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2018年2月

2018年2月28日 (水)

豊島区西池袋・谷端川……私が経験している「戦後」

 西池袋を立教通りに進み、立教小学校を過ぎると、左右に何故か昔川があったように橋の名残がある。

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 そこが以前あった「谷端川(やばたがわ)」という川の跡で、現在はすべて暗渠化されている「谷端川緑道」なのであります。立教通りもよく見ると立教大学の前あたりから段々道が下がってきて、この川の部分が一番低くなっている。

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 昔はここに川があって、ちょうど山手通りと並行している感じで流れているのだが、私の記憶にもあまりない。この川のもうちょっと先の方の川越街道沿いのところに昔、短期間だったけれども一時期住んでいたことがあるんだがなあ。

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 当時はまだ朝鮮戦争が終わっていなかった頃なので、戦争で壊された(多分)M48パットン戦車が2台ほど乗せられた超大型トラックが、朝霞のジョンソン基地(現在の陸上自衛隊朝霞駐屯地)まで運ぶためだろう毎晩夜中に走っていて、夜中に騒音や振動で起こされる、ってな経験をしていたことを思い出した。なにせ戦車を2台乗せちゃうトラックなのだ。その大きさたるや……。

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 今は周囲は家屋ばっかりになっているのだが、当時はどうだったのだろうか。とにかく、池袋の丸物百貨店(現在のパルコ池袋店)に行くには近かったが、なんかあまり便利(!)っていう風な感覚はなかったなあ。たかだか池袋でしょ、ってな感じだった。

 まだまだ、池袋は田舎だったんですね。今からは信じされないでしょうけれども。

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 川は一度板橋の方へ行って、その後流れを南に変えて大塚あたりで千川(小石川)と合流して、現在は千川通りの暗渠となって、文京区役所の西側へ至り、その後、小石川後楽園の池に注いで、その後は神田川へ合流したらしい。

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 いずれにせよ、一般の団塊の世代にとっては別の戦後観っていうのがあるのかもしれないが、私にとっては朝鮮戦争の名残、壊れた戦車を運ぶ大型トラックが「戦後」なんですね。

 だって、「振動と騒音」で毎晩起こされたんだもの。

 あ、私は団塊の世代ではないですよ。ほんのちょっと後。

 まあ、でも似たようなもんか。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Nishi Ikebukuro ©tsunoken

2018年2月27日 (火)

フォクトレンダー ウルトラ ワイドヘリアー 12mm レンズテスト

 中国では習近平共産党主席が三選できるように憲法改正するそうで、それじゃあ独裁体制になってしまうわけで、なんだ、それじゃあ北朝鮮と同じじゃないか。習には一人娘がいるそうだが、彼女の夫かなんかが跡継ぎになんぞなってしまったら、完璧に北朝鮮だな。

 やっぱり、中国と北朝鮮っていうのは同根なのね。

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 なんてこととは関係なく、以前から言っていた通り、手持ちのデジタル・レンジファインダー・カメラ、EPSON R-D1sは受光素子がAPS-Cサイズなので、使っていたVOIGHTLANDER COLOR-SCOPAR 21mm f4だと、フルサイズ換算で32mmになってしまっていて超広角レンズ効果がうまくいかないので、それより広角のレンズを探していたんだが、結局、同じVOIGHTLANDERのULTRA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 ASFERICALⅡが手に入ったので、早速、レンズテストに出かけたっていうわけ。

 今日は2.26事件から82年目っていうネタを振ろうと思っていたんだけれども、それはなし。

 それにしてもAmazonからは「2/27~3/1のお届け」という連絡だったので、まあ、来てからテストを考えようと思っていたら、なんと昨日(2/26)のそれも午前9時以前に届いてしまい、早速、それを持ち出して、巣鴨は地蔵通りやら旧中山道にレンズテストに行ってきたのだった。いやあ、Amazon恐るべしですな。

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 しかしまあ、12mmレンズって言ったら、学生時代に使っていたボレックスの16mmシネカメラが広角16mm、標準25mm、望遠50mmだったので、16mmシネカメラでも12mmといったら広角レンズの範囲だ。まあ、35mmスチールカメラで言ったら超・超広角レンズといってもよい位のレンズだ。これを35mmフルサイズのカメラに装着したら……、ってのが楽しみですね。

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 12mmレンズと言ってしまえば、ほとんどフォーカスを合わせる必要のないパン・フォーカスレンズである。合わせる必要があるのは、こうした数十センチ位に近づく近接撮影くらいのもの。あとはほとんどの被写体は無限大に合わせておけばピントはOKである。

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 周辺光量の落ちも気になったんだが、それは絞りを開放f5.6にした場合の話で、f11以上に設定してしまえばほとんど気にならない。仮にそれがあっても、まあ、レンズの味ですね。

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 問題はやっぱり35mmフルサイズではどうなのかってこと。そのために近々のうちにライカM6に装着してレンズテストをしてみるつもり。

 なあんてやってる間にどんどん時間が過ぎて、本を読んでいる時間が取られてしまっている。現在は下の3冊(「バブル入社組の憂鬱」「炎と怒り」「定年バカ」って、なんだこの一貫性のなさは!)を併読しているんだが、う~ん、時間が足らんなあ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER ULTRA WIDE-HELIAR 12mm f5.6 ASPHERICALⅡ @Sugamo & Takinogawa ©tsunoken

2018年2月26日 (月)

ウィリアム・クラインと過剰なる映像

 ウィリアム・クラインの写真展を六本木ミッドタウンのミッドタウン・ガーデンにある21_21 DESIGN SIGHTで開催中だというので行ってきた。

 ウィリアム・クラインといえば「ニューヨーク (1956)」「ローマ (1956)」「モスクワ(1961)」「東京 (1964)」「PARIS+KLEIN (2002)」などの写真集や、「ポリー・マグーお前は誰だ?(1966)」「ベトナムから遠く離れて (1967)」「モハメド・アリ/ザ・グレーテスト(1969)」などの映画の監督(「ベトナムから遠く離れて」は共同監督) などで知られた写真家であると同時に、日本においては『provoke』に拠った写真家の内、中平卓馬や森山大道などの写真の特徴「アレ、ブレ、ボケ」のお手本の写真家として有名な写真家でもある。

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 それと同時に既に90歳になんなんとしている超高齢の写真家であるし、上記の写真集も既に絶版となっている以上、写真展があったら即行かなければならない、というのは2015年1月18日のブログにも書いた通り。

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 ということで行ってきたんだが、どうも写真展のタイトルが『写真都市展-ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち-』となっている通り、ウィリアム・クラインだけの写真展ではないのであります。

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 ウィリアム・クラインの作品は、TAKCOMというアーチストがいろいろな見せ方を工夫して見せてくれてはいるんだが、う~ん、なんかイマイチ意図がよく見えない。

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 その他、『22世紀を生きる作家たち』については、安田佐智種、多和田有希、沈昭良、西野壮平、勝又公仁彦、須藤絢乃、石川直樹+森永泰弘、水島貴大、朴ミナ、藤原聡志といった若手写真家たちの写真が展示されているのだが、残念ながらそれがウィリアム・クラインの写真とどう「拮抗」しているのかがよくわからない。

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 まあ、ウィリアム・クラインをフックにして若手写真家の作品を強引に見せようという意図は分からないではないし、まあ、そうした強引さも若手を社会に認めさせるには、ある意味では必要なんでもあろう、という意味では、こういう見せ方も認めないわけにはいかないだろう。

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『写真都市展-ウィリアム・クラインと22世紀を生きる写真家たち-』は2月23日から6月10日まで、六本木21_21 DESIGN SIGHT ギャラリー1&2にて開催中。

公式サイトはコチラ

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Roppongi ©tsunoken

2018年2月25日 (日)

講談社の決算発表に思うこと

 11月が決算年度の講談社が昨年の決算と役員人事を発表した。

 下の記事は業界紙『新文化』からの引用。まあ、基本的には講談社が出したプレスリリースを写したものである。

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講談社、増収減益決算 電子・版権収入が全体の30%超に

 2月20日、東京・文京区の本社で株主総会および取締役会を行い、第79期(H28.12.1~同29.11.30)決算と役員人事を発表した。売上高は1179億5700万円(前年比0.6%増)、営業利益は約19億円(同37.2%減)、経常利益は約43億円(同15.3%減)。当期純利益は17億4800万円(同35.6%減)。野間省伸社長によると、電子や版権ビジネスなど、「事業収入」の占有率が売上高の30%を超えて第2の柱になりつつあるという。
 役員人事は、取締役の峰岸延也、古川公平、渡瀬昌彦の取締役3氏が常務に昇任。吉羽治氏が取締役に新任。森武文副社長は取締役相談役に、鈴木哲常務は退任して顧問に就いた。』

 出版業界全体がシュリンクしている状況の中で「増収減益」とはいえ経常利益、純利益ともに黒字決算はまあ致し方ないのかもしれないが、以下の日経新聞1月25日付の記事はもうちょっと書いてあるので、そちらを基本に読んでみたい。

止まらぬ出版不況 17年7%減 雑誌で顕著、11%減
 電子は伸びる

 出版業界の調査研究機関である出版科学研究所(東京・新宿)は25日、2017年の市場規模を発表した。紙の出版物の推定販売金額は16年比7%減の1兆3701億円で、13年連続のマイナスとなった。一方で、スマートフォン(スマホ)やインターネットで楽しむ電子の出版物は16%増の2215億円となり、紙と電子を合わせた出版全体の市場は4%減の1兆5916億円だった。
 内訳をみると、紙の雑誌の落ち込みが著しかった。11%減の6548億円で、2桁の下げは初となる。週刊誌、定期誌、それぞれ9%減だった』

 とにかく売り上げが毎年落ち込んでいる出版業界なので、その中での「増収」っていうのは、まあ、結構なことですねというところなのだろう。

 講談社の決算に関する日経新聞の記事では……

『デジタル分野の売上高は9割を占める漫画の販売が好調で、42%増の249億円と大きく伸びた。書籍の売上高である176億円を大幅に上回る。都内で決算説明会を開いた講談社の野間省伸社長は20日、「電子書籍や版権収入が成長した。体質改善を積極的に行う」と強調した。
 ただ、漫画の単行本と漫画雑誌を合わせた売上高は10%減の411億円にとどまった。出版市場が縮小する中、業界では単独で黒字を確保できる雑誌が減少しているというのが共通の見方だ。
 講談社の週刊誌「週刊現代」や月刊誌なども単独では赤字だとみられ、年間に数十億円の利益を稼ぎ出す漫画頼みの構図が強まっている。ただ、漫画を無断掲載する海賊版サイトの影響が徐々に出始めており、月額の被害額が数億円にも達するとの指摘もある。』

 となっている。

 出版科学研究所のデータっていうのは、あくまでも「紙の出版物」だけの統計数字なので、今や電子出版が当たり前になってしまった時代のデータとしてはまったく使えるデータではない。つまり、出版科学研究所のデータ自体が各出版社から出てくる資料だけをもとにしていて、なおかつその出版社の大半が紙の出版をやっている出版社ばかりなので、実体としての「コンテンツ産業としての出版社」という実情を反映していないというのが一番の問題。つまり、「コンテンツ産業としての出版業界」に対応する業界研究所っていうのはいまだになくて、いまだに「紙の本を1冊売ってなんぼの収入」という太古からの数値をもとにしている、なんか今やまったく使えない業界研究所なんだな、これが。

