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2017年6月

2017年6月30日 (金)

GINNZA SIXは、はたしてアートなのかビジネスなのか

 銀座へ行ったので、ついでに4月20日に銀座松屋からあらたにオープンした「ギンザ・シックス」を覗いてきてみた。

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 まあ、銀座イチのスペースを誇る「商業施設」であることだけは間違いない。隣にある銀座ライオンやニコンなんかが今や霞んでしまっている感じだもんなあ。工事中はそれなりに存在感はあったんだけれどもね。

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 店内は基本的にはブランドショップが目白押し(古!)であります。勿論、表側の現在の銀座はブランドショップが見事なくらい並んでいて、昔のような「老舗の集まり」ではありません。

 まあ、別にそれについて文句を言うつもりもない。

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 ブランドショップっていうのは、一種のそのブランドのプレゼンテーションショップみたいなもので、別にその場所でそのブランド品を売らなければならないということではない。言ってみれば、そのブランドの存在感を示すことができればいいのであって、長い目で見て世界各国の店でそのブランド品が売れればいいのである。

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 じゃなければ、あんなに地代の高い場所で、たいして品数も多くなく、それこそ買うかどうかもわからない客(たぶん、ほとんどは買わない客……昔は「ションベン」って言った)に向かってプレゼンテーションする意味はない。

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 で、そのギンザ・シックスの6階に「お約束」のように本屋さん「蔦屋書店」があるんだなあ。もともと、こうしたショッピングセンターの場合、上のほうの階に「書店」と「食べ物屋さん」が入るというのは「基本の基」みたいなもので、まあよくあるパターンなんだが……、なんか浮かれている風にしか見えないんだなあ。

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 銀座蔦屋のコンセプトは「アート」なんであるが、なんで「銀座でアート」なんだよなあ。それも写真集がその「アート」の基本なんだが、森山大道や中平卓馬、荒木経惟の写真集がなんで「アート」なんだろう。本当は「アートとは別のジャンルの写真」なんだけれどもなあ。

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 まあ、あまり書店に並んでいない3氏の写真集が手に入れられるって点は評価してもいいんだが、なんか「コンセプト倒れ」に終わりそうなお店だなあ。

 大丈夫か? 本当に?

 他人事ながら、ちょっと心配になってしまう。

NIKON Df AF Nikkor 50mm f1.8 G @Ginza Chuo ©tsunoken

2017年6月29日 (木)

銀座逍遥(今度こそ「逍遥」)

 昨日のブログで「鴨宮逍遥」なんて書いてしまったんだけれども、実は「逍遥」でもなんでもなかったという、それこそ「オソマツ」。

「逍遥」というのは『逍遥①そこここをぶらぶらと歩くこと。散歩。②心を俗世間の外に遊ばせること。悠々自適して楽しむこと。』(「広辞苑」第六版)というのが正しい使い方で、つまり「小田原を目指して歩く」というのは「逍遥」でもなんでもなかったのであります。

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 そこへ行けば、今日の「銀座逍遥」はまさしく「逍遥」。銀座という、今まで何度も何度も通った道をそぞろ歩いたのであります。

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 まあ、言ってみれば、この「銀座そぞろ歩き」っていうのは、私の「散歩写真」の原点みたいなもので、カメラを買って(NIKON New FM2)最初に歩いたのが、ここ銀座なのでありました。

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 銀座の基本は、ここ銀座四丁目、和光の前なのであります。三越の前じゃないところがキモで、三越の前だと人がいっぱいいすぎて焦点が絞りにくい。

 そこへ行くと交差点を挟んで和光の前だと、そこに佇む人っていうのが三越前に比べるとだいぶ少なくて、「この人」って決めた人を狙い撃ちできるんですね。

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 ということなので、「何を撮っていいかわからな」ったり、たまに「ストリートスナップの原点に戻りたい」なんて感じになると、銀座(一丁目から八丁目)に繰り出すわけです。

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 勿論、そんなときの機材は50mmレンズ一本。ワイド系にすると焦点が見えにくくなり、別の意味の写真になってしまったり、85mmにすると、それもそれで別の写真になります。

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 ということで、「NIKON Df AF Nikkor 50mm f1.8 G」@Ginzaになるわけです。

 まあ、そんな感じで撮った数葉。これこそ「逍遥」。

2017年6月28日 (水)

「鴨宮逍遥」のオソマツ

 東海道線に乗っていると小田原の一つ手前の駅が鴨宮であります。

 大きな駅、つまりそれは旧街道の場合は宿場町になるわけで、じゃあその一つ手前の駅から歩いていけば宿場町の始まりなんかが見えてくるんじゃないか……っていうのが、今回のこの企画の始まり。まあ、これがうまくいけば私のブログの新シリーズにもなるな、というような目算もありました。

 まあ、単なる思い付きっていっちゃあ、思い付きにすぎないんだけれども。

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 で、降り立ったのが国府津の次、小田原の一つ手前の駅、鴨宮なんですね。

 駅前には「新幹線発祥の地・鴨宮」なんてモニュメントもあって、それはそれ、大いなる期待とともに始まったわけです。

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 で、表通り、裏通りと歩いて小田原を目指すんだれども、別に「街道らしい」建物やモニュメントはまったくありません。

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 道祖神や熊野神社なんてのもあるんだけれども、別にそれについての説明版があるわけじゃないしなあ。

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 ただただ、静かに神社が佇んでいるだけなんですなあ。

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 で、歩き疲れて思わず小田原駅行きのバスに乗って、小田原まで行ってしまったというオソマツ。

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 まあ、小田原からは東京までたちまちですもんね。

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 う~ん、もうちょっと戦略的に考えて行くところには行かなければなあ。と考えた一日ではありました。 今度はもうちょっといきあたりばったりじゃなくて、考えてからでかけよう。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8D @Kamonomiya Odawara ©tsunoken

2017年6月27日 (火)

『未来の年表』

 う~ん、まあ多分にショッキングなデータではありますねえ。

Photo 『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』(河合雅司著/講談社現代新書/2017年7月1日刊)

 まずこの「人口減少カレンダー」ってのがすごい。

 取り敢えず今から約100年後までの日本の人口の推移と、それに伴う社会の変化を書いてあるんだけれども、いやあ、なかなかのもんです。

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 とは言うものの、そんなにリニアには進まないのが人間の歴史だ。日本のここ150年の歴史を見ても、「鎖国」(と言っても完全な鎖国ではなかったですがね)から明治維新が起こったのが1868年、以降、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争(第二次世界大戦)ときて1945年の終戦。その終戦から既に70年が過ぎて、今の状態がある。

 それこそ戦争ですべてが焼け野原になってしまったところからの復興で、それこそ戦前の「産めよ増やせよ」思想さながらに人口を増やしてきて、その圧力で経済をここまで伸ばしてきた日本である。

 その日本が今や逆に人口減少に悩んでいる、っていうかこんな日本経済の状況では子どもを生み増やすような状態ではないってのが普通の人の考え方だ。じゃあ、そんな縮みゆく日本の中でどうやって日本民族は生き延びるのかってことなんだけれども、まあ、考えてみればなにも日本民族の永続性やら永劫性なんてことを、なんで我々が考えなければならないのか?

 まあ、一部の民族主義者の方々なんかが深刻に考えているのは理解できないではないが、じゃあだからといって彼らが日本の人口を増やすのに何かの手立てを考えているのかといえば、決してそんなことはなく、有効的な手段もなく、ただただ「日本民族が滅びてはならない」というお題目を唱えているだけではないのか。

 だとすると本書で河合氏が話している、「戦略的に縮む」ってのが、当面は有効な手段なのだろうか。

『私は、「戦略的に縮む」「豊かさを維持する」「脱・東京一極集中」「少子化対策」の4つをキーワードとして、現段階で着手すべき「日本を救う10の処方箋」を示したい。

日本を救う10の処方箋
1・「高齢者」を削減
2・24時間社会からの脱却
3・非居住エリアを明確化
4・都道府県を飛び地合併
5・国際分業の徹底
6・「匠の技」を活用
7・国費学生制度で人材育成
8・中高年の地方移住推進
9・セカンド市民制度を創設
10・第3子以降に1000万円給付』

 う~ん、まあ多少は効き目はあるのかもしれないが、それをしも日本人が民族としてやせ細っていくことへの対抗措置にはならないのでしょう。

 まあ、いずれは滅びて歴史から消え去る民族として日本人をとらえるってのもあっていいかもしれない。

『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』(河合雅司著/講談社現代新書/2017年7月1日刊)

2017年6月26日 (月)

ギャラリーバウハウスに行ってきたぞ

 一週間前に行ってみたらお休みだった神田明神のgyallery bauhausに、今度はちゃんと開館している日に(当たり前)行ってきました。

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 通常だと一人の作家の写真を並べて販売しているというスタイルのbauhausなんだが、今回はいろいろな作家の写真が並んでます。

