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2017年9月

2017年9月30日 (土)

京浜急行上大岡駅

 京浜急行を横浜から、戸部、黄金町、日ノ出町、南太田、井土ヶ谷、弘明寺って過ぎて、だんだん住宅地になってくるなあ、なんて思っていると、突然、上大岡の一大繁華街っていう、なんか突然異世界に紛れ込んだかのような気分にさせてくれる駅にでる。

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 戸部から弘明寺までの「駅の粗末さ(失礼!)」が、突然、ガラッと変わってモダンな駅になってしまい、おまけに駅前の商店街っていうか繁華街も中途半端ではない。

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 当然、町の中心部には京急百貨店があって、そこには鹿島建設の関係かなあ八重洲ブックセンターっていう本屋さんが出店している。

 何故かこの書店と気が合っていた私は、ちょくちょくこの上大岡店にも顔を出していた。

 でも、その頃には結局駅の近所くらいしか立ち回らなかったので、上大岡の街って要は「突然現れた不思議な巨大繁華街」っていうとらえ方しかしていなかったんだが、昨日、久々に行ってみて意外とそうでもない部分が見えてきた。

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 それも当然で、その街に住んでいる人がいなければ駅前の商店街だって成立しないわけで、ちょっと表通りから裏の方に入ってみれば、静かな住宅地が広がっているのだった。

 って、当たり前だよね。

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 で、この川が大岡川といって、黄金町、日ノ出町、伊勢佐木町の脇を流れていて、横浜港に注いでいる横浜名物の川なんですね。当然、川なので蛇行しながら、京急線と並行して流れている川なんで、当たり前なんだけれども、なんか大岡川って気づかなかった。

 っていうか、黄金町辺りで大岡川って言えば、普通、上大岡を思い浮かべるのが当たり前なのか。

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 つまり、京浜急行は大岡川と鎌倉街道に沿って走っているわけなのでした。

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 なんで、そんな当たり前のことに気が付かなかったんだろう。

LEICA M6 Leitz Elmarit-M 28mm f/2.8 @Kamiooka ©tsunoken

2017年9月29日 (金)

結局、総選挙なわけなんだが……

「大儀なき解散」だとか野党はいうけれども、まあ、所詮政治の世界なんてそんなもんで、衆院解散に「大儀」なんてものがあるわけはないのである。初めっから。

 要は「今解散して総選挙に持ち込めば、我が党に勝機がある」と判断すれば解散するし、勝機がないとなれば解散しないっていうだけのことでしかない。まあ、与党総裁が持った「伝家の宝刀」って訳ですね。

 ただし、ちょっとこの伝家の宝刀は簡単に抜きすぎる。というか「あっ、もうそろそろ抜きますね」なんてマスコミに言われて、そのまんま抜いちゃうなんて、まあ、軽い伝家の宝刀ですね。めったに抜かないからこそ「伝家の宝刀」であるし、力を持つんだけれどもなあ。

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 しかし、民進党というか民進党の前原代表も情けないっていうか、民進党代議士のドミノ倒しのような希望の党へのなだれ込みに負けちゃって、民進党から公認候補を出さずに、希望の党に合流って、そりゃあないでしょう。

 本来民進党ってのは、自民党の左派やリベラル勢力をベースに、連合などの労働組合勢力などがバックにいた(はずの)政党だったんだけれどもねえ。

 自民党が改憲勢力がやたら力をつけてきて自民党を乗っ取ってしまったのに対し、それに乗り切れないリベラル派なんかが民主党を作り、その延長線上に民進党があると考えていたんだけれども、それが今や親「希望の党」って何よ。

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 だって希望の党を率いている小池百合子氏って超タカ派のウルトラ右翼って知ってた?

 勿論、基本的に改憲派だし、核武装論までぶちかましてくれているタカ派。北朝鮮拉致被害者救出で有名になった中山恭子さんなんていうウルトラライトが真っ先に参加したっていうことで知られるくらいの超右翼会派が希望の党なのだ。

 そんな希望の党と組んじゃうなんて、前原氏も右翼? ってなっちゃうんだけれども、本来の前原氏はリベラル派だったはずなんだけれども、まあ、「貧すれば鈍する」ってやつですかね。

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 それにしても、実はこの「希望の党」っていう名前には面白いエピソードがあって、2005年に金子修介が総務省と公益財団法人「明るい選挙推進協会」の発注で製作した、それこそ『希望の党』というPR動画があるんだが、これが結構面白いんですね。

 どういう映画かっていうと……

『主人公はごく平凡なサラリーマン。翌日に国政選挙を控え、“大事な選挙だから”と娘から投票を勧められるが、どうせ誰に投票しても世の中変わらないと棄権してしまう。

 ところが、選挙の結果、過半数を獲得して政権を握ったのが「希望の党」なる政党。誰も注目していなかったのに、若者世代の圧倒的な支持を得て、次々と斬新な改革に着手していく。動物虐待に重罰、痴漢は死刑。3年間、選挙に行かなかった国民からは選挙権を剥奪、その代わり、選挙権を高校生にまで引き下げる……。「冤罪というリスクを冒しても犯罪者を許さない」と勇ましい党首に熱狂していた国民だが、次第にエスカレート。ある日、徴兵令が敷かれ、娘も戦場に……。

「政治に無関心だとこうなりますよ。みんなで選挙に行きましょう」

 というメッセージが込められた作品』

 という、いかにも総務省らしい映画なんだ。ただし、「徴兵令が敷かれ、戦場に赴く娘の目に涙」っていう描写はちょっと甘々で、実際にはそんなファシズム体制下の日本人は、平気で死んでいってしまうんではないのか?

「今、映画撮影のため中国に来ているんですけど、日本のニュースを見てビックリしました。12年前に僕が作ったショートムービーを日本の政界が後追いしてるみたいなんだもの」

「12年前は『戦争反対! 日本は戦争しないって決めたんだ』という父親の絶叫も不偏不党のセリフとしてごく当たり前に使われていましたし、ムービーを見た官僚も笑って喜んでいましたが、今や“戦争反対”は“反日”のレッテルを貼られかねない時代ですからね」

 というのが金子修介の弁。

 既に「明るい選挙推進協会」のサイトからは(古いので)削除されているけれども、金子修介のブログからはまだこの動画を見ることができる。

「金子修介の雑記 "Essay"」というのが、そのブログタイトル。クリックしてみてください。

 うーん、そうか。希望の党はファシズムの予兆なんだな。

 

 

2017年9月28日 (木)

ほぼ一日病院にいた

 実は昨日は全く活動的でない一日だった。

 というか、どうも私の体の状況でブログ読者の皆さんにご心配をおかけしているようなので、その辺のご報告。

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 昨日は午前中から日本医大付属病院で診察を受け、この春見つかった心筋梗塞についての対策を検討したのでありました。

 しかし、午前10時30分頃に日本医大に行って、午前中は診察、午後はいろいろな検査なんかを受けて、10月28日に再入院して10月31日に手術を受けることが決まって、病院を後にしたのが午後3時30分っていうんだから、まあ。ほぼ一日中病院にいたような感じだ。

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「病院=待ち時間」っていうことは百も承知なんで、ちゃんと(電子)本を用意してきているので、その辺は問題なく。まあ、まさしく「晴耕雨読」ならぬ「晴撮雨読」の毎日なんだが、ここのところ雨が少なかったので、一日病院にいたのも、まあいい読書時間だったのかな。

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 それにしても今の病院って検査機器がすごいんですね。まあ、内科で入院したことがつい最近までなかったので、なんかやたら検査が多いのにはびっくり。

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 っていうか、CTスキャンとかの放射線機能を使った検査機器が多くて、「えっ? 被曝線量は大丈夫?」なんて心配になってしまうくらい。「小池百合子が『反原発!』なんて言っても関係ないじゃん」って、えっ? そっちが関係ないか。

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 ということで、いつごろからブログをお休みするのかとか、書き溜めるのかとかは、いずれ近々のうちにご報告します。

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 ということで、またまたションベン写真です。わっはっはっはぁ。

RICHO GRD Ⅲ & NIKON Df AF Nikkor 35mm f/2 D @Sendagi & Hon Komagome ©tsunoken

2017年9月27日 (水)

逗子逍遥

 観光地と化した鎌倉駅で大半の乗客を降ろしてしまった横須賀線は、お隣の逗子駅が終点だ。横須賀まで行くためには、この駅で乗り換え。なので、横須賀線と言いながら、逗子までの路線なのだ。

 まあ、そんなことはどうでもよい。

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 逗子駅で降りると、駅前こそは賑やかだが、すぐに静かな住宅地が広がる。

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 その辺が観光地鎌倉を嫌い、静かな生活を送りたいと考える人たちをひき付けているのかもしれない。

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 現在は私の知り合いの作家たちも多く住む葉山は、逗子駅で下車してバスで家まで帰る。

 その辺の「距離加減」もいいのかなあ。

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 そうなると駅前にわずかに残るしもた屋風情も、どこか懐かしくなってくる。

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 なあ~んて書いていると、本当に静かな田舎町に見えてくるでしょ。

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 その辺が「編集のマジック」なんですね。

 まあ、鎌倉に比べれば静かだけれども、そんなに田舎の町ではないし、米軍の池子弾薬庫問題なんてのも以前は抱えている町だったんだ。つまりは横須賀とは山一つ越えた隣町なんですね。逗子は。

 まあ、その辺はいずれ……

NIKON Df AF Nikkor 50mm f/1.8 G @Zushi ©tsunoken

2017年9月26日 (火)

『旅する写真家』って、いいタイトルだなあ。でも、ドゥパルドンはドキュメンタリストなんだけれどもなあ

 レイモン・ドゥパルドンは元々は映画カメラマンになるつもりだったようだ。

 初めて手に入れたカメラは、「1954 レイモンの兄から誕生プレゼントとして彼の最初の中判カメラをもらう。カメラを手にした彼が最初に撮影を始めたのが農園、犬のベルノ、そして徴兵へ行く男たちへの敬意を表し踊る村人たち。そうして独学で写真の腕を磨いていった」とあるから、レイモン12歳の時なので、まあ普通のカメラ人生のスタートだろう。最初のカメラが中判カメラというのも1954年という時代からすると普通だ。

 で、「1957 レイモンは映画カメラマンになるため遠隔教育で映像コースを受ける」とある。

 まあ、最初は誰でもあるようにスチール・カメラを手に入れて、それから同じフィルム表現として、映画の方向を目指すというのは、よくある流れなのではないだろうか。

Photo 『旅する写真家 レイモン・ドゥパルドンの愛したフランス』(監督:レイモン・ドゥパルドン、クローディーヌ・ヌーガレ/製作:クローディーヌ・ヌーガレ/撮影:レイモン・ドゥパルドン/2012年製作)

