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2017年6月21日 (水)

『峠』を再び読んでみる

 先々週から先週まで、ほぼ一週間入院したので、その間に読んだちょっと長い小説のお話などをしてみる。

 読んだ小説とは、『峠』であります。

『峠』と言えば、故司馬遼太郎氏の長編時代小説で、毎日新聞夕刊に1966年から1968年まで連載されていた作品である。

 1966年から1968年ということは、私が15歳から17歳ということで、まあ、大体この辺から少年は「時代小説」に憧れ、その後、吉川英治の『宮本武蔵』やら山岡宗八『織田信長』あたりの読み進み、NHKの大河ドラマあたりにはまるというのが、オヤジの時代小説ファンの王道だったりするわけで、まあ、私もその通りで、未だにNHK大河『おんな城主 直虎』あたりを「本当はそうじゃないんだよなあ」なんて思いながら、毎週見ているという具合。

 で、5月の越後牛の角突きニ連荘のついでに再度訪れた郷土の英雄河井継之助資料館なんかに行ったりしたわけなのであるが、今回、再度故司馬遼太郎氏の『峠』を読んでみたら、なんか昔読んだときとの印象の違いに驚いているような状況なんだなあ。

Photo_2 『峠(上中下)合本版』(司馬遼太郎著/新潮社/2015年6月15日刊)

 まあ司馬遼太郎版『峠』と言えば、「小千谷談判」が一番の読ませどころで、小説のメインになるところのはずなんだが、「記憶にあるイメージ」とは大違いで、実は上中下全三巻の三巻目、 5章目目になってやっと「小千谷談判」が出てくるのである。なんか、「記憶にあるイメージ」ではもっと小説の中心になって出てきたように思うのであるが、小説全23章中の19番目に出てきていたとは、なんともはや記憶というものは如何にいい加減なものなのかという思いでありました。

 まあ、小説というものは史実と異なるわけで、それは当然なのであることは、それは読む前から分かっていることであるのだ。が、まあ考えてみれば「小千谷談判」は河井継之助としてみれば、最早晩年に属する年代にあった事象であり、それなら小説の最後の方に位置するところであるのは当然なんだが、その事実の大きさからするともっと小説の前の方に出てきた印象が残っているんですね。

 それ以外にも、小説『峠』には事実と反するところはいろいろあるようで、Wikipediaによれば……

『冒頭で河井の人物像が語られる冬の峠越え
創作:三国峠越え。
史実:碓氷峠越え。

河井と福澤諭吉との関係
創作:思想面で共鳴する親密な関係があった。
史実:実際に2人が会った記録はない。

河井が持っていた越後長岡藩の将来像
創作:一藩で武装中立国にする構想を持っていた。
史実:その言動から、尊王でも佐幕でもない中立の一藩にしようとしていたであろうことは想像に難くないが、それを裏付ける史料はない』

 などなどがあるようで、それらは小説として面白い表現になるようにした結果であり、まあ創作とはそういうもんだと言ってしまえばその通り。

 まあ、三国峠越えなのか碓氷峠越えなのかはあまり本題とは関係ないが、福澤諭吉との関係論でいえば、ふたりが実際に会った記録はないというのは正しいようで、福澤諭吉の開民論と河井継之助の言う徳川幕府改正論とは大いに異なるものの筈なのである。福澤諭吉にしてみれば、別に徳川幕府を守ろうなどという考えかたはなくて、むしろ、大政奉還をした以上は徳川方は政治の表舞台からは退くべきであり、一方、天皇を抱いた薩長軍も別に革命のための部隊ではなくて、やはり旧体制の遺物でしかないと考えていたはずである。むしろ、福澤の考え方は「共和制国家」を作ることが一番の目標であり、そのためには天皇の存在もあくまでも共和政政体を作るための臨時措置的なものでしかなくて、いずれは天皇制自体も否定せられるべきものとして考えられていた。一方、河井継之助の考え方はそこまで将来を見こしていたわけではなくて、国の代表としての天皇の存在と、政治の代表としての徳川幕府という二元論が未だ存在しており、大政奉還とは徳川幕府が政治の代表の立場をおりるだけで、その後は「誰か」が政治の代表になればいいという考え方で、その中で「長岡藩が如何にして長岡藩として独立を保てるだろうか」という道を追求していたにすぎない。

 つまり河井継之助としては「国の政体がどうか」ということは眼中になくて、「長岡藩が(それが「藩」なのか「(連邦制のなかの)国」なのかは別として、自分が生まれ育った「長岡」を如何にして生き延びさせるのか」ということだけが目標だったのだろう。それが会津を中心とする「旧守派=奥羽列藩同盟」に長岡が当初は参加しなかった理由なのではないだろうか。勿論「一藩で武装中立国にする」というのは、ある種、ファンタジーをともなったとはいえ「非武装中立」という考え方のなかった時代における「現実論」ではあったのだろう(まあ、現代でも「非武装中立はファンタジー」という考え方もある)。しかし、だからといって、それが永遠の戦略ではなかったに違いない。

 つまり、河井継之助とは、あくまでも時代に即した有能な官僚であり、如何にして目前の問題を解決するのかが、彼にとっての一番のテーマであり、その後にどんな国・藩・小国家を作るのかということはテーマではなかったのではないだろうか。

 今、故司馬遼太郎氏の『峠』を読み返してみると、そこに見える河井継之助像は、世の中の先を見こした政治家というよりは、目前の問題をいかにして解決し、短期的に問題解決を図る有能な官僚の姿なのである。

 つまり、そんな河井継之助にしてみれば、小千谷談判なんてものは、数多くある政治取引のひとつでしかないわけで、その結果も、実は見えていたってことなのかもしれない。

『峠(上中下)合本版』(司馬遼太郎著/新潮社/2015年6月15日刊)

(新潮文庫版)(電子版『峠』上中下別売り版もあります)

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