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2018年1月

2018年1月31日 (水)

渋谷グラフィティ

 毎日変貌が著しい渋谷駅から恵比寿、広尾方面へ歩く。

 面白いのは、この辺り、やたらGraffitiが目立つってことですね。

 Graffitiつまり「落書き」「イタズラ書き」のことですね。つい最近も東京メトロ日比谷線にかなり派手にやっちまって話題になりました。ここは明治通りなんだけれども、裏道の方に行くともっとハデハデしく展開していて、見ていても「ちょっとなあ」的なものもある。

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 キース・ヘリング並みの「ムムッ!」っとできる内容のものだとか、もっと楽しめる落書きならちょっと楽しめるんだけれども、なんかこの程度の低レベルのイタズラ書きだと、むしろ腹が立ってくるから不思議だ。

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 もうちょっと書く場所と、内容をキチンとしろよ的な? これじゃあ意味が分かんないでしょ。

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 こんなパイプに貼ったり書いたりしても、誰も見てくれないよ。

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 これじゃあ、街のショウウインドウに描かれたイラストや写真の方がもっと面白いものが沢山ある。もっと精進しなさい!

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 なあんて無責任なことを言っているけれども、日比谷線の落書きをニュースで見た時に、「おおっ! 東京もニューヨーク並みになってきてるじゃん」なんて、かなり無責任に面白がっていた私なんかがいたことも事実。

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 実は、ニューヨークって東京なんか比べ物にならないくらい街が汚い。そんな汚い街を面白くしてしまえっていうのがニューヨークのGraffitiの始まりなんじゃないかな。渋谷は東急東横線が地下化して、埼京線の山手線と並行したホームができるまではずっと工事中で、かなり街はゴチャゴチャ汚い状態だ。なので、こうした落書きが横行しているんだろうけれども、もうちょっと「えっ! 面白い、これっ!」っていう落書きや、「う~ん、絵としてすごいセンスしてる!」なんていう感想が出るようなGraffitiだったら、結構、渋谷の人たちは受け入れてくれて、「器物損壊だっ!」なんて騒がないんじゃないかな。

 東京人って、その位の面白がり精神を持った人たちのはずなんだけれどもな。

EPSON R-D1s Leitz Canada Elmarit-M 28mm f2.8 @Shibuya ©tsunoken

2018年1月30日 (火)

銀座の四分の一

 銀座を晴海通りで南北に分けて、中央通り(銀座通り)から昭和通りと中央通りから外堀通りの四ヶ所に分ける。

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 晴海通りから北、中央通りから昭和通りという、銀座の北東側にあたる場所には何故か古美術商、骨董屋さん、美術ギャラリーが多く集まっている。

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 まあ、南西側にはバーやクラブばっかりで、典型的ないわゆる「盛り場の銀座」。南東側や北西側は、老舗が多く集まる場所。勿論、古美術商なども老舗には違いないんだけれども、なんか雰囲気が違うんだなあ。

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 美術ギャラリーが多いというのも、結局は古美術商や骨董屋さんが多いという街の流れなんだろうけれども。いわゆる「銀座」と皆さんは一括りにするけれども、表通りの中央通り以外の銀座って、結構、場所によっていろいろな顔を見せる街なのである。

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 それらの古美術商や骨董屋さんなんかも、昔は他の老舗筋と一緒の類の店だったんだろう。それがいつの間にか銀座一・二丁目の昭和通り側だけなんか取り残された感じで、集中して残っているのである。

 なんか、銀座の進歩に取り残された街、みたいなもんである。

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 実は私が学生の頃、16mmのフィルムを買ったり、現像に出したりしていた銀座サクラヤという映画機材屋さんもここ銀座二丁目に今でもある。8mmと違って16mmフィルムは基本的にプロ・ユースの機材なんで、普通に素人がフィルム屋さんでフィルムを購入したり、直接ラボに現像に出したりっていうのはできなかったんだ。

 京橋にある東京近代美術館フィルムセンターといい、この銀座サクラヤといい、同時に昔は銀座にいっぱいあった中古カメラ店といい、う~ん、銀座には随分お世話になっているなあ。

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EPSON R-D1s Leiz Canada Summicron 35mm f2 @Ginza ©tsunoken

2018年1月29日 (月)

越谷市レイクタウン……って?

 埼玉県越谷市レイクタウンっていう地名の場所がある。まあ、あんまりカタカナ名前の地名ってあまりないんだけれどもね。山梨県の南アルプス市なんてのはありますけれども。

 いうまでもなくイオンレイクタウンを中心にしてできた新しい町で、JR武蔵野線の越谷レイクタウン駅がある。イオンが先なのか、レイクタウンが先なのか?

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 で、結局、その町の名前が、まさしくまんま「レイクタウン」なんですね。

 元々は、それぞれ越谷市の相模町、大成町、東町、川柳町だったところが、新たにレイクタウンとして形作られ、新たな住宅地として開発され、できた町なのだ。

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 何が「レイク」なのかと言えば、元荒川の洪水対策として作った人造湖、大相模調節池(おさがみちょうせつち)をまず作ったからなのだ。で、まず湖を作って、そこにイオンを誘致したんだが、当然、その見返りに周辺の大規模宅地開発をイオンに約束したわけなんだろう。まあ、そうじゃないとイオンが出店する意味はないもんな。

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 なので、湖の片側にはJRの駅があって、駅のそばには大規模なマンションがあって、イオンがあって、イオンが作るショッピングモールがあるんだけれども、反対側にはお店らしきものはなくて、とにかく一戸建ての住宅が延々と並んでいという、まさに、計画的にできた街が越谷レイクタウンなのである。

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 街というものは、あまり計画的にできるものではなくて、どちらかと言えば無計画に近い形で、皆が皆、勝手にいろいろな店やら住居やらを作って出来上がる、っていうのが自然な街のでき方かななんて考えている私にとっては、なんかいたたまれない街のでき方だなあ、という感じがしてならない。いわゆる「完璧に作られた街」って感じですね。

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 昔、練馬の光が丘に初めて行ったときに、「こんなところに住んだら、夜中にちゃんと自分の家にたどり着けるんだろうか」なんて余計なことを考えたんだけれども、今回、再び同じようなことを考えてしまった。

 まあ、完璧に作られた街なんだから、何にも問題は起きないだろうってのは間違いで、多分、やっぱりその街自体のいろんな問題点が出てきてはくるんだろう。

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LEICA M6 KONICA M-HEXANON 50mm f2 KODAK TRI-X @Laketown ©tsunoken

 

2018年1月28日 (日)

『ロバート・キャパ写真集』だけじゃ見えないこと

 ロバート・キャパって、戦争写真とかそうじゃなくても、多分、世界で一番名前を知られたフォトグラファーなんだろう。本書も昨年12月15日の刊行で、既に今年の1月15日で第2刷だもんなあ。ICPやマグナム・フォトにとっては一番の貢献者に違いない。

 私も、本書の刊行は最初から知っていたし、多分、掲載されている写真はもう既に知っている写真ばっかりだろうという思いから、当初は購入を渋っていたんだが、結局買ってしまったんだ。

『ロバート・キャパが撮影した約7万点のネガから、236点を精選して収録。岩波文庫初の写真集』って言ったって、その236点のほとんどは私も既にみたものだし、すでに様々なロバート・キャパの写真集は持っており、その中に掲載されている写真ばっかりなんだけれども、でも、買ってしまった。岩波書店の勝ち!

 なんでなんだろうなあ。

Photo 『ロバート・キャパ写真集』(ICP ロバート・キャパ・アーカイブ/岩波文庫/2017年12月15日刊)

 キャパが「世界最高の戦争写真家」と呼ばれるようになったのは、スペイン内戦での「崩れ落ちる共和国軍兵士」がきっかけであることはよく知られている。しかし、同時にロバート・キャパ(当時はまだアンドレ・フリードマン)が写真家として知られるようになったのは、「1932年11月27日 コペンハーゲンで大学生を相手にロシア革命について講演するレオン・トロツキー」の写真である。1932年なので小型カメラで撮ったのなら多分ライカⅠ型を使ったんではないかと思えるんだろうが、そのカメラについて触れている書物はない。

 キャパの名前を世界的に有名にしたのは、「1944年6月6日(Dデイ) ノルマンディー、オマハビーチ」だろう。多分、『ちょっとピンボケ(Slightly out of Focus)』という、キャパ自身による多分に自分を大きく見せるための記述に満ちた自伝と共に有名になった写真である。これはコンタックスで撮影している記録がある。

 実はこの写真についてあまり触れることはないのだが、実は戦争写真としてはあり得ないアングルで撮影している写真なのである。

Rimg00012 上陸するアメリカ軍部隊(第一波攻撃) オマハ・ビーチ、ノルマンディ沿岸、フランス、1944年6月6日(Dデイ) ©Robart Capa

 普通戦争写真というか、戦闘場面の写真というのは兵士の背中から撮影するのが普通である。その他のキャパの戦闘場面を撮影した写真もそうだし、キャパ以外のフォトグラファーの第二次世界大戦からベトナム戦争、つい最近の様々な戦闘の写真も皆そうなんだが、すべて兵士の後ろ姿が撮影されていて、その向こうに戦闘場面が展開しているというのが、普通の戦争写真なんだ。それは何故かと言えば、武器を持たないカメラマンを最前線に置くわけにはいかないという最前線部隊の発想からだからだ。だから、戦闘場面の写真には必ず兵士の後ろ姿が写っていて、彼の肩越しに最前線が展開している。

 キャパのその他の写真もそうだ。1654年5月25日のキャパが地雷を踏んで死亡する寸前のインドシナ戦争の写真まで、すべてのキャパの戦闘場面の写真も、すべてそうだ。

 ところが、例のオマハ・ビーチの写真の数点は上掲のモノ以外でも兵士の顔が写っている。それは何故なんだろう。

 ドンくさい兵士がいて、部隊から遅れに遅れて、ついにはカメラマンからも遅れてしまったという、かなり兵士としては恥ずかしい写真なんだろうか。あるいはどこか別の日の上陸訓練か何かを撮った写真なのか。

 なあんて、どうでもよいことを考えてしまうのは、もう既に何冊もロバート・キャパの写真集を持っているからなのかなあ。

『ロバート・キャパ写真集』(ICP ロバート・キャパ・アーカイブ/岩波文庫/2017年12月15日刊)

 キャパ研究にはこちらがオススメ。沢木耕太郎氏はリチャード・ウィランはあまりお好きではないようだが。

『ロバート・キャパ 決定版』(リチャード・ウィラン、ロバート・キャパ/ファイドン/2004年11月刊)

 こちらもオススメ。ただし、こちらは古本屋で探さないとみつかりそうもない。

Photo『ロバート・キャパ』(ベルナール・ルブラン、ミシェル・ルフェーブル著/太田左絵子訳/原書房/2012年9月10日刊)

2018年1月27日 (土)

茶房「きゃんどる」が、まだあったんだ!