 実は私も同じ流れで、小学生の時、学校の写真クラブに入って、撮影やら原像の方法を勉強させてもらい、「嘘UFO写真」なんかを作っていた記憶がある。それが中学生になってクロード・ルルーシュの『男と女』を見に行った時に、パンフレットでルルーシュがカメフレックスを構えている写真を見て「映画監督ってかっこいいなあ」ってなって、後に8ミリカメラ(キャノンとエルモ)を、更には16ミリカメラ(ボレックスH16)を手に入れ、なんか自分もドキュメンタリストになったつもりをしていた。

 後年、監督が自分でカメラを抱えちゃったら周囲が全然見えなくなってしまうので、それはアングルを確かめるだけのためにカメラを抱えているんだってことは理解したんだけれどもね。そのまま、ドキュメンタリーカメラマンになったら今の私とはだいぶ違った人生を送っていたんだろうけれども、残念ながら、映画好きになった私は、自分に脚本を書いたりする才能がないことに気がついて、プロデューサーの方に回ろうと考えて出版社に入るって、何考えてたのかね。

 でもまあ、そんな経緯でドキュメンタリストになったレイモン・ドゥパルドンなんだが、結局、スチールもムービーも一緒ということで、後年はスチール・フォトグラファーと映画ドキュメンタリストの兼用という人生を送るようになったようだ。基本的に、「ムービー・ドキュメンタリー」と「フォト・ドキュメンタリー」は同質のものであるから、その往還はいくらでも可能であるし、実際そのような生活を送っているようだ。

 映画はエイトバイテンのフィールドカメラで、フランスのあちこちを旅しながら風景やら街並みやら、人々を写している現在のドゥパルドンの姿を追いかけながら、そこに昔撮影した様々なドキュメンタリーの映像がモンタージュされている。

 映画はダイレクトに見る人たちに、撮影場所での出来事を伝えるいい手段だ。しかし、そのためにはプロデューサーと契約し、配給会社と契約し、劇場と契約しなければならない。その分、スチール・カメラによるフォト・ドキュメンタリーなら出版社とだけ契約すれば、自らの作品の発表の機会は与えられる。まあ、そんな感じでレイモン・ドゥパルドンも、ムービー・ドキュメンタリーとフォト・ドキュメンタリーの二つの世界を往還してきたんだろう。

 フィールドカメラといい、ドゥパルドンが使っているムービー・カメラといい、基本的にはすべてがアナログ・カメラである(多分)。面白いシーンがある。上の映画写真の真ん中にあるスチール、ドゥパルドンがライカを構えている。当然、エルマリート21mm付きのアナログ・ライカのM6かM7。とそこにスマートフォンの電話が入ってくる。うーん、そこに至ってアナログとデジタルの邂逅がある。

 えっ? 別に面白くない?

 そうかなあ。アナログにこだわっているようなドゥパルドンなんだが、結局は現代社会においてはデジタル機器とは無縁ではいられない、っていう面白いシーンだと思ったんですけれどもね。

 1942年生まれのレイモン・ドゥパルドン。まだ75歳だ。でも、その位の歳になるとフィールドカメラで静物撮影みたいに枯れてきちゃうのかなあ。確かに、まだまだフランスを車で旅しながら撮影しているっていう制作スタイルはまだまだ決して年老いてはいないんだが、なんかその撮影方法がなんか年寄りじみているんだなあ。

 もっと普通に、小型カメラで、ライカやニコンで、できたらデジタルでガンガン撮影しながら全フランスを旅するっていうほうが、なんか「現役ドキュメンタリストの現在」って感じなんですけれどもね。それとも、フランスではまだまだアナログ・カメラが全盛で、「デジタル、どれほどのもんじゃい」って感じなんですかね。

 まあ、私もまだまだアナログは使っていますけれどもね。

『旅する写真家 レイモン・ドゥパルドンの愛したフランス』はシアター・イメジフォーラムにてロードショー中。公式サイトはコチラ

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NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Shibuya ©tsunoken

2017年9月25日 (月)

七社神社

 本郷通り(日光御成道)の西ヶ原一里塚のすごそばにあるのが七社神社である。

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 何が「七社」なのかと言えば、要は神様が七人いるってこと。

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「伊邪邦岐命(イザナギノミコト)、伊邪邦美命(イザナミノミコト)、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)、伊斯許理度賣命(イシコリドメノミコト)、市寸島比賣命(イチキシマヒメノミコト)、帯中日子命(タラシナカツヒコノミコト・仲哀天皇)、品陀別命(ハンダワケノミコト・応神天皇)」の七人もの神様がいるのであります。

 う~ん、なんか神様が七人もいると、霊験あらたかな感じがしますねえ。

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 もともとこの地には一本杉神明宮(天祖神社)という神社があったんだそうだが、七社神社が明治の神仏分離政策によって、近所の無量寺というお寺から移ってきて、一本杉神明宮は七社神社の末社となったそうだ。

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 今でも、一本杉神明宮は七社神社の境内にあります。

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 9月の22日、23日に七社神社のお祭りがあって、この辺で我が家の近所の神社のお祭りはすべて終了。あとは仕事に励みなさい、ってことでしょうか。

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 それにしても、どのお祭りも子ども神輿の担ぎ手には苦労しているようですね。我が家の近所の駒込天祖神社のお祭りも子ども神輿の担ぎ手は、近所の少年野球のチームに要請しています。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f/2 D @Nishigahara ©tsunoken

2017年9月24日 (日)

Ginza Vanity Street

 午後にはアメフトの試合があるんだけど、最近のXリーグはブログネタにするのも……、てな感じなので取り敢えず銀座まで。

 まあ銀座に行っちゃえば、ブログのネタになる写真はまず撮れるってもんです。

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 で、来てみたら、「ああ、そうか今日は普通の土曜日じゃなくて、秋分の日だったのね」っていうことで歩行者天国実施中。う~ん、それではあまりにもおあつらえ向きすぎて、少々面白くない。

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 とは言うものの、まあ取り敢えず来たんだから何かを撮っておこう、

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 って感じで撮ったのがこれらの写真。

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 まあ、銀座らしくもあり、銀座らしくもなしってところでしょうか。

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 これまた一昨日に引き続き「ションベン写真」だなあ。

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 要は「銀座に行って、撮りました」ってことを言っているだけの写真。

 まあ、そんな日もあるさ。

NIKON Df AF Nikkor 28mm f/2.8 @Ginza Sreet Ave. ©tsunoken

 

2017年9月23日 (土)

朝鮮戦争再開直前っていう雰囲気なんだが、もう一度考えること

 今日はちょっと真面目に北朝鮮の問題を取り上げます。

 北朝鮮と韓国の問題(であるはずなんだよなあ本来は)の根本は何なのか?

『第二次世界大戦中の1943年11月に、連合国はカイロ宣言に於いて、1910年より日本領となっていた朝鮮半島一帯を、大戦終結後は自由独立の国とすることを発表し、1945年2月に開催されたヤルタ会談の極東秘密協定にて米英中ソ四ヶ国による朝鮮の信託統治が合意された
 1945年8月8日よりソ連対日参戦により満洲国に侵攻したソ連軍(赤軍)は8月13日に当時日本領だった朝鮮の清津市に上陸していたが、同じく連合国を構成していたアメリカ合衆国は、1945年4月12日に大統領に昇格したハリー・S・トルーマンの反共主義の下で、ソ連軍に朝鮮半島全体が掌握されることを恐れ、ソ連に対し朝鮮半島の南北分割占領を提案。ソ連はこの提案を受け入れ、朝鮮半島は北緯38度線を境に北部をソ連軍、南部をアメリカ軍に分割占領された。
 1945年8月15日に日本はポツダム宣言を受諾、連合国に降伏、朝鮮は解放された。しかし8月24日に平壌に進駐したソ連軍は朝鮮半島北部を占領、既存の朝鮮建国準備委員会を通じた間接統治を実施し、朝鮮半島南部には9月8日に仁川に上陸したアメリカ軍が朝鮮建国準備委員会を解体した後、在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁による直接統治を実施、朝鮮半島は米ソ両国によって南北に分断されたまま、朝鮮半島内で抗日運動を行っていた人士や海外から帰国した左翼と右翼が衝突する連合国による軍政を迎えた。
 その後、米ソ対立を背景に1948年8月15日、南部に大韓民国が建国され、翌9月9日に残余の北部に朝鮮民主主義人民共和国が建国された。南北の軍事バランスは、ソ連および1949年建国の中華人民共和国の支援を受けた北側が優勢で、武力統一支配を目指す北朝鮮は1950年6月、国境の38度線を越え軍事侵攻に踏み切った。
 侵攻を受けた韓国側には進駐していたアメリカ軍を中心に、イギリスやフィリピン、オーストラリア、ベルギーやタイ王国などの国連加盟国で構成された国連軍(正式には「国連派遣軍」)が参戦、一方の北朝鮮側には中国人民義勇軍(または「抗美援朝軍」「志願軍」。実態は中国人民解放軍)が加わり、直接参戦しないソ連は武器調達や訓練などで支援、アメリカとソ連による代理戦争の様相を呈した』(Wikipedia)

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 ってことは、要はそれまで日本の植民地だった朝鮮半島を「日本から独立したって、もともと植民地だったから独立国家を作る能力はないよね」って、勝手に米英中ソの四国が決めて、自分の国の植民地にしようとしたのが原因でしょ。

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 その辺が、東西に分けられて統治されたドイツとは大きな違い。ドイツは信託統治でもないし、独立国家としてドイツ民主共和国(東ドイツ)とドイツ連邦共和国(西ドイツ)に分けられたっていう違いがある。それぞれ独立国家だから、それぞれの国民が選挙で「統一ドイツ」を作ろうって決めれば、ちゃんと独立できるっていう状況だったんだ。ところが朝鮮半島はそうはいかず、「大韓民国」「朝鮮民主主義人民共和国」っていう国家を宣言したにも関わらず、それぞれの国家の自立を中ソ、アメリカ(連合国)側双方が認めなかったんだなあ。

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 その辺が、この国たちの国際関係を妙に変えてしまったんではないか。

 北朝鮮の本来の敵は韓国であるはずなんだけれども、金正恩が指導者になってからは矛先が韓国じゃなくて完全にアメリカになってしまっている。勿論、その裏側にはアメリカがいることは承知の上だが、でも基本的には北朝鮮の目下の敵は韓国であるはずなんだけれどもなあ。ところが金正恩の矛先は韓国じゃなくて、あくまでもアメリカなんですね。でも、本来的には韓国でしょ。

 韓国の腐敗した資本主義政権を打倒して真の人民による人民の国家を目指すっていうのが朝鮮民主主義人民共和国の「大いなる」目的であって、アメリカはそのバックにいる面倒くさい相手であるにすぎない。

 でも、金正恩の矛先は、文在寅韓国大統領じゃなくて、ドナルド・トランプアメリカ合衆国大統領なんだよね。

 基本的には朝鮮半島の南北問題は、朝鮮民主主義共和国と大韓民国の間の、言ってみれば「国内紛争」なんであります。アメリカや中国、ロシア(ソ連)がいちいち口を出すなよってのが本来の韓国の立場なんである。ましてや、もともと朝鮮半島を植民地にしていた、敗戦国の日本がなんでいちいち口を挟むんだ、ってのが本来の韓国の立場でしょ。