 出展出品作家は『アウグスト・ザンダー 秋元茂 石元泰博 イジス 井津建郎 井津由美子 伊藤進哉 榎本敏雄 大辻清司 岡崎正人 コウムラシュウ 小瀧達郎 ジェルメーヌ・クルル 杉本博司 田所美恵子 田中長徳 田中宏明 田村彰英 広川泰士 廣見恵子 水島雅美 三好耕三 ミロスラフ・クベシュ 森永純 ユージン・スミス 横谷宣 横山佳美 吉村朗 ヨゼフ・スデク J・H・ラルティーグ ロバート・フランク ロベール・ドアノー 』という面々、まあ「新旧そろって」っていうよりは「旧・大旧」ってところでしょうか。

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 田中長徳氏はパリのパノラマ写真ですね。

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 地下の展示室はヨーロッパの作家が多い。

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 写真展がキービジュアルにしているイジスの少女写真なんかは地下です。

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 おー、ロベール・ドアノーの『パリ、市庁舎前のキス』もこんなゼラチン・シルバープリントで見ると、いつもの東京都写真美術館のでっかい壁面プリントとは違ってみえるなあ。

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 ということで、gallery bauhaus 『LIFE 写真のある生活』展は7月29日(土)まで。行き方はコチラ

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NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @gyallery bauhaus Soto Kanda Chiyoda

2017年6月25日 (日)

アキバにいよいよビックカメラ、オープン

 6月22日にいよいよ満を持してビックカメラAKIBAがオープンした。

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 というか、ビックカメラとしては系列のソフマップが既に秋葉原には展開してきていて、まあ、言ってみればその旗艦店としてビックカメラを開店したってところでしょうか。

 店内構成は以下の通り。まあ、1階が「お酒・くすり・日用品・電池」で2階が「ビューティー家電・季節家電・キッチン家電・家事家電・照明・防災用品」っていう配置は、まあやっぱり外国人のお客さんを意識した総合家電店としての配置なんだろう。

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 私はそんなの興味はないので、早速、5階へ上がって「テレビ・レコーダー・ビデオカメラ・録画用メディア、写真プリント」というところを見にいった。

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 まあ、はっきり言って、ごく普通の総合家電店ですね。勿論、各社のカメラ(一眼レフやらミラーレスやら)は全部そろっているんだけれども、まあ、それはあくまでも「家電」としての「カメラ」っていうだけのこと。

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 私自身はやっぱり「ビックカメラ」っていう名前が好きなんで、その部分に期待をしているんだけれども、やっぱり「カメラ店」らしいのは池袋カメラ館だけですね。なにせ、池袋カメラ館にはアナログカメラ(中古カメラ)までおいてあるもんなあ。

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 はてさて、AKIBA進出では先輩のヨドバシカメラはどう対抗するのでしょうか。まあ、こっちはいち早く「カメラ店」的な展開はやめちゃっているから、その辺はまったく気にしてませんけれどもね。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Akihabara Chiyoda ©tsunoda

 

2017年6月24日 (土)

「都議選開幕!」って言っても、争点がなあ

 昨日、東京都議選の告示がされ、都議定数127議席を狙って、258人の立候補者が出馬を表明した。

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 と言ってもねえ、文京区なんかは無風地帯で、定数2のところ、立候補したのは自民党公認の現職議員中谷文孝氏、共産党の現職・小竹ひろ子氏から地盤を受け継いだ福手裕子氏、元民進党の都議で今回は都民ファーストの会に乗り換えた増子博樹氏の3人だけ。

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 なんかなあ、これが北区みたいに定数が4から3に減って、そこに都民ファーストの会として早くから声を上げていた現職の音喜多駿氏、共産党の現職曽根肇氏、民進党の元都議会議長和田宗春氏、自民党の現職高木啓氏、公明党(つまり都民ファーストの会推薦)の現職大松成氏という、現職4名に元職1名の4名で定数3を争う票のつぶし合いみたいな緊張感がないんだなあ。

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 さるサイトに載っていた23区の当落予想がコレ。まあ、大山鳴動して鼠一匹みたいな選挙結果ではあります。

 まあ、「豊洲は活かす、築地は守る」っていうキャッチフレーズも、もともとあった既定路線だし、むしろ豊洲の市場機能が、それこそIT化でもって機能不全にいずれは陥るってことに、市場関係者は気が付いているんだろうか。既に、漁港(あるいは漁協)と飲食店関係者の間でのネット取引でもって、仲卸なんかのそれこそ「中抜き」が始まっているのだ。

 なんかそんなことも分かっていないで「市場には人と商品と情報が集まる」なんて暢気なことを言っているような気がするんだがなあ。本当にそんな認識で大丈夫なの?

 ということで、ここが我が家の投票所。

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 まあ、今のところ問題もないからいいか、ってな感じなんですね。文京区民は。

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 いいのか、本当にそれで……。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 @Kamifuji Bunkyo ©tsunoken

2017年6月23日 (金)

成田街道八幡宿の藪知らず

 水戸街道は葛飾の新宿で成田街道(佐倉街道)が道別れして、市川宿、八幡宿、船橋宿という具合に宿場が続いている。ただし、短い街道なので、宿場町といっても宿場跡などといったものは残されていないようだ。

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 ここ八幡宿(市川市本八幡)も同じで、当然、国道14号線(千葉街道)は旧成田街道ではないはずで、でも、じゃあ昔の街道や宿場はどこにあるといってもよくわからない。多分、現在一番街商店街となっている部分がそうじゃないかと思うんだが、なんの説明版もない。

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 唯一あるのが、ここ「不知八幡森(しらずやわたのもり:通称・八幡の藪知らず)」だけである。

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 ここ「八幡の藪知らず」に関しては

『江戸時代に書かれた地誌や紀行文の多くが、八幡では「藪知らず」のことを載せています。そして「この藪余り大きからず。高からず。然れども鬱蒼としてその中見え透かず。」とか、「藪の間口漸く十間(約一八メートル)ばかり、奥行きも十間に過ぎまじ、中凹みの竹藪にして、細竹・漆の樹・松・杉・柏・栗の木などさまざまの雑樹生じ……」などと書かれたりしていますが、一様にこの藪知らずは入ってはならない所、一度入ったら出てこれない所、入れば必ず祟りがあると恐れられていた所として記載され、「諸国に聞こえて名高き所なり」と言われて全国的に知られていました』

 という市川市教育委員会の説明版がある。

 そんなに大きな藪ではないのだけれども、何か、いろいろないわくがあるようだ。

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 国道を挟んで反対側には葛飾八幡宮があり、もともとはこの八幡宮を勧請した場所であるというのも入ってはいけない理由のひとつらしい。

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 この八幡様。なかなか立派な八幡様で、参道の途中には京成電鉄の踏切なんかもある。

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 境内には富士塚や厳島神社なんかもある立派な神社なんである。

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 元々は平安時代に創建された下総国総鎮守の八幡様で、結構、由緒の正しい、古社なのであります。

NIKON Df Af Nikkor 35mm f2 D @Moto Yawata Ichikawa ©tsunoken

 

2017年6月22日 (木)

INSIDE BABEL by KATSUHIRO OTOMO

 オランダのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館から24年ぶりに日本にやってきたビーテル・ブリューゲルの『バベルの塔』なんだが、そのどこが「24ぶり 奇跡の来日!」なんだかよく分からない。が、ともあれ現在東京都美術館で『ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展 16世紀ネーデルランドの至宝―ボスを超えてー』という展覧会が7月2日(日)まで開催されている(入場料1,600円)。

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 が、私が言いたいのは、東京都美術館ロビー階の「バベルの塔」展企画展示室入り口脇のホワイエで小さく展示されている『INSIDE BABEL by KATSUHIRO OTOMO』なんである。こちらは有料のブリューゲル作品とは異なって、「皆さん勝手にご覧ください。写真撮影もOKよ」的な展示で誰もが見られるのがイイ

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 大友氏はもともとこの「バベルの塔」には関心を持っていたようで、アニメ『AKIRA』を制作した後の次の企画案として、この「バベルの塔」の下層階・中層階・高層階のそれぞれの住人による階級闘争のようなものを考えているという主旨のことを話していたことがあった(詳しくは忘れたことにする)。

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 大友氏は『INSIDE BABEL』制作に先立ってボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館を訪れ、美術館の学芸員との意見交換を経て、その内部構造に興味を持ったようだ。

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 で、その内部構造に則った『大友版バベルの塔』=『INSIDE BABEL 1』が下の写真で、その『INSIDE BABEL 1』をグラフィックデザイナーで、最近大友氏とのコラボレーションワークの多い河村康輔氏が、大友氏の手描き線画のスキャンや、ブリューゲルのテクスチャーなどを貼り付けるなどして制作したのが、一番下の写真『INSIDE BABLE 2』である。

