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2017年8月

2017年8月23日 (水)

LEICA M3 SUMMILUX 50mm

 つい先日、手放したライカM3とズミルックス50mm/f:1.4で撮影した最後の写真が以下の通り。

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 何故、手放したのか。

 私の手持ちのライカM3は初期型のダブルストロークのタイプで、それは別にかまわなかったのだけれども、やはりダブルストロークの分、速射性に欠けるということと、露出計がついていないので、これまた外部の露出計を使わなければいけない分、速射性という部分で、どうしてもマイナスになってしまう。

Img0082

 さらに、これも外付けのファインダーを使えば済むことでもあるんだが、正規のファインダーが50mmが一番広角という点が、やはり使いづらかった。

Img0252

 といったことは、実は今年の二月に横手市へ「ぼんでん祭り」の取材に行って感じたことではあった。

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 ということで、フィルムカメラのメイン機材をライカM6に変更したのであります。

 こちらは露出計を内蔵しているし、ファインダーも28mmまで使える。まあ、実はそんなことは百も承知だったんだが、やっぱりM3の魅力っていうか、レンジファインダーの最高峰っていわれちゃうと、ついついね。

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 で、実は現在ニコンDfでほとんど使っているレンズがニッコール20mmなので、この間ライカM6で35mmのレンズで撮影したんだが、なんかほとんど標準レンズ感覚で使えたのである。ということは、今後は35mmを準標準で使って、実は50mmは準望遠的感覚になり、28mm、20mmを広角として使うっていう感じになるのかな。

 デジカメのメインはニコンDf、サブはニコンD7000とエプソンRD1s、フィルムカメラはライカM6、ニコンF4、ニコンNew FM2っていうラインナップになるのだろう。しかし、こうなるとフィルムカメラの一眼レフもF4、New FM2じゃなくてニコンFが欲しくなってくるなあ。フォトミックファインダー付きの。

 とまあ、物欲の種は尽くまじってやつですかねえ。

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LEICA M3 Summilux 50mm f:1.4 @Ginza ©tsunoken

2017年8月22日 (火)

野毛、子神社祭礼

 横浜の野毛には「子神社」(ねのじんじゃ)というのがあって、ちょうど8月の19日と20日が祭礼の日だった。

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 横浜には二か所「子神社」があって、ひとつがここ野毛(黄金町)で、もうひとつが保土ヶ谷区今井町にある。

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 両方とも大国主命が祭神で

『大国主命の遣いが子(ね、ネズミ)であるため、甲子(きのえね)の日に祭事を行っていたことから「子の神様」と言われ、神社の名称にもなった』(Wikipedia)だそうである。

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 ここ野毛の子神社の祭礼は、8月18日が宵宮で、19日が子供の山車、20日が神輿の渡御で、多分、20日は黄金町・野毛の商店街は大賑わいとなるんだろうな。

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 江戸時代末期に東海道と横浜港を結ぶ「横浜道」となった大岡川を挟んだあたりは、昔からの繁華街で、今でも伊勢佐木町や、そこと大岡川を挟んだ野毛辺りは大きな飲食店街というか、飲み屋街となって、横浜の下町を代表する地域だ。

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 できれば8月20日の神輿の渡御を見たかったが、残念ながらその日は予定が入っていて見られなかった。まあ、お祭りを見に来たわけじゃなくて、来たらたまたまお祭りをやっていたっていうだけなので。

 それも仕方ないか。

 まあ、この撮影風景もそうだしな。

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 まあ、来年の楽しみにとっておこう。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f:2 D & AF Nikkor 20mm f2.8 D @Koganecho & Noge Naka Yokohama ©tsunoken

2017年8月21日 (月)

『アーティストが見た黄金町』って、どんなだ?

 一昨日紹介した「黄金町バザール2017」の催しのひとつに『「アーティストが見た黄金町」展』というのをやっているので、今日はそれをご紹介。

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 この写真展は、多分全国的にも珍しい、公営の寄席劇場「横浜にぎわい座」二階で開催中で、これまで「黄金町バザール」に参加してきたアーティストたちが見てきた黄金町の風景を写し取ったもの。

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 主催者「ごあいさつ」に曰く

『NPO法人黄金町エリアマネジメントセンターと初黄・日ノ出町環境浄化推進協議会が共催する「黄金町バザール」は、今年で10回目の開催を迎えます。

初黄・日ノ出町地区は、かつて約260店舗の違法風俗店舗が軒を連ね、まちの商店や地域住民の転出が生じるなど、生活環境の悪化が深刻な問題となっていました。

2005年の神奈川県警察本部による一斉取締の後、まちの賑わいを取り戻すために、地域、警察、行政、企業、大学が連携し、安全で安心なまちの再生という課題に取組んできました。

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そして2008年の1回目の「黄金町バザール」の開催を機に、アーティストの日常的な活動場所としてまちを開き、異なる文化的背景をもつアーティストたちが集まるエリアへと変化してきました。新しい住民としてのアーティストが活動に加わり、多様な文化や世代が共存することは、まちに新しい人と人との関係や時間の流れを生み出す活力となっています。

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本展では、これまで「黄金町バザール」に参加したアーティストや関係者が見てきたまちの風景を写真で紹介します。
時間の流れとともに変化してきた黄金町の歩みを、
「黄金町バザール2017」本展と合わせてご覧ください。』

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 参加しているアーティストがすべてフォトグラファーではないし、撮っている写真にも「黄金町バザール」の背景にある「地域、警察、行政、企業、大学」の影が透けて見えている作品なんかもあって気にはなるが、そういったものも全て含んで「表現」なんだとも思えないことでもない。

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 黄金町と黄金町に集うアーティストって、一体どんな人たちなんだろう、という興味でご覧になったらどうだろうか。

『黄金町バザール2017』の公式サイトはコチラ

NIKON Df AF Nikkor 20mm f:2.8 D @Noge Naka Yokohama ©tsunoken

2017年8月20日 (日)

『ネットは基本、クソメディア』

 結局、かつて『ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は「2ちゃんねるはゴミため」という趣旨の発言をしたことがある。同じくジャーナリストだった故・筑紫哲也氏も「ネットの書き込みは便所の落書きのようなもの」と言っていたものだ』という時代とあまり変わっていないってことなんだな。

Photo_2 『ネットは基本、クソメディア』(中川淳一郎著/角川新書/2017年7月10日刊)

 タイトルは「ネットはクソメディア」と言っていながら、どうもそうではないような言い回しが気になるんだなあ。

『タモリ、明石家さんま、ビートたけし、イチロー、安倍晋三といった誰もが知っている人物についてグーグル検索をすると、1ページ目にはウィキペディアや公式ページが出たり、多くの人に読まれたであろうニュースが出たりする。しかし、テレビを見ていて「この人ってどんな人だっけ……」と思う人物が出てくると途端に怪しげなメディアが続々と1ページ目に表示されることが多くなっている。
 こういったサイトが「信頼性の高いサイト」としてグーグルからは上位に表示されるようになっているのだが、こうした「このキーワードを入れれば人々の関心を呼ぶだろう」と考えた結果の構成である。これらのサイトの特徴は芸能人の名前が基本的にフルネームで書かれており、ダラダラと一つの記事が長いことである。グーグルがここを評価し、検索上位にしてくれる、という情報がサイト管理人達の間で共有されていると見られる』

『旧来型のメディアでは基本的には「取材をする」ことがベースにあった。事件や事故の現場に行き、周囲の人の話を聞く。何かの事象について、専門家のコメントを取る。こうしたやり方を「足で稼ぐ」と呼び、メディア人にとっての報道するにあたっての矜持となっていた。
 一方、ネット時代になると、スペースが無尽蔵になったため、紙や電波では載せないレベルのものであろうとも、載せる場所だけはあるためキャッチーな記事に仕立てあげられたならば載せるという判断をする。だからこそ、芸能人がコストコで購入した戦利品を公開したり、女子会をしたことをブログで報告したりすればニュースになる』

