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2017年4月18日 (火)

『結婚と家族のこれから』

 う~ん、なんか単純なようでいて、実はなかなか入り組んで、難しい問題なのかもしれないなあ。

Photo 『結婚と家族のこれから 共働き社会の限界』(筒井淳也著/光文社新書/2016年6月20日紙版刊・2016年7月8日電子版刊)

『「男女がともに相手を好きになり、合意の上で親密な仲になる。関係がうまくいかなければ、別れる。好きな相手ができたら、女性でも積極的に男性に求愛する」
 このような関係のあり方は、いかにも現代的な恋愛や結婚のあり方です。
「男女ともに財産の所有権を持つ」
 これもいまでは当たり前のことでしょう。
 いきなりこのようなことを書いたのには、わけがあります。実は、これらは日本の古代社会の男女関係のあり方なのです』

『結論からいえば、家父長制的な家族、父系の直系家族は、日本では10世紀くらいから徐々に浸透していった制度なのです』

『「男性は外で働き、女性は家庭で家事や育児をする」
 これも、しばしば伝統的家族の特徴として考えられていて、いまとなっては古臭いと感じる結婚生活のあり方でしょう。いまや、共働き夫婦は当たり前です。このような古風な夫婦生活のあり方は、昔の映画のなかにしかないのでは、と考えたくなります。
 しかし、社会学者の間で「性別分業」といわれているこの夫婦のあり方は、極めて「モダン」なものなのです。つまり、私たちの社会が近代化するまであまり見られなかったものだ、ということです』

『少し乱暴に単純化していうと、日本における家族や結婚のかたちは、古代の男女平等に近いかたちから、中世と近世(江戸時代)と近代(第二次世界大戦の終戦まで)の非常に長い男性優位の時代を経て、再び男女平等に近づいている、ということができます』

 とはいうものの、現代の家庭の作り方と徹底して違うのは、ここである。

『男性も女性も同時に複数の相手と親しい仲になることがあって、「誰かと付き合っているときは他の人と付き合ってはならない」という強い規範はありませんでした。これを「対偶婚」といいます』

 つまり「家」という概念がなかった頃のお話である。男女は好き勝手に出会って、好き勝手に性生活を営むという生き方。

『「妻問婚」といわれる日本古代の結婚生活の方式も、このつながりで理解できます。妻問婚とは、昼間は自分の家にいる配偶者の男性が、夜に妻の住居を訪ねるという方式の結婚生活です』

 結局、女性は母になることによって「家」に繋がってしまい、その結果、女性は「家」と「家族」を抱えていかなくてはならないようになる。結果として、それは女性の男性に対する従属という形になってしまうのだ。

『しかし、「家」の成立から近代初期まで続く「家族」は、個人をそれを通じて保護するというよりは、どちらかといえば女性を男性に従属させ、子どもを作るという営みをそこに縛り付けるための仕組みに近かったようです。そしてその代わりに、男性は家族を守る責任を負うことになります』

 それがやっと解放される時がきたというのであろうか。

『「産む性」としての女性が抱えている様々な問題は、もはや家族、特にジェンダー家族によって解決される必要がない、ということになります。子どもを生み、育てる女性が頼るのは、特定の男性、つまり夫ではなく、社会全体でもよい、という主張です』

 まあ、フランスや北欧なんかの女性政策なんかの例ですね。結果としてそれが少子化を防ぐことになったという。

 しかし、これは『取り敢えず「性」の問題と、「心」の問題を別においている論」であるのかもしれない。

 で、その視点を加えると。

『近代化にともなって、人々はある特定の恋愛のかたちを理想として考えるようになりました。それは、「一人の人と恋に落ちて、その人と結婚し、一生添い遂げる」という生き方です。このような恋愛のかたちを「ロマンティック・ラブ」といいます』

『「好きな人と付き合って、結婚して、醒めたら別れる」というのは日本の古代社会でも見られた恋愛のかたちですが、現代社会でも、個々人が自分の経済基盤を確保していれば、短い付き合いを繰り返すことは可能です。ここで、これからの恋愛では、こういったアド・ホックな付き合いが増えるのだろうか、という問いが出てきます。この問いに答えを直接出すことは難しいのですが、同棲や離婚・再婚が増加していることは、ロマンティック・ラブの終焉の傍証になっているかもしれません』

 実はこの引用、本書冒頭の(問題提起)部分と、結論を勝手に結びつけただけなんだけれども、なんか簡単にリンクしちゃう。ってことは、もしかするとこの当初の設問は、実は簡単に結論が出てしまう問題であって、ということはそうそう簡単には解決しない問題なのかもしれない。

『リベラリズムとは、生存や承認など、基本的な人権については政府が率先して保障し、また経済の領域でも不公正な取引を排除することを目指す立場です。そのかわりに、第三章でも触れたように、私的な領域、つまり友人関係や恋愛関係、そして家族関係については消極的にしか介入しない、という立場でもあります。つまり、公的な領域と私的な領域に線引きをし、公的領域では公正さを保障するが、私的領域は個々人の自由に任せる、ということです』

 ということは、ある種「私的領域」に属する「男女の関係論」に、政治が踏み込めない領域があって、それがある以上は政府は最終的な男女関係については決定権はもてないってことなんですね。

 フランスや北欧って、どうやってその辺の問題を解決してるんだろう。

 うん、次に読む本のタイトルが見えてきたぞ。

『結婚と家族のこれから 共働き社会の限界』(筒井淳也著/光文社新書/2016年6月20日紙版刊・2016年7月8日電子版刊)

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