今度は地権者が各自の資金状況に応じて買い戻すっていう形をとるっていうスタイルは、まったく我が家のマンションを建て替えをした時と同じ手続きなんだ。

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 しかし、工事の完成予定図を見るとまあなんとも周囲を睥睨するような多くな建物ができるっていう計画のようで、右側のちょっと低いビルが葛飾区役所が入るビルで、左側の大きな建物がタワーマンションがメインの総合開発ビルなんだ。まあ、この両方の新規の入居者からの収入で建設費を捻出するっていう再開発資金計画なんだろう。

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 まあ、それはいいんだが、当然そんな小綺麗なビルの一階にはいる商店街である。そうなると、まあ多分「せんべろ飲み屋」なんてのはもはや対象外になってしまって、普通のショッピングセンターとその飲食店になってしまうんだろうな。

 それはそれとして仕方ないだろう。もはや壊れそうになっている現状の立石仲見世通り商店街を残すわけにもいかないし、さりとて再開発を自分たちの資金で行うわけにもいかないとなれば、事業協力者の手を借りて、いわゆる「今風」のショッピングセンターになるしか方法はないのだからね。

 まあ、そうなると当然ジジイたちが行ける町は少なくなってしまうわけなんだが、そんなことを言っているジジイたち自身がだんだん数が少なくなってしまうので、そんなジジイのための町づくりなんて誰もしないよ、ってところなんだろう。

 少しづつ、そんな「昭和」の思い出みたいな町は少なくなっていくんだろうが、それこそ平成も来年にはなくなってしまうという時代、我々が若かった昭和の時代で言えば「明治」時代の遺構みたいなものなので、そりゃなくなっても仕方ないわな、っていうところなんであります。

 取り壊しが始まったら一度見に来よう。

 で、多分それが立石に行く最後の機会になるんだろう。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Tateishi ©tsunoken

2018年5月10日 (木)

大田区産業道路

 第一京浜国道(国道15号線)の大森警察の前から川崎まで通じているのが「産業道路」だと思っていた。要は、交通量が増え過ぎた国道15号線のバイパスとしての役割があるのが国道131号線で、当然それは東京から川崎の工業地帯までを結ぶ、主に産業用自動車が走る道なので「産業道路」という一般通称を与えられたと思っていた。川崎球場にアメフトの試合を見に行くときによく通る道だ。確かに、平日はトラックばっかり走っている道である。

 同じような意味での「産業道路」というのは日本全国にある。

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 ところが、ところが環八との大鳥居交差点を過ぎて大師橋を渡るものだとばっかり思っていた産業道路は、国道15号線から大森警察の前から分かれるっていうのはその通りなのだが、反対側が川崎ではなくて羽田空港だったのだ。つまり、東京国際空港が起点で、大鳥居交差点を右折して、大田区大森警察署前が終点の道路が国道131号線。

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 国道131号線ができたのは1953年(昭和28年)二級国道羽田空港線として開通したんですね。つまり、羽田空港の貨物を東京都心に運ぶ道が国道131号線、産業道路だったのだ。

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 知らなかった。

 そう言われてみれば、国道15号線のバイパスだったんならもっと道幅なんかも広くていいはずなんだけれども、道幅は国道15号線と同じ片側2車線だもんなあ。

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 最近は拡幅の必要も出てきたようで、産業道路も至るところでセットバックが行われていて、逆にセットバックがまだ行われていない場所はかなり古い民家やお店なんかが立ち並んでいる。

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 ということは、これらのお店なんかもいずれ取り壊されてしまうんだろう。道ができたのが戦後すぐの頃だったので、いかにもそんな感じの闌れた店が多くて、結構好きな道ではあったんだが、まあ、これも時代の流れってことなんでしょうね。

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 以前はセガの2号館なんかがあった場所もセットバックされて、いまやニトリのビルに代わっている。

 羽田空港に支店が出店していて飛行機関係の本で有名な、大鳥居交差点にあるブックスフジなんかも、いずれは取り壊されてしまうんだろうか。もともと、銀行の支店があった建物をそのまま買ったブックスフジ。銀行の金庫なんかがまだ残っていて面白かったんだけれどもなあ。

(ライカM6に21mmレンズを装着してトライXでフィルム撮影)

LEICA M6 VOIGHTLANDER COLOR-SKOPAR 21mm f4 KODAK 400 TX @Omori Kojiya Ota ©tsunoken