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 同じように見えるのであるが、近寄ってみるとかなり違うことがよくわかる。

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 さすがに、「絵の天才」にインスパイアされた、もう一人の「絵の天才」の絵を、コラージュの天才が扱うとこうなるんだな。ってのは凡才にはまったくわかりません。

『ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展 16世紀ネーデルランドの至宝―ボスを超えてー』の公式サイトはコチラ

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Tokyo Metropolitan Art Museum ©Katsuhiro Otomo/MASH ROOM ©tsunoken

 

 

2017年6月21日 (水)

『峠』を再び読んでみる

 先々週から先週まで、ほぼ一週間入院したので、その間に読んだちょっと長い小説のお話などをしてみる。

 読んだ小説とは、『峠』であります。

『峠』と言えば、故司馬遼太郎氏の長編時代小説で、毎日新聞夕刊に1966年から1968年まで連載されていた作品である。

 1966年から1968年ということは、私が15歳から17歳ということで、まあ、大体この辺から少年は「時代小説」に憧れ、その後、吉川英治の『宮本武蔵』やら山岡宗八『織田信長』あたりの読み進み、NHKの大河ドラマあたりにはまるというのが、オヤジの時代小説ファンの王道だったりするわけで、まあ、私もその通りで、未だにNHK大河『おんな城主 直虎』あたりを「本当はそうじゃないんだよなあ」なんて思いながら、毎週見ているという具合。

 で、5月の越後牛の角突きニ連荘のついでに再度訪れた郷土の英雄河井継之助資料館なんかに行ったりしたわけなのであるが、今回、再度故司馬遼太郎氏の『峠』を読んでみたら、なんか昔読んだときとの印象の違いに驚いているような状況なんだなあ。

Photo_2 『峠(上中下)合本版』(司馬遼太郎著/新潮社/2015年6月15日刊)

 まあ司馬遼太郎版『峠』と言えば、「小千谷談判」が一番の読ませどころで、小説のメインになるところのはずなんだが、「記憶にあるイメージ」とは大違いで、実は上中下全三巻の三巻目、 5章目目になってやっと「小千谷談判」が出てくるのである。なんか、「記憶にあるイメージ」ではもっと小説の中心になって出てきたように思うのであるが、小説全23章中の19番目に出てきていたとは、なんともはや記憶というものは如何にいい加減なものなのかという思いでありました。

 まあ、小説というものは史実と異なるわけで、それは当然なのであることは、それは読む前から分かっていることであるのだ。が、まあ考えてみれば「小千谷談判」は河井継之助としてみれば、最早晩年に属する年代にあった事象であり、それなら小説の最後の方に位置するところであるのは当然なんだが、その事実の大きさからするともっと小説の前の方に出てきた印象が残っているんですね。

 それ以外にも、小説『峠』には事実と反するところはいろいろあるようで、Wikipediaによれば……

『冒頭で河井の人物像が語られる冬の峠越え
創作:三国峠越え。
史実:碓氷峠越え。

河井と福澤諭吉との関係
創作:思想面で共鳴する親密な関係があった。
史実:実際に2人が会った記録はない。

河井が持っていた越後長岡藩の将来像
創作:一藩で武装中立国にする構想を持っていた。
史実:その言動から、尊王でも佐幕でもない中立の一藩にしようとしていたであろうことは想像に難くないが、それを裏付ける史料はない』

 などなどがあるようで、それらは小説として面白い表現になるようにした結果であり、まあ創作とはそういうもんだと言ってしまえばその通り。

 まあ、三国峠越えなのか碓氷峠越えなのかはあまり本題とは関係ないが、福澤諭吉との関係論でいえば、ふたりが実際に会った記録はないというのは正しいようで、福澤諭吉の開民論と河井継之助の言う徳川幕府改正論とは大いに異なるものの筈なのである。福澤諭吉にしてみれば、別に徳川幕府を守ろうなどという考えかたはなくて、むしろ、大政奉還をした以上は徳川方は政治の表舞台からは退くべきであり、一方、天皇を抱いた薩長軍も別に革命のための部隊ではなくて、やはり旧体制の遺物でしかないと考えていたはずである。むしろ、福澤の考え方は「共和制国家」を作ることが一番の目標であり、そのためには天皇の存在もあくまでも共和政政体を作るための臨時措置的なものでしかなくて、いずれは天皇制自体も否定せられるべきものとして考えられていた。一方、河井継之助の考え方はそこまで将来を見こしていたわけではなくて、国の代表としての天皇の存在と、政治の代表としての徳川幕府という二元論が未だ存在しており、大政奉還とは徳川幕府が政治の代表の立場をおりるだけで、その後は「誰か」が政治の代表になればいいという考え方で、その中で「長岡藩が如何にして長岡藩として独立を保てるだろうか」という道を追求していたにすぎない。

 つまり河井継之助としては「国の政体がどうか」ということは眼中になくて、「長岡藩が(それが「藩」なのか「(連邦制のなかの)国」なのかは別として、自分が生まれ育った「長岡」を如何にして生き延びさせるのか」ということだけが目標だったのだろう。それが会津を中心とする「旧守派=奥羽列藩同盟」に長岡が当初は参加しなかった理由なのではないだろうか。勿論「一藩で武装中立国にする」というのは、ある種、ファンタジーをともなったとはいえ「非武装中立」という考え方のなかった時代における「現実論」ではあったのだろう(まあ、現代でも「非武装中立はファンタジー」という考え方もある)。しかし、だからといって、それが永遠の戦略ではなかったに違いない。

 つまり、河井継之助とは、あくまでも時代に即した有能な官僚であり、如何にして目前の問題を解決するのかが、彼にとっての一番のテーマであり、その後にどんな国・藩・小国家を作るのかということはテーマではなかったのではないだろうか。

 今、故司馬遼太郎氏の『峠』を読み返してみると、そこに見える河井継之助像は、世の中の先を見こした政治家というよりは、目前の問題をいかにして解決し、短期的に問題解決を図る有能な官僚の姿なのである。

 つまり、そんな河井継之助にしてみれば、小千谷談判なんてものは、数多くある政治取引のひとつでしかないわけで、その結果も、実は見えていたってことなのかもしれない。

『峠(上中下)合本版』(司馬遼太郎著/新潮社/2015年6月15日刊)

(新潮文庫版)(電子版『峠』上中下別売り版もあります)

2017年6月20日 (火)

神田カルチェラタン

 1968年に「神田カルチェラタン闘争」というのがあった。

 まあ、「カルチェラタン」という呼び名は、マスコミがフランスの学生運動でパリ大学があるパリ・ラテン区(カルチェラタン)を解放区にして戦ったのをなぞらえて呼んだだけで、別にそれを実行した学生本人たちは普通に「神田解放区」と呼んでいましたがね。

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 と言っても、神田のお茶の水駅前と駿河台下にバリケードを作って、お茶の水の通りを一時的な解放区としてデモをやったっていうだけで、実はすぐさま機動隊によって解体されちゃったんだけれどもね。

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 結局、この解放区闘争自体の大きな目標はなく、普段はクルマが走っているお茶の水の通りを一時止めて、解放区にしちゃったら気持ちいいだろうっていう、いかにもブント(共産同・社学同)らしい、無展望闘争のひとつだったのだ。

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 ちょうどお茶の水通りを挟んで東側が中大、西側が明治大ということで、両校を根城にしていたブントが「やっちゃおうぜ」的なノリでもってやったら、結構評判が良かったのだった。で、その後の東大安田講堂戦の時はお茶の水から本郷通りを解放区にして東大まで繋げちゃおうってやったんだけれども、この時はうまくいかなかった。 距離が長すぎたんですね。

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 当時は、お茶の水通りの両側は今ほど楽器屋さんばっかりじゃなくって、結構、喫茶店が多くあって、その多くの店では解放区があっても営業を続けていて、逃げ込んできた学生を匿ってくれたりしていた。っていうのが伝説的に語られているんだけれども、実際にはシャッターを閉めちゃった店の方が多かったような記憶がある。

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 で、昔の中大ブントの巣窟と呼ばれた中大学生寮がここ。

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 地下一階が生協の売店になっていて、私も一時期(と言っても、中大闘争や60年代闘争の後なんですけれどもね)アルバイトをしていた時代がある。

 昔の中大白門の前にあったんだけれども、今や白門自体がなくなってしまっていて、この建物が1968年闘争の名残だなんて知っている人はいない。相変わらずトヨタの寮になっています。まあ、ここに住んでるトヨタの人も、そんな曰くのあった建物だったなんて知らないでしょうね。

 まあこうした1968年の遺構なんかもいずれはなくなってしまうんだろうな。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Ochanomizu Chiyoda ©tsunoken

2017年6月19日 (月)

