フォト
無料ブログはココログ

Amazonウィジェット

  • Amazonおまかせリンク
  • おすすめウィジェット
  • Kindle

« 東武亀戸線は昔は東武線の本線だった | トップページ | 佐藤愛子『九十歳。何がめでたい』って、別にめでたくないのは知っていますが »

2017年5月11日 (木)

ニコンのこれまでの100年より、これからの100年の方が気になる

 ニコン(旧・日本光学)は、1917年(大正6年)7月 - 光学兵器の国産化を目的として、東京計器製作所光学部・岩城硝子製造所の反射鏡部門を統合し、岩崎小彌太の個人出資により「日本光學工業株式會社(日本光学工業株式会社)」として設立された、まあ国策会社だったわけだ。軍艦に搭載される大砲の測距儀を作っていたのがレンジファインダー・カメラの基。

Dsc_00232

 それが戦後になって平和産業として立ち直るために、その光学技術を生かしてレンズメーカー、カメラメーカーへと変貌し、現在では世界最高峰のカメラを含む光学メーカーになっているわけである。まあ、ディビッド・ダンカンのおかげ、っていう部分もあるけれどもね。

Dsc_00022

 そんなニコンの創立100周年を記念して開催されている「ニコンミュージアム ニコン創立100周年企画展 第2回 カメラ試作機~開発者たちの思い」が、品川のニコン本社にあるニコンミュージアムで開催中だ。

Dsc_00192

 その後のニコンの発展の基となったニコンF、最上級機で初めて電子シャッターを搭載したニコンF3、レンジファインダーカメラ・ニコンSPにTTL方式の露出計を搭載したニコンSPXなんかの試作機が展示されている。普通は新型機の開発が終わると、試作機は壊されてしまうので、ここに展示されている試作機は、数少ない貴重品ってことなんだろうなあ。

 気になったのはニコンSPXで、もしそれがが実用化されたらライカM3を超える当時最新型のレンジファインダー・カメラになったと思う。でも、その変わり世界を征服した、ニコンの一眼レフの歴史は逆に生まれなかったかもしれない。

Dsc_00052

 もうひとつ面白かったのは、ニコンが中判カメラを試作していたってこと。ニコンと言えばライカ判フィルムのカメラというイメージだったんだが、まあ、まだフィルムの解像度が低かった時代には、プロ用カメラメーカーとしえては中判カメラも視野に入れなければいけなかったものと思われる。

Dsc_00202

 が、まあ、それらの過去100年の栄光はもういい。むしろこれからの100年はどうなるんだろう。ハイエンド一眼レフばかり作っているわけにはいかない総合カメラメーカーとしては、そのラインナップにコンパクトデジタルも入れなければならない。しかし、今やそのコンデジ市場はスマートフォン搭載のカメラにまったくかなわない状況になってしまい、今期ニコンは赤字に陥ってしまっている。

Dsc_00092

 新しいカメラ市場か、あるいはカメラに代わる市場が何なのか? それが問題だ!

2

 ニコンミュージアムのお土産は、定番の「Nikonようかん」だ。 それは問題じゃない!

NIKON Df AF Nikkor 20mm f2.8 D @Nikon Museum Shinagawa ©tsunoken

« 東武亀戸線は昔は東武線の本線だった | トップページ | 佐藤愛子『九十歳。何がめでたい』って、別にめでたくないのは知っていますが »

カメラ・写真」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/549500/65258691

この記事へのトラックバック一覧です: ニコンのこれまでの100年より、これからの100年の方が気になる:

« 東武亀戸線は昔は東武線の本線だった | トップページ | 佐藤愛子『九十歳。何がめでたい』って、別にめでたくないのは知っていますが »

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

PEN PEN チョートクカメラ日記

自転車フォトグラファー 砂田弓弦

シュクレはお留守番

アローカメラ&我楽多屋

まだ東京で消耗してるの?