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2017年6月18日 (日)

戸越公園というか肥後熊本細川屋敷

 昨日のブログで東急大井町線の戸越公園駅に出てしまったということを書いたので、そこは当然「戸越公園」って何なのか、どんなところなのかが気になるわけですよね。

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 表門の脇に「戸越公園の沿革」というのが掲示されている。

『本公園は寛文2年(1662)、肥後熊本藩の分家熊本新田藩主細川利重が下屋敷として拝領、寛文6年に本家の所有となり、寛文11年までに数寄屋造りの御殿や庭園からなる戸越屋敷として整備された屋敷地の一部にあたります。文化3年(1806)、石見浜田藩松平周防守の屋敷となり、さらには伊予松山藩松隠岐守の手に渡りました。明治の改革により何人かの手を経て、明治23年(1890)三井家の所有となりました』

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 肥後熊本藩の藩邸と言えば、上屋敷 (千代田区丸の内):現在の丸の内オアゾ、中屋敷(港区高輪):旧高松宮邸・東宮御所(史跡・大石良雄外十六人忠烈の跡)、下屋敷 (中央区日本橋浜町):浜町公園、 (文京区目白台):肥後細川庭園、和敬塾、永青文庫などが有名だが(しかし、一体肥後熊本細川屋敷っていくつあるんだか)、ここ戸越にも下屋敷があったんだ。

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 ただし、ここ戸越屋敷は藩邸といっても「公邸」というよりは、半ば私邸みたいな感じで、鷹狩やキジ刈り、茶会などを行う別荘風の造りだったそうだ。

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 とはいっても、池を中心とした回遊式の庭園で、築山なんかもあるし、基本的には大名屋敷としての基本は備えている。

Dsc_00362

 どの部分に屋敷が建っていたのかは分からないが、多分、現在都立大崎高校なんかがある場所が屋敷が建っていて、この公園になっている場所が庭園だったのではないかと思われる。

Dsc_00402

 一番上の藥医門もそうだし、この冠木門など、普通下屋敷などで作られている長屋門とは異なった簡素な門が、昔から作られていたそうで、まあ、その辺からも、公邸としての下屋敷とはちょっと性格の異なる屋敷だったことが理解できる。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f2 D @Togoshi Shinagawa ©tsunoken

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