写真展 LIFE 写真のある生活

 ギャラリー内部の撮影を許可してくれる写真ギャラリーということで、最近お気に入りの神田明神脇にあるギャラリーバウハウスなんだが、昨日言ってみたら休館日だった

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 普通は写真のプリント販売が目的のギャラリーと思っていたら、珍しく入場料を取るイベントを開催していたのであります。

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『写真が誕生してまもなく200年。今日写真の役割は多岐にわたり、私たちの生活においてなくてはならないものとなりました。デジタル・カメラの出現で写真がより多くの人々にとって身近な存在となり、いままで撮られる立場から誰もが撮る側になりました。アマチュア写真家の増加にともない、趣味としての写真分野も活況を呈しています。
そうした状況のなか、作品を通してあらためてプロの写真家と写真の関係を見つめなおし、「写真家とその人生」についての考察をしたいと思います。内外の写真家の多様な作品世界に浸りつつ、それらが生み出された背景に想いを馳せる、そんな贅沢なひと時を過ごして頂けたらと思います。
モノクローム(ゼラチン・シルバー・プリント、プラチナ・プリント)作品67点を展示。』

 というのが写真展の能書き。

会 期/2017年5月25日(木)〜7月29日(土)
時 間/11:00〜19:00
休 廊/日・月・祝
入場料/一般・学生 600円 *中学生以下は無料

 というイベント。

170525_life_4_2 ©Izis Le Cirque 1956(要注意:解像度かなり下げてます)

 出展作家は

アウグスト・ザンダー 秋元茂 石元泰博 イジス 井津建郎 井津由美子 伊藤進哉 榎本敏雄 大辻清司 岡崎正人 コウムラシュウ 小瀧達郎 ジェルメーヌ・クルル 杉本博司 田所美恵子 田中長徳 田中宏明 田村彰英 広川泰士 廣見恵子 水島雅美 三好耕三 ミロスラフ・クベシュ 森永純 ユージン・スミス 横谷宣 横山佳美 吉村朗 ヨゼフ・スデク J・H・ラルティーグ ロバート・フランク ロベール・ドアノー

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 ふーん、こういう有料展示もやっているんだと、再認識。

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 明後日にでも、改めて行ってみよう。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8D @Soto Kanda Chiyoda

2017年6月18日 (日)

戸越公園というか肥後熊本細川屋敷

 昨日のブログで東急大井町線の戸越公園駅に出てしまったということを書いたので、そこは当然「戸越公園」って何なのか、どんなところなのかが気になるわけですよね。

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 表門の脇に「戸越公園の沿革」というのが掲示されている。

『本公園は寛文2年(1662)、肥後熊本藩の分家熊本新田藩主細川利重が下屋敷として拝領、寛文6年に本家の所有となり、寛文11年までに数寄屋造りの御殿や庭園からなる戸越屋敷として整備された屋敷地の一部にあたります。文化3年(1806)、石見浜田藩松平周防守の屋敷となり、さらには伊予松山藩松隠岐守の手に渡りました。明治の改革により何人かの手を経て、明治23年(1890)三井家の所有となりました』

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 肥後熊本藩の藩邸と言えば、上屋敷 (千代田区丸の内):現在の丸の内オアゾ、中屋敷(港区高輪):旧高松宮邸・東宮御所(史跡・大石良雄外十六人忠烈の跡)、下屋敷 (中央区日本橋浜町):浜町公園、 (文京区目白台):肥後細川庭園、和敬塾、永青文庫などが有名だが(しかし、一体肥後熊本細川屋敷っていくつあるんだか)、ここ戸越にも下屋敷があったんだ。

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 ただし、ここ戸越屋敷は藩邸といっても「公邸」というよりは、半ば私邸みたいな感じで、鷹狩やキジ刈り、茶会などを行う別荘風の造りだったそうだ。

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 とはいっても、池を中心とした回遊式の庭園で、築山なんかもあるし、基本的には大名屋敷としての基本は備えている。

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 どの部分に屋敷が建っていたのかは分からないが、多分、現在都立大崎高校なんかがある場所が屋敷が建っていて、この公園になっている場所が庭園だったのではないかと思われる。

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 一番上の藥医門もそうだし、この冠木門など、普通下屋敷などで作られている長屋門とは異なった簡素な門が、昔から作られていたそうで、まあ、その辺からも、公邸としての下屋敷とはちょっと性格の異なる屋敷だったことが理解できる。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f2 D @Togoshi Shinagawa ©tsunoken

2017年6月17日 (土)

東京いい道 西大井 のんき通り……でも、Lost

 入院により失われた体力を回復しないと、ということで5月26日のブログ『東京いい道、しぶい道』で通ったことのない道「新幹線から見えるコアな道…西大井 のんき通り」を目指してみた。

 まあ、「歩いた距離 約700m」だからコンディション調整にはいいかな。

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 JR京浜東北線の大井町駅から「光学通り」を経てニコンの大井工場へ出て、そのままJR横須賀線(湘南新宿ライン)西大井駅までの道は何度も通っているんだが、そこから先、戸越方面へ至る道は今回初めて通る。

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 ところがどこかで道を曲がり間違えてしまったようで、「のんき通り」じゃなくて「三間通り」という道を、いつの間にか通っている。

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 どうも最初の曲がり角で直進しなければいけないところを、左折してしまったのが原因のようだ。このまままっすぐ行ってしまうと第二京浜国道(国道1号線)に出てしまいそうになって、慌てて軌道修正したのだが、最早Lostしてしまった「のんき通り」にはたどり着けない。

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 まあ、それでも「いい道、しぶい道」であることには変わりはないので、面倒なのでそのまま行くことにする。

 と、突然現れたのが東急大井町線のガード……

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 ってことは、反対側から戸越公園駅へ出てしまった。

 まあ、戸越公園駅に出るのは正解なんだけれども、ルートが全然違うんですね。

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 う~ん、かなり何度も調べたつもりなんだけれども、なかなか道の最初の曲がり角が分からないと、ちゃんとしたルートは辿れないってことか。

 う~む、なかなか奥が深いな泉麻人『東京いい道、しぶい道』。

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Nishi Oi Togoshi Shinagawa ©tsunoken

2017年6月16日 (金)

TREBUTE TO OTOMO EXHIBITION

 世界的な人気を誇る漫画『童夢』『AKIRA』などの著者・大友克洋に影響を受けた日仏の作家79人によるトリビュートイラスト展 『TRIBUTE TO OTOMO EXHIBITION』というのが、渋谷タワレコード8階で開催中だ。

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 これは、大友克洋が2015年に第42回アングレーム国際マンガフェスティバル・グランプリで最優秀賞を受賞したのを記念して、氏に影響を受けた日仏の作家79人によるトリビュートイラスト集『TRIBUTE TO OTOMO』の日仏同時刊行を期して開催されているもの。

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 大友克洋氏は2013年に紫綬褒章、2005年に芸術文化勲章シュバリエ、14年に芸術文化勲章オフィシェを授与されている押しも押されもしない日本の芸術家なんだから、何をいまさらアングレームってなところもあるんだが、まあ、アングレームでの受賞を記念して日仏の80名ほどのマンガ家による『AKIRA』(いやあ皆見事に『AKIRA』ねんですねぇ)の大饗宴が実現したってことを考えれば、それはそれで意味があったってことなんですかね。

 そう、大友さんの新作イラストはひとつもなくて、すべて世界中のマンガ家による『AKIRA』の大饗宴なんですね。それはそれで凄い。けどねぇ……。

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 一番上の金田と超電動バイクのイラストが入口で、そのの裏側が「ラク書きスペース」になっているんだが、う~ん、どうなんだろうか、多いんだろうか少ないんだろうか。

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『TRIBUTE TO OTOMO』はフランスのEDITIONS GLENAT社と講談社の共同出版で、税別5,400円で発売中。あまり大量には発行していないから、早めに売り切れちゃうかもしれません。

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 本当は「SHOHEI(大友昇平)と大友克洋の親子共演」ってのを見たかったんだけれどもなア。えっ? それって「禁句」(?)

『TRIBUTE TO OTOMO EXHIBITION』は6月18日まで開催中。渋谷タワーレコードのサイトはコチラ

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Shibuya ©tsunoken

 

2017年6月15日 (木)

小説『シンギュラリティ』は『シンギュラリティとは何か』に答える小説じゃなかった、そこが残念!

「シンギュラリティとは何なのか?」について真摯に答えたSF小説……、ではないのだ。

 その辺がちょっと残念!

