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2017年8月14日 (月)

大泉学園はなぜ「国立」になれなかったのか

 練馬区の大泉学園町と国立市の共通項は?

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『練馬区大泉学園町 ... 1924年から168万平方メートルもの開発が始められた。大泉村 (東京府)北部に大規模な学園都市の開発を図り、碁盤目状に土地整備がなされた』

『国立学園都市 ... 甲州街道沿いを除き雑木林であった同地を学園都市構想に基づき大学を誘致し開発』(両方ともWikipedeiaから)

 実はこれ、両方とも同じ会社が開発したのであります。その会社とは「箱根土地株式会社」という、1919年に堤康次郎が起こした会社。つまり、のちの「コクド(旧国土計画)」、つまり西武グループの開発会社で、現在はプリンスホテルに吸収されている。

 箱根土地は大泉学園や国立学園都市の他にも、目白文化村や渋谷区の百軒店、小平市の小平学園町なんかの開発も手掛けた、当時の一大デベロッパーだったわけなのだ。

 その箱根土地が同じような時期に手掛けたのが大泉学園と国立だったというわけ。

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 1920年(大正8年)に設立された東京商科大学は、1923年(大正12年)の関東大震災で甚大な損害を受け、石神井に仮校舎を作ったのが1924年、1927年には全学的に石神井仮校舎で授業を始めた。まあ、この時期はまだ練馬に東京商科大学が来る可能性はあったわけだ。

 その一方、1925年に国立(及び小平)への移転が決まり、1931年に移転終了。1949年には一橋大学へと校名を変更して現在に至るというのが、大学の歴史。

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 つまりこの1920年から1930年の間に堤康次郎がいろいろ暗躍して、一橋大学の練馬あるいは国立への移転工作をいろいろやったっていうわけ。まあ、現在の加計学園問題なんか比較にならないくらいの、政界工作やら根回しなんかがあったんだろう。何しろ「政商」堤康次郎ですからね。それにしても「両天秤」はないよなあ。どっちに行くにしろ、儲かるのは箱根土地だもんなあ。

 で、結局、大学は国立へ移転となり、大泉学園には大学どころか、何の教育施設も来なかったっていうわけ。

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 まあ、現在は高校まではできて、取り敢えず「何となく学園都市」っぽくはなっているけれども、でも、やっぱり「大学がない学園」ってねえ。別に普通の街と変わらないじゃない。近所の和光市に「税務大学校」なんてのがあるけれども、これは普通の学生が入れる学校じゃないから、除外。

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 まあ、結局「大泉学園町」なんて名前だけが残ってしまったというわけ。今ではもう大泉学園に移転しようとか、新設しようなんて大学は、当然、現在の練馬区の土地代や残っている未開発地のことを考えたら無理筋になってしまったっていうお話。

 よっぽど土地代をお安くしてくれれば、お金はないけど都内に戻りたがっている某中央大学あたりがノッてくるかもしれないけどね。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f:2.8 D @Kunitachi ©tsunoken

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