 講談社にしても「電子書籍や版権収入が成長した」というときの「電子書籍」というのは、実はかなりの割合で「漫画コンテンツ」なのだ。いまや、漫画はスマホで読むという時代になってきており、その結果「漫画を無断掲載する海賊版サイトの影響」が云々されるという状況になってきている。

 だからこその「増収減益」っていう決算なんだけれども、それがなかったら赤字決算になっていたわけで、その意味では、講談社が早い時期から電子出版と出版物のコンテンツ化に乗り出していた結果が現在の状況につながっていると考えることは重要だろう。

 今や「出版業界」っていうのはなくて、紙も出すけれども、電子や別のコンテンツも出す「情報産業としての出版コンテンツ業界」と「紙だけにこだわる出版業界」に分かれているのである。

「出版は不況だ」というのであるならば、この二つの典型的に分かれた業界を別々にとらえて、それぞれについて語らなければならないのだろう。

 では、こうして二つの典型的な産業形態に分けて、「出版業界」は先がなくて、「出版コンテンツ業界」ばかりがうまくいくのかっていうのであれば、決してそんなことはないので、「出版業界」の皆さん、ご安心を。ただし、その場合は、まずとことんまでシュリンクする出版業界というものに付き合わなければならないだろう。「情報産業」的な部分は完全にそぎ落とした結果としての「出版業界」になってしまえば、そこからは「紙の出版物」にたいしてフェティッシュな好意を持つ人たちによって、いわゆる「出版業界」は守られて生きていくことができるだろう。その場合の「出版業界」は、「情報」とか「コンテンツ」っていうものとは一切かかわりのない、まあ純粋な本の世界のことである。

 勿論、そんな「出版業界」というものは、社会の話題性などというものとは一切かかわりがないし、映像化されて大きく稼げるっていう世界とは、ほぼ関係のない世界になるのだろう。

 で、そちらは「情報産業としての出版コンテンツ業界」に任せるっていうことになるだろう。で、そちらの「情報産業としての出版コンテンツ業界」が、現在の出版業界に代わって世の中のトレンドとか、流行とかっていうものと付き合っていくことになるんだろう。

 まあ、そんな「出版業界」の終焉と「情報産業としての出版コンテンツ業界」と「紙だけにこだわる出版業界」の誕生を、近い将来の状況として想像するのだ。まあ、もはや後者は「産業」という名前には値しない業界になっているんだろうけれども。

2018年2月24日 (土)

超広角レンズで見た東京の下町

 実は19日に書いた金沢レポートなんだが、ニコンDfと一緒にアナログカメラのライカM6を持っていった。持って行ったはいいけど、雪の金沢でデジタルとアナログのカメラ二台持ちは結構大変なんで、結局金沢ではデジタルのDfだけを使った。Dfにはズームレンズという旅行に最適のレンズを持って行ったってこともあって、結局はデジタル・オンリーになってしまったという体たらくなわけ。

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 で、帰ってきてから20日にはそのライカM6を持ってでかけた。レンズはフォクトレンダー・カラースコパー21mmf4という、ここ最近はエプソンR-D1sにつけていたレンズ。

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 エプソンR-D1sは撮像素子がAPS-Cサイズなので、21mmレンズだとフルサイズでは31.5mm相当の画角になる。つまり、APS-Cだと21mmの面白さは堪能できないので、たまにフルサイズのカメラに21mmレンズをつけて撮影をしている。

 まあ、35mmフルサイズのニコンDfに20mmレンズをつけて撮影するのが最近の私のデフォルトの撮影方法なので、21mmだからといって特別「広角!」っていう感じはしない。

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 ただし、カラスコパーやライカのスーパーアンギュロンは両方とも「対照型レンズ」なんで、周辺光量の不足が気になるところなんだが、絞りをf11まで絞り込んでしまうと、それはほとんど気にならない。

 もしかしたらスーパーアンギュロンというお値段の高い21mmレンズとの性能差って、少なくともカラースコパーに関しては認められないのかもしれない。まあ、コニカのヘキサノン50mm f2だって、(少なくとも私の目から見たら)ズミクロン50mm f2と変わらないのだから、まあ、ライカレンズは「ブランド料」ってとこなんでしょうね。

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 ってことで、砂町銀座の周辺を撮影してみたんだが、まあ、こんな感じの写り方です。

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 東京の下町って、やっぱり広角レンズの世界なんだなあ。

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 しかし、こうやって広角、それも20mm~21mmなんていう「超広角」レンズを使い慣れてしまうと、なんか超広角が私の目からみるとごく普通の見え方になってしまうから不思議だ。その辺が50mmを「標準」と定めたヨーロッパの世界との違いかもしれない。つまり町の大きさとカメラのレンズの焦点距離には関連性があるってことなんだろう。

 むしろ50mmあたりの「標準」レンズの方が特殊レンズに感じてしまうのは、私の目の「いい加減さ」なんでしょうね。

 撮影センスのなさは相変わらずなので、ごめんなさい。

LEICA M6 VOIGHTLANDER COLOR-SCOPAR 21mm f4 @Sunamachi ©tsunoken

2018年2月23日 (金)

昨日から「中古カメラ市」開催

 銀座の松屋で毎年恒例の「世界のカメラ市」が始まった。3月1日からは横浜で「CP+」も始まるし、いよいよ「カメラの春」がやってきた。これはイカネバの娘(古っ!)だ。

 あ、その前に確定申告を忘れずに。国税庁長官が森友学園への国有地売却問題に関して国会で虚偽答弁をしていた佐川宣寿氏だからっていっても、それとこれとは別だからね。

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「世界の中古カメラ市」は一般の人にとっては趣味の世界なんだろう。基本的にフィルムカメラ全盛のその世界なんだが、私にとっては結構実用的なカメラおよびカメラ関係品の入手経路だったりする。

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 今回の私のテーマはフォクトレンダーの10、12、15mmなどの超広角レンズなのであります。要は最近よく使っているデジタルのエプソンR-D1s用、フルサイズ21mm以上の広角レンズを探しているんだが、メーカーのコシナでは製造中止になっているので、中古カメラ屋さんか中古市じゃないと探せない。

 このジェイダブリューというカメラ屋さんにフォクトレンダー21mm f4Lの出品があったんだけれども、それは既に持っているレンズだし、APS-CのエプソンR-D1sだと21mmレンズはフルサイズ換算すると32mmになってしまうので、10mmか12mmのレンズはないかと思って探したんだけれども、会場をすべて回ってみてもそれは見つからなかった。

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 まあ、いいさ。ジェイダブリューというお店には行ったことがなかったので、一度お店に見に行ってみようかな、あるいは横浜野毛の大貫カメラ店にもう一度行ってみようかな、なんて考えている。

 ああ、駒込の「カメラのハヤシ商事」も出店している……、っていうかこの「カメラのハヤシ商事」、実は一昨日からお店を休んでいて、その理由がこのカメラ市出店のためっていうのを知って、それで「今年もカメラ市が始まるんだ」ってわかったっていう具合。

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 写真家田村彰英氏が主宰する東京銀塩写真クラブの作品展も併催しています。まさに「中古カメラ市」ならではですね。これがCP+だと、当然メーカー主導なのでデジタルカメラになっちゃうわけです。

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 こうした中古カメラ市なんかでも、最近は若い人にもクラシックカメラへの興味が増えてきたみたいで、若い人の来場も増えてきている。

 一度、ご来場を。

 クラシックカメラ・ウィルス(ライカ・ウィルスとも言う)に罹患すること間違いありませんぞ。

第40回 世界のカメラ市は2月27日まで、銀座松屋8階イベントスクエアにて開催中。

公式サイトはコチラ

2018年2月22日 (木)

北陸新幹線の開業は石川県には資しているが……

 話は私がK談社の名古屋支社で北陸地域を担当していたころの話なので、既に30数年前のことになるが、そのころ既に北陸新幹線の話は出ていた。

 そもそもは1965年に東海道新幹線開業後1年にして、時の首相佐藤栄作氏が認め、1973年に整備事業計画が長野-富山間は未定のまま進められることになり、1997年に長野までが開通したのはご存知の通り。その後、18年が過ぎて2015年3月に金沢まで開通した。しかし、そこから先の福井まではまだ未開通だし、更にその先、福井県の小浜から京都まではいまだにルートさえ決定していない状況だ。

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 北陸三県と我々はひとくくりにして考えがちなんだけれども、実は北陸といっても一つではない、というのが私が北陸を担当していたころに受けた印象だった。

 福井県、石川県は文化的には京都だし、経済的には大阪経済圏に属しているが、隣の富山県は、西の高岡市までは石川の経済圏・文化圏、つまり関西圏に属しているのだが、呉羽山から東の富山市は実は東京の経済圏だし、文化的にも東京圏に属している。

 食べ物や言葉遣いなんかも金沢とは違って富山までは東の文化圏の雰囲気だし、経済的にも東京の方からの情報で動くことが多い。同じ加賀前田藩の支藩であったにも関わらず、呉羽山という低い山がなんでそこまで両地域を分けるのかが不思議なくらいである。まあ、高岡は加賀の支藩、富山はそのまた高岡の支藩という違いはある。

「呉羽丘陵によって富山平野は二分されており、かつては言葉や風俗の境界とされていた。呉羽丘陵よりも東側が呉東(ごとう)、西側が呉西(ごせい)と俗に呼ばれる(天気予報などでは「東部」「西部」と分けられる)。富山県内の多くの箇所から見え、かつ、放送局のある富山市中心部から近いことから、頂上部には各放送局の送信塔が並ぶ。
「富山」という地名の由来について、かつて越中国の国府のあった現在の高岡市から見て、呉羽丘陵の外側にあった事から外山(とやま)と呼ばれ、それが変化して富山になったという説がある。」(WIkipedia)

 という解説があるくらい。

 かつて「春の日に 張れる柳を取り持ちて 見れば京の 大路思ほす」という、都を懐かしんだ歌で有名な大伴家持が越中の国府として左遷されたのが現在の高岡市であり、当時は呉羽山から東の現在の富山市はまだ未開の地だったのかも知れない。当然、当時は京都が日本の中心だったので、当然、京都より遠い場所は「田舎」ということだったのだろう。

 つまり、金沢を越えて高岡(越中)まではまだ京都の文化圏。高岡が「文化果つる」地、そしてそれ以東の富山から新潟(越後)、長野なんかは当時はまだ未開の地だったのであろう。

 なので、江戸時代以降は江戸(東京)が日本における政治と経済の中心、京都が文化の中心という形になったために、富山市あたりは京都に近い金沢に対抗するように東京文化、東京経済に寄り添うようになり、北陸三県とひとくくりにされながらも、石川県とはスタンスが異なる文化圏、経済圏を作り上げたんだろう。

 ということを前提として2017年9月22日(あれっ? 私の誕生日だ)に発表された北陸経済連合会のレポート「北陸新幹線の開業の整理と敦賀延伸に向けた課題」を見てみる。

 ひとつ面白いのは、北陸新幹線の開業によって富山や金沢のホテルの稼働率が一度は下がったということ。

 多分、皆さんは「あれっ?」って思うでしょ、なんで観光客が増えたのにホテルの稼働率が下がるの? っていうことですよね。新幹線ができて便利になったのに、なんで? ってなもんでしょうが、実は新幹線って本来は観光客のためのものじゃなくてビジネス客のためのものなんです。東海道新幹線だって、本来の目的はビジネス用途なんです。そこに観光客が乗っかったっていうわけ。