Photo 『シンギュラリティ』(チーム2045:西村世太郎・里見裕二・鎌田隆寛・山内靖子・堀江悟史・森井友美/幻冬舎/2017年3月21日刊)

 著者の「チーム2045」とは、『2016年、Ster(情報システムの企画、構築、運用などの業務を請け負う企業)である新日鉄住金ソリューションズ株式会社の若手有志で結成。メンバーの本務は営業、システムエンジニア、総務と、部署や職種をまたいだ後世になっており、業務外活動の一環として日本初のプロジェクト型小説制作に挑戦した』というもの。チーム名は勿論人工知能が人間の能力を上回る「シンギュラリティ」が2045年に来ると予測されていることにちなんで命名、というのもよくわかる。

 しかし、残念なのが同時にそうした「素人さんが書いた小説であるからこそ、もしかして真摯に『シンギュラリティってなんなのか。シンギュラリティを迎えた私たちの世界はどうなるのか』に答えてくれるのかもしれない」という期待を、読む方としては勝手に抱いてしまうのだが、残念ながらそれには応えてくれないんだなあ。

 う~ん、プロの作家が勝手にシンギュラリティ以降の世界を書くのは自由だけれども、それはあくまでも作家的感性で書いているだけであり、真摯にシンギュラリティと向き合って書かれたものではないだろう。なので、逆に「小説の素人さん」であり、なおかつ「AIについてのプロ」である「チーム2045」に勝手に期待したんだが、それは意味はないってことなんだなあ。

 そこはちょっと残念。

 シンギュラリティとは何なのか?

『シンギュラリティ(技術的特異点)とは?
 シンギュラリティ(テクノロジカル・シンギュラリティ=技術的特異点)とは、人工知能が人類よりも賢くなり、技術進歩を担い、人工知能がより賢い人工知能を生み出すサイクルを生み出す点のことだ』

 つまり、現在蓄積されているコンピュータ(AI)への知識の量が、今後、ディープラーニングなどにより急激に加速して蓄積され、その知識の量が2045年に人間全体の知識の量を凌駕するというもの。それは多分、現在進められているAI化、IoT化とクラウドコンピューティングの技術が、コンピュータ自身のディープラーニングによって幾何級数的に知識を伸ばし、いずれは人間の持つ知識や考え方の総量以上になり、その時に「人間vs.コンピュータ」の関係論はどうなっていくんだろうかということへの考え方なんだが、それが人によって大いに違うっていうところが面白いところで、「コンピュータが支配する人間社会」を想定する悲観論から、「いやいや人間とコンピュータは相変わらず良い関係論を保って進んでいくんだ」という楽観論まで議論百出で、我々シロートには「これはどうなっちゃうの?」的な興味は尽きないってところなんだなあ。

 おまけにそれが2045年には実現しちゃうって言うんだから、1951年生まれの私だって94歳で、まだ生きている可能性がある(まあ、その前に心筋梗塞で死んじゃうかもしれないけれども)っていうところが、興味の的なんだ。その時、世界はどうなっているのか?

 ところが、小説のラストは……

『「松阪君、君ならわかるだろう。シンギュラリティは人類を滅ぼすんだよ」
 安藤奈津子の口調がいきなり変わった。
「もしかして、僕が連絡を取っていたのは……」
「男だと思い込んでいたでしょう。あなたは単純だから騙しやすかったわ。まあ、それはいい。理屈はもうわかっているでしょう。理屈はもうわかっているでしょう、私たちがシンギュラリティを阻止しようとする理由は」
「そのことについては、ずっと考え続けている。今はあんたたちが間違っているとはっきり言える」
「ほう? せっかくだから、その考えとやらを聞いてあげましょうか」
「確かに人類の歴史は争いの歴史だ。でも、本当に少しづつだけど、そして行きつ戻りつするけど、平和に向かっているじゃないか。それは人類全体が精神的に成長しているからだ。近いうちに人工知能が人間を超えるとして、僕たちより高次な存在が、戦いを仕掛けてくるだろうか。そんなコストの高い選択をするだろうか」
「人類全滅を選ぶ可能性は?」
「ないとは言えないだろう。でも、たとえば自分たちより知能が劣るからといって、僕たちは猿を殺戮しようと考えるだろうか。むしろ、絶滅しそうだったら救おうとするんじゃないか。あんたたちは暗い未来を描きすぎる」』

 で、結局、松阪は安藤の持つ武器のボールペンを体当たりで無効化させて、最後は犬のケンシロウが安藤奈津子の右腕に咬みついて、体勢を崩した安藤の右腕を松阪が絞り上げ、床に落ちたボールペンを奪って、最後のアクションはおしまい。

 って何? これじゃあ「シンギュラリティ小説」じゃなくて、単なる「アクション小説」じゃないか!

「おわりに」で

『「シンギュラリティ」は〝プロジェクト型小説″としての第一弾です。シンギュラリティを人類発展の前向きなステップとして迎えられるように、結衣たちは少しずつ大きな流れに巻き込まれていくことでしょう。結衣たちの活躍によって、多くの方に「シンギュラリティ=技術的特異点」について興味を持っていただき、私たちが携わっているITという技術が幸せな未来のためにはどうあるべきなのか、そんなことを考えていくきっかけになってくれることを願っています』

 というのだが、肝心の「シンギュラリティがどういうものであるか」という、素人読者の素朴な疑問にも答えてくれないと、なかなかシンギュラリティについて興味をもっていただくのは難しいのじゃないだろうか。

 というのは、やっぱり「素人の発想」なのかなあ。

『シンギュラリティ』(チーム2045:西村世太郎・里見裕二・鎌田隆寛・山内靖子・堀江悟史・森井友美/幻冬舎/2017年3月21日刊)

2017年6月14日 (水)

とりあえず「出所」してきました

ブログを再開します…………。

「むむむっ、なかなか思い通り行かんなあ」というのが現在の心境であります。

 取り敢えず退院はしたものの、6月10日のブログ『ブログ少しお休みします』で書いた通りの状況は変わらず、4月14日のブログ『なかなか簡単に『tsunoken生還!』とはいかないようです』から二ヵ月過ぎても状況に変化はないということ。

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 ただし、4月の時は腕から細いカテーテルをいれて検査をしただけなので、その痕などもあまり残っていなかったのだが、今回は鼠径部からかなり太いカテーテルを挿入しての手術だったので、下腹部から脚の付け根にかけてかなりの内出血があり、結構スゴいことになっている。

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 いずれにせよ、最後はどうにかなるんだろう。つまりバイパス手術を行うのか、あくまでもカテーテルで治せる医者を探すのか、またはあきらめるか。まあ、あきらめてもすぐに死んじゃうわけでもないし、あと10~20年位は生きそうなので、それも一つの選択肢なのかもしれない。

 ここ1~2ヵ月で今後どうするかは決めることになると思うので、その辺で事態は進展するだろう。

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 今回の入院では、今までにちょっと経験したことのないこともあったりしたので、それはそれでネタとして書かせていただきます。ただし、ちょっとした「心の整理」が必要なんで少しお待ちください。

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 また、今回は「もしかしたら、ちょっと長期入院?」ってな予想もあったので、普段読めないようなちょっと長めの本(Kindleですが)を持ち込んだので、それについても書いていきます。

Photo 『シンギュラリティ』(チーム2045/幻冬舎/2017年3月21日刊)

 ちょっと不思議な小説です。

iPhone @Nippon Medical School Hospital ©tsunoken

 

2017年6月10日 (土)

ブログ少しお休みします

 実は今週の火曜日から再び日本医大付属病院に入院している。

 まあ、前回は実際にカテーテルを入れてみたら思ったより難物なんで、ここは慎重を期して調査だけにしておこうということで手術はやあなかったんだけれども、さすがに今回は二度目である、今回こそはカテーテル手術をしてもらえると思ったのになあ……。

 実は今回もカテーテルを挿入してみたら思ったより冠動脈の石灰化が厳しくてカテーテルを挿入できない。じゃあ、ほかの方法でということで、別ルートからカテーテルを入れてみたのだが、こちらは複雑すぎて患部に達しない状況。

 結局、前回と同様「手術は見合わせ」ってなことになってしまった。

 まあ、お医者さんは一生懸命やっているのはわかるんだが、こんな感じで<先送り・先送り>されちゃうとなあ。いっそのこと「バイパス手術をやりましょう」って言ってくれたらすっきりするのにな。

 まあ、病院で味わったいろいろなことはいずれ述べさせていただくことにして……。

 最初は三日間だけの入院の予定だったのでブログも三日分だけ先行してUPしていたんだが、ついにそれも追いつかれてしまいました。

 まあ、2~3日うちには再開しまうので、それまではしばしのお別れを……(まあ、2~3日です、2~3日)。

@Nihon Medical School Hspital

2017年6月 9日 (金)

「下鎌田の富士塚」はかわいい富士山

 都営地下鉄新宿線も江戸川区辺りにくると、昔は畑や田圃ばっかりだったんだろうということを示す、ゆるくくねった昔の道と、直線的な新しくひかれた道が交差していて、昼間はあまり人通りも少ない、なんか寂しい街みたいな感じがあるのだが、意外や意外、結構住んでいる人は多かったりして。

 で、その瑞江駅で下車して南下すると「下鎌田の富士塚」というのがある。

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「下鎌田」というのは、この地域の旧称。で、その下鎌田にある豊田神社の社に目指す富士塚はある。