 と、こうなってしまうと基本に立ち返って「ネットはメディアなのか?」という疑問を再び繰り返さざるを得なくなるのだ。

『まだネットに対する希望に溢れている2009年に私は『ウェブはバカと暇人のもの』という本を書き、ネット編集者の立場からネットへの幻想を批判した。2013年に『ネットのバカ』を書き、ネットがもはや「普通の人」たちのものになったことを指摘した。本書を出すことになった2017年、ネットの影響はさらに大きくなった。テレビ・新聞・雑誌・ラジオという既存の4マスメディアであってもネットの発信力を活用したり、ネット発のニュースを大々的に取り上げたりしている。
 しかし、ネットの実態はまだまだ無法地帯であり、ゲス業者とクソ記事が溢れる地獄絵図でもある』

 つまりそれは「普通の人」たちのものから「普通の人たちを利用するもの」になってしまったってこと。

『かつて私はラジオでもっとも信頼できるネットメディアについて聞かれて、新聞社・通信社・テレビ局の情報を除けばヤフーであると語ったことがある。それは圧倒的なPVがあること、そのおかげで制作費もそれなりに充実してそこに手間が掛けられること、加えてメディアとして信頼されるものでなくてはならないという強い自負があることなどが理由だ。私自身がネット編集者として記事を配信するなかでも、もっともチェックが厳しいメディアであるという印象を受けている』

 という時点では、まだ「ネットもメディアである」という意識があったんだが

『「まとも」に作っておけば問題がない手法だったにもかかわらず、著作権に疎く、編集・執筆の実際に疎い者達がカネのためだけにメディア事業を運営したことが問題だったのだ。また、「所詮は文字と写真、別に誰も死なない」「我々はネットの新興メディアだから、それなりのやんちゃは許される」といった意識があったのかもしれない。そこまでの問題は起きないという危機意識のなさもあったことだろう。
 今回、様々なニュースでは「WELQ問題」や「DeNA問題」といった報じられ方もあったが、WELQや、それを抱えるDeNAだけの問題というわけではない。むしろ、ネットメディア全体のコンテンツの作り方と、ビジネスのあり方について問題視しなくてはならないのだ』

 という時点では、もはや「ネットはメディアではない」単なる情報の糞溜めだっていうことになるんだが、それは当たり前のこと。

 と言ってねえ、

『ネットと上手く付き合う10カ条』ってのがあるんだが

『①グーグルは全面的に信用するな
②クソサイト独特の文体や、記事の長さ、ページ構成を理解せよ
③信頼できるサイトを見つけ、そこを情報源にする
④RT、シェアする前に一呼吸
⑤ヤフーが頻繁に選ぶメディアをチェック
⑥ニュースアプリだけではダメ
⑦大企業・官公庁はそれなりに信頼できるので、確認するにはそれらをチェック
⑧健康情報は安易に信じるな
⑨センセーショナルな話、いい話、ウィットに富んだ話は疑ってかかれ
⑩良質な情報獲得には時にお金を払う必要があることを理解する』

 ってなっちゃうと、なんかどんどん当たり前すぎて読む気にもならなくなってくる。

 要は「ネットで」「タダで」入ってくる情報なんて、基本的に情報としてのない、クソみたいな情報でしかないということ。「タダで」入ってくる情報なんていうものは、基本的にその情報の発信者が何らかの理由があって「タメにする」目的で流したものに決まってるじゃん、っていうメディア企業にいたら当たり前の価値判断でしかないのである。

 なんか中川淳一郎氏自身がネット企業との仕事が多すぎて、なんかネット寄りに劣化してきてるんじゃないかとも思えてしまうのだ。

 もうちょっとはまともなネット・ジャーナリストだと思っていたんだが、どうもそうではなくなってしまったようだ。

『ネットは基本、クソメディア』(中川淳一郎著/角川新書/2017年7月10日刊)

2017年8月19日 (土)

黄金町バザール2017

 以前、野毛と伊勢佐木町の間、京浜急行の日の出町と黄金町の間の大岡川沿い、昔は青線だった高架下が今やアートスペースになっているというのを紹介したことがあるが、そこで今年も「黄金町バザール」を開催中なのでご紹介。

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 まあ、少しづつではあるが黄金町高架下のアートスペースも増えては来ているようだ。

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 といってもねえ、まだまだ昔の青線時代の建物も残っていて……

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 こんないかにも昔は「ちょんの間」だったような建て方のまま、今は別の商売をやっているところも散見できる。もちろん、今は売春宿じゃないよ。だけど、小商売向けにはその狭さが良かったりしてるんだろうな。

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 まあ、そんなことで一度は黄金町までいらっしゃいな。昔ほど剣呑な街ではありません。

 ただし、どこに何があるか、どんなアーチストがいて、なにをやっているのかが分からないっていうのは、こうしたイベントでもやらないと解決できないってのは。ちょっとマイナスポイントだなあ。

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2017

「黄金町バザール 2017」は、VOL.1が8月6日から9月13日まで、VOL.2が9月15日から11月5日まで開催。ただし、内容によっては公開日がいろいろなので、事前に公式サイトで日程とチェックしたほうがよさそう。

公式サイトはコチラ

NIKON Df AF Nikkor 35mm f:2 D @Koganecho Naka Yokohama ©tsunoken

 

2017年8月18日 (金)

都立足立高校って…何よ?

 東京都立足立高校ってなんだ? って言われても、「私の出身校です」としか言いようのない、ごく普通の地味な高校である。と言えるようになったのも、実はあの悪名高い「学校群制度」のおかげなのだ。

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 学校群制度とは何かといえば、要は都立普通科高校を単独じゃなくて2~3校の「学校群」としてまとめ、入学希望者は「学校」を選ぶんじゃなくて「学校群」を選ぶという、入学希望者の「学校選択の自由」を奪った、1967年から1982年まで行われた都立高校の入学希望者選抜方法だったというわけ。まあ、その最初の犠牲者っていうか、被害者っていうか、要は対象受験生だったのでした、1951年(昭和26年)生まれの私たちの年代が。

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 私が属していた第5学区というのは、元東京市立第二中学であった上野高校、東京府立第一高等女学校であった白鷗高校が堂々たるナンバースクールで、その次に位置するのが東京府立第八中学校であった江北高校というのがあった。

 これが学校群というものになって、上野高校と白鷗高校が第52群になって勿論第5学区のナンバーワン。次に位置したのが京橋、日本橋、紅葉川という第1学区との共同学校群があって、江北高校と足立高校という第53群があった。この第53群というのが曲者で、江北高校はまあいいとして、それと一緒の学校群になった足立高校というのが、元々は女子実業学校という、まあ普通科としては下から数えたほうが早いくらいの偏差値の学校で、「上野・白鷗」群とは異なり、確実に「江北の偏差値を下げるために」作られたような学校群なのであった。

 まあ、学校群制度の目的のひとつは、この「偏差値を下げ(標準化する)」て受験競争の過熱化を抑えるってことだったのだから、それもわかる。

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 でも、入るほうはたまんないよ。自分は江北高校に入るつもりだったのに、入試の成績順位が奇数番の人は江北高校に入って、偶数番の人間はいやでも足立高校なんだもんなあ。勿論、もうちょっと頑張って第52群に入れるような成績をあげていればいいのであったが、みんながみんなそういうわけにはいかないじゃないですか。一方、足立高校の教師たちは「自分の学校の偏差値が上がる」といって勝手に大喜びしたわけなんですね。

 ということで、行きたくもなかった足立高校に振り分けられた人間としては、私は面白くない。ってなもんで、高校に進学してからは全く勉強に身が入らず、入学試験では一桁台の順位だった私も、入学してからの実力試験では三桁台に急降下。「何やってんだ!」とまあ、教師からは叱られたものの、「そんなのあんたには関係ないでしょ」って居直る生徒となってしまったのでありました。

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 足立高校の先輩としては北野武氏なんかもいたのだが、あの人はもっと偏差値が低い時代の足立高校生だったわけだし。でもまあ、それでも明治大学に入ったんだから、足立高校では勉強ができたほうだったんだろうな、という程度の高校だったんだ。

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 まあ、だから高校生運動なんてものに走っちゃったんだとは言わないけれども、この間、久しぶりに足立高校を見に行ったついでに東武伊勢崎線の梅島駅の近所に「昔あった」宇宙センターっていうパチンコ屋さんの二階にある「シルビア」っていう喫茶店がまだあったのには感激!