 まずは北朝鮮の核実験の問題やICBMの問題は(っていうかICBMなんて韓国には関係ないけどね)、取り敢えず朝鮮半島の「内部の問題」として取り上げるべきで、アメリカやロシア・中国がうんたらとか、日本がうんたらっていうことは、二義的なテーマとしてとらえられるべき問題なんじゃないかって考えているんだが、どうだろうか。

 基本的には金正恩氏と文在寅氏が真摯に「朝鮮半島の今後の在り方」について真摯に話し合いをし、その結果を世界に問うべきじゃないのか。その結果、北朝鮮と韓国を中心にした戦争になることもあるかもしれない。しかし、それは「結果としては」やむを得ないことではあるだろう。

 でも、そうして同じ民族同士が話し合えば、米朝対決みたいな変な関係論よりは、もうちょっとはまともな結論も出るんじゃないだろうか。

 勿論、その結果、朝鮮半島が共産化することもあるかもしれない。まあ、今や「共産化」っていっても、中国みたいに「政治は共産主義・経済は超資本主義」みたいな体制になることはわかりきっているので、まあ、資本主義国にとっても「当面は」あまり驚異的な存在ではない。今後はわかりませんけれどもね。

 いずれにせよ「朝鮮半島は朝鮮民族に任せる」っていう、本来の民族主義に戻ってほしいと、私なんかは考えるんだけれども、それは「甘い考え」なんだろうか。

2017年9月22日 (金)

いつもの散歩道をぶらパチ写真…って、マーキング?

 昨日は午後にちょっとした用事があったんだが、午前中はヒマ。ってことで、いつもの地蔵通り(旧中山道)をブラブラ。

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 まあ、いつも歩いている道だし、別に珍しいものなんて何にもないですね。

 徳川慶喜巣鴨屋敷跡地に始まって……

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 地蔵通りの入口にある江戸六地蔵・眞性寺の門前にいつも立っている尼僧の門付け。本物の尼僧なのか「なんちゃって」なのかは、本人に聞いてみたことがないので、よく分からない。なので「門付け」なのか「托鉢僧」なのかも分からない。

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 これもいつも数組はいる「おばあちゃんの原宿で、お年寄りにインタビューしようと構える、テレビクルー」。これもいつもの通りで、全然珍しくもない。

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「日本一の巣鴨マルジの赤パンツ」の前には赤い郵便局のバイクが……

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 で、最後は都電荒川線【東京さくらトラム(プッ)】庚申塚駅を過ぎて、大正大学前の掘割まで。ブラブラ歩きながらパチリパチリと写真を撮って歩くわけなんだけれども……

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 なんか、それって犬や猫が日々自分のテリトリーを歩きながらマーキングしている姿によく似ている感じがしてきた。

 う~~~~ん、そうか。つまりは私はデジカメを使って(時にはアナログカメラも使って)町にションベンをひっかけながら歩いているってわけか。

 まあ、ションベンみたいな写真であるってことは間違いないですけれどもね。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f/2 D @Sugamo ©tsunoken

2017年9月21日 (木)

おいでませ山口館

「おいでませ山口館」っていうのは、山口県のアンテナショップのことで、日本橋丸善の裏にある日本橋プラザビルというところにある。

 なんで山口なんだ? もともと私の母方の実家は会津藩の家老(っても下級家老ですけれどもね)だったわけで、長州は戊辰戦争の恨み骨髄なはずで山口県(本当は山口よりも鹿児島なんだけれどもね)は大嫌いなはずじゃなかったんじゃないのか?

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 なあんてケツの穴の小さいことを言ってはいけない。

 実は、つい先日終わったばっかりの講談社社友会作品展の来年のネタのためなのであります。って言っても、別にそれは社友会だけのためじゃなくて、このブログにも関係してくるし、いろいろ私の人生にも関係してくる事柄なのだ。っていうのはちょっと大袈裟ですけれどもね。

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 ただこうしたアンテナショップっていうのは、基本的にその地方の物産を売り込むためというのが第一の目的で、あまり一般観光以外の情報的には詳しくはないのである。

 なので、私が探している「山口県の片田舎で今でも行われているということを最近知ったばかりの行事」のことを知っている人はいなかった。実は、このショップで見つけたのは、山口市のある地方のガイドマップに行事の名前がひとことだけと、4行だけの情報が掲載されていたのというのが唯一の情報だった。

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 まあ、そんなもんなんだろうな。所詮、片田舎の小正月の行事であります。

 こんな吉田松陰とか高杉晋作とかいう人たちとは違うんだ。とは思うんだが、しかし、山口特に萩の方に行くともう五月蠅い位に吉田松陰だもんなあ。それ以外の人はいないのかい? って言いたくなりますね。もう、ウンザリ。

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 アンテナショップも物産ばっかりじゃなくて、もう少し一般的じゃない、多少突っ込んだ観光情報も来る人に提供するようにすれば、もうちょっとその地方に旅行してみようという人も増えてくるんじゃないだろうか、と思うんだが、どうだろうか? う~ん、それは無駄?

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 まあ、現在は山口県や山口市に直接問い合わせていろいろ情報を集めている最中。いずれ、どんな行事なんだとか、どんなことをやるのか、っていうのが分かってきます。

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NIKON Df AF Nikkor 20mm f/2.8 D @Nihonbashi ©tsunoken

2017年9月20日 (水)

〽ヨコハマ たそがれ ホテルの小部屋

「〽ヨコハマ たそがれ ホテルの小部屋」っていうのはご当地ソングとして有名な山口洋子さん作詞の「よこはま たそがれ」の歌いだしなんだが、長いことこのホテルっていうのはホテル・ニューグランドだと思っていた。

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 まあ銀座のママをやっていた山口さんなんで、やっぱり横浜に来たら老舗のニュー・グランドに泊まるんだなあ、と思っていたのだが……、よく考えてみるとニュー・グランドにそんな「ホテルの小部屋」なんていうのがあったかしら、という疑問がわいてきた。

 もうちょっと大きな部屋ばっかりだもんなあ。

 あるいはどこかのラブホテル? とも考えてみたんだけれども、まあ、山口さんの歌に出てくるんだから、やっぱりシティホテルなんだろう。

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 で、調べてみたら、どうも新山下に1999年まで営業をしていたバンド・ホテルっていうのがあって、そちらではないかという説があるらしい。

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 バンド・ホテルっていうのは淡谷のり子の「別れのブルース」の舞台になったホテルらしい。いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」の「ブルー・ライト」っていうのは、このホテルにあったシェル・ルームっていうナイトクラブの青いネオンサインのことだそうだ。

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 バンド・ホテルはニュー・グランドと並び称される老舗のホテルだったんだが、山下公園に面しているニュー・グランドに比べて、新山下にあったバンド・ホテルは高速道路に阻まれて港が見えなくなってしまい、老朽化と眺望の悪化により1999年に閉鎖となってしまったらしい。

「1982年には旧館を利用してライブハウス「シェルガーデン」をオープン。若手ミュージシャンが腕を磨いた場所として有名で、桑田佳祐、安全地帯、ゴダイゴ、TUBEの前田亘輝、尾崎豊が出演している」(Wikipedia)という話もあるようで、そうなるとますますバンド・ホテルの方が「よこはま たそがれ」の舞台らしくなってくる。

 ただ、バンド・ホテルは既に閉鎖されているので、その辺の事実を確かめようもない。

 バンド(bund)っていうのは「埠頭」とか「海岸通り」「租界」っていう意味があって、まさしく横浜に相応しい名前のホテルだなあ。なくなってしまったのは「残念!」

 あ、ドイツ語のbund(同盟・共産主義者同盟など)とは何の関係もないからね。こっちは「ブント」だし。

LEICA M6 Leitz Elmarit-M 28mm f/2.8 @Yokohama ©tsunoken

 

2017年9月19日 (火)

『電通と博報堂は何をしているのか』だって? 何もやっていないに決まってるじゃん

 要は新聞ダネになった女性新入社員の自殺事件に関して、電通や博報堂が何をしてきたのか、そして現在何をしているのか、という本なんだが、そんなの決まってるじゃん。「何にもやってません」なんだよ。

 別に、悪いことをしたと思っている人はいないでしょうね、多分。

Photo 『電通と博報堂は何をしているのか』(中川淳一郎著/星海社親書/2017年3月24日刊)

 事件の概要は以下の通り。

『電通女性社員の自殺は労災 三田労基署、残業倍増を認定

 広告大手の電通に勤めていた高橋まつりさん(当時24)が昨年12月に自殺したのは、直前に残業時間が大幅に増えたのが原因だとして、三田労働基準監督署(東京)が労災認定していたことが7日、分かった。遺族代理人の川人博弁護士が明らかにした。認定は9月30日付。
 川人氏によると、高橋さんは東大卒業後の昨年4月、電通に入社し、インターネット広告などを担当した。本採用となった10月以降、業務が増加し、11月上旬にはうつ病を発症したとみられる。12月25日、東京都内の社宅から投身自殺した。
 労基署は発症前1カ月の残業時間は月約105時間に達したと認定。2カ月前の約40時間から倍増していた。
 高橋さんは「土日も出勤しなければならないことがまた決定し、本気で死んでしまいたい」「休日返上で作った資料をボロくそに言われた もう体も心もズタズタだ」などの言葉を会員制交流サイト(SNS)などで発信していた。
 電通は取材に「社員の自殺については厳粛に受け止める。労災認定については内容を把握していないので、コメントは差し控える」と説明した。
 都内で記者会見した母親の高橋幸美さん(53)は「労災認定されても娘は二度と戻ってこない。過労死等防止対策推進法が制定されたのに、過労死は起きた。命より大切な仕事はない」と訴えた』(日経新聞2016年10月/7日)

 う~ん、この高橋まつりさんっていう人、静岡の中高一貫校を出て東大文学部に入り、電通に入ったっていうんだけれども、学生時代に「週刊朝日」でアルバイトをしていたのが、広告業界入りする前のマスコミ業界経験。まあ、週刊誌にいたんならマスコミの労働荷重ぶりについては多少は知っていたんだろうけれども、まあアルバイトだからそこまでは知らなかったのかもしれない。でもね、多少自分の周りを見ていれば分かったはずなのよね、その程度のことは。

 で、もう一つ間違っちゃったのは「電通もマスコミ」だと思っていたところかな。「電通=広告代理店」自身がマスコミなわけないのであります。あくまでも「黒子」。それもメーカーだったり、流通業者だったりっていう、「地味~な」会社の、「地味~な」黒子なんですね。それをたまたま「週刊朝日」の経験があるから「自分もマスコミ志望だっ!」って言って、何で広告代理店なんかに入ったんだろうなあ。