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 と言っても、高さはたかだか3メートルほどのかわいい富士塚なんだ。

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 で、この富士塚は大正五年にできたそうで、普通富士塚というと江戸時代の富士講が元になって作られたのが多いと考えていたので、富士塚としては随分新しい。

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 で「富士登山七十五度大願成就」って、本物の富士山かなあ、あるいはこの富士塚のことなのかなあ。本物ならスゴイですけどね。

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 豊田神社の神殿の脇に小さな富士塚が見える。

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 神社の裏は公園になっているが、多分、昔は鎮守の森があったんだろう。

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NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Mizue Edogawa ©tsunoken

2017年6月 8日 (木)

佃小島・雑景

 時々。無性に佃島周辺……っていうか、佃島に行きたくなる。

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 なんなんだろう? そこには周辺の石川島や月島、対岸の明石町なんかに見られるタワーマンションなんかが一軒もなく、せいぜい一番高い建物が築地小橋脇にある日の出湯というか大栄マンション5階建てなんである。

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 あとは今時東京のど真ん中になぜかポツンと置かれてしまったような……、木造平屋建て、新しい家でせいぜい3階建て、普通は2階建ての家々が並んでいる。

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 その2階建てだってできた当初は「モダーン」な建物だったんだろう。

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 佃島で一番似合うのはやっぱり佃煮やさんか……

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 こんないかにも「職人さんの家」っていう風情の家々だ。

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 昔は隅田川も永代橋で河口になり、その沖に佃島や石川島があったんだよな。

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 なんか、私にも昔の東京風情を懐かしむ心なんてものが残っていたのか知らん。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f2 D @Tsukudajima Chuo ©tsunken

 

2017年6月 7日 (水)

『プロ野球・二軍の謎』

『メジャーでは毎年、1球団あたり60~70人の新人が入団してきます。仮に30球団で60人ずつ採用したとすると1800人に上ります。大ざっぱに言えば、この大量採用の選手たちにとにかく試合をさせて、結果を残したものをメジャーに引き上げるという選別方式です。
 これに対して日本は育成選手を含めても1球団10人入ってくるかどうか。今季(2016年シーズン)、我がオリックスは大量12人の入団となりましたが、12球団トータルでは、せいぜい毎年100人前後といったところでしょう』

 まあ、このスケールの違いが日米でのマイナーリーグ(二軍・三軍)のあり方の違いになるし、育成方法の大きな違いになるんだろう。

Photo『プロ野球・二軍の謎』(田口壮著/幻冬舎新書/2017年3月30日刊)

 ポイントは日本の二軍制度とアメリカのマイナーリーグ制度との大きな違いなんである。。

『日本ではたとえ二軍でも、球団と契約を結んでいれば「プロ」として認識されています。また、シーズン中に誰かが突然やってきて、クビを宣告されるというようなことはありません。シーズンも終了間際になったあたりで、「来年の契約は結ばない方向だ」という告知をされることはあっても、シーズン真っ只中のある日突然「ハイ、きみはクビね」と言われ、その日のうちに荷物を持って出ていかなければならない、などという事態にはならないのです』

『とにかく1年は「プロ野球選手」を名乗ることを許され、支配下選手なら最低でも年俸440万円(育成選手は240万円)が保障され、じっくり育ててもらえる日本の二軍選手は恵まれている、と思わずにはいられないのです』

 育成選手の240万円という最低年俸でも、日本ではそれ以下の年収で暮らしている若者は多いわけだし、二軍選手の最低年俸440万円だったら普通のサラリーマンの年収とそれほど変わりはない。まあ、勿論「体が資本」のスポーツ選手なんだから基本的な年間支出(特に食費)は、サラリーマンと同じってわけにはいかないのだろうが、それでも「生活できない」って金額じゃない。それがアメリカのマイナーリーグでは様子が違うようだ。

『日本のプロ野球における二軍は、選手を育てる場所であると同時に、一軍が勝つための人材を派遣する場所、もしくは一軍選手の調整のための場所といった役割があります。日本の二軍は、すべては一軍の勝利のために存在しているのです』

『日本では12球団すべてが一・二軍ともに同じ親会社の経営下に置かれていますが、アメリカの場合、メジャー、3A、2A、と系列が一緒でも、チームはそれぞれが別経営で成り立っています。つまり、たとえばセントルイス・カージナルスとメンフィス・レッドバーズはカージナルスのメジャーとマイナー(3A)ではありますが、企業としては別なのです』

 つまり、メジャー、3A、2Aなどはそれぞれ別のリーグに属していて、それぞれで各独立して経営されているってことは、当然、それぞれのレベルでもってビジネスをしているってわけ。ということは、それぞれのチーム事情がそれぞれの経営に影を落としているわけで、それはそれぞれのチームごとに選手に支払われる給料なんかも違うわけだ。

『メジャーが一軍だとすれば、二軍にあたる「3A」、三軍にあたる「2A」、さらにその下に「アドバンスドA」「クラスA」「ショートシーズンA」(この3つを合わせて「1A」)、「ルーキー・アドバンスド」「ルーキーリーグ」(この2つを合わせて「ルーキーリーグ」)と7つもの下部クラスが存在するのです。
 一応、マイナーが7つのクラスに分けられているとはいえ、メジャーから見れば、やや年齢層が高い3Aも含め、いずれも似たような下積み生活です』

『マイナーの選手たちの多くは、野球をすることで得られる賃金だけではとうてい食べていけず、アルバイトをしたり、なんらかのスポンサーを見つけて援助をもらい、メジャーリーガーになる日を夢見てプレーしているのです。中には奥さんや彼女が働くことで、食べさせてもらっている選手もいます』

 勿論、メジャーにいても結構厳しい条件がある。

『メジャーリーガーが下部リーグに落とされる要因のひとつに、日本にはない仕組みがあり、それが先に紹介した「option」というものです。
「option」を直訳すると「選択権」という広い意味になりますが、野球用語としては、「球団側が選手をマイナーに落とす権利」という意味で使っています。「球団がオプションを行使し、誰々を3Aに送った」というように使うわけです』

『ただし、球団側がこのオプションを制限なく使えるわけではありません。この権利を行使できるのは3回までということになっています。確か、累積20日間で「マイナー落ち1回」とカウントされるのですが、1シーズンの間であれば、球団は何度でも選手をマイナーに送ることができます』

『もし3シーズン、メジャーとマイナーを行ったり来たりして3回のオプションを使い切っているにもかかわらず、それ以降もマイナー待遇となる場合、球団はその選手をウエーバーにかけなくてはならない、つまりいったん保有権を手放して、ほかの球団に獲得意思があるかどうか確認しなくてはなりません』

『ひとりの選手に対してのオプションの行使は、どのチームの所属かにかかわらず、1シーズンは1回とカウントされていきます』

 ということで、メジャーリーガーはチーム移籍は当たり前であり、田口氏も1992年に日本のオリックス・ブルーウェーブに入団したが、2002年にFA宣言をし、セントルイス・カージナルス、2007年フィラデルフィア・フィリーズ、2009年シカゴ・カブスと転籍をし2010年に再びオリックス、2012年にオリックスを退団しプロ生活から引退。しかし、2015年に再びオリックスで二軍監督になって現在に至る。

 という経歴を見ると面白いなあ。アメリカ時代は他のメジャー選手たちと同様、短い期間でいろいろなチームを渡り歩いているのは、上記のメジャー&マイナー選手たちと同じなんだが、何故か日本では生涯同じチームっていう、如何にも日本的就業慣行の中で所属チームを決めている。

 ってことは、まあ、やっぱり日本人は日本では日本の慣行の中で、アメリカ人はアメリカ的慣行の中で仕事をするってことなんでしょうかな。ってことは、日本の二軍選手がメジャーとか3Aのトライアウトを受けて、アメリカで野球をやるってことはありそうもないことなのかなあ。

 だとすると、そこがちょっと残念!

 って、反応するところが違いますね!