 東京に来た世界中の人が、「あれっ? 2時間半で京都に行けちゃうわ、金沢に行けちゃうわ」ってなもんで、例えば海外から東京にビジネスで来たついでに、あるいは同伴者と一緒に日本にきた海外からのビジネス客が京都や金沢に行ける、っていうところが実は京都や金沢の「観光地」としてのレーゾンデートルなんですね。そんな人たちは、まあ日程に余裕がある人たちは宿泊で行くけれども、余裕がなければ日帰りで東京から京都、金沢に行っちゃうんです。

 つまりこれって、ビジネス客のビヘイビュアなんで、彼らは基本的に日帰りができる距離(時間)ならば、その日のうちに東京の本社に帰って仕事をするんですね。この辺の感覚はビジネス客も観光客も同じ。ただし、ビジネス客はその後も同じように毎回日帰り出張を繰り返すんだけれども、観光客はもし日本に来るのが二度目以降なら、京都や金沢でもう一泊をするようになる、っていうこと。まあ、一泊二日位の観光場所は金沢にはかなりあるもんね。

 ということで、金沢のホテルは開業二年目からは再び稼働率が上昇するっていうことになったのである。その一方、富山は相変わらず稼働率自体は前の年と変わらないが、要は観光客からは順次宿泊対象じゃなくなってきたっていうわけ。金沢からも近いから、金沢のついでに富山観光も……、ってな感じなんだろう。

 この辺は金沢は北陸の中心都市ということでビジネスの用事で来る人もあると同時に、兼六園、金沢城とかいろいろ観光施設もあるということが、あまり観光施設がなくどちらかというとビジネス目的の企業が多い富山との違いなのである。

 勿論、結果として富山県に北陸新幹線が資することは多いんだけれども、残念ながらビジネス以上のプラスαはなかったってことでしょう。でも、ビジネス面で大きなプラスがあることは富山県にとっては大事なこと。まあ、観光に関しては、立山とかの自然資産をどれだけ外国人にアピールできるかなんだけれども、立山になっちゃうと登山の準備もしないとだめなんで、結構この自然資産というのは難しいかもしれない。

 でもまあ、基本的なことを言ってしまうと、元々「ビジネスと観光」で売ってきた金沢に比較して「ビジネス・オンリー」で進んできた富山なんで、相変わらず金沢に比較して地味な存在なのかもしれないが、富山は富山なりの存在価値はあるのだ。

 じゃあ、これから開業(するかもしれない)福井以西、京都まではどうなんだ? ってことになるんだけれども。

 う~ん、なんかあんまり明るい未来像は描けないなあ。

 もともと、経済的にも文化的にも、とりあえず京都から福井を飛び越して金沢に行ってしまってきたんだけれども、その関係論は北陸新幹線が全通しても変わらないのじゃないか。まあ、東京から一番遠い地域ってのは変わらないんだが、じゃあ京都から北陸で一番近いってのも、実はメリットにならないんだなあ。

 2023年金沢-福井-敦賀間開通はまだ少しは見えているんだが、2030年敦賀-小浜-京都間開通って言われてもねえ。その頃に日本経済がどうなっているかは見えていないし、もはや依然と同じ拡大経済の時代ではないでしょう。

 縮小経済の中で、どうやって北陸新幹線の全通を迎えるのか。それが福井経済の大きな課題ではないだろうか。

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NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f2.8-4 D @Kanazawa ©tsunoken

2018年2月21日 (水)

江東区砂町銀座商店街

 ここのところ東京メトロ東西線の門前仲町で降りたはいいが、出口を間違えたり、出てからの方向を間違えたりして、清澄庭園のほうへ行ってしまったり、月島方面へ行けなかったりしたいたので、思い切って昨日は南砂まで行ってみた。

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 南砂といえば、駅からちょっとあるが砂町銀座商店街である。昔からある「いわゆる下町の商店街」そのものという感じのお惣菜やさんが多い商店街なのだが、お昼ごろから既に人出が多い。

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 とはいうものの、やはり本格的に忙しくなるのは夕方からになるのであろう。まだまだ、カメラを持った闖入者を許してくれる雰囲気はある。

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 夕方になるともうそんな雰囲気はなくなって、カメラなんてのんびり構えていると、「そこ邪魔だから、撮影やめっ!」なんて言われそうな雰囲気になってくるのだ。

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 なので、こちらはあっちへフラフラ、こっちへフラフラしながら写真を撮ったりなんかしているのだが、まあ、買い物客にしてみれば邪魔でしょうがないんだろうな。

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 なんてことを考えながら、それでもあっちへフラフラ、こっちへふらふらしながら写真を撮ったりなんかしている訳ですね。

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 しかし、地下鉄の南砂からも、大島からも遠い商店街なんだけれども、なぜこんなに人出が多いんだろう。周囲にもいろいろ小さな商店街はあるんだが、それでもなおかつ砂町銀座商店街に来るっていうんだから、それなりの魅力があるんだろうけれども、その「魅力」というものが、私にはわからない。

 まあ、家事はカミさんまかせのデクノボーですから、しょうがないのか。

LEICA M6 VOIGHTLANDER COLOR-SCOPAR 21mm f4 @Sunamachi ©tsunoken

2018年2月20日 (火)

東京は坂の町、川の町

 東京(江戸)は皇居(江戸城)を境に、西側が武蔵野丘陵の山の町、東側が一部東京湾(江戸湾)の埋め立て地を含む、低地に分かれている。

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 この坂の町に目を付けてその東端に江戸城を作ったのが太田道灌であり、その江戸城を中心に、西の高台に武家屋敷町を作り(山の手)、東の低地に町人の住む街(下町)を作ったのが徳川家康である。

 家康がすごかったのは、その東の低地のあちこちに運河を作って、江戸以外の日本中から来る物資の集積地として荷揚げをする場所を作り、さらに倉庫街を作り、そこにある物資を扱う商人の住居を作った点である。

 まあ、このころの運河っていうのは、現在のトラックが走り回る広い街道みたいなもんなんですね。その辺の家康の都市計画って現代でも通用するようなものではある。

 まあ、この辺が平地に大阪城と大阪の町を作った豊臣秀吉との違いかな。

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 さらに、西の高台に住む武士階級は、常に町人を見下ろす立場にいることによって、いやでも下の町に住む町人に対して「自分は特別なんだ」という意識を持たせ、「町人=商人」の持つ「お金の力」に負けない「自己意識の高い存在」として自らを位置付けたわけだ。

 まあ、人間なんて動物と変わりませんね。別に住んでいるところで身分の上下関係なんてのは本来ないはずなのに、何となくそう感じさせてしまう人間の心理まで家康は読んでいたんでしょうか。

 まるで、猿山のサルですね。所詮、人間なんて。

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 てなことを考えると、明治維新ってその「下町」に住んでいる町人たちが、薩長の田舎侍と組んで仕掛けた「下剋上」だっていうことなんですね。

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 まあ、「下の町」に住んでいる住民が、「上の町」に住んでいる住民をやっつけて、下の町から山の手人種を逆に支配してしまおうっていう、まるで絵に描いたような下剋上。

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 上の町に住んでいた武士階級は、それでなくとも既に手にしている資産の比較でもって町人に負けていたんだけれども、それ以上に「下の町」の住民により、武士たる自意識(プライド)はズタズタにされたんだろうなあ。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D & EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SCOPAR 21mm f4 @Azabu Juban & Fukagawa ©tsunoken

2018年2月19日 (月)

金沢にいます……とりあえず今日はそこまで

 金沢に来ています。勿論、石川県の金沢です。

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 何故、金沢なのか? って、聞かれてしまうと困るんだけれども、要は別に用事があってきたわけではない。まさしく、雪が降ったから、この雪の空の下「不要不急」の用事で金沢までやってきたって訳。

 ひとつには、5年ほど前に同じ時期に金沢に来たときは、ほとんど雪がなく、雪の兼六園の美しさを奥さんに見せてあげようと思ったんだが、それが果たせず、ってことで、「今年は雪が多い(ってくらいのもんじゃないけれどもね)」ので、「行くなら今だっ!」ってな感じで、来ちまったっていう訳です。

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 さすがに金沢の目抜き通りは除雪はしてあるが、人が歩かない場所は雪が降ったままってのがいいですね。これは東京ではありえないこと。まあ、東京では人が歩かない場所ってのがないからね。香林坊から広坂の方へ上がっていくと、そんな場所が多くある。まあ、それだけいろいろ広い土地があるってことなんだけれどもね。

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 で、兼六園です……、ってことで梅の花の早咲きで終わらしちゃうと欲求不満がおこるかな。

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 というとこで、一般的な金沢ファン(っていうか……)の為に、いかにも兼六園っていう写真を下に掲示します。

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 というこで徽󠄀軫灯篭(ことじとうろう)です。

 えっ? もうちょっと金沢とか石川県についてのレポートもやれって?

 うーん、それもいいけど、私なりに石川県や金沢市について考えていることがいくつかあるので、それについては近々書きます。実はいろいろと北陸という場所について考えていることがありますのでね。

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NIKON Df AF NIKKOR 24-85mm f2.8-4 D @Kanazawa ©tsunoken

2018年2月18日 (日)

久しぶりに東北沢まで行ってみれば……

 小田急線で新宿から5つ目、代々木上原と下北沢の間の駅が東北沢である。

 まあ、いかにも中間駅っていう感じの存在感の薄い駅ではあります。以前は、なんか東京の真ん中に近い割にはほとんど田舎のローカル駅っていう感じの駅舎ではあった。それが小田急線の複々線化と地下化の関係でなんかすごく変わっていきそうな状況である。

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 ただし、まだ複々線化と地下化は工事中途という感じで、地下ホームも現状は複々線の急行通過線に仮ホームを作っていて、本ホームは乗客が待機する場所になっている。

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 昔、付き合っていた女性がこの東北沢に住んでいた関係で、何度かこの町に来たことがある。勿論、以前の超ローカル線駅という感じの東北沢で、駅前の道ももっとごちゃごちゃしていて、ものすごく狭い道だった。

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 その狭い道にいかにも的な田舎風のスナックなんかがあって、なんか都会の真ん中でこんな場所がという感じがしたものだった。

 が、それも30数年も前の話。まだ、結婚する前の話で、いまや当時の面影を残すものは、駅前にはまったくなくなっている。

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 と、思ったら、変化をしているのは駅前だけで、というか北沢の町だけで、ちょっと行った先の駒場の町は昔のまんまだった。

 学校と研究施設とお屋敷だけの町は、なんともはや昔から変わらない町ではあるのだ。

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 まあ、駒場はこれからもあまり変わらないだろうけれども、東北沢は道路の拡張とともにかなりな変化をしていきそうな予感がする町だ。

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 う~ん、まだまだ東京の町って変わっていくんだろうなあ。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SCOPAR 21mm f4 @Komaba ©tsunoken

2018年2月17日 (土)

日銀トップ人事……って、やっぱり黒田さんなのかなあ

 う~ん、これでいいのかなあ?

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 2月16日の日経夕刊の記事が日銀の黒田総裁の再任という記事だった。

『政府は16日午前、衆参両院の議院運営委員会理事会で、4月8日に任期満了となる日銀の黒田東彦総裁を再任する人事案を提示した。3月19日に任期満了となる中曽宏、岩田規久男両副総裁の後任には日銀の雨宮正佳理事と早大の若田部昌澄教授を充てる案も示した。安倍晋三首相の経済政策「アベノミクス」を支えてきた大規模な金融緩和を維持して、デフレ脱却の実現を目指す。』

『雨宮氏は金融政策を立案する企画担当が長い。理事として黒田氏を支え、16年に導入した長短金利操作などの設計に関わった実績がある。若田部氏は積極的な金融緩和を訴える「リフレ派」とされる。英語が堪能で、米経済誌に連載を持つ国際派としての顔も持つ。 』

 という記事なんだが……。

『黒田氏は13年3月に就任し、同年4月に「2年で2%」の物価上昇を目標に掲げた「異次元の金融緩和」に着手した。14年の追加緩和や16年のマイナス金利政策の導入など積極的な緩和策を進めて、アベノミクスをけん引してきた。円安・株高や有効求人倍率の大幅な改善といった成果を生んでおり、首相も手腕を高く評価していた。』

 というアベノミクスなんだが、本当にそうなんだろうか。

 アベノミクスとは何か?