 茶房「きゃんどる」なんて言っても知らない人は多いだろう。

 まあ、いまから40数年前の駿河台の学生、つまり中央大学や明治大学の学生あたりには結構有名な喫茶店だったんだ。勿論、今みたいな「カフェ」じゃなくて、まさしく昔風の「喫茶店」。当時は、「珈琲館」っていうのが、新手の喫茶店で、いまのカフェみたいな感じだった。

 ちょっと小難しい主人がいて、でもおいしいコーヒーを淹れてくれて、なおかつ何時間いても文句を言わない……、まあ、学生街によくあったそんな喫茶店のお茶の水代表がきゃんどるだった。

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 まあ、駿河台で当時の学生に有名な(昔風の)喫茶店と言えば、「さぼうる」「ラドリオ」そしてこの「きゃんどる」の三店だった。なかでも一番有名だったのがさぼうるで、「授業をサボってさぼうるへ」なんてクダラナイ戯言を言いながら通ったことを思い出す。

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 さぼうるは現在も健在で、今や神保町で一番有名なスパゲティ・ナポリタンの店である。

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 ラドリオも演劇関係の人がオーナーの店で、タンゴ喫茶ミロンガ、白カレーで有名なチャボと三店が共同オーナーで、昔に比べると店は半分の大きさになってしまったんだが、いまだ健在である。昔、中大映研(勿論、ブント叛旗派)がたまり場にしていた。今は私の仲間が4人で悪事をめぐらしている店。

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 で、きゃんどるなんだが、オーナーが直接店に立っていて自らコーヒーを淹れてくれる店はここだけだった。別にコーヒーの旨さなんかは分からない私たちだったけれども、まあ、雰囲気だけは「いかにも昔風の喫茶店」っていう感じの店だった。

 翻訳家でエッセイストの植草甚一氏が、神田の古本屋巡りの最終目的地がきゃんどるだったことが有名。あの当時、植草甚一氏と言えば映画からフリージャズ、ロックなどを語る「モダンじいさん」として超有名な人物だったのであります。

Photo_5昔、きゃんどるがあった場所

 そのきゃんどるはビルの建て替えに伴って閉店してしまっていて、そのままなくなってしまったと思っていたんだが、実はまだあったんだ。

 場所は神保町にあるタワーマンション、東京パークタワーの南側の一階。オフィスビルの神保町三井ビルの隣で、三井不動産がオフィスと住居の総合開発を行った場所。

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 今回は別の用事があって行けなかったんだけれども、今度行ってみようかな。

EPSON R-D1s Voigtlander Color-Skopar 21mm f4 @Jinbocho ©tsunoken

2018年1月26日 (金)

LEICAで撮っても、RICHO GRDで撮っても、撮れる写真は同じだというところがイイ!

『日本カメラ』2月号が出た。

 で、実は私は長いこと『日本カメラ』は「にほんかめら」だと思っていて、つい最近になって「にっぽんかめら」だっていうのを知った。既に30年近くこの雑誌は読んでいたんだけれども、田中長徳氏の連載がこの1月号から始まるというので、いろいろ『日本カメラ』読者のFacebookなんかを読んでいたら、「にっぽんかめら」とか「ぽんかめ」なんて呼んでいることを知ったというようなわけ。

 元々、田中長徳氏の名作『銘機礼賛』から『日本カメラ』を読み始めた私としては、自分なりに結構長い読者だと思っていたんだけれども、その私にして『日本カメラ=にほんかめら』だと思っていたんだから、なんなんだろう。

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 で、今回読み始めたのも、田中長徳氏がこの1月号から「TODAY TOKYO 1964-2020」という連載を始めたからなんだが、要は1964年以降当時田中氏17歳の田中氏が、それから数年の間に撮った写真と現代の東京の定点観測的な写真を撮影して比較しながら、それをネタにいろいろ語るっていう趣向なのである。で今回は「千代田区神田カルチェラタン 1968→2017」っていう訳。

 2017年の写真はその神田駿河台から駿河台下へ至る道路の写真で、当時は、明治大学、中央大学のシマだったところだ。で、1968年の写真は同じところに革マル派が作ったバリーケードの前の写真なんだが、そんなところに革マルのバリケードなんて、あったったけ? って、まあ、別にどうということはない。

「機動隊の手段の中に追い込まれ フィルムを出せと言われた。私はフィルムを守った」

 という中見出しがついているんだが、要は馬鹿な話で、バリケードの全景を撮影しようとして後ろへ下がっていたら機動隊に近づきすぎてしまい、機動隊に引きずり込まれて、写真を出せと強要されたが、フィルムを出さなかった、っていう話。

 まあ、フィルムを出さなかったってところは褒めなければいけないんだろうけれども、別にフィルムを出しても機動隊はフィルムをパトローネから出して露光させちゃうっていう位の事だったんだろう。別に警察に持ち帰って現像し、学生の容疑者を特定しようなんてことは考えていなかったと思う。

 まあ、機動隊なんてその程度のモノですよ。公安じゃないからね。

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 で、当然、1968年に撮影した写真と2017年に撮影した写真が掲載されているんだけれども、1968年の方は「Leica M2+Hexar 50/3.5+TriX」となっていて、2017年の方は「Richo GR Digital」となっている。つまり片方は今から50~60年まえのアナログカメラであり付いているのは50mmの標準レンズ、もう一方はつい最近のカメラでついているのは多分28mmの広角レンズっていうわけ。両方ともモノクロ。

 どう違うかって言えば、当然のことながらバリケードを作っている1968年の方が雰囲気は剣呑である。どこかのオッサンがフラフラ横断歩道を歩いている2017年の写真とは、まったく置かれている状況が異なる。

 がしかし、二つの写真を分けているものはそれだけでしかない。せいぜい、写っている「革マル」の旗ぐらいなもんだろう。それ以外で二つの写真を分かつものは、トライX50mmで撮影したがゆえに、それなりの合焦点以外のボケかたが大きい1968年の写真と、方や28mm(フル35mm規格換算)デジタルで撮影した2017年の写真の、合焦点以外でのボケ具合くらいなもので、基本的に両者は「同じ写真」と言ってよい。

 それでも1968年には1968年の、2017年には2017年の「雰囲気」が写されているのが写真の不思議だ。その辺はウジェーヌ・アジェのパリの写真も同じである。

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 田中氏と同じ月に連載が始まったなぎら健壱氏の「ジグザグな日々」、今月は北千住の荒川河原です。

2018年1月25日 (木)

西新宿はMAP CAMERA

 新宿へ行くときは、大体このヨドバシカメラの奥にあるMAP CAMERAに行く。

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 というよりも、上石神井に住んでいた頃はビックカメラ新宿店も対象だったんだが、今は池袋や銀座が近くなっちゃったんで、新宿に行くときはほとんどMAP CAMERAだな。Amazonがあるんで書店に行くときも、新宿の紀伊国屋なんかにはさっぱり行かなくなってしまった。つまり、新宿には以前ほどには行かなくなってしまった。

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 MAP CAMERAに行くのは、ほとんどはライカの中古カメラやレンズを見に行くとき。

 ニコンやキャノンなどのカメラの中古なんかも売ってはいるが、ほとんどがデジタルカメラなので、アナログはライカだけ、っていう感じだ。アナログカメラは銀座の方が上。

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 最近はニコンF(いまやニコンFやF2は立派なクラシックカメラだ)に興味が行っているので探しているんだが、やっぱり銀座のレモン社かスキヤカメラのニコンハウスが一番中古ニコンの在庫も多いようだ。

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 銀座の中古カメラ店も今やほとんど姿を消してしまった現在は、あまりカメラ探しに行く店も減ってしまったけれども、それだけ出回っている機材が少なくなってしまっているんだろうか。

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「カメラは耐久消費財」だと考えていて、一度買ったカメラはかなり長い間使うもんだと思っていたんだが、最近はそうでもないようだ。特に、アナログカメラはフィルム現像という「面倒な作業」がひと手間かかるっていうので嫌われてしまっているんだろうか。それもあって、「箪笥の肥やし」になっているアナログカメラも沢山あるんだろうな。

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 だとしたら、皆、もっと家にあるアナログカメラを下取りに出してほしいのだが……。

 そうすれば中古のアナログカメラがもう少し安くなる(?)

FUJIFILM X10 @Nishi Shinjuku ©tsunoken

2018年1月24日 (水)

お約束の……雪景色 in 2018

 毎度おなじみの「雪の日の翌日の東京」です。

 なんだ、こんな雪って、去年2月に行った秋田に比べれば……、って言っても意味はないか。

 まあ、東京が雪に弱い街だっていうのはよく知られたところ。何故、そんなに雪に弱いのか?

