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2018年3月

2018年3月31日 (土)

やっぱり、花より団子!!

「~新潟のうまいもの、あつめました~」はいいけれども、「やっぱり、花より団子!!」って言っちゃうかあ!?

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 日本橋から銀座、新橋にかけての町はやっぱり日本で一番の繁華街ってことなんだろうか、全国各地のアンテナショップが立ち並んでいる。

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 勿論、人出が多いってこともあるんだろうけれども、それ以上にこの街を歩いている人たちの年齢構成っていうのもあるんだろう。

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 まあ、おばさんたちが多いってことなんですけれどもね。

「おばさん」→「時間とお金がタップリある」→「旅行なんかに出かける余裕がある」→「なので、そんなおばさんに地域を売り込め!」ってな感じなんでしょうね。

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 もう、オヤジじゃないんだよな。オヤジはお金を持っていても、使い方が分からないっていうか、使わしてもらえない。それに、仕事以外の分野はまったくもって興味がないし、知識もないし、勉強もしようとは思わない。

 濡れ落ち葉ならまだいい方で、外に出かけやしないし、どこに出かければいいのかも知らないし、知ろうともしない。で、真昼間っから飲み屋でウダウダやっているほうはまだいい。あとは公園で日がな一日、日向ぼっこですか。哀れなもんだ。

 まあ、そんなオヤジさんは桜の写真でも撮っておいてくださいな。

 もうオヤジはダメダメなんです。マーケティングの対象にもなりやしない。「団塊の世代」なんて言われて、子供の時からマーケティングの対象にされて無駄遣いを繰り返してきた結果が、そんなもんなんですね。

 で、まあマーケティングとしては「おばさん」なんですね。「団塊の世代」って言っても、「おばさん」の方。

 それはわかるんだが……。

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 だからって言って「~新潟のうまいもの、あつめました~」はいいけれども、「やっぱり、花より団子!!」って言っちゃうかあ!?

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Nihonbashi & Ginza ©tsunoken

2018年3月30日 (金)

心臓外科は卒業

 個人的な近況報告です。

 って「いつもそうじゃん」というツッコミは入れないように。

 一昨日、昨日と連荘で日本医大付属病院に行って、一昨日は手術を行った心臓血管外科、昨日は循環器内科の検診を受けてきた。

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 その結果、心臓外科の方はもう通わなくてOK。あとは年に一度だけ心臓の状態を調べるために検査をするけれども、まあ、それは治療じゃなくて検査だけなので、昨年10月の心臓バイパス手術に関しては、すべて終了ということになった。パチパチパチ……。

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 循環器内科は、それまでと同じ、要は経過観察ということで、この辺はメタボの主治医の森谷医院とのダブルドクター状態は変わらないわけなんだなあ。ちょっと、この辺が面倒くさい。

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 とは言うものの、手術から5ヵ月経って、とりあえず外科からは解放されたのでまあ良しとするか。

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 もう、毎月3っつの医者(とは言っても内2つは同じ病院なんだけれども)に通う煩わしさからは、少しだけ解放されたのであります。

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 もう医者は月に1回、一つの医者でいいじゃないかと考えるんだが、どうも世の中にはそれじゃあ心もとなくて、5つも6つも医者に通うのが好きな人がいるようだ。もう医者に行くのが趣味、っていうか日課というか、そんな人たちはどの医者の言うことを信じるんでしょうかね。

 同じ症状でいくつもの医者に通うというのは、セカンドオピニオンとかサードオピニオンとかあるのかもしれないが、要はそれは単に医者の言うことが信じられないっていうことなんでしょうね。そんなに信じられないのなら、医者なんかかからなければいいのに、でもかかるんですね。つまり、自分ではそんなに悪いとは思っていない病気なんだが、どの医者に行っても厳しいことばっかり言う。それはおかしいってことで、同じ病気で別の医者にセカンドオピニオンを求めていくんでしょう。

「自分は病気だ」という自覚はあるんだけれども、でも、そんなにたいした病気だとは思っていないので、厳しいことをいう医者は忌避するんですね。じゃあ、自分でたいした病気だとは思っていないのなら、医者なんか行かなければいいじゃない。って、結局これは堂々巡り。

 なんて話を病院の待合室で、横で話をしているご夫婦なんかがいたりする。うん、まあこれも世の中徒然なんだなあ。

RICHO GRD III @Sendagi ©tsunoken

2018年3月29日 (木)

高崎映画祭開催中!

 特に定期的な定点観測というほどではないのだけれども、年に数度は高崎に行く。まあ、上野や池袋から2時間ほどで着いてしまうので、ちょっとその気になれば行けてしまうというのもあって、行きやすいっていうのもある。

 前橋はそこから両毛線に乗り換えていかなければならない、っていうのがネックなんだなあ。で、もう前橋は完全に死んだ街になってしまっているし……。

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 今回行ってちょっとびっくりしたのは、東京方面から高崎駅に入る直前の左側にある高崎アリーナというスポーツをメインとした多目的イベントスペースと、高崎駅西口駅前にできた高崎オーパ(OPA)という、北関東最大(だそうだ)のファッションビルができているってこと。

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 もともと高崎の街は高崎市役所(元高崎城)や高崎駅ビル・モントレー、高崎高島屋など、旧中山道があった高崎駅の西側がメインとなって発展してきた町なんだが、近年、ヤマダ電機本店や本社が高崎駅東口駅前にできてからは、これからは高崎市は駅の東口がメインになるものと思われていた。

 こうなると東口対西口のイニシアティブ争いも一層激しくなってくるものとも思われるのだが、一方、車社会の進展とともに町中心部がどんどん寂しくなってしまってきている群馬県の都市の中で、これだけ町の中心部の再開発が進んでいる様子を見ると、いやいや、なかなか高崎も捨てたもんじゃないぞ、という気分にもなってくる。

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 ただし、そうは言っても街の中心は変わってきており、上の写真の「あら町」交差点がある旧中山道が昔の高崎のメインストリートだったんだが、そこからもう少し駅に近いほうにもう一つ大きな道路ができていて、そちらのほうにメインストリートの地位は奪われそうだ。

 ユニークな存在である「シネマテークたかさき」もそんな旧中山道に面してあるんだが、今後どうなるんだろう。

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 で、もう何年も前から寂れ始めていた、旧中山道の裏側にある「中央ぎんざ街」も、いまや風前の灯火で、ほとんどの店が閉店してしまっていたり、クラブなどの風俗店に変わってしまっている。

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 そのシャッター通りっぷりは前橋ほどではないけれども、まあ、そんなもので前橋と張り合っても意味はない。前橋はもうとにかくシャッター、シャッター、シャッター……なんだが、まだ高崎の方が風俗街にでもなりそうで、少しは期待が持てるってもんだ。

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 高崎映画祭は高崎市の自主上映グループを中心にNPOを立ち上げて開催している独立系映画祭で、上記のシネマテークたかさきをメイン会場にして、1987年に第1回を開催し今年で32回目になる。

 今年はエルネスト・チェ・ゲバラの実話に基づいた『エルネスト』をメインに開催中だ。

 公式サイトはコチラです。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER ULTRA-WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Takasaki ©tsunoken

 

2018年3月28日 (水)

東上線下赤塚から赤塚城址へ

 昨日はある企画のための予備取材で赤塚城址まで行った。以前にも一度ブログに書いたことがあるので、ご興味のある方は2014年12月5日のブログ「赤塚城(址公園)と東京大仏」をお読みください。

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 ただし、その時は三田線の新高島平から歩いたので、山城を麓からエッチラオッチラ上がっていく感じだった。今回はちょっとラクをしようと、逆に山の上の方から降りていこうということで、東上線下赤塚から歩き始めた。まあ、それこそが予備取材の理由なんだけれどもね。

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 下赤塚から東の方へ歩き始めると赤塚中央通りという商店街を歩くことになる。

 途中、「鎌倉古道」というものと交差するんだが、まあ、この辺は関東地方の町を歩いているとそこいら中にこの「鎌倉道」が出てくる。それだけ関東武士にとっては鎌倉幕府・源氏、つまり「いざ、鎌倉」っていうのが大きな存在だったってことなんだろう。

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 赤塚中央通りをしばらく行くと松月院前交差点に出て、道は東京大仏通りに名前を変える。

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 で、この松月院(萬吉山宝持寺)という曹洞宗のお寺が、実は赤塚城の三の丸の跡に作られたお寺で、赤塚城を作ったとされる千葉自胤の墓もここにある。

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 松月院から少し坂を下りると、再び山を上がったところにあるのが東京大仏、赤塚山乗蓮寺。ここが赤塚城二の丸跡。

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 で、乗蓮寺から少し谷を降りて再び上ると赤塚城の本丸があった広場に出る。ここは都立赤塚城址公園として整備されている。

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 多摩丘陵の東の外れにあるここ赤塚は、目の前が徳丸ヶ原と呼ばれる低地で、赤塚城の置かれた場所も、如何にも「平山城」という「砦」の場所に位置している。いかにも中世の城という感じだ。

 この赤塚城の支城が、京浜東北線上中里にある、やはり千葉氏(ただし自胤とは別人物)が作った平塚城なんだが、やはりこちらも平山城で、やはり見晴らしの良い場所に砦としての城を作るんだな、というのがまさしく中世の城。赤塚城も平塚城も太田道灌のバックアップで、石神井城の豊島氏を討つために作られた城らしい。

 下赤塚からはちょうどよい散歩コースなんだが、問題は散歩の後の居酒屋だな。

NIKON Df AF NIKKOR 35mm f2 D @Akatsuka ©tsunoken

2018年3月27日 (火)

馬喰町初音の馬場跡に馬場はなかった

「馬喰(ばくろう)」なんて言うとちょっと恐ろしげに聞こえるが、まあ、別にそんなに驚くほどのもんじゃない。要は、馬の世話をしたり、売り買いをしたりしていた人たちのことなのだ。「博労」とも書くし、元々は「伯楽」からきた言葉らしい。「博労」というから、博打くらいはたまに打ったかもしれないが。

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 それはどうでもいいんだけれども、そんな馬喰たちが住んで、仕事をしていた町が日本橋のそばの馬喰町なのである。靖国通りと江戸通りの交差点から始まって、馬喰町一丁目があって三丁目まである。

 現在はお隣の横山町からのしてきた繊維問屋や洋服屋さんの町になってしまっており、お隣の横山町と一緒に「馬喰横山」という駅名がこの地域の呼び名になっている。で、ここに「初音の馬場」という馬場があったというのが地図にも載っている。

 まあ、「馬喰の町」なので、馬場位あっても普通……、とは考えたんだが……。

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 地図には「ここにあったはずだ」的は表示が載っているんだが、現在のどの場所なのかがわからない。表通りは問屋さんのビルばっかりで、それらしき表示も何もないし、じゃあ、裏通りに入っていっても……らしきものはない。

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 ようやくビルの谷間に見つけたのがこの「龜嶋神社」という小さな神社だけ。

 それも駐車場の裏のほんの小さなスペースに鎮座している、まあ、まるで田舎の家の庭にあるお稲荷さんみたいな感じで、だれがこの神社の世話をしているのかもわからない。

 でも、地図によればその龜嶋神社のそぐそばに「初音の馬場」があったはずなんだけれどもなあ。

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 なんでそんなに馬喰町にこだわるのかといえば、下の浮世絵。歌川広重の「江戸名所百景 春の部」にある「馬喰町 初音の馬場」という絵からなのだ。

「高田の馬場」は堀部安兵衛の仇討でも有名だが、まあ、当時は早稲田っていったら江戸の外れ、馬場があってもおかしくはない場所ではある。それが江戸のど真ん中、江戸府中日本橋のそばに馬場があったというのが、まず最初の驚き。

 調べてみると、徳川家康が関ヶ原の戦いの前の「馬揃え」をした場所だってのが、もう一つの驚き。だって、関ヶ原の戦いの馬揃えっていたら、相当の数の馬が必要だったはずなんだが、そんな広い場所が江戸の真ん中にあったんだ。

 で、そのつもりで歌川広重の絵を見ると、なんとものどかな風景が描かれているのだ。これが「馬場」を描いた絵? ってなもんである。

 まあ、江戸中期以降は初音の馬場もだいぶ縮小されてしまったようなので、それ以降ののどかな馬場の様子なのかもしれない。

Photo_2 ©Hiroshige Utagawa

 それにしても中央区教育委員会さん、地図にも載せているんだから、「ここが 初音の馬場 跡」位の碑文をおいてくださいよ。それとも、中央区も現在となっては場所が特定できないのかなあ。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm F2.8 D @Bakurocho ©tsunoken

2018年3月26日 (月)

石川台希望ヶ丘商店街……えっ?