 アベノミクスは、下記の「三本の矢」を、経済成長を目的とした政策運営の柱に掲げている。     1、大胆な金融政策
2、機動的な財政政策
3、民間投資を喚起する成長戦略

個別の政策としては、それぞれの矢として下記などが提示、あるいは指摘されている。

1、大胆な金融政策
・2%のインフレ目標
・無制限の量的緩和
・円高の是正と、そのための円流動化
・日本銀行法改正

2、機動的な財政政策
・大規模な公共投資(国土強靱化)
・日本銀行の買いオペレーションを通じた建設国債の買い入れ・長期保有、ただし国債そのものは流動化

3、民間投資を喚起する成長戦略
・「健康長寿社会」から創造される成長産業
・全員参加の成長戦略
・世界に勝てる若者
・女性が輝く日本

 ということなんだが、実現しているのは「大胆な金融政策=無制限の量的緩和」である「マイナス金利」くらいのもので、その結果として「2年で2%」の物価上昇は実現していないし「機動的な財政政策」に関しては「円高の是正」はできていないし、「民間投資を喚起する成長戦略」なんてまるで絵に描いた餅でしかない。

 まあ、日銀にできるのは金融政策だけなので、2や3については黒田氏の責任ではないが、いずれにせよ安倍晋三氏のアベノミクスは、実質的に失敗に終わっているとしか言いようがない。

『米国や欧州の中央銀行はすでに金融緩和の正常化や金利引き上げに動いている。大規模金融緩和を続ける日銀が、新執行部の5年の任期のなかでどのような出口戦略を描いていくかが問われることになる。16年に導入したマイナス金利政策が銀行や生命保険会社の収益を圧迫するなど、金融緩和の副作用への懸念も強まっていた。』

 というのが実情だ。

「大胆な金融政策」でもってマイナス金利になってしまい銀行の収益を圧迫、その結果として地方銀行が合併の話が出てくると、「地域独占はマズい」といって公正取引委員会が出しゃばってくるっていう構図はどうにかならないものか。つまりは、それって地銀は勝手に潰れろって言っているのと同じなんだけれどもなあ。

 アベノミクスの結果、企業収益が上がったとはいっても、それを従業員に還元しないで、企業の内部留保をどんどん貯めこんでいる状況では、決して「2%のインフレ」は実現せずに、相変わらずのデフレ経済に陥った日本経済は生き返らないのだ。

 アベノミクスの失敗の責任を黒田総裁一人に負わせることはあってはならないことではあるが、しかし、黒田氏の「大胆な金融政策」が日本経済を生き返らせることにはならなかった、という部分では、黒田氏もアベノミクス失敗の責任の一部を負わなければならないのは明白である。

 それでもまだ黒田氏の指導下でもって日銀を続けるっていうことは、安倍晋三氏は本当に自分の経済政策が当たっていると思っているんだろうか。少なくとも、現状の日本経済社会をみてアベノミクスが当たっていると考えている以上は、安倍晋三氏の経済オンチぶりだけは健在っていうことだろう。

 半ば冗談だと思うのだが、一部にジャネット・ルィーズ・イエレン元FRB議長に日銀総裁を務めてもらったらどうだろうかという話があった。

 まあ、そんな冗談も出てしまうくらい、今の日本経済はもうぐちゃぐちゃ状態になっている。といって、民進党や立憲民主党あたりの人材じゃなあ、っていうくらい日本の政治家も使えないしなあ。

 あ、それはアメリカも同じか。

 まあ、安倍晋三氏とドナルド・トランプ氏の気が合うわけなんだな。

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NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Kayabacho ©tsunoken

2018年2月16日 (金)

「世界は君を、待っていない」って至言ですね

 JR山手線目白駅にあるアドボードがなかなか刺激的だ。

「世界は君を、待っていない。君が世界を、つかみに行け。」

 ご当地、目白にある学習院大学国際社会科学部のアドボードだ。

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「国際社会科学部」がどんな学部なのかはわからないけれども、いやあ、なかなか分かっているじゃないか学習院。「〇〇大学なら就職率100%」みたいな超甘の宣伝文句よりよっぽどマトモだ。

「世界は君を、待っていない。君が世界を、つかみに行け。」

 そう、「世界は君を待っていない」どころか、「世界は君の存在すら知らない」し、「世界は君の存在なんてまるで気にしていない」し、「世界は君がいなくても」充分回っているのだ。そう、君は世界から無視されていても十分な存在でしかない。

 でも、大学を卒業した君は、大学院にでも進学しない限りは、「世界」に出て行って、何らかの形で「世界」と付き合って、そこに割って入って、そこでなにがしかの収入を得て、生活をしていかなければならない。ところが、君と同じような境遇にいる若者が毎年50~60万人いるのである。そう、君は自ら世界に出て行って、他の50~60万人の人と戦って、自分の手で収入を得なければならない。自分の手で世界をつかまなければならないのだ。

 別に就職なんかはしなくてもいいけれども、とりあえず一人で稼ぐ方法が見つからなければ、あるいは自分が一人でお金を稼げる才能がないのであれば、どこかの組織に加わってそこのやり方で金を稼ぐ方法を見つかけなければならないわけである。まあ、それが就職ってこと。

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 では、その際に何を問われるのかといえば、大学に入る前にどんな勉強をしてきたのか、大学に入学してから四年間(実際には2年半だけどね)、どんな勉強をしてきたのか、大学時代に何か他の人にない特別な経験を経てきているのか、などなどだろう。

 といっても企業の側だって、別に普通の学生が大学時代に何を勉強してきたのかなんて「どうせたいしたことを学んでいるわけではない」ことぐらい知っているし、「何か他の人にはない特別な経験」なんて、まずないことも知っている。何故か? あなたたちの先輩社員がそうだったからというしかないんだろう。まあ、要はごく普通の人たちってそんなもんよ、ってな具合である。

 大学も就職セミナーなんかを最近は開催するらしいんだけれども、まあ、そんな大した就活経験を持っていない人たちのゼミナーなんて受けても、就活スキルが上がるわけでもないし、就職できるわけでもない。

「世界は君を、待っていない。君が世界を、つかみに行け。」

 世界は君を待っていないし、君の存在すらも知らない。君が、自分の存在を世界に示すべく、世界をつかみに行かなければならないのだ。そう、すべては自分だけの手でつかみ取る、それだけなのだ。

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 就職には比較的有利だとされているG-MARCHの学習院だって、そんな考え方だ。就職戦線って厳しいんですよ。

 G-MARCH以下のランクとされている大学に行っている人たち。

 大学の「就職率100%」なんて甘言に甘えていないで、自分で道を切り拓け。

「自分のやりたいことを見つけるのなら、それは自分でつかまなければ」

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NIKON Df AF NIKKOR 50mm f1.8 G @Mejiro & Fukagawa ©tsunoken

2018年2月15日 (木)

『偽ライカ同盟入門』で再確認

 何故か、すでに知っていたからなのか、出版された時には読んでいなかったんだなあ。でも、読んでみると、私も「偽ライカ同盟現代派」の資格は持っているわけだ。とううことで、ひと安心。

 つまり……

『【偽ライカ同盟現代派】
一台のライカを所有。
一台の偽ライカまたは「らいか」を所有。
一台のノートパソコンを所有。
一台のフィルムスキャナーを所有。』

 っていう条件はすべて満たしているもんなあ。

Photo 『偽ライカ同盟入門』(田中長徳著/原書房/2005年4月1日刊)4月1日刊って言ったって、別に冗談ではありません。

「ライカ同盟」っていうのが、赤瀬川源平氏、高梨豊氏、秋山祐徳太子氏の三氏によって作られているのは知っていたし、まあ半分は冗談で作られた同盟であることは知っていたんだが、それに対抗するように「偽ライカ同盟」がなぜ作られたのかは、その理由は知らなかった。っていうより、現代の日本で田中長徳氏以上にライカを語れる人がいることが信じられなかったんだが、まあ、こちらも冗談で作られた「偽ライカ」あるいは「らいか」を愛でる人たちが勝手に作ったんだってことで、まあ、そんなもんでしょう。

 で、偽ライカ同盟によって認定された偽ライカの一覧が『八 偽ライカ列伝 図鑑六十機種 反物質主義としての「お買い物ガイド」』として載っているので、とりあえずそこから抜き書き。

『コメッタ/FS1/フェド戦前モデル/フェド2/レニングラード/キエフⅡ/キエフ5/ゾルキー・フェド各モデル/上海/紅旗/リード/フォカ/モメッタ/デユフレックス/オペマ/ニコンS/ニコンS2/ニコンS3/ニコンS4/ニコンS3M/ニコンSP/レオタックスエリート/レオタックスG/タナックⅡc/タナックV3/ニッカ3/ニッカⅢL/キャノンⅣSB/キャノン7/ガンマ/アーガスC3/オリンパスワイド/オリンパスワイドS/エレットラ/カロワイド/ウェルミーワイド/マミヤワイド/マミヤマガジン35/ベッサR/安原一式/リコーGR1/リコーGR21/コンタックスT/コンタックスⅠ/コンタフレックスTLR/コンタックスⅡ/コンタックスⅡa/(ミラーアップした)ニコンF/(ミラーアップした)ミノルタSR1/アルパアルネア7/プラクチナ/コーワSW/カロT85 カロT100/カードン/カスカ1/カスカ2/エプソンR-D1(デジタルカメラ)/ベッサR3/ツアイス・イコン/ヘキサーRF/コンタックスG2』

 うーん、すごいなあ。つまりこれって総て田中長徳氏が実際に使ってみての評価であり、かなりの数のカメラは田中長徳氏が実際に「持っていた」カメラなんだなあ。さすがに写真家ならぬ「写真機家」田中長徳ならではの実績というか、放蕩三昧といえようか。普通の写真家だったらここまではカメラ道楽はしてないもんなあ。

 ニコンがS、S2、S3、S4、S3M、SP、Fというレンジファインダー時代から一眼レフの時代を切り開いた機種まですべてそろっているっていうのが、まあ、いかにも日本の写真家だなあっていうことではあるんだけれども、それと同時に、戦後のカメラシーンっていうものが、一眼レフ、レンジファインダー双方とも、ライカを除けば完全に日本のカメラメーカーが席巻していたんだってことがよくわかる。なんせ、フォクトレンダー、ツアイス・イコン、コンタックスという「精密機械という分野では世界に冠たる」ドイツのメーカーのカメラを日本の長野県のメーカーが作っていたんですよ。まあ、日本における長野県という場所が、ヨーロッパにおけるオーストリアやドイツの田舎なんかと地理的には同じような状況にあったということなんだろうか、なんかその辺は面白い状況ではある。

 まあ、さすがにここまで並べられてしまうと、その中で私が持っていたことがあるカメラっていうことになってしまえばコンタックスT、コンタックスⅡaに露出計を付けた(でも動かなかった)コンタックスⅢa、エプソンR-D1sくらいしかないんだが、まあ、そこにおける「偽ライカ」的なもの、「らいか」的なものの意味はよくわかる。

