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2018年1月11日 (木)

『東京轍』って、確かに「轍」ではあるが…

 田中聡子の写真集『東京轍(とうきょう わだち)』である。

 田中聡子っていう名前の写真家は知らないし、この本の存在も知らなかった。ポイントは田中聡子は田中長徳氏の弟子であるらしい。田中長徳氏の『銘機礼賛』を国会図書館で読んでファンになり、偽ライカ愛好会のメンバーになったらしい。

 確かに、左開きのこの本を左に開いていくと、そこにはいかにも田中長徳風な、ちょっと古い東京の下町の風景が、その街を歩く人と共に映し出されている。

 まさに『東京轍』なのであります。

Photo 『東京轍』(田中聡子著/冬青社/2017年10月26日刊)

 ところが裏表紙の方からは右開きになるわけで、そちらを見ると、まず裏表紙に早くもお総菜屋さんあたりの店先でくつろく田中長徳氏が写っていて、右開きのページをめくるたびに田中氏が登場、最後(本の真ん中あたり)の方になって、暗室の田中氏、バスに乗る田中氏、でラストがホロゴン・レンズを装着したビューファインダー付きのライカM3を持っている田中長徳氏が写っている。ホロゴン・レンズについては(最初の)『銘機礼賛』168ページ「リスボンでホロゴン」に詳しい。

Photo_2

 う~む、そういう形で「田中長徳の弟子」を名乗るのか、ふーん。ってな感じなのだが、そのホロゴン・ライカの写真の裏が田中氏の文章である。

『雑誌の取材などでドイツはケルンによく行ったあたしである。
 大聖堂からちょっと奥に入ったところに道が深くえぐられて長い溝が石畳についている箇所がある。その説明によるとこれはローマ帝国の辺境であった大昔のケルンに馬車が行き交ってできた轍の跡なのだそうである。

 つまり長い人類の歴史の時間が石畳に轍として記憶されているのだ。ヨーロッパに比較して日本を考えるならば明治維新後以後のスクラップ&ビルドの光景では、道に轍ができるはずもない。2020東京五輪で大変貌の東京』

 まあ、別に写真家が昔を懐かしんでそれを残しておこうという意図で写真集を作るというのはよくある方法だ。「○○区の昭和」的な写真集は、それはそれで存在の意味と言うものはあるのだろうけれども、写真家が写真家の名前を残してそうした偉業を成し遂げるっていうのは、あまり感心しない。

 問題は、田中聡子がそんな「昔を偲ぼう」という意図で『東京轍』を残したのであれば、ちょっとそれはいただけないのだが

『田中聡子の東京の轍を撮影したショットを見ていると、その視線は過去に向かっている。ただここで言う過去に向かっている視線は決して昭和を懐かしむとか、江戸情緒が素晴らしいとか言うレベルの低さではない。

 ヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』を電子書籍で携えてパリに滞在している私である。ベンヤミンの数世紀前のパリの記録の断片を見ていて東京轍のことを思い出した。
 激変する東京の風景、その路面に轍の凹みを作ることが許されないのなら、カメラを引きずって写真の中に東京の轍を刻むという方法は時間の流れに対して有効な反撃のように思われる』

 願わくば、「ケルンの大聖堂からちょっと奥に入ったところにある長い溝」のように、『東京轍』も同じように数世紀にわたって、長い間残されて人々の記憶の中に生きていけばいいとは思うのだが。

『東京轍』(田中聡子著/冬青社/2017年10月26日刊)

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