 東急池上線に石川台という駅があり、その駅のそばから展開している「石川台 希望ヶ丘商店街」という商店街がある。

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 とはいうものの、石川「台」というのは駅から洗足池駅方面だけで、「石川台 希望ヶ丘商店街」があるのは住所としては東雪が谷、つまり「谷」なんですね。

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 石川台と次の雪が谷大塚の間に呑川という川が流れているんだけれども、その川に沿った形で「石川台 希望ヶ丘商店街」は展開している。石川台と雪が谷大塚は丘の上にあって、「石川台 希望ヶ丘商店街」は谷底にある商店街なんだ。

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 まあ「〇〇台」とか「〇〇ヶ丘」ってつけたほうが通りがいいってなもんで、そんな名前をつけるんだろうが、町の名前を聞いてもわかっちゃうし、結局地形を見ていれば「川沿いの谷間の町だ」っていうのは、わかっちゃうんですね。

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 で、その商店街も以前はもっと賑やかだったような気がしたんだが、だんだん規模が小さくなってきて、いまやかなり寂れた短い商店街になってしまった。

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 商店街のスタートから500メートルも行かない先には、もはや商店はなく、住宅街になっている。

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 で、その先が東海道新幹線を新横浜から品川に進んでいくと左手に見える畑があるんですね。えっ? なんでこんなところに畑があるんだろう? ってなわけです。

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「あの畑は何だ?」って、結構苦労しながら探したことを思い出した。

 大田区のど真ん中にある「市街化調整区域」なんですね。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Higashi Yukigaya Ota ©tsunoken

2018年3月25日 (日)

みなとみらい寸景から…話は変わって…

「寸景」という言葉はもともとの日本語にはない言葉だ。

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 まあ、使っている方としては「ちょっとした風景」っていう気分なんですけどね。

 実はこれは「Snapshot (スナップショット)」の日本語訳なのである。Snapshotというのは写真用語のようでいて、本来はそうじゃなくて、軍事用語っていうか、銃器用語なのである。つまり、ちょっと離れたところから狙って弾丸を発射するっていうこと。我々がイメージする「スナップ写真」よりは、より積極的にターゲット(つまり「被写体」)を狙っているという感じだ。

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「撮影」自体を「Shot」とか「Shooting」とかの射撃用語というか軍事用語からの援用が多い、写真撮影用語。それだけ写真っていうのは、実は剣呑な存在なんだということなんだろう。

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 なんたって、こんなアクセサリーがあるくらいなんですよ。もうこれは完全にライカをライフルにしちゃうっていうパーツなんですね。

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 これを見て「カメラは平和のための武器なんだ」なんて寝ぼけたことを言う人がいるんだろうか。というか、これを見たら完全にカメラは戦争の武器なんだってことがわかる。

 っていうか、ライフルもカメラも戦争の道具になるのか、平和のための道具になるのかは、結局は道具そのものにあるのではなく、それを使う人次第だってことなんだ。

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 なあんてことを言ってしまうと、それは全米ライフル協会と同じことを言っているんだけれども、実際にはそれは事実。

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 っていうことは、カメラを持つ人にもこれからは資格が必要になる時代が来るって可能性もあるということになるんだろうか。

 例えば、一級カメラ士はどんなカメラ(デジタルもアナログも)を持ってもいいが、二級カメラ士はデジイチまで、三級カメラ士はミラーレス一眼まで、四級カメラ士はスマホで我慢しなさい。ってな感じになっても、でも誰も困らない。なぜなら、みんなスマホで写真撮っちゃえばいいんだから。

 えっ? レンジファインダーだって? そんなものは博物館だけに所蔵が許されて、一般カメラ人士は持ってるだけで「危険思想だ!」「反乱罪だ!」ってなって、捕まっちゃいます。そうなると、ライカなんかは闇市で取引される麻薬みたいなもんになるんだろうか。

 まあ、確かにライカには麻薬的な魅力はあるもんなあ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER ULTRA-WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Minato Mirai Yokohama ©tsunoken

2018年3月24日 (土)

地名の由来の妙:「青物横丁」と「土物店」

 京浜急行の青物横丁の駅で降りる。つまりそこは東海道品川宿だ。

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 東海道品川宿は現在の京浜急行北品川駅あたりから目黒川までが北品川宿、目黒川以南が南品川宿となっていたらしい。

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 品川宿本陣は北品川宿の方に置かれていた。現在でもその場所は公園になって保護されている。

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 で、目黒川から南の方にあるのが、現在「青物横丁」と呼ばれている商店街である。住所としては品川区南品川であって、青物横丁というのは地名ではない。

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 なぜ「青物横丁」という名称がつけられたのか、というのはまあ予想通りだ。

『この地は江戸時代から青物の市場があり、大きな八百屋が軒を並べて、たいそうな人出であったようだ。品川、大井、大森、蒲田はその昔は半農半漁で栄えてきた村や町であったが、この辺りで収穫された野菜を、農家の人が自分で大八車、牛車、馬車を使って、青物横丁に持って来て取引をしていた。遠くは馬込や千束の方からも運んでいたようだ』(旧東海道品川宿周辺まちづくり協議会刊「ぐるり品川道しるべ」兼坂 弘道 より)

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 ところで同じような経緯をたどって名付けられた場所がある。

 場所は東海道とは逆の江戸北側にある日光御成道(本郷通り)の白山。まあ、こちらも中山道の脇道だ。ただし、宿場町ではないけれどもね。

『駒込の農民が毎朝、青物を下町へかつぎ売りの途中、駒込天栄寺境内のさいかちの大木で休憩していると近隣の人々や通りがかった人々が野菜を買い求めて集まるようになりました。
 そこですぐに野菜の売り買いを仲介する者が現れ、市場が形成されていきました。
 良質な名産品の駒込なす、にんじん、ごぼう、大根、芋の他、土のついた野菜が持ち込まれたので「駒込辻のやっちゃ場」、「駒込土物店」と呼ばれるようになりました。
 やがて神田、千住の両市場とともに青物三大市場のひとつに数えられ、幕府の御用市場として栄えました』 (東京豊島青果市場HPより)

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 両方とも、街道筋に近隣の農家から野菜を持ち込んで売り買いをしたというのが市場の始まり、というまさしくピュアなビジネスの原点みたいな話。

 面白いのは、片方はそのまま普通の商店街になって、名前は「青物横丁」という商店街の名前として現在も残っているんだが、もう一方は、単なる野菜商店街ではなく、青果市場となって江戸三大市場のひとつになった代わりに、地名・通称としては残らずに、単なる「駒込土物店跡」という名前で、駒込天栄寺という最初に市場が出来上がった場所に碑だけが残っているという違い。

 もっとも、青物横丁といっても、現在はコンビニがあるだけで「八百屋」はほとんどなくなっているんだけれどもね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER ULTRA-WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Kita Shinagawa, Minami Shinagawa & Hon Komagome ©tsunoken

2018年3月23日 (金)

『文藝春秋オピニオン2018年の論点』雑誌を電子で読むという体験

 昨年末に刊行された『文藝春秋オピニオン2018年の論点100』というムックの特集記事が、『文藝春秋オピニオン2018年の論点100 SELECTION』として電子版で切り売りされている。

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 切り売りされているのは……

『見開き2ページで日本の課題がわかる! 最重要テーマに最速アクセスの頼れる決定版

自民一強「2017年体制」改憲論議はどこまで進むか
北朝鮮の脅威に立ち向かうには
AIが新しい産業革命を引き起こす
離脱者続出トランプ政権の命運
習近平「強国」戦略の悪夢
天皇退位「代替わり」で何が起こるか』

 などなど8本程度の特集記事。で、そのうち『社会人の教養は人、本、旅』と『米中覇権争い』の二つを「切り買い」して読んだ。

 雑誌というものを私たちはよく買うんだが、しかし、その雑誌の記事全部に目を通すということは、基本的にありえない。まあ、気になる特集記事なんかがあると、その雑誌を買い、その特集記事を読んだ後は、なんとなく気になった記事だけを読んで、あとは捨てる、っていうのが普通の雑誌の読み方だ。

 なので、駅の売店などで買った週刊誌などを、そのまま全部持っていても邪魔になるだけなので、電車の中でビリビリ破いて読みたいところだけを残し、残りは全部捨てるっていう読み方を。私は一時やっていた頃があった。でもこういうことをやっていると、「アイツ何やってんだ」的な見方を周囲の人がしているのはよくわかるんですね。要は「変な奴」扱いだ。

 実は、その読み方っていうのはある人がやっている方法で、そのことをある本で読んで、「なるほど、そういう読み方ってあるんだ」と思って真似をしていただけなんだけれども、なんか電車の中で変人扱いされるのもなんなんで、その後はやめたんだけれども、でも、その雑誌の読み方って今でも有効だとは考えている。

 で、電子版ということで、特集記事の切り売りができるっていうのは、「なるほど!」的な発見だったわけなんですね。まあ、一種の「効率的な雑誌の読み方」ってわけです。

 電子版だったら、本を作るための製造費とか、最低の単価を決める必要はないわけで、別に効率の良いページ数のあり方とか、定価のつけ方っていうのは別に関係ない。当然、全部買ったほうが割安なのは分かるんだが、だからといって読みたくもない記事を一緒に持って歩くというのは効率面からいって決して良いわけではない。

 なるほどこりゃいい読み方だ。ほかの雑誌もこういう読み方ができればいいのだがなあ。

 ということで、まず『社会人の教養は人、本、旅』なんだが、要はこういうこと。

『人、本、旅で知識を蓄えたら、忘れないうちにアウトプットするといいでしょう。家族でも友人でもいいから、とにかく誰かに話して聞かせる。他人に話すと、「このエピソードはウケたな」とか「ここは退屈なのか」とか、相手の表情から反応を読み取ることができます。そういう刺激が、自分の考えをまとめ、記憶するのにも役立ちます。
 話して聞かせる相手がいなければ、ブログなどで文章にまとめてネットで公開するのがいいでしょう。日記をつけるよりも、何でもいいから、他人に向けて発信することをおすすめします。』

 ということ。

 人に会う、本を読む、旅に出るっていうことで、いろいろな体験を積むことは大事なんだけれども、しかし、それ以上に大事なのは、それらの体験を「アウトプット」すること。アウトプットすることで、本当にそれらの体験や知識があなたの身につくっていうことなんだなあ。この辺は私も同意することで、まあ、このブログなんかもそのために書いているっていうか、皆さんにお付き合いいただいているようなわけです。

 もうひとつ、『米中覇権争い』については、まずアメリカの歴史から学びます。

『そもそも歴史的にみても、アメリカという国は初めから一体的な強大な国として出来たわけではありません。まず北部には、イギリスから逃れた清教徒(ピューリタン)、すなわち理想主義的なキリスト教原理主義者が入植します。そして、ほぼ同時期に、南部にはプランテーション経営を行う、現実主義的で重商主義的な植民地主義者たちが入植してくる。大きくいえば、この二つの勢力のせめぎあいがアメリカの歴史の根底にあるといってといっていい。』

『興味深いのは、これまでは独立戦争、南北戦争といった歴史の大きな節目では、つねに普遍主義を掲げる北部が勝利を収めてきたことです。もしも南部が勝ち続けてきたら、まったく別のアメリカになっていたはずです。これは単なる「歴史のIF」ではありません。今後、トランプのような大統領を選び続けたら、そうなる危険性は十分にあるのです』

『アメリカは今も資源豊富で広大な国土に、世界中のあらゆる分野のクリエイターたちが集まり、世界一過酷な競争を繰り返している国です。その勝者たちが世界一の経済・技術大国を牽引するのです。多くの敗北者が存在しますが、国家としてのダイナミズムには圧倒的なものがあります。そして先進国では珍しく、若年労働人口が増加しています。こうした国は世界でも他にありません』

『もし中国が強引にアメリカに覇権争いを挑めば、最悪の場合、「第二次太平洋戦争」を引き起こす可能性もあるのです』

               

『今後アメリカには、自らが抱える、普遍主義と内向き志向の振り子の振れ幅を見極めつつ、中国といかに向き合うかという舵取りが迫られるでしょう。中国が、国際社会における普遍的な価値を受け入れるような枠組みを築くことが、アメリカのリーダーシップに求められます』

 ということで、アメリカに学ぶという点があるのならば、それはアメリカという国の成り立ちと、その歴史だということなんですね。

 で、多分、この読書経験(といっても雑誌の特集っていう程度なんで、たいしたことはない)をも、やっぱりアウトプットが大事なんですよってことなんでしょう。

「人、本、旅、歴史」って、現役引退した身にとってはすべて「体験、勉強」可能な世界だ。

 せいぜい、私もそんな体験や勉強をしていきましょう。

2018年3月22日 (木)