 つまりそれは「レンジファインダー機が実はカメラの理想である」ってことなんだ。

 どういうことかって言えば、一眼レフ方式のほうがレンズを通して見える画像がそのまま写真の画像になってしまうというのが、実は大間違いだってことなんであります。レンズを通して見えている画像は、いかにも写真画像そのものに見えるのであるが、実はそうではないということは撮影したフィルムを現像してみるとよくわかる。

「あれっ? 俺ってこんなものを撮ったのかなあ」

 なんて、自分の撮影した画像であるはずのものが、実は自分が確認した画像ではないっていうことに気が付くんですね。

 そこへいくと、レンジファインダーのカメラって、レンズが切り取る写真画像の周囲の画像までもがファインダーで確認できるんです。まあ、それだけファインダーとしては、写真画像にたいして「いいかげん」なわけですが、その「いいかげん」状態が、実は写真家を正常な心もちに安定させる理由でもあるんですね。

 そうです。一眼レフのファインダー画像を信じちゃいけない、ってことなんですね。

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PSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SCOPAR 21mm f4 @Yokohama ©tsunoken

『偽ライカ同盟入門』(田中長徳著/原書房/2005年4月1日刊)

2018年2月14日 (水)

変らない町・変貌する町

 久々に、以前住んでいた練馬区は上石神井まで行ってきた。

 上石神井から離れて既に3年半以上過ぎているので、多少は町にも変化はあるのかな、という興味で行ってきたんだが、なんか全然変わっていないんだなあ。相変わらず、駅構内にはエスカレーターもないし。

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 上石神井に引っ越した当初は同じ西武線でも新宿線のほうが池袋線より格上って考えていたんだが、いつの間にか池袋線は駅前の造りがどんどん変化してきれいに便利になっていくし、複々線化もしちゃうしで、なんか西武新宿線がどんどん取り残されてしまう気分があった。

 どうも環八の地下化と同時に西武新宿線の複々線化の話があったんだけれども、そのお金を西武が出すのか、東京都が出すのかで決まらず、結局、取りやめになったってのがケチのつきはじめだったのかもしれない。

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 それでも多少期待を持たせてくれたのが、下の駅前からの道のドン突きにある「いなげや」なんだよなあ。いえ、別にいなげやが何かするっていうわけではなくて、いなげやがあるあたりに、現在は大泉インターチェンジで終わっている東京外環自動車道の青梅街道ICができるっていう話だったんだ。

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 この写真がその候補地。駅前からくる道と交差する千川通りは拡幅して車も通りやすくなっているんだが、肝心のいなげや辺りには全然ICができるなんて雰囲気はない。全然、工事らしきものもやってはいない。

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 まあ、お約束の反対運動は私が上石神井にいた頃からあったんだが、だからといってそのために工事が遅れているっていう感じではないんだなあ。

 なんか、いつのまにか工事計画自体が取りやめになってしまったのか、棚上げになってしまったのか……。しかし、2020年の開通予定だったんだから、もうあと2年しかないんだよなあ。インターとは関係なく、この道ができれば関越道、中央道、東名高速の三つの高速道路が繋がって、環八の渋滞緩和をするっていう目的だったんだけれどもなあ。

 もう、東京オリンピック・パラリンピックには間に合いませんね。

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 なんかこうして見ると、上石神井っていう町自体が「変化」とか「進歩」とかっていうものに取り残されてしまった町のように見えてくる。駅前も変わっていないし、街並みも以前のまんまだし、まあ、変化を嫌う人たちにとってはそれでいいのかもしれないが、それじゃあ地価だって上がらないよ。

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 いつまでも「千川上水」の町でもないのにね。

NIKON Df AF NIKKOR 20mm f2.8 D @Kamishakujii ©tsunoken

2018年2月13日 (火)

大貫カメラ店・横浜野毛

 横浜は桜木町で降りて、野毛の商店街にある大貫カメラ店へ行った。

 別に、大貫カメラ店の存在を前から知っていたわけではないが、東京のカメラ店漁りも少し飽きてきたので、じゃあ近県でないだろうかなんて訳である。高崎の駅裏にある中古カメラ店は知っていたんだが、どうもそこは閉店してしまったようなので、東京以外で……ってことで、とりあえず横浜へ、ってなわけですね。

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 JR横浜線(京浜東北線)の桜木町駅を降りて、京浜急行の黄金町駅方向へ行く野毛大通りを行くと、黄金町へ着くちょっと手前の左側に店はある。

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 横浜野毛にはちょくちょく来ていたんだが、意外や意外、なんでこの店に気が付かなかったんだろう、ていうくらい気が付いていなかった。

 どうも、野毛、黄金町っていうと伊勢佐木町の裏街で飲み屋街だった伊勢佐木町の、もうちょっとディープな赤線・青線街の野毛・黄金町っていうイメージだったんだろうか、どうしても野毛にカメラ店があるとは思えなかったっていう、横浜人間じゃない人間の哀しさってなもんですね。

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 まあ、特に何を探そうという明確な目的はなかったんだけれども、できたらVOIGHTLANDERの12mmか15mmレンズがあるかなってなもんで物見遊山って感じで行ってきたというのが真相。

 要は現在EPSON R-D1sで使っている一番ワイドなVOIGHTLANDER COLOR-SCOPAR 21mmが、EPSON R-D1sのAPS-Cサイズの撮像素子では30~35mm相当の画像サイズになってしまうので本来の21mm級レンズとして使うには12mmか15mmが欲しいっ、そうすると35mm相当で18mmから23mm級のレンズとして使えるってことですね。なんだ、それって趣味のレンズってこと? そうです。

 まあ、昨日はそのためのマーケット調査みたいなもんで、基本的に「どれくらいのお値段で売っているんだろう」っていうのが分かればいいってところ。実用上のレンズの広角化ってことで言ってしまえば、ニコンDf用にAF NIKKOR 20mm f2.8 D ってのを持っているんで、まあ実用上は何の問題もないんです。実際には。

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 取り敢えず、この大貫カメラ店にはVOIGHTLANDER 12mm、15mmレンズがちゃんと置いてあるのを確認したんで、いずれ予算的に合う状況になったらまた来よう、なんて考えたのでした。

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 とまあ、基本的にはあまり生産的な活動ではなかったんだけれども……、そうか、もともと私の活動なんて生産的労働ではなかったんだよな。という以上に、私自身の存在が世界にとってなんの生産性もない存在なんだ。単に消費するのみ……。

EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SCOPAR 21mm f4 @Noge Yokohama ©tsunoken

2018年2月12日 (月)

Someday in Tokyo

 今日は別にテーマはありません。

 というか、ある日、ちょっとした訳があって上野から浅草まで歩いた。というか、浅草の花川戸に我が家のお寺があって年に数回は必ず浅草に行く。さらに元々の育ちが足立区の西新井なので浅草は子供の時からの遊び場でもあった、ということでちょくちょく浅草へは行くのである。

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 で、浅草に行くのに以前は上野から東京メトロ銀座線に乗り換えたんだけれども、上野から浅草までだとちょうどよい散歩コースだってこともあって、最近は上野から浅草までは浅草通りを歩くことが多い。

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 最初に目に入るのは、台東区役所のそばでいつも抗議行動を行っている車である。なんかしょっちゅう違うテーマで区役所に抗議を行っているんだが、よくまあネタが尽きないもんだなあ、なんて考えている。

 この台東区役所あたりからは浅草通りをちょっと離れて、台東区役所前の通りを行くと以前は同潤会の上野下アパートというレトロなアパートがあった。今は建て替えになって新しいマンションになっている。

 同潤会アパートで私が知っているのは青山アパート(現・表参道ヒルズ)、代官山アパート(現・代官山アドレス)、大塚女子アパート(現・図書館流通センター本社)そして上野下アパート(現・ザ・パークハウス上野)位なもんだけれども、言わば戦後の象徴みたいなのが同潤会アパートだとすると、そうした建物が順次建て替え時期を迎えて新しくなっていくっていうのが、ある意味では東京の新陳代謝の激しさというものを表しているのかも知れない。

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 そうした「昔の建物や街並み」がなくなってくのを惜しんで写真に撮っている人がいる。勿論、そうした理由で写真を撮ることには何の異論はないし、まあ、歴史を残すという意味では、あるいは、残さなければいけないという意味では貴重な存在なんだろう。が、私個人にとっては、まあ、目の前にある状況をそのまま受け入れるという立場からは、あまり過去にとらわれるという立場で古い建物や街並みに対するノスタルジーはわいてこない。

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 街は変わりゆくものであるし、移ろいゆくものが人であり、風景でなのである。

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「日本全国を同じ風景が征服しつつある」っていうのが、1980年代の「風景論」ではあったし、それが日本の帝国主義化の象徴としてとらえられていたことは覚えている。今やそれが完成しつつあるというのが現状ではあるけれども、でも、そうはいってもそれぞれの街にはそれぞれのスタイルがあるし、それぞれの「匂い」というものがあるのだ。

「風景」と「街の匂い」とでは、その程度の違いはあるのだ。

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EPSON R-D1s VOIGHTLANDER COLOR-SCOPAR 21mm f4 @Somewhere in Tokyo ©tsunoken

2018年2月11日 (日)

取りあえず、旧に復したかに見えるんだけれども……どうかな

 Macに戻すなんて言っていたくせに、実際に新しく買ったPCはこれまたWindowsになってしまった。ASUS PROシリーズ ブラック D320SF-I57400050R という2017年夏モデル。Win10 Pro・Core i5・SSD 256GB・メモリ 8GBというスペック。

 という次第。

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 なんであれだけ言っていたくせにMacじゃなくてWindowsなんだってことなんだけれども、いろいろ見に行ったり、スペックなどを比較したんだけれども、結局はあまりにもMacから離れていた期間が長すぎたってことだったんでしょうね。

 今のMacは昔のMacのような使い勝手がなくなって、Windowsとあまり変わりがなくなってしまったっていうことなんでしょうかね。まあ、なんせ昔Macを使っていた時代は、WindowsなんてなくてMS-Dosの時代ですからね。MicrosoftのOSにはGUIなんてのはなくて、面倒なコマンドを打ち込まないとソフトが走りだなないっていう時代から、やっとWindows 3.1が出て、中途半端ながらGUIを採用して、これからは一般ユーザーもPCを使えるような時代になるんだ、というのが始まったばかりのころ。

 当時は、よっぽどのPCオタクじゃなければコマンドなんて打ち込めないから、そのころパソコンを手にした人たちは皆Macだったんだ。要は、パソコン素人のためのパソコンがMacだったってことなんでしょう。

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 その当時、Macユーザーは「パソコンとはMS-Dosパソコンのことで、Macはパソコンじゃない」なんて言って、MS-Dosパソコンのことを馬鹿にして言っていたんだが、要は自分がコマンドを知らないだけだったんだ。そんな素人向けにも使えるように、スティーブ・ジョブズがゼロックスのパロアルト研究所からパクッてきたGUIを搭載したのがMac OSのGUIだ、なんてことを知らなかったMacファンは、偉そうにMS Dosを馬鹿にしたわけなのだ。

 なので、MicrosoftがWindows 95 でもってGUIを本格的に採用したのは当然の時代の流れではあるし、また、それだけPCが一般ユーザーの間にも普及してきたってことなんだろうけれども、そうなるとAppleの優位性はあまりなくなってしまい、まあグラフィックに強いとかなんだかんだ理由をつけてMacの優位性を説いたんだけれども、OSを公開しなかったAppleと積極的にOSを他社に提供したMicrosoftの違いが出てきて、結局、Windowsが席巻する状況になってしまったってわけなんだ。