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 つまりそれは東京が「坂の街」だからなのだ。

 東京(江戸)は武蔵野台地の上に形作られた街。なので基本的にはその丘の上に人が住んで、川が谷間を形作って丘と丘を切り離している。当然、その丘の上から河原に降りるためには坂道が必要になってしまうのだ。

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 東京には名前がついている坂が、港区の118ヶ所をはじめとして、文京区の117ヶ所、新宿区が91ヶ所、板橋区が66ヶ所、千代田区が63ヶ所などなど、全部で740ヶ所もある。これだけ坂が多い都市ってのも日本というよりは、世界中探してもないのではないか。

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 港区、新宿区、千代田区などは武蔵野台地に流れる川が谷を形作ってできた坂であり、板橋区は武蔵野台地の東端として荒川の沖積地との境目の坂が多く、文京区あたりはその両方がある地域だ。

 そのうち、丘の上は「山の手」、川の方は「下町」という呼び方をして、そこに住まう人たちを身分わけしたというのは、太田道灌の時代からなのか、あるいは徳川家康からなのかは知らないが、なかなかうまいやり方ではある。まあ、「住む場所で身分わけ」なんて言ったら、今の時代では到底許されないだろうけれどもね。

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 勿論、そんな「雪に弱い都市」でいいとは言わない。しかし、だからといってどうなるんだろう。今更、「雪に強い街づくり」をしたところで、そんなの何年かに一回くるだけで、雪が降った時だけは多少都市機能が損なわれるくらいでは、別に日本の経済がどうなるもんでもない。

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 まあ、「東京は雪に弱いねえ」なんて言いながら、会社休んで、降る雪を愉しむ余裕くらいは欲しいじゃないですか。今はそういう時代なんですよ。って、雪の日にも会社休まなかった人が言っています。

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NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D & 35mm f2 D @Bunkyo ©tsunoken

2018年1月23日 (火)

千葉県庁は千葉駅にはない

 Google Mapを見ていたら、千葉県庁の最寄り駅は千葉駅じゃなくて、千葉駅より一つ先、外房線の本千葉駅らしいというので行ってみた。

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 まあ、確かに本千葉駅からの方が近い。が、千葉駅からもまっすぐに大きな道を歩いていけば千葉県庁に行けるので、確かに「最寄り駅」ではないけれど、千葉駅からも行けない距離ではない。

 っていうか、考えてみれば東京都庁だって最寄は新宿駅だし、神奈川県庁だって最寄は横浜線(京浜東北線)の関内駅なわけで、別に県庁所在地と同じ名前の駅が最寄り駅である必要はない、というか千葉だってそれだけ大きな都市だってことなわけで、別に不思議なことじゃないのだった。

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 千葉県庁の周囲を歩いていると、千葉城(笑)が千葉県庁のそばにあるのが面白い。まあ、千葉県(上総国)の中心が現在の千葉市にあったのならば、当然その中心で、なおかつ海が見えて小高い場所といえば千葉城があった場所になるわけで不思議はない。っていうか、そういう場所にやっぱりお役人は庁舎を作りたがるんだなあ。

「民のかまどは賑わいにけり」なんてね。

 まあ、問題は千葉氏がいた頃には館はあったけれども、城はなく、現在の城はなんと「免震構造」になっている、っていうのが(笑)の理由。「免震構造のお城」ですよ。

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 で、その千葉県庁から千葉駅方向へまっすぐ歩いていくと「ハミングロード パルサ」という商店街がある。

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 いろいろ歯抜け商店が多くてちょっと寂しい商店街なんだけれども、どうも昔一大ソープ街があった栄町大通りじゃないだろうか……

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 なんて感じで商店街を歩いていたら、ソープやラブホテルなんかの残滓が結構残っていたりする。

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 まあ、千葉城はそうじゃないけれども、いろいろ昔の街の残滓って、残っているもんだなあ。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Chiba ©tsunoken

 

2018年1月22日 (月)

東京周縁部を往く:板橋高島平

 この「東京周縁部を往く」というシリーズは、たまたま荒川や江戸川などの東京の北や東の端っこが、もともと私の知っている場所だったせいと、同時に私のサイクリングコースだったということの二つが重なってできたシリーズである。

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 なので、多摩川が「周縁部」に加わったのは少し後になる。荒川や江戸川で東京の東と北の端、多摩川が南の端なんだが、西がない。まあ多摩川も上流まで行けば西の端になるのかもしれないが、それは相当西に行かないと「東京周縁部」にはならない。

 一時期、東京を23区に限って取り上げ、杉並区・練馬区あたりを「周縁部」に加えようとしたんだが、そうなると多摩地区が東京に入らなくなるので、それはダメ。

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 ということで、なかなか西の周縁部に行き当らないまま、このシリーズも進んでしまった。まあ、たいした理由で始まったシリーズじゃないというのがバレてしまいますね。

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 そんないい加減な理由で始まったシリーズなので、しばらくは私自身がそのようなシリーズがあることを忘れていた。

 で、高島平へ行く途中に思い出したのが、このシリーズだったのであります。

 この高島平は江戸時代までは「徳丸ヶ原」と呼ばれ、幕府の鷹狩場や砲術訓練所があった、荒川の後背湿地だったんだけれども、明治に入ってその湿地は整備されて「赤塚田んぼ」とか「徳丸田んぼ」と呼ばれる稲作地帯となった場所である。

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 西台の駅前にある馬頭観音や、高島平駅を北に行くとある「徳丸ヶ原公園」に行くと、徳間ヶ原遺跡の碑なんかがあって、そうした土地の由来なんかが分かるようになっている。

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 が、現在はそんな「昔の湿地帯だった」なんていうことは、別に誰も意識しないで住んでいるっていう訳なんだけれども、たしかに赤塚城なんかがある多摩丘陵の東の端の崖の下っていう感じは、赤塚公園まで行くとよく分かるようになっている。また、三田線に乗っていても志村坂上から志村三丁目へ移動する際によくわかる。

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 で、昨日のカメラとレンズなんだが、デジタルレンジファインダー・カメラに35mmレンズなんだが、カメラの撮像素子がAPS-Cサイズなので、35mm換算で50mmになる。ということで、この間、三日間は50mmで撮影したことになります。どう違うのか? いずれ語ります。

EPSON R-D1s Leitz Canada Summicron 35mm f2 @Takashimadaira ©tsunoken

2018年1月21日 (日)

「35mmカメラにとって50mmレンズって、どういう意味のレンズなのか」ということの考察

「35mmカメラにとって50mmレンズって、どういう意味のレンズなのか」と言ったって、別に特別なことを書くつもりはない。っていうか、今更私みたいな素人カメラマンがゴタクを並べたって意味はないっていうこと。

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 実は一昨日久しぶりに、というか今年初めてアナログカメラを引っ張り出して撮影した。

 カメラはライカM6、レンズはコニカMヘキサノン50mm f2だった。そういえば50mmで撮影したのも久しぶりだなあ、ということで、昨日、銀座のラボまでフィルムを現像に出したついでに、銀座から鉄砲洲あたりまでをデジイチ+50mmで撮影して回った。

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 一昨日のカメラは35mmフルサイズのカメラ(当然)。なので、同じ35mmフルサイズのデジイチでってわけだったんだが、どうにもレンジファインダーのカメラと一眼レフでは、ファインダーの「見た目」がやはり違う。

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 レンジファインダーのカメラだとファインダーの「見た目」では撮影される周辺の部分まで見えるわけで、その辺が写真に写る範囲(厳密にいうと「写る範囲よりホンの少し小さい範囲」)が丁度見える一眼レフとの大きな違いだ。

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 前にも一度書いたが、普段広角レンズばっかりで撮影をしていると、50mmという本来は「標準」のレンズが、なんとなく望遠系のレンズみたいな感覚になって、ちょっと調子が狂う。

 ところがレンジファインダーだと50mmレンズを付けていても当然ファインダーの視野は広角レンズのまんまなので、あまり「望遠系のレンズ」という感覚はない。当然、写る範囲はファインダー通りではないのだけれども、でもファインダーを覗いた感覚はかなり違うのだ。

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 今度、一昨日と同じ場所をデジイチで撮影してみようかな。撮れる写真はほとんど同じなんだろうけれども、撮影している時の感覚はかなり異なるのではないだろうか。

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 あっ、そういえばレンジファインダー・デジタル1(エプソンRD1-s)ってカメラも持ってたなあ。それだとどうなんだろうか。まあ、こちらはフルサイズじゃないんで、これまたちょっと感覚的には異なるんだろうけれども。

NIKON Df AF-S Nikkor 50mm f1.8 G @Ginza & Minato ©tsunoken

2018年1月20日 (土)

平日の大井埠頭はどうなっているのか

 大井埠頭は毎年5月に行われるツァーオブジャパンの最終東京ステージの主戦場となる場所である。

 日比谷シティ前をスタートした選手たちは、海岸通りを通って大井埠頭に入り、そこで周回コースをこなして、そのまま大井埠頭の東京税関前でフィニッシュを迎える。

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 ツアーオブジャパンもそうなんだけれども、実はこの大井埠頭は東京のサイクリストにとっても聖地のように重要な場所なんだ。

 つまり、ウィークデイにはこんなにトラックで渋滞しているような大井埠頭なんだが、週末にはこの道路にはほとんどトラックが姿を消して、実に幅広な自転車で走っても安全な道になってしまうのだ。

Dsc_00052 この大陸橋を越えて海岸通りから大井埠頭に入ってくる

 勿論、ツアーオブジャパンのレースコースと、ホビーレーサーの練習コースでは一部の重複部分を除いてほとんど異なったレイアウトのコースとなる。コースから完全に車を締め出して専用コースになっているツアーオブジャパンのコースと、単に週末で車の往来が少なくなっているだけの一般道である練習コースではコースが異なって当たり前である。

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 これはこの練習コースを見つけた人がすごいのか、いつの間にかそういうコース設定になってしまったのか、なんと一周約10km弱のコースで唯一信号を守らないと走れないのは一ヶ所だけで、あとは信号無視しても「走れる」コースを設定しているのである。っていうか、以前は皆、信号なんかは無視して走っていた。あ、これは内緒、内緒……。

 勿論、現在はドリフト族が出てきたりしたこともあって、交通規制が厳しくなっているので、ホビーレーサーの人たちも、皆、信号は守って走っていますよ。

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 しかしまあ、これだけの交通渋滞が週末にはすっかりなくなってしまい、東京のサイクリストにとっては天国のような幅広い練習コースができてしまうんだから、それだけ我が国の経済活動もメリハリがあるんだなあ。ウィークデイとウィークエンドの落差ってやつですね。

 休日出勤のブラック企業なんてどこにあるんだ……ってなもんですね。

 なあんて、お気軽なことを言っていいのか?