『プロ野球・二軍の謎』(田口壮著/幻冬舎新書/2017年3月30日刊)

2017年6月 6日 (火)

東京周縁部を往く・江戸川、旧江戸川分岐点

 東京メトロ東西線の妙典駅を下りて北口に出ると、すぐにこの「寺町通り」に出る。昔は「成田道」といって、成田山へ行く街道だったそうだ。

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 さすがに寺町通りらしく大きくて古いお寺がたくさん並んでいる。

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 で、寺町通り(成田道)が行徳街道とぶつかる場所にあるのが、この神明神社であります。

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 で、その神明神社の境内にあるのが「行徳町道路元標」。

 なんで神社の境内に道路元標があるんだと言えば、この近所に行徳町の町役場があったからなのだそうだ。今はどこを見渡してもそんな説明版なんかもない。神社の隣に市川市の建物らしきものがあるので、多分、そこが旧行徳町役場だったのかもしれない。

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 で、その神明神社を更に東進すると出てきました、江戸川放水路と旧江戸川を分ける篠崎水門、正式には江戸川水閘門と言います。

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 旧江戸川はここで江戸川放水路と別れて葛西臨海公園の脇に出て東京湾に放流。

 つまり、そこが江戸川サイクリングロードの起点。

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 江戸川サイクリングロードは、葛西臨海公園から出発して、篠崎で江戸川と合流し、柴又、水元と遡行して行って、最後は関宿町で利根川と合流するのであります。

 しかし、いままではただ単に通り過ぎるだけの場所だったんだが、こうやってゆっくり歩いて通るってのも悪くないなあ。

NIKON Df AF Nokkor 20mm f2.8 D @Gyotoku Ichikawa ©tsunoken

2017年6月 5日 (月)

実業団スポーツを考える

 アメリカンフットボールXリーグの2017年春の公式戦、パールボウルの準決勝戦が昨日行われた。

 対戦は第一試合がAブロック1位のノジマ相模原ライズ対Bブロック1位のIBMビッグブルー、第二試合がCブロック1位のLIXILディアーズ対Dブロック1位のオービック・シーガルズ。

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 試合結果から先に言ってしまうと、第一試合は27対19でIBM、第二試合が35対7でオービック・シーガルズが勝って、両チームが6月19日の東京ドームでの決勝戦に臨むことになった。

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 で、まあ、どちらのチームにも肩入れしていないで、ただ単に試合を見に行ったので、そんな時はいろいろなことを考えてしまうのですね。

 つまり、「プロではない実業団スポーツって何なんだ」ってなことをです。

 実業団スポーツって何なのか? 昔は実業団って、基本的には各企業に属していて、そこの従業員たちが、仕事上ではかなり優遇されていて、いわばセミプロ的にスポーツをやっていた。企業としては自分の会社のイメージアップと同時に、各社の従業員の企業に対する忠誠心(ロイヤリティ)のアップなどが目的で、しかし実際には企業の更正予算から出費して運営していたスポーツ事業だったのだ。

 で、その実業団に属していた選手の内、ホンの少しの選手だけプロから誘われる。

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 いつしかその考え方が変わってきて、実業団からクラブチームへ企業がスポンサーとして出費するような形になってきた。

 理由としては……

『一には、企業がスポーツチームを所有する有効性が薄れたことである。昭和末期以降のプロスポーツ化に加え、通信技術の発達により海外のトップリーグスポーツの視聴が容易になったことから、国内あるいは一地域のアマチュアのみで行う実業団スポーツへの注目度が相対的に薄れ、広告宣伝手段としての費用対効果が悪化した。加えて、平成以降の日本企業の縮退傾向は、企業を経営資源の選択と集中へと向かわせ、十分な費用対効果を生み出せないと判断された実業団は次々と整理の対象とされた。
 二には、アマチュアスポーツからの脱却によるプロ化・クラブチーム化の流れである。これは、底流としては1980年代以降、当時の国際オリンピック委員会 (IOC) 会長のフアン・アントニオ・サマランチが推し進めた「オリンピックの商業化」によるプロ選手出場の容認があり、この流れの進展により、「オリンピックに出場できない」ことを気に病む必要のなくなった社会人スポーツ各種目の協会・リーグが徐々に契約選手を容認するようになった。
 三には、スポンサー支援の有用性が認識されたことである。昭和期においては企業自らが実業団を所有し、チームに自社名を冠することが宣伝効果であると認識されていたが、時代の流れに伴いそれが通用しなくなる現状が多くなり、特に1990年代以降サッカーにおいて「地域密着」のスローガンのもとでクラブ名から企業名を排除した日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)のビジネスモデルが一定の成功を収めるようになると、サッカー以外においても実業団が地域との協働によるクラブチームに移行する流れを作った。新日鉄の実業団廃部の際も会社がクラブチームへの移行に導き(新日鉄堺バレーボール部→堺ブレイザーズなど)、引き続き一スポンサーとしての支援を継続した』(Wikipedeia)

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 勿論、チームによってはプロ登録をしている選手もいて、彼等には給料が支払われている。まあ、だからNFLのドラフトにかからなかった選手が、日本のXリーグで戦っていたりするんだが……。

 野球なんかだと、まだ実業団からプロのドラフトにかかったりするケースも多いんだけれども、NFLドラフトにかからなかった選手が、Xリーグで戦って、その結果、NFLドラフトにかかった例は今のところない。まあ、NFLとXリーグではそれだけレベルが違うってことなんだ。ってことは、じゃあXリーグって、学生でアメフトをやっていた選手たちが、学生だけで終わってしまうのは多少気持ちが残るってことで、社会人になっても選手生活を続けるっていうパターンなんですね。

 ってことは、所詮Xリーグから上を目指さないスポーツって言葉は悪いけれども「草野球」ならぬ「草アメフト」ってわけなんですね。まあ、選手の家族とか、クラブチームをスポンサードしている企業の従業員なんかがファンになっているけれども、あまりXリーグで「チームのファン」って感じがしないのも、そういった理由によるものなのだろうか。

 まあ、自分が応援している選手がいない試合を見てると、そんな余計なことを考えたりするんですね。

NIKON D7000 AF-S Nikkor 70-300mm f4.5-5.6 G @Fujitsu Stadium Kawasaki ©tsunoken

2017年6月 4日 (日)

「イノベーションランキング・トップ50」って何?

 5月27日のブログ「『アップル帝国の正体』は見えた。しかし……」を書こうと思っていろいろネットを調べていたら出会った資料がこれだ。

 ってまあ、書評を書くのに、別にその本だけを読んで書いているんじゃないよ、っていうことを言いたかっただけなんだけれどもね。

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 出所は2017年1月12日のボストンコンサルティンググループのプレスリリース「The Most Innovativ Companies 2016 : Geting Past "Not Invented Here"」というもの。

『本レポートには経営幹部1,500人以上から回答を得たアンケート結果とTSR(株主総利回り)を基に、イノベーションに優れた企業を選出した「イノベーション企業ランキング トップ50」を掲載しています。今回のランキングでは、上位4社までの順位は前回と変わらずAppleが調査開始以来の首位の座を守り、2位は3年連続でGoogle、前回3位のTesla Motorsが今回も順位を守り、4位はMicrosoft(5年連続)となりました。日本企業では、トヨタが8位(前回6位)、NTTドコモが39位(初のランキング入り)、ホンダが48位(2013年以来のランキング入り)の3社(前回は5社)がランキング入りしています』

『今回のランキングでは、デジタル革命のインパクトが顕著に表れました。旅行関連のテクノロジーの進展を原動力に、Epedia(前回ランク外)と今回ランキングの対象となったAirbnbとUberがランクインし、アパレル企業の中でもデジタル技術を巧みに活用しているNike(同46位)やUnder Armour(同ランク外)が順位を上げています。大手テクノロジー企業ではNetflix(前回21位)、Facebook(同28位)がトップ10入りし、Amazon(同9位)やIBM(同13位)も順位を上げました。トヨタをはじめ、自動運転車の開発をめざす自動車企業も多くランクインしています』

『本レポートの共著者であるシニア・パートナーのアンドリュー・テイラーは「変化の速い市場を前提とすれば、伝統的な業界においてもテクノロジーが重要な差別化要因となります。"not-invented-here"(自社が開発したアイデア以外は認めない)といわれる考え方は命取りとなりかねません。最もイノベーションに優れた企業では、内部のイノベーションと外部のイノベーションを、自社の戦略に合ったバランスで使い分け、非常に巧みに外部のアイデアを探索し、効率的に社内で活用しています」とコメントしています』

『アンケート調査では、イノベーションに優れた企業と、それ以外の企業の、外部のアイデアを探索する姿勢のギャップが明確になりました。たとえば、自社がイノベーションに強い、と評価している企業では65%がソーシャルネットワークやビッグデータの分析を通じて新しいアイデアを見出しているのに対し、自社はイノベーションに弱い、と評価している企業では、この割合は14%でした』

 というのがリリース本文(抜粋)。

 トップ50とは「Apple / Google / Tesla Motors / Microsoft / Amazon / Netflix / Samsung Group / トヨタ / Facebook / IBM / Mayer / Southwest Airlines / Hewlett-Packard / BMW / General Electric / Daimler / Uber / Dupont / Dow Chemical Company / BASF / Airbnb / Under Armour /Gileard Sciences / Regeneron Pharmaceuticals / Cisco Systems / Pfizer Gemeral Motors / Johnson & Jhohnson / AXA / Nike / Expedia / Allianz / SpaceX / Xiaomi / The Walt Disney Company / Hilton / NTTドコモ / Intel / Marriott International / 3M / Dell / Orange / Siemens / Huawei / Bristol-Myers Squibb / ホンダ / BT Group / Procter & Gamble」の50社。