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 てなわけで、私もMacを使わなくなって既に20年余り、その間にMac OS も随分変化してきたし、Windowsの使い勝手もよくなってきたってことでしょうか。そんなこんなでMac OSをあまりうまく使えなくなってしまったtsunokenがそこにいたわけです。

 うーん、それもしょうがないかってなもんで、またまたWindwsマシンを買ってしまったのでありました。まあ、20年以上使っているOSだし、もはやそれに慣れてしまって、離れることができなくなってしまったのですね。

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 でまあ、結局Windowsに収まってしまったんだが、問題は外部記憶装置が「SSD 256GB」ってことなんだなあ。CPUがこちらのほうが性能がいいものを使っているのでこちらを選んだが、若干CPUの性能が下がるだけでHDD 500GBのモデルが2万円位やすく売っていた。う~ん、まあやることのほとんどが毎日撮影してきた写真の整理とブログ書き位なんで、別にCPUがCore i5 でもCore i3でも関係ないのになあ、なんでそこで見栄を張るんだろう。ストレージの信頼性の観点からSSDってどうなんだろう、とかいろいろ心配の種はつきないんですけれどもね。

 バカですね。

 てことで、今日から新しいPCでブログ書いてます。

GRDⅢ & EPSON R-D1s VOIGTLANDER COLOR-SCOPAR 21mm f4 @Komagome ©tsunoken

2018年2月10日 (土)

水戸は徳川で持つ、徳川は……

 何となく常磐線に乗り、何となく水戸まで来てしまったんだが、何故なんだろう。

「何故なんだろう」、なぜ「何となく」なんだろう、の答えはいずれ書くとして、やっぱり水戸は徳川家なんだなあ、というお話。

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 当然、水戸駅北口には水戸黄門様と助さん格さんの銅像があるんだが、いいんでしょうかね、黄門様はいいとして、実在の人物じゃない助さんや格さんたちの銅像をこんな駅前に作っちゃって。あ、まあ笠間市にも座頭市の銅像があるくらいの茨城県だからいいのか。

 水戸市の中心は、北口から出て、栃木県の小山を経由して、群馬県の前橋までつながっている国道50号線の、水戸駅前から大工町交差点までのおよそ3km程度のもの。取り敢えず、そこを往復することにする。

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 まず出てくるのは、第九代藩主の徳川斉昭の像。

 斉昭公は徳川幕府第十五代将軍の徳川慶喜の父なんだが、同時に水野忠邦の天保の改革にも影響を与えた藩政改革を行っていたそうだ。

『斉昭の改革は、水野忠邦の天保の改革に示唆を与えたといわれる。天保8年(1837年)7月、斉昭は、
1. 「経界の義」(全領検地)、
2. 「土着の義」(藩士の土着)
3. 学校の義(藩校弘道館及び郷校建設)
4. 「総交代の義」(江戸定府制の廃止)
 を掲げた。また、「追鳥狩」と称する大規模軍事訓練を実施したり、農村救済に稗倉の設置をするなどした。さらに国民皆兵路線を唱えて西洋近代兵器の国産化を推進していた。 蝦夷地開拓や大船建造の解禁なども幕府に提言している。その影響力は幕府のみならず全国に及んだ』(Wikipediaより)

 という偉い人。

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 ありゃあ、第二代藩主徳川光圀(水戸黄門)だ……、って思ったら、大工町の交差点にも黄門様だもんなあ。

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 駅前の近くまで戻ってくると、やっと別の人、第十五代将軍徳川慶喜であります。彼が偉いのか偉くないのかは、まあ、人によって違うでしょうね。鳥羽・伏見の戦いに負けた後に江戸に逃げ帰ったことをどう評価するかって問題です。

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 そうか、駅前から大工町まで歴代藩主の像でもあればよかったんだけれども、なかなかそこまでは歴代藩主の皆がみなポピュラーじゃないってことなんでしょうかね。しかし、光圀、斉昭、慶喜だけじゃなあ。

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「梅まつり」は2月17日から3月31日までです。もうそろそろですね。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Mito ©tsunoken

2018年2月 9日 (金)

なぜ「何となく水戸まで」行ってしまうのかということについて

 水戸は会社に入って最初のころの20代のころに、仕事でよく通ったところであります。

 だからという訳ではなく、何となく「なんとなく」でよく行く場所ではあるのです。何故か?

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 行き先を決めないで家を出てしまうということはよくある。なんとなく山手線に乗って、上野まで行くと高崎線、宇都宮線、上野東京ライン経由東海道線、新宿だと勿論、中央線があるわけで、まあそれもSUICAを持ってればなんとなく乗れてしまうので、結局、行き先も決めないで乗ってしまったりする。

 何故、上野駅で東北新幹線か上越・北陸新幹線じゃないのかとか、東京駅で東海道新幹線じゃないのかっていうのは当たり前。つまり、それはチケットを購入しなければいけない。つまり、あらかじめ行き先を決めていないと乗車券を買えないんですね。それじゃあ、「行き当たりばったりの旅」はできません。

 つまり、新幹線の旅っていうのは、あくまでも予定がある人、つまり「お仕事」の旅であって、何の予定もない「ヒマ人」の行き当たりばったりの旅で使ってはいけないのです。

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 別に「行き当たりばったりの旅が上等だ」なんていうつもりはないんですが、サラリーマン現役のころは、そんな感じで行き当たりばったりに出かけるなんてことはなかったので、今は逆にそんな「無計画性」を楽しんでいるっていうわけ。

 で、ついこの間は、上野まで取りあえず行こうかな、なんて考えていたら日暮里で降りてしまったわけです。日暮里で降りたら、常磐線か京成電車しかないので、ちょっと久々になるかな水戸まで、なんて考えて常磐線水戸行きのグリーン席に乗ってしまったってことですね。

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 まあ、鉄分としては「乗り鉄」的なところが多い私は、多分、電車に乗っている時間が好きなのかな、なんて考えているんですが、てなことを考えているうちに2時間弱、水戸駅に到着です。

 私が水戸へよく通っていた時期はもう既に40年以上前のこと。もはや私がよく言っていた頃の水戸市の様子はほとんど面影は残ってはいない。大工町の裏のソープ街や飲み屋街なんかの盛り場も既に「盛り」を過ぎて、呼び込みのおっちゃんも私と同年代のおじいちゃんなんですね。

 水戸市っていうのは茨城県では少し北に位置し、東京に近い土浦市周辺あたりはミニ東京的な発展の仕方をしているんだが、水戸市はもうちょっと「独立した田舎的な発展の仕方」をしているように見られる。まあ、小型の東京の物まね的な発展じゃなくて、独立地方都市的な発展の仕方は好感度は持てるんだが、でも、それではあまり大きな都市になることは難しいだろうなあ。

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 まあ、その程度の「適度な大きさと発展の仕方の街」になるっていうのが、基本的に言って正しい地方都市の発展のしかただとは思うんですけれどもね。

 帰りはもう行き先が決まった一直線なんで、特急で帰ってきましたがね。

NIIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Mito ©tsunoken

2018年2月 8日 (木)

「56豪雪」かあ、懐かしいなあ

 テレビニュースを聴いていて「これは56豪雪に匹敵する雪の降り方です」なんて言ってるので、思わず「56豪雪」が懐かしくなってしまった。

 何が懐かしいのかって? 実は私、その56豪雪の真っただ中、車で雪の北陸自動車道をエッチラオッチラ走りながら金沢へ向かった……と。まあ、そんな経験を思い出していたってわけですよ。

96958a9f889de0e4e4e0e0e7e6e2e2e5e2e ©国土交通省

 1975年(昭和50年)に大学を卒業し、講談社に入社した私は当初は東部支社に配属され、3年後には名古屋支社に異動となり、北陸地区の書店販売促進を担当していた。ちょうど、その時期にあたったのが56豪雪なんであります。

 当時、金沢市には「うつのみや」という大きな書店があった。直営店だけでなく、地方取次として100店以上の帖合店を持つ卸売りの店でもあった。当然、出版社としても取扱金額は大きい書店だったので、石川県担当とか北陸担当とかの販売促進の担当者ともなれば、まず第一にうつのみや対策を考えるのが普通だったわけなんですね。

 で、そのうつのみやが毎年「新年会」っていうのをやるんです。当然、各出版社の販促担当者は金一封を持って、ご機嫌伺い。一次会は社員たちのゲームや隠し芸、社員のクラブの発表なんてのがある。その後、メインの役員・社員と各出版社の担当者で二次会があるわけです。二次会というけれども、一次会では社員たちの出し物をただ黙ってみているだけの出版社の担当者にしてみれば、この二次会が一次会みたいなものです。で、この一次会みたいな二次会を幹部社員と出版社担当者がやっている頃に一般社員は一般社員で二次会をやっているわけです。

 幹部社員と出版社担当者の二次会は金沢片町のナイトクラブでやるわけです。で、このクラブでやる二次会には金沢の東の廓から芸者さんが何人か来るわけですね。で、この二次会終了後には、東の廓にある芸者んたちのお茶屋さんに行って、うつのみや社長とごく一部の幹部社員、そして出版社の担当者たちが夜っぴて宴会を繰り広げるという算段なんですね。

 で、時も時、1981年の一月某日。前日から東海地方・北陸地方は雪にまみれ、特に北陸地方は大雪に見舞われ、もしかすると交通が寸断されてしまう危険性があるとの見通し。でも、その日はうつのみやの新年会の日。さてどうしよう。困った、困った。とは言うものの、あの頃は若かったってこともあったんでしょうね、「いや、とにかく行けることろまで行こう。それも電車だと途中で運行停止だなんてこともあるから、ここは車だ、ってなもんですね。

 ということで、私ともう一人、講談社出版販売名古屋支店という関連会社のうつのみや担当者と一緒にえっさかほいさっさってなもんで、金沢に向かって車をスタートさせたのでした。

 普段なら、名神高速道路、米原経由、北陸自動車道でもって3時間もあれば着いてしまう、名古屋と金沢の距離。ところがスイスイいったのは米原まで、そこから先、北陸自動車道に入ったらなんかだんだん速度が落ちてきて、滋賀県から福井県に入るあたりにはついにノロノロ運転になってしまう。

 どうも先頭に除雪車が走っていて、その後ろを延々長蛇の列でもって一般車が繋がって、連なって走っている状態のよう。途中、サービスエリアに入ることも可能ではあったんだが、どのサービスエリアも満杯だし、一度、入っちゃうとまた道路にでると今よりずっと後ろにおいて行かれちゃうってなもんで、ここはスパッと諦めて延々長蛇の列の最後尾に連らなる。

 午後多少は早めに出たんだけれども、福井県に入るころにはすでに夕刻。周囲もどんどん暗くなってきて、車の行く先もあまりよく見えなくなり、更に慎重な運転をしなければならない。で、なんとか金沢インターにたどり着いた時は、既に夜の帳はおりてしまい、ホテルに着いた時には既に二次会の時刻も過ぎてしまい、これからお茶屋に行くのもなあ、ってな時刻。

 しかしまあ、せっかく来たんだし、「私たちは来ましたよ」アピールをするためにもお茶屋へ行きましょうってなもんで、もともとホテルは東の廓には近かったおかげもあって、またまたエッチラオッチラ、夜の東の廓まで出かけたとさ。

 勿論、他の出版社の連中はほとんどが東京からきているわけで、ということは皆前日に金沢入り。名古屋から来たバカなんて我々二人のみ。

 その結果は、「いやあ、よく来た、よく来た」ってなもので歓待を受けまして、こちらの思惑は大成功。まあ、こんな豪雪の中よく来たってなもんで、皆さんからは大うけでした。

 っていうだけの話。

 まあ、馬鹿な自慢話でしかないんだが、その年初めて道の雪が家の一階の軒先の高さまで積もっていて、そこから下に降りて行って書店に入るっていう経験をした。街中の話ですよ、高岡の。

 北陸の雪情報を聞くと、いつもこのエピソードを思い出すんだが、本当にあの年の雪の量は半端じゃなかった。

 まあ、あれだけ雪が降ったんじゃあ、お客さんも本屋さんなんて行かないよな。

2018年2月 6日 (火)

Win 10 がダメになっちゃった……これは好機か?

