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2017年7月25日 (火)

鉄砲洲稲荷と鉄砲洲富士

 東京メトロとJR京葉線の八丁堀駅を出ると目の前にあるのが「通称 八丁堀川」。「新川」とか「桜川」とも呼ぶそうなのだが、もともと長さが「八町」あった堀(運河)だったので八丁堀川と、普通呼ばれている。

Epsn35292

 下の写真、右側が八丁堀川に沿って走る「鉄砲洲通り」でかかっている橋が高橋と呼ばれた橋のようだ。

Epsn35562

「鉄砲洲」という地名は、別にそこで鉄砲を作っていたとか、徳川の鉄砲組が住んでいたとかいうことではなく、なんとなく鉄砲の形をした中州だったので「鉄砲洲」って、なんかちょっと拍子抜けしそうな名前の付け方だなあ。

Epsn35122

 で、その鉄砲洲通りを行くと、出てくるのが「鉄砲洲稲荷神社」であります。

『鐵砲洲稲荷神社の「生成太神(いなりのおおかみ)」は、1554年に始まる足利義輝の治世に形成された京橋地区一帯の土地生成の産土神(うぶすなのかみ)です。
 それよりさかのぼる841年、平安時代初期にこの地の住民がうち続く凶作に教えられるところがあって、自らの産土の国魂神を祀り、万有の命を生かし成したまえる大御親神生成の大神として感謝し、日々の御守護を祈願したものです。
 その後、埋立てが進み現在の京橋あたりに御遷座になり、さらに1520年代末に氏子崇敬者の願いによって、新しい海岸であった今の新京橋へ遷座し八町堀稲荷神社と称しました。室町時代の末期のことであります。
 徳川幕府が開かれいよいよ埋立てが進み、寛永元年1624年、これまた氏子崇敬者の願いによってこの鐵砲洲に生成太神を御遷座申し上げ、それまであった八幡神社を摂社として今日の鐵砲洲稲荷神社の基礎を築きました。たび重なる海側への御遷座は、そもそも御鎮座の地に湊があったからです』

 というのがご由緒(鉄砲洲稲荷神社サイトより)。そういえばこの神社のある場所が「中央区湊一丁目」というのだ。

Epsn35332

 で、稲荷神社の境内にあるのが、富士塚であります。あまり大きくはないが、上まで登れる登山道があります(普段は登れません)。

Epsn35462

 そのまま鉄砲洲通りをまっすぐ行けば聖路加タワーがあって、その一部に浅野内匠頭邸跡があるんだけれども、赤穂浪士がこの鉄砲洲稲荷神社の前を通って行ったのか、新大橋通りを行ったのかの記録はないようだ。

Epsn35172

 まあ、永代橋を渡って左に折れると八丁堀から鉄砲洲通りに入るので、そうなると鉄砲洲通りを通ったということにはなるのだが、別に鉄砲洲稲荷で一休みしたというような記録はないようだ。

EPSON RD1s LEITZ Elmarit 28mm f:2.8 @Minato Chuoku ©tsunoken

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