2018年5月 9日 (水)

「FUJIFILM Imaging Plaza」丸の内にオープン

 ゴールデンウィーク初日の4月28日(土)、馬場先門にある明治生命館に隣接して建てられている明治安田生命本社ビル「MY PLAZA」の3階に富士フイルムのショールーム「FUJIFILM Imaging Plaza」がオープンした。

 富士フイルムホールディングスといえば、六本木ミッドタウンの本社にフジフイルムスクエアがあるし、銀座1丁目にはクリエイト銀座がある。それらとこの新しいショールームとどう違うのか。気になったので見に行った。

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 まあ、六本木のフジフイルムスクエアは「写真の富士フイルム」以外の化粧品なんかのPRもやっていて、精密化学メーカーとしての富士フイルムをアピールする場なので、こちらの丸の内では「写真・カメラ」メーカーとしての富士フイルムをアピールしようというのか、基本的に展示しているのはカメラ関係だけである。

 ただし、聞いてみたところ、フィルム現像などのサービスは行っていないそうで、そちらは銀座のクリエイト銀座でということで、この辺、次第にアナログ・フィルムの世界から遠ざかっていく富士フイルムの象徴が、この富士フィルム・イメージングプラザなのかなとも思える。

 ギャラリー「FUJIFILM Imaging Plaza Gallery」もあるんだが、クリエイト銀座のような一般向けの貸しギャラリーではなくて、基本的に富士フイルム側で作った企画展だけなのは六本木と同じ。

 まあ、その二点で丸の内と銀座の棲み分けをしているのかもしれない。

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 オープン記念展は『写真・X・そして私』という写真展で、様々な写真家がフジフイルムXシリーズ/GFXシリーズで撮った作品を展示している。

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 ハービー山口氏は相変わらず、いつもの「なにげないモノクロ写真」を展示している。

『私にとって富士フイルムのカメラというと「フジペット」というカメラを思い出す。1957年に写真ファン層を拡げようと「初心者や女性でも気軽に写真撮影を楽しめる」というコンセプトで発売されたカメラだ。熱心な写真愛好家であった私の父は当時7歳だった私と、2歳年上の兄に写真の楽しさを伝えようとこの「フジペット」を買ってくれた。当時の販売価格は1950円であった。私は兄との共有カメラである「フジペット」を夢中で構えファインダーを覗いた。そこには仲良く寄り添う40代だった両親が、東京大田区の自宅の庭で、秋の日差しを浴びてにこやかに笑っている姿があった。今思えばそれが私の写真家活動の始まりであった。富士フイルムの名前は当時のネオパンのフィルムや、中学や高校の写真部の暗室にあった引き伸ばし機「フジB」など、写真家を目指す私の身近に常に存在していた。あれから61年が経った今、私の手元には[X-Pro 2]と[X-H 1]がある。画像の美しさは私が述べるまでもない。さらにシャッターダイヤルや絞りの操作性。静かで包み込む心地良いシャッター音、これは写真を撮ることを熟知した人のコンセプトが隅々に活かされていて、大きな魅力になっている。』

 いいなあ、こういう写真を撮りたいなあ。

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 MY PLAZAには東京都がやっている「TOKYO創業ステーション」というのがあって、中小企業のスタートアップについでのいろいろな相談に乗ってくれるようだ。

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 丸の内近辺にお越しの際は、脚休めにどうぞ。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Marunouchi ©tsunoken

2018年5月 8日 (火)

FED 3がやってきた ヤア!ヤア!ヤア! トホホ

 別に「FED 3」がやってきたからって、ビートルズがやって来たっていうほどモノではないのだが。家人のある商品をAmazonでポチッとやったついでに「FED 3」もポチッとやってしまったのが、最初のAmazonのアナウンスでは5月3日~10日に届くというはずだったのが、思わず5月3日に届いてしまってビックリ! ってなことなんで、思わず「ヤア!ヤア!ヤア!」なんですね。別に意味はないけど。

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 FEDというのはコピーライカのソビエト連邦製カメラで、オリジナルFEDからFED 2のいろいろなバージョンがあり、FED 3になってもこれまたいろいろのバージョンがあり、っていう具合で如何にも偽ライカっていう感じのカメラである。