 メインのPCが動かなくなってしまった。

 っていうか、ちょっと前からいつもスタート画面で使っているniftyの画面がおかしくなっているし、ブログの文章を打ち込んでいるときにいろいろ今までにない動きをされたり、画面の右側のスクロールバーの動きが変なのは気が付いていたし、ここのところやたらMicrosoftから人の画面を遮っていろいろな警告メッセージがきていたのは知っていた。

 まあ、知っていたのにそのまま放り出していたのがいけないのだが、今日、家に帰ってきてPCを起動したら、ありゃりゃ、もう動かなくなってしまっている。

「オプションの選択」を選んでも、全然ダメ。こりゃあ、もはやPCを買い替えなければいけないというサインなのかな、なんて予感はちょっと前からしてはいたんだが。まあ、人間の基本的思考は「問題は先送り」だもんな。

 てなことを、現在、サブのラップトップから書いています。まあ、やっぱりメインの方が使いやすいなあ、ってのは事実。

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 さあてどうしようかしら。

 しばらくは、「四苦八苦しながらメインPCと格闘する」という選択肢がひとつ。

 もうひとつは、どうせこの際だからPC自体を買い替えちゃうか?

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 今のメインPCは既に10年以上使っているマシンだし、ということは初めはWin 8マシンだったわけで、それをWin10にアップグレードしたとこまではしたんだけれども、実はその後のWin10 アップグレードはあまりちゃんとはやっていなかったんだから、まあ今日、突然ストップしたっていうのも別にMicrosoftにしてみれば「突然」じゃなくて、「もう何度も警告していたんだけれどもなあ」ってなことでしょう。

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 ってことで、気分的にはここで思い切ってニューマシンの導入といきたいところ。

 で、ニューマシンといえば、それはWinじゃなくてMacってことですね。なんて言ってしまおうかな。

 いままでは、とりあえずメインはWinでもしょうがないや、ただし、ラップトップは先にMac化しようかな、なんて考えていたんですがね。たしか、メインのHPマシンを買って、多分その1~2年後くらいにラップトップを買ったんだから、もうそろそろラップトップも買い替えかなと考えていた矢先の出来事。

 う~ん、こりゃメインを先にMacに戻すってことになるんだろうか。

 もともと、自分でMacを買って会社に持ち込んで仕事をしていたのが、私のPC生活の始まり。つまり最初は自分で買ったPCを会社で仕事で使っていたんだが、その後、Win95の時代になって、会社もPCを導入、当然会社から買い与えられたのはWinマシンなわけで、家でも仕事をするために、家のPCもWinにしなければならなくなってしまったという、テイタラク。

 まあ、もうサラリーマンやめて5年も経つんだし、会社の仕事との連動なんてありえないんだから、別にMacでもいいよね。

 ということなので、今日、もしかするとMacを買いに行っちゃうかもね。

 その結果は、またご報告します。

 あ、写真の秘密は新しいマシンが来てからね。

 

節分の後の西新井大師

 節分の次の日、つまりこの日曜日に西新井大師まで行ってきた。

 西新井大師と言えば、アジアのヒーロー白鳳と、足立のヒーロー・ビートたけしが豆まきで共演したことで有名(?)。たけしは「式守伊之助の格好で豆まきをしようと思ったんだが、白鳳が来るってんでお寺に断られた」っていうネタを翌日のニュース番組で喋っていたんだが、ネタじゃなくて本当にやってほしかった。まあ、昔、講談社に殴り込みをかけた勢いのあった当時のビートたけし氏じゃないから、それは無理か。

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 翌日なので、まあ前日ほどには混んではいないだろうという目論見であったのだが、日曜日ってこともあるし、前日の屋台なんかがまだ全部出ていて、人出もかなりあって混み合っていた。みんな、屋台とか屋台飯とか好きなんだなあ。

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 これだったら毎日こんな感じで屋台の出店なんかをやってればいいのに、って思ったんだが、まあ一年中こんな感じで屋台が出ていたら、それこそそれが日常になってしまって、逆にお客さんは来なくなっちゃうんだろうなあ。

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 で、西新井大師と言えば昔から「だるま」で有名なところ。名物も「草団子」なんだが、もう一つ「達磨煎餅」ってのも有名なんだ。ただし、今は草団子だけになってしまった感があるなあ。

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 で、実は二月三日の豆まきも「だるま大供養」というのが正式な言い方で、午前中にだるま供養を行って、午後おまけで「節分会追難式」という撒豆式をやるってなもんですね。

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 まあ、しかしわざと混むだろうという日を避けたんだけれども、それでもこんなに人手がある西新井大師は久しぶりだ。

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 普通の平日の西新井大師って、もうすごく閑散としていて、どちらかというとそちらの方が好きなんですけれどもね。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Nishiarai ©tsunoken

2018年2月 5日 (月)

東武線牛田駅と京成線関屋駅

 東武伊勢崎線に乗って北千住から押上・浅草方面へ行くと、次の駅が牛田駅である。北千住という東武線としては一番大きい駅の隣の、ホンの小さい駅。各駅停車しか止まらない。駅名の由来は『江戸期に牛田村があった地であり、その名残が千住町字牛田として残されていた』ためという。

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 ところがそんな牛田駅のすぐそば、100メートルも離れていない場所にあるのが、京成本線関屋駅。『千住町大字関屋町と大字曙町の中間の位置にあることと、かつてこの地が「関屋の里」として知られる景勝地であったこと』が駅名の由来。

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 上の写真は東武線の牛田駅から京成関屋駅を見た写真。両方の駅が挟んでいるのはこんなに狭い道路に過ぎない。それなのに何故か別の駅名だし、繋げちゃえばいいのに一回外に出て、雨に降られなければ隣の駅には行けない。

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 う~ん、これは何かあるぞ、と調べてみた。こんな時にインターネットは便利ですな。何でも、誰かが調べていて疑問に答えてくれる。

 1897年(明治30年)に東武鉄道は北千住を起点に開通したんだが、本来は浅草を起点としたかった。で、1902年(明治35年)に浅草駅を開業、と言ってもその場所は現在の東京スカイツリー駅(前の業平橋)。

 一方、京成電鉄は1912年(明治45年)に押上-市川間で開業。

 要は、双方とも押上に近い場所を起点とし、片方は栃木県日光、一方は千葉県成田へと進む路線ではあったんだが、日光対成田という観光地を巡って相当なライバル意識で燃えていたそうだ。

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 牛田と関屋についていうと、昭和6年12月19日に関屋駅、昭和7年9月1日に牛田駅が出来たそうだが、お互い敵対視していた東武鉄道と京成電鉄である。両方の駅で簡単に乗り換えが出来たら便利だなあ、なんて考えは毛頭なく、両者はまったく相手のことなんかは無視。

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 ということの名残で、いまだに両駅は統一される見通しはないようだ。

 まあ、両方とも乗降客もそんなに多い駅ではないのでそれで済んでいる、ってことなんでしょうかね。

※資料は『歴史と散歩とポタリングと「牛田と関屋は近くて遠い‐東武と京成の殴り合い‐」』 より

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Senju ©tsunoken

2018年2月 4日 (日)

海喜館旅館・五反田

 都会のど真ん中みたいな五反田の駅前に、なんともレトロな旅館というか元旅館がある。

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 その名も海喜館(うみきかん)旅館といって、2~3年前くらいにはまだ営業をしていたようで、ネットにもそこに宿泊した人の記事なんかが上がっている。

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 内容を見ると、まさしく昭和三十年代頃の商人宿を思わせるような内容で、それはそれビジネスホテルとは違って、たまに泊るにはいいのかもしれないが、まあ、あまり長居をするような旅館ではないな、という感じの旅館だ。

 結構、周囲もボロボロだし。

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 現在は既に営業を終えているようで、入り口にもイエローゾーンが張られていて中には入れないんだが、どうもマトモな閉め方ではなかったようだ。

 どうもこの元旅館を使った事件があったようなのだ。

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 事件は昨年のことだそうだ。

 こうした古い建物や空き地を見れば2020年、東京オリンピック、パラリンピックを前にデベロッパーは黙っていない。思わず「前のめり」ってなもんで、この元旅館の古い建物を巡って、積水ハウスが被害者になった、地面師による詐欺事件があったらしい。

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 その結果がどうなったのかは知らないが、今どき「地面師」なんてものがいるんだってところがまず驚きと同時に不思議。まるで「昭和だっ!」。

 更に、だまされたのが積水ハウスっていう大手のデベロッパーだったいうのが、申し訳ないけれども、面白い!

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 どんどん無くなる昭和の遺構、じゃないけれども、今見ておかなきゃ無くなっちゃうよ、ってな不思議な建物ではあります。

 さあ行け! 今、行け!

EPSON R-D1s Voigtlander Cplor-Skopar 21mm f4 @Nishi Gotanda ©tsunoken

2018年2月 3日 (土)

『仮想通貨に「信頼」は成立するのか』って? 成立するわけないじゃん

 今話題になっているのが、仮想通貨「NEM」ですね。

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 ところで、この「仮想通貨」って何なんだろう。

 仮想通貨に対して「法定通貨」という言葉がある。

 法定通貨は発行体である政府や日本銀行などの、国の銀行などの信用に基づき価値が変動するのに対し、仮想通貨はプログラムの信用および投資家の需要と供給によって価値が変動しする。つまり、法定通貨は国や中央銀行が発行して、価値の保証をするのに比べて、仮想通貨はインターネットのプログラムが発行して、基本的には価値の保証をするのは仮想通貨をやり取りする双方の需要と供給によって保証されるっていうか、誰も保証しないシステムなんだ。

 法定通貨の価値を守るために国や中央銀行はいろいろ為替のやりとりをしたり、通貨の発行量を調整したりして、国の経済を守ろうとする。言ってみれば、それが国を国としてなさしめている証明でもあるからだ。従って、一つの国の中で、法定通貨以外の通貨が流通することは、その国の価値観を根底から覆すことになり、それは一種の革命と同じ意味を持つ。

 偽札づくりが重罪になるというのも、それが国の価値観を根底から揺るがす大犯罪だということからきている。

「通貨偽造罪
第百四十八条 行使の目的で、通用する貨幣、紙幣又は銀行券を偽造し、又は変造した者は、無期又は三年以上の懲役に処する。
2 偽造又は変造の貨幣、紙幣又は銀行券を行使し、又は行使の目的で人に交付し、若しくは輸入した者も、前項同様とする。
第百四十九条 行使の目的で、日本国内に流通している外国の貨幣、紙幣又は銀行券を偽造し、又は変造した者は、二年以上の有期懲役に処する」