 この喫茶店が、昔高校生運動時代にいろいろな「謀議」やら「悪事」を巡らした店だったんだ。

 いやあ、今でも残っていたんだなあ。今どき希少種ですよ、こんな喫茶店。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f:2 D @Chuo Honcho Adachi ©tsunoken

2017年8月17日 (木)

東京メトロ千代田線北綾瀬駅

 東京メトロ千代田線は北千住から先に行って、綾瀬駅から先がJR常磐線になるのだが、では綾瀬駅の次の駅をご存知だろうか。

 えっ? 亀有だろうって? 違いますね。それはJR常磐線の話。そうじゃなくて東京メトロ千代田線のままの路線があるんですね。

 北綾瀬っていう駅があるんですよ。それが東京メトロ千代田線北綾瀬支線っていう路線にね。

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 綾瀬駅の「0番線ホーム」から3両編成の電車が綾瀬駅から綾瀬車両基地に向かって走り、環七との立体交差のちょっと手前にあるんです、「北綾瀬駅」が。

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 元々、東京メトロとしては千代田線の綾瀬車両基地を作る際に、周辺住民からの要請があったら作ろうとしていたらしく、1969年の千代田線開業から10年後の1979年12月20日に「千代田線北綾瀬支線」が開業し、北綾瀬駅も開業したってわけ。

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 同じような「車両基地などを作ったついでに駅も作っちゃいました」的な駅は、山陽新幹線の博多南線の博多南駅や上越新幹線のガーラ湯沢駅なんてのもある。ガーラ湯沢駅は車両基地じゃないけれども、上野-越後湯沢間を走っている「たにがわ」の上下入換用の支線だった。

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 ということで、「アダチク」って名前の「聞こえ」は悪いけれども、隣はもう埼玉県の割には都心に出るのも近く、電車も東武スカイツリーラインは東京メトロ日比谷線(1961年開業)と、JR常磐線は東京メトロ千代田線(1969年開業)と最初から相互乗り入れをしているので、銀座や大手町なんかに極近。更につくばエキスプレスも加わって、北千住は巨大ターミナル化してるし、物価も安いってなもんで、今でも人口流入の大きい区なのであります。

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 この足立区に昔からある都立高校が足立高校と江北高校、足立工業高校、荒川商業高校の4校だったんだが、今では全部で9校あるっていうだけで、そんな足立区の人口増加の様子が分かろうかってところである。

 ということで、明日のブログはこの江北高校と足立高校をめぐる悲喜こもごもってなるはずなんだけれども、どうなるか。使用写真を選んだだけで、まだ書いていないので全く分かりません。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f:2 D @Ayase Adachi ©tsunoken

 

 

 

2017年8月16日 (水)

8月15日、喧騒より離れて

 ここのところ毎年8月15日には靖国神社まで、いろいろ見物に行っていた。

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 しかしなあ、もはや「俄か右翼の日の丸行進」とか、「単なるミリオタのコスプレショー」や「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」あたりの見え透いたパフォーマンスにも飽きたし、午後になってダレてきた右翼と警察の小競り合いなんてのにも面白さを感じなくなってしまったので、今年は靖国神社へは行かなかった。

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 ということで、今年は少し離れて皇居は二重橋前とか……

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 いつもの銀座界隈とか、あの築地周辺なんかをブラブラ。

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 う~ん、しかし見事に焼けてますなあ。というのと同時に、その火事現場のすぐそばでは普通に営業をやっている逞しさには関心させられます。

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 それこそ「東京」という感じなのでしょうか。

RICHO GRD3 GR Lens 6.0mm f:1.9 @Imperial Palace, Ginza, Tsukiji ©tsunoken

2017年8月15日 (火)

「秋津温泉」じゃないってば

 1962年の松竹映画『秋津温泉』は主演の岡田茉莉子自身のプロデュース作品であった。松竹作品主演100本記念作品として企画されたのは、松竹の主演100本の岡田茉莉子に対するご褒美だったんだろうな。まあ、それだけまだ日本映画が余裕があった時代だったわけだ。

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「エロス+虐殺」とか「煉獄エロイカ」なんかのATG作品で吉田喜重を知った私としては、ATGで再公開された本作を見て、実に意外な吉田喜重作品を見たという感触とともに、若き岡田茉莉子の美しさに感動した思い出がある。

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 実は当時「松竹ヌーベルバーグ三羽烏」の一人と呼ばれた吉田喜重は、基本的にオリジナル脚本の作品しか作らないと言われており、藤原審爾の小説が原作である「秋津温泉」を吉田喜重の手で映画化するというのは、当時の松竹としては「無理筋」だったわけで、まあ「岡田茉莉子主演100作記念映画として岡田茉莉子自身がセルフ・プロデュース」というのを「売り」に、吉田を説得しようというのが松竹側の「読み」だったんだろう。

 その「読み」が見事に当たったまではよかったんだが、ついでに看板女優を監督に娶られてしまい、おまけに松竹を退社してしまったというのは、ちょっと計算外だったかもしれない。

 西武池袋線の秋津駅で下車をして少し歩くと「秋津神社」なんてのがあって、なんとなく雰囲気があっていい感じ。いいですねえ、「古い町」って感じ(?)

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 柳瀬川河畔には「上安松地蔵尊」なんてのもあったりして、田舎臭ふんぷん、なんかもうすぐ秋津温泉の町に近づいていく感じがするんですね。

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 で、出ったー。これぞ秋津おんせーん……、なわけないですね。

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 パチンコ屋さんと並列してある「スーパー銭湯 湯の森」なのでした。

 秋津温泉は岡山県の奥津温泉がモデル。岡山県から島根県へ抜ける山あいの地にある鄙びた温泉町らしい。原作者の藤原審爾は何度かこの奥津温泉をたずね、小説「秋津温泉」を書いたそうだ。

 えー、西武池袋線秋津駅とは何の関係もないお話でした。

『秋津温泉』(原作:藤原審爾/監督・脚本:吉田喜重/共同プロデューサー・主演:岡田茉莉子/1962年松竹作品)

NIKON Df AF Nikkor 35mm f:2 D @Akits Higashi Murayama ©tsunoken

2017年8月14日 (月)

大泉学園はなぜ「国立」になれなかったのか

 練馬区の大泉学園町と国立市の共通項は?

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『練馬区大泉学園町 ... 1924年から168万平方メートルもの開発が始められた。大泉村 (東京府)北部に大規模な学園都市の開発を図り、碁盤目状に土地整備がなされた』

『国立学園都市 ... 甲州街道沿いを除き雑木林であった同地を学園都市構想に基づき大学を誘致し開発』(両方ともWikipedeiaから)

 実はこれ、両方とも同じ会社が開発したのであります。その会社とは「箱根土地株式会社」という、1919年に堤康次郎が起こした会社。つまり、のちの「コクド(旧国土計画)」、つまり西武グループの開発会社で、現在はプリンスホテルに吸収されている。

 箱根土地は大泉学園や国立学園都市の他にも、目白文化村や渋谷区の百軒店、小平市の小平学園町なんかの開発も手掛けた、当時の一大デベロッパーだったわけなのだ。

 その箱根土地が同じような時期に手掛けたのが大泉学園と国立だったというわけ。

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 1920年(大正8年)に設立された東京商科大学は、1923年(大正12年)の関東大震災で甚大な損害を受け、石神井に仮校舎を作ったのが1924年、1927年には全学的に石神井仮校舎で授業を始めた。まあ、この時期はまだ練馬に東京商科大学が来る可能性はあったわけだ。