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NIKON Df SIGMA DG 150-500mm f5-6.3 APO HSM @Oi Wharf ©tsunoken

2018年1月19日 (金)

大宮宮原という街

 高崎線に乗って大宮の次の駅が宮原である。

 特別なものは何もない地味な住宅地。ごく普通のベッドタウンを想像してもらえばそれで充分「その通り!」ってな普通の町である。まあ、大宮のベッドタウンってことは東京のベッドタウンでもあるわけで、周辺に住まう人々にとって湘南新宿ラインや上野東京ラインなんかの存在はありがたいものだろう。

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 東口駅前もこんな感じで、まあ埼玉県によくある駅前風景だ。

 で、そういうところに何をしに来たのかと言うと、まあ、今回は別に何もしに来たわけではないのだけれども、今から30年近く前にはちょっとした用事があって来たんだ。

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 この辺りにあった喫茶店(まあ昔のチェーン店なのでColoradoか珈琲館だと思うんだが)で、当時のヒット漫画『3X3 EYES』の原作者である高田裕三氏との打ち合わせのためにやってきたのだ。

 今から30年近く前のこと、講談社がキングレコード、バンダイビジュアルとその『3X3 EYES』のアニメビデオ・シリーズを共同制作することになり、そのための原作者との打ち合わせのために大宮の次の宮原という駅に初めて降りたのだった。

 高田氏がこの宮原のどのあたりに住んでいて、どのあたりに仕事場を持っていたのかは知らないが、高田氏ご指定の喫茶店がそこにあった、というわけ。

 今は薬局になっているみたいだ。まあ、当時はビルじゃなかったけれどもね。

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 宮原は今でもベッドタウンのまんまだけれども、当時からそんな感じの街で、今ほどにはマンションなんかは建っていなかった。駅を降りるとすぐに住宅地が広がっている感じの街であったし、今でもそんな街である。

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 実はその時はじめて宮原まで行ったのだが、その後は一度も行ったことがなかったので、なんか久しぶりに懐かしくなって行ってみたんだが……。

 結局、昔とたいして変わらなくて、多少はマンションが増えたかなという感じと、その頃は駅の西口はほとんど人が住んでいないようなところだったんだけれども、現在はそうではなくてかなり住宅ができている、っていう感じかな。

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 まあ、街の印象としては、30年経ってもあまり変わっていない雰囲気だった、ってことでしょうか?

 高田氏は、今でも宮原に住んでいるのかしら。

FUJIFILM X10 @Miyahara Omiya ©tsunoken

2018年1月18日 (木)

『日本史の内幕』でNHK「歴史秘話ヒストリア」の秘密が少しわかったぞ

 いやあ、「JR SKI SKI」のCMにつられて、思わずAmazonでポチッしちゃいました、『私をスキーに連れてって』。

 懐かしいなあ。フィルムコンパクトカメラ(バカチョンカメラ」と言ってはいけません)でしょ、ダイアル式の電話機(!)でしょ、全員が持っているわけではないブラウン管方式でフロッピーディスクドライブ付きのパソコンにドットインパクトプリンターでしょ。そうかもう30年も前にの映画だったんだよなあ。そういえばユーミンの『SURF & SNOW』を聴きたくなっちゃったなあ、なんてまたまたAmazonでポチッしそうになって、あれっ? 確か『SURF & SNOW』はCD持ってたはずだよなあ、なあんて昔を懐かしんでいる場合ではないのだ。

「晴撮雨読」なんて構えているのだが、正月からここずっと晴れの日が続いていると、思わず外に飛び出してしまい、本はどんどんたまっていくだけだ。ただし、よくないのは形を伴った本じゃなくて、「たまっていく」って言ったって、それはKindleの中にたまっているだけなので、「積読」しているという概念が弱い。う~ん、いけないなあ。

 ということで、取り敢えず、本の形をしている本から片付けていこう。まあ、この本、Kindle版が出ていないようなので……ってのもあるし。

Photo 『日本史の内幕 戦国女性の素顔から幕末・近代の謎まで』(磯田道史著/中公新書/2017年10月25日刊)

 磯田道史氏って言えば、NHK『歴史秘話ヒストリア』でもって、その日本史に関する博識・碩学ぶりには常々感心していたし、明治維新に関する公平な考え方、つまり維新政府=薩長=官軍側にだけ一方的に立ったものの見方ではないことから、会津松平藩・日新館の教師の末裔の私としては、かなり信頼をおいていた人なんだ。で、なおかつ書店で立ち読みしていた際にみつけた一文が気になって買ってしまったんだ。

『会津で戦死、若き親戚を弔う

 会津に行った。仕事である。徳川宗家一八代当主の徳川恒孝氏、会津松平家一四代当主の松平保久氏と「徳川家に息づく会津の魂」という鼎談をすることになって、まだ寒さの残る会津に入った。
 それが終わった翌日、私には行くところがあった。実は幕末期、私の家の親戚が会津戦争で戦死している。私の高祖父は磯田弘道といい、これが当時の当主。その義弟。緒方益太郎というのが会津戦争で死んだ。享年二十二。会津でこの親戚の墓をみつけだし、誰かが行って合掌するのが、我が家の長年の懸案になっている。』

 という一文を読んで、「すわ、この磯田何某は会津の出であったか。なるほど、私の腑に落ちる歴史解説が多いはずだ」なんて早とちりをしてしまったんですね。それだけ読んで、この本を買ってしまった。もうちょっと先まで読んでからにすれば、そんな早とちりをする必要はなかったんだけれどもね。

『緒方家は岡山藩の上士であった。足軽(銃卒)を統率する司令になる家だった。』

『会津では新政府軍を官軍とは呼ばない。官軍墓地は西軍墓地という。『幕末維新全殉難者名鑑』によると、緒方は会津の融通寺口で明治元(1868)年八月二十九日に戦死している。まず融通寺脇の西軍墓地を探した。
 すると、あった。「官軍備州藩」とある墓に六名の岡山藩将兵が合葬されている。風化した墓碑を読むと二人目に「令官 緒方益太郎邦昌」。参る人もなく草に覆われていた。「やっと来ました」と言いながら草をむしった。
 八月二十九日、岡山藩兵は会津若松城の外郭・融通寺口に胸壁を築いていたが、抜刀の斬り込みで有名な会津藩兵・佐川官兵衛の兵団が突撃してきた。先鋒の辰野源左衛門率いる歩兵隊に、岡山藩兵は蹴散らされ緒方はあえなく戦死した。
 その状況はだいたい想像がつく。岡山藩の戦死者は六名中四名が司令以上。他藩にくらべて指揮官の戦死率が以上に高い。岡山隊トップ「監軍」の雀部八郎まで戦死している。岡山藩は軍装が古い。黒づくめの服装の薩摩藩などと違い。上士が陣羽織など、きらびやかな服装で見分けがついた可能性がある。なまじ上士は真っ先に逃げるわけにいかない。逃げ遅れて狙撃されやすかったのではないか。
 とにかく緒方たち岡山藩兵が、心底、会津藩を攻めたかったはずはない。会津藩兵も自国に攻め込まれたので必死で抗戦したにすぎない。二十二歳の若者が、こんなふうに死んで埋められ親戚が合掌しにくるまで一四八年。こんな馬鹿な話はない。昔は日本のなかでもこんな愚かなことをやっていた。』

 と、ここまで読んでいれば早とちりをする必要はなくて、この本を買わなかったかもしれない。しかし、早とちりもたまにはいいもんで、おかげで磯田道史氏の碩学ぶりの謦咳に接することができたわけだ。

 本書は、磯田氏の『武士の家計簿』なんかと違って、この本自体でまとまった内容はない。その代わり、数多くの「モノゴト」についてのいろいろな参考になる文書や事項などが紹介されている。

 内容を目次からひろってみると……

第1章 古文書発掘、遺跡も発掘
第2章 家康の出世街道
第3章 戦国女性の素顔
第4章 この国を支える文化の話
第5章 幕末維新の裏側
第6章 ルーツをたどる
第7章 災害から立ち上がる日本人

 私が早とちりをした「会津で戦死、若き親戚を弔う」は第5章の一部。おお、もしかしたら会津側から見た「薩長同盟・官軍の正体・明治維新の国民に対する裏切り」なんてのが語られると思ったら、必ずしもそうではなかった。

 ただし、「明治維新政府の国民に対する裏切り」については、他の章でも触れられており、まあ、少しは留飲を下げたってところでしょうかね。

 岡山藩ってのも所詮外様大名だったわけで、かといって積極的に薩長に与したわけでもないし、言ってみれば否が応でも官軍に巻き込まれてしまった小藩に過ぎない。そんな小藩のなおかつさほど上級の武士ではなかった人(でも「上士」ではあった)の末裔に過ぎない磯田氏の、結構、公平な見方をする歴史観には、ますます好感を持ったというようなわけである。

 まあ、そんな意味では「早とちり」もたまにはいいのかもしれない。

『日本史の内幕 戦国女性の素顔から幕末・近代の謎まで』(磯田道史著/中公新書/2017年10月25日刊)

2018年1月17日 (水)

何となく藤沢まで来てしまった

 何となく藤沢あたりまで来てしまうのは、今のJR東日本のひとつの政策なんだろなあ。って、何のことを言ってるのかって? 「上野東京ライン」ですよ。上野東京ライン。

 要は無駄な遠乗りをさせてしまう……っていう。まあ、結局ブログネタになったんだから、結果オーライってか?

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 別に当初は藤沢あたりまで行く気はなかったんですけどね、何となく上野駅で上野東京ラインに乗ったら、ついつい藤沢なんですよ。

 別に、初めから藤沢までなんて行く気はなかったんですけどね。

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 何となく「まあ、取り敢えず横浜方面へ行ってみようかな」なんて気分で上野駅で熱海行きに乗り換えた時に、熱海じゃちょっと行きすぎか、じゃあ小田原まで行ってみようかな、なんて考えていたんだが、社内の案内を聞いていると小田原まで行くとなるとちょっと到着時刻が少し遅いなあ、じゃあ藤沢で……、てな感じで、何にも事前の予習もなしに藤沢まで行ってしまった。

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 以前、サイクリングをよくやっていた頃は、権太坂を越えて遊行寺坂を下りると境川と交差する橋に出るので、そこを取り敢えずの折り返し点としていたことを思い出した。

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 自転車で来ていた頃は、大体北口のみで復路に変更なんで、今回は南口へ。といっても、こちらも江ノ電の乗り換え口がある方なんで、自転車で来なくなってからは南口の方が来ることは多いかな。

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 まあ、昔の宿場町だった北口の方が、本来は藤沢駅の表側になるんだろうけれども、南口の「駅前繁華街のすぐ裏は住宅街」っていう「普通の街ぶり」も面白い。

FUJIFILM X10 @Fujisawa ©tsunoken

 なぜセピアカラーになっているのかは、別に理由はありません。単なる気分。

2018年1月16日 (火)