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 田中長徳氏の『ロシアカメラがむせぶ夜』をポチッってやったら、AmazonからやたらFED 2が「おすすめ」で来るんだが無視していたら、今度はFED 3が来たんで、思わずポチッしてしまったというわけ。

 FED 2まではフィルムの巻き上げがバルナック・ライカと同じ巻き上げ式だったんだが、FED 3になってレバー巻き上げになったという違いがあり、私のところに来たFED 3はどうもFED Type-bというもののようで、標準レンズが52mmという変な焦点距離のレンズが付いている。製造年度は1963年から1972年なので、ライカM 3の変化を見てあわててFEDもそれをまねをしたっていうところなのかもしれない。

 裏ブタはニコンFと同じように完全にボディーから外れるタイプなので、フィルムは装填しやすい。

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 で、製品同梱で来たフジカラー100/24枚撮りを装填して巣鴨は地蔵通りへテスト撮影。

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 一応、50mmの標準レンズに合わせているファインダーを覗くんだけれども、慣れないせいかピントの合わせ方がちょっと難しい。基本的に無限大にフォーカスリングを合わせてしまえば遠くの被写体にはピントが合うんだが、近景などには「慣れ」が必要かもしれない。

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 実はもっと大きな問題がフィルムを現像してみてわかってきた。

 参考までに上の3枚の写真を見てもらうとわかる通り、「光線漏れ」があるんですね。これは当然新しいカメラではありえない問題で、要はシャッター幕にピンホールがあるんですね。それも一か所や二か所じゃない。

 オールドカメラマニアなら喜んで「穴ふさぎ」をするところでしょうが、残念ながらあまりオールドカメラマニアでない私には「ちょっとねぇ」ってところ。しかし、この光線漏れの問題を除けば、あとは私のカメラに関する慣れの問題。まあ、浅草の早田カメラあたりに持ち込めば直してくれるだろうが、ここは私自身の作業、というかオールドカメラを手にした者ならば、自分自身で「穴ふさぎ」作業をするべきなんだろう。

 まあ、そういうのが好きな人がいることは知ってはいますがね。まさか、私がそれを行うとも知らずに、オールドカメラを手に入れてしまったということなんですね。

 これは精進せねば。

RICHO GRD III & FED3 INDUSTAR-61 52mm f2.8 @Sugamo ©tsunoken

 一緒にポチッした田中長徳氏の『ロシアカメラがむせぶ夜は』はゴールデンウィーク明けの5月7日に届いた。う~ん、カメラより先に来て、すこしお勉強をしようと思っていたんだがなあ。

『ロシアカメラがむせぶ夜は チョートクの赤色カメラ中毒者の作り方』(田中長徳著/グリーンアロー出版社/1999年12月刊)

2018年5月 7日 (月)

久々の逗子に来てみれば……

 ゴールデンウィークの真っ最中に行ったんだからそれはそうなんだけれども、最近は鎌倉に来た観光客が逗子にも押し寄せてくるんだろうか。なんか以前に比べると人手が多くなったような気がした。

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 円覚寺がある北鎌倉あたりまで鎌倉の観光客が来るのは分かるんだが、鎌倉と逗子の間には山もあるし、距離も北鎌倉ほどには近くはない。だから、皆鎌倉から一駅だけ電車に乗って逗子にやってくるんだけれどもね。

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 それでも逗子っていうと観光地=鎌倉とは違って、その町に住む人や別荘なんかとして時たまやってくる人たちの町っていう感じで、真夏の海水浴シーズン以外はどちらかというと静かな街っていう感じだったんだ。すこしバスに乗って行けば葉山の御用邸なんかもあったし、どちらかというと逗子、葉山っていうのは静かな街というイメージだったのだ。

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 それが最近は鎌倉には人が溢れてしまっているせいなのかなんなのか、よくわからないがだんだん訪れる人たちが多くなって、いつの間にやら「小型鎌倉」みたいな感じになってきている。

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 なので逗子開成高校や逗子海岸へ通じる道なんかもスーツケースを持った人たちなんかが歩いていたりする。う~ん、スーツケースを持って歩くような道じゃあないんだけれどもなあ。街には似合わないなあ。

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 しかし、一番大きく変わってしまったのが駅前なのだ。

 逗子駅前はそれなりにきれいになって整備されてきていたんだが、そのうちの一角だけが「ちょっと前のよくある駅前」って感じの立ち飲み屋さんなんかが並んでいた場所があった。それが今や立ち飲み屋さんはこの一軒だけになってしまった。

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 う~ん、なんかなあ。街がきれいになるのはいいんだが、逆にきれいすぎて私なんかのジジイの居場所がなくなってくる、っていうか、要はあまりきれいな駅前っていうのが、何故かいたたまれないような気分になってしまうんですね。

 その辺はちょっと残念!