映画『去年の冬、きみと別れ』のカメラが気になって

 寒い雨(雪?)の日は映画を見に行くに限る、ってことで気になっていた『去年の冬、きみと別れ』を見に行った。

2 『去年の冬、きみと別れ』(原作:中村文則/脚本:大石哲也/監督:瀧本智行/エクゼキューティブ・プロデューサー:濱名一哉/製作幹事:ワーナーブラザース映画/共同製作:ワーナブラザース映画・KADOKAWA・LDH・幻冬舎・PARCO・WOWOW・博報堂・KDDI・ローソン・日本出版販売・GYAO!・朝日新聞社・C&Iエンタテインメント/2018年3月10日公開)

 そもそも見に行ったのは、私のブログからリンクを張っている、「アローカメラ&我楽多屋」という、四谷荒木町にある中古カメラの買取とジャンク品の販売をおこなっているお店のサイトで、機材協力をした記事があって、「んじゃあ、どんな機材を使っているのか見てやろうじゃないの」ってな動機でありました。

 だいたい、映画屋さんって何故かスチール・カメラには興味がないっていうか、気を使わないことが多い。、例えば記者会見シーンなんかがあって、当然その最前列には報道カメラマンがいるんだけれども、彼らのカメラの構え方が両手でカメラの両端を持っていることに対して全然ダメ出しをしていないんだなあ。本当は一眼レフなら右手はカメラ右端を持って指先はシャッターボタンにかける、左手はレンズ鏡胴でフォーカス合わせでしょ。ところが両手でカメラの両端をもって構えていることに対して、なんでそれで問題なしなんだよ。そのシーンだけで、我らスチール写真屋はその映画に対してシラケた気分になってしまうんだ。

 映画屋さんだって、元々はスチールカメラもやっていたんだろうし、映画の学校だってスチールとムービーの両方を教えている学校は多いはずだ。ところが映画製作の現場に入ってしまうと、その辺の雰囲気はすっかり忘れて、写真屋を裏切っちゃうんだなあ。

 で、そんなことには五月蠅いはずの中古写真屋さんが機材協力とあっては、そりゃその辺の出演者のカメラの扱いにはキチンとしているんじゃないかという期待があった。

「アローカメラ&我楽多屋」のサイトには提供した機材の写真が載っていて、ニコンらしい一眼レフが二台、ペンタックスらしき一眼レフが一台、レンジファインダーカメラが一台、真っ黒でよくわからない一眼レフらしきカメラが一台がそこにはある。当然、みんなフィルムカメラだ。ニコンの二台のうち一台はデジイチのようにも見えるがフィルム巻き戻しクランクらしきものが見えるので、多分それもフィルム一眼。

Photo 我楽多屋提供カメラ・レンズ ©Garakuta-ya

 ふーん、まだ映画屋さんの考えでは「プロの写真家はフィルムカメラで撮るんだ」という意識があるんだろうな、なんて気持ちで映画を見始めた。最初に出てくるのはライカM7、次がハッセルブラッド。で……、それ以外はストーリーに絡んだ形では全く出てこないっていうのはなんなんだろう。

 上記のブログで気になったのが『カット的に大きく映り込むこともない点、火事になる現場で使う点などから、それほどディテールにこだわらなくても良い』『燃やされてしまう可能性があること』なんて書いたあったこと。

 そうか火事のシーンのバックで使ったのか、と納得したものの、でもそれだったらカメラなんかなくても、カメラバッグがあればよかったじゃん、なんて考えながら見ていたのだった。

 まあ、それはそれとしてカメラや写真機材の扱い方については問題がなかったので、それはそれでよしとしよう。

 で、映画なんだが、原作の『去年の冬、きみと別れ』はサイコ・サスペンスとかサイコ・ミステリーに属する作品なんだろう。作品の進行とともに誰が本当の犯人なのかわからなくなるストーリー構成。その原因が主人公(?)のフォトグラファー木原坂雄大とその姉の木原坂朱里にあるのか? 犯人(どの殺人の?)は木原坂雄大なのか、主人公の耶雲恭介なのか? 、松田百合子と吉岡亜希子はどうなっているのか? 、実は本当の犯人は編集者の小林良樹じゃないのか? というか、なぜ映画は「第二章」から始まるのか? という謎をそのまま放っておいてストーリーは展開する。

 原作小説と映画ではストーリー展開は異なっているし、登場人物の造形も多少変化させている。それは当然、文字作品と映像作品というメディアの違いが、ストーリー展開において異なることは必要なことである。若干の登場人物の設定も変化している。大きな違いは……、あ、これを言っちゃえばネタバレになってしまいますね。

 フォトグラファーが主人公のサイコ・ミステリー映画といえば、ミケランジェロ・アントニオーニの『欲望』という作品があった。主人公のフォトグラファー、トーマスが主に使っていた機材はニコンFに標準50mmレンズだった。まあ、普段の散歩カメラだったらしく、仕事では50mm一本やりではなかったんだろうが、映画に出てくるのは50mmレンズのみ。一流のフォトグラファーはレンズは数少なく持っているもんだ。やたら多くの種類のレンズをもってそれを振り回しているのは三流カメラマンの証拠。なんて言っちゃうとニコンFを何台も首から下げて水俣を取材していたユージン・スミスはヘボ・カメラマンなのかといえば、もしかしたらそうなのかもしれない。

 今回のtsunokenはネタバレはしないように心がけています。普段はネタバレ大好きなんで、今回はカメラ方面に話を振ったりして苦労をしているんですけれども、それは何故かといえば、やっぱりミステリーでネタバレはまずいかな、と。っていうか、ネタバレ好きのtsunokenは当然原作は先に読んでいたんだけれども、原作から映画にする部分で結構センシティブなところがあるので、さすがに今回はネタバレはまずいかなという判断をした。

 まあ、勿論ちゃんと結末はあるのだが、勿論、その結果誰かが警察に捕まるということはないわけなのですね。まあ、この辺は映画ならではのストーリー処理だ。テレビではこれはできない。

 実はネタがほとんどのこの作品。ネタバレさせちゃうと、映画を見る楽しみがなくなってしまうので、今回はネタバレしないように心がけているんですけれどもね。

 ところで、本映画のエクゼキューティブ・プロデューサーをやっている濱名一哉とは、彼がTBSに在職中(当時の名前は山下雄大!)に一緒に仕事をしたことがある。勿論、TBS生え抜きではなく、懲りないプロデューサーとして有名だった山本又一郎プロデューサーのフィルムリンク・インターナショナルに所属していた時期があったことだけは知っていた。

 TBS退社後も彼の作品は気になってみていたのだが、今回の作品は企画自体が彼がスタートらしい。う~む、なかなかいい仕事をしたんだなあ。

 ヨカッタ、ヨカッタ。

2018年3月21日 (水)

ニュー新橋ビルがなくなっちゃうよ

 サラリーマンのおじさんへインタビューする定番の場所といえば、こりゃもう新橋駅日比谷口のSL広場ですよね。

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 そのSL広場の前に堂々と立っているのが「ニュー新橋ビル」であるってことも、もう既に皆さんご存知の通り。

 第二次大戦時に米軍の空襲を受けて焼け落ちた新橋西口。そこは戦後すぐに闇市となったがいち早く不法占拠の露店などを整理したテキ屋の関東松田組や新橋商事という会社によって「新生マーケット」というのができたそうだ。でも、この新橋商事ってのが、これもなんか怪しいんだなあ。当時の港区長が作った会社らしい。う~ん、ますますもって怪しい会社。

 このマーケットに地権者として参加していた人たちがもとになってできたのがニュー新橋ビルで、それは1971年のことだった。いやあ、もっと古いビルだと思ってたんだが、そうか1971年を古いとみるか、それほど古いと思わないか、っていうことで自分のジジイぶりがわかるんだなあ。もう。できて50年もたつビルなんだなあ。

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 ビルの1階から4階までは商店が入っていて、これがなかなかレトロ(いやいやただ単に「古い」という声もあり)な店が多くて、いかにも昔の闇市っていう感じがするのは、上野のアメ横と同じですね。

 来ているお客さんも「なかなかレトロ(いやいやただ単に「古い・ジジイ」という声もあり)」な人が多く、若い人たちは少ない。

 高層階はオフィスが入っていて、当時、港区や東京周辺でいくつもの場所で小さな書店を経営しているチェーン店(名前は忘れた)の社長室があって、たまに訪れていたのを思い出した。

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 で、地下に降りてみるとこれまた「なかなかレトロ(いやいやただ単に「古い・ジジイ好み」という声もあり)」な店が多くて、なんか昔の「純喫茶(!?)」みたいなのや、まるで「飲み屋さん」みたいなお店がかなり多くある。

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 っていうか、まあ完全に「飲み屋さん」であって、単に昼間はランチや定食を出しているっていうだけのことなんだけれどもね。で、これらのお店。要は基本は飲み屋なので、真昼間っからお酒を出してくれるんですね。

 まあ、定年引退オヤジの味方みたいな店なんです。

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 ところがこのニュー新橋ビル、2023年には地上30階、高さ120~130mのビルになってしまうそうだ。再開発の理由は「老朽化」だっていうんだから、確かに50年っていうのは「老朽化」なのかもね。で、新しいビルになってしまうと、当然そこは「今の新しいビル」なんで、現在のニュー新橋ビルみたいな雑駁な地下街なんかはなくなっちゃうんだろうな。

 まあ、多分それこそ「またひとつ姿を消す、昭和の遺構」なんて記事が新聞に載るんだろうな。

 ああ、つまらない。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Shimbashi ©tsunoken

2018年3月20日 (火)

有楽町から散歩、銀座、築地、勝鬨へ

「銀座を散歩」という場合には二通りの方法がある。

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 ひとつはJR神田駅か東京駅で降りて、神田か京橋から中央通りを南へ行き、新橋まで行って、有楽町か東京駅まで戻ってくる、という「南←→北」パターン。

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 もう一つは、JR有楽町で降りて、晴海通りを銀座四丁目を越えて築地、勝鬨、月島までいって、そこから途中のどこかへ戻るか、あるいは門前仲町まで歩いて東京メトロ東西線で帰ってくるという「西←→東(途中→南へ左折)」パターン。

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 実は以前はどちらかというと二つ目のパターンで歩くことが多かった。何故かといえば、「中古カメラ店」である。

 銀座という街は、世界でも珍しいくらいの中古カメラ店が集積していた街だったのである。それがいつの間にか櫛の歯が抜けるように無くなってしまって、現在は有楽町から数えると、スキヤカメラニコンハウス、レモン社、清水カメラ、スキヤカメラ本店、カツミ堂、三共カメラの6店だけになってしまった。以前は、有楽町から歌舞伎座前までで現在の倍くらいのカメラ店があって、それらを覗いているだけでもかなりの時間潰しになったもんなんだが。築地万年橋のたもとでつい最近まで営業していたミヤマ商會も閉店してしまったしなあ。

 ちょっと前まで、まだ頑張って開いていた店も現在のようなデジカメ全盛になってしまうと、「中古カメラ」「ビンテージカメラ」という発想がなくなってしまい、世の中の大半の人が中古カメラに見向きもしなくなってしまった、っていう理由があるんだろう。

 カメラは以前は「耐久消費財」だったんだが、今や単なる消費財だもんなあ。

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 それはそれでしょうがないんだけれども、そうなると「銀座歩き」の楽しみの一つがなくなってしまい、勢い、「歩くことが目的」みたいな散歩になってしまうんだなあ。

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 なので、どんどん歩いて勝鬨交差点まで着くと左(南)へ方向転換、月島は月島仲通りか、清澄通りを通って、佃島、越中島を通って門前仲町に至るというコースになってしまい、それももう何度通ったことだろう。

 ちょっと飽きてきた。

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 新橋往復というのは、それ以前に飽きているので、それでも銀座の人通りの多さのおかげでまだ歩く気になるのだけれども、ねえ、築地以東の晴海通りと清澄通りはウィークデイにはそんなに人は歩いていないしなあ。

 それぞれ、全部歩くと1万歩コースなんで結構よいメルクマールになっていたんだが、もうちょっと別の「定番散歩コース」を作っておこう。

EPSPN R-D1s VOIGHTLANDER ULTRA-WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Ginza Tsukiji ©tsunoken

2018年3月19日 (月)

六義園枝垂れ桜はそろそろ見頃に

 靖国神社のソメイヨシノは六輪開花したので、気象庁による「開花宣言」なるものが高らかに発せられたのであるが、我が六義園はどーなっておるのか。

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 入り口には「しだれ桜開花状況」という掲示に「花一輪」がついていて(一つから五つまであります)「咲き始め」という表示が出ている。枝垂れ桜っていのは彼岸桜の一種なんでソメイヨシノよりは若干先に咲く。んじゃあってなもんで、押っ取りカメラで駆け付けたわけなのだった。

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 行ってみたんだが、まだまだ開花状況としては靖国神社のソメイヨシノと変わらない感じで、確かに数株は開花しているものの、まだまだ大半は開花直前のつぼみ状態。

