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2018年1月 2日 (火)

『東京スリバチ地形入門』

「スリバチ地形」っていうから、てっきり「四方を坂道に囲まれた」まさしく「スリバチ状」の土地かと思って読んだんだが、さすがにそういう地形は少なくて、そうではない丘と谷で挟まれた地形を「スリバチ地形」と呼ぶそうだ。

『都内を歩きまわるうちに、三方向のみならず四方向を丘で囲まれた、正真正銘のスリバチ地形、クレーターのような窪地がいくつみ存在していることが分かってきたのだ。東京スリバチ学会では、このような四方向を囲まれた窪地を「一級スリバチ」と呼ぶこととし、以後、観察と記録を続けている。これは、自然の河川が作る谷地形(河谷)ではありえない特殊な形状だ。対して、私たちが最初に注目したような三方向を囲まれた窪地を「二級スリバチ」、両端を高い崖に囲まれた谷を「三級スリバチ」と名付け、分類することとした』

 うーむ、なるほどねえ。しかし、残念ながらこうした一級スリバチはそれほどあるわけじゃなくて、新宿区荒木町あたり、港区白金台4丁目、渋谷区初台・幡ヶ谷・笹塚、更に武蔵野台地に点在する「ダイダラ坊の足跡」という不思議な窪地があるらしいが、本書で触れているのはこれらの場所だけで、あとは全て二級・三級スリバチばかりだ。

 まあ、それなら私もよく知っている「スリバチ」なんだなあ。

Photo 『東京スリバチ地形入門』(皆川典久+東京スリバチ学会著/イースト新書Q/2016年3月20日刊)

『東京は大きく「山の手」と「下町」に分けられる。「山の手」とは皇居よりも西側の武蔵野台地に広がるエリアを指し、「下町」とは皇居東側の平野部(低地部)を言う。地形の成り立ちでいえば、関東ローム層が積もってできた洪積台地が「山の手」で、隅田川や荒川の氾濫原であるデルタ地帯の巨大な沖積地が「下町」なのだ』

 というのはよく知っている。特に「文京区本駒込」という、武蔵野台地の東端に住んでみると、どこに出かけるにも坂道を往かなければらなないために、いやでもそうした丘の上と下の町の往還というものに付き合わされるし、武蔵野台地方面を歩いていても、途中で台地の丘を切り裂く川や川の足跡(大半は暗渠になっている)に付き合わされて、いやでもそうした「山の手」と「下町」の存在を意識させられる。

 面白いのは「スリバチの第一法則」「第二法則」というのがあるっていうことなんだ。

『ここで注目してほしいのは、地形の高低差を強調するように建物が建ち並んでいる様子である。すなわち、谷底の先端部では主に木造の低層建物が軒を並べ、斜面地には中層の建物が階段状に連なり、丘の上では高層の建築物が高さを競い合うという都市景観を呈していることだ。土地の起伏を強調するかのように建物が立ち上がり、都市のスカイラインが土地の起伏を増幅している。このような現象は港区や新宿区など、都心部の様々な場所で観察でき、東京スリバチ学会ではこれを「スリバチの第一法則」と呼んでいる。

 また住宅地でも、丘の上に中高層の「集合住宅」が建ち並び、低地では、低層の「住宅が集合」している場面をしばしば見かける。
 この現象も、「スリバチの第一法則」の延長線上にあり、地形に呼応した都市の成り立ちを想わせる光景と言えるだろう』

 もうひとつは

『道は比高10mほどの断崖で行き止まりとなり、丘の上の大規模公共建築が、麓の低層高密度の住宅を見下ろしているかのようである。
 この事例から分かることは、台地と低地は断崖で隔てられ、丘の上の町と谷の町は連続していないということだ。関東ローム層が作り出した断崖という地形的特色は、2つの世界が無関係に隣り合うような、独特な町の構成を生む要因になっているのだ。地形の断崖がそのまま町の境界となり、町が不連続となる様相を、我々は「スリバチの第二法則」と呼んでいる。谷から丘へ登る道はごく限られているので、スリバチ探索中に谷間の迷宮に嵌り込み、出られなくなることを「スリバチに嵌る」とも言う』

 では、そんな丘の上の町と谷の町の関係性って、もともと何だったんだろう? つまり、それは江戸の町づくりの延長戦にあるというのだ。

『身分・階級による棲み分けが行われていた封建制度の江戸時代、山の手台地(洪積台地」は武士の生活空間(武家地)で、下町(沖積平野)は商人や職人の住む生活空間(町人地)であった。
 山の手台地に割り当てられたのは、主に大名屋敷や武家屋敷。大名屋敷の中には、谷地を取り込んで庭園の一部に活用したものもあった。幕藩体制が崩壊し明治の世になると、その跡地は近代国家の首都・東京に必要な都市機能を盛り込むための、格好の器となった。政府関係の機関や各国の大使館、そして学校や病院など大規模な施設が、広大な敷地に、再開発ではなく「置換」という形で次々と建設され、新時代への対応が円滑に成し遂げられた』

『山の手の台地に刻まれた谷地や窪地は、その多くが沼沢地あるいは湿地であったため、江戸初期では主に水田に利用されていた。その後、都市の発展、特に「明暦の大火(1657年)」以降の江戸の拡大に伴い、谷地や窪地は組屋敷(下級武士の屋敷)などに利用されていった。河川に沿った農耕地がスプロール化(無秩序な拡大)して町人地になった場所もあった』

『台地上では大きな面積の区画割に応じて、時を経るにしたがい建物が高層化されていき、一方、谷地では、小区画のまま小規模建物が建て替えられていくという対照的な現象(スリバチの第一法則)は、都市の発展の「方向性」を示しているとも言える』

 という東京の地形を頭に入れて東京探索をするのもよい、あるいはまた、本書に収められた34以上の地点を、改めて確認するための旅に出るのもよい。

 更にいってしまえば、こうした「スリバチ学会」の活動はタモリと山野勝氏が作っている日本坂道学会とリニアにつながるわけで、その二つの学会の報告を見比べながら現地探索に赴くという、楽しみ方もあるわけだ。

 私は坂道は「下り」は好きだが「上り」は、自転車、歩行ともに嫌いである。がしかし、住んでいるところが住んでいるところなので、坂道とは嫌でも付き合わなければならない以上は、坂道とお付き合いしながら、そろりそろりと参ろうじゃないかってなもんで、毎日歩いている。

 結構、楽しいです。これが……。

 いやあ、坂道も……、なかなか粋なもんですねえ。

『東京スリバチ地形入門』(皆川典久+東京スリバチ学会著/イースト新書Q/2016年3月20日刊)

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