 その昔、私が出版社に入った頃だから、今から40年ほど前か。人事の教育担当者から「これからは『広告代理店』って呼んじゃだめだ『広告会社』って呼べ。これからは『取次』って呼んじゃだめだ『販売会社』って呼べ」なんて会社の中で言われて、「う~ん。そんなもんかなあ」なんて考えて会社の中を見渡してみれば、結局、みんな「代理店」「取次」って呼んでいる。まあ、これからはクライアントとメディア企業の間で右往左往するだけの「代理店」じゃなくて、クライアントやメディア企業に対して、「いろいろ提案していく企業を目指す」なんてことを電通が言ったりしていたことを受けてのことなんだろうが、結局、クライアントから言われたことをそのまま社内外のクリエイター部門に(言われたことの意味も分からないままに)伝えるだけの「代理店」だったり、出版社と書店のあいだで言われたことをそのまま「オウム返し」に伝えて、結局は本を「出版社と書店の間で取り次ぐだけ」の「取次」っていう実際の業態にはなんの変化もないっていうことだけは証明されているわけなのだった。

 結局、高橋まつりさんの長時間労働に関していえることは

『なぜ、そんなことになるのかといえば、大いに影響しているのが「所詮は下請け業者」である点だ。ネットでは電通が日本の政財界すべてを牛耳り、猛暑やゲリラ豪雨まで電通が仕掛けたといった「ぬえ」のような存在として扱われているが、実態として私が感じるのは、「客に対して忠義を徹底的に尽くす社畜集団」という点だ』

 ということであり、ある種の「正論」として言えるのは

『僕の感覚だと、105時間の残業をしていたという高橋さんの残業時間は、『短かった』と思います。多分、デジタル界隈にたくさんいるヤバい人の時間と比較すると、そこまでではない。でもそれを「甘えだ」と言った人が出た。それはちょっと会社としてそのヤバさに気付いていないというか……。そういったことを安易に言えてしまうレベルの人がごろごろしているんです。漫画『ドラゴンボール』で『私の戦闘力は53万です』みたいなのがありましたが、仕事人としても同様の『戦闘力』みたいなものはある。300時間やっても死なない人を電通の社員は見てきた。だから、ハードル設定のミスというか、周囲とか上司にも勘違いがあったのではないでしょうか。個々人は耐性が違うんです。高橋さんの不安定さが浮き彫りになったツイートを見て思ったのは、採用ミスであり、配属ミスだということです』

 ということになる。

 別に、100~300時間くらいの残業は当たり前なのである。それがマスコミであり、広告代理店なんだよなあ。つまり、それが嫌だったら「入らなければいい」し、入ってから気づいたのであるならば「辞めればいい」のである。本人も「辞めたい」「耐えられない」って言ってたんだから、そうすればよかったのである。私たちの時代なんかに比べたら、はるかに会社を途中で辞めた人間に対する社会の扱いは「ユルく」なってきているし、転職の機会だっていくらでもある。ましてや東大卒だし。

 なんで、そんなにツラくてヤメたいのに会社を辞めなかったんだろうねえ。ってところに実は家族(母親)のプレッシャーがあったんじゃないかとも考えられてしまうのだ。勿論、100時間を超える残業を「させていた」んじゃなくて「していても何の注意も払わなかった」電通の方にも責任はあるんだろうけれども。もう一つ、家族間の話し合いってのも気になるのだ。

 なあーんてことを、結婚したばかりの頃に月に400~500時間位残業(家に帰るのは2~3日に1回位かな)をしていた私が言ってるんだが。月106時間位の残業なんてラクショーじゃん、なんて言ってはいけないのだろうか。

 今どき。

『電通と博報堂は何をしているのか』(中川淳一郎著/星海社親書/2017年3月24日刊)やっぱり星海社は講談社直接じゃないので電子版は遅いのかなあ。

2017年9月18日 (月)

社友会作品展三日目と手塚治虫の下宿先って、なんだソレ?

 今日は講談社社友会作品展の三日目、最終日です。

 場所は、「雑司が谷地域創造館」地下一階(東京メトロ新都心線雑司が谷駅2番出口上がってすぐ)です。

 今日は午後4時30分まで開催しています。

 で、その雑司が谷地域創造館のすぐそばにあるのが雑司が谷鬼子母神。あの「おそれ雑司が谷の鬼子母神」の鬼子母神です。って、なんのこっちゃ。

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 その鬼子母神のケヤキ並木の参道から脇に入ったところにあるのが……

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 手塚治虫が椎名町のトキワ荘が手狭になってしまったために移り住んできた並木ハウスであります。

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 そうか、ケヤキ並木にあったから並木ハウスなわけね。別に「並木さん」の家っていうわけじゃなかったんだ。

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 で、その並木ハウスへ入る路地の入口にあるのが、並木ハウス・アネックスっていう、並木ハウスの別館だったというのは知らなかった。

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 こちらアネックスの一階はいろいろな店に貸していて、そのうちの一軒が「雑司が谷案内処」という施設になっていて、雑司が谷のいろいろな場所の資料なんかがおいてある。

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 作品展の会場に1時30分までに来ていただけると、この並木ハウスの見学ツアーに参加できます。中にも入れるよ。

 まあ、行ったからって、別に手塚治虫の原稿とかがあるわけじゃないけれどもね。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f/2.8 D @Zoshigaya Toshima ©tsunoken

2017年9月17日 (日)

作品展二日目だが『新しいメディアの教科書』について語る

 今日は講談社社友会作品展の二日目です。

 場所は、「雑司が谷地域創造館」地下一階(東京メトロ新都心線雑司が谷駅2番出口上がってすぐ)です。

 皆様のご来場を係一同お待ちしておりますです。

 で、そんなこととは関わりもなく、今日は佐々木俊尚氏の『新しいメディアの教科書』について語ります。久しぶりだなあ佐々木俊尚氏。

Photo 『新しいメディアの教科書』(佐々木俊尚著/Amazon Publishing/2017年7月14日刊)

 書くのが電子版だろうが、紙版だろうが佐々木氏のスタイルは同じである。つまり、最初に本書の構成を紹介する。

『第一章ではまず、これまでのインターネット広告モデルが生んできた落とし穴と、そこにネットメディアが引きずられてきた現状について解説する。
 第二章では、バズフィードをはじめとした新興メディアがどのような手法で巨大化してきているのかを見る。
 第三章では、この状況に危機感を感じている伝統的な新聞、ニューヨークタイムズの取り組みを紹介する。
 第四章では、記事や動画の制作方法でさえも大きく変わりつつあるということを解説する。
 そして第五章では、新興メディアとSNSの巨大プラットフォームがどのような関係になっているのかを見つつ、これからのメディア空間の可能性について論じる。』

 といっても、結論は簡単。ポイントは第五章。

『「良質なコンテンツ」「配信テクノロジー」「ネイティブ広告」は、メディアが進化していくうえで同時に揃わなければならない三つの重要な要素だ。新しいメディアの「三種の神器」と言えるだろう。

 良質なコンテンツ × 配信テクノロジー × ネイティブ広告

 もしこの要素が欠けているとどうなるか。それを浮き彫りにしたのが、二〇一六年末に日本のインターネットを震撼させた「キュレーションメディア」騒動だった。』

 つまりSNSはプラットフォームではあるけれども、メディアでは「本来」ないはずだ。

『このキュレーションメディア騒動は、二〇一〇年代におけるネットメディアの二つの本質的な不備を浮き彫りにした。
 第一は、それまで多くの人が信頼していたグーグルの検索エンジンの不備が明らかになったこと。そして第二は、ネットメディアのビジネスモデルに内在する構造的な欠陥が明るみに出たことである。』

 グーグルは自身「メディアである」とは公表していないし、自負もしていない。ある種の「プラットフォームとしての中立性」をいかに保つのかということに腐心してきた企業である。それは本来ディー・エヌ・エーだって同じはずだったのだが、どこかで自身が「プラットフォームなのかメディアなのか」を見失ってしまい、いつのまにやら「SNSもメディアのひとつである」と思い込むようになってしまった。そしてメディ企業としての矜持をなんらもつことなくメディアのようなふるまいをしてしまったことに、その原因があるのではないだろうか。

『たとえばグーグルはプラットフォームとして検索エンジンやストアでできる限りの中立を保とうとしているが、アップルはストアでの管理を強め、コンテンツやアプリの思想や品質を問うようになっている。グーグルは本来のインターネット的な企業だが、アップルはそうではない。故スティーブ・ジョブズは創業のころからハードウェアのオープン性を否定し、自社のコンピューターの第三者による改造を拒否し、気持ちの良いUIでユーザーを囲い込んでしまうという理想を描いていた。
 しかし巨大になるプラットフォームが垂直統合を目指すと、それは異様な独占支配を生みだしてしまう危険性がある。同時にプラットフォームは、マネタイズを強固にするために必ず垂直統合の方向へと進みたがる。これは大きなジレンマだ。』

 佐々木氏はプラットフォームがメディアのように振舞ってしまうことに対して、それを受け入れる立場のようだが、やはりそれは難しいだろう。プラットフォームはテクノロジーとともにあり、メディアはテクノロジーとは離れたところにある独自の存在だからだ。

 なんてことを言うと、それはメディアの特権性に対する無謬の思い込みだという批判が出そうだが、しかし、それは本来的には事実であるし、変わることはない真実でもあるのだ。

『一九九五年からの過去二十年のインターネットは、水平分離に向かって進んできた。今後の二十年はコンテンツを制作するメディア企業による新しい垂直統合も広がっていき、水平化と垂直化が同時に進む方向へとむかうだろう。メディアは垂直に文化を統合していき、プラットフォームは水平に基盤を提供していく。その二つの方向は縦横に交わりながら、二十世紀にはなかったまったく新しいメディア空間を創造していくのだ。』

 結局、プラットフォームとメディアは本来的に異なった存在なのであり、それを混同したときに間違いが生ずるっていうわけなんだ。プラットフォーム(企業)はプラットフォームとしての存在の仕方があるし、それをわきまえていれば問題はないのだ。がしかし、問題はそんなプラットフォーム企業の中にいる人間が持つ「メディアへの憧れ」のようなものなのかもしれない。いつしか、プラッフォーム企業の人間の中に芽生えてくるメディア・コンプレックスが自らをメディアであると錯誤し、メディアのように振舞ってしまうんだなあ。

『新しいメディアの教科書』(佐々木俊尚著/Amazon Publishing/2017年7月14日刊・Amazon Publishingなので、当然電子版のみです)

2017年9月16日 (土)

今日から「社友会作品展」場所は雑司が谷

 いよいよ今日から三日間、講談社社友会作品展が開催されます。

 既報の通り、今年は去年までの豊島区民センターが建て替え中ということで使えず、今年はここ「雑司が谷地域創造館」地下一階で開催することになります。

 期間は9月16日(土)、17日(日)、18日(月・休)の三日間。時間は午前10時から午後5時までです。

 ということで、昨日はその準備で忙殺されていたので、作品展の告知のみです。

Photo

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 場所は

東京都豊島区雑司が谷3-1-7   千登世橋教育文化センター内

電話:03-3590-1253

交通案内
「東京メトロ 副都心線 雑司が谷駅」2番出口直結
「JR山手線 池袋駅」(東口)より徒歩17分
「JR山手線 目白駅」より徒歩10分
「都電荒川線 鬼子母神前駅」より徒歩2分
都バス「千登世橋」停留所より徒歩2分 (池65、池86)

Photo_2 2番出口のエスカレーターを上がると、そのまま会場入り口になります。エレベーターがありますが、それを使うと全然別の場所に行ってしまいますので、要注意!

