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2017年6月20日 (火)

神田カルチェラタン

 1968年に「神田カルチェラタン闘争」というのがあった。

 まあ、「カルチェラタン」という呼び名は、マスコミがフランスの学生運動でパリ大学があるパリ・ラテン区(カルチェラタン)を解放区にして戦ったのをなぞらえて呼んだだけで、別にそれを実行した学生本人たちは普通に「神田解放区」と呼んでいましたがね。

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 と言っても、神田のお茶の水駅前と駿河台下にバリケードを作って、お茶の水の通りを一時的な解放区としてデモをやったっていうだけで、実はすぐさま機動隊によって解体されちゃったんだけれどもね。

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 結局、この解放区闘争自体の大きな目標はなく、普段はクルマが走っているお茶の水の通りを一時止めて、解放区にしちゃったら気持ちいいだろうっていう、いかにもブント(共産同・社学同)らしい、無展望闘争のひとつだったのだ。

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 ちょうどお茶の水通りを挟んで東側が中大、西側が明治大ということで、両校を根城にしていたブントが「やっちゃおうぜ」的なノリでもってやったら、結構評判が良かったのだった。で、その後の東大安田講堂戦の時はお茶の水から本郷通りを解放区にして東大まで繋げちゃおうってやったんだけれども、この時はうまくいかなかった。 距離が長すぎたんですね。

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 当時は、お茶の水通りの両側は今ほど楽器屋さんばっかりじゃなくって、結構、喫茶店が多くあって、その多くの店では解放区があっても営業を続けていて、逃げ込んできた学生を匿ってくれたりしていた。っていうのが伝説的に語られているんだけれども、実際にはシャッターを閉めちゃった店の方が多かったような記憶がある。

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 で、昔の中大ブントの巣窟と呼ばれた中大学生寮がここ。

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 地下一階が生協の売店になっていて、私も一時期(と言っても、中大闘争や60年代闘争の後なんですけれどもね)アルバイトをしていた時代がある。

 昔の中大白門の前にあったんだけれども、今や白門自体がなくなってしまっていて、この建物が1968年闘争の名残だなんて知っている人はいない。相変わらずトヨタの寮になっています。まあ、ここに住んでるトヨタの人も、そんな曰くのあった建物だったなんて知らないでしょうね。

 まあこうした1968年の遺構なんかもいずれはなくなってしまうんだろうな。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Ochanomizu Chiyoda ©tsunoken

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