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2018年3月27日 (火)

馬喰町初音の馬場跡に馬場はなかった

「馬喰(ばくろう)」なんて言うとちょっと恐ろしげに聞こえるが、まあ、別にそんなに驚くほどのもんじゃない。要は、馬の世話をしたり、売り買いをしたりしていた人たちのことなのだ。「博労」とも書くし、元々は「伯楽」からきた言葉らしい。「博労」というから、博打くらいはたまに打ったかもしれないが。

Dsc_00332

 それはどうでもいいんだけれども、そんな馬喰たちが住んで、仕事をしていた町が日本橋のそばの馬喰町なのである。靖国通りと江戸通りの交差点から始まって、馬喰町一丁目があって三丁目まである。

 現在はお隣の横山町からのしてきた繊維問屋や洋服屋さんの町になってしまっており、お隣の横山町と一緒に「馬喰横山」という駅名がこの地域の呼び名になっている。で、ここに「初音の馬場」という馬場があったというのが地図にも載っている。

 まあ、「馬喰の町」なので、馬場位あっても普通……、とは考えたんだが……。

Dsc_00062

 地図には「ここにあったはずだ」的は表示が載っているんだが、現在のどの場所なのかがわからない。表通りは問屋さんのビルばっかりで、それらしき表示も何もないし、じゃあ、裏通りに入っていっても……らしきものはない。

Dsc_00172

 ようやくビルの谷間に見つけたのがこの「龜嶋神社」という小さな神社だけ。

 それも駐車場の裏のほんの小さなスペースに鎮座している、まあ、まるで田舎の家の庭にあるお稲荷さんみたいな感じで、だれがこの神社の世話をしているのかもわからない。

 でも、地図によればその龜嶋神社のそぐそばに「初音の馬場」があったはずなんだけれどもなあ。

Dsc_00412

 なんでそんなに馬喰町にこだわるのかといえば、下の浮世絵。歌川広重の「江戸名所百景 春の部」にある「馬喰町 初音の馬場」という絵からなのだ。

「高田の馬場」は堀部安兵衛の仇討でも有名だが、まあ、当時は早稲田っていったら江戸の外れ、馬場があってもおかしくはない場所ではある。それが江戸のど真ん中、江戸府中日本橋のそばに馬場があったというのが、まず最初の驚き。

 調べてみると、徳川家康が関ヶ原の戦いの前の「馬揃え」をした場所だってのが、もう一つの驚き。だって、関ヶ原の戦いの馬揃えっていたら、相当の数の馬が必要だったはずなんだが、そんな広い場所が江戸の真ん中にあったんだ。

 で、そのつもりで歌川広重の絵を見ると、なんとものどかな風景が描かれているのだ。これが「馬場」を描いた絵? ってなもんである。

 まあ、江戸中期以降は初音の馬場もだいぶ縮小されてしまったようなので、それ以降ののどかな馬場の様子なのかもしれない。

Photo_2 ©Hiroshige Utagawa

 それにしても中央区教育委員会さん、地図にも載せているんだから、「ここが 初音の馬場 跡」位の碑文をおいてくださいよ。それとも、中央区も現在となっては場所が特定できないのかなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm F2.8 D @Bakurocho ©tsunoken

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