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« 松戸市二十世紀が丘という地名 | トップページ | 「十二月田」って、何と読むのかわかりますか? »

2018年4月13日 (金)

群馬県大泉町の意外だったこと

 群馬県の大泉町といえばブラジルやペルーの日系人が多い町だという認識があって、多分町に行けばいろいろな南米人向けの施設なんかがあるんだろうな、なんて考えていたんだが、実はそうではなくて大泉町のシンボルと言えるのは、実は小泉城跡(城之内公園)だった。

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 小泉城(富岡城)は、延徳元年(1486年)富岡主税介直光が縄張りにしたことに始まり、以後富岡氏六代、約100年余りの居城として栄え、富岡氏が小田原北条氏の傘下に入ってから作られたものらしい。

 当然、豊臣氏の小田原攻めでもって北条氏は滅んでしまったので廃城、それ以降は空城になっていたらしい。徳川の配下の大名も別に使わなかったってことですね。

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 外堀と内堀、そして多くの土塁などが巡らされている大きな城なのだが、平城なのであまり砦としては適していない。その代わり居城としてはかなり立派な城である。

 なんで、こんな立派な城を徳川配下の大名が使わなかったのかなあ。それがちょっと不思議。

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 城内(公園内)には町内の別のところにあった古墳や、昭和20年4月4日の米軍B28爆撃機の空襲で亡くなった人々の冥福をいのる黎明地蔵などが移設されており、それなりに町の財産にはなっているようだ。

 昭和20年の米軍空襲は、当時存在した中島飛行機小泉製作所に対するもので、お隣の太田市に本社があった、ゼロ戦を製造していた中島飛行機製作所(現在のスバル)に対する攻撃と一緒に空襲にあったものである。

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 町を走る電車としては東武小泉線が走っていて、町内には東小泉駅、小泉町駅、西小泉駅(終点)があるんだが、どの駅前に行っても駅前商店街のようなものはない。スーパーマーケットのような大規模店はあるんだが、街を彩る商店街などがないのはちょっと寂しい。

 まあ、スバルやパナソニック(旧三洋電機)で働く人たちは皆クルマ通勤だろうから、あまり近いところのお店ってものにはこだわらないのかもしれない。

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 バンコ・ド・ブラジルの太田支店もなくなっちゃったし、すでに南米からの労働者も少なくなっているんだろうか。

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 上の写真や下の写真などが数少ない「外国人の町」らしいものなんだけれども、最近は南米などよりはアジアからの労働者が増えているようだ。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Oizumi ©tsunoken

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