 私の作品(写真)は、今年2月に秋田にて取材した『横手・ぼんでん祭り』です。場所を広く使えることになったので、横一列の五枚組写真です。

 なかなかの迫力です(って自分で言ってどうする)。

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 私は多分三日ともどこかの時間にはいると思います。ただし、途中抜ける(「サボる」とも言います)ことも多いです。本ブログの読者でおいでになる方で私に会いたい方は、このブログのコメント欄にいらっしゃる予定の日時とお名前を書き込んでください。その時刻には会場にいるようにします。昨年はおひとりの方がおいでになりました。

 今年もお待ちしています。

 

2017年9月15日 (金)

『ニッポンの奇祭』って、本当に「奇祭」なの?

 小林紀晴といえば、アジアで長いこと暮らしている、というかアジアの旅人のはずがいつの間にか旅人じゃなくなってしまった日本人、というかあるいは日本人バックパッカーに取材した『アジアン・ジャパニーズ』という、「写真+エッセイ」集が有名というか、多分、それが小林氏の、フリーとしてのデビュー作ではなかったのだろうか。

 その後、自らを主人公にしたような『写真学生』という小説(?)をものしたと思ったら、自分の生い立ちに大きな影響を与えた「諏訪の御柱祭」に材を撮った写真集で一躍有名になった写真家である。

 その小林氏が、御柱祭以外の日本の祭り(それもいわゆる「奇祭」と呼ばれているもの)を追いかけて作った「写真+エッセイ」集が、この『ニッポンの奇祭』である。まあ、初めから「奇祭」って言っちゃってるところが、ちょっとアレですけれどもね。

Photo 『ニッポンの奇祭』(小林紀晴著/講談社現代新書/2017年9月1日電子版刊)

 材をとった「奇祭」は以下の通り。

一 御柱祭/長野県諏訪地方
二 バーントゥ/沖縄県宮古島
三 ショチョガマ・平瀬マンカイ/鹿児島県奄美大島
四 ケベス祭/大分県国東市
五 銀鏡神楽/宮崎県西都市
六 椿山虫送り/高知県仁淀川町
七 大野の送神祭/埼玉県ときがわ町
八 テンゴウ祭り/埼玉県秩父市
九 脚折雨乞/埼玉県鶴ヶ島市
十 蘇民祭/岩手県奥州市
十一 相馬野馬追/福島県相馬市、南相馬市
十二 木幡の幡祭り/福島県二本松市
十三 和合の念仏踊り/長野県阿南町
十四 道祖神祭り/長野県野沢温泉村
十五 新野の雪祭り/長野県阿南町
十六 御射山祭/長野県富士見町

 以上の16の祭りなんだが、こうして眺めてみると、まあ世間に知られているということもあって、諏訪の御柱祭なんかは既に奇祭でもなんでもなくて、ごく普通の祭りに思えてくるから不思議だ。

 小林氏の祭りに向かう姿勢は以下の通り。

『諏訪は古くから狩猟採集の縄文文化が根強い地で、反ヤマト的な地といわれている。その影響で遅くまで稲作が行われなかったという説がある。むしろ稲作を最後まで拒んだともいわれている。それを『古事記』から読み解くこともできる。「国譲り」で大国主神は天照大神に国を譲ることを迫られる。そのとき大国主神の息子である建御名方神が激しく抵抗する。建御名方神は天照大神の使いである建御雷神と戦うが敗北し、出雲を追われ命からがら諏訪に逃げ、諏訪明神となるのだが、それ以前から諏訪には別の神の存在があった。洩矢と呼ばれる、縄文の流れをくむ土着の神だ。土地の精霊的な存在である(ミシャグチ神と同一とされることもある)。』

『普段は八ヶ岳の奥に息を潜め、古代以前の古層から密かに住み続けている縄文人、あるいは山岳少数民族が六年に一度だけ里に姿を現し、盛大に行う宴が御柱祭のような気がしてくるのだ』

『普段は穏やかでシャイな諏訪人が、人が変わったように祭りに熱狂する。そのさまがいつも気になっていた。それを縄文人、山岳民族の仕業だと考えれば納得がいったし、説明がつく。なによりそう考えれば、カメラのファインダー越しに遠く縄文から連なる古層の人々の姿を、まざまざと感じられる瞬間があった』

 そうか、ここにもあった「縄文人vs.弥生人」というものを対立する日本人の原像に対する概念と捉える考え方が。

 同じようなとらえ方をしたものに柳田国男の『遠野物語』があって、112段「ダンノハナ」の項にこうある。

『ダンノハナは昔館のありし時代に囚人を斬りし場所なるべしという。地形は山口のも土淵飯豊のもほぼ同様にて、村境の岡の上なり。仙台にもこの地名あり。山口のダンンハナは大洞へ越ゆる丘の上にて館址よりの続きなり。蓮台野はこれと山口の民居を隔てて相対す。蓮台野の四方はすべて沢なり。東はすなわちダンノハナとの間の低地、南の方を星谷という。此所には蝦夷屋敷という四角に凹みたるところ多くあり。その跡くわめて明白なり。あまた石器を出す。石器土器の出るところ山口に二ヶ所あり。他の一は小字をホウリョウという。ここの土器と蓮台野の土器とは様式全然殊なり。後者のは技巧いささかもなく、ホウリョウのは模様なども巧みなり。埴輪もここより出づ。また石斧石刀の類も出づ。蓮台野には蝦夷銭とて土にて銭の形をしたる径二寸ほどの物多く出づ。これには単純なる渦紋などの模様あり。字ホウリョウには丸玉・管玉も出づ。ここの石器は精巧にて石の質も一致したるに、蓮台野のは原料いろいろなり。ホウリョウの方は何の跡ということもなく、狭き一町歩ほどの場所なり。星谷は底の方今は田となれり。蝦夷屋敷はこの両側に連なりてありなしという。このあたりに掘れば祟りありという場所二ヶ所ほどあり』(岩波文庫版より)

 柳田国男は官吏であるから、決して「蝦夷vs.大和」「縄文vs.弥生」という対立構図は持ち込まないものの、やはり「日本人の原像」というテーマになると、現代人へと続く「弥生人、大和人」というものが決してリニアに現代へとは繋がっていないという点に注目する。

 やはりそこには「狩猟vs.農耕」「蝦夷vs.大和」という、それは歴史が進んでいく過程ではやむを得ない変化なんだろうけれども、ある種のノスタルジーと共に語られていくもんなのだろう。そして、古くから伝えられている「祭り」という「民族の意匠」の中にそれを発見しようとする、やむを得ない、人々の「思い」なんだろうな。

 はてさて、そうしてみると「奇祭」というものは、本当に「奇祭」なんだろうか、という疑問にブチ当たる。現代人の意匠から言えば、それは奇祭なんだろうけれども、古代からの日本人にとってみれば奇祭でもなんでもなくて、ごく普通に「そこにある祈り」みたいなものなんだろう。

 アジアにいる日本人バックパッカーを、もし最新の日本人の形とみなすならば、やはりその底流には、「奇祭」を信じる原・日本人みたいなものがあるのであり、最新の日本人をみながら、小林氏はそこに流れる原・日本人の「血」を見るのであろうか。

『ニッポンの奇祭』(小林紀晴著/講談社現代新書/2017年9月1日電子版刊)

 いやあ、久々の「本ブログ」でありました。

2017年9月14日 (木)

iPhone X は本当に「買い」か?

 今日はちょっとナニなんで、軽い話題から。

 アップルがiPhone X を発表したんだが、本当にそれは「買い」なんだろうか、という話。

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 確かに、昔はAPPLE党だった私は、もしそのままだったら「当然、『買い』でしょ」ってなったと思うんだが、ある日からMicro Softに乗り換えちゃった、というか、乗り換えざるを得なかった事情があってその時から、もうAPPLEにはクールにモノを見るようになったんですね。

 まあ、スマホになってからはiPhone 6 を使ってはいるんだが、もはやiPhoneには昔Macに感じていたワクワク感はないもんなあ。

 結局、スマホになってからは追随するメーカーもすぐに同じものを出せるようになってしまい、APPLEの独自性をどこで主張していくのかは難しくなってきている。問題はアプリなんだけれども、それは当然アプリの開発者はiPhoneだけのアプリなんかは作るはずもないから、別にそれはiPhoneだけの独自性にはならない。

 いまだにAPPLE党の多いブログ界でもちょっと戸惑っているようで、だってiPhone 8 とiPhone X がなんで両方とも売り出されるんだってところに、なんかAPPLEの腰砕けっぷりが見えているような気がする。スティーブ・ジョブズのAPPLEだったら平気で以前のモデルは切って捨てたはずである。「もはやiPhone X 以外の機種はお払い箱だ! いつまでもそんな前の機種に囚われるな!」なんてね。

 まあ、商品開発センスのないティム・クックCEOじゃ仕方がないけれども、新しい機能としては「ホームボタン廃止、顔認証導入」っていう程度じゃ、別に画期的でも何でもない。スティーブ・ジョブズのMacみたいなブッチギリのブランド志向があるわけでもないし、その程度の新機能でどれだけほかのスマホと戦えるんだろうか。

 まあ、日本ではいまだにiPhone派が多いのでブランド価値はあるのかもしれないが、日本以外ではあまりAPPLEの優位性は優れていないんだから、日本以外で永遠に戦えるかといえば、ちょっと難しいかな。特にAPPLE党なんていないアメリカでは、中国勢や韓国勢に挟まれて苦戦しそうである。

 日経新聞の記事の「しめ」はこうだ。

『 「これがスマホの未来だ」

クックCEOはiPhoneXの革新性をステージで強調した。確かにその通りかも知れない。スマホが定番商品になり、道具と趣味の製品に二極化していく未来が映る。実機を触った後で残るのは生活を楽しくする製品ではあるが、生活を劇的に変える製品ではないという印象だ。

「売れると思います。まぁ次の10年を担う製品かどうかはわかりませんが」――。
 発表会後に取材に応じたKDDIの田中孝司社長は言葉を濁した。』

 う~ん、まあこんなところが妥当なのかもしれないなあ。

 元APPLE党で、実は今でも「いずれはMacに戻る」なんてことを考えている私でも、その行く末はちょっと心配だ。

 っていうか、スマホばっかりじゃなくて、もっと画期的なMacを開発してほしいんだが、もうそれは無理なのだろうか?

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 ところで「ナニ」って、なんだ?