旧海岸通りを往く……の、だが

 JR田町駅の芝浦口(三田とは逆の方向)が現在凄い変貌を遂げつつある。

 いち早く移転をしてきた愛育病院をキーとした「くらしの拠点ゾーン」と、田町ステーションタワーなどのオフィスビルやホテルをキーとした「新たな都市の拠点ゾーン」の二つのゾーンに分かれて、今ちょうど開発中なのだ。

 芝浦口のペデストリアン・デッキが作られている最中なのだが、うむむ、そうかだからなのかという感じ。

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 この開発の名称は「TGMM芝浦プロジェクト」という。つまり東京ガス(TG)、三井不動産(M)、三菱地所(M)のプロジェクトというわけ。

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 田町の芝浦口といえば、以前は森永や三菱自動車の本社があったり、慶応大学があったりする三田口の華やかさに比べると、かなり地味で、いろいろなオフィスなんかはあったりするんだけど、あまり有名企業のオフィスはないし、むしろ工場や倉庫なんかが目立った場所だった。唯一目立っていたのが東京工業大学の付属高校くらいなものだった。

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 もともと、埋め立て地だったこの場所には、いろいろな運河が走っていて、その運河をみることが楽しみみたいな場所ではあったのだ。まあ、昔は運河沿いにジュリアナ東京なんて「ディスコ」があったりしたもんな。まあ、それ以外は何もない場所ではあった。

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 それが、今は工場はないし倉庫も別のもっと地代の安いところに移ってしまって、なんかちょっと寂しい場所にもなっていたんだが、そこに再開発の手が入ってということなんだろう。

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 っていうか、2020年の品川新駅の開業に先んじて、そこにつながる街としての田町を作っておこうということなんだろう。品川駅の港南口もそのようにしてできた街ではある。そこも、もともとは工場と倉庫しかなかった街ではあった。

 まあ、品川駅(リニア新幹線の品川駅も含めて)を中心にした、港区の山手線の海側って、そうかまだまだ再開発の余地があったんだなあ。

「旧海岸通りを往く」なんて言って、昔を懐かしんだブログを書こうとしたんだけれども、それどころじゃない、まだまだ変貌を遂げつつある東京を再確認しただけなのであった。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f2 D @Shibaura ©tsunoken

 

2018年1月15日 (月)

立石再訪

 一昨日のブログで「京成押上線っていうのは、考えてみたら乗ったことがなかった。乗り入れている都営浅草線は乗っているんだが、押上から青砥の間ってなんか用事がなくて今まで乗ってことがなかったことに気が付いた」なあんてことを書いたのだが、書いた後でどうにも腑に落ちないことがあって、立石を再訪した……、って言いたいんだけど、今度は青砥で降りて立石まで歩いたのだった。

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 どこが腑に落ちなかったのかといえば、実は立石の駅で降りて、葛飾区役所に行く途中でタカラトミーの本社の裏側にブチ当たったことなのだ。どうも周辺に見覚えもある。

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 タカラトミーはタカラと合併する前はトミーという名前の玩具メーカーで、実は講談社とも(つまり私とも)いろいろ因縁のある会社なのである。

 当時、バンダイなんかがキャラクター商法でもって当たりをとっていたんだが、それをよく思っていないトミーは(と言うよりは富山元社長は)キャラクター玩具には興味を示さなかった。その結果、おもちゃメーカーとしてはかなり地盤沈下していた。それを気にかけてトミーとしては初めてキャラクター玩具を手掛けることになり、『スターウォーズ』がヒットしたのを受けて、電通、講談社と手を組んでエドワード・エルマー・スミスの『レンズマン』のアニメ化を考えたんだ。まあ『スターウォーズ』の原型は『レンズマン』だからね。で、1984年夏に劇場アニメ『SF新世紀 レンズマン』を制作し、その後、秋から朝日放送をキーステーションとして『GALACTIC PATROL レンズマン』というテレビアニメ・シリーズを制作・放送したんだが、(これは私の考え方なんだが)結局、一番肝心の講談社側にキャラクター商法の何たるかが(ルーカス・フィルムとは違って)分かっておらず、それは完全な失敗に終わったプロジェクトであった。

 で、そのプロジェクトのテレビアニメ・シリーズの講談社側のプロデューサーが誰あろう、私だったんだ。当然、「視聴率は上がらない、キャラクター商品は売れない」という二重苦にあえいだ番組は2クールで見事終了ということに相成った。

 テレビ番組は毎週土曜日放送だったので、月曜日の午前11時には視聴率が出てくる。それを受けて(ったって、視聴率がよくなるわけではない)制作現場との今後の展開打ち合わせ、そして火曜日の朝9時か10時頃から毎週トミー本社での「言い訳大会」(ったって、商品が売れるわけではない)をやっていたってわけ。つまり、私は毎週毎週朝早くからトミー本社に通っていたってわけです。

 で、駅(立石かなあ、青砥かなあ)から何となく商店街を過ぎて、富山さんのご自宅があって、その隣にあるのがトミー(現タカラトミー)本社なんですね。

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 で、再び行ってみたら、青砥駅じゃなくて京成立石駅からの道程で、その通りの展開になったってわけ。

 ということを思い出したら、そういえば立石駅通り商店街や立石仲見世ってのも、何となく思い出してきた。なので「押上から青砥の間ってなんか用事がなくて今まで乗ってことがなかったことに気が付いた」ってのは訂正いたします。

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 いやあ、行ってたんだなあ、それもしょっちゅう。まあ、人間てのは嫌なことは忘れよう忘れようとする生き物なので、この件もその件なんでしょうかねえ。

 なんて勝手なことをほざいている。トミーさん、ごめんなさい。

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 いま、葛飾は『キャプテン翼』です。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Tateishi ©tsunoken

2018年1月14日 (日)

関口カテドラル教会

 文京区関口の椿山荘の前にあるのが、カトリック関口教会。日本のカトリック教会をまとめる、仏教風に言ってしまえば、総本山みたいなものだ。その上には、ローマ法王庁が直接つながっている。

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 その「本堂」にあたるのがこの聖堂で、正式名称は「東京カテドラル関口教会 聖マリア大聖堂」という。丹下健三氏(っていうか、この時期の大建築ってみんな丹下健三設計なんだよな)の設計により1964年に造られた聖堂なんだが、それまでのキリスト教建築とはまったく一線を画した形状で、当時の世間を沸かせたものだ。

 とは言っても、決して奇をてらったものではなく、上空から見れば十字架の形が見えるという、キリスト教の教会様式はキチンと踏まえた建物なのである。

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 ところがその日本のキリスト教の殿堂で1967年に、皆が皆「あれっ?」って思う出来事があった。

 戦後の第73・74・75・78・79代の外務大臣で、第45・48・49・50・51代の総理大臣を務めた人の葬式が行われたのである。その後、日本武道館で国葬として執り行われたことは有名なんだが、その前に、カトリックのお葬式が行われたのである。

 何しろ「1952年(昭和27年)11月の明仁親王の立太子礼に臨んだ際にも、昭和天皇に自ら「臣茂」と称した」人である。なんせ、戦中から戦後すぐの時代に政治家だった人である。もう当然、神道かせいぜい仏教徒だと思っていたんだが、実はクリスチャンだったというのは知らなかった。

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 ところが、そこにはもっと変なことがあって、その葬式を取材しに来たカメラマンの中に変な人が紛れ込んでいたのである。まあ、これって上に書いた以上の『皆が皆「あれっ?」って思う出来事』なんですねえ。今にして思えば……。

 まあ、当時のスタンダードなニュース取材カメラであるニコンFを下げていたのは分かるんだが、それに装着していたのはニッコール21ミリってどうよ。まあ、ニュース取材のカメラは基本的ニコンFしかない時代だから、それはいいんだけれども、普通だったら装着するレンズは35ミリか50ミリに準望遠レンズっていうのが屋内撮影の基本でしょ。それを21ミリだけつけて、そんな警戒充分なはずの元総理大臣のお葬式にもぐり込んだのは、当時、日本大学藝術学部写真学科に在籍していた後の写真機家にしてライカの神様、田中長徳氏、その人であった。

 まあ、ニッコール21ミリを装着していたのがライカM2じゃなかったのはご愛嬌だけどね。

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 うーん、IDカードなんてない時代だから、まあ表向きニコンFをぶら下げてれば基本OKってな警備の状況だったんだろう。今なら、すぐにとっ捕まって、取り敢えず青バスに収容だもんなあ。で、警察に連行されてお説教って感じでしょうか、別に悪いことをしていたわけではないからね。

 1967年という結構物騒な時代背景を思い出しているんだが、その程度の警備状況で大丈夫だったんだ。結構、牧歌的だったんですね。

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NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Sekiguchi ©tsunoken

2018年1月13日 (土)

立石バーガーは立石にはない

 京成立石っていう駅で生まれて初めて降りた。

 って、あれ? なんで下町になったら突然モノクロになっちゃうんだろう?
 ということは、まあ、どうでもよろしい。話を続けよう。

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 考えてみたら京成本線はしょっちゅう乗ってはいるんだが、京成押上線っていうのは、考えてみたら乗ったことがなかった。乗り入れている都営浅草線は乗っているんだが、押上から青砥の間ってなんか用事がなくて今まで乗ってことがなかったことに気が付いた。

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 押上線って都営浅草線に乗り入れしている路線なんで、京成電鉄の中では比較的新しい路線なんだろうけれども、結構駅前は充実している。

 で、「京成立石」なんだけれども、何故「京成」と言う名前がいちいちついているんだろう。JRとか、他の私鉄路線なんかがあって、そこにも「立石」っていう名前の駅がある場合に、こうした路線名をつけるっていうのはあるんだが……。

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 とまあ、それはいいとして、なんで立石なのかって言えば、立石にあるっていう「立石バーガー」ってのに興味を持ったからなのである。「立石バーガー」ってのは、他の場所のバーガーとどう違うのか? ってのにも興味はあるしね。

 ところが立石には立石バーガーはない! Google Mapを見ると、どうも京成本線沿いの方のようなのだ。

 で、コロンブス靴クリームの工場の前なんかを通り過ぎて……

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 ほとんど堀切菖蒲園のそばまで来たところでやっと見つけた。

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「モッチー・ピザ」っていうお店が立石バーガーの店。う~ん、これでは「立石バーガー」じゃなくて、「堀切バーガー」だよね。

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NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Tateishi & Horikiri ©tsunoken

2018年1月12日 (金)

神楽坂が東京のモンマルトルって?