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Zushi ©tsunoken

2018年5月 6日 (日)

蒲田昨今……あまり、以前と変わっていない

 JR京浜東北線の蒲田駅と京浜急行の京浜蒲田駅周辺は何度か撮影に来ている。まあ、それだけ写真撮影をしたくなる「下町感」というか「場末感」がする街なのであります。

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 その昔、松竹蒲田撮影所があってそれなりに賑わったのかも知れないのだけれども、東映の大泉、東宝の成城(というか砧)、日活や大映(角川)の調布という具合に、基本的に映画の撮影所っていうのは、首都の周辺地域というか、要は「場末」にあったのである。

 何故か。勿論、大掛かりなオープンセットなどを作るのに広い場所が必要だし、まあ、一種の工場(「こうば」と読んでください)みたいなものなので、基本的に工場を作っても周囲から苦情が出ない場所に作ったというのがある。しかし、実はもう一つ理由があって、撮影の結果出てくるフィルムの現像に使用する現像液他の廃液の処理の問題があって、大都市の真ん中でそんな廃液の処理をするわけにはいかなかった。まあ、郊外ならそのまんま捨てちゃってもいいんじゃね? ってな思惑もあって都市の郊外に撮影所を作ったというのが、私の見立てなんだけれども、どうなんだろうか。

 勿論、じゃあ東京以外のもっと地方に撮影所作っちゃえばいいじゃん、ってなるんだけれども、それじゃあ出演するスターはまあ旅館にでも泊まらせればいいけれども、それ以外の安いギャラの出演者の分までは面倒みられないもんなあ。で、その結論が「都市と田舎の境界点」ってことなんでしょう。

 その辺、撮影所関係者に聞いた話ではないんだけれども、まあ、当たらずとも遠からずってな話なんだとは思ってはいる。

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 まあ、でもそれ以外の蒲田の町って言えば、まあ「歴史的価値のない北千住」ってところでしょうか。

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「歴史的価値のない」っていうのは、単に「日光街道の宿場町だった北千住」に比較して、東海道の宿場町は北品川から鈴ヶ森までだったんだけれども、蒲田はそこから外れているし、そうした宿場町的な歴史はなくて、大田区の労働者たちが毎日の「仕事の憂さ」を酒で忘れるための町だった、ってなことなんですね。

 で、今でも「仕事の憂さ」ってあるのかなあ。

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 でも、そういう町が今でも昔みたいに存在しているってのが「いいね!」。

 おまけに、海外から生まれて初めて日本に(羽田に)来て、(もしかしたら)最初に見た日本の町が「蒲田」だったら、それはそれですごいことですね。

"Oh! What a drinker's country!"ってなもんですかね。まあ、それは日本じゃなくても、というかヨーロッパやアメリカじゃ「昼間っから酒の飲んでいる」なんて当たり前なんですけれどもね。

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 でも、私は蒲田に来ると、もう「松竹橋」なんていうモニュメント(でしかない)が残っているだけの、撮影所跡なんかよりはとりあえずコチラに行くんです。「カメラのウエダ」 結構、国産中古カメラがウィンドウに並んでいるんだなあ。

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 岡谷光学のLord \6,800とか、富士シックス\7,800とか……思わず「買っちゃおうかな」なんて勢いになってしまうカメラがある。「あっ、いかんいかん。今〇〇〇をネットで注文したばっかりじゃん。」と自制心(ってのが、まだ私にもあったんだ!)を働かせたんですがね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Kamata ©tsunoken

2018年5月 5日 (土)

『カメラはじめます!』って言うほどの問題じゃないんだけどね

 なるほど、デジタル一眼の時代になってくると、我々が「写真のお勉強」をした時代とはだいぶ違ってくるんだな。

 なにせ50数年前に写真のお勉強をした頃は、要は「写真はピントと絞りとシャッタースピードで決まる!」だけだったもんな。とにかく「ピントはシャープに」「絞りは被写体のボケをコントロール」「シャッタースピードは被写体の動き(ブレともいう)をコントロール」というのが「覚えることは3つだけ! カメラのコツ」だったんだが、今の「3つだけ!」は違うようだ。