「桜も女性も開花直前のつぼみの段階が一番いい」なんてセクハラもどきの言葉を発する輩は別にして、やっぱりもう少し開花してほしいなあ。

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 しかしまあ、完全に開花する前の状態でもなんとなく春めいてきてウキウキするのは確か。

 六義園の枝垂れ桜は、実は三つの株からなっていて、それが一緒のところに生えている、というか生わしているというか、そんな感じなのですね。で、どうやらその三株がともに寿命が近くなってきており、上から見るとちょっと寂しい感じになってきている。

 まあ、桜は下から見るもんだ、ってのが本当は正しいんだということは知ってはいるんだけれども、ウチのマンションの屋上からは「上から目線で見た六義園の桜」てのがお楽しみなんで、ちょっと言ってみただけ。

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 勿論、そのための対策は既にできており、真ん中の池の対岸にある「吹上茶屋」の脇に新しい枝垂れ桜が植えてあり、こちらも少しずつ開花が進んでいるので、六義園に行った際には表の方のしだれ桜ばかりじゃなくて吹上茶屋まで足を運んでください。

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 しだれ桜の脇にはちゃんとソメイヨシノもあります。まあ、なんて言っても駒込はソメイヨシノの産地だからね……。なあーんちゃって、本当はソメイヨシノのは豊島区駒込の方で、文京区本駒込じゃないんですけれどもね。

 毎年おなじみの「しだれ桜と大名庭園のライトアップ」も3月21日(水・祝)から4月5日まで実施します。ライトアップは日没から21時まで。

 その後は、駒込駅前か巣鴨駅前の居酒屋などで打ち上げでも何でもやってください。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER ULTRA-WIDE HELIAR 12mm f5.6 & NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f2.8-4 D @Rikugien ©tsunoken

2018年3月18日 (日)

『1968 新宿』

Rimg00053 『渡辺眸写真集 1968 新宿』(渡辺眸著/街から舎/2014年8月30日刊)

 1942年生まれの渡辺眸氏は1968年の学生運動をメインで担った「団塊の世代」よりは少し前の世代になる。どちらかというと大学院生として東大全共闘委員長になった山本義隆に近い立場ということになるのだろう。

Rimg0006 ©Hitomi Watanabe

『これらの写真群は1967年からボチボチ撮りはじめた。
メディアでフォークゲリラと呼ばれた集会が機動隊によって排除され、
新宿西口「広場」が「通路」になった1969 年頃までの写真が中心だが、なかでも1968 年に撮ったフィルムが最も多かった。

当時、ある編集者にはじめて連れて行かれたのが新宿御苑近くのユニコンという酒場だ。
それからは、モダンジャズを聴かせるビザール、トレビ、木馬やDIG、
いまも健在なDUG やピットインを梯子してまわった。
花園神社での唐十郎の紅テント、ATG のアヴァギャルド映画、
歩行者天国が出来る前の路上のハプニング(パフォーマンス)……。
アンダーグランドという言葉にも新宿で出会い、らりってるフーテン達に遭遇したのもこの頃である。
渋谷や下北沢、吉祥寺ではなく、新宿が文化だった。

そんな日々が続くある夜、新宿周辺が群衆で大混乱になっているのに出くわした。
「10.21 国際反戦デー」だ。デモ隊にもみくちゃにされながら、
情報として知っていただけのベトナム戦争がもたらすものを、私は全身で体験したのだった。

1968 年の新宿に、時代が集約されていた。 ……H.W.』

 と書く渡辺氏だが、写真集の構成でもわかるように、新宿フォークゲリラや10.21 国際反戦デーなどの当時の学生(を含む若者)の反乱に出会ったのは、写真を撮り始めて「やがて」の時期だったようだ。

Rimg0004 ©Hitomi Watanabe

 そんなわけなので、学生反乱を捉えた写真は、私からすると、どちらかというと凡庸な学生運動の写真のように見える。

Rimg0002 ©Hitomi Watanabe

 むしろ、それに至る中央線ホームの行き先表示板とか、ペトリカメラ(!)の看板、出来たばっかりの小田急や京王百貨店の写真の方に、私は惹かれる。

Rimg0003_2 ©Hitomi Watanabe

『渡辺眸写真集 1968 新宿』(渡辺眸著/街から舎/2014年8月30日刊)

2018年3月17日 (土)

スタジオジブリのある町

 スタジオジブリのある町といえば、当然、東小金井なんだが、そういうことじゃなくて、以前何度かジブリに顔を出していた頃は、JR中央線の高架橋から見えていたと思っていたんだが、最近は周囲に家が建ってしまったせいか、電車の中からは確認できなくなってしまったので、再度、場所を確かめに行ってきた、っていうお話。

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 しかし、それはちょっとした思い違いで、ジブリは前のところにありました。って当たり前なんだけれどもね。

 以前、押井守作品を宮崎さんや鈴木敏夫さんがどうやってバックアップするか、なんてことが話題になっている頃のこと。勿論、鈴木さんが社長をやっていた頃だったんだが、何度も顔を出していた時期があった。でも、今日行ってみたら「Do Not Enter Unauthorized Person」って書いてあるので、ああそうか今日はauthorizeされた人物ではないのだなということで、中には入らなかった。

 まあ、鈴木さんももう覚えていないかな?

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 場所はJR中央線の東小金井駅の北口を出て西へ5分ほど行ったところ。東小金井駅自体が南口はまだしも、北口はまだまだ何にもない寂しい駅前だ。駅からは遠くないんだが、もう周りはこんな畑がいっぱいある。っていうか、この辺りは武蔵野の森と畑(丘陵地なので水田はない)だけだった場所だったんだけれども、戦後の都市開発でもって段々宅地化が進んで、現在は住宅がメインで、畑が一部混在している、いわゆる「武蔵野の田舎」という雰囲気になっている場所だ。

 まあ、如何にも宮崎さん好みの雰囲気の場所だな。私なんか、アニメスタジオっていうのは、もっともっとゴチャゴチャした町中にあるというのが普通だと考えているんですけれどもね。

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 なんて感じで周辺を歩いていたら、これまた如何にも宮さん好みの家が出てきた。

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 周囲の「普通の家」とは異なり、如何にも宮崎氏好みの貴族趣味っていうか、悪趣味っていうか、完全に周囲からは浮き上がってしまっている存在。ここは軽井沢か? ってな感じ。

 しかし、よく見れば「㈱二馬力専用ごみ箱」なんて書いてある(二馬力は宮崎駿氏の著作権管理会社)。

 な~んだ、ってわけですね。

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 しかし、吉祥寺のジブリ美術館と間違えてここにきてしまう人がいるんだろうか。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER ULTRA-WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Koganei ©tsunoken

2018年3月16日 (金)

山手線新駅が姿を現したぞ

 現在は山手線の一番新しい駅、西日暮里駅について「開成のためにできた駅だ」なんていう夜郎自大なことを言っていた開成生が昔いたんだが、当然そんなわけではなくて、東京メトロ千代田線との乗換駅を作ったっていうだけのことなのだ。

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 ということではなく、今日は山手線に2020年に暫定開業するっていう新駅の話。

 品川新駅という臨時呼称をしているそうだが、高輪商店街が希望している高輪駅になるのか、あるいは都営地下鉄浅草線の既にある泉岳寺駅の呼称を使うのか、はたまた誰も提案していない(と思われる)港南になるのか、いまだに決まってはいないようだ。

 でも、既に工事は進んでおり、山手線や京浜東北線の線路と、上野東京ラインが走っているところの間に、早くも駅舎の骨組みができているのを先日発見、昨日見てきた。

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 駅舎の横を上野東京ラインが走っているんだが、既にプラットフォームの一部は出来上がっている。で、現在山手線や京浜東北線が走っている部分がビル群として再開発されるようだ。再開発されるのは13haの面積に8棟の160m級のビルが立ち並び、その内3棟がマンション、5棟がオフィスと商業の複合ビルの予定だそうだ。恵比寿ガーデンプレイスが8.3haなので、その1.5倍の大きさになるそうで、こりゃ相当広い!

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 品川駅から見た新駅。上野東京ラインがググっと右に折れていて、その左側に山手線と京浜東北線が走る。

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 で、田町から新駅へ至る途中で、京浜東北線が複々線から複線に移るための跨線橋の外郭が既に完成している。

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 いずれにせよ、現在山手線の一番新しい駅が1971年開業の西日暮里なので、それから49年ぶりにできる新駅ということになる。

Photo 新駅イメージ(JR東日本)

 新駅の駅名は募集で決めるらしいので、あなたも応募してみては?

EPSON R-D1s LEITZ ELMARIT-M 28mm f2.8 & KONICA M-HEXANON 50mm f2 @Takanawa ©tsunoken

2018年3月15日 (木)

「『光画』と新興写真」展

『「光画」と新興写真』という名前の写真展が東京都写真美術館で開催中だ。

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「光画」とは何か?

「『光画』とは1932年から1933年までわずか2年足らずしか発行されなかった写真同人雑誌です。主宰者である野島康三、同人であった木村伊兵衛、中山岩太を中心に関西(浪華写真倶楽部、芦屋カメラクラブなど)のアマチュア写真家をも巻き込み、新興写真を牽引しました。評論家の伊奈信男が創刊号に掲載した「写真に帰れ」は、日本近代写真史を代表する論文として知られています。
 また1930年には雑誌「フォトタイムス」の編集主幹であった木村専一を中心に「新興写真研究会」が結成され。堀野正雄、渡辺義雄などが参加しています。わずか3号ですがこの研究会の雑誌も発行されました。今回はこの二つの雑誌に掲載された写真を中心に、新興写真に影響を与えた海外写真家の作品とその後の写真表現を展観いたします』(写真展パンフレットより)

 というもの。

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 要は、それまで絵画の代わりにすぎなかった写真表現というものを、そこから離れてカメラやレンズによる機械性を生かし、写真でしかできない表現をめさした動向が、この時期にあったということ。

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 今、我々が写真と呼んでいるものは、もともと何だったのか。『「写真」とは、「真=姿」を「写」したものであり、フォトグラフィ以外でも、水墨画や浮世絵や他の絵図でも肖像画は「写真」だった』という解説がある通り、フォトグラフィ=写真ではないのである。

「photo=光」「graphy=書かれ(描かれた)もの」の合成語としての「photography」は、本来的には「写真」ではなくて「光画」だったということになる。

 ところが我が国でも人が描いた絵をもって「写真」と呼び、その絵の派生的なものとして「光画」を写真と呼んでいるのである。

 もともと、写真の発明場所としてのヨーロッパであってもことは同じであり、やはり写真は絵画の一部であり、絵画より一つ下の存在であったようだ。それが写真のピクトリアリズムになっていって、リアリズムからは離れた存在となっていた時期があった。

 それを写真は写真表現の方に引き寄せていったのが「光画」という考えだったのである。

「『光画』と新興写真 モダニズムの日本」展は、東京都写真美術館で5月6日まで開催中。

公式サイトはコチラ

『光画傑作集』(野島康三・中山岩太・木村伊兵衛・伊奈信男 ほか著/国書刊行会/2005年11月30日刊)

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER ULTRA-WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Yebisu ©tsunoken

2018年3月14日 (水)

佃島・住吉神社の新しい鳥居

 佃島の住吉神社の大鳥居がなくなってしまったという話を聞いたのは昨年の11月頃のことだったと思う。

 最近、それが再建されたっていう話を聞いたので、早速見に行った。

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 おおっ! 以前は青銅色だった大鳥居なんだが、今度は真紅に塗られた立派な鳥居になっている。うーん、さすがに歴史のある住吉神社らしい、立派な鳥居だ。

 まあ、新品なんでちょっとハデですがね。

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 住吉神社のお祭りといえば8月6日が例大祭で、普通の神輿と同時に、八角神輿っていう八角形をした神輿が出てきて、祭りもかなり盛大に行われるのだが、まあ、それに合わせるように大鳥居も作り替えなのかな。

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 あとはいつもの佃島。実際に人が普通に暮らしている、普通の町なのである。観光地でも何でもない。というか観光施設なんか何にもない。

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 お祭りの時だけ行くと、その盛大さのために、なんとなく祭りのためだけにあるような町のような気になってしまうが、全然そうじゃなくて、ごく普通の、普通の人が暮らす普通の町なんだなあ。まさしく「下町!」って感じですね。

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 現在は「佃島」って言っても、周囲とは地続きで別に「島状態」にはなっていないのだが、元々はやっぱり島だった。で、その島とお隣の月島を結んでいた唯一の橋がここ。佃小橋です。これも赤い橋。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER ULTRA-WIDE HELIAR 12mm f5.6 ASPHERICAL II @Tsukudajima Island ©tsunoken

 

2018年3月13日 (火)