 まあ、トヨタ、NTTドコモ、ホンダの三社には御同慶の至りだが、まあいかにもボストンコンサルティンググループというアメリカのコンサルティングファームの調査だっていうことが分かって面白い。NTTドコモが何故トップ50に入っているのかは分からないが、それ以外は基本的にアメリカで存在感が大きい企業だっていうこと。

 それにしてもアップルが未だに『イノベーションに優れた企業を選出した「イノベーション企業ランキング トップ50」』のトップに位置しているっていうところが面白い。まあ、「イノベーションが進んでいる度」だけでなく、「TSR(株主総利回り)」も考慮に入れているところが、まさしくトップ・ワンという理由なんだろうけれども、残念ながら5月27日にも書いた通り、アップルはいまや「イノベーションに優れた企業」とは言い切れなくなっているんではないだろうか。

 ティム・クックも理系出身であるが、残念ながらティム・クックのアップルからは何ら新しいテクノロジーを感じさせる製品は、まったく出てきていない。勿論、他社も似たような話で、アップルを越えるテクノロジーやアイデアの商品は出ていないのだから、別にそれでもいいじゃないかと言うようなものだけれども。だからこそ、アップルから斬新なアイデアだったりテクノロジーだったりの新製品が出てくるのを、皆が待っているのである。

 このままいくと、スティーブ・ジョブズ亡きあとのアップルは何ら新しいテクノロジーを出せずに、別の会社になってしまいました、ってことになりかねないなあ。

 とまあ、昔のAppleファン、Macマニアは言うんだが……。今やiPhoneしかアップル製品を持っている程度の人間が言うことではないのだけれどもね。

 調査レポートの本文は以下の通り。

「The Most Innovative Companies 2016: Getting Past "Not Invented Here"」

https://media-publications.bcg.com/MIC/BCG-The-Most-Innovative-Companies-2016-Jan-2017.pdf

インタラクティブ版ランキングを含む特集ページはこちら

https://www.bcgperspectives.com/most-innovative-companies-2016/

2017年6月 3日 (土)

「記念館ビジネス」っていうのは、どうなんだろう

 地域の名士の遺業を記念館として残すっていうのは、その地域の人にとっては大事なことだろうが、別によそ者としては比較的どうでもよいように思える。まあ、旅行でその近所まで行ったんだから、ついでに見て行くかってな感じで、5月7日のブログ『河合継之助と山本五十六』も、「見に行って、書いた」んだけれどもね。

 で、今度の福島温泉行きでも、行きは二本松の高村智恵子記念館、帰りは猪苗代の野口英世記念館に立ち寄ったというわけ。

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 まあ、高村智恵子、あるいは野口英世という個人に興味があれば、わざわざそこまで行って記念館を見に行くというのは、立派な旅行の動機にはなる。

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 が、まあ我々のように旅行の動機は「温泉」だったり「牛の角突き」だったりすると、別にそれは旅行の動機にはならなくて、ついでの時間つぶしみたいなものになったりする。

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 それぞれの記念館の主宰者は、高村智恵子記念館は二本松市、野口英世記念館は公益財団法人野口英世記念会。

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 まあ、主宰者側としては地域の名士だし、その偉業を称えるために、記念として遺品などを残しておこうと考える。これはビジネスではなく、文化事業なんだ、というのはよくわかる。

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 が、まあ周辺の人たちにとっては、そんな記念館のおかげで観光客が来てくれれば、お土産なんかも売れて、それはそれ立派なビジネスだ。

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 これが小樽の石原裕次郎記念館あたりになっちゃうと、石原プロモーションの子会社、石原インターナショナルが観光目的で始めたビジネスなので、目的ははっきりしている。その代わり、ビジネスが立ち行かなくなってしまえば、簡単に閉館を決めちゃったけどね。

 ううむ、この辺の「記念館は観光ビジネスなのか、文化事業なのか」は実に悩ましいところですね。ただし、基本的に言ってしまえば、「観光ビジネス」目的で記念館を運営している団体はない、ってところなんだろうなあ。だってどう考えたって、ペイしてないもん。

NIKON Df AF Nikkor 24-85mm f2.8-4 D @Nihonmatsu & Inawashiro Fukushima ©tsunoken

2017年6月 2日 (金)

浄土平湿原

 先週の金土、5月26・27日は学生時代の悪友H坂氏が毎度企画する会で福島の高湯温泉まで旅行に行った。

 旅館はいつもの「日本秘湯を守る会」の旅館「吾妻屋」です。UQ-Wimaxは相変わらず入らないけど、何と! WiFiが入る旅館だったのだ! なので、別に当日にブログをUPしてもよかったんだけど、まあ酔っぱらっちゃったんで、もうOUT!

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 で、予定では猪苗代から磐梯吾妻スカイラインを通って、山越えで高湯温泉まで行くつもりだったんだけれども、当日は生憎の雨。まあ、これじゃあ高原道路はガスっててダメだろうと、福島市から下から上がっていくルートに変更。

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 で、翌日いよいよ磐梯吾妻スカイラインに乗り出した。雨は上がったんだけれども、ガスってて視界はせいぜい10メートルっていう位のところで、注意深く進むしかない。

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 ところが車が浄土平レストハウスに着いたとたん、ウソのように霧が晴れたんですね。

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「こりゃあ、誰か日頃の行いの良い人間がこの中にいるのかな(ウソウソ)」なんて考えながら、浄土平湿原の散歩を楽しんでいると……

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 途端に山はガスに覆われてしまいました……、とさ。

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 まあ「山の天気は変わりやすい」っていうけど、その通りでしたね。

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 こりゃあ、早いとこ猪苗代に退散、退散!

NIKON Df AF Nikkor 24-85mm f2.8-4 D @Takayu Spa & Jododaira Fukushima ©tsunoken

2017年6月 1日 (木)

東映動画…あ、いや違った! 東映アニメーション

 今から30数年前に大泉学園へ引っ越してきた。名古屋から東京の映像製作部門へ異動になってきたわけなのだが、東映東京撮影所のあった大泉ってところが、どこか映像製作部門に異動になったということと因縁があったのだろうか。

 ただし、当時の大泉学園の駅前って、よしず張りの居酒屋なんかが沢山あって、東映の大部屋俳優なんかが監督の悪口を言いながら酒を飲んでクダをまくっていうパターンが多くて、まあ、それなりに面白かったんだけれども、今から考えるとちょっと「剣呑」なところはあったような気がする。

 で、結局、講談社がとった政策ってのは「アニメーションを自主製作する」っていう方向だから、んじゃあそれは東映動画(現・東映アニメーション)と組んでか? と言えばさにあらず。

 東映動画とのお付き合いができたのは「3×3 EYES」のOVAシリーズの製作だったので、私が東京に戻ってきてからは7年後のことになる。

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 で、久しぶりに東映アニメーションのスタジオを訪ねたら、今や工事中。

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 今年の夏の竣工を目指して追い込みの真っ最中ってわけなんですね。

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 それまで、マッドハウスとかスタジオぴえろ、スタジオ・ディーン、東京ムービー新社(その後、キョクイチ東京ムービー→トムスエンタテインメント)などといった、非東映系というか虫プロ系っていうか、そんなスタジオとアニメーションの製作をやっていた私は、初めて東映式のアニメーション制作というものを体験させてもらった。

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 そこでそれまでの虫プロ系のスタジオと東映動画の制作に関する考え方が、まったく異なることを教えてもらったのである。

 虫プロ系のアニメスタジオの制作には、アニメーション全体を見る監督とは別に、音響関係だけを司る「音響監督」というスタッフが存在するんだが、東映の方法ではそうしたスタッフは存在せずに、監督が映像から音響まですべてを司るという違いだったのだ。

 まあ、考えてみればそれが当たり前なんだけれども、虫プロ系では、最初に「鉄腕アトム」を作った時から作画が遅れに遅れて、監督が音響作業に携われないという問題がおきた。で、やむなく声優のキャスティングから音楽制作、アフレコ、音効作業、ダビングに至るすべての音響作業を司る音響監督なる職業が生まれたのだった。

 私としては、虫プロ系のアニメスタジオを仕事をした方が先行していたので、なんとなく「音響監督」がいるのが当たり前という感覚でいたのであるが、東映動画と仕事をしてみて、初めて「本来の監督の仕事」ってものに触れたっていうわけ。

 そりゃあそうだよね。本来、監督っていうのは映像全般(つまり映像から音響まですべて)に責任を持つ立場なんだ。それを「映像」に責任をもつ「監督」と、「音響」に責任を持つ「音響監督」っているってのは、やっぱりおかしいってことに、東映動画と仕事をしてみて、初めて気が付いた、っていうことですね。

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EPSON RD-1 VOIGTLANDER COLOR-SCOPAR 21mm f4 @Oizumi Nerima ©tsunoken

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