 神楽坂へ出かける。
 なんでも「東京のモンマルトル」らしいのだ、神楽坂は。

 パリには行ったことがあるのだが、ホンの短時日の滞在だったのでシャンゼリゼを歩くのが精一杯で、モンマルトルまでは行ったことがない。なので、神楽坂がモンマルトルだって言われてもピンとこないのだ。

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 神楽坂の案内が書いてあるサイトを見る。

『神楽坂をさんぽ。神楽坂の石畳は、パリのモンマルトルに似ています。
街のいたる所に自転車が止まっていて、それもまた、パリさを感じます。
坂を上っていくと毘沙門天善国寺に到着。モンマルトルの丘の上にあるサクレ・クール寺院のようです。
阿吽一対の狛虎像が、ノートルダム寺院のガーゴイル像を彷彿させる風貌であることには、本当に驚きました。
日本とパリはつながっていたんではないでしょうか、、、』

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 うむむ、毘沙門天がサクレ・クール寺院なんだって? まあ、坂道を上がったところにある寺院ってことは確かだが、でもモンマルトルみたいなケーブルカーはないしなあ。そんなに大きな坂じゃないもんなあ。

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 裏通りの方へ廻ってみると「見番通り」なんて、いかにも昔の神楽坂を思わせる地名なんかが残っているところは、モンマルトルみたいな「古い町」だっていうことは分かる。

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 まあ、近所にアンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)や、水道橋まで行けばアテネ・フランセなんかもあるから、まあ、フランス人(パリ人?)にとっては「比較的馴染みやすい坂の街」ってところなんでしょうね。

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 ただし、坂の麓にピガールみたいな盛り場がないのが残念!

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Kagurazaka ©tsunoken

2018年1月11日 (木)

『東京轍』って、確かに「轍」ではあるが…

 田中聡子の写真集『東京轍(とうきょう わだち)』である。

 田中聡子っていう名前の写真家は知らないし、この本の存在も知らなかった。ポイントは田中聡子は田中長徳氏の弟子であるらしい。田中長徳氏の『銘機礼賛』を国会図書館で読んでファンになり、偽ライカ愛好会のメンバーになったらしい。

 確かに、左開きのこの本を左に開いていくと、そこにはいかにも田中長徳風な、ちょっと古い東京の下町の風景が、その街を歩く人と共に映し出されている。

 まさに『東京轍』なのであります。

Photo 『東京轍』(田中聡子著/冬青社/2017年10月26日刊)

 ところが裏表紙の方からは右開きになるわけで、そちらを見ると、まず裏表紙に早くもお総菜屋さんあたりの店先でくつろく田中長徳氏が写っていて、右開きのページをめくるたびに田中氏が登場、最後(本の真ん中あたり)の方になって、暗室の田中氏、バスに乗る田中氏、でラストがホロゴン・レンズを装着したビューファインダー付きのライカM3を持っている田中長徳氏が写っている。ホロゴン・レンズについては(最初の)『銘機礼賛』168ページ「リスボンでホロゴン」に詳しい。

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 う~む、そういう形で「田中長徳の弟子」を名乗るのか、ふーん。ってな感じなのだが、そのホロゴン・ライカの写真の裏が田中氏の文章である。

『雑誌の取材などでドイツはケルンによく行ったあたしである。
 大聖堂からちょっと奥に入ったところに道が深くえぐられて長い溝が石畳についている箇所がある。その説明によるとこれはローマ帝国の辺境であった大昔のケルンに馬車が行き交ってできた轍の跡なのだそうである。

 つまり長い人類の歴史の時間が石畳に轍として記憶されているのだ。ヨーロッパに比較して日本を考えるならば明治維新後以後のスクラップ&ビルドの光景では、道に轍ができるはずもない。2020東京五輪で大変貌の東京』

 まあ、別に写真家が昔を懐かしんでそれを残しておこうという意図で写真集を作るというのはよくある方法だ。「○○区の昭和」的な写真集は、それはそれで存在の意味と言うものはあるのだろうけれども、写真家が写真家の名前を残してそうした偉業を成し遂げるっていうのは、あまり感心しない。

 問題は、田中聡子がそんな「昔を偲ぼう」という意図で『東京轍』を残したのであれば、ちょっとそれはいただけないのだが

『田中聡子の東京の轍を撮影したショットを見ていると、その視線は過去に向かっている。ただここで言う過去に向かっている視線は決して昭和を懐かしむとか、江戸情緒が素晴らしいとか言うレベルの低さではない。

 ヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』を電子書籍で携えてパリに滞在している私である。ベンヤミンの数世紀前のパリの記録の断片を見ていて東京轍のことを思い出した。
 激変する東京の風景、その路面に轍の凹みを作ることが許されないのなら、カメラを引きずって写真の中に東京の轍を刻むという方法は時間の流れに対して有効な反撃のように思われる』

 願わくば、「ケルンの大聖堂からちょっと奥に入ったところにある長い溝」のように、『東京轍』も同じように数世紀にわたって、長い間残されて人々の記憶の中に生きていけばいいとは思うのだが。

『東京轍』(田中聡子著/冬青社/2017年10月26日刊)

2018年1月10日 (水)

「盗撮は1893年に存在していた…」って言うんだけど

「盗撮は1893年に存在していた…19歳のノルウェー青年が隠し撮りした当時の生々しい写真」っていう記事が、普段は動物なんかのほのぼの写真が掲載されている「らばQ」というサイトの1月6日号に掲載されていたので、読んでみたんだが。

『現代はカメラの小型化が進み、隠し撮りも簡単になっていますが、なんと1890年代のノルウェーに隠し撮りを趣味とする青年がいました。
 その人物は数学者として知られるカール・ストーマー氏。彼が19歳の頃、服の中に隠したカメラで、こっそり盗撮をしていたそうです。
 ストーマー氏がロイヤルフレデリック大学(現オスロ大学)に在学中の1893年に手に入れたカメラ“CP Stirn Concealed Vest”。
これをベストの下に入れ、ボタンホールからレンズを出していました。ズボンのポケットに開けた穴からヒモを引っ張ってシャッターを押していたとのことです』

 という記事。

 シュテルン・コンシールドというカメラは『152mmの円盤形のカメラで直径140mmの円形ガラス乾板に直径41mmの画像を6枚撮影できます。ベストの下に隠してボタンホールから右側に見えるレンズを覗かせ撮影するそうです』というカメラでこんな形をしている。

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 円形状のカメラで、左に見えるのが対物レンズ、右の方に少しだけ見える鎖を引っ張ってシャッターと乾板を回転させるのだろう。

 では『“最初のパパラッチ”によって撮影された、19世紀の人々をご覧ください』というのをいくつか見てみよう。

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 うーん、これってパパラッチって言うほどの写真なんだろうか。

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 って言うか、上の二枚の同じ女性って、完全にカメラを意識しているもんなあ。

 確かにカメラはパパラッチ用のカメラを使っているが、実際に撮った写真は決して隠し撮りじゃなくて、堂々と撮っている。っていうか、なんでそんなカメラで撮ったのかがよく分からない。

 まあ、ウル・ライカが出る27年も前の話しなので、別にライカで充分じゃないってツッコミは無理なんだが。まあ、あんな小さなカメラで結構よく写っているのにはむしろ感心、感心。

「らばQ」のサイトURLは http://labaq.com/

2018年1月 9日 (火)

浅草ホッピー通り雑景

 浅草の伝法院通りの出口あたりから花屋敷へ向かう一筋の道を、いまは「ホッピー通り」と呼ぶらしい。

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 以前は「飲み屋横丁」とか「煮込み通り」と呼ばれていた。私は「飲み屋横丁」の方は知っていたが、「煮込み通り」っていうのは知らなかった。

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 まあ、「飲み屋横丁」なんで、真昼間っから行って、初めは「とりあえずビール」ってなもんで、普通みんなビールを注文するのだが、当然ビールより安いホッピー(昔は「ホッピービール、ホッピービアー」って言ったんだけどなあ)の方をはじめっから注文する人が多かったので、いつしか「ホッピー通り」という呼ばれ方になったらしい。

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 基本的にはこんな感じの店先まで張り出してきた場所でお酒を飲んでいる人たちがいるんだが、まあ、今みたいな寒い季節にはビニールの幌が下りている。

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 季節がよくなってきたらこの幌は外されるんだけれども、夏になると今度は暑いので、エアコンを効かせるために、またまた幌がおろされる。

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 まあ、浅草には昼からお酒が飲める場所はいくらでもあるんだが、ここホッピー通りはそんな中でも一番有名な場所ではあります。

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 できれば「飲み屋横丁」という名前を復活させて欲しいんだけどね。「ホッピー」という名前に、若干、商業臭さが残るんだよなあ。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Asakusa Taito ©tsunoken

 

2018年1月 8日 (月)

大泉の面白い家

 久しぶりに以前住んでいたことのある練馬区東大泉へ行った。

 で、以前住んでいた時から、なんか変わった家だなあとは思っていたんだが……。

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 いやあ、昨日久々に行ってみたらこんなことになっていた。

 人形やら、フィギュアやら、お面やら、トランプ大統領や安倍晋三氏のゴムマスクなんてのもある。マツコ・デラックスも並んでいるけれどもね。

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 グルリと回ってみると、あれっ? ここって以前は駐車場だったところだよなあ、って場所まで人形なんかが並んでいる。それもどこのオッサンだかわからない男と日本髪のオバサンの人形とか……。

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 う~ん、練馬の方って、結構こんな感じの家が多かったりして、一年中、屋根の上からグーフィーみたいなサンタクロースが家の中に忍び込もうとしている家やら、駐車場いっぱいにクリスマスの飾りつけをしてしまっていて、その間、クルマはどこに置いてあるんだろう? っていう家があったりしていた。

 まあ、それだけ練馬の方が土地に余裕があるってことなんだろうなあ。

 その辺だけは、文京区に住んでみると羨ましい。

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FujiFilm X10 & NIKON Df SIGMA DG 150-500mm f5-6.3 APO HSM @Higashi Oizumi Nerima & Hon Komagome Bunkyo

 

2018年1月 7日 (日)

ネタがないときは浅草へ行けっ……てか?

