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« 『定年バカ』 | トップページ | 東急多摩川線下丸子は日本のイエナなのか »

2018年3月11日 (日)

光学通りとニコン大井製作所

 JR京浜東北線、東急大井町線、東京臨海高速鉄道の大井町駅の駅前から伸びている「光学通り」と、その先にある昔の日本光学、つまり今のニコンのことは以前にも、何度か書いた。つまり、その道の先にはニコンの大井製作所がある(あった)っていうこと。

Dsc_00073

 つまり、その日本光学大井製作所は昨年に取り壊されて、現在は来年の春を目指して5階建てのマンションの建設が行われているのです。

Dsc_00232

 じゃあ、現在のニコンカメラはどこで作っているのか……。

Dsc_00442

『マザー工場の仙台ニコンがフルサイズのデジタル一眼、ニコン・タイランドがAPSサイズの普及機から高級機種までのデジタル一眼、デ ジタルコンパクトなどを生産。デジタルコ ンパクトの大半の製品はOEM調達であり、その中心は三洋電機と亜州光学に委托しており、高級機種を三洋に、量産機種を亜州に発注している』

 というのだが、現在は中国での生産は辞めていて、基本的には日本国内とタイが生産拠点だ。

Dsc_00582

 てことなんで、今や「ライカのドイツはウェツラー」と並び称される「ニコンのオオイ」では、今はカメラは作っていないんですね。とはいうものの、大井事業所内にあるニコン映像カンパニー開発本部というのは残っていて、一眼レフほかのニコンカメラの開発を行っているのであるから、やっぱりニコンは大井のカメラって言ってもいいではないでしょうか。

 つまり、ニコン一眼レフのメルクマールであるニコンFを作っていた魂は、現在の大井事業所内ニコン映像カンパニーに生きているっていうことなんでしょう。

Photo ©NIKON

 そのニコンFを作っていた頃の大井製作所が上の写真。ライカが歴史に初登場したときからレンジファインダーの頂点を極めていた、というならまさしくニコンFも歴史に初登場したときから一眼レフの頂点を極めていたカメラだった。

 面白いのは、その両方とも大きな戦争とともに生まれてきたっていうこと。つまり第二次世界大戦がライカ・レンジファインダーだし、ベトナム戦争がニコン一眼レフなんですね。まさしく、「戦争がテクノロジーの発展を推進する」っていう、好事例なんですね。

 勿論、カメラは「戦争のための機械」ではないけれども。でも、単純に「平和のための機械」だとも言えないよなあ。

Dsc_00773

 ところが、この大井町駅前の写真屋さんが何故かキャノンの代理店だっていうのが……不思議。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Oi Shinagawa ©tsunoken

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