鵜ノ木・久が原を往く

 いやあ、昨日の午後はテレビの前に釘付けになってしまいました。

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 別に、佐川氏が国税庁長官を辞任したからもう安心ってわけではないが、午前中は税務署まで確定申告に行ってきた。

 で、一度家に帰ったらどこかに出かけようと考えていたんだが、帰ってきたら財務省の書類書き換えの内容が公になり、麻生財務大臣の会見から、野党議員からのヒアリングが始まって、まあ、面白いように「書き換え」ポイントが出てきてしまうので、こりゃあ写真撮影になんて出かけている場合じゃないぞ、ってなもんですね。

 もう、安倍昭恵さんを国会に呼んで証人喚問でもなんでもやってもらいましょうよ。そうでもしないと、国民のはらわたは収まりませんな。安倍昭恵さんももうぶっちゃけちゃって、すべて話しちゃえばいいんだ。もともと森永製菓のお嬢さんなんだから、別に安倍晋三氏と別れたっていいじゃない。

 なんて、無責任なことを考えながらテレビを見ていたわけです。

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 実は、上記のこととは何の関係もなく、一昨日はキャノン本社がある下丸子から、鵜ノ木、南久が原と、大田区の南縁をぶらついたようなわけで……。いやもう、ここがイエナだとかウェッツラーだとか、アホなことは言いません。東京都大田区久が原です。

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 大田区久が原というのは、同じ大田区の田園調布や山王と並び称される高級邸宅で、東京23区に広がる高台「武蔵野台地」の「久が原台」に位置するという場所。遺跡なども多く発見されていて、お隣の田園調布と同じような古墳や竪穴式住居跡なんかもかなり多くあるそうだ。まあ、大昔からの住宅地(ってものが石器時代や縄文時代にあったのかどうかは知らない)であったようなのだ。

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 ただし、私が歩いたのはその久が原台地の南側。多摩川の沿岸の鵜ノ木とか南久が原などの、台地へ上がっていく途中の坂の町。東急池上線久が原駅へ上がっていく商店街なんかがある町なのだ。つまり、東急多摩川線から環状八号線を挟んで、池上線へ上がっていく途中の町なのであります。

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 南久が原の一番北側が久が原駅で、その北側が久が原の町。で、その町の東側が池上本門寺っていう街の関係がわかった。

 なるほどなあ、そういうふうに繋がっているのか。

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 しかし、田園調布もそうだけど、大田区久が原はまあ、あまり興味を持てる風な町ではないなあ。むしろ、南久が原のほうが街探訪には面白そうだ。

 まあでも、池上線沿線ではやっぱり戸越銀座だよなあ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER ULTRA-WIDE HELIAR 12mm f5.6 Aspherical II @Unoki & Minami Kugahara ©tsunoken

2018年3月12日 (月)

東急多摩川線下丸子は日本のイエナなのか

 何を突然変なことを言い出すんだろう。と思った皆さん、正解です。

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 要は昨日のブログでニコンを日本のライカに例えて、ライカの聖地Vetzlar(ヴェッツラー/ウェッツラーとも言う)が大井だなんて言ったので、じゃあ、キャノンはライカに対するカール・ツァイスみたいなもんか、とするならばキャノンがある下丸子は日本のJena(イエナ)なのかもしれないという意味で使っただけです。

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 実際のドイツのヴェッツラーとイエナといえば、フランクフルトからヴェッツラーは一時間、イエナは三時間くらい離れているそうなので、まあ、その距離は千キロ以上あるはずだ。とてもじゃないけど両方とも大田区で、方や大井、方や下丸子じゃあ、ホンの目と鼻の先だ。

 もっと言ってしまうと、第二次世界大戦後ドイツは東西に分かれてしまい、その結果、ライカのあったヴェッツラーは西ドイツ、カール・ツァイスのイエナは東ドイツに分かれてしまい、その結果、カール・ツァイスは凋落してしまったという悲しい歴史もあったりする。実際の距離以上の隔たりが二つの都市の間にはあったわけですね。実は、というほど単純じゃなくて、戦後カール・ツァイスはイエナにあるカール・ツァイス・イエナと、ドイツ分裂の直前にアメリカがカール・ツァイスの技術者を引っこ抜いてオーバーコッヘン(Oberkochen)に設立したカール・ツァイス・オーバーコッヘン(実際の社名は両方ともカール・ツァイスのまま)に分かれて双方が自分のところが正統だという主張をしていたらしい。

 結局、戦後のドイツ再統合でもって、裁判が開かれたんだが、その結果はイエナの方が正統のカール・ツァイスだということになったんだが、実際的な企業の力の差でオーバーコッヘンの方が勝ってしまい、いまもカール・ツァイスの本社はオーバーコッヘンにあるそうだ。

 じゃあオーバーコッヘンも聖地なのかといえば、まあやはりそこはイエナなんですね。オーバーコッヘンは単なる政治的な拠点っていうだけで。

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 てことで、日本のカメラメーカーの創業地を調べたら、ニコン、キャノンは上記の通りだし、リコーがやはり大田区の中馬込、オリンパスが渋谷区幡ヶ谷、今やリコーの傘下に入っちゃったペンタックスの旭光学が板橋区前野町で今はカメラを作っていないけれどもトプコンが板橋区蓮沼という具合。

 なんとなく、大田区と板橋区というそれぞれ東京周縁部に日本のカメラメーカーの創業地が集中している。まあ、「モノづくり日本」の原点ここにあり、みたいな話ですね。

 う~ん、なんかネタとして面白くないなあ。

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 どうせならコシナみたいに長野県中野市あたりで操業して、フォクトレンダーとかカール・ツァイスとかからネーミング・ライツを買っていまだにレンジファインダーのカメラを作っているメーカーが他にもあったりしていると面白んだがな。例えば広島あたりにね。

 まあ、その辺が都市国家であるドイツと、中央集権国家の日本の違いなんだろうなあ。つまり、日本の場合、工業化の中心はどうしても大都市とその周辺に固まってしまうんだ。ところがドイツの場合、そんな連邦政府の考え方と各都市の考え方は根本的に異なるわけで、各都市がそれぞれ自由に工業発展を遂げている。

 どちらがいいのかは分からないが、私なんかは何となく都市国家(イタリアなんかもそうですね)の方がしっくりくるんだなあ。明治以前の「藩」制度みたいでね。

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 ということで、これがキャノンのレンジファインダー最終機キャノン7と、50mm f0.95というお化けレンズです。明るすぎるレンズで、まずピントが合いません。そんなレンズを開放で実用的に使った人っているんですかね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER ULTRA-WIDE HELIAR 12mm f5.6 Aspherical II & NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Shimo Maruko & Oi ©tsunoken

 

2018年3月11日 (日)

光学通りとニコン大井製作所

 JR京浜東北線、東急大井町線、東京臨海高速鉄道の大井町駅の駅前から伸びている「光学通り」と、その先にある昔の日本光学、つまり今のニコンのことは以前にも、何度か書いた。つまり、その道の先にはニコンの大井製作所がある(あった)っていうこと。

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 つまり、その日本光学大井製作所は昨年に取り壊されて、現在は来年の春を目指して5階建てのマンションの建設が行われているのです。

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 じゃあ、現在のニコンカメラはどこで作っているのか……。

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『マザー工場の仙台ニコンがフルサイズのデジタル一眼、ニコン・タイランドがAPSサイズの普及機から高級機種までのデジタル一眼、デ ジタルコンパクトなどを生産。デジタルコ ンパクトの大半の製品はOEM調達であり、その中心は三洋電機と亜州光学に委托しており、高級機種を三洋に、量産機種を亜州に発注している』

 というのだが、現在は中国での生産は辞めていて、基本的には日本国内とタイが生産拠点だ。

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 てことなんで、今や「ライカのドイツはウェツラー」と並び称される「ニコンのオオイ」では、今はカメラは作っていないんですね。とはいうものの、大井事業所内にあるニコン映像カンパニー開発本部というのは残っていて、一眼レフほかのニコンカメラの開発を行っているのであるから、やっぱりニコンは大井のカメラって言ってもいいではないでしょうか。

 つまり、ニコン一眼レフのメルクマールであるニコンFを作っていた魂は、現在の大井事業所内ニコン映像カンパニーに生きているっていうことなんでしょう。

Photo ©NIKON

 そのニコンFを作っていた頃の大井製作所が上の写真。ライカが歴史に初登場したときからレンジファインダーの頂点を極めていた、というならまさしくニコンFも歴史に初登場したときから一眼レフの頂点を極めていたカメラだった。

 面白いのは、その両方とも大きな戦争とともに生まれてきたっていうこと。つまり第二次世界大戦がライカ・レンジファインダーだし、ベトナム戦争がニコン一眼レフなんですね。まさしく、「戦争がテクノロジーの発展を推進する」っていう、好事例なんですね。

 勿論、カメラは「戦争のための機械」ではないけれども。でも、単純に「平和のための機械」だとも言えないよなあ。

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 ところが、この大井町駅前の写真屋さんが何故かキャノンの代理店だっていうのが……不思議。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Oi Shinagawa ©tsunoken

2018年3月10日 (土)

『定年バカ』

 いやあよく言ってくれました。本当に世の中はバカばっかりでねえ。とりあえず本書に書かれているバカは以下の通り。

「お金に焦るバカ」「生きがいバカ」「『生き生き』定年バカ」「健康バカ」「社交バカ」「定年不安バカ」「未練バカ」「旧職の地位にしがみつくバカ」「まだモテると思ってるバカ」「『終わった人』のつづき───ムフフのバカ男」「まだ『現役』といいたがるバカ」「終活バカ」「棺桶体験をするバカ」「社会と『つながり』たがるバカ」

 う~ん、しかしもっとバカはたくさんいそうだぞ。

20180305_0045 『定年バカ』(勢古浩爾著/SB新書/2017年11月15日紙版刊・2017年12月1日電子版刊)

 ポイントは日本国民のなかで一番「マッス」になっている「団塊の世代」がこれから高齢化を迎えて、日本経済がトンでもない状況になることを受けての考え方なんだが、なんだ、結局はこれまで戦後の歴史のなかで常にマーケティングの対象となっていた「団塊の世代」向けのいろいろな本が出ているってことでしょう。

『2025年問題がささやかれています。25年は、団塊の世代が75歳以上の後期高齢者になる年です。日本は急速な高齢者が問題でした。しかし25年以降は、2200万人、4人に1人が75歳以上という超高齢社会が到来します。これまで国を支えてきた団塊の世代が給付を受ける側に回るため、医療、介護、福祉サービスへの需要が高まり、社会保障財政のバランスが崩れる、とも指摘されています。
 一九四七~四九年(広くは五一年)生まれは、団塊の世代と呼ばれます。約七百万人(広くは一千万人超)と人口も多く、消費文化や、都市化などを経験した戦後を象徴する世代です。
●まずは2015年
 団塊の世代はまず、一五年に六十五歳以上、前期高齢者になります。これは二〇二五年問題前の「二〇一五年問題」ともいわれています。この後、二五年に向け、急速に高齢化が進んでいきます。
 二五年には、団塊の世代が七十五歳以上となるため、一〇年に11・1%だった七十五歳以上人口の割合は、二五年には18・1%に上昇します。
 二五年を境に、七十五歳以上人口は二千二百万人超で高止まりします。現役世代(十五~六十四歳)が減少するため、六〇年には四人に一人が七十五歳以上という超高齢社会になります。このため、一〇年には現役世代五・八人で七十五歳以上一人を支えていたのが、二五年には三・三人、六〇年には一・九人で支えることになります。
●医療・介護リスク  高齢になれば、疾病などにかかるリスクも高まります。生涯医療費の推移を見ると、七十五~七十九歳でピークを迎えます。また、七十歳以降に生涯の医療費の約半分がかかることが分かります。
 介護はどうでしょうか。要介護(要支援)になるリスクは七十五歳から上昇し、八十五~八十九歳では、半数が要介護の認定を受けています。
 また、認知症高齢者も二五年には四百七十万人になる、と推計されています。
 しかも、七十五歳以上の一人暮らしの高齢者数は、男女ともに増え続けます。二五年には二百九十万人、特に女性では四人に一人が一人暮らしの状態です。
●給付とのバランスは
 社会保障と税の一体改革時の推計では、一二年度と二五年度(改革後)の給付費を対国内総生産(GDP)で見ると、年金は11・2%から9・9%に下落します。一方、医療は7・3%から8・9%へ上昇。介護は1・8%から3・2%へほぼ倍増する見込みです。介護・医療の負担と給付が大きな問題であることが分かります。
 このため、高齢者の保険料負担を見ても、後期高齢者医療は月五千四百円から六千五百円へ上昇します。また、介護では月約五千円が八千二百円にもなります。介護保険料は月五千円が負担の限界ともいわれ、深刻な問題です。
 高齢世代だけでなく、現役世代の負担も重くなります。そこで、消費税率の引き上げのほか、高所得の高齢者への社会保障や税での負担増を進めています。
 しかし、増税と給付削減は、若年世代ほど負担が重くなり、高齢者になったときには給付が十分ではないという結果にもなりかねません。
 二〇二五年問題は、単年で終わる話ではありません。団塊の世代が六十五歳以上になる一五年、四人に一人が七十五歳以上の超高齢社会が到来する二五年。それぞれの節目になる年に向け、社会保障をどのようにするのか?』(「東京新聞Web」より)

