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« 「渡し」つながりではないけれど…… | トップページ | 旧・新橋ステイション »

2017年10月19日 (木)

矢口の渡しのそばに新田神社というのがあるんだが

 東急多摩川線の矢口渡の次の駅が武蔵新田駅である。

 私はこれを「むさししんでん」と読んで、どこかこの辺に新しく田んぼを開拓した人がいて、それにちなんでできた地名だと思っていた。が、そうではなく、新田義貞の子新田義興にちなんだ「新田神社(にったじんじゃ)」というのが駅のそばにあり、それ故に「武蔵新田(むさしにった)」という駅名になったのである。

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『正平13年(1358年)10月10日、江戸氏の案内で多摩川の矢口の渡から舟に乗り出すと、舟が中流にさしかかる頃、江戸・竹沢らにいいふくめられていた渡し守は、櫓を川中に落とし、これを拾うと見せかけて川に飛び込み、あらかじめ穴を開けておいた舟底の栓を抜き逃げました。舟はだんだんと沈みかけ、ときの声とともに、川の両岸より江戸・竹沢らの伏兵に矢を射かけられ、あざむかれたことを察し、義興公は自ら腹を掻き切り、家臣らは互いに刺しちがえたり、泳いで向こう岸の敵陣に切り込み、主従14名は、矢口の渡で壮烈なる最後を遂げられました』

 という矢口の渡しにちなんだ昔話があるそうだ。

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 昨日の東八幡神社にある「矢口の渡し跡」には大田区が作った碑文がある。

『大田区文化財   矢口の渡し跡
 新田義興が, 矢口の渡しで 延文3年(1358)討死したといわれるころの渡し場は, 現在の新田神社付近であったと思われ, 多摩川は, 今より東へ大きく 迂回していたと考えられる。
 江戸時代に, 平賀源内により 戯作「神霊矢口渡」がつくられ, 歌舞伎に上演されるに至り, この渡しは有名になった。  渡し場は, 流路の変遷と共に, その位置をいくたびか変え, この付近になったのは, 江戸中期からであると考えられる。
 この渡しは, 区内最後の渡船場として 昭和24年(1949)まで存続した。
   昭和50年3月19日指定   大田区教育委員会』

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 つまり、元々の矢口の渡しはこの新田神社のそばにあったらしく、江戸中期になっていまの東八幡神社の場所に移ったらしい。

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 まあ東八幡神社も新田神社もそんなに離れていないので、当然、川の流れの変化とともに場所を移動するってこともあるだろう。

 それより何より面白いのは、この新田神社が「破魔矢」発祥の地らしいのである。

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『平賀源内の矢守
宝暦年間(1751年〜1764年)の末頃、『宝暦末より矢口新田社に参詣多し、社地に矢を売始、詣人求めて守りとす』との記述が見られ、義興の矢と称して門前の茶店で売られたものをヒントに、平賀源内が新たに魔除けとして考案したという。御塚の外には決して生えないという不思議な篠竹を用いて五色の紙で矢をつくり、新田家の旗印を付けた「矢守」は正月の名物となったという。参拝客は2本の矢を買って1本は神殿に供え、もう1本を持ち帰って魔除けにした。これは新田家伝来の「水破兵破」の二筋の矢に由来している。後にこの矢守が全国に拡がり「破魔矢」の元祖となったという』

 うーん、「土用のウナギ」といい、破魔矢といい、平賀源内さん、いろいろなところに顔を出す人だなあ。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f1:2 D @Yaguchi Ota ©tsunoken

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