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2017年9月15日 (金)

『ニッポンの奇祭』って、本当に「奇祭」なの?

 小林紀晴といえば、アジアで長いこと暮らしている、というかアジアの旅人のはずがいつの間にか旅人じゃなくなってしまった日本人、というかあるいは日本人バックパッカーに取材した『アジアン・ジャパニーズ』という、「写真+エッセイ」集が有名というか、多分、それが小林氏の、フリーとしてのデビュー作ではなかったのだろうか。

 その後、自らを主人公にしたような『写真学生』という小説(?)をものしたと思ったら、自分の生い立ちに大きな影響を与えた「諏訪の御柱祭」に材を撮った写真集で一躍有名になった写真家である。

 その小林氏が、御柱祭以外の日本の祭り(それもいわゆる「奇祭」と呼ばれているもの)を追いかけて作った「写真+エッセイ」集が、この『ニッポンの奇祭』である。まあ、初めから「奇祭」って言っちゃってるところが、ちょっとアレですけれどもね。

Photo 『ニッポンの奇祭』(小林紀晴著/講談社現代新書/2017年9月1日電子版刊)

 材をとった「奇祭」は以下の通り。

一 御柱祭/長野県諏訪地方
二 バーントゥ/沖縄県宮古島
三 ショチョガマ・平瀬マンカイ/鹿児島県奄美大島
四 ケベス祭/大分県国東市
五 銀鏡神楽/宮崎県西都市
六 椿山虫送り/高知県仁淀川町
七 大野の送神祭/埼玉県ときがわ町
八 テンゴウ祭り/埼玉県秩父市
九 脚折雨乞/埼玉県鶴ヶ島市
十 蘇民祭/岩手県奥州市
十一 相馬野馬追/福島県相馬市、南相馬市
十二 木幡の幡祭り/福島県二本松市
十三 和合の念仏踊り/長野県阿南町
十四 道祖神祭り/長野県野沢温泉村
十五 新野の雪祭り/長野県阿南町
十六 御射山祭/長野県富士見町

 以上の16の祭りなんだが、こうして眺めてみると、まあ世間に知られているということもあって、諏訪の御柱祭なんかは既に奇祭でもなんでもなくて、ごく普通の祭りに思えてくるから不思議だ。

 小林氏の祭りに向かう姿勢は以下の通り。

『諏訪は古くから狩猟採集の縄文文化が根強い地で、反ヤマト的な地といわれている。その影響で遅くまで稲作が行われなかったという説がある。むしろ稲作を最後まで拒んだともいわれている。それを『古事記』から読み解くこともできる。「国譲り」で大国主神は天照大神に国を譲ることを迫られる。そのとき大国主神の息子である建御名方神が激しく抵抗する。建御名方神は天照大神の使いである建御雷神と戦うが敗北し、出雲を追われ命からがら諏訪に逃げ、諏訪明神となるのだが、それ以前から諏訪には別の神の存在があった。洩矢と呼ばれる、縄文の流れをくむ土着の神だ。土地の精霊的な存在である(ミシャグチ神と同一とされることもある)。』

『普段は八ヶ岳の奥に息を潜め、古代以前の古層から密かに住み続けている縄文人、あるいは山岳少数民族が六年に一度だけ里に姿を現し、盛大に行う宴が御柱祭のような気がしてくるのだ』

『普段は穏やかでシャイな諏訪人が、人が変わったように祭りに熱狂する。そのさまがいつも気になっていた。それを縄文人、山岳民族の仕業だと考えれば納得がいったし、説明がつく。なによりそう考えれば、カメラのファインダー越しに遠く縄文から連なる古層の人々の姿を、まざまざと感じられる瞬間があった』

 そうか、ここにもあった「縄文人vs.弥生人」というものを対立する日本人の原像に対する概念と捉える考え方が。

 同じようなとらえ方をしたものに柳田国男の『遠野物語』があって、112段「ダンノハナ」の項にこうある。

『ダンノハナは昔館のありし時代に囚人を斬りし場所なるべしという。地形は山口のも土淵飯豊のもほぼ同様にて、村境の岡の上なり。仙台にもこの地名あり。山口のダンンハナは大洞へ越ゆる丘の上にて館址よりの続きなり。蓮台野はこれと山口の民居を隔てて相対す。蓮台野の四方はすべて沢なり。東はすなわちダンノハナとの間の低地、南の方を星谷という。此所には蝦夷屋敷という四角に凹みたるところ多くあり。その跡くわめて明白なり。あまた石器を出す。石器土器の出るところ山口に二ヶ所あり。他の一は小字をホウリョウという。ここの土器と蓮台野の土器とは様式全然殊なり。後者のは技巧いささかもなく、ホウリョウのは模様なども巧みなり。埴輪もここより出づ。また石斧石刀の類も出づ。蓮台野には蝦夷銭とて土にて銭の形をしたる径二寸ほどの物多く出づ。これには単純なる渦紋などの模様あり。字ホウリョウには丸玉・管玉も出づ。ここの石器は精巧にて石の質も一致したるに、蓮台野のは原料いろいろなり。ホウリョウの方は何の跡ということもなく、狭き一町歩ほどの場所なり。星谷は底の方今は田となれり。蝦夷屋敷はこの両側に連なりてありなしという。このあたりに掘れば祟りありという場所二ヶ所ほどあり』(岩波文庫版より)

 柳田国男は官吏であるから、決して「蝦夷vs.大和」「縄文vs.弥生」という対立構図は持ち込まないものの、やはり「日本人の原像」というテーマになると、現代人へと続く「弥生人、大和人」というものが決してリニアに現代へとは繋がっていないという点に注目する。

 やはりそこには「狩猟vs.農耕」「蝦夷vs.大和」という、それは歴史が進んでいく過程ではやむを得ない変化なんだろうけれども、ある種のノスタルジーと共に語られていくもんなのだろう。そして、古くから伝えられている「祭り」という「民族の意匠」の中にそれを発見しようとする、やむを得ない、人々の「思い」なんだろうな。

 はてさて、そうしてみると「奇祭」というものは、本当に「奇祭」なんだろうか、という疑問にブチ当たる。現代人の意匠から言えば、それは奇祭なんだろうけれども、古代からの日本人にとってみれば奇祭でもなんでもなくて、ごく普通に「そこにある祈り」みたいなものなんだろう。

 アジアにいる日本人バックパッカーを、もし最新の日本人の形とみなすならば、やはりその底流には、「奇祭」を信じる原・日本人みたいなものがあるのであり、最新の日本人をみながら、小林氏はそこに流れる原・日本人の「血」を見るのであろうか。

『ニッポンの奇祭』(小林紀晴著/講談社現代新書/2017年9月1日電子版刊)

 いやあ、久々の「本ブログ」でありました。

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