東京周縁部を往く・江東区潮見
江東区潮見を「東京周縁部」と呼んでいいのかどうかについてはちょっと怪しい。すぐ隣が夢の島だし若洲なんかもある。夢の島や若洲が「東京周縁部」というのは、まさしくその通りなのだが、潮見はその一つ内側ということになる。
しかし、江東区潮見となったのは1968年(昭和43年)に江東区に編入されてからの話で、それまでは東京都の番外地で8号埋立地と呼ばれていた、人口島だったのだ。
その後もしばらくの間は交通手段としてはバス便しかなく、まさしく「孤島」、「陸の孤島」じゃなくて、読んで字の如く「孤島」そのものの町であり、下町らしい小さな工場が立ち並ぶ工場地帯だった。貨物路線だったJR京葉線が旅客を運ぶようになって潮見駅ができたのは1990年(平成2年)。多分その頃から人が住み始めた、っていうか宅地としての開発が進められるようになったんだろう。
今はそれなりに住宅やアパート、マンションなんかも見えるし、ホテルの開業、建設も盛んなようだ。なにしろ京葉線で東京駅まで3駅、数分という便利さなのだ。
というか、東京ど真ん中の東京駅からたった数分で周縁部まで辿り着いてしまうっていうのが、東京東部の面白いところで、一方、東京西部は1時間以上かかるっていう、東京中心部の東への偏りっぷりっていうのが、これまた面白い。
運河を挟んで対岸は江東区枝川。まあ、運河って言ったって、当然この場所は昔は海だったわけで、川というよりは海である。味わったわけではないが、多分味はしょっぱい?
太田道灌の江戸城築城に始まり、徳川家康が江戸城主になってからは江戸城拡張の際の残土を使って、佃島を作ったり、今の銀座辺りの埋め立て工事をはじめ、深川周辺などに埋立地を拡張。
その後、明治に至り、昭和までにかけては東京の「ゴミ」を埋め立てに使い、どんどん東へ伸びてきた東京。とりあえず、その最先端が夢の島、新木場、若洲っていうあたり。その辺のダイナミズムはスゴイと言うほかはないんだが、それにしても1,000万都民の出すゴミの量ってのが半端じゃない。
そのたびごとに「東京周縁部」が広がっていくっていうのは、このブログのネタ的にはありがたいんだけれども、本当にどこまで広がっていくんでしょうかね。
面白いのは潮見のランドマークになっている潮見一丁目アパートなんだが、タワーマンションならぬタワー都営住宅なんで、ベランダに布団が干してあるっていうところがご愛嬌。周辺住民から文句は出ないんでしょうか? って、そうか周辺住民なんていないんだ。
NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Shiomi Koto ©tsunoken
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