2017年9月13日 (水)

恐れ雑司が谷の鬼子母神……ん?

「恐れ雑司が谷の鬼子母神」なんて書いちゃうと、当然「それを言うなら『恐れ入谷の鬼子母神』でしょ」っていう突っ込みが入るのはわかっているんだ。当然、それじゃ「地口」じゃないからね。

 でも、行ったところが雑司が谷の鬼子母神なんだからしょうがないでしょ。

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「恐れ入谷の鬼子母神」っていうのは太田蜀山人が作った有名な地口なんだが、その後に何が続くのかまでを知っている人は少ないのではないだろうか。

『恐れ入谷の鬼子母神(おそれいる)、びっくり下谷の広徳寺(びっくりした)、そうで有馬の水天宮(そうであります)、志やれ(しゃれ)の内のお祖師様、うそを築地の御門跡(うそをつき)』 ってのが正解。

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 太田蜀山人(太田南畝)っていう人は江戸幕府の役人でありながら、数多くの随筆、狂歌、洒落本、漢詩文、狂詩などを残した人。まあ、さながら現代でいえば『団塊の世代』の通産官僚、堺屋太一氏か、第一勧銀(現・みずほ銀行)の銀行マン兼『シクラメンのかほり』のシンガーソングライター、小椋佳氏みたいな人だったんでしょうか。

 まあ、江戸時代は現代よりはもっと仕事に対しては厳しかった時代だったから、堺屋氏や小椋氏などよりは、もっとずっと仕事との兼業は大変だったでしょうけれども。

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 で、その太田蜀山人の辞世の歌っていうのがあるんだが、これがいいんだなあ。

『今までは 人のことだと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつはたまらん』

 地口でもないし、韻文でもない。ほとんど散文なんだが、あれだけ狂歌、狂詩をものしてきた人が、最後の最後は散文ってのが……いいですね。

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 そんな狂歌を歌う余裕もなかったのか、あるいは最後の最後はそんな気分じゃなかったのか。余人としてはそんなことを知る由もないが、「こいつはたまらん」っていうのがいいですね。

 まあ、妙に生に対して執着しているわけでもないし、といって死を自然に受け入れるってほどでもないし、せめてそれを「こいつはたまらん」っていう程度で受け入れるっていうのも、なかなか素敵じゃないですか。

 まあ、まだまだ辞世には程遠い(と思っている)私のこのブログが辞世の書となるべくもないが、私も「こいつはたまらん」っていう程度の受け入れでもって、亡くなっていけるのか、う~ん、ちょっと疑問だなあ。

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LAEICA M6 Leica Summicron 35mm f/2 @Zoshigaya ©tsunoken

『蜀山人 狂歌ばなし―江戸のギャグパロディーの発信源』(七代目・春風亭栄枝著/三一書房/1997年5月15日刊)

2017年9月12日 (火)

文京区本駒込四丁目

 以前、住んでいたことのあるマンションの隣に面白いアパートがある。

 メゾン・ド・楼蘭というのがそのアパートの名前。

 三角形の土地に建っている四階建ての建物なんだが、なんかパリあたりにあるような面白いファサードになっていて、更に四階部分はなぜか建て増し風になっている。

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 ところが建て増し風の四階なのだけれども、実際には建て増しではないことがわかる。つまりその上は屋上庭園になっているのだ。まあ、このことを知っているのは、隣に建っているマンションに住んでいたころがあるからなんだけれども。

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 まあ、オーナーは三角形の土地という弱点を逆に利用して、面白い形の建物を作ろうとしたのかもしれない。

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 三角形の頂点部分の一階には美容院があるのだが、その美容院がビルのオーナーかと思ったらそうではなかった。

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 文京区にはこんな変な形のマンションなんかがあったりして、以前には千石にどう見てもラブ・ホテルにしか見えないマンションなんかがあったし、本郷の東大のそばあたりにも、結構変な形のビルなんかが散在している(た)。

 まあ、多少は土地の利用にも余裕があった頃の建物なのかもしれない。その後、同じ土地に新しいマンションなんかが建つと、普通の四角い建物になってしまって、あまり面白くない。って、要は所詮他人事なので、勝手に面白がっているだけなんだけれどもね。

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 場所は不忍通りの本駒込四丁目のバス停のそばのとんかつ屋さんのひとつ裏。都営住宅と裏に「車庫跡公園」っていう、昔は都電の神明町車庫があった場所。いまでも、「6000系」と呼ばれている昔の都電電車と貨物車(昔は都電にも貨物車があったんだ)が飾られています。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f/2.8 D @Hon Komagome ©tsunoken

2017年9月11日 (月)

昨日は押上飛木稲荷神社の祭礼……でもその前に

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 今日は昨日、一昨日と、駒込天祖神社と同じ日に開催された押上飛木稲荷神社の祭礼のレポートのつもりなんだが、その前に一言。

 過去にダブル・ツール(ツール・ド・フランス、ジロ・ディ・イタリア、ヴェルタ・ア・エスパーニャの三大ツールのうち二つに同年優勝すること)を実現し、三大ツールすべてに優勝経験をもち、今季で引退を表明しているアルベルト・コンタドール(トレック・セガフレード)がついに現在出場中のヴェルタ・ア・エスパーニャでステージ優勝を遂げた。それも今年のヴェルタで一番厳しいと言われている第20ステージ、ベルトルク、コルダルという一級峠を超えて、最終的にアングリルという超級峠の山頂ゴールでだ。

 いやあ感動しましたね。もはや第一位の選手に与えられるマイヨ・ロホも関係なく、モチベーションとして決して高くはない最後から二番目のステージでやってくれました。イヤッホー、アルベルト!

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 と、そんなこととは関係なく押上は飛木稲荷神社のお祭りです。

 押上飛木稲荷神社は墨田区押上、そうスカイツリーのお膝元です。最寄駅もスカイツリー駅か京成の押上駅。

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 で、なんで押上の神社のお祭りなんだと言えば、実は私の親父の出身地が押上で、今でも私の従兄なんかが押上にいるからっていうことなんだけれども、更に加えるとその従兄から町会の法被をいただいてしまったので、一度はお祭りに行かなきゃな、っていうところだったんだ。

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 が、どうも駒込天祖神社のお祭りの日程と重なってしまって、これまで行けなかったんだが、そうも言っていられないわけで、今年は毎年面倒を見ている駒込天祖神社の子ども神輿と山車の予定が一日目の午前午後と二日目の午前中で終わるので、じゃあ、その後なら行けるなっていうところで、おっとり刀で押上まで駆け付けたというわけ。

 押上飛木稲荷神社の祭礼は、以前は9月の17日前後の日程だったんだが、いろいろ「大人の事情」があって一週間ほど日程が早くなってしまったらしい。その他、以前は掛け声も「わっしょい」だったんだが、いつの間にか「ソイヤ」になってしまったきっかけの話とか、いろいろ話を聞かせてもらったんだが、その辺はいずれまた機会があればレポートします。

 まあ、町会の役員なんかをやっているといろいろな情報が入ってくるもんだな、ってところです。

 まあ、大体この9月の第一週か二週に神社の祭礼があって、9月の20日頃になるとお彼岸でお寺に墓参に行くってのが日本人の日常の流れなのかな。そんな意味では「実に日本人らしい秋の過ごし方」をしているわけです。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f/2 D @Oshiage Sumida ©tsunoken

 

2017年9月10日 (日)

駒込天祖神社祭礼、今年は子どもが主役

 昨日と今日は駒込天祖神社の祭礼である。

 今年は昨年の四年に一度の神幸祭と違って普通のお祭り。ってなもんでどちらかといえば子どもたちが主役みたいな感じである。

 それにしても駒込天祖神社の氏子会は13町会あるんだが、そのほとんどが子ども神輿をしつらえて参拝するっていうのも、「子育てに優しい文京区」ならではなのかもしれない。一部には子ども神輿も担ぎ手がいなくて、リヤカーで神輿を運ぶなんていう祭りもあるらしい。

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 まずは子ども神輿と山車の天祖神社参拝から始まって、祭りの始まりです。

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「ソイヤ、ソイヤ」じゃなくて「ワッショイ、ワッショイ」の掛け声の子ども神輿はいいですね。なんかわけのわからん「ソイヤ、ソイヤ」よりは聞いていて「おお、東京の祭りだなあ」という感じです。

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 大きな子は神輿を担いで、小さな子は山車を曳きます。

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 でも、最後はみんな仲良くお菓子をいただいちゃいます。まあ、子どもたちはこちらが目的で山車を曳いたり神輿を担いだりするんですけどね。まあ、子どもたちにとってお祭りなんてそんなもんです。

 それがひいては大人の神輿を担いで、酔っぱらったり、ケンカをしたりするんですな。「火事と喧嘩は江戸の華」なんちゃってね。

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 ということで、昨日の午前中は子ども神輿と山車の神社参拝、午後は町内渡御。

 今日は午前中は子ども神輿と山車の町内渡御(コースは昨日と違います)で、大人神輿は今日の夕方になって初めて登場して、夜まで町内を巡行するんであります。あまり「うるさいっ!」なんて言わないでね。年に一度のお楽しみなんだから。

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NIKON Df AF Nikkor 50mm f/1.8 G & AF Nikkor 35mm f/2 D @Hon Komagome ©tsunoken

2017年9月 9日 (土)

社友会作品展、今年は会場を変えて開催!