 という問題が2015年の日本には待ち構えていて、要は「早いとこ団塊の世代は死んでくれよ」とは言えないので、それについての対策が愁眉の話題となっているんだが、出版業界としてはそんなことよりも、そんなマッスのマーケットに向けて「おいおい、お前らノホホンとしていたら大変なことになっちゃうぞ。そうならないために『あれをしておけ』『これをしておけ』」っていう本を沢山出版して団塊の世代を脅かすんだけれども、残念ながらそんな世の中のトレンドに一番弱い団塊の世代が、結構それに影響されて「あれをしなけりゃ」「これもやっておかなければ」って右往左往する様を見て、団塊の世代の一番下あたりに属する著者の勢古氏が、「なに今頃あわててるんだ、バカめ!」って言っている本なのですね。

 以上で、本の紹介は終わり……、って言っちゃうと元も子もないので、以下少し私の考え方も述べておく。

「定年バカ」のなかでも一番面倒なのが「旧職の地位にしがみつくバカ」「まだモテると思ってるバカ」「『終わった人』のつづき───ムフフのバカ男」「まだ『現役』といいたがるバカ」などだろう。

『世間には会社のタテ社会の価値観をそのまま私的関係にまでもちこむ輩がいるが。「定年退職後も、その序列感覚と決別できず、地域社会に持ち込む人がいます」。氏が「マンションの管理組合の役員をしていたときに、その「典型のような人」がいた。「大手企業の常務まで務めたという人」だが、「組合の集まりに顔を出しても、『おれが、おれが』と場をやたら仕切りたがる」。こんな男がうっとうしいのだ』

『その「おれが、おれが」男は、そのくせ「実際の業務や活動にちっとも汗をかこうとしない」。だから「協調性にも欠けるし、他の人の意向や言い分を聞きながら意見をひとつの方向へまとめていくという、本来のリーダーシップに求められる器量にも不足している。地縁や私的つながりにおいて、もっとも役に立たず、もっとも面倒で、もっとも敬遠されるのが、このタイプです』(前出『定年をするあなたへ』)

 うーん、そういうバカがいるんだ。

 幸い、私はそんなバカとは会っていないので、これまで迷惑を受けたことはないが、世の中にはいるんですね。

『地位や役職(や組織名)を自分だと思い込んでいる人間は存在する。そのへんの娘でも、アイドルや女優と呼ばれてちやほやされると、いつの間にかその気になって傲慢な人間になってしまうのはめずらしいことではない』

 結局、そんな肩書とか人に命令する権利なんてものは、彼が属する組織内だけでしか通用しないものなのだっていうことが分かっていない「バカ」なんである。別に、ひとは貴方の人間性や能力に対して、それを認めているわけではなくて、単なる組織上の「地位」だけにひれ伏しているということなんですね。つまり、自分の属する組織内だけの関係論を、その組織から離れてしまっても通用すると思っている「バカ」。

 実はこういう「バカ」が一番多いんだけれども、結局それはそんな組織内だけの仕事や付き合いに終始して定年まで仕事をしていた、っていうだけの「世間知らず」の成れの果てなんだ。

 まあ、(現役の)皆さん、そういうバカにだけはならないようにしましょうね。

『定年バカ』(勢古浩爾著/SB新書/2017年11月15日紙版刊・2017年12月1日電子版刊)

2018年3月 9日 (金)

大都市・川越

 埼玉県川越市、日本では「中核都市=県庁所在地じゃないけどその下クラスの田舎の町」っていう感じで受け取られるんだけれども、ヨーロッパに行っちゃうともうかなりの大都市なんですね。

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 ちなみにフランスで言えば、トゥールーズの人口は46万人、ニース34万人、ナント29万人、ストラスブール27万人っていう感じ。対する川越は36万人なんだから、これはもう押しも押されぬ大都市なんです。

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 フランス以外でも、マンチェスター(イギリス)39万人、ミネアポリス・ラスベガス(アメリカ合衆国)38万人、オークランド(ニュージーランド)37万人、セントルイス(アメリカ合衆国)34万人っていう感じでしょうか。

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 つまり、何を言いたいのかって言えば、「大都市を歩くイメージで、川越を歩いてみると、どうなるか」ってこと。

 田舎の観光都市を歩くんじゃなくて、普通に普通の人が住んでいる地方の大都市を歩くと、どんな感じになるのかな、っていうこと。

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 そうなると、「時の鐘」やら「蔵のまち」やら「喜多院」やらなんてどうでもよくなってくるんですね。普通の川越の普通の町を探して歩くってな感じになるのであります。

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 っていう歩き方をしていると、駅からすぐそばの裏通りを行ってみたり、観光地である有名な通りの一本裏の道を歩いてみたりすると、結構、「観光地=川越」から、「普通の町=川越」っていうのが見えてくる。

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 それぞれの町にそれぞれの人たちの生活があり、人生があり、喜びがあり、悲しみがある。それが普通の町の在り方だ。

 一番上と下の写真以外は別に川越じゃなくても撮れる写真なのかもしれない。でも、そうした「普通の写真」こそが、普通の生活を写した写真になるのだ。まあ、今回の写真は人が写っていないので(っていうか、ワザとそうしているんですが)、人々の生活は写っていないけれども、とりあえず川越の「観光」じゃない部分の写真っていうのは、例えばこういう写真だってことがわかるでしょうか。

 これでも、自分なりには「川越の観光写真」っていうイメージなんだけれどもね。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER ULTRA-WIDE HELIAR 12mm f5.6 ASPHERICAL II @Kawagoe ©tsunoken

 

2018年3月 8日 (木)

日経メッセの「見るべき」は『リテールテック JAPAN』かな

 3月6日から9日まで、東京ビッグサイトで日経メッセという展示会が開かれている。

 日経メッセとは何かといえば、「JAPAN SHOP」「建築・建材展」「リテールテックJAPAN」「SECURITY SHOW」「LED NEXT STAGE」「商空間・住空間 NEXT」という5つの展示会を同時開催しているその総称。東京ビッグサイトの東1~8、西3~4ホールを全部使って行われている。

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 なんせ、5つの展示会を10の会場で行われているし、あまりにも広いしテーマも分かれているので、一日でその全部を見るのは不可能。それに、私自身の興味の範囲から外れるものなんかもあるので、5つの展示のうち「リテールテックJAPAN」に目標を定めて見に行くことにした。

「リテールテックJAPAN」のテーマは『決済・キャッシュレス化、人手不足対策、オムニチャネル、物流関連システムなど、流通業のサプライチェーンとマーケティングを進化させるIT機器・システムを紹介する』(公式サイトより)というもの。

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「リテール」っていうのは、言うまでもなく「小売り」のこと。要は小売業におけるテクノロジーを提供し、小売業の人件費、サプライチェーン、マーケティングなどの問題を解決する、っていうことなんだ。

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 一番卑近な例でいうと最近始めたAmazonのリアル店舗、Amazon Goである。

 Amazon Goのシステムは

(1)顧客は、入店する前にスマホのAmazonアプリのバーコードを、ゲートにかざす
(2)好きな商品を取り、店を出るだけで、レジや袋詰めの作業が発生しない
  (顔認識でもって、誰が何を買ったのかはわかる)
(3)手に取った商品を、棚に戻せば、会計から除いて自動計算される

 というスタイルの無人ショップなのである。当然、支払いはスマホ決済で済ませるし、「誰が、何を」買ったのかというのもすべてAmazonのメイン・サーバーに記憶されるので、次に同じ店を顧客が訪問した際にも、例の小うるさい「recommend(おススメ)」がスマホに飛んできて、お客さんを商品の前に誘導するんだろう。

 まあ、私はへそ曲がりなもんで「recommend」なんてのが来たりすると、もうそれだけでその「おススメ」商品は買わないけれどもね。

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「リテールテックJAPAN」の大きなブース展示では、かなりのパーセンテージでこの「無人コンビニ&スーパーマーケット」の提案が多く、今の世の中はAmazon Goみたいなものを皆が目指しているんだなということがわかる。

 確かに、今コンビニなんかに行ってみると、この人件費っていうのが一番大きなテーマなんだっていうのがよくわかる。だって、ほとんどの店員が安い報酬で働くアジア人ばっかりだもんなあ。ついでにそうした人件費も省いて、レジ打ちもなにもかもロボット化できればっていうのが、小売り経営者たちにとっての大きな問題なんだ。

 ただ、現状では各社が提供しようとしているシステムもまだまだ完成形ではないので、メーカーと小売りでもってシステムを共同開発しなければならない部分も多く、導入費用の部分で、実際には現状の小売業者がこれらのシステムを導入するには敷居が高そうだ。

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 とはいうものの、「世の中の流れは、完全にこっちのほうに向いている」というトレンドだけは分かる。まあ、そのための展示会なんだけれどもね。

 日経メッセは3月9日まで、東京ビッグサイトで開催中。公式サイトはコチラ

 ご来場には事前登録が必要です。事前登録がない場合は、有料での入場になります。

 

2018年3月 7日 (水)

新宿通り・雑景

 久しぶりに新宿東口に降りる。

 ここのところ、新宿は西口ばかり行って、MAP CAMERAなんかには顔を出しているんだが、考えてみたら紀伊国屋なんかにも行かなくなっちゃって、あまり東口には行かなくなってしまった。

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 考えてみれば、本はほとんどKindleで読んでしまうので、書店は近所の池袋でチェックをすましてしまうと、まあ、あとはパソコン上で探すっていう感じになってしまって、新宿まで本探し(って言っても買うわけじゃなくて、どんな本が出ているのかチェックするだけなんだけれども)に行くってこともなくなってしまった。

 いかんなあ。

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 まあ、東京の大きな街っていうのは、常に変貌を遂げつつある街なんで、ちょっと来ないと以前来た時の印象はガラッと変わってしまう。

 今や、あまり変わっていないのは花園ゴールデン街くらいのものか。いやいや、ゴールデン街だって、ちょっと前に比べればかなり変わってきているんですよ。

 最近は歌舞伎町なんて行きたくもなくなってしまった町の代表的な町になってしまっているもんなあ。

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 歌舞伎町を除いてはかなり浄化されてしまって、言ってみれば「骨抜き」状態になった新宿なんだが、それもまた、新しい人たちを呼び込むためには必要なことなんだろう。

 いやいや、歌舞伎町だってまだまだ浄化されていない場所はいっぱいあるってことは承知はしています。でも、昔みたいに「剣呑な街」ではなくなってきている。でも、そんな「剣呑な街」が好きで歌舞伎町には行っていたんですね。ジジイになって、あまり行かなくなってしまったってことだけなんだけれども。

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 誰が来ても安心してこられる場所=新宿を、東京都や新宿区は目指しているんだろうけれども、そうなればどこかの別の町が「魔界の街」になっていくんだ。

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 新宿の魔界がどこにいくのか? 多分、中央線沿線のどこかの町なんだろうなあ。

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 そんな噂を聞いたら……そこに行ってみよう。

 まだまだ、「剣呑な街」には、憧れをもっているtsunokenでした。

 っていうことで、雨が降ったんで四谷三丁目の我楽多屋にいけなくなってしまった。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER ULTRA-WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Shinjuku ©tsunoken

 

2018年3月 6日 (火)

小田原に何があるっていうんだろう

 たまに気が向くと小田原まで行く。今は上野から1時間半で着いちゃうので、まあ、旅気分ってほどでもなく気軽に行ける場所になったのであります。

 小田原を出ると湯河原までが神奈川県、その次の熱海からが静岡県というわけで、まあ、神奈川県の最西端の大きな町、というのが小田原市の立ち位置っていう感じだろうか。

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 で、その小田原に行って何があるというのだろうか。

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 っていうか、もう既に小田原城には何回も行っているので、今更登城しようとも思わないし、「ういろう」もねえ、もはや珍しくもなんともなってしまっている。

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 私にとって小田原は何か特別な町ではなくなってしまっているのだ。

 結局、小田原駅と国道1号線に囲まれた場所をウロウロするのが、現在の私の小田原行である。

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 とは言っても、結局それはお城の周囲をグルグル回っているだけだったりして。それだけ、お城とそれを取り巻く街の大きさっていうことになるんだろうか。

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 となると、こんな観光用の郵便ポストやら……

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 なにやらおかしい言葉遣いの「もせるごみ」なんてのが目に入ってしまったりする。

 えっ? 「もせるごみ」? 「燃やせるごみ」とか「燃えるごみ」じゃなくて、「燃せるごみ」ってなんだ? もしかして小田原地方の方言?