「ネタがないときは浅草へ行けっ」って、誰が言ってるんだ?……ああ、俺か。自分で言ってりゃ世話ないや。

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 っていう訳ではないけれども、昨日は日本医大付属病院にちょっとした用事があって行った帰りに、千駄木三丁目から浅草寿町行きのバスに乗って浅草まで行った。

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 もう何度も行っている浅草なんで、別に「行くたびに、新しい発見がある」なんてことはないし、いつもの見慣れた風景があるだけなんだが……

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 まあ、ポイントはそこを歩いている人たちなんだよな。うーん、この突然カメラに気が付いてポーズを構えている、カメラを提げたおじさんってのも面白いよね。

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 歩いている人たちは、毎回毎回来るたびに違った人が歩いているわけで、それはつまり私とその人たちとの浅草に来る回数の違いなんだなあ。

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 多くの人たちにとっては、浅草っていうのは「滅多に来ない場所」なんで、つまり「ハレ」の場所なんである。でも、私にとってはしょっちゅう来る場所であり、別に「ハレ」でもなんでもない、「ケ」の場所なんであります。

 で、浅草に行けば何となく撮りたい人たちがいるっていう訳です。

 なので、別に「なんかなあ……」って、あまり写欲が湧かないときは浅草に行けば、いいリハビリになるっていう訳。

 ありゃ、これも「リハビリ日記」だったっけ?

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 で、掲載している写真の中に浅草じゃない写真が一枚あります。どれでしょう?

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @○○○○ ©tsunoken

2018年1月 6日 (土)

人は何故ライカを愛でるんだろう?

「人は何故ライカを愛でるんだろう?」なんて言っても、愛でているのはごく一部のカメラマニア、それもライカマニアか単なるお金持ちだけだってことぐらいは知っているんですけれどもね。

 つまり、「人は何故ライカを愛でるんだろう?」じゃなくて、単なる「私は何故ライカを愛でるんだろう?」ってだけのこと。「ライカなんて知らないよ」っていうカメラマニアは一杯います。

 なので下の写真のような銀座東急プラザの裏にあるライカカメラ銀座(製品ショールームと作品展ショールームもあります。結構、落ち着ける場所ですよ。別にライカを持っていなくても)なんてのも、知っている人は少ないことぐらいは、知っています。

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 こちらが現在私が使用しているライカM6。

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 以前は、ライカM3、ライカM5、ブラックのライカM6の三台のライカを持って、使いまわしていたんですけれどもね。

 結局、私の一眼レフ遍歴がデジタル一眼に気をとられて、いつの間にかライカはすべて手放してしまったんです。まあ、売ったり買ったりするのがカメラマニアの一種の習い性なんですね。買ったり、買ったりだったら、それは単なるお金持ちっていうだけなんで。そう、このライカM6は以前持っていたブラック・ライカM6とは別の個体。

 つまり、まあ私が「単なるお金持ち」でないことは、これで証明できたわけなのですが、だとすると身の程もわきまえない「単なるライカ馬鹿」ってことなんでしょうか。

 何をやっているんだか。別に田中長徳氏の本に感化されたわけではないんだけれどもなあ。

 下の写真が現在のライカシステムで使っているレンズ。

 右上からフォクトレンダー・カラー・スコパー21mm f4、ライツ・エルマリート28mm f2.8、コニカM-ヘキサノン 50mm f2、ライカ・ズミクロン35mm f2というレンズ群。これも以前から持っていたレンズは28mmと35mmだけ。

 まあ、こっちも売ったり買ったり、いろいろありました。

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 結局、ニコンNew FM2から始まった私のカメラ遍歴は、ニコンF4まで行ってから、何故かライカに寄り道して、その後、デジイチに修正。しかし、ふたたびアナログ写真に戻ってくるとライカ熱再燃っていう感じなんでしょうか。

 私のニコン一眼レフ遍歴は、New FM2→F4→D50→D70→D7000→Dfでまあ完成(今のところ)。

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 大体、現在メインで使っているニコンDfは、ほとんど「絞り優先モード」で撮影している。ということは現在もライカが作っている唯一のアナログカメラ、ライカM7と(オートフォーカス以外は)同じ使い勝手ということになる。だとしたら、Dfの図体の大きさに比べてコンパクトなライカの良さよってことになってしまうんですなあ。

 結局、コンパクトだからライカがいいのか? っていう話になると、それじゃあコンパクト・デジタルで充分じゃないか、っていう話になってしまう。

「いやあ、コンデジじゃあ、押し出しが弱いから」ってところで、私がヘボ・カメラマンだっていう馬脚をあらわしているっていう訳で、腕のダメなところを(それらしい「見てくれ」の)機材でカバーっていうことがばれてしまいました。

 まあ、そんな感じでたまにライカで撮った画像を(偉そうに)ブログでも発表していきますので、我慢してお付き合いの程、よろしくお願いいたします。

 まあ、Dfで撮ってもM6で撮っても、結局は同じなんですけれどもね。撮ってるヘボ写真は。

 

2018年1月 5日 (金)

1月4日はまだ「はんかくせえ」か

「はんかくせえ」って言ったって、別に北海道弁の「はんかくさい=ばかばかしい」という意味じゃなくて、普通に私たちが使っている標準語なのである。

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「はんかくせえ=半覚醒」なんであります。つまり、まだまだ完全に目覚めていない状態を表した言葉。1月4日は官庁の御用始めなんだけれども、実際に1月4日から動いているのは、お役所と金融機関、一部のサービス企業だけ。東証はご祝儀相場でわいているけれども、世の中のデフレ基調は変わらず、どうなるんでしょうねえこの一年。

 その他の製造業などの企業はまだまだ冬休みが続いていて、まだ会社としては目覚めていない状態=半覚醒なんであります。

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 街を歩いていても、まだまだオープンしていない会社は沢山あるし。まだまだ「死んだ町」状態ではある。まあ、死んだわけではなくて、お休みしているだけなんですけれどもね。う~ん、なんか気持ちがいいですね。こんな、人っ子一人いない街って。

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 でも、数少ない1月4日から始まっている機関としては、そうか保育園なんかがあったのだ。でも、ということはその親たちはもう既に仕事が始まっているんだなあ。

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 いかんいかん、出版社なんて浮世離れしていた会社に定年まで勤めた私の方が、実はすっかり浮世離れしていたってことなんですね。

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 でも、1月4日から出社したって、5日は金曜日だし、つまり二日出社したらもうお休みですか。だったら、週末二日は休暇をとっちゃえば? なんてのは「毎日が日曜日」男のタワ言でしかないのかなあ。

 でも、皆が皆、そうやって休みを取るようにすれば、もう少し世の中も変わってくるんじゃないか、なんてことも考えているんだが……。

 そんなの甘い! ってか?

NIKON Df AF Nikkor 35mm f2 D @Bunkyo ©tsunoken

2018年1月 4日 (木)

大手町 強者どもが 夢の跡

 今日は1月4日、今日から仕事始めっていう人は多いんだろう。私が勤務していた出版社は1月5日が始業日で、なんか少し他の人に対してトクした気になっていたりした。

 ただまあ、出版社なんてのは雑誌編集部以外は正月なんて暇なもんで、会社に行っても仕事はまだなくて、取り敢えず日がな一日時間つぶしをして、就業時間まで待って、酒を飲みに行くってのが1月5日の仕事のありさま(?)だったりした。

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 でも、このブログを書いているのは1月3日の夜なので、取り敢えず1月3日のことを書きます。っても、この日にあるイベントと言えば、箱根駅伝の2日目とライスボウルくらいなもので、東京ドームのチケットを持っていなかった私としては、箱根駅伝を見に行く以外にやり過ごすテはない。

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 でその箱根駅伝(正式名称は「東京箱根間往復大学駅伝競走」)で1920年の第2回大会から出場し、その後、第6回大会から第92回大会まで87回連続出場(最多出場)し、本選出場数91回(こちらも最多)、優勝回数15回という輝かしい記録を持つ名門チームってどこの大学だか知っていますか?

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 なあんてことを聞かなくても知っていますよね? そう、わが中央大学なんであります。ところがその中央大学、89回大会で途中リタイアしてしまい、翌年は予選会に出場しなければならないハメになってしまい、その後は予選会の常連校となり、昨年(第93回大会)は予選会も通らずに学連選抜での本戦出場となってしまいました。

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 今年はなんとか予選会を3位で通過し、大手町から芦ノ湖畔まで走る往路では10位にもぐり込み、今年こそシード権を取り戻せるかも……なーんて期待もむなしく、10位は中央大学ならぬ中央学院大学、以下、順天堂、駒沢、神奈川、国学院の次に位置する15位に終わってしまった。

 中央大学の応援団の皆さん、ご苦労さんでした。

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 まあ、勝負である以上、勝ち負けは付き物だし、それはやむを得ないこと。ただ、「駅伝」っていう競技自体が持つ「団体精神」ってのが、本当のところ私には理解できない。っていうか、理解するつもりはない。

 嫌になったら止めちゃえばいいし、それで誰に迷惑をかけるわけでもないマラソンの方が好きだな。な~んてこと言ってるOBがいる学校が、駅伝で勝てるわけないって? うーん、そりゃそうかも。

 でも、駅伝っていかにも日本らしい集団主義のスポーツですね。「襷を繋ぐ」だとか「出られなかった仲間のために走る」だとか、なんかお尻の穴がムズムズしてくるような「感動噺」が日本テレビから聞こえてきます。

 まあ、いかにも讀賣らしいって言っちゃえば、讀賣らしいけどね。

NIKON Df AF Nikkor 50mm f1.8 G @Babasakimon Otemachi Chiyoda ©tsunoken

2018年1月 3日 (水)

正月は 何にもなくて 当たり前

 昔、つまり私が子どもの頃だから、今から55年位前は、正月っていうのは街に出ても店なんてどこもやっていない、何もないのが当たり前だった。

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 デパートだって普通は1月3日位から開店だし、池袋西武百貨店が1月2日に福袋を売り出すってのがニュースになるほど。今は元日からやっているけれども。

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 コンビニなんてのも当然ないわけで、全然、コンビニエントな町ではなかったのであります。セブンイレブンが「開いててよかった」というCMでもって、正月営業を宣言したのはいつの日か、もうそんなの忘れたくらい昔のお話しだったってことですね。

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 最近になって大戸屋とか正月休みをとるのがニュースになったりしたんだけれども、そんなの当たり前でしょ、だって「藪入り」なんだもの。