Photo 『カメラはじめます!』(こいしゆうか著・鈴木知子監修/サンクチュアリ出版/2018年1月20日刊)

 現在のデジイチにおける「覚えることは3つだけ!」は、その前にデジタル一眼の「3つの撮影モード」ってのがあって、その中の「こだわりモード」というのがある。

①おまかせオートモード 設定はカメラに全部お任せ
②こだわりオートモード 設定の一部を自分で決められる
  ・P(プログラムオートモード)「色」や「明るさ」を決められる
    さらにこれらに加えて…
  ・A・AV(絞り優先モード)「ボケ具合」を決められる
  ・S・Tv(シャッタースピード優先モード)動くものに応じて「シャッタースピード」を決められる
③マニュアルモード 設定を全部自分で決める

 というのがあって、漫画の主人公はこれまで「おまかせモード」だけで撮影して、なかなか自分のイメージ通りの写真が撮れないことに悩んでいたんだけれども、そこで「おまかせオートモード」で撮っていたものを、「こだわりオートモード」で撮ることをおススメするのである。まあ、その辺がすべては「マニュアルモード」しかなかった我々が写真を学んだ頃と、基本的にカメラ側ですべてを操作してくれるデジイチ時代との違いなんだな。

 で、その「こだわりオートモード」で覚えることは3つだけってことなのだ。

その1 ボケ具合を変えられる!!
 要はレンズのF値を変えてボケ具合を変えようってことなんだけれども、それがA(Av)モード、つまり絞り優先モードで撮影した際の特徴ですね。

その2 明るさも変えられる!
 露出補正のことであります。だいたい普通のデジイチの場合は+1から+3位まで(普通はその間をさらに三段階くらいには調整できる)。

その3 色を変えられる!
 ホワイトバランスのことなんだなあ、これが。でもまあ、「光の状況によって、カメラが認識できる色は異なるため、青っぽくしたいか、赤っぽくしたいかで、色をコントロールできる」ってことだけだったら、それはカメラ側で行うよりは、撮影後Photoshopか何かの画像編集ソフトでやっちゃったほうが安心できるんだけれどもなあ。

 本当のことを言っちゃうと、「明るさも変えられる」ってのもPhotoshopで可能であります。最初の「ボケ具合」だけはカメラ側でコントロールしなければならないのだが。つまり実は『「ピントはシャープに」「絞りは被写体のボケをコントロール」「シャッタースピードは被写体の動き(ブレともいう)をコントロール」』というカメラ側でコントロールしなければならない要素は、昔と変わっておらず、それ以外の要素だけが「デジイチで行える3つだけの覚えること」なんだけれども、まあ、基本的にパソコンは使わない設定の漫画なんで、まあ、そういう「3つだけのこと」になるんだなあ。ただし、「ピントはシャープに」ということだけは、今のデジイチだったらカメラマンよりは高性能だ。

 実はRAWで撮っておけばもっといくらでも画像を変化させることは可能なんだが、まあ、JPEGで撮っても相当程度には変化させることは可能だ。つまり、アナログ時代からデジタル時代になって、それだけ「やれること」は幅広くなったんだけれども、「やれることの幅が広がる」ってことは、更に表現のフィールドを上げなければならないってことでもある。

 でもまあ、それだけカメラ任せにしても写真が撮れちゃうってことは、問題はその撮影者のセンスの問題になってしまうんだなあ。で、すべてはカメラマンのセンスの問題っていうことになってしまうと……、そこで話は終わってしまう。

 デジタル時代になっていろいろな表現のテクニックはどんどん上がっては来たけれども、問題はそれを使って表現をする人間の能力がなかなかそこに追いついていかないってことなんだなあ。

 まあ、あとはどんどんいろいろなものを撮って経験とセンスを積むことでしかない、ってことなんだろうなあ。で、最後はセンスの問題ってこと。

 要は『ハッと感じたら、グッと寄って、バチバチ撮れ!』(by 篠山紀信)ってことなんですね。

 で、話はおしまい。

『カメラはじめます!』(こいしゆうか著・鈴木知子監修/サンクチュアリ出版/2018年1月20日刊)Kindle版が出ていたんだ!