 すみませ~ん。これしかネタがなかったもんで。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER ULTRA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 ASPHERICAL II @Odawara ©tsunoken

2018年3月 5日 (月)

NHK『小さな旅』が好きだ

 毎週日曜日は朝8時から始まるNHK「小さな旅」ではじまる。

 勿論、もう少し前から起きてはいるんだが、大野雄二のテーマソングがかかると、「おお、今日は日曜日だ。何をしようかな?」といった気分になるのだ。まあ、それだけ普段から「何も予定が立っていない生活」を送っているんですけれどもね。

 定年退職者の平均的な一日なんて、そんなもんで始まるんですね。ウィークデイも朝ドラで始まって、「さあて、今日はどこに行こうかな?」ってなもんである。

201803041 ©NHK

 番組自体はかなり地味なドキュメンタリーであって、しかし、社会問題や自然問題、政治や経済問題などを取り上げるドキュメンタリーではない。『観光スポットや飲食店紹介などがほとんど無いため、「旅番組」ではなく「紀行番組」の範疇に入るが、番組進行としては、冒頭で当該地域の概要を紹介した後は、ほどなく地域に住む特定の人物に焦点を当て詳述していくため、実質はヒューマン・ドキュメンタリー的性格を持った番組であると言える』(Wikipedia)というような、内容のそれこそ読んだままの「地味な番組」なのである。

 取り上げる地域も、別に有名な観光地ではなく、普通の人たちが普通に暮らしている場所ばかり。そこがいいんですけれどもね。その辺もまた「地味な番組」ぶりをあらわしているんだ。

 出演者のアナウンサーが自ら取材をして、出演するスタイルで、やはり読売テレビの「遠くへ行きたい」などと同じ「紀行番組」の一種なんだろう。けれども「遠くへ行きたい」は初代の永六輔氏が出演していたころは、永さんのモットーとして「ものを食べている場面は撮らない」ことを基本にしており、どちらかというとこの「小さな旅」と同じ「紀行番組」だったんだけれども、出演者が変わってからは食事をしているシーンがやたら多くなって、なんか今はやりの「B級旅グルメ番組」の元祖みたいになって、それ以来「遠くへ行きたい」は見なくなってしまった。

 出演者は山根基世さん、加賀美幸子さん、などのNHKを代表する女性アナウンサーが担当しており、現在は山田京子さんが出ている。雙葉中高・東大出身の山田さんらしい、丁寧で取材対象の人たちに対する気配りが良くできている取材姿勢もこれまた出色。

 もともとは1983年に「いっと6けん 小さな旅」という、まさしく関東ローカルの番組として始まり、1984年に「関東甲信越 小さな旅」となり、2010年に全国放送になった、番組スタートから35年もたつ長寿番組の一つである。スポンサーに影響されないために長寿番組が多いNHKならではの番組のひとつである。

 そして一番いいのが、大野雄二が作曲したテーマソングなのである。

 熱海のホテル大野屋の息子にして、「ルパン三世」のテーマソングの作曲家として知られる、ジャズピアニスト兼作曲家の大野雄二が手掛ける「小さな旅」の、半ばけだるい気分がなんとなく日曜日の朝の気分にぴったりくるのである。

Photo ©NHK

『小さな旅』のテーマソング(大野雄二作曲)はコチラ(You Tube)

2018030452 ©NHK

フルバージョンはコチラ(You Tube)

 私は現在もドキュメンタリーは好きなんだが、そのきっかけになったのが、小川プロダクションの「三里塚シリーズ」の影響というのあがるんだが、もうひとつ学生当時アルバイトをしていた日本テレビ報道局でフィルム編集助手をしていたことというのもある。日曜日の深夜に放送されていた「ドキュメント’〇〇」(〇〇は西暦年代)という番組で、現在も「NNNドキュメント’〇〇」としして続いているんだが、結構、硬派なドキュメンタリー番組だった。そんな私に、こんなドキュメンタリーもあるんだと教えてくれたのが、この「小さな旅」だった。

 別に事件なんかがなくてもいい。社会問題や政治問題なんかがなくてもいい。普通の人の普通の生活を追いかけていても、こんなに興味のあるドキュメンタリーは作れるんだということを教わったのである。

 皆さんも日曜朝は「小さな旅」から始めようではないですか。結構「旅へのいざない」にもなるんですね。

 別に、何かの大きなテーマがある旅じゃなくてもいい。ごく普通の、ごく普通の町がある。それがドキュメンタリーになるんだ、ってね。

Epsn00312 EPSON R-D1s VOIGHTLANDER ULTRA-WIDE HELIAR 12mm f5.6 @Ginza ©tsunoken

 

 

2018年3月 4日 (日)

「メジャーセブンのマンショントレンド調査」っていうのが出たんだが

「メジャーセブンのマンショントレンド調査 Vol.27」というのが2月27日に発表になった。

<メジャーセブン>ってなんだ? 住友不動産、大京、東急不動産、東京建物、野村不動産、三井不動産レジデンシャル、三菱地所レジデンスの大手7マンション・デベロッパーのこと。それぞれのマンション購入者からのアンケート調査をまとめたものなので、それなりにトレンドはわかるけれども、まあ、半分は「そんなこともあるのかな」的に読んでおいたほうがいいだろう。

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 アンケートの内容は以下の通り。

1.現在マンション購入を検討している理由
2.理想とするマンションのタイプ
3.マンションを購入すべきタイミングとその理由
4.新築マンションと中古マンション両方検討時の購入基準

 といったもの。

1.現在マンション購入を検討している理由は、トップが「資産を持ちたい・資産として有利だと思ったから」、2位が「もっと広い住まいに住みたいから」、3位が「もっと交通の便の良いところに住みたいから」というのが挙がっていて、これは以前からと同じ。要は「資産価値、広さ、利便性」がマンション購入検討理由の主な要素だということがわかる。それ以下では4位「通勤に便利な場所に住みたいから」、5位「都心に住みたいから」、6位「現在は金利が低く、買い時だと思うから」、7位「老後の安心のため、住まいを持ちたかいという思いから」、8位「賃貸より持ち家の方が、金銭的に得だと思うから」、9位「魅力的な物件や物件広告を見たから」というのがベスト・ナイン。

2.理想とするマンションのタイプでは、「信頼できる不動産会社が分譲するマンション」が60.1%、「信頼できる建設会社が施工するマンション」59.1%、「管理会社が信頼できるマンション」54.3%というのがあり、前回調査(2017年2月)より順位を上げた理想とするマンションタイプは「高層マンション、タワーマンション」(24.2%/11位→24.7%/10位)、「大規模戸数のマンション」(20.5%/14位→22.4%/12位)という結果が出ている。

3.マンションを購入すべきタイミングとその理由では、「今が買い時だと思う」10.4%、「どちらかといえば買い時だと思う」31.5%で、合わせて41.9%の人が、今を「買い時」だと考えているということがわかる。

4.新築マンションと中古マンション両方検討時の購入基準では、「新築のみ検討」が49.3%、「中古のみ検討」が4.0%、「新築と中古の両方検討」が43.8%ということになり、「新築のみ検討」という人以外は、新築とか中古とかにかかわらず、「物件価格、諸経費などを含めた価格面」80.7%、「物件の立地(どこの駅にあるかなどの広域観点)」72.3%、「物件の立地(物件周辺の環境、施設などの狭域観点)」54.1%という点を購入基準としていることがわかる。

 全国のマンション供給戸数の28.7%を超える大手7社のデータであるから、それなりに偏った資料であることは免れない。例えば「理想とするマンション」で「大規模戸数、タワーマンション」なんて入っているのは、いかにもメジャーセブンのマンション調査らしいところである。私なんかはそんな大規模やタワーマンションみたいな、だれが住んでいるのかわからないようなマンションは好きじゃないってことなんかもあるのだが、まあ、今の(私より)若い人たちはそうではないんだろうな、なんてこともある。

 まあ、こうして見るとこれまでのマンション・トレンドとは大きく異なってはいないようなのだ。メジャーセブンのマンション供給に関しては、今年も有望な予想が出ているんだろう。が、現実を見ると、不動産経済研究所がまとめた2018年の首都圏新築マンション供給戸数予想だと3年連続の供給戸数4万戸割れとされていて、実際にはかなり厳しい状況も予想されているようだ。要は大手七社とそれ以外のデベロッパーではかなり状況が異なっているっていうことなのかな。

 ところがそんな状況のなかで、唯一市況を破ってマンション購入に走っている人たちがいるというのだ。それが「パワーカップル」という人たちの存在だ。

『パワーカップルの大まかな定義は「購買力のある共働き夫婦」(ニッセイ基礎研究所の久我尚子・主任研究員)。世帯年収については「1000万円以上」、「2000万円以上」と諸説あるが、久我氏は2人とも年収が700万円超の夫婦をパワーカップルとする。いずれにしても、マンション市場で主導権を握っているのは、2人ともフルタイムで働く夫婦だ。
 パワーカップルの最大の強みは資金力だ。代わりに不足しているのが時間だ。しかも、子どもはいないか、いても1人であることが多い。だから住環境よりも利便性を重視する。
「最寄り駅まで徒歩8分以内、(オフィス街の)東京駅や大手町駅まで乗り換えなしで15~30分」(トータルブレインの久光社長)。これが首都圏のパワーカップルが好む物件の最大公約数的条件だ。価格は二の次。だから、いい物だと判断すれば迷わずに買う。
 ついにここまで来たか――。パワーカップルの実力に三菱地所レジデンスの担当者が驚いた。
 17年秋に発売した都心の駅近物件(販売戸数70戸程度)の購入者リストには「ペアローン比率30%」の数字が記されている。夫婦が個別に住宅ローンを組み、これを合算してマンションを購入した世帯の割合が3割に達したのだ。インターネットで手続きして直接資金調達した人たちを含めると4割近くがペアローンによる購入者だと想定される。このペアローンこそパワーカップルの最大の武器だ。』 (日経電子版2018年1月13日付)

 二人で住宅ローン控除を受ければ二人の負担額はかなり少なくなる。まあ、確かに二人で年収1500万円を超えるくらいの収入があれば、一人の収入でもその位のローンは組めないこともないが、それが二人の収入であり、その双方とも住宅ローン控除を受けることができるのであれば、かなり楽な状況になることは事実だ。

 日経電子版では次のように続く。

『ペアローンを利用した30代のパワーカップルが取材に応じてくれた。
 この夫婦が17年に購入したマンションの広さは55平方メートル(2LDK)で価格は6600万円。首都圏における単位面積あたりの平均価格で見ると、約1.5倍する高級物件だが、「最寄り駅から徒歩7分、(2人の勤務先がある)渋谷まで電車で9分という利便性に大満足している」。
■控除が後押し
 夫は金融機関、妻はメーカーに勤務する。いずれも正社員で個別にローンを組む力があり、合わせて6100万円を借り入れた。月々の支払いは夫が9万2800円、妻は6万8000円。決して小さな額ではないが「負担感は小さい」と口をそろえる。なぜなら住宅ローン控除が大きくなるからだ。
 仮にこの物件で6600万円の35年ローン(年利0.625%)を組むと、返済総額は7350万円になる。1人でローンを組むのであれば、控除額は最大400万円。実質的な返済総額は約7000万円になる。
 だが、2人でローンを組めば控除額は最大566万円になり、実質的な返済総額は約6800万円に減る。夫婦のどちらかだけでローンを組んだ場合より、200万円程度得になる。
 しかも、利便性が高ければ、購入した物件が値下がりするリスクは低くなる。賃貸住宅に支払う家賃と住宅ローンを比べてほぼ同じなら、分譲マンションを買い住宅ローンを払うのがパワーカップルの選択だ。』

 うーん、まあそういうことなんでしょうね。「パワーカップル」ならばね。

 昔は「DINKS」という言葉がはやった。「Double Income No Kids」の頭文字を並べたものなのだが、それがいまは「パワーカップル」という言葉になったんだ。

 まあ、でもね、「No Kids」だって夫婦の間ではどうなるかはわからないし、「Double Income」だって先は読めないこの時代だ。とりあえず現状の状況は変わらないことが前提の住宅ローンなんだけれども、そうではない環境変化にも耐える必要があるということも考えていたほうがいいんじゃないかと、私は老婆心ながらも考えるんだけれどもね。

 と、ばかり心配が先行しても意味はないし、とりあえずは今の状況がそのまま続くと考えるしか「住宅ローン」というものに対処する方法はないのかもね。

 まあ、頑張ってください。パワーカップルさん。

「メジャーセブンのマンショントレンド調査 Vol.27」読みたい人はコチラをクリック! (添付のPDFファイルに詳しい調査結果が出ています)

 

2018年3月 3日 (土)

『バブル入社組の憂鬱』ってもなあ、特別なことではないんだがなあ

 基本的なことを言ってしまうと、私はこうした「世代論」でもって輪切りにする考え方はあまり賛成できない。

 できないんだが、この歳になってしまうと、世代論的な割り切り方がなんかしっくりくるんだなあ。つまり、それって歳をとってきたための劣化なんだろうか、あるいは、やはり世代論っていうのはそれほど間違った方法論なのではないということなのだろうか。

 ということで、読んでみた本がコレ。

Rimg00032 『バブル入社組の憂鬱』(相原孝夫著/日経プレミアシリーズ/2017年12月8日刊)

 では、その世代論で輪切りにした第二次大戦後に生まれた世代はどうなっているのか?

