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« なぜ「何となく水戸まで」行ってしまうのかということについて | トップページ | 取りあえず、旧に復したかに見えるんだけれども……どうかな »

2018年2月10日 (土)

水戸は徳川で持つ、徳川は……

 何となく常磐線に乗り、何となく水戸まで来てしまったんだが、何故なんだろう。

「何故なんだろう」、なぜ「何となく」なんだろう、の答えはいずれ書くとして、やっぱり水戸は徳川家なんだなあ、というお話。

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 当然、水戸駅北口には水戸黄門様と助さん格さんの銅像があるんだが、いいんでしょうかね、黄門様はいいとして、実在の人物じゃない助さんや格さんたちの銅像をこんな駅前に作っちゃって。あ、まあ笠間市にも座頭市の銅像があるくらいの茨城県だからいいのか。

 水戸市の中心は、北口から出て、栃木県の小山を経由して、群馬県の前橋までつながっている国道50号線の、水戸駅前から大工町交差点までのおよそ3km程度のもの。取り敢えず、そこを往復することにする。

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 まず出てくるのは、第九代藩主の徳川斉昭の像。

 斉昭公は徳川幕府第十五代将軍の徳川慶喜の父なんだが、同時に水野忠邦の天保の改革にも影響を与えた藩政改革を行っていたそうだ。

『斉昭の改革は、水野忠邦の天保の改革に示唆を与えたといわれる。天保8年(1837年)7月、斉昭は、
1. 「経界の義」(全領検地)、
2. 「土着の義」(藩士の土着)
3. 学校の義(藩校弘道館及び郷校建設)
4. 「総交代の義」(江戸定府制の廃止)
 を掲げた。また、「追鳥狩」と称する大規模軍事訓練を実施したり、農村救済に稗倉の設置をするなどした。さらに国民皆兵路線を唱えて西洋近代兵器の国産化を推進していた。 蝦夷地開拓や大船建造の解禁なども幕府に提言している。その影響力は幕府のみならず全国に及んだ』(Wikipediaより)

 という偉い人。

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 ありゃあ、第二代藩主徳川光圀(水戸黄門)だ……、って思ったら、大工町の交差点にも黄門様だもんなあ。

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 駅前の近くまで戻ってくると、やっと別の人、第十五代将軍徳川慶喜であります。彼が偉いのか偉くないのかは、まあ、人によって違うでしょうね。鳥羽・伏見の戦いに負けた後に江戸に逃げ帰ったことをどう評価するかって問題です。

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 そうか、駅前から大工町まで歴代藩主の像でもあればよかったんだけれども、なかなかそこまでは歴代藩主の皆がみなポピュラーじゃないってことなんでしょうかね。しかし、光圀、斉昭、慶喜だけじゃなあ。

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「梅まつり」は2月17日から3月31日までです。もうそろそろですね。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Mito ©tsunoken

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