2018年5月 4日 (金)

群馬、高崎に英語村山村留学

 中央大学岡田会会員の皆様、昨日は岡田先生の命日でした。今年で、亡くなってから8年になります。

 合掌

 と、そんなこととは関係なく、今日は日経電子版5月3日号の記事を紹介。

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群馬・高崎に英語村山村留学、小中学生22人が転入

2018年5月3日 0:00 [有料会員限定]
 新しい英語教育の拠点にしようと群馬県高崎市が同市倉渕地区の廃校跡に開設した「くらぶち英語村」が開村し、活動が始まった。全国から集まった小学2年生から中学3年生までの22人が外国人スタッフらと共同生活し、1年間「英語漬け」の生活を送る。倉渕地区は長野県境に近い山村。過疎化が進む地域の活性化にもつながっている。

 子どもたちは地元産木材を使って新たに建設した木造2階建ての寄宿舎に住み、片道数キロメートル離れた公立学校に通う。公立学校では普通の授業を受けるが、寄宿舎では10人ほどの外国人スタッフが交代で詰めており、基本的に英語だけを使う。学校の行き帰りもスタッフが同行するので、英会話の時間になる。

 起床は5時45分。朝の集会や朝食の後、7時ごろには徒歩や自転車で学校に向かう。夕方帰宅した後はまず宿題を済ませ、夕食後に談話コーナーでスタッフと「イングリッシュタイム」。テレビは見せず、スマホもゲーム機も持ち込み禁止という厳しい生活だが「今のところ不満を訴える子どもはいない」(英語村の高橋秀郎村長)という。休日には山村体験プログラムなどが組まれ、親元に帰るのは長期休暇のときだけだ。

 料金は食費込みで月8万5000円。年間では100万円を超える金額になるが、青森県から鹿児島県まで定員を大幅に上回る80人の応募があり、抽選になった。通年コースのほか、土日の週末コース、夏休みなどに1週間程度滞在する短期コースもあるが、希望者が殺到し、すでに申し込みは締め切っている。

22人の小中学生が転入するというのは過疎地の学校にとって大きな数字で「地元の人たちが大変喜び、英語村ののぼり旗を作って道路に飾ってくれた」(高橋村長)。祭りなどの行事にも子どもたちは参加予定で、地域の盛り上がりにも貢献してくれそうだ。』

 群馬県と言えば太田市に太田国際学園が運営するぐんま国際アカデミーという、小中高一貫教育の英語の授業が中心の学校があって、小中高1,000人の生徒のうち500人が太田市内、200人が県内、残りの300人が埼玉、栃木、東京などから通学している学校がある。「くらぶち英語村」はそことの競争になるんだろうが、まあ、にわかに巻き上がった群馬県における英語熱というところなのだろう。

 ぐんま国際アカデミーの授業料などはわからないが、くらぶち英語村の料金年間約100万円超というのを安いと考えるか高いと考えるかは人それぞれだろう。ただし、くらぶち英語村の方は地元の公立小中学校に通うというプランなので、学校の授業料はそれほどかからないだろう。そう考えれば決して高い料金ではないし、その結果得られる英語力という点に関して言えば、リーズナブルという以上に「お買い得」感はある。

 倉渕村(高崎市倉渕)は榛名山の麓、長野県との県境に近い人口5,000人に満たない寒村だ。そんな寒村の村おこし事業のひとつとして始められた山村留学事業なんだが、その山村留学に「自然の体験」だけでなく、「英語の体験」を加えたところが新しい試みだ。単なる自然の体験だけでは22人の子供たちが集まることは不可能だっただろうが、そこに「英語漬け」という要素を加えた試みが親たちの興味を引いたんだろう。子供たちにとっても自然の体験は魅力に感じたとは思える。まあ、英語の方はどうだかわからないが。

 学校の授業は普通の公立小中学校に通うので、ぐんま国際アカデミーとは違って日本語で行うんだろうけれども、家というか寄宿舎に帰ってきてからは完全に英語漬けの毎日になるので、基本的にここで数年を過ごした子供たちは英語が普通に話せる子供たちになることは間違いない。

 倉渕村としても子どもたちの数が減る状況の中にあって、理由は何であれ在住する子供の数が増えることは大歓迎だし、将来その子たちが再び倉渕村に帰ってきてくれればそれはありがたいことだ。まあ、子供たちの親にしてみれば、将来自分たちの子供は海外に雄飛して活躍してほしいと考えているんだろうから、村の望みがどこまでかなうかは分からない。