 中国では仮想通貨は国家が認めていないし、仮想通貨を使ったり流通させるのは大罪になっている。

 それが日本では仮想通貨はなんで罰せられないのだろうか。

Photo 『仮想通貨に「信頼」は成立するのか』(岡田仁志著/ダイヤモンド社/2018年1月12日刊)本書は「DIAMONDOハーバード・ビジネス・レビュー」2017年8月号の論文を一部加筆、修正の上、電子書籍化したもののため、紙版の出版はありません。

 まあ、最初はそれが国際取引の際の決済通貨としてのみ使われ、なおかつそれほごく一部だけでしか使われていなかったからだろう。つまり、政府や日銀はそれを見逃していたんですね。それだけ「円」に自信を持っていたというか。

 ところが、2014年にマウントゴックスが事件化して、「被害者」というものが登場してしまい、国は慌てて対策を講じてきたんだが、今回コインチェックなんかの問題が出てきて、その対策だけでは間に合わなくなってしまったのであります。

 まさしく『仮想通貨に「信頼」は成立するのか』という問題なんだけれども……

『これまでの貨幣は物理的な媒体を有しており、媒体としての様式美を理解することが容易であった。これに対して、分散型仮想通貨における媒体とは、抽象的なブロックチェーンに記載された情報であり、言わば形而上の価値としての金銭的データが、同じく形而上的な存在としてのブロックチェーン上に存在するような構造となっている。このことが、分散型仮想通貨を貨幣として受け入れることを容易ならざるものにしている。
 限られたコミュニティの範囲内においては、分散型仮想通貨を無条件に受領するという約束が成立している。そこに属する人々は、分散型仮想通貨の様式美に信頼を置き、ブロックチェーンと呼ばれる台帳に金銭的価値が化体する将来を見通しているかもしれない。しかしながら、分散型仮想通貨が貨幣としての信頼を得る状態というのは、社会的な約束としてブロックチェーンに価値が化体したと扱われる状態を指す。現状においては少なくとも、そのような兆しは見られないと考えるのが自然であろうか。』

『分散型仮想通貨に特有の不可解な構造は、形而上学的な概念が生活に入り込んできた稀有な事例である。それが特定の企業が提供するサービスであれば、我々は主体の信用を基準に判断すれば足りる。しかし、社会システムとして主体を持たないサービスが登場した時、我々はその信頼を判断するための新しい尺度を持たなければならない。 分散型仮想通貨の登場は、我々に対する次世代からの挑戦状なのかもしれない。』

 という具合に本書では結論付けている。

 まあ、仮想通貨は「現状では信頼に値する存在ではない」という見方もできるわけだ。で、あとは海外送金でもする必要のない一般の人は投機の対象にでもするしかないということなのだろう。

 じゃあ、投機として仮想通貨とどう付き合えばいいのか? う~ん、あまり短期の投機はせずにいるほうが本当はいいんだが……。つまり、それは株式投資と同じっていう意味でね。

「下がったら買い、上がったら売りっ」てやつである。下がったら、みんな慌てて売りに走る、売りに走るから、どんどん下がる。なのでそこは「買い」。上がったら、みんな「もっと上がるだろう」と持ち続ける、持ち続けるから、持ち続ける間はそれ以上あまり上がらない。なのでそこは「売り」なんですね。これは仮想通貨も株式も同じなんですね。

 取り敢えず、仮想通貨なんかは信頼しないで、取り敢えず投資ですね。

『仮想通貨に「信頼」は成立するのか』(岡田仁志著/ダイヤモンド社/2018年1月12日刊)本書は「DIAMONDOハーバード・ビジネス・レビュー」2017年8月号の論文を一部加筆、修正の上、電子書籍化したもののため、紙版の出版はありません。

 仮想通貨についてはもう一度、今度はちゃんと書きます。テキストは上の野口悠紀雄さんの本。

2018年2月 2日 (金)

江戸川平井を往く

 江戸川区平井については以前書いたことがある。2014年9月16日のブログ『東京周縁部を往く・江戸川区平井』なんだが、この時は平井駅を降りて南の方へ行き、小松川高校や目黄不動がある最勝寺の方へ行った。

 今回は逆に平井駅南口を出て蔵前橋通りの方に出た。

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 よく見ると、江戸川区平井っていう地域はJR総武線平井駅を中心に、南を京葉道路(国道14号線)、北を蔵前橋通り、東を荒川、西を旧中川に囲まれた、かなり狭い地域のことなんだ。

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 以前は工場なんかが多くあった場所だったそうだが、現在はどちらかというと住宅地。あまり大きな工場は見られない。

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 旧中川の河畔に出ると東京スカイツリーがすぐそばに見えて、もうここは墨田区のようだし……

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 その旧中川を渡ってしまえば亀戸中央公園、つまり江東区なのである。

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 というようなことなので、平井も江戸川区じゃなくて江東区か墨田区になってしまえばいいのにね。だって、江東区や墨田区なら「下町」って言えるじゃないですか。江戸川区じゃあね、下町っていうよりは「場末」だもんなあ。イメージとして千葉県や東京湾に近いところっていう感じはあるしね。

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 って、別に場末を馬鹿にして言ってるんじゃないですよ。ただ、語感的にそっちの方がいいんじゃないのかな。というだけで……。

 あ、最後の写真は平井じゃないです。

EPSON R-D1s Leitz Canada Elmarit-M 28mm f2.8 @Hirai ©tsunoken

2018年2月 1日 (木)

『不死身の特攻兵』それにつらなる現在の問題点とは?

 ふうん、こういう凄い人がいたんだ。

『ある本の小さな記述によって、「9回特攻に出撃して、9回生きて帰ってきた」人のことを知りました。
 その人は、陸軍の第一回の特攻隊のパイロットでした。
 海軍の第一回の特攻隊は『神風特別攻撃隊』と名付けられ、零戦に250キロ爆弾を装備して体当たりしました。陸軍の第一回の特攻隊『万朶隊』は、九九式双発軽爆撃機に800キロの爆弾をくくりつけて、体当たりするものでした。
 それでも、9回出撃して、体当たりしろという上官の命令に抗い、爆弾を落として、9回生きて帰ってきた人がいました。名前は佐々木友次。その時、彼は21歳の若者でした。』

Photo_2 『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(鴻上尚史著/講談社現代新書/2017年12月1日刊)

 神風特別攻撃隊や万朶隊などで最初に特攻を命ぜられたパイロットは、皆優秀なパイロットだったそうだ。つまり、特攻隊の一番最初の攻撃隊は絶対に失敗はできない。であるならば、一番優秀なパイロットにやらせるのが一番という発想だったようだ。その理由は分からないではない。

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『有能なパイロット達は優秀だからこそ、パイロットとしてのプライドがあった。爆弾を落としてアメリカ艦船を沈めるという目的のために、まさに血の出るような訓練を積んだ。「急降下爆撃」や「跳飛爆撃」の訓練中、事故で殉職する仲間を何人も見てきた。鉾田飛行師団では、毎月訓練中に最低でも二人の殉職者を出していた。
 技術を磨くことが、自分を支え、国のために尽くすことだと信じてきた。だが、「体当たり攻撃」は、そのすべての努力と技術の否定だった』

『特攻が始まる前、1944年10月に起こった「台湾沖航空戦」では、「空母を19隻撃沈・撃破。戦艦4隻撃沈・撃破。巡洋艦7隻撃沈・撃破」と報告されたが、実際は、「巡洋艦2隻大破」だけだった。
 戦いながらの戦果確認が難しい上に、基地に戻って報告する時、上層部の「これだけの犠牲を払ったんだ、もっと多くの戦果があるはずだ」という無意識の圧力がさらに戦果を大きくした。不充分な戦果では、壮烈な戦死を遂げた英霊が浮かばれないという思いから、誘導尋問が自然に生まれ、戦果は増え続けた。そして、軍部も国民もそれを信じた』

 まあ、結局こうした考え方が軍部の上層部も、そしてマスコミを通じてそうした「戦果」を知らされた国民も、皆信じたんだろう。というか、せっかく戦いに出たんだからなにも戦果がないではすまされない。戦死した軍人たちの家族は、せめてそうした戦果でもない限り浮かばれないという発想なんだろう。

 しかし、それが戦争の実態を国民に知らしめることを避けてきてしまい、更には軍上層部の精神主義的な作戦として実行に移されてしまったんだ。

『真珠湾攻撃の時、二人乗りの特殊潜航艇の攻撃を、当初、山本五十六司令長官は認めませんでした。生還が望めない攻撃は採用すべきではないとしたのです。出撃を求めて三度目の具申の結果、かなり生還の可能性は低いけれどゼロではないと判断されて、さらに隊員の収容方法の検討をという条件つきでやっと許可されました。  いかに戦時とはいえ、生還の可能性のない攻撃は、リーダーは踏みとどまるべきではないかと考えるのです』

 と、ここまではまだ理性的な考え方があったようなのだが……

『極東においては、アメリカ・イギリス・オランダの根拠地を破壊して、自存自衛を確立し、蔣介石政権を屈伏させ、ドイツ・イタリアと連携してイギリスを屈伏させ、アメリカの継戦意志を無くすというものでした(『東條英機と天皇の時代』保阪正康 ちくま文庫)。
 ドイツを過剰に信頼し、イギリスの軍事力を過小評価し、アメリカの国民の抗戦意欲を軽視した、非常に観念的なものでした。
 東條首相は、願望と期待にみちた、じつにあいまいな形でしか「勝利」を予測していなかったのです』

 まあ、ここまでは戦時中の話。しかし、結局それは日本人の精神主義として現在に至るまで継続しているっていうのが怖い。

『職場の上司も、学校の先生も、スポーツのコーチも、演劇の演出家も、ダメな人ほど、「心構え」しか語りません。心構え、気迫、やる気は、もちろん大切ですが、それしか語れないということは、リーダーとして中身がないのです。  本当に優れたリーダーは、リアリズムを語ります。現状分析、今必要な技術、敵の状態、対応策など、です。今なにをすべきか、何が必要かを、具体的に語れるのです』

 これって今でも十分通じる話ですよね。

 で、この話につながるんですね。まあ、高野連の精神主義はもはや鉄壁と言っていいくらいの鉄壁ぶりだもんなあ。つい最近までタイブレークを認めなかったっていうね。

『僕は毎年、夏になると、「いったいいつまで、真夏の炎天下で甲子園の高校野球は続くんだろう」と思います。地方予選の時から、熱中症で何人も倒れ、脱水症状で救急搬送されても、真夏の試合は続きます。
 10代の後半の若者に、真夏の炎天下、組織として強制的に運動を命令しているのは、世界中で見ても、日本の高校野球だけだと思います。
 好きでやっている人は別です。組織として公式に命令しているケースです。重篤な熱中症によって、何人が死ねば、この真夏の大会は変わるのだろうかと僕は思います』

『昼の12時から3時までは試合を休止しようとか、ナイターをスケジュールに入れようとか、そもそも真夏を外して秋にしようとか、そういう提案を主催者側がしているという話を僕は聞いたことがありません。大人達は、誰も言い出さないまま、若者達に命令するのです。それもまた、とても、特攻隊の構図と似ていると感じます』

 日本の「特攻」と、イスラムの「自爆テロ」とどこが違うのかは、私には区別がつかない。しかし、いずれにせよ「自分の命を犠牲にする」攻撃方法が、その後の時代に容認されることはないだろう。

 そんな形であれ、それは「狂気の沙汰」でしかないし、結局それは「無駄死に」でしかないはずだ。

 日本人がそれを今後ともに行うことはないとは、誰が言えるんだろうか。

『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(鴻上尚史著/講談社現代新書/2017年12月1日刊)

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