 その一方、1925年に国立(及び小平)への移転が決まり、1931年に移転終了。1949年には一橋大学へと校名を変更して現在に至るというのが、大学の歴史。

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 つまりこの1920年から1930年の間に堤康次郎がいろいろ暗躍して、一橋大学の練馬あるいは国立への移転工作をいろいろやったっていうわけ。まあ、現在の加計学園問題なんか比較にならないくらいの、政界工作やら根回しなんかがあったんだろう。何しろ「政商」堤康次郎ですからね。それにしても「両天秤」はないよなあ。どっちに行くにしろ、儲かるのは箱根土地だもんなあ。

 で、結局、大学は国立へ移転となり、大泉学園には大学どころか、何の教育施設も来なかったっていうわけ。

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 まあ、現在は高校まではできて、取り敢えず「何となく学園都市」っぽくはなっているけれども、でも、やっぱり「大学がない学園」ってねえ。別に普通の街と変わらないじゃない。近所の和光市に「税務大学校」なんてのがあるけれども、これは普通の学生が入れる学校じゃないから、除外。

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 まあ、結局「大泉学園町」なんて名前だけが残ってしまったというわけ。今ではもう大泉学園に移転しようとか、新設しようなんて大学は、当然、現在の練馬区の土地代や残っている未開発地のことを考えたら無理筋になってしまったっていうお話。

 よっぽど土地代をお安くしてくれれば、お金はないけど都内に戻りたがっている某中央大学あたりがノッてくるかもしれないけどね。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f:2.8 D @Kunitachi ©tsunoken

2017年8月13日 (日)

『宝くじで1億円当たった人の末路』って、まあ、そんなもんです

「末路」っていうのは、基本的には「最後の姿」のことなんだが、まあ、あまりいい意味では使いませんね。行ってみれば「人生のなれの果て」ってな意味だもんなあ。

 でも、私なら宝くじで1億円当たっても、この本の例の人みたいにはならない自信はある。なぜか、それは私には「同調圧力」は関係ないからなのだ。そんなものに左右されていたら、今の私はあり得ません。まあ、その分、会社人間としては出世ができなかったわけなんですけれどもね。

 で、「宝くじ」に関する末路から考えた結論っていうのが、これなわけです。

『人生もビジネスも「リスクを取ってリターンを取りに行く作業」の繰り返し。その際。何より大事なのは、目の前のリスクとリターンを正確に見極めることです。リスクもリターンも過大評価していては、人生も仕事もろくなことにはなりません』

 まあ、要は「リスクを過大評価」してもいけないし、「リターンに過大な期待」をしてもいけないってことでしょう。

 って、あまり夢もないことなんだが、まあ、それもそうだってことにして考えると、どんどん人生が相対化されてしまう。

Photo 『宝くじで1億円当たった人の末路』(鈴木信行著/日経BP社/2017年3月28日紙版刊・2017年3月22日電子版刊)

 でまあ、いろいろな人の「末路」を書いてある本なんだけれども、じゃあどんな人たちの末路なのかといえば……

第1章 やらかした人の末路
 宝くじで1億円当たった人の末路
 事故物件を借りちゃった人の末路
 キラキラネームの人の末路

第2章 孤独な人の末路
 「友達ゼロ」の人の末路
 子供を作らなかった人の末路
 教育費貧乏な家庭の末路
 賃貸派の末路

第3章 逃げた人の末路
 自分を探し続けた人(バックパッカー)の末路
 留学に逃げた人(学歴ロンダリング)の末路
 「疲れた。海辺の町でのんびり暮らしたい」と思った人の末路

第4章 変わった人の末路
 電車で「中ほど」まで進まない人の末路
 「グロい漫画」が好きな人の末路
 外国人観光客が嫌いな人の末路

第5章 怠惰な人の末路
 癖で首をポキポキ鳴らし続けた人の末路
 8時間以上寝る人の末路
 いつも不機嫌そうな上司の末路
 体が硬い人の末路

第6章 時代遅れな人の末路
 禁煙にしない店の末路
 日本一顧客思いのクリーニング店の末路
 リモコン発見器の末路

第7章 仕事人間の末路
 ワイシャツの下に何を着るか悩む人の末路
 ワイシャツの下に何を着るか悩む人の末路?
 男の末路
 アジアの路上生活障害者の末路

 ってな具合なんだが、何だ、別に悩むようなことじゃないじゃないか、といったテーマが多いんですね。

 要は日本の社会にはびこる「同調圧力」ってやつが、基本的に人の生きにくさにつながって、それが「〇〇な人の末路」ってことになるわけなんですね。

 なので、最後の結論。

『表面だけつながった薄っぺらな友達なんてゼロで構わないし、これからの社会は一生賃貸派でも何の問題もありません(「事故物件」には気をつけるべきですが)。お金がなければ身の丈以上の教育費を投じるのではなく、親が子供を教育すればいいし、子供に奇抜な名前を付けてまで個性的な人間に育てる必要などありません(キラキラネームを付ければ個性的に育つと考えるのはそもそも根本的な誤解です)。 自分が納得していれば、他人がどう言おうと「バックパッカー」になって世界を旅すればいいし(「学歴ロンダリング」はなかなかうまくいきませんが)、「海辺の町でのんびり暮らしたい」と思えば、それもいいでしょう(一定の社交性は必要です)。「グロい漫画」が好きなら心行くまで読めばよし、いくら政府が観光立国だ、おもてなしだと騒いでも、「外国人観光客」が嫌いなら無理しておもてなしをしなくてもよし。〝意識高い系〟の人に睡眠時間の短さを自慢されても、体が欲しているなら、知らん顔をして「8時間以上の睡眠」を確保しましょう。 自分が望むことを貫けば、毎日の仕事だって、ずっと楽しくなるはずです。「日本一顧客思いのクリーニング店」の社長は、過酷な仕事なのに元気一杯でした。「リモコン発見器」の開発者も、大企業の技術者よりずっと幸せそうです。楽しく一生懸命仕事をすることは、「アジアの路上生活障害者」の希望にまでつながっています。
 同調圧力なんて関係ない。今日から自分がやりたいことをやり、やりたくないことはやめましょう。お金なんて必要最低限あればいいんです。「宝くじで1億円」当たっても、ろくなことはないんですから』

 って結論だったら、もはや何も言うことはない。

「そんなの当たり前でしょ」

 で、済ましちゃえばいいことなのであります。

『宝くじで1億円当たった人の末路』(鈴木信行著/日経BP社/2017年3月28日紙版刊・2017年3月22日電子版刊)

2017年8月12日 (土)

ウラ国分寺って、何処?

 殿ヶ谷戸庭園とか武蔵国分寺跡とかの地歴的興味もあるし、付き合っていたアニメーション制作会社があったなどの理由で、国分寺駅の南口方面にはかなりの頻度で通っていたんだが、そういえば北口方面には一度も行ったことはなかった。

 結構、剣呑な飲み屋街なんかもあるなんてことも聞いていたんだが、なぜか行ったことがなかったんだなあ。

 何故だろう?