 子供たちにしてみれば「英語漬け」というのは英語を身に着ける方法としては一番の方法なので、有益な方法であることは間違いない。ただし、子供たちにとっても、将来大人になって再び倉渕村に帰ってこようと考えている子供がどれほどいるのかは予想はできない。

 むしろ、一番利益を受けるのは、英語村に住む子供たちと友達になった倉渕村に元々住んでいた村の子供たちかもしれない。元々、自然には親しむっていうか、いやでも共存しなければならない中で生まれてきたわけで、そこに異文化とでもいうべき「英語の世界」がやってくるんだからね。

 過疎に悩む田舎の村としてはひとつのテストケースになるんだろうけれども、なかなか面白そうな行政ではある。

 すこし様子をみたいな。

2018年5月 3日 (木)

日野は新選組でもつ、新選組は日野でもつ(?)

 5月12・13日は「日野新選組まつり」であります。

 新選組は京都で組織された京都守護職・松平容保の警察部隊のはずなので、東京の日野市で新選組の「出陣式」なんていう、ちょっと「?」な催しもあるみたいですが、新選組のファンは、当日はJR中央線日野駅を降りて、目の前にある旧甲州街道を少し行った先の八坂神社に集合です。

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 八坂神社は近藤勇が「天然理心流奉納額」を納めている神社。

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「天然理心流」とは、江戸時代後期に近藤内蔵之助によって打ち立てられた古武道の流派で、剣術以外の様々な武術を統合した流派のようである。

 近藤勇は元々は宮川姓の農家の子供として生まれたが、長じて近藤家の養子となり近藤家四代目近藤勇と名乗った。その後、天然理心流の道場は近藤家三代目周助の時代に現在の市谷柳町に移り、試衛館として道場を開いた。

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 さすがに旧甲州街道の街道筋だけあって大きな日野宿の本陣が残っている。この旧日野本陣も実は天然理心流の道場があった場所である。

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 なかなか立派な旧日野本陣を後にして旧甲州街道から川崎街道に入ると、あれ? 既視感のある風景だなあ。と思って進んでいくと……。あっ、そこはエプソンの日野事業所なのであった。

 この撮影にも使っているEPSON R-D1sの修理のために来たことがある。その時は車で来たので反対側から来た。なのでちょっと感じが違ったんだが、確かに一度来たことがある。現在はサービスをやめてしまったEPSON R-D1sなんだが、できればサービス再開してほしいなあ、そうすれば安心して使えるのになあ……、あ、そうか、デジタル・ライカを買えばいいんだ、フルサイズだし……なあんて簡単に言っていますけどねぇ。そうそう簡単にはいかないか。

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 で、そのエプソン日野事業所の前を過ぎてちょっといくと浅川にかかる高幡橋を渡ると、もうすぐそこは高幡不動尊の境内である。

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 高幡不動と言えば、その裏山を越えた先が中央大学である。私は駿河台キャンパスの中央大学しか知らない。多摩キャンパスに移ってからの中央大学はよく知らないのだが、どうも地方の高校から中央大学に入ってきた学生が、何故か日野市在住が多い理由がなんとなく分かった。大学があるのは八王子市なんだけれども、実はむしろ日野市の方が近かったのね。

 しかし、さすがにこれじゃあ、地方出身者が「私の田舎より田舎だ!」という理由がわかるなあ。本当に田舎!

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER URTLA WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Hino ©tsunoken

2018年5月 2日 (水)

「城址」はあるけど水戸街道「柏宿」はない

 柏市と言えば、松戸市の隣町としてそれなりに大きな町なので多分ここも水戸街道の宿場町だったのではないかと思うんだが、実はさにあらず。水戸街道の宿場は<千住-新宿-松戸-小金-我孫子……>という具合に、柏市は水戸街道の宿場ではなかったのだ。

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 JR常磐線の柏駅のそばに柏神社という大きな神社があって、そこに「水戸街道の木戸」という由来書がある。

