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2017年5月10日 (水)

東武亀戸線は昔は東武線の本線だった

 ということで、今日は以前の通りの「虫瞰図」的写真です。おまけにモノクロです。

 いや、単に私がモノクロ写真が好きなだけですけれどもね。でも、モノクロ写真って「色彩」っていう情報が一つ無なくなっているだけで、カラー写真とはまったく別の写真になっていると思いませんか?

 で、本日のテーマ「東武亀戸線は昔は支線じゃなかった、本線だった」です。

 東武スカイツリーラインの曳舟駅と、JR総武線の亀戸駅を結んでいる東武亀戸線は、現在は全長たかだか4kmの東武線の支線なんだが、実は東武線の本線だった時代がある、っていう話は知っていましたか?

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 1904年(明治37年)東武線の亀戸ー曳舟間が開通すると、総武鉄道(現・JR東日本総武本線)亀戸 - 両国橋(現・両国)間への直通運転を開始し、同日開業した両国橋駅に乗り入れた。これにより、東武鉄道の吾妻橋 - 曳舟間は廃止され、亀戸 - 曳舟間が本線格の扱いとなった、ということなのだ。

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 その後、乗り入れていた総武鉄道の国有化を機に、ターミナルを吾妻橋駅に戻すことになり、1908年(明治41年)3月に吾妻橋 - 曳舟間が貨物線として再開。1910年(明治43年)3月に吾妻橋駅を浅草駅と改称して、同区間の旅客営業を再開すると、亀戸 - 曳舟間は支線となったのだった。

 いろいろな歴史があるんですね。

Dsc_00102

 歴史と言えば、私の両親とも実家がこの曳舟・押上あたりにあって、今から50年以上も前の事、東武鉄道から突然私の家に手紙が来て、なんでもこの東武亀戸線の敷地の一部に私の知らない実家の一部が重なっていて、それを処理したいという主旨の手紙だったので、何らかの処理をした覚えがある。う~ん、そんなことばっかり調べて処理する部署が大東武鉄道にはあるんだな、ということを感慨深げに覚えた記憶がある。

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 ちょうど曳舟から小村井(おむらい)駅の辺りまでは、東武線と周囲のゴチャゴチャした民家がすぐに軒を並べている状態で、まあ、そんな感じの家のひとつだったんだろう。

Dsc_00432

 小村井から亀戸寄りの東あずま駅、亀戸水神駅あたりは広い丸八通りが脇を走っていて、線路の周囲も広くなっている。

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 で、亀戸水神を降りればすぐにあるのが、亀戸水神宮である。亀戸天神ではない。多分、この周辺のお百姓さんたちが、中川の水害を防ぐために奉った神社なんだろう。天神様とはまったく由来の異なる庶民的な信仰を集めた神様なのだ。

Dsc_00572

 亀戸水神を過ぎれば、すぐに亀戸駅に着く。昔はここから総武線に乗り入れていたんだな。

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NIKON Df AF Nikkor 28mm f2.8 D @Kyojima Sumida, Kameido Koto ©tsnoken

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