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2017年4月29日 (土)

『すべての教育は「洗脳」である』は典型的な「G人材のための、G人材による、G人材の人」の書なんだなあ

 う~ん、そりゃ『すべての教育は「洗脳」である』っていう論はよくわかるし、私もそう思う。しかし、それを久留米大学付設高校出身で東京大学文学部中退ののホリエモンが言ったって、全然説得力ないもんなあ。

 結局、堀江氏だって東大に入るまでは「普通に学校のお勉強を頑張っちゃった」クチでしょう。そんなひとが『すべての教育は「洗脳」である』って言ったって、あんただってそんな「洗脳」を受け入れていたんじゃないかよ、ってなもんですな。

Photo 『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論』(堀江貴文著/2017年3月20日紙版刊・2017年3月17日電子版刊)

 インターネットによって「国民国家」という概念はなくなったというのが堀江氏の見解だ。

『もう、「国民国家」というフィクションは力を持っていない。「国家」はなくなりつつある。早晩、僕らがイメージしていたような形の国家は消滅するだろう』

『もちろん、まだ「国」という枠組みは残っている。国家(税金による富の再分配)という機能は今後も残るだろう。だが、それを支える「国民」、そして国民国家という概念はもはやファンタジーにすぎない。というより、そもそも想像上の産物なのだから化けの皮がはがれたと言うべきか。
 今や「国民」を作るための洗脳装置は不要になった。これから人類は、「国」から解き放たれた、真に自由な「民」になるのだ』

『時代に合った良質なフィクションは、人々に「居場所」を提供してくれる。かつてはそれが、「国家」「企業」「学校」だったのかもしれない。人々は、自分がその共同体の一員だと信じることで、自分の居場所を実感し、アイデンティティを育むことができた。
 しかし、インターネットによって国家の壁が取り払われた現在、人々の居場所はもっと違うところにある』

『N幻想(国民国家幻想:引用者注)がなくなり、誰もが共有する「幸せの正解」がなくなった現在、人は国民ではない「民」の一人として、自分だけの幸せを探し、生き方を探し、働き方を探さなければならない。それは、画一的な「学校」で教えられるものではないというのが僕の意見だ』

『国民国家(N)という幻想が崩壊する。それは別に、世界中の人間がいきなり「地球人」として新しい枠組みの中で生きるようになる、という意味ではない。
 今後人々は、生まれた国や地域に関係なく、生き方、考え方、働き方の面において大きく二つの方向に分かれていくだろう。
 一つは、世界規模――〝グローバル〟を行動範囲とする「G人材」。
 そしてもう一つは、地元――〝ローカル〟に根づく「L人材」である』

「国民国家」という幻想はなくなりつつある、というのは事実だろう。しかし、一方で国民国家側からはそれへの大きな巻き返しもあるのも事実であり、まあ、しばらくはそんな国民国家側と「国民国家は幻想である」と主張する側のせめぎあいが行われるはずだ。「国民国家に代わる新たな社会体制」が整うまでは、そんなせめぎあいが続くだろうし、その時に備えての「G人材」と「L人材」という考え方の浸透という風に考えないと、今はっきり「G人材」「L人材」に分けて、「皆、G人材を目指そうよ」ってやってもうまくはいかないだろう。

『L人材が好むコンテンツを見れば、その嗜好性は明らかだ。『ONE PIECE』のメインキャラクターたちは、常に仲間のために死に物狂いで戦い、涙する。ジャニーズやAKB48、EXILEといったアイドル歌手が売りにしているのも、歌というよりはむしろグループメンバー間の絆や、ファンとの連帯感の方だ』

 とは言うものの、そんな「L人材」の生活を支えているのは実は「G人材」が生み出した富であるということはあまり知られていない。

『「大都市よりも、地方都市の方が快適だ」と言う人は多い。確かに地方は家賃が安く、駐車場代もかからない。少し車を飛ばせば、大型商業施設にたどり着ける。そこに行けばなんでも揃うし、遊ぶ手段にも事欠かない。
  ただ、こうした〝楽園〟の維持費となっているのは、その地方自体の税収ではなく、地方交付税交付金だ。つまり、大都市圏で働く高所得層の納めた税金が地方に回っているからこそ、地方の居心地の良さは守られているのである。
 そして今後、少子高齢化による税収の先細りは避けられない』

 というのは事実だが、じゃあ一体「L人材」はどうやって生きていけばいいんだろう。世の中には「G人材」と「L人材」に分かれていくと言いながら、しかし、それぞれの生き方について言及しないのは、ちょっと片落ちなのではないだろうか。

 勿論、堀江氏自身は典型的な「G人材」なんだからそのままを生きていけばいい。しかし、世の中には堀江氏と同房だった長野刑務所の受刑者たちみたいな、典型的な「L人材」がいる訳である。

『たとえば、僕もかつてはぶら下げていた「東大生ブランド」。いまだに「やっぱり大学に行くなら東大でしょうか」などと聞いてくる人がいるが、僕にはまったく理解できない。もちろん僕の答えは、「大学なんて全部無意味!」だ』

『僕が10代だった頃、「東大生ブランド」の価値はそれなりに高かった。つまり、コスパが良かったのだ。頭の固い両親も「東大に入るなら」と上京を許してくれたし、ヒッチハイクをしても「東大生なら信用できる」と車に乗せてもらえた。起業した時も、「現役東大生が起業!」とマスコミにもてはやされた。
 では、今はどうだろう? 「東大生」なんて、もはや珍しくもなんともない。珍しかったのは、大学進学率が1~2割しかなかったような時代、あるいは東大生が民間(特にベンチャー)に少なかった時代の話だ』

 というのはすべて事実ではあるにしても、でも、未だに世の中にはそんな「東大生ブランド」という神話が生きている部分もあるんだ。そんなブランドを信じている人たちに向かって「そんな神話は捨てろよ」って言ったって、「そんなバカな」と言われるだけがオチなのである。

 堀江氏がそんな「L人材」に向けて、それを脱出する方法を提示して初めて。というか、そもそも「L人材」が自分でそんな方法を見つけられるはずもないので、その人たちに堀江氏自らその方法論を提示して初めて、本書の結論が言えるのではないだろうか。

『その時にこそ、今までの思い込みが幻想であったことを痛感できるだろう。
 そして、「誰かに力を貸してもらわないと自分は変われない」という自己否定のブレーキが、単なる洗脳の結果だったことを実感するはずだ。
 学校、そして会社という幻想から自由になれた時、あなたの「脱洗脳」は完了する。洗脳が解けたあとの清々しい世界をもしもあなたが体感できたなら、著者としてそれに勝る喜びはない』

 とね。

『すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論』(堀江貴文著/2017年3月20日紙版刊・2017年3月17日電子版刊)

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