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2017年5月19日 (金)

東京周縁部を往く・町田旧街道

 町田市を東京周縁部って言っちゃうと、何か文句が出てしまいそうだけれども、実はここもちゃんと東京都なんですね。西の方で多摩市とも繋がっていて飛び地でもありません。まあ、小田急線で来ると途中が神奈川県なので、そんな錯覚もおきてくるんだけれどもね。

 で、この町田市っていうのは実はかなり重要な場所だったのだ。

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 小田急町田駅の駅前には「絹乃道 此方 はちお〃じ 此方 よこはま」という碑とともに説明版がある。

『絹の道

 黒船到来により永い鎖国が開かれ 安政六年(1859)に横浜が開港されると 日本から欧米諸国への輸出品の花形になった”生糸”は 主産地である長野・山梨や八王子から 町田を通って横浜へ運搬されました。
 新編風土記稿に”神奈川道”と記された原町田中央通りは東西文化の交流を果たした中国の長安から地中海に至る古代シルク・ロードのように日本のシルク・ロードになりました。
 そして原町田は 商業地形成の原点となった「二・六の市」を主軸として 生糸をはじめ諸物資の集散地となり 繁栄の基礎が築かれ今日に至りました。
 この碑は歴史と伝統を受け継ぐ 原町田商人の証として 原町田誕生四百年を記念し 一番街商店会が建立しました。

 昭和五十六年十二月吉日』

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 ということで、小田急町田駅前に展開する現在の町田一番街商店街が「二・六の市」の中心として、旧町田街道の中の重要な町となったのだ。

Dsc_00102

 旧町田街道は、南に1.5kmほど行くと、三塚というところで現在の町田街道に合流する。

Dsc_00222

 合流地点の裏側(JR横浜線を挟んで反対側)には町田天満宮がある。結構、大きな神社で、多分、昔はこのあたりが町田の中心だったんだろうね。

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 小田急線の踏切を挟んで反対側にでると、そこは栄通りと名を変えて……

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 3kmあたり北上すると、今度は滝の沢で現在の町田街道と合流。

Dsc_00582

 まあ、たかだか4~5kmの「旧町田街道」なんだけれども、東京都でありながら、東京からは離れている場所は、ちょっとした旅気分が楽しめる街ではある。

NIKON Df AF Nikkor 35mm f2 D @Machida ©tsunoken

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