 大事なお知らせです。

 今年も講談社社友会作品展の季節がやってきました。

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 今年は去年までの豊島区民センターが建て替え中ということで使えず、今年から数年はここ「雑司が谷地域創造館」地下一階で開催することになりそうです。

 期間は9月16日(土)、17日(日)、18日(月・休)の三日間。時間は午前10時から午後5時までです。

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 雑司が谷地域文化創造館の場所は、東京メトロ副都心線雑司が谷駅下車、2番出口のエスカレーターをあがってそのままビルの出口方向に向かって進むと左側にある「第2練習室」という場所。あくまでもエスカレーターです。間違えてエレベーターに乗ってしまうと、全然別の場所に行ってしまいますので要注意。都電荒川線(東京サクラトラム〈プッ〉)だと都電雑司が谷駅じゃなくて鬼子母神駅の方が近いです。鬼子母神で降りて明治通りの方に向かって歩いてください。明治通り沿いの千歳橋交差点の近くです。

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 私の出品作は、今年の2月20日のブログで書いた「秋田・横手のぼんでん」の様子を撮影した組み写真です。

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 今はその準備の真っ最中で結構忙しいです。作品展の裏方もやっていますので……。

 私は多分三日ともどこかの時間にはいると思います。ただし、途中抜ける(「サボる」とも言います)ことも多いです。いらっしゃる方で私に会いたい方は、このブログのコメント欄にいらっしゃる予定の日時とお名前を書き込んでください。その時刻には会場にいるようにします。

LEICA M3 Summicron 35mm f/2 @Yokote Akita ©tsunoken

 

2017年9月 8日 (金)

「ドブ板通り」にはもはや「ドブ板」はないんだけどね

 まあ今更じゃないし、もう既に何度も書いてきているんだけれども、横須賀ドブ板通りにはドブ板はないし、というか米軍相手のバーなんてものも、もはやほとんどないんであります。

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 じゃあ何があるのかといえば、「何となくアメリカっぽい雰囲気が体験できる」と思っている横須賀観光客向けの飲食店とか、いまだにいる(と思われている)スカジャン(横須賀ジャンパー)マニアのためのお店とか……、あとは最早「ドブ板通り」という名前は返上したいだろうと考えているような新築マンションとか……。

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 まあ、いずれにせよ「戦後間もないころの進駐軍の横須賀」とか、「ベトナム戦争真っ盛りの頃のベトナム帰り米兵の荒れた横須賀」なんてものは、まったく片鱗もないのであります。

 それでも「何となくアメリカっぽい雰囲気」を感じたくなって横須賀に来る人は多いんだなあ。

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 で、そういう人向けにはこんな「トランプ・バーガー」なんていう、完全にカロリーオーバーな"Make America Great Again"(って、Great Againになっちゃうのは貴方のお腹でしょ)なハンバーガーが提供されるわけです。う~ん、これも「アメリカン」なのかなあ。最早、アメリカのヘルシー指向のインテリはこんなものは食わないんだけれどもね。

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 とは言うものの、北朝鮮のノドンミサイルの本当の狙いは横須賀米軍基地だっていう話もあるし、ちょっと剣呑にもなってきて"Sittin' in the morning Sun, I'll be sittin' when the evening come"なんて気楽に歌っている場合でもないようです。

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 おおお、「Hotel Goddess」! そうか、ここは井上喜久子さんの生誕地だもんなあ……、なんてのに反応したのは遅れてきたマニアの貴方でしたか。

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 ということで、「多分」横須賀ネタ、とりあえず今回はここまでです。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f/2.8 D @Yokosuka ©tsunoken

2017年9月 7日 (木)

「戦艦三笠」がすべての間違いの始まりだった……という話

 のんびりした The Dock of the Bay ではなくて、もっと勇ましい「守るも攻むるも黒鐵の 浮かべる城ぞ頼みなる」なんていう軍艦マーチが聞こえてきそうなのが、ここ三笠公園なのであります。

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 日露戦争の日本海海戦で大活躍したとされる「戦艦三笠」がそのままコンクリートで留められていて、中を見られるようになっているんだが。

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 大体、日本海海戦ってそんなに人に誇れるような戦いだったんだろうか。

 敵のロシア艦隊は、その名も「バルチック艦隊」っていう名前の通り、その母港はバルト海沿岸にあり、そこから延々大西洋を南下し、アフリカ最南端の喜望峰を回り(一部はスエズ運河経由)インド洋、南シナ海を通って朝鮮にある遼東半島の旅順沖合まできて日本海軍と戦ったわけである。もうそれだけでヘロヘロ。

 まあ、これがウラジオストックあたりから南下してきた艦隊との決戦だったらどうだったかは分からないのだが、なんせ敵は延々大航海をしてきた艦隊である。そんなロシア艦隊と、そぐそばの日本から出撃してきた日本艦隊との対戦である。そんな戦いの結果は火を見るよりも明らかってなもんである。

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 その一方、旅順港を陥れた陸軍の二百三高地の攻略戦も、決して作戦的には成功だったとは言い難い勝利ではあった。

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 まあ、そんな単なる「ラッキー・チャンス!」でしかなかった日本軍の勝利という「成功体験」がその後の日本の歩みを誤らせるもとになったというのが、現在からの見方である。

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「神国日本は何をやっても勝てる」とばかりに中国を侵攻し、圧倒的な資源格差のあるアメリカと戦争をしちゃったのにも関わらず、その辺の彼我の違いに気づかず、相変わらず大艦巨砲主義で戦う日本海軍と、“臣民全て滅びようとも天皇一族とその神たる証しの三種の神器だけは厳然と残らねば・残されねばならない、そして最後には日本が勝つのだ”という八紘一宇の精神に凝り固まった日本陸軍が、その結果として、第二次世界大戦の敗北になったという風に考えれば、その大本となったのが「日本海海戦の大勝利」というものであり、戦艦三笠の勝利っていうものだと考えれば、その罪の重さというものを知らされるのであります。

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 まあ、海軍さんは「海軍カレー」くらいにして、おとなしくしているのが一番いいですなあ。なかなかおいしいカレーなんだから。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f/2.8 D @Yokosuka ©tsunoken

2017年9月 6日 (水)

戦わない軍隊が、世界で一番強い…という話

"Sittin' in the morning Sun, I'll be sittin' when the evening come" なんてオーティス・レディングでも歌いたくなる風景だ。

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 どこかで戦争でもやっているんだろうか……、なんていうのんびりした雰囲気なのだが、勿論北朝鮮の水爆実験やICBMなんていう「脅し」に包まれた海上自衛隊だし、一触即発の状態におかれているアメリカ海軍なのである。

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 まあ、軍隊である以上は、敵よりも自分の国の方が強い、強い武器を手にしているということを常に示さなければならないのは当然なんだが、じゃあ、そんな軍拡競争をやっていて、それに終わりはあるんだろうか。

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 軍備拡張に終わりはない……っていうか、当然軍拡競争をやっている以上は、それは終わりのないゲームであるし、絶対に決着はつかない競争なのだろう。

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 ただし、ひとつだけ言えることがある。つまりそれは「戦わない」ということなのだ。

 戦わなければ、その軍備が敵に負けていることを証明したことにはならないし、戦わなければ、自分の国の軍隊が敵よりも弱いということを証明したことにはならない。あるいは、軍備だけではなくて戦略的にはまさしく「戦わないことも戦いのうち」という考え方で行くのであれば、そこそこの軍備でもっても、結局は「戦わないことは、常に負けない」のであるのであるから、それは「勝った」のも同じことなのだ。

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 戦争において大事なことは、「勝つことよりも、負けないこと」というふうに視点を変えてみれば、まさしくこの「戦わないこと」が、実は軍隊において一番大事なことなのだ、ということに気が付くのである。

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 自衛隊が「戦わない軍隊」であることの重要さは、ここで証明される。日本の自衛隊は1950年に警察予備隊として発足以来、一度も戦闘において負けたことのない軍隊なのだ。

 これって、実は世界最強じゃない?

NIKON Df AF Nikkor 50mm f/1.8 G @Yokosuka ©tsunoken

 明日も、多分横須賀ネタ続きます。

2017年9月 5日 (火)

駒込の謎・大師道

 駒込駅から六義園の染井通りを通って染井橋を渡るとちょっと先に、道を右に曲がってすぐのところの家の塀に半分埋まってしまっている「大師道」という碑がある。

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 この道をまっすぐたどっていくと西新井大師につながる道なので「大師道」なのだという説がある。確かに北東の方向にだいぶ行ったところの尾久あたりに「左 王子稲荷/右 西新井大師」という昔の方向指示の碑があったりはするが、それはちょっと遠い感じがする。

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 いやいやこのすぐ先にある「西福寺」というお寺が、昔は「大師様」と呼ばれていたので、そこに至る「大師道」だという説もある。

 確かに、「大師道」の碑のちょっと先にある「門と蔵のある広場」(旧丹羽家住宅)の先を左に行くと真言宗豊山派の西福寺というお寺がある。なるほど、真言宗なら始祖は空海(弘法大師)なので、西福寺を「お大師様」と呼んだ時期があるのかもしれない。

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 西福寺の説明版にはこうある。

     『西福寺

 真言宗豊山派の寺院で、藤林山歓喜院と号し、西ヶ原無量寺の末寺である。
 本尊は、徳一大師の作と言われている木造阿弥陀如来立像である。創建の年代は明らかではないが、「江戸切絵図」や「江戸名所図会」・「新編武蔵風土記紀稿」などにも記事があり、駒込に江戸時代から続く寺院である。
 この寺が位置する染井地区は、江戸時代、大名屋敷が多くあり、近くに津藩藤堂家の下屋敷があったことから、その祈願寺となっていた。また、近隣には植木屋も集住しており、その菩提寺ともなっていた。
 かつての境内地は、非常に広大であったが、明治維新後に縮小されたといわれている。
 境内には、明暦元年(一六五五)に造られた六地蔵がある。これは「六道」すなわち地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・入道・天道について教えを説くための六体の地蔵が刻まれたものであり、豊島区内では最古のものである。
 墓地には、徳川将軍家の御用を務めた植木屋として名高かった伊藤伊兵衛政武(四代目、宝暦七(一七五七)年没)の墓がある。政武は樹仙と号し、『増補地錦抄』などを著わした、江戸時代の先駆的な植木屋である。この墓所は、東京都史跡に指定されている。

   平成二三年三月

                  豊島区教育委員会』

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「お大師様」については何の記載もないということは、このお寺は真言宗ではあるけれども、「お大師様」ではないということなのだろうか。まあ、「かつての境内地は、非常に広大であった」というのならば、例の「大師道」自体が寺の境内だった可能性もあるわけで、そんなところに「大師道」なんてあるわけないもんなあ。

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 境内の弘法大師は何も答えてくれないもんなあ。

 ということで、ますます謎が深まる「大師道」なのでありました。

NIKON Df AF Nikkor 28mm f/2.8 @Komagome Toshimaku ©tsunoken

2017年9月 4日 (月)

ラクロス vs. アメフト(?)