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『江戸時代、柏市域の一部は小金牧(こがねまき)といわれた幕府直轄の馬の放養地、供給地であり、当時の水戸街道はこの牧の中を通過していました。その情景は下の「水戸土浦道中絵図」から探ることができます。
 牧の中を水戸街道が画面東西に走り抜け、その街道沿いに松並木と思われる樹木、周辺の野原には野馬の群れる姿が見られます。牧のはずれには木戸(「柏木戸」「新木戸」)が置かれ、その周囲には野馬土手が築かれている様子がわかります。
 水戸街道は、水戸藩士の通行や人々の物資の輸送などに使われていた重要な道でした。そのため牧と村の出入り口には木戸を作り、人々の往来を確保し、無宿者や浪人者などにも対処するための関所の役目も果たしていました。明治時代になって地租改正が行われ土地に番地がつくようになると、柏木戸のあったところが柏一番地となりました。
 現在、木戸は残されていませんが、水戸街道の「新木戸」や成田街道(現在の県道安孫子・関宿線)と言われた「花野井木戸」「船戸木戸」などが今でもバスの停留所の名称として使われています。』

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 で、その由来書にも掲載されている柏神社の先を進んで、Jリーグの柏レイソルのホームグラウンド三協フロンテア柏スタジアムの前を行って、暫く進むと「増尾城址総合公園」に至る。

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 増尾城とは戦国時代に平川若狭守によって作られた城とされているが、それ以上に詳しいことは分かっていないようだ。というか平川若狭守という人自身が『平川若狭守は小金城主高城氏の家臣で、1590年の豊臣秀吉による小田原攻めの際、安蒜・吉野氏らとともに小金城に籠城した。小金城が浅野長政らの軍勢によって攻められ、一戦もせずに開城した』っていうくらい情けない人だったようで、まあ、あまり資料は残っていないんでしょうね。

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 城らしい土塁や空堀なんかもごく規模の小さいものがあるようであるが、城跡と言われても、そのように説明されないと「城址」だとは理解されないだろう。

 現在は柏市の子供たちの遊び場だったり、柏市民のバーベキュー場として親しまれているようで、ここが城跡だという説明版もないし、まあ、あまり市民自身たちもここが城跡だという意識はないようだ。

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 ただし、公園の駐車場から柏市内方面を望むとこんな感じで、広々として柏市が望める。まあ、そんな感じでは確かに「城」というか「砦」としての役割は果たせたんだろう。でも「一戦もせずに開城」って、どうよ。

NIKON Df AF NIKKOR 35mm f2 D @Kashiwa ©tsunoken

2018年5月 1日 (火)

京島②……なんだが

 なんで「京島 墨田」なのかという問題なのだが、そんなにたいしたとこではありません。

 っていうか、同じネタで二か月またがってしまったな。まあ、いいか。

 実は、私の両親の生まれ場所がその辺だったっていうことだけで。「墨田区押上」っていうのが、昔の私の本籍地なんですね。

 つまり、そこに私が住んでいたっていうことはない。ただし、私の従兄弟が今でもそこに住んでいて、お祭りの幹事なんかをやっているってことだけ。まあ、最近その従兄弟から聞いた私の親爺のことなんかを聞いたりして、それはそれ結構親戚ってのも頼りにはなるもんだなああ、と感じていたりして。

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 じゃあ、その「押上・京島」あたりに何かあるのかと言えば、別に何もないんですね。まあ、普通の町。いわゆる「下町」でもない、普通に言っちゃうと「場末」です。

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 でも「場末」には「場末」らしい良さもあるってことで、この墨田区押上近辺とか足立区関原近辺なんかに出没して、いろいろ写真を撮って歩いているんだけれども、でも、結局は「場末」は「場末」、いわゆる「下町の風情」とは関係のない、よくある「普通の町並みの写真」にすぎないんだけれどもね。

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 幼い時、そんな親とか祖父とかの家に行って、夏などは荒川で遊んだ(隅田川ではなかったような気がする)記憶があるっていうだけのこと。

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 しかし、じゃあなんでこの京島とか押上に親しみを持ち始めするようになったのか。今でもその理由は分からないのだけれども

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 なんとなく、昔親爺は「こんな町に住んでいたんだなあ」ってことで、妙に感じいたりしたりしているわけですね。

 私も歳をとったんですねえ。

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 って、最後は「猫の写真」かよ! 昨日と同じ(二か月またがってか?)じゃんかよ!

 まあ、野良猫(なのか飼い猫かどうかは知りませんけれども)が可愛いんですね。下町って……。っていうか、やたらいるんだよな。

NIKON New FM2 NIKKOR 24mm f2.8 KODAK 400 TX @Kyojima Sumida ©tsunoken

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