【団塊の世代】(1940年代後半生まれ)
 第二次世界大戦が終わった直後には、どこの国でも「ベビーブーマー」が誕生し、一つの世代を形成することになる。日本においては、団塊の世代がそれに当たる。  世代としての人口が飛び抜けて多かったため、雇用や消費、教育など、日本の社会全体の動向や変化に大きな影響を与えてきた。すでに引退した世代であるが、〝世代〟という言葉が盛んに使われるようになったきっかけとなったのも、この団塊である。』

『【新人類世代】(1950年代後半~60年代前半生まれ)
「新人類」という言葉を生み出したのは、学者で評論家の栗本慎一郎である。当時の若者を「従来とは異なった感性や価値観、行動規範を持っている」として命名したものである。』

『現在、50代半ばから60歳を少し超えるあたりを指し、そろそろ定年が近づいている世代である。現在、企業経営を担っている人たちの多くがこの世代である。学生運動が下火になった時期に成人を迎え、政治的無関心が広まった時代の若者たち(=しらけ世代)を挟んで、登場したのが新人類だ。』

【バブル世代】(1960年代後半生まれ)
 バブルを経験した人たちの中で、20代にバブルを謳歌した世代だけが、後に「バブル世代」と呼ばれることになった。現在50歳前後であり、会社の中で管理職層の多くを占める世代である。』

 企業では、新しいことをやる機運が旺盛だった。新人となったバブル世代は、下働きをすることなく「新規事業開発室」などに配属され、若い発想を活かした新規ビジネスへの挑戦を求められた。豊かな発想力を持つ優秀な企画マンが数多く誕生したのも事実だが、好景気を背景に企業の決裁が緩くなり、若手の提案も通りやすく、勘違いする若者も多かった。』

『その後1990年代に突入すると、バブル経済は崩壊し、長い低迷期である「失われた10年」に突入する。』

【氷河期世代(団塊ジュニア)】(1970年代生まれ)
 バブル経済崩壊後の就職氷河期の時代に新規学卒者となった世代である。1970年代の生まれがこの「氷河期世代」に当たる。団塊世代の子どもに当たる世代なので「団塊ジュニア世代」とも言われる。』

【ゆとり世代】(1980年代後半~2000年代前半生まれ)

『現在の新入社員世代は、〝デジタルネイティブ世代〟と言われる、物心がつく頃にはインターネットが当たり前だった世代である。バブルが崩壊した後に生まれた人たちだ。
 彼らが生まれた頃、1993年は郵政省がインターネットの商用利用を許可し、翌94年には「Yahoo!」がサービスを開始した。つまり、日本でもインターネットの浸透が本格化した頃から人生を歩んできた世代が社会人になってきたのだ。氷河期世代からしても、この世代は異邦人に違いない。氷河期世代が入社時から経験してきた変化を、生まれた時点から経験しているのである。]』

『好景気を知らない以上、不景気や不況についても、彼らははっきりとは認識できない。好景気を知っている人間なら、バブル崩壊以降、日本の社会はずっと不景気なままだと考える。
 しかし、バブルを知らない若者にとっては、ポストバブルの経済・社会状況こそが常態であり、それを不景気とは認識していない。そこから、彼らの堅実で、前向きな考え方につながってくる。』

『好景気が訪れることを予期しているのなら、それに乗ろうと待ち構える受け身の気持ちが生まれる。しかし、体験もイメージもない彼らは、好景気の波に乗ることなど期待せず、自分の人生はすべて自分の力でなんとかしなければならないと考える。彼らにとっては、それ以外に未来を切り開いていく手立てはない。堅実にしっかりと自分の世界をつくり上げていくしかないというのが、彼らの考え方なのである。』

 なるほどなあ、そうかバブル世代っていうのは1960年代後半の生まれっていうことは、現在は50代半ば、40代を過ぎて上に上がる者とそのまま役職定年を迎える者、あるいは(そういうものがあるのなら)子会社に片道出向になるものなどの「その後の人生」を決めなければならない時期でもあるんだ。

 でも、だからってそれが何なんだろう。別に自分の人生は「会社」だけに囚われているわけじゃなくて、いろいろな人生の選択肢ってものがあるはずなんだから、それぞれがそれなりの「その後の」人生を選べばいいってだけのことである。というか、こんな話、団塊の世代が50~60代を迎える時にもあったなあ。ということは、それは「世代論」で区切られた問題じゃなくて、単なる「そういう年齢になった」ってことなんでしょっ。

 会社は基本的にピラミッド社会だ。つまり、年齢が上がるにつれてその人がつけるポストの数は減ってくるわけで、三十代までは同期入社の仲間たちは同じように出世するんだけれども、四十代になってくればそのポストに見合わなかった人たちがリストラされるっていうだけのこと。まあ、この場合の「リストラ」っていうのは「斬首」っていう意味じゃなくて、ポストに弾き出された人が順々に押し出されて行って、それぞれの会社の中に居場所がなくなって出向になったり、前の場所に戻されたり、そのまま居座わされたりするだけのことじゃないか。

 ちょうど今のバブル世代がその年齢になったっていうことだけで、別にそれに対する手当を会社がするつもりはさらさらないだろうし、必要もない。職場でも別に彼らに気を使う必要はない。まあ、問題は彼ら自身がそういった自分の周囲の変化に対してどうやって対処するのか、というだけのことである。

 ってことは、やはり「世代論」っていうのは、あまり効果を持った考え方ではなくて、なんとなく世代論で括ってしまえば、その世代に属する自分自身を納得させられるってだけのこと。

 まあ、次は「氷河期世代の憂鬱」ってのが出てきて、その次は「ゆとり世代の憂鬱」ってのが出てきて、「自分たちは好んで氷河期世代(あるいはゆとり世代)に生まれてきたんじゃない」なんて嘆き節を唄うんでしょうね。

 う~ん、やっぱり世代論っていうのは、あまり意味を持った考え方ではないのだと思う。

『バブル入社組の憂鬱』(相原孝夫著/日経プレミアシリーズ/2017年12月8日刊)

2018年3月 2日 (金)

CP+ 2018 開幕

 昨日から開催されている「CP+ カメラと写真映像のワールドプレミアショー」に行ってきた。

 行ってきたんだけれども、何か段々存在感がなくなってくるカメラショーなのであった。

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 もともとはドイツのケルンで二年に一回開催されている「フォトキナ」に対抗しようと、1960年に「日本カメラショー」として始まったのがCP+の前身なのだった。当然、ライカやハッセルブラッドが中心のフォトキナに対抗して、「いやいやこれからのカメラはニコンやキャノンの日本製カメラなんですよ」という主張をしようというのがその主旨で、スタートした当時はそのカメラショーが新製品のお披露目の場であった。

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 ただ、現在はカメラメーカーとしてはそんなタイミングを待って発表なんて悠長なことをしている暇はないし、また「日本カメラショー」自体がその主催団体が分裂してしまったりして、なんかCP+が新製品を発表したり、何か自社カメラにまつわる何かを発表する場所ではなく、とりあえず存在を主張する場所になってしまっているのではないか。

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 一方、参加するメーカーは増えてきているようで、昔はブース出展していなかった、コシナやエプソンなんかが、もう既にかなりな時間が過ぎてはいるが、新たに参加するようになってきている。つまり、お客さん向けのイベントじゃなくて、業界イベントみたいな感じになってきてるんでしょうか。

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 ということで、上と下の2枚の写真は、コシナ フォクトレンダー ウルトラ ワイド ヘリアー12mm とエプソンR-D1sでもって、両社に敬意を表して撮影。その他はニコンDfにズームレンズっていう組み合わせで撮影した。

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 もともとはセイコーの子会社だった諏訪精工舎を前身に持つセイコーエプソンは、カメラ・メーカーじゃなくて、パソコンやプリンターを作っていたんだけれども、たまたま同じ長野県のコシナがフォクトレンダー・ブランドのベッサというレンジファインダー・カメラを作ったんで、それを使って趣味性の高いR-D1(「一番最初のレンジファインダー・デジタル」という意味)というカメラを作ってカメラメーカーに参入したっていうわけ。まあ、ほとんどお遊びで作ったカメラらしいので、その後の新製品が出ないのがちょっと残念ではあるが。

 出れば「プアマンズ・ライカ」といった位置でもって、結構ユニークなカメラになると思うんだがなあ。まあ、新製品が出ない理由は、あまり儲からないジャンルだというものなのかも知れない。ちょっと残念。

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 とは言うものの、エプソンやキャノンが写真画質のプリンターを進歩させてくれたおかげで、自分が写した写真を単にネットに上げるだけじゃなくて、プリントして、「作品」として楽しもうという傾向が最近出てきているようで、それはそれでいいことなのかもしれない。

CP+は横浜みなとみらいパシフィコ横浜他で3月4日まで開催中

公式サイトはコチラ

NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f2.8-4 D & EPSON R-D1s VOIGHTLANDER ULTRA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 @Minato Mirai Yokohama ©tsunoken

2018年3月 1日 (木)

VOIGHTLANDER ULTRA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 ASPHERICALⅡ Lens Test at China Town in Yokohama

 今日から横浜はみなとみらいでCP+(CAMERA PHOTO IMAGING SHOW)なんだが、その前に一昨日にも横浜へ行ってきたんだ。

 一昨日のブログで書いた通り、VOIGHTLANDER ULTRA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 ASPHERICALⅡの「問題はやっぱり35mmフルサイズではどうなのかってこと。そのために近々のうちにライカM6に装着してレンズテストをしてみるつもり」という問題のレンズテストを横浜中華街でおこなってきたっていうわけ。

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 12mmっていう超・超広角レンズなんで、やっぱりゴチャゴチャしたところがいいかな? ってんで横浜中華街なんだけれども、しかし、凄いですねこの広角効果って。ごく普通のアオリ撮影でもこんな感じです。

 つまり、もうここまでの広角レンズになってしまうとアイレベルでの撮影が基本で、仰角とか俯角撮影ってのは、もう特殊な撮影技法になってしまうってこと。

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 付けていた外付けファインダーは21mmなので、12mmのレンズだと実際の画角をフォローできない。また、仮にファインンダーを覗いてみてもほとんどノーファインダーで撮ったみたいな感じになる。って、気がついたのは現像してみてからのことだった。

 まあ、それだけ12mmっていうのは想像を超えた焦点距離だったっていうわけ。

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 さらに35mmフルサイズで気になった周辺光量の不足なんだけれども、まあ、この程度なら「レンズの味」ってことで許される程度だ。

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 撮影したときの気分としてはもうちょっと近づいて撮影しているつもりなんだけれども、カメラに写った時にはこのぐらいの「引いた」映像になってしまっている。

 まあ、これも一種の特殊効果のレンズに近い超・超広角レンズというものの存在なんだっていうことで理解する。そう、本来12mmっていうのは、ギリギリまで被写体に近寄って、なおかつその後ろの風景も入れて撮る、っていうようなパン・フォーカスのレンズなんだろうな。

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 ということは、APS-Cサイズの撮像素子を持つEPSON R-D1sの場合は12mmレンズを、35mmフルサイズでの21mmレンズと同じくらいの効果を持つレンズとして使って、35mmフルサイズのカメラでは、どちらかというと「遠近を極限にまで拡大した」特殊レンズとして使うっていう使い分けができそうだ。

 まあ、魚眼レンズっていうのは特殊すぎて使う気にならないので、ここまでが限界ってところでしょうか。

 で、EPSON R-D1sの場合は12mmレンズは35mm換算で18mmになるので、21mmの外付けファインダーでだいたい使えるが、35mmフルサイズだとまったく使えないことが、上記の通りわかったので、じゃあ12mmの外付けファインダーを探さなきゃな、ってこの男の物欲は衰えないのでありました。

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 ってことで、一番広角のレンズは、EPSON R-D1sが12mm、LEICA M6が21mmという使い分けができそうだ。

 ではCP+に行ってきます。

LEICA M6 VOIGHTLANDER ULTRA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 ASPHERICALⅡ @China Town Yokohama ©tsunoken

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