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 ということで、先日初めて国分寺駅北口を出たわけですね。

 そしたら何かもう駅前は整地されちゃって、「駅ビル+タワーマンション」の一大工事の真っ最中なのでありました。

 なんか聞いていたのとずいぶん違うなあ、なんて考えながら、取り敢えず駅前の道を北へ向かって歩行を始めたわけですね。

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 まあ、でもたいして賑やかでもないし、ましてや「剣呑」なんてことも全くない普通の商店街が続いているのでありました。

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 どこまで歩いても同じような中途半端な商店街が続くので、ちょうど八幡様があったのでそこで方向転換。

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 西武多摩湖線の脇の道へ出たわけですね。この辺りの地名は「恋ヶ窪」。

『JR西国分寺駅北東付近は、中世に旧鎌倉街道沿いの宿場であったと言われているが、その様子は明らかではない。
 恋ヶ窪には、鎌倉御家人の中心人物として波瀾の生涯を送った秩父の武将畠山重忠とこの宿場町の遊女夙妻大夫の悲恋にまつわる一葉松(傾城の松)の伝承がある。京都聖護院の門跡の道興准后がこの地に立ち寄った際に、この悲恋を「廻国雑記」の中で次の様な和歌に残したといわれている。
「朽ちはてぬ 名のみ残れる 恋がくほ 今はた問ふも 契ならすや」』

 という由来があるそうだ。

 というか、さすがに武蔵国分寺があった場所だけあって、つまり昔はこの辺が武蔵国の中心部だということなんだろう、国分寺周辺にはいろいろな場所に遺跡が沢山残されているようだ。

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 剣呑な飲み屋街の名残は、この西武多摩湖線の国分寺駅あたりに少しだけあるものの、もはや遺跡すらもない。

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 それから比べると900年位前の遺跡が残っているなんて、やっぱり武蔵国分寺って凄いな。さすがに「古い土地」ってことなんですね。

EPSON RD1s LEITZ Elmarit 28mm f:2.8 @Kokubunji ©tsunoken

2017年8月11日 (金)

チェ・ゲバラさんって、相当なカメラ・オタクだった?

 昨日のブログ『「チェ・ゲバラ写真展」って、やっぱり「?」だよね』に書いた、「ゲバラが使ったらしいニコンS2と、S2はファインダーが50mm用しかないので5cmレンズだと思うのだが、当時の標準だったf2という割には口径が大きいので、もうちょっと明るいf1.4くらいのレンズを使っていたのだろうか」という言葉は訂正されなければならないことが判明。

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 確かに、普通ニコンS2についているレンズNikkor 5cm f2に比べるとだいぶ大きいレンズがついているのは確か。

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 家に戻って、私の手持ちのNikkor 50mm f:1.4を見たら、もっとずっと大きいことがわかった。

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 で、いろいろ調べてみたら、どうもこのNikkor 5cm f:1.1というレンズらしい。

Nikkor50mmf11

 これがNikkor 5cm f:1.1のレンズ。付いているカメラはニコンSPなので、ニコンS2よりは少し後のカメラなんだが、カメラ本体とレンズの大きさを比べると、やはりf:1.1らしい。

 この当時、「レンズの明るさ競争」みたいなのがあって、キャノンなんかはキャノン7用にf:0.95なんていう「マッチ一本の明るさで撮影できます」というレンズが発売されていた。

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 まあ、ライカのノクチルックスの影響で始まったレンズの明るさ競争なんだけれども、 じゃあ「マッチ一本の明るさで撮影」する被写体ってなんなのよ。ってなことが話題となって、実際の被写体の撮影にはほとんどf5.6とかf8で撮影しちゃうんだからf:1.1とかf:0.95なんて実は使わない絞りだったんだ。実際にこれらのレンズで絞り開放で撮影なんてしたら、フォーカスを合わせること自体が非常に難しく、まず使わない絞り開放だったんですね。まあ、「作例写真」にしか使えないレンズだったんですね、実は。

 なので、プロは普通にf:2でもf:1.4でも構わないから使っていた。まあ、そのほうがレンズも重くならないからね。で、そんな「超明るいレンズ」は「レンズ・オタク」だけが有難がった代物となってしまったのだった。

 つまり、エルネスト・チェ・ゲバラさんって、そんな実用性のないレンズで面白がって撮っていた「オタク」だったんですね。

 っていうか、そうかこのカメラとレンズはニコン(当時は日本光学)からのプレゼントだろうから、ニコンとしてはいろいろな場所でニコンS2とNikkor 5cm f:1.1を肩からぶら下げたゲバラさんはパブリシティの対象となるだろうから、それなりに意味があったということなんだな。

 変なところで、変な発見があったりするんだなあ。

『写真家 チェ・ゲバラが見た世界』展は、8月27日まで公開中。公式サイトはコチラ

2017年8月10日 (木)

「チェ・ゲバラ写真展」って、やっぱり「?」だよね

「革命家 チェ・ゲバラ」じゃなくて「写真家 チェ・ゲバラ」なのである。その『写真家 チェ・ゲバラが見た世界』という写真展が、昨日から恵比寿ガーデンプレイスのザ・ガーデンルームで公開されている。

 確かに、革命家=エルネスト・チェ・ゲバラとしては、当然撮影することより撮影対象になることの方が多く、我々も数多くのゲバラの写真を見てきている。その中に、多分カメラマンのものと思われるニコンFなどのカメラを借りて構えるゲバラの写真なんかもあって、「ああ、この人結構カメラなんかのメカニズムに興味のある人なんだなあ」などと私たちに思わせる数枚もある。

 この写真展に展示されている240点の写真は、数多く撮影された写真のうちから厳選された写真というよりは、まあ、ほとんど失敗作以外のすべての写真なんではないだろうか、と思わせる写真ばかりだ。結構「ダメ写真」もあるしね。

 当然、キューバ革命を戦っている最中の写真があるはずもない。

 そんな中南米放浪の旅を終えてキューバ革命に入る前の短い期間と、革命の後に「政治家チェ・ゲバラ」となった期間と、再びボリビアに潜伏してゲリラ活動を開始するまでの1959年から1966年までの短い期間が、写真家エルネスト・チェ・ゲバラの活動期だと言える。

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 ゲバラが使ったらしいニコンS2と、S2はファインダーが50mm用しかないので5cmレンズだと思うのだが、当時の標準だったf2という割には口径が大きいので、もうちょっと明るいf1.4くらいのレンズを使っていたのだろうか。

 だとすると、ゲバラさんってちょっとマニアックなのね。

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 そのニコンS2を下げてどこかに視察に訪れたらしいショット。うーん、確かにニコンは下げているんだが、ちょっとストラップが長すぎるような……。そんなところはマニアックではないなあ。

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 で、この写真展は実は坂本順治の新作映画『エルネスト』とのタイアップなのでした。

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 写真展図録は4,000円。展示されている作品はすべて収録。つまり、私はこちらで満足。私は写真展で写真を見るより、写真集で見るほうが好きなのだ。

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「写真家 チェ・ゲバラが見た世界」展は8月27日まで。

公式サイトはコチラ

EPSON RD1s LEITZ Elmarit 28mm f2.8 @Yebisu Shibuya ©tsunoken

2017年8月 9日 (水)

ココハ、ドコダロウ

 田中長徳氏の視神経の第三信号系ではないが、私が目指しているスナップ写真っていうのは、撮影してる場所を特定できない、「何となく」写真なんだが、写っているものが気にかかる、っていうものなんだが。どうだろうか?

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 これら一連の写真は、先日、新宿ニコンにDfの修理を出した帰りに撮った写真なんだが。

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 普段の新宿とは、通った道が少し違う。

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 さあ、果たしてここはどこなんでしょうか?

