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2017年5月12日 (金)

佐藤愛子『九十歳。何がめでたい』って、別にめでたくないのは知っていますが

 考えてみたら佐藤愛子氏の作品はほとんど読んだことがなかった。

 勿論、佐藤氏が小説家の佐藤紅緑の娘で、お兄さんがサトウハチローだってことぐらいは知っているし、雑誌か何かでエッセイ位は読んだことがある。読んだけれども、なんか文句ばっかり言っているバアさんだなあ、何か保守的という印象しかなくて、その小説までは読んだことがない。直木賞受賞の出世作『戦いすんで日が暮れて』すら読んだことはなく、本書が最初で(おそらく最後の)佐藤愛子氏の本ということになる。

Photo 『九十歳。何がめでたい』(佐藤愛子著/小学館/2016年8月6日紙版刊・2016年8月19日電子版刊)

 私はまだ90歳になるまでは多少の時間はあるのだが、多分、別に90歳になったって別にめでたいこともないだろうし、単に死期が迫ってきているっていう位のことでしかない……、と勝手に思ってるんだが……。

『二十五歳で小説なるものを書き始めてから今年で六十七年になります。私の最後の長編小説「晩鐘」を書き上げたのは八十八歳の春でその時はもう頭も身体もスッカラカンになっていて、もうこれで何もかもおしまいという気持でした。今まで何十年も頑張ってきたのだから、この後はのんびりと老後を過せばいいと友人からもいわれ、自分もそう思っていました。
 ところがです。愈々「のんびり」の生活に入ってみると、これがどうも、なんだか気が抜けて楽しくないのです。仕事をしていた時は朝、眼が醒めるとすぐにその日にするべき仕事、会うべき人のことなどが頭に浮かび、
「さあ、やるぞ! 進軍!」
 といった気分でパッと飛び起きたものでした。しかし「のんびり」の毎日では、起きても別にすることもなし……という感じで、いつまでもベッドでモソモソしている。つまり気力が籠らないのです』

 う~ん、まあ、定年後の生活なんて、そんなもんです。

『そんなこんなで隔週ならば、という条件で書くことになったのですが、タイトルの「九十歳。何がめでたい」はその時、閃めいたものです。ヤケクソが籠っています。
 そうしてこの隔週連載が始まって何週間か過ぎたある日、気がついたら、錆びついた私の脳細胞は(若い頃のようにはいかないにしても)いくらか動き始め、私は老人性ウツ病から抜け出ていたのでした』

『人間は「のんびりしよう」なんて考えてはダメだということが、九十歳を過ぎてよくわかりました』

 まあ、「余生」なんですね。90歳になってはじめてやってきた余生。普通の人なら60歳とか65歳になってやってくる余生が、佐藤氏の場合は作家という定年のない職業を手掛けてしまったために、そんな年齢ではやってこずに90歳になって初めて「余生」というものに出会ってしまったというわけなんだ。

 佐藤氏は自ら書く。

『私は新聞の「人生相談」の愛讀者である。僅かな字数の中に時代とそこに生きる人々の人生が垣間見え、また回答者の回答にもその人の人となり、価値観、生きて来た軌跡のようなものがそこはかとなく窺われて興味深い』

 基本的にこの人は新聞情報がまず第一の情報源なんだなあ、と思っていたら……

『三月二十三日、テレビ朝日で「橋下×羽鳥の新番組始めます!」を見た。橋下徹といえば何年前になるか、テレビのバラエティ番組で軽いノリでふざけていた黄色いサングラスの若手弁護士だったのが、突然大阪府知事になり大阪市長になり、大阪の行政のドロ沼を引っ搔き廻していいたいことをいい、したいことをして日本中の注目の的になって何年か、そのうち政治というものに失望したのか、飽きたのか、そのへんの事情は私なんぞにわかるわけがないが、この度再転身して民間人に戻り、弁護士業を再開するのかテレビタレントになるのか、一擧一動が人の目を惹く人物である』

 とか……

『ヴァイオリニストの高嶋ちさ子さんが、息子さんの「ニンテンドー3DS」を真っ二つに折って壊した。平日のゲームは禁止という決りを九歳の息子さんが破ったからだという。  その顚末を高嶋さんが新聞のコラムに書いたところ、忽ちネット上で大炎上した』

 といった具合に、新聞から情報源がテレビに移動してきたみたいだ。う~ん、ますますダメな情報源(メディア)に近づいていくなあ。

『当節は人が顔を合せると「この頃のテレビはつまらないねえ」といい合うのが挨拶代りになっているが、それはどうやら制作にたずさわる人たち(構成作家? プロデューサー? ディレクター?)の「視聴者は他愛のないことを喜ぶ」という思い込みのためだろうと私は考える。
 例えば「中国の脅威への心構え」とか「マスメディアへの注文」とか「アメリカ大統領選への感想」少し砕けて「トランプというおっさんをどう思うか」でもいい。ヘソピアスやバスタオルの洗濯回数よりは中身が濃いと思うのだが、この国の大衆はそういうことに関心がない愚民である、と思いこんでいるかのようだ。失礼じゃないか』

「失礼じゃないか」と佐藤氏が怒っても、それは仕方のないことで、実際テレビの視聴者なんてそういう「クダラナイ」ことが大好きで、せっかく何かタメになるようなことをテレビで語っても、最早、皆そんなものには聞く耳持たないで、無視、無視。面白がるのはネットに上げて皆で炎上できるようなネタなんですね。

 最早、テレビの二次情報しか流通していないネットの世界では、何かものの役に立つような情報はほとんど流れてこずに、まあ、クダらないどうでもいいような話しか流れてこないのだ。

まさしく『ウェブはバカと暇人のもの』『今ウェブは退化中ですが、何か?』『ウェブを炎上させるイタい人たち』『ネットのバカ』という中川淳一郎氏が書く世界の情報の元は、みんなテレビなんですね。

 つまりテレビから情報を得ようとしないで、テレビは単なるニュース媒体としてのみ付き合えばいいということなんだけれども……、まあお年寄りにとって一番の情報収集の元が「テレビ」になってしまうんですね。

 あの佐藤愛子氏をもそうであったか、なんて別に慨嘆はしていませんがね。

 あまりいいことではありません。

「テレビはあくまでも二次情報」「ということは、基本的に『なくてもいい情報』」ということを肝に銘じておくことですね。

『九十歳。何がめでたい』(佐藤愛子著/小学館/2016年8月6日紙版刊・2016年8月19日電子版刊)

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