 なあんて言っても、「藪入り」なんて言葉自体が鍵括弧付きで表現しなければならないほど、死語扱いになってしまっているわけですね。えっ? 「藪入り」の意味だって? そんなの自分で調べてください。

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 というようなわけなので「正月は 何にもなくて 当たり前」なんて下手くそな川柳を詠んでみたんだが、まあ、正月休みっていうのは、まだ子供だった私たちにとって退屈極まりない休みだったんだ。

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 まあ、正月手当と売り上げの関係で言ったら、基本的にどんな業種が正月営業をやるのに相応しいか分かるはず。

 ということで、どこに行っても店は開いていないし、何にもないがらんどうの街っていう正月風景っていうものが当たり前だっていうことを、皆さん再認識しましょう。

Fujifilm X10 Fujinon 7.1-28.4mm f2-2.8 @Hon Komagome Bunkyo ©tsunoken

2018年1月 2日 (火)

『東京スリバチ地形入門』

「スリバチ地形」っていうから、てっきり「四方を坂道に囲まれた」まさしく「スリバチ状」の土地かと思って読んだんだが、さすがにそういう地形は少なくて、そうではない丘と谷で挟まれた地形を「スリバチ地形」と呼ぶそうだ。

『都内を歩きまわるうちに、三方向のみならず四方向を丘で囲まれた、正真正銘のスリバチ地形、クレーターのような窪地がいくつみ存在していることが分かってきたのだ。東京スリバチ学会では、このような四方向を囲まれた窪地を「一級スリバチ」と呼ぶこととし、以後、観察と記録を続けている。これは、自然の河川が作る谷地形(河谷)ではありえない特殊な形状だ。対して、私たちが最初に注目したような三方向を囲まれた窪地を「二級スリバチ」、両端を高い崖に囲まれた谷を「三級スリバチ」と名付け、分類することとした』

 うーむ、なるほどねえ。しかし、残念ながらこうした一級スリバチはそれほどあるわけじゃなくて、新宿区荒木町あたり、港区白金台4丁目、渋谷区初台・幡ヶ谷・笹塚、更に武蔵野台地に点在する「ダイダラ坊の足跡」という不思議な窪地があるらしいが、本書で触れているのはこれらの場所だけで、あとは全て二級・三級スリバチばかりだ。

 まあ、それなら私もよく知っている「スリバチ」なんだなあ。

Photo 『東京スリバチ地形入門』(皆川典久+東京スリバチ学会著/イースト新書Q/2016年3月20日刊)

『東京は大きく「山の手」と「下町」に分けられる。「山の手」とは皇居よりも西側の武蔵野台地に広がるエリアを指し、「下町」とは皇居東側の平野部(低地部)を言う。地形の成り立ちでいえば、関東ローム層が積もってできた洪積台地が「山の手」で、隅田川や荒川の氾濫原であるデルタ地帯の巨大な沖積地が「下町」なのだ』

 というのはよく知っている。特に「文京区本駒込」という、武蔵野台地の東端に住んでみると、どこに出かけるにも坂道を往かなければらなないために、いやでもそうした丘の上と下の町の往還というものに付き合わされるし、武蔵野台地方面を歩いていても、途中で台地の丘を切り裂く川や川の足跡(大半は暗渠になっている)に付き合わされて、いやでもそうした「山の手」と「下町」の存在を意識させられる。

 面白いのは「スリバチの第一法則」「第二法則」というのがあるっていうことなんだ。

『ここで注目してほしいのは、地形の高低差を強調するように建物が建ち並んでいる様子である。すなわち、谷底の先端部では主に木造の低層建物が軒を並べ、斜面地には中層の建物が階段状に連なり、丘の上では高層の建築物が高さを競い合うという都市景観を呈していることだ。土地の起伏を強調するかのように建物が立ち上がり、都市のスカイラインが土地の起伏を増幅している。このような現象は港区や新宿区など、都心部の様々な場所で観察でき、東京スリバチ学会ではこれを「スリバチの第一法則」と呼んでいる。

 また住宅地でも、丘の上に中高層の「集合住宅」が建ち並び、低地では、低層の「住宅が集合」している場面をしばしば見かける。
 この現象も、「スリバチの第一法則」の延長線上にあり、地形に呼応した都市の成り立ちを想わせる光景と言えるだろう』

 もうひとつは

『道は比高10mほどの断崖で行き止まりとなり、丘の上の大規模公共建築が、麓の低層高密度の住宅を見下ろしているかのようである。
 この事例から分かることは、台地と低地は断崖で隔てられ、丘の上の町と谷の町は連続していないということだ。関東ローム層が作り出した断崖という地形的特色は、2つの世界が無関係に隣り合うような、独特な町の構成を生む要因になっているのだ。地形の断崖がそのまま町の境界となり、町が不連続となる様相を、我々は「スリバチの第二法則」と呼んでいる。谷から丘へ登る道はごく限られているので、スリバチ探索中に谷間の迷宮に嵌り込み、出られなくなることを「スリバチに嵌る」とも言う』

 では、そんな丘の上の町と谷の町の関係性って、もともと何だったんだろう? つまり、それは江戸の町づくりの延長戦にあるというのだ。

『身分・階級による棲み分けが行われていた封建制度の江戸時代、山の手台地(洪積台地」は武士の生活空間(武家地)で、下町(沖積平野)は商人や職人の住む生活空間(町人地)であった。
 山の手台地に割り当てられたのは、主に大名屋敷や武家屋敷。大名屋敷の中には、谷地を取り込んで庭園の一部に活用したものもあった。幕藩体制が崩壊し明治の世になると、その跡地は近代国家の首都・東京に必要な都市機能を盛り込むための、格好の器となった。政府関係の機関や各国の大使館、そして学校や病院など大規模な施設が、広大な敷地に、再開発ではなく「置換」という形で次々と建設され、新時代への対応が円滑に成し遂げられた』

『山の手の台地に刻まれた谷地や窪地は、その多くが沼沢地あるいは湿地であったため、江戸初期では主に水田に利用されていた。その後、都市の発展、特に「明暦の大火(1657年)」以降の江戸の拡大に伴い、谷地や窪地は組屋敷(下級武士の屋敷)などに利用されていった。河川に沿った農耕地がスプロール化(無秩序な拡大)して町人地になった場所もあった』

『台地上では大きな面積の区画割に応じて、時を経るにしたがい建物が高層化されていき、一方、谷地では、小区画のまま小規模建物が建て替えられていくという対照的な現象(スリバチの第一法則)は、都市の発展の「方向性」を示しているとも言える』

 という東京の地形を頭に入れて東京探索をするのもよい、あるいはまた、本書に収められた34以上の地点を、改めて確認するための旅に出るのもよい。

 更にいってしまえば、こうした「スリバチ学会」の活動はタモリと山野勝氏が作っている日本坂道学会とリニアにつながるわけで、その二つの学会の報告を見比べながら現地探索に赴くという、楽しみ方もあるわけだ。

 私は坂道は「下り」は好きだが「上り」は、自転車、歩行ともに嫌いである。がしかし、住んでいるところが住んでいるところなので、坂道とは嫌でも付き合わなければならない以上は、坂道とお付き合いしながら、そろりそろりと参ろうじゃないかってなもんで、毎日歩いている。

 結構、楽しいです。これが……。

 いやあ、坂道も……、なかなか粋なもんですねえ。

『東京スリバチ地形入門』(皆川典久+東京スリバチ学会著/イースト新書Q/2016年3月20日刊)

2018年1月 1日 (月)

明けまして、おめでとうございます

   新年 明けまして おめでとうございます

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 って、もう既に60回くらい書いているわけだ。結構、長い人生ですね。もう66歳だもんなあ。

 ということで……、去年のtsunokenのブログの振り返り。

 総エントリー数は338本。

 3月18日と7月12日は、どうも書くのに間に合わなかったようで休み。6月11日から13日までの3日間は6月に入院してカテーテル治療を行った時。10月29日から11月6日までの9日間と11月8日から11月20日までの13日間、合わせて22日間は心臓冠動脈のバイパス手術を受けて、その後の入院期間だ。合計27日間がブログの更新はお休み。

 365日から27日間休んで338本が総エントリー数ってわけ。

 一年間の総ページビュー(PV)は145,611PV。つまり、上記のお休み期間も一日200~300PVほどを数えている。まあ、「今日は更新しているかな?」という具合に取り敢えずポチッしてみた人が多いってことですね。まさしく、ありがたいこってす。

 で、一年365日の平均PVは約400。うん、まあ一昨年に比較して伸びているわけでもないし、減っているわけでもない。というか、お休みの数が多い割には減っていない、というべきか一日約400PVっていうのは、一昨年と変わりがないのでした。

 本について書いたのが全部で70本(一昨年は107本)、内Kindle版で読んだのが50本(一昨年は102本)なので、紙の本で読んだのが昨年は20本と、若干だが紙の本が増えている。まあ、一つには写真集が多かったっていうことなのかなあ。しかし、それにしても少ない!基本的に平日は写真を撮りに外に出てしまい、その途中で本を読んでいるのだが、移動時間が少ないせいか、基本的に平日は写真、週末が本ってな感じになっている。若干、遠くに出かけて移動時間を持つようにして、なんとか紹介する本を三桁の数にしたいものだ。

 映画の紹介数は7本(一昨年は5本)って、なんかあまりにも少ない! いかんなあ。 いかん、いかん。もっと増やさねば、って去年も言ってたなあ。今年はポレポレ東中野とシアターイメージフォーラムのサイトを「お気に入り」に入れておいて、基本的にドキュメンタリーは何とか見るようにして、最低でも50作くらいの数は紹介するようにしたい。

 という感じで、今年もブログは「生きているうちは」続けますので、今年もよろしくお願いいたします。

 ということで、今年も六義園は元日はお休み。二日以降は例年通り、以下の催しがあります。

(1)神田囃子・寿獅子
   平成30年1月2日(火)
   10時30分・13時30分(各回30分程度) ※雨天中止
   場所:しだれ桜前広場
   出演:神田囃子 千四会

(2)獅子舞と貫井囃子
   平成30年1月3日(水)
   10時30分・13時30分(各回30分程度) ※雨天中止
   場所:しだれ桜前広場
   出演:目黒流貫井囃子保存会

 明日からは、奮ってお越しを……ちょっと、寒いかなあ。

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