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 なーんて言っても、下二葉を見ちゃえばわかる人にはよくわかる。

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 ほらあの裏手の……。

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 まあ、その辺がまだまだ修業が足りず、ってとこなんでしょうね。

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EPSON RD1s LEITZ Elmarit 28mm f:2.8 @????? ©tsunoken

2017年8月 8日 (火)

『よい写真とは?』うーん、そんなの分かんないよ

 面白いのは、撮影現場で思いついた「上手い写真や深い写真を撮るための、単純で解りやすく、汎用性があり、ヒントになるようなシンプルで短い表現」、「忘れないうちに現場でスマホからツイートした文言がこの本の原型」なんだけれども、なんでそれが「百八」という、日本独特の数字なんだろうということ。ただし、掲載されている写真は六十三点、百八点じゃありません。

 そのすべてがいかにもハービー山口氏らしい「優しいまなざし」なんだけれどもね。

 うーん、そこまで写真を撮るという行為が、実は今や日本だけで通用する儀式みたいなものになっているんだろうか。世界市場における「デジタル・フォト」と「アナログ・フォト」のシェアがどうなっているのかは知らないが、こんなアナログフォトグラファーが生きているのって、日本だけなのかも。まあ、ハービー氏もアサインメントの仕事ではデジタルなんだろうけれどもね。

Photo『良い写真とは? 撮る人が心に刻む108のことば」(ハービー山口著/スペースハワーブックス/2017年3月31日刊)

 で、いくつか気になった、というか気に入った、というかまあ「なるほどね」と思った言葉が以下の通り。

5 『女性のポートレイトは写真家からのラブレター、男性を撮った写真は自分のヒーローやライバルへのファンレター、子供の写真は未来予想図、老人の写真はその国の歴史を物語っている』

 そうかなあ、まあ「女性のポートレイトは写真家からのラブレター」というのは、わからないでもないが、すべての写真がそういうものでもないでしょう。

16 『ポートレイトの場合、被写体と撮影者の関係性が見えてくる写真。つまりその撮影者にしか見せない表情をとらえた写真。言い替えれば、その撮影者にしか見えない表情をとらえた写真』

 フムフム

34 『とにかく自分の写真を続けること。立派な写真家になるという自分の未来像を希望と共に胸に描き、カメラを抱き締めることです。でもその中で自分の写真の課題や価値を誠実に指摘、評価してくれる人や、撮りたい人やものに出会うことが心の支えになりますね』

 まあ、それしかないもんなあ。フォトグラファーの心の支えって言ったら。

26 『初見から一日経っても、一週間経っても、一年経っても自分の中で熱い感動がさめない写真。その一方で。日々消費される写真もあるのですね』

27 『逆に初見から一週間、一年経って、または数年後に、その写真の良さがやっと理解できる場合だってあり得ます』

 う~ん、そうなっちゃうと「何を心の支え」にして写真を撮ればいいのだろう。

61 『「写真に季節があるとしたら?」「春と秋が好きです。だって、春には希望が写り、秋は寂しさが写るから!」』

62 『「それでは、夏と冬は?」「夏は色気が写り、冬は背中に人生が写るんだ!」』

 おお、言い切っちゃいましたね。まあ、ハービーさんらしいって言っちゃえばらしいんだけれどもね。

 でもハービー山口氏としては、結局はこの言葉に行きついちゃうんだなあ。

80 『テーマは大切と言いながら特に意識しなくても、何かに出会った時、自分の過去やこだわり、知識や嗜好、センスが正直に化学反応してシャッターを切るのだから、結果的に自ずと何を撮りたかったのかを知ることになりますね。「撮りたいものは全て撮れ! それがパンクだ!」に行き着くんでしょうか』

 そうか、そうきたか。ということは、それの元がp88-89写真のキャプションなのか。

『ロンドンの地下鉄、セントラルラインのホームで恐る恐る声を掛けたジョー・ストラマーさん。電車が停車しブレないタイミングです。撮れた! という実感がありました。ドアが開き。去り際に「撮りたいものを撮るべきだよ。それがパンクなんだあ」と話してくれました。1981年』

 って、何が「パンク」なのかよくわからないが、何となく「パンク」と言っているシチュエーションだけが伝わってくる。う~ん、ロックだなあ。ロンドンだなあ。

58 『ポートレイトを撮る際、頭上にスペースをとると希望が写り、靴や足下まで入れるとリアリティーが写る。横位置は被写体の周囲の状況を説明し、縦位置は被写体の本質に迫る』

 で、その「パンクな」p88-89の写真がコレだ!

R11983242 ©Herbie Yamaguch

 う~ん、なにが「パンク」なのか、私には分からない。

『良い写真とは? 撮る人が心に刻む108のことば」(ハービー山口著/スペースハワーブックス/2017年3月31日刊)

2017年8月 7日 (月)

『田中長徳写真展 私の散歩道 WIEN DEC 2016』

 京橋にある写真ギャラリー「アイランドギャラリー」で『田中長徳写真展 私の散歩道 WEIN DEC 2016』を開催中だ。

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 アイランドギャラリーは確か『屋根裏プラハ』という新潮社から同じタイトルのエッセイ集を田中氏が出版した際に、同様のタイトルの写真展を開催したところだ。多分、私が最初にアイランドギャラリーに行ったのが『屋根裏プラハ』ではなかったのではなかろうか。

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 その写真展『屋根裏プラハ』の解説で田中氏は書いた。

『そういうスナップの仕事には、カラーよりもモノクロが似合うのは、カラーだとそれが単に現実のコピーになってそれ以上に出ない為であろう。モノクロはその意味で「この世界をどのように認識しているのか」という問いが発せられるからそれだけ、哲学的な視点なのである』

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 うーん、そうなんだよな。田中長徳氏といえば、「ライカでモノクロ」というイメージがあったんだけれども、ところが、今回の『私の散歩道 WEIN DEC 2016』はすべてカラーである。

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 勿論、アサインメントの写真撮影ではカラーも当然やっているはずなのであるが、そうしたスポンサー写真以外では、常にモノクロというイメージがあったのだ。

 でも考えてみればそんな「イメージ」というものは、それを見る者が勝手に抱いているだけで、表現者としてはそれを裏切る楽しみがあってもいいのである。

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 おまけに今回の写真展への出品作は、すべてリコーGRデジタルで撮影したそうだ。

 う~ん、まあそんなお気軽撮影でもって写真展を一つ開いてしまえるってのも、田中氏のスゴさなのかもしれない。

 こうなっちゃうと、「ライカでモノクロで」なんてことにこだわっている素人カメラマンはどうすりゃいいのだろうか。って、まあ別にどうでもいいんですけれどもね。

 私だって、別に「ライカでモノクロで」にこだわっているわけではないのでね……、ってウソウソ。結構、こだわったりしているんです。上の田中氏の言葉じゃないけれども。

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『田中長徳写真展 私の散歩道 WIEN DEC 2016』は8月13日まで。

アイランドギャラリーの公式サイトはコチラ

EPSON RD1s LEITZ Elmarit 28mm f:2.8 @Kyobashi, Ginza Chuo ©tsunoken

2017年8月 6日 (日)

戸越銀座でつかまえて

 私もよく行く戸越銀座。東京メトロ南北線が東急目黒線(昔は目黒と蒲田と結んでいたので「目蒲線」って言ったんだけれどもね)に直通してくれているおかげで、駒込から武蔵小山まで直で行けて、そのまま戸越銀座まで歩いていく道すがらは、結構好きな散歩写真の道だったりする。

 で、その戸越銀座ってどんなところよ、ってところに結構「向き」の本が出ていた。

『明治時代までは水田地帯だったこの地域に人が集まり始めたのは、大正時代前半のことだ。現在のJR山手線の大崎、五反田駅界隈の目黒川沿いに大きな工場が建ち、その周辺が住宅地として発展した。
 池上線が戸越銀座まで延伸したのは昭和二(一九二七)年。住宅が密集しすぎているから大規模な再開発をすることはできず、もちろんマイナーチェンジは繰り返しているものの、町のつくりは戦前からさほど変わらず、現在に至っている。駅舎はいまでも木造だ』

 品川区に属する戸越銀座なんだが、京浜東北線以東の品川区とはだいぶ趣を異にする品川区なんだよね。まあ、下町。っていうか江東区辺りの「下町」っていう雰囲気。

 嫌いではない。

Photo 『戸越銀座でつかまえて』(星野博美著/朝日文庫/2017/1/6刊)

『生まれて初めて親しむ線路によって、その人間の世界観はおおむね作られる。その鉄道を基準鉄道と呼び、駅を基準駅と呼ぶ。誰も賛同しないかもしれないが、私の持論だ』

『私にとっての基準鉄道は三両編成の東急池上線であり、基準駅は戸越銀座駅だった。線路の行き着く果ては、見知らぬ世界でも何でもなく、五反田と蒲田。駅で人を見送るのは家族がどこかへ出かける時で、しかも彼らは夜には家に戻ってきた。ロマンのかけらもない。  第二基準鉄道は山手線で、基準駅は五反田だ。しかしあろうことか、この鉄道には始発駅も終着駅もなく、ぐるぐる永遠に回っている。どこへも到達できない』

 ふ~ん、そんな閉塞感が彼女をして「旅ライター」となさしめたのか?