 一昨日の9月2日は大井第二球技場でラクロス東日本クラブチーム選手権のレギュラーシーズン最終戦、デサフィーオvs.東京ラクロスクラブ戦が行われた。

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 一方、昨日はXリーグ・アメリカンフットボールの第一戦、ノジマ相模原ライズvs.BULLSフットボールクラブ戦が富士通スタジアム川崎で行われたのであります。

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 両方ともアメリカ生まれのスポーツであるし、ヘルメットやプロテクターなどの装具を付けて行うスポーツなのだが、かたや9月の初めでレギュラーシーズンが終わってしまい、これからはまず学生の各地区選手権が8月の後半からスタートし、延々とクラブチームの日本選手権、クラブチームと学生で決める日本一決定戦までポストシーズンが11月頃まで続くわけなんだが、もう一方は学生もクラブチームもこれからがレギュラーシーズンにインして、11月頃に終了、それから来年の年明けまでポストシーズンという、シーズンに関する考え方が違う。

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 なんでこんなに考え方が違うんだと思ったんだが、要は双方のスポーツのマイナーぶり競争みたいなものではないのだろうか。

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 アメリカンフットボールはまだ富士通スタジアム川崎みたいな専用競技場やアミノバイタルフィールドみたいなほゞ専用競技場がまだあるが(それでもこの二つだけ)、ラクロス専用競技場というのは一切なく、大体がサッカー場を使って開催される。

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 まあ、ほんのちょとだけ歴史が古いアメリカンフットボールの方に多少分があるという程度で、例えば野球やサッカーみたいにほゞ一年中いつでもゲームが開催可能なスポーツとは違うんだなあ。まあ、大学のグラウンドを使えばゲームはできなくはないが、でも観客席付きの競技場なんてアメリカの大学じゃないんだから、日本では無理。

 ということで、よその球技があまり開催されていない時期にやるっていうね。ちょっと悲しいね。

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 本来は、9月から始まる新年度や新学期に合わせて、ウィンタースポーツであるはずのアメリカンフットボールやラクロスも、日本ではまだまだ暑い真っ盛りにヘルメットとプロテクターを付けて試合を行わなければならない。まあ、選手は鍛えているので、あまり熱中症で倒れたっていう話は聞かないけれども、実は、結構大変な思いをしてスポーツをやっているんだろう。

 えっ? それぞれの試合の結果だって? 確かに私の知り合いが出ている試合なんで、結果が気になって観戦に行ったんだが……、まあ、結果は問わないってことで……。

NIKON Df SIGMA DG 150-500mm f/5-6.3 APO HSM @Oi & Kawasaki ©tsunoken

2017年9月 3日 (日)

アナログ写真なのか、デジタル写真なのか……いやいや、アナログなのか、デジタルなのか

 アナログカメラとデジタルカメラをいろいろ使っているんだけれども、実際にはどう違うんだろう。

Dsc_00582 NIKON Df AF Nikkor 28mm f/2.8 @Kanazawabunko ©tsunoken

 実際に使っている感覚(撮影している時の感覚)としては、何ら変わることはない。絞りとシャッタースピードを決めて、射角を決めて、後はシャッターボタンを押す、という作業はアナログであろうが、デジタルであろうがまったく同じ作業をしているわけだ。

 まあ、写真が「光と影の表現」である以上は、それは当然のことなのであって、まあ写真の基本ですね。

Dsc_00542 NIKON Df AF Nikkor 28mm f/2.8 @Kanazawabunko ©tsunoken

 実際には、撮影した後の作業がひと手間アナログの方がかかるわけである。つまり現像(プロセス)という作業がかかる。しかし、この作業、小学生の頃に写真クラブにいた頃以来自分でやったことはない。やり方は知っているけれども、自分でやるのはちょっと面倒なので、すべてラボ任せである。

Img0052 CONTAX T2 Carl Zeiss Sonnar T* 38mm f/2.8 @Shinjuku ©tsunoken

 さらに現像から上がってきたフィルムをスキャンするという作業が、アナログの場合はある。デジタルの場合はSDカードなどをパソコンのスロットに差し込むだけでいい作業を、コマに移った映像をひとつひとつパソコンに取り入れていく作業だ。といっても、別にそれは自分でひとつひとつ入れていくのではなくて、スキャナーが勝手に12コマづつ取り込んでくれるので、まあ、そんなに面倒な作業じゃない。問題は「待ち時間」のみ。

Img0092 CONTAX T2 Carl Zeiss Sonnar T* 38mm f/2.8 @Shinjuku ©tsunoken

 スキャナーでパソコンに取り込んだ後の作業は、もうアナログもデジタルも作業の違いはない。プリントするコマ、あるいは何らかの形でネット上にアップするコマを選んで、コントラストや色味などを調整したり、リサイズしたりして、最終的な仕上げの画像の形態にしていくのである。

Img0232 LEICA M6 Leitz Elmarit-M 28mm f/2.8 @Ginza ©tsunoken

 つまり、「現像」「スキャン」という作業がアナログとデジタルでは違うっていうんだが、デジタルでもJPEG等の画像にする前に実はRAW現像という作業を実は私たちに(普通は)見えない部分でデジタルもやっているんだという考え方もあって、であるならば実はアナログもデジタルも同じ作業をやっている。違いは薬剤を使うか使わないかだけのことでしかない。

Img0122 LEICA M6 Leitz Elmarit-M 28mm f/2.8 @Ginza ©tsunoken

 ということは、実はアナログもデジタルもやっている作業は全く同じであり、なんとなくデジタルカメラとアナログカメラって違う種類のカメラだという意識があったんだが、本当はまったく同じ「プロセス」を経て画像を作っているだけだということになる。

 まあ、違いは「印画紙」という実際に存在する「モノ」にプリントするアナログと、ネットという実在しない「コト」によって表現されるデジタルの違いがあるんだが、まあ、それも「紙にプリントしちゃう」という表現方法をとるならば、全く同じということになる。

 結局、デジタルというのはアナログをアナライズしてプロセスする過程なんだっていう風に考えると、「なんだアナリグもデジタルも同じじゃないか」ということになる。

 つまり、以上はカメラの世界に置き換えて話をしたんだけれども、ポイントはそうじゃなくて、すべてにおいて「アナログもデジタルも、実はやっていることの本質は何ら変わらない」ってことなんだ。

 問題は「途中の方法論」だけが違うってこと。

 そうなると、「アナログが云々」「デジタルが云々」っていう考え方自体が不毛だってことがよくわかる。

2017年9月 2日 (土)

CONTAX T2で新宿だ! 森山大道撮りだ!

 先日、カメラ防湿庫の整理をしていたらコンタックスT2が出てきた。

 ありゃあ、忘れていましたよ、このカメラを持っていたなんて。コンタックスTでもって評判が良かったので、それをオートフォーカスにしましたってカメラなんだけれども、勿論、マニュアルフォーカスもちゃんと使えます。まあ、レンズのバレルでもってフォーカス合わせをするのではないというところが、ちょっとばかりマニア心をくすぐらない。

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 バッテリーを入れたらちゃんと動くので、そりゃあ早速撮影に行かなくちゃ、ってことで繰り出しました、新宿へ。

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 って言うかねえ、この辺の「アナログ・コンパクトカメラ→森山大道か荒木経惟→森山なら新宿か横須賀、荒木なら新宿か町屋」っていう発想で、新宿にきて、裏道カメラで、っていうワンパターン、どうにかならないもんか。

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 コントラスト強めに出しました、って?

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 ゴールデン街ですからって?

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 だからどうなのよ。別にフツーの写真じゃん。

 ってところが大事なんだなあ。「フツーの写真」ってところが、永遠のサブカメラとしては重要なところなのですね。ただし、アナログだけれども。

 まあ、ライカやニコンなどとはフィルムの走行方向が逆なので、スキャンするといちいちひっくり返さなければいけないってのが、ちょっと面倒だけど。

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 カール・ツァイスTスターの描く世界ってのもいいなあ。って、別にそれはニコンだって実はもっといいんだけれどもね。

 うっう~ん、別に評価すべきところは何もないカメラ。まあ、そこがサブカメラとしては重要な部分なんだ。

CONTAX T2 Carl Zeiss Sonnar T* 38mm f/2.8 @Shinjuku ©tsunoken

2017年9月 1日 (金)

高崎の憂鬱

 群馬県には利根川を挟んでお隣同士でありながら、実に仲の悪い「前橋市」と「高崎市」というのがあるのです。

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『廃藩置県により明治4年10月(1871年12月)に誕生した群馬県の県庁は当初、高崎に置かれていた。しかし、県庁の建物は高崎城内にあり、軍事上の要地であったことから、翌年1月に政府の兵部省に接収されてしまった。当時の高崎には他に県庁舎として代用できる建物がなく、やむを得ず太政官に許可をもらい、県庁を前橋城内に移転した。この時は、高崎の住民も事情を察してか、大きな混乱が起こることはなかった』

 まあ、もともと高崎藩と前橋藩という雄藩を一緒にしちゃおうという明治政府(薩長政府)の考え方が甘かったんだな。まあ、群馬県で一番大きい都市だし信越道、上越道、日光御成道の交点にあるという交通の要所でもある高崎を県庁所在地にするのは間違ってはいなかったんだけれども、問題はまだ落ち着いていない明治政府としては交通の要所でもあるということは軍事上の要所でもあるということで、そんな場所を県庁に明け渡すにはいかなかったという事情があったのだ。まあ、この辺「軍事」と「行政」のどっちが上に立つんだってことが認識されていなかったんだな。

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『1873年(明治6年)に群馬県令(現在の群馬県知事)に就任した河瀬秀治は入間県(現在の埼玉県)の県令も兼任していたため、県庁のある前橋と川越のあいだ(距離にしておよそ100km弱)を頻繁に行き来しなければならず、業務に支障を来たした。政府はこの事情を考慮して、同年6月、群馬・入間両県を合併して熊谷県とした。熊谷県の県庁は熊谷に置かれたため、前橋は県庁所在地でなくなった。
 ところが、政府が全国的に実施した府県の大規模統合により、3年後の1876年(明治9年)熊谷県がふたつに分割された。熊谷県の旧武蔵国の範囲が埼玉県に併合され、残りの範囲に栃木県からもらい受けた館林県をあわせて、再び群馬県が誕生し、県庁は高崎に戻った。しかし、以前県庁として使用していた高崎城は陸軍省(旧兵部省)に陣取られていたため、県庁舎に代用できる建物がなかった。とりあえず高崎にある安国寺を県庁舎としたが、手狭のために各課を分散配置して県政運営をしなければならず、業務は混乱を来たし、県令の責任問題にも発展しかねない状況に追い込まれた』

 問題はここから大きくなるのだった。

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『新たに群馬県令に就任した楫取素彦(吉田松陰の義弟にあたる)が、明治政府に前橋城内の建物を仮庁舎として使用させてもらえるよう交渉し、大久保利通内務卿の許可を取り付けた。高崎の住民に対しては、「県庁移転はあくまで一時的なものであり、地租改正の業務が終了すれば県庁を高崎に戻す」と約束して納得させた』

 というNHK大河ドラマ「花燃ゆ」で大沢たかおが演じた楫取素彦(小田村伊之助)の二枚舌というか朝令暮改というか、要は先を見通していなかった政策がいけなかったんですね。

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『それから4年余りの歳月が経過し、前橋は政治の中心地としての機能が整いつつあり、経済力も備えていた。いまさら高崎に県庁を戻すメリットはないと判断した楫取県令は1880年(明治13年)11月に、住民にはあくまで内密にして松方正義内務卿に県庁舎を前橋に置きたいという旨の伺い書を提出した。そして翌年の1月、県庁を前橋に置くことが、太政官布告により正式に決定した』

 その後、これは裁判となり結局高崎は敗れるんだけれども、その後、高崎と前橋は利根川を挟んで睨みあったまま、現在に至るってわけです(『』内はWikipedia)。

 選挙の時も相変わらず高崎と前橋は睨みあったまま、両方で独自の自民党候補を立ててます。

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 そのうち、高崎の経済的地盤沈下は前橋のせいだなんて言い出すんじゃないかと思ったんだが、さすがにそれはなくて、実は前橋も同じ事情で、結局、その経済的地盤沈下に打つ手はないというのが、実は前橋、高崎の両市の結論ってのも、ちょっと情けない。

NIKON Df AF Nikkor 50mm f:1.8 G @Takasaki ©tsunoken

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