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2017年10月24日 (火)

レイモン・ドゥパルドン『さすらい』はどこか懐かしい感じのエッセイだ

 巻末に収められている「年譜」によれば「2000年 フランスのヨーロッパ写真美術館で初の大きな個展「回り道(Detours)」が開催される。『回り道(Detours)』と『さすらい(Frrance)』の2冊の写真集が出版される。この年のナダール賞を獲得」とあり、「2012年 彼が主役の映画『旅する写真家――レイモン・ドゥパルドンの愛したフランス(Journal de France)』をクローディーヌ・ルガレと共同監督、カンヌ国際映画祭のコンペ外作品部門で公式上映される。その後6月に劇場公開。同月、フランス・オランド大統領の公式ポートレートを撮影」となっている。

 最初はこの本と映画が「対」になっている作品なのかと思ったのだが、どうもそうではなく、写真集「さすらい」はそれまでのドゥパルドンの撮影行についての考え方の集大成であり、「旅する写真家」はその本をもとにしたエッセイ映画のようなもの、という考え方になるのではないだろうか。

Erance 『ERRANCE(さすらい)』(レイモン・ドゥパルドン著/青山勝・国津洋子訳/赤々舎/2017年9月1日刊)

 写真撮影者(カメラマン、フォトグラファーから一般カメラマンまで含んだすべての写真者)にとって「さすらい=流離いながら行く撮影行」というのは、ある種の自らの撮影スタイルの理想的な姿であるだろう。そうした理想的なスタイル「さすらい」への憧れに満ちていながら、しかし、現実的にはそれは「行方定めぬ『彷徨』(さまよい)という理想郷とははるかに遠い、誰かクライアントのいるアサインメントの仕事だったりする、その「理想と現実の乖離」といったものについて延々と語っているのが本書『さすらい』であり、その一方、既にかなりの部分で理想の形に近づきつつある「流離い=彷徨い」の姿を、昔の自分の姿と比較しながら語ったのが映画『旅する写真家』なのではないだろうか。 

Photo

『写真家というものは不満を抱きながら仕事をしている。1日に500枚の写真を撮ったとしても、それはたとえば、125分の1秒の500倍にしかならない。全部足してもおそらく2秒ほどにしかなからいだろう。
 写真には、24mmx36mmというフォーマットがある。これは途轍もなく優れたフォーマットで、非常に使いやすい。むしろ安直といえるほどだ。20x25cmという大判のフォーマットもある。こちらはまず対象を眺め、その都度フィルムを装填し、倒立した像を見なければならない。『さすらい』に関しては両者の中間を選んだ。8カット連続して撮れるカメラだ。このカメラでは、光が強くないとうまく撮れない。したがってこれは、強い光のもとでのさすらいである。さすらいは戸外でなされるものだと思うからだ。だが、いま振り返ってみるとき、私にはあの写真家につきものの不満が湧いてくるように思う。今度は24x36mmのライカと50mmのレンズを1本持って旅立ち、世界中を歩きまわろう。そんなことを思ったとしてもなんら不思議ではないだろう。だが、24x36mmであまりに安直な写真を撮りたいわけではない。また、お互いになんの関係もない人々を比較したいわけでもない。私が比較できるのは、ただひとつ、物事を見る私なりのやり方だけだった。いったい、アジアにいるとき、アフリカにいるとき、アメリカにいるときで、それぞれ私のものの見方(ルガール)に違いがあるのだろうか?アフリカに行ってはっきりわかったことがひとつあった。残念だが、私はアフリカ大陸をあまりに知りすぎている、ということだ……アフリカはこの旅の、このさすらいの被写体(シュジェ)にはならなかった』

 とドゥパルドンがこう書くからといって、職業的な写真家がそうである以上、私たちのようなアマチュア・カメラマンが被写体に迫れないことを正当化するつもりはない。撮影主体と被写体(客体)とが一致することなどありえない話なんだけれども、でも、どこかで自らの被写体である「人々」と、撮影者である自分との一体感を感じてしまう一瞬というものがあるということであり、しかし、アフリカ大陸ではそれが叶わなかったというのがドゥパルドンの経験だったということなんだろうか。

 この写真集の面白いところは、見開きページの右側に横書きでドゥパルドンの延々たるエッセイが書かれており、右ページには縦位置でモノクロ写真が並べてあるんだが、当然のように「右ページと左ページは、まったく関係のない関係にある」ということなのだ。約70葉の写真のうち125ページからの10ページが日本で撮影した写真である。

 電柱や電線がそこいらじゅうを走り回っているというのがドゥパルドンにとっての「日本の風景」なのかもしれないが、しかし、街は都心から始まって次第に電柱の姿が減ってきている。街から電柱が(ほぼ)消えた頃にドゥパルドンが再び来日して、そこに何を見るのかが楽しみではある。

 で、このエッセイ集とも写真集とも言えない(言える)本については、まだまだ語りつくせないものがたくさんありそうなので、これからも何度か取り上げていきたい。

 まあ、このフランスらしい『「延々たるエッセイ」風の小説』って、ああそうだ、ゴダールの映画なんだなあ。何故か懐かしい感じがするのは、そのせいか。

R11984922 RICHO GRD @Ikebukuro ©tsunoken

『ERRANCE(さすらい)』(レイモン・ドゥパルドン著/青山勝・国津洋子訳/赤々舎/2017年9月1日刊)

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