フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« 今日から「社友会作品展」場所は雑司が谷 | トップページ | 社友会作品展三日目と手塚治虫の下宿先って、なんだソレ? »

2017年9月17日 (日)

作品展二日目だが『新しいメディアの教科書』について語る

 今日は講談社社友会作品展の二日目です。

 場所は、「雑司が谷地域創造館」地下一階(東京メトロ新都心線雑司が谷駅2番出口上がってすぐ)です。

 皆様のご来場を係一同お待ちしておりますです。

 で、そんなこととは関わりもなく、今日は佐々木俊尚氏の『新しいメディアの教科書』について語ります。久しぶりだなあ佐々木俊尚氏。

Photo 『新しいメディアの教科書』(佐々木俊尚著/Amazon Publishing/2017年7月14日刊)

 書くのが電子版だろうが、紙版だろうが佐々木氏のスタイルは同じである。つまり、最初に本書の構成を紹介する。

『第一章ではまず、これまでのインターネット広告モデルが生んできた落とし穴と、そこにネットメディアが引きずられてきた現状について解説する。
 第二章では、バズフィードをはじめとした新興メディアがどのような手法で巨大化してきているのかを見る。
 第三章では、この状況に危機感を感じている伝統的な新聞、ニューヨークタイムズの取り組みを紹介する。
 第四章では、記事や動画の制作方法でさえも大きく変わりつつあるということを解説する。
 そして第五章では、新興メディアとSNSの巨大プラットフォームがどのような関係になっているのかを見つつ、これからのメディア空間の可能性について論じる。』

 といっても、結論は簡単。ポイントは第五章。

『「良質なコンテンツ」「配信テクノロジー」「ネイティブ広告」は、メディアが進化していくうえで同時に揃わなければならない三つの重要な要素だ。新しいメディアの「三種の神器」と言えるだろう。

 良質なコンテンツ × 配信テクノロジー × ネイティブ広告

 もしこの要素が欠けているとどうなるか。それを浮き彫りにしたのが、二〇一六年末に日本のインターネットを震撼させた「キュレーションメディア」騒動だった。』

 つまりSNSはプラットフォームではあるけれども、メディアでは「本来」ないはずだ。

『このキュレーションメディア騒動は、二〇一〇年代におけるネットメディアの二つの本質的な不備を浮き彫りにした。
 第一は、それまで多くの人が信頼していたグーグルの検索エンジンの不備が明らかになったこと。そして第二は、ネットメディアのビジネスモデルに内在する構造的な欠陥が明るみに出たことである。』

 グーグルは自身「メディアである」とは公表していないし、自負もしていない。ある種の「プラットフォームとしての中立性」をいかに保つのかということに腐心してきた企業である。それは本来ディー・エヌ・エーだって同じはずだったのだが、どこかで自身が「プラットフォームなのかメディアなのか」を見失ってしまい、いつのまにやら「SNSもメディアのひとつである」と思い込むようになってしまった。そしてメディ企業としての矜持をなんらもつことなくメディアのようなふるまいをしてしまったことに、その原因があるのではないだろうか。

『たとえばグーグルはプラットフォームとして検索エンジンやストアでできる限りの中立を保とうとしているが、アップルはストアでの管理を強め、コンテンツやアプリの思想や品質を問うようになっている。グーグルは本来のインターネット的な企業だが、アップルはそうではない。故スティーブ・ジョブズは創業のころからハードウェアのオープン性を否定し、自社のコンピューターの第三者による改造を拒否し、気持ちの良いUIでユーザーを囲い込んでしまうという理想を描いていた。
 しかし巨大になるプラットフォームが垂直統合を目指すと、それは異様な独占支配を生みだしてしまう危険性がある。同時にプラットフォームは、マネタイズを強固にするために必ず垂直統合の方向へと進みたがる。これは大きなジレンマだ。』

 佐々木氏はプラットフォームがメディアのように振舞ってしまうことに対して、それを受け入れる立場のようだが、やはりそれは難しいだろう。プラットフォームはテクノロジーとともにあり、メディアはテクノロジーとは離れたところにある独自の存在だからだ。

 なんてことを言うと、それはメディアの特権性に対する無謬の思い込みだという批判が出そうだが、しかし、それは本来的には事実であるし、変わることはない真実でもあるのだ。

『一九九五年からの過去二十年のインターネットは、水平分離に向かって進んできた。今後の二十年はコンテンツを制作するメディア企業による新しい垂直統合も広がっていき、水平化と垂直化が同時に進む方向へとむかうだろう。メディアは垂直に文化を統合していき、プラットフォームは水平に基盤を提供していく。その二つの方向は縦横に交わりながら、二十世紀にはなかったまったく新しいメディア空間を創造していくのだ。』

 結局、プラットフォームとメディアは本来的に異なった存在なのであり、それを混同したときに間違いが生ずるっていうわけなんだ。プラットフォーム(企業)はプラットフォームとしての存在の仕方があるし、それをわきまえていれば問題はないのだ。がしかし、問題はそんなプラットフォーム企業の中にいる人間が持つ「メディアへの憧れ」のようなものなのかもしれない。いつしか、プラッフォーム企業の人間の中に芽生えてくるメディア・コンプレックスが自らをメディアであると錯誤し、メディアのように振舞ってしまうんだなあ。

『新しいメディアの教科書』(佐々木俊尚著/Amazon Publishing/2017年7月14日刊・Amazon Publishingなので、当然電子版のみです)

« 今日から「社友会作品展」場所は雑司が谷 | トップページ | 社友会作品展三日目と手塚治虫の下宿先って、なんだソレ? »

」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549500/65719676

この記事へのトラックバック一覧です: 作品展二日目だが『新しいメディアの教科書』について語る:

« 今日から「社友会作品展」場所は雑司が谷 | トップページ | 社友会作品展三日目と手塚治虫の下宿先って、なんだソレ? »

2018年7月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?