『若い頃から目指してついた職業なのかというと、そういうわけでもない。確かに異文化を知りたいという熱意はあったが、だからといってカメラマンやライターという職業をイメージしていたわけではない。大学卒業後は一般の会社に就職したし、なりゆきでこうなった』

 とはいうものの、写真家・橋口譲二氏のアシスタントになった時点で、なぜか思うところはあったんだろう。つまり<写真家→旅がつきもの>という具合にね。

『私はたまたま写真や文章の仕事を始めるきっかけになったのが旅行記で、その後も旅にまつわる仕事が割と多かったので、旅行の好きな人間だと思われている』

 いやいや、それは「潜在的なもの」なのかもしれないが、「写真家」を職業として選択した時点で、実はどこかに「旅」へのあこがれがあったんだろう。

『あまりに臆病な子どもだった反動からか、自力で旅行ができるようになると、たがが外れたように旅行をした。無茶な旅行をするのは簡単だ。資金が足りなければ、旅はいきおい無茶で刺激的なものになる』

『しかし一方ではこうも思う。商店街の端にさえ行けなかった仔猫のような子どもと、もっと遠くへ、見知らぬ場所へ行きたがった旅人。
 いまの私には、臆病だった自分のほうが、生き物として信用できるような気がするのだ』

 しかし、そんな旅の毎日も日常的になってしまえば、どこかに違和感を感じるのではないだろうか。つまり、「旅」というのは、「日常からの逃避」であったり、自らの「日常性からの飛翔」だったりするものである。勿論、そんな「非日常性が日常化してしまう逆転現象」「非日常の日常化」に倦む時期がやがてやってくる。で、そんな時、写真家は生まれ故郷に帰りたくなるのかもしれない。

『本書は、生き方を見失った私が、何かを取り戻すため、実家のある戸越銀座に帰ったところから始まる。
 何かをつかまえることはできるのだろうか。
 それとも、また何かを失うのだろうか。
 それは私にもわからない。』

 っていうんだけれども、別にそういうことではないでしょう。

「生き方を見失う」っていうのは、何も仕事をしているからそうなるわけでもなく、別に仕事をしていないからってそうなるわけでもない。まあ、いろいろなきっかけがあって、何となく「自分は生き方を見失っているのではないか」と感じるとき・感じるところが誰にでもやってきたりするんだ。

『戸越銀座には無数のお年寄りが暮らしている。そこに同じ人生は一つもない。彼らが昔どんな社会的地位に置かれ、どれだけの資産を持ち、あるいは持たず、どんな道のりを経てそこにいるのか、私はよく知らない。目に入るのは、必死で生きる彼らの現在である。
 彼らの人生にも教科書はない。前の世代が経験したことのない、前人未到の長寿な老生活を、彼らもまた、日々手探りしながら生きている』

『思い返せば、これまでずっと強くありたいと願い、自分の弱さから目を背けてきた。ありたい自分と現実の自分はどんどん乖離してゆき、いつしか統合できなくなった』

『本当に様々な人生がある。何もかもがうまくいっている人など一人もいない。いちいちここでは挙げないが、これでもか、これでもかと、すごい話が日々の井戸端会議を通して入ってくる。体力と立場が弱くなった時に、人生はこんな試練を与えるのかと、憤りを覚えることも頻繁だ。お年寄りを取り巻くのは、家族にさえ油断がならない仁義なき世界だ。閉じられた関係で外に見えづらい分、家族が最も凶暴な収奪者となる可能性も高い』

『自分が老いた時、どのように前半生から復讐されるのだろうか。これは怖い。本当に。
「若い頃に成功したとか、昔は幸せだったとか、老後には何も意味はない。いつだって一番大事なのは、現在。いまを楽しんで吞気に暮らすことだよ」
 様々な人たちの仁義なき老後を見渡したうえで、母はそんな結論を導き出した』

 まあ、古い町には、お年寄りの古い知恵がいっぱい詰まっていて、その古い町では、そんな古い知恵が一番役に立つってことなんでしょうね。

 それはそれで「古い町」に帰ってきた意味はあるけれども、実は、そこから再度出発する、もう一つの勇気が必要なのではないか。

 その「勇気」っていうのは、「結婚」ってこともあるし、やっぱり「旅」だってこともあるかもしれない。どちらなのかはわからないが、たぶん、星野博美さんに必要なのは、その「もうひとつの勇気」なんじゃないかな。

『戸越銀座でつかまえて』(星野博美著/朝日文庫/2017/1/6刊)

2017年8月 5日 (土)

LEICA M6 CAMERA TEST in Oyama Ginza Itabashi

 新たに仕入れたライカM6(Serial No.1756880/1988年製)を手に板橋は大山銀座商店街へ向かった。

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 これまで手にしたライカとしてはM3、M5、M6などがあるので、別に新しい機材というわけだはないし、レンズもこれまで使っていたSummicron 35mm f:2なので、これまた新しい機材ではない。

 まあ、カメラテストというよりは、操作性、特に露出計の再確認っていう程度のものなのだった。

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 場所もなんで大山商店街なのかといえば、別に大山である必要はなくて、武蔵小山商店街でもよかったし、できれば今までその南口は何度も行っているんだが、考えてみれば一度も行ったことのない国分寺北口商店街にでも行ってみようかな、なんて考えていた。

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 ただし、大山商店街っていうのは、全面アーケードなので、その人口光と天然光のバランスなんかもあって、結構、露出が難しい被写体であるというのが、そのカメラテストに使った理由ではある。

 まあ、いろいろ用事があってので、あまり遠出はできないという理由もあったんだけれどもね。

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 考えてみれば、ここのところニコンDfにはほとんど広角20mm f2.8をつけて撮影をおこなっていたので、この35mmレンズっていうのが、なんか広角っていうよりは標準レンズ的な感覚があって面白かった。

 まあ、35mmと言えば、行ってみれば準標準、準広角であり、現在ではほとんどのコンパクトデジタルカメラでは標準的な使われ方をしているので、なんとなく「35mmは標準の一部」的な使用感覚がある。

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 結構、この35mmレンズの使用感覚は標準として使えるなという感じが再確認されて面白かった。

 今年の冬の横手市「ぼんでん」の取材ではM3+Summilux 50mmとNIKON Df +50mmがメインだったんだけれども、今年の冬の取材はこの35mmがメインになりそうだな。

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 Summicron 35mm f:2で何を撮ろうとしているのか? それはヒミツ。

LEICA M6 + LEICA SUMMICRON 35mm f:2 @Oyama Itabashi ©tsunoken

2017年8月 4日 (金)

東京大学オープンキャンパス?!?!

 本郷通りを東大に向かって歩いていく。

 普段なら、この時期の大学って、休み中にも実験などがある理系の学生か院生あたりが登校して、あとは散歩をする町の人たちがいるっていう程度で閑散としているものなんだけれども、何故か東大の前にやたら白シャツの高校生の姿がいっぱい。おお! なんだろうこれは? と、近づいてみれば……なんと! 「とうきょうだいがく おーぷんきゃんぱす」って、ええ? 東京大学オープンキャンパス? 東大でもそんなことやってるの? ってなビックリですねえ。

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「この、ハゲー!」で「桜蔭→東大」一直線の評判をかなり下げてくれた豊田真由子さんのおかげか、いい加減な答弁ばかりを繰り返している東大OBの官僚の姿を連日テレビで見すぎたせいか、あるいは世界大学ランキングで34位、アジアでもシンガポール国立大学、北京大学、精華大学、南洋理工大学、香港大学、香港科学技術大学に次ぐ第7位になっちゃったせいか、そうか東大もいまや受験生が来なくなってしまったのね。

 で、オープンキャンパスってわけ?

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 う~ん、まあ五月祭の賑わいにはかなわないが、いろいろな出店がきていて、それなりに人出はある。ああ、そうか五月祭はサークル関係の出店が多いけれども、こちらはサークル関係っていえば東大新聞社くらいで、あとは食べ物屋さん関連か。

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 基本的には、案内所でもらった「キャンパスガイド」を見ながら、東大本郷キャンパスをいろいろ見て歩いたり、各学部で主催する公開講座を覗いたりするんだけれども、あと無難なのは、こんな感じで構内を解説付きで案内してくれる催しくらいか。

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 まあ、見に来てる高校生たちは、いかにも田舎の高校生みたいで、みんな女の子は制服を着て、男の子も白シャツ黒ズボンっていう定番ファッションの真面目そうな(?)子たちばかりだ。ああ、あとはその子たちのお母さんたちね。

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 まあ、そうやって一生懸命大学を研究して、受験勉強をして、でも、「答えのある問題を解く」受験勉強では東大生の力量は大したもんだけれども、いざ、東大に入ってごく普通に勉強しただけで、卒業して社会に出たりすると、まあみんな「普通の大卒生」になってしまうんですなあ。我が家の東大OBやら、以前勤めていた我が社の東大OBを見ても、まあ、別に東大じゃなくてもいいじゃん。早慶MARCHで充分、充分ってなもんですね。

 どうせ東大に行くんだから、如何にも東大生らしい頭の良さを発揮してほしいし、東大OBらしい「らしさ」を発揮してほしい……、って望むのは高望みってやつか。そうか。そうだよな。

 まあ、東京大学でも、東洋大学でも、東海大学でも……、大学に違いはあるんだけれども、大学OBに違いはない、ってのは中途半端なMARCH出身の私だからいえるのかな?

EPSON RD1s LEITZ Elmarit 28mm f:2.8 @University of Tokyo ©tsunoken

2017年8月 3日 (木)

都写美での写真展開催「アラーキズム」の終焉なのか?

 東京都写真美術館総合開館20周年記念「荒木経惟 センチメンタルな旅 1971-2017-」という写真展が開催中だ。

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 旺盛な出版活動で知られる荒木氏なんだが、最近はなんか写真展という形式で作品を展示する活動が多い。「写真集→写真展」っていう変化の在り様に、どこか荒木氏自身の写真に対する姿勢の変化を感じてしまうのは、私だけだろうか。

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 まだ結婚前の荒木陽子夫人の写真から始まって、当然のことながら荒木氏の出世作、陽子夫人との新婚旅行を撮った「センチメンタルな旅」、そして1990年に亡くなった陽子夫人を捉えた「センチメンタルな旅、冬の旅」となって、「妻が逝って、私は、空ばかり写していた」というモノローグに始まる「その後」の写真。

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 それはそれで荒木写真の集大成なんだろうけれども、まだまだ荒木氏、老け込む時期ではないだろう。今でも人気連載中の『週刊大衆』の「人妻エロス」は健在だ。

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 そう考えてみると、荒木氏の「人妻エロス」とは、要は陽子夫人のことだったのかという点に気づかされる。

 そうなんだ、別に若く美しいモデルさんじゃなくて、ごく普通の主婦、子どもを産んで体の線も崩れてきている中年の女性、そんな人たちに感じるエロスというものの表現の原点は、実は陽子夫人にあったのではないか。

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 今回こうして、結婚前の青木陽子さんから始まって、新婚旅行、結婚生活、そして荒木陽子としての最期を迎える陽子さん。そんな一連の写真を見ていると、やはり荒木氏にとっての永遠のマドンナは荒木陽子さんだったろうし、荒木氏にとってのエロスの対象は荒木陽子さんだったろうし、その荒木陽子さんに付託していた想いを人妻エロスとして体現していたんだなあ。でも、その陽子夫人は既にいない。

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 相変わらず旺盛な写真家活動を行っている荒木氏だが、何となく、最近は昔のスタイルを真似て写真を撮っているような気がするのは私だけだろうか。

 前立腺ガンの影響で右目を失明した荒木氏ではあるが、まだまだ、そんなことでは写真家生活を終えてほしくないのである。

東京都写真美術館「荒木経惟 センチメンタルな旅 1971-2017-」は9月24日まで開催中。公式サイトはコチラ

EPSON RD1s LEITZ Elmarit 28mm f:2.8 @Tokyo Photogaphic Art Museum Ebisu ©tsunoken

2017年8月 2日 (水)

新宿御苑・裏通り

 四谷三丁目のアローカメラまでちょっとした所用で行ってきたので、その帰り、新宿まで歩いてみた。

 ルートはいつもの通り、新宿通りの裏、(昔は新宿公会堂という名前の建物で、よく革マル派あたりの集会が行われた場所である)四谷区民ホールから新宿御苑前をずっと行って、都立新宿高校前に至る、裏通りだ。

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 まあ、特に何があるという訳ではない、マンションがあって、その一階が小洒落たレストランになっていて、それを眺めながら進んでいくという具合の道だ。当然、裏通りなので人通りは少ない。

 その人通りのなさが気に入っているのかもしれない。

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 月曜日なので新宿御苑は休園日だ。なので、当然、ますます人通りは少なくなる。

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 大都会の裏側にこんなに寂しい通りがあるのかという思いは、しかし、新宿一丁目に至って裏切られる。

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 表通りの喧騒がそのまま裏通りまで続いて来るのだった。

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 やはりここは新宿だったんだ。あの喧騒の新宿だったんだ。うるさく、汚い新宿だったんだ。

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 というところまで来てしまうと、そのごく短い旅は終わり。途端に現実に戻されて、やがて新宿の喧騒にみずから紛れ込んでしまうのでありました。

 ただ、それだけ。

 それが内藤新宿の実際さ。

EPSON RD1s LEITZ Elmarit 28mm f:2.8 @Shinjuku Shinjuku ©tsunoken

2017年8月 1日 (火)

ラビリンス ラビリントス

「ラビリンス ラビリントス」というのは、眉村卓原作の幻想文学「迷宮物語」を原作として作られたオムニバス・アニメ『Manie-Manie 迷宮物語』の中の、りんたろう氏の作品のタイトルである。

 考えてみればこの『迷宮物語』の中の『工事中止命令』という作品が、大友克洋氏が初めてアニメーションの監督を務めた作品で、言ってみれば『AKIRA』に先行するアニメーション作品として、もう少し評価されてもいいのになあ、とも思うのだが。

 今日の話は、それとは全く関係ない。関係あるのは「迷路=ラビリンス ラビリントス」(ラビリントスはラビリンスのギリシア語的表現)っていうだけで……。

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 豊島区の駒込駅から染井霊園に向かって走る「染井通り」と、本郷通り(日光御成街道)の駒込駅から霜降り橋まで降りていく坂(「妙義坂」という通りの間の、住所でいうと豊島区駒込三丁目と呼ばれる坂の町が、実に迷路みたいなんだなあ。というお話。

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 東西に走る道はすべてこんな坂道で、染井通りに向かって上がっていく坂で、まあ、そんな高低差があるところも迷路をより迷路的にさせている理由にもなっている。

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 染井通りから東の中山道へ向かっていく辺りは、かなり区画整理ができている住宅地なんだが、染井通りから坂を下りてくると、途端にそんな区画整理も何もなくて、とにかく曲がった道、道、道なんである。たぶん、区画整理なんかがされる前に住宅が建っちゃったんだろうなあ。

 まあ、それはそれで魅力がある街にはなっている。そう、街の魅力はまさにこの「迷路性」にありってのが私の考え方なのだ。

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 さらに、道自体が狭くて車が通れない道が多い。

 で、こんな道に迷い込んだ場合には、とにかく坂を上がるしかない。坂を上がれば染井通りに出て、そこから染井霊園、中山道、駒込駅、巣鴨駅のどれかに出られます。

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 一度、散歩がてらこんな迷路に迷い込んでみるのも、面白かもしれない。

EPSON RD1s LEITZ Elmarit 28mm f:2.8 @